「……は……ぁ……、ぁっ……んんっ!」
抑えようとしても漏れてしまう喘ぎ声。しかしその声音は、快楽よりも苦痛を感じさせるものだった。
痛い。
そして、苦しい。
私は仰向けになって腕を押さえつけられた体勢で、早瀬に深々と貫かれていた。
激しく動く巨体。
フィニッシュに向けて加速していく。
ベッドが軋む。
無理やり拡げられ、激しく擦られている粘膜が悲鳴をあげる。
顔を歪ませて射精を堪えている早瀬。しかしもう限界だ。
「う……あぁっ!」
いきなり引き抜かれる。
靴下を裏返して脱ぐように、膣の内壁が引きずり出されるような感覚。唇を噛んで悲鳴を抑える。
早瀬は素早く私の上にまたがると、一瞬前まで私を貫いていた凶器を顔の前に突きつけた。
今にも破裂しそうなほどに、限界まで膨張した男性器。その先端から、早瀬の欲望が白濁した奔流となって噴き出してくる。
粘りつくような液体が、顔を汚していく。
今夜、既に三度目の射精だというのに、それはびっくりするほど濃く、そして大量だった。
早瀬と初めてセックスしてからひと月半ほどが過ぎた、とある土曜日――いや、もう日が変わって日曜日。
相変わらず、早瀬との関係は続いていた。
時々……というかちょくちょく、誘いのメールが来る。その間隔は短くて三日、長くても一週間。
これまで、ほぼすべての誘いを受け入れていた。とはいえ、無理に早瀬の都合に合わせたわけではなく、たまたま、どうしても優先しなければならない用事とのバッティングがなかっただけの話だ。
日帰りか泊まりかは日によって違うけれど、行為の激しさだけは最初と変わらない。いや、むしろ回を重ねるごとに激しさを増しているかもしれない。
早瀬は飽きる様子もなく、底なしの体力で私の身体を貪り続けている。
毎回、立ちあがる気力も体力も残らないくらい、ぼろぼろになるまで犯される。
だから大抵、帰りは抱きかかえて送ってもらう。
これまで、早瀬の家族とは一度も会っていない。
彼の父親は半単身赴任状態で、母親はこの実家と父親の元を数日おきに行ったり来たりしているのだそうだ。つまり早瀬は、母親が留守になる度に私を呼んでいるというわけだ。
お姉さんは都内の大学に通っているそうだけれど、アパートを借りて独り暮らしで、この家にはたまに顔を出す程度らしい。
今の早瀬は半分くらい独り暮らしのような状態で、女の子を連れ込んで欲望のままに犯していることになる。いいご身分だ。
それに付き合っている私もお人好しというか、物好きというか。
もちろん、早瀬には飲み物やおやつをご馳走になるだけで、お金はもらっていない。ただで、同じ相手と繰り返し逢って行為を重ねるなんて、私としては珍しいことだ。これだけの回数となると、初めてのことかもしれない。
その分、有償の〈デート〉の頻度は激減した。
早瀬との行為の直後に、さらに〈デート〉をするだけの耐久力は持ち合わせていない。二日間くらいは痛みと疲労でぐったりして、その行為の記憶と感覚を反芻しながらだらだらと自慰に耽っていることが多い。
もともと〈デート〉もお金のためというわけではないから、特に問題ではない。お小遣いについては、いちばん長い付き合いの〈パパ〉が振り込んでくれる分だけで不自由はしていない。〈デート〉用の服も大抵は買ってもらうのだから、自分のお金を遣うことなんておやつと普段着とタクシー代くらいしかない。
だから私にとっては、セックスする相手が早瀬だろうと、出会い系サイトで捕まえた〈パパ〉だろうと、さしたる違いはないのだ。
のろのろとした動作で、顔を汚している白濁液を指で拭いとる。
その指を口に運ぶ。
吐き気を催す粘液を舐めとり、飲み下す。
虚ろな表情で、その動作を繰り返す。
気がつくと、ベッドの上に早瀬の姿はなかった。きっと、飲み物と夜食の用意をしているのだろう。
今のうちに……と、ベッドの下に放り出してあった鞄を引き寄せた。
愛用の剃刀を取りだし、左手首に押し当てる。
さすがに、早瀬が見ている前ではリストカットはさせてもらえない。今さら口に出して「やめろ」とは言わないけれど、切る前に腕を押さえつけ、そのまま強引に私を犯すのだ。
それはもちろん切らせないためなのだけれど、リスカを止めると私が怒るので、そうした〈擬装〉をしているのだろう。〈力ずくで犯される〉ことに関しては、けっして文句を言わないとわかっているから。
手首に三本目の紅い筋が生まれるのと、早瀬が戻ってくるのはほぼ同時だった。無言のまま微かに眉をひそめ、お菓子と飲み物を載せたトレイを差し出してくる。切ってすぐには手当てをさせないことも、いやというほどわかっているのだ。
私はグラスを受け取り、血で汚れていく手でチョコクッキーをつまんだ。
今夜の飲み物はアイスコーヒーだった。もちろん、ペットボトル入りの既製品などではなく、手回し式のミルで豆を挽いたものだ。相変わらず、私に出す飲み物には手間をかけてくれる。これも、あの雨の日以来、変わらない点だった。
ふたつめのクッキーをつまむ。早瀬は自分のグラスを手に持ったまま、黙って私を見ている。口元には、微かな笑みが浮かんでいるように見えた。
「…………なに?」
「いや…………そうやって、お菓子を食べてる時の北川って可愛いなぁって思って」
照れ隠しなのか、苦笑しながら答える。
「……つまり、食べてる時以外は可愛くない、と?」
そう応えたのは、早瀬に可愛いと言ってもらいたかったからではない。相変わらず女の子を褒めるのが下手なことに対する、ちょっとした皮肉だ。
「んー、……してる時は、可愛いっつーより…………エロい?」
「…………そう」
〈パパ〉としている時ならともかく、早瀬が相手の時は相変わらず無機的、無表情なままなのに、それが魅力的なのだろうか。行為の激しさを考えれば、私相手にこれ以上はないくらいに欲情しているのだろうけれど、彼の嗜好はよくわからない。
もちろん、それは〈どうでもいい〉ことではある。早瀬が望むからセックスしているのであり、私の方から早瀬を選んでいるわけではないのだから。
それ以上会話を続けることもなく、アイスコーヒーを口に運ぶ。
合間に、もう一枚クッキーをつまむ。
私とのセックスにすっかりのめり込んでいる様子の早瀬。〈どうでもいい〉ことではあるけれど、なんとなく訊いてみる。
「……早瀬って、柔道部だったわよね?」
「ああ」
「……こんなことばっかりしていて、いいの?」
無意識のうちに、やや皮肉めいた口調になる。
「部活の練習は真面目にやってるさ」
特に取り繕うような様子もなく、自然に応えた。その台詞に嘘はないのだろう。
そういえば、逢うのは大抵が夜、特に平日は遅い時刻になってからが多い。部活が終わってから、ということでそんな時刻になっていたのだろうか。柔道の練習なんてけっして楽なものとは思えないけれど、その後でこの体力とは恐れ入る。
「今度の日曜、大会なんだけどな。一年では俺だけレギュラーに選ばれてんだぜ?」
自慢げに言うけれど、もちろん早瀬が期待しているような反応は返さない。
「……そう。試合を目前にして女の子と遊んでいるとは、たいした余裕だわ」
「今のうちにすっきりしておけば、雑念なしで試合に集中できるだろ。それに、した後の方が闘争心も増すような気がするんだ。だから……な?」
大きな手が私の腕を掴んだ。もう一方の手がグラスを取り上げて机の上に置く。
そして、ベッドの上に押し倒される。
早瀬はいつもより昂っているのだろうか。〈休憩時間〉が短く、傷の手当てもしていない。本当に、ふとしたきっかけでスイッチが入ってしまう奴だ。
唇を貪りながらジーンズを脱ぎ、下半身を脚の間に入れてくる。手を添える必要もないくらいに昂ったものが押しつけられる。
「…………くぅ、っん」
相変わらず〈ねじ込む〉と表現するのが相応しい強引な挿入。
もう何十回とされていることなのに、その痛みが薄れることはない。
「はぁ……」
奥に突き当たるまで押し込んで、感極まったような息を漏らす早瀬。少しの間その感覚を楽しんでから、今さらのようにTシャツを脱いで肌を密着させてきた。
力いっぱい抱きしめて、さらに強い力で下から突き上げてくる。
今夜、四度目の挿入。
もちろん、まだまだその勢いが衰える気配はなかった。
その週の土曜日――
このところ、週末は早瀬と逢っていることが多かったけれど、さすがに試合の前日にお誘いはない。
そのことは事前に予想できていたので、今夜は別な相手と〈デート〉の約束をしていた。
もちろん、初めての相手である。同じ相手と繰り返し逢うことは例外中の例外だ。
「ご主人様♪」
幼い、甘えた声で言うのは、長い髪をツインテールにして、ゴシックロリータ風の黒いミニのメイド服に身を包んだ私。
フローリングの床の上にぺたっと座って、上目遣いに可愛らしく首を傾げる。
視線の先には、今夜の相手である〈ご主人様〉。バスローブを羽織り、ソファに腰をおろして、優しげな笑みを浮かべて私を見おろしている。
その股間のものはまっすぐに上を向き、私の唾液でぬらぬらと光っていた。
足元に跪いた私は、一度離した口を再び近づける。舌先で触れ、唇を押しつけ、ごく軽く甘噛みする。
「ご主人様の……美味しい」
「……じゃあ、もっといっぱい食べなさい」
〈ご主人様〉の手が頭を撫でる。
今夜の相手は〈パパ〉ではない。まだ三十代だし、独身らしいし、〈パパ〉と呼ぶのは似合わないだろう。
そもそも彼は〈パパと娘〉よりも〈ご主人様と従順なメイド〉のシチュエーションの方がお好みらしい。いま着ているメイド服も、ホテルに入る前に買ってくれたもので、コスプレ用のちゃちな安物ではなく、けっこうな値段のブランドものだ。
〈ご主人様〉がシャワーを浴びている間に着替えて、さっそく〈ゴスロリメイド〉として〈ご奉仕〉しているところである。
舌を絡みつかせる。
唇をすぼめて吸う。
内頬に擦りつける。
喉の奥まで飲み込む。
あえて手はまったく使わず、口だけで奉仕する。頑張りすぎて唾液が溢れてくるけれど、そんな様子もお好みらしい。
「上手だね、椎奈ちゃん」
〈椎奈〉というのが今夜の名前。援交用の偽名のひとつだ。この場合、偽名というよりも〈源氏名〉という方が相応しいかもしれない。
「えへへー、シイナのおくち、気持ちイイですか?」
甘えた声。実際以上に幼い表情。
早瀬などが今の私を見たら、きっと我が目を疑うことだろう。
「ご主人様が悦んでくれると嬉しいから、もっともっとがんばっちゃいます♪」
さらに熱心に口戯を続ける。むち打ちになりそうなくらいに首を激しく動かす。
口からの刺激は〈ご主人様〉だけではなく、私も昂らせていた。
はちきれんばかりに膨らんだ男性器をくわえている口だけではなく、今夜はまだ未使用の〈下の口〉も既に涎を溢れさせている。
おかしな話だ。
いま口にくわえているのは、私にとって、この世でいちばん忌まわしい〈モノ〉のはずなのに。
なのに、感じてしまう。
男性器に擦られている口と、そして舌の粘膜が、膣と変わらないくらいに感じてしまう。私にとって、口は性器と同じだ。
口での奉仕を続けながら、手をそっとスカートの中に入れた。
下着をつけていないので、もう太腿まで濡れている。
熱を帯びて蜜を溢れさせている花弁の中心に、中指を突き挿れる。
「――っ!」
一瞬、気が遠くなる。
びりびりと痺れるような感覚に、身体が震える。
そんな様子を〈ご主人様〉が気づかないわけがない。
「椎奈ちゃん、自分でしたりして、もう我慢できない?」
「……」
根元までくわえたまま、無言でこくんとうなずく。
潤んだ瞳で〈ご主人様〉を見あげる。
「じゃあ、ちゃんとおねだりして」
「…………はぁい」
口を離して立ちあがった私は、ベッドに腰掛けてスカートをまくり上げた。
脚を大きく拡げ、その中心で蜜を滴らせて疼いている小さな割れ目をさらに指で拡げる。今夜は、そこを彩るピアスはない。
「ご主人様ぁ、シイナはもう我慢できません。ご主人様の大きなペニスで、シイナのいやらしいお口を塞いでください。ここを、いちばん奥まで貫いてください」
鼻にかかった甘い声。真っ赤になった顔。
嬉しそうに笑う〈ご主人様〉。
「よくできました。ご褒美をあげなきゃね」
バスローブを脱ぎ、コンドームを付けた〈ご主人様〉がベッドに上がってくる。
私を押し倒し、開いた脚を掴んでその間に身体を入れてくる。
濡れそぼった割れ目に押し当てられる、固い弾力を持った肉の塊。
そのまま、ゆっくりと擦りつけるように動かす。
まだ、挿入はしていない。焦らすような、ゆっくり過ぎる動きで割れ目とクリトリスを擦られる。
「ひっ……ぁんっ、ご、ご主人様ぁ……いじわるぅ」
触れただけで、気持ちいい。
擦られると、もっと気持ちいい。
だけど、そこは私の快楽の核心ではない。
「ヤ……だ……挿れ、て……」
入口で立ち止まって入ってこようとしないものを自分から受け入れようと、腰を突き上げる。なのに、〈ご主人様〉は同じ距離だけ腰を退いてしまう。
優しいけれど、意地悪な〈ご主人様〉。
