第六章

 それから一週間ほどは、特に何事もない、相変わらずの日々だったといってもいい。
 早瀬とは首輪つきでセックスした。
 DVDの送り主はわからないまま。
 そして私へのいやがらせは、少しずつエスカレートしながら続いていた。


 その日――
 私が登校すると、教室内が不自然にざわついた。
 三分の二ほどの席が埋まっている教室。早瀬の姿は見あたらない。
 そして黒板に、パソコンで印刷したものと思われる、A4サイズの写真が貼られていた。
 全裸で、脚を大きく開いて局部まで曝している〈私〉の姿。ぼかしもモザイクもない。
 黒板の前で一瞬だけ脚を止め、視線を向ける。
 その写真が本物ではなく、パソコンで作ったコラージュだと見抜くにはその一瞬で充分、一目瞭然だった。
 顔は確かに私のものだ。ただし、三つ編みお下げで、垂らした前髪と地味な眼鏡で大きな目を隠し、〈フェロモン〉も抑えて、まったくの無表情――つまり〈学校モード〉の私。
 この顔で裸を曝したことなんて、普段の援交やAVはもちろん、早瀬の前でも一度もない。
 そして首から下は確認するまでもなく、体型がまるで違う。
 適当な無修正写真に、隠し撮りした私の顔を合成したものだろう。それでも、私の裸を知らない人には一見本物に見えるくらいに、技術的にはよくできた写真だった。
 しかし、私にとっては〈どうでもいい〉ことだ。
 脚を止めていたのは一瞬だけで、そのまま無視して席に着いた。
 どこからともなく、押し殺したような微かな嘲笑が聞こえてくる。その主が誰かということにも興味はなかった。
 席に着く前、茅萱がいたたまれない表情をしていたのが目に入った。
 こんな状況、彼女の方が居心地が悪いだろうに。彼女の、自称〈友達〉はそんなことを思いもしないのだ。
 少しだけ気になったのは、これを見た早瀬がどんな反応を示すかという、純粋な好奇心だった。
 しかし、早瀬より先に教室へ入ってきたのは、木野悠美だった。
 すぐに写真に気づき、その正面に立って腰に手を当てると、ふっと小馬鹿にしたような笑いを漏らした。
「なぁに、この、へったくそなエロコラ」
 独り言には大きすぎる、教室のいちばん後ろにいてもはっきりと聞こえる声。
「莉鈴はもっと華奢だし、ウェストや脚はすっごい細いし、でも胸はもっと大きいし、こーんな毛深くなんかないし、アソコはきれいなピンク色だしー」
 唖然としている聴衆を前に、蕩々と語る。
 実際には、木野は私の裸など見たことないはずだけれど、そんなことを知らない者たちには、私と親しくしている(と傍目には見える)木野の台詞だから説得力があるだろう。
 写真を剥がすと、くしゃくしゃに丸めて放り投げる。それはコントロールよくごみ箱に収まった。
 それを見届けてから自分の席に向かった木野は、遠回りして私の横を通った。
「……ばかじゃないの? 庇ったつもり?」
 机に頬杖をつき、目も合わせず、抑揚のない声でつぶやく。
「バカは、あれをやった連中でしょ」
 これまた聞こえよがしに大きな声で言う。
「あんなせこいことしかできない連中より、あたしの方がずっと支持されてると思うけど?」
 確かに。
 美人でスタイルがよくて、活発で人付き合いもよく、そして正義感のある木野は、男子はもちろん女子にも、そして教師にも人望がある。彼女に関して唯一、周囲が眉をひそめることがあるとしたら、それは私に構うことだけだろう。
 私から視線を外して、教室全体を見渡す。おそらく、今回の〈犯人〉もわかっているのだろうけれど、あえてそちらに視線を向けたりはしない。
「……誰とは言わないけど、怒ってるのが私ですんでるうちにやめた方がいいんじゃないかな? ……あのオトコが本気で怒ったら病院送りにされるだろうし、この子を怒らせたら、小指のないコワーイお兄さんとかが出てくるかもよ?」
 冗談半分、〈犯人〉を小馬鹿にした口調。
 実際、AVがらみでそっち関係の知り合いがいないわけでもない。あるいは〈パパ〉のつてを頼れば、私に危害を加えようとする人間など、東京湾の底だろうと外国の娼館だろうと思いのままだ。
 しかし私には、そんな怒りを持つほどの情熱もない。
 言うべきことは言った、という態度で木野は席に着いた。教室のざわめきも徐々に収まり、朝練を終えた早瀬が姿を現した頃には、この空間は表向きの平穏を取り戻していた。
 とりあえず、これで多少は学校での煩わしさが減るかもしれない。
 おそらく、木野もそう思ったのだろう。
 しかし、その予想は外れていた。
 もしかしたら〈犯人〉は、逆に危機感を募らせたのかもしれない。

 この日の下校時――
 
 階段を下りていた私は、後ろからいきなり何者かに背中を突き飛ばされた。


 翌日――

 登校したのは、昼休みになってからだった。
 午前中に病院へ寄って、松葉杖をついての登校で、この時刻になってしまった。
 怪我は、足首の捻挫と、いくつかの打撲。
 額にガーゼを貼り、杖をついての登場に、昨日とは違った雰囲気で教室がざわめいた。
 木野が、はっきりと表情を強張らせた。
 茅萱も、なにが起こったのかを察した様子だった。
 早瀬はなにも事情を知らないのか、単純に驚いた顔をしている。
 それらを無視して、席に着く。
 そこで、机の中にあるものを見つけた。しかしそれを取り出す前に、横に立つ人影があった。
 木野がなにか言ってくるだろうと予想していたのだけれど、先に私のところへ来たのは、心配そうな表情をした早瀬だった。
「北川……怪我したのか?」
 ちらり、と見上げる。
 やっぱり、なにも知らないのだろう。お気楽なものだ。
 睨むように目を細めて答える。
「…………階段で……踏み外した」
 わざと、ぼかして言う。こちらを見ている木野の目が鋭くなった。
「歩けるのか? 帰り、送ってくか?」
 教室のざわめきが大きくなる。
 早瀬が教室でこんな風に話しかけてくることは珍しい。いつだって私が無視するから、噂になる前も後も、人目のあるところでのおおっぴらな接触は皆無だった。
 これ見よがしに、大きな溜息をつく。
 学校ではほぼ無表情を貫いている私には珍しい、皮肉な笑みが口元に浮かぶ。
「……そんなに、私の怪我を増やしたいの?」
 そう言って、机の中にあった封筒を取り出す。
 封を開ける。
 小さな、金属音。
 剥き出しになった、大型のカッターの替え刃が机の上に落ちた。
 それは、私に向けられた敵意の結晶。
 瞬間、早瀬の表情が強張った。
 すべての事情を理解した顔だった。
 大きな手が拳を握る。
「いったい、誰が……」
 問い詰めようとする早瀬を無視して、私は立ち上がった。
 カッターの刃を手に取る。
「せっかくの贈り物だし、ありがたく使わせてもらうわ」
 教室ではほとんど喋らない私。教室中に通るような声を出したのは、入学以来初めてかもしれない。
 歪んだ笑みも加わって、教室内の人間の多くが不気味なものを見るような目を向けている。
 何人かが、息を呑む。
 無造作に、カッターの刃を手首にざっくりと突き立てた。
 ざわめく教室。
 小さな悲鳴がいくつか上がる。
 滴る鮮血。
 ばっと立ち上がった木野。
 表情を凍りつかせて固まっている茅萱。
 そして、誰が見てもはっきりとわかるくらいに顔色を変えた、名前も知らない、席が隣同士の女子がふたり。
 私は杖を持つと、早瀬も木野も無視して、その席の前へ行った。
「ありがとう、いい切れ味だったわ」
 鮮血を溢れさせている手で、血まみれの刃を置く。
 机の上に、血の痕が残る。
 見おろした相手は、まるで化物でも見るような表情で小さく震えていた。その視線が不意に私から外れ、恐怖に見開かれた。
 私の肩に、手が置かれる。
 大きな手。
 いつの間にか、早瀬が隣に立っていた。肩をつかんで私を一歩下がらせ、自分が前に出た。
 その横顔を見て、ぞっとした。
 あまり感情を揺さぶられることもない私なのに、その一瞬は血の気が引く思いがした。
 腕に鳥肌が立つ。
 早瀬は、怒っていた。
 小さな子供なら、ひと目で泣き出しそうな顔だった。
 初めて見る、本当の怒りの形相だった。
 援交をだしにして、ちょっとしたやきもちを妬かせた時など比べものにもならない、正真正銘の怒りを露わにしていた。
 教室中が緊張感に包まれる。
 早瀬はなにも言わなかった。
 怒りのあまり、言葉が出てこない様子だった。
 無言で、その太い腕を振りあげる。
 筋肉が不気味なほどに盛り上がって、血管が浮かび上がって、微かに震えている。
 次の瞬間、
 血の気を失った顔で震えている女子の目の前に、腕が振りおろされた。
 絶叫。
 いくつもの悲鳴。
 大きなものが倒れる音。
 そして、予鈴。
 様々な音が重なる。
 椅子ごと後ろに倒れた、カッターの送り主。
 拳は当たってはいない。
 丸太の如き、いや鋼材の如き早瀬の豪腕は、彼女の鼻先をかすめ、机の天板をただの一撃で叩き割っていた。
 〈震源地〉を中心にその事実がさざ波のように広がって、またあちこちで声が上がる。
 しかし早瀬はそんな雑音を無視して、杖ごと私を抱え上げると足早に教室から出て行った。


