第2章【2】

 朝――
 
 暴力的な目覚まし時計のアラームに叩き起こされ、なかなか開かない目を擦りながらベッドから降りた――いや、ずり落ちたというべきだろうか。
 ベッドに掴まってなんとか立ちあがったものの、立っているのが辛くてすぐにベッドの上に腰を下ろす。
 いったい何時間寝られたのだろう。頭の中に濃い霧がかかっているような感覚だった。
 大きく深呼吸してから脚に力を入れて立ちあがる。
 顔を洗うため、のろのろと部屋を出る。
「あ……」
 廊下で、玲とすれ違う。瞬間、頭にかぁっと血が昇って目が覚めた。
 昨日のあれ以来、言葉は交わしていない。そもそもほとんど顔も合わせていない。
 今朝になってもそれは変わらなかった。
 朝の挨拶もなしに、お互い気まずそうに視線を逸らしてすれ違う。

 だけど。

 すれ違う瞬間、微かな匂いが鼻腔をくすぐった。
 過去にそれを嗅いだのはたった一度だけ、だけど決して忘れられない。
 栗の花に似た匂い。
 それが意味する事実に、一瞬、身体が強張った。
 玲も昨日の夜、自室で自分を慰めていたのだ。そして、射精したのだ。
 きっと、あたしと同じように、昨日の行為を思い出しながら。
 そういえば、ちらりと視界に入った玲の顔は、眠そうだったような気がする。あたしと同じように、明け方近くまで眠れずに自慰に耽っていたのだろうか。
 そんなことを考えると、また、顔が熱くなってきた。


 あたしも玲も無言のまま、朝食を手早く済ませる。
 自室に戻って制服に着替える。
 姿見の前で身なりを整えていると、また想い出してしまう。
 鏡に映っているのは、昨日の玲と同じ姿なのだ。
 もちろん、厳密に言えばまったく同じではない。このスカートは昨日のものとは違う。
 昨日、しばらく時間をおいてから部屋に戻ると、玲の姿はなくて、机の上には慌てて書いたらしい乱れた筆跡のメモが置いてあった。
 スカートとブラウスはクリーニングに出しておく――と。
 ブラウスはともかく、ほんの短い時間履いただけのスカートをどうして洗濯しなければならないのか。その理由に、また顔が火照ってしまう。
 クリーニングから戻ってきても、あのスカートを再び平常心で身に着けるのは難しそうだった。
 とにもかくにもなんとか着替えと髪のセットを終える。時計を見るといつもより少し早い時刻だったけれど、あたしはそのまますぐに部屋を出た。
 普段、朝は途中まで玲と一緒に行く。しかし今日はとてもそんな精神状態ではない。先に家を出ようと思ったのだ。
 しかし、同じように急いで部屋から出てきた玲と廊下で鉢合わせしてしまった。
 お互い、一瞬驚いたような表情を浮かべ、そしてすぐに気まずい表情に変化する。
 まったく、なんという偶然だろう。いくら外見がそっくりな双子だからといって、思考回路や行動パターンがここまで似なくてもいいではないか。
 とはいえ、今さら回れ右するのも不自然で、二人は一緒に玄関に向かった。
「……行ってきます」
 ふたつの声が重なる。
 結局いつもと同じように、肩を並べて家を出ることになってしまった。違うのは時刻が数分早いことと、お互いに視線を合わせず言葉も交わさないこと。
 無言のまま、学校への道を歩き出す。
 あたしの通う私立の女子校と、玲が通う公立校、直線距離では一キロも離れていない。しかも家からの方角は同じで、玲の学校の方が少し遠いだけ。
 必然的に、あたしの学校の近くまでは一緒に歩いて行くことになる。
 いつもなら普通に話をしていく登校時間も、今日は家を出てからまったくの無言。お互いに気まずい状況のまま、それでも並んで歩調を合わせて歩いていく。
 数百メートルの間、そんなぎこちない時間が続く。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 実の弟と、エッチなことをしてしまった。
 恋人同士がするように、お互いの性器に触れて、愛撫して、達してしまった。
 近親相姦、なんかじゃない。ただ、ちょっとふざけて……だったはずなのに。
 あたしにとっては初めてのことだった。彼氏いない歴十六年弱。中学時代はそうしたことに特に興味はなかったし、高校は女子校。当然まだバージンだ。
 多分、玲も初めてのはず。あたしが知る限り、これまで付き合っていた彼女はいなかった。
 お互い経験済みであれば、昨日くらいのことは軽い冗談で済ませられたのだろうか。
 そもそも恋人がいれば、あんな悪ふざけはしなかったのかもしれない。
 昨日までは、普通に仲のよい姉弟だったのに。
 ちょっとしたきっかけで、状況はまったく変わってしまった。
 この息詰まるような状態がこれから毎日続くとしたら、とても耐えられない。
 息が詰まるような、張りつめた時間。
 途中にあるコンビニの前で、いつもここから学校まで一緒に行くクラスメイトの姿を見つけた時は、救われた思いだった。

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