欲しいのに。
欲しくて堪らないのに。
「……いじ、わるぅ……挿れ、て……挿れて、くださぃ……欲しいの……ご主人様のが欲しいの……」
「これが、欲しいの?」
私が精一杯に腰を突き上げた瞬間、〈ご主人様〉も腰を突き出してきた。
一気に根元まで貫かれる。
「あぁぁっ! ふあぁぁ……っ!」
身体が仰け反る。
視界が真っ白になる。
挿入されただけで、達してしまった。
どうしてしまったのだろう。今夜はひどく感じやすくなっている。〈甘えん坊で感じやすいロリータメイド〉の演技に酔ってしまったのだろうか。
気持ちいい。
気が遠くなるほど、気持ちいい。
「すごい……すごい…………イイ……イイのぉ」
涙が溢れてくる。
感極まったように、ぎゅっとしがみつく。
〈演技〉ではなく、無意識の動作。その証拠に、指が震えている。
「ひゃ……っ、あぁっ! あぁんっ! ぁんっ! はぁぁっ! あぁっっ!」
〈ご主人様〉が動きはじめる。
リズミカルな動き。
ひと突きごとに悲鳴が上がる。
ひと突きごとに達してしまいそうになる。
本当に、今夜はどうしたのだろう。
初めて会う相手だけれど、すごく、いい。
誰とセックスしても、どんなセックスであっても、大抵は達することができる身体ではあるけれど、ここまで気持ちいいのは珍しいことだ。
稀に、こんな相手がいる。
ペニスの大きさや形、そして動き方。人それぞれ微妙な違いがあり、そのちょっとした違いで感じ方は大きく変わってくる。ごく稀に、信じられないくらいに身体の相性がいい相手に当たる。
「……イクっ! イクッ! もうイっちゃうっ!」
〈ご主人様〉にしがみついて悲鳴をあげる間にも、何度か軽い絶頂を迎える。
だけど、止まらない。
自分から腰を突き上げ、擦りつけ、精一杯に締め上げる。
「俺も……イキそ……、椎奈ちゃんのおまんこ、めちゃくちゃ……イイ!」
「イイのっ? シイナのおまんこ、気持ちイイっ?」
「ああ、こんなにイイの……初めてだ」
そう応える〈ご主人様〉も、今にも達しそうな表情だった。
「シイナも……あぁっ! あぁぁっ! イイっ! ご主人様のペニスいいぃっ!」
今にも快楽の高みに達しそう……なのに〈ご主人様〉はひときわ深く突き入れたところで動きを止めてしまった。
「……生でしても、いい?」
私を抱きしめて、耳元でささやく。
「……え?」
「な、いいだろ?」
「…………だめ……だよ、赤ちゃん……できちゃう……」
もちろん、ピルを服用しているのだから実際にはそんな心配はない。こうした台詞も〈演出〉の一部だ。
「今日、危ない日?」
「そうでも……ない、けど……」
「いいだろ? お小遣い、倍あげるから」
「でも…………」
「それに、生の方がお互い気持ちいいだろ?」
ゆっくり、大きく、腰が動く。
中をかき混ぜるように。
それだけで意識が飛びそうになる。身体が震える。
「ね、椎奈ちゃん?」
「あぁっっ!」
言葉に合わせて、さらにひと突き。
角度を変えて、膣壁が擦られる。
「ご主人様……ズルい! こんな、カラダに……いうこときかせるような、やりかた……あぁんっ! してっ! ナマでしてぇっ! シイナの中にいっぱい出して!」
叫ぶのと同時に、膣内に在ったものが引き抜かれた。
白濁した愛液にまみれたコンドームを破り捨てた〈ご主人様〉は、剥き出しのペニスを再び挿入してくる。
「ひぃっ……ぃんっ! いっ……ぁああっっ!」
濡れた粘膜が直に絡み合う感覚に、絶頂を迎えてしまう。だけどまだ終わらない。
〈ご主人様〉を頬ばっている下の口は、もっと、もっと、さらなる快楽を求めていた。
薄いゴムの膜一枚があるかないかで、感じ方はまるで違う。泣き出すほどに気持ちよくて、死にたくなるほどおぞましい、直接の接触。
「いやぁっ、あぁっ! はぁあぁっ! いぃっ! いっ……はぁっっ!」
〈ご主人様〉にしがみつき、背中に爪を立てる。
脚も絡みつかせて全身を密着させる。
その体勢で精一杯に腰を振る。
激しい摩擦。
かき混ぜられ、ぐちゅぐちゅと泡立てられる愛液。
視界は真っ白になり、下半身がびくんびくんと痙攣する。
叫びすぎて喉がひゅーひゅーと鳴る。
「すげ……吸いついてくる……」
〈ご主人様〉もフィニッシュに向けて最後の力を振り絞る。
「あぁぁっ、ご主人様ぁっ! あぁぁ――っ!」
「イイっ、イク……ぞっ!」
「あぁあぁぁ――――っ! ご主人様ご主人サマご主人サマぁぁ――――っ!」
ホワイトアウトする視界。
頭の中でなにかが弾ける。
意志とは無関係に、てんかんの全身発作のように激しく痙攣する身体。
膣奥に噴き出してくる熱い液体の感覚。
白一色に染まった視界が、まるでスイッチを切られたように暗くなっていく。
そして、意識が途切れた。
「ん……」
意識が戻ったのは、数秒後か、それとも数分後か。
まだつながったままの〈ご主人様〉が荒い呼吸をしているから、それほど長い時間ではないのだろう。
私も、深い呼吸を繰り返している。
まだ全身が痺れたような感覚で、ほんの少し動いただけでもびくっと痙攣してしまう。
「…………ご主人……さまぁ……」
甘ったるい、とろけた声。
中に在るものはまだ固い。まだ、気持ちいい。無意識のうちに腰が動いてしまい、括約筋が伸縮を繰り返している。
「すごいな……こんな気持ちいいおまんこ、初めてだ」
「…………シイナも、めちゃめちゃ気持ちよかった……です」
「じゃあ……もう一回、してもいい?」
言いながら、腰を突き出してくる。思わず小さな嬌声が漏れる。
「な、いいだろ?」
「えー」
また、カラダにいうことをきかせるようなやり方。
私は不満げに唇を尖らせる。
ただしそれは、拒絶の意思表示ではない。
「……一回だけじゃ、ヤ」
〈ご主人様〉の肩を甘噛みしながらそう応えた。
翌、日曜日――
朝と呼ぶにはやや陽が高くなりすぎた頃、鈍い腹痛で目を覚ました。
胃や腸ではない。
子宮の、痛み。
そういえば、そろそろ生理だ。本来の予定日は明後日だったけれど、痛みからすると少し早めに来るかもしれない。ベッドのシーツは既に血塗れではあるけれど、それは手首の傷が原因だ。
今はまだ、生理痛はそれほどひどくはない。
今朝は、それよりももっと強い感覚が身体を支配している。
「ん…………ふ、ぅんっ……」
想い出すだけで、声が漏れてしまう。腰が艶めかしく動いてしまう。
昨夜の行為の感覚が、あまりに強すぎる快感のために神経に焼きついてしまったかのようだった。目を閉じて想い出すだけで、今まさにそれをされているかのような、リアルな感覚が鮮明に甦ってくる。
「はぁ……ぁんっ、んんっ……く、ぅんっ!」
血で汚れたシーツの上で、汗ばんだ身体が蠢く。昨夜、服を脱いでそのままベッドに入ったので、全裸だった。
胸は固く張って、性器は蜜を溢れさせている。
「――――っっ!」
無意識のうちに、自分に触れてしまう。人差し指と中指を揃えて挿入する。二本の指を奥まで突き入れると、それだけで軽く達してしまった。さらに薬指が勝手に動いて、膣口を強引に拡げて入ってくる。
「あっ……あぁ……っ」
昨夜の感覚が次々と甦ってくる。
セックスした翌日は、いつも、そう。
気持ちよかったセックス、激しかったセックスほど、こうした〈感覚のリピート〉は顕著で、実際にされているのと変わらないくらいに感じてしまう。
昨夜の〈ご主人様〉。
まだ三十代だけれど、とあるIT企業の重役だとかで、けっこうなお金持ちだった。
私に買い与えた服や靴、食事とホテル代、そしてお小遣い。昨夜だけで軽く十数万円は遣っている。それもごく軽いノリで支払っているのだからたいしたものだ。
それにしても、それだけの大金を費やしている〈ご主人様〉の方が、ただでしている早瀬よりも優しく、気持ちよくしてくれるというのもおかしな話だ。もっとも、それは早瀬が乱暴すぎるためなのだけれど。
でも、その方がいい。
もう、あの〈ご主人様〉と逢うことはあるまい。〈ご主人様〉とのセックスは気持ちよすぎる。
気持ちよくて、本気で感じてしまっては〈罰〉にならない。
気持ちのいいセックスなんてしたくない。
援助交際なんかで感じたくない。
心底そう思っているのに、感じてしまう身体が忌まわしい。
セックスなしでは生きていられない、いやらしい身体。
自己嫌悪する気にもなれないくらいに、嫌いな存在。
左手を、顔の前に持ってくる。
生乾きの血で汚れている。
数え切れないほどの、真新しい傷。
左手首はめちゃめちゃに切り刻まれたような状態だった。
『した回数だけ切る』といういつものルールには当てはまらない無数の傷。〈ご主人様〉が射精した三回くらいでは、ぜんぜん足りない。
その数はむしろ、軽く二桁を越える〈自分が達した回数〉に近かった。昨夜、帰宅直後に襲ってきた発狂しそうなほどの衝動は、そうしなければ治まらなかった。
普段、リストカットにナイフやカッターではなく小さな剃刀を使う理由がこれだ。昨夜の心理状態で手元にナイフなどあったら、私は今ごろ生きてはいない。
視界の隅に、床に放り出された黒い塊が留まる。
昨日、買ってもらった服の、ずたずたに切り刻まれた残骸。
それはおそらく、私の身代わりになったものだ。致命傷となるほどに自分の肉体を切り刻む代わりに、身に着けていたものを切り裂いたのだろう。
深く、溜息をつく。
のろのろとベッドから降りると、血で汚れたシーツをメイド服の残骸と一緒にごみ袋に詰め込み、新しいシーツを出した。
血でシーツを汚すことが多いから、新品は何枚も常備してある。いま交換したシーツだって、きっと半月と保つまい。
それから、時間をかけてシャワーを浴びた。身体中、膣の奥、襞の一枚一枚まで念入りに洗う。
朝食を摂るか少し悩んだけれど、まるで食欲がなかった。激しいセックスの翌朝は大抵そう。前日の感覚の名残だけでお腹いっぱいだ。
かといって、なにもお腹に入れないと立ち上がる力すら出てこない。結局、グラス一杯の野菜ジュースだけを流し込んだ。
――さて。
今日はどうしようか。
日曜日。
外はいい天気。
今のところ、なにも予定はない。
もちろん、早瀬からのお誘いもない。たしか今日は柔道の大会とか言っていたはずだ。
他の〈パパ〉たちとの約束もない。
さて、どうしよう。
ぼんやりと窓の外を眺める。
「…………セックス、したい」
ぽつりとつぶやく。
昨夜のような気持ちのいい行為ではなく、もっと、男が自分の欲望を満たすためだけにするような、私を物として扱うような、乱暴な行為がいい。
犯されたい。
陵辱、されたい。
しかし、今すぐ連絡がつく相手の心当たりもなかった。そもそも、継続して連絡を取っている相手などほとんどいないのだ。
とりあえず、出かけてみよう――そう考える。
いつものように街中でヒマそうにしていれば、すぐに男たちが声をかけてくるはずだ。
その中から、いちばん下心丸出しの相手を見繕おう。
そう考えて、服を着る。
選んだのは可愛らしいデザインのセーラー服。都内の某私立校の制服で、もちろん私が通う学校のものではない。〈デート〉用に用意したもので、スカートはオリジナルよりもかなり短く直してある。
髪は、可愛らしさを強調して、昨夜と同じようなツインテール。
軽く化粧もして、〈営業スマイル〉を浮かべてフェロモン全開で姿見の前に立ってみる。
そこに映っているのは、あどけない可愛らしさと、えもいわれぬ妖艶な雰囲気を合わせ持っ美少女。
すぐにナンパされることは間違いない。
そのことを確認して、私は家を出た。
――しかし。
街中の、人通りの多い待ち合わせスポットについた頃には気が変わっていた。
……いや、気分ではなく、体調が。
家を出ると同時に生理痛がどんどん悪化しだして、やがて耐え難いほどの痛みになってきた。とても、愛想のいい笑顔でナンパ待ちをしていられる体調ではない。
ピアスとかスパンキングとか鞭とか蝋燭とか、あるいはリストカットとか、そうした〈外的な〉痛みには強い方だと思う。しかし、内臓の痛みというのはまた別物だ。
生理痛には特に弱い。ピルを常用しているので普段の生理は軽く、この痛みには慣れていない。
なのにどういうわけか、たまに、ひどい痛みと出血に襲われることがある。
理由はよくわからない。生理直前に激しいセックスをした場合にこうなることが多いような気もするけれど、その因果関係は不明だ。
痛みはどんどん強くなってくる。
子宮を鷲掴みにされるような痛み。
滅多にないことだけに、弱い。
苦痛に顔が歪む。
――だめだ。
とても〈営業スマイル〉など浮かべていられない。生理前には性欲が高まることが多いのだけれど、さすがに今日はそんな余裕はない。肉体的にはもちろん、精神的にも。
通り道にあったドラッグストアで鎮痛剤を買って飲んだけれど、気休めにしかならなかった。かといって家に帰るのも苦痛で、とりあえず駅近くのコーヒーショップに入っていちばん奥の席に着くと、買った飲み物に手もつけず、そのままテーブルの上に突っ伏した。
痛い。
痛い。
痛い。
