第二章

 翌、月曜日――

 体調は最悪だった。
 雨の中をずぶ濡れで歩いたせいで風邪をひいたらしい。
 その上、やはり早瀬とのセックスは激しすぎたし、手首の傷は深すぎた。
 発熱、疲労、筋肉痛、性器の擦過傷、貧血、そして寝不足。
 身体に力が入らない。
 視界が霞む。
 意識が朦朧とする。
 ふらつく足どりで登校はしたものの、とても授業を受けられるような体調でも気分でもなく、校舎に入るとそのまま保健室へ直行した。
 ドアをノックし、返事を待たずに中に入る。
「……おはよ」
「ごきげんよう……という顔ではないか」
 机に向かっていた顔なじみの養護教諭が、こちらを見て微かに眉をひそめた。
 遠藤 深春。
 担任の名前も忘れた私がフルネームを覚えている、学校では数少ない人間のひとりだ。
 入学式の朝、手首をかなり深く切って、例によって適当に包帯を巻いただけでふらふら歩いていたところ、校門をくぐったところで声をかけてきたのが彼女だった。
『包帯が汚れているぞ。替えた方がいいんじゃないか?』
 ――と。
 小柄で、どちらかといえば童顔であまり化粧っけがない女性。そのため外見だけなら二十歳そこそこくらいに見えるけれど、雰囲気はもっと年長で、おそらく三十路手前くらいではないかと思われた。
 外見とは少々不釣り合いのぶっきらぼうな口調とそばかすが特徴の養護教諭は、けっして押しつけがましくはなく、しかし否とは言わせずに私を保健室へと連れていって、傷の手当てをした。
 汚れた包帯の下から現れた、無数の醜い傷痕を目の当たりにしてもほとんど表情も変えず、傷のことにはいっさい触れず、ただ傷口を洗って新しい包帯をきれいに巻いてくれた。
 以来、時々この保健室に足を運んでいる。
 体調が悪い時。
 傷が深すぎてなかなか血が止まらない時。
 授業を受けるのが面倒な時。
 そして、校内で切った時。
 遠藤は担任や学年主任に比べるとさほど口うるさくはないので、保健室は学校の中では居心地のいい場所だった。
 最初は、面倒に巻き込まれたくない、ただ最低限の仕事を事務的にこなすだけの事なかれ主義かと思っていた。ぶっきらぼうな口調であまり口数も多くないので、どうしてもそんな印象を抱きやすいけれど、けっしてそういうわけではないらしい。
 カウンセラーを兼ねる遠藤は、親身に生徒の相談に乗ってやっている光景も珍しくない。その対応は相手によりけりで、私のような人間に口うるさく干渉しても逆効果にしかならないことをよくわかっているのだ。
「具合、悪そうだな?」
「……最悪」
 私は後ろ手でドアを閉め、まっすぐベッドに向かった。
「…………少し寝ていってもいい?」
「傷の手当てをさせるなら、な」
 職業柄、いい加減に巻いた包帯は我慢がならない――という口実で、遠藤は傷の手当てをしたがる。手首の傷を治療されるのは好きではないけれど、最近はベッドの使用料と思って諦めていた。
 無言でベッドに腰掛けると、新しい包帯を手にした遠藤が椅子を引っ張ってきて前に座る。
 おざなりに巻いた、血で汚れた包帯を解き、眉を微かに上げる。
「ずいぶん多いな?」
「…………昨夜は、激しかったから」
 小さな溜息が耳に届く。
「立場上、一応は説教しなきゃならんのだが」
「……勝手にすれば」
 聞く耳は持たないけれど、いちおうは遠藤の立場も理解している。それに遠藤も、説教しても効果がない相手に無駄な労力は極力使わない主義だ。
「せめてもう少し手加減しろ。これは明らかに出血過多だ。いっさい切るなとまでは言わんが、せめて健康を害さない程度にしておけ。そのくらいならなにも言わん」
 ひと息に言う。これで遠藤の説教は終わり。
「…………健康に留意したリスカというのも、矛盾した話だわね」
 それが私の返答。つまり、忠告に従う気などさらさらない、と。
 もう一度、溜息。
 立ち上がって机の引き出しを開けると、小さなプラスチックのケースを放ってよこした。造血に効果があるという、鉄と葉酸のサプリメントだ。
「飲んでおけ」
 ここに来るたびに飲まされている、もうすっかりお馴染みとなったサプリメント。ラベルには『一日二錠を目安に』と書かれているので、倍の四錠を手に取って口に放り込んだ。
 この点に関しては、逆らわない。
 血は必要だ。
 ――また、切るために。
 遠藤はまた傷の手当てを再開する。本職だけあって、薬を塗って包帯を巻いていく手際のよさは見事なものだ。
 ぼんやりとその様子を見ていて、ふと思いついた。
「…………その傷薬って、性器の擦り傷にも効くかしら?」
 遠藤が顔を上げる。
 なにを言われたのかわからない、というきょとんとした表情が、だんだんと呆れ顔に変わっていく。
「そんなに激しかったのか?」
「……すごく大きなものを無理やりねじ込まれて、激しく突かれて、何度も何度も……、時間も長かったわ」
「…………、まさか、レイプされたんじゃないだろうな?」
「一応、合意の上。ちょっと、予想よりも相手の精力がありあまっていただけ。途中でおあずけも可哀想だから、好きにさせておいたわ」
「それにしてもほどほどにしておけ。それほど体力ある方じゃないんだから」
「ほどほどのセックスなんて、時間の無駄よ」
 三度目の、やや大きめの溜息。
 入学から約二ヶ月、幾度となく繰り返された会話だ。
 遠藤について多少なりとも気に入っている点があるとしたら、立場上いちおう説教はするものの、他の大人たちのように頭ごなしに叱ったり無理に止めようとしたりしないところだ。〈自傷行為〉が健康に重大な問題を引き起こしそうな場合にだけ、私を諫める。
「……それより、傷薬の効果については?」
「気休め程度、だな。しみるだろうから強い薬は使えんし」
「それでもいいわ。……私としては、手首よりこっちの方が深刻」
「商売道具が使えなくなるから、か?」
「ええ、手当てしてくれるかしら?」
 腰を浮かせて無造作に下着を脱ぐと、上履きも脱いで脚をベッドに上げて拡げ、所謂M字開脚の姿勢をとった。
「……ふむ」
 遠藤は指先で眼鏡の位置を直して、そこを見つめた。
 期待に反して、少しも驚いた様子がない。いくら同性とはいえ、いきなり目の前に局部を拡げられるなどという経験に慣れているとも思えないのだけれど。
「確かに、腫れているし少し出血した跡があるな。これは痛そうだ」
 事務的な口調。そこが無毛であることにも、ピアスに彩られていることにも、ひと言も触れない。
 薬箱から見慣れないチューブを取り出すと、薄い乳白色のジェルを脱脂綿にたっぷりと含ませて、腫れた陰部に押し当てた。
 ひんやりとした感触。ぬるっとしたジェルが体温でさらさらと溶けていく感覚は、微かにしみることを除けば、セックスの時に用いる潤滑ローションにも似ていた。
「可愛らしい、きれいなまんこだな」
 薬を塗りながら、事務的な口調で遠藤が言う。
「……そう」
「もっと大切にした方がいいぞ。これで稼ぐにしろ、惚れた男を悦ばせるにしろ、大事にすれば長く使えるものなんだから」
「もう、普通の人の一生分くらいは使ったわね」
 その台詞は、意図せずやや不愉快そうな口調になっていた。
 期待が外れておもしろくない。実際のところ、傷の手当てというのは半分口実で、からかってみただけなのだ。
 いきなり目の前で下着を脱げば慌てるだろうと思ったのに、この冷静な対応はまったく予想外だった。
 だから、もうひと言つけ加えてみる。
「……ここで私が廊下に聞こえるくらいの喘ぎ声でも出したら、遠藤ってば大ピンチ?」
 今の体勢、傍目にはかなり危なげなものに見えるだろう。
 下着を脱いで脚を拡げている女生徒と、その局部に顔を寄せている教師。
 養護教諭として傷の手当てをしているというよりも、女同士でいかがわしい行為をしていると受け取る方が自然な光景だ。教師のはしくれとしてはまずい状況だろう。
 それでも遠藤は狼狽えなかった。普段から感情の起伏が乏しい性格なのは知っていたけれど、これほどとは。
「嬉しいな」
「え?」
 さすがに、予想外の答えだった。遠藤を慌てさせるつもりだったのに、むしろこっちが驚いてしまう。
「そんな冗談を言うくらい、打ち解けてくれたことが嬉しい」
 笑みすら浮かべている遠藤に腹が立った。まったく堪えていない。
 これが大人の余裕というものだろうか。こういう態度を取られると、結局のところ自分はまだ子供なのだと思い知らされてしまう。所詮、遠藤の半分ちょっとしか生きていない小娘なのだ。
 無機質の仮面を保てずに、不機嫌さが表情に出てしまう。
「それとも、私をクビにしたいくらい嫌ってるのか?」
 からかうような口調。そんなことはないとわかっていて訊いている。
 他人に対して〈好き〉などという感情を抱いたことはないけれど、遠藤は〈嫌い〉ではなく〈その他大勢〉でもない、数少ない存在だった。
 今日のところは、負けを認めて撤退する。
「…………私だって、冗談くらい、言うわ」
 抑揚のない口調で答える。
 私にできることは、これが精いっぱいだった。
「問題は、冗談だとわかりにくいことだがな」
 表情のない顔。無機的な口調。
 なのに私の考えていることを読み取ってしまう遠藤に腹が立つ。
 だけど、だからこそここに足を運んでしまうのだろう、とも想う。
「……まあ、こんなものだろ」
 手当を終えた遠藤が、塗り薬を片付ける。代わりに風邪薬を取りすと、二錠を手に取って渡してきた。先刻のサプリメントのように容器ごと渡さなかったのは、万が一にも一気飲みなどしたら、鉄剤と違って危険だからだろう。
 そうした点では、遠藤は自分の仕事に関して……あるいは私の扱いに関して用心深い。入学間もない頃の、今よりもずっと不安定だった私を見ているのだから当然といえば当然ではある。
「腫れと痛みがひくまで、数日くらいはオトコくわえ込むのは控えろよ。治ったら、まあ、好きにしていいから」
 わかった、と答えるのも癪で、無言で下着を直した。
 そのままベッドに横になって昨夜の疲労と睡眠不足を解消しようとしたけれど、しかし遠藤はそれを許してくれなかった。
「寝る前に、まだ、やることがあるだろう」
「…………そうね、制服を脱がなくちゃ。スカートが皺になってしまうわ」
 わかっていて、わざととぼける。
 遠藤が無言で見ている前でスカートを脱ぎ、ブラウスのリボンを取り、眼鏡を外す。
 スカートをたたんで上にリボンと眼鏡を置く。
 ベッドに横になり、毛布を口元まで引き上げる。
 遠藤はまだ私を見つめている。片時も視線を逸らしはしない。
 ――やれやれ。
 今度はこちらが溜息をつく番だった。
 〈やるべきこと〉をするまでは眠らせてもらえそうにない。しかし、本当にもう限界だった。私の身体は睡魔の猛攻に白旗を揚げる寸前だ。
 寝かせてくれるならなんでもする、と言いたい心境。遠藤が男だったら、あるいはレズビアンだったら、話は早かったのに。
「…………昨日は〈パパ〉とデートの約束だったわ」
 仕方なく、身体を起こしてベッドの上に座り、話し始めた。
 昨日の出来事を、ひとつずつ。
 それを無言で聞く遠藤。
 ある意味、それが彼女の本来の仕事だ。
 今どきの高校の保健室、怪我や肉体的な病気よりも、心を病んでいる生徒の相手をすることの方がはるかに多い。就業時間の多くは、怪我の応急手当よりもカウンセリングに費やされているはずだ。
 だから、私にも話をさせる。
 他の生徒の場合がどうなのか知らないけれど、私に対しては、基本的に遠藤の方から質問はしてこない。ただ話したいように話させ、それを聞いているだけだ。
 もちろん、すべて〈ここだけの話〉である。その内容がどれほど法的、道徳的に問題のあることでも、学校関係者を含めてけっして他者に漏らしはしない。
 だから、私も遠藤には話す。
 昨日、〈パパ〉とデートしたこと。
 仕事が忙しくて時間がなく、一度しかセックスできなかったこと。
 雨の中、歩いて帰ったこと。
 その途中、偶然会った同じ学校の男子生徒の家で雨宿りしたこと。
 シャワーを借り、ココアをご馳走になったこと。
 その男子とセックスしたこと。
 彼のものがすごく大きくて、しかも激しかったこと。
 何度もしたこと。
 自分では歩けないくらい激しく犯され、家まで抱いて送ってもらったこと。
 した回数だけ手首を切って、そのまま眠ったこと。
 その結果が今日のこの体調であること。
 話さなかったことは、固有名詞だけ。遠藤もそれは訊いてこない。だからこそ、それ以外のことは話すことができる。
「……以上。もう寝てもいいかしら?」
「ああ…………しかし、いい傾向なのかどうか、微妙なところだな」
 独り言のようにつぶやく。私はなにも応えず、今度こそベッドに横になった。
「普通に同世代の彼氏ができた、というなら大歓迎するところだが…………うーん……どうなんだろうな」
 他の大人たちほど口うるさくはない遠藤だけれど、それでも私が〈普通〉になるのを望んでいることに変わりはない。
 しかし〈普通の恋愛〉なんて、私にとってはもっとも縁遠い言葉だ。
「……ところで、これは仕事とは関係のない、純粋に個人的な興味で訊くんだが…………経験豊富な北川が痛がるなんて、どのくらいのサイズだったんだ?」
 無言で、手で太さと長さを示す。
 遠藤が目を丸くする。
「それは大きいな。日本人でそんなサイズの男がいるのか」
「……私も初めて見たわね」
「やっぱり、身体も相当に大きいのか?」
 その質問には答えなかった。
 微かに表情が強ばる。心の中で警鐘が鳴る。
 その変化を、遠藤も敏感に感じとったようだ。
 私は、相手が特定できるようなことはけっして言わない。遠藤も訊かない。それが二人の間の暗黙のルールだった。
「……ああ、ごめん。そんなつもりはないんだ。純粋に、年頃の女としての好奇心だ」
 思わず遠藤の顔を見る。
「…………なんだ、その顔は? 私だって、人並み程度にはオトコにもセックスにも興味はあるぞ」
「……そう」
 私の目には、遠藤がそんな普通の感性を持っているようには見えなかった。彼女にとっての恋愛やセックスといった話題は、保健室を訪れる女生徒の相談事の中にだけ存在するもののように感じていた。
「確かに、男にもてる方ではないし、北川に比べたら経験もずっと少ないだろうが、一応は何人かの男性経験もある」
「……そう」
「しかしサイズも嗜好も、あまり特殊な相手に巡りあったことはなくてな。北川の体験談は、仕事抜きで興味深い」
「大きいのに興味があるなら、紹介してあげましょうか? やりたい盛りの高校生だもの、相手が遠藤だって大丈夫でしょう」
 遠藤の眉間に微かに皺が寄る。
「それは遠回しに、私に性的魅力がないといっているのか? ……ああ、答えなくていい。単刀直入に言われるとさすがに少し凹むから」
 本人も自覚しているように、一般的な基準として、遠藤は恋愛やセックスの対象として魅力的とは言い難い。
 顔もスタイルも十人並み。しかも体格が小柄で、目や鼻などの顔のパーツも小ぶりなためか、とにかく地味な印象を受ける容姿だった。そばかすが目立つ化粧っけのない顔に、この性格と口調、そして地味なファッションが加わって、とにかく女性らしい艶っぽさというものが感じられない。
 言ってみれば〈男から普通に友達として扱われるタイプ〉〈男とセックス抜きで雑魚寝できるタイプ〉だろうか。
「……精力を持て余してる男子高校生に犯されまくったら、少しはフェロモンも出るんじゃない?」
「まったく興味がないといったら嘘になるが、遠慮しておこう。私の身体と経験値で、その状況を楽しめるとも思えん。そもそも教師のはしくれとして、生徒に手を出すわけにはいかんだろ」
「……そう」
 女生徒に手を出した男性教諭はこの学校にも何人かいるけれど――という台詞は声に出さずに飲み込んだ。
 もっとも、遠藤はうすうす感づいているだろう。しかし、さすがにふたりの間でその事が話題に出ることはない。
 私の前では冷静沈着でマイペースを崩さない遠藤が、もしも早瀬に力ずくで犯されたりしたら、どんな反応をするのだろう。
 そんなことを考えながら、今度こそ、眠りにつくために目を閉じた。


