ベッドに入っても、身体の火照りは治まる気配を見せなかった。
 無理に眠ろうと目を閉じても効果はない。むしろ、先刻のお風呂場の光景が瞼の裏に甦ってくる。
 このままでは治まらない。とても眠ることなんてできはしない。
 宏樹の手で執拗に刺激を加えられた身体は、眠ることを拒否している。
 私は息を殺して耳を澄ました。
 家の中はしんと静まりかえっている。なんの物音もしない。
 宏樹も、もうベッドに入ったのだろうか。
 たとえ起きていてテレビを見たり音楽を聴いたりしていたとしても、ヴォリュームを抑えていればここまでは聞こえてこない。
 それはつまり、こちらの物音も向こうには届かないということだ。
 私は右手を胸へ運んだ。
「……あっ!」
 固く張った乳房を軽く押さえただけで、声が漏れた。
 一瞬の痛みの後、じんわりと痺れるような快感が広がっていく。
 つんと尖った乳首を、薄いパジャマの生地の上から手のひらで擦る。乳房全体を押さえた時よりも、鋭い刺激が走る。
「あ……はぁ……、ぁ……んっ」
 右手を動かすたびに声が漏れる。宏樹と一緒の時には発することのできない声も、今なら少しくらいは平気だ。
 私の声は、少しずつ大きくなっていった。
 パジャマのボタンを外し、手を中に入れる。
 うっすらと汗ばんだ肌に、直に触れる。
 固くなった乳首を二本の指で挟む。軽く引っ張る。
 刺激を与えられた小さな突起は、さらに硬度と感度を上げていく。
 もう止まらなくなっていた。
 脚を閉じて太腿を摺り合わせる。その奥は熱く火照って、潤いを増して、胸以上にさらなる刺激を求めていた。
 ぎこちない動きで左手を下半身に運んでいく。お風呂の中でのマッサージのおかげで、身体はいくらか楽に動かせるようになっていた。
 着替えの手間を減らすため、普段、パジャマの下は着けていない。左手を下着の中に滑らせる。
 熱い。
 そこは、むっとした熱気がこもっていた。
 ぬめりを帯びた液体を滲ませている割れ目の中に、指をもぐり込ませる。
「あぁっ、んっ……くふっ、うぅん……」
 身体に電流が走る。
 全身に鳥肌が立つ。
 深い泉の奥から熱い蜜が湧き出してくる。
「あっ……あっ、あっ、んんっ!」
 戸惑いがちに指が奥へと進んでいく。
 右手に比べて感覚が鈍くて思い通りに動かない指のせいでやや焦れったさも覚えるが、しかしそれ故に、まるで他人に触れられているような気がしていっそう興奮してしまう。
 手を、前後に滑らせる。
 中指が第二関節までもぐり込み、また引き抜かれる。
 その度に、クリトリスが擦られる。
 気持ちよかった。
 とても、気持ちよかった。
 溢れ出した蜜が手を濡らし、お尻の方へと流れていく。
 胸を揉む右手に、力が込められる。
 無意識のうちに腰がくねり、指をより深く迎え入れようとしてしまう。
 声が一段と高くなっていく。
 荒い、熱い息をしながら、夢中で手を動かし続けた。
 こうした一人遊びを覚えたのは、何年くらい前のことだったろうか。
 自由に動き回ることができず、ベッドの中にいる時間の長い私にとって、こうした行為が習慣となるのは必然だったかもしれない。いつの間にか始めた自慰行為は徐々に回数が増え、経験と年齢を重ねる毎に、より強い快感が得られるようになっていた。
 その日によって時間も内容も違うが、最近ではなにもしない日の方が少ないのではないだろうか。今日のように寝る前に宏樹から性的な刺激を受けた夜は、欲求を満たさなければ身体が火照って眠ることもできない。
 いけないことだ。
 これは、いけないことだ。
 自慰行為それ自体は構わないと思う。大っぴらにすることではなくとも、思春期であれば男女問わずに経験することだろう。
 しかし、いま私がしているのはいけないことだ。
 私のスイッチを入れたのは、弟の宏樹だった。
 実の弟の手で呼び起こされた興奮を静めるために、自分を慰めている。
 宏樹の手の感触を思い出しながら、自分の性感帯を刺激し続けているのだ。
「いィ……気持ちイイ……っ、はぁっ、あんっ!」
 どうしても、声が漏れてしまう。
 宏樹に触れられている時には声を出せなかった分、その枷がなくなると抑えが効かなくなってしまう。
 本当は、いけないことだ。
 私たちは、血のつながった実の姉弟。
 姉の裸に欲情するのも。
 弟に触れられて欲情するのも。
 それは、あってはならないことなのだ。
 なのに身体が火照ってしまう。
