その日――
 夕方、いつものように愛姫の家へ行くと、先客がいた。
 屋敷の敷地に見覚えのある黒いセダンが停まっていたのでもしやと思ったら案の定、応接間には鬼魔対策を任務としている公安警察の高橋光一郎の姿があった。
「やあ、久しぶり」
 いつも以上にきつい表情の愛姫とは対照的な、愛想のいい笑みを浮かべている。いかにもエリートっぽい雰囲気を漂わせた体格のいい男性だが、意外と人当たりはいい。
「瀬田神流とは、うまくいってるのかい?」
 まるで人間の彼女とのことを話題にするような、何気ない口調だった。
 この男も鬼魔と戦うのが生業のはずだが、愛姫のような、鬼魔に対する強い憎しみは感じられない。肉親を何人も殺されている愛姫とは違い、純粋に任務としてやっていることだからだろうか。
 もっとも、警官が個人的な憎しみを抱いて仕事に就いていたら、それはそれで怖い話ではある。
「……ええ、それなりにうまくいってますよ。直に逢ったのはあの翌日が最後ですけど、普通に電話とかメールとかはやりとりしてるし、人間の女の子と付き合うのと変わりません」
 後半部分、やや力を込めていった。神流が〈普通の女の子〉であることを強調する。
 公安に身元を知られた神流がいまだに殺されも拘束されもせず、これまで通りの生活を送っていられるのは、悠樹に懐いていて、人間に危害を加えていないからだ。悠樹としては、神流が危険な存在ではないと、ことあるごとに主張しなければならない。
 あれ以来逢っていない――神流が逢おうとしてくれない、というのはやや不安要素ではあったが、電話やメールでは普通に会話しているし、嫌われたわけではなさそうだ。どうやら、前回のあれが初めてなのに弾けすぎたと反省し、自重しているらしい。
 奔放なようでいて、意外と固い性格なのかもしれない。悠樹としてもここは焦らず、持久戦でいくつもりだ。
「……ならいい。だけど油断はしないことだな。動物園の飼育係やサーカスの調教師が、慣れていたはずの猛獣に襲われた例はいくらでもあるだろう。信頼するのはいいが、相手が人間ではないことは、肝に銘じてかなければならない。人間っぽく扱うのはいいが、人間そのものではない。そのことを忘れるのは危険だからな」
「……わかりました」
 素直にうなずいておく。鬼魔の扱いに関しては向こうが先輩だし、そもそも国家権力に逆らっていいことはない。愛姫や麻由の話から察するに、神流をそのまま生かしておいているというのは例外的なことらしい。
 高橋としては、神流が問題を起こさないのなら、その方が手間が省けていいとでも思っているのではないだろうか。むしろ殺す口実を探しているような愛姫とは対照的だ。
「それで〈力〉の方は、どんな調子だ?」
 その問いに、冷たい声で答えたのは愛姫だった。
「……四、五年後なら、使い物になるかもしれません」
 悠樹は無言で肩をすくめる。
 そこまでひどくはない、と思いたいが、物心ついた頃から鬼魔との戦い方を仕込まれてきたであろう愛姫と、稽古をはじめてまだほんの数日の悠樹とでは比較にならないのは事実だ。
 高橋が苦笑する。もちろん、愛姫の台詞を言葉通りに受け取ってはいないだろう。長い付き合いなのか、愛姫の性格はよくわかっているようだ。
 そういえば、愛姫と高橋はどういう関係なのだろう。悠樹が知る限り、愛姫の身近にいる唯一の男性といってもいい。他に、従兄がいるような話を聞いたことがあるが、実際に会ったことはない。
「残念だが、そこまで待ってはいられない。経験を積むためにも、今夜の狩りには犬神くんも参加してもらう」
「狩り?」
「狼狩り、です。この前取り逃がした連中かどうかはわかりませんが、狼の縄張りが絞りこめたので、今夜、仕留めます」
 普段よりも低い声。強い口調。
 愛姫が普段にも増してきつい表情をしていた原因はこれか、と理解した。両親の敵である鬼魔を、愛姫がどれほど憎んでいるかはこの数日で嫌というほど思い知らされた。
「……わかりました」
 いよいよ、実戦だ。
 悠樹も緊張した面持ちでうなずいた。


 高橋が運転する車で向かった先は、神流や愛姫と出会ったのとは別の公園だった。
 やはり、夜になるとほとんど人気がない。そうした点が、狼にとっても愛姫にとっても〈狩り〉に適した場所なのだろう。
 狼の〈狩り場〉を探すのは、高橋をはじめとする警察組織の仕事だった。失踪届け、傷害事件、殺人事件、街の噂話などを手がかりに〈不審な失踪者〉の多い地域を洗い出すのだ。
 鬼魔の存在が確実となってからが、退魔の力を持つ者たちの出番だった。退魔師の多くは鬼魔の気配を察知する能力に長けているが、限られた数しかいない貴重な人材だ。直接の戦闘が最優先であり、それ以外の目的に割く人的余裕はない。
 そうした点でも、愛姫の魅魔の力は有利だった。鬼魔の縄張りを大まかにでも絞りこめれば、あとは自分の血で誘い出すことができる。愛姫の血の匂いに誘われない鬼魔はいない――それは麻由の言葉だった。
 車を降りた愛姫と悠樹は、公園の中へと進んでいく。高橋は、機動隊員たちと一緒に待機して、〈狩り〉の最中の人払いと、その後の後始末を主に受け持つ。
 火器の使用が解禁された総力戦でもなければ、〈狩り〉の役割分担はこれが基本だ。拳銃や警棒しか持たない警官たちでは鬼魔に対して有効な戦力にならないどころか、鬼魔に操られて、むしろ退魔師たちの障害となる危険すらあるという。愛姫ほどの手練れであればなおさら、第三者の存在は邪魔にしかならない。
 愛姫など、悠樹に対してさえ邪魔者を見るような目を向けている。しかし今夜は悠樹の実地訓練という意味合いもあるから、愛姫としても文句はいえない。
「……では、はじめましょう。手順はわかっていますね?」
 公園の中心部まで進んだところで、愛姫がいう。
 周囲に人の気配はない。ところどころに設置されたナトリウムランプの街灯が、無人の公園をぼんやりとオレンジ色に照らし出している。
「……ああ」
 緊張した面持ちで悠樹がうなずく。
 手に持っていた刀を抜く。
 これまで、稽古では何千回と振ってきた真剣。実戦で抜くのは初めてだ。
 小さく深呼吸。
 意を決して、自分の腕に刃を押しつける。
