夏休みに入ったばかりの、暑い日だった。
 宏樹は垣崎に誘われてプールへ出かけたので、私は珍しく一人で家にいた。しんとした家の中でパソコンの前に座っている。
 小説を書くことは、私の数少ない趣味のひとつだ。昔から、頭の中でいろいろな「お話」を考えることが好きだった。ろくに身体を動かすことができなかった頃、自由になるのは思考だけだったのだ。
 将来は作家になるのが夢だ。某少女小説の新人賞で、最終選考まで残ったこともある。もう少し頑張れば夢を現実にできるかもしれない。
 一応、私なりに自分の将来を考えている。文筆業なら自宅で座ってできる仕事。不自由な身体で満員の通勤電車に揺られることもない。
 それにしても、今日は暑い日だ。
 ただ黙って座っているだけでも汗ばんでくる。手や顔がべたべたして気持ち悪い。
 部屋にエアコンはあるけれど、普段スイッチは入れていない。冷房は私の身体によくないのだ。
 しかし、そろそろ限界だ。外は雲ひとつない快晴で、風はそよとも吹いていない。家中の窓という窓を全開にしても、なんの気休めにもなっていなかった。
 やっぱりエアコンのスイッチを入れようか。
 今は夏休みだし、多少体調を崩しても問題はない。それに体調のよくない時の方がある意味気楽である。具合が悪いという口実があれば、宏樹に頼りきりであっても後ろめたさを感じずに済む。
 いやいや。
 その考えがいけない。
 そうやって甘えるくせは直すべきだ。
 いつまでも宏樹にべったりというわけにはいかない。宏樹だって彼女とのデートを優先したいだろうし、私もこんな調子では彼氏も作れやしない。
 もっとも、私の方は半ば諦めている。
 いったい誰が、さほど魅力的でもない、手間ばかりかかる女の子を親身になって世話してくれるだろう。肉親の宏樹しかいない。宏樹が一番に決まっている。
「……」
 私は部屋の窓を閉めると、エアコンのスイッチを入れた。
 設定温度を最低にする。
 冷たい風が吹き出してくる。正面から風が当たる位置に椅子を動かして座った。
 徐々に室内が冷えてくる。
 涼しくて気持ちいい、と思っていられたのは最初の一、二分だけだった。すぐに肌寒くなって、左手の感覚がなくなってくる。関節の奥の部分に、鈍い痛みに似た違和感が生じる。
「……なにやってるんだろ、私」
 これ以上冷風に当たっていたら、歩くのにも支障が出てしまう。また、宏樹に念入りにマッサージをしてもらわなければならなくなる。
 小さく溜息をつきながらエアコンのスイッチを切った。
 馬鹿みたいだ。
 なにを考えていたのだろう。
 体調を崩せば宏樹が家にいてくれる、なんて。
 私は立ち上がると、足を引きずってバスルームへと向かった。汗でべたついて気持ち悪いから、妙なことを考えてしまうのだ。シャワーでも浴びてさっぱりしよう。
 脱いだ服と下着を洗濯機に放り込み、バスルームに入る。給湯器の設定温度を普段よりもかなりぬるめに変更する。
 夕立のような水音。
 全身を叩く湯滴の刺激が心地よい。べたべたとまとわりついていた汗が流れ落ちていく。
 全身にたっぷりとお湯を浴びてから、シャワーを止めてボディソープを手に取った。汗を洗い流すだけが目的だから、スポンジは使わない。手のひらで、ボディソープを腕や首筋に塗り広げていく。
 ぬるぬるとした手で肌に触れるのは、妙な気持ちよさがあった。つい、エッチな妄想をしてしまう。これはある意味、条件反射みたいなものかもしれない。バスルームに来ると、いつもここで宏樹にされていることを考えずにはいられない。
 身体の奥の方が不自然に暖かくなってくる。触れているのは胸なのに、下腹部がむずむずしてくる。
 例えばこれが宏樹の手だったら……。
 そんなことを考えながら、手の平で胸を包み込んだ。
 そういえば、一人でシャワーを浴びるのも久しぶりだ。入浴はほとんど毎日、宏樹の手を借りている。一人で入浴するのは母が早い時刻から家にいる日だけで、せいぜい月に二、三日しかない。
 そう。
 母がいる時は、宏樹と一緒に入浴なんてしない。もちろん、身体を拭いたり下着を着けるのを手伝ってもらったりもしない。
 宏樹が手伝うのは階段の上り下りとか、重い荷物を運んだりとか、外出時に上着を着せてくれたりする程度、普通に姉弟でしていていてもおかしくないことだけだ。
 母には隠している。
 私たちがしていることは、母に知られてはならないこと。
 大っぴらにはできないこと。
 少なくとも、実の姉弟でしていてはいけないこと。
 なのに。
 私はその行為を黙認している。
 行為に興奮してしまっている。
 泡だらけの指で触れている乳首が、固く突き出してきた。
 乳房が張ってくる。
 胸の上で円を描くように手を滑らせる。