身体の中心から鼓動に合わせて響いてくる、鈍い、しかし重い痛み。刃物のような鋭さがないだけで、痛みそのものの強さが劣るわけではない。
痛い。
苦しい。
まるで、子宮を雑巾のように絞りあげられているみたいな感覚。
痛い。
辛い。
苦しい。
頭の中でその三つの単語がエンドレスに繰り返される。
身体を起こすことすらできない。
グラスの氷がすっかり溶けてなくなるまでそのまま突っ伏していたけれど、まったく楽になる気配はなかった。むしろ悪化しているような気がする。
不意に、胎内をなにかが流れるのを感じた。すぐにお手洗いに立ったけれどわずかに間に合わず、下着が紅く汚れていた。
予想通り、出血量が多い。
痛みも相まって、大怪我をして出血しているような気分になる。
溜息をつきながら、個室の中で下着を脱いだ。替えの下着はいつでも持ち歩いている。タンポンを挿れ、念のため下着にはナプキンも貼った。汚れた下着は汚物入れに捨てる。
席に戻って、また、うずくまる。
痛みが治まる気配はない。
もう一回、痛み止めを飲んでおこうか。
それとも――
ふと、思いついた。
〈クスリ〉はどうだろう。
粉薬、水薬、ジェル、そして座薬。〈パパ〉からもらった、効能も用途も様々な〈クスリ〉がバッグの中にある。
〈パパ〉の若い頃は〈合法ドラッグ〉などと呼ばれていたそうだけれど、現在はその多くが非合法で、ぶっちゃけ、限りなく〈麻薬〉に近いものもある。
それだけに、ドラッグストアで手に入る市販の薬よりも効果は強いのではないだろうか。〈パパ〉の激しい責めすら快楽に変えてくれる〈クスリ〉なら、この耐えがたい痛みも消してくれるのではないだろうか。
バッグの中をあさって、栄養ドリンクよりもひとまわり小さな茶色い瓶を取り出した。封を切って、まだほとんど手つかずだったアイス・カフェ・モカのグラスに注ぐ。
しかし痛みのせいか手元が狂って、〈規定量よりも少し多め〉にするつもりが〈かなり多め〉になってしまった。一瓶で約三回分のはずなのに、見ると中身はほとんど残っていない。
――まあ、いいや。
この痛みから逃れられるならなんでもいい――そんな気分でグラスを傾け、氷が溶けてぬるくなりはじめていたアイス・カフェ・モカを一気飲み。
そして、また、テーブルに突っ伏した。
それから一時間弱――
合法の鎮痛剤と非合法の〈クスリ〉と、どちらが効いたのかはわからないけれど、痛みが軽くなってきたように感じた。
あるいは単に身体が痛みに慣れてきただけかもしれないし、〈クスリ〉で頭がぼんやりしてきただけかもしれない。
なんにせよ、これなら外に出られそうだ。
今のうちに家に帰るべきだろうか。
歩くのはもちろん、バスに乗るのも面倒くさいけれど、タクシーで帰ればいい。
そう考えて店を出た。
しかし、妙に足許がふらつく。
平衡感覚がおかしくて、視界が揺れている。
やっぱり〈クスリ〉が多すぎただろうか。あるいは鎮痛剤との相乗効果かもしれない。
考えてみれば、あの〈クスリ〉を飲んで外を歩いたことなどない。いつもはホテルに入る直前に、車の中で飲まされていた。そしてシャワーを浴び終わる頃にはわけがわからなくなって、めちゃめちゃに犯されるのが常だった。
なんだか、すごく、気持ちがいい。
身体が軽い。ふわふわと浮き上がるような気がする。
まだ下腹部の鈍い痛みは続いているけれど、それは先刻までの耐え難い苦痛ではなく、妙に甘美な、快感と呼んでもいい感覚だった。
下着が濡れているように感じる。しかしタンポンを挿れているのだから、それが経血であるはずがない。
「…………セックス、したいな」
口に出してつぶやく。
下着の中がむずむずする。
乳首が固く勃起している。
無意識のうちに、内腿を擦り合わせたくなる。
セックス、したい。
それも、ナンパなんかじゃ生ぬるい。
もっと、激しく。
もっと、乱暴に。
めちゃめちゃに犯されたい。
陵辱されたい。
そんな衝動が湧き上がってくる。
だけど、それをしてくれる〈パパ〉は今は海外出張中。
早瀬は柔道の大会。
「……ったく、どいつもこいつも肝心な時にいないんだから。今ならどんなサービスでもしてやるっつーの!」
そんな台詞は頭の中で考えているだけなのか、それとも実際に口に出しているのか。
もう、それすらわからなくなっていた。
やばい。
この状況で外を歩いているのは、かなりやばい。
このままでは大声で「誰か私を犯して!」なんて叫んでしまいそうだ。
遠からず、まともに歩けなくなるだろう。いや、もう既に酔っぱらいの千鳥足みたいになっているのかもしれない。
このままではまずい。
しかし、コーヒーショップに戻るという気分でもない。
さて、どうしよう――。
考えがまとまる前に、駅前で客待ちしていたタクシーに乗り込んだ。
運転手の「どちらまで?」という問いに、自分がなんと答えたのか。
それはもう記憶になかった。
耳を震わせる歓声が、私の意識を現実に引き戻した。
我に返って最初に気づいたのは、硬い椅子の感触。
徐々に視界が戻り、目の焦点が合ってくる。
その見慣れぬ光景に、自分のいる場所を把握するまでにはしばらく時間を必要とした。
周囲を見回し、しばし首を傾げ、ようやく理解する。
大きな体育館の観客席の、最後列に座っているのだ、と。
「……なんで、こんなところ」
その理由は明白だった。
多目的の体育館。今日はそこに畳が敷かれて、柔道の試合場となっていた。
どうやら、早瀬が出場すると言っていた柔道の大会の会場に来てしまったらしい。
会場が区の体育館だということは、早瀬から聞かされていた。それは暗に「見に来て欲しい」という意図の発言だったのかもしれないけれど、もちろん私にそんなつもりはなかった。
なのに、半ば意識を失った朦朧とした頭でタクシーに乗って、行先にここを指示したらしい。財布を確認してみると千円札が一枚減っていて、手には冷たいお茶のペットボトルを持っていた。
あれだけ〈クスリ〉でラリっていたのに、意外と本能だけでも行動できるものらしい――と妙な感心をする。
もっとも、もう一度試してみようとは思わない。
なにをしでかすかわかったものではない。
見知らぬ男にホテルに連れ込まれているくらいなら一向に構わないというか、今の精神状態ではむしろ歓迎すべき展開だけれど、それよりも気がついた時には警察署か病院という可能性の方が高そうだ。
お茶をひとくち飲む。
その冷たさが、まだいくぶん朦朧としている意識を少しだけはっきりさせてくれる。
試合場では、柔道着を着た、高校生にしてはごつい体格の男たちが闊歩している。あの中に早瀬もいるのだろうか。
ひとつ、溜息をつく。
不意に、黄色い歓声が鼓膜を震わせた。
その発信源は、最前列にいる三人の女子。
そのうちの一人は見知った顔だと気がついた。〈茅萱カヲリ〉だ。
他の二人もなんとなく見覚えがあるような気がする。私服だから確信は持てないけれど、おそらく茅萱の友人で、クラスメイトなのだろう。
きゃあきゃあと楽しそうに――特に茅萱が――騒いでいる。
試合場に目の焦点を合わせる。みんな同じような大きな身体に、同じような柔道着。しかしよくよく見れば、いま試合場に出てきたのは早瀬だった。
なるほど、茅萱は友達を誘って彼氏の応援に来たというわけだ。男子柔道の試合場に女子高生の黄色い声援は少々不釣り合いな気もするけれど、茅萱はまったく気にしている様子もない。
試合場に視線を戻す。
審判の「始め」の声と同時に、茅萱の声援が一段と大きくなる。
私から見れば早瀬はびっくりするような大男だけれど、対戦相手も体格ではひけを取らないようだった。身長はやや低いけれど幅は早瀬以上で、もっと大人びたというか、ごつい、おっさんじみた顔をしている。おそらくは上級生だろう。
柔道をやっている高校生というのは、こんな連中ばかりなのだろうか。見た感じとしては強そうな印象を受ける。
いくら早瀬でもそうそう勝てまい。彼はまだ一年生なのだ。しかも、彼女でもない女の子とのセックスにうつつを抜かしているような。
少し痛い目を見ればいい――と意地の悪いことを想った。別に早瀬に恨みがあるわけではないけれど、進んで応援したいわけでもない。
試合場では、お互い、相手の柔道着を掴もうとしつつ、自分を掴もうとする相手の手を振りほどいていた。詳しくは知らないけれど、柔道は相手を掴まえて投げたり抑え込んだりすれば勝ちのはず。相手に掴ませずに、自分は相手をしっかり掴まえられれば有利になるのだろう。
私の目には、今のところ互角の争いに見えた。もちろん、柔道の試合を見慣れているわけではないから、実際のところはわからない。
しかし早瀬の試合を観戦し慣れているであろう茅萱の歓声は相変わらず元気で、不安そうな様子は見られないから、少なくとも不利な状況ではないのだろう。
戦っている二人。
なにか動きがある度に、試合場の周囲から歓声が上がる。
ふと周囲を見て、この試合場だけが隣と比べて妙に盛り上がっていることに気がついた。
それだけ、好カードということだろうか。
相手の柔道着に書かれている学校名に、なんとなく覚えがあった。あれはたしか、スポーツ全般に力を入れていることで有名な私立校ではなかっただろうか。
応援している同じ学校の選手たちはもちろん、観客席も盛り上がっている。好試合なのだろうか。茅萱たちの応援にも熱が入っている。
たぶん、つまらなそうな表情で黙って観戦しているのは私だけ――そう思ったのだけれど。
ひとつ前の列の、数メートル横の席に、ひとりの女性が無言で座っているのに気がついた。
横顔から判断するに、私よりも少し上、二十歳前後くらいだろうか。黒い服、同じく黒いロングスカート、そして長い黒髪と眼鏡。どことなく陰性の印象を受ける。
きゃあきゃあ騒いでいる茅萱などとは対照的に、ただ黙って試合場を見ている。それも集中して見入っているという雰囲気ではなく、どこか投げやりというか、つまらなそうな表情だ。
黄色い歓声を上げている茅萱たちよりも、この試合場ではよほど異質な存在だった。彼氏や友達の応援という雰囲気ではない。そもそも、どう見ても高校生ではない。大学生か、あるいは社会人だ。
かといって、自校の応援に来た教師にしては若すぎる。応援しているという雰囲気でもない。
いったいなんだろう。
なにしに来たのだろう。
どうして、あんなにつまらなそうな表情をしているのだろう。
自分を棚に上げて首を傾げる。
その時、ひときわ大きな歓声が私の思考を中断した。
反射的に視線を試合場に戻す。
早瀬が相手の大きな身体を担ぎ上げていた。一瞬後、それを畳に叩きつける。
審判の腕がまっすぐに挙がる。
茅萱が嬉しそうに飛び跳ねる。
試合場の外に控えていた、同じ学校の柔道着を着た四人も大きな声を上げている。
どうやら、早瀬が勝ったらしい。
そのことについて、特になんの感慨もなかった。別に、よかったとも残念とも思わない。ただ「ふぅん」と思うだけだ。
とはいえ、これでまた早瀬からのお誘いが増えるのかもしれない。負けていたら、多少は反省して部活に専念していたかもしれない。
さすがに今以上に増えるのはちょっとな……と思う。早瀬とすること自体は別に構わないけれど、他の相手とする余裕がまったくなくなるのは好ましくない。
まあ、多すぎると思ったら、たまに誘いを断わればいいだけの話だ。
これで早瀬の出番は終わりかと思ったけれど、茅萱たちが動く様子はなかった。耳を澄ませば「さあ、次はいよいよ決勝だよ」などとはしゃいでいる声が聞こえてくる。
すると、この大会は勝ち抜き戦で、今のが準決勝だったというわけか。
この大会がどの程度の規模のものなのかは知らない。武道館ではなく区の体育館を使っているのだから、まさか全国大会ではあるまい。しかし都の大会か、関東地区か、あるいはもっと狭い範囲の大会なのか、判断はつかない。
私の通う学校が柔道でどの程度強いのかもまったく知らないけれど、たとえ地区大会であっても決勝まで残るからには弱くはないのだろう。
早瀬の試合が終わった後、双方五人ずつの選手が並んで礼をしている。団体戦だったのだろうか。そういえば「一年生では俺だけレギュラー」とか言っていたような気がする。すると他の選手は二、三年生ということで、その中で準決勝でも勝てる早瀬はやっぱり強いのだろう。
まあ、彼の体力が底なしであることは、私もよく知っている。
ぼんやりと前を見ていると、茅萱と、その向こうにいる早瀬が同時に視界に入った。
礼を終えて畳から下りる早瀬が、こちらを見上げて小さく腕を上げた。
一瞬驚いたけれど、すぐに、茅萱に向けられたものだと気がついた。あの黄色い声援は試合中も耳に届いていたに違いない。
茅萱も手を振り返している。
考えてみれば、試合をしていた早瀬が、ここに私がいることに気づくわけがない。照明に照らされている試合場と違い、観客席の最上部は薄暗いし、そもそも今の私は早瀬が見たことのないセーラー服&ツインテール姿だ。この距離では、こちらを見ても気づかないだろう。
その方がいい。