 刀を引く。微かな、鋭い痛み。
 腕に残る紅い筋。滲み出てくる血。
 悠樹にはただの血としか見えないが、これが、鬼魔を惹き寄せる魅魔の血だ。ホオジロザメのいる海に血を流したようなもので、付近に鬼魔がいれば無視できるわけがない。
 目を閉じて、視力以外の感覚を研ぎ澄ませる。
 街灯があるとはいえ、都心部から離れた深夜の公園だ。人間の視力など、鬼魔相手にはさほど役に立たない。向こうは夜行性の野生動物以上に夜目が利く。
 意識を、集中する。
 退魔の力を持つ者なら、近くにいる鬼魔の気配を感じ取れるというが、今のところなにも感じない。
 正直なところ、不安だ。自分の力を理解して以来、神流以外の鬼魔とは接したことがない。本当に気配を感じ取れるのか、試したことはないのだ。
 もっとも、今は傍に愛姫がいるから、万が一悠樹が気配に気づかなくても、不意を衝かれる危険はないだろう。
 目を閉じると、自分の鼓動と呼吸の音だけがはっきりと聞こえた。
 緊張のせいか、手がじっとりと汗ばんでいる。何度も手を拭いて握り直す。
 呼吸が、速くなってくる。
 乾いた唇を舐める。
 どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
 まだ、来ないのか。
 もしかして、近くに鬼魔はいないのだろうか。
 だったら、いい。悠樹としては、何事もなく家に帰れればそれに越したことはない。
 しかし、愛姫はそうは思わないだろう。憎むべき鬼魔を殺せなかったことを悔しがるに違いない。
 そんなことを思った時――
「――っ?」
 鼓膜を微かに震わせたのは、遠くの、女の悲鳴だった。
 びくっと身体が震える。慌てて目を開く。
 目を閉じていたせいか、先刻よりも夜目が利くようになっていた。幾分緊張した面持ちで、声のした方に視線を向けている愛姫の姿がはっきりと見える。
 もう一度、聞こえてくる悲鳴。
 先刻よりも近づいている。
 鬼魔に襲われて、逃げてきているのだろうか。
 悠樹の血に誘われるよりも先に、他の女性が襲われたのだろうか。
 こちらから助けにいくべきだろうか。しかし、愛姫はじっとしたまま動かない。まだ、刀の柄に手をかけてもいない。
 愛姫が動かない以上、悠樹も動けない。
 心を落ち着けるため、ひとつ、深呼吸。
 愛姫に声をかけるべきか、と迷っていると、
「……来ました」
 ぽつりと、つぶやいた。
 愛姫の視線を追う。
 ヒールの高い靴特有の、硬い足音が近づいてくる。
 闇の中から姿を現す人影。街灯の下で確認した姿は、二十代後半くらいと思われる、スーツを着たOL風の女性だった。片腕の袖が引き裂かれ、露わになった腕は血で真っ赤に染まっている。
 しかし、愛姫が「来た」といったのは彼女ではない。視線は、わずかにずれた方向へと向けられている。
 この頃になると、悠樹にも感じ取れるようになっていた。
 姿はまだ見えないが、感じる。
 全身に鳥肌が立つような、異質な気配。
 いる。
 なにか、いる。
 人ではない、なにか、禍々しい存在が。
 近づいてくる。
 姿は隠しているが、逃げる女性の後ろから追ってきている。
 しかし、それも妙な話だった。
 本来、鬼魔の運動能力であれば、ハイヒールを履いたスカートの女性など、あっという間に追いつくはずだ。そもそも、か弱い人間相手に姿を隠す必要もない。
 となると、既に悠樹たちの存在に気づいて用心しているのかもしれない。
「近いです。気をつけて」
 愛姫の視線は女性の方に向けられているが、その神経は周囲三六十度に対して油断なく警戒を続けている。鬼魔の跳躍力であれば、十メートルくらいはひとっ飛びだ。暗くて街灯の近く以外ははっきり見えないこの状況では、少しでも隙を見せたら不意うちを喰らいかねない。
 必死の形相で走っていた女性が、悠樹たちに気づいてこちらに向かってくる。
「――た、助けて! お、狼が……っ!」
 そこまでいいかけたところで、躓いて転んだ。
 よほど慌てていたのだろう。頭を打ったのではないかと心配するくらいの派手な転び方だった。片腕を怪我しているせいで、バランスが悪いのかもしれない。
「犬神さんは、周囲を警戒してください」
 愛姫が女性に近づいていく。周囲に気を配りながら、慎重に。けっして慌てて駆け寄ったりはしない。
 慎重にならざるを得ない。すぐ近くで狼が息を潜めている気配は、悠樹にも感じ取れる。もう二、三十メートルと離れていないだろう。闇にまぎれて、こちらを遅う機会を窺っているのだ。
 ごくり……
 唾を呑み込む。
 全身が粟立つような感覚。全身がじっとりと汗ばんでいる。
 本音をいってしまえば、怖くて仕方がない。
 向こうは間違いなく、こちらを捕捉している。その気になればいつでも襲いかかれるだろう。
 なのにこちらは、まだ正確な位置もつかめていない。周囲の闇という闇に、無数の狼が潜んでいるような錯覚に襲われる。
 いったい、どこにいるのだろう。
 どんなに目を懲らしても、姿は見えない。おそらく、灯りが届かないちょっとした物陰に潜んでいるはずだ。
 逃げ出したいくらいに怖いが、逆に、来るなら来い、とも思う。こんな緊張感、長く続く方が精神的な負担が大きい。
 同時に、なにかもやもやとした違和感があった。
 どうにも、すっきりしない。
 狼がいるのは間違いない。こちらを狙っている。悠樹や愛姫がいるからといって、このまま引き返すことはしないだろう。せっかく手に入れた獲物を簡単に諦める肉食獣はいない。ましてやこの周辺には、悠樹の血の匂いが拡がっているはずだ。
 狼は、いる。
 すぐ、近くに。
 牙を剥いて、今にも襲いかかろうとしている。
 なのに、なんだろう。
 この、違和感。
 なにか、重要なことを見落としている気がする。
 狼がいるのは間違いない。あの女性も「狼が……」といっていたではないか。最初に襲われて腕を怪我した時に姿を見たのだろう。
 横目でちらりと、倒れている女性を見た。愛姫が近づいて、手を差し伸べようとしている。
 狼なんて、さぞ驚いたに違いない。数日前の悠樹もそうだった。
 海外ならともかく、狼などいない日本、しかも東京都内で狼だなんて。
 ……狼?