 手のひらで転がされる小さな突起から、ぴりぴりとした快感が生まれてくる。
 唇の隙間から熱い吐息が漏れる。
 こんな真っ昼間から……という自制心よりも、快楽を求める欲求の方が勝っていた。今は家に一人きりなのだ。バスルームで自慰に耽っていてもなんの問題もない。むしろ宏樹や母が家にいる夜よりも、秘め事には適した時間かもしれない。
「……んっ、は……ぁ」
 ぎこちない動きで、左手が下腹部へと滑っていく。
 淡い茂みを指で梳き、その奥にある女の子の部分に触れる。
 柔らかな粘膜が、もう熱く潤いはじめている。
 指先で軽く触れただけで身体が震え、脚に力が入らなくなる。
 立っているのが辛くなって、マットの上に座り込んだ。
 左手の指先が、小さな割れ目の中にもぐり込んでいく。
 もう止まらない。
 そこは熱くなっていて、蜜を滲ませて、より強い刺激を与えられることを望んでいた。
「ぅんっ、んんっ! あ、ぁ……あんっ」
 狭い割れ目の中を、指が前後に往復する。一往復ごとに、漏れる声のボリュームが上がっていく。
 触れはじめてまだいくらも時間は経っていないのに、すごい昂りようだ。ベッドでの自慰よりもずっと興奮してしまっている。
 やっぱり、この場所のせいだろうか。
 家のバスルーム。
 毎日のように、宏樹に全身を愛撫される場所。
 私はいつしか、自分に触れているのが宏樹の指だと想像していた。
 普段は決して、こんな風に直に触れては来ない。スポンジやタオル越しの接触でしかない。
 もしもいちばん敏感な部分に直接触れられたら、どんな風に感じるのだろう。
「あっ、ぁっ……だめ、宏樹……そんな……ぁっ」
 宏樹が背後から私を抱きしめ、胸と下腹部を愛撫している。そんな光景を脳裏に思い浮かべる。
 両脚の間にもぐり込んだ宏樹の手が、私の秘所を弄び、胎内に侵入してこようとする。
「だめ……ぇ、あっ、あぁっ、そんな……だめよ宏樹、やめ……ひろっあぁっ!」
『どうして? 姉さんだって感じてるじゃない』
 妄想の中の宏樹が耳元で囁く。
 私の中で指が蠢いている。
「だって……姉弟でこんな、あぁっ……あ、あぅんっ! やめ、て……」
『本当に止めていいの? 本当は、もっとして欲しいんじゃないの? こんなに濡れて……』
「あっ……」
 いきなり、指が引き抜かれた。その指が鼻先に突きつけられる。
 微かに白濁した、愛液にまみれた指。
『正直に言いなよ。触られると気持ちいいんだろ? もっとして欲しいんだろ?』
「そん、な……」
 認めたくはない。認めたくはないが、事実だった。
 指が引き抜かれた後の秘所は、えもいわれぬ空虚さを覚えていた。指が再び膣腔を満たし、あのめくるめく快感を与えてくれることを望んでいた。
「……そうよ」
 私は、現実では決して口にしない台詞を口にした。妄想の中でなら言うことができた。
「すごく……気持ちいいの。宏樹にエッチなことされるの、すごく気持ちいいの。だから……ねぇ、お願い」
『どうして欲しい?』
「もっと触って。私の……あそこに……指、入れて」
『こう?』
「んっ……、あぁっ!」
 また、指が入ってくる。絡みつく粘膜をゆっくりとかき分けていく。私は上体を仰け反らせて嬌声を上げた。
「い……いぃっ、気持ち……イイの。そこ……あぁっ、あんっ、そう、そこ……あぁんっ!」
 膣内に、すごく感じる一点があった。無意識のうちに腰が動いて、指先がそこに当たるように誘導する。やがて宏樹も勝手がつかめたのか、重点的にその部分を刺激しはじめる。
「あぁっ! あんっ! あんっ! いいっ、イイぃっ! 宏樹ぃそこぉっ、か、感じちゃうっ!」
 甲高い声が、バスルームの壁に反響する。
 現実には、宏樹の前では絶対に出せない声。寝室での自慰でもこんなに大きな声は出せないし、万が一聞かれてしまう可能性を考えれば宏樹の名を呼ぶこともありえない。
 だけど今はなんの制約もない。
 どんなに大きな声を出しても、どんなにはしたないことを口にしても、誰にも聞かれる心配はない。
 エッチの時は、うんと声出した方がより興奮する――以前、経験豊富なクラスメイトの一人がそんなことを言っていた。
 確かにその通りだと思った。
 タイルに反響する自分の声を聞きながら、私はいつも以上に昂っていた。
「ひろきぃっ、気持ちいぃ……宏樹の指、気持ちイイのっ。もっと、もっとぉ!」
 普段は言えないこと。
 言っちゃいけないこと。
 だからこそ、より興奮する。
 羞恥心と背徳感は、快感を高めるスパイスだった。
 身体の中で指が暴れている。これまで経験したことがないくらい、深く挿入されている。
 まだ男性を受け入れたことのないそこは、細い自分の指一本でもわずかに痛みを感じる。しかし今は、その痛みすら気持ちいい。
「あぁーっ! いいっ、宏樹……イイっ! イ……いくっ、イ、くぅぅ――っ!」