「…………ごめん……謝られるの嫌いって言ってたけど、でもやっぱりごめん。俺の、せいだよな、その脚……」
 予鈴が鳴って人の姿がなくなった廊下を、私を抱えた早瀬が歩いていく。いつもより早歩きなくらいなのに、その足どりはむしろ重そうに見えた。
 向かう先は保健室。
 私はなにも応えなかった。
 どうでもいい、ことだった。
 カッターの刃も、この程度の捻挫も、私の感情を動かすほどの出来事ではない。
 こんな〈些細なこと〉で怒りを覚えるほど、生きることに情熱を持っているわけでもない。
 それよりも私の感情を揺さぶっているのは、あの、早瀬の怒りの表情だった。
 初めて見た、早瀬の〈本気〉。
 驚き、そして少し怯えもした。
 恐ろしい破壊力を秘めた太い腕が、今は私を抱きかかえている。
 角を曲がって保健室の前の廊下に出ると、ちょうど、遠藤が保健室から出てきたところだった。
 ドアに掛かっているお手製のプレートを〈Open〉から〈Closed 急患は職員室へ〉にひっくり返したところで私たちに気づき、遠目にもはっきりとわかる驚きの表情を浮かべた。
「北川……」
 保健室の常連、遠藤とは頻繁に顔を合わせている私だけれど、早瀬に連れられてくるなんて、もちろん初めてだった。
 しかも全女性の憧れ、お姫様抱っこで。
 遠藤の視線に、驚きつつも微かな羨望の色が混じっているように思えるのは気のせいだろうか。
 やっぱり、遠藤も〈女〉なのだろう。鮮血を滴らせている左手の傷に気づくのが一瞬遅れた様子だった。
 プレートは戻さずに保健室のドアを開けながら訊いてくる。
「なにか、あったのか?」
 私たちに、中に入るよう促す。
「……別に」
 と私。
「まあ……ちょっと」
 これは早瀬。
 正反対の答えが重なる。
「ふむ……まあ、座れ。手首は止血するから。あと……この傷は?」
 額のガーゼや足首の包帯を指さす。
「……なんでもない」
「いや、まあ、いろいろ」
 また、違う答えが重なる。
「ふむ……?」
 わかったような、わからないような。微かに首を傾げる遠藤。
 もっとも、こんなことは慣れっこだろう。私の傷はいつだって、簡単に説明できるものではないのだから。
 私を椅子に座らせ、いつものように手際よく傷の手当てをはじめる。
 その合間に、隣に立っている早瀬をちらりと見上げた。
「君が噂の、北川の彼氏か。早瀬くんだっけ? やっぱり君だったんだな」
 その間違った台詞に、まんざらでもなさそうな顔をしている早瀬。なので、私が訂正することになる。
「……〈彼氏〉じゃないわ」
「でも、援交でもない」
 間髪入れずに遠藤から返ってくるのは、質問ではなく、断定の言葉。
 おかげで、もう一言返さなければならない。
「でも、彼氏じゃない。……しいて言えば……セフレ、でしょ」
 言っている自分も、なにか違うような気がする。
 しかし、恋愛感情抜き、金品抜きの身体の関係。既成の言葉でいちばん近いのはやっぱり〈セフレ〉だろう。
 早瀬が不満そうな表情を浮かべているけれど、もちろん無視。
 いつまでもここにいないで、さっさと教室に戻ればいいのに。遠藤にあれこれ詮索されるのはおもしろくない。とはいえ、あの教室に居づらいのは早瀬も同じだろう。
「セフレってのは、ちょっと違うんじゃないか?」
 治療の仕上げに包帯を巻きながら、遠藤が言う。
「……どうして?」
「セフレってのは本来、恋愛感情ではなく、お金のためでもなく、お互いが望んで身体の関係を楽しむものをいうんじゃないのか?」
「……違うというの? まさか、私が早瀬に恋愛感情を持っているとでも?」
 意図せず、やや強い口調になってしまった。これでは、かえって誤魔化そうとしているみたいではないか。
「問題はそっちじゃない」
 遠藤が首を振る。
「北川が、セックスを楽しんでいたとは初耳だな」
「……っ!」
 遠藤の指摘は図星だった。
 セックスは、私にとって苦痛だった。
 肉体的な快楽は得ているが、それでも……いや、だからこそ、精神的には楽しんでいない。
 自分を苦しめるために、していることだ。
「……楽しんではいるわ。それなりに」
「これはいい傾向……かな? 北川が、こんな風に嘘をついて取り繕うところなんて、初めて見た」
「……」
 遠藤の楽しげな笑みに、唇を噛む。なんだかんだいって、私のことをもっとも理解している人間のひとりだ。知られたくないことまで見抜かれてしまう。
「……じゃあ、訂正。早瀬が無理やり私を強姦してるってことにする」
「……おい」
 高い位置からの、苦笑混じりのつっこみは無視。
「……うん、まあ、やっぱりいい傾向なんじゃないか? 〈パパ〉ばっかりじゃなく、同世代と関係を持つというのも。……ただ、それなりに節度は持って、な」
 最後の部分は早瀬に向かっての台詞だ。私に言っても無駄と悟っているのだろう。
「北川のこと、なにをしてもいいような女の子と思うなよ? この子は心身ともに、華奢で繊細な壊れものだ」
「……気をつけます」
 そう答える早瀬は、やや後ろめたそうだった。普段を鑑みれば、私のことを壊れもののように扱っているとは言い難い。物理的には、むしろ積極的に壊そうとしているといった方が相応しい。
 だから、言ってやる。
「こいつに言っても無駄。ふたりきりになれば、すぐケダモノに変わる男よ」
「早瀬くんの存在が北川のためになるなら、なにも言わん。不純異性交遊だって、黙認どころかむしろ奨励してやる。しかし、君が北川にとってマイナスになるなら、そこまでだ。肝に銘じておけ」
「……はい」
「念のため言っておくが、いちばんの問題は物理的な乱暴さじゃないぞ?」
「……わかってる……つもりっす、いちおうは」
 遠藤が、笑みを浮かべて振り返った。
「……なかなかいい男じゃないか」
「どこが」
 間髪入れずに即答。
「遠藤ってば、こーゆー大魔神みたいなのが好み? だったら好きに持っていけば?」
 苦笑しながら肩をすくめる遠藤。
「北川にとってはいい男だが、私向きではないな。じゃ、私は職員室にいるから、なにかあったら連絡しろ。あと、しばらくベッドで休んでいってもいいけど〈使う〉なよ?」
 そう言い残して、保健室を出ようとする。
 変に気を遣っているのか……とも思ったが、そういえば、ここに来た時も出かけようとしていた。職員室に用事があったのだろう。
「あ、ちょっと」
 そこで、あることを思い出して呼び止めた。遠藤の台詞の中に、気になった一言があったのだ。
「……ん?」
「さっき、早瀬のこと「やっぱり」って言ってたのは?」
「ああ。北川の身近……同じ学年、同じクラスで、いちばん大きな男子だからな。たぶん彼だろうと見当をつけてた」
 この学校にいる〈相手〉が同学年の大柄な男子だと話したのは、早瀬と初めてセックスした翌日のことだった。だとすると、かなり早い段階から、相手が早瀬だと気づいていたことになる。
 あの、夏休み中の電話の時も、早瀬としている最中だとわかっていたのだろうか。
 この三ヶ月半、すべて承知の上だったのだろうか。
 なんとなくおもしろくない。
 だから、少しからかってやる。
「……へぇ、早瀬〈の〉がいちばん大きいなんて、いつ調べたの? 身体測定のついでに男子生徒に猥褻行為を働いていたのかしら? 淫行教師ね」
「ばっ……馬鹿っ! 体格の話をしてるんだ!」
 大人ではあっても、性経験はそれほど豊富ではない遠藤。私の反撃に顔を赤らめて保健室を出て行った。


 保健室に残された、私と早瀬。
 遠藤が〈Closed〉のプレートをそのままにしていったから、他の生徒は来るまい。
 ちらり、と早瀬の顔を見た。
 なにか考えているような、難しい表情をしている。
 まだ教室に戻るつもりはないらしい。
 私は椅子から立って、ベッドにごろりと横になった。
 そのまま、眼鏡を外す。
 学校では抑えているフェロモンも解放する。
「……しよっか?」
 いつもよりもやや感情のこもった声で早瀬を誘う。少しだけ、甘えたような声。
「なっ、なに言ってんだよ、いきなり!」
 いきなりの台詞にさすがに驚いた様子で、赤くなって叫ぶ。
「……保健室にふたりきりなんて、やれっていってるようなものじゃない?」
「使うな、って言われたろ」
 遠藤にいろいろと釘を刺された上で、とどめがあれ。性欲魔神の早瀬もさすがに自制しているのだろう。
 しかし、遠藤が使うなと言ったからこそ、だ。
 言いなりになるのはおもしろくない。子供っぽい反抗とは思うけれど、だからといってここでおとなしくしていては私らしくない。
 ブラウスのリボンを解き、ボタンを外していく。
 ひとつ。
 ふたつ。
 みっつ目まで。
 胸の谷間と、ブラジャーが露わになる。
 三つ編みを解き、指で髪を梳く。
 スカートの裾を、パンツが見えそうで見えない、だけどやっぱりちらりと見えそうなぎりぎりまで引き上げる。
「…………来て」
 手を差し伸べる。
 普段は見せない、妖艶な笑みを浮かべて。
 しかし今日に限って、早瀬は超人的な自制心を発揮した。
「……いや、だめだろ……さすがに」
「……っ」
 思わず、がばっと起き上がった。
 いつも、あんなに簡単にスイッチが入ってしまうくせに。
 今だって股間を大きくしているくせに。
 珍しく、こちらからわかりやすく誘惑した時に限って、どうして。
 少し、プライドを傷つけられた気分だった。
 仕方がない、攻め方を変えることにする。
「……遠藤だって、本当になにもしないなんて思ってないわ。教師としての立場上、ああ言っただけ」
 フェロモンは垂れ流しのまま、表情と口調だけ、いつもの〈対早瀬モード〉に戻した。
 ちらり、と挑発的な視線を向ける。
「……実際、〈使った〉こと、あるし」
「……!」
 はっきり、表情が変化した。
 いつもの、私を犯している時の顔に少しだけ近くなる。
 これは初耳だろう。
 いくら私の男関係が乱れきっていても、学内での援交の噂はない。だから早瀬は、学校では、クラスでは、私と肉体関係を持っているのは自分だけと思っていたはずだ。
 ある意味、それは間違っていない。
 ただし条件つきで。
 厳密にいえば、違う。
 ベッドから滑り降り、固い床に膝をついて、無表情に早瀬の顔を見上げた。
「……今年の春。まだ、入学して間もない頃」
 少しだけ、距離を詰める。
「…………数学の授業中に、切った時のこと、覚えてる?」
「……ああ」
「ちょっと、騒ぎになってたわね」
 もう少し、距離を縮める。
 早瀬の脚にもたれかかるように、顔を寄せる。
「…………ちょっとっていうか……大騒ぎだったぞ」
 私がどんな人間か、クラスメイトもまだ充分に把握していなかった頃のこと。
 授業中にいきなり立ち上がって、悲鳴混じりに手首を切る人間がいたら、騒ぎになるのは当然だ。
「……で、高道が私を保健室へ連れていった」
 手で、早瀬に触れる。
 制服の上からでもはっきりわかる、膨らんだ股間。
 緊張気味の顔が、私を見おろしている。
 ゆっくりとファスナーを下ろしても、早瀬は抗わなかった。