私が見に来ていることを知ったら、変な誤解をされるかもしれない。だからもちろん、次に逢った時にも試合を見たことを言うつもりはない。早瀬の方から言い出さない限り、今日が大会だったことも忘れていたふりをする。
もっとも、次のお誘いまで一週間も間が空けば、ふりをするまでもなく本当に忘れているかもしれない。私にとっては身の回りのほとんどが〈別に、どうでもいい〉ことだから、大抵の記憶は長続きしないのだ。
そんなことを考えていると、久々に気になった。
彼はいったい、どういうつもりなのだろう。
あれだけ力いっぱいに声援を送ってくれる可愛い彼女には手を出さず、よくない噂がつきまとっている私を抱いているのは何故だろう。
自惚れではなしに私の方が顔もスタイルもいいとは思うけれど、それが決定的な要因になるほどの差でもない。
小柄すぎる私は、いくら整った体型をしているといっても、グラビアアイドルのようなボリューム感には欠ける。早瀬に対してまったく愛想を見せないことも大きな減点のはず。
それに茅萱は特筆するほどの美人ではないものの、それでも十人並みよりは間違いなく上の容姿だ。
もちろん、男を悦ばせるテクニックは私の方が上だろう。しかしそれも理由にならない。
茅萱がとんでもなくセックスが下手で、早瀬がそれについて不満を持っているというならともかく、あの二人はまだしていないのだ。いくら私とのセックスが気持ちいいとはいえ、試してみたら茅萱はもっとよかったという可能性も考えるだろう。
セックスにまったく興味がないならともかく、性欲と精力はありあまっている早瀬のこと、自分を慕っている身近な女の子としたくないわけがないと思うのだけれど。
本当に、わけがわからない。
疑問に結論が出ないまま、ぼんやりと考える。
さて、これからどうしよう。
今日は特に予定もない。まだ、動くのは億劫だ。もうしばらく、のんびり座っていたい。
こうなったら決勝まで見ていこうか。もしかしたら、早瀬が負けるところが見られるかもしれない。
決勝戦が始まるまでにはまだ少し時間があるだろうと思い、今のうちにお手洗いに行こうと立ち上がった。
――しかし。
もう〈クスリ〉は抜けたつもりでいたけれど、そうではなかったらしい。〈クスリ〉の飲み過ぎでそのあたりの判断力も鈍っていたのかもしれない。
平衡感覚がおかしい。
視界が揺れる。
まっすぐに歩けているのかどうか、自分でもよくわからない。
そもそも今日は〈クスリ〉抜きでも体調はよくないのだ。
昨夜の疲れ、睡眠不足、貧血、そして生理痛。
そこに大量の〈クスリ〉。
いい状態であるわけがない。
廊下をふらふらと歩いていて、急に視界が暗くなった。
脚がもつれてその場にうずくまる。
そのまま倒れてしまうかと思ったけれど、気がつくと、誰かに肩を押さえられていた。
「……大丈夫?」
あまり抑揚のない、女性の声。
数秒後、視力が戻ってくる。
「……あ」
状況を確認すると、廊下に座って、壁に寄りかかるような体勢になっていた。
そして、黒い服の若い女性が傍らに寄り添っている。
どこかで見た覚えが……と考えて、観客席で近くに座っていた、つまらなそうな表情をしていた女性だと気がついた。
「具合悪いの? 医務室に行く? 歩けないようなら、誰か呼んでこようか?」
さほど慌てた様子もなく、淡々とした口調で訊いてくる。
間近で顔を見ると、やはり二十歳くらいだろうか。縁なしの眼鏡をかけ、落ち着いた雰囲気の、そこそこ美人。
ただし、あまり華やかさは感じられない。私ほどではないけれど小柄で、漆黒の髪と感情が見えない表情のために、陰性の印象を受ける。左眼の下、頬骨のあたりにある三センチほどの傷痕も、そんな印象に一役買っているように感じた。
「あ……えーと……大丈夫。ちょっと、立ちくらみ。……生理中だから」
小さく深呼吸。
壁に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。
「お手洗い? ついていってあげようか?」
また倒れたら困るし、人を呼ばれるのも好ましくないので、その申し出は受け入れることにした。小さくうなずくと、肩を貸してくれる。
ゆっくりと歩いて、お手洗いに入る。
用を足し、多量の血を吸ったタンポンを替える。
お手洗いを出ると、また、肩を借りてゆっくり歩く。途中、自動販売機で飲み物を買った。
観客席ではまた最後列に座った。あの女性が隣に座る。
前を見ると、茅萱たちはまた最前列に陣取っていた。間もなく決勝戦が始まりそうだ。
「平気?」
「……ええ」
まともに歩けなかった最大の要因は、過剰摂取した〈クスリ〉で平衡感覚がおかしくなっていることだから、座っている分にはさほど問題はない。
「……珍しいわね」
「え?」
隣の女性がぽつりとつぶやく。私に向けられた言葉だったけれど、まるで独り言のように聞こえた。あまり感情が表に出ないタイプらしい。〈学校モード〉の私ほどではないにしても、〈無機的〉という表現が相応しく思える。
「柔道の試合を独りで観にくる女の子なんて、珍しいなって」
「……ああ」
確かに、そうかもしれない。もっと女の子受けがいいスポーツならともかく、柔道、それも男子の大会では。
「自分が柔道をやっているようには見えない。柔道観戦が好きならもっと楽しそうにしているでしょう。知り合いが出場しているなら、熱心に応援するでしょうし」
「……あんな風に?」
手作りの小旗を振っている茅萱たちの方を見る。状況次第ではチアガールだってやりそうな勢いだ。
「……そうね」
小さくうなずく。表情の変化が少ないのでわかりにくいが、微かに苦笑していたかもしれない。
「それとも、誰か好きな男の子でもいるの? その制服、決勝に残った学校じゃないけれど」
微かにからかうようなニュアンスが感じられる台詞。
私もからかうような口調で応じる。
「…………むしろ、逆かしら。負けるところが見られたら、いいかなって」
その台詞がどう受け取られたかはわからない。
今度はこちらから口を開く。
「そういう貴女も、楽しんで観戦しているようには見えない」
準決勝の時も、私に劣らずつまらなそうな表情だった。
むしろ、私以上に異質な存在かもしれない。制服が違うとはいえ、実際には決勝に残った学校の生徒である私と違い、年齢も合わない。なのに手には一眼レフのディジタルカメラまで持っている。
「資料収集……かな?」
「……?」
「私、マンガ家やってるの。今度、柔道やってる高校生を主人公にしようかな、って」
「……そう」
確かに、それで一応は説明がつく。それにしても、あまり熱意の感じられない観戦態度だったようには思うけれど。
そんな会話をしているうちに、そろそろ決勝戦がはじまるようだった。両校の選手と審判が試合場に出てくる。
「あの、大きな子?」
「え?」
訊き返す声は、少しだけ大きくなっていた。彼女が指さしていたのは、間違いなく早瀬だったから。
「負けるところを見たがっている相手って」
「……どうして?」
どうして、わかったのだろう。この女性とは初対面のはず。たとえ知人であっても、私と早瀬の関係を知っている者などいない。
「さっきの準決勝、あの子の試合だけ、ちゃんと見てた」
微かに、からかうような笑みを浮かべて言う。
あまり熱心な観戦態度ではないと思っていたけれど、その分、観客席まで観察していたのだろうか。確かに、創作のネタ集めに来ているのであれば、異質な観客は目にとまるかもしれない。
「その制服、違う学校よね? 知り合い?」
目の前の私と、最前列で元気に応援している茅萱と、そして早瀬を交互に見て訊いてくる。
ふと、悪戯心が頭をもたげた。
「……レイプされた、って言ったら驚く?」
目が大きく見開かれる。
眉が上がる。
はっきりとわかる、驚きの表情。
あまり表情を露わにしない相手にそんな顔をさせたことで、少しばかり溜飲が下がる。
しかし次の瞬間、その顔が興味津々といった笑みに包まれた。
「それはぜひ、詳しい話を聞きたいわね」
目が爛々と輝いている。
それはまるで特ダネを前にした記者、あるいは好物を前にした猫。
もしかして、ネタを求めているマンガ家の前に、美味しそうな餌を投げ出してしまったのだろうか。
「あ……まさか、それで妊娠しちゃったとか? 具合悪いのって、つわり?」
いくらなんでもそれは飛躍しすぎだ。マンガ家の想像力に呆れつつも感心する。
「……冗談よ。体調悪いのは、生理痛のせい」
むしろ今は生理痛そのものよりも、それを止めるために飲んだ〈クスリ〉が悪さをしているのだけれど、さすがにそれは言えない。
「あの体格だもんねー、力まかせに襲われたら抵抗もできないか。やっぱり体格相応にアレも大きいの? あなたちっちゃいのに、無理やり挿れられたらすごく痛かったんじゃない? 怪我しなかった? あ、もしかして初めて?」
機関銃のように飛び出してくる言葉。質問の形態をとってはいるけれど、口を挟む隙もない。
ひとりで勝手に盛りあがっている。そろそろ止めるべきだろうか。下手に騒いで茅萱たちに気づかれたくはない。
「…………いや、冗談、だから」
なんとかそれだけを言う。
「……この体育館の前で具合が悪くなって、休みに入っただけ」
「………………まあ、そういうことにしておいてもいいけど」
意味深な笑み。
あまり信じている様子ではない。半信半疑というか、八対二くらいで信じていない。
確かに、今の言い訳では早瀬の試合だけ注目していたことの説明にはならない。それに「レイプされた」の方が、まだいくらか真実に近い。
あんな説明では矛を収める様子もなく、
「じゃあ、それはそれとして、現役女子高生の恋愛事情とか、参考に聞かせてもらえない?」
一向に攻撃の手を緩めてくれない。
さっきまでは周囲のことなんて無関心そうに見えたのに、実は意外と好奇心旺盛だ。
「……私、恋愛なんてしたことないし」
この台詞には嘘も誇張もなかった。
まったくの真実だ。
性体験は誰よりも多くても、そこに恋愛感情はない。
強要された初体験にはじまり、援助交際にビデオ撮影に投げやりなナンパ。たまには早瀬相手のように金銭抜き、かつ自分の意志でするセックスがあっても、そこにも恋愛感情はおろか、ささやかな好意すら存在しない。
「……そうなの?」
不思議そうに首を傾げる。
「すごく可愛くてもてそうに見えるし、経験豊富そうなのに」
そういえば、今日の外見はナンパ待ち用だった。確かに、男が放っておく容姿ではない。
事実、異性にはもてるし、経験も豊富すぎるほどに豊富だ。
「……〈お小遣いもらって時間限定の恋愛〉なら経験豊富」
ぽつりと応える。
また、相手の目の輝きが増す。
「それはかえって興味深いわ。職業柄、そうした題材を扱うことも少なくないし、ぜひ、実践している人に詳しい体験談を聞きたいな?」
これっぽちも退く様子はない。むしろ、さらに創作意欲を刺激してしまったようだ。
もう「冗談」は通じないだろう。明らかに、ぽろりと真実を口にしてしまったことを見抜いている目だった。
強引に話題を逸らそうと、私は試合場を指さした。
「…………試合、はじまるみたい」
私に向けられていた視線が移動する。
ちょうど、二人の選手が向かい合って礼をしているところだった。
「……じゃあ、続きは後で」
残念そうな口調で、試合場に向かって座り直す。
どうやら、まだ私を解放してくれるつもりはないようだった。
結論からいうと、早瀬たちは優勝した。
さすがに決勝戦ということで最後まで接戦で、二勝一敗二引き分けの辛勝。最後にその二勝目を挙げて優勝を決めたのが早瀬だった。
選手たちはもちろん、茅萱たちプチ応援団もこれ以上はないはしゃぎっぷりだ。
会場では表彰式と閉会式の準備が進められている。
そこで私は席を立った。
これ以上の長居は無用だ。早瀬はもちろん、万が一にも茅萱たちに気づかれたら無用なトラブルの元ということで、早々に退散しようとした。
しかし、
「……で、先刻の話の、続き」
隣の女性が放してくれない。
「ケーキでもおごるからさ、どっかでお茶しない? 話きかせてよ」
「…………これから〈デート〉だから」
そう嘘をついて逃げようとしたのだけれど、簡単には解放してもらえない。
結局「じゃあ、続きはまた今度」と、なかば強制的にメールアドレスの交換をさせられてしまった。まあ、いざとなれば拒否リストに登録してしまえばいい。
体育館の外に出ると、そろそろ陽が傾きはじめていた。
「後で、今日のデートの顛末を聞かせてね」という台詞を背中に聞きながら、私はタクシーに乗り込んだ。
駅前に戻ってタクシーから降りた。
さて、これからどうしよう。
生理痛は完全に治まったわけではないけれど、昼前のように動けなくなるほどではない。
〈クスリ〉もずいぶん抜けて、歩いていてもふらつきはしない。
とはいえ、これからデートの相手を見つくろうという気にもなれない。長時間、痛みに耐えていたことに加えて〈クスリ〉が抜けかけているせいで、全身が倦怠感に包まれている。今すぐどうしてもセックスしたい、という気分ではない。
