第五章

 二学期がはじまって間もない、とある金曜日の朝――
 私はひとり、街中のカフェでたたずんでいた。
 既に、登校には遅い時刻だ。
 着ているものは制服ではなく、ミニのワンピースにオーバーニーソックスという姿だった。家を出る前から、学校へ行くつもりはなかった。
 半分ほど残ったアイス・カフェ・ラテのグラスを見ながら、ぼんやりと学校のことを考える。
 木野が言っていた通り、夏休みが終わると同時に、私と早瀬の噂は新型インフルエンザよりも早く、クラス中、そして学年中に広まっていった。
 そのせいだろう。教室での、早瀬と茅萱の間がなんとなくぎこちないように見える。
 私に対しては、茅萱の友人たちと思われる女子からのいやがらせが増えた。
 とはいっても、追求されたらしらばっくれられる程度のささやかなものだ。
 わざと聞こえるような陰口とか、横を通り過ぎる時に、わざとらしく肩や肘をぶつけてきたりとか。
 茅萱自身ははそれに加担はせず、むしろなんとなく居心地悪そうにしていた。これも木野が言っていた通りだ。
 このところ、早瀬と逢う頻度は少し減らしている。今さら手遅れではあるけれど、この状況で逢うのは向こうも気まずいだろう。誘いのメールの頻度も、少し減ったような気がする。
 もっとも、学校をさぼっているのはそうしたことが原因ではない。
 今日は単に〈パパ〉とのデートの約束があっただけだ。

 そういえば――

 ふと、想い出した。
 初めて早瀬とセックスしたのは、この〈パパ〉とのデートの後だった。
 もしもあの日、〈パパ〉に時間があって一度だけじゃなかったら、帰りがもっと遅かったら、その後の展開はまったく違ったものになっていただろう。クラスメイトと関係を持つなんてなかったはずだ。
 それを考えたら、なんだってそうかもしれない。
 十六年弱のこれまでの人生でなにかひとつでも違う出来事があったら、今の私の生活はまったく違ったものになっていただろう。
 未来は、ほんのちょっとした気まぐれで大きく変わってしまう。
 とにかく、今の学校の状況は、早瀬のせいであり、私のせいであり、突き詰めればこの〈パパ〉のせいともいえた。
 今日は幸い、夜まで一緒にいられるという。

 ――幸い?

 自分の考えに首を傾げる。
 むしろ、逆かもしれない。
 〈パパ〉は性的な悦びを与えてくれるけれど、そもそも〈性的な悦び〉は私にとってなにものにも勝る苦痛でしかない。
 男に穢される忌まわしい時間が、これから夜まで続く。
 それを想うと今すぐこの場から逃げ出したい。なのに、心待ちにしている自分がいる。
 ふたつの心がせめぎ合い、結局、私は動けずに〈パパ〉を待っている。
 普段はつけない腕時計に、ちらりと視線を落とした。
 待ち合わせの時刻だ。
 悪夢の時間が、間もなくはじまる。
「……あ」
 通りの向こうに、信号待ちをしている〈パパ〉の姿を見つけた。
 イタリア製の高級ブランドに身を包んだ、四十歳手前くらいの男性。
 やや細身ながら、仕事で頻繁に東南アジアや南米へ行っているためだろうか、日焼けしていて精悍な印象を受ける。
 信号が変わり、車の流れが止まった。〈パパ〉が――私の悪夢の源が――こちらへ渡ってくる。
 カフェのドアが開いた。
 ちらりとこちらを見た〈パパ〉と目が合った。私に気づいて、微かな笑みを浮かべる。そのままカウンターでコーヒーを買ってから、私の席へとやってきた。
「待ったか?」
 私はもう一度腕時計を見て、大仰に溜息をついた。
「パパ、遅い」
 軽く唇を尖らせる。
 おや、という表情で〈パパ〉も自分の腕時計に目をやった。ロレックスの高級モデルを、いかにも当たり前のように身に着けているところが憎らしい。
 私は正直なところ、自分がつけているフランクミュラー――十五歳の誕生日に〈パパ〉が買ってくれたものもの――は、あまりにも分不相応で似合っていないと思っている。
 そもそも、高級ブランドなど興味はない。この時計も、いま着ているフランス製だというワンピースも、〈パパ〉からのプレゼントだから礼儀として〈デート〉に着けてきているのであり、そうでなければ身に着けるものなんて、ユニクロでも無印でも構わない。
 それに本音をいえば、腕時計はロレックスの方がよかった。
 ――〈パパ〉とお揃いになるから。だけど〈パパ〉は、ロレックスのレディースモデルが好みではないのだそうだ。
「遅いって……三分しか遅れてないじゃないか」
「三分も、よ。それだけあれば、いろんなコトができるじゃない」
「はは、ごめんごめん」
「最近、忙しくてなかなか逢えないし……。パパ、最近、莉鈴に冷たくない?」
 可愛らしく拗ねるというよりも、本気で機嫌を損ねた口調で言う。
 この〈パパ〉を相手には、必要以上にぶりっこはしない。〈営業スマイル〉も不要だ。
 かといって、学校にいる時や早瀬を相手にしている時のような無表情でもない。
 ある意味、もっとも素のままでいられる相手かもしれない。しかし最近では、どれが自分の素の姿なのかもよくわからない。
「なかなか逢えないのは仕方ないだろ。仕事が忙しいのは事実だし、莉鈴に贅沢させるためにも稼がなきゃ」
「莉鈴のために稼いでいるっていうなら、今年のクリスマスはうんと奮発して、ダイヤでも買ってもらわなきゃ割に合わないな」
 別に、本当にダイヤが欲しいわけではない。このくらいの軽い皮肉は許される相手だ。
「ああ、欲しいなら、びっくりするくらい大きなダイヤ買ってやるぞ」
 あっさりとうなずく。
 この〈パパ〉はかなりのお金持ちだった。
 肩書きは貿易商ということになっているけれど、しかし、あまりまっとうな商売はしていない。
 東南アジアや南米、ロシアなどを飛び回り、偽ブランド品、宝石、拳銃、ドラッグ類、ワシントン条約違反の動物、密漁のカニやマグロやキャビア、はては人間――主に女の子――まで、金にはなるが法に触れる、ありとあらゆる品を密輸しているらしい。
 当然、機密保持のためには多くの人間を使うわけにもいかないから、重要な商談は極力自身で行わなければならず、多忙な毎日となるわけだ。
「……ダイヤはいいけど、パパの商品じゃなくて、銀座あたりのちゃんとしたお店で買ってね」
 もっとも、宝石に関しては〈本物〉も多く扱っている。いうまでもなく、関税逃れのために密輸した品だけれど。
「で、なにが欲しいんだ? 指輪? ネックレス? ブローチ? それとも……」
 にや、とからかうような笑みを浮かべる。
「やっぱり、ピアスか? となると、そのための穴を開けなきゃな」
「……!」
 どこに、とは言わなかったけれど、もちろんそれは耳たぶなどではあるまい。
 思わず、頬が紅くなってしまう。
 私のピアスホールは、すべて彼に開けられたものなのだ。
「ま、とにかく、今日は一ヶ月分しっかり埋め合わせるよ」
 そう言うと、ポケットから取り出した手のひらに収まるほどの小さな壜の中身を、私のグラスに一滴残らず注いだ。
「……だから、莉鈴もたっぷり楽しませてくれよ?」
 返事の代わりに、ストローをくわえる。
 怪しげな〈クスリ〉がたっぷりと注がれたアイス・カフェ・ラテを口いっぱいに含み、ごくんと飲み下した。
 〈パパ〉を見て、挑発するように笑う。
 続けてもうひと口、ふた口。
 グラスがほとんど空になる。
 〈パパ〉も、自分のコーヒーに口をつけた。ゆっくりと、香りを楽しむように飲んでいる。
 ただし、実際に楽しんでいるのは久しぶりに見る私の顔だろう。私も、やや強張った笑みで〈パパ〉を見つめる。
 いま飲んだ〈クスリ〉は、初めての味だった。心の中では、それがもたらす効果に対する不安と、そして期待が入り混じっていた。
 〈パパ〉のコーヒーが空になる前に、鼓動が速く、顔が熱くなってきたように感じるのは、単に緊張のためだろうか。それとも、もう〈クスリ〉が効きはじめたのだろうか。
 私のグラスが完全に空になり、氷がぶつかって鋭い音を立てた。〈パパ〉は私の反応を楽しむように、わざとゆっくりしているように見える。
 そのカップが空になる頃には、身体の異変を、はっきりと自覚していた。
 熱い。
 身体の芯が、熱い。
 全身の皮膚が、すごく敏感になっているように感じる。
 衣擦れすら気持ちいい。
 先月の〈デート〉で〈パパ〉に買ってもらったお洒落な下着が、いつの間にかぐっしょりと濡れていた。
 ……まずい。
 この〈クスリ〉、やばいくらいに強い。
「パパ……、これ……やば……い」
 舌がもつれ、呂律が回らなかった。
 頭が膨らんでいくような感覚。
 身体が浮遊感に包まれ、なんだかふわふわして目が回る。
「……ねえ……パパ!」
 〈パパ〉が、欲しい。
 今すぐに。
 心の底から、そう思った。
 もう、セックスのことしか考えられない。
 この、いやらしい涎を流している小さな唇をふさいで欲しい。
 今すぐ。
 ここで。
「……そろそろ、行くか?」
 その言葉に、私はがくがくとうなずいた。もう余裕がない。
 少しでも躊躇するそぶりを見せたら、私を焦らすためにコーヒーをおかわりしかねない。〈パパ〉はよくそうした意地悪をする。
 だから、そんな隙を与えずに席を立った。
 だけど足許がふらついて、まともには立てなかった。バランスを崩して倒れそうになり、〈パパ〉の腕につかまる形になってしまった。
 これが失敗だった。今の状況で〈パパ〉に触れてしまっては、それが服の上からであっても濡れた性器並みに感じてしまう。
 声を上げそうになって唇を噛む。ちょっと触れただけで達してしまいそうになるなんて、どうかしている。
 それでも〈パパ〉につかまってなんとか歩きはじめたけれど、雲の上を歩いているような感覚だった。
 店を出れば〈パパ〉が車を停めた駐車場まではほんの数十メートル。それくらいなら、なんとか耐えられる……はず。耐えなきゃ、ならない。
 なのに……
「……っっ!」
 ほんの数歩進んだところで、〈パパ〉にしがみついて立ち止まった。視界が真っ白に染まった。
 手から力が抜けてくずおれそうになるところを、〈パパ〉がさりげなく支えてくれた。
「イったのか?」
 耳元でささやかれる。
 耳たぶに触れる微かな空気の動きが、愛撫と変わらない。
 下半身にまるで力が入らず、脚ががくがくになっている。トイレに行ったばかりでなければ失禁していたかもしれない、と思うほどだ。
 それでも、なんとか歩き出す。
 しかし十歩も行くと、また快楽の波が襲ってきた。
「……っ!」
 立ち止まり、〈パパ〉につかまって堪えようとすると、それがまた〈パパ〉との密着度を高める結果になってしまい、結局、またその場で軽く達してしまった。
 少し休んで、また歩き出す。
 すぐにまた昂ってしまう。
 百メートルと離れていない駐車場にたどり着くまでに、いったい何度の絶頂を迎えてしまっただろう。この時点で、もう一日中セックスし続けた後のような疲労感に包まれていた。
 しかし実際には、今日はこれからはじまるのだ。これはまだ前菜ですらない。まだ、序章も終わっていない。
 駐車場に、黒いガラスの〈いかにも〉な雰囲気の外車が停まっていた。幾度となく乗せられた〈パパ〉の車だ。
 助手席のドアを開けた〈パパ〉が、手を貸してシートに座らせてくれる。その時にはもう意識が朦朧としていた。
 〈パパ〉が運転席に着く。真っ先に私がしたことは、〈パパ〉に抱きついて唇を貪ることだった。
 唇や舌の感度は、クリトリスと変わらなかった。濃厚なキスは、クンニされているのと同じだった。
 二度、三度と、感覚が爆発を起こす。
 キスしながら、〈パパ〉は私に首輪をはめた。
 いつもの、深紅の首輪。
 私が〈パパ〉の所有物となる証。
 鎖をつながれ、引っ張られる。
 首が絞まる。
 それすら、快感だった。
 意識が飛びそうになる。
 口の端から涎がこぼれる。
 全身が灼けそうだった。
 唇が離れる。
 陸に揚げられた魚が酸素を求めるように、〈パパ〉を求めて開かれる唇。
 そこに挿し入れられる〈パパ〉の二本の指。
 フェラチオするように舌を絡める。
 その指は、小さなカプセルをつまんでいた。
 指が引き抜かれ、口の奥にカプセルだけが残される。
 また別の〈クスリ〉のカプセルだ。
 躊躇なく飲み込む。
 食道を滑り落ちていく小さなカプセル。それが胃に達して溶けた時になにが起こるかは、よくわかっている。
 気が狂うほどの、快楽。
 その瞬間が訪れることを心底畏れ、しかし待ち望んでいる。
「パパ……」
 また、唇を重ねる。
 同時に、〈パパ〉の手がスカートの中に潜り込んできた。
「……大洪水だな。パンツが搾れそうなくらい濡れて、スカートまで染みてるぞ」
「あ……っ、やっ……パパぁ……っ!」
 パンツがずらされ、指が入ってくる。
 愛液が噴き出すほどに濡れた性器に。
 短い悲鳴を上げた。
 しかしその指は、愛撫のために挿入されたのではない。私の中に、座薬状の〈クスリ〉を挿れるためだ。指が引き抜かれると、膣奥に微かな異物感が残った。
 じわじわと、熱さが拡がっていく。
 熱く火照った膣内の体温で〈クスリ〉が溶けていく。
「やっ……だっ、……こ……れ……っ!?」
 膣が、意志を持った別の生き物のように、勝手に蠢いているような感覚だった。その動きが、自分自身に対する愛撫になっていた。
「パ……パ……、こんなに……いくつも……マジ、やば…………」
「……まだまだ」
 また、指が入ってくる。
 ただし、今度は〈後ろ〉に。
 膣からあふれた蜜を潤滑剤にして、二本の指が肛門を押し拡げる。深く挿入された指が、直腸に〈クスリ〉を残して引き抜かれる。
 お尻の奥がじわじわと熱くなってきて、すぐに、灼けるような感覚に変わった。
 呼気も熱い。呼吸が苦しい。
 なのに、まだ、終わりではない。
 仕上げは、割れ目に触れるひんやりと濡れた感触。
 ジェル状の〈クスリ〉がたっぷりと塗りつけられる。いや、塗るというよりも、厚い層になって覆っているという方がふさわしい量だ。
 冷たく感じたのは一瞬だけだった。すぐに、灼けるような熱さに変わる。
 〈パパ〉が私の手を掴んで、スカートの中に運んだ。そこは濡れているというよりも、粘膜がどろどろに溶けだしているかのような状態だった。
 指を、割れ目の中に押し込む。
 溶けた粘膜の中に指が沈んでいく。
 〈パパ〉の唇が耳に触れる。
「ホテルに着くまで、自分でよく擦りこんでおけよ」
 そんな指示は不要だった。
 少しでも触れてしまったら、もう止まらない。私は夢中で指を動かしていた。それは〈クスリ〉を擦りこんでいるのではなく、ただただ自分を慰めるための愛撫だった。
 〈クスリ〉を与えられてちょっと触れられただけで、もう、最高に相性がいい相手に挿入された時よりも感じていた。
 だけど、〈クスリ〉が本格的に効いてくるのはこれからだ。まだ、ほんのはじまりに過ぎない。
「……あっ……んんっ! あんっ……ぁんっ……っ!」
 指が止まらない。
 少し動かしただけで、すぐに達してしまう。なのに、まったく満足できない。むしろ、〈渇き〉はいっそう強まるばかりだった。
 スモークガラスで外から見られないのをいいことに、助手席で脚を大きく開き、まくり上げたスカートの裾を口にくわえ、狂ったように指を動かし続ける。
 そんな様子をおもしろそうに眺めながら、〈パパ〉は車を発進させた。