「莉鈴ってば、みょーに色っぽくうなされてたね。エッチな夢でも見てた?」
 目を開けて最初に視界に入ったのは、笑いながら私の寝顔を見おろしている女生徒の顔だった。
 無視してのろのろと身体を起こし、壁に掛かっている時計を見た。
 二時間くらいは眠っていたらしい。気分的にはもっと長く寝ていたように感じる。
 体調はいくぶん回復したようだ。睡眠不足と疲労はかなり解消されているし、熱も少し下がって頭痛が軽くなっている。筋肉痛は相変わらずだったけれど、擦り傷の痛みもいくらか治まっていた。
「教室に戻る? それとも昼休みまで寝てる?」
 声の主に視線を向ける。
 目鼻立ちのくっきりした、ボーイッシュな美人。女子としては背が高く、髪は短め。
 クラスメイトの〈木野 悠美〉だ。
「……ここで、なに、してるの?」
「莉鈴が登校してないから。こっちかなぁって、様子を見に」
 予想通りの答え。
 わかっていて訊いていることだ。その行動を歓迎していないことの意思表示として。
 木野もそうした私の意図をわかっていて答えている。
 彼女は、クラスで唯一、普通に話しかけてくる相手だった。つまり、私が学校で多少なりとも言葉を交わす数少ない人物だ。
 返事をせずに無視していても、構わずに話しかけてくる。いや、無視している時の方がしつこいかもしれない。最低限の返事をするとそれで満足するのか、必要以上につきまとってくることはない。
 だから仕方なく、最小限の会話はしている。
 出席番号がひとつ違いということで、入学式の日、最初に私に話しかけてきたのが木野だった。
 そして入学後間もなく、〈噂〉が広まるきっかけを作ったのも彼女だ。
 入学式の前日、〈パパ〉と腕を組んで繁華街を歩く私を偶然見かけていて、たまたま顔を覚えていたらしい。教室で話をしていた時にその事に触れ、「ひょっとして援交?」と訊いてきたのだ。
 もちろん、否定されることを前提とした冗談のつもりだったのだろう。実際には親子と思っていたらしい。
 しかし私がそれをあっさりと肯定し、その場には他のクラスメイトも居合わせたために、一気に噂が広まったというわけだ。
 そうして私は教室内で敬遠される存在になったけれど、不思議なことに木野だけはその後も普通に接してきた。援交の話題を避けることもなく、ごく当たり前に話のネタのひとつにする。
 木野はけっこうな美人で、スタイルもいい。ボーイッシュといったけれどけっして男くささはなく、あくまでも〈カッコイイ女の子〉だ。明るく人懐っこい性格で、男女問わずに人気はあるようだ。
 そんな彼女がどうして私に構うのか、他のクラスメイトは首を傾げているし、私にもわからない。
 他の友達と「昨夜のドラマ観た?」といった会話をするのと同じような調子で、私には「昨夜の〈デート〉はどうだった?」などと訊いてくるのだ。
 あるいは〈同類〉かとも思ったけれど、どうやらそういうわけではないらしい。性体験はゼロではないけれどまだ数少ないし、援交なんてする気もない、と言っていたことがある。
 そういうわけで木野の意図はよくわからないけれど、けっして四六時中つきまとってくるわけでもない。時々、話しかけてきたり、一緒に昼食を食べようと誘ってくるくらいだ。無視しても断っても特に気分を害する様子もなく、また気が向いた時に寄ってくる。
 私としては、特に害になる存在でもないので好きにさせている、というのが本音だった。無視したい時には無視するし、気が向けば一言か二言は言葉を返すこともある。
 遠藤とタイプは違うけれど、いてもさほど不快ではない存在、私が許容できる〈距離感〉を理解している存在。
 だから、向こうから寄ってくることに関しては強く拒絶もしない。ただ、適度に無視するだけだ。
「……教室に戻るわ」
 独り言のようにぽつりと言って、ベッドから降りた。眼鏡をかけるとブラウスのボタンを留め、リボンをつけ、最後にスカートを穿く。
 身支度を終えたところで、木野が私の鞄を取って差し出してくる。それを受け取って保健室を後にする。
 いつものことだから、出て行く時には遠藤に声はかけない。向こうもなにも言わず、机に向かって書類仕事をしていた手を一瞬とめて、ちらりとこちらを見ただけだった。


 木野と並んで廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちから、独りの時とは違う視線が注がれるのを感じる。
 身長百四十センチ台の私と、百七十センチ近い木野。二十センチを超える身長差はインパクトがあるし、木野はぱっと見で目立つ陽性の美人だ。
 私は美人といっても陰性の雰囲気を持っているし、そもそも学校では容姿も変えて目立たないように気をつけている。
 目立つ木野にまず視線が向けられ、それから隣にいる私に気づく。いくら目立たない姿とはいえ、私はいろいろと有名人だ。顔は知られている。
 好意的とはいえない視線を向ける生徒たちが、複雑な表情を浮かべる。
 男女問わず人気者の木野と、誰からも好ましく思われていない私。
 この組み合わせは他の人たちにも奇異に映るようで、独りでいる時以上に目立ってしまう。別に、他人の目などどうでもいいことだけれど、愉快なものでないことだけは確かだった。

 途中、購買部で昼食用にサンドイッチとコーヒー牛乳を買い、休み時間が終わる直前に教室に入った。
 そこで最初に目に映ったのは、早瀬の姿だった。
 彼の存在を気にとめてしまったことが少々不愉快ではあったけれど、なにしろ存在感のありすぎる体格だから仕方がない。
 それに、クラスメイトの大半を〈その他大勢〉としか認識していない私にとって、唯一、肉体関係を持った早瀬は、多少なりとも〈特別な存在〉であることは間違いない。
 早瀬はこちらにその大きな背中を向けて、斜め前の席の女子と話をしていた。これまでにも親しげに話しているところ見た覚えがある相手。おそらくは彼女が〈カヲリ〉だろう。
 私と木野が教室に入ったところで、気づいた数人の生徒が複雑な表情をこちらに向けた。
 私ひとりであれば、それは悪意や敵意のこもった、あるいは疎むような視線になる。平和な高校生活の中に紛れ込んだ、異質な存在に向けられる視線。
 しかし今は隣に木野がいるために、露骨に敵意を向けることもできず、結果、彼らは対応に困ったような表情を浮かべることになる。
 〈異物〉の侵入によって、教室の空気が微妙に変化する。
 早瀬もその変化に気づいてしまった。〈カヲリ〉との会話を続けながら、ちらりと視線をこちらに向ける。
 私と目が合って、気まずそうな表情を見せる。しかしそれも一瞬だけで、すぐに〈カヲリ〉の方へと向き直る。
 私が最後列の自分の席に着くと同時に、始業のチャイムが鳴った。〈カヲリ〉も早瀬との会話を中断して前を向く。視界の隅で、早瀬がもう一度こちらを振り返っていたけれど、私は気づかないふりをしていた。


 〈授業中〉という名の無意味な時間――。
 教師の声は背景雑音のひとつとして耳を素通りしていく。
 私はただぼんやりと過ごしていた。
 窓の外の景色を眺めたり。
 まだ身体が覚えている、昨夜の行為の感覚を反芻したり。
 下を向いてうとうとしたり。
 たまに教科書に目を落とすこともあるものの、内容を真面目に読んでいるわけではなく、単なる暇つぶしのひとつだった。
 学校で勉強するということに、なんの意義も見出していない。ただ、高校くらいはちゃんと通っておかなければ母親が――恐らくは父親も――うるさいから、惰性で通っているだけのこと。
 留年しない程度に出席し、赤点を取らない程度に勉強すればいい。どうしてもテストの点が足りないようなら、その教科の教師を誘惑すれば解決する。
 こうした素行や〈噂〉が問題になることはほとんどなかった。担任と校長の弱みは握っているから、私を咎めることはできない。遠藤にも話していない――しかしうすうす感づいている――〈秘密〉がそれだった。
 そうして居場所を確保したことで、学校ではただぼんやりと過ごすことができた。
 別に、退屈とは思わない。そうした感情は希薄だ。
 学校にいる時以外でも、私がすることといえば食事や入浴といった生活に必要なことと、セックスと、自慰。それ以外の時間はぼんやりと過ごしていることが多い。
 なにもしない。
 なにも考えない。
 セックスとリストカットを除外するなら、特に趣味と言えるものもない。なにかを楽しむという感情が、普通の人に比べると極端に欠如している。
 ただ呼吸し、鼓動を繰り返しているだけの存在。
 ある意味、それが理想だった。
「…………」
 ちらりと時計を見る。昼休みまであと二十分ほどある。
 軽い空腹を覚えた。体調が悪かったことと時間がなかったことで、朝食はほとんど食べていない。もうひとつくらいパンを買っておいた方がよかったかもしれない。
 そんなことを考えながらなにげなく視線を動かした時、壁に貼られていた座席表が目にとまった。
 早瀬の名前を目印にして〈カヲリ〉の席を確認する。そこには〈茅萱〉という名前が書かれていた。
 茅萱カヲリ、というフルネームを知る。二日間で二人もの名前を覚えるなんて、私にとっては記録的なことだ。
 もう一度、〈茅萱カヲリ〉の後ろ姿を確認する。
 身長は百六十センチ前後だろうか。縦も横もこれといって特徴のある体格ではない。顔はそこそこ可愛い方に分類できると思うけれど、かといって特筆するほどの美少女というわけでもない。
 教室では、早瀬や女友達と賑やかに話していることが多かったように思う。
 明るくて、賑やかで、オシャレと彼氏や友達とのおしゃべりがいちばんの興味の対象――そんな、どこにでもいる〈普通の〉女子高生。
 そして――
 たぶん、まだ、処女。
「……っ」
 椅子の上で少し体を動かしただけで、局部に痛みが走った。薬は本当に気休め程度にしか役に立っていない。
 また、昨夜の感覚が鮮明によみがえってくる。
 ただ挿入されるだけでも裂けてしまいそうなほどに痛かった。その上、お腹を突き破られそうなほどの勢いで貫かれた。
 滅多に経験したことのないほどの、激痛をともなう性交。
 私があれでは、茅萱は初体験で苦労することだろう。
 体力と精力がありあまっていて、しかも巨根で激しいセックスが好みの彼氏。
 経験豊富でセックスが大好きな大人の女性にとっては理想かもしれないが、バージンの高校一年生には負担が大きいだろう。あれを楽しめる処女がいるとは思えない。
 茅萱は私より体格がいいとはいえ、初めてはきっと大変だ。経験豊富な私がこれだけのダメージを受けているのだ。ローションを十分に用意しておかなければ、挿入も容易ではないだろう。
 茅萱にいずれ訪れるであろう初体験に、少しばかり同情したくなる。
 それはたぶん、そう遠くない未来のことだろう。セックスの気持ちよさを知ってしまった早瀬が、本命の彼女をいつまでも放っておくとは思えない。
 初めてがあの勢いだったら……きっと大変だろう。
 もっとも、早瀬も恋愛感情を持っている〈彼女〉が相手だったら、最初くらいはもっと優しくするのかもしれない。あの乱暴な行為は〈ヤリマンと噂の北川莉鈴〉が相手だからこそかもしれない。
 いずれにしても、たとえ痛かろうと乱暴だろうと、それでもやっぱり茅萱は幸せだろう。

 なにしろ相手は、〈本命の彼氏〉なのだから。


 昼休み――

 先ほど買ったサンドイッチの封を開けていると、木野が自分の弁当箱を持ってやってきた。空いていた前の席の椅子を動かして、こちら向きに座る。
 今日に限らず「一緒に食べよう?」とか「ここ座ってもいい?」と訊いてくることはない。訊かれれば、私は必ず首を横に振ることを知っているから。
 昼休み、私の周囲の席は無人になるのが普通なのだけれど、週に一、二回くらいの割合で、こうして木野がやってくる。他の日は普通に仲のいい友達と食べているのに、なんの気まぐれだろう。
「で、昨日のデートはどんなんだったの?」
 弁当箱の蓋を取りながら訊いてくる。
 声をひそめることもない。訊いている木野はもちろん、教室内の全員が、それが〈普通の〉デートではないことを知っているというのに。
 だから私も普通に答える。もっとも、よく通る木野の声と違って、私の声は普段から小さいのだけれど。
 サンドイッチを一口囓り、二、三度咀嚼して飲み込んでから口を開いた
「……別に、特別なことは」
 なにもなかった、とは言えないけれど。
 援交のことは今さら隠しもしないとはいえ、昨日のことをそのまま話さないだけの分別はあった。
『昨日の相手は早瀬で、夜中までめちゃくちゃに犯されまくった』なんて、周囲の何人かが密かに聞き耳を立てていて、さらに当人とその彼女がいる教室内で口にすることではない。
 世の中にはそうした時の反応を楽しむような性格の人間もいるかもしれないけれど、私は違う。学校で余計なトラブルを起こしたくないというポリシーにも反する。
 しかし考えてみれば、昨日のことは、早瀬から口止めされていなかったような気がする。もちろん、私からもなにも言っていない。向こうは彼女がいるのだから、確認するまでもなく当然のことと思っていた。
 早瀬も同じ考えなのか、それとも単にそこまで考えが及ばなかっただけなのか。
 あるいは、普段から無口でクラスメイトと会話することなどほとんどない私だけに、いちいち口止めするまでもないと思ったのかもしれない。
「相手、イイ男だった?」
「……あんまり。それほどでもなかったわ」
 その台詞だけ、声のボリュームを少し上げた。こちらに背中を向けている早瀬が、耳をそばだてている気配があったから。
 今の台詞、いったいどんな顔をして聞いただろう。
 凹んでいるか、苦笑しているか、それとも怒っているか。ここからではわからない。
 そもそも、私と木野の会話をどんな思いで聞いているのだろう。余計なことを口にしないかと、びくびくしているのだろうか。今ごろになって、きちんと口止めしておかなかったことを後悔しているかもしれない。
「でも、ずいぶんと激しかったみたいだね」
 木野が笑いながら言う。箸でつまんだタコさんウィンナーを私の口の前に差し出してくる。そのまま数秒間待っても私が無視していたので、自分の口に放り込んだ。
「……すごい、疲れた顔してる」
「……そうね、体力だけは無駄にありそうな相手だったわ」
「で、よかった?」
「…………わりと」
 その一言は、早瀬に聞こえない程度に声を落として答えた。