 宏樹に触れられると、私の『女』の部分にスイッチが入ってしまう。
 身体の疼きを、自分の指で慰めずにはいられない。
「はっ……あ、んんっ、くっ……ぅんっ」
 私の女性器は、クリームのようにとろけていた。
 泥濘の中に、指が沈んでいく。
 身体の中で、指が動いている。
 不器用な指が必死に動いて、身体の一番深い部分から快楽という名の蜜を汲み上げ、私を狂わせていく。
 脳裏に、様々な光景が浮かんでくる。
 バスタオルでくるんだ私の身体を撫で回している手。
 お風呂の中で、マッサージしながら胸に触れてくる手。
 胸を、そして女性器を、スポンジで執拗に愛撫する手。
 階段で私を抱き上げ、さりげなくお尻や胸に触れる手。
 髪を編みながら、耳やうなじに触れてくる手。
 それはすべて宏樹の手だ。
 これは、いけないことだ。
 弟の手に触れられたことを思い出しながらの自慰なんて。
 それで、今にも頂を極めそうなほどに感じてしまうなんて。
 だけど手は止まらない。止めたくもない。
 このまま絶頂を迎えなければ治まらない。
 宏樹のことを考えながらの自慰は、ある意味仕方のないことだった。
 これまで異性と付き合ったことはない。そもそも学校を休みがちで、自由に身体を動かすこともできず、しかもクラスメイトと年齢が違う私は、性別を問わず親しい友人が少ない。
 異性に身体を触れられる経験なんて、宏樹の他はかかりつけの医師くらいのものだ。つまりは、性的な意志を持って私に触れてくるのは宏樹しかいない。
 宏樹以外の異性のことを考えて自らを慰めようにも、思い浮かぶ相手もいない。お気に入りの俳優やアイドルではリアリティに欠ける。
 そもそも、宏樹によって呼び起こされた性欲なのだ。それを静められるのも宏樹しかいない。
 いっそ、宏樹がちゃんと最後までいかせてくれればいいのに。
 一瞬浮かんだそんな考えを、慌てて振り払う。
 それは、いけないことなのだ。
 宏樹はいったいどういうつもりなのだろう。
 どうして私に性的な悪戯をしてくるのだろう。
 しかもその行為は、あくまでも偶然を装っている。
 偶然を装って何気なく触れてくる。それだけで宏樹は満足なのだろうか。
 もしも宏樹にその気があれば、私を最後まで犯すことも造作ないはずだ。私にはそれを止める術はない。
 なのに、ただ触れる以上のことはしてこない。
 男性経験のない私には、男の生理について本で読んだ以上の知識はないが、あの程度の接触だけで満足できるとは思えない。
 高校生の男の子なんて、ちゃんと最後まで……射精に至らなければ、性欲は満たされないのではないだろうか。
 私が宏樹に触れられて性的な興奮を覚えているのと同様に、宏樹だって全裸の私に触れて性欲を膨らませているはずだ。
 それは間違いない。
 あえて意識を向けないようにしているけれど、それでも目に入ってしまう。お風呂場で私に触れている時、宏樹の男性器は大きく勃起しているのだ。男性経験のない私にとっては怖いくらいに大きくなっている。
 男の子というのは、あんな状態になっても最後まで達せずに済ませられるものなのだろうか。
 そうは思えない。
 それとも、いま私が自慰に耽っているように、今ごろ宏樹も自分でしているのだろうか。
 あの無愛想な宏樹が、どんな顔をしてオナニーしているのだろう。その光景を想像すると、よりいっそう興奮してしまう。
 本当に、宏樹はどんなつもりなのだろう。
 いつも一緒にいる実の弟なのに、なにを考えているのかわからない。
 私に、道ならぬ恋愛感情を抱いているのだろうか。だから性的な接触を望むのだろうか。
 それは違う気がする。
 はっきりとした根拠はないけれど、恋愛感情とは違う気がする。第一、好きな女の子が相手なら、もっと愛想よくしてくれるはずではないか。
 だとすると、単に性欲を持て余しているだけのことなのだろうか。
 それも疑問だ。
 だったら垣崎に手を出せばいい。
 あの子なら喜んでそれを受け入れるだろう。実の姉と性的関係を持つなんて、ややこしいことをするまでもない。なにより、垣崎は私よりも、顔もスタイルもずっと魅力的な女の子ではないか。
 なのに、どうして私なのだろう。垣崎の態度からすると、二人の間にはまだ肉体関係はないように思う。どうして手を出さないのだろう。
 それとも、実はもう関係を持っているのだろうか。
 垣崎と最後までしているけれど、単に遊び半分で私にも悪戯しているだけなのだろうか。
 私の目から見ても、二人はお似合いだ。