 はっと気がついた。腕の毛がざわ……と逆立つ。
「愛姫! そいつだっ!」
 悠樹が叫ぶのと、倒れていた女性が、助け起こそうとした愛姫に向かって、大怪我していたはずの腕を突き出すのとがほとんど同時だった。
 身を躱す愛姫。爪が腕をかすめ、皮膚が浅く切られた。
 女の目が、見開かれる。
 まっすぐに愛姫を捉える。
 わずかな光の下で銀色に輝く瞳。
 それは、夜行性の獣の瞳だった。
 体勢を崩して転びそうになりながらも、愛姫は刀を抜いた。悠樹の目には神速の抜刀術だが、しかし目の前の女性は大きく跳んで易々と刃を躱した。神流を彷彿とさせる身の軽さだ。
 悠樹も斬りかかろうとしたが、距離を詰めるよりも先に女の方が距離をとった。細い脚が軽く地面を蹴っただけにしか見えないのに、五メートル以上は跳んでいる。
「勘がいいわね、坊や。もうちょっとのところでいちばん目障りな退魔師を始末できたのに」
 そういう女の顔には、一瞬前までの恐怖の色はない。嘲るような笑みを浮かべ、微かに開いた唇の間に、鋭い犬歯が覗いていた。
 その口が、大きく裂けていく。
 女の姿が変化する。
 耳が移動し、鼻と口が伸びる。
 自分で服を引き裂くのと同時に、直立した体勢から四つ脚になり、全身が毛皮に覆われる。
 最新のCGでも再現できないような、滑らかな変化。たちまちのうちに、女は狼へと変化していた。
 白色に近い、灰色狼。
 愛姫が立ちあがるよりも早く、狼が走り出す。その姿はたちまち闇に飲み込まれていった。
 それと呼応するように、それまで感じていた鬼魔の気配も別方向へと遠ざかっていく。
 迂闊だった。
 狼は二頭いたのだ。
 姿を見せない狼が囮となって気配を振りまくことで、人間の女に化けた狼の気配を隠していたのだろう。予想以上に狡猾だ。
 小さく溜息をつく。狼は最初から悠樹たちを狙っていたのだ。完全に裏をかかれた。
 今夜のところは完敗だ。致命傷を負わずに済んだだけでも僥倖だったと思うべきだろう。
 愛姫は、立ちあがりかけた体勢のまま固まっていた。強張った、ひどく怖い顔をしている。手を差し伸べてやると、まるで鬼魔に向けるような視線で悠樹を睨んで、自力で立ちあがった。
 幸い、腕の傷はごく浅いようだ。ハンカチで血を拭いてやる。それを無視して、愛姫は歯噛みしながら携帯電話を取りだした。
「……愛姫です。すみません、取り逃がしました」
 悔しさが滲み出る、絞り出すような声。
「二頭、いました。人間に化けていた若い雌と、もう一頭はおそらく雄。ええ、欺かれました。……はい」
 それだけいって、電話を切る。ほどなく、車のエンジン音が近づいてくる。
 高橋のセダンと、機動隊員たちが乗っているトラック。
 警官たちが周囲を調べる。狼の遺留物を捜しているのだろうか。
「……すみません、少々油断していたかもしれません。ただ気配を消していただけなら気づけたのですが……」
 傷の手当てを受けながら、愛姫が頭を下げる。
 どんなに気配を隠していても、愛姫なら鬼魔を見逃すことはないという。その自負があったからこそ、裏をかかれたのだろう。相手も、優れた退魔師相手には気配を隠しきれないことをわかっていて、囮を使ったのかもしれない。
 姿を見せなかった方の狼は、気配は隠そうともしていなかった。どうしても意識はそちらに向いてしまい、女の方に残った微かな気配は覆い隠されてしまう。ましてや襲われた直後であれば、その身体に鬼魔の気配が残っていても不審には思わない。
「まあ、こんな日もあるさ。日を改めて作戦を練り直そう。この辺りにいることは間違いないんだ、いくらでも仕留める手はある。いざとなれば鷺沼の兄妹に協力してもらってもいい」
「……はい」
「今夜は引き上げよう。ふたりとも、送っていくよ」
「…………いえ、高橋さんは仕事が残っているのでしょう? 頭を冷やしたいので、駅まで歩きます」
 爆発しそうな怒りを必死に抑えているような、硬い表情と、口調。
 そのまま、悠樹を無視して歩き出した。
 高橋が、目で悠樹を促した。慌てて愛姫の後を追う。鬼魔に対しては愛姫の方が強いとはいえ、怪我をした女の子を、こんな夜にひとりで帰すわけにはいかない。
 追いついて並んで歩きはじめても、愛姫はなにもいわなかった。こちらをちらりと見ようともしない。しかし、拒絶しないのであればここにいてもいいのだろう。
 とはいえ、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。
 全身から、普段の比ではない怒りのオーラを発している。普段と違うところはもうひとつ、その怒りが悠樹ではなく自分自身に向けられているという点だ。
 鬼魔に対する怒り以上に、鬼魔に不覚をとった自分が許せないといった表情だった。口先だけの下手な慰めなど通用しそうにない。
 さて、困った。
 どうすればいいのだろう。
 今の愛姫をひとりにしておきたくないというのは素直な気持ちだったが、自分が傍にいても彼女の気が晴れるとも思えない。
 愛姫の性格を考えれば、ひとりになりたかったのではないだろうか。しかし、悠樹を一緒に行かせた高橋にも、彼なりの考えがあるのだろう。
 しばらく、黙って歩いていた。頭の中ではあれこれと話題を探していたが、鬼魔に関する話題も、まったく関係ない話題も、この場には適切ではないように思えた。
 愛姫の横顔を見る。
 ひどく怒っているのは間違いない。同時に、緊張しているようにも見える硬い表情だ。
 額に、汗が滲んでいる。
 握りしめた拳が、微かに震えている。
「……どうして」
 愛姫が、ぽつりといった。
 主語もなく、視線は悠樹に向けず、まるで独り言のように。
 それでも悠樹は、自分に向けられた言葉だと思った。
「なに?」
「どうして、気づいたんですか? あの女が鬼魔だと。完璧に擬態して、そんな気配はまったくありませんでした」
「ああ……」
