第1章【7】

「はぁ……はぁ……はぁ……ぁ」
 荒い呼吸がふたつ、重なっている。
 鏡の中には、抱き合うような体勢で床に座り込んで、焦点の合わない虚ろな目をした女の子が二人。
 しばらくぼんやりと見つめ合っていた二人は、やがてはっと我に返って、バネが弾けるように身体を離した。
「あ……」
 その時になってようやく気がついた。あたしの手をべっとりと汚している、白く濁ってどろりとした液体の存在に。
 手を持ち上げると、指先から手首の方へゆっくりと滴り落ちていく。
 鼻をつく独特の匂いで、この液体がなんであるかを理解した。
 栗の花に似た青くさい匂い。
 これが……セイエキ。玲の精液。
 ちらりと玲を見る。
 玲も、ぼんやりと自分の手を見ている。
 その指は、もっと透明感がある、これほど粘性のない液体で濡れていた。
 その正体がなんであるか、考えるまでもない。
 下着の中の、ひんやりと冷たい感触。
 対照的に、顔がかぁっと熱くなる。
 あたしは弾けるように立ちあがって部屋を飛び出すと、そのままトイレに駆け込んだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」
 便座に腰を下ろし、荒い呼吸をしながらもう一度手を見る。
 白い粘液にまみれた手。
「シャセイ……したんだ。レイの奴……イった、んだ……」
 そして多分、あたしも。
 あの、気が遠くなるような感覚。
 あれが本当の絶頂というものなのだろう。それは、自慰で達するのとは別次元の高みにある快楽だった。
 下着が、水でもかけられたみたいに冷たい。
 それがすべて自分が分泌した愛液だとは信じられないくらいに濡れている。
 それ以上に信じられないといえば、なんといってもこの手を汚している液体だ。
 人体が分泌する、他のどんなものとも違う色と質感。男の子の身体の中にはこんなものが溜められていて、性行為によって噴き出してくる――その事実がなんだか不思議に思えた。
 栗の花と形容されるその独特の匂いは、お世辞にも心地よいものではないはずなのに、何故かあまりいやとは感じなかった。
 その匂いが先ほどまでの行為の記憶を呼び覚まし、また興奮してしまう。
 どうしてそんなことをしたのか自分でもよくわからないけれど、あたしはそれをトイレットペーパーで拭いとる代わりに、おそるおそる舌を伸ばして舐めてみた。
「……にが」
 単純に『苦い』というのとはちょっと違う、不思議な感覚。
 冷静に考えれば、それはどちらかといえば不快な味であり食感だった。
 なのに、あたしはまた手を口に持っていって舌を伸ばす。
 いちばん大きな固まりを舐めとって嚥下する。
 
 苦い。
 美味しくない。
 気持ち悪い。
 ――そう思うのに止まらない。
 舐める。
 その味に顔をしかめつつも飲み込む。
 ぬるぬるとした感触が食道を下っていく。
 また舐める。
 何度も、何度も繰り返す。
 
 一滴残らず舐め取って、手を汚しているのが自分の唾液だけになったところで、ようやく手を洗った。
 そこであらためて思い出し、濡れた自分をトイレットペーパーで拭く。
 透明な粘液が糸を引く。
 玲の精液の量にはもちろん遠く及ばないけれど、これまでの経験からは考えられないような大きな染みがトイレットペーパーに残った。
 それをトイレに流し、ビデのスイッチを入れる。
 急に脱力感に襲われ、大きな溜息をついた。
 全身から力が抜けていく。
 立ちあがる気力なんて残っていなくて、玲とも顔を会わせづらかったので、あたしはそのまましばらくトイレで座っていた。

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