第四章

「んく……ぅんっ」
 私の中で脈打っていた男性器が引き抜かれると、収縮する膣から精液が噴き出すように溢れてきた。
 ねっとりとした感触が、お尻の方へと流れ落ちていく。
「お願い……もう……ゆるして……」
 かすかに動く唇から漏れるのは、か細い懇願の声。
 もちろん、それが聞き入れられることはありえない。
「なに言ってんだ、まだまだ、これからが本番だろ」
 にやにやと下卑た笑いを浮かべた男たちが、周りを取り囲んでいる。
 閉じようとする脚を、ふたりの男が左右から押さえつけて無理やり開かせた。私の細い脚では男たちの力には抗えない。無駄な抵抗は、男たちをかえって悦ばせるスパイスにしかならなかった。
 大きく開かれた脚の間に、三人目の男が身体を入れてくる。
「いっ……やぁぁっ」
 挿入と同時に、短い悲鳴が上がる。
 大きく勃起した男性器が膣をいっぱいに押し拡げ、残っていた精液が行き場を失って溢れ出てきた。
「や……ぁぁっ、や……ぁ……ぁんっ! あ……っんんっ」
 男はこれっぽちの気遣いもなしに腰を突き出してくる。
 ここまで、指と様々な道具で潮吹きするまで弄ばれて、立て続けにふたりの男に犯され、胎内に射精され、休む間もなく三人目の挿入だった。既にかなり消耗している私に対して、今まで順番待ちをしていた男は限界まで昂っている。手加減なしの削岩機のような激しい動きに、膣の粘膜が悲鳴を上げる。
 しかしまだ〈順番待ち〉の男たちは何人も残っていた。
「くそっ、もう我慢できねーぞ」
 右脚を押さえていた男が、抵抗する気力も体力も残っていないことを見てとり、手を放して顔の上にまたがってきた。
 大きく反り返ったものを手で押さえ、口に押し込んでくる。顔を押さえられ、力まかせに喉の奥まで突き入れられた。
 食道への突然の刺激に嘔吐しそうになりながらも、喉をふさがれているために吐くことすらできない。
 それを見て、腕を押さえていた男は、その手に自分のものを握らせた。そのまま手を掴んで動かしはじめる。
 膣と、口と、手を同時に犯されて、私は声を上げることすらできなかった。
 それでも、まだ、獣の目をした男たちは残っている。
 そして私の身体にも、男を受け入れられる部位が残っている。
 それを見逃してくれるような男たちではない。
「……まだ、使ってない穴があるよな。もっとじっくり犯るつもりだったけど、我慢できねーや。一気にめちゃめちゃにしてやるか」
「どうせ使い捨てなんだから、ぼろぼろになるまで犯っちまおうぜ」
 左脚を押さえていた男も立ち上がると、顔の上の男を一度どけさせて、私の身体を起こした。
 膣を貫いている男の上に、またがる姿勢にさせられる。
 そしてまた、手に握らされる。今度は両手に。
「ほら、手本はさっき教えただろ。自分で動かせよ」
「ひぃっ……痛っ」
 髪が抜けそうなほどに強く引っ張られる。泣きながら、男を握った手を上下に動かした。
 私の身体を起こした男が、背後に回る。
 両手でお尻を鷲づかみにして、双丘を開く。
「や……っ!」
 お尻に滴る、ひんやりとした液体の感触。
 ローションを塗り広げたお尻に押しつけられる、熱い塊。
「や……ぁ……、いやぁぁっっ!」
 お尻の穴が、押し拡げられていく。
 排泄のための器官に、外側から無理やり押し入ってくる。大きく膨らんだ硬い肉の塊が、小さく窄まった蕾を力まかせに蹂躙する。
「いやっ! やだっ、やだぁっ! そんなの無理ぃっ! お願い、抜いてぇっ!」
 膣への挿入とは違う痛み。強靱な筋肉によって閉ざされた口が、無理やりこじ開けられていく。少しずつ、しかしとどまることなく〈裏口〉から私の中へと侵入してくる。
「いやあぁぁ――っ!」
 いくら泣き叫んでも、男たちの嗜虐心を煽るだけだった。
 中のものが、さらに硬さと大きさを増す。お尻を振って逃れようにも、しっかりと腰を掴まれ、しかも前を深々と貫かれている状況では下半身の自由などほとんどない。
 さらに、口をふさがれる。
 喉の奥まで突き入れられ、泣き叫ぶ自由すら奪われてしまう。
 男たちはそれぞれ勝手に腰を動かす。
 膣と、直腸と、口と、両手が、同時に陵辱されている。
 常に実際の年齢よりも幼く見られる小柄な私にとって、本来、膣だけ、お尻だけの挿入であってもたやすいものではなく、痛みをともなう。
 なのに前後同時に押し拡げられ、奥の奥まで貫かれ、激しく動かれている。
 薄い粘膜の壁を隔てて、二本の肉棒がごりごりと擦れ合っている。
 下半身が引き裂かれてしまいそうだ。
 しかし口をふさがれて悲鳴も上げられず、手でも奉仕を強要されている。
 もう、限界。
 もう、死にそう。
 薄れていく意識が、しかし、ひときわ大きな動きによって現実に引き戻された。
「……くそっ、すっげーきついマンコだな。もうたまらん!」
 最初に達したのは、膣を犯している男だった。
 子宮の入口で小さな爆発が起こる。それが引き金となったかのように、身体中で次々と誘爆が続いた。
 直腸に、喉に、精液が噴き出してくる。
 続いて手の中のものが弾けて、両側から降りかかる白い飛沫が、顔を、髪を、べっとりと汚した。
 身体を小刻みに震わせている男たち。
 やがて、一本ずつ引き抜かれていく。
 それでも、安堵の息をつくことすら許されなかった。
 今日、最初に私を犯した肉棒が完全に復活を遂げ、まだ三人目の精液を滴らせている膣にねじ込まれる。
 口が自由になっても、もう悲鳴すら上げられなかった。
 どこから現れたのか、別な男がお尻を貫く。
 精液混じりの涎を溢れさせている口もふさがれる。
 全員で何人いるのかも定かではない男たちが、交代で私を犯していく。
 休む暇など一秒たりとも与えずに、私の胎内を、顔を、口を、胸を、髪を、白濁液で穢していく。
 男たちが疲れても、それで終わりではない。
 彼らの手に握られた、疲れを知らない電気仕掛けの器具が私を責めたてる。
 前も、後ろも。
 無機質の〈オモチャ〉と生身の男たちが、交互に私を犯し続ける。

 そして――

 そんな私を見つめ続ける、冷たいガラスの目。
 それは、何台ものビデオカメラのレンズだった。


「……眠そうだね。さすがに疲れた?」
 車を運転している、名前も覚えていない男が訊いてくる。
 助手席に座った私は、疲労困憊してどろどろに溶けてしまいそうな状態ながらも、精いっぱい愛想のいい声で応える。
「疲れたっていうか…………もう死にそう……、あれで元気だったら人間じゃないよぉ……」
 鼻にかかった、甘えた声。早瀬が聞いたら目を丸くするような声だった。
「いや、もう十分人間離れしてるよ? 凄かったなー、今回も売れるぞ。みさきちゃんみたいな可愛いロリっ娘が、あんな激しいコトしてんだから」
「……激しいの、好きだもの」
 今にも眠ってしまいそうなけだるい表情のまま、頬を赤らめて舌をぺろっと出す。
「また次もよろしくな」
「そう頻繁には無理ぃ、身体がもたないもん。それに、出し惜しみした方が、値打ちが上がらない?」
「だな。あまり無理してみさきちゃんのこと壊しちゃったらもったいないし」
 男が苦笑する。
 その腕を、ハンドル操作の妨げにならない程度に軽くつねる。
「だったら、も少し手加減してよぉ……最初に聞いてたより、ずっとハードだったよ?」
「ごめんごめん、だってあんなの見せられたら、みんな参加したくなるじゃん? みさきちゃんがエロ可愛すぎるからいけないんだよ。……その分、ギャラも弾んでおいたからさ。これで許して、ね?」
 男がポケットから出した封筒は、ちょっとした〈札束〉と呼べるだけの厚みがあった。
 それを素直に受け取ってバッグにしまいながらも、軽く頬を膨らませる。
「もぉ、今回だけだよ。……あ、ここでいいよ、停めて」
 車が減速し、路肩に寄って停まる。家からはまだ数キロ離れた場所だけれど、さすがに本名すら教えていない男に自宅まで送らせるつもりはない。このあたりならすぐにタクシーも拾えるはずだ。
「じゃ、またね」
「はぁい、また」
 笑みを浮かべて小さく手を振る私を残し、車が走り出す。その後ろ姿が十分に小さくなったところで、私の顔からいっさいの表情が消えた。
「……マジで、死にそう」
 脚が小さく震えている。
 少しでも気を抜いたら、このまま倒れてしまいそうだ。
 一刻も早く家に帰って、ベッドに倒れ込むとしよう。

 今は夏休み――

 私は、アダルトビデオの撮影を終えて帰ってきたところだった。


 夏休みも、もう後半に入っていた。
 私の夏休み中の生活なんて、やることは決まっている。
 休み前は週に一、二度だった早瀬からのお誘いが、二、三回に増えた。
 最近は一、二週に一度だった援交が、週に一、二回に増えた。
 ある意味、休み前よりも活動的な生活を送っているといえるかもしれない。限りなく不健全かつ不健康ではあるけれど。
 そして今回は、三日がかりのAV撮影。
 早瀬が柔道部の合宿で一週間ほど留守にするというので、この機会に、以前にも〈仕事〉をしたことのある制作会社のスタッフに連絡を取ったのだ。表向きは合法のアダルトDVDを作りつつ、裏では密かに無修正ものや本物のロリータものなどを手がけているという、ちょっとヤバめの会社である。
 AV撮影なんて、春休み以来だろうか。
 普通ならば撮影も一日ですむのだけれど、今回は、拉致監禁された女の子が複数の男たちに何日も犯され続けてぼろぼろになっていく――という設定をリアルに撮りたいということで、三日がかりの撮影となった。

 誘拐され、人気のないシーズンオフの空き別荘に連れ込まれた女子中学生が、複数の男たちに力ずくで次々と犯される。
 縛られ、殴られて。
 休む間もなく、口も、お尻も、男を悦ばせることのできる部位をすべて穢されて。
 何日も、何日も。
 口にしたものといえば、強制的に飲まされる精液だけ。
 やがて泣く気力もなくなり、人形のような虚ろな瞳で、ただされるがままに陵辱され続ける。
 最後に、遊び疲れて飽きた男たちは、女の子を明け方のゴミ捨て場に放り出して去っていく。
 生きているのか死んでいるのか、文字通り、壊れた人形のように動かない女の子――

 ――そんな、内容だ。
 もちろん、実際には多少の休憩をとり、食事もしたけれど、それでも私の感覚としては〈休みなしに犯され続けた〉に近い。
 男たちは交代で休憩も食事もできるけれど、女の子は私ひとりなのだ。彼らは適当に休憩しているつもりであっても、こちらは限界を超えて犯され続けていたも同然だった。しまいには〈男優〉ではないスタッフまでが陵辱の輪に加わってしまったのだからなおさらだ。
 それはあくまでも〈無理やり〉ではなく、合意の上でのことだったけれど。

 さすがに、疲れた。
 経験豊富すぎるほどの私だけれど、体格的、体力的には平均を遙かに下回る華奢な女の子でしかない。
 家に入って緊張が解けると同時に、全身から力が抜けた。
 身体が重い。
 頭が痛い。
 意識が朦朧とする。
 玄関で、大きく息を吐き出した。靴を脱ぐのも億劫なくらいだった。
 脱いだ靴を放り出し、キッチンへと向かった。喉が渇いていた。
 冷蔵庫を開けて、最初に目についた牛乳のパックを取り出し、グラスに注ぐ。
 口をつけたところで、しかし、突然の吐き気に襲われた。

 白い、液体――

 想い出してしまう。
 この三日間、さんざん飲まされ、注ぎ込まれた白濁液。
 いまだに胃の中に、子宮の中に、直腸の中に、いっぱいに溜まっているような感覚だった。
 込みあげてくる嘔吐感。
 グラスを落とし、手で口を押さえる。
 指の隙間から、逆流してきた胃液がこぼれ落ちる。
 気持ち悪い。
 気持ち悪い。
 感覚が、鮮明に甦ってくる。
 何時間も、何日も、犯され続けた感覚。
 何人もの男たちに陵辱され続けた感覚。
 忌まわしい記憶が、肉体に刻み込まれてしまっている。
 全身に鳥肌が立つ。
 身体が震える。
 セックスは気持ちいい。しかしそれはしている最中の、しかも純粋に肉体的な感覚でしかない。
 終わった瞬間、それはなによりもおぞましい感覚に変わる。
 男。
 ペニス。
 精液。
 私にとっては蛆虫よりも忌まわしいもの。
 そう、それは、腐肉まみれの蛆虫が、身体中を何千匹、何万匹と這い回るような感覚だった。
 気持ち悪い。
 気持ち悪い。
 そんな、おぞましい存在に穢され続けた肉体。
 なのに行為の最中には、確かに快感を覚えていた私。
 全否定したくなる。
 自分自身を、その存在を。

 いけない――

 キッチンで〈発作〉に襲われるのはまずい。
 ここは、危険な凶器が多すぎる。
 自分でも気づかないうちに、震える手が包丁を掴んでいた。
 肉切り用の、鋭い、大きな包丁。
 がたがたと震える手で、しかし、しっかりと握りしめている。
 刃が自分に向けられる。
 その標的は、手首などという生易しい部位ではない。
 柄を両手で握りしめて、刃先を自分の喉に向けていた。
 小刻みに震える切っ先が近づいてくる。
 抑えようとしても抑えられない衝動。
 死んでしまいたい。
 なにもかも壊してしまいたい。
 だけど、死にたくない。
 死ねない。
 死んではいけない。
 それは〈逃げ〉だ。
 私には、死なんて安易な結末は許されない。
 なのに、手が止まらない。
 刃の先端が喉に触れる。
 ちくり……という鋭い痛み。
 研ぎ澄まされたステンレスの刃が、柔らかな喉の皮膚を突き破ろうとしている。
 抑えられない。
 もう、止まらない。
 本気で死を覚悟した、その瞬間――