 〈パパ〉との逢瀬で何度も利用しているラヴホテルに入った時には、もう、自力ではまったく立てなくなっていた。
 下半身が全部溶けて、愛液として流れてしまったかのよう。
 〈パパ〉に支えられて部屋に入り、靴を脱がせてもらう。
 そこは、あまり普通の部屋ではなかった。
 部屋はかなり広い。
 大きなダブルベッドがあるのは当然としても、その四隅には手枷、足枷が鎖でつながれていたり、部屋の中央に産婦人科を思わせる椅子が設置されていたり、壁際にはX型の磔台があったり。
 つまり、〈そういう趣味〉の人たちのための部屋で――この〈パパ〉愛用の部屋でもある。
 もっとも今の私の目には、そうした〈特殊な調度品〉など映ってはいなかった。
 部屋に入るなり、腕の力だけで〈パパ〉にしがみついて、貪るように唇を重ねた。
 舌を絡める。
 唇の端から涎がこぼれる。
「……逢いたかった……パパ……逢いたかった。……パパと……したかった、抱いて欲しかった」
 切ない想いが、涙とともにあふれ出す。
「パパもだよ、莉鈴」
 骨が軋むほどに抱きしめられる。
 身体が密着し、下半身が押しつけられる。そこに、硬いものが当たっている。
「……最近……あんまり逢えないんだもの……」
 とめどもなくあふれる涙で、顔がくしゃくしゃになってしまう。せっかく、綺麗にお化粧してきたのに。
 涙が止まらない。
 前回逢ってから約一ヶ月という間隔はかなり長いものではあるけれど、それでもこれが初めてというわけではないし、普段ならここまで大袈裟に泣いたりしない。
 大量の〈クスリ〉のせいか、いつもより情緒不安定になっているようだ。
 しかし、近ごろ〈パパ〉が多忙なのは、実は私にも原因があり、自業自得ともいえた。
 それは、今年の春休み――
 〈パパ〉の命令で、大事な取引相手とやらを〈接待〉したのだ。
 いうまでもなく、〈カラダを駆使しての接待〉である。
 これまでにない大口の客ということで、〈パパ〉はいちばんのお気に入りである私を〈接待役〉に任命したのだ。
 〈パパ〉のためなら、ということで少々やり過ぎてしまったのかもしれない。手加減抜きでサービスすると、相手はけっこうな年配だったのに、まるで十代の若者のような勢いで私の身体を貪ってきた。
 その接待で相手に気に入られたのか、それとも中学生との淫行をネタに強請ったのかは知らないけれど、とにかく大口の契約を獲得して多忙な毎日を送っているという話だ。
 以来、〈パパ〉がくれるお小遣いも倍増した。たぶん、ちょっとした大卒会社員の初任給くらいの額はもらっているだろう。
 しかし、もともとあまり物欲がある方ではないし、そもそも服やアクセサリや下着などは彼を筆頭とする〈パパ〉たちが買ってくれるのだから、使うあてもない預金残高の数字が増えていくだけの、正直なところあまりありがたみも感じられない報酬だった。
 それよりももっと逢えた方がいいのに、という想い。
 この忌むべき相手に逢う回数が減って助かった、という想い。
 いつも、ふたつの感情がせめぎ合っている。
 ただし今に限っては、〈クスリ〉のせいで、頭の中は〈パパ〉を求める想い一色に塗りつぶされていた。
「……したかった……したくてたまらなかった」
 泣きながら〈パパ〉の唇を貪る。
 キスだけで達してしまいそうだった。
「そんなに溜まってたのか? さっき言った通り、埋め合わせに一ヶ月分まとめていかせてやるよ」
 〈パパ〉が嬉しそうに笑う。
「……でも、どうせ、逢わなかった間は他の男たちと遊んでたんだろ?」
「そ、それは……」
 一瞬、言葉に詰まった。
 ここで「そんなことない」と否定するのは簡単だけれど、それは真っ赤な嘘だし、〈パパ〉が望んでいる答えでもない。そもそも〈パパ〉は私の普段の行動などお見通しだ。
「そ……それもパパが悪いんだから!」
 だから、開き直ることにした。
「一ヶ月も放っておかれて、ひとりエッチだけで我慢できるわけないじゃない! 莉鈴のことさんざん調教して、パパなしでいられないカラダにしておいて、なのに一ヶ月も放置プレイなんて無責任よ!」
 逆ギレ気味に叫んだ。しかし〈パパ〉は表情を崩さない。
「……で、浮気か? 莉鈴はいけない子だなぁ」
 口調は穏やかだが、目が笑っていない。
 商売柄だろうか、真剣な表情をするとけっこう凄みがある。その気になれば、こうして口元に笑みを浮かべたまま人を殺せるのではないかと思うほどだ。
「う……」
 思わずたじろいでしまう。
「いけない子には、おしおきが必要だな」
 首輪につながった鎖が引っ張られる。
 革の首輪が肌に喰い込んでくる。
 つま先立ちになっても〈パパ〉とは身長差がかなりあるから、さほど楽にはならない。
 苦しくて。
 だから……イイ。
 軽く達してしまい、また、蜜が溢れ出てくる。
「……なぁ?」
 促すように、鎖を引く手に力を込める〈パパ〉。彼が望んでいる言葉を口にすることを強要している。
「り……莉鈴は……いけない子です。……パパがいない間に、いけないこと……いっぱいしました。……だから…………おしおき、して、ください」
「言われなくても、するさ」
 片手で鎖を持ったまま、もう一方の手をお尻の下に入れて私を抱え上げ、ベッドの上に放り出した。
 〈パパ〉もベッドに座る。膝の上に私をうつぶせにして、パンツを膝まで下ろす。
 まさしく、小さな子供がパパに〈おしおき〉される構図だ。
 スカートがまくり上げられる。

 パ――ンッ!

 乾いた音が響く。
「ひぃぃっっ!」
 同時に、短い悲鳴が上がる。
 痛みは、一瞬遅れてやってきた。

 パ――ンッ!

 もう一度。
 大人の力で振りおろされる腕。
 柔らかな臀部に叩きつけられる掌。
「あぁぁっ!」
 衝撃。そして、熱さをともなった痛み。
 しかし今の私の身体には、それさえも至上の快楽だった。
「……あぁっ! …………あぁんっ! ……あぁぁっっ! ……あぁぁ――っ!」
 掌が叩きつけられる回数が重なるごとに、悲鳴が甘くなっていく。
 頬が上気してくる。
 お尻の熱さが、全身に広がっていく。
「あぁんっっ! ……パパぁっ! ごめんなさいっ! ……パパぁァ――っっ!」
 十回目で、最初の絶頂を迎えた。
 ただ叩かれているだけで、達してしまった。
 しかし、〈おしおき〉はまだ終わらない。
 一定の間隔で繰り返される打撃音。
 一発ごとに、気持ちよくなってくる。
 一発ごとに、蜜が噴き出してくる。
 痛いのに。
 痛いからこそ、いい。
 回を重ねるごとに昂って、しまいには一発ごとにエクスタシーを覚えるようになっていた。
 気が遠くなる。
 痛みと、それがもたらす快楽のために。
 かろうじて回数を数えていられたのは、三十発くらいまでだった。以後はもう正気を保っていられなかった。
 〈パパ〉の責めはその何倍かの時間続いていたように思う。
 果てしなく続く、打擲。
 それは限りなく激しい愛撫。
 もう、お尻の感覚はない。
 痺れたようになって、ただただ熱い。
 真っ赤に灼けた炭でも載せられているような感覚だ。
 いつ手が止まったのかも、私にはわからなかった。
「……おしおきされているのに、どうして莉鈴はこんなになってるんだ?」
 〈パパ〉の手が、お尻ではなく割れ目の中に触れてきた。
 「ひゃっ……んんっ!」
 それまでとはまったく別種の快感に、身体がびくっと反応する。そのおかげで目が覚めた。
 それは〈ぬるり〉ではなく〈びちゃっ〉という感触だった。
 愛液は、滴るというよりも湧き出しているという方が相応しかった。
「叩かれて感じてるのか? 莉鈴はいやらしい子だな」
「あっひぃぃっ!」
 熱く濡れた、柔らかな襞を力いっぱいつねられた。
 お尻を叩かれる時の〈面〉の痛みではなく、鋭い〈点〉の痛み。
 それでも、やっぱり、気持ちよかった。
 〈クスリ〉漬けの身体は、どんな刺激であっても快感として受けとめてしまうようだった。
「叩かれているのにびちゃびちゃに濡れてしまう変態娘には、もっと厳しい躾が必要かな?」
「……ごめんなさい! 莉鈴は……おしおきされて興奮してしまう変態です。パパに叩かれて……いっぱい、いっちゃいました。……もっと……おしおき、してください……」
 今の身体の状態は〈パパ〉に与えられた〈クスリ〉のせいであり、私の本来の体質ではないのだけれど、そんな理性の声は〈クスリ〉に増幅された本能にかき消されてしまう。
 もっと、痛いことをして欲しい。
 そして、もっともっと感じさせて欲しい。
 もう、それしか考えられなかった。
 膝まで下ろされていたパンツが、完全に剥ぎ取られる。
 抱き上げられて、〈椅子〉に座らされる。
 普通の椅子ではない。産婦人科にあるような、脚を拡げて固定できる椅子。本物との違いは、脚だけではなく腕も拘束できるようになっている点だった。
「あ……」
 顔の両側で、手首が革のベルトで固定される。
 脚も蛙のように開かされて台に乗せられ、太腿と足首が同様に固定された。
 服は着たままだけれど、パンツは脱がされて、着ているものはミニのワンピースとソックスだけ。蜜があふれだしている恥ずかしい部分は、まったくの無防備でまる見えになっていた。
「……パパ…………」
 続いて〈パパ〉が鞄から取り出したのは、短い〈鞭〉だった。
 よくAV撮影で使われるような、音ばかりが派手でたいして痛くないゴム製のバラ鞭ではない。
 細い金属ワイヤーを束ねて柄をつけた特注品、金属製のバラ鞭だ。
 さほど力を入れずに打たれても、肌に直接当たればみみず腫れは必至だし、本気で打たれたら皮膚が裂ける。
 そんな代物だった。
 ごくり……唾を呑み込む。
 初めてではない。
 だからこそ、その威力を知っているからこそ、たとえ〈クスリ〉漬けの頭であっても恐怖心が拭えない。
 顔の筋肉が、そして全身が強張る。
 しかも、ただ打たれるだけではない。
 次に〈パパ〉が手にしたのは、幅広のヘアバンドのような形と大きさの、黒い輪だった。
 ただし、ヘアバンドよりも幅広で、材質は真っ黒いゴム製だ。
 椅子に拘束されて身動きできない私の頭に被せ、目の位置まで引き下ろす。
 視界が完全に遮られる。
 それは目隠しだった。
 幅広で、締めつけの強いゴム製だから、布製のアイマスクと違って少しくらい暴れてもずれることはない。つまり、暴れるような状況で使用される品だということだ。
 視覚が奪われ、完全な闇に包まれる。
 周囲で起きていることを認識する手段は、主に聴覚に限られてしまう。
 微かに聞こえる〈パパ〉の足音。
 そして、鞭のワイヤー同士がぶつかるカチャカチャという金属音。
 次の瞬間――
「……ひぎゃぁぁぁぁ――っっっ!!」
 耳が、空気を切り裂くヒュンッという音を捉えたのと、私が絶叫したのが同時だった。
 お腹に叩きつけられた灼熱の痛みを頭が認識できたのは、悲鳴の後だ。
 なんの予告も前触れもなく打ちつけられた金属製の鞭。
 視覚を奪われているから、身構えることはもちろん、心の準備をすることすらできなかった。
 心身ともにまったく無防備なところに打ちつけられた、十数本のワイヤーの束。
 痛みとして認識するのも一瞬遅れてしまうほどの衝撃。
 服を着たままとはいっても、夏物のワンピースの薄い布地など気休めにもならなかった。
 痛い。
 そして、怖い。
 見えていないからこそ、なおさら。
 今の一撃、さほど力は込められていなかったはずなのに、お尻を叩かれていた時とは次元の違う痛みだった。
 全身から汗が噴き出す。
 目隠しの下では涙があふれている。
「……やぁぁぁぁぁ――――っっ!!」
 二発目は、左の太腿に打ちつけられた。
 やっぱり鞭が風を切る音と衝撃は同時で、覚悟のしようもなかった。
 そして、一瞬遅れて痛みを認識する。
「や…………ぁ……ごめんなさい……パパぁ……、あぁぁぁぁ――っっ!!」
 次は、右腿。
 いつ、どこを打たれるのか、まったく予想できない。
 まったく見えない、いつ来るのかもわからない、しかし、確実にやってくる恐怖。