 たしかに、その通りだろう。
 女が正体を現すよりも一瞬早く、悠樹は気づいていた。もう少し早く気づけていれば、愛姫に怪我をさせることもなかったのに。
 しかし、〈退魔師としての感覚〉に頼っていては、絶対に気づけなかったはずだ。
「狼が、っていってた」
「え?」
「あの女、『助けて、狼が』っていってた」
「……それが?」
 悠樹も、筋道立てて説明できるのは今だからこそだ。あの時は直感でしかなかった。
「日本に、狼はいないんだ。少なくとも、一般人にとっては、ね」
「――っ!」
 はっとする愛姫。彼女にとっては盲点だったのだろう。
「日本の普通のOLが二三区内で狼を見たって、それが狼だなんて思わない。大きくて獰猛そうな野犬だと思うのが普通だよ。もちろん、動物マニアだとか、大陸育ちで狼に慣れ親しんでいたとかの可能性もあるけど、夜道でいきなり襲われて錯乱しているはずの状態では無理がある説明だ。〈オッカムの剃刀〉風に考えれば、答えはもっとシンプルである可能性が高い。つまり、それが狼であることを事前に知っていたんだ」
「……私は、狼がいる状態が当たり前になっているから、逆に気づかなかったんですね」
 愛姫にとっては、狼は身近に存在するもであり、日常の一部に組み込まれた戦いの相手だ。今さら、狼の、鬼魔の存在を不思議に思うことなどない。しかしそれは一般的な日本人の感覚ではない。
 ほぼ素人の悠樹だからこそ気づけたのだ。悠樹はまだ、退魔師としての知識よりも、日本人の常識の方が優先される世界に生きている。
「…………ありがとう、ございました。おかげで、致命傷は避けられました」
 驚いた。
 まさか、愛姫に礼をいわれるとは。
 とはいえ、不機嫌そうな表情で、こちらを見ようともしない。きつい口調も変わらない。心底感謝しているというよりも、礼儀として仕方なく、というところだろう。
 本心では感謝するどころか、むしろ不快に思っているかもしれない。鬼魔に後れをとって、素人同然、しかも嫌っている悠樹に助けられたとあっては、内心穏やかではあるまい。
 そんなことを考えながら愛姫の横顔を見ていて、気がついた。
 体調が悪いのではないだろうか。
 今夜のことを不愉快に感じ、怒っているのは事実だろう。鬼魔に、鬼魔に欺かれた自分に、そして悠樹に、腹を立てているに違いない。
 しかし、それだけではない。
 額にじっとりと浮かんだ脂汗。強張った表情。
 歩みも不自然に遅い。普通、怒りに包まれていれば早足になるものではないだろうか。よく見れば、その足どりも微かにふらついているように感じる。
 明らかに普通ではない。凛とした、常に背筋をぴんと伸ばした愛姫の歩き方ではない。
「愛姫……どっか調子悪い?」
 顔をこちらに向ける愛姫。正面から見るとよりはっきりとわかる。まるで、高熱で寝込んでいる時に無理に起き上がってきたような顔だった。
「……危ないっ」
 はっきりと足元がふらついた。反射的に、腕を掴んで支えてやる。
 ちょうど、少し離れたところにベンチがあった。肩を抱くようにして身体を支えてやり、ベンチまで連れていって座らせる。
 腰をおろした愛姫は、はっきり聞こえるくらい大きく息をついた。やはり、無理をして歩いていたらしい。
 高熱に冒されているかのように、顔が紅く呼吸が荒い。
 肩が微かに震えている。
「傷、痛むのか?」
 最初に思いついたのは、それだった。鬼魔の爪による腕の傷は、見た目にはごく浅いかすり傷のようだったが、思いのほか傷が深かったのだろうか。
 しかし愛姫は俯き加減に、首を小さく左右に振った。
「……痛むわけでは……ありません」
 声にも力がない。具合が悪いのをひた隠しにして、無理に絞り出しているような声だ。
「だったら……」
 転んだ時に、脚でも挫いたのだろうか。しかし、そんな雰囲気でもない。
 あの汗ばんだ紅い顔は尋常ではない。あるいは、風邪かなにかで家を出る前から具合が悪かったのだろうか。いや、鬼魔に襲われるまでは、特に体調が悪そうには見えなかった。
 やはり、先刻の鬼魔との戦いが影響しているはず――そう考えたところで、はっと気がついた。
 愛姫を傷つけた、鬼魔の爪。怪我を装って、自分の血で濡れた腕。
 その手が、愛姫を傷つけた。
 そして、至近距離で愛姫を捉えた瞳。
 闇の中で爛々と輝く、獣の瞳。
 人間を魅了する、魔物の瞳。
 鬼魔の、力だ。
 愛姫は、鬼魔の力に中てられたのだ。
 悠樹は想い出す。
 自分が、神流に見つめられた時のこと。
 神流と唇を重ね、唾液を口にした時のこと。
 強く咬んで、滲み出た血を口にした時のこと。
 身体が熱くなって、頭が朦朧として、高熱に冒されたような感覚だった。いてもたってもいられない、性的な衝動に襲われた。
 鬼魔は、人間を魅了する。
 人間同士ではけっして味わえない快楽を与える。
 そうすることで、人間は鬼魔にとってより上質のご馳走となるのだ。
 悠樹が神流の力に捉えられていた時には、目の前に神流がいた。神流を抱いて、衝動を、欲望を、満たすことができた。
 しかし、もしもあの状況で、ひとりで取り残されていたらどうなっただろう。
 気が狂いそうなほどの欲求。なのに、それを満たしてくれる相手はいない。
 おそらく、歩くことすらままならないだろう。

 ――今の愛姫のように。

「……鬼魔の、力?」
 悠樹の問いに、微かに、ほんの微かに、しかしたしかにうなずいた。
「…………思いのほか、強い力で……まともに……喰らいました」
 額の汗が、珠になって滴り落ちる。
 細い肩が震えている。身体の震えが、はっきりわかるくらいに大きくなっていた。
「それって、どうすれば……」
 いいかけたところで、思い出した。
 初めて愛姫と会った日の、翌朝の出来事。
 あれで、いいのだろうか。
 悠樹は予備の武器として持っていたナイフを取り出すと、刃先を自分の人差し指に押しつけた。
 鋭い、痛み。