 緊張感で満ちていたキッチンに、まったく突然に、場違いな電子音が鳴り響いた。

 ふっと力が抜ける。
 手から滑り落ちた包丁が、キッチンの床に突き刺さる。
 私は崩れ落ちるように床に座り込んだ。

 無機的な電子音が鳴り続けている。
 携帯の、着信音。
 床にへたり込んだまま腕を伸ばし、放り出してあった鞄を引き寄せた。
 プライベート用の携帯の、受話ボタンを押して耳に当てる。
「……」
 なにも、言わない。
 心身ともに、すぐに声を出せるような状態ではなかった。
 喉に、ちくちくとした痛みが残っている。
『……北川? ひさしぶり』
 一週間ぶりに聞く声だった。
 誰よりも忌々しい声。
 だけど今は、この不愉快な電話に助けられた。
「…………なんの、用?」
 なんとか絞り出した声は、必要以上に刺々しかった。
『えっと……これから、時間あるか?』
 用なんて、訊く必要もなかった。早瀬からの電話なんて、要件はひとつしかありえない。
「……あなた、合宿とか言ってなかった?」
『いま帰ってきたとこ』
「……で、間髪入れずに呼び出し? いつものこととはいえ…………、呆れるわね」
 一週間の柔道部の合宿。体力的にかなりきついものであることは容易に想像できる。
 帰ってきたらまず、一晩くらいゆっくり休もうとは思わないのだろうか。
 もっとも今回は、そうしていたら二度と私を抱くことはできなかったのだけれど。
『まる一週間、柔道漬けで北川に会えなかったんだぞ? だから……わかるだろ?』
 つまり〈溜まっている〉ということだろう。
 彼の性欲を考えればもっともだ。部の合宿では、自分で〈処理〉するのも容易ではあるまい。
『都合、悪いか?』
「…………家を出る前に、シャワーを浴びる間くらいは我慢できるのかしら?」
『それくらいなら、なんとか』
 どこか呑気な、ふざけた口調が返ってくる。
 直前までどれほど危機的状況だったのか、彼には想像もできないだろう。
「今はなんだか、うんとゆっくりシャワーを浴びたい気分だわ」
 わざとらしく言って電話を切る。
 いつの間にか、こんな憎まれ口でも了承の言葉だと通じるほどに、早瀬との関係は回数を重ねていた。
「…………」
 小さな溜息をついてのろのろと立ち上がる。
 床に突き立った包丁もそのままに、バスルームへと向かった。


 早瀬の家に着いた頃には、外はもう暗くなりかけていた。
 西の空が夕陽の残滓でわずかに朱色に染まっている。
 それでも、シャワーを浴びて着替えてから出てきたにしては、早く着いた方だろう。歩く体力がなくて家からタクシーを使ったためだ。
 夏休み中だけれど、服装はいつもの〈営業用〉制服だった。着替えに頭と時間を費やすのも面倒だった。
 あまり時間を空けずに、早瀬に逢いたかった。そうしないと、いつまたあの〈発作〉に襲われないとも限らない。早瀬に犯されている間は、少なくとも自殺はせずに済む。

「……待ってた」
 玄関で私を出迎えた早瀬は、愛想のいい笑みを浮かべてはいたけれど、その陰に獣じみた欲望が垣間見えていた。全身から〈牡〉のオーラが発せられているような気がした。
 靴を脱いで上がるのと同時に、骨が軋むほどに抱きしめられる。そのまま抱きかかえられ、早瀬の部屋へと運ばれた。
 ベッドの上に放り出される。
 大きな身体が覆いかぶさってくる。
 スカートの中に潜り込んできた手が、制服はそのままに、下着だけを脱がしていく。
 そして、
「――っっ!」
 激痛が下腹部を貫いた。
 前戯もなにもなしの、いきなりの挿入だった。
 一気に、奥まで拡げられる。
 こうした展開は充分に予想していたし、数時間前まで男をくわえ続けていたのだから、まったく準備ができていなかったわけではないけれど、それでも痛いものは痛い。たとえ時間をかけた前戯で膣がほぐされ、溢れるほどに濡れていたとしても、早瀬のサイズを受け入れるのは痛みをともなう行為なのだ。
 気遣いなど微塵も感じられない挿入。一度、無理やり根元まで押し込むと、心の準備をする暇さえ与えずに激しく動き出した。
 大きく揺さぶられる、小さな身体。
 ひと突きごとに、背中が火傷しそうなほどの勢いでベッドに擦られる。
 一週間の禁欲生活で、よほど溜まっていたのだろうか。いつも以上に激しい幕開けだった。
 熱い、獣の息づかいが顔にかかる。
 下腹部は、まるで身体の内側から殴られているかのようだ。
 この暴力的な行為は、疲労困憊の身体には刺激が強すぎる。
 熱い。
 感じているのは、痛みというよりも、熱さ。
 真っ赤に灼けた鋼鉄の杭に貫かれている感覚。
 悲鳴すら上げられない。
 視界が暗くなる。
 意識が遠くなる。
 もともと今日は、呼び出しを受ける前から気力体力の限界を超えていたのだ。このぼろぼろの身体が、早瀬の乱暴な陵辱に耐えらえるわけがない。ましてや今の早瀬は、一週間溜め込んだ性欲に支配された獣だ。
 普段から乱暴な早瀬だけれど、それにしても今日は特別だった。とにかく一度射精しなければ治まらないといった様子で、フィニッシュに向けて一気に加速していく。
 しかし、彼が最初の絶頂を迎える前に、私は意識を失っていた。


 意識が戻ったときには、外はすっかり明るくなっていた。午前中ではあっても、もう朝食にも遅すぎる時刻だった。
 早瀬に犯されながら意識を失い、そのまま一晩中眠っていたらしい。撮影中の三日間を合わせても、普段の一日分も寝ていなかったのだから当然だ。
 しかし早瀬も、昨夜は私をおとなしく寝かせてくれていたわけではなさそうだった。
 最後に記憶が残っている時、服を着たまま下着だけを脱がされていたはずなのに、いつの間にか全裸にされていて、今は私に腕枕しながら眠っている早瀬も裸だった。
 全身に――特に下半身に、独特の倦怠感が残っている。それは、陵辱があの一度だけでは終わらなかった証だ。
 そもそも、体力底なしの早瀬がまだ眠っているのだ。夜中すぎまで、意識のない私を犯し続けていたと考える方が自然だろう。合宿明けで早瀬も疲れていたかもしれないけれど、普段から、部活の後で一晩中激しいセックスを続けられる体力の持ち主だ。
 いったい何度、犯されたのだろう。
 睡眠不足はそれなりに解消されていたけれど、身体中、あちこちが痛い。
 下半身が重い。
 まだ、なにか大きな塊が挿入されているような感覚だった。
 上体を起こすと、胎内を流れ滴る液体の存在を感じた。膣口から溢れ出てくるそれは、放出されて時間が経っているために当初の粘性が失われて透明感が増し、ややさらりとした手触りだった。
 膣奥を締めつけ、逆に入口を緩める。中に残った早瀬の体液が絞り出されてくる。
 手をあてがって受けとめる。
 手のひらに溜まるその液体は、どう見ても一度や二度の量ではなかった。
 それを一気に口に含む。
 時間が経っている分、直に口で受けたものよりも気持ちが悪い。腐った肉汁を啜っているように感じて、吐き気を抑えながら飲み下す。
 腐臭を放つ生臭い液体が、食道を流れ落ちていく。
 胃がむかむかする。
 腕に鳥肌が立つ。
 穢らわしい。
 穢らわしい、この、身体。
 身体中に腐汁が染み込んでいくおぞましさ。
 自分の身体を引き裂きたくなる衝動が湧き上がってくる。
 脂汗が滲む。
 息が苦しい。
 視界が霞む。
 ずり落ちるようにベッドから降りると、鞄から剃刀を取り出し、震える手で左手首に突き立てた。
 鋭い痛みに、意識が覚醒させられる。
 剃刀を引く。
 腕が灼ける感覚。
 手首に刻まれた紅い筋が濃くなっていく。
 深紅の珠がふつふつと浮き上がってくる。
 大きく膨らんで、流れ落ちていく。
 その傷に唇を寄せ、口に含む。
 しょっぱい、錆びた鉄の味が口中に拡がる。
 ごくん――喉を鳴らす。
 ふぅ、と大きく息をつく。
 二度、三度。
 深呼吸を繰り返す。
 そのわずかな時間で、鳥肌は急速に治まっていった。
 呼吸が楽になってくる。
 汗も引いている。
 自分の左手から視線を外し、眠っている早瀬を見た。
 穏やかな寝顔で、静かに寝息を立てている。
 どうしてだろう、なんとなく不愉快な気持ちになる。
 右手に握ったままになっていた剃刀を、なにげなく、早瀬の喉に当てた。
 なにも知らずに眠っている早瀬。
 このまま手に少し力を込めれば――

 ――殺せる。

 簡単に。
 早瀬は、なにもわからないまま絶命するだろう。
 そうしてみたい衝動に駆られる。
 自分を犯した男を、殺す――それは、喩えようもないほど甘美な誘惑だった。
 だけど――
 違う。
 相手が、違う。
 早瀬を殺しても、なにも解決しない。
 手の力を緩める。おかしな衝動に支配されて取り返しのつかないことをしないうちに、剃刀を片付ける。
 そうするとなんとなく手持ちぶさたになって、早瀬の下半身に手を伸ばした。
 さすがに眠っている今は勢いを失っているけれど、それでもとにかく、もともとのサイズが大きい。
 そっと握ってみる。こんなに柔らかな状態で触れるのは初めてかもしれない。
 ゆっくりと手を動かす。
 顔を近づける。
 口に、含む。
 早瀬の精液の味と、私の愛液の味が混じっている。
 たとえ意識がなくても、唇をすぼめて吸うと、気圧差で徐々に血液が集まって膨らんできた。
 手で根元をしごき、亀頭に舌を絡ませる。
 大きく反り返って硬い、いつもの見慣れた姿になってくる。
「ん……」
 小さな呻き声を上げ、早瀬が身体を動かした。さすがにここまでやると、刺激で目を覚ましたようだ。
 目を開いて、その瞬間、わけがわからないといった表情を浮かべた。自分の置かれた状況を理解するには、多少の時間を必要としたようだ。
「……北川……、起きてたんだ?」
「…………ええ、少し前に」
 自分がされていたことについては、なにも言わない。しかし目は、その行為を続けて欲しいと訴えていた。
 また、手を動かす。
 舌を這わせる。
 早瀬は気持ちよさげな吐息を漏らす。
 わざと、激しいことはしない。ゆっくりと優しく、焦らすような愛撫を続ける。
 寝起きのせいか、早瀬も積極的に動こうとはせず、黙って身を委ねている。
 大きな手が頭に触れて、優しく撫でる。
 そんな風に触れて欲しくはなかったけれど、口がふさがっているので文句も言えない。
「……今日も、暑くなりそうだな」
 頭を撫でながら言う。
「いい天気だし、プールにでも行くか?」
 関係を持ち始めてまる二ヶ月半で、初めての申し出。
 思わず、口を離して訊ねた。
「…………なんのために?」
 返ってきたのは、一瞬の、意外そうな表情。確かに、夏の晴れた日にプールへ行くのに特別な理由はないのかもしれない――普通の人の場合は。
 だから早瀬も、返事を考えるのに数瞬の時間を要した。
「……えっと…………北川の、水着姿を見たいから?」
 それは、男子高校生としてはもっともな意見かもしれない。
 しかし、
「…………下着姿はもちろん、全裸もさんざん見ているのに、今さら?」
 そもそも、セックスからはじまった関係なのだ。
「水着はまた別だろ」
「……だったら、次回は水着を持ってきましょうか? どんなのが好みかしら? 露出の多いセクシーな、ほとんどひも同然のビキニ? それともスクール水着? もっとマニアックに競泳用とか?」
 水着はたくさん持っている。ただし、泳ぐために着ることなどほとんどない。
「どれもいいけど……、ここでじゃなくて、プールや海で、というところが重要なんだけどな」
 言わんとしていることがわからないわけではない。
 単に、場所と服装を変えてセックスしたい、というのではあるまい。それならばプールではなく、人気のない海まで足を伸ばさなければならない。おそらく、たまには普通の高校生カップルのようなことをしたい、というのだろう。
 しかし、私はごめんだ。
 私と早瀬は恋人というわけではない。単に身体を重ねるだけの関係だ。セックスしないのに一緒に過ごすなんて、時間の無駄以外のなにものでもない。
 いや、特に早瀬だからというわけではない。早瀬に限らず、私にとって男性と過ごすというのは、すなわちセックスするためなのだ。
 だから、言う。
「水着姿の私と一緒にいて、あなたは平気なのかしら? これ、すごく目立つと思うのだけれど?」
 手と口で弄んでいたものの先端を、指先ではじく。
 それは日本人離れしたサイズとスタミナを持ち、私の身体にすぐ反応してしまう、早瀬の欲望の塊。
「これが勃っていないところなんて、見た記憶がほとんどないわ」
 いつも呆れるほどに元気で、凶悪だ。
「うーん……たしかに。プールで北川と……ダメだ、抑えきれる自信がまるでない」
 真剣に悩んでいる。お気楽なものだ。
 私はくだらない会話を打ち切って、また早瀬を口に含んだ。
 さらにサイズと硬度が増している。これで荒々しく貫かれたら悲鳴も上げられまい。
 もしかして、私の水着姿を想像した結果だろうか。そういえば、好みの水着は結局どのタイプなのだろう。
 そんなことを考えながら、ゆっくりと、しかし根元まで呑み込む。喉をふさがれ、息が詰まる。吐き気が込みあげ、胃液が逆流しそうになる。
 それでも口を離さない。唇で、舌で、内頬で、そして喉で、早瀬を感じる。
 鳥肌が立つ。
 吐き気をもよおすほどの嫌悪感。
 早瀬に限らず〈男〉全般に対する私の感情。
 なのに。
 唇の、舌の、口中の、喉の粘膜は、男性器の感触に興奮し、感じている。
 発狂しそうなほどのおぞましい感覚なのに、身体は快楽として受けとめてしまう。
 下半身が熱くなっている。
 花弁が潤い、蜜が滲み出てくる。
 忌まわしい身体。
 穢らわしい肉体。
 男なんて。
 セックスなんて。
 大嫌いなのに。
 反吐が出るのに。
 なのに、感じてしまう。
 どんな行為も、それが性欲に因るものである以上、反応してしまう。むしろ、嫌なことをされるほどに、感じてしまう。
「…………」
 私の下半身も準備ができたようなので、口を離して身体の位置を変えた。
 膝立ちになって、早瀬の上にまたがる体勢になる。
 反り返ったペニスを掴んで、その大きく膨らんだ先端を、蜜を滴らせている割れ目にあてがった。
 そうして、腰を落として挿入しようとしたところで。