 昼食を食べ終わった後、独りでお手洗いに立った。
 木野はついて来ない。普通の女子高生のように連れ立ってお手洗いに行くことを好まないのを知っているし、私が離れると同時に他の友達に捕まっていた。
 用を足して教室に戻ろうとしたところで、途中の廊下に早瀬が立っているのを見つけた。
 すぐに直感する。私を待っているのだと。
 それでも、無視して横を通り過ぎる。
 その瞬間、
「……体調は?」
 すぐそばにいる私にだけ聞こえるような、小さな声。
 一歩進んだところで立ち止まる。しかしそのまま前を向いて、振り返ったりはしない。
「…………よくは、ないわ」
 前を向いたまま、独り言のようにつぶやく。早瀬以上に小さな声で。
「風邪による発熱、疲労、睡眠不足、筋肉痛、性器の擦過傷、そして貧血。ぎりぎり、寝込むほどではないわね」
「…………」
 返ってきたのは、数秒間の沈黙。なにか言ったような気もするが、意味のある言葉としては耳に届かなかった。
 おそらく、口の中で「ごめん」と言ったのではないかと思う。
 背後に感じる気配が少しだけ近づく。
 一瞬、手になにかが触れる。
 握りしめて、それが小さく折りたたんだ紙片だとわかった。
 早瀬はそのまま無言で、教室とは反対方向に歩き出した。足音が十分に遠ざかったところでちらりと振り返ると、大きな身体が男子トイレの中に消えていくところだった。
 もしかすると、私と同時に教室へ戻らないための時間稼ぎかもしれない。
 教室に向かって歩きながら、手の中の紙片を開いた。
 ノートの切れ端と思しき、横罫線の描かれた紙。そこに携帯電話の番号とメールアドレスが書かれていた。
 メールアドレスだけを暗記して、紙片を丸めてポケットに入れる。反対側のポケットから携帯電話を取りだす。ふたつ持っている携帯のうち、本当の〈プライベート用〉のもので、出会い系サイトへのアクセスや〈パパ〉たちとの連絡に使う〈援交用〉ではない。
 出会い系サイト経由のメールが山のように届く〈援交用〉とは違い、ほとんど使うことのない携帯。アドレス帳に登録されている名前も、両親と遠藤、木野、学校、そしてピルの処方などで世話になっている病院くらいのものだ。
 メールボタンを押し、いま見たばかりのアドレスを打ち込んだ。題名も空のまま、本文に電話番号だけを書いて送信ボタンを押した。
 プライベートの携帯を使ったことに特別な意味はない。単に、いま手元にあったのがこれだったというだけのこと。これは常に身に付けているのに対して〈援交用〉は鞄に入れっぱなしだし、あまりにも頻繁にメールが届くので、必要な時以外は電源を切ってある。
 教室に戻り、席に着いたところでポケットの中の携帯が震えた。
 さりげなく取りだして、ちらりと見る。
『昨日は、   ありがとう』
 不自然な空白。本当は「ごめん」と書こうとしたのかもしれない。
 別に、どちらでもいい。
 メニューを開いてアドレス帳に登録すると、返信もせずにメールは削除した。


 アドレスの交換をしたからといって、まめな文通をするわけでもない。
 当然、私から連絡することなどありえないし、早瀬からもメールも電話もなかった。
 無意味なメールが来ても無視するつもりだったからむしろ好都合だったけれど、おそらく早瀬もそうした反応を予想していたのだろう。
 次に早瀬からのメールが届いたのは三日後、木曜日の夜だった。
 家でぼんやりしていたところ、珍しくプライベート用の携帯から着信音が流れ出した。
『明日の夜、会えないか?』
 ただそれだけの簡潔なメール。
 早瀬の性格なのか、それとも私の性格に合わせたのか。
 もちろん、主題以外の無駄話に付き合う気などさらさらない。その点で、これ以上簡潔にはできないようなメールは正しい選択だった。
 もう一度、携帯の画面を見る。
 少し、考える。
 あれから一週間弱、早瀬もよく我慢したというべきだろう。正直なところ、彼のありあまる性欲を考えたら、もっと早くに誘ってくると思っていた。
 さて、どうしたものだろう。
 明日の夜。
 特に断る理由はない。
 日曜日の様々なダメージからはほぼ回復している。手首の傷も塞がったし、毎日サプリメントを飲んでいたから、必要以上に流した血も再生したことだろう。
 無意識に左手首に触れる。
 無数の切り傷が重なって、硬くなっている皮膚。日曜日の七本の傷もその一部となり、古い傷の中に埋没しつつある。
 もう、新しい傷を増やしてもいい頃だろう。
 返信のボタンを押す。
 少しだけ間を置いてから本文を打つ。




 何時くらい?』
 ただ、それだけ。
 いいよ、なんて書く必要はないし、書きたくもない。
 ほどなく返事が来る。
『7時でどうだ?』
 返信。



 早瀬の家?』
 今度の返信はさらに早かった。
『ああ。明日の夜、家には俺ひとりだから』


 ……それって、泊まりってこと?』
『えっと……北川がよければ』
 一瞬、手が止まる。
 少しだけ考える。





 少し、遅れるかも。
 2時間以上遅れたら、すっぽかされたと思って』
『……待ってる』
 もう返信はしない。
 メールのやりとりはそこで途切れる。
 携帯をたたんで握りしめると、ごろりとベッドに横になった。
「…………泊まり、か」
 そのこと自体に問題はない。外泊など珍しいことではないし、私の素行については母もとっくに匙を投げている。そもそも夜は母も仕事で家にはいない。
 目を閉じて、日曜日のことを想い出す。
 また、感覚が甦ってくる。
 性器が壊れてしまうような、激しい行為。私の人格を無視した陵辱。
 あの激しさで一晩中――考えるだけでも大変そうだ。
 その一方で、足腰立たなくなるまでめちゃくちゃに犯されたい、などと考えている自分がいる。
 遠藤の忠告に素直に従ったわけではないけれど、今週はずっと禁欲生活だった。体調がよくない上にあちこち痛かったせいで援交する気にもなれなかったし、絶対に断れない〈パパ〉からの誘いもなった。触れると痛いので、自慰すら控えていた。
 率直に言って、少し、溜まっている。
 身体が疼いている。
 こうしているだけで、潤いを帯びてくる。
 そろそろ、久しぶりに出会い系サイトで適当な〈パパ〉を物色しようかと考えていたところだ。
 しかし、今日のところはやめておいた方がいいだろう。
 明日までおあずけ。
 身体が、これ以上はないくらいに〈男〉を求めている状態で、あの逞しいペニスに思いっきり貫かれる――