本当は、今のうちに家に帰るべきなのだろう。完全に〈クスリ〉が抜けたら、また痛みがぶり返してくるに違いない。既に現在、体育館にいた時よりも痛みは増しているように感じる。
遠からず、また動けなくなってしまうかもしれない。今ならまだ普通に移動できる。
しかし、このまままっすぐ帰ろうという気が起こらなかった。それでは結局、今日はなにもせず一日を無駄にしたような気がしてしまう。最初から外出せず、家で一日寝ていた方がまだ有意義だったかもしれない。
ひとまず、またコーヒーショップで腰を下ろすことにした。
アイスティのストローをくわえたまま、ぼんやりと考える。
さて、どうしよう。
下腹部からじんわりと込み上げてくる鈍痛。今はまだ耐えがたいほどの痛みではないけれど、無言の圧力をかけ続けている。
身体の中心から広がっていく内臓の痛みが、思考力を奪っていく。
動きたくない。
帰りたくない。
なにもしたくない。
かといって、ずっとここにいるのもどうかと思う。
だけど、動きたくない。
持続性の痛みというのは、人間からやる気を奪ってしまう。普段から、積極的に行動するような生活は送っていない私だけれど、それがさらに悪化する。
思考は堂々巡りを繰り返し、グラスの中身だけが徐々に減っていく。
とりあえず、これが空になったら店を出ようか。
でも、どこへ行こう。
なにも思いつかないまま、残りが最後の一口になったところで、不意に〈プライベート用〉の携帯から音楽が鳴り出した。
メールではなく、電話の着信音。
のろのろとした動作で携帯を開き、表示されている名前を見た。
少し、意外だった。
メールは数日おきに来るけれど、向こうから電話が来たのは初めてではないだろうか。
ふたつの意味で驚きつつ、携帯を耳に当てた。
「…………なにか、用?」
相手の第一声を聞く前に、不機嫌そうな声を出す。
『あ、北川? その……これから、会えないか?』
電話の相手は早瀬だった。さすがに、今日お誘いがあるとは予想外だった。
「……これから? 今日、試合とか言ってなかった?」
この目で見ていたことなどおくびにも出さずに訊く。
『ああ、もう終わったからさ』
かなり本気で驚き、そして呆れた。
元気なものだ。
決勝戦まで戦ったのだから、きっと何試合もしたのだろう。なのにまだ女を抱く元気があるとは。
「…………今、生理中なんだけど」
『え……? あ……やっぱ、生理の時って、だめか?』
残念そうな声音。
そんなにしたかったのだろうか。
まあ、彼の性欲の強さを考えれば、一週間の禁欲生活は十分すぎるほどに長かったのかもしれない。
「……別に、私はどうでもいいけれど。…………あなたのベッドが血まみれになってもいいのかしら?」
親の留守中に女の子を連れ込んでいることは内緒のはず。血塗れのシーツを誤魔化すのは難しいだろう。
電話の向こうから、悩んでいるような呻き声が聞こえてくる。
呆れたように大きな溜息をつく。わざと、早瀬に聞こえるように。
「…………そんなにしたいのだったら、ラヴホでも、行く?」
『い、いいのか?』
急に元気になる声。それには直接応えずに続ける。
「今、駅前にいるわ。遅くなるようなら、帰るわよ?」
『すぐ行く!』
電話を切る前に、既に駆け出したような勢いだった。
――やれやれ。
携帯を閉じて、小さく溜息をつく。
明日まですら待てないのだろうか。今日くらい、邪なことを忘れて優勝の喜びに浸っていてもいいのではないだろうか。
正直なところ、少し億劫だった。もっとも、それは相手が早瀬だからというわけではなく、今の体調では誰からのどんな誘いであっても同じだったろう。
……まあ、いい。
これで今日は「せっかく外出したのになにもせずに終わった一日」ではなくなった。それだけでもよしとしよう。
ふと思い出して、お手洗いに立った。
個室の中で服を脱ぎ、ピアスを付ける。今日の体調で、早瀬にここまでサービスしてやる必要もないとは思うのだけれど、もう習慣というか、条件反射みたいなものだ。
勃起した乳首を指でつまむと、ぴりぴりと痺れるような感覚を覚えた。
小淫唇にもピアスを付けている時、ついでにタンポンを交換しようかと思ったけれど、思い直してわざとそのままにしておいた。
痛みと闘っていた間にじっとりと汗ばんだ身体をウェットティッシュで拭き、制汗スプレーを吹きかける。
個室を出て、洗面台の鏡の前で化粧を直し、髪を整える。
しかし、その作業が終わる前にまた着信音が鳴りだした。
早瀬からの『駅前に着いた』という電話。
いくら早瀬の足が速いといっても、早すぎる。運よく待ち時間なしでバスに乗れたのだとしても、日曜の夕方だから道路は混んでいて、こんな早くに着けるわけがない。
いったいどんな裏技を使ったのか……と首を傾げたけれど、現れた早瀬の姿を見て納得した。
制服姿で、大きなバッグを担いでいる。大会の後、家に帰っていないのだろう。解散してすぐに電話してきたのかもしれない。
「悪い、待った?」
全力で走ってきたらしく、汗ばんだ顔で荒い呼吸をしていた。私を見て緩みかけた表情が、不思議そうに変化する。
「……って、北川、その格好……?」
「…………なにか?」
訊き返してから思い出した。自分としては珍しいことではないから失念していたけれど、今の私は他校の――美少女ゲームのような可愛らしいデザインで有名な――セーラー服を着ているし、髪はツインテールに結んでいる。早瀬が初めて見る格好だ。
無言のまま、意味深な表情で早瀬を見る。
早瀬の表情がかすかに強ばる。
〈何故こんな格好をしているのか〉を理解したらしい――ただし、今日に限っては誤解なのだけれど。
おそらく〈デート〉の後だと思ったのだろう。当然だ。男がらみでなければこんな格好をすることなどない。
早瀬は口に出してはなにも言わないけれど、私が他の男とセックスすることを快く思ってはいない。〈使用済み〉だと勘違いして引きつった表情を見せるのも当然だ。
私はあえてなにも言わない。誤解を解いて喜ばせてやる必要はない。それにひどい生理痛に見舞われなければ、早瀬が考えている通りの展開になっていたはずなのだから。
「…………なにか不満が?」
ぶっきらぼうにそれだけ言って、回れ右して歩き出した。向かう先は、徒歩十分ほどの距離にあるラヴホ街。
早瀬が慌てて後を追ってくる。
「…………少し、呆れてるわ」
前を向いたまま、早瀬の顔をちらりとも見ずにつぶやく。
「え?」
「……今日、柔道の試合だったのよね? そのまま家にも帰らずに? あなたの性欲ってどうなってるのかしら。明日まで待てなかった?」
「明日は、おふくろが帰ってくるんだよ。……都合、悪かったか?」
「…………だったら、ここにいないわ」
「あ、そっか、そうだよな」
今の私は普段の〈無機的〉というよりも、明らかに〈不機嫌〉な声になっていた。早瀬も微妙に違和感を覚えているようなので、一言つけ加える。
「…………生理痛で、ちょっと、不機嫌」
考えてみたら、いちいち説明する必要もないのだけれど、そう気がついたときにはもう言葉が口から出ていたのだから仕方がない。
「そんな体調で、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない、けど。…………どうしても嫌だったら、ここにはいない」
「……そっか」
「…………気が、紛れるわ。早瀬に犯られる痛みの方が、ましだから。それに……」
「それに?」
「少しだけ、したい、気分だったわ」
セックスはしたい、だけど相手を見繕うのが億劫――そんな気分。
「そりゃよかった」
「……別に、相手はあなたじゃなくてもよかったのだけれど」
念のため、釘を刺しておく。少なくとも、早瀬に対して好意は抱いていない。その点ははっきりさせておかなければならない。
「…………それはわかってるよ、いちおう」
早瀬はそう言って苦笑する。
そんな会話をしながら歩いているうちにも、痛みは徐々に増しているようだった。長く歩いていたくないということで、最初に目に留まった『空室』の表示があるラヴホに向かった。
「えっと……北川?」
早瀬がなにか言いたげにこちらを見ている。その意図はすぐに理解できた。
「……私が、払うわ」
「いや、俺が誘ったんだから……」
そう言いかけた台詞を遮る。
「私の方が、お金持ちだと思うけれど?」
財布を取り出そうとしていた早瀬の動きが一瞬止まる。その表情、私が〈お金持ち〉である理由を考えているのだろう。
「……えっと……そのお金って、つまり、……そういうことだろ? 北川とその金でホテルに……って、その、俺としてはちょっと抵抗があるというか……」
まあ、早瀬の心理としてはそうだろう。他の男に身体を売ったお金でホテル代を払ってもらうなんて、ヒモでもなければ素直に受け入れられなくて当然だ。
しかし、
「私としては、あなたのお金で……という方が抵抗あるもの」
その言葉は本心だった。しかし、どうしてだろう。自分でもよくわからない。普段、食事もホテルも衣類も、すべて援交相手に払わせているというのに。
たぶん、普段の援交と同じにしたくないのだと思う。早瀬との関係は、私に利益がないからこそ〈いい〉のだろう。
「いや、でも……」
「…………じゃあ、ワリカン。それ以上は負からない」
それが、私が譲れるぎりぎりの線。早瀬もこれ以上の譲歩を引き出すのは無理だと悟ったようで、小さくうなずいた。
「……わかった」
その手に数枚の紙幣を握らせ、入口をくぐる。
部屋の表示を見ると、日曜日の夕方という中途半端な時刻のせいか、そこそこ空室があるようだった。この辺りは、週末の夜などラヴホの空室探しに苦労するような街なのだけれど。
「えっと……」
こうした場所が初めての早瀬は、少々戸惑い気味だ。その耳元でささやいてやる。
「…………ランプが点いているのが空室。適当な部屋のボタンを押して、フロントで鍵を受け取って」
「……了解」
言う通りにする早瀬。
鍵を受け取ってエレベーターに乗る。
この頃になると、生理痛はまた本格的な痛みになりかけていた。自然と、早瀬の腕に縋るような体勢になる。これまで、逢うのはすべて早瀬の家だったし、帰りに送ってもらう時は腕に抱かれていたから、こんな風にして歩くのは初めてだった。
早瀬もそれは意識しているようで、頬を赤らめつつ部屋の鍵を開ける。
「……へえ、こんな風になってるんだ」
部屋に入ると、早瀬は興味深そうに室内を見回した。彼にとっては初めて訪れる場所なのだ。冷蔵庫を開けてみたり、バスルームを覗いたりしている。
しかし私にとっては、自分の部屋の次に長い時間を過ごしている場所だった。おそらく、この部屋も過去に〈デート〉で利用したことがあるのではないだろうか。
室内を物色している早瀬を無視して、勝手に服を脱いでいく。全裸になったところで、バスルームを覗いていた早瀬の背中に声をかける。
「あなたもシャワーを浴びたら? ちょっと、汗くさいわよ」
「え?」
振り返って、裸の私を見て顔を赤らめる早瀬。自分の腕を鼻に寄せて匂いを嗅ぐ。
「……そ、そうか? まあ、試合の後だしな」
「さっさと脱いで」
それだけ言って、バスルームに入った。シャワーを手に取る。
背後から、早瀬の声がする。
「えっと……い、一緒に、いいのか?」
妙に遠慮がちな口調だ。何度もセックスしているのに、実はこれまで一度も一緒にシャワーを浴びたり入浴したりしたことはなかった。私を犯す時にはなんの遠慮もない乱暴な早瀬なのに、事が終わると意外と奥手なのだ。
「その方が、時間が節約できるでしょう?」
そう応えると、なるほど……とうなずいた。バスルームの前で服を脱ぎ始める。その間に私はシャワーを浴びた。
長い間、痛みを堪えていたせいか、全身がじっとりと汗ばんでいる。
早瀬が入ってくるまでの間にたっぷりとお湯を浴び、全身にボディソープを塗った。
家を出る前にもシャワーを浴びてきたから、汗さえ軽く洗い流せば充分だ。
遅れて入ってきた早瀬に向かって、洗い場に敷かれていた〈プレイ用〉のマットを指さした。
「……そこに、寝て」
「え?」
「…………洗って、あげるわ」
「えっ?」
早瀬の声が大きくなる。
「……して、欲しくない?」
「いや……して欲しい、すっごく」
口に出すまでもなく、彼の下半身が雄弁に答えていた。
「……じゃあ、まず、俯せに」
「ああ」
そわそわした動きでマットに寝そべる早瀬。その、お尻の上あたりにまたがって、広い背中にシャワーをかけた。
続いて、ボディソープをたっぷりと手に取る。しかしそれは早瀬の背中ではなく、自分の胸とお腹に塗った。
そして、上体を倒して早瀬と身体を重ねる。
背中に、胸を擦りつける。乳首が擦られて、正直なところ、私も少し気持ちよかった。
小さな円を描くような動作で、背中全体を洗う。それから徐々に下へ移動して、お尻や脚にも胸を擦りつけた。