 それは、入学してからまだ十日と経っていない頃。
 それでも、私の援交の〈噂〉はかなり広まっていた頃。
 クラス担任でもある数学教師、高道の授業中に、いきなりざっくりと切ったのだ。
 なにがきっかけだったのかは、自分でも覚えていない。
 当時、高校進学という環境の変化のせいか、今よりもさらに精神的に不安定だった。セックスの直後以外であっても、衝動的に切ることが多かった。
 〈噂〉によって変に注目されていたストレスのせいかもしれない。
 春休み中は頻繁に逢っていた〈パパ〉と、入学以来逢っていなかったせいかもしれない。
 今となっては、その動機はどうでもいいことだ。
 ざわめく教室を後にして、高道に保健室へと連れて行かれた。
 その頃にはもう顔なじみになっていた遠藤は、微かに眉をひそめつつも、いつも通りに傷の手当てをした。
「北川……どうしてあんなこと、したんだ?」
 手当てがひと段落ついたところで、高道が訊いてくる。遠藤ならけっしてしない質問を。
「…………」
 少し考えて、高道ではなく遠藤を見た。
 無言で私を見ている遠藤。特に感情は表れていない。
 頭の中にあったぼんやりとしたイメージが、ひとつの形に固まった。
「…………先生と、ふたりで話させて」
 そう言うと、遠藤はちらりと高道を見て、小さくうなずいた。
「わかった」
 立ち上がり、自分が座っていた椅子を高道に勧める。
「高道先生、私は職員室にいますから、終わったら呼んでください。もし怪我や具合の悪い生徒が来たら、とりあえず職員室に来るように、と」
 遠藤も、今ならそんな無防備なことはしなかっただろう。その頃はまだ、私のことを現在ほど把握していたわけではあるまい。単に〈援助交際している、ちょっと痛いリストカッター〉くらいにしか認識していなかったはずだ。
 遠藤が保健室から出て行く。
 高道が私の前に座る。
 ドアが閉まり、プレートを〈Closed〉に返した音が聞こえる。
 遠ざかっていく足音。
 そして、私の口元に笑みが浮かんだ。
 妖艶な笑みだった。
「……どうして、あんなことをしたのか……ですか?」
 真新しい包帯を巻かれた手が、髪に触れる。
 三つ編みが解かれる。
「北川……?」
 眼鏡を外し、前髪を上げ、大きな目で高道を見つめた。
 四十歳を少し過ぎたくらいの、これといって特徴もない中年男性の顔が目に映っていた。戸惑い、そして驚いたような表情を浮かべている。
 無理もない。
 男を虜にする、大きな黒い瞳。
 眼鏡と三つ編みの、小柄な、地味な外見の女生徒が、いきなり極上の美少女に変化したのだ。
「……簡単ですよ。わかりません?」
 ふふっと笑う。
 からかうように、甘えるように。
 椅子から腰を浮かし、中腰のままふたりの距離を詰める。
 顔の間隔は三十センチもない。女生徒と男性教師としては不自然な近距離で、しかもさらに近づいていく。
 どう反応していいのかわからない様子で、高道は固まっている。
「そうすれば、先生とこうしてふたりきりになれるじゃないですか」
 唇が触れる。
 最初は微かに。
 一度離れて、今度はしっかりと。
 そのまま、高道の膝の上に座るような体勢で抱きついた。
 身体が密着する。
 胸をこすりつける。体格は華奢でも、その膨らみははっきりと感じられる大きさがある。
「最近、なんだかわけもなく不安で……すごく、精神的に不安定で……だから……」
 滑り降りるようにして、高道の足許に座った。
 太腿に頬をこすりつけ、そのまま股間に近づいていく。
「……今だけ……先生に甘えさせてもらって……いいですか?」
 上目遣いに見つめる。
 緊張した、しかし拒絶はしていない顔が私を見おろしている。
 スーツのズボンの上から、唇を押しつける。
 その中の膨らみを確認して、ファスナーに手を触れた。


「高道ってば、くわえる前からもうぎんぎんに硬くなってたわよ? 今のあなたみたいに」
 剥き出しになった早瀬のものに唇を押しつける。
 熱い。
 そして、硬い。
 それは血管が浮き出た、不気味な凶器だった。
「大きさは……まあ普通だったわね。あなたと比べたら大人と子供かも」
 くすっと笑って、早瀬を口に含んだ。


「ん……んんっ…………んぅぅんっ!」
 高道のものを口いっぱいに含む。
 私を見る目にはまだ戸惑いの色が浮かんでいるけれど、抗いはせずにされるままになっている。
 舌を絡める。
 内頬を押しつけて擦りつける。
 強く吸う。
 そのまま首を振る。
「んくぅんっ……んっ……せ、んせいの……おいし……」
 時折漏れる、可愛らしく甘えた声。
 だけどその口戯は、鍛え抜かれた熟練の技。
 高道の顔が快感に歪む。
 ぎりぎりまで昂らせて、しかしそこで口を離した。
「……気持ち、イイ?」
「あ……ああ、だから……」
 我慢できないという表情だ。あと少しでも焦らしたら、強引にくわえさせようとするかもしれない。
 教師としての倫理観など、もう残ってはいまい。
 可愛らしく微笑んで、小さく首を傾げる。
「……私も、気持ちよく、なりたいな? …………だめ?」
「あ、い、いや……北川が……いいなら……」
「じゃあ…………き、て」
 一度立ち上がって、高道に背を向けた。
 足は床につけたまま、上体はベッドに俯せになる。
 高道に向かってお尻を突き上げ、スカートをまくり上げる。
 露わになったお尻に触れてくる手。
 下着が膝まで下ろされる。
 指が、濡れた割れ目を確かめるように触れてくる。
「すごく……濡れてるな」
「だって……先生に、口でして……すごくエッチな気持ちになったんだもの。だから……焦らさないで」
「あ……ああ」
 慌てたようにベルトを外す音。
 私に触れてくる、熱い弾力。
 唾液で濡れた、高道の男性器。
 私も、角度を合わせるように腰を動かす。
「ん……あっ、あぁんっっ!」
 次の瞬間、熱い肉棒が私を貫き、狭い膣を満たしていた。
 充分すぎるほどに濡れて、だけどまだほぐされてはいない粘膜が、侵入してきた異物に絡みつく。
 感極まったように呻き声を上げる高道。
 私も鼻にかかった甘い声を出す。
「せんっ……せ……」
「あぁ……北川の中……すごい……」
 一度、根元まで突き入れ、そこで中の感触を確かめるように動きを止める。
 私は促すように、軽く、腰を動かす。
 それを合図に、高道はめちゃめちゃに腰を振りはじめた。


「ん……んん――――っ!!」
 そうした告白を聞かされては、早瀬ももう限界だった。
 私の口戯に身を委ねるのではなく、いつものように、頭をつかんで乱暴に口を犯しはじめた。
 喉の奥まで突き入れられる。
 極太のペニスに口を、そして食道をふさがれる。
 遠藤の言いつけを守ってベッドを使わず、口でさせているのが精一杯の自制心なのだろうか。それとも単に、まずは本番よりも口でさせたいだけだろうか。
 私はどちらだろう。
 今、どこを貫かれたいのだろう。
 飲まされたいのか、かけられたいのか、それとも胎内に注ぎ込まれたいのか。
 あの時の高道は、今の早瀬以上に我を忘れたように私を突きまくり、なにも言わずに膣内に射精した。


「……ね、先生?」
 ことが終わった後、私は高道の方を向いてベッドに座り直した。
 脱がされかけた下着から脚を抜き、その脚をベッドの上に拡げた。
 スカートの裾を持ち上げる。
 腰を前に突き出して、膣奥に力を込める。
 膣内から流れ出てくる粘液の感触。
 それを高道に見せつける。
 自分がなにをしたのか、思い知らせるように。
「……おかげで、少し、落ち着きました。ありがとうございます」
「あ……いや、その……すまなかった」
 下半身丸出しの、威厳もなにもあったものではない姿の高道。
「……でもね、先生?」
 薄い笑みを浮かべて、ポケットから携帯電話を取りだした。
「私、どうしてこんなことするんだって訊かれるの、大っ嫌いです。お説教されるのはもっと嫌いです。……先生は、そんなこと、しませんよね?」
 ボタンを操作し、ボイスメモを再生する。
 ヴォリュームを最大に上げ、腕を高道へと突き出す。
 高道が顔色を変える。
 私の喘ぎ声に混じって聞こえる、中年男性の声。
 知っている者が聞けば、その主は誤魔化しようがない。
 目の前の顔が青ざめる。
「今ここで、悲鳴を上げるという選択肢もあります」
「な……なにが目的だ」
 掠れた声。
 精一杯強がろうとしているのかもしれないが、まったく結果がともなっていない。
「……なにも」
 私の顔から、声から、感情が消える。
 唇が、無機的な声を紡ぐ。
「先生が考えているようなことじゃ、ありません。お金なんていりません。……私の〈噂〉知りませんか? きっと、家のローンと子供の教育費に追われるしがない高校教師よりも、ずっとたくさんお小遣いもらってます、私」
 携帯をポケットに戻しながら答える。
「じゃ、じゃあ……」
「……なにも、いりません。なにも、しないでください。言ってる意味、わかります?」
 狼狽のあまり、頭が回っていないのだろう。理解している様子ではない。
 言葉を続ける。
「先生のクラスに、リストカットや援助交際をしているという噂の問題児がいるでしょう? その子にはいっさい干渉しないでください。停学や退学はもちろん、お説教もなしです。別に、贔屓する必要もありません。ただ、放っておいてください」
「…………」
「それだけ約束してくれたら、その子も、学校で問題を起こすようなことはしないでしょう。ただ目立たずに教室の片隅にいるだけです、きっと。……いいですね?」
 それは、確認ではなく、強要。
 高道にできたのは、血の気の失せた顔で、力なくうなずくことだけだった。
 実際のところ、最初からここまで企んでのリストカットだったわけではない。
 あくまでも結果オーライ。すべてはアドリブだ。
 思っていたよりもうまくいったので、それから間もなく、高道に手引きさせて、学年主任と校長にも同様のことをした。
 そうして私は、学校という〈居場所〉を作ったのだ。


「んぅっっ、――――っ!」
 早瀬が達する瞬間、私は口を離した。
 顔に、髪に、そして制服に、白い飛沫が降りかかる。
 その奔流が治まったところで、もう一度口に含んで、残った雫をきれいに舐めとる。
 大量の精液が、私を汚していた。
 もちろん、早瀬がこれだけで満足するわけもない。これっぽちも萎える気配は見せずに硬いまま、早瀬は獣の気配をまとったままだ。
 これなら、犯してくれそうだ。
 そう、想う。
 しかし残念ながら、ベッドを〈使う〉ことはないだろうと気づいていた。たぶん、早瀬はなにも気づいていない。
 立ち上がってベッドに腰掛ける。
 挑発するように、微かな笑みを浮かべる。
 いつもなら、このまますぐに第二ラウンドがはじまるはずだ。
 恐い表情をした早瀬が、一歩近づいてくる。
 私の肩に手をかけて、そのまま押し倒そうと……
 