 私の肉体は、それを望んでいた。


 そして金曜日の夜。

 住宅街の路地を歩きながら、携帯電話を取りだして時刻を確認する。
 午後七時三二分。
 約束の時刻は過ぎているけれど、遅れるかもしれないと断ってあるのだから問題はないし、そもそも約束を守らなければならない義理もない。
 実のところ、遅れる理由があったわけではない。それは昨日からわかっていたことだった。
 今日は学校を出た後、少し寄り道して本屋で時間を潰し、ファーストフードで早めに軽い夕食を済ませ、家で入浴してきただけ。
 計画的犯行。
 最初から、絶対に午後七時には間に合わないように家を出た。
 それは『早瀬との逢瀬を楽しみにしているわけではない』という、わかりやすい意思表示だった。
 しかし、ここへ来てひとつだけ計算外の展開があった。偽装のための意図的な遅刻が、本物の遅刻に変わりつつあった。
 早瀬の家の場所がわからない。
 なにしろ一度来ただけの場所だ。しかも土砂降りの雨の中で、たまたま通りかかっただけの道。帰りはもう真っ暗だったし、早瀬の腕の中でうとうとしていて道など覚えていない。
 多分このあたり、というところまでは来たけれど、新興住宅地は似たような通り、同じような家ばかりで、最後の数百メートルがどうしてもクリアできなかった。
 もう一度携帯電話を見て、小さく溜息をつく。
 仕方がない。
 ただでさえ限界に挑戦することになりそうな夜なのだから、ここで無駄な体力は使いたくない。予定より少しだけ早く、早瀬を喜ばせてやるとしよう。
 携帯を開いてメールを打つ。
『近くまで来てるのだけれど、家がわからないわ。
 二丁目でいいのよね? 番地は?』
 一分と経たずに返事が来る。
 この反応の早さ、携帯を手に連絡を待っていたのかもしれない。
『二丁目、三五‐一○。迎えに行こうか?』
『いい。わかる』
 三五番地という表示は、つい二、三分前に見た覚えがあった。記憶を辿って来た道を戻る。
 そこから脇道に入って見覚えのある家の前に着くまでに、五分とかからなかった。
 玄関の前に立ったところで、ふと考える。
 前回のように〈クスリ〉を飲むべきだろうか。
 一応、持ってきてはある。
 少しだけ迷って、やっぱりやめておくことにした。そうまでして早瀬とのセックスを楽しみたいわけではないし、普段の援交の時だって自分から飲むことなどない。
 前回は、そうするのが好きな〈パパ〉に飲まされたからだ。〈パパ〉はいつも私を〈クスリ漬け〉にして犯す。
 指先が玄関のチャイムに触れたところで、また少し躊躇する。
 なんとなくいつもと勝手が違う……と思いながらチャイムを鳴らす。ほとんど間を置かずに返事があってドアが開かれた。これはもう、玄関で待っていたことが確定だ。
「……少し、遅れたわ」
 そう言ってドアをくぐる。
 謝りはしない。遅れることは予告済みだし、時間ぴったりに来なければならない義理もない。
「いや……、構わないよ」
 緊張しているのか、早瀬はやや強張った表情で応えて、上がるように促した。
 靴を脱ぎ、用意されていた来客用スリッパを履く。そこで、なにか言いたげな視線に気がついた。
 早瀬の顔を見る。
「……なに?」
「今日も、そっちの格好なんだ?」
「…………ええ」
 なるほど。今の私の姿、自分ではごく当たり前の格好だけれど、早瀬にとってはそうではないことを思い出した。
 学校の制服であることには変わりはないけれど、普段、学校で着ているものではない。
 リボンを付けず、上のボタンふたつを外し、裾をスカートの外に出したブラウス。
 その下のブラジャーも胸を強調するデザインのもの。
 少しでも屈んだら下着が見えそうなぎりぎりのミニスカート。
 〈絶対領域〉を強調した黒のオーバーニーソックス。
 そして髪を下ろし、軽く化粧をして、眼鏡はかけていない。
 学校での姿とはまったく違う、いわば〈援交用〉の私。
 男とセックスするための姿。
 前回はすぐにシャワーを浴びてTシャツ一枚になったから、早瀬はこの姿に慣れていない。どことなくぎこちないのはそのためもあるのだろうか。
「あの格好は学校でだけよ。それとも早瀬、あっちの方がよかった? だとしたらちょっとマニアックな趣味ね」
「……いや、正直なところ、こっちの方が…………」
 口ごもる早瀬。後を受け継ぐ。
「欲情する?」
 わざと、直接的な表現をする。
「…………ああ」
「正直な感想ね。いいわよ。そのためにこの格好なんだから」
「……コスプレってやつ?」
「私の場合、仕事着というべきかしら」
「そういや、なんで学校ではあんな地味なカッコしてんだ? うちの学校、別にうるさくないだろ? どう考えても、こっちの方が……えっと、マジ、……可愛いぞ」
 女の子の容姿を褒めることに慣れていないのだろう。必要以上に恥ずかしがって、体格とは不釣り合いな小声になった。
「……別に、学校でモテても仕方ないし」
「…………金にならないエッチはしないって?」
 その口調には、不愉快そうというか、どことなく蔑むような雰囲気があった。だからといって別に気を悪くはしない。そうした反応には慣れているし、一般人としては当然のことだ。
 しかし、
「あら、ココアのためにすることもあるわよ?」
 そう応えると表情が急変し、顔が真っ赤になった。
「と、とにかく上がれよ。こっち」
 指し示す方向は、二階にある早瀬の部屋ではなくて居間だった。どうやら、いきなり自室に連れ込んで押し倒すという展開ではないらしい。早瀬の経験の浅さや、常識人であることを考えれば当然だろうか。
 短い廊下を歩きかけて、ふと脚を止める。
 先ほど感じた違和感の正体に思い当たった。
 考えてみれば、こうした訪問は初めてかもしれない。
 同世代の男子の自宅を訪れる、なんて。
 援交やナンパなら、セックスする場所は大抵がホテル、たまに車の中。AV撮影もラヴホかスタジオ、あるいは撮影のために借りているマンションの一室だ。
 そもそも、相手が高校生ということ自体が珍しい。
 同世代の男の子の家に、家族が留守の隙を衝いて上がり込んでいる――まるで、普通の高校生カップルみたいではないか。
「なに?」
 早瀬が振り返る。
「……いいえ、なんでもないわ」
 曖昧に誤魔化す。なんとなく、いま思ったことは言いたくなかった。
「ちょっと、拍子抜けしただけ。この前のことを考えたら、家に入ると同時に押し倒されるかと思ってたから」
 皮肉めかして言うと、早瀬は耳まで真っ赤になって反論した。
「し、しねーよ! ……つってもあまり説得力はないか」
「……ないわね」
 目の前に立って顔を見る。三十センチ以上の身長差はまるで大人と子供だ。至近距離で見上げると首が痛くなる。
 早瀬が小さく鼻を鳴らした。微かに、困惑したような表情になる。髪から漂う香りに気づいたのだろう。
「……ここへ来る前に、シャワーを浴びてきたわ。セックスするために異性の家を訪問するのだもの、女の子としてはそれが嗜みでしょう?」
「あ、ああ……そうか。そういうものだよな」
 ぎこちない、戸惑ったような返事。
「念のため言っておくけれど、早瀬が考えているようなことではないわ」
「え?」
「前回みたいに、他の男とやった帰りじゃないってこと。今日はまだ〈未使用〉よ。シャワーを浴びたのは自分の家で」
 さすがに、馬鹿正直に「あの日以来ずっと未使用」とは言わなかった。そこまで喜ばせてやる必要もないし、それが当たり前と思われても困る。
 普段なら、一週間なにもなしなんてありえない。私と関係を持ちたいのであれば、その点はきちんと理解してもらわなければならない。
「単刀直入に訊くけれど、その方が嬉しい?」
「あ……そりゃあ、まあ、やっぱり……な」
 一応は遠慮しているのか、やや歯切れの悪い返事が返ってくる。
「でも、北川はそんな風に思われるの、やっぱり嫌か?」
「……別に。自分が、良識ある人間が眉をひそめるようなことをしている自覚はあるわ。それに、男としてはそれが普通の反応でしょう? 他の男とやった直後の女の方が興奮する、なんて嗜好だったら、高校生としてはちょっと……いえ、かなりアブノーマルだわ」
「そ、そうだよな」
 以前、〈パパ〉が見ている前で他の男とさせられた経験はある。それはそれで興奮していたようだけれど、しかし自分の見ていないところで他の男としているのはまた別問題だろう。
 ましてや、まだ若くて経験の浅い早瀬のこと、むしろ独り占めしたいと考える方が普通だ。
 彼はつい数日前が初体験だったのに、その相手は同い年でありながら百戦錬磨の女の子。それだけでもかなり抵抗があるはずだ。
「……で、どうして我慢しているの?」
 いつまでも廊下で立ち話というのも不毛なので、私の方から話題を変えた。話をするためにここへ来たわけではない。
「が、我慢なんて別に……」
「見え透いてるわ」
 体裁を繕おうとする相手を一刀両断にする。
「不自然に緊張して、まるわかりよ。遠慮しなくてもいいじゃない。早瀬はセックスするために私を呼んだ。私はそれを承知でここへ来た。私と早瀬の関係は、一線を越えたいのにきっかけを掴めずにやきもきしている純情カップルじゃないのよ?」
「俺はまだ経験少ないから、きっかけが掴めないんだよ」
 早瀬も開き直る。
「きっかけなんていらない。やりたいようにやればいい。そういう関係でしょう?」
 半歩、詰め寄る。もう胸が触れるような距離だ。
 強張った表情の早瀬。
 その太い腕が動く。
 次の瞬間、私の身体は力いっぱい抱きしめられていた。
 凄い力だ。
 痛いほどに、息ができないほどに、骨が軋むほどに力のこもった抱擁。
 手から提げていた鞄が落ちる。
 廊下の壁に押しつけられる。
 早瀬が身を屈める。顔がすぐ目の前に来る。
 そして、キスされる。
 早瀬との初めてのキス。前回あれだけ激しくセックスしておきながら、結局、キスはしなかったことを想い出した。
 無理やり唇を押しつけるような、乱暴なキス。私は抗いもせず、自分から唇を開いて舌を挿し入れた。
 一瞬、驚いたように目を見開く早瀬。しかしすぐに舌を伸ばしてくる。
 体格差の分、私よりもずっと大きな舌。それが私の小さな舌を押し戻し、口の中に侵入してくる。
「……ん」
 大きく開いて重ね合わされた唇。その中でふたつの舌が絡み合う。
 けっして上手ではない、彼のセックス同様にがむしゃらなキス。だけど私はそれを受け入れる。
 早瀬に、上手な優しいセックスなど期待していない。力ずくの、レイプと紙一重のような肉体的陵辱こそが彼に求めるものだ。
 身体に回されていた腕の一本が解かれ、下へ滑っていく。お尻を二、三度撫でまわすと、スカートをまくり上げて中に入り込んできた。
「ぅ、ん…………」
 下着の上から太い指が押しつけられる。
 もう潤いはじめている、小さな割れ目に。
 乱暴に押しつけられた指が、前後に動く。遠慮の感じられない、痛いくらいの刺激。こつこつとピアスに当たる感触が伝わってくる。
「ん……、ん…………」
 早瀬ももう気づいているだろう。そこが熱くなって、下着の上からでもわかるくらいに湿っていることに。
 指がぐいぐいと押しつけられる。薄い生地ごと膣の中に押し込まれるような感覚に、抑えきれない声が漏れる。
 今日の下着は布の面積がかなり少ないきわどいものだった。乱暴に押し込まれただけで割れ目が顔を覗かせてしまう。指が直に触れる。びちゃ……という濡れた感覚が下半身から伝わってくる。
「う…………んあっ……っっ!」
 濡れた粘膜の感触を確かめるように前後に滑った指が、いきなり膣内に挿入された。突然のことに、短い悲鳴に似た声を上げた。
 指は一気に根元まで埋まった。いきなりこれはありえない、というほどの乱暴な挿入だった。
 自分の指とは比べものにならない太さと長さを感じる。
 自慰の時はたいてい指二本を使うけれど、その時は事前にもっとほぐしている。長さが違うせいもあるのか、自分の指二本よりも、早瀬の指一本の方が膣内で存在感があった。
 真下から突き上げられる。まるで持ち上げられるような感覚だ。実際、彼は腕一本でも私を軽々と持ち上げることができる。
「んん…………く、ぅ……」
 さらに膣が拡げられる。
 指がもう一本、入ってくる。
 もう、平均サイズの男性器で貫かれているのと大差ないような感覚だ。
 いちばん深い部分まで入り込んだ二本の指が、暴れ出す。
 激しく抜き差しされる。
 最奥部をかき混ぜられる。
 性器に対する刺激は、それが痛みであっても快楽と受けとめてしまうこの身体。すぐに反応をはじめ、蜜を滴らせる。乱暴な愛撫のによって蜜が溢れだし、早瀬の手を濡らす。
「は…………ぁ……」
 前回同様、声はほとんど出さない。しかしそれ故に、粘液をかき混ぜるぐちゅぐちゅといういやらしい音がはっきりと聞こえてしまう。
 声に出しての反応はなくても、身体はもう完全にスイッチが入っていた。
 身体から力が抜けていく。立っているのが辛い。
 脚に力が入らなくなると、自分の体重でさらに深く、強く突き入れられるような感覚だった。
 脚に代わって少しでも体重を支えようと、両手は早瀬の服をぎゅっと握りしめる。
「……遠慮は、いらないんだよな?」
 それは問いかけではなく、確認の言葉。
 あるいはこれからすることの宣言。
 無言が、私の返答。肯定の意味の。
 膝の裏に手が入れられ、片脚が持ち上げられる。履いていたスリッパが落ちる。床についている方の足はつま先立ちだ。
 早瀬は膝を曲げて腰の位置を下げると、下半身を押しつけてくる。
 熱くて固い塊が、濡れた秘所に押しつけられる。
 下着は脱がされておらず、小さな布が横にずらされて、その下の割れ目を露わにしている。
 前回、何度も経験したためだろうか。早瀬はこの不自然な体勢の割にすんなりと胎内に続く入口を探り当て、自分の先端をそこに押し当てた。
 私を抱きしめていた腕の位置が少し下がり、腰に回される。
「ん…………ぅあっっ! …………っ!」
 曲げていた膝を伸ばし、腰を突き上げる早瀬。
 心の準備はしていたはずなのに、一瞬、短い悲鳴を上げてしまった。
 いちばん奥まで一気に、つま先が床から浮き上がるくらいの勢いで貫かれてしまったのだから当然だ。しかもその男性器は、私の華奢な手首よりも太いのではないかという代物だった。
 立ったままの結合。
 自分の体重がすべて、自分自身を貫く力となってしまう。全体重が膣奥の一点に集中する。
 本当に、お腹まで突き破られたかと思うような衝撃だった。悲鳴が一瞬だけだったのは、痛すぎて声にならなかったためでしかない。
 涙が滲む。胃液混じりの唾液が溢れてくる。
 奥までしっかり挿入したことを確認した早瀬は、私の身体を持ち上げるようにして揺すりはじめた。それに合わせて、自分の腰も突き上げてくる。
 痛い。
 ただでさえ、立ったまま片脚を上げたこの体勢での挿入は、膣口が狭くなってきつい。しかも相手が早瀬では、挿入できたことが不思議になるくらいで、無理やり拡げられ、ねじ込まれる痛みは当然といえる。普通に横になって脚を拡げた体勢での挿入だって、かなり強引にねじ込まれている感覚なのだ。
 それなのに。
 やっぱり、早瀬に塞がれている下の口はいやらしい涎を溢れさせている。
「う……ぅ…………く、…………ぅん…………ん、ふぅ……くっ」
 早瀬の荒い呼吸の合間に、私の嗚咽が混じる。
 床や壁が軋む音がその伴奏。
 下から突き上げられるたびに身体が浮く。なにしろ体格差がありすぎる。挿入された時点で、床についている足もぎりぎりのつま先立ちだった。
 いくら軽いとはいえ、自分の体重をすべて膣で受けとめるのは辛い。限界を超えて引き延ばされ、内臓を貫かれる苦しみに嘖まれる。
 腕を早瀬の身体に回せば、少しは楽になるかもしれない。非力な腕ではあっても、その分、体重も軽い。ある程度は負担を軽減できるはずだ。
 しかし、わざとそうしない。
 挿入の瞬間、思わず早瀬にしがみついてしまった手を解き、力を抜いた腕を身体の横に下げた。
 より深く、より激しく、貫かれるために。
 より強い痛みを感じるために。
 早瀬は私の腰に腕を回し、もう一方の手で左膝を抱え上げるようにしているけれど、やはり体重の大半は結合部にかかっているようだった。
 ただでさえ、サイズ的に挿入されるだけでも痛い。
 その上、この体勢で真下から突き上げられている。
 気持ちいいと思える限度を超えた、激しすぎる刺激。
 セックスしているというよりも、串刺しにされている感覚だった。
 なのに――いや、だからこそ、私の身体は反応していた。
「ん……っ、くふっ…………んっ! は…………ぁ、ん……」
 力まかせに突き上げられるたびに、身体が仰け反る。
 髪が振り乱れる。
 悲鳴を上げそうになる。しかし早瀬と相対する時は〈パパ〉とのデートのような激しい反応を表に出さない。
 けっして、感じていないわけではない。
 むしろ、泣きそうなほどの痛みに悦びを覚え、膣は涎を滴らせている。
 しかしそのベクトルは内に向き、荒い呼吸と発汗、そして多量の愛液の分泌でのみ、いま受けている性感の強さを表していた。
 早瀬の呼吸も荒く、速い。
 身体も汗ばんでいる。
 彼も興奮し、感じているのだろう。動きはさらに激しくなっていく。
 長いストロークで突き上げられるたびに、意識が飛びそうになる。
 小さな絶頂を何度も迎え、しかしそれで果てることもなく、さらなる高みへと昇っていく。
 そしてついに限界に達する。
 痛みのせいか、それとも快感のせいか、恐らくはその両方の相乗効果によって、ふっと意識が途切れた。
 一瞬、視界が暗くなる。
 同時に、私を貫いていたものが引き抜かれる。
 ずっと加えられていた痛みが不意に途切れ、突然の状況の変化に意識が引き戻された。
 脚を抱えていた腕が解かれる。腰に回されていた腕が緩む。
 私の脚はすっかり萎えてしまっていて、自分の体重を支えられなかった。なかば朦朧とした意識のまま、その場に頽れ、膝をついた。
 前に立っている早瀬の腰が、ちょうど目の前にあった。そそり立つものが鼻先に突きつけられる。
 限界まで大きくなっているその先端から、白い粘液が迸った。
 顔に、髪に、そしてブラウスやスカートに、飛沫が降りかかる。
 熱い奔流。
 それが治まる前に、頭を乱暴に掴まれた.。
 まだ射精を続けているペニスが、唇を割ってねじ込まれる。
 熱を帯びた固い肉の塊が、二度、三度と大きく脈打って、口の中に残りの精液を注ぎ込んでいく。
 いや、注ぐなんて生やさしいものではない。噴き出してくるという表現が相応しい勢いだ。
 ねっとりとした感触の、液体というよりも固体に近いような粘度の高い精液の塊が、口の中をいっぱいに満たしていく。
 驚くほどに濃く、量も多い。
 もしかしたら早瀬も、あの日以来ずっと、自慰もせずに溜め込んでいたのだろうか。あるいは彼の精力ならば、これが普通なのだろうか。
 口の中に広がった、苦くて生臭い液体。お世辞にも美味しいものではない。なのに、その味と匂いは私を興奮させる。
 びくん、びくん。
 まだ、口中で脈動を続けている男性器。呆れるほど大量の精液を噴き出して、ようやくその動きが止まった。
 その事を確認し、ひと呼吸置いてから、口の中いっぱいのものを飲み込んだ。この粘度と量を考えたら、きちんと心の準備をしてからでなければ喉に引っかかって咳き込んでしまいそうだった。
 粘液の塊が、喉をのろのろと滑り下りていく。
 その感触は、なんだか巨大なアメーバを連想させられる。思わず気分が悪くなる。
 それでも、やるべきことを疎かにはしない。口の中が空になって余裕ができたところで、尿道内に残った分も一滴残らず吸い出し、さらに根元から先端まで、丹念に舐めて掃除した。
 そしてまた口に含む。
 まだ、早瀬のものはまったく勢いを失っていなかった。私の中に在った時そのままの大きさと固さを維持している。口をいっぱいに開いていなければ歯が当たってしまいそうだ。
 また前回のように、このまま乱暴に喉を犯されるのかとも思ったけれど、予想に反して早瀬は頭を掴んでいた手を離し、口からペニスを引き抜いた。
 まだいくぶん荒い呼吸を繰り返しながら、床に座り込んだ私を見おろしている。
 頬を伝い落ちていく、液体の感触。汗よりももっと粘度がある。
 視界に白いもやが入り込んでくる。前髪にかけられた精液がゆっくりと流れ落ちていくところだった。
 それを指で拭い取る。
 ゼリーのような弾力のある白い塊が指先に乗っている。
 指を口に含む。
 次に、頬を拭う。
 また、指を舐める。
 髪と顔が綺麗になるまで繰り返す。
 それからブラウスとスカートにかかった分に取りかかった。
 生地に染み込みつつある粘液を指で拭って口に運ぶ。しかしブラウスの胸のあたりとスカートには、小さな染みがいくつか残った。
「…………悪ぃ、服、汚しちまったな」
「……別に、気にしないわ。着替え、持ってきているもの」
「そうか」
 指先で頬を掻いている早瀬。多少は落ち着いたようだけれど、それでもまだ、私を犯していた時の獣の気配も漂わせている。
「服を着たまま、っていうのが好きなのかしら?」
「いや……別にそういうこだわりがあるわけじゃないけど……でも、これはこれでけっこう興奮するな」
「…………そう」
 内心、その意見に同意する。どうせなら、乱暴に服を破くくらいされてもよかった。
「ということで……、続き、いいか?」
 やや遠慮がちに訊いてくる。その様子はしている最中の乱暴な早瀬とは別人のようだ。しかし股間のものはいまだ凶悪さを保っていた。
「…………好きに、すれば?」
「……、ああ」
 早瀬は屈んで、身体の下に腕を入れてくる。軽々と抱き上げられる。三十キロちょっとの体重など存在していないかのようだ。
 私の鞄も拾いあげ、軽い足どりで階段を上っていく。
 早瀬の部屋。訪れるのは二度目だ。
 見たところ、前回よりも小ぎれいに片付いている印象を受けた。突発的な訪問だった前回と違い、今日は私を呼ぶということでちゃんと掃除をしていたのだろう。
 早瀬は抱えていた私をベッドの上に放り投げた。優しく横たえるのではなく、身体が文字通り宙に浮いた。
 短い放物線を描いて背中からマットの上に落ち、一度弾んで俯せになる。
 身体を起こそうと手をついたところで、背後から腰を掴まれ、押さえつけられた。
 その意図を察して、身体の向きを変えるのをやめる。四つん這いの体勢のまま、早瀬の次の行動を待つ。
 荒っぽい手つきでスカートが脱がされる。
 下着が膝まで下ろされる。
 下半身が露わにされる。
「――――っ!」
 両手で腰を掴まれたかと思うと、いきなり背後から貫かれた。
 いっさいの手加減なしに、いちばん深い部分まで一気に。
 四つん這いにして後ろからというのは、男にとっても挿入しやすい体勢だ。しかも一度した後でほぐれている状態ということで、無理な姿勢だった一度目に比べるといくぶんスムーズな挿入だった。それでも、限界まで拡げられる痛みに変わりはないのだけれど。
 まさしく、太い杭に貫かれたという感覚だった。
 以前テレビで見た、どこかのお祭りで作っていた牛の丸焼きの光景を思い出す。あの牛との違いは、私は生きたまま貫かれていることと、そもそも貫かれている穴が違うことくらいだろうか。
 腰をしっかりと掴まえて、激しく下半身を打ちつけてくる早瀬。この体勢は動きやすいのだろう。機関銃のような勢いで抜き挿しされる。
「ぁ…………ん、ふ、ぅ……っ」
 あまりの速さに、摩擦熱で火傷してしまいそうだ。
 一気に昂っていく。
 身体から力が抜けていく。
 四つん這いになって腕で上体を支えているのが辛くなって、ベッドの上に突っ伏した。
 俯せで、膝を立ててお尻だけを突き上げたような姿勢になる。大きな手がそのお尻をわしづかみにして、長いストロークで腰を打ちつけてくる。
「……っ、……、は…………」
 激しい往復運動。深く突き入れられるたびに、肺から空気が押し出される。小さな身体が激しく揺さぶられる。
 胸がベッドに擦りつけられる。
 ピアスを付けたままなので少し痛い。
 だけど、いい。
 性器はその何倍も痛い。
 異物にぎりぎりまで拡げられ、火傷しそうなほどに激しく擦られ、奥行き以上に深く突き入れられている。
 ベッドに爪を立てる。ベッドカバーを握りしめて痛みに耐える。
 なのに、濡れている。
 感じている。
 半開きの唇からこぼれた唾液が、ベッドの上に小さな染みを作っている。きっと、下半身もいやらしい涎を滴らせていることだろう。
 膣が引きちぎられそうなほどにねじ込まれ、次の瞬間ぎりぎりまで引き抜かれる。
 膣内の粘膜が掻き出されるような感覚。
 短い悲鳴。
 そしてまた、一気に突き入れられる。
 内臓が突き上げられる。
 太すぎる男性器が私の中をいっぱいに満たし、身体の内側から周囲の器官を圧迫している。そして激しい往復運動。こんな体勢で、しかも指による責めではないのに〈潮吹き〉してしまいそうな感覚が押し寄せてくる。実際、愛液とは異なる液体を多少は撒き散らしてしまったかもしれない。
 しかしもちろん、私は一方的に受け身だったわけではない。身体は無意識のうちに、自分の中に在る男を悦ばせるために動いていた。
 いちばん深く突き入れられたタイミングで、入口を締めつける。腰を左右に振る。膣口がてこの支点となって、長大なペニスの先端が膣の奥で大きく暴れる。
 中をめちゃめちゃにかき混ぜられる。激しく擦られる。
 当然、早瀬もペニス全体に強い刺激を受けているはずで、それが激痛をともなう刺激である私とは異なり、彼にとっては純粋に快感であるはずだった。
 その証に、私の動きに合わせてぐいぐいと深く押し込んでくる。
 私はさらに腰を振る。
 それは意図した動きではなく、なかば本能的というか条件反射というか、バックから突かれている時にはそうするものだと身体に染みついている反応だった。
「すげ……いィっ! くそ……っ!」
 早瀬がさらに荒々しく動く。激しい動きによって、射精しそうなのを堪えるように。
 手加減なしに、私の三倍近い体重を乗せて。
 声にならない悲鳴。嗚咽。
 射精した直後だからだろうか、一度目よりも時間が長い。あるいは回数を重ねたことで加減がわかってきたのか、セックスの快感に慣れてきたのかもしれない。
 私にとってはその分、辛い、苦しい、だけど感じてしまう時間が長く続くことになる。
 乱暴に犯されている性器の痛み。
 ピアスを付けた乳首が擦れる痛み。
 掴まれているお尻に指が喰い込む痛み。
 内臓が突き上げられる痛み。
 涙が流れ出す。
 しかし快楽の証である液体の分泌量の方がはるかに多い。
 唇から微かに漏れるか細い悲鳴は妙に甘ったるい。
 早瀬は一瞬も休まず動き続ける。
 どんどん、速く。
 どんどん、強く。
 目の焦点が合わなくなる。
 視界が霞む。
 何度も意識が飛ぶ。
 しかしそれは一瞬だけで、普通であれば耐え難いほどの痛みによって現実に引き戻される。
 失神することさえ許されない陵辱。
 早く終わって欲しい。
 いつまでも犯し続けて欲しい。
 心の中で揺れる、相反する想い。
 しかしもちろん、その行為は永遠には続かない。
 早瀬が呻くような声を漏らす。
 肺の中の空気を勢いよく吐き出す。
 お尻に爪が立てられる。
 そして――
 身体を貫通して口から飛び出してきそうな、最後の激しいひと突き。
「――っ あぁっ!」
「う…………あぁぁっ!」
 胎内で爆発が起こる。
 膣奥はけっして敏感な部位ではないのに、はっきりと感じた。熱い、どろりとした粘液の塊が噴き出してくることを。
 貧血を起こして倒れる時のように、視界が暗くなる。
 奈落に落ちていくような感覚。
 と同時に、早瀬の巨体が背後から覆いかぶさってきて、私を押し潰した。
 耳元で繰り返される激しい呼吸。まるで台風のように轟々と唸っている。
 膣内では彼の分身がその勢いを保ったまま、大きく脈打ちながら精液を吐き出していた。