 ドッドッドッドッ……

 視覚を奪われた分、敏感になっている耳に、自分の鼓動が聞こえる。
 激しく、そして速い。
 荒い息づかい。
 無意識に漏れる、微かなすすり泣き。
 聞こえるのはそれだけだ。〈パパ〉の気配は感じられない。
 暗闇の虚空の中、私は独りきりだった。
 まったくの〈無〉。
 なのに――
「いぎぃぃぃっっ!! ……ひぐぁぁぁぁっっっ!!」
 痛みは襲ってくる。
 腕……お腹……脚……そして胸。
 その場所も、間隔も、一発ごとに変えて。
 六回……
 七回……
 全身が灼けるようだ。
 だんだん、間隔が短くなってくるように感じる。
「ぃぎゃぁぁぁぁんっっ!!」
 ひときわ強く打ち据えられて息が止まったところで、連打がやんだ。
 〈パパ〉がすぐ傍に立っているのを感じる。
「……あ」
 胸元に手が触れてくる。
 強く引っ張られる。
「ひっ!」
 布が引き裂かれる音。
 薄い生地の夏物のワンピース――先月逢った時に〈パパ〉にもらったお気に入り――が、びりびりに破かれて剥ぎ取られていく。
 続いて、その下のキャミソール、そしてブラジャーが簡単に引きちぎられる。
 ソックスだけを残して裸にされた。
「……ごめんなさい……パパ…………許して…………」
 手の届く距離にあった〈パパ〉の気配が消える。
 そして――
「あぁぁぁぁぁ――――っっっ!!」
 また、鞭が襲ってきた。
 気休めといってもいい薄い布地も、一枚あるのとないのとでは、受ける痛みの桁が違った。
 剥き出しの肌に打ちつけられるステンレスのワイヤー。
 病的なほどに白く繊細な肌は、一撃で線状に腫れあがった。
「いやぁぁぁぁっっっ!! ひあぁぁぁぁぁっっ!!」
 おそらく意識しての行動だろう。今まで衣類に護られていたお腹や胸を重点的に狙ってくる。
 ワイヤーの一本が固くなった乳首を直撃した時には、悲鳴すら上げられなかった。
 ここまで唯一、被害をまぬがれているのは首から上だけだった。しかしそれも、絶対の保証はない。
 この〈パパ〉は、そうしたいと思えば後に残る傷をつけることも逡巡しない。事実、私のピアスホールは、乳首や小淫唇はもちろん、耳たぶもすべて〈パパ〉の手で開けられたものだった。
「いやぁぁぁ――――っっっ!!」
 剥き出しの裸体をひと通り打ち据えると、同じ場所に二度目、三度目の打撃が襲ってくる。
 最初の一撃で腫れあがっている肌への再度の打擲は、さらなる痛みを引き起こす。
「うぁぁぁぁぁ――っっっ!!」
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――。
 怖い。
 怖い。
 怖い。
 怖い。
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――。
 一撃ごとに、意識が飛ぶ。
 頭の中が、至近距離でフラッシュでも焚かれたかのように真っ白になる。
 いつ襲ってくるのか、いつ終わるのか、まったくわからない責め。
 時間の感覚などまったく残っていない。
 一発一発の間隔は、お尻を打たれていた時よりも長いはずだ。しかしその分、責めが続いている時間もずっと長いような気がする。
 身体中が痛い。
 もう鞭が当たっていない時も、全身の皮膚が激痛を訴えていた。
 まるで、身体が腫れて倍くらいに膨らんでいるような感覚。
 皮膚がずたずたに裂けて、全身が血まみれになっているような感覚。
 実際にそんなことはないのだろうけれど、視覚を奪われて激しい責めが続いているために、感覚もおかしくなっているのだろう。

 なのに――

「……これだけ痛いことされているのに、莉鈴は本当にいやらしい子だな」
「ひゃあぁんっ!」
 硬いものが股間に触れる。
 鞭の柄が押しつけられているのだ。
 伝わってくるのは、ぐっしょりと濡れた感触だった。
 そこまで出血しているとは思えない。
 失禁したにしてはぬめりを帯びた感触だ。
 そして鞭の柄を押し込まれた時には、痛みではなく快感のために気が遠くなった。
「ご……めんなさい……パパ……っ」
「まったく……変態娘め」
 次の一撃は、今日初めて、どこに来るのかが予想できた。心の準備をして次の瞬間を待ち構える。
 しかし予想通りなら、それは覚悟なんてなんの役にも立たない痛打のはずだった。
「……パパっ! いや……だめっ! パ……いやぁぁぁぁぁ――――っっっっ!!」
 拡げた脚の間に立った〈パパ〉が、鞭を振りおろす。
 無慈悲なワイヤーの束が、濡れた粘膜にまともに叩きつけられた。
 その、神経を灼き切るほどの痛み故に、失神することすら許されなかった。


 全身の皮膚が熱い。
 巨大なオーブンに裸で入れられたら、こんな感覚だろうか。
 鞭の嵐は去ったみたいだけれど、傷みの記憶は身体中の痛覚神経に深く刻み込まれているようだった。
 私はまだ解放されていない。
 椅子に拘束されたまま。目隠しもされたまま。
 微かに聞こえる、ライターの着火音。
 ほのかに伝わってくる、煙草の煙の香り。
 〈パパ〉が一服しているのだろう。平手で、そして鞭で私を打ち続けて、〈パパ〉だってけっこうな体力を消耗しているはずだ。
 しかし、〈おしおき〉はまだまだ終わらない。
 その証拠が、紫煙の香りに混じっている、微かに甘いような匂い。
 それは、融けた蝋の匂いだった。
「あぁぁぁっっ!!」
 突然、胸を襲った痛みに身悶える。
 最初の一瞬、それは〈熱さ〉ではなく〈痛み〉だった。
 ただでさえ、〈パパ〉は〈撮影用〉の低温蝋燭など使わない。ごく普通の大きな蝋燭、それも、私の白い肌に色が映えるという理由で、クリスマスキャンドルのような真っ赤なものを選ぶ。着色料が混じっている関係で、白い蝋燭よりも若干融点が高くなるのだそうだ。
 そんな蝋燭で普通に責められるだけでも悲鳴を上げるには充分だけれど、しかも今は鞭で滅多打ちにされた直後。腫れあがり、出血もしているであろう肌にとって、滴る蝋は熔けた鉛のように熱く、濃塩酸のように痛かった。
「あぁぁっっ! あぁっ! あぁんっっ!! あぁぁ――っっっ!!」
 何本もの蝋燭を束ねて持っているのだろう。融けた蝋の雫は〈ぽたぽた〉ではなく、大粒の夕立のように〈ばらばら〉と降ってくる。
 両腕、両脚を拘束された身体が、椅子の上で跳ねる。
 熱い雨は少しずつゆっくりと移動していく。
 腕から右胸へ。
 右胸から左胸へ。
 そのまま左右の胸を往復する。
「いやぁぁ――っっ!! あぁんっ!! あんっっ!! あぁぁっ! あぁ――――っっ!!」
 その一帯でいちばん敏感な部分を集中的に狙っているのだろう。乳首に立て続けに雫が落ちる。
 やがて、お腹へと下りていく。お臍を中心に、渦巻きを描くようにまんべんなく紅い雫を降らせていく。
「いやぁっっ! あぁぁ――っっ!! あぁ――っっ! やぁぁ――っ!!」
 そこからさらに下、右脚の太腿から膝、脛、そしてつま先。
 やがて左脚のつま先に移動。右脚とは逆の進路で、お腹の方へと戻ってくる。
「あぁぁっっ!! やだぁぁっ! ああ――っっ!!」
 来た道をゆっくりと遡って、上半身へと戻っていく。
 だんだん、身体が強張ってくる。皮膚が硬く突っ張ったような感覚。降りそそぐ大量の蝋が固まって、脚を、お腹を、胸を、鎧のように厚く覆っている。
 そして――
「いやぁぁぁっっっ!!」
 頬に、蝋が落ちた。
 本当に火傷するほどの高温ではないはずだけれど、それでも熱いものは熱い。痛いものは痛い。そしてなにより、怖いものは怖い。
 頭を振って蝋を避けようとすると、髪を掴まれた。
 動けないように押さえつけられる。
「……いっ!! ――っ! ……っっっ!!」
 頬、鼻、唇。
 立て続けに蝋が降りそそぐ。
 口の中に入りそうで悲鳴も上げられない。
 さらに目の上に蝋が当たる感触に、思わず息が止まった。
 丈夫な目隠しで覆われた目は、実際には、今もっとも安全な部位のはずだ。しかし、目を攻撃されるという本能的な恐怖心は抑えられない。
 しばらくしてようやく蝋の雨が顔の上を通り過ぎた時には、心の底から安堵の息を漏らした。
 しかし、それで安心するのはまだ早かった。
 〈パパ〉はいちばんのご馳走を最後にとっておいたのだ。
 灼けた雨が再び下半身へと向かった時、その意図を悟って青ざめた。
「パパっ! だめぇっ! やめてっ! そこっ! だめっ! いやぁ――っっ! あぁぁ――――っっっ!!」
 脚を開かされているせいで小さく口を開いていた小さな割れ目が、指で大きく拡げられる。
 灼熱の集中豪雨がその小さな谷を襲った。
「いあぁぁぁぁ――――っっ!! あぁっ!! あぁぁ――っっっ!! あぁぁんっっ! あぁぁぁぁ――――っっ!!」
 単純に痛みを比較するだけなら、そこへの鞭の一撃の方がはるかに上だった。
 しかしこの責めは一瞬では終わらない。
「あぁぁっ!! あぁぁっ!! あぁっっっ!! あぁっっ!! あぁぁ――――っっっ!!」
 私が号泣して〈パパ〉が満足するまでいつまでもいつまでも続き、融けた蝋は噴火口から流れ出した真っ赤な溶岩のように、谷を埋め尽くしていった。