足の先まで洗ったところで、また上半身へと移動する。今度は、ボディソープを自分の股間と内腿に塗りつけた。そうして早瀬の腕を取り、脚の間に挟んで局部に擦りつける。私のそこは無毛なので〈タワシ洗い〉とは呼べないけれど。
やっぱり、直に性器を擦られると気持ちいい。早瀬が相手であれば、はっきり言って挿入よりもいい。なにしろ彼のペニスは私には太すぎる。
「……仰向けに……なって」
少し、呼吸が荒くなってしまう。仰向けになった早瀬の股間も、はちきれんばかりに勃起していた。
お腹の上にまたがって、上体を倒す。
唇を重ねる。
そのまま、身体を擦りつける。
互いに舌を伸ばし、絡め合う。
お尻に、固いものが当たる。
「……こういうの、気持ちいい?」
「ああ」
「……また、して欲しいと思う?」
「もちろん」
「…………たまに、なら。早瀬相手に、いつでもサービスはしないわ」
〈デート〉の時は、いつでももっと濃厚なサービスをしているけれど、〈援交〉ではない早瀬が相手となると事情が違う。
「たまに、でもいい。……すげーイイ」
「…………そう」
〈パパ〉たちが相手なら、もっと可愛らしくサービスしているのだけれど、今は相手が早瀬だから、いつもと同じく愛想のない態度だった。それでも早瀬にとっては〈イイ〉のだろうか。
もしかして彼は、いわゆる〈ツンデレ〉が好きなのだろうか。しかし私には〈デレ〉はない。〈学校モード〉の私には、はっきりいって可愛げの欠片もない。それでも早瀬は興奮している。
身体を、下へと移動していく。
早瀬の股間の上に胸を乗せる。
両手で乳房を寄せて、その谷間に早瀬のペニスを挟んだ。そのまま身体を小刻みに動かす。小柄で華奢な身体だけれど、胸はいちおう〈パイズリ〉ができる程度にはある。
しかし、早瀬にするのは初めてだった。
胸の間に、太い枝を挟んだような感覚だった。乳房を両側から押しつけるようにして、左右交互に動かす。間に挟んでいるものから、熱さが伝わってくる。
今日は、最初から頭の中が〈ナンパ待ちモード〉だったためだろうか、早瀬が相手でも〈やるべきこと〉は一通りやっておこうという気分だった。
固くなっているものの上にまたがる。しかし挿入はせず、ただ割れ目を擦りつける。騎乗位での素股の体勢で、腰を前後に滑らせる。
熱い肉の塊が、割れ目を擦る。クリトリスが擦られると、思わず声を上げそうになる。早瀬も、今にも達してしまいそうなのを必死に堪えているような表情だ。
「き、北川っ!」
動きを封じるように、私の腰を掴む。
「……もう、イキそう? ……挿れる?」
「ああ……もう我慢できない」
「じゃあ……その前に」
身体の位置を変えて、中腰で早瀬の顔の上にまたがるような姿勢になる。
「……タンポン、抜いて」
「え? あ、ああ……」
戸惑いがちに、早瀬はタンポンの紐をつまむ。
初めてのことなので、軽く、恐る恐るといった風に。
しかし抜けてこない。
私が、力いっぱいに締めつけているから。
簡単に抜けるものと思っていたのだろう。早瀬は困惑の表情を浮かべた。
普段から括約筋は鍛えている。早瀬のペニスを受け入れることのできる膣も、いっぱいに締めつければ自分の指一本ですらきつくなる。
「……どうしたの? 抜かなきゃ挿れられないわよ?」
挑発するように言う。
早瀬の手に、徐々に力が込められる。
だんだん、痛くなってくる。締めつける力を緩めないから、膣の粘膜ごと引きずり出されそうな感覚だ。
ぎりぎりまで我慢して、少しだけ力を緩める。経血をたっぷり吸って膨らんだタンポンが、ずるり……と抜けた。
早瀬の指が触れてくる。
「こうして見ると、北川の……ここって小さいな。ここに……その……俺のが入ってるなんて、今さらだけど、なんか不思議だ」
「……本当に今さら、ね。…………すごく痛いわよ? 挿れられる時、引き裂かれそうなくらい」
やや申し訳なさそうな表情になる早瀬。
「でも……イヤとか、やめてとか、言わないよな?」
「……ええ」
「てことは、しても、いいんだよな?」
「…………」
その問いには無言のまま、目だけで肯定する。
「……優しく、した方がいい?」
「嫌よ」
今度は、質問した側が驚くくらいにきっぱりと否定した。
やや困惑した表情の早瀬はどう受けとめているのだろう。単に、痛いのが好きなマゾだと思っているのだろうか。
「そういえば北川、これって、剃ってるの?」
無毛の恥丘を撫でながら話題を変えてくる。
この質問も〈今さら〉だろう。早瀬が初めてそこを見てから、二ヶ月近くが過ぎているのに。
「……いいえ、もともとの体質」
「いわゆる、パイパンってやつ?」
「ええ……早瀬は、どちらが好き?」
「え?」
「生えてるのと、生えていないの」
「んー」
小さく首を傾げる。
「……直に見たことあるの、北川のだけだからな。どっちって言われてもわかんね」
「…………それもそうね」
私も小さくうなずいた。普段相手にしているような、ロリータ趣味の〈オトナ〉たちには受けがいいのだけれど、同世代の早瀬となると事情が違う。
「高校生ぐらいで、そうしたことに妙なこだわりがあるのもどうかと思うわ。むしろ、穴があればなんでもいいっていう方が、年相応だわ」
「いや、それもどうかと。……なんでもっていうか、やっぱ北川のがいいな」
私を顔の上から移動させて、早瀬が上体を起こした。私の身体を抱きしめる。もう呼吸が荒い。
「……いいか?」
「ここで? ベッドに行く?」
「やっぱりベッド、だよな」
いつものように軽々と私を抱き上げる。
シャワーを浴びて濡れた身体のまま、ベッドの上に放り出される。
同じく濡れた身体の早瀬が重なってくる。
脚を持ち上げられて、身体を二つ折りにされた。足首をベッドに押しつけられた、かなりきつい〈まんぐり返し〉の体勢。
もっとも、身体は柔らかい方だ。体力はないけれど、柔軟性には自信がある。どんな体位の要求にも応えなければならないから。
早瀬の腰が押しつけられる。ほとんど真上から突き下ろされるような体勢だ。
「く…………ンっ」
全体重をかけた挿入。もうすっかりお馴染みとなった、膣口が引き裂かれ、お腹が突き破られるような感覚。
もともと生理痛に苦しんでいた子宮が悲鳴を上げる。ただでさえ具合が悪かった上に窮屈な体勢のため、吐き気すら込み上げてくる。
しかし早瀬の責めにはまったく容赦がない。私の具合が悪いことはわかっていても、いつも通り、始まってしまえばこれっぽちも気遣いはない。
それでこそ早瀬だ。彼とのセックスは、そこがいい。
長いストロークで腰を上下させる。
膣壁が激しく摩擦される。
内臓が圧迫される。圧迫というよりも、身体の内側から子宮を殴られているような感覚だった。
逆立ちするようなこの体勢、胃に固形物が入っていたら吐いていただろう。今日は朝から飲物しか摂っていないのが幸いだった。
しかしそれは、身体に蓄えられたエネルギーも少ないということでもある。
視界が暗くなる。このまま気を失ってしまいそうだ。激しい陵辱の痛みが、辛うじて意識をつなぎ止めている。
「か……はっ、……う、ン!」
ベッドが軋み、マットが揺れる。
早瀬の巨体が上下する。その全体重を乗せて、長大な男性器が打ち込まれる。
スイッチが入ってしまった早瀬には、手加減など期待できない。無言で、ただ欲望のままに、力まかせに私を蹂躙する。理性を取り戻して気まずそうな表情を見せるのは、数度の射精を終えて冷静になった後だ。
もちろん、今日もその例に漏れない。
あの会話の後なのに、むしろ普段よりも激しいのではないかというくらいの責め。
一週間の禁欲生活のせいか。
試合と優勝の興奮で昂っているせいか。
あるいは、今日の私が〈使用後〉と思っているせいかもしれない。嫉妬心によるものだろう、〈デート〉の後に逢う早瀬は、普段よりもさらに乱暴になる。
加速していく早瀬の動き。
今度こそ壊されてしまうのではないか、と思ってしまう。しかしそう感じるのもいつものことで、女の子の身体というのは意外と丈夫なもののようだ。
試合の疲労など感じさせずに激しい動きを続ける早瀬。
対する私はいつも以上に無反応。
痛み、寝不足、食事を摂っていないことによる低血糖、重い生理痛に耐えていたことによる心身のな疲労、そして〈クスリ〉の影響の残滓。
意識が朦朧として身体が動かない。身体が、太い丸太で貫かれているような感覚だ。
喘ぎ声すらほとんど上げることができず、ただ唇の端から胃液混じりの唾液をこぼれさせていた。
普段から、早瀬とのセックスは快感よりも、痛み、苦痛の方がずっと強い。今日は特にそうだ。まるで気持ちいいと感じない。ただただ、痛くて苦しいだけ。
……だけど。
だからこそ、いい。
それが、いい。
今、私が求めているもの。
気持ちよくなんかない、苦しいだけの、辛いだけの陵辱。
それを与えてくれるから、早瀬との関係を続けている。
「…………ぅ…………ぅぅっ、……ん」
ひときわ大きく打ち込まれる男性器。
早瀬の身体がぶるっと震え、微かな呻き声を漏らす。
私を深々と貫いている肉棒が膨らむ。
いちばん深い部分に、熱い液体が噴き出してくる。そのことをはっきりと感じられるくらい、大量に。
この一週間、自慰もなしに本当に柔道に専念していたのかもしれない、と思わせる量。
身体中の精を一気に解き放つかのような、激しい射精だった。注ぎ込まれた精液が、私の胎内で経血と混じり合っていく。
「……ンっ」
早瀬が動きを止めていたのは、射精していたほんの数秒間だけだった。普通、これだけ大量の精を放った直後は脱力感に襲われそうに思うけれど、早瀬の体力と精力はそんな生やさしいものではない。私を貫いているものの大きさも固さも失われていない。
また、中で暴れはじめる。
早瀬は脚を掴んでいた手を離し、私の身体を抱きしめた。
息ができないほど、全身が軋むほど、肋骨が折れそうなほどに、強く。
まったく身動きできないくらいに押さえつけて、なのに、腰から下は削岩機のように激しく動き続けていた。
「…………今日こそは、本当に……死んだかと、思ったわ」
早瀬が理性を取り戻したのは、まったく休みなしに三度達した後だった。
我に返ると、早瀬は申し訳なさそうな、後ろめたそうな表情を見せるのが常だった。小柄で無力な女の子相手に、欲望のままに乱暴なことをしてしまったことを思い出すのだろう。
しかし、その口から謝罪の言葉が発せられることはない。初めての時の「謝られるのは嫌い」という言葉を覚えているのだ。
ただ自嘲めいた苦笑を浮かべて、私の身体を少しだけ優しく抱きしめる。
私は失神寸前で、ぐったりとベッドに横たわっていた。
膣内が液体に満たされているような感覚。奥の方に力を入れて締めつけると、ねっとりとした液体が溢れ出してくる。
生臭い精液の匂いと、錆びた鉄を思わせる血の匂い。お世辞にも心地良いものではない、ふたつの匂いが室内に充満する。
「……うわ、すげーことになってる!」
我に返ってベッドの状況を確認した早瀬が大きな声を上げた。私も寝返りをうって下半身に目をやる。
目に飛び込んでくる、紅い色彩。
このベッドの上でどんな惨劇が繰り広げられたのか……と思うような深紅の汚れ。シーツはもちろん、太腿も、早瀬の下半身も、ひどいことになっている。
「…………した後でシーツが血で汚れてるって……、なんか、〈初めて〉みたいだな」
苦笑する早瀬。彼としてはそれが嬉しいのかもしれないけれど、私は呆れた口調で返した。
「……破瓜の血で、こんなスプラッタな光景にならないわ。これではむしろ〈痴情のもつれからベッドで相手を刺した〉という状態じゃないかしら?」
「そうなのか?」
「……そうね」
早瀬は私が初めての相手で、まだ私以外の女を知らない。初めてで出血するという知識はあっても、実際にどの程度のものかは知るまい。
「…………私はかなり出血した方だと思うけれど、それでもここまでひどくなかったわ」
出血するかしないかも含めて個人差の大きいことではあるけれど、私の場合の出血量の多さは個人差というよりも、当時の私の年齢と体格、そして行為の乱暴さが原因だろう。
今となっては、もう遠い過去のことのように思える。
「……そういえば」
早瀬がふと思い出したように訊く。
「北川の初体験って……いつ? どんな?」
考えてみれば、これも〈今さら〉な質問だった。もっと早くに訊かれていてもおかしくはないことだ。
彼にとってはなんの他意もない、なにげない好奇心による質問なのだろう。
私は上体を起こすと、無言で、早瀬の顔をまっすぐに見た。
質問の主が困惑の表情を浮かべるまで沈黙を続け、ゆっくりと口を開く。
「………………聞きたい?」
早瀬の表情が強張った。この無言の間の意味に気づいたようだ。
気まずそうに視線を逸らす。
「あ……いや……気にならないといったら嘘になるけど、言いたくないなら……」
「……別に、話すのは構わない。ただ、あなたにそれを聞く覚悟があるのかしら、って」
「…………」
困ったように目を伏せる早瀬。