 ……したところで、時間切れだった。
 いや、この場合はレフェリーストップというべきだろうか。
 
 いきなり、保健室のドアがノックされた。
 心の準備ができていなかった早瀬は、びくっと弾けるように飛び退くと、血相を変えて振り返った。
 もう一度、ノックの音が響く。
『……いい?』
 ドアの向こうから聞こえてきたのは、遠藤の声ではない。
 もっと若い、女生徒の声。
 私のよく知っている声。そして早瀬も知らないはずはない声。
「どうぞ」
 そう応えると、早瀬は慌てた顔でこちらを見た。なにしろ私はブラウスも脱ぎかけで、精液まみれの姿なのだ。
 もちろん、わかっていての行動だ。
 一瞬の間があって、ドアが開く。
 入ってきたのは、木野だった。手に、私の鞄を持っている。
「……莉鈴の鞄、持って来たよ。このまま早退するんだろうと思って」
「…………気が利くわね」
 早退しようとはっきり決めていたわけではないけれど、教室に戻るつもりもなかった。
 松葉杖は私と一緒に早瀬が持ってきているのだから、鞄があればこのまま帰れる。遅刻も無断早退も、教師はなにも言わない。
 近づいてきた木野は、白濁液にまみれた私の姿を見て眉をひそめた。
 しかしなにも言わない。驚いた様子もない。
 黙って、鞄を差し出してくる。
 慌てているのは早瀬だけで、これ以上はないくらいに居心地悪そうにしている。
 そんな早瀬に、咎めるような視線が向けられる。
「あ……か、帰るなら、俺、送ってくから」
「そうね。それが責任ってものよね」
 発言の主は、私ではなく木野だ。かなり、棘の感じられる口調だった。
「お、俺も……鞄、取ってくるから」
 逃げるように出て行こうとする早瀬。
 その背中に、刺々しい声を投げかける木野。
「……早瀬」
 それは実際、早瀬の脚を縫いとめる棘となった。
 ドアを開けたところで、立ち止まって振り向く。
「……莉鈴とえっちするのはいい。だけど、早瀬が莉鈴にとって害になるようなら、あたしにも考えがあるから」
 なんだか、遠藤と似たようなことを言う。
 だけど教師という枷がないせいか、遠藤よりも攻撃的だ。
「未来の金メダル候補としては、選手生命に関わるようなスキャンダルを広められたくないでしょう? そこんとこ忘れないようにね」
 棘だらけ、まるでサボテンのような口調だった。
「……わかってる」
 早瀬の声も、やや不機嫌そうである。
 乱暴にドアを閉め、大きな足音が遠ざかっていく。
 木野が私に向き直る。
 早瀬がいなくなったせいか、表情はいくぶん和らいでいるものの、それでもまだ怒っている様子だ。珍しく、私に対してもどことなく責めるような視線を向けている。
「……いいところで……邪魔、しちゃった?」
 手を伸ばしてくる。
 髪に触れ、絡みついている早瀬の白濁液を指で拭う。
「……わざと、あのタイミングでノックしたくせに」
 私は気づいていた。
 口を犯されている時、ドアの向こうで耳をそばだてていた存在。
 微かに開かれたドア。
 隙間から覗く、女子の制服。
 木野とわかっていたわけではないが、可能性としては木野か茅萱だろう、とは思っていた。
「いちおう、終わるまで遠慮したんだけどな?」
 汚れた指を自分の鼻先に近づけ、不快そうに顔を歪める。
 机の上に置いてあったティッシュの箱に手を伸ばそうとして、しかし、私を見て行動を変えた。
「……あと三十秒早くにノックするべきだったかな」
 指を私の前に差し出す。
 そうするのが当たり前のように、私は指を口に含んで舐めた。
 すっかり馴染んだ、早瀬の精液の味。
 木野は空いている方の手で額や頬、髪を汚している精液を拭い、最初の指が綺麗になったところで交代させた。
「どっちみち、生殺しには変わらないわね」
 その指も舐め、汚れを飲み込む私。
 綺麗になった手で、また私を汚している粘液を拭いとる木野。
 何度か、それを繰り返す。
「……口でも、出しちゃえば落ち着くんじゃないの、男って? なんか、いっぱい出したみたいだし……、莉鈴の口ならすっごい気持ちいいんだろうし……つか、指、ちょっと気持ちいいんだけど?」
 ようやく表情を緩めた木野は、くすくす笑いながら、舌や上顎をくすぐるように口の中の指を動かした。
「……早瀬にとっては、こんなのウォーミングアップみたいなものよ。一回だけですむわけがないわ。かえってその気にさせるだけ」
「そうなの?」
 呆れたような苦笑。
 もう一度、指を舐めさせる。
 仕上げに、ウェットティッシュを取り出し、私の髪や顔、そしてブラウスを拭いてくれる。
「……教室の方は、もう……大丈夫だから」
 表情と口調が、微妙に変化する。
 返事はしない。
「先生も、莉鈴がらみなら騒ぎを大きくしたくないだろうしね」
 教師とのことを木野に話したことはないけれど、なにかあると気づいているのだろう。
 少し注意力のある者ならすぐに気づくはずだ。私が学校側から、不自然に――単なる事なかれ主義というには不自然すぎるほどに――放置されていることに。
「それに、あれを見せられて、それでも莉鈴にちょっかい出す命知らずはいないでしょ」
 また苦笑する木野。
 私は表情を変えない。
 しかし、あれは確かに恐かった。
 横から見ていても恐かったのだから、あの怒りを直に向けられた者は生きた心地がしなかっただろう。
「山本たちは、しばらく学校に来ないんじゃないかな? つか、来れないよね。高校生にもなって、衆人環視の教室でおしっこちびったんじゃ」
 いい気味だ、という風に笑う。
 笑いながら、
「……いや、でも、あれはあたしでもちびるわ、きっと」
 小さく肩をすくめる。
「…………どうでもいいわ、そんなこと」
 顔や髪を拭き終わった木野が、乱れたブラウスを直してくれる。
 それが終わると、小さなブラシを取り出して髪を整えてくれる。
「もう一度訊くけど…………早瀬のこと、好きなの?」
 髪を梳きながら訊いてくる。
「……何度も言わせないで。嫌いよ、男なんて、みんな」
 その言葉に嘘はない。早瀬に好意など抱いていない。
 異性に対して恋愛感情じみた好意を持つことがあるとしたら〈パパ〉に〈クスリ漬け〉にされている時だけだ。しかしあの感情は〈恋愛〉とはどこか、少し、なにかが違う。
 その感情がなんなのか……わかっているような気もするし、絶対に認めたくない気もする。
「でも、早瀬はあれ、けっこうマジっぽくない?」
「…………さあ?」
 確かに、向こうはある種の好意は持っているのだろう。
 しかし、それが本当の恋愛感情とは思わない。恐らくは、自分が目をつけた雌を独占したいという、雄の本能だろう。
「カラダが目当て、としか思わないけど」
「なのに……えっち、するんだ?」
 困ったような表情の木野。
「…………早瀬のことが好きなら、茅萱には悪いけど応援してもいい。嫌いで相手したくもないのに向こうがしつこくつきまとってるだけなら、どんな手を使っても排除する。……でも莉鈴は、嫌いといいつつ、傷つきつつ、自分の意思でえっちしてる。援交もそう。……どうして? どうすればいいの?」
 間近で、真正面から、木野の顔を見る。
 笑みを浮かべているのに、泣きそうな表情。
 こんな表情の木野、初めて見る。
 手を差し伸べてくる。
 包み込むように、優しく、抱かれる。
 どうしてだろう。
 木野といい遠藤といい、どうして、私なんかを気遣うのだろう。
「……わからない」
 ぽつりと、言葉が漏れた。
「……自分でもわからない。だから……こんなことしてる。わからない……どうしたいのか、どうすればいいのか……わからない……だから……」
 まずい。
 感情が抑えられない。
 本音が漏れている。
 普段なら「構わないで」ですませられるはずなのに、泣き出してしまいそうだ。
 このままでは、まずい。こんなの〈私〉じゃない。
 感情の奔流が噴き出す前に、ぎりぎりのところで押しとどめた。感情のスイッチを、オフに切り替える。
 泣きそうになっていた顔から、表情が消える。
「だから……放っておいて」
「……そう」
 ゆっくりと解かれる腕。
 哀しそうな、諦観の笑み。
「…………今日のところは、ね。でも、覚えておいて。本当に辛い時に想い出して。莉鈴にも味方はいるんだって」
 一歩離れて距離をとる木野。
 ふぅっと息をつく。
 離れてくれてよかった。
 あれ以上踏み込まれていたら、きっと、木野を傷つけていたに違いない。
 夏休み中の遠藤のように。
 もしそうなっていたら、大人の遠藤以上に、木野の心身のダメージは大きかったはずだ。
 よかった、と想う気持ちは本心だった。
 傷つけずにはいられないけれど、木野や遠藤を傷つけたいわけではない。
 男に対する感情とは違う。
 早瀬のことは、確かに、憎み、そして嫌っている部分がある。
 彼は、男だから。私に性欲を向けるから。
 しかし、木野や遠藤が嫌いなわけではない。憎んでいるわけではない。
 ただ、構わずにいて欲しいだけだ。

 セックス以外で、他人と接する方法なんて、知らない。

 無償の好意なんて、理解できない。
 未知のもの、理解できないもの、それは人を不安にさせる。
 その点では、早瀬の方がわかりやすい。
 私の身体で性欲を満たす代わりに、多少は気遣いもする。実に単純な、わかりやすい関係だ。その点では安心できる。
 俯きがちに、木野から視線を逸らす。
 そのタイミングで早瀬が戻ってきたのは救いだった。そうでなければ、気まずい、居心地の悪い時間が続いていたはずだ。
「……お待たせ。じゃ……行くか」
 自分の鞄と私の鞄を一緒に肩に掛け、杖を持って、それでも軽々と私を抱き上げる。
 木野が小さく肩をすくめる。
「………………ありがと」
 ぽつりと、木野に向かって言う。
 早瀬が歩き出し、木野がドアを開けてくれる。
「……早瀬」
 その横を通り過ぎる時、木野がきつい声を発した。
 脚が止まる。
「……あんたがちゃんとしてれば、少なくとも、莉鈴の怪我はなかった」
「…………そうだな、悪ぃ」
 鋭い視線が早瀬を射貫いていた。