 それは、通り雨と呼ぶには長すぎた。
 灼けた雨がようやくやんだ時には、絶叫し続けていた私はもう息も絶え絶えなほどに消耗していた。
 それでもまだ、終わらない。
「っあぁぁぁっっ!!」
 また、鞭が振りおろされた。
 〈おしおき〉のついでに、皮膚を覆っている蝋の甲羅を砕いていく。
「……あぁんっっ! あっ……っっ! あぁぁっっ!! あはぁぁ――っっ!!」
 この頃にはさすがに痛みに対する感覚が麻痺していて、本来は激痛をもたらすはずの打撃は、気が遠くなるほどに甘美な刺激となっていた。
 口元に、締まりのない笑みすら浮かぶ。
 緩んだ唇から涎が流れ落ちる。
 身体中をひと通り打ち据えると、〈パパ〉の手が乱暴に身体を撫でて、蝋の破片を取り除いていった。
 繰り返し痛めつけられた肌には、たとえそっと触れられるだけでも灼かれるような痛みが走ったけれど、〈パパ〉は手加減などしてくれない。それに、今の私にはその乱暴な接触こそが至上の愛撫だった。
 身体中の蝋を取り終わった手が、唇に触れる。頭を撫でる。
「……よしよし、よく我慢したね。痛かったろ」
「……パ……パ……、おしおき、は……終わり?」
 唇が震えてうまく動かない。全身が痺れている。
 そして心の奥底では、少しだけ「もっとおしおきを続けて欲しい」と願っていた。
「ああ、莉鈴は頑張ったから、ご褒美をあげるよ」
 優しい〈パパ〉の声。
「ごほうび……? 莉鈴は……いやらしい、いけない子……なのに?」
 か細い声。小さな子供のような口調。
「もちろん、いやらしい、いけない子にふさわしいご褒美だよ」
 顔の横にあった〈パパ〉の気配が、下半身の方へと移動する。
「あ……」
 ひりひりと痛む、なのに大量の蜜をあふれさせている割れ目に、熱い塊が触れる。
 心の中は、次の瞬間訪れるであろうことへの期待でいっぱいになる。
 強く、押しつけられる感覚。
「あぁぁぁぁ――――っっっっっ!!」
 優しさの感じられない、力まかせの乱暴な挿入だった。小さな膣が一気に拡げられる。
 なのに――
 それだけで、達してしまった。
 たったひと突きで、失神しそうになった。
 長いストロークで打ちつけられる腰。その一往復ごとに絶頂を迎えてしまう。
「あぁぁんっっ! あぁぁっっ! い……いィィっっ! パパっ! パパぁぁっっ!」
「いいぞ。莉鈴のおまんこはよく締まって……最高だ。世界一だよ」
「いっ……いいの? あぁんっ! り、莉鈴のおまんこ、気持ちいいの? パパぁっ! もっと……いっぱい、よくなって……あぁぁっ! 莉鈴にも、いっぱい……っ、ちょうだい!」
 頭で考えるまでもなく、腰が、そして括約筋が、〈パパ〉を悦ばせるために勝手に蠢いている。
 それは当然の反作用として、私にも同じ快楽をもたらした。
「ああぁんっ! あぁぁ――っっ! あぁぁっっ!! パパぁ――っ!!」
 激しく叩きつけられる腰。
 膣内を蹂躙する固い男性器。
 それが私に与える感覚は蝋よりも熱く、鞭よりも痛い。
 だからこそ、この世のなによりも気持ちいい。
 この快楽のためなら、なんでもできる。どんなことでも耐えられる。
 もう、このまま死んでもいい。
 あまりの気持ちよさに、もう本当に死にそう。
「パパっ! パパぁっっ! あぁぁんっっ!! パパぁぁ――っっ!!」
 頑丈な金属製の椅子が軋んでいる。
 絶え間ない絶叫がその音さえかき消してしまう。
 激しい動きで、膣が火傷しそうなほどに摩擦されている。
 そこを、いっぱいに締めつける。鍛えられた括約筋は、自分の指一本ですら痛いほどに収縮する。
 その狭く曲がりくねったトンネルを、〈パパ〉の分身が力ずくで突き抜けてくる。
 内臓を突き上げられる。
「あぁぁ――っっ!! いいぃぃぃっ! イクっ! いっちゃう――っ!!」
「イクのか? 莉鈴、いいぞ。パパもいくぞ」
 さらに加速する腰。
「いぃぃ――っっ!! イって! パパぁっっ!! 莉鈴の中にいっぱい出して!」
 もう、視界は真っ白だ。
 シュッと、鼻にスプレーのようなものが吹きかけられる。
 条件反射のように、深く息を吸い込む。
 有機溶剤を思わせる刺激臭に、意識がふぅっと遠くなる。
「――――っっ!!」
 次の瞬間、頭の中で爆発が起こったような衝撃に襲われた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――っっっっ!!」
 すべてが、真っ白になる。
 頭が風船のように膨らんで、破裂する。
 身体中の細胞が弾ける。
 上下の感覚がなくなって、身体がぐるぐる回っているよう。
 無数の色彩が、咲き乱れる花のように、花火のように、周囲を彩っている。
 次の瞬間、私の身体は宙に投げ出されていた。
 数百、いや数千メートルの高空。
 なんの支えもなく、墜ちていく。
「あぁぁぁぁぁ――――――――――っっっっ!!」
 熱い。
 下半身が灼かれる感覚。
 胎内に噴き出してくる〈パパ〉の精は、灼熱の溶岩のように熱く、私の身体を内側から灼いていた。
 その熱が全身に回る。
 燃えさかる火の玉になって墜ちていく。
 永遠に続くかと思われた、灼熱の落下。
「――――――――――――――っっっっっ!!」
 地面に叩きつけられる衝撃。
 私の身体は、意識は、そこで粉々に砕け散った。


 いったいどのくらいの時間、朦朧としていたのだろう。
 数分? 数十分? それとも数時間?
 なんとか自我をとり戻した時には、椅子から下ろされて、フローリングの床に転がされているようだった。
 とはいえ、身体が自由になったわけではない。
 まだ目隠しはつけられたままで、なにも見えない。
 腕は身体の後ろで組んで、ロープで固く結ばれている。
 脚も、短い鎖でつながれた足枷を両足首にはめられているようで、肩幅ほども開くことができなかった。そもそも脚にはろくに力が入らず、これでは立って歩くことなど不可能だ。
 私は、独りだった。
 近くに、〈パパ〉の気配が感じられない。
 なにも見えず、聞こえるのも微かな空調の音だけだ。
 〈パパ〉の存在を示す煙草の香りもしない。
 誰もいない。
 なにもない。
 ただ独り、虚空に放り出されてしまったかのよう。
 唯一はっきり感じられるのは、硬い床に触れる肌の痛みだけ。
 空調は効いているはずなのに、妙に肌寒く感じた。
「……パパ?」
 闇の中で〈パパ〉を呼ぶ。
 しかし、返事はない。
「……パパ? ……ねぇ、パパ?」
 右に、左に、首を振って呼ぶ。
 そんなことをしなくても、たとえトイレやバスルームにいたって声は届くはずなのに。
「パパ! ……パパ! パパっ!」
 だんだん、声が大きくなってくる。
 膨らむ不安に比例するように。

