今日は、夏休み中に一度だけの登校日だった。
特にすることがあるわけではない。短い朝礼と、クラス担任からのちょっとした連絡だけで解散。学校にいた時間は実質一時間もない。
学校側にとっても、それほど意味のある行事ではないのだろう。長い休みで遊び呆けている生徒に学校の存在を思い出させるため、といったところだろうか。
H・Rが終わって解散した後も、私はすぐに帰らなかった。図書室は開いていないので、屋上で時間を潰していた。
宏樹と一緒に帰りたくなかったのだ。
暗い気分で空を見上げる。
よく晴れた青い空、真白い入道雲、気持ちのいい夏の空。
だけど私の精神状態はその対極にあり、何度も溜息が漏れた。
あの海へ行った日以来、宏樹と二人でいるのが少し苦痛になっていた。
以前とは違う関係。以前とは違う生活。もう元には戻れない。
今日までに二度、入浴中に同じことをされた。
強引に口に押し込まれて、乱暴に動かされて、一方的に口の中に射精された。
その度に私は嘔吐した。そして、入浴の時間が夕食の前に変わった。
それ以外の点では、宏樹はこれまでと同じように私の世話をしてくれるけれど、以前にも増して無愛想になったような気がする。
そして私は、バナナとフランクフルトが食べられなくなった。口に入れるどころか、見ただけで吐き気をもよおしてしまう。
憂鬱だった。
性的な悪戯はこれまでもされてきたこと。宏樹がそうしたいなら、私で性欲を満たしたいなら、それは仕方がない。受け入れるしかない。
ずっとそう思っていた。いや、今だって思っている。
だけど。
あの行為は苦しいのだ。
大きな男性器を口に押し込まれ、喉の奥まで突かれる。頭を掴まれ、髪を引っ張られる。乱暴に揺すられる。
顎がだるくなって、吐き気が込み上げてくる。
食道に流し込まれる精液は、お世辞にも美味しいものではない。顔にかけられた時のべたべたした感触はもっと気持ち悪い。
私は毎回、条件反射のように吐き続けた。
それでも宏樹は止めてくれない。
実際にするまで、フェラチオがこんなに辛い行為だとは知らなかった。何度か観たことのあるアダルトビデオの女優は、笑って、さも美味しそうに頬張っていたのに、自分でするとなると大違いだ。
宏樹が私を性欲の捌け口とすることは構わない……というか、仕方がない。そう思ってきた。
だけどこれほど苦しいものであると、その行為を嫌いになってしまいそうだ。いや、実際のところ大嫌いだ。
少しも気持ちよくない。楽しくない。ただただ苦しいだけでしかない。
そうした行為を強要され続けることで、宏樹を嫌いになってしまうかもしれない。
それが怖かった。
「お前、珍しく海にでも行ってきたのか?」
「……!」
考え事をしている時に不意打ちで声をかけられてびっくりした。いつの間にか竹上の大きな身体が隣にあった。
「……意外だね。あんたが登校日に来てるなんて」
普段の授業だってよくさぼる奴なのに。よほど暇だったのだろうか。
「それで、どうしてわかったの? 海に行ったって」
訊いた後で馬鹿な質問だと気がついた。わかって当然だ。いくら日焼け止めを塗ったとしても夏の陽射しの下でまったく焼けないということはない。普段が病的なほどに色白なだけに、少し焼けただけでも変化は目に見える。
「で、なんでそんな不景気なツラしてんだ? まるでレイプでもされたみたいな顔だな」
「な……」
なにを馬鹿なことを。
そう言って、笑って誤魔化そうとした。だけどこの不意打ちに、私の表情は強ばったまま固まってしまった。
「図星か。相手はやっぱり弟か?」
「な……なに言ってんのよ! あんたじゃあるまいし、レイプだなんて……口でさせられただけよ!」
勢いで言ってしまってから、しまったと思った。竹上の口元が歪む。爬虫類を思わせる笑みが浮かぶ。
「それはそれは……しばらく会わないうちに、なんか楽しそうなことになってんな」
どう見ても面白がっているような表情。不思議と驚いた様子はない。宏樹に着替えまで手伝ってもらっていることは話したことがあるが、それ以上の性的な関係については一言も口にしてはいないのに。
「で、なにをそんなに落ち込んでンだ?」
「いや、普通は落ち込むでしょ?」
普通は。しかし竹上の基準はあまり普通ではなさそうだ。
彼の悪行は同性への暴力だけではない。校内で女子を暴行したという噂もひとつならず聞いたことがある。どれも被害者からの訴えがなかったので噂どまりで終わったが、私はそれが単なる噂でないことを知っている。ひとつ間違えば自分もその被害者になっていたかもしれないのだ。
繁華街で派手な女の子といちゃついているのを見かけたこともある。
そんな竹上にとっては、実の姉弟だろうとなんだろうとセックスなんて特別なことではないのかもしれない。そもそもこの男にとって、女なんてセックスの対象でしかないのだ。
「普段、世話になりっぱなしなんだから、フェラぐらい喜んでしてやってもバチは当たらんだろ? 減るもんじゃなし」
「そう……思ってたんだけどね」
また溜息が出た。
どうして竹上なんかにこんな話をしているのだろう。だけど、こんなことを話せる相手はこの男しかいないのも事実だった。相手が宏樹である以上、クラスの女子とかには絶対に話せない。
「これまでもさ、胸とか……アソコ、とか、触られたりしたことはあるんだ。そのくらいは仕方ないと思ってた。だけど、その……口でするのって、すごく苦しいんだよね。無理やりくわえさせられて、乱暴に喉の奥まで突き入れられて……」
「そりゃ、お前がヘタだからだろ」
竹上はあっさりと断言する。
「フェラがヘタな相手だと、こっちが動かなきゃ気持ちよくならないからな。どうしても女の方は苦しい目に遭うってわけだ。まあ、苦しそうに涙ぐんでる顔に欲情するってのもあるかもしれないが」
「ヘタって……それは仕方ないでしょ。したことないんだし、そもそも自分から進んでしてるわけじゃないんだし」
「コーチ、紹介してやろうか?」
「は?」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。
「知り合いの風俗嬢に、すっげーフェラのうまい奴がいるんだ。小学校ン時のクラスメイトなんだけどな。そいつに、コーチしてもらうように頼んでやるよ」
「……」
冗談、だと思った。竹上の顔をまじまじと見る。いつでも軽薄な笑いを浮かべている奴なので、本気なのか冗談なのかさっぱり判断できない。
「お前、知らねーだろ? フェラは慣れれば、される方だけじゃなくする方も気持ちいいんだぜ。無理やりやられてるだけなんてもったいないって」
呆れてしまった、というのが本音だった。
プロの風俗嬢にフェラチオの仕方をコーチしてもらう?
いったい、どこからそんな考えが浮かぶのだろう。
「……バカじゃないの。なに考えてンのよ」
私は肩をすくめて言うと、杖を掴み、立ち上がって屋上を後にした。
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