「…………ぅ」
 私の下半身は小刻みに痙攣していた。
 終わってみると、凄く感じてしまったような気もするし、ただただ痛くて苦しかっただけのようにも思う。
 動きが止まって楽になったかというと、実はそうでもない。
 身体全体に、早瀬の体重がかかっている。
 重い。
 押し潰されて呼吸も苦しいくらいだ。
 それでもクッションの効いたベッドの上だからこのくらいで済んでいるのであり、硬い床の上だったら肋骨の一本くらい折られていてもおかしくない状況だった。
 状況をわかっているのかいないのか、早瀬は私の腕を押さえるようにして全体重を預けている。
「…………すげ、よかった」
 深い呼吸を繰り返しながら耳元でつぶやく。
「めちゃくちゃ昂奮して、すっげー感じた」
「…………そう」 
 素っ気なく答える。これで「お前はどうだった?」なんてくだらない質問をされたら興醒めだったけれど、後に続いたのは別な台詞だった。
「重いか?」
 身体の下に私を敷いたまま訊いてくる。訊くまでもない、答えのわかりきった質問に、律儀に答える。
「…………ええ」
 しかし早瀬はどかない。腕や脚で自分の体重を支えて私の負担を軽くしようともしない。
 本当に、ただ、訊いただけのようだ。
 そんな態度はむしろ私を悦ばせる。
 優しくされたくない。
 乱暴に、ただ一方的に性欲をぶつけられ、穢されたい。
 それが、私の望みだ。
 早瀬はまだ私の中に在った。ベッドの上で俯せに押し潰され、脚を大きく開いて背後から貫かれている。まるで踏みつぶされた蛙を思わせる体勢だった。
 いうまでもなく、私を貫いているものは大きさも固さもまだ最高の状態を維持していた。膣の粘膜がめりめりと悲鳴を上げるほどに拡げられ、内臓が圧迫されている。
 腕を掴んでいた早瀬の手が、身体の下に潜り込んできた。背後から抱きしめるような形で、大きな掌が胸の膨らみを包み込む。
 そのまま、ブラウスのボタンを外していく。自分でもすっかり失念していたけれど、脱がされていたのは下半身だけで、まだ上半身は着衣のままだった。
 背中に密着していた身体が一瞬だけ離れ、汗で湿ったブラウスが剥ぎ取られる。ブラジャーのホックが外され、腕から抜かれる。
 残った衣類はニーソックスだけで、それが脱がされる気配はなかった。行為の邪魔にならない衣類など、どうでもいいのかもしれない。
 また、身体に腕が回される。
 胸をわしづかみにされる。
 背中に巨体が覆いかぶさってくる。
 これまで化繊の生地で隔てられていた肌と肌が密着する。
 身体とベッドの間で押し潰されていた胸の膨らみに、早瀬の指が喰い込んでくる。乱暴に胸を揉み、乳首のピアスを弄ぶ。
「これって、痛くねーの?」
「ん、…………く」
 むしろ痛がらせようとしているような、乱暴な愛撫。小さな声が漏れる。
「……痛いわよ。乱暴に引っ張られたりしたら」
 もっとも、今は下半身を貫かれている痛みと圧迫感の方が強い。
「こう?」
 指でつまんで、捻りながらそれぞれ左右に引っ張る。
「…………、ええ」
 私が痛がっていることを確かめつつ、しかしその行為をやめようとはしない。自分にマゾっ気があることは自覚しているけれど、早瀬のサドっ気もかなりのものだ。
 胸を乱暴に弄びつつ、下半身も押しつけてくる。先刻までのような、悲鳴を上げるほどの激しい動きではなく、ただ全体重をかけてゆっくりと押し込んでくる。
 ペニスの先端がいちばん奥まで突き当たり、そこで止まらずさらに押し込まれる。
 膣が引き延ばされる。引きちぎられそうな粘膜が悲鳴を上げる。その、根元まで強引に押し込んだ状態で動きを止める。
「ぅ…………」
 もちろんそんなつもりはないけれど、たとえ身体を動かして逃れようと思っても、私を押し潰している早瀬の巨体はびくともしない。しっかりと押さえつけ、いちばん深くまで挿入した状態を続けている。
「気持ちイイな……北川の中」
 耳元でささやくと、早瀬はそのまま耳たぶを噛んだ。甘噛みと呼ぶには少々力が入りすぎていたけれど、喰い千切られるほどでもない。
「…………そう」
「ずっと、こうしていたいかも」
「……好きにすれば」
 また、耳を噛まれる。
 耳たぶの痛み。
 乳首の痛み。
 性器の痛み。
 そして、押し潰されそうな身体全体の痛み。
 背中に、早瀬の身体が密着している。
 私の肉体にとっては至福の快楽で、精神にとっては耐え難いほどのおぞましさを覚える。
 ずっと、こうしていたい。
 今すぐ逃げ出したい。
 相反する想い。
 そんな葛藤には気づきもせず、早瀬が少しずつ動きを再開する。
 根元まで挿入して密着したまま、ゆっくりと腰を動かす。
 いちばん深い部分をかき混ぜ、亀頭を子宮口に擦りつけるように。
 私も反応する。
 括約筋を収縮させ、お尻を早瀬に擦りつけるように振る。
「ん、ぁ……あぁ……」
 切なげな吐息。
 そして、泥濘がかき混ぜられる音。
 濡れた粘膜が早瀬に絡みついて包み込む。
 これまでと違って、ゆっくりとした小さな動き。
 しかし、けっして優しくはない。
 むしろ、真逆。
 膣を限界まで引き延ばして、根元まで押し込まれているペニス。なのにそこからさらに一ミリでも奥に進もうとするかのように、圧倒的な力で腰を押しつけてくる。
 乱暴な往復運動ではなく、いちばん痛い位置でずっと固定されたような状態。
 激しく動いていないためだろう、早瀬もすぐには達する気配がない。言葉通り、この状態をずっと味わい続けようとしている。
 いつまでも続く時間。
 少しずつ、少しずつ、昂ってくる。
 自分でも気づかないくらい、じわじわと。
 呼吸が荒くなってくる。
 全身が汗ばんでくる。
 私を捕まえている腕に、さらに力が込められる。
 早瀬の身体も汗が噴き出している。
 耳元で荒い呼吸が繰り返されている。
 しかし疲れた様子は感じられない。ありあまる体力で、私を犯し続けている。
「あぁ……くそっ、すげーイイ! またイキそうだ」
「…………いけば……いい、じゃない。別に……我慢、しなくたって」
 腰の動きに同調して押し寄せてくる、激痛を伴った快楽の波。それに合わせて私の言葉も途切れ途切れになる。
「すぐにいっちまったら……もったいない」
「……すぐ? もう、けっこうな……時間に、なるわよ?」
 前回の射精の後、ずっと挿入されたままなのだ。この体勢のまま過ぎた時間は少なくとも数十分にはなる。
 もう下半身の感覚も、時間の感覚も麻痺しかかっていた。
「でも、ずっとこうしていたいんだ」
「……三回や四回、射精したくらいで……萎えるような、生ぬるい性欲じゃない……くせに」
「まあ……そうだけど」
 相変わらずゆっくりとした、しかしその動きは確実に大きくなってきている。
 荒い呼吸。なにかを堪えているような呻き声。
 早瀬の意志に反して、もう抑えのきかない段階に達している。
「……ん……どうせ……一晩中、……やりまくるんでしょ? 力尽きるまで……ぁ、好きに、……やればいいじゃない」
「……朝まで寝かせずにやってもいいのか?」
「…………疲れて寝てしまおうが、気を失おうが……好きに、すれば……いいわ」
 ただし、した回数だけは覚えておくように、と釘を刺しておく必要はあるだろうか。
「それって……気失った北川を犯すってのも……なんか興奮するな」
「…………早瀬って、根っからのサドね」
「……そうかな?」
「ええ、そうよ。…………ぁっ」
 会話の間も、いちばん深い部分に早瀬の圧力を感じていた。
 私の膣から少しでも多くの快楽を引き出そうとするかのように、深く深くねじ込まれる。
 それは純粋に自分が気持ちよくなるための動きで、私を楽しませようという思いやりは感じられない。
 だから、いい。
 私も昂っている。もう、昇りつめるしかないところまで。
「……っ! ダメだっ、もう我慢、できねーっ!」
 乳房が握り潰されそうなほどに、手に力が込められる。爪が立てられる。
 一度、半分ほど引き抜かれたペニスが、体重を乗せて一気に打ち込まれた。
 最奥で、大きく脈打つ。
 早瀬の短い叫び。
 私も悲鳴を上げそうになり、ベッドカバーを噛みしめる。歯の隙間から呻き声が漏れる。
 本当に一ミリの余裕もない状態まで引き延ばされた膣。その最奥で一瞬膨らむ男性器。
 大量の精液が噴き出してくる衝撃が、子宮にまで響いた。
 早瀬は大きく息を吐き出す。
 胎内で弾けた衝撃が治まるまで、歯を食いしばって痛みと快感に耐える。
 数秒間、全身の筋肉が痙攣しそうなほどに強張る。
 それからようやく、力が抜ける。
 肺が空っぽになるまで息を吐き出し、新鮮な空気を貪る。
 早瀬の身体も脱力していく。
 身体の下から腕が引き抜かれ、その手が頭を乱暴に撫でて髪をくしゃくしゃにした。
「…………すげ……、よかった」
「……そう」
 最後の一瞬、私も達していた。
 それも、かなり激しく。
 どうしてだろう。ただ力まかせで苦しいだけの行為のはずなのに、早瀬とのセックスはこの身体を悦ばせる。
 もっと、犯して欲しい。
 もっと、陵辱して欲しい。
 もっと、穢して欲しい。
 私を、めちゃめちゃに壊して欲しい。
 そんな想いが湧き上がってくる。
 もちろん、彼に好意など抱いていない。
 むしろ、逆。
 私にとって男は嫌悪の対象でしかない。特に、早瀬や、ピアスをくれた〈パパ〉のような、この身体を本気で悦ばせる男はなおさらだ。
 早瀬はまだ、私を押し潰すように覆いかぶさっている。汗で濡れた身体で、深い呼吸を繰り返していた。
「……少し、休憩すっか」
「…………別に……、続けてもいいわよ」
 いくぶん朦朧としかかっていたけれど、そう応える。
 私の中には、まだ早瀬が在った。
 大きさと固さを維持したまま。
 前回の経験からいっても、泊まりの約束をしているのに三度くらいで満足するはずがない。
「まだまだ、夜は長いからな。もっともっと楽しむために体力回復。……喉、乾いてないか? 汗かいたろ」
「…………そうね」
 汗もかいたし、喘いでいたせいもあって喉は渇いている。
「なに飲みたい? ココア以外でも。ジュースやコーラもあるし」
「…………アイス・カフェ・ラテ」
 少し考えて、わざと難し目のリクエストをしてみた。
「ああ」
 しかし早瀬はあっさりとうなずいた。この家にエスプレッソマシーンがあったとは予想外だ。彼自身が食後のエスプレッソを楽しむような性格には見えないから、ココア同様にお姉さんに仕込まれたものかもしれない。
「……ちょっと待ってろ」
 私の頭をぽんとひとつ叩いて、身体を起こす。
 ずっと私を押し潰していた重みがなくなり、一瞬、身体が浮き上がりそうなほどに軽く感じた。
 手早く服を着た早瀬が部屋を出て行く。階段を下りる足音が遠ざかっていく。
 痛みや圧迫感がなくなって、急に疲労感が押し寄せてきた。瞼が重くなる。
 ごろりと寝返りを打って仰向けになった。天井で灯っている蛍光灯が眩しい。
 私は妙な喪失感を覚えていた。身体の中で凄まじいまでの存在感を主張していたものが急に引き抜かれたためだろうか。
 いっぱいに拡げられていた膣が収縮し、精液が溢れだしてくる。脚の間からぬるぬるとした感触が伝わってくる。
 下半身に手を伸ばして、押し出されてきた粘液を拭いとった。大量の精液が手をべっとりと汚す。
 手を顔の前に掲げる。半透明の白く濁った液体にまみれている。
 いつものように口に含む。
 いつもと変わらず生臭くて、苦くて、気持ち悪い。
 飲み込むと、喉に引っかかるような嫌な感触がゆっくりと下りていく。口の中には生臭い味がいつまでも残っているような気がする。
 手を汚している粘液をすべて舐めとると、その手をまた下半身に運ぶ。
 溢れだした分をすべて拭い終わると、今度は中に指を挿れて掻き出す。
 触れると、激しく擦られた膣壁がひりひりと痛んだ。
 ――疲れた。
 壁に掛かった時計を見ると、意外と時間が経っていた。この家に入ってから、もう三時間近くが過ぎている。
 腰が抜けたかのように、下半身に力が入らない。腕で上半身を支え、這うようにしてベッドの端に移動した。
 床に置かれていた鞄に手を伸ばす。
 中から、愛用の剃刀を取り出す。
「…………まず、三回」
 裸のままベッドの端に座って、刃を手首に押し当てた。
 一瞬の躊躇いもなく、すっと引く。
 微かな紅い筋。
 その色がだんだん濃くなって、紅い珠がぷつぷつと浮かび上がってくる。
 もう一回、二回。
 左手首に三本の紅い筋が刻み込まれ、流れ出した深紅の液体がゆっくりと腕を伝っていく。
 じっと、その鮮やかな色彩を見つめる。
 普段なら、ことが終わって独りになってからすることだ。しかし早瀬相手に泊まりとなると、確実にその数は二桁になるだろう。
 前回のことを考えると、立て続けにそれだけの数を切るのは生命に関わりそうな気がした。それに途中で気を失って回数がわからなくなる可能性もある。
 だから休憩のついでに、ここまでの〈精算〉を済ませておくことにした。
 幾筋にも枝分かれして流れていく血が、肘にまで達する。
 左手を抱くようにして、胸に押しつけた。体格の割に大きなふくらみが紅く汚れる。
 思わず見とれてしまう、深紅の液体。
 それは人を狂わせる色彩。
 見つめていると、意識がそれだけに支配されそうになる。
 そのため、戻ってきた早瀬の足音に気づいたのは、階段を上り終わった後だった。
「お待たせ。北川、ケーキがあるんだけど、食べ……」
 早瀬の手にはふたつのグラスを載せたトレイ。
 もう一方の手にはケーキの箱。
 部屋に入って、私の姿を認めたところで動きが止まる。
 笑みを浮かべていた顔が強張る。
「…………、北川」
「……喉、乾いたわ」
 早瀬に向かって腕を伸ばす。
 紅く染まった左手を。
「……薬箱、取ってくる」
 トレイとケーキの箱を机に置いて、回れ右をする早瀬。その背中に声を投げかける。
「気が早いわね。……後でいいわ」
 早瀬の脚が止まった。
 まだ、早すぎる。
 まだ、十分に血を流していない。
 まだ、足りない。
 この程度の量の血では〈贖罪〉にならない。
「でも……」
 早瀬が振り返る。
「喉、乾いたわ」
 もう一度、手を差し出す。
 まっすぐに早瀬を見つめる。たとえ薬箱を持ってきても今すぐ治療を受けるつもりはない、という強い意志を込めて。
 早瀬も私の目を見る。
「……落ち着いているみたいだな」
 少しだけ安堵の表情を浮かべて言う。
 私が正気かどうか、確認したのだろう。手首を切ること自体が正気ではないといってしまえばそれまでだけれど、入学間もない頃、教室で半狂乱になって発作的に切った姿を見ている早瀬としては、その光景が再現されることを懸念したのかもしれない。
 あの頃に比べたら、今の私は落ち着いている。高校入学直後は環境の急変のためか、精神的にかなり不安定だった。
 小さな溜息をついてグラスを取り、紅く染まった手に渡してくれる。
 ストローをくわえる。
 アイス・カフェ・ラテ。
 ほどよい苦みとクリームのまろやかさが舌に心地よい。
 ひと口、ふた口、喉を鳴らす。
 疲れた身体に元気が戻ってくるようだ。
 お腹にものが入ったことが刺激となったのか、空腹を覚えた。夕食を食べてきたとはいえ量は少なめだし、時刻も早かった。
「……ケーキがあるの?」
 机の上の箱に視線を向ける。トレイにはお皿とフォークも載っていた。
「あ、ああ……泊まりだから腹も減るだろうし、北川がどんなものが好きか知らないけど、まあ、女の子は大抵、ケーキとか好きかなって」
 意外と細かなところに気を遣う。セックスには気遣いの欠片もないくせに。
 お姉さんの教育の賜物か、あるいは茅萱との付き合いで培われたものなのか。
「……嫌いではないわ」
「そうか、よかった」
 ケーキの箱を開けて見せてくれる。全部違う種類で四つ。チョコレート系、生クリーム系、フルーツ系、そしてチーズケーキ。
「どれから食べる?」
「……早瀬は、どれが好きなの?」
 私の好みは知らないのだから、自分が食べたいものを買ってきた可能性が高い。私にはどうしてもこれというほどの執着はないから、早瀬のお目当てを横取りする気もない。
「いや、全部食べていいぞ」
 そう言われて気がついた。お皿とフォークはひとつずつしかない。このケーキは私のためだけに用意されたものだった。
 ケーキから早瀬に視線を移す。小さくうなずいたように見えた。
 生チョコがたっぷりと使われている、カロリーの高そうなケーキをお皿に取る。
 フォークを刺して一切れ口に運ぶ。
 ねっとりと濃厚な、チョコレートの甘みと苦みが口の中に広がる。
 美味しい。そこらへんのスーパーで売っている安物ではない。
 もう一切れ、フォークに刺して持ち上げる。
「……どうぞ?」
 早瀬の顔の前に差し出す。
