第3章【6】

 冗談じゃない。
 下着を着けない、あからさまにいえばノーパンで人前に出るなんて。
 しかもミニスカートで。
「ちょっ……なに考えてンのっ?」
 玲はあたしの手を引いてずんずんと進んでいく。あたしはスカートの裾を押さえて、狭い歩幅でちょこちょこと引きずられていく。
「ん? ……仕返し、かな」
 悪戯な笑みを浮かべて答える。そんな表情はあたしにそっくりで、なんとなく悔しい。
「仕返し、って?」
「あたしはこの格好で外歩いてるだけでも、かなり恥ずかしいんだもの。セイにもこのくらいしてもらわなきゃ釣り合いとれないよね」
 にっこり。
 それだけ見れば、本当に可愛らしい笑顔。
 だけどあたしには見える。お尻から伸びる悪魔の尻尾が。
 その表情はあまりにも、玲に初めて女装させた時の自分に似ていた。
「ちょっ……釣り合いって、……絶対あたしの方が恥ずかしいじゃん!」
「バレたら変態扱い、って点では同じでしょ」
「バレる確率が桁違いだっつーのっ!」
「ま、そのくらいは誤差の範疇ってことで」
「レイ! あんたねぇ……」
「ぐずぐず言うと、ここでスカートめくる」
 玲の手がさりげなくスカートの裾に触れてくる。
 場所はシネコンのチケット売り場。どの館も上映中だけれど、人の姿が皆無というわけではない。
「ばかっ! やめてっ!」
「じゃ、おとなしく行こうね」
 シネコンのフロアから連れ出されて、下りのエスカレーターに乗せられる。
 この状況では大げさに抗うこともできない。
「……あ、後で覚えてなさいよ!」
 今は分が悪い。
 ちょっとでもスカートが翻ったら見えてしまうかもしれない。
 こんなことならミニスカートなんて履いてくるんじゃなかった。くるぶしまであるようなロングのタイトスカートか、いっそパンツ姿で来ればよかった。まさかこんなことになるなんて。
 エスカレーターや階段で簡単に中が見えてしまうほどのミニではないけれど、れっきとした膝上のスカート。裾の位置は膝よりも股関節の方が近い。
 結局、今のあたしにできることは玲を睨むことだけだった。
 おとなしく、玲の後について下りのエスカレーターに乗る。
 どきどき。
 どきどき。
 心臓が破裂しそうなほどに脈打っている。
 胸が苦しい。
 歩く時は無意識のうちに内股になって、歩幅が狭くなる。
 エスカレーターではバッグで前を隠したくなる衝動に駆られるけれど、あまり露骨にやるとかえって視線をひいてしまうかもしれない。
 顔が熱い。
 頭がくらくらする。
 一階に着くまでに、あとどれだけエスカレーターに乗らなければならないのだろう。スタート地点はよりによってビルの最上階だ。
「ちょっと……レイ……」
 抗議するように、玲の腕をぎゅっと掴む。だけど玲は知らん顔、こちらを見もしない。
 自然に振る舞おうとしても、どうしても動作がぎこちなくなってしまう。不自然に内股になった脚が、微かに震えている。
「……ねぇ、レイ」
 軽い冗談なのではないか――最初はそんな期待を抱いていた。
 一、二階下りたらまたトイレに入って、パンツを返してくれるのでないか、と。
 だけど玲は私の手を掴んだまま、途中下車してくれる気配もない。結局そのまま一階まで下り、ビルの外へと連れ出されてしまった。
「……レイ!」
 声がかすれる。
 屋外に出たことで、さらに緊張感が増す。
 ビルの中よりもさらに人目は多く、風も吹いていて、いざという時にすぐトイレに逃げ込めるわけでもない状況。
 バスターミナルまでの徒歩数百メートルは本当に拷問だった。
 心臓の鼓動が、周囲の人に聞こえるのではないかというくらいに激しくなっている。それが原因で気づかれてしまうのではないか、とすら考えてしまう。
 小さな布きれが一枚ないだけで、どうしてこんなに不安になるのだろう。
 震える脚でゆっくりと歩いていく。
 走りだしたい衝動を、必死に抑える。
 一秒でも早くバスに乗り込みたいが、慌てたらスカートが翻ってしまう。こんな震える脚で走ったら転んでしまうかもしれない。そうなったらもう致命的だ。
 その上、玲が時々スカートに触れてからかってくる。
 その度に全身がびくっと震えて、鼓動も脚の震えも大きくなって、なおさら歩みが遅くなってしまう。
 唇を噛んで、玲の腕にしがみついて爪を立てる。
 すれ違う人たちが皆、こちらに注目しているかのような錯覚を受ける。
 顔が灼けるように熱い。
 胸が苦しくて、息ができない。
 ようやくバス乗り場に着いた時には、もう息も絶え絶えで、喉がからからに渇いていた。
 あたしたちが乗るバスの発車時刻まではまだ五分以上あり、バスはまだ来ていない。
「……なんか、飲み物買ってきて。そのくらいしてよね」
「ん、わかった」
 素直にうなずいて、玲は少し離れたところにある自動販売機に向かう。
 だけど、そこで後悔する。
 玲が傍を離れると、急に心細くなった。下着を着けていない状態でひとりバスを待っていることが、こんなにも不安で、心細いことだなんて。
 落ち着かず、無意識のうちに周囲をきょろきょろと見回してしまう。あたしに注目している視線はないようだけれど、気は抜けない。
 バス乗り場には他のお客さんも並びはじめていて、さらに緊張感が増してしまう。ここに来るまでは他の人とは一瞬すれ違うだけだったけれど、ここではほんの数十センチの距離に並んで立っているのだ。
 逆に、これだけ近くにいればスカートの中が見えることなどそうそうないはずだけれど、だからといって平静でいられるわけもない。
 心細い。
 怖い。
 脚が震える。
 そこでようやく飲み物を手にした玲が戻ってきたけれど、わざとゆっくり時間をかけたのではないかと勘ぐってしまう。
 玲が戻ってきて間もなくバスが来た。先頭でステップを上がる時が、もっとも緊張する一瞬だった。
 一目散に最後尾を目指し、窓際の隅っこに座る。
 それでようやくひと安心。安堵感に包まれて大きく息を吐き出す。
 張りつめてきた緊張が途切れて、涙すら滲んできた。
「……後で憶えてなさいよ!」
 冷えた烏龍茶で喉を潤しながら玲を睨む。玲は悪びれた様子もなくくすくすと笑っている。
「セイってば、真っ赤になって可愛かった」
「……うるさい!」
 ああもう、むかつく。
 映画館からここまで、玲に主導権を握られて一方的に弄ばれてしまった気分だ。『姉』としては少々おもしろくない。
 なにか仕返ししてやらなきゃ気がすまない。

 だから――。

 バスが動き出して間もなく、玲の下半身に手を伸ばした。

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