その再会は、まったくの偶然だった。
金曜日。
今夜は宏樹が帰って来るという日。
放課後、竹上に夕食をおごらせた後、よくわからないうちにカラオケに連れて行かれた。
そこを出る前にお手洗いに寄った時のこと。
用を足して出ようとしたところで入れ違いに入ってきた女の子を見て、私もその子も固まってしまった。
なんという偶然だろう。それは垣崎だったのだ。
向こうは複雑な表情を浮かべている。驚き、怒り、恐怖、戸惑い。そんな感情が入り混じった、やや引きつった表情。
多分、私も同じような顔をしていたことだろう。
さすがに気まずい。
垣崎がレイプされたのも、転校したのも、私が原因といえなくもない。自分に責任があるとは思ってはいないが、無関係を装うこともできなかった。
何を言えばいいのか、どう対応すればいいのか、皆目見当がつかない。
だから垣崎が無言で固まっているのをいいことに、そのまま通り過ぎようとした。
「…………一人?」
背後から、棘のある低い声が追ってくる。
「……ううん」
仕方なく、立ち止まって振り返った。
垣崎の表情がいっそう強張っていた。一人ではない――それだけで誰と一緒なのか思い当たったのだろう。
少し安心する。
そう、私は一人ではない。竹上が一緒なら垣崎は私に手出しできない。
「…………あれ、嘘でしょ?」
しばらく沈黙が続いた後、垣崎はようやく聞き取れるような声で言った。すぐにはその問いの意味が理解できなかった。
「嘘、って?」
「…………宏樹君と、……その、エッチ、してるって」
「……嘘じゃないわ」
嘘ではない。最後まではしていないというだけで、宏樹と性的な関係を持っていることは紛れもない事実だ。
だけど垣崎は首を振る。
「……嘘」
「……嘘じゃない。あまり大きな声で言いたくはないけれど」
「…………嘘、そんなことあり得ない」
こうなると私の方が疑問だった。垣崎はどうしてそこまでこだわるのだろう。
思い返せばあの時もそうだ。「嘘」「あるはずがない」と連呼して逆上していた。
「……私の方が訊きたいな。どうして宏樹とあなたは最後までしてなかったの? 夏休みに家に来た時、エッチしてたんじゃないの?」
垣崎は一瞬口ごもった。何度か口をきかけては閉じるという動作を繰り返した後、肩を震わせながらつぶやいた。
「…………してない。だって…………できないんだもの」
「え?」
それに続く垣崎の言葉は、まったく想像もしたことのないものだった。
宏樹は性的不能……ぶっちゃけて言えばインポなのだ、と。
「どうした? さっきからヘンな顔して」
帰りの車の中で竹上が訊いてくる。
あの後ずっと垣崎の言葉の意味を考えていて、竹上の言うこともろくに聞いていなかったのだから、様子がおかしいと気づくのは当然だ。
「えっと……その」
さて、どう説明したものだろう。
私自身、まだ理解しきれていないことなのだ。
頭の中で何度も何度も垣崎が言ったことを反芻していた。
宏樹と垣崎は、やっぱり『恋人』として付き合っていたらしい。
だけどセックスはしていない。
理由は、宏樹が――性的不能――だから。
自分の身体の問題については、宏樹自身が垣崎に話したようだ。
垣崎もいろいろと頑張ったらしい。手や、口や、あの大きな胸で。それでも宏樹の身体はなんの反応も示さなかったというのだ。
信じられない。
私が知っている宏樹の男性器は、いつもこれ以上はないくらいに大きく勃起して、私の口を犯しているものだった。
口でするようになる以前だって、入浴時に私に触れながら勃起していたことを憶えている。
信じられない。むしろ宏樹は平均的な男子高校生よりも性欲が強いのではないかと思うくらいだ。
だけど垣崎の反応を見る限り事実なのだろう。自分ではまったく反応しないものが、私では反応する。『彼女』としては受け入れがたいことだったに違いない。
そう考えれば、あの時屋上で逆上した理由も理解できる。
しかし、宏樹の身体の問題はどういうことだろう。
「…………ねぇ、竹上?」
気は進まないが、こんなことを訊ける相手は他にいなかった。そしてセックスに関することなら、竹上は私よりもずっと詳しい。
「男って……その……、好きな女の子以外の子に……その、口とか……でしてもらっても、反応しないもの?」
「なんだ、いきなり?」
私が思いついた仮説はそれだった。実は宏樹は私のことが好きで好きで、だから他の女の子相手ではその気になれないのだ、と。
「……どう?」
「ありえねーな。ま、よっぽど人外魔境なツラした女ならともかく」
「可愛くて胸が大きくて、自分のことを心底愛してくれている子」
「……に、口でされて大きくならない? 他に好きな女がいるから? ありえねーよ。男の下半身は恋愛感情とは別物だぜ?」
「言っとくけど、あんたの基準じゃなくて世間一般の高校男子の場合ね?」
「もちろん。まあ、恋愛感情持ってる相手の方が反応がいいということはあり得るけど、それは別問題。いい女に直に触れられて、なんも反応しなかったらそりゃインポだって」
インポ、の単語に反応して肩がびくっと震える。
「じゃなきゃ、雑誌に裸同然のグラビアがあったり、風俗店が繁盛してる理由が説明できねーだろ?」
「……そっか」
竹上の言葉ではあっても一応は説得力があった。私の仮説はどうやら間違いらしい。
では、いったいどういうことだろう。
「じゃあ、さ。現実にそんなことがあるとしたら、それってどうしてだと思う?」
「……お前の弟のことか?」
「……」
誤魔化そうとしても無理だった。動揺がはっきりと顔に出てしまった。
「…………なるほどね。それであの女が未使用だったんだ」
竹上の口元に笑みが浮かぶ。納得顔でうなずく。
「……でもお前相手にはしっかり勃って、毎晩口でさせてる、と?」
「………………うん」
今さら誤魔化すこともできず、仕方なく小さくうなずいた。
「そりゃやっぱりインポの一種だろ? 心因性の」
「心因性?」
「肉体的な要因なら、誰が相手でも勃たねーだろうからな。トラウマとかなんとか精神的な原因なら、特定の条件下でのみ勃つということもありうるだろ」
「……どんな?」
「んなもん他人にわかるか。弟に直接訊いてみろよ」
「訊けるわけないじゃない、そんなこと」
そう言ったところで車は家に着いた。だけどそのまましばらく助手席に座っていた。
家には明かりはついていない。
「弟は何時頃帰ってくるんだ?」
「多分、八時過ぎ。……なんで?」
「いや、念のため、な」
「……?」
意味不明の台詞に首を傾げながら、私はのろのろと車を降りた。
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