 初めての経験だった。
 学校からお姫様抱っこで帰るのも、こんな明るい時間帯に早瀬に抱かれて外を歩くのも。
 とはいえ、松葉杖という小道具があるから、見た者も状況を理解してくれるだろう。
 しばらく、沈黙の時間が続いた。
 今、早瀬はなにを考えているのだろう。
 難しい表情をしている。
「……北川」
 口を開いたのは、学校を出て、かなり時間が経ってからだった。
「木野の言ってた通りだよな。もっと早くに……ちゃんとしておくべきだった」
「……」
「……俺と……ちゃんと、付き合ってくれないか?」
「嫌」
 考えるまでもなく即答する。
 ここに来るまでに、充分に予想できていた展開だった。
「身体だけが目的じゃない、本気で好きだ……って言ったら、迷惑か?」
「迷惑」
 これも即答。
 一刀両断にされて、言葉を続けられずに困ったような表情で固まっている早瀬。だから、こちらから口を開いた。
「……迷惑よ。錯覚で告白されるのは」
「……錯覚?」
「ええ、あなたが嘘をついているとまでは言わない。でも、それは錯覚だわ」
「違う」
「違わない。初めての相手が私で、それが気持ちよくて。だから、手放したくなくなった。……それを、恋愛感情と勘違いしているだけ」
 淡々と告げる。
「そもそも恋愛なんて、性欲という動物の本能に対して人間が勝手な装飾を施しただけの言葉だわ。結局のところ、子孫を残そうとする本能でしかない。そして、私は子孫を残す気なんてない。だから、恋愛なんてする気もない」
「いや、そうじゃない、俺は……」
「うるさい、黙れ」
 強い口調でさえぎる。
 これ以上、早瀬の……男の戯言を聞くのは不愉快だった。
「……下ろして。タクシーで帰るわ」
「……だめだ」
 逆に、腕に力が込められる。私を逃がさないように。
 早瀬の歩みが、少し早足になる。
 怒気を含んだ表情を浮かべている。
 向かっているのは私の家ではなく、早瀬の家だった。
 無言で歩き続ける。
「………………茅萱と、してみなさいよ」
 早瀬の家まであと二、三百メートルというところまで来て、ぽつりと言った。
「……え?」
「私しか女を知らないくせに、錯覚じゃないなんて言っても説得力ない。茅萱としてみなさいよ。きっと、その方が楽しいわよ? いきなり、私相手みたいな激しいことはできないだろうけど、少しずつ自分好みに調教していく楽しみもあるわ」
「ばっ……そんなこと、できるわけねーだろ! だから、カヲリはそんなんじゃねーって。あいつは……、小さい頃から家が近所で、幼馴染で、あいつはひとりっ子だったから、兄妹みたいな感じで……」
「向こうは、兄妹とは思っていないみたいだけど?」
 その言葉は図星だったはずだ。
 気まずそうな、後ろめたそうな、そんな顔になる。
 早瀬も当然、茅萱の想いには気づいているのだろう。
 だけど、どうしてだろう。
 茅萱のことを嫌っているようには見えない。むしろ逆だ。だから、クラスメイトの多くもふたりは恋人同士だと思っていた。なのにどうして、早瀬の認識では恋人ではないのだろう。
 私の存在は理由にならない。私と知り合う前から、そうだったのだから。
「……まさか、茅萱相手じゃ勃たないなんて、言わないわよね?」
「いや……さすがにそれは……俺も、健康な高校生だし……。ガキの頃から一緒のせいか、あいつ、けっこう無防備だし……」
 曖昧に口ごもる。
 つまり、茅萱を性欲の対象として見たこともあるということだ。
 ちらりと覗く胸元やミニスカートから伸びた脚、夏の薄着で目立つ胸の膨らみや下着の線に、興奮したことがあるということだ。
 なのに今まで手を出さず、彼女にもせず。
 それはどうしてだろう。
 直接的な態度ではなくても、茅萱の方からさりげなく誘ったことはないのだろうか。
 ないはずはない、と想う。
 なのに、手を出さなかった。
 知り合ったばかりの私には、ちょっと誘惑されただけで簡単に手を出したのに。
 手を出してしまったら、もう抑えがきかなくなってしまったのに。
 逆に考えれば、私が〈どうでもいい相手〉だからかもしれない。
 茅萱が相手では、将来のことまで真剣に考えてしまい、かえって気軽に一線を越えられなかった……ということはありそうだ。
 あるいは、単に茅萱はそうしたことに奥手で、なかなかそんな雰囲気にならなかっただけかもしれない。
「……家に遊びに来たりすること、あるんでしょ?」
「…………ああ」
「じゃ、いいものあげる」
 手を伸ばして、早瀬が持っていた私の鞄から、小さな壜を取り出した。
 それを、早瀬の手に握らせる。
「茅萱の飲み物に混ぜるといいわ。そうね……大さじ一杯くらいで充分。すぐに我慢できなくなって、向こうから誘ってくる」
 〈パパ〉とのデートの時、お土産にもらった〈クスリ〉の壜。
「北川……」
「これで、向こうがどうしてもっていうから仕方なく、といういいわけができる。彼女にする気もないのに弄んだ……なんて責められることもない」
 早瀬の眉間に皺が寄る。
 困ったような表情で、手の中の小壜を見つめている。
「バージンの子だって、きっと、もうたまらないって感じで迫ってくる。その初物のきっついまんこに、あなたの極太のペニスをねじ込むの。……想像しただけで興奮しない?」
 サドっ気充分の早瀬のこと、興奮しないわけがない。
「……その後で、やっぱり私を選ぶというなら、さっきの戯言をもう一度聞いてもいいわ。どっちみち、返事は変わらないけど」
 どっちにしろ、私は早瀬の寝言に付き合う気はない。
 そうなれば、早瀬は茅萱を選ぶしかあるまい。
 その方がいい。
 茅萱を本命とした上で、たまに私を弄んでくれればいい。
 それで、充分だ。
「……わかった」
 渋々、といった口調ではあったが、早瀬は壜をポケットにしまった。
「じゃあ、この話はとりあえずおいといて……、今日、いいか?」
 このまま家に連れ込んでも、という部分が省略されていても通じる問い。
 これも予想できていたことだった。早瀬が、保健室の口での一回だけで満足できるわけがない。
 かなり昂っている状態だろう。遠藤と木野にちょっと釘を刺されたくらいでは抑えきれまい。
「……好きに、すれば。…………あまり気分が乗らないから、早めにすませて」
 わざと素っ気なく応える。
 しかし、気分が乗らないというのは本心だった。もともと、早瀬と逢う時に〈気分が乗っている〉ことなどほとんどないのだけれど、それにしても今日の心理状態はなにか違う。
 学校で、いつもと違う事件があったからだろうか。いつも以上に心が醒めている感覚だ。
 しかし、こんな精神状態の時には早瀬と一緒にいた方がいいのかもしれない。独りでいたら、また、生命に関わる〈発作〉を起こしかねない。
 早瀬が傍にいれば、いつも通りのリスカ以上のことはさせてもらえないだろう。
 それがいいことなのか悪いことなのかは、判断に悩むところだった。
 


「腹、減らないか? 先になんか食わね?」
 私を部屋に連れ込んで、ベッドに座らせて、早瀬の最初の台詞。
「……少し」
 あのごたごたがあったのは昼休みだから、昼食を食べていない。小食とはいえ、いや、だからこそ体内の蓄えは少なく、お腹は空いている。この後、かなり消耗するようなことをされるのだから、食べておいた方がいいだろう。
 そして早瀬は体格通りの大食漢だ。まず食欲を満たさなければ、性欲解消にも専念できないのかもしれない。
 キッチンへ向かう早瀬。
 私はベッドに横になる。
 この数ヶ月で、何度も寝たベッド。
 何度も、何度も、ここで早瀬に犯された。
 茅萱は……どうなのだろう。
 私が訪れるようになってから、この部屋に入ったことはあるのだろうか。
 このベッドに座り、あるいは横になったことはあるのだろうか。
 私との噂を知った後で、来たことはあるのだろうか。
 その時なにを思ったのだろうか。
 対抗して、積極的に誘惑しようとは考えなかったのだろうか。
 それとも、自分では陥とせなかった早瀬が私には簡単に手を出したことで、敗北感に打ちひしがれたのだろうか。
 気のせいとはわかっているけれど、微かに茅萱の残り香があるような気がした。
 ここでふたりが、裸で抱き合っている姿を想像してみる。
 絶対、そっちの方がお似合いだ。高校生の恋愛ごっこに私を巻き込まないで欲しい。
 そんなことを考えていると、早瀬が戻ってきた。
 手にしたトレイには、ハム、チーズ、キュウリ、トマトのサンドイッチが山盛りになった大皿と、アイスコーヒーのグラスがふたつ。うちひとつはミルクたっぷりで、たぶんガムシロップもたっぷり入っているはず。
 小さなテーブルを出してトレイを置き、私の隣に座る。以前よりは近く、だけど身体の触れないぎりぎりの距離に。
 アイスコーヒーのグラスとサンドイッチをひとつ、私の手に持たせる。
 自分も、サンドイッチに手を伸ばす。
 無言のまま、小鳥がついばむように食べる私。
 その何倍もの速度で、大量のサンドイッチを胃に収めていく早瀬。
 まったくペースの違うふたりのお腹がほどよく満足した頃、ちょうど皿は空になった。
 グラスの底に少し残ったアイスコーヒーを空にする。

 しかし――

 まったく、迂闊だった。
 食べ終わるまで、気づかなかったなんて。
 手遅れになってから、気づくなんて。
「……早瀬……あなた…………」
 目を細め、早瀬を睨む。
 焦点が合いにくくなっている視界に映るのは、後ろめたそうな苦笑。
「どういう……つもり?」
 怒気をはらんだ声で問う私の額には、汗が滲んでいた。
 お腹が、熱い。
 身体の奥から、火照った感覚が広がっていく。
 馴染みの感覚だ。身体の中心が熱くなって、下着が湿ってくる。
 そう。
 さっき渡した〈クスリ〉が、私のグラスの中にたっぷりと注がれていたのだ。
 濃いコーヒーとミルク、そして大量のガムシロップで味を誤魔化されていた。
 最後の一口の頃になってようやく、身体が熱くなってきて気がついた。
 もう手遅れだ。〈クスリ〉の有効成分は吸収されてしまっている。
 早瀬の手が伸びてくる。
 肩を抱き寄せる。
 その手を払いのけようとしたけれど、もう、身体に力が入らなかった。これは〈大さじ一杯〉よりもかなり多めに入れてあったようだ。
 指先が触れてくるだけで、気持ちよかった。
「…………なんの……真似よ?」
「……カヲリとまったくしたくないと言ったら、嘘になる。だけど、俺がこーゆーことしたい相手は、誰よりもまず北川だから」
 抱きしめられ、強引にキスされた。
 抗えなかった。
 腕に力が入らない上、すごく気持ちよかったから。
 舌が口の中に入ってきた時には、もう下着が濡れて、乳首が固くなっていた。
「……後で……覚えてなさいよ」
 そんな台詞にも力が入らない。早瀬は思うままに私の唇を貪っていた。
 彼のしたことには腹を立てていたけれど、それ以上に、自分がこの状況を嫌がってはいないことに腹が立った。〈クスリ〉であれ力ずくであれ、強要される行為には興奮してしまう。
 早瀬が首輪を持ち出してきた。短い鎖がついていて、その先が二股になって手枷につながっている。
 最近の、早瀬のお気に入り。
 首にはめられ、鎖を背中側に垂らし、腕を身体の後ろで拘束される。
 それだけで、顔が真っ赤になるのを感じる。全身が灼けるように熱くなる。
 早瀬が、欲しい――そんな想いが頭の中を占めるようになる。
 あの大きな凶器で貫かれたい。
 陵辱されたい。
 そんな想いでおかしくなりそう。
 だけど、早瀬を睨む目つきだけは変えない。
 ブラウスのボタンが外されていく。
 ブラジャーのホックが外され、カップがずらされる。
 大きな手に胸を鷲づかみにされる。相変わらずの乱暴な愛撫だけれど、今は、それがいい。
 身体が痺れるような、甘美な痛み。
「あっ……っ、あぁっん!」
 乳首をつねられる。
 痛いほどに力が込められている。
 痛くて……達してしまいそうなほどに。
 キスをしていた口が、下へ移動していく。
 舌を這わせながら、顎から首、首から胸へと。
 膨らみに達したところで、口に含む。
 乳房を、乳輪を、そして乳首を咬まれる。
「や……だ、め……っっ! ……っっ!」
 強く、吸われる。
 痕が残るほどに、痛みに顔を歪めるくらいに、強く。
 そのまま、手が下半身へと滑っていく。
 スカートが脱がされる。
 パンツが膝まで下ろされる。
 脚の間に手が入ってくる。
「――――っ!!」
 触れられた瞬間、悲鳴を呑み込んだ。
 身体がびくっと痙攣する。
 やっぱり、どうしようもなく敏感になっている。
「もう……すげー濡れてんな? あのクスリのせい?」
 早瀬の声からも驚いた様子が感じ取れる。
 普段から濡れやすい体質ではあるけれど、強い〈クスリ〉を使われた時の濡れ具合はまたぜんぜん違う。早瀬にとっては初めての経験だろう。
「ひゃ……せ……、この……あぁぁ――――っ!!」
 指が入ってきただけで、一瞬、意識が飛んだ。
 もう、だめ。
 身体だけではなく、心まで〈クスリ〉に支配されてしまいそうだった。
 挿れて欲しい。
 挿れて欲しい。
 挿れて欲しい。
 挿れて欲しい。
 挿れて欲しい。
 今すぐ貫いて欲しい。
 あの、泣くほどに大きなペニスで。
 深く、深く。
 激しく、乱暴に。
 何度も、何度も。
 もう、だめ。
 〈パパ〉が相手の時のように、声に出して懇願してしまいそう。
 だけど、だめ。
 絶対に、だめ。
 こいつには、そんなこと、しちゃいけない。
 絶対に、だめ。
 でも……
 もう……
 ……我慢、できない!
「あぁぁぁ――――――っっっ!!」
 幸か不幸か、我慢できなくなっていたのは早瀬も同じだった。
 いきなり俯せにされると、焦らされることもなく後ろから一気に貫かれた。
 挿入の瞬間、達してしまった。
 しかしそれで昂ぶりが治まるわけもなく、早瀬の腰の動きに反応して私の下半身も蠢いてしまう。
「あぁぁっ! あぁんっ! あぁぁんっ! やだっっ……あぁ――っ!」
 深く、長く、強く、打ち込まれる。
 ひと突きごとに、蜜が噴き出してくる。
 いちばん深い部分を力まかせに圧迫されるのがたまらない。
 腰をがっちりと掴んだ早瀬は、強引に根元まで押し込んで、削岩機のような勢いで下半身を震わせる。
 私が震えているのはその振動のせいではなく、あまりの快感のせい。
 全身が痙攣する。
 後ろから鎖が引っ張られて、首輪が喉に喰い込んでくる。
 視界が暗くなる。
 なのに腰の動きだけはさらに加速していく。
「あぁぁっ! あぁっ! あぁっあぁぁっあぁんっあぁぁんっあぁぁんっ! そっこっ……だめっ! だめっだめっだめぇっ! あぁぁ――っ! も……もっとぉ――――っっ!!」
 灼熱の溶岩が噴き出してくるような感覚。
 大量の射精。
 胎内が灼かれる感覚に、気が遠くなる。
 いつも以上に大量の精液が流れ込んでくる。
 私の膣を、子宮を、卵管を侵していく。
「も…………とぉ…………ひゃ……せぇ……」
 だらしなく開いた口に浮かぶ、理性の欠片もない笑み。
 唇の端から涎がこぼれる。
 舌が震える。
 まだ、深々と打ち込まれたままの灼熱の杭。
 身体の中心を貫いている。
 射精の数秒間だけ動きを止めていたそれが、また、私の中で暴れだそうとした時――