 いきなり、携帯の着信音が鳴りだした。

 一瞬、動きが止まる。
 早瀬も首を巡らせる。音の出所を確かめると、脱ぎ捨てられてあったスカートに腕を伸ばし、ポケットから携帯を取りだして渡してくれた。
 受け取って、相手の名前を確認した。〈プライベート用〉の携帯だから、ごく限られた知り合い以外からの着信はありえないけれど、ひとりを除いて、相手によって着信音を変えるほどまめな性格はしていない。
 微かに眉を上げる。
 そこには、夏休み中に見るとは思わなかった、やや意外な名前が表示されていた。
 受話ボタンを押して耳に当てる。
「…………なんの用?」
『ああ、生きてたか』
 本気で安堵したような声が聞こえてくる。
『なにしろ北川のことだから、しばらく顔を見ないとちゃんと生きてるのかどうか不安になる』
 遠慮のない物言い。
 顔なじみの養護教諭、遠藤深春だ。
 当然ながら、夏休みに入ってからは顔を見るどころか声も聞いていなかった。
「……不思議なことに、意外と元気よ。忙しい毎日を送ってるわ。アソコが乾くヒマもないくらいに」
 電話しながら、また、身体の下にある早瀬に触れる。
 手で愛撫する。
『今、なにしてた』
「……〈デート〉中? 現在進行形で」
 今まさに、入口に触れているところだ。
『あ……電話、まずかったか?』
「……別に。そーゆーの、関係ない相手」
 普段の援助交際であれば、その最中に電話やメールなどけっしてしない。それがマナーだと思っている。しかし早瀬に対して気を遣う理由は全くない。
 もっとも、生殺しで焦らされている早瀬にとってはたまったものではないだろう。
「ちょうど……挿れようとしてた瞬間だったけれど」
『うわ、それはまた……』
「……オトコの上にまたがって……大きくなったアレが、入口に当たってるの。……んっ……」
 携帯を耳に当てたまま、ゆっくりと腰を落としていく。
「……ぁ……入口が……拡げられて……、……っ、すごく……大きいのが……」
 入って、くる。
 膣口を痛いほどに拡げて、ずぶずぶと、私の中に埋まっていく。
「は……ぁ……すごい、……熱くて……私のな、か……、いっぱいになって……」
 遠藤に対して実況中継しながら、早瀬を受け入れていく。電話の向こうからはなにも声が返ってこないけれど、ちゃんと聞いている気配はあった。
 電話の相手が誰かも知らない早瀬は、困惑した表情を浮かべている。
「はぁぅっ……んっ!」
 脚から完全に力が抜ける。
 腰が落ちる。
 内蔵が突き上げられる。
 身体の内側から、圧迫される感覚。
 早瀬も呻き声を上げる。電話を意識しているのか、かなり抑えた声だったけれど。
「おっ……くまで……はいっ、ちゃった…………。信じられないくらい……大きいのが…………あ、突き上げて、くる……」
 ゆっくりと、腰を前後に振る。なにしろサイズがサイズだから、それだけでもものすごい刺激だ。
 早瀬が私の腰を掴む。ゆっくり、しかし力強く、腰を突き上げてくる。
 膣が突き破られるかのような感覚を覚える。
「……ぁっ……か、ぁ……あぁっ!」
 一度、電話を顔から離して早瀬を見た。
(……う、ご、い、て)
 声は出さずに、ゆっくりと唇を動かす。
(う、ん、と……は、げ、し、く……つ、い、て)
 早瀬も声は出さずに「いいのか?」という表情を浮かべた。こくん、とうなずいて、また携帯を口に近づける。
 腰を掴む手に力が込められる。指が喰い込むほどに。
「……あぁぁっっ! ……う……くぅ、……っ!」
 いきなり、身体が弾むほどに激しく突き上げられた。
 勢いあまって半分ほど抜けかけ、一瞬後、重力に引き戻されて深々と最奥を貫かれる。
「ひあぁぁっ! あぁぁ――っ! ……う……ぐぅぅ……っ」
 二度、三度、そんな動きが繰り返される。
「や……だ、め……そんっあぁっ! は、げしいのっっ! 壊れるぅぅっ!」
 身体が仰け反る。
 意識が飛びそうになる。
 なんとか意識をつなぎ止めるため、そして遠藤に聞かせるため、普段早瀬とする時にはありえない激しい声を上げる。
「すっ……すごいのっ! ねえっ、遠藤っ……聞いてる? すっごく大きいのが、私のまんこめちゃめちゃにしてっあぁぁっ! やぁぁぁぁぁ――っっ!」
『……ああ、ベッドがきしむ音まで聞こえてるぞ。大丈夫か?』
 電話の向こうから聞こえてくる、相変わらず淡々とした遠藤の声。
「だ……いじょうぶ、じゃ……ないっ! ……だめっ……もうだめっ! 死んじゃうっ! もう……っ! 壊れて……っっ、だぁぁっ、めっっ! あああぁぁ――――っっっ!」
 ひときわ長いストロークで突かれて、膣奥に噴き出してくる精液の塊を感じた瞬間、本気で達してしまった。
 頭が真っ白になり、手から携帯が落ちたことにも気づかなかった。
 早瀬の上に突っ伏すように倒れ込む。
 胎内で脈打つ早瀬に合わせるように、二度、三度、身体が痙攣する。
 いっぱいに拡げられたままの膣が、びりびりと痺れているように感じた。
「…………あ……ぁ…………」
 そのまましばらく、真っ白な浮遊感に浸っていた。
 しかしやがて電話のことを想い出し、手探りで携帯を探した。手に触れた硬い感触を拾いあげ、耳に当てる。
「……って感じの……毎日」
 荒い呼吸を繰り返しながら言う。
『………………独り者には悩ましい電話をありがとう。少しだけ、ヘンな気分にさせられたぞ』
 苦笑混じりの声が返ってくる。
『ところで北川、明日、ヒマあるか?』
「……明日……? なにか?」
『時間があるなら、一度、顔見せに来い』
 ただでさえ、なにをしでかしているか心配な私。それに加えて今の激しいセックスによる擦過傷、あるいはこの後に切るであろう手首の傷……きっと、そうしたことを心配しているのだろう。
 携帯のマイク部分を手で覆って、早瀬に視線を移す。
 本当に微かな声で訊ねる。
「……明日の予定は?」
 念のため、早瀬の名は呼ばない。
 同様に小さな声が返ってくる。
「……午前中から部活」
 そうすると、ここにいるのは長くても明日の朝までということになる。
 だからといって遠藤のところに行かなければならない義理もないけれど、かといって断わる理由もない。
 毎日電話されるよりは、一度顔を見せて安心させた方が煩わしくないのかもしれない。
「…………気が向いたら……そして、急な〈デート〉の誘いが入らなければ、ね」
『多少遅くなってもいい』
「私としては、遅くなるほど忙しい可能性が高いわ」
 明日は平日だ。高校生は夏休みでも、お盆も過ぎたこの時期、〈パパ〉の多くは仕事中である可能性が高く、必然的に〈デート〉は夜となる。
『昼メシか三時のおやつくらいはご馳走してやるから、来い』
「高校教師の給料じゃ、あまり期待はできないわね。……じゃあ、明日、気が向いたら……昼過ぎに」
 それだけ言って、電話を切る。
 溜息とともに小さく肩をすくめて、携帯をスカートの上に放り出した。
「……誰?」
 声のボリュームを普通に戻して早瀬が訊いてくる。
「…………遠藤」
「って、保健室の?」
「ええ……休み中に一度、顔見せに来いって」
「そりゃ心配なんだろ。北川、一学期は保健室の常連だったもんな」
 確かに。
 一学期中は、学校で切ったことも一度や二度ではない。
 リスカ以外でも、前夜の〈デート〉のせいで気分が悪かったり、単に教室へ行くのが面倒だったりで、登校と同時に保健室に直行したことも少なくない。
「……そういうあなたも、遠藤の心配のタネのひとつだって自覚はあるのかしら?」
「え? あ……、そういやそうか」
 気まずそうに苦笑する。
 早瀬は、夏休み中もっとも多く身体を重ねた相手であり、かつ、今の〈実況中継〉の相手だ。早瀬と逢っていなければ、遠藤が顔をしかめるような行為の数も半減していたことだろう。
 しかも、その回数は現在進行形で増えている。
 その分だけ手首の傷は増え、同時に、目に見えずとも心が少しずつ壊れていく。
 目に見える傷はまめに手当てする早瀬も、後者の傷には気づいていまい。
「……そういうわけで、とりあえず、明日の朝までは空いてるわ」
「それって……今夜も泊まっていくってこと?」
「……私がそのつもりじゃなくても、帰す気があったのかどうかは疑問よね」
「や、まあ……よっぽどのことがなければ、もう一泊してもらいたかったけど」
 すぐに気を失ってしまった昨夜の行為だけでは、早瀬にとってはものたりないのだろう。
 だけど、彼は気づいていない。
 相手が誰であれ、男と身体を重ねるたびに、私が少しずつ壊れていくということに。


 翌日――
 学校を訪れたのは、午後もずいぶん遅くなってからだった。
 電話では昼過ぎと言ったけれど、実際にはもう夕方に近い。
 遠藤との電話の後、また、乱暴に犯されて。
 そのままもう一泊して、一晩中、行為を続けて。
 翌朝、早瀬は部活ということで、私を家まで送った後、そのまま学校へ向かった。
 私は入浴して仮眠をとり、少し寝坊してこの時刻になってしまったというわけだ。
 特に気乗りする用事でもない。すっぽかさなかっただけ上出来だろう。
 待ちくたびれた遠藤が帰ってしまったことを半ば期待していたのだけれど、保健室のドアには鍵がかかっていなかった。ただし、ドアに掛けられたプレートは『Closed 急患は職員室へ』となっていた。

「久しぶり……少し、痩せたか?」
 私を見て、遠藤は微かに眉をひそめた。
「…………本音を言えば?」
 今の台詞は、やや控えめな表現だ。
「……少し、やつれたな」
「…………ここ数日、忙しかったから」
 椅子に座っている遠藤の前に立って応える。
「たとえば?」
「三日間、軟禁状態で輪姦もののAV撮影。……帰ってきたら休む間もなく、手加減知らずの体力バカと二晩やりまくり」
 それに対して遠藤は、呆れたような、そして哀れむような表情を見せた。
「私としては、もう少し健康に留意してもらいたいな」
「……してるわ、いちおう。…………死なない程度に」
「いや、そんな最低レベルじゃなくて、もう少し……」
 遠藤は立ち上がると、私の身体に腕を回した。
 普段、あまり表情を表に出さない遠藤だけれど、泣きそうな表情で、優しく抱きしめてくる。
 私はからかうような口調になる。
「なぁに、私と、したいの? 遠藤ってそっちの趣味だったの?」
「……それも、いいかもな」
 返ってきたのは、やや予想外の反応だった。
「少なくともその間は、乱暴な男たちとせずにすむだろう?」
 思わず、溜息が漏れる。
 まったく。
 まだ、諦めていないのか。
 まだ、私を更生できると思っているのか。
「……男に、乱暴に犯されるのが好きよ。同性に、優しくされるなんて興味ないわ」
 しかし身体に回された腕は解かれない。薬品の匂いに混じって、男に抱かれている時とは違う、微かなシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
 遠藤は私を抱きしめたまま動かない。
「…………どうして、そんなにこだわるの? こんな面倒な生徒、放っておけばいいじゃない。……それとも、本当にレズ?」
 身体が望みなら、相手をしないこともない。乱暴にしてくれるなら――という条件付きで。
 しかし精神的な恋愛を望んでいるのなら、相手を間違えている。
 セックスに関しては経験豊富すぎるほどの私だけれど、実をいうと純粋に同性との経験はなかった。乱交じみた多人数の〈プレイ〉の中で、同性と絡ませられた経験なら少なくないけれど。
 私にとってセックスの定義とは〈男に陵辱されること〉だった。同性を求める理由はないし、少なからぬ対価を支払ってまで私を抱きたがる男性と女性では前者が圧倒的多数なのだから、意図的にしようとしない限り、同性とセックスする機会などありえない。
 しかし、遠藤が同性愛者というのも違和感があった。私の台詞も本気ではない。
「別に、恋愛感情を持っているわけじゃない。だけど、放っておけないだろう。北川みたいな子を。……世の中、すべての人間が邪な下心を持って動いているわけではないぞ?」
「……私が知っている〈大人〉は、邪な下心を持って近づいてくる連中ばかりよ?」
「それは北川が、わざとそんな大人ばかりを見ているからだろう」
 意図的にそうしているという自覚はなかったけれど、その言葉はおそらく真実だった。
 それ故に、不愉快な台詞だった。
 他人に、胸の内を見透かされるのは愉快なことではない。
「……遠藤……うざい」
 腕を解こうとしない遠藤の耳元でささやく。
「目障りと思われても、いいよ。その他大勢として無視されるよりは」
「…………」
 ――そう。
 遠藤は私にとって〈背景の一部〉ではない数少ない人間のひとりだった。
 だからこそ不愉快で、目障りな存在。
 なのに、完全に排除することもできずにいる。
 そんな自分の弱さに腹が立つ。
 理解してくれる大人も、友達も、いらない。
 すべてを拒絶したい。
 私にとって心地よいすべての存在を、消し去りたい。
 そんなものはすべて捨て去った……はず、なのに。
 私を包み込む遠藤の温もりは心地よくて、だからこそ、吐きそうなほどに、目眩を覚えるほどに、嫌悪してしまう。
 こうして抱擁されている状態を続けることは、精神衛生上いいことじゃない。
 後で独りになった時に、自分自身を……その存在を、拒絶してしまいたくなってしまう。
 しかしそれは〈安易な結末〉であり、絶対に受け入れられない。
 こうした他人とのコミュニケーションは苦手だった。私は、セックスでしか他人とつながれないのだ。
 一刻も早く離れたい。放して欲しい。しかし放してくれない。
 仕方がないので、搦手を使うことにする。
「……ねえ」
 少しだけ、甘えた声を出す。
 〈パパ〉たちに対するような甘ったるい声ではないけれど、普段、学校にいる時の無機的な声とは明らかに違う声質。
「……また、薬、塗ってくれない? やりすぎて痛いのよ」
 どこが、とは言わなかった。それでも通じる。
 腕の力が緩み、遠藤が微かな苦笑を浮かべる。
 私の考えなどお見通しなのかもしれない。仮にもちゃんと教育を受けたカウンセラーだ。他人の心に触れることは得意だろう。
「……そこに座ってろ」
 ようやく腕を解いてベッドを指さし、薬を取りにいく。私は靴を脱いでベッドに上がり、ごろりと寝そべった。
 横になると、とたんに眠気が襲ってくる。
 学校へ来る前に仮眠したとはいえ、ここ数日の圧倒的な疲労と睡眠不足は簡単に解消できるものではない。
 クスリを持ってきた遠藤がベッドの脇に立っても、そのまま横になっていた。自分から「薬を塗って」と言ったくせに、服は着たまま、脚も閉じたままだ。
 遠藤は無言で、私を見おろしている。
 しばらく、その状態が続く。
 やがて、肩をすくめて小さな溜息をついた。
 言っても無駄、とわかっているのだろう。なにも言わずにベッドの端に腰を下ろすと、スカートの中に手を入れてきた。
 パンツに指をかける。
「……少し腰を浮かせてくれ。脱がされるのは慣れているんだろう?」
 普段、表情を変えない遠藤だけれど、やや戸惑った様子で顔を赤らめている。さすがに、こんな風に女生徒の下着を脱がした経験などあるまい。
「……むしろ、剥ぎとられたり、破かれたりする方が慣れてるかも」
 からかうように返すと、苦笑混じりに、微かに怒ったような表情を浮かべた。
 手に力が込められる。強引にパンツを膝まで下ろされ、片脚を抜かれる。
 スカートがまくり上げられて脚を開かされた時には、もう抵抗はしなかった。
「……なるほど、赤くなって、少し腫れてるな。痛いか?」
 指先が触れた瞬間、思わず顔をしかめた。そこは何日にも渡って、何十回と犯されていたのだ。しかもとどめは早瀬の巨根。痛くないわけがない。
「…………痛いわ」
「だろうな」
 軟膏をたっぷりと乗せた指が、そっと触れてくる。
 擦り剥け、濡れた粘膜の上に、優しく塗り広げられる。
「……っ!」
 触れられた瞬間、身体がびくっと震えた。手が反射的にシーツを掴む。
 痛みと、そして快楽。
 それはもちろん愛撫ではないけれど、反応してしまう。ここ数日やり過ぎだったせいか、身体がひどく敏感になっていた。
「感じやすいんだな」
 蜜が滲み出てくるのを感じる。これだけ反応していては、感じていることは遠藤にも一目瞭然だろう。
「……触り方がいやらしいからよ。生徒に猥褻行為なんかしていいの?」
「これは〈治療〉だろう?」
 悪びれずに反論する。
「猥褻行為というのは、こういうのをいうんじゃないのか?」
「――っ!」
 突然、指が入ってきた。
 ゆっくりと、優しく。だけどその動きは一瞬前までの〈治療〉とは明らかに違う〈愛撫〉に変わっていた。
「……んっ……く」
 予想外の展開に驚きつつも、声が漏れてしまう。
 括約筋が、条件反射のように遠藤の指を締めつける。女の細い指一本でも、痛みを感じてしまうほどに。
「……すごい締めつけだな。力を抜いた方がいい。痛いだろ?」
「…………痛いのが、いいのよ」
「そうか……。しかし、狭くて、複雑で……濡れた粘膜が指に絡みついてくるみたいだ。私のとはずいぶん違うな。……こういうのを〈名器〉っていうのかな? 男たちが夢中になるのもわかる気がする」
 中を探るようにかき混ぜる指。それでも、壊れものを扱うように優しい動きだった。
 顔が熱くなる。
 呼吸が荒くなってくる。
「ぁ……え、遠藤……なに、してるの?」
 いったい、なにが起こっているのだろう。
 これは明らかに、性的な接触だった。これまで、いくら挑発してもこんなことは一度もなかったのに。
「あなた……やっぱり……?」
 同性が好きなの? ……と、本気で思ったわけではないけれど、だからこそ面喰らっていた。
「まさか。……北川が、触って欲しそうな顔をしていたからだよ」
「……それだけで、教師の道を外れるの?」
「私は〈カウンセラー〉だから。その方が生徒のためになると思えば、法的、倫理的に問題があることだってするよ。……今日の北川には、こうした方がいいかもと思った」
「私は……もっと、激しく乱暴にされる方が……ぁ……好み、だわ」
「今日の身体の状態で、あまり激しくするわけにもいくまい?」
「こんな……ぬるい、愛撫じゃ……いけないわ」
 これは、嘘。
 乱暴にされることを望む私だけれど〈その方が感じるから〉ではない。単に〈快楽〉よりも〈苦痛〉を求めているだけのことだ。
 正直なところ、かなり感じていた。
 遠藤は、性行為の経験はそう多くはないのだろう。技術的には拙いといってもいいくらいの愛撫だったけれど、しかしそれが、自分でも意外なくらいに気持ちよかった。
 私の体質である、粘性の低い愛液が溢れるように滲み出てくる。
「すまない。経験が少ないからな。ましてや、同性も生徒も初めてだから……。どんな風にすればいい?」
 ここで「乱暴に陵辱して」などと言っても、そのリクエストには応えてもらえまい。
 ならば、さっさと達してしまおう。それで遠藤も納得するはずだ。
「……舐めて。クリトリス舐めながら……中に、指、挿れて、動かして」
「わかった」
 同性愛の趣味もないのに口でするなんて、少しは退くかと思ったのに、遠藤は躊躇いもなく下半身に顔を寄せてきた。
「……っ!」
 舌が、触れた。
 私を貪る男たちとは違う、どことなくぎこちない、おそるおそるといった動き。
 クリトリスを舌先でつつき、優しく、すくい上げるように舐める。
 びりびりとした刺激が身体を走る。
「ん……んふっ…………くっ……ぅん」
 気持ち、いい。
 だけど、今は〈学校モード〉だから、口から漏れる声は小さい。
 それでも遠藤が勝手をつかんで舌と指の動きがリズミカルになってくるに従い、体温が上昇し、流れ出る蜜の量が増えてきた。お尻の方まで滴り落ちているのを感じる。
 執拗に、クリトリスを責め続ける遠藤。膣内の指の動きは、腫れている部分を避けるためかゆっくりと優しい。
「……っ、んっ…………っ!」
 自分の手の甲を噛んで、声を抑える。
 ぴちゃぴちゃと、舐める音が聞こえる。
 膣内をゆっくりと往復する指。その動きに合わせて腰が蠢いてしまう。
 高まっていく、快感。
 それに比例するかのように、増大する違和感。
 相手が男ではないせいか、いつもの、鳥肌が立つような嫌悪感があまり湧いてこない。そのため、セックスしているという感覚が希薄だった。
 現実の出来事ではないみたいなのに〈快楽〉は確かに存在している。
 存在していて、どんどん、膨らんでくる。
「……っ、――――っ!」