 目が見開かれる。驚き、戸惑い、照れの入り混じった表情。
「……え? い、いや、北川、全部食べていいぞ」
「……早瀬って、時々、すごく失礼ね」
「え?」
 きょとんとした表情。まったくわかっていない。
「あなたの目には、私って、四つのケーキを独り占めするほどの食いしん坊に見えるのかしら?」
「え? あ、いや……別にそんな……」
 親切心のつもりが私の機嫌を損ねる結果になってしまって狼狽えている。
 そんな早瀬を見ながら考える。
 彼の身近にいる女の子といえば、まずお姉さんと茅萱カヲリだろう。弟に飲み物を作らせているお姉さんは、かなり気が強い、あるいはわがままな女のイメージ。茅萱のことなどよく知らないけれど、教室で早瀬や友達と話している時の雰囲気から察するに、美味しいケーキを遠慮する性格とは思えない。
 そんな女性たちと日常的に接している早瀬は、意外とフェミニストなのだろうか。
 ――ただし、私とのセックス以外では。
 早瀬は困惑した様子で、目の前に差し出されたケーキと私の顔を交互に見る。
 私はまっすぐに早瀬を見つめている。
「あ……えーと」
 しばらくの葛藤の後、意を決したように屈んでケーキを口へ運んだ。
「……美味いな、これ」
「…………そうね」
 覚えのある味だった。見覚えのある、有名な洋菓子店の箱。
 何度も〈パパ〉に食べさせてもらったことがある。平均的な高校生の小遣いには負担が大きそうな価格だったことも覚えている。もっとも、〈パパ〉にとっては駄菓子を買うような感覚だったろう。
 しかし早瀬は体育会系の男子高校生。食べ物に関しては質より量だろう。彼に似合うのは銀座の有名店の高級ケーキではなく、ファーストフードの特大ハンバーガーか牛丼特盛りだった。
「…………座ったら? 首が疲れるわ」
 早瀬は私の前に立ったままだった。立っていてさえも三十センチ以上の身長差がある。座って見上げるのは首に負担がかかる。
 ベッドの、自分が座っている左隣のスペースを軽く叩く。
「あ……ああ」
 隣に腰を下ろす早瀬。ただし、私とは三十センチ弱の間隔を空けて。
 何度もセックスしているくせに、こうしたことにはまだ照れがあるようだ。
 お尻を移動させてその距離を埋め、早瀬に密着する。
 どう反応すればいいのか困っているような、戸惑いの表情。しかしさすがに逃げはしない。
 早瀬と並んで座った状態で、ケーキを一切れ食べる。
 次の一切れを、また早瀬に差し出す。
 少しだけ躊躇して、私の手からケーキを食べる。
 その行為だけを見れば、まるでらぶらぶの純情カップルだ。
 しかし私はニーソックスだけの裸で、機械よりも無機的な表情のまま。
 寄り添って座っていても、手からケーキを食べさせていても、そこには愛情というものがまったく感じられない。
 もちろん、これが〈パパ〉たちとのデートであれば、甘えた声ですり寄るし、ケーキも「それも美味しそう、ちょうだい」なんて言いながら独り占め。たぶん、茅野が早瀬に対してするように。
 だけど今は、学校にいる時と同じように超がつくほどの無愛想、無表情。なのに恋人のような行動。だからこそ早瀬は戸惑っている。
「……飲み物、とってくれない?」
 早瀬は腕を伸ばし、机の上に置いてあった私のグラスを取って差し出してくる。
 そのグラスを受け取らず、早瀬に持たせたままストローを口にくわえて喉を潤す。
 また、ケーキを一切れ食べる。
 次の一切れを早瀬に差し出す。
 早瀬もわかってきたようで、ふたつのグラスを手に持ったまま、私が目で促すと顔の前に差し出してくれる。
 お皿が空になり、ふたつ目のケーキを載せる。
 それも同じように、私と早瀬が交互にゆっくりと食べる。
 みっつ目、よっつ目も同様。
 お互い、ケーキふたつ分ずつをお腹に収めたことになる。〈激しい運動〉の後にはちょうどいいおやつだ。
 空になったふたつのグラス、一枚のお皿、ケーキの箱。
 それらを持って早瀬は一階に下りていき、戻ってきた時には代わりに救急箱と清涼飲料水のペットボトル、グラスをふたつ手にしていた。
 ペットボトルとグラスを机に置き、私の隣に座る。
 先刻よりはその距離は近い。間隔は十センチくらいだろうか。しかしまだ密着はしてこない。私が動いてその隙間を埋める。
「……北川」
 返事はしない。無言で早瀬の顔を見る。
「……手、見せて」
「…………」
 私が動かないので、早瀬は左手を掴んで持ち上げた。顔を近づけて傷の様子を観察する。
 時間をかけてケーキを食べていた間に、出血はほとんど止まりかけていた。流れ出した血が赤黒く固まっている。
 傷の手当てをするのかと思いきや、早瀬は手首に唇を寄せた。
「……、」
 少々、予想外の展開だった。
 傷に口づけし、舌を押しつけてくる。
 固まりかけた血が溶けて、舐めとられていく。
 ゆっくりと、三本の傷のひとつひとつを念入りに。
 別に、傷口を洗うとか消毒とかの意味ではあるまい。傍らには救急箱もあるのだから。
 その行為は、愛撫のようだった。
 傷口を、舌と唇で優しく愛撫している。
 舌先でくすぐったり、舌全体を強く押しつけたり。まるでクンニリングスのよう。
 そういえば、これまで早瀬にクンニされたことはないな……なんてことをぼんやりと考える。
「…………っ」
 ふたつの行為の類似点は、舌の動きだけではなかった。
 どうしてだろう、その行為は気持ちよかった。
 私の身体は、左手首は、傷を舐められる刺激を〈快感〉として受けとめていた。
 そのことを知ってか知らずか、早瀬は手当をはじめる気配もなく傷を舐め続けている。
 考えてみれば〈傷口〉というのは口や性器と同様に、身体の内部へと通じる場所、身体の内部が外界へ露出した場所だった。
 口だってセックスに用いればお互いに気持ちのいい場所なのだから、その点では傷口というのも性器と同じなのかもしれない。
 ましてや私の場合、手首の傷はセックスと直結したもの。セックスを連想せずにはいられないもの。
 そんなことを考えてしまうと、早瀬にされている行為を無視できなくなってしまった。
 平常心を保つことができない。
 鼓動が速くなってくる。
 体温が上昇をはじめる。
 感じてしまう。
 傷口がじんじんと痺れてくる。
 性器やクリトリスを舐められているのと変わらない感覚だ。
 きゅっと唇を噛んで声を堪える。
 早瀬がうつむいて傷口に集中しているため、顔を見られていないのは幸いだった。傷口を舐められて感じてしまうなんて、いくらなんでも普通ではない。
「……っ、…………っ」
 身体が強張る。右手で口を押さえる。
 顔が、そして下半身が熱くなってくる。じわじわと蜜が滲み出てきているのを感じる。
 いけない。
 これ以上は本当に我慢できなくなってしまう。
 いったいどうしてしまったのだろう。これは初めての経験だった。身体のどこであれ、舐められるのは基本的に気持ちのいいことであるけれど、それにしても性感帯以外がこれほど気持ちよかったことはない。
「…………早瀬っ」
 それは、自分で思っていたよりも少し大きな声になった。
 早瀬が顔を上げる。
「……もう、いいわ。手当てしてちょうだい」
 できるだけ平静を装って言う。
「ああ」
 微かな笑みを浮かべて、早瀬は救急箱を開ける。
 もう一度、傷を確認する。
 血の汚れはすっかり舐め取られて、綺麗になっていた。出血もほぼ止まっている。
「そうだ。これ、飲んでおけよ」
 最初に薬箱から取りだしたのは錠剤の瓶だった。傷の手当てで錠剤? という疑問が顔に出たのか、蓋を開けながら言葉を続ける。
「鉄剤だよ」
「……そう」
 いつも保健室で飲まされているサプリメントと似たようなものだ。
 錠剤をふたつ。そして飲み物を注いだグラスが渡される。それを飲む。
 素直に従ったことに早瀬は意外そうな表情を浮かべたけれど、彼は私が鉄サプリメントを常用していることを知らない。
 血は必要だ。死ぬために切っているわけではない。血を増やせば、またそれだけ切ることができる。
 切るために、血を流すために、私は血を造る。
 早瀬は手首を掴んで、手当てをはじめた。
 私はベッドから滑りおりて、彼の前に跪いた。
「北川……?」
「いいから、続けて」
 脚の間に座って、掴まれたままの左腕を頭の上に掲げるような体勢になる。
 股間に顔を寄せる。自由な右手でジーンズのファスナーを下ろす。その中のものを口に含む。
 既に大きくなりかけていたものが、たちまち口いっぱいに膨らんだ。
「く……ぅっ」
 押し殺した声。アルコール綿で傷を拭いていた手が止まる。
 根元まで飲み込む。亀頭に喉を塞がれる。それでも強く吸う。唇で根元を締めつけ、舌と内頬を全体に擦りつける。
 びくん、びくん!
 口の奥で脈動している。
 一度吐き出し、根元から先端まで、念入りに舌を滑らせる。
 先端を口に含み、右手で根元を握って動かす。舌先で尿道口をくすぐる。
 ちらり、と上目遣いに早瀬を見る。
 こちらを見ていた早瀬と、一瞬、目が合った。すぐにばつが悪そうに視線を逸らし、傷の手当てを再開する。
 また、根元まで飲み込んでいく。深くくわえた状態で顔を動かす。
 より強い刺激を与えるために。
 そして、早瀬を傷に集中させないために。
 しかし、
「…………もしかして、北川……これ、した回数だけ切ってるのか?」
 気づかれてしまった。
 大雑把そうな外見のくせに、意外と細かいところに気がつく。
 左手首には、切りたての傷が三本。そして、よく見れば他の傷と区別できる、まだ比較的新しい傷が六本プラス一本。
 まさか、その数字が持つ意味に気づくとは。
「………………ええ、そうよ」
 仕方なくうなずく。
「何故?」
 その問いに答えることは気が進まなかった。しかし、嘘をつく気にもなれない。黙秘という選択肢もあったはずなのに、口が勝手に動いていた。
「……罰、だから」
「え?」
「罪を犯したら、罰を受けなきゃならないから」
「…………」
 わかったような、わからないような、微妙な表情。
 これだけの説明ですべてを理解できるはずもないけれど、雰囲気からなにかを感じとったのか、それ以上は追求してこなかった。
 無言で傷の処置を再開する。
 私も、口での奉仕を続ける。
 止血パッドを貼り、包帯を巻いていく早瀬。
 口の、舌の動きを加速していく私。
 前戯としてではなく、このまま射精に導くつもりの口戯だった。
 時折くぐもった声を漏らしながらも堪えている早瀬。
 だんだん、包帯を巻いている手の動きが速くなってくる。最後の仕上げは、前回に比べると少々雑だった。
「……っ、北川っ!」
 両肩を掴んで私を引きはがし、そのまま脇の下に手を入れて持ち上げる。
 自分の膝の上に座らせて、身体に腕を回す。
 向かい合って抱き合う形になった。体位でいえば対面座位というところ。
 股間に、大きな肉の塊が当たっている。凄く熱を帯びている。
 入口に当たっているそれは、今にも獲物に襲いかからんとしている獣の気配を漂わせていた。
 口でしていたために、私の方ももう準備はできていた。流れ出す蜜が早瀬を濡らしている。
「あと何回くらい、できる?」
 早瀬もかなり昂っているのか、呼吸が荒い。かろうじて衝動を抑えているといった雰囲気だ。
「……何度でも。この程度の傷、十や二十で失血死なんてしないわ」
 手首の傷のことを知って、私とセックスすることに後ろめたさを憶えているのだと思った。
 セックスしたら、私はまた自分を傷つけ、血を流す。
 だから早瀬は遠慮しているのだ、と。
 だとしたら、早瀬との関係もこれまでだ――と思ったのだけれど、しかし、早瀬は首を横に振った。
「そうじゃなくて、体力とか。それに……ここ、痛くないか?」
 指が触れてくるのは手首の傷ではなく、蜜を滴らせている局部。
「……痛いわよ?」
 大きなもので貫かれて、激しく擦られて。
 早瀬と三回もすれば、それだけでもう赤く腫れてしまう。触れるとひりひりと痛い。
「それでも、していいのか?」
「……別に、構わないわ」
「はじめたら手加減できないぞ」
「早瀬にそんなこと、期待してないわ。優しいセックスが目当てなら、そもそもあなたの相手なんてしない」
 腕に力が込められる。
「後悔すんなよ」
 今の私は、早瀬のペニスの上に乗せられたやじろべえのような状態だった。ちょうど、入口にぴったり合うように先端が当たっている。しかし入口の狭さと早瀬の太さのため、そう簡単には中に入ってこない。
 小刻みに腰を動かして、位置を微調整する。
 早瀬は腰に回した腕に力を込めて、私の身体を押し下げる。
「……ぅ……ん、ん……」
 押しつけられた大きな亀頭が、濡れた粘膜を乱暴に拡げていく。
 めり……めり……と音を立てて押し入ってくるような感覚。
 息を止める。
 痛みを堪える。
 私の身体は真下から串刺しにされ、膣の粘膜がまたいっぱいに引き延ばされる。
 少し休んだせいか、かえって二度目、三度目よりも痛いような気がする。
「ぁ…………は、ぁ……っ」
 いちばん奥に突き当たる。それでもまだ根元までは私の中に埋まっておらず、かなりの部分が外にあった。強引にねじ込まない限り、このペニスは私の膣の奥行きよりも長い。
 早瀬は腕の力を緩めることなく、私の身体を股間に押しつけた。太い腕に力こぶが盛り上がる。
「……んっ、……く……ぅ、んく……」
 無理やり押し込まれてくる。内蔵が突き上げられるような感覚。身体の内側からの、独特の圧迫感。軽い腹痛と吐き気を覚える。
 痛い。
 苦しい。
 腫れた粘膜をさらに擦られる痛み。
 膣を無理やり引き延ばされる痛み。
 内臓を貫かれるような苦しみ。
 二人の下腹部が密着する。
 早瀬のすべてが私の中に埋まった。
 外にある時の姿を見ていると、我ながら信じられない。この小さな身体の中に、あの長大なものがすべて収まっているなんて。
 人体の脅威。
 女体の神秘。
 いちばんの不思議は、これだけ苦しい状態でありながら、濡れて感じてしまっていることだ。
 私を抱えて、早瀬は腰を揺する。
 同時に、私の身体も揺さぶる。
 結合部がぐちゅぐちゅとぬめった音を立てる。
「んっ……ふ……ぅんっ…………ん、く、……んっ」
 唇からくぐもった喘ぎ声が漏れる。
 ベッドがぎしぎしと軋む。
 バランスが悪い体勢のせいもあって、無意識のうちに手に力が入り、早瀬にしがみつく。
 下半身にも力が入り、早瀬を締めつける。
 力を抜いたらさらに奥まで貫かれて、本当にお腹を突き破られてしまうような錯覚を覚えた。
 痛くて、苦しくて、気持ちいい。
 痛みに対する生理的な反応として、涙が滲んでくる。しかしもちろん抗議の声など上げない。
 私が泣いていることがわかっていても、早瀬は力を緩めない。自分の分身を一ミリも余すことなく私の中にねじ込み、そこからありったけの快楽を搾り取ろうとしている。
 大きな身体とありあまる腕力が、小さな身体を蹂躙する。
 激しい往復運動ではなく、いちばん深い部分に無理やり押し込んでいるという点では先刻までと同じ状況だった。しかし俯せになって背後から犯されていた時と違って、自分の体重がまともに加わる分、結合部にかかる負担は大きかった。
「…………ぁ……ぁ」
 身体が痙攣する。唇が震える。視界が霞む。
「……こうやってずっと奥まで挿れてるのと、最初みたいに激しく動くのと、どっちがいい?」
「…………どっちも魅力的で、迷うわね」
 無機的な声で、下手くそな芝居のような棒読みの台詞。
 当然、本心で言っているとは思わないだろうけれど、しかしそれを嫌がっているわけではないことも伝わっているはず。
 いずれにせよ、私の負担よりも自分の性欲を満たすことを優先する性格だ。ふたつの選択肢のどちらかをリクエストしたところで、いざ昂ってきたらお構いなしだろう。
「じゃあ、こういうのはどうだ?」
「……っ! んっ、――っ!」
 早瀬が選択したのは〈奥まで挿れたまま〉〈激しく動く〉だった。
 私を上に乗せたまま仰向けに倒れ、騎乗位の形になる。そのまま腰を激しく突き上げてくる。
 その勢いはまるでブル・ライディングの暴れ牛だった。私の小さな身体なんて本物のロデオさながらにたちまち跳ねとばされてしまうところだけれど、早瀬は私の両腕をしっかり掴んで引っ張っていて、どんなに大きく弾んでも、彼に貫かれた状態からは逃れられない。
 それだけに、結合部が受ける刺激はこれまででいちばん激しかった。早瀬の上でもみくちゃにされ、膣全体がめちゃめちゃにかき混ぜられている。
「――っ! ぁ、……っ! っっ!」
 頭ががくがくと揺れる。
 唇から漏れる息は声にならず、涎が飛び散る。
 早瀬の身体がベッドの上で弾んでいる。
 さすがにこの激しい刺激では、早瀬もそう長くは我慢できずに達してしまったけれど、その頃には私もほとんど失神しかけていた。