「あなたが考えている通り、普通に恋人と……なんかじゃないわ。当然、私が望んだことでもない。それをするのが相応しい年齢でもない。……それでも聞きたい?」
答えは返ってこない。
当然、知りたい想いはあるのだろう。気になる女の子の初体験、興味がないわけがない。
しかし、聞いてしまっていいものかどうか、判断がつきかねるようだ。なにしろ私のこと、どんなとんでもない話を聞かされるかわかったものではあるまい。
事実、聞いていて愉快な話とは思えないし、正直なところ、あまり話したくもない。
だから、私の方から話題を変えた。お互い、まだ時期尚早だ。
「……シャワーを浴びたら、ちょうど時間ね」
ちらりと時計を見る。間もなく休憩時間も終わりだ。日曜日ではサービスタイムもない。
それでも回数を考えたら、かかった時間は短めだろう。その分、早瀬の勢いは凄いものだった。
普段、早瀬の家でする時に比べると時間も回数も少ないけれど、延長という雰囲気でもない。この場を切り上げる、ちょうどいいきっかけだろう。
「……出ましょうか」
「あ……ああ、そうだな」
ベッドから下りて立ちあがる早瀬。しかし私は立ちあがることができず、そのままベッドに突っ伏した。
「……バスルームに連れていって」
腕だけを持ち上げる。その腕を掴んだ早瀬が、心配そうな表情を浮かべる。
「大丈夫か?」
「……じゃないわ。ただでさえ調子のよくない日だったのに、誰かさんがとどめを刺したから」
こうした憎まれ口は、早瀬が相手の場合はもう日常の一部だった。早瀬も、微かな苦笑を浮かべる以外のリアクションはしない。
私の身体の下に腕を入れ、軽々と抱き上げる。
そのままバスルームへ運び、マットの上に横たえる。
シャワーのお湯が浴びせられ、大きな手が肌の上を滑って経血と精液の汚れを拭いとっていく。
そうしている時の早瀬の股間は、まだ、勢いを失ってはいなかった。
ホテルから出る時も、早瀬に抱きかかえられたままだった。
まだ、自分の脚で歩くのは辛い。部屋から出た瞬間に立ちくらみを起こして倒れそうになり、結局そのまま早瀬に抱かれて夜の街を歩くことになった。
「タクシーでも拾うか?」
家まで、歩くにはやや遠い距離だ。普段はバスかタクシーを使う。
しかし、あえて意地の悪いことを言った。
「……このまま、歩いて」
いくら早瀬とはいえ、疲れていないわけがない。だからこそ、少し困らせてやろう――と。
普段の、早瀬の家からの帰り道と比べたら、優に倍以上の距離だった。それでも早瀬なら、歩こうと思えば歩けないことはあるまい。
文句のひとつも言わず、軽い足どりで歩き出す。むしろ、口元には笑みすら浮かんでいるように見えた。
こいつマゾか……と思いかけたけれど、そんなわけがない。そこで自分の失敗に気がついた。
まさか「こうして早瀬に抱かれている時間を延ばしたいから」歩いていこうと言ったなんて思われているのだろうか。とんでもない勘違いだ。
とはいえ、もう手遅れだった。今さら「タクシーで」というのも不自然で、かえって意識しているような気がしてしまう。だから、あえて訂正せずに黙っていた。
早瀬の歩調に合わせて、街の灯りがゆっくりと後ろに流れていく。
夜の街を、小柄な女の子を抱えて歩く大男。警官に見られたら職務質問くらいはされそうなシチュエーションだけれど、ふたりとも高校の制服姿ということで、単に人目を気にしないバカップルと思われているかもしれない。
スタート地点が駅前からは少し離れたラヴホ街だから、駅前に比べたら人通りも少ない。多分、面倒なことにはなるまい。
黙っていると、すぐに意識が遠くなる。重い瞼が意志とは無関係に下がってくる。
「…………北川」
いつの間にか眠っていたのだろう。耳元で名前を呼ばれて目を覚ますと、そこは私の家のドアの前だった。
「……ン」
早瀬に抱かれたまま、スカートのポケットから鍵を取りだして渡す。早瀬は私を片腕で抱え、鍵を受け取ってドアを開けた。
「……そこ」
灯りのスイッチを入れ、玄関を入ってすぐの、左手のドアを指さす。
「……いいのか?」
家に上がっても、という語が省略された質問。家まで送ってもらうのはいつものことだけれど、早瀬が入ったことがあるのはこの玄関までだった。
「……あら、こんな状態の私を歩かせるつもり?」
意地悪く言うと、早瀬は私を抱き上げたまま靴を脱がせ、自分の靴は足だけで器用に脱いだ。
部屋のドアを開ける。中は真っ暗で、早瀬は手探りで照明のスイッチを入れた。
微かな驚きの声。
目の前の光景は、おそらく早瀬が想像していたような部屋ではない。
それは一見、〈普通の〉部屋だった。
机、ベッド、ワードローブ、テレビとDVDプレーヤー、小さな本棚。机の上にはノートパソコン。可愛らしいパステルカラーのカーテンに、同じ色調のベッドカバー、仔猫柄の大きなクッションと、いくつかの大きなぬいぐるみ。
それは、学校での私を見ている者にとっては、意外なくらいに可愛らしい〈普通の女の子の部屋〉だろう。むしろ、もっと年少の子供の部屋を思わせる内装だ。少なくとも、学校での私から想像できるインテリアではない。
「……念のため言っておくけれど、私の趣味ではないわよ?」
「え? あ……そうなんだ?」
この部屋の品々の多くは、パパ――出会い系サイトで見つける〈パパ〉ではなく、離婚した実の父親――がいまだに買い与えてくれるものだった。彼が私の親権者だったのは小学生までだから、今でもその頃の感覚が抜けていないのかもしれない。
早瀬は物珍しそうに室内を見回している。
この部屋で目につく〈私らしさ〉といえば、ベッドカバーや絨毯のあちこちに残る血の染みくらいだろう。
そういえば――
ふと、気がついた。
この部屋に他人を入れるなんて、小学生の頃の同性の友達以来、初めてのことではないだろうか。
これまで〈恋人〉と付き合ったことなんてないし、当然、援交相手を自宅に連れてくることなどありえない。そもそもクラスメイトや、私の本名を知っている相手と肉体関係を持つこと自体が異例なのだ。
しかし、今はそのことを口に出さない方がいいだろう。早瀬を特別扱いしていると誤解されたくはない。
早瀬は私をそっとベッドに下ろした。〈スイッチ〉が入っている時のように放り出したりはしない。
それでも、私は早瀬の首に回した腕を解かない。脚も早瀬の身体に回して、身体全体でしがみつくような体勢になる。
「北川……?」
「…………したく、ないの?」
微かに唇を動かす。ほとんど声にはならなかったけれど、それでも早瀬には伝わったようだ。
しがみついて、下腹部を擦りつけるように動かす。それで、早瀬の〈スイッチ〉は入るはず。
ラヴホで三回。普通の人なら十分な回数かもしれない。それでも、このまま終わったら早瀬にとっては最少記録だ。彼の精力を考えれば、まだまだ満足してはいまい。
満足していない、という点では私もだった。体調は最悪といっていいが、だからこそ、もっとぼろぼろにされたかった。
「さっきよりも激しくしてくれるなら……、……しても、いいわよ?」
「でも……、北川、体調が……」
「ここまで来たら、してもしなくても同じ。どっちにしろ、明日は休んで寝てるわ」
「それに、ほら……出血が……」
「このベッドが血で汚れるなんて、いつものことよ」
「え? ……ああ」
血で汚れているベッドカバーが目に入ったのだろう、早瀬もすぐに納得顔になった。私のリストカットの多くは、このベッドの上で行われている。
「…………したい」
早瀬が絞り出すような声で言う。必死に堪えていたものが、意志に反して溢れ出てしまったような声。
体重を預けてくる。ベッドの上でふたつの身体が重なる。
「でも…………本当にいいのか?」
もう一度、確認。それは「はじめたら手加減できないぞ」という最後通牒。
もちろん、言われるまでもない。数日おきに早瀬の相手をしているのだ。
「……あなたのセックスがどれほど激しくて乱暴か、私ほど理解している人間もいないのではないかしら?」
そう応えて唇を重ねる。舌を挿れる。押しつけた下腹部を擦りつける。
早瀬の呼吸が荒くなっている。
もう、止まらない。
ホテルからここまで、ずっと私に触れていたのだ。体調の悪い私を気遣って我慢してはいたものの、昂っていないわけがない。早瀬の股間に、大きな固まりの存在を感じる。私を貫きたい、という欲望で限界まで膨らんでいる。
私も、彼に貫かれることを望んでいた。
もっとめちゃめちゃに、もっとぼろぼろにされたい。
快楽のためではなく、苦痛のために気を失ってしまうくらいに。
明日になってもベッドから起きあがれないくらいに。
弱っている時ほど強まる、被虐的な嗜好。
「……あなたに、されたいわ。……犯して……、めちゃめちゃに……陵辱……して」
「……ああ」
声を押し殺してうなずきながら、早瀬がスカートの中に手を入れてくる。
服はそのままで下着を脱がそうとする。
「……服」
「え?」
「……あなたは脱いだら? 血で汚れるわ」
「あ……ああ」
これまで、お互いに着衣のまましたことも何度かあるけれど、生理中となれば話は別だ。まだ出血は続いている。
手早く衣類を脱ぎ捨て、全裸になる早瀬。
「北川は?」
「私は……このままでいいわ。汚れても構わないし。……早瀬が、いやじゃなければ」
「いや……セーラー服って初めてだから……なんか、昂奮する」
照れたような笑みを浮かべ、着衣のままの私に覆い被さってくる。
スカートをまくり上げ、ショーツを膝まで下ろす。先刻よりは慣れた手つきでタンポンを引きずり出す。
私の両脚を揃えたまま抱えあげ、股間を押しつけてくる。
一度、位置を確かめるように小さく腰を動かし、
「…………く……っ!」
特大の男性器が、前戯もなしに一気に突き入れられた。
一瞬の激痛。
膣が無理やり拡げられ、厚い肉の塊がねじ込まれる。
実際のところ、前戯の有無はほとんど関係がない。指や舌でどれほどほぐされて濡れていたとしても、早瀬のものはそれ以上に大きいのだし、そもそも今日は既に充分濡れている。
さらにいえば、強引に挿入される感覚が、いい。
いちばん深い部分を、ずん、と突かれる。
反射的に、ベッドカバーを握りしめる。
大きく開かれた口からは、悲鳴すら出てこない。
意識がぼやける。
今日は本当に、最後まで身体が保たないかもしれない。
「…………途中で気を失ったら、カギ……郵便受けに入れて帰って」
「ああ」
うなずきながら腰を突き出す早瀬。
ひと突きごとに動きが大きく、速くなる。
体重を乗せて、私の内蔵を繰り返し貫く。
胎内を剔られるような感覚。
視界が暗くなる。
痛み、以外の感覚がなくなる。
それは私にとって、ある意味、至福の時だった。
翌日――
早瀬に予告した通り、私は学校を休んで寝ていた。
生理痛は昨日よりもいくらか軽くなっていたけれど、まだ体調はよくない。昨夜の陵辱の後遺症もある。
子宮だけではなく身体の節々が痛い。全身がだるい。少し熱っぽい。身体に力が入らない。
目を覚ましたのは昼過ぎだった。それも自力で目覚めたのではなく、早瀬からのメールに起こされたものだ。学校はちょうど昼休みになったところだろう。
昨夜、早瀬がいつ帰ったのかも記憶にない。私は二回目の途中で意識を失ってしまった。
気がつくと、全裸で、ちゃんとベッドに入っていた。着ていた服は丁寧にたたまれていたから、おそらく早瀬が脱がしたのだろう。
ベッドに突っ伏したまま携帯を手に取る。
『生きてる?』
いつも通り簡潔な、早瀬からのメール。今では逢瀬の翌日の定型文になっている。
『……死んだ方がましって気分』
これも定型となっている返事を打つ。いつもならこれだけで返信するところだけれど、今日はその後に言葉を続けた。
『結局、何回したの?』
それを知らなければ〈切る〉ことができない。
少し考えて、さらにもう一文を追加する。
『…………嘘ついたら、これっきり』
念のため、釘を刺して送信。
早瀬は私がした回数だけ〈切る〉ことを知っているし、もちろん、リストカットのことは快く思っていない。途中で気を失ってしまった以上、過少申告してくる可能性は大いにある。
返信はすぐに届いた。
『北川の家では三回』
記憶があるのが二回目の途中までだから、いかにもそれらしい数字ではある。しかし、それを鵜呑みのするほどお人好しではない。
『じゃあ、ホテルの分と合わせて七回、切っておくわ』
これまでの経験から、おそらく四回くらいが妥当な数ではないだろうか。早瀬の性格を考えれば、ばれない範囲内での鯖読みは十分にあり得る。
机の引き出しから剃刀を取りだす。
刃を手首に押し当てる。
真横に引く。
一回。
二回。
三回。
これが、ホテルでの分。
続けてもう四回。
この部屋での分。
その途中で早瀬からの返信が届いたけれど、内容は予想できたので無視して作業を続けた。
顔の前に掲げた手首から流れ出す鮮血。
ぼんやりと見つめる。
細い腕が紅く彩られていく。
傷口に唇を寄せる。
錆びた鉄の味が口の中に広がる。
流れ出た血を舐めとっても、すぐにまた新たな血が滲み出してくる。