 指先に、紅い珠が膨らんでくる。
 その指を、愛姫の顔の前に差し出した。
 魅魔の血は、鬼魔の力に対する抵抗力となる――あの朝、そう聞かされた。故に愛姫も悠樹も、鬼魔の力に対して常人よりはずっと耐性がある。とはいえ、その抵抗力は完全なものではない。だから悠樹は神流を抱かずにはいられなかったし、今の愛姫はこんなに苦しんでいる。
 それでも他者の魅魔の血を取り込めば、相乗効果でさらに抵抗力は増すという。今はそれに期待するしかない。
 愛姫は、どことなく驚いたような表情をこちらに向けていた。
「えっと……これで、いくらか中和されるんだろ? ……あれ、俺、なにか間違った?」
「……いえ……たしかに、なにもしないよりはましですが……」
 しかし、指を口にしようとはしない。
「恥ずかしがってる場合じゃないだろ」
 恥ずかしがっているというよりも、悠樹の指を口に含むという行為に嫌悪感を抱いているのかもしれない。あの朝のことがまずかっただろうか。たしかに、セクハラといわれても否定できない行為だった。あれで、愛姫の、悠樹に対する態度が決定づけられたといってもいい。
 だけど、今はそんなことを気にしている場合ではない。この状態が続くことで愛姫にどんな悪影響があるのかはよくわからないが、苦しんでいるのを放置することはできない。
 自分から動こうとはしない愛姫の口に、悠樹の方から指を運んだ。
 指先が、小刻みに震えている唇に触れた。肩が小さく揺れる。しかし、なにもいわない。
 愛姫が拒まないことを確認して、指を、口の中に滑り込ませた。
 指を包み込む、温かくて湿った口の粘膜の感触。
 こんな非常事態であっても、女の子の口に指を挿れるという行為は、どうしても性器との類似性を意識してしまう。
 愛姫の舌が、ゆっくりと蠢いている。指に押しつけられる。指先から滲む血を舐め取っていく。さらに血を求めるように、指に絡みついてくる。
「……は……ぁ」
 唇の隙間から漏れる吐息が熱い。
 息継ぎをして、また舌の動きが再開する。先刻までよりも活発に動き、指先だけにとどまらず、指全体を口に含んで舌を絡ませてくる。
 いつの間にか、愛姫の手が悠樹の手を握っていた。
 そのまま指を吸い続ける。
 それはあまりにも、フェラチオを連想させる行為だった。頬を赤らめ、呼吸を荒くして、潤んだ瞳で悠樹の指に吸いつき、唇を、舌を、擦りつけてくる。
 舐められている指が気持ちよくなるほどの、まさに〈愛撫〉だった。
 放っておけばいつまでもこうして舐め続けていそうな雰囲気だ。普段の愛姫からは想像もできない姿に驚き、そして不審に思った。
 どう見ても、夢中でフェラチオしている女の子の姿だ。悠樹とセックスしていた時の神流、あるいは溜まっている時の美咲を彷彿とさせる。それはあまりにも、普段の愛姫のイメージとはかけ離れていた。
「よ、愛姫……?」
 驚いて声をかけると、一瞬の間の後、はっとした様子で口を離した。
 愛姫も驚いている。自分がなにをしていたのか、声をかけられるまで気づいていなかったかのような表情だった。先刻よりも顔の赤みが増しているように感じるのは、鬼魔の力の影響ではなく、羞恥心のためかもしれない。
 鬼魔の力は、人間を魅了し、快楽の虜にする。
 すなわち今の愛姫は、理性では抑えきれないほどの性的な興奮を覚えているのだ。あの愛姫が、よりによって悠樹の指を夢中でしゃぶるなんて、正気であればありえない。
 我に返った愛姫は、視線を逸らしてうつむいた。
「あ……えっと、調子は?」
 見たところ、悠樹の血によって症状が治まるどころか、むしろ悪化している気がする。逆効果だったのだろうか。
 蚊の鳴くような声で、愛姫が応える。
「……誤解しているかもしれませんが……この状況では、魅魔の血も特効薬というわけではありません。そもそも、影響がピークに達するのはまだこれから、今夜から明日にかけてで……。魅魔の血は、いくらか症状を和らげ、回復を早める効果があるだけです」
「回復まで、どのくらい?」
「普通は、三、四日くらい……です。今回は、早くに……犬神さんの血を取り込んだので……明日の夜か、その翌朝には、問題ない程度に回復するでしょう。……大丈夫、たまに、あることです」
 口ではそういっているが、力のない声は震えているし、やっぱり苦しそうだ。
 悠樹の指を舐めていた時は、見るからに性的な興奮状態だったが、今はどちらかといえば、悪性のインフルエンザかなにかで高熱に冒されているようにも見える。
「……明日中には問題ない程度に回復する、ってことは……今夜は?」
 一瞬だけ、愛姫の視線が悠樹に向けられた。普段以上に鋭い視線だった。
 それだけで伝わる。悠樹には話せない、見せられないような状態だ――と。
「えっと……なにか、冷たいものでも飲むか?」
 座っているベンチから少し離れたところに、自動販売機があった。冷たいものでも飲めば、多少は気がまぎれるかもしれない。もっとも、悠樹にとってそれは口実で、真の意図は別のところにあったのだが。
「……ミネラルウォーターか……冷たいお茶を」
 普段の愛姫なら、けっして悠樹の世話にはならないだろう。飲み物が欲しければ自分で行くはずだ。
 見た目以上に弱っているのかもしれない。口では「たまにあること」なんて強がってはいたが、「たまにある」ことと「辛くない」ことはイコールではない。
 もたらすのが快楽とはいえ、魅魔の力は、いわば神経を侵す毒や劇薬のようなものだ。身体にいいわけがない。
「わかった。ちょっと待ってて」
 立ちあがって自販機のところへ行く。ちらりと振り返ると、愛姫はベンチでうつむいていた。悠樹の行動を目で追う余裕すらないであろうことは計算のうちだった。
 自販機の陰に隠れるようにして、携帯電話を取り出す。アドレス帳から呼び出したのは、高橋の携帯の番号だ。
 一回の呼び出し音で、すぐに相手が出た。まるで、この電話を予期していたかのように。