 早瀬はそのまま、休憩も挟まずにさらに二度、なかば意識を失っている私を犯して胎内に精を放った。
 本当に、一度火がついてしまえば手加減なしだった。冷静な時にはそれなりに優しく、気遣うような素振りを見せつつも、いざ自分の性欲を満たす段になるとなんの遠慮もない。
 まさに〈男らしい〉性格といえる。
 忌まわしい、唾棄すべき存在。
 だからこそ、それを求めてしまう。

 はっきりと意識が戻った時には、カーテンの隙間から覗く空が微かに白みはじめていた。
 今は六月、夜明けは早い。
 私は死体のようにぐったりとベッドに横たわったまま、ぼんやりとカーテンの隙間を見つめていた。意識は戻っても、身体はろくに動かせない。
 しかし早瀬は多少眠そうなくらいで、体力、精力ともにまだまだ元気そうだった。
 また、飲み物と夜食を用意してくれる。
 その間に、また、手首を切る。
 大きなお皿と飲み物を手にして戻ってきた早瀬が、私を見て、ほんの一瞬だけ動きを止める。
 もう、驚いた顔は見せない。ただ、微かに溜息をついたようだった。
「……また、食い終わるまで治療禁止?」
「……ええ」
「じゃあ、早く食え」
 持っていたお皿を差し出す。
 大きなお皿の上で、八等分にカットされたピザが香ばしい湯気を立てていた。
「……私、食べるの遅いのよ」
 ピザを一切れ取り、わざとゆっくりと、少しずつついばむように食べる。そんな様子を苦笑しつつ見ている早瀬。
 全裸で、手首から血を流して、ピザをついばむ図。シュールな光景ではある。
 食べ終わって傷の手当てが終わった頃には、外ははっきりと明るくなっていた。
「結局、徹夜しちまったな」
「…………帰りが困るわね」
「なんで?」
「今の私が、自分で歩いて帰れると思う?」
「あ……」
 下半身にはまるで力が入らず、性器の痛みは先ほどよりもさらに悪化している。とても、歩いて帰れる状態ではない。途中で倒れる以前に、この家から自力で出られるかどうかすら怪しかった。
 じゃあ早瀬に送っていってもらえばいいかというと、それはそれで問題がある。
「……白昼堂々とこの前みたいな帰り方は、さすがに抵抗あるわ」
 いくら私でも、お姫様抱っこで真っ昼間の往来を平然と行けるわけがない。そんな目立つ姿で、万が一クラスメイトにでも見られたら後々面倒なことになる。
「……だったら」
 いいことを思いついた、といわんばかりに子供っぽい笑みを浮かべる早瀬。
「暗くなるまでここにいれば?」
 それで、妙に嬉しそうな表情の理由がわかった。どうやら、まだまだする気満々らしい。本当に、底なしの体力と精力だ。
「……今日、ヒマなの?」
「ああ。北川は?」
「……午後に〈デート〉の約束が一件」
 独特のアクセントで発した〈デート〉という単語。それで、普通の意味でのデートではないことが早瀬に伝わる。
 やや引きつったような表情になる。
「…………別に、すっぽかしても構わない用事よ?」
 それ以上は言わない。挑発するような目で見る。
 数瞬の間を置いて、早瀬は私の腕を掴んで押し倒した。上に覆いかぶさってくる。
「じゃあ、夜までいろよ。つか、帰さねー」
 乱暴に抱きしめられる。
「…………そう」
 私は別に、どちらでもいい。
 誰でもいい。
 私を犯してくれるのであれば。
 早瀬を優先したからといって、特別な感情があるわけではない。ただ、この疲れ切った身体で、一度家に帰ってから援交用におしゃれしてまた街に出るのが面倒だっただけだ。
 むしろこのまま早瀬と一緒にいた方が、結果的により多く、より激しく犯されるだろう。
 その方が楽。その方が手っ取り早い。
 ただそれだけのことだった。今日の〈デート〉の約束も特別な相手ではない。
「……ふ、……っんぅっ!」
 前戯もなく、また早瀬が入ってくる。
 一気に貫かれる。
 ちょっとした〈挑発〉が効いているのか、早瀬の動きは単に激しいだけではなく、これまでとは微妙に違う荒々しさがあった。