自分の血を舐めながら、携帯を手に取る。早瀬からのメールを表示する。
『ホントに三回だって! 嘘じゃない。我慢したんだから』
小さく肩をすくめる。
多分、これは本当のことなのだろう。
しかし、嬉しくはない気遣いだ。
我慢するくらいなら、もっとすればよかったのに。
どうして我慢などするのだろう。
もっと、もっと、ぼろぼろにされたかったのに。
『……もう手遅れ。一回は次回分の前払いにしておくわ』
そのメールを送信して、携帯を放り出す。
バスルームへ行ってシャワーを浴びる。
汗と、血と、それ以外の体液で身体中べたべただ。
隅々まで洗った後で、タンポンを挿れ、手首には無造作に包帯を巻く。
ベッドのシーツを新品に交換し、血と精液で汚れたシーツは丸めてゴミ袋に詰め込む。
ついでにタオルケットも新しいものに交換し、また、ベッドにもぐり込んだ。
次に目を覚ました時、外はもう暗かった。
また、早瀬からのメールの着信音に起こされた。
『今、北川ンちの前に来てるんだけど』
そんな文面を三十秒ほど無言で見つめていた。眠っていた頭がようやく動きだし、意味を理解する。
のろのろと起きあがり、脚を引きずるようにして玄関へ向かう。
全裸のまま、ドアを開ける。
「…………なに?」
大きな身体が視界を塞いでいる。裸の私を見て、少し慌てているようだった。
「あ……いや、ちょっと、様子を見に。あと……、ちゃんと食ってないんじゃないかと思って」
バッグとは別に持っていた袋を掲げてみせる。近所のドーナツショップのものだ。
早瀬の顔をつまらなそうに見あげる。
「…………それだけ受けとってドアを閉めたら、怒る?」
「……」
怒りはしなかったけれど、ほんの少しがっかりしたような表情を浮かべた。
「……冗談よ」
上がってもいい、という意思表示で、ドアを開けたまま後ろに下がって通路を空けた。早瀬は全裸のままの私を気にしているのだろう、素早い動作で玄関に入ってドアを閉めた。
来客用のスリッパを出しただけで、まっすぐ自室に向かう。荷物を手にした早瀬が後をついてくる。
部屋に戻って、ベッドに腰掛けた。目で促すと早瀬も隣に座ったけれど、相変わらず触れる距離ではなく、二人の間にドーナツの袋を置いた。
全裸の私と密着する距離に接近すると、簡単に〈スイッチ〉が入ってしまうからだろう、すぐにするつもりがない時、早瀬はあまり触れてこない。
早瀬が袋を開ける。ドーナツとパイがいくつか、それにアイス・カフェ・オレがふたつ。飲み物まで買ってきたとは気が利いている。早瀬のために私が飲み物の用意をするなんてごめんだし、そうした性格を早瀬もわかっているのだろう。
「…………そういえば、今日はまだなにも食べてなかったわ」
カフェ・オ・レをひとくち飲み、アップルパイを手に取る。
「なにも?」
「……早瀬に起こされてシャワー浴びた以外、ずっと寝ていたもの」
起きあがる元気もなかったというのが真相だけれど、もしかするとそれは、食事をしていないことも一因だったのかもしれない。だとしたら本末転倒だ。
「メシくらいちゃんと食ってくれよ。心配になるじゃねーか」
「…………そうね。いま私が死んだら、犯人はあなたよね」
「俺、殺人犯にはなりたくねーからさ」
そう言って苦笑する。
「別に、食べたくないわけじゃないわ。ただ、面倒だったり、食べるのを忘れていたり」
「……じゃあ、迷惑じゃなかったか?」
「……ええ。ご褒美に、手当てをしてもいいわ」
お礼、とは言わずに左腕を差し出した。その手首には紅く汚れた包帯が雑に巻かれている。
「え?」
「そのつもり、だったのでしょう?」
早瀬はドーナツの袋とは別に、ドラッグストアの袋も持っていた。恐らくはドーナツよりもこちらが本題だったのではないだろうか。一回よけいに切った私を心配して、傷薬を用意してきたのだろう。
袋を開けると、消毒薬、包帯、そして栄養ドリンクやお馴染みの鉄サプリメントなどが出てきた。
私が適当に巻いた包帯を解き、傷の手当てを始める早瀬。
ふたつ目のドーナツを口に運びながら、その光景をぼんやりと見ている私。
アップルパイとドーナツをひとつずつ、そしてアイス・カフェ・オレをお腹に収めると、ようやく人心地がついた。食べるまで、空腹であることすら気づいていなかった。
早瀬は傷の手当てを終えると、私との距離を少し空けてドーナツをひとつつまんだ。ドーナツもパイも、まだ多すぎるくらいに残っている。自分の食欲を基準にして買ってきたのだろうけれど、身体が大きく体育会系の早瀬と違い、私はもともと小柄な上、まともな食事を摂るのが面倒で飲み物で誤魔化すことが多いので、胃が小さくて極端に小食だ。これ以上は一度に食べられない。
そこでドラッグストアの袋の方から、栄養ドリンクの小さな瓶を取り出した。
「……これも、私に?」
「ああ」
こちらの方が効率がいい。こんなものに頼っているからなおさら普通の食事ができなくなるのかもしれないけれど、食事を楽しむことにも、自分の健康にも、まったく興味はない。生きていくのに必要最小限の栄養が摂取できればいいのだ。
封を切り、瓶の中身を一気に流し込む。
口中に広がる、濃厚な甘みと微かな苦み。興奮系の〈クスリ〉にも少し似た味。実際、一部の成分は共通だ。
空になった小瓶を顔の前で振る。
「……この瓶、オナニーするのにちょうどいいサイズと形よね」
唐突な台詞に、早瀬が口の中のドーナツを噴き出しそうになる。
「…………こんなふうに」
ベッドの端に腰掛けていた体勢から、ベッドの中心に移動する。早瀬に身体を向けて、脚を大きく開いた。
その中心に、逆さに持った瓶の底を擦りつける。
「……ん、……ぅ、ふぅ……ん」
昨夜の後遺症で、そこに触れるとまだ痛みがある。だからこそ、濡れてしまう。
潤滑液が滲み出してきて、瓶がぬるぬると滑る。
早瀬は呆気にとられた表情で、なにも言えずに私を見つめていた。
「ん……ン、く……ぅん……ぁ」
瓶の側面全体を使って、クリトリスを中心に割れ目を擦る。
同時に、左の乳房を持ち上げる。乳首を貫いているピアスを前歯で噛んで、軽く引っ張る。
それなりに大きな胸とはいえ、軽々と口に届くほどの巨乳でもない。
乳首が引っ張られる痛みに、さらに昂ってしまう。
「んん……んっ、……んぅ!」
タンポンの紐を指に絡めて引き抜く。代わりに、瓶を滑り込ませる。タンポンよりはずっと大きいとはいえ、早瀬はもちろん、平均的な男性器と比べても小さな瓶は、十分すぎるほどに濡れた膣内にするりと収まった。
瓶の口の螺旋山の部分に指先を引っかけて小刻みに動かす。
膣口が擦られて気持ちいい。
弾力のある男性器やバイブレーターとは違う、硬いガラスの感触。しかしさほど大きくないことに加えて蜜が溢れだしているので、硬さによる痛みはない。膣口の痛みの源は、昨夜の行為による擦り傷だ。
小刻みに前後する瓶。かき混ぜられた愛液が泡だって溢れだし、お尻の方まで流れ出してくる。
早瀬は緊張した面持ちで見つめている。その股間が膨らんでいるのが、ズボンの上からでもわかる。
なにも言えず、そして動けずにいる。
私はお尻を浮かすようにして、局部をさらに見せつける。手の動きは止めずに、口からピアスを離して言った。
「…………いつまで焦らすの? それとも、新手の放置プレイ?」
「え?」
なにを言われているのかわからない、といった表情で目を見開く早瀬。
「……あ……、北川……これって、誘ってた?」
「他になにがあると?」
「……なるほど」
ようやく、納得顔で苦笑する。
これまで手を出す気配を見せなかったのは、生理プラス昨夜のダメージが残っている私を気遣っていたためだろう。私の方から誘わなければ、今日は食べ物の差し入れと傷の手当てだけで帰っていたかもしれない。
しかし、そうした気遣いは私がいちばん欲しくないものだ。
早瀬の表情が微妙に変化する。
まだいくらか遠慮しつつも、もう後戻りできないところまで昂ってきている顔だった。
私との距離を詰めてくる。腕を掴む。
「……制服は脱いだら? 汚れるわよ? まだ、少し出血してるわ」
「あ……ああ」
慌てて制服を脱ぎはじめる早瀬。
その前で、見せつけるように、急かすように、腰を突き出して瓶を激しく動かす。
早瀬が全裸になったところで、瓶を奥まで押し込んだ。
「…………奥に、入っちゃったわ。……取ってくれる?」
身体の向きを変え、四つん這いになってお尻を突き上げる。
この挑発はかなり効いているようで、早瀬の股間はもう内側から破裂しそうなほどに膨らみきっていた。
片手で私のお尻を掴む。
もう一方の手が、局部に触れてくる。
指が挿し入れられる。
「ぁ……ん、く……ふぅんっ、んぅ……っ!」
太く、長い指が膣の中をかき混ぜる。
熱くとろけて充血した粘膜が絡みつく。
「……あ……ぁっ! んん……っ、んっ!」
私の中で蠢く二本の指。
瓶をつまんで取り出そうとしているけれど、経血と愛液にまみれたガラス瓶は滑って、なかなかうまく掴めずに悪戦苦闘している。もちろん、私は奥の部分をいっぱいに締めつけて妨害している。
結果、膣の中を激しく、めちゃめちゃにかき混ぜられることになる。
考えてみれば、早瀬相手に指でこれだけ執拗にされることは珍しい。大抵は前戯などそこそこに挿入されるように仕向けているから、少し新鮮な感覚だった。
「んんっ、……ふ……んぅっ! うぅ……んぁっ」
その前に自分でしていたせいもあって、かなり感じてしまう。
声が漏れる。
早瀬のペニスは私には大きすぎ、快感よりも痛みをより多く与えてくる。その点、太い早瀬の指は〈ちょうどいい〉サイズといえた。
このまま、指だけで達してしまいそうだ。
ベッドに爪を立てる。ベッドカバーを噛みしめる。
「――――っっっ!」
ようやく引き抜かれる小瓶。
と同時に、もう一秒たりとも我慢できないといった勢いで、早瀬が私を貫いた。
膣口が限界まで拡げられ、これだけ濡れていても激しい痛みをともなう挿入。
しかしその瞬間、私は絶頂を迎えていた。
意識が遠くなる。
全身から力が抜ける。
対照的に、早瀬が激しく暴れている。ぐったりと力の抜けた身体を、雄叫びすらあげそうな勢いで陵辱する。
今夜、記憶が残っているのはここまでで、早瀬が最初の射精を迎える前に完全に意識を失ってしまった。
翌、火曜日――
私は遅刻ぎりぎりに校門をくぐった。
相変わらず調子はよくないけれど、昨夜、眠った――というか気絶した――のが早かったため、かなり長い睡眠を取ることができ、登校できる程度には回復していた。
別に、無理して学校へ行かなければならない理由もないのだけれど、たまたま朝に目が覚めてしまったから、というのが主たる理由だった。
靴箱のところに、早瀬の姿があった。さりげなく立っているが、私を待っていたのは一目瞭然だ。
私の姿を認めて、微かにほっとしたような表情を見せた。
上履きに履き替え、早瀬の前を通り過ぎる。立ち止まらずに小声でつぶやく。
「……昨夜は、何回、したの?」
私は一度目で気を失ってしまったけれど、その後数回はされたような形跡があった。回数がわからないので、まだ昨夜の分は切っていない。
「……悪ぃ、四回」
「…………二日続けてなのに、元気ね。というか、意識のない相手として、楽しいの?」
周囲に人影がなかったので、脚を止め、呆れたような口調で訊く。
「ちょっと、罪悪感はあったけどな。……すげー興奮して、ホントは一、二回のつもりだったんだけど、止まらなかった」
そういえば、泊まりを除けば早瀬と二日続けてというのは初めてだった。泊まりの時の回数を考えれば、呆れるほどの精力を保っているのは納得できるけれど、同じ相手とこれだけ続けて飽きないのだろうか。
「……飽きないの?」
その質問と同時にまた歩きはじめる。少し遅れて早瀬がついてくる。傍目には、二人の間につながりがあるようには見えまい。
私の耳にだけ届く程度の声が返ってくる。
「あんなに興奮すること、どうして飽きるって? 北川には悪いけど、今日が平日じゃなければもっとやりたかった」
ちらりと振り返ると、照れくさそうに苦笑して、頬を掻いている姿が目に入った。
「そういえば、昨日の試合、俺が勝って優勝したんだぜ?」
「……興味ないわ」
間違っても「知ってるわ」なんて答えてはいけない。気をつけて返事をする。
「北川とすると、すごくやる気が出るような気がする」
「…………そう」
どうでもいい話だ。早瀬がしたいというなら今の関係を続けるだけだし、飽きたならそれっきりにすればいい。
背後から、早瀬の声が続く。
「……もうすぐ夏休みだろ? 休み中、会う回数少し増やせるか? また、泊まりとか、さ」
思わず、脚が止まる。
本気で、少し呆れた。
これだけ精力を持て余していて、よくも茅萱がこれまでバージンだったものだ。今さらのように、呆れ、感心する。
そして――
「………………少しくらいなら」
肩をすくめて答えた。
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