『高橋だ』
「あ、犬神です」
 愛姫に聞こえないように、声を殺していった。
 歩けないほど調子が悪いのに、車で送られることを断ったのだから、おそらく高橋に相談することも快く思わないだろう。だから、電話するためには愛姫から離れる必要があった。
 今になってようやく納得がいった。愛姫がひとりで帰ろうとした時、高橋が悠樹に向けた意味深な表情。こうなることを予期していたのだ。
 きっと、これまでにもこうしたことはあったのだろう。しかし愛姫は、性格的に他人に弱みを見せたがらないに違いない。
 だから、無理に車に乗せようとせず、悠樹を一緒に行かせたのだ。悠樹なら、愛姫に邪険にされても平気でつきまとえる。立場上、高橋は愛姫に嫌われることはできまい。
「愛姫が……すごく、苦しそうなんです」
『だろうね』
 予想通り、驚いた様子のない返答。
「どうしたらいいですか?」
『まず、君の血を少し舐めさせろ。即効性はないが、明日以降のことを考えるとずいぶん違う』
「それはもうやりました」
『さすが、手が早いな。指を舐めさせたのか? それとも、いきなり口移しかい?』
 笑っているような声。
「笑い事じゃないでしょ。こっちは大変なんですから」
『いやいや、今はその性格こそが必要なんだよ。今、君にできるもっとも効果的な対処法は、姫ちゃんを抱くことだ』
「えっ?」
 聞き間違いかと思った。しかし電波の状態は良好で、高橋の声も明瞭だ。
『もちろん、君が大好きな意味での〈抱く〉だ。役得だな』
「ど、ど、どうしてっ?」
『鬼魔の力は人間を魅了し、性的に興奮させる。目の前の相手に抱かれたくて仕方がない、というほどに。そうして鬼魔は獲物を犯し、快楽に狂った獲物を美味しくいただくというわけだ』
「それは知ってます」
『だったら、その欲求を満たしてやればいい。血よりも精液の方が〈効く〉のは、鬼魔に対してだけじゃない。普通の人間ならこれも気休め程度だが、ふたりとも魅魔の力を持ってるんだ、今夜中には歩ける程度に回復するだろうし、明日にはほぼ全快していることだろう。なにもしなければ、少なくともまる三日は苦しむことになるけどね』
 淡々とした口調で説明する高橋。しかしそれを聞く悠樹は冷静ではいられない。
「いや……でも、マズイでしょ、それは。鬼魔の力に中てられて、おかしくなってる愛姫にそんなこと……」
 異性との付き合い方には節操がない悠樹ではあるが、しかし、まったくその気がない相手に無理やり手を出すことだけはしない。
 荒っぽいセックスはしても、本当の意味での乱暴はしない。
 美咲の教育の賜物だ。無意識のうちに、根本の部分では女の子に対して優しくするくせがついている。
『すると君は、姫ちゃんが三日三晩、自室に閉じこもって独りで苦しみ続ける方がいいと?』
「そんなこといってませんよ!」
『そうだな、こんなことを想像してみるといい。君が、すごく可愛くて床上手な女の子に手と口で濃厚な愛撫をされて、なのに挿入することも射精することも、ぎりぎりのところで許されない状態が延々と続く……と。その間は眠ることもできない。ただひたすら、狂ったように自慰に耽るだけだ。それで満たされることはけっしてないとわかっているのに、せずにはいられない。自然に毒素が抜けるまでの数日間、苦しみ続ける。姫ちゃんだから回復できるが、常人ならそれだけで発狂する例も少なくない。そんな展開の方がお望みだというなら、君は相当なサドだな』
「いいわけないでしょ!」
『だったら、やることはひとつだ』
「でも、その気のない愛姫に、そんな……」
 愛姫が正気なら、彼女とセックスできることは至上の悦びだ。しかし、今の愛姫はまともではない。そして今なら、悠樹が強引なことをしても抗うことはできないだろう。
 だからこそ、悠樹としてはそれができない。
『はたして、そうかな?』
「え?」
『だったらどうして、車で送られることを拒んだ姫ちゃんが、君が一緒に帰ることを黙認したんだと思う? 彼女ほどの頻度で鬼魔と戦っていれば、こうしたことは年に何度かはあるんだ。どんな症状が出るかはいやというほどわかっている』
「え、でも、だったら……」
 愛姫は、そういうつもりだったというのだろうか。
 鬼魔の力を中和するため、最初から、悠樹とセックスするつもりだった、と。
『本人に聞いても、絶対に認めないだろうけどね。普段はあんな態度だけど、でも、姫ちゃんは君に興味を持っているよ』
 悠樹にとってはありえないとしか思えないようなことを、高橋はいやに自信ありげにいう。
『何度もこんな経験をしながら、僕が知る限りまだ男性経験はない。そんな姫ちゃんが、こんな時に君と一緒に帰ることを受け入れたんだ。実は君が大好きで抱かれたかった――なんてことはさすがにないだろうが、おそらくは無意識に、万が一そうなってもいいか、くらいには思っていたんだろう。口でいうほどには、君のこと嫌っていないよ。単に、気になる異性との接し方を知らないんだ。それは僕も八木沢ちゃんも保証する』
「ほ、本当に?」
 まだ、確信が持てない。
 そのくらい、普段の愛姫の、悠樹に対する態度はきついものだった。
「でも、なんでそんなけしかけるようなことを? 俺は、……実は愛姫とあなたができてるんじゃないか、と疑ってたくらいで」
 悠樹が知る限り、愛姫の身近にいる唯一の男性が高橋だ。悠樹の存在は無視するか、そうでなければゴミ以下のように扱う愛姫も、高橋に対しては普通に礼儀正しく接している。
『心配するな、それはない。僕は単なる公安の嘉~家担当……ではないけどね。姫ちゃんは妹みたいなものだよ、文字通りの意味で』
「え……それって、もしかして……」
 愛姫に兄はいない。存命の家族といえば、ひとりだけ。
『そう。僕が付き合っているのは、水姫(みずき)の方だ』
 嘉~水姫――それは、今は海外に出張中だという、愛姫の姉の名だ。