 女子としてはやや長身の垣崎だけれど、宏樹はそれ以上に長身だから、釣り合いという点ではなんの問題もない。
 意外と面倒見のいい宏樹と、甘え上手の垣崎。いいカップルではないか。
 二人は、どんな風にセックスするのだろう。
 私を入浴させる時のように、優しく愛撫するのだろうか。
 それとも健康な垣崎が相手となると、荒々しい野獣のように犯すのだろうか。
 四つん這いにした垣崎を、後ろから貫いている宏樹の姿を思い浮かべた。
 垣崎の丸いお尻を掴んで、乱暴に腰を打ちつける宏樹。ひと突きごとに悲鳴を上げて悶える垣崎。
 あるいは垣崎の方が積極的で、激しく燃え上がるタイプなのかもしれない。
 仰向けになった宏樹の上にまたがって、自ら腰を振っている垣崎。髪を振り乱し、大きな胸が弾む。その胸を宏樹の手が鷲掴みにして、下から腰を突き上げる。
 そんな想像をしていると、私自身もいっそう燃え上がってしまう。
 掛け布団の下から、ぐちゅぐちゅという湿った音が聞こえてくる。
 いつの間にか、右手も下着の中にもぐり込んでいた。
 左手の中指で膣内をかき混ぜながら、右手はクリトリスを重点的に刺激する。
「ひっ、あぁっ! あんっ! んっ、あぁんっ!」
 鋭い快感が身体を突き抜ける。
 あまりの気持ちよさにおかしくなってしまいそうで、怖くなってくる。
 両脚がぎゅっと手を挟み込んで、その動きを封じようとする。それでも中にある指は動きを止めようとしないばかりか、さらに激しく暴れ出してしまう。
 全身が痙攣した。
「あぁんっ! あんっ! あぁぁっ……んぁぁっ、あっぁぁぁ――っ!」
 頭の中が真っ白になる。
 身体から力が抜けていく。
 達する瞬間の声は、宏樹の部屋まで聞こえるのではないかと不安になるほどだった。


 ことが終わると、急に虚しさが押し寄せてくるのが常だった。
 身体はベッドの上で荒い呼吸を繰り返しているけれど、心はどんどん醒めていく。
 まだ入ったままの指も、もう私を燃え上がらせはしない。むしろ、体内にある異物に嫌悪感さえ覚えてしまう。
 いつも、こうなる。
 宏樹を「オカズ」にしてしまった時は、いつもこう。
 自慰は擬似的な性行為だ。
 だから、虚しさ、後ろめたさを感じてしまう。
 恋愛感情のない性行為に耽った自分が、ひどくいやらしい存在に思えてしまう。
 宏樹のことは、好きだ。
 だけどその感情は、家族に対するもの。親身に介護してくる人に対するもの。
 決して、異性に対する恋愛感情ではない。なのに性的興奮を覚えてしまったことに罪悪感を抱いてしまうのだ。
 溜息をつきながら指を引き抜いた。
 愛液で濡れた中指が、ひどく汚らわしいものに思えた。
 ティッシュを取って指を拭く。もう一枚取って、性器から流れ出た蜜を拭き取る。
 下着も濡れてしまったようで、お尻が冷たい。
 嫌な冷たさだった。
 自分がしていたことを思い知らされてしまう。
 かといって、絶頂を迎えた後の倦怠感の中、起き上がって下着を買えるのも億劫だった。それに宏樹が洗濯をする時、私の下着が一枚多いことに気づかれるのも嫌だ。
 小さく溜息をつくと、寝返りをうって目を閉じる。
 身体の火照りは治まったのだから、眠ってしまおう。
 呼吸も落ち着いて、静寂が室内を満たしていく。
 その時、ふと気がついた。
 部屋の扉の外に、人の気配がする。
 ……ような気がする。
 気のせいだろうか。
 物音はしない。ただ、息を殺して立っている気配を感じるだけだ。
 宏樹だろうか。今夜も母は帰りが遅く、いま家にいるのは宏樹と私の二人だけだ。
 自慰に耽っている時の声が、宏樹に聞こえていたのだろうか。
 快楽の波に包まれていた時なら、足音がしても気づかなかったはずだ。
 私は、枕元にあるインターホンに手を伸ばしかけた。
 宏樹の部屋に直通のインターホン。
 いま呼び出し音を鳴らしたら、宏樹はすぐに出るだろうか。
 それとも、部屋の外にある気配が動くだろうか。
 数秒間、手を宙に浮かせていて。
 結局、その手を布団の中に戻した。
 もう一度寝返りをうつと、両手で耳を塞いだ。
 なにも、なかった。
 部屋の外の気配なんて、気のせいだ。
 自慰に耽る私の喘ぎ声を宏樹が盗み聞きしていたなんて、あるはずがない。
 そう思い込んで、私は耳を塞いだまま眠ることにした。

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