 視界がフラッシュする。
 頭の中が真っ白になる。
 全身に電流が流されたみたいに痙攣する。
 身体の中で爆発でも起きたような、激しい衝撃だった。


 どのくらいの時間、呆けていたのだろう。
 マットの上に座って壁にもたれた姿勢のまま、かなり長い時間余韻に浸っていたように思う。
 突然バスルームの扉がノックされて、びくっと我に返った。
「紗耶、シャワー浴びてるのか?」
 宏樹の声だった。
「う、うんっ、あ……暑かったから」
 心臓が破裂するほどにびっくりした。いったいいつの間に帰ってきたのだろう。
 扉が開けられ、ジーンズにTシャツ姿の宏樹が入ってくる。まだ泡だらけのまま座っていた私を見ると、シャワーを手にとってお湯をかけてくれた。
「い、いつ帰ってきたの?」
「ん、つい先刻」
 外はまだ明るい。夕方というにもやや早い時刻で、高校生のカップルがデートをお開きにするには早すぎる。垣崎の性格を考えれば、好きな男の子とは一分一秒でも長く一緒にいたがるだろうに。
「ずいぶん早かったのね」
「由香里が、疲れたって言うからさ」
 それは嘘だろう、と思った。
 あるいは、あの子がプールで「疲れた」というのであれば、その後「どこか(二人きりになれるところ)で休んでいこう」という展開を期待していたのだろう。
 宏樹はそれを無視して、さっさと帰ってきたというわけだ。
 まさか、とは思うけれど。
 私のため、だろうか。宏樹がこんなに早く帰ってきたのは。
 今日の暑さであれば、エアコンをつけられない私がへばっているのは宏樹もわかっているはず。それで心配して、早く帰ってきてくれたのだろうか。
 だからといって、彼女とのデートを切り上げてくるというのはどうだろう。いくらなんでも過保護すぎる。
 それとも、実は宏樹は垣崎のことが好きではないのだろうか。好きでもない女の子につきまとわれて、意に添わぬデートをさっさと切り上げるために、私をダシにしているのだろうか。
 そうとは思えない。
 宏樹は垣崎には愛想がいいし、一緒にいる時はそれなりに楽しそうにしている。傍目にはお似合いのカップルにしか見えない。
 本当に、宏樹がなにを考えているのかさっぱりわからない。
 しかし今は垣崎のことよりも重要な問題があった。
 宏樹が帰ってきたのは何分ぐらい前のことなのだろう。
 ひょっとして、聞かれていたのだろうか。
 夢中になっていたのでよく覚えていないけれど、相当に大きな声を出していたような気がする。行為が終わる前に帰ってきたのなら、居間にいても聞こえていたに違いない。
 扉をノックしたタイミングがあまりにもよすぎる。行為の真っ最中に帰ってきて、終わるのを待っていたのではないだろうか。
 宏樹の顔を見ても、相変わらずの無表情で考えていることは読み取れない。もちろん、聞こえていたのだとしても何も言わないだろう。
 頬が朱くなるのを感じていた。
 いくらなんでも恥ずかしすぎる。
 真っ昼間からお風呂場で自慰に耽っていて、大声で喘いでいたのを聞かれるなんて。
 いや、それどころではない。
 曖昧な記憶ではあるが、達する瞬間、宏樹の名前を叫んでいたのではなかっただろうか。宏樹に愛撫されていることを想像しながらの行為だったのだ。
 もしも、それを聞かれていたのだとしたら。
 それはいろいろと問題がある。普段、宏樹に触れられて感じていることを認めることになってしまう。
 恥ずかしいけれど、もう一度宏樹の顔を見た。
 特に、なんの表情も浮かんでいない。
「なにか?」
 目が合うと、不思議そうに訊いてくる。
「ううん、なにも」
 私は慌てて視線を逸らす。
「ところで紗耶、明日ヒマか?」
「え? ……うん、特に予定はないけど」
「明日も天気いいらしいし、海にでも行くか?」
「え?」
 いきなりどうしたのだろう。
 先日、新しい水着を買わせたのだから、海に連れていってくれるつもりはあったのだろうが、今日はプールで明日は海とはずいぶんと元気なことだ。
 それとも明日の体力を残すために、今日は早く帰ってきたのだろうか。天気予報では明日も好天で暑くなるが、明後日くらいから天気は下り坂になるらしいから。
「行ける時に行った方がいいだろ。延ばし延ばしにしてると、また海に行かないうちに夏が終わるぞ」
「……う、ん。そうだね。でも、迷惑じゃない?」
「別に」
 素っ気ない返事。
 だけどやっぱり、これが宏樹の優しさなのだろう。
 宏樹が強引に連れ出してくれなければ、私は家に籠もりっきりになってしまうのだ。
「じゃ、決まりな」
 宏樹はシャワーを止めると、私を抱えてバスルームを出た。

前の章 次の章 目次

(C) YAmaneko Nishisaki All Rights Reserved.