第2章【4】

 その日は一日中、授業なんてまったく頭に入らなかった。
 すぐ、意識がよそに向いてしまう。
 考えまいとしても、どうしても考えてしまう。思い出してしまう。
 昨日の、あの記憶。
 あの感覚。
 想い出すたびに、玲に触れられた感覚が鮮明に甦ってきて、下着の中が熱くなってしまう。身体が汗ばんでくる。
 これが「疼く」って感覚なんだろうか。昨夜のように自分で慰めたくてたまらなくなるが、まさか学校でそんな行為に耽るわけにもいかない。
 触ってもいないのに、あの部分が濡れているのがわかる。乳首も固く張っているようだ。
 本当にもう授業どころではない。当然、放課後も部活どころではない。そもそも玲と話をしなければ、部活も先に進まない。
 いつまでもこのままではいられない。
 いつまでもこのままじゃいけない。
 言葉も交わせないような今の状態では、いつまでも真緒を誤魔化せないし、いずれ親も訝しみ出すかもしれない。
 なんだかんだいって、これまでは仲のいい姉弟だったのだ。いきなり口もきかなくなっては不自然すぎる。
 放課後は「玲を説得するから」という口実で部活をさぼった。
 玲と話をしなければならないのは事実だ。
 これからどうすべきなのか。
 玲との関係をどう修復すべきなのか。
 今日一日考えて、一応の結論は出ている。
 しかし、まだ踏ん切りがつかずにいた。まだ、躊躇いがある。
 それでもやっぱり、このままではいられない。
 なりゆきで性的関係を持ってしまい、そのせいで気まずくて顔も会わせられないなんて、他人ならともかく、ひとつ屋根の下で暮らしている家族としては問題だ。
 きちんとけじめを付けなければならない。
 学校を出る前に、玲にメールを打った。話があるのでまっすぐ帰ってこい――と。
 玲は帰宅部だけれど、あたしと顔を合わせないために寄り道してくる可能性を考慮してのことだ。
 やや意外なことに、すぐ返信が来た。一言「了解」とだけ。
 これでもう引き返せない。
 あたしもすぐに学校を出る。
 ――と。
 校門を出て間もなく、玲とばったり出くわしてしまった。双子のせいか普段から意図せずに行動がシンクロしてしまうことも多いけれど、よりによって今日、このタイミングとは。
 さすがにまだ心の準備ができていない。
 それは玲も同じだったらしく、お互い驚いて足を止め、気まずそうに顔を赤らめた。
 十秒ちょっと、そのまま無言で立ちつくして、それから今朝と同じように並んで歩きだした。

「……で、話って?」
 しばらく歩いて、周囲に学友の姿もなくなったところで玲がぽつりと言う。
「…………言わなくてもわかってンじゃない?」
「……昨日の、こと?」
 もちろん玲もわかっていただろう。
 この問題を解決せずに他の話などできるはずもない。
「…………レイもわかるでしょ。こんな、まともに話もできない状態、よくないよ」
「それは……そう、思うけど」
「マオも不審に思ってる。このままじゃいずれ父さんや母さんにも気づかれる」
 親は共働きで、二人とも忙しい仕事で家出顔を合わせる時間は少ないけれど、それでもひとつ屋根の下で暮らしているのだ。
「……でも、どうすればいいって?」
 それが問題だ。
 この問題を、どう解決すればいいのか。
 今日一日、いや、たぶん昨夜からずっと考えていた。
 どうすればいいのか。
 どうしたいのか。
「…………」
 一応ひとつの答えは出ているが、簡単には口に出せない。羞恥心と道徳心が邪魔をしている。
 しばらく躊躇して、心の中で葛藤を繰り返す。
 それでもやっぱり、言わなければならない。
「…………昨日の、あれ。………………すごく……気持ちよかった」
「え……」
 玲は驚いた表情で一瞬足を止めたが、すぐにまた歩き出した。視線はこちらに向けず、まっすぐに前を見ている。
「…………あたし…………レイに触られて、イった」
「セイ……」
「レイも、あたしに触られて…………シャセイ、したよね」
 返事はすぐには返ってこない。しばらく、アスファルトの上を歩く乾いた足音だけが聞こえていた。
「……うん」
 玲が小さくうなずいたのは、数十メートル歩いてからだった。
「……セイに触られて……すごく、気持ちよくて。……自分でもびっくりするくらい、たくさん、出た」
 それを聞いて、あたしはふぅっと大きく息を吐き出した。
 まずは第一関門突破。
 自分たちのしたことから目を逸らさず、きちんと認めること。
 でも、まだ、それで終わりじゃない。むしろここからが本題。
 それでもずいぶん気持ちが軽くなった。
 この時にはもう、確信していた。玲も私と同じ気持ちでいるに違いない、と。
 生まれてからずっと一緒だった双子、お互いの考えなど以心伝心、他人が見たらテレパシーかと思うくらいに伝わり合う。
 とはいえ、女の子の方から次の台詞を口にすることには少なからぬ抵抗があった。
 でも、言わなければならない。
 だから――
 十六年の人生の中で、いちばんの決心をして言った。
「…………また、したい」
 それこそが、あたしの本心。
 今のあたしが心底望んでいることだった。

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