 なにも心配はいらない。
 なにも気にする必要はない。
 〈パパ〉は近くで息を殺して、私の様子を見て楽しんでいるだけ――。

 理性ではわかっていても、なんの慰めにもならない。
 感情が、そして身体が、納得してくれない。
「パパっ! ねぇ! パパ! どこ?」
 返事はない。
 気配もない。
 私は決心する。
 〈パパ〉の方から来てくれないのなら、こちらから探しに行くしかない。
 立って歩くことができず、手も使えないので、身体を捩って、芋虫のように床の上を這っていく。
 ずるずる……
 ずるずる……
 鞭と蝋燭で痛めつけられ、黙っていても絶え間ない痛みを訴えている肌は、硬い床に擦られるたびに激痛が走った。
 それでも、這っていく。
「パパっ……パパぁっ! ……あぁぁっっ!?」
 闇雲に這っていて、いきなり硬いものに頭をぶつけた。
 金属の硬さと冷たさを感じる。おそらく、さっきまで座らされていた椅子だろう。
 こぶになりそうなほどの衝撃だったけれど、無視して、方向転換して進み続ける。
「パパ……パパぁ…………パパぁ!」
 〈パパ〉を呼ぶ声は、いつしか泣き声になっていた。
 まるで、小さな子供のような声。
 幼少の頃、人ごみの中で両親とはぐれて迷子になった時の不安感が襲ってくる。
 知らない世界に独りでとり残されたかのような、あの不安、絶望、恐怖。
「パパぁ…………パパぁ……」
 泣きながら、惨めに床を這っていく。
 ずるずる……
 ずるずる……
「……ひぎゃぁんっっ!?」
 また、硬いものにぶつかる。壁だろうか。
「……パパ……ぁ……あぁぁん……うぁぁぁ……」
 動く気力も尽きて、壁に頭を押しつけたまま本格的に泣き出した。
 涙がとめどもなくあふれてくる。
 もう〈パパ〉には逢えない。
 永遠に独りぼっち。
 そんな絶望感に囚われてしまう。
「パパぁ…………」
「……ここだよ、莉鈴」
「パパっ!?」
 声は、背後から聞こえた。
 ばっと寝返りをうち、声のした方へと這っていく。
「パパ! どこ? パパ!」
 ずるずる……
 ずるずる……
「――っっ!!」
 また、頭をぶつけた。今度はテーブルだ。
「莉鈴、こっちだよ」
 声は横から聞こえる。
 〈パパ〉が移動しているのか、それとも私の方向感覚がおかしくなっているのか。
「パパ!」
 向きを変えて、進んでいく。
「……こっちだって」
「パパ!」
 必死に這っているのに、近づいている気配がまるでない。
 立って走れないのがもどかしい。
 力を振り絞って、上体を起こして膝立ちになった。全身のばねを使い、勢いをつけて立ち上がるような動きで床を蹴ってジャンプする。
 もちろん、着地のことなんて頭になかった。手が使えないから、前のめりに倒れて顔と肩をいやというほど床に打ちつけた。
 それでもすぐに顔を上げる。
「……パパ!」
「こっちこっち」
 また、声は横から聞こえた。
 ほんの少しだけ、近づいたような気がする。
 ぶつけた顔の痛みなど構わずに、もう一度、声の方へとジャンプ。
 やっぱり顔から着地してしまう。鼻をまともにぶつけて、鼻血が出たかもしれない。
「こっちこっち」
 声は、さらに近くなる。
「パパぁっっ!!」
 最後の力を振り絞って、三度目のジャンプ。
 また倒れそうになって、しかし今度は床にぶつかる前に、柔らかな感触が顔に当たった。
「……パパ!!」
 椅子やテーブルとは違う、柔らかな温もり。
 〈パパ〉の脚だった。
「パパ……パパ……パパだぁ……」
 嬉しくて仕方がない。
 また、涙があふれてくる。今度は不安のためではなく、嬉しさのあまり。
 じゃれ合う動物のように〈パパ〉の脚に顔をこすりつけながら、上体を起こしていく。
「パパ……パパ……、逢いたかった、パパぁ……」
「……莉鈴」
 鎖の音。
 首輪に鎖がつながれる。
 それだけで、安心してしまう。
 〈パパ〉とつながっていられるから。
「パパ……ぅんんっ……」
 強引に引っ張りあげられ、膝立ちにさせられる。
「あ……んんっ……んぅ……」
 唇に熱い塊が触れた。
 それがなんであるかを頭で理解するよりも先に、身体が反応して無我夢中でしゃぶりついた。
 さっきまで私を貫いていた〈パパ〉の分身。
 口いっぱいに頬ばる。
 熱くて硬い、欲望で満たされた肉の塊。
 これまで、数え切れないほど私を穢してきたもの。
 なのに今は、これが愛おしくて仕方がない。
 膝立ちで精いっぱい伸びあがる。そこからさらに鎖を引っ張られて、首が締めつけられる。
 それでも口での奉仕に専念する。
 口の中が唾液でいっぱいになる。それを塗りつけ、舌を絡め、唇で締めつけて力いっぱい吸う。
「ぅん……ぐぅ……んんっ」
 腰が突き出され、喉を拡げて押し入ってくる。
 大きな男性器が根元まで口の中に押し込まれる。
 喉がふさがれ、息が詰まって苦しい。
 それでも嬉々として奉仕を続ける。
 〈パパ〉に陵辱されることが、〈パパ〉を気持ちよくさせられることが、嬉しくて仕方がない。
 唇で、内頬で、舌で、そして喉で、〈パパ〉を悦ばせる。
 〈パパ〉は片手で鎖を引っ張り、もう一方の手で私の頭を掴んで強引に押しつけ、喉を乱暴に犯している。
 これが気持ちいい。
 気持ちよくて仕方がない。
 〈クスリ〉のせいか、あるいは視覚を奪われているせいか、触覚が普段の何倍も敏感になっているようだった。
 首輪が喉に喰い込むのすら気持ちいい。
 口の中なんて、普段の性器よりも感じてしまう。
 頭の中が真っ白になり、理性が消失する。
「んん――っ! んぅん……んぐぅ……んんん――っっ!!」
 私が絶頂を迎えた瞬間、亀頭だけを中に残して引き抜かれた。
 同時に、熱い体液の塊が噴き出して、口の中いっぱいに広がった。
 今の私にとって、それは甘露だった。母親の乳首に吸いつく赤ん坊のように、夢中で一滴残らず貪った。
 その、口に絡みつく粘液の感触すら、快感だった。
 気持ちよすぎて失神しそうだ。
 朦朧とした頭で、本能のままに未練がましく吸い続ける。無理やり引き抜かれた時には、不満の声を上げそうになった。
 〈パパ〉の腕で抱き上げられる。
 ベッドに運ばれ、仰向けに寝かされた。
 〈パパ〉が隣に座ったのを感じる。
「あ……」
 大きな手が、身体の上に置かれた。
 顔から首、胸、お腹、性器、太腿……身体全体を撫でていく。
 みみず腫れと擦り傷と低温火傷、それに打撲だらけの肌は、触れられただけでも痛い。
 だけど〈パパ〉に触れられているのだと思うと、この痛みだけで達してしまいそうだった。
「可哀想に。こんなに傷だらけになって」
 その手が一度離れ、次に触れてきた時には、ひんやりと濡れたぬめりに包まれていた。
 それが軟膏やクリームのような傷薬なのか、単なるローションなのか、はたまた塗るタイプの〈クスリ〉なのかはわからない。
 しかし、その感触は気持ちよかった。
 全身に塗り広げられていく。痛みが少しだけやわらいだようにも感じるけれど、たぶん気のせいだろう。
 次に、両乳首のピアスがつままれ、真ん中に寄せるように引っ張られた。小さな金属音の後に手が離れても、胸は不自然に中央へ引き寄せられたままだった。ピアス同士が、小さな南京錠のようなものでつながれているようだ。
 寄せられた胸の谷間に滴る、ひんやり、ねっとりとした感触。大量のローションが流れ込んでくる。
 〈パパ〉が私にまたがってくる。胸の下に重みを感じる。
「あ……ふぅん……」
 胸の膨らみに触れる、熱い感触。
 ぬるり……と谷間に滑り込んでくる。
 ピアスをつないで作った谷間に、まだ勢いを失っていない肉棒が挿し入れられた。
「んっ……ぁ……んっ」
 少し、痛い。
 傷ついた胸を擦られるのはもちろんだけれど、乳首を引っ張られることも痛い。
 胸は大きい方だとはいっても、それは華奢な体格の割に、という注釈つき、相対的な大きさの話だ。巨乳が売りのぽっちゃり系AV女優のような、簡単に男を挟めるほどの絶対的なサイズはない。
 小柄で痩せていて、胸とお尻の一部を除けば余分な皮下脂肪など皆無の身体なのだ。なのに無理やり寄せられて、けっして小さくはない〈パパ〉の男根を押し込まれて、つながれた乳首が乱暴に引っ張られる。
「あっ……っんんっ、……くぅぅ……んんっ!」
 腰を前後に揺する〈パパ〉。
 密着していた乳房とペニスが擦れあう。
 気持ち、いい。
 胸が、信じられないくらいに気持ちよかった。
 赤く腫れあがった胸は、性器と変わらないくらいに敏感になっていた。
 この行為はパイズリなどではなく、まさしくセックスだった。
 加速していく腰の動き。
 それに比例して急激に高まる快感。
 パイズリなんて、本来、実際の快感よりも視覚効果を重視して、男を悦ばせるためにある行為ではないだろうか。女の子の方がこんなに感じて、今にもいきそうになっているなんて聞いたことがない。
 感じる。
 感じすぎてしまう。
 引っ張られる乳首の痛みも、それが強ければ強いほど、快感だった。
 ……いい。
 ……もっと。
「あぁ……っ、あぁっっ! パパぁっっ! あぁぁ――――っっっ!!」
 顔に降り注ぐ白濁液を感じながら、達してしまった。
 さすがの私も初めての、パイズリでの絶頂だった。
「本当に感じやすいんだな。インラン莉鈴」
 からかうように胸をつつき、南京錠を外す。
「……うるさい……パパのばかぁ……」
 さすがに恥ずかしくて、口を開けば出てくるのは憎まれ口だ。
 目隠しされていてよかった。これで〈パパ〉の顔が見えていたらもっと恥ずかしかっただろう。
「……パパのせいで……すっごく、敏感になってるんだもの……」
「じゃあ、もっといいことをしてやろう」
 そんな言葉と同時に、爽やかなミントの香りが鼻腔をくすぐった。
 ローションよりもひやっとする、メンソールのような感触が胸に滴る。
「――――っっ!!」
 次の瞬間、その場所を激痛が襲った。
「いやぁっっ! 痛いぃっ! やだっ、パパっ!! なにっ!?」
 ひんやりとした感触が、胸を起点にして全身に塗り広げられていく。
 冷たく感じるのはほんの一瞬の錯覚。次の瞬間、それは熱さすらともなう激痛に変わっていく。
「どうだい、ハッカオイルの味は?」
「パパぁっ!? あぁぁっ! あぁぁぁぁ――っ!!」
 痛い。
 痛い。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 叩かれる時のような、皮膚の表面の、歯を喰いしばって耐えられる類の痛みではない。
 身体の中に、皮膚の下に、染み込んでくる痛み。
 全身をかきむしりたくなるような苦しみ。
 純粋なハッカオイルは、量が多ければ普通に肌に塗っても痛みをともなうものだ。傷だらけの腫れた肌にたっぷり塗りこまれれば、その効果は何十倍にも増幅される。
 死にそうな痛み。
 死んだ方がましと思えるような痛み。
 痛い。
 痛い。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 ベッドの上で悶え苦しむ。
 身体をこすりつけて拭い取ろうとしても、無駄な足掻きだった。痛みの源は、皮膚の下に浸透した刺激成分であり、痛み出してから拭っても後の祭りだった。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 これまでの責めで消耗しきっていたはずなのに、私は船上に釣り上げられたカツオのような勢いで暴れ回った。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――
 痛い――――――――――――――
 なのに――
 しばらくして痛みがいくらか治まり、冷静さを取り戻した時には、お尻の下のシーツがぐっしょりと濡れていた。
 信じられない。
 あの激痛で、どうして濡れてしまうのだろう。
 いくら大量の〈クスリ〉漬けだとしても、あんまりだ。
 疲れきっているのに激しい責めを繰り返されて、感覚がおかしくなっているのかもしれない。
 もう本当に、限界まで消耗しきっていた。
 肺が空っぽになるほどの絶叫の繰り返し。
 数え切れないほどの絶頂の繰り返し。
 それだけでも相当な体力を消耗する。
 加えて、精神的な疲労と、責めによるダメージの蓄積。
 もう、寝返りをうつ力も出てこない。
 今日はさすがに激しすぎだ。
 最初に、あまり逢えないことに対する不満を口にしたからだろうか。本当に今日一日で一ヶ月分を埋め合わせるつもりなのかもしれない。私の体力などお構いなしだ。
 いったい、ホテルに入ってからどのくらいの時間が過ぎたのだろう。
 正気を失う激しい責めの連続。
 失神もしていた。
 時間の感覚などまったく残っていない。
 それでも、〈パパ〉の責めはまだまだ終わらない。
 ベッドの上でうつぶせにされる。
 まだ目隠しされたままで、腕も脚も拘束されている。
「……あっ……ン!」
 私の中に、入ってくる。
 大きくて、固い弾力のあるもの。
 だけど〈パパ〉じゃない。大きさは似ているけれど、感覚が違う。
 生命を持たない、無機的な〈オモチャ〉。
 ずぶ濡れの秘肉を割って、奥の奥まで押し込まれる。
「あっ……パ……パぁ……、っあぁぁんっ!」
 スイッチが入れられ、モーターが唸りだす。
 私の中でぐるぐると回転し、カスタードクリームのようにとろけた粘膜をかき混ぜる。
「は……あぁぁんっ! あぁっ、あぁんっ!」
 膣口を支点にして、奥へ行くほど大きな円を描くようにうねる、擬似的な男性器。
 けっこうな大きさではあるけれど、痛みに顔を歪めるほどではない。
 ここまで激痛をともなう責めが続いていたけれど、こうした普通の愛撫が物足りなく感じるわけではない。その気持ちよさには素直に反応してしまう。
「んぁ……ぁんっ、……いぃ……あぁぁ……これ、いぃ……」
 自分から押しつけるように、お尻を高く突き上げる。
 中を締めつけ、回転に合わせて、逆に自分がいちばん強く刺激を受けるように腰をくねらせる。
 気持ちいい。
 気持ち、いい。
 だけど――
 ひとつだけ、不満。
 少しだけ、物足りない。
「あぁんっ! パ、パぁ……パパの……がいいの、……挿れて」
 〈パパ〉が、欲しかった。
 無機的な器具ではなくて、熱い、〈パパ〉の身体を挿れて欲しかった。
 そして、胎内を精で満たして欲しかった。
 欲しい。
 欲しくてたまらない。
 気持ちよくなればるほど〈パパ〉が欲しくなってしまう。
「バイヴで充分すぎるほどに感じてるじゃないか」
 皮肉っぽく言って、バイヴを乱暴に抜き挿しする〈パパ〉。
「あぁぁっっ! あんっ、でもっ! ……か、感じてるけどっ!! でもっ、パパの……方が、もっと感じるもん!」
 器具で貫かれている悦びに、性器から愛液の飛沫を撒き散らし、口から泡を吹きながらの台詞では説得力はないけれど、物理的にどちらがいいという問題ではない。
 心が、魂が、〈パパ〉を求めていた。
「……オモチャなんかより、パパがいいの!」
「そうまで言われちゃ、仕方ないな」
 挿れたままのバイヴから手を離し、〈パパ〉が背後へと回る。
 突き上げているお尻をつかまれる。
「ひゃんっ!?」
 お尻に滴る、ローションの冷たい感触。
「……や……ちょっ……パパっ!?」
 両側からつかまれ、拡げられる双丘。
 その中心に押し当てられる、固い弾力を持った熱い塊。
 力強く押しつけられる。
 小さな窄まりが、力ずくで拡げられていく。
「ぁあんっ!……そこ……っ、ちが……ぁぁんっっ!」
「莉鈴は、お尻も好きだろ?」
「すっ、好きだけどっ……でもっ! ……あぁんっ!」
 たっぷりのローションで摩擦係数が限りなく小さくなっているところに、体重をかけて腰を押しつけてくる。
 どんなに力を入れても〈パパ〉の侵入をくいとめることができない。自慢の締めつけも、成人男性の本気の力に敵うわけがない。
「んあぁっっ!! ぅんんん……あぁぁっっ!!」
 強張った括約筋が強引に拡げられる痛み。
 同時に、大きな塊が、ぬるり……と通り抜けていく。
「あぁぁ……は……ぁぁ、んんっ!」
 ゆっくり、しかし一瞬もとどまることなく、侵入してくる。
 お尻が、熱い。
 深く、深く、〈パパ〉が入ってくる。
 膣と違って行き止まりがないから、どこまでも深く入ってくる。
 直腸で、熱い肉塊の存在を感じる。
 息が苦しい。
 薄い粘膜の壁を隔てたところでは、まだ、大きなバイヴが膣内を満たし、機械の力で休むことなく暴れている。
 そこへ、〈パパ〉が加わる。
 細い、華奢な下半身の中に、大きな異物がふたつ。
 小さな身体を内側から押し拡げ、内臓を圧迫し、中でぶつかりあって私を蹂躙する。
「あぁっ! や、あぁぁ――っっ! あぅんっ、く……ぅん! だ……めぇっ、パパぁ――っ!」
 〈パパ〉は腰を激しく打ちつけながら、バイヴをつかんで乱暴に抜き挿しする。
 膣よりもさらにきついお尻への陵辱。しかも前後同時で、中にはまったく余裕がない状態。
 その刺激は強すぎて、それ故に気持ちよすぎた。
「パパぁ――っっ! あぁぁ――……っっ」
 首輪の鎖を引っ張られ、首が仰け反る。
 気管がまともに締めつけられ、息が止まる。
 脳への酸素の供給が滞り、目の前が暗くなっていく。
 身体が浮遊感に包まれる。
「………………っっっ!!」
 お尻の奥にほとばしる熱さを感じながら、また、意識を失ってしまった。


 その後も〈パパ〉は手を変え品を変え、私を陵辱し続けた。
 私は何度も泣き、叫び、快楽を極め、失神した。
 すべてが終わってホテルを出た時には、外はもう真っ暗だった。
 破かれた服の代わりに〈パパ〉が用意していた新しい衣類を身に着けた私は、車の助手席でぐったりしていた。
 〈クスリ〉が抜けたせいで、真夏だというのにひどく寒い。そして、ひどい倦怠感に包まれている。
 たぶん〈クスリ〉の副作用を抜きにしても、動けないほどに疲れきっているのだろう。今日の責めの激しさを考えれば、むしろ生きているのが不思議なくらいだ。
 全身が痛い。
 だけど、ひどく眠い。
 それでも私は必死に意識を保っていた。〈パパ〉といられる残りわずかな限られた時間、少しでも無駄にはしたくない。
 車に乗ってからずっと、私はシートベルトを外して横になり、〈パパ〉の脚の上に頭を預け、〈パパ〉を口に含んでいた。
 〈パパ〉とつながっていたかった。
 〈クスリ〉が抜けて、津波のように押し寄せていた快感がなくなった分、少しでも〈パパ〉を感じていたかった。
 朦朧とした頭。今にも意識を失いそうな疲労。全身を襲う痛みさえ、心地よい夢の中の感覚のよう。
 その中で、口の中に在る〈パパ〉だけが、唯一、現実感のある存在だった。
 それは、今日一日、幾度となく私を貫き、犯し、陵辱したもの。
 私に数え切れないくらい快楽の頂を越えさせ、狂わせたもの。
 世界でいちばん、愛おしいもの。
 この世でいちばん、忌むべきもの。
 一瞬だって見たくもないもの。
 ずっと、感じていたいもの。
 唇や舌と同調するように、手も、スカートの中で蠢いていた。
 下着はつけておらず、そこは相変わらずの泥沼だった。
「あれだけしたのに、まだ足りないのか?」
 私にされていることなど気づいてもいないかのように平然とハンドルを握っていた〈パパ〉が、呆れたように苦笑する。
「……こんなカラダにしたのは誰よ!」
 他でもない、この〈パパ〉だ。百パーセントではないにせよ、責任の大半はこの人にある。
「……ねえ、やっぱり、泊まっていけないの?」
 何度目かのその台詞は、自分で思っていた以上に哀しげな声になった。
 一ヶ月分を一日に濃縮したような激しい行為だったけれど、いや、だからこそ、それだけでは満足できなかった。
 もっと、ずっと、余韻に浸っていたい。
 このままお別れなんて、寂しくて泣いてしまいそう。
「残念だけど、今夜の便で南米に飛ばなきゃならないんだ」
「…………そう」
 哀しげにうつむいて、また、〈パパ〉を口に含む。
 残り時間はもう秒読み。一秒でも長く〈パパ〉を感じていたい。
 だけどそんな時ほど、時間は無情なほどに速く流れてしまう。私の感覚ではあっという間に、車は私が住むマンションに着いてしまった。
「……莉鈴」
 手が、頭に触れてくる。
 未練がましくくわえ続けている私を引き剥がす。
 顔を上げさせて、唇を重ねてくる。
 私は舌を伸ばして〈パパ〉の唾液を貪った。
 そうしていられたのもほんの数秒間のこと。〈パパ〉は私から離れると、車から降りて助手席のドアを開けた。
 とても自力で立って歩ける状態ではない私を抱き上げて歩き出す。建物の中に入り、エレベーターのボタンを押す。
 私は少しでも接触面積を増やそうと、ぎゅっとしがみついていた。
 〈パパ〉の温もり。
 まもなくそれがなくなってしまうと思うと、気が狂いそうだった。
 このまま、エレベーターが故障すればいいのに――そんな想いも虚しく、すぐに家の前に着いてしまう。
 〈パパ〉はそっと私を下ろし、倒れないように支えてくれている。
「……少し、うちに寄っていかない?」
 最後の悪あがき。
 飛行機の出発時刻が迫っているのはわかっているけれど、感情が納得してくれない。離れたくない。
「そこは、けじめをつけないとな」
 あっさりと言う〈パパ〉を無言で睨みつける。
「日本に戻ったら、また連絡するよ」
 慣れた態度で唇を重ね、軽く舌を絡めてくる。
 悔しい。
 私はこんなにも切なくて、哀しくて、寂しくて。
 なのに〈パパ〉は余裕しゃくしゃくで、私と離れることなんてなんとも思っていないみたい。
 それが、悔しい。
 とても、哀しい。
 だから、なんでもない風を装って、ぷぃっと視線を逸らして家の鍵を開けた。
「……いつまでも放っておいたら、また浮気するんだからね」
 背中を向けたまま、捨て台詞。
 ああ、もう。
 こんな、子供っぽい態度。
 拗ねているのがあからさまではないか。
 なのに、言わずにはいられない。
 それが、悔しい。
「……またね!」
 怒ったように言い捨ててドアを開ける。それと同時に肩をつかまれ、振り向かされた。
 もう一度、キスされる。
 舌が熱い。
 頬が紅くなってしまう。
 〈パパ〉は笑っている。私の心情など知り尽くしているという、余裕の笑みだ。
 悔しい。なのに、頬が緩みそうになる。それをこらえて、唇を尖らせて上目遣いに睨んだ。
「……愛してるよ、莉鈴」
「――――っっ!」
 けっして口先だけではない、優しい言葉。
 そう。
 〈パパ〉が私に陵辱の限りを尽くすのは、単に自分の性欲を満たすためではなく、私を愛しているからなのだ。
 誰よりも愛しているからこそ、誰よりも私をめちゃめちゃにしなければ気がすまない。
 ある意味、子供っぽい独占欲。
 それがわかっているから、「愛してる」なんて言われると怒りを維持できなくなってしまう。泣き笑いの表情になりそうなところを必死にこらえる。
「……私も愛してるわ、パパ」
 呪いの言葉でも吐くような口調でつぶやくと、家に入って後ろ手にドアを閉めた。