 詳しくは聞いていないが、たしか、悠樹よりも少し年上、二十代の前半のはず。たしかに、三十前後と思われる高橋とは年齢も釣り合う。
『だから、気にせずにどんどんやればいい』
「いや……でも、妹だとしても、こーゆーことけしかけますか、普通? 自分でいうのもなんだけど、兄が、妹の彼氏としてオススメするようなタイプだとは思ってませんよ、俺」
『しかし、姫ちゃんには意外とお似合いじゃないかと思うよ。その、適度にいい加減な性格とか、女性慣れしてるところとか。あの娘は真面目すぎるところがあるからね』
「褒められているようには聞こえませんね」
『そしてこれが肝心なことだが、魅魔の力を持つ君は、姫ちゃんのことを理解し、対等に付き合っていける希有な人間だ。普通の人間が鬼魔との戦いに関わったら、長生きできない』
 たしかに。
 〈普通〉の世界に生きる〈普通〉の男では、愛姫と付き合っていくことは難しいだろう。あのボス狼や神流のことを考えれば、悠樹だって魅魔の力がなかったら、今ごろは無事ではいられなかったはずだ。
 しかし、魅魔の力を持つ悠樹であれば、愛姫と同じ世界で生きていける。それに高橋のいう通り、真面目で堅い愛姫には、悠樹のような軽い男の方が釣り合いが取れるのかもしれない。
『ポイ捨てさえしなければ、手を出したからって責任とれとはいわないよ。あと問題は……瀬田神流とうまく二股かけていけるかどうかは、君の甲斐性次第だな。健闘を祈る』
「いや、……えっと……最後にもう一度確認。本当に、愛姫は俺に、ちょっとでも好意を持ってると思ってます?」
 その保証がなければ、手は出せない。普段の愛姫なら、たとえ悠樹が無理やり襲ったとしても容易に拒むことができるだろうが、今は悠樹を受け入れたとしても、それが自分の意志とはいいきれない。
 だから代わりに、愛姫のことをよく知っている人間に保証してもらわなければ安心できない。
『思う、じゃなくて確信しているよ。もう少し時間があれば、本人の自覚も出てきたかもな。今夜、君が本気で口説いて姫ちゃんが陥ちなかったとしたら……そうだな、夏のボーナスを全額賭けてもいい。僕が勝ったら、君は姫ちゃんのパートナーとして頑張ること』
「……それなら、どっちに転んでも俺に損はないですね」
『ああ、あと、わかっていると思うけど、避妊はするなよ?』
「え? あ……そっか、そうですね」
 愛姫の治療に必要なのは、悠樹の〈体液〉だ。直に、愛姫の中に注ぎ込まなければ意味はない。
「でも、大丈夫ですか、それって?」
『問題ない。ピルを服用してる』
「愛姫が?」
 それは意外だった。付き合っている男もいないのに。
『いつ、鬼魔に襲われてもおかしくない生活を送ってるんだ。用心はしているさ』
「あ、そっか……人間と鬼魔って」
『ああ、交雑する。人間同士に比べたら確率は遙かに低いけどね。それに母親が人間の場合、大抵は出産前に発狂して死亡する。だからこそ、対策をしておく必要があるわけだ』
「……なんか、今の状態の愛姫に中出しって……すっげー罪悪感あるんですけど」
『しかし、今の姫ちゃんを助けられるのは君しかしない。役得だと思って楽しめばいい。運がよければ、そのまま一気にデレ期なんてことになるかもしれないぞ』
「デレた愛姫ってのも、想像しにくいですねー。ま、他に手はないみたいだし、頑張ってみますよ」
 通話を終えて、自販機でミネラルウォーターを買う。
 思っていたよりも長話になってしまった。愛姫は大丈夫だろうか。
 小走りでベンチに戻ると、愛姫は先刻と変わらず、ベンチに座ってうつむいていた。脂汗を浮かべ、苦しそうに呼吸しているのも変わっていない。
 キャップを開けたペットボトルを渡そうとしたが、腕を動かすのも辛そうだった。
 顎に手を当てて上を向かせ、ボトルを口に当ててやる。
 ひと口、ふた口。喉が動く。
 夜の闇に浮かびあがる、白くて細い首。触れてみたい、と思ってしまう。高橋とのあんな会話の後のせいか、どうしても平常心ではいられない。
 水を飲んで、またうつむく愛姫。
「飲み物ひとつ買うのに……ずいぶん、遅かったですね」
 責めているかのような口調。
 水を持ってくるのが遅かったためではあるまい。頭のいい愛姫のこと、悠樹がなにをしていたのか、感づいているのだろう。
 だから、隠さずにいった。
「あ……えーと……愛姫の容態について、相談してた」
「……そう……ですか」
 誰に、とはいわなかった。愛姫も訊かなかった。当然、わかっているはずだ。
 だとしたら、高橋と悠樹がどんな会話をしたのかもわかっているのだろうか。この後起こるかもしれないことを、予期しているのだろうか。
 もともと硬い表情だった顔が、さらに強張ったように見えた。苦痛に耐えているだけではなく、緊張しているように見えなくもない。
 ふと、思った。
 似ている、と。
 初めての時の、神流と。
 愛姫はまだ正気を保っている様子だから、当然、理解しているはずだ。この状況で、悠樹と二人きりでいて、この後、なにが起こるかを。
 ひと言、いってくれればいいのに。
 苦しいからなんとかして――と。
 愛姫から請われたという大義名分があれば、悠樹としても躊躇いなく手を出せる。
 隣に腰をおろした。身体が触れるほどの至近距離に。
 愛姫が微かに震える。
「身体……辛い?」
 もう一度、確認する。
 ここで強がる余裕があるなら、もう少し様子を見てもいい。
「…………ええ」
 しかし、愛姫は小さくうなずいた。微かな、蚊の鳴くような声で。
 普段の態度を考えれば、まったくその気がなければ弱音を吐くことなんて絶対にあるまい。状態がよくないことを認めるなんて、よほどのことだ。
 強がる余裕もないか、あるいは、苦しむよりも悠樹に抱かれる方がいいと――ほんの少しでも――思っているのか。
 後者なら、なにも問題はない。しかし、前者なら?
 悠樹のことなど大嫌いだが、それ以上に鬼魔の力が強いのだとしたら?