 それが、一気に臨界点を超えた。

「んぅ……っっ!!」
 口を押さえていた自分の手を、血が滲むほどに噛む。
 全身を弓なりに反らせる。
 膣が収縮し、やがて、全身から力が抜けていく。
「……ぁ…………は……ぁぁ……」
 息を吐き出す。

 達して、しまった。

 遠藤の愛撫で。

 正直なところ、予想していたよりもずっと感じてしまった。優しい愛撫故の物足りなさもあったはずなのに、気持ちよかった。
 だからこそ、屈辱だった。
 声は抑えていたけれど、達してしまったことは遠藤にもわかっただろう。その証拠に、指の、舌の、動きが止まっている。
 遠藤と目を合わせないように、寝返りをうって横向きになる。その隣に添い寝するように、遠藤もベッドに上がってくる。
 一瞬だけ見えた顔には、達成感を含んだ笑みが浮かんでいた。
 腹が立つ。
 しかし、ここで今さら感じていなかったふりをしても無駄だろう。誤魔化せないくらいに反応してしまった自覚はある。しらばっくれても、自分の子供っぽさを強調するだけだ。
 負けは負け。認めた上で、別な方法で反撃するしかない。
「……さほど期待もしていなかったけれど、意外と、感じてしまったわ」
 いつものように、無機的な、素っ気ない口調で言う。
「そうか。正直、まったく自信はなかったんだが……それならよかった」
「遠藤、本当にこっちの方が向いてるんじゃない? 宗旨替えしたら?」
 彼女が、異性にはさほどもてないであろうことを皮肉っての台詞。
 向こうからもからかうような軽口が返ってくる。
「そうしたら、北川が〈彼女〉になってくれるか?」
「……私は、ペニスの生えていない生き物に用はないわ」
 さらに言えば、私を陵辱してくれない生き物にも用はない。
 ベッドの上で上体を起こすと、苦笑している遠藤の顔が目に入った。腹を立てていることを示すために、唇を軽く尖らせてみせる。
「…………あと、これが重要なんだけど」
 言いかけたところで、脚に引っかかっていた下着に気づき、そのまま脚を振って脱ぎ捨てた。こんなもの、邪魔だ。
「うん?」
「気持ちよかったのは事実だけれど、こういうことをされたかったわけじゃないわ。その点では、レイプと同じよ?」
 実際、ひどい屈辱を受けた気分だった。普段の援交やAV撮影よりも、ずっと。
 遠藤は、男たちとは違う。私を〈求めている〉わけではない。
 援交の〈パパ〉はもちろん、AV男優だって、私を前にすれば性欲を抱く。
 しかし遠藤は違う。
 同性愛者ですらない。
 なのに、私を犯した。
 そのことがひどく癇に障った。
「……そうだな、すまなかった」
 その口調、その表情。
 私のこうした反応も、予想の範疇といわんばかりの余裕が感じられた。
「どう償えばいい?」
 面白味がない。
 すべてが予想のうち。
 すべてが覚悟の上。
 そんな態度に怒りすら覚える。
 では、その覚悟とやらを見せてもらうとしよう。
「……私が、遠藤を〈レイプ〉するわ」
 きっぱりと宣言した。
 しかし遠藤は表情を変えない。
「わかった。でも、それはレイプになるのかな?」
 口元には微笑すら浮かんでいる。
「……どういう、意味?」
「拒絶、しないから」
「…………それも、今だけよ。私は遠藤みたいなぬるい責めはしない。女として使い物にならなくなっても知らないわよ?」
「……お手やわらかに」
 表情が変わる。とはいっても、微笑が苦笑に変わっただけだ。
「それで、私はどうすればいい?」
 返事はせずに、立ち上がった。
 保健室のドアを内側から施錠する。
「ここでするのか? 今日は非番だから、別のところに移動しても構わないが」
 非番?
 だとすると、わざわざ私のためだけに学校へ来たということになる。物好きなことだ。
「……そうね。ホテルなら、なんの遠慮もなしに悲鳴を上げさせられるわね。たとえ……」
 嗜虐的な笑みを浮かべて言う。
「他でなら通報されそうな絶叫だって」
 遠藤としても、同僚や生徒に見られる危険のある校内よりも、その方が安心だろう。
 しかし。
「ここで、するわ」
 強い口調で宣言した。
「……遠藤はここで、生徒にレイプされるの。これから毎日、ここで過ごすたびに、そのことを想い出すのよ」
 私のように……という台詞は声に出さずに呑み込んだ。
 ベッドに近寄り、腰掛けていた遠藤の肩を押す。遠藤は逆らわず、ゆっくりと仰向けに倒れた。
 視線を動かして室内を見回す。机の上のペン立てに、目的のものを見つけた。
 それを……ごくありきたりな鋏を、手に取る。
 仰向けになった遠藤の顔に突きつける。
「……おとなしく……いうことをききなさい」
「別に、そんなことしなくても……」
「これは〈レイプ〉だから」
 合意の上で、納得した上で、のセックスではない。
 力ずくで、暴力的に、遠藤の意志を無視して、陵辱するのだ。
 自ら身体を開いたのではなく、凶器を突きつけられて強要された、という事実が重要だった。
 私との行為で乱れたベッドに横たわっている遠藤。ただでさえ艶っぽさのない顔と体型に、地味なブラウスと膝丈のスカートという服装だけれど、辛うじて、羽織っている白衣という〈アイテム〉が、わずかながら色気を醸し出しているといえないこともない。
 そんなことを考えながら、自分の鞄からあるものを取り出す。
 それは、手錠。
 援交の時に使うこともあるかと、普段から持ち歩いていることが多い。たまに、自慰の時にも使う。
 それを、三個。
 ひとつを遠藤の左手首に嵌め、万歳するように両腕を上げさせて、短い鎖をベッドのフレームに通して左手首に嵌めた。これで腕は動かせない。
 残りふたつはそれぞれ両脚首に嵌め、脚を開かせてフレームにつなぐ。
 これで完全に身体の自由は奪った。
 ベッドの端に腰掛け、無表情に遠藤を見おろす。
 彼女の顔には、少しだけ困惑と不安の気配があった。アブノーマルなセックスの経験はないと言っていた遠藤だから、手錠でつながれたことなど初めての体験だろう。
 腕を伸ばして、ブラウスの襟を掴む。
 乱暴に引っ張る。
 ボタンがいくつかはじけ飛んだ。
 お世辞にも豊かとはいえない胸を包んでいるブラジャーは、レースつきの意外とお洒落なものだった。地味な服装とはあまり釣り合っていない。
 ブラジャーのカップをずらす。
 胸が露わにされる。
「……胸、小さいのね」
 もともと小柄な体格の遠藤である。しかしそれを差し引いても、控えめな膨らみだった。
 遠藤よりもさらに小柄な私の方が、胸はずっと大きい。もっとも、華奢な身体を考えれば、私の胸は〈巨乳〉と表現してもいいサイズであり、それと比べるのは可哀相だろう。
 そのささやかな膨らみに触れる。
 手加減などせずに、力いっぱい鷲づかみにした。
「う……っ、く……っ」
 遠藤の顔がわずかに歪む。
 なんの遠慮も気遣いもなく、乳首をつねる。
 さすがに痛そうな表情だ。しかし唇を噛んで、苦痛の声を上げまいと堪えている。
 一度、手を放す。
 浅い谷を越えて、もう一方の胸へと指を滑らせる。
 私の小さな手にもすっぽり収まる膨らみに、爪を突き立てた。
「――っっっ!」
 長めに切り揃えて、綺麗に研ぎ、磨いてある爪。
 血が滲むほどに、肌に喰い込んでいく。
 その手を緩めずに、もう一方の手でスカートをまくり上げた。
 姿を現したパンツは、ブラジャーとお揃いの、普段の遠藤を考えればかなりお洒落でセクシーなものだった。
 ブラジャーに引き続き、これは意外だった。
 普段の遠藤の洒落っ気のなさを考えれば、ブラとパンツの色さえ違っていても驚かなかっただろう。なのにきちんとお揃いで、真新しい、普通の女性ならデートで勝負下着として着けるような品だった。
 こう見えて、実は見えないところのお洒落に気を遣う性格だったのだろうか。本当は派手好きなのに、教師という立場上、目に見える服装はあえて地味にしていたのだろうか。
 それとも……
 ふと、気がついた。
 まさか。
 もしかして。

 今日、こうした展開になることも予想しての下着の選択だったのだろうか。

 だとしたら、今の私の行動も遠藤の掌の上で踊らされていることになる。
 それは愉快なことではない。
 だから、陵辱したくなってしまう。
 パンストの股の部分をつまんで引っ張り、鋏を突き立てた。