 ドアを背にして、寄りかかるように立つ。
 〈パパ〉の腕の支えがなくなって、自分の脚だけでは立っていられなかった。
 ドアの向こうで、〈パパ〉の足音が遠ざかっていく。
 それが聞こえなくなると、脚から完全に力が抜けて、寄りかかっていてさえも立っていられなくなった。
 ずるずると頽れる。

 暗い――

 明かりをつけていない、真っ暗な玄関。

 寒い――

 〈パパ〉の温もりが完全になくなると、凍えそうなほどに寒かった。

 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 寒い――――

 今日一日、傍にあった温もりがなくなってしまった。
 全身の痛みすら、感じなくなっていた。
 なにも、ない。
 絶対零度の虚空に放り出されたかのような、寒さと心細さに包まれる。

 逢いたい――

 〈パパ〉に、逢いたい――

 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。
 逢いたい。

 どんなに願っても、その想いは叶わない。
 これから数十時間、私と〈パパ〉の距離は離れていく一方だ。

 痛い――

 肉体の痛みは、感じない。
 その代わり、心が痛かった。

 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。

 鞭の痛みなど比べものにならない痛み。
 身体の外からの加撃による痛みよりも、関節や骨、臓器といった身体の内部の痛みが耐え難いように、心の内側から込みあげてくる痛みはさらに耐え難いものだった。
 その痛みの中から噴き出してくる、どす黒い負の感情。
 清水を満たしたグラスに落とした墨の雫のように、心の中が黒く覆われていく。

 今日一日、いったいなにをしていたのだろう。

 あの男に、陵辱の限りを尽くされていた。
 身体中、あらゆる場所を犯され、穢され、ありとあらゆる辱めを受けていた。

 ……それは、いい。

 だけど……

 私は、それに対してなにをしていたのだろう。

 気持ちよくて、悶えて、喘いで、数え切れないほど何度も何度も快楽の頂を極めて。
 何度も何度も何度も何度もあの男を求めて。
 穢らわしい体液で、口を、子宮を、直腸を、満たされて悦んでいた。
 あらゆる陵辱が、至高の悦びだった。

 いやだ――
 そんな自分が、いやだ。

 いやだ。
 いやだ。
 いやだ。
 いやだ。
 いやだ。
 いやだ。

 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。
 穢らわしい。

 自分の身体を抱くようにして、皮膚に爪を立てる。
 爪が肌に喰い込んで血が滲んでいるはずなのに、痛みも感じない。

 穢れた、身体。
 穢れた、心。
 償いようもない、無数の罪を背負った忌まわしい存在。
 その存在のすべてを否定したい。

 死にたい――

 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。

 ――――死んでしまいたい。

 無意識のうちに手が動いて、玄関に放り出したはずのバッグを探していた。
 今日は私服なので、持っていたのは小さなハンドバッグだけれど、もちろん剃刀は入っている。
 バッグが手に触れた。
 暗闇の中、手探りで剃刀を探す。
 それは、すぐに見つかった。
 手に馴染んだ、小さな凶器。

 だけど――

 足りない。
 これでは、足りない。
 もう、これではだめだ。
 今の私に必要なのは、こんな小さな刃ではない。
 もっと、もっと、もっと、もっと、大きな刃。

 心臓を剔れるような。
 首を斬り落とせるような。
 そんな、刃。

 家にある、いちばん大きな凶器はなんだろう――真剣に考える。
 出刃、柳刃、それとも鋸。
 キッチンと物置、どちらを探せばいいだろうか。
 そのためには、とにかく移動しなければならない。
 だけど、立ち上がる体力も気力も残っていない。
 玄関で座り込んだまま、動けなかった。
 もう一度、バッグの中を探る。
 なにか、ないだろうか。
 飴とか、チョコレートとか。立ち上がって、ほんの少し移動する力を与えてくれるなにかが。
 そう思って手を動かしていると、いきなりバッグが震えた。
 突然のことにバッグを放り出しそうなほど驚いたけれど、すぐに、携帯電話だと気がついた。〈パパ〉との逢瀬を邪魔されたくなくて、朝、カフェにいた時からずっとマナーモードにしていたのだ。
 手にとって開く。
 暗闇の中で、長方形の明かりが浮かび上がる。

 そこには〈早瀬〉という文字が記されていた。

「………………誰?」
 本気で、そう思った。
 想い出すには、少なくとも数秒の時間が必要だった。
 絶望的な想いに囚われていた頭が、多少なりともまともに動きはじめるには、それだけの時間がかかった。
 朝のカフェから今までずっと、〈パパ〉との今日の出来事が私にとっての〈すべて〉だった。
 それだけが、頭の中の、心の中の、すべての領域を占めていた。
 そこへ遠慮なく土足で上がり込んでくるような男は、ひとりしかいない。
「…………」
 さらに数秒待って、それでも呼び出しが続いているので受話ボタンを押した。
「………………なに?」
 機械の方がよほど暖かみがあるだろう、という無機的な声だった。
『ああ、ようやくつながった。……今日、なにしてたんだ?』
「…………あなたには関係ない」
 早瀬の口ぶりだと、これまで何度か連絡していたのだろうか。
 そういえば今日は平日だった。学校を休んでいればやっぱり気になるのだろう。
 体調のせいか精神状態のせいか、私の声はいつもにも増して無機的だった。
 最近では珍しい反応だ。関係を持ちはじめた頃はともかく、近頃、早瀬に対しては、無機的というよりも不機嫌そうな態度をとることが多かった。
 電話の向こうから、やや戸惑っているような気配が伝わってくる。
『あ……えっと、ちょっと話があるんだけど……これから、会えないか?』
 その台詞に、微妙な違和感を覚える。
 いつものお誘いなら、ただ「会えないか?」と訊いてくる。わざわざ話があると言うからには、用件はいつもの〈性欲解消〉ではないのだろうか。
 他に考えられるとしたら「カヲリにばれたから、もうやめにしよう」とかかもしれない。
 だったら電話ですませればいいのに。わざわざ、さらに誤解を重ねるようなことすることもあるまい。
「……電話で、すませられない用?」
「ああ……ちょっと、直に話したい」
「…………」
 しばし考える。
 今、私が早瀬の家へ行くことはもちろん不可能だ。立つことすら難しい。少しでも気を抜けば、意識を失いそうな状態だ。
「……だったら、うちに、来て」
『いいのか?』
「……鍵は開けておくから、勝手に、入って」
 早瀬が着く前に力尽きてしまうかもしれないから。
 それだけ言って、返事も待たずに電話を切った。そこで、電話の着信とメールの受信を示すアイコンの表示に気がついた。やっぱり、何度も連絡を取ろうとしていたらしい。
 それほどの急用なのだろうか。
 用件がなんであろうと、私には関係ない。どうでもいい。
 携帯をバッグにしまって、大きく溜息をついた。
 力を振り絞って身体を動かす。
 靴を脱ぎ捨て、立つ力はないので這うようにして自室へ向かった。
 身体に力が入らない。自分が大きな蛞蝓にでもなってしまったかのような感覚だった。
 痛い。
 身体中がひりひりと痛む。
 床に当たって擦れるたびに顔を歪める。
 自室に入ると床には絨毯が敷かれているけれど、このぼろぼろの身体にとっては、フローリングの廊下との違いは気休めにもならなかった。
 立って照明のスイッチを入れることもできなかったので、暗がりの中を手探りで進んでベッドに這い上がった。
 横になったまま、服を脱ぐ。
 今日、〈パパ〉にもらった可愛いドレス。下着を着けていなかったので、お尻の下がぐっしょりと濡れていた。
 服を放り投げ、ソックスも脱ぎ捨てる。
 全裸のまま、毛布に簀巻きのように包まった。
 痛い――
 全身の皮膚が、毛布に擦れて激痛を発している。
 その痛みが、まるで、まだ〈パパ〉に陵辱されているかのような錯覚をひき起こす。
 痛い。
 泣くほどに痛い。
 だから、いい。
 また、新たな蜜が湧き出してくる。
「んっ……んくぅっ……ぅん、くぅぅんっ!」
 今日、されたことの感覚が、鮮明に甦ってくる。
 肉体に深く刻み込まれた陵辱の記憶が呼び覚まされる。
 〈クスリ〉。
 首輪。
 スパンキング。
 鞭。
 蝋燭。
 ハッカオイル。
 バイヴ。
 そして〈パパ〉の手。
 舌。
 逞しいペニス。
 そのすべての感覚が、一度に襲ってくる。
「あ……はぁ……んっ! あぁ……っ! く……ぅぅんっ!」
 自分の指で慰める必要すらない。
 毛布に包まって想い出すだけで、達してしまう。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 ただ〈パパ〉との行為を反芻することだけに夢中になり、その感覚だけに浸りきって、他のなにも考えられなくなってしまう。