 本当に、どれだけの体力があるのだろう。
 されるがままでいる私がもうとっくに力尽きているというのに、激しく動き続け、幾度となく精を放っている早瀬はまだまだ元気だった。
 明け方に始まった数回の行為が終わって、また小休止した頃には、すっかり陽が高くなっていた。もう昼近くだったろう。
 お菓子を食べながらだらだらとしているうちに少しうとうとして、目を覚ましたのは太陽が西に傾きはじめた頃だった。
 そしてまた嵐が襲ってくる。私はもうなにもできず、壊れた人形のようにただ蹂躙されていただけだ。
 ほんの一時だけの休息。すぐにまた再開される陵辱。
 何度も繰り返される。
 その嵐が去った頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 これでまる一日、二十四時間以上ここにいたことになる。その間、休憩を挟みつつとはいえ、二十時間近くは早瀬に貫かれていた計算になるのではないだろうか。
 つながっていた時間、射精された回数、達した回数、一日で増えた手首の傷。
 さすがの私も記録的な数字だった。
「…………そろそろ、帰るわ」
 ぐったりと横たわったまま、剃刀を手に〈贖罪〉を済ませて言う。
 ここらで区切りをつけなければ、もう一泊することになりそうだった。そうなったら生きて明日の太陽を見ることはできないかもしれない。
 早瀬の顔を見る。
 そして、少しばかり驚き呆れた。
「…………さすがに、これは少し驚くわね」
「え?」
「まる一日以上、あれだけやりまくったのに、帰ると言ったら物足りなそうな顔をするなんて」
 実際、私が承諾すればまだするつもりだろう。
「え? い、いや……別にそんな……うん、堪能した」
「……あまり、説得力はないわ」
 視線を少し下に向ける。
 まだ、私も早瀬も裸のままだった。そして彼の股間はまだまだ十分すぎるほどの固さを維持して天井を向いている。彼には精力の限界というものが存在しないのだろうか。
 もう一回くらい、してもいいだろうか。急いで帰らなければならない理由があるわけではないし、ここまで来たらあと一回してもしなくても、私の身体がぼろぼろなことに変わりはない。
 だけど、きっと、始めてしまったら一度では済むまい。自分で言う通り、早瀬は一度火がついたら抑えがきかない性格なのだ。
「…………シャワー、借りていい?」
「あ、ああ、もちろん」
 身体中、汗でべたべた。膣内はどろどろ。そして意識は朦朧。
 せめてシャワーでも浴びれば、少しはすっきりするかもしれない。
 シャワーの用意をするために部屋を出ようとする早瀬を呼び止め、腕を伸ばす。
「……連れていって」
 とても、自分の脚で階段を下りるなんてできそうにない。下半身が麻痺してしまったような感覚で、立つことすらおぼつかない。
 立って歩けたとしても、今度は性器とその周辺が擦れて激痛が走ることだろう。
 回れ右して戻った早瀬が私を抱き上げる。疲れていないはずはないと思うのに、部屋へ連れてこられた時と変わらない軽い足どりで階段を下りていく。
 バスルームに着くと、片手で私を抱いたままお風呂マットを敷き、その上にそうっと私を置いた。給湯器のスイッチを入れ、タオルとバスタオルを持ってくる。
「リビングにいるから、終わったら呼んでくれ」
 やや照れたような表情で言って、バスルームから出ていく。
 別に、一緒でも構わなかったのだけれど。
 むしろ、早瀬に洗ってもらった方が楽だったのだけれど。
 そもそも、セックスの後のシャワーは一緒に浴びるものではないだろうか。一晩中あれだけのことをしておいて、今さら一緒の入浴を恥ずかしがる理由もないと思うのだけれど、まだまだこうしたことには慣れていないようだ。
 もちろん、どうしても早瀬と一緒の方がよかったというわけではないし、身体を洗ってもらったせいでまた彼にスイッチが入ってしまったら生命に関わる。
 独りで、マットの上にへたり込むように座ったままシャワーを浴びた。
 疲れきって感覚のなくなった身体にとって、勢いよく降りそそぐシャワーの湯滴は心地よいマッサージだった。
 お湯を浴びながら、指を下腹部へ運ぶ。
 粘膜に触れた瞬間、痛みに顔が歪む。擦りむいた傷に触れる痛み。
 それでも、指を挿入する。
 膣内は、単なる愛液の潤いとは異なる、ねっとりとした感触で満たされていた。早瀬の精液がたっぷりと混じっている。
 激痛を堪えながら指で掻き出す。
 流れ出すものを掌で受けとめ、口へ運ぶ。
 中出しされた後の、恒例の〈儀式〉。
 私にとって〈世界一まずくて気持ち悪いもの〉を飲み下す。
 また、指を挿れる。最後の一滴まですくい取る。
 あれだけ長時間、あれだけ大きなものを挿入されていたというのに、膣は拡がって緩くなるどころか、むしろ普段よりも狭く、きつく感じた。激しく擦られすぎて、膣壁が腫れあがっているためだろう。指を挿れていると、鼓動に合わせてずきんずきんと痛みが響く。
 指を抜いて脚を拡げるようにして座り、前屈みにその部分を覗き込んでみる。
 普段の淡い赤みとは違う、不気味なほど真っ赤に充血した陰部は見るからに痛そうだった。目の当たりにすると、よりいっそう痛く感じてしまう。
 早瀬は痛くないのだろうか。ペニスだって表面は粘膜、腕や脚の皮膚に比べたらずっとデリケートな部位のはずなのに。
 大きくて丈夫な肉体の持ち主は、性器まで丈夫なのだろうか。
 そんなことを考えながら、ゆっくりと身体を洗う。
 簡単に髪を洗う。
 洗い終わってもまだ立ち上がる元気はなかったので、バスルームに座り込んだままドアを開けて早瀬を呼んだ。


 早瀬の家を出たのは、もう夜中近くだった。
 空はよく晴れていて、星が瞬いている。日中はそれなりの気温だったはずだけれど、今は風が涼しい。
 前回同様、早瀬は私をお姫様抱っこして歩いている。相変わらず、三十キロちょっとの体重など存在しないかのような足どりだ。
 足の運びで生じる、軽い上下動が心地よい。疲れきっていることもあって、瞼が重くなってくる。
「……なあ、北川」
 うとうとしかけたところで声をかけられる。
 返事の代わりに瞼を開く。
「こういうこと訊かれるの、嫌かもしれないけど……どうして、援交とかしてるんだ?」
 過去、幾度となく訊かれた質問。
 その都度、同じ答えを返してきた。
「…………気持ちいいことして、お金がもらえる。それ以上の理由が必要?」
 ほとんどの相手はそれで納得する。釈然としない表情を浮かべている早瀬は少数派だ。
 早瀬との関係が普通の〈パパ〉たちとは違うから、この言い訳は通じない。
 彼との行為は、激しすぎて、痛くて、純粋に物理的な刺激としてはさほど気持ちのいいものではない。
 お金も、高価なブランド品も貰っていない。
 なのに、文句ひとつ言わずに抱かれている。
 だから前述の答えだけでは、援助交際やAV出演はともかく、早瀬との関係の説明にはならない。
 もちろん、彼に特別な好意を抱いているわけではない。私をセックスの対象として見る男はすべて憎悪の対象でしかなく、嫌悪せずにいられる男なんて、根っからの同性愛者くらいのものだ。
 そもそも、初体験からこれまで、まともな〈恋愛〉などしたことがない。
 だったら何故、早瀬と関係を持っているのか――と問われると、正直なところ返答に困る。自分でも論理的に説明することができない。
 他の援助交際と同様、ただ、そうしたいという衝動が湧き上がってくるだけなのだ。その理由について深く考えたことはない。自分の心理を詳細に分析する気にもなれない。少しばかり狂っているな、と思うだけだ。
「気持ちいいことしてお金がもらえるから援交をしている? だけどそれは悪いことだから、するたびに罰として自分の手首を切っている?」
 ひとつひとつ、確認するように繰り返す早瀬。もちろん、納得した表情ではない。
 肯定の代わりに、まっすぐに早瀬の目を見る。
「…………頭のおかしい人間の戯言よ。気にしないで」
「俺とは、援交じゃないだろ」
「……でも、いけないことだもの」
「…………そうか」
「……それに、見方によっては援交かもしれないわ? 対価がお金や服か、それとも美味しいココアやカフェ・ラテやケーキかの違い」
 実際にはそれも理由にはならない。早瀬が作るココアがいい出来なのは事実だけれど、別にそれが目当てで関係を持っているわけではないのだから。
 その点では、確かに特殊な関係ではある。他の〈パパ〉たちからは現金や、金額に換算しやすい、そして安くはない対価を貰っているし、AVのギャラについてはいうまでもない。
 暇な時にはたまに純粋な〈ナンパ〉の相手をすることもあるけれど、早瀬が積極的に誘ってきたわけでもないのだから、これも同列に考えることはできない。
「いつ頃から?」
「中一……だったかしら。小六だったかも」
 答えてから、その質問が〈援交〉に対するものなのか、それとも〈リストカット〉に対するものなのかと考えた。
 もっとも、どちらであってもはじめた時期にそう大きなずれはない。
「…………」
 微かに驚いたような表情の変化。おそらく、予想よりも早かったのだろう。
 その後、しばらく沈黙が続いた。
「……あなたは、言わないのね」
「なにを?」
「やめろ、って。他の人みたいに」
「…………言われてやめるなら、もうとっくにやめてるだろ」
「……そうね」
 また、会話が途切れる。
 話すことをやめると、すぐにうとうとしてしまう。
 そしてまた、早瀬の声に起こされる。
「疲れた?」
 彼もそれほど口数の多い方ではないのに、ちょうど気持ちよく眠りそうになったところでタイミングよく話しかけてくるのは、わざとではないかと勘ぐってしまう。
「……疲れてないと思う?」
 わかりきったことを訊くな、という感情を込めて応える。
「ちょっと、やりすぎたか?」
「……別に、構わないわ。……私は」
 もちろん、気力体力の限界を超えた状態ではある。華奢な私に限らず、どれほどスキモノの淫乱であっても、楽しい、気持ちいいと思える上限をはるかに超えているだろう。苦痛以外のなにものでもない。
 しかし、だからこそ早瀬と関係を持つ意味がある。
 男と接触することは、精神的には苦痛以外のなにものでもない。
 なのに肉体は、大抵の相手とのセックスを快感として受けとめてしまう。
 だからこそ、肉体的にも苦痛を与えてくれる早瀬とのセックスは意味があった。
 もっとも、他の女の子はそうは感じないだろう――特に、経験のない高校一年生の場合には。
「…………思うんだけど、早瀬、茅萱とする時は先に何度か抜いておいた方がいいんじゃなくて?」
「え?」
 突然、私の口から予想外の固有名詞が出てきたことに対する驚きの反応。
「茅萱もバージンなんでしょう? 初めての、しかもまだ高校一年生。あんな勢いでやられたら、絶対に気持ちいいとは感じないと思うわ。私みたいな女は例外中の例外よ?」
 茅萱の初体験が気持ちよかろうが痛かろうが、私にはどうでもいいことだけれど、一応、念のため、忠告しておく。AVや私との関係だけから得た経験で、それが普通と思われては困る。初体験の相手に嫌われて、後々、私のせいにされたくはない。
「…………早瀬って、私とするまでは経験なかったのよね?」
「ああ」
「……こんな性欲魔神とずっと一緒にいて、これまでバージンだった茅萱ってすごいわね。よっぽど、ガード固いのかしら?」
 早瀬がやや不機嫌そうに口を尖らせる。
「カヲリを襲ったことなんてねーよ。あいつとはそーゆー関係じゃねーし。……そりゃあ、俺だって健康な高校男子だし、まったくエッチな気分になったことがないとは言わねーけど…………あんな風に抑えがきかなくなることはなかった。この前、北川とした時が初めてだったんだ」
「…………そう」
「……学校にいる時はあまり感じなかったけど、北川って、なんてゆーか……妙にエロい雰囲気があるよな、この格好の時は特に」
 確かに、学校にいる時と今とでは、別人といってもいいほどに違う。容姿はもちろんのこと、雰囲気も。
 下ろした髪、眼鏡を外した顔に薄い化粧。
 下着の見えそうなミニスカートと、そこから伸びた脚に視線を惹きつけるためのオーバーニーソックス。
 男を誘うフェロモンも垂れ流しだ。
 自分本来の容姿とまとっている雰囲気が、異性に劣情を催させるものであることはいやというほど熟知している。
「……それが〈商品価値〉だもの」
 だからこそ〈パパ〉や〈おにいちゃん〉や〈ご主人さま〉たちは私を求め、惜しげもなく〈お小遣い〉をくれる。
 私の身体を貪るために。
 しかし、援交の際にはそれなりに〈顧客サービス〉もしているけれど、早瀬が相手の時は違う。表情と態度は学校と同様の無愛想なまま。それを気にも留めずに私とのセックスを楽しんでいる早瀬は、やっぱり少し変わった趣味といえるかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、私が住むマンションの前まで来た。前回同様、自分の脚で歩くよりもずいぶんと早い。
「……四階よ」
 この前は建物の前で早瀬と別れたけれど、今日はまだ自分の脚で歩けそうになかった。
 一瞬、おやっという表情を浮かべた早瀬は、すぐに事情を察したようで、小さくうなずいてマンションの中に入った。
 一階に停まっていたエレベーターに乗り、四階のボタンを押す。他に人はいなくて、ほどなく目的の階に着いた。
 早瀬は私を抱きかかえたまま指示に従って廊下を歩き、『北川』の表札のあるドアの前で立ち止まる。
「ここでいいか?」
「……ええ」
 ゆっくり、慎重に、ガラス細工の壊れものでも扱うように下ろされた。そのまますぐには手を離さず、私の身体を支えている。この手がなければ床に座り込んでしまったかもしれない。
 ポケットから家の鍵を取り出して鍵穴に差し込む。この時間、母は仕事で留守だ。
 鍵を開けたところで早瀬を振り返った。「送ってくれてありがとう」も「さよなら」も「おやすみ」も言わず、ただ黙って早瀬の顔を見あげる。
 数瞬の間があって、早瀬はその意味を察したようだ。あるいは単に偶然で、自分の欲求に従った行動だったのかもしれない。
 距離を詰めてくると、腕を掴んで私を背後の壁に押しつけた。身を屈めて、唇を重ねてくる。
 前回のように拒絶はせず、その行為を受け入れる。
 口の中で、舌が絡み合う。
 一分間くらい、そうしていただろうか。やがて早瀬は名残惜しそうに身体を離した。
「えっと……じゃあ、また」
「…………気が向いたらね」
 素っ気なく応えはしたけれど、近々また逢うことになるだろうと確信していた。おそらく早瀬もそう思っているだろう。
 別に構わない。
 今のところ、私の方にはこの関係をやめる理由はない。
 早瀬もあれだけ貪っておきながら、私とのセックスに飽きてはいないようだ。
「おやすみ」
 そう言いながら、ドアを開けてくれる。
「…………」
 返事は返さず、無言でドアをくぐる。
 背後でドアが閉まる。
 そのまま、ドアに寄りかかってずるずると頽れた。

 もう本当に気力も体力も残っていない。
 小分けにしたからわかりにくいけれど、考えてみれば流した血の総量もかなりのものだ。鼓動に合わせて、左手首がずきずきと痛みを発している。
 それ以外にも、身体中あちこちが痛い。
 そして睡眠不足。
 今にも気絶してしまいそうだ。
 這うようにしてなんとか自室までたどり着き、ベッドに上体を乗せる。
 それが限界だった。
 服を脱ぐ余力など残っているはずもなく、ベッドによじ登りかけた体勢のまま、私は意識を失った。

前の章 次の章 目次

(c) yamaneko nishisaki all rights reserved.