 ……シャキン。

 金属の擦れ合う音。
 直に肌には触れていないが、それでも遠藤はびくっと震えた。
 薄いナイロンの生地が、なんの抵抗もなく裂けていく。
 さすがに、いくぶん怯えたような表情を浮かべている。
 いくら気丈でも、たとえ心構えができていても、刃物に対する本能的な恐怖心は拭えまい。私と違って、こうした行為に慣れてもいないはずだ。
 私も最初の頃は、こんな、母親とはぐれた仔犬のような表情を浮かべていたのだろうか。
 その時は凶器を突きつけられていたわけではないけれど、相手に逆らえないという点では状況は同じだった。今の遠藤と違い、心の準備すらできていなかった。
 だからといって、この表情をさせただけで満足するわけではない。
 もっと、陵辱したい。
 泣き出すまで。
 泣き叫ぶまで。
 そんな衝動に駆られてしまう。
 手の動きを止めず、パンツに鋏を入れる。
 二度、三度、音を立てて閉じる鋏。
 しんとした保健室に、無機的な金属音が響く。
 遠藤の顔が強張る。
 セクシーな下着が、ばらばらの端切れに変わる。
 どちらかといえば浅黒い遠藤の顔が、はっきりとわかるくらいに紅く染まっていた。
 下着が切り落とされて露わにされた局部。
 そこを男の目に曝した経験はもちろんあるのだろう。だけど、こんな状況で、しかも場所は自分の職場、相手は生徒でしかも同性とあっては、平然と顔色ひとつ変えずにいられるわけもない。
 他人にいちばん見られたくない部分を、手脚を拘束されて隠すこともできず、無防備に曝されているのだ。
 私としても、同性のそこをまじまじと見る機会は珍しい。女性を含む多人数の〈プレイ〉の経験はあっても、そんな状況でも私は基本的に責められる側だった。
 遠藤のそこは、陰毛はかなり薄めで、地肌が透けて見えていた。面積もさほど広くはない。剃り跡も残っていないから、もともとの体質なのだろう。
 こんな薄いヘアでは、その下の陰部も隠せていない。
 体格同様、そこもやや小ぶりな印象だった。肌は地黒ではあるけれど、それを除けば形も色も綺麗で、それほど使い込んではいない印象だ。
 もっとも、見た目はあまり当てにはならないのかもしれない。
 使い過ぎなはずの私も、そういう体質なのか、色素の沈着も型くずれもない。もともとが病的なほど色白なので、綺麗な淡いピンク色をしている。しかも無毛とあって、男たちは「子供みたい」と口を揃えて言う。
 遠藤も、子供みたいとまではいかないまでも、実年齢よりは幼い印象を受ける。
 その、薄いヘアを見ていて、ふと思いついた。
 ただ犯しただけではたいして堪えまい。女同士では妊娠の危険もないのだから。
 だから、もっと恥ずかしい〈証〉を残してやろう。
 一度、立ち上がる。
 保健室という場所柄、室内には手や傷を洗うための洗面台があり、除菌ソープのボトルが置かれていた。
 手を濡らし、石鹸をたっぷりと泡立てる。
「……北川?」
 訝しげな表情を見るに、まだ、なにをしようとしているのか気づいていないようだ。
 ベッドに戻り、泡まみれの手で遠藤の下腹部に触れる。淡い茂みに覆われた恥丘に石鹸を塗り広げる。
「……北川、まさか……」
 ようやく私の企みに気づいたのか、顔色が変わる。
 たいていの女性にとって、それはただ犯されるよりもよほど羞恥心を煽られる行為だろう。
 鞄から、愛用の剃刀を取り出す。
 遠藤の、白い泡に覆われた下腹部に当てる。
 びくっと震える身体。
 手にしているのは、普段は〈切る〉ために用いている道具だ。しかし、こちらの方が本来の用途に近い。
 刃を寝かせ、縦に滑らせる。刃の動きは、普段と方向が九十度違っている。
 切る方向ではなく〈剃る〉方向。
 ざらざらとした感触が手に伝わってくる。
 微かな呻き声が上がる。
 二度、三度、剃刀を往復させる。その度にざらついた感覚は少なくなり、刃がなめらかに滑るようになる。
 数分後、剃り落とされた毛と残った泡をティッシュで拭うと、そこを覆っていた淡い茂みはきれいさっぱり姿を消していた。
「……私とお揃いね」
 すべすべの恥丘を指先で撫でる。
「子供みたいで可愛いわよ?」
 遠藤は無言だった。
 さすがに、これまでになく表情が硬く、唇はぎゅっと噛みしめられていたけれど、その頬は紅かった。
「じゃあ……記念写真」
「……ッ!」
 携帯を取りだし、曝け出された下腹部を正面から写真に収めた。
 顔を背ける遠藤。それでもなにも言わずに唇を噛みしめている。
 たいした自制心だ。だからこそ、苛め甲斐がある。
 どこまで耐えられるか……と、撮ったばかりの写真を顔の前に突きつけてやった。
 顔の赤みが増す。恥ずかしさの中に、微かに怒りと怯えがブレンドされた複雑な表情を浮かべている。
「……遠藤って、今、オトコいるの?」
「…………幸か不幸か、独りだ」
 怒りを抑えているためか、それとも羞恥心のためか、微かに声が震えていた。
「……残念」
 肩をすくめて、携帯をポケットにしまう。
「彼氏にどう言い訳するのか、聞いてみたかったのに」
「正直に言うさ。ちょっと倒錯した趣味の女生徒にやられたって」
「……つまらないわね。もっと恥ずかしがってくれてもいいのに」
 ここまでのところ、かなり気丈に振る舞っている方だろう。
「これについて、正直な感想は?」
「……正直に言えば、死ぬほど恥ずかしい。今夜ほど、感情があまり表情に出ない自分をありがたく思ったことはない」
「そう?」
 さらけ出されている割れ目に触れた。小さな割れ目を指で拡げると、中はかなり潤いを帯びていた。
「……少し、濡れてるわ。私を犯していたから? それとも……剃られて興奮したのかしら?」
「…………両方……かな」
 あまり女らしくない遠藤も、こうしたところはちゃんと〈女〉のようだ。
「……まったく濡れていないところに、無理やりねじ込んでやるつもりだったのに」
 言うと同時に、中指を一気に奥まで挿入した。
「――っっ!」
 短い悲鳴が上がる。
 それなりに濡れていたとはいえ、まったくほぐされていない状態で、私のように頻繁に使っているわけでもなく、そもそも経験が少ないのだ。私の細い指の一本でも、いきなり挿れられたらそれなりに痛いだろう。
 もちろん、それが目的だ。
 私は遠藤を〈レイプ〉しているのだ。気持ちよくしてやる必要などない。ただ乱暴に陵辱すればいい。
 それでも指を動かしていくと、一往復ごとに潤いが増し、滑りがスムーズになってきた。
 親指の腹をクリトリスに押しつけて刺激しながら、深く挿入した中指で膣内をまさぐる。
 一分と経たずに、蜜が溢れだして手を濡らすようになった。
 固く閉ざされていた唇が、濡れた花弁と同調するように開かれる。そこから漏れる呻き声は甘く鼻にかかって、普段のハスキーな声に比べるとオクターヴが高くなっていた。
 それに混じって聞こえてくる、くちゅくちゅというぬめりを帯びた音。
 私よりも粘性の強い音だった。
 遠藤が言っていた通り、確かに、中の感触は私のそれとずいぶん違う。
 体格が小柄で、経験も少ないせいだろうか。まずとにかく小ぶりで狭い印象だった。私の〈締まりがいい〉のとはまた違う、絶対的なサイズの差だ。
 そして、膣壁がやや固い印象を受ける。これも、指に絡みつくような自分の感触とは違っている。
 とある〈パパ〉が「女の子のあそこはひとりひとり作りが違うし、もちろん挿れた時の感覚も違う」と言っていたことを想い出しながら、指を動かす。
 中がほぐれてきたところで、中指に続いて人差し指も挿入した。
「……あっ……く……ぅんっ、…………ぁんっ!」
 女同士の経験は少ないとはいえ、どこをどうすれば女の身体が感じるかはよくわかっている。本気で感じさせるために指を動かすと、遠藤は両手両脚を拘束されたまま激しく身体を捩らせた。
 声は必死に抑えようとしている。保健室の外に声が漏れないようにという配慮か、あるいは生徒に犯されて本気で感じてしまうことに抵抗があるのかもしれない。
 遠藤の反応を見ながら、指の動きを速めていく。
 中が熱くなってくる。
 充血した粘膜が指を包み込む。
 身体も汗ばんで、呼吸が荒くなってくる。
 顔も、はだけた胸も、赤みを増してくる。
「……っ、あぁっ! あぁんっ! やっ……だっ……め、あんっっ、あんっ!」
 執拗に愛撫を続けていると、ついに堪えきれなくなったのか、口を大きく開いて喘ぎはじめた。
 こうなったらもう抑えられまい。
 まず一度、いかせるつもりだった。そのつもりで愛撫していた。遠藤にとっては、乱暴に痛めつけられるよりも〈生徒に犯されていってしまった〉ことの方が屈辱的に違いない。
 指を強く押しつけて、クリトリスとGスポットを重点的に刺激する。フィニッシュに向けて指を加速していく。
 激しい指の動きに、愛液が飛沫となって飛び散った。
「ああぁっ! あぁんっ! あぁぁんっ! あぁぁぁ――っっ!」
 ベッドの上で身体が弾む。
 鎖ががちゃがちゃと鳴り、ベッドが軋む。
 絶叫とともに痙攣する身体。
 快楽の極みに達して、一瞬、全身の筋肉が硬直し、やがてぐったりと弛緩していく。
 肺の中の空気が吐き出されていく。
 焦点の合わない目が、ぼんやりと見開かれている。
 そこに意志の光が戻ってくるに従って、顔が真っ赤に染まり、恥ずかしそうに視線を逸らした。
 意外と可愛らしい反応をするではないか。特に、声が普段とはぜんぜん違う。
「……遠藤ってば、感じやすいのね。むしろ、不感症なのではないかと思っていたのだけれど。……可愛い声だしちゃって……オトコの前でもこんな感じなの? 実は、ベッドの上では乱れるタイプ?」
 わざと、羞恥心を煽るようなことを言う。遠藤は赤い顔で唇を噛んだ。
「…………私の……そう多くない経験の中では……北川が、いちばん……、上手だった」
 やや悔しそうな口調だった。
「……そう、ずいぶん楽しんだようね? ……でも、それじゃあ〈レイプ〉にならないわ」
 遠藤の中には、まだ二本の指が入ったままだった。彼女には、このくらいがいちばん気持ちのいい、ちょうどいいサイズのようだ。
 そこへ、さらに指を追加した。
 人差し指と中指に加え、薬指を添えて挿入する。
 三本になると、ややきつい。顔を微かに歪める。
「……んっ……んくっ…………ふ……ぅんっ」
 それでも三本の指で小刻みに中をかき混ぜると、やや苦しそうな表情を見せつつも、すぐにまた喘ぎはじめた。
 指三本で、ちょうど隙間なし、中はいっぱいいっぱいという感覚だ。
 しかし、それで容赦はしない。
 さらに小指まで押し込んでいく。
 そうなると明らかに苦しそうな表情を見せた。
「き、たがわ……、さすがに……それは、無理……」
 これ以上は無理、というところまで拡げられた膣口。
 痛いほどに引き延ばされた粘膜。
 見るからに痛そうではあるが、もちろんすぐに許してやったりはしない。
「無理? ここは子供を産むための器官でしょう?」
 新生児の頭だって、私の指四本よりははるかに大きい。多少痛くたって、まだまだ大丈夫なはずだ。
 ぐいぐいと押し込む。
 指が、痛いほどにぎゅうぎゅうと締めつけられる。しかし挿れられている方はもっと痛いのだろう。
「……それに、私が今朝まで挿れられていたものは、もっと大きいわ。私のことを理解したいのでしょう? 私がされていること……疑似体験、させてあげる」
 四本の指をねじ込む。
 短い悲鳴が断続的に上がる。
「……ねえ、遠藤……フィストファックって、経験ある?」
「――っ! 北川……っ、それはっ!」
 経験などあるわけがない。
 ごく普通のセックスだって、それほど経験豊富とは思えない遠藤なのだ。
 五本目の、そしていちばん太い指の先端が入口に触れた時、顔にはっきりと恐怖の色が浮かんだ。
 なんとか逃れようと身体を捩っているが、強引にねじ込んだ四本の指はそんなことでは抜けない。
「…………大丈夫。私の腕、細いもの。よかったわね、私が華奢で」
 もちろん、それでも手首のいちばん細い部分でさえ、平均的日本人のペニスよりはすっと太い。
 五本の指を束ねて、ゆっくりと、しかし渾身の力で押し込んでいく。
「イ……や……だ、め……っ! 無理……い、痛っ!」
 限界まで拡がって、めりめりと音を立てそうになっている膣口。それでも手はミリ単位で進んでいく。
 自分の中に限界サイズのものを挿入されたことはさんざんあっても、他人のそれをこんな至近距離で見る機会などあまりない。一種、異様ともいえる光景だった。
「や…………ア、あぁっ! く、ぅぅ……っ!」
 親指の付け根の関節の、いちばん太くなる部分の手前で動きが止まる。
 ここまでが限界だろうか。膣の粘膜は引き裂かれそうなほどに引き延ばされている。
 しかし、容赦はしない。
 小さく深呼吸。
 勢いをつけて、渾身の力で最後の数ミリを一気に押し込んだ。
「ひぎぃああぁっっ! あぁぁぁ――っっ!」
 絶叫が響きわたる。
 廊下に人がいれば、はっきり聞こえていたに違いない。声を抑える余裕などなかったのだろう。
 無理もない。
 私の右手は、手首まで遠藤の中に埋まっていた。
 中の圧迫感はすごい。本当に一ミリの余裕もなく、痛いほどに締めつけられている。
「うぐ……あ、は、ぁ…………うぅ……」
 苦しそうに呻いている遠藤。
 今にも裂けてしまいそうに見える。
 だけど、まだ、終わらせない。
 ただ挿入しただけで終わりにはしない。
「ひぃぐぅぅっっ!」
 体重を乗せて腕を押し込む。
 しかしもう、これ以上は進まない。行き場のない運動エネルギーは、痛みとなって遠藤を襲う。
 続いて、逆に引き抜こうとする。しかし、拳が引っかかって抜けてこない。
 立て続けに悲鳴が上がる。きっと、身体の内側を引きずり出されるような感覚だろう。
「やっ……だめっ、……う、ぐぅ……おねが、い……」
 挿入しただけでもいっぱいいっぱいで、動かす余裕はほとんどない。それでも腕を前後に揺する。
 ひと突きごとに、速く、激しく。
 早瀬に犯されている時の感覚を想い出して、遠藤の身体を力まかせに陵辱する。
「――ッ! ――っっ!」
 もう、悲鳴は声になっていない。ひゅうひゅうと喉が鳴るだけだ。
「すごいでしょう? 一晩中、こんな風にされていたの」
 私は汗ばんで息を弾ませていた。私の体力では、これは全身運動だった。
 遠藤は、涙と、涎と、鼻水で、顔をくしゃくしゃにしている。
 潮吹きか失禁か、下半身からも透明な飛沫が舞い散っている。
 そこには、微かに鮮血が混じっていた。


 乱れたベッドの上に、遠藤がぐったりと横たわっている。
 焦点の合わない、虚ろな瞳で。
 涙と、涎と、鼻水の痕が残る顔で。
 爪の傷痕が刻まれた胸。
 乾いた血がこびりついた性器。
 その下のシーツも、体液と血の痕で汚れていた。
「…………これに懲りたら、頭のおかしい生徒なんて放っておくことね」
 遠藤を拘束していた手錠を外しながら言う。
 身体が自由になっても、すぐには動く元気もないようだった。あれだけされたら、心身ともにダメージは小さくないだろう。
 私にとって、数少ない〈味方〉だったはずの遠藤。
 しかし狂った私は、味方であるが故に、壊してしまう。
「よけいに……放っておけないだろう」
 微かに動く唇から、力のない声が発せられる。
 上体を起こそうとした遠藤は、しかし痛みのためか、顔を歪めてまた倒れ込んだ。
「北川……は……いつも、こんなことを……されているんだろう? ……そんなの、放っておけるわけがない」
「……!」
 頭が、かぁっと熱くなった。
 手のひらに爪が喰い込むほどに拳を握りしめる。
 なんなのだろう、この女は。
 これだけひどい辱めを受けながら、なおも私を気遣おうというのか。
 聖人君子でも気どっているつもりか。
 どうしてか、無性に怒りを覚える。それはおそらく八つ当たりなのだけれど、自分を抑えることができなかった。
 ベッドの上に放り出してあった剃刀が目に留まる。衝動的に拾いあげ、まだ力なく投げ出されていた遠藤の腕を掴んだ。
 その手首に刃を当て、手に力を込める。
 瞬間、「しまった」と思った。
 怒りにまかせての衝動的な行動だった上に、他人の手ということで、力加減を誤った。
 動脈を切るほどではないだろうけれど、普段のリストカットよりも明らかに傷が深い。たちまち、冗談では済まされない量の鮮血が溢れてきた。
「……」
 その血を見た瞬間、手から力が抜けた。
 剃刀が乾いた音を立てて床に落ちる。
 遠藤はベッドに横たわったまま、手を顔の前に持っていて、傷口をぼんやりと見つめていた。
「痛い……な」
 力のない声で、他人事のようにぽつりとつぶやく。
「……毎日のように……こんな痛い目に遭ってるんだ、北川は?」
 静かな口調。
 優しい視線が私に向けられる。
 もう、限界だった。
 私はぎゅっと唇を噛むと、そのまま保健室を飛び出した。