 玄関のチャイムが鳴った。

 動きを止める早瀬と、構わず腰を振る私。
「あ……んっ、や……だっ!」
 引き抜かれる時には、思わず不満の声が漏れた。
 早瀬は素速く服を着て、部屋を出て行く。
 小走りに階段を下りていく足音。
 朦朧とした頭で、宅配かなにかだろうと思っていたけれど、階下から聞こえてきたのは、明らかに違う種類の声だった。
 早瀬の声と、興奮した雰囲気の女の子の声。
 なにを言っているのかまでは聞き取れないが、ふたりが言い争っているというよりも、女の子が一方的にまくしたてているような雰囲気だ。
 そして……
 階段を駆け上ってくる足音。
 聞き慣れた早瀬のものではない、もっと軽い足音。
 ばんっ、と割れそうな勢いで開かれたドア。
 この時にはもう予想できていたけれど、部屋に飛び込んできたのは茅萱カヲリだった。
「――――っ!!」
 怒りの形相が瞬間的に凍りついた。
 ベッドに横たわる、私の姿を目にして。
 無理もない話だ。
 まだ放課後になっていないこの時刻に、おそらくは学校をさぼってやってきたのだから、私がここにいることは確信していただろう。
 セックスしていることも、外れて欲しいと思いつつも予想していたに違いない。
 しかし、首輪と手枷をつけられ、中出しされた大量の精液を溢れさせてベッドに横たわっている姿は、バージンの女子高生には刺激が強すぎた。私はまだ汗ばんでいて呼吸も荒く、いかにもたった今までしてましたという状況なのだ。
 握りしめた拳が、私の目にもはっきりわかるくらいにぶるぶる震えている。
 唇が微かに動いているが、声にはならない。予想を超えた衝撃的な光景に、なにを言えばいいのかわからないのだろう。言いたいことがありすぎるのかもしれない。
 茅萱の後を追って、早瀬が飛び込んでくる。しかし今の茅萱は、声をかけられない雰囲気をまとっていた。
 一歩、ベッドに近づく。
「…………と、トシくんのこと……好きなの? やっぱり付き合ってるの?」
 誰それ?
 一瞬、本気でそう思った。しかし、状況的に早瀬のことしかありえない。少し間があって〈稔彦〉という名前だったことを思いだした。最初の日に聞いてはいたけれど、もちろん、その名で呼んだことなど一度もない。
「……嫌いよ。大っ嫌い」
 返す答えはひとつしかありえない。木野に返したのと同じ言葉。
「だったら……なぜ……」
「……これが、私が望んでしている姿に見える?」
「――っっ!」
 茅萱の表情がさらに強張った。
 ボタンがすべて外されたブラウスを羽織って。
 ブラジャーもずらされて。
 露わにされた胸にはキスマークがいくつもあって。
 パンツは膝まで下ろされて。
 首輪をはめられて。
 手枷で両手を拘束されて。
 俯せにされてお尻だけを突き上げた姿勢。
 そして、精液が太腿まで滴り落ちている。
 いかにも〈私が誘ったのではなく、早瀬に無理やり乱暴された〉といわんばかりの姿だった。
 茅萱にとっては、なによりも認めたくない状況だろう。
「まさか……、トシくん相手に、援交……してるわけじゃないよね?」
「……お金は、もらってない」
 茅萱にしてみれば、援交の方がよかったのかもしれない。
 唇を噛みしめている。
 愛情の絡まない、お金による純粋な性欲解消、の方がましだ。自分以外の女性を愛している、に比べれば。
 ばっと、背後の早瀬に向き直る。
「ど……どうしてっ!? どうして、よりによって北川なのっ!? こんな、援交してるとか、AVに出てるとかの噂があって、リスカ癖のキチガイ女っ!」
 甲高い声で叫ぶ。
「き、北川のことなんて、好きでもなんでもないくせにっ! 好きな人は他にいるくせに! え……エッチしたいだけなら、北川じゃなくてもいいじゃない! あ、あたしじゃだめなの? そんなに北川がいいの? あたしじゃ、トシくんを悦ばせてあげられないの? 一度も試してくれたことないのに、どうしてそんなこといえるのっ!?」
 激昂して、一気にまくしたてる。
 早瀬はなにも答えられずにいる。
 ああ、やっぱり――私は想った。
 茅萱は、早瀬に本気だった。
 セックス、したがっていた。
 なのに、早瀬が拒んでいた。
 その理由も、なんとなく想像できた。
「カヲリ……俺は……」
「あ、あたし……セックスだけの関係でも……いいよ。それでも……代用品なら、北川じゃなくてもいいじゃない。あたしじゃ……だめなの? が、がんばるし、なんだってするし!」
「いや……それは……」
 早瀬の言葉に嘘はなかったのだろう。自分で言っていた通り、茅萱は〈女〉である以前に〈仲のいい、妹のような幼馴染〉だったのだ。
 恋愛感情はないけれど、大切に想っている相手。そんな相手を、正式に彼女にもせずに性欲の対象にはできなかったのだろう。
 最初から、身体の関係ではじまった私とは違う。
 大切な存在だから、だけど彼女じゃないから、抱けない。
 どうでもいい相手だから、思う存分に犯せる。
 だけどそんな理屈は〈妹〉から〈女〉に成長した茅萱には通じていなかった。もう子供ではなく、好きな男に抱かれることが幸せと感じる年頃なのだ。
 想いがすれ違っている――そんな気がした。
 早瀬が抱いてやれば、すべて解決するのではないだろうか。
 茅萱はそれで満足だろうし、早瀬も、抱いた相手ならきっと〈妹〉とは見なくなる。〈女〉と認識するようになる。
 そうなれば、好意は抱いている相手なのだ、ちゃんと恋人同士になれる。
 これまでの早瀬を見る限りでは、茅萱が口にした〈他に好きな人〉とやらは、誘いを断わる口実だろうと思えた。私と茅萱の他に女の気配はないし、私と知り合う以前から、茅萱の想いを受けとめずにいたのだから。
 早瀬だって、茅萱とセックスすれば考えも変わるはずだ。きっと〈妹〉だった期間が長かったために、セックスの対象にはできないと思い込んでいるだけなのだ。
 さっさと、すればいい。
 ふたりで、解決すればいい。
 とりあえず、痴話喧嘩は私のいないところでやって欲しい。
 まだ〈クスリ〉が残っている状態なのだ。生殺しのまま放置されてはたまらない。
 だから、茅萱に睨まれるとわかっていても口を挟むことにした。
「……そこまで言ってるんだもの、してあげればいいじゃない」
 早瀬が驚いたようにこちらを見る。
 振り返った茅萱が、射殺すような視線で睨む。
「茅萱相手でも勃つって言ってたじゃない。オカズにしたことくらい、あるんじゃないの? だったら、すればいいじゃない。性欲処理の相手が他にいるなら、私を巻き込まないで」
 茅萱はなにか言いたげにしていたけれど、そのまま早瀬に向き直った。
「…………して、よ」
 無理やり、絞り出したような声。
「……一度だけでもいい……してよ。ずっと……トシくんのこと、好きだった。初めては絶対にトシくんとって、想ってた。彼女……じゃなくてもいい。一生に一度のことだもの、本当に好きな人としたい。彼女にはなれなくても、それだけは諦めたくない」
 なんとも一途なことだ。
 茅萱はルックスだって悪くない。早瀬はいったいなにが不満なのだろう。
 困ったように頭をかく早瀬。しかし、微かに〈したい〉という欲望が見え隠れしている。
 男なら誰だってそうだろう。
 可愛い女の子に、ここまで一途に想われて、こんな積極的な発言をされて。
「……本当に、そんなんでいいのかよ」
 わざと、ぶっきらぼうに言う。
「いいよ……男の子にはわかんないよね。初めてを、本当に好きな人にあげることの大切さなんて」
 茅萱には悪いけれど、女である私にも理解できない。
 もっとも、自分が特殊な例であることは自覚している。初めてを好きな人に……とか、そんな想いを抱くような年齢になる前に無理やり奪われた女の感性が、普通であるはずがない。
「……後悔、するぞ」
「しないよ。逆……ここで、しなかったら、絶対に一生悔やむ」
「…………わかった」
 ついに、早瀬が折れた。
 これで私もお役ご免だ。
「……話がまとまったところで、邪魔者は退散するわ。これ、外してくれない?」
 早瀬がベッドのそばに来たけれど、しかし首輪は外さずに、私を抱え上げて椅子に座らせただけだった。
 手枷だけを外し、椅子の背のフレームに鎖を通してもう一度手首にはめ直した。
 私は、椅子に拘束された形になる。
「……なんの、つもり?」
 上目遣いに睨めつける。
「……北川がけしかけたんだ。責任持って、最後まで見届けろ」
「トシくん……」
「なぁに、早瀬ってば、実は見られて興奮するタイプ?」
 皮肉混じりの台詞を無視し、困惑した表情の茅萱を振り返る。
「……それが、条件だ」
「……………………わかった」
 気丈にもうなずく茅萱。
 大切な初体験を第三者に間近で見られて。
 しかもそれがいちばん嫌っている、彼氏の浮気相手で。
 我慢がならないことだろうに。
 早瀬も、いったいどういうつもりなのだろう。
 最初に考えたのは、私が嫉妬することを期待しているのだろうか、ということだった。
 まさか。
 いくらなんでも、私に対していまだにそんな幻想を抱いてはいまい。もしそうなら、私に、そして女に対して夢を見すぎだ。
 あるいは、逆だろうか。
 私がいることで、対抗心を燃やした茅萱がどんな要求にも応えるだろう、とか。
 そこまで考えての行動だとしたら、私が思っていた以上の鬼畜だ。これまで茅萱に手を出さなかったことを考えれば、それもないと思う。
 時々、よくわからない行動をとる男だ。
「……あ、あたしは……ど……どうすればいいの?」
 これが初体験の茅萱は、真っ赤になってうつむいていた。
 積極的に迫ったまではいいけれど、実際の経験がないために、いざとなると具体的にどうすればいいのか戸惑っている。
「…………俺に、まかせて」
「……ん」
 肩に手を置かれて、ベッドに座った。
 隣に早瀬が腰を下ろす。ふたりの身体が触れ合う位置に。
 ちらりとこちらを見た時の表情は、なんだかやりにくそうだった。見られて興奮するというわけでもないらしい。
「……なにも……遠慮、しなくていいよ。好きにして……いいから」
「優しくするから。怖がらなくていい」
 私には言ったことのない、歯が浮きそうな台詞。
 肩を抱き寄せる。
 頬に手をかけ、上を向かせる。
 一度、早瀬を見上げて、その意図を察して目を閉じる茅萱。
 顔が近づいていく。
 唇が重なる。
 最初は、軽く触れるだけ。
 だんだん、しっかりと。
 舌が挿し入れられ、絡み合う。
「ん……っ」
 やや戸惑った様子で、ついばむような茅萱のキス。
 それよりは慣れた様子の、だけど私とする時よりはぎこちない早瀬のキス。
 大きな手が胸に置かれ、ブラウスの上から優しく包み込むように愛撫する。
 恥ずかしそうに身じろぎする。
 胸への愛撫が繰り返されるに従い、茅萱の頬の赤みが増していく。
 下半身がもじもじと動いている。
「ん…………と、トシ、くぅん……」
 制服のリボンが、そしてボタンが外されていく。
 ブラウスが脱がされ、続いてブラジャーが外される。
 うつむいて、耳まで真っ赤にしている茅萱。しかし抗わず、隠そうともしない。手は、早瀬のシャツをぎゅっと握りしめている。
 露わにされた胸は、Bカップくらいだろうか。Cには少し足りないように見える。
 特に大きいわけではないけれど、ぽっちゃり体型ではないのだから高校一年生としては悪くないだろう。年齢的にも、体格的にも、まだまだ将来への期待はある。
 胸に直に触れる。
 手のひらで包み込み、指先で乳首を転がす。
 真っ赤になった耳たびに唇を寄せ、軽く咬む。
「……どう? いやじゃない?」
 ぶんぶんと首を左右に振る茅萱。
「ぜんぜん! すっごく……うれしい……」
 そして、また、真っ赤になってうつむいた。
 早瀬のシャツを掴んでいた手の力が緩む。
 手のひらで胸のあたりに触れる。その手がおそるおそるといった様子で下へ移動していく。
 ズボンの上から早瀬の股間に触れたところで、一瞬、驚いたようにびくっと離れた。しかし、すぐにまた触れてくる。