 だから――

 携帯の着信音が鳴ったことにも、玄関チャイムが鳴ったことにも、そして、早瀬が部屋に入ってきたことにも気づかなかった。


「北川……」
 急に周囲が明るくなって目を開けると、早瀬が部屋に入ったところで立っていた。
 私服姿で、手には小さなバッグを持っている。もう一方の手が、照明のスイッチに触れている。
「……」
「……えっと……返事がなかったから。……勝手に入っていいって、言ったよな?」
「…………ええ」
 覚えていないけれど、早瀬がそう言うのならそうなのだろう。今はどう考えても早瀬の記憶力の方が信用できる。
 早瀬の顔は微かに紅いように見えた。私がなにをしていたのか、気づいているのだろう。
 脱ぎ捨てられた服とソックスを見れば、毛布の下の姿は容易に想像できるというものだ。きっと、声も聞かれていたに違いない。
「取り込み中……だったか?」
「……ええ……かなり」
 正直、いいところを邪魔されたという気分だった。
 その一方で、助かったという想いもある。
 早瀬の来訪で中断されなければ、明日の朝まで、あるいはそれ以上、あの感覚に浸りきっていたはずで、その時間が長ければ長いほど、正気に戻った時に思考が負の方向へ向かう反動も大きいのだ。
「具合、悪いのか?」
「……ええ、かなり」
 同じ言葉を繰り返し、ひと呼吸おいてから付け加える。
「……〈デート〉だったから」
 早瀬の表情が微かに、しかし誤魔化しようもないくらいに固くなった。
「あ……それで休んだのか? 昼間っから……援交?」
 本人は感情を抑えているつもりでも、責めるような口調だった。
「……援交じゃない、って言ったら?」
 表情がはっきりと強張る。
「……冗談よ。……すっごく気前のいい〈パパ〉と〈デート〉よ」
 そう言いながらも、多少の白々しさを覚える。
 実際のところ、あれは〈援交〉なのだろうか。
 確かにあの〈パパ〉は、たくさんのお小遣いも、高価なプレゼントもくれるけれど、それは〈セックスの対価〉ではない。セックスそのものと同様に、あの人の愛情表現なのだ。
 しかし、それをいったら他の人との〈援交〉だって、私としてはお金や物を目当てにしているわけではない。
 そうなると、援助交際の定義とはなんだろう。
 判断の難しい精神的な部分は抜きにして、純粋に行為で考えるべきだろうか。
 恋人や夫婦ではない相手と性的な関係を持ち、金品を受け取れば援交――と。
 とはいえ、普通の恋人同士の多くも似たようなものではないだろうか。学生はともかく、社会人であればクリスマスや誕生日には値の張るプレゼントを贈るのが普通だろう。
 では、金品の流れが一方通行かどうか――だろうか。
 その定義も絶対ではない。私ですら、今日の〈パパ〉には誕生日のちょっとしたプレゼントとクリスマスのカード、ヴァレンタインのチョコレートくらいは贈っている。
 それに世の中、恋人や夫婦という名目であっても、相手の経済力が主たる目的というカップルは皆無とはいえまい。
 結局のところ、援交か否かなんてものは心の持ちよう次第ということになってしまう。
 そうなると、私のしていることはどれも〈援交〉ではない。
 あれは、援助交際の姿を借りた〈自傷行為〉だった。
「…………」
 いくら考えても、結論は出ない命題だった。無意味な思考を打ち切って、意識を早瀬に戻した。
「……で、話って?」
「あ、えっと、これ……なんだけど」
 躊躇いがちにバッグから取り出したのは、一枚のDVDケースだった。
 一目見ただけで、それがなんであるかは理解できた。
 中学生くらいの女の子が、半裸で、複数の男たちに弄ばれているパッケージ写真。
 私は小さくうなずいた。
「……ええ、〈私〉よ。それがなにか?」
 そう。
 それは、以前出演したアダルトDVDのひとつだった。おそらく、一年くらい前のものだろう。
 しかし、どうして早瀬がそれを持っているのだろう。
「……わざわざ、探して買ったの? 欲しければ……あげたのに」
 無修正のロリータもの。どこでも容易に入手できる品ではないはずだ。
 しかし、早瀬は首を左右に振った。
「いや、そうじゃなくて」
「……なくて?」
 早瀬自身も、状況が飲み込めずに戸惑っているような表情だった。
「俺の、鞄に入ってたんだ」
「……どういう、こと?」
 言われている意味が理解できずに、毛布に包まったまま顔を上げた。
「俺にもわかんね。今日、部活が終わって家に帰ってから鞄の中を見たら、これが入ってた。……学校で、誰かがこっそり入れたとしか考えられねーけど」
「……誰が?」
「それがわかんねーから、こうして来てる」
「…………そうね」
 どういうことだろう。
 動機だけなら、すぐにでも思いつくのだけれど。
「……〈犯人〉は、例の〈噂〉を快く思っていない誰か、ね。それを見れば、早瀬が私に愛想を尽かすかも……と考えた」
「……ああ」
 戸惑いがちに、早瀬もうなずく。
 ふたりの間で、〈噂〉のことや、現在の教室の状況などが話題に上ったのは初めてだった。夏休み後に逢っていた時も、お互い、そのことにはあえて触れずにいた。
「私たちの関係を終わらせたがっている――そんな動機を持つ人物。……それは、あなたの方が心当たりがあるのではなくて?」
 最有力候補は茅萱カヲリ。ただし、これまでの様子を見る限り、実行犯はその友人たちの過激派で、本人はなにも知らないのかもしれない。
「……悪い。なんか、うるさいことになってるな。……カヲリは別に……彼女ってわけじゃないんだけど……」
「……別に、どうでもいいわ」
 あなたのせい、という台詞は呑み込んだ。
 本音では、多少は煩わしいことではある。しかし、早瀬を責めてどうにかなることでもないし、そんな情熱もない。
 本当に煩わしくなったら、その時点で切り捨てればいいだけの相手だ。
「それより……動機のある容疑者はすぐ思いつくとしても、本当に実行可能だったかどうかは別よ?」
「どういう意味だ?」
「私が出演しているDVDがどれかなんて、誰が知ってるって?」
 遠藤や木野なら、AV出演が単なる〈噂〉ではなく〈事実〉であることを知っているけれど、彼女たちにもタイトルなど教えていないし、もちろん見せたこともない。
 タイトルも出演女優の名前も知らずに、無数に存在するアダルトDVDの中から、知人が出演している作品を見つけられるものだろうか。私の場合、学校にいる時とAV撮影時とでは容姿や雰囲気も変えているから、なおさら難しい。
「それ、無修正よ? しかも、現役中学生の。日本はもちろん、欧米でだって当然違法。どこでも売ってるものじゃない。ネットの闇ルートでは通販できるらしいけど、普通の女子高生が偶然見つけられるものじゃないと思う」
 そう考えると、入手ルートは謎だ。まったく、わけがわからない。
 とはいえ、私が気にすることではないのかもしれない。動機は明白だし、その結果がどうなろうと知ったことではない。
 早瀬が、いまさらこれくらいで愛想を尽かすとも思えなかったけれど、そうではなかったとしても私が困るわけではない。
「……で、もう、見たの?」
「……いいや」
 首を振る。
 その表情から察するに、〈見たくなかった〉のではなく〈私に気遣って見なかった〉と思われた。別に、遠慮することでもないのに。
「見ても……いいわよ?」
 毛布の中から手だけ出して、テレビとDVDプレーヤーを指さす。
「…………いいのか?」
「興味、あるのでしょう? 見てみなさいよ、私が、他の男たちにどんな風に抱かれてるのか」
「……」
 不快そうな、しかし、気になって仕方がないといった表情。
 私としては、別に、早瀬に見られたってかまわない。むしろ、見せた方がいいかもしれない。
 以前、〈デート〉の後に早瀬と逢った時のことを考えれば、これを見ればもっと乱暴に犯してくれるだろう。
 早瀬はテレビとプレーヤーの電源を入れ、ディスクをセットした。
 再生がはじまる。


 特に、ストーリィがある作品ではない。
 家出して行くあてのない中学生の女の子が、お金と一夜の宿と引き替えに男たちに弄ばれる――という設定だ。
 マンションの一室。
 まだあどけなさの残る少女――私――が、ソファに座っている。〈色気〉をぎりぎりまで抑えたいかにも子供っぽい雰囲気で、中学生どころか小学生に見えなくもない。
 ぎこちない笑みを浮かべて、顔の映らない男たちの質問に答えている。
 少しずつ、手を伸ばして触れてくる男たち。
 不安げな表情――もちろん演技の――を浮かべながらも、されるままになっている私。
 ローターが胸や股間に当てられる。
 切なげな声を漏らす。
 服が脱がされていく。
 子供っぽいパンツ一枚という姿で、いくつものローターで執拗に責められる。
 下半身がアップになると、パンツには楕円形の染みができている。
 それも脱がされる。
 濡れそぼった小さな割れ目が拡げられる。
 男たちの指とローターが、直に触れてくる。
 〈私〉は悲鳴じみた、しかしどこか甘い声を上げて悶える。
 指が、中に挿れられる。
 わざと、痛そうな表情を見せる。
 男たちは膣内を指で責めながら、クリトリスをむき出しにしてローターを当ててくる。
 悲鳴。
 小さな身体が弾む。
 逃れようと腰を振る。
 押さえつけられ、ふたつのローターでクリトリスを挟まれる。
 失禁しながら、最初の絶頂を迎える。

 場面はベッドルームに変わる。
 男たちのペニスが唇に押しつけられる。
 恐る恐る、舌を伸ばす〈私〉。
 いかにも慣れていない様子の、ぎこちないフェラチオ。
 それでは物足りないのか、頭をつかんで乱暴に口を犯す男。
 苦しそうに顔をしかめ、嗚咽を漏らす。
 その顔に降り注ぐ白濁液。
 ぐったりとした〈私〉の脚を拡げ、間に身体を入れてくる男。
 子供っぽい女性器に押し当てられる、赤黒い凶器。
 腰が突き出される。
 悲鳴が上がる。
 暴れる〈私〉を押さえつけて、根元までねじ込んでくる。
 痛みのあまり泣き叫んでもかまわずに、激しく腰を前後させる。
 何度も体位を変え、小さな膣を蹂躙する。
 やがて、呻き声とともに男が身体を震わせる。
 〈私〉もか細い悲鳴を上げる。
 アップで映し出される下半身。男のものが引き抜かれると同時に、収縮する膣から大量の精液があふれ出て、無毛の股間を汚していった。

 また、場面が変わる。
 ブルマに体操服という姿にされている〈私〉。
 紅いロープで亀甲縛りにされている。
 また、ローターやバイヴ、マッサージ器が当てられる。
 最初は服の上から。
 やがて、胸の部分や股間が鋏で切りとられて直に。
 縛られて身動きできない状態で、身体を捩って悶えている。
 両乳首に、ローターがテープで貼りつけられる。
 バイヴが深々と挿入され、スイッチが入れられる。
 同時に、マッサージ器が股間に押し当てられる。
 切羽詰った叫びを上げる私にかまわずに、責めを続ける男たち。


 ちらり、と早瀬を見た。
 ひどく恐い顔で、しかし片時も視線を逸らさずに画面を見つめている。
 怒っているのか。
 興奮しているのか。
 おそらく、その両方だろう。
「……あんなこと、してみたい?」
「え?」
 いきなり声をかけられて、驚いたようにこちらを向く。
 私はテレビを指さした。
「……あんな、こと」
 そこに映っているのは、縛られて、様々な〈オモチャ〉で責められている〈私〉の姿。
「あなたってば、自分でもやってみたそうな顔で見てるわよ?」
「……」
 早瀬は複雑な表情だった。
「……北川が、あーゆーことされてるのを見ると……すっげー腹立つんだけど、でも……」
「……興奮、してるくせに」
 この位置からでは股間は見えないけれど、わかる。
 恐い顔で画面を見ながら、私を犯している時と同じ、獣のオーラを発している。
「ああ……くそっ、むかくつけど、すげー興奮する。それに…………したい。他の男があんなことしてるのに俺がしたことないって、気に入らねぇ。だから……北川が、いやじゃなければ……」
「……いやがると、思う?」
「…………いや」
 これまで、早瀬にされることで嫌がったといえば、傷の手当くらいしかない。
「……あなたも、あんなことに興奮するのね」
「普通……するだろ? それに、……俺が、乱暴なこと好きなのは知ってるだろ」
「……しても、いいわよ?」
 そう言って、引き出しのひとつを指さした。
 私の顔を窺いながら引き出しを開けた早瀬は、驚いたように目を見開いた。
 そこに入っているのは、様々な〈器具〉だった。
 首輪、手枷、足枷、バイヴ類、蝋燭、ロープ、ローションや様々な媚薬。
 主に、〈パパ〉とデートした時のお土産だ。
「これ……?」
 眉をひそめる早瀬。
 戸惑った様子で、手にとって眺めている。
「……ご自由に、どうぞ?」
「こーゆーの……いつも使ってンの?」
「……時と場合による。手錠とか、さすがに、ある程度は信用できる相手じゃないと怖いし」
 そう言った時の表情の変化で、失言だったと気がついた。早瀬の口元に浮かぶ、微かな笑み。
「俺は一応、信用されてるんだ?」
 信用といえば確かにある種の信用かもしれないけれど、ここで喜ばせてやる必要はない。つけあがらないように釘を刺しておいたほうがいい。
「……あなたの場合は、拘束されていようといまいと、なにも抵抗できないことに変わりないから。あなたなら、腕一本で私をひねり殺せるでしょう?」
 信用などしていないと言外にほのめかすと、さすがに少し機嫌を損ねたようだ。
 むっとした表情で、長い鎖のついた紅い首輪をつかんで私の傍に来た。
 それを、私の首に当てる。
 早瀬もまず首輪を選ぶとは、変なところで似ている。
 首輪をはめようとして、しかしそこで不審そうな表情を見せた。
 首に残る痕に気づいたのだろう。
 今日ずっと首輪をはめられ、首に喰い込むほどに引っ張られた痕。
 さらに不機嫌な顔になって首輪を装着する。それは穴ひとつ分締め過ぎで、少し苦しかった。
 そして、私がくるまっていた毛布を剥ぎ取る。
 瞬間、手が固まり、目を見開いて表情が凍りついた。
 今日は初めて早瀬の前に曝す肌。
 腕も、脚も、お腹も胸も、無数のみみず腫れが網の目のように走り、いくつかの出血と低温火傷も加わって、不自然に紅く腫れていた。
「き、北川……これ……?」
 さすがに驚いた様子だった。
 これまで、早瀬の目に曝したことのある〈他の男の痕跡〉といえば、キスマークと縄の痕くらいのもの。はっきりとした〈傷痕〉は初めてだ。たいていの男子高校生にとっては衝撃だろう。
「……言ったでしょう? 今日は〈デート〉だったって」
「いや、でも、これは……」
 普通なら、無視できる傷ではない。病院へ行ったら、きっと暴行事件扱いだ。
「だ、大丈夫なのか?」
「……あまり、大丈夫ってわけでもないけど……慣れてるし。痛いことされて感じるのは、よく知ってるでしょう?」
 早瀬とのセックスは、単なる挿入でさえ少なからぬ痛みをともなう。それでも蜜をあふれさせている私なのだ。
「それは……知ってるけど」
「……今日は……凄かった」
 少しだけ、うっとりとした口調。
「……休む間もなく、いき続けた感じ」
 早瀬の手をつかんで胸に触れさせる。
「んっ……」
 柔道で鍛えられたごつい手が傷に触れる痛みに、小さく呻いて顔をしかめた。
 その痛みは、やっぱりよかった。
 快楽の記憶が再現される。
「凄かった……めちゃめちゃに陵辱されて、何十回も、何百回も、いきまくった。そして……」
 醒めた目で見つめる。
「……あなたとするより、何百倍も感じた」
 そこは挑発するというよりも、ただ淡々と事実を述べるように言った。
 その方がより効果的なはずだった。
「……誰でもいいわけじゃない。ここまでさせる相手はひとりしかいないわ」
 認めるのは癪ではあるけれど、あの〈パパ〉がよくも悪くも〈特別〉な存在であることは否定しようがない。
 そんなニュアンスが通じたのか、早瀬の表情がみるみるきつくなった。
 傷痕を目にした瞬間から薄れていた獣の気配が、より色濃く放たれる。
 それは、凶暴な野生動物の群れに君臨する絶対的なボスに挑もうとする、若い雄の姿だった。
 万力のような力で私の腕をつかみ、乱暴に身体をひっくり返す。
 首輪につながった鎖を仰け反るほどに引っ張り、背中の後ろで組ませた手にきつく巻きつけた。
 革の首輪が喉に喰い込む。身体は柔らかい方だけれど、無理やり背中に回された腕の筋が痛んだ。
 早瀬は私の後ろに移動し、お尻をつかんで持ち上げると下半身を押しつけてきた。
「あっ……んんんっ!」
 前戯など不要なほどに濡れ、まだ充血したままの膣に突き挿れられる、巨大な熱い塊。
 いつもと同じ、いや、いつも以上に乱暴な挿入だった。
「あぁぁっ! んんっ……んぐぅっっ!」
 反射的に身体を丸めそうになる。しかしその動きは、鎖を引っ張り、首と腕にいっそうの負荷をかける結果になった。
 息が詰まる。
 背骨が軋む。
 長大な肉棒を根元まで押し込むと、早瀬はお尻をつかんでいた手を離し、身体の前に回して胸をわしづかみにした。
 ふたつのふくらみは、今日もっとも激しく痛めつけられた部位のひとつだ。それを握り潰さんばかりに喰いこんでくる太い指。
 痛みを認識する間もなく気を失いそうな刺激だった。
 百キロ近い巨体が、背後から覆いかぶさってくる。
 小さな身体が押し潰される。
 肺が圧迫されて息ができない。
 傷だらけの胸が、お腹が、ベッドに押しつけられてさらなる痛みを引き起こす。
「ぅぐ……ぅぅんっ! んっ……くふぅぅっ! んぁぁんんっっ!」
 それは、至福の時だった。
 これまでの早瀬とのセックスの中で、いちばんよかったかもしれない。
 〈パパ〉とのデートが日帰りだった夜は、その虚しさを埋めるために、被虐の感覚を反芻しながら一晩中自慰に耽るのが常だった。
 しかし、そんなことで満たされるものではない。
 全然、足りない。
 むしろ、自己嫌悪、自己否定の感情が膨らむ一方だ。
 だけど、今は違う。
 早瀬に陵辱されているおかげで、よりリアルな、より鮮明な感覚が甦ってくる。
 理性を破壊するほどの激しすぎる責めは、余計なことを考える余裕も与えない。
 ただ、快楽に浸っていられる。
「ぁ…………、――――――っっ!!」
 私はたちまち絶頂を迎えてしまったけれど、もちろんそれで終わるわけはない。早瀬の責めは一瞬も止まらずに続いた。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 何十分も。
 何時間も。
 部屋にあった、様々な〈器具〉を使って。
 夜が更け、日が変わり、空が白みはじめるまで。
 よほど腹を立てていたのだろう。失神することさえ許されなかった。
 気を失うたびに、無理やり起こされ、犯された。
 ようやく解放された時には、カーテンの隙間から朝陽が射し込んでいて。
 身体には〈パパ〉につけられた傷に加え、無数のキスマークと、いくつかの歯形が増え、お尻はさらに腫れあがっていた。