 学校を飛び出した後、どこをどう走ったのだろう。
 暗くなった空の下、気がつくと学校からはずいぶん離れていると思われる住宅地の路地を歩いていた。
 前から、こちらに歩いてくる人影がある。同世代らしい女の子だ。
 薄暗くて顔はよく見えないけれど、なんとなく見覚えがあるような気がする。
 もう少し近づいたところで、それが〈茅萱カヲリ〉だと気がついた。
 向こうもこちらに気がついたらしく、一瞬、驚いたように目を見開き、すぐに強張った表情に変わった。
 不快そうなきつい視線を私に向けてくる。クラスメイトの多くが私を見る時の目よりも敵意がこもっているように感じられるのは、私の側の心理的な要因によるものだろうか。
 無視して、すれ違う。
 直後、茅萱の足音が止まった。
 背後からの視線を感じる。
 それでも、そのまま歩き続ける。
 茅萱と会ったことで、ここが、早瀬の家の近所だと思い出した。関係を持ち始めたばかりの頃、道に迷ってさまよった時に見覚えのある街並みだ。
 もしかしたら、彼女も早瀬の家からの帰りなのかもしれない。幼なじみで近所に住んでいると、早瀬から聞いた覚えがある。
 しかし、それにしては帰りが早くはないだろうか。同世代との男女交際の経験がないのでよくわからないが、空が暗くなっているとはいえ、高校生が〈彼氏〉の家から帰る時刻ではないように思う。
 それに、早瀬に送られていないことにも違和感がある。私でさえ、いつも送っていく早瀬なのに。
 もっとも私の場合、自力では歩けない状態だから、という理由もある。
 あるいは、送っていく必要もないほどの近所なのかもしれないし、今は早瀬の家からの帰りではないのかもしれない。
 真相がどれであれ、私には関係ない。
 角を曲がり、茅萱の視線から外れる。無意識のうちに、足は自然と早瀬の家へと向かっていた。
 冷静さを取り戻した私は、体調がかなり悪いことに気がついた。
 気分が悪い。
 吐き気がする。
 頭も痛い。
 目眩がして脚がふらついている。
 ここ数日の睡眠不足と疲労に加え、今日の精神的な影響が大きいのだろう。
 すぐに、まっすぐ歩くこともできなくなってきた。
 数歩ごとに塀に手をついて立ち止まり、呼吸を整える。
 これでは、いつまでも歩いていられない。
 かといって、家にも帰れないのだと思い出した。
 私は、手ぶらだった。
 鞄は保健室に放り出してきてしまった。そして家の鍵と、なによりも財布が鞄の中だった。
 ポケットの中にあるのは携帯電話だけで、そういえば、制服のミニスカートの下は下着すらつけていなかった。
 だからといって、学校に戻るという選択肢はもちろんなかった。遠藤だって、もう残っていないかもしれない。非番だと言っていたから、私がいなくなった以上は学校にいる理由もないはずだし、なにより彼女は、急いで病院へ行かなければならない状態かもしれなかった。
 今、行くあてといえばひとつだけ。
 その場所で立ち止まる。
 そこで、我に返った。
 どうして、当たり前のように早瀬の家へと来てしまったのだろう。
 そもそも、学校を飛び出してこの住宅地に来てしまったのは偶然なのだろうか。
 冗談じゃない。
 早瀬に逢いたいのか――自分に問う。
 否、そんなことはない――即座に否定する。
 視線を上げる。
 早瀬の部屋にだけ、明かりが灯った家。
 彼は家にいて、家族は留守。
 無意識のうちに、携帯を取りだして視線を落としていた。
 一瞬後、その動作の意味に気づく。
 もしかして、携帯が鳴り出すことを期待しているのだろうか。
 冗談じゃない!
 いま早瀬に電話すれば、すぐ家に招き入れられ、犯されることができるのだろう。その展開は容易に想像できる。
 犯される。
 陵辱される。
 陵辱、してもらえる。
 痛いほどに。
 泣き叫ぶほどに。
 それこそが、今、なによりも求めているものだった。
 渇きにも似た苦しさを覚える。
 〈痛み〉が欲しい。
 〈罰〉が欲しい。
 〈罪〉を犯したら〈罰〉を受けなければならない。
 今日、私のことを気遣う教師を傷つけた。
 その報いを受けなければならない。
 誰か、私に〈罰〉を与えて欲しい。

 早瀬に、逢いたい――

 心底、そう思った。
 陵辱して欲しい。
 泣くほど痛めつけて欲しい。
 精神が、身体が、ぼろぼろになるまで犯して欲しい。
 手が、脚が、震えている。
 苦しくて仕方がない。
 鞄が手元にないことが、今、私を苛んでいる苦しみの原因のひとつだった。
 剃刀がない。
 だから、自分を罰することができない。
 左手首の傷が疼く。
 爪でかきむしりたくなる。
 早瀬に、逢いたい。
 彼なら、一時的とはいえこの苦しみから解放してくれる。
 剃刀の小さな傷なんて比べものにならないほどの痛みを、苦しみを、与えてくれる。
 早瀬から与えられる痛みは、歯をくいしばって耐えればいい肉体的なものだ。どんなに痛くても、耐えられる。
 しかし、いま心を蝕んでいる痛み、苦しみには、そう長くは耐えられない。
 壊れてしまいそう。
 壊れてしまう。
 その前に――逢いたい。
 簡単なことだ。手の中にある携帯のボタンをいくつか押すだけでいい。
 なのに、動けなかった。
 手が、動かなかった。
 どうしてだろう。
 茅萱の姿を見てしまったから?
 本命の〈彼女〉に悪いと思っているから?
 そんな罪悪感など、私には無縁のはずだ。いつも、妻子持ちの〈パパ〉たちと身体を重ねているのだから。
 早瀬に逢いたい。
 逢いたくない。
 早瀬に犯されたい。
 男に触れられるなんて冗談じゃない。
 相反する想い。
 理性と本能がせめぎ合う。
 がたがたと身体が震える。歯がかちかち鳴る。
 寒い。
 真夏だというのに、凍えそうなほどに寒い。
 目眩がする。
 視界が揺れる。
 脚が震えて力が入らず、今にも倒れそうだ。
 脂汗が噴き出してくる。
 胃の内容物が逆流する。
 早瀬に逢えば、早瀬に貫かれれば、すぐにも解放される――はず。
 なのに、動けない。
 私は固まったように、路地に立ち尽くしていた。
 いっそ、早瀬が気づいてくれれば。
 早瀬に気づかれる前に立ち去りたい。
 相反する想い。
 門の前で硬直したまま、表札を睨みつける。
 しかしやがて、立っているのも辛くなってその場にうずくまった。
 苦酸っぱい胃液が口から溢れる。
 視界が暗くなる。
 もう、立ち上がる気力もない。
 不意に、周囲が明るくなった。車のライトだ。小型車のものらしいエンジン音が近づいてくる。
 立ち上がって避けることもできなかったので、クラクションを鳴らされるかと思ったけれど、もともとさほどスピードを出していなかったらしい車は、目の前で静かに停まった。
 ドアが開く音がする。
「どうしたの、あんた……あれ、あんた……?」
 聞こえてきたのは、若い女性の声だった。なんとか顔を上げたけれど、ライトの逆光で顔はよく見えなかった。
「あんた……可奈ちゃん、だっけ? どうしたの?」
 私の名ではない、しかし私が時々名乗る〈源氏名〉のひとつで呼ばれた。この状況で、それが偶然の人違いである可能性は低いだろう。
 その女性は傍らに屈んで、肩を抱くようにして支えてくれた。
「大丈夫? また具合悪いの?」
「……誰?」
 私の名前のひとつを知っていて、なおかつ「また」というからには、知っている人間なのだろう。
 長い髪の、二十歳くらいの女性だった。そこそこ美人だけれど、どことなく陰性の雰囲気をまとっている。
 どこかで、会ったことがあるだろうか。
 目の下の傷痕に、見覚えがあるような気がした。
「……覚えてない? ほら、柔道の大会の時、体育館で」
「…………ああ」
 思い出した。
 夏休みに入る少し前、早瀬が出場した柔道の大会をなりゆきで観戦することになって、その会場で、生理痛と〈クスリ〉の影響で具合が悪くなったところを介抱してくれた女性だ。
 取材中のマンガ家とかいっていた。その後、一、二度、メールが来ていた気もするけれど、援交用の携帯だったので、その他大勢のメールとともに無視していた。
 名前は……ペンネームは聞いていたはずだ。そう、たしか〈淀川うなぎ〉とかいったはず。変な名前だ。
「……大丈夫? 救急車とか、病院とか?」
「……いらない。少し休めば、治る」
 自分の部屋で、手の中に剃刀かカッターがあれば、の話だけれど。
「なら、家まで送ろうか?」
「……家の鍵……忘れて、明日まで帰れない」
「じゃあ……ウチに来る? 散らかってるけど、とりあえず横になるくらいのスペースはあるし」
「……」
 少し考えて、小さくうなずいた。
 選択の余地はほとんどなかった。
 いつまでもここにいては早瀬に見つかってしまうかもしれないし、かといって、もう自力では動けない。財布なしでは他に行くあてもない。
 淀川の肩を借りて立ち上がり、軽自動車の助手席に乗せられた。シートに腰を下ろすと、それだけで多少は楽になった。
 車が走り出す。
 意識が朦朧としていて、どこをどう走ったのかはよくわからないけれど、信号待ちを含めても十五分とかからなかったのではないだろうか。
 連れて行かれたアパートの部屋は、本や雑誌、コンビニの袋や脱ぎ散らかした服などでお世辞にも片付いているとは言い難かったけれど、足の踏み場もないというほどではなかった。職業柄か、マンガの単行本や雑誌が目についた。
 車に乗った時と同じように、肩を借りて奥の部屋のベッドに寝かされた。2LDKということで、寝室と仕事部屋は別にしているのだそうだ。
 横になっていくらか楽になったとはいえ、まだ寒気がする。震えが止まらない。
「薬とか、飲む? うちにあるのは風邪薬と胃薬、鎮痛剤くらいだけど……。あとは徹夜用の栄養ドリンクとか」
 首を振る。
 この症状は、そんなものでは治らない。
 この部屋にもありそうなもので、私の症状を和らげてくれそうなもの。
 すぐに思いつくものがひとつ。
「…………剃刀か、カッター、ある?」
「え?」
 まったく予想外の単語だったのか、なにを言われたのかわかっていないような声が返ってきた。しかし淀川の視線が私の左手首に向けられると、すぐに納得顔になった。
 いつも、血の染み込んだ包帯が巻かれている左手。
「ここで死なれると、ちょっと困るんだけど」
 冗談っぽく笑う。
 そう言いながらも、マンガを描く時の道具だろうか、変わった形の鋭いカッターを持ってきてくれた。
 右手で受け取って、包帯を解く。
「……慣れてるから、迷惑はかけないわ」
 この状況が既に迷惑かもしれないが、それは仕方がない。私なんかに関わった時点で諦めてもらうしかない。
「あと、ビデオ撮ってもいい? マンガの資料として」
 部屋の隅に置いてあった、小さなビデオカメラを手に取って訊いてくる。
「……資料?」
「うん、他の人には見せないからさ」
「……好きに、すれば。別に、どうでもいいわ」
 あまり歓迎することではないけれど、背に腹は代えられない。どうしても嫌というほどのことでもない。いつもの〈どうでもいい〉ことだ。
 淀川がカメラを構える。
 私はそちらを見もせずに、ベッドに仰向けになったまま、一瞬の躊躇もなしにカッターの刃先を左手首に突き立てた。
 鋭い痛みに顔が歪む。
 刃を横に滑らせる。
 紅い筋がくっきりと浮かび上がってくる。
 私は大きく息を吐き出した。それは、安堵の溜息だった。
 傷は、いつもよりやや深そうだった。さすがはプロの道具、切れ味がいい。
 溢れ出した血が、顔の上に滴り落ちる。
 唇を開いて受けとめる。
 口の中いっぱいに鉄錆の味が拡がる。
 それは、私の気持ちを落ち着かせる味だった。
 自分のベッドではないから、シーツを汚すわけにはいかない。仰向けの体勢のまま、身体の上で手を組んだ。
 温かい液体が、じんわりとブラウスに染み込んでくる感触。
 鼓動に合わせてじんじんと拡がる痛み。
 その効果はてきめんだった。
 あれほど具合の悪かった寒気、震え、吐き気、頭痛――そのすべてが、この短時間で気にならない程度に治まっていた。
 口元に微かな笑みが浮かぶ。
「服、汚れるよ」
 カメラを構えたまま淀川が言う。
「……別に、気にしないわ」
 むしろ私の歪んだ精神は、着衣やベッドに血の痕があった方が落ち着くほどだ。
「それにしても、やっぱり〈本物〉は雰囲気あるね。もったいつけず、ごく自然な動作だけに、逆に、鳥肌が立つくらいにぞくぞくした」
「…………そう」
 それこそ本当に〈どうでもいい〉ことだった。他人からどう評価されようと、知ったことではない。
 今の私に重要なのは、この、傷の痛みだけだった。
 ずきん、ずきん。
 鼓動に合わせて響く痛み。
 痛いが故に、心が落ち着く。
 この肉体の痛みが、他の痛みを忘れさせてくれる。
 これこそが、安らぎだった。