 早瀬は抗わず、胸への愛撫を続けている。
 茅萱が顔を上げる。早瀬が優しい笑みを浮かべる。
「トシくん……これ……大きくなってるんだよね?」
「……ああ」
「そっか……よかった……」
 心底嬉しそうに笑う。
 早瀬が体勢を変える。上半身裸になった茅萱をベッドに横たえる。
 自分もシャツを脱いで身体を重ねる。
 肌を密着させるように、ぎゅっと抱きついてくる茅萱。
 また、唇を重ねる。
 キスしながら、スカートを下ろす。茅萱が自分で脚を抜く。
 下着の上から、女の子の部分に触れる太い指。
 びくっと震える。
「ん……ぁ…………ぁ、ん……」
 小刻みに動き始める指。
 いちばん敏感な部分を刺激するように。
 だけど、優しく、丁寧に。
 茅萱が気持ちよさそうに甘い声を上げる。
 指に合わせて腰が蠢く。
 最初は抑えていた声が、だんだん大きくなってくる。
「トシ……くぅん…………んぅんんっ!」
「……なに?」
「と……トシくんって、う、巧くない?」
「気持ちいいのか?」
「うっ、うん……」
 そこで茅萱が視線を逸らしたのは、感じていることが恥ずかしいからだろうか。それとも、早瀬が〈巧くなった理由〉に思い当たって不愉快になったからだろうか。
「……とっ……ても……気持ち、いい」
「そっか……感じてくれて、よかった」
 早瀬の手が、パンツの中に滑り込む。
 そのまま、脱がしていく。
 露わにされた局部に、直に触れる。
 声のオクターブが高くなる。
 触れられた部分からは、くちゅくちゅと湿った音。かなり濡れているようだ。
 そこは、ヘアはちゃんと生えているけれど、やや薄めだろうか。まだ未使用の陰部はきれいで、可愛らしく、それでも年相応に発達している。
 指先が、割れ目の中に潜り込んで蠢いている。
 甲高い声がだんだん激しくなっていく。
 そんな様子を見て、早瀬が身体の位置を変える。茅萱の下腹部に唇を押しつける。
「あっっ……ぁんっ! あぁんっ! あんっ! やっ……あぁぁんっ!」
 脚を抱えるようにして、茅萱の股間に顔を埋める早瀬。
 上半身を捩らせて悶える茅萱。
 声がどんどん大きくなっていく。本当に気持ちよさそうにしている。
 早瀬は指と舌で愛撫を続けている。
「トシっ……くぅんっ! あぁんっ! あぁんっ! あぁっ! あぁぁぁ――――っっ!!」
 背中を大きく仰け反らせて、茅萱が絶頂を迎える。
 生まれて初めて、好きな男によって与えられた快楽。虚ろな、だけど幸せそうな表情。
「……いった?」
 茅萱の顔を覗きこんで小さく笑う早瀬。
 うなずく代わりに、早瀬に抱きついて胸に顔を埋める茅萱。
「…………信じらンない……すごく…………気持ち、よかった」
 そして、がばっと顔を上げる。
「あ、あたしも……と……トシくんにも、し、してあげたい!」
 早瀬の顔を見上げ、身体に……下半身に触れる。
 反応を窺うように、おそるおそる手を滑らせている。
「……いいのか?」
「う、うん! もちろん!」
 うなずいて、早瀬はズボンを脱ぐ。
 トランクス一枚の裸。その前が大きく膨らんでいる。今にも飛び出してきそうだ。
 それも、自分で脱ぐ。
 茅萱の目が驚きに見開かれる。
 初めて早瀬のものを目の当たりにすれば、驚いて当然だ。
 いまどきの女子高生、バージンであってもネットで無修正画像くらいは見たことあるだろうけれど、実物を間近で見るのはまた違う。ましてや、それが早瀬の大砲の如き代物であればなおさらのこと。
 早瀬の股間は、私とする時と変わらず、限界まで大きく硬くなっていた。こんなに優しいセックスなのに、強姦まがいの乱暴な行為じゃないのに、それでも興奮しているようだ。
 茅萱はやや怯えた様子で、困ったように早瀬の顔を見た。
「大っきい……ね……?」
「……怖いか?」
「……う、うん…………大丈夫。トシくんのだから……」
 ゆっくりと、怖々と手を伸ばす。
 指先で触れる。
 その感触を確かめるようにしてから、手を開いて握った。
 茅萱の手の中で、小さく脈打っている。
 ちらり、ともう一度早瀬の顔を見上げ、手の中のものに視線を戻し、ゆっくりと顔を近づけていく。
 あとちょっとで先端が口に触れるというところで、目を閉じる。
 そのまま、唇を押しつける。
 一瞬だけ動きを止め、微かに開いた唇から舌先を覗かせる。
 先端から根元に向かって、ゆっくり、舌を這わせていく。
 根元から、また先端へと戻ってくる。今度はもう少し大胆に舌を押しつけて。
 先端の穴を舌先でくすぐる。
 目を開けて、上目遣いに早瀬の顔を見る。なにかを問うような表情で。
 早瀬が小さくうなずいたように見えた。
 ゆっくりと唇を開いていく。
 大きな亀頭を、呑み込んでいく。
 やや苦しそうな表情になって、それでもできる限り奥まで口に含む。
 もちろん、根元までなんてまったく無理だけれど。
 ぎこちなく、頭を動かしはじめる。
 うまくできなくて戸惑っている様子だ。
 早瀬のことが好きで、セックスしたいと想っていたのなら、きっと、こうした場面も想像したことはあるだろう。もしかしたら、バナナやフランクフルトで〈練習〉したことだってあるかもしれない。
 だけど初めて口に含む男性器は、想像よりも大きなもののはずだ。けっして歯を立ててはならないとなれば、難易度はさらに増す。
 しかもそれが早瀬の巨根なのだから、うまくできるはずがない。口に含むだけで精いっぱいだろう。
 それでも、頑張っている。
 早瀬は、茅萱の頭に手を置いて、優しく撫でている。
 少し、意外だった。
 早瀬に……あの早瀬に、こんな優しいセックスができるなんて。
 無理やり頭を押さえつけたり、乱暴に腰を動かして喉の奥まで突き入れたりせず、茅萱の拙い口戯にまかせて、しかもそれを楽しんでいる様子だ。
「……ごめん……う、うまくできてないよね。ごめん……」
「いや……気持ちいい。顎、痛くないか? いやじゃなければ、も少し続けて」
「ん…………ぜんぜん、いやじゃないよ? トシくんが気持ちいいなら、すごく……嬉しい」
 やや切なげな表情ながらも、必至に奉仕を続ける茅萱。
 そのまま一、二分くらい続いただろうか。
 だんだん、表情がうっとりとしてくる。
 彼女も、口が性感帯であることに目覚めかけているのかもしれない。
 口の中のものが引き抜かれた時には、微かに不満げな表情を浮かべたようにも見えた。
 しかし、
「……いいか?」
 そう訊かれて、ぱっと表情が明るくなった。
 こくん、とうなずく。
 この頃になると、ふたりとも、私の存在など頭からすっかり消えてしまったようだった。ベッドの上は、ふたりだけの空間になっていた。
 茅萱の身体を仰向けにする。
 脚を開かせ、その間に大きな身体を入れる。
 反り返ったものに手をあてがって、茅萱の中心にあてがう。
「痛いと思うけど……悪い、我慢してくれ」
 首を振る茅萱。
「……平気……ちゃんと、してね? 大丈夫だから」
 うなずく早瀬。
 ゆっくりと押し出される腰。
「ん…………んぅ……く……んん……」
 口に手を当てて、顔を歪める茅萱。
 苦しそうだ。それでも、弱音は口にしない。
 ゆっくり、本当にゆっくり、早瀬の身体が動いていく。
 指で割れ目を拡げ、少しでも茅萱の負担を減らすためか、滲み出た蜜を塗り広げている。
 ミリ単位で、腰を進めていく。
「ん……」
「あぁぁぁっっっ!!」
 ついに、最後の一線を突破する。
 早瀬の大きなペニスが、確かに、中ほどまで茅萱の中に埋まっていた。
 苦しそうに、痛そうに、ぎゅうっと早瀬にしがみつく。
 ゆっくりと、さらに腰を進めていく。
 奥まで届いたのか、早瀬の動きが止まる。それでもまだ、かなりの部分が身体の外に出ている。私が相手の時は、それを根元まで身体の中に突き入れ、それでも足りないという風に腰を押しつけてくるというのに。
 茅萱の身体を包み込むように抱きしめる。
 それに応えるように、腕も、脚も、早瀬の身体に回してしがみついている茅萱。
 苦しそうだけど、それだけじゃない。
 私は知らない、幸せそうな表情。
「トシ……くん……」
「……入ってるの、わかるか?」
「うん……入って……る……トシくんと……ひとつに、なって…………。すごい……おっきい……」
「痛くないか?」
「ううん……へいき…………きもち、いい……」
 それは嘘だろう。
 健気なことだ。
 目には涙も滲んでいる。そのどこまでが痛みによるもので、どこからが嬉し涙なのだろう。
 私の位置からでも、少なからぬ出血が見える。
「……大丈夫……だから…………ちゃんと、して……。トシくんがよくなるように……。好きなように……して」
「……ああ」
 腰を前後に動かしはじめる早瀬。
 しかしその動きは本当にゆっくりで、最初のうちは一往復に何秒もかけていた。振幅もごく小さい。
 それでも悲鳴じみた呻き声が漏れる。
 初めて男を受け入れる膣は、裂けそうなほどに拡げられていた。そこを出入りする古木の太枝のような男性器は、紅い血で濡れている。
 身につけているのは凶器といってもいい代物だけれど、早瀬は優しい笑みを浮かべ、動きはゆっくりとしている。
 私の時の、膣はおろかお腹まで突き破りそうな陵辱とはまるで違う。
 あの早瀬が、こんな風にセックスの相手を気遣えるなんて。
 キスをする。
 優しく胸に触れる。
 時々動きを止めて、茅萱の反応を確かめて、またゆっくりと動き出す。
 それでも少しずつ、動きが大きく、速くなっていく。とはいえ、私に対する時のいちばん静かな動きよりも、さらに桁違いに優しい。
 その頃には茅萱の呻き声にも、苦痛混じりにも微かな甘さが感じられるようになっていた。
 早瀬の動きもリズミカルになっている。
「とし……くぅ……ん、ど……どう? あ、たしの……」
「ああ……すっごく、気持ちいい。だから……もう少し、このまま続けさせてくれ」
「うん……いっぱい……して。トシくんが満足するまで……いっぱい……ずっと……あたしも……気持ちいいから……」
 茅萱は幸せそうだ。
 その顔を、不思議そうに見つめる。
 私には、セックスが幸せなもの、楽しいものという意識はない。
 肉体的には反応する。だけど、精神的には、苦痛以外のなにものでもない。身体が反応するほどに、そう感じてしまう。
 茅萱は明らかに無理しているけれど、それでも幸せそうだし、早瀬は気持ちよさそうだ。
 獣の本能にまかせた陵辱ではなく、恋人を優しく気遣うセックス。それでもちゃんと感じている。
 相手を一方的に蹂躙するのではなく、ふたりで気持ちよくなろうとしている。
 その姿は、私の知らない早瀬。私の知らない人間。
 普段の私とのセックスを考えれば、本当にこんなのでいいのだろうかと想ってしまう。
 だけど、動きはだんだん速くなってくる。呼吸は荒くなっている。その大きな身体は汗ばんで、茅萱に耐えられそうなぎりぎりの動きを続けている。
 ちゃんと感じている。
 興奮している。
 いつも見ている私にはわかる。
 気配で、雰囲気で、感じることができる。
 もう少しで、射精しそうになっていることを。
 そこで、はっと気づいた。
「中で出しちゃだめっ! 私とは違うんだからっ!」
 思わず、叫んでいた。
 すぐに早瀬もその意味を理解した。
 最初の一回以外、生で中出ししかしたことがない男だ。いくら茅萱のことを気遣っていても、避妊については失念していたのかもしれない。
 呻き声を上げて、茅萱の中から引き抜く。
 一瞬、考えて。
 茅萱の顔の上にまたがった。
 彼女の口にあてがう。無理やり奥までねじ込むのではなく、そっと触れるように。
 本能的な行動だろうか。茅萱は唇を開いて早瀬を受け入れた。
 早瀬の身体が小さく震える。
 口の中に射精する。
 びくん、びくんと痙攣している早瀬。
 茅萱の口に注ぎ込んでいる。
 唇の端からもこぼれている。
 大きく息を吐き出す早瀬。
 そうして、茅萱の初体験は終わった。