 夜明け頃に眠って、目を覚ましたのは昼過ぎだった。
 最初に目に入ったのは、私を見おろしていた早瀬のにやけ顔。
「…………なに?」
「……いや、北川の寝顔に見とれてただけ」
 くだらない。
 小さく溜息をつく。
 いつの間にか拘束は解かれていたけれど、身体中が痛くて、その上、空腹で力が入らず、まったく動ける状態ではなかった。
 ぼんやりと天井を見つめていると、早瀬が訊いてくる。
「そういえば北川、家の人、いないのか?」
 私が目を覚ました時、どことなくほっとしたような表情を見せていた。早瀬とここでセックスしたのはまだ二度目だし、前回は夜明け前に帰っていたはずで、私の家族と会ったことはない。私が寝ている間に親が顔を出したら気まずいと、不安だったのかもしれない。
「…………いないんじゃない?」
 少し考えてから答えた。
 普段、家に男を連れ込むことなどないのに、明け方まで激しい行為を続けていてなにも言われなかったということは、母は帰っていないのだろう。
「北川のとこって……親、離婚してるんだよな? 一緒に暮らしてるの、お母さんだっけ?」
 やや遠慮がちに訊いてくる。
「ええ。水商売だし、外に男がいるから、この家には帰らない日もあるわ」
「……ひょっとして……仲、悪い?」
 素っ気ない口調に含まれる負の感情は、早瀬にも伝わったようだ。
「ええ」
 母は私の素行にすっかり匙を投げているし、私も彼女を嫌っている。それでも〈あの女〉が私の親権者である理由は、もともとは父の名義だったこのマンションと、少なからぬ私の養育費が目当てだからに他ならない。
 向こうも留守がちで、私も外泊が多く、家にいる時は部屋にこもっているから、顔を合わせることなど週に片手の指の数もない。言葉を交わすことはもっと少ない。
 こちらとしても、まだ十五歳の私には保護者が必要だから、仕方なく一緒に暮らしているだけだ。
 そういえば――
 いまさらのように気がついた。
 私も、早瀬の家族とはまだ一度も会ったことがない。
 まるでひとり暮らしのような印象を受けるけれど、単身赴任の父親はともかく、母親は実際のところ週の半分くらいは家にいるはずだ。
 しかし早瀬が私を呼ぶ理由を考えれば、親がいない日を選ぶのは当たり前のことで、母親が家にいる時にどうしても我慢できなくなれば、逢うのはラヴホテルになる。
「家族がいないなら……もうしばらく、ここにいてもいいか?」
「…………あんまり、歓迎はしないけど」
 だけど追い出すほどではない、という台詞は、口に出さなくてもいちおう伝わったようだ。
 現実問題として、心身の状態を考えれば早瀬と一緒の方がいいのかもしれない。
 立って歩くことなどとてもできそうになく、これではシャワーはもちろんトイレに行くのも重労働だ。
 それに、今は不思議と落ち着いているけれど、昨日されていたことを考えれば、いつ〈発作〉を起こしてもおかしくない。早瀬がいれば、自殺しようとしても止めてくれるだろう。
「……いても、いいけど。……でも、セックスはしないわ」
 昨日が激しすぎたせいだろうか。珍しく、まったくそんな気になれなかった。それでも早瀬の方から襲ってきたら受け入れてしまいそうな気がしたので、先に釘を刺しておく。
 いくらなんでも、身体も限界だ。そしておそらく、心の方も。
「それでもいいよ。さすがに昨日はやりすぎた気がするし」
 早瀬が苦笑する。
 確かに。
 延べ回数だけならもっと多かった日もあるけれど、いつものように休憩を挟むことなく、一晩中まったく休みなしで私を陵辱し続けていたのだ。これで物足りないなどといったら、怒る以前に呆れてしまう。
「腹、減ってないか? なんか買ってこようか?」
「…………そうね」
 そういえば、最後にまともな食事をしたのはいつだろう。
 〈パパ〉とホテルにいる間、精液以外のものをなにか口にしただろうか。〈パパ〉がなにか食べさせてくれていたような気もするけれど、はっきり覚えていない。
 動けないのは陵辱のダメージだけではなく、空腹による低血糖の影響もありそうだ。
「なに食べたい?」
「…………なにか……食べやすい、甘いもの。……プリンと、ゼリーと……チョコレート。……ヨーグルトはだめ。〈白い液状のもの〉なんて、食傷もいいところ。今なら、見ただけで吐くわ」
 昨日は〈パパ〉だけではなく、早瀬にもさんざん飲まされた。せっかく落ち着いているのに、想い出しただけで気持ち悪くなる。
「……じゃ、行ってくる」
「の、前に」
 立ち上がって自分の服を拾おうとした早瀬を呼び止める。
「なに?」
「……シャワー、浴びたい」
 ホテルを出る前に〈パパ〉が綺麗に洗ってくれたけれど、今はもう汗と体液でべとべとだ。食事の前に、さっぱりしたい。
 それに早瀬だって、外出するならシャワーくらい浴びていくべきだろう。
「……そうだな。一緒に、いいか?」
 わざわざ訊いてくる。
 夏休み前、ラヴホで初めて一緒にシャワーを浴びた後も、相変わらずこうしたことにはどこか遠慮がちだった。
「…………ひとりじゃ、動くこともできないんだけど?」
「あ、そっか。そうだよな」
 嬉しそうに私を抱き上げ、歩き出す。
 昨夜ほどではないけれど、触れられていると、まだ痛い。
 なのに、その痛みで安心してしまうところに、自分の狂気を再確認してしまう。
 バスルームに私を下ろして、シャワーを出す早瀬。
 傷を気遣ってか、お湯はかなりぬるめだった。
 それでも、飛沫が当たるだけで痛い。
 痛いから、うっとりしてしまう。
 下半身がむずむずしてくる。
 そこで、もうひとつ重要なことを思い出した。
「……早瀬、ストップ」
「なに?」
 シャワーが止まる。
 タイルの上に座り込んだまま、上目遣いに数秒間。
「………………トイレ」
 一瞬、虚を衝かれたような表情を見せた早瀬だったが、やがて、悪だくみしているような笑みを浮かべた。
「……ここで、しちゃえば?」
 早瀬の口から出てくるとは、予想外の台詞だった。
 そういえば昨夜のDVDには、潮吹きはもちろん、バスルームでの放尿シーンも収められていた。余計な知識を与えてしまったかもしれない。
 自然と、視線がきつくなる。
「ここで……っていうのは、バスルームでっていうことよりも、早瀬の目の前で、っていうことが重要なんでしょうね?」
「……だね」
 肯定の笑み。
「……………………あなた……最近ちょっと、つけあがってない?」
「あ、やっぱり?」
 返ってきたのはあまり悪びれていない苦笑。
「でも、それも仕方ないと思わね? なにをしてもオッケーで、感じてくれる女の子が相手で。……エスカレートしない方が不自然だろ?」
「……開き直るわけね? ……やっぱり、甘やかしすぎたかしら。普通、ただで見せるものじゃないわよね」
 しかし、早瀬の言う通りだった。なんだかんだいって、私は拒絶の言葉を発していないし、実際、拒絶する気もない。
 これもある意味、演出のひとつといってもいい。陵辱は、される側の抵抗があった方がより盛り上がるものなのだ。
「……さすがの北川も、恥ずかしいんだ?」
 珍しい、早瀬からの挑発。
 応えないわけにはいかない。
 バスルームの壁に寄りかかるようにして、脚をタイルの上に拡げる。
 早瀬を睨んだまま秘所を曝け出し、下半身の力を抜いた。
 シャワーとは異なる、小さな水音。
 わずかに黄色味を帯びた液体が、細い筋となって排水溝へと流れていく。
 早瀬が興奮した表情で見つめている。
 頬が熱くなるのを感じる。
 本音を言えば、まったく恥ずかしくないわけではない。
 ほぼどんな要求にも応えられるし、羞恥心を顔に出さないこともできるけれど、羞恥心そのものが存在しないわけではない。
 羞恥心は必要だった。
 恥ずかしいことを強要されることも、一種の〈罰〉になるから。
 水音は続いている。
 よりによってこんな時に、ずいぶん長い。
 用を足すのも、ラヴホを出て以来だ。あまり水分を摂っていないし、汗や愛液として消費してもいるけれど、それでもこれだけの時間となれば、膀胱の中はいっぱいになっていて当然だった
「……こんなのが楽しいの? …………ヘンタイ」
 最後の雫を搾り出しながら、きつい口調で言う。
「べ、別にスカトロ趣味ってわけじゃないぞ! ただ、表向きは平然としつつも少し恥ずかしがってる北川が可愛くて、見てるのが楽しいんだ」
 むきになって主張する。
「……そうかしら? まあ、どうでもいいけど」
「……いや、その点ははっきりさせておかねーと」
 言いながら、早瀬はまたシャワーを出し、私が排泄した液体を洗い流す。
 続いて、私の身体を――特に下半身を重点的に――洗いはじめた。


 シャワーを浴びた後、私をベッドに運んで買い物に出かけた早瀬は、十五分ほど経ってうとうとしかけた頃、近所のコンビニの袋を手にして戻ってきた。
 袋の中身は私がリクエストしたお菓子や、ジュースや、早瀬用と思われる大量のパン。
 そして、
「……これは?」
 プリンに手を伸ばした時、コンビニ袋の中に、別な店の小さな袋を見つけた。
「ああ、それ」
 早瀬が袋を開ける。
「これ……着けてもいいか?」
 中から出てきたのは、大型犬用と思われる、深紅の首輪だった。
 そういえば、コンビニの近くにペットショップがあったはずだ。
 醒めた視線を早瀬に向ける。
 いちおうはこちらの反応を窺うような態度をとっているけれど、本気で拒絶しない限りはその首輪を引っ込めることもあるまいと思われた。
「………………勝手にすれば」
 他人事のようにつぶやき、プリンの封を開ける。
 私にとって、今の関心事はこちらだ。早瀬がなにをしようとどうでもいい。
 早瀬が隣に座る。
 まだ少しひりひりしている首に、真新しい首輪をあてがう。
 それを無視して、私はプリンを口に運んでいた。


 そして――
 この日以来、早瀬と一緒に過ごす時にも〈深紅の首輪〉が私の基本装備となった。

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