 その時、不意に、ポケットの中の携帯が震えた。
 取り出してみると、受信メールがあることを示すランプが灯っている。
『鞄と、えっちぃパンツを忘れてるぞ。ヒマな時に取りに来い』
 遠藤からのメールだった。
 内容はそれだけ。
 今日、私がした仕打ちにも、自分の傷にも、いっさい触れていない。
 それが遠藤なりの気遣いであることは理解できる。
 今なら、平静を保ったまま読むことができた。危ないところだった。〈切る〉前だったら、遠藤の名前を目にしただけで、携帯を叩き壊していたかもしれない。
 数秒間、黙ってそのメールを見つめて、そのまま携帯をポケットに戻した。おそらくは遠藤も返事など期待していまい。
 明日になっても精神状態が落ち着いているようなら、学校へ行ってみてもいいかもしれない。こんなメールを送ってきた以上、明日も遠藤は保健室へ来ているはずだ。
 たとえ気が進まなくても、鞄を置いてきた以上は行かなければならない。
「……ところで可奈ちゃん、夕食は? さっき買ったドーナツがあるんだけど、食べる?」
 いつの間にかビデオカメラを片付けた淀川が、ドーナツショップの箱と、コーヒー牛乳のパックと、マグカップをふたつ持ってきた。
 小さくうなずく。
 あまり食欲はなかったけれど、なにも食べないわけにもいかない。
 私は予定外の来客なのだから、遠藤のおやつを横取りするのもどうかと思ったけれど、箱の中身はひとり分の夕食プラス夜食にしても充分に余りそうな量だった。
 食べながら、淀川がぽつりぽつりと話しかけけてくる。
 私に対する質問は、ほとんどを無視。やがて無駄と悟ったのか、代わりに自分のことを話し始めた。
 聞けば、彼女はまだ大学生らしい。
 高校生の時にデビューして、大学進学と同時に本格的にプロのマンガ家としても活動するようになったのだそうだ。
 そんな彼女の作品のジャンルは、単行本に書かれた〈成年コミック〉の文字が表している。内容的に親元では都合が悪かったのか、実家も都内にあるのに、家を出て独り暮らしをしているのだという。
 私は黙って聞いていたけれど、ひとつだけ、質問してみた。
「……淀川うなぎって……変なペンネームね?」
「ああ、それは、本名が依流(いる)だから」
 笑って答えるけれど、私は首を傾げた。
 その本名とこのペンネームのつながりがわからない。
「……もしかして知らない? うなぎって、英語でイールっていうの」
「……そう」
 知らなかった。私の学力はお世辞にも高くない。勉強する気などさらさらないのだから当然だ。
 テストの点数などぎりぎり赤点を取らなければそれでいい、点数が足りなければ教師を誘惑すればいい――そんなことを考えている人間が、真面目に勉強をする理由はない。
「……可奈ちゃんって、実はけっこうおバカ?」
「…………莉鈴(りりん)」
「え?」
「莉鈴。それが、私の名前」
「……あ、なるほど」
 すぐに納得顔になる。これだけで、言わんとしていることは理解してくれたようだ。現役大学生だけあって、私よりもずっと頭の回転はいいのだろう。
「それはそうと、うなぎってなんとなくえっちっぽいイメージがない?」
「…………まあ、そうね」
 さすがに、うなぎを挿れられた経験はないけれど、そういうプレイが存在することは知っている。
「だから、男性向けマンガ家には合うペンネームかなぁって。で、名前がうなぎだから、適当に語呂のいい川の名前を姓にしたってわけ。実際、淀川にうなぎが棲んでるのかどうかは知らないけどね」
 私は、淀川がどこにあるのかすら知らない。多分、関西の方だろう。
 夕食を終えた淀川は、明日が締切の仕事があるからと仕事部屋へ入っていった。私には「好きに過ごしていい、どうせ寝る暇もないからベッドは自由に使っていい」と言い残して。
 その言葉に甘えてベッドに横になったけれど、いくらなんでも眠るにはまだ早い。適当に、近くにあったマンガを手に取った。
 背表紙に書かれている著者名は〈淀川うなぎ〉。彼女の単行本らしい。マンガのことなど詳しくないけれど、表紙に描かれた女の子は、クールな雰囲気でありながらどことなく色気を感じさせる、綺麗な絵だと思った。
 適当にページを繰っていく。
 成年コミックであるから、内容はもろにエロである。絵は綺麗なのに、やっていることはかなり過激だった。それ以上に過激なことを現実にやっている私がいうことでもないかもしれないけれど。
 彼女の作風なのか、編集部の方針なのか、すべてが陵辱系の作品で、甘い純愛ものなどひとつもなかった。
 そして、近親相姦が多かった。
 姉弟。
 兄妹。
 父娘。
 そして母子。
 弟が姉を、兄が妹を、父が娘を、そして息子が母親を陵辱していた。
 泣き叫びながらも、しかし、どこか拒みきれずにいる女性たち。
 肉親に犯されて顔をくしゃくしゃにして泣きながら、しかし肉棒に貫かれている性器は濡れている。
 過激で、痛くて、エロティックな描写。
 おもしろい、というのとは違うけれど、惹きつけられる。
 読んでいて、身体の芯が熱くなってくる。
 考えてみれば、こうしたマンガや小説を読む機会は多くはない。なにしろ〈実践〉が忙しいし、私にとってセックスは楽しむものではなく、むしろ苦痛の源なのだ。
 しかし今は、淀川のマンガに興奮していた。
 たぶん〈陵辱〉がツボなのだろう。
 セックスの相手を〈パパ〉と呼ぶことの多い私には、〈近親相姦〉というシチュエーションも影響しているのかもしれない。
 そんなことを考えていて、ふと思った。今度、早瀬としている時に〈お兄ちゃん〉などと呼んでみたら、いったいどんな反応をするだろう。
 淀川のマンガは、けっして〈おもしろい〉と思って読み進めているわけではない。
 むしろ、痛い。
 なのに、目が離せない。
 無意識のうちに、本を持っていない方の手がスカートの中に入っていた。
 そこは熱く濡れて、蜜で溢れていた。
 指を挿入する。
 声を上げないように唇を噛みながら、ページを繰る。
「は……ぁ……」
 膣の中が熱くなっている。指一本でも、かなり感じてしまう。
 こうして、なにかを見ながらのオナニーなんて珍しいことだった。自慰自体はほぼ毎日のこととはいえ、直前に自分がされていたことを反芻しながら、というのがいつものパターンだった。
 たまに、自分のDVDを見ながらすることはあるけれど、それも、撮影の時のことをよりリアルに想い出すきっかけでしかない。
 なのに今夜に限っては、淀川のマンガに夢中になっていた。
「……私のマンガ、そんなにエロい?」
 突然の声に顔を上げると、寝室の入口に淀川が立っていた。ちゃっかり、ビデオカメラを私に向けている。
 普通の女子高生なら慌てふためく場面かもしれない。しかし、オナニーを見られたくらいで狼狽える私ではない。
「……ん……けっこう」
 指を動かし続けながら応える。
「読んでて興奮した? 濡れちゃう?」
「……少し」
 実際には、かなり。
「そっか……エロマンガ家としてはいちばんの褒め言葉だな」
 目を細めて、本気で嬉しそうにしている。
 確かに、このジャンルのマンガというのはそのために存在しているのだから〈オカズにされること〉は作品が認められた証なのかもしれない。
「……ところで、なんでパンツはいてないの? 最初から……だったよね?」
 気づかれていたのか。
 いや、気づくだろう。
 普通の女の子なら、下着をはいていても気を遣うほどのミニスカートなのだ。無造作に座っているだけでも見えて当然だった。
「……脱いで、そのまま忘れてきた」
「普通、パンツって忘れるものかな?」
 いくぶん、呆れたような表情になる。
 確かに、普通はミニスカートでパンツをはき忘れたりはしない。
「…………普通じゃない、状況だったから」
 私の基準でも、今日のあれはあまり普通とはいえない出来事だった。
 詳しく聞かれると少々説明に困るところだったけれど、淀川はそれ以上追求してこなかった。聞かれたくないことだと判断して気を遣ったのか、それとも、私のオナニーの方に意識が向いていたのかもしれない。
「まあいいや、続けて」
 素直に、その言葉に従う。
 もう、やめられないところまで昂っていたし、人目を気にするどころか、むしろレンズを向けられると条件反射のようにその気になってしまう。
「……で、事後承諾になるけど、このまま撮ってていい? 資料として」
「…………好きに、すれば」
 この何倍も過激なことを、カメラの前でさんざんやってきた。それも、無修正のまま不特定多数に販売されるものを。
 淀川個人の資料としての撮影など、気にとめる必要もない些細な問題だ。
 無視して、行為に没頭しようとして。
 ふと、思いついた。
「……少し、カメラサービスした方がいい?」
 自分が気持ちよくなるためではなく〈見せる〉ためにするオナニーも、得意分野のひとつだ。今はなんだか気分がいいから、少しくらいサービスしてやっても構わない。
「そういうのも得意そうだね。でも、いいや、自然にして」
「……そう」
 その言葉通り、カメラの存在も、淀川の存在も、頭から消し去った。
 ただ、マンガの内容と、自分の指がもたらす快楽に没頭する。
 手脚を拘束され、泣きながら穢されている少女たち。
 その姿が自分と重なり、肉体に刻み込まれた感覚が次々と甦ってくる。
「んっ……んふっ…………ぅんっ!」
 中指と人差し指、二本の指で中をかき混ぜる。
 声はあまり出さないが、感じている時の証である粘性の低い愛液が溢れ、流れ出している。
「あっ……んくっ……っ、んんっ、……ぁっ!」
 開いているページには、兄と弟に、前後同時に貫かれている女の子が描かれていた。
 私も、前に二本の指を挿入したまま、お尻に薬指を挿れる。
 根元までぐいぐいと押し込む。三本の指を、いちばん深い部分でそれぞればらばらに動かす。
「あ…………ぁ…………」
 どんどん、昂っていく。
 ふぅっと意識が途切れそうになる。
「……っ! んくっ……、――――っっ!」
 びくんっ!
 身体が大きく痙攣する。

 墜ちていく――

 高いところから落下して、叩きつけられるような衝撃。
 自慰としては、激しい方に分類できる絶頂だった。

「…………特別なことしてるわけじゃないのに、妙にエロいねー」
 カメラを下ろした淀川が、緊張で息を止めていたのか、ふうっと大きく息を吐いた。
「……みんな、そう言う」
 濡れた指を引き抜いて、一本ずつ舐めながら応える。
 いやらしい〈女〉の味がする。それに精液の濃厚な味が混じっていないことが、感覚的に少々ものたりない。
「そういえば、あんた、援交してるんだよね」
「このエロさのおかげで、お小遣いには不自由しないわ」
 うんうんと、納得顔でうなずく淀川。そこでふと、なにかを閃いたような顔になった。
「私が、あんたを買うこともできる?」
「……え?」
 意外な申し出だった。訝しげな目を向ける。
「……淀川も、そういう趣味?」
 そんな風には見えないけれど。
 遠藤といい、今日はなんだか百合的展開に縁のある日だ。普段、男としか関係を持たない私としては、少々勝手が違う。
「あ、そうじゃなくて」
 淀川は苦笑しながら首を振った。
「モデルってこと」
「……モデル」
「私が用意した相手と、指示する通りにセックスして欲しい。マンガの資料として」
「…………そう」
 なるほど、それなら納得はできる。
「なんだかあんたって、カメラの前でちょっとくらいアブノなプレイでも、平気そうじゃない?」
「…………平気じゃないプレイを探す方が……難しいわね」
 むしろ、普通じゃないセックスの方がいいくらいだ。
 受け入れられない行為がまったくないわけではないけれど、それに当たる可能性はまずない。
「だからね、こう……陵辱系の、市販のいい資料がなかなか見つからないようなシチュエーションのモデルをしてもらえたらなぁ、って。……それ抜きにしても、あんた、イイよ。表情とか、滲み出る雰囲気とか……すごくイイ、そそられる。つか、血まみれのブラウス着て無表情にひとりエッチって、ヤバすぎ。あんたをモデルにして描いたら、すごくウケそう。もちろん、モデル料はできる限り希望に添うし」
 黙っているとややクールな印象を受ける淀川なのに、今は妙に熱っぽく語っている。男を狂わせる私のフェロモンに、創作意欲がかき立てられたのだろうか。
 私は気の乗らない声でぽつりと言った。
「…………たまに……ヒマで、気が向いた時なら」
 具合の悪いところを助けてもらい、泊めてもらっている身で、無下に断わることもできなかった。
 援交もAV出演も日常の一部である私にとって、淀川のカメラの前でセックスすることなど、どうってことない。
 しかし、
「……でも、カラダが空いてる日なんて、滅多にないわよ?」
 いちおう、釘を刺しておく。
 陵辱されることのモデルをすることはどうってことないけれど、どうってことないからこそ、進んでやりたいとも感じない。
 私が求めているのはカメラの前での〈演技〉ではなく、本物の〈陵辱〉なのだ。


 翌日――

 淀川は今日が締切の仕事があるとかで、結局、徹夜で机に向かっていたようだ。
 だから遠慮なくベッドを使わせてもらい、久しぶりにゆっくり眠った気がする。
 簡単な朝食もご馳走になり、血まみれになったブラウスの代わりに、着古したTシャツとパンツを一枚もらって、昼近くに彼女のアパートを後にした。
 これは、一度くらい〈モデル〉を引き受けなければならないだろうか。お礼は後で払うと言ったけれど、モデルをさせる下心があるためか、頑として首を縦に振らなかった。
 まあ、仕方がない。
 どうせなら、できるだけハードなレイプっぽい行為をリクエストしてみようか。
 そんなことを考えながらぶらぶらと歩く。
 いうまでもなく、向かう先は学校だ。
 気は進まないけれど、行かないわけにはいかない。きっと、遠藤は今日も保健室にいるだろう。下着はどうでもいいけれど、財布と家の鍵はどうしても必要だ。
 昨日、学校を飛び出した時に比べれば、身体も、精神も、状態はかなり落ち着いていた。
 足許がふらつかずに歩けるくらいには――という程度のものだけれど、それだけでも私にとっては珍しい。
 それでも、校内に入るとやっぱり具合が悪くなってきた。
 昨夜のように動けなくなるほどでないけれど、胸が苦しくなって、吐き気が込みあげてくる。このままではまずいと、いちばん近いトイレの個室に駆け込んだ。
 上体を屈めるのと同時に、強酸性の液体が胃から逆流してくる。
 胃液に、半ば消化された朝食のクロワッサンとカフェ・オ・レが混じった茶色がかった液体が、意志とは無関係に逆流し、噴き出してくる。
 結局、朝食のほとんどを吐き出してしまったようだ。胃が空っぽになっても吐き気はすぐには治まらず、分泌されたばかりの胃液を絞り出すように吐き続けた。
 口中に不快な苦みが拡がる。
 こうした嘔吐が習慣になっているというのは、もちろんいいことではない。強酸性の胃液は食道や喉を爛れさせ、癌の原因になると遠藤が言っていた。
 もっとも私の場合、そんなことを気にする必要はないのかもしれない。
 こんな、毎日のように吐かずにいられないような生活を送っていれば、癌で死ぬよりもずっと早く、精神の限界が訪れるだろう。
 心身ともに、健康とはほど遠い生活を送っている。
 しかし肉体的な死は、今のところ受け入れるつもりはない。
 それは〈罰〉を逃れる安易な道だ。
 そんなこと、許されない。
 罰を受けるためには、生き続けなければならない。
 とはいえ、もう、長くはないのかもしれない。精神的な死は、不可避のところまで近づいている――そんな気がした。
「……は、ぁ……う、ぇぐ……ぅぐっ……ふ……ぅ」
 だから、吐き気が治まらない。
 胃液の一滴すら、残っていれば吐かずにいられない。
 それでも胃が空っぽになると、多少は楽になった。
 これなら、遠藤にもなんとか会えるだろう。とにかく、鞄を受け取って即座に引き返すくらいなら大丈夫だ、きっと。
 個室を出ると、いつの間に入ってきたのか、ふたりの女子がいた。揃いのジャージは学校指定のものではないから、どこかの運動部だろうか。
 ふたりとも見覚えのない顔だったけれど、向こうは私を知っていたらしい。こちらを見て表情を強張らせた。嶮しい視線は、お世辞にも友好的とはいえない。
 そんな反応はいつものことなので、気にもとめない。何事もなかったように手を洗い、口をすすいでトイレを出た。背後でなにやらこそこそと話しているのが聞こえる。いい話でないことだけは間違いないだろう。
 吐いているところを聞かれたとなると、今度は、妊娠の噂が広まるかもしれない。
 援交をしている女子が吐いていた、イコール、妊娠――ありそうな話だ。
 今さらどんな噂が流れてもどうでもいいことではあるけれど、それが早瀬の耳に入って慌てたりしたら、少しばかり愉快かもしれないと思った。