「……中で出しても……よかったのに」
 茅萱はベッドの上でまだぐったりとしていた。腕だけを持ち上げて、口の端からこぼれた精液を指で拭って舐めている。
 破瓜の出血はかなりの量だった。早瀬がティッシュで拭いてやっている。
「……トシくんの……中に出して欲しかったな?」
 口調は意外と明るい。
「いや、さすがにだめだろ、それは」
「…………北川には、中出ししてたくせに」
 ジト目で早瀬のことを睨んでいる。
「だめだ、絶対。……北川は、ピル、飲んでんだ」
「……あーあ、あたしも飲んでおけばよかった」
 茅萱は脚を持ち上げ、勢いをつけて起き上がった。衝撃で痛みがぶり返したのか、顔をしかめている。その顔を私に向ける。
「……ね、北川。ピルってどこで買えるの?」
 なんだかすごく吹っ切れたような表情だった。
「……婦人科で処方箋もらって……でも、普通の病院で、女子高生に処方してくれるのかしら?」
「あんたは飲んでんでしょ?」
「私が行ってるところは……あまりまっとうな病院じゃないから」
 私の行きつけの産婦人科は、歌舞伎町界隈にあって、夜間診療もしている、訳ありの利用者が多いところだ。
「……ちぇ。でも、口で飲むのも美味しかったし、いっか」
 腕を伸ばして、ベッドの下に落ちていた下着を拾う。
 パンツ、ブラジャー、キャミソール、ブラウス、スカート、そしてソックス。
 ひとつずつ順に、手早く着けていく。
 壁に掛かっていた鏡を見てリボンを直す。
 ひと足遅れて服を着はじめた早瀬を振り返り、唇を押しつけた。
「……ありがと。すっごく、嬉しかった」
「いや……ホントに……ごめん。俺って、最低だよな」
「謝らないでよ。あたしは幸せなんだから。ホントだよ? トシくんが気にすることなんて、なにもないんだから」
 向き直って、私の前に来る。
 その表情は、不敵な笑みとでもいうのだろうか。
「あんたと〈姉妹〉ってことだけが屈辱よね。……ねえ、一発だけ、殴ってもいい?」
「……殴る相手が違わない?」
「トシくんのことは、今でも大好きだもの」
 その言葉が終わらないうちに、腕が大きく振られた。
 頬に、激しい衝撃。
 こちらが身構える間も与えない攻撃だった。意外と喧嘩慣れしているのかもしれない。
 バランスを崩して、拘束されている椅子ごと倒れた。早瀬が慌てて立ち上がるが、しかし、女ふたりの争いには割り込めずにいる。
 脚を開いて、腰に手を当てて、私を見おろしている茅萱。
「トシくんが他の誰と付き合ってもいい。でも、あんただけは認めない! 絶対! あんただって、所詮は代用品なんだから」
 そして、早瀬を振り返る。
「……北川に飽きたら、いつでも声かけてね。次は、もっとうまくできるようにがんばるから」
 にこっと笑って、小走りに駆け出す。
「あ……」
 早瀬が「送っていく」という隙も与えずに部屋から出て行った。おそらく、そう言われたくなかったのだろう。余計な未練が残るから。あるいは、独りになって泣きたいから。
 階段を駆け下りる足音。
 玄関のドアの開閉の音。
 茅萱が走り去ったあとを呆然と見送っていた早瀬は、しばらくそのままで、私のことを思い出したのはずいぶん時間が経ってからだった。
「……大丈夫か?」
 今さらのように、椅子と一緒に床に転がっている私に手を差し伸べてくる。
 椅子とつないでいた手枷を一度外し、身体を自由にしてからまた腕にはめる。
 私を抱きかかえ、ベッドに下ろす。
 もちろん、首輪も外してはくれない。
「……茅萱のまんこはどう? よかった?」
「…………ああ。でも、悪いことしたな。つか、俺って最低だ」
「本人、悦んでたし、いいんじゃない? ……これで、私も用ずみね」
 つれない口調の私を、力まかせに抱きしめてくる。
「…………用ずみじゃない。錯覚、じゃねーよ。俺、北川がいいんだ」
「……茅萱、健気で可愛かったじゃない」
「ああ……あいつが、あんなに可愛いなんてな。……ちょっと、ぐっときた。…………でも……それでも、北川が、好きなんだ」
 やれやれ。
 私は小さく溜息をついた。
 あの茅萱を見せられて、なお私を選ぶとは、いったいどういう感性をしているのだろう。
 今この場だけ取り繕っている、という可能性もなくはないけれど、そんなことをしなくても私は相手をしてやるのだから、必要のない気遣いだ。
「北川の言う通り、カヲリと、したぞ?」
「…………茅萱とした後ならもう一度話を聞くとは言ったけれど。……返事は変わらない、とも言ったわよね?」
「……ああ……だから……今は、これ以上しつこく言うつもりはない。……でも、撤回はしない」
 早瀬の手が、下半身に触れてくる。
 そこは、触れられる前からぐっしょりと濡れていた。
 まだ〈クスリ〉が残っている状態で、目の前であんな光景を見せられて、なにも反応しないわけがない。
 身体だけは、意志とは無関係に反応してしまうのだ。
 指が、乱暴に挿入される。
 大きな身体が覆いかぶさってくる。
 そしてまた服を脱いでいく。
「…………まさか、あなた……まだ、するつもり?」
「……ああ」
「茅萱とあんなことした後で、平気で私が抱けるんだ? 最っ低の外道ね。ある意味、とっても男らしいわ」
 精一杯の皮肉。
 後ろめたそうな表情の早瀬。
 それでも、動きは止めない。
「……ああ、最低だ。だけど……でも……、それでも、北川と、したい」
「――――っっ!」
 茅萱とした後も勢いを失っていなかった男性器が、私を一気に貫いた。
 両手で胸を鷲づかみにして、腰を打ちつけてくる。
「――っ! くっ……ぅんっっ! う……ぁぁんっ!」
 ぜんぜん、違う。
 さっき、茅萱としていた時とはぜんぜん違う。
 痛くないように気遣い、優しく、ほどよいリズミカルな動きで茅萱としていた早瀬は、私が見たことのない姿だった。
 今はまったく違う。
 私の身体を引き裂かんばかりに、全体重をかけて蹂躙している。
 これが、私が知っている早瀬だ。
 これしか、知らない。
 そういう嗜好、そういう性癖なのだと思っていた。
 だけど、違う。
 こうしなければ興奮しない、こうしなければいけない、というわけではないのだ。
 茅萱としていた時だって、これ以上はないくらいに大きくなっていた。射精までにかかった時間も、私とする時より長かったわけではない。そして、大量に射精していた。
 早瀬にとっては、あれでも充分なのだ。
 なのに、私にはこれ。
 むしろ、私相手では興奮しないのでないか、とすら思えてしまう。だから、こうして激しくしないと感じないのではないか、と。
 肉食獣を思わせる、暗い表情。茅萱を見ていた時の、優しげな雰囲気は微塵もない。
 なのに――
 何度も。
 何度も。
 いつまでも。
 いつまでも。
 私を犯し続けている。
 飽きた様子もなく、貪り続けている。
 この、穢れた身体を。

 早瀬も――

 この日、初めて想った。
 これまで、あまり気にもとめなかったけれど。
 この男も、かなり、歪んでいるのではないだろうか。
 そんな気がする。
 だけど、私は抗わない。
 私は、こんな男に陵辱されるのが相応しい女なのだ。

 ――この日も、私が解放されたのは夜中近くのことだった。


 翌日――
 
 教室で見かけた茅萱は、やっぱり哀しげではあったけれど、それでもどこか幸せそうな、吹っ切れたような表情をしていた。
 昨日までの、居心地の悪そうな表情とはまるで違う。
 そして、挑発的な目つきで私を睨んでいた。

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