 保健室の近くまで来ると、また脚が重くなってきた。
 どうにも、いつものように気軽にドアを開けられない。
 どうしてだろう。
 後ろめたいから?
 怯えているから?
 冗談じゃない。昨日のあれは、遠藤の自業自得だ。
 私は、警告はした。なのに遠藤の方から、こちらが過激な自衛手段を執らざる得ないところまで踏み込んできたのだ。
 正当防衛だ。自分自身を守るための。
 そう言い聞かせて正当化しようとしても、やっぱり具合が悪い。いつもと勝手が違うことは否めない。
「…………」
 ふと、気がついた。
 だったら、状況を〈いつもと同じ〉にしてしまえばいいのだ。
 とはいえ私は手ぶら。なにか使えるものはないか……と周囲を見回すと、掲示板に貼られたポスターが目に留まった。
 なんのポスターかなんて目にも入らなかった。ただ、上質の紙を使ったフルカラーのポスターだという点が重要だった。
 左手首の包帯を解く。
 ポスターを剥がす。
 厚く硬い紙の一端を、昨夜の傷がふさがったばかりの手首に当てて、力を入れて引いた。
 一瞬、顔をしかめる。
 剃刀やカッターのような鋭い刃ではない分、痛みが強い。それでも目的は達せられて、手首に紅い筋が浮かんできた。
 これでいい。
 用の済んだポスターを廊下に放り出し、保健室のドアを無造作に開けた。ノックすらしない。どうせ遠藤は、私が来るのを待っているはずなのだ。
 思った通り、ドアに鍵はかかっておらず、遠藤は机の前に座って本を読んでいた。
 予期していたかのように、驚きもせずに顔を上げる。
 私は、傷つけたばかりの左腕を掲げて言った。
「……怪我……したわ」
「そうか。そこに座れ」
 相変わらずの愛想のない声で椅子を勧める遠藤。
 しかし、顔には微かな苦笑が浮かんでいた。もしかすると、保健室の前でなにをしていたのか、見透かされているのかもしれない。
 しかしそれについてはなにも言わず、昨日のことにも触れず、いつものように淡々と傷の手当てをしてくれる。
「……そういえば、パンツは穿いているのか?」
 包帯を巻き終わったところで、からかうように言った。
「……ご心配なく」
 立ち上がって、スカートをまくり上げてみせる。
 私はどうでもよかったのだけれど、さすがにそのミニでノーパンはまずいだろうと、淀川がくれたものだ。
「少しだけ、ノーパンのままで来るんじゃないかと期待していたんだけどな」
 そう言って笑う。
「まあ、その方が私も安心だ。北川の容姿で、そのミニスカートで、しかもノーパンなんて、たとえ昼間でも襲ってくれと言ってるようなものだぞ?」
「……実際、そう言ってるんだけど。…………ご要望とあれば、脱ぎましょうか?」
「いや、遠慮しておく。昨日みたいな展開になったらちょっと困る。あれは……さすがに、かなり痛かったな」
 軽い口調で苦笑している様子からは、昨日の、犯されて泣き叫んでいた姿は想像できなかった。
 身体はもちろん、精神的なダメージもないというのだろうか。それとも、超人的な自制心によるものだろうか。
「……どっちが?」
「どっちも。……どちらかといえば……やっぱり……」
 他に誰も聞いているはずがないのに、声のボリュームが下がる。
「……フィスト、かな。あれはマジで泣いた。というか、実はまだ痛い」
 だったら少しは痛そうな顔をして見せろ、と言いたかった。
「…………慣れれば、気持ちよくなるわ、きっと。そして、普通サイズじゃものたりなくなるかもよ?」
「それはそれでいやだな。……あ、でも」
 気のせいではなく、遠藤の頬が少し紅くなっている。顔を近づけてきて、小声でささやいた。
「指、三本までは……、恥ずかしい話だが、すごくよかった。さすが経験豊富……というべきなのか?」
「気に入ったのなら、いつでもしてあげるわ。……もれなく、フィストとリスカつきだけれど」
「ひねくれ者め」
 苦笑しながら、私の頭をコツンと軽く小突いてくる。まるで、親しい友達にでもするかのように。
「…………」
 遠藤の顔が間近にあったので、そのまま、ちょんと軽く触れるだけのキスをした。
 特に意味はない。
 顔が近くにある、イコール、キス。
 私にとっては条件反射のようなものだ。
 驚いたように目を見開いて、少しだけ身体を引いた遠藤。しかしすぐに笑みがこぼれる。
 私は、鞄を持って回れ右をした。
「……何度も言ってるでしょう。私、遠藤のこと、嫌いよ」
 その台詞は、むしろ、自分に言い聞かせようとするかのようだった。


 保健室を出て帰ろうとしたところ、一階ホールにあるジュースの自販機の前で、クラスメイトの――唯一、私を〈普通のクラスメイト〉として扱う――木野悠美の姿を見つけた。
 Tシャツと短パン姿から察するに、彼女も部活だろうか。
「あれー、珍しい人がいる。どうしたの?」
 こちらに気がつくと同時に、仲のいい女の子同士がするように抱きついてきた。いま買ったばかりのジュースの紙パックを私の手に押しつける。
「……遠藤に、呼び出された」
 しっかり抱きしめられて、返事をしないと放してくれそうにない雰囲気だったので、無愛想ながらも相手をする。
「ああ、なるほど。莉鈴ってば、しばらく見ないと生きてるかどうか不安になるもんね。よかった、生きてて」
 笑いながら、ぐりぐりと頬をこすりつけてくる。
 どうして彼女は、私を親友のように扱うのだろう。相変わらずの謎だ。身体に回した腕も解いてくれない。
「…………木野は、なにしてるの?」
 少し考えて、溜息まじりに訊いた。
 彼女が離れない理由は、こうした、友達同士の会話のような反応を待っているのだと気がついた。
 案の定、嬉しそうな笑みがこぼれる。
「見ての通り、部活……って、なに、その「部活なんてやってたんだ?」みたいな今さらな顔」
 図星、だった。みたい、ではなく実際にそう思っていた。
「何度も話したじゃん、陸上部だって」
「……興味のないことは、すぐに忘れるし」
「うわ、冷たーい!」
 傷ついたような表情――もちろん演技の――で、さらに密着してくる。
 私としては、ことさらクールな反応をしたわけではなく、本当に記憶になかっただけだ。
 他人のことなど〈どうでもいい〉ことで、聞いたとしてもまともに覚えていない場合が多い。そもそも昼食時の木野の話など、半分以上はそのまま耳の中を素通りしている。
「……暑苦しい、放して」
 セックス以外で他人と触れる習慣のない私は、こうしたスキンシップは苦手だ。他人が近くにいると落ち着かない。
「相変わらずのクールビューティなんだから。ま、そこがいいんだけど」
 いったいなにがいいのやら。
 まだ、離れる様子がない。
 ここまで来ると、さすがに、普段とは違うやや不自然な態度だと感じた。
 私に対して意味もなくなれなれしい木野とはいえ、いつもは、私が拒絶しないぎりぎりの境界線を守っている。これは明らかに近づきすぎだ。
 最初に抱きついてきただけなら、夏休みで久しぶりに会ったからとも思えたけれど、いつまでも離れないのはおかしい。
「……ところで、ひとつ訊きたいんだけど?」
 木野がそう言いかけたところで、はっと気がついた。木野のこの行動、抱きついているのではなく、私が逃げないように捕まえているのだ、と。
 この後に続く〈訊きたいこと〉とやらは、私が避けたいと思うような話題なのだろう。
「莉鈴って……、今、付き合ってる彼氏とか、いる?」
 心の中で警鐘が鳴る。これこそ〈今さら〉な不自然な質問だ。
「……お小遣いもらって、時間限定のお付き合いならいくらでも、……知ってるでしょ?」
「そーゆーのじゃなくて」
 さすがにもう、なにを言いたいのか察しはついていた。だからといって、こちらから認めてやる必要はない。
「お色気モードの誰かさんが、どこかで見たような身体の大きな男子に抱きかかえられて、夜の街を歩いていた――という噂がちらほら」
「見間違いでしょ」
 即答する。もちろんそれで相手が納得するわけもなく、意味ありげに笑った。
「他の子たちはともかく、あたしが見間違えるわけないでしょ。その誰かさんが、普段と違うツインテールだったり、他校のセーラー服だったり、お化粧もしてとびっきり可愛い姿だったとしても」
 内心、舌打ちする。
 噂などといって、実は木野自身が目撃していたのでは誤魔化しようがない。
 実際のところ、早瀬との関係が他人に知られるのは時間の問題だった。早瀬の家から帰りは、たいてい自力では歩けない状態なので送ってもらっていたし、その時も特に周囲の目を気にしていたわけではない。
 そもそも、私が気にする問題でもない。私との関係を知られて困るのは早瀬の方であり、その早瀬が自分の意志で送っているのだから。
 早瀬との関係が始まって三ヶ月近く。むしろ今までよくばれずにいたものだ。
 大きく溜息をつく。
 それを降参の意思表示と受け取ったのか、私を捕まえていた腕が緩んだ。
「早瀬と、付き合ってるの?」
 直球で訊いてくる。
 私も、もう、とぼけはしなかった。
「……まさか」
 小馬鹿にしたような口調で、正直に答える。
「……たまたま、なりゆきで……セックスする機会があっただけ」
「たまたま、なりゆき……にしては、一度じゃないらしいけど?」
「…………」
 眉をひそめて木野の顔を見た。
 そこまで知られているのか。
 いったい、どこまで知っているのだろう。
 頻繁に逢っていることまで知られているのだとしたら、下手に誤魔化そうとすればするほど、それこそ本当に付き合っていて、それを隠そうとしていると受け取られかねない。
 ここは全面降伏した方がよさそうだ。
「…………私が名器で床上手だから、やみつきになったんじゃない? 時々、誘いのメールが来るわ。……特に断わる理由もない時は、相手してやってる」
「ふむ……」
 いちおうは納得したのだろうか。私も、嘘はついていない。
 しかし、ひとつ、言わなかったこと、追求されると返答に困ることがあった。
 それは〈お小遣い〉をもらっていないこと。
 早瀬との付き合いが、他とは違う特別なことと思われかねない。
 そして困ったことに、木野はそれを見逃してくれるほど抜けてはいないのだ。
「でも、援交じゃないんだよね?」
「……お金は、もらってない」
 ここで嘘をつくのは不自然だった。他の〈パパ〉たちが支払う私の〈相場〉は、普通の高校生が頻繁に払っているというには無理がある額だった。
「……ゴハンとか、おごらせてる」
 それなら、いちおうは事実といえなくもない。正確にはおごらせているのではなく、向こうが自主的に用意しているものではあるけれど。
 木野がからかうように笑う。
「それってまるで、恋人同士みたいだね。……早瀬のこと、好きなの?」
「大っ嫌い」
 即答したその台詞だけは、一点の偽りもない真実だった。
 ただし、正確には早瀬個人が嫌いなのではなく、すべての男が嫌いなだけだ。
「……私を金で買う大人たちと同じくらい、嫌いよ」
「じゃあ、強要されてるの?」
「……別に」
「…………相変わらず、歪んでますな」
 苦笑しつつも、ようやく腕を解いて完全に解放してくれた。
 ここまで若干シリアスな〈詰問〉の雰囲気を漂わせていた表情が緩んだ。この後の質問は、本当に〈雑談〉だということだろう。
「ところで……早瀬ってあの体格だけど、やっぱり……アレもおっきいの?」
 なるほど、そう来るのか。
 確かに、この年頃の女の子なら気になる話題かもしれない。
「…………かなり」
 この質問も、嘘をつく必要はない。
「それがすごくて、莉鈴もやみつきに?」
「……まさか」
 鼻で笑う。
「私にとっては痛いだけだわ」
 痛いからこそ感じてしまう、求めてしまう、という部分はあるけれど、そこまでは言わない。
 ただ、早瀬とのセックスが、私にとって単純に気持ちのいいものではないことは事実だ。いくら経験豊富とはいえ、平均よりもかなり小柄な私である。〈挿れることができる〉と〈挿れられて気持ちがいい〉の間には大きな隔たりがある。
「つまり……それだと、莉鈴の側の理由が見えないんだけど?」
 理由――すなわち、早瀬との関係を繰り返している理由。
 確かに木野の言う通りだ。他人にとっては謎だろう。
 ……いや。
 実際のところ、自分でもよくわかっていない。
 痛みを与えてくれるから――というのは理由のひとつかもしれないけれど、それは必ずしも早瀬でなくてもいいことだ。
 では、実は内心好きなのかといえば、それは嘘偽りなく絶対にありえないと断言できる。
「……そんなの、簡単でしょ」
 しばし考え、答えを思いついたところで歩き出した。
 木野もついてくる。
 もらったジュースが手の中にあったことを思い出し、ストローを挿して口にくわえた。
 ほどよく冷えたグレープフルーツジュース。酸味と苦みが心地よい。
 木野も思い出したように、自分の分のジュースをもう一本買って、小走りに私に追いついてきた。
「で、その理由とは?」
「……私が狂っているから、よ」
「なるほど」
 それなりに納得顔でうなずいている。
 彼女も、私が正気でないことは認識してくれているわけだ。
 それなら、いい。
 私の〈狂気〉を認識しつつも踏み込んでくるのなら、昨日の遠藤同様、万が一傷つけても言い訳ができる。
 ジュースを口に含みながら、校舎の外に向かってゆっくりと歩く。
 そこで、ふと、気がついた。
「……噂、広まってる?」
 木野の方を見ずに、独り言のようにつぶやいた。
 頭の中に、昨夜すれ違った茅萱の表情が甦っていた。それと、さっきトイレにいたふたり連れ。
 木野以外のクラスメイトが私に対して好意的な表情を向けないのはいつものことと思っていたけれど、それにしても彼女たちの態度は普段となにか違っていた。
 もしかすると、知っていたのではないだろうか。
 噂がそれなりに広まっているとしたら、真っ先に茅萱の耳に入らないわけがない。
「そこそこ……夏休み中だからまだいいけど、二学期になったらあっという間だろうね」
「……そう」
 どうやら、少しばかり煩わしいことになりそうだった。
 学校では他人と関わらないように、誰からも相手にされないようにしてきたけれど、新学期が始まってもそれを期待することはできないかもしれない。
「茅萱はね、たぶん、なにも言わないと思うよ? それより、彼女の友達の方がうるさいかも」
 よくある話だ。
 恋愛沙汰なんて当事者だけの問題だろうに、なぜか周囲の無関係の人間ほど騒ぐものらしい。
「……どうでもいいわ。私が誘っているわけじゃない」
「そーゆー正論が通じる相手だといいんだけど」
 実際のところ、そうじゃない相手の方が多い。恋愛に関して、女子は特にそうだ。
 そうしたことは中学の時に経験済みで、だからこそ高校では容姿もフェロモンも隠していたのに、やっぱりクラスメイトと関係を持ったのは失敗だった。ひとりと関わってしまうと、いらないしがらみもついてきてしまう。
「よく言うじゃない、恋は理屈じゃないって」
「知らないわ。……恋愛なんて、したことないし」
 知識としては知っているけれど、わざと素っ気なく応える。
 靴を履き替えて外に出ると、暑いというよりも〈熱い〉といいたくなるような気温だった。陽射しを遮るもののない校門までの空間は、真夏の太陽が無駄に照りつけていた。
「莉鈴はこの後どうすんの? よかったらお茶でもしない? あたしももう帰るし」
「……帰って寝るわ」
 これ以上、木野と会話と続ける理由はない。ましてや女同士でお茶なんて時間の無駄以外のなにものでもなく、それなら援交でもしていた方が百倍ましだ。
 とはいえ、今の体調と精神状態、そして今日の天候では、そんな気分にもなれない。
「……このところ、寝る暇もない日が続いていたから」
 現時点でいちばんましといえる行動は、さっさと帰って疲労と睡眠不足を解消することだろう。
 誘いを断わられた木野は、気を悪くする様子もなく苦笑した。〈寝る暇もなかった〉理由がなんなのか、すぐに察したようだ。
「そっか、じゃあ、またね」
 小さく手を振る木野。
 それを無視して校門へと歩き出す。
 ほんの数歩で汗が噴き出してきた。
 私を灼き殺そうとするかのような強い陽射し。ただでさえ弱っている身体がさらに消耗していくのを感じる。
 溜息が出た。
 夏休みも残り少ない。
 休み中は、学校に行かなくてもいいというだけでも、精神的にいくらか楽だった。
 新学期から、学校はさらに居心地の悪い場所になるのだろう。
 早瀬と逢うのを控えた方がいいのだろうか、とも考えたけれど、いずれにしてももう手遅れだ。早瀬とセックスしたのは事実であり、消すことはできない。
 もう一度、溜息をつく。
 いくら〈どうでもいい〉とはいっても、やっぱり少し気が重かった。

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