 痛みのようなわかりやすい苦痛ではないだけに、かえって辛いのかもしれない。しかし普段の性格を考えたら、愛姫の方から「抱いて」などという可能性は低いだろう。いってくれれば、悠樹としてもなんの気兼ねもなく手を出せるのだが。
 もしも愛姫の方からそんなことをいうとしたら、それは、鬼魔の力による苦しみが想像を絶するものである証だろう。
 そんな状態の相手を抱くなんて、悠樹のポリシーに反する。それでもやっぱり苦しんでいる愛姫なんて見たくない。
 だったら――
 悠樹が、悪役になればいい。
 悠樹の方から、強引に手を出せばいい。
 愛姫が悠樹に好意を持っているのならなにも問題はない。しかしそうではなかった場合、後で愛姫が「無理やり犯されたから仕方がない」といい訳できるように。
 身体の位置を数センチずらし、身体を密着させた。
 そのまま、肩を抱く。
 愛姫の身体がわずかに強張ったように感じたが、なにもいわない。
 顎に手をかけて、上を向かせる。
 顔を、近づける。
 愛姫は抗わなかった。
 ただ困惑したような表情で、全身を強張らせ、しかし瞳は潤んで、微かに開かれた濡れた唇は、なにかを期待しているかのようだった。
 キスしてもらいたがっている女の子が見せる表情。
 最後の数センチの距離を詰める。
 唇を、押しつける。
 ぶるっと震える愛姫。
 唇を割って、舌を挿し入れる。
 同時に、愛姫も応えるように舌を伸ばしてきた。
 ふたりの舌が絡み合う。
 しっかりと唇を押しつけてくる。
 貪るような、濃厚なキスだった。
 愛姫の身体に回した腕に力を込める。その身体は小さく震えている。しかし愛姫も、悠樹の身体に腕を回してきた。
「ん……んふ……ぅ、ん……」
 甘く、切ない吐息。
 悠樹の唾液を貪るような、激しい口づけ。
 まるで、熱愛中なのに遠距離恋愛をしている恋人同士が久しぶりに逢った時のように。
 抱きついて、身体を押しつけてくる。控えめな胸も、ここまで密着すればその柔らかな存在が感じられた。
 愛姫は、ひと言も「だめ」とも「いや」ともいわなかった。ならば、このまま行為を続けてもいいということだろう。
 服の上から、胸を包み込むように触れる。手の中にすっぽりと収まる、ごく控えめな膨らみ。しかし形は理想的な曲線を描いている。
 軽く手を動かしただけで、びくっと大きく痙攣した。かなり敏感になっているようだ。時間をかけた前戯など不要で、かえって焦らされているように感じるかもしれない。
 胸を愛撫していた手を、下半身へと滑らせた。
 今夜の愛姫が着用しているのは、深いスリットの入ったロングスカート。その隙間から手を入れる。
 薄い黒のストッキングの滑らかな手触りを楽しみながら、指を滑らせていく。おそらく、これまで誰にも触れさせたことがないであろう、正真正銘の秘所へと。
「――っっっ!!」
 全身をぶるぶると震わせる。
 しっかりと唇を重ねたままだったので声はなかったが、そうでなければかなり大きな悲鳴をあげていたと思われる反応だった。
 指先が触れたそこは、ストッキングの上からでもはっきりとわかるくらいにぐっしょりと濡れていた。染み出すほどの、まるで失禁したかのような量の液体。しかし、それにしては不自然なぬめりがある。
 こんな量の愛液を分泌するなんて、普通ではない。これが鬼魔の影響だろうか。悠樹とセックスした時の神流の反応を考えれば、鬼魔の力に侵された人間も、このくらいの反応をしてしまうのかもしれない。触れる前からこんなに濡れていたのだとすれば、耐え難いほどに辛かったのもうなずける。
 指を、押しつける。
 割れ目に沿って動かす。
「んんっ、んん――っっ、んふっ、んぅん――ッッ!」
 しっかりと重ねた唇の隙間から、嗚咽が漏れる。指を押しつけた部分から、熱い液体がじゅわっと染み出してくる。
 二度、三度、指を往復させる。その度に身体が弾む。
 いちばん敏感な肉芽の上に指を押しつけ、激しく震わせる。それに倍する勢いで愛姫が震える。
 悠樹を抱きしめている腕に、、痛いほどに力が込められる。唇がさらに激しく押しつけられ、歯が当たる。
「――――っっっっっ!!」
 全身を強張らせ、ぶるぶると震える愛姫。その度に蜜が滲み出て、悠樹の手を濡らしていく。
 そんな状態が数十秒間続いたかと思うと、不意にぐったりと力が抜けた。
 いったのだろうか。
 脱力した愛姫の耳元に口を寄せてささやいた。
「こういうことされて、いやじゃない?」
「……」
 なにも応えない。彼女の性格を考えれば、この状況での無言は悠樹を受け入れていると受け取ってもいいだろう。
「……こういうので、少しは、効果ある?」
「………………いいえ」
 しばらく間を置いて、否定の言葉が返ってきた。
「……なにか、誤解、してません……か? こんな状況でこんなことされて…………かえって、昂るだけです」
 今にも泣き出しそうなほどに潤んだ瞳が向けられる。言葉に出せないなにかを、悠樹に訴えかけるように。
 それで、理解した。
 ただ達しただけはだめなのだ。必要なのは悠樹の〈体液〉なのだ。
 考えてみれば、指での愛撫だけで満たされるものなら、そもそも自慰でも済む話だろう。
 やはり、ちゃんと最後までして、魅魔の力を含む精液で愛姫の胎内を満たさなければらないのかもしれない。
 だとすると、今のは逆効果だった。ただ、スイッチを入れてしまっただけになる。
 迷いは捨てよう――そう決心する。
 愛姫と、セックスしよう。たとえ彼女が口に出してそれを望まなくても、はっきりと拒絶の言葉がない限りは前に進もう。
 まだスカートの中にあった手を、少し移動させる。
 ストッキングに指をかけて、下ろそうとする。
 しかし、そこで愛姫は首を左右に振った。初めて見せる、拒絶の行動だった。
 やっぱり、嫌なのだろうか――そう思ったのは一瞬だけだった。続く言葉がその疑いを否定した。
「なにを……考えているんですか……こんな、場所で……」
 いわれて気がついた。たしかにその通りだ。
 ただでさえ真面目で、恋愛とかセックスには免疫のない愛姫。しかも初体験。なのに野外でなんて、彼女には難易度が高すぎる。
 それに愛姫の状態を考えれば、口を塞いでいなければかなり大きな声をあげそうだ。やはり屋外でというのはまずい。人目を気にせずふたりきりになれる場所へ移動するべきだろう。
 この公園へ来る時、すぐ傍にラヴホテルの看板が見えたことを思いだした。
「……少しだけ、歩ける? それとも、抱いていってあげようか?」
 返事の代わりに、愛姫は縋るように悠樹の腕を掴んだ。
 腰に腕を回して、寄り添って支えてやるようにして立ちあがる。
 どんなに辛くても、自分の脚で歩こうとするところが愛姫らしいと思った。


 公園を出てすぐのところにあった、ラヴホテルの一室――
 愛姫は、部屋の真ん中で硬直して立ち尽くしていた。
 表情も、身体も、これ以上はないくらいに強張っている。まるで彫像のようだ。
 初めてラヴホテルに入った時の神流のように、はしゃいだりはしない。神流と反応は違うが、ひどく緊張しているのは同じだろう。
 当然の反応だ。
 バージンの愛姫。セックスはもちろん、男と付き合った経験もないはずだ。それに性格的に、神流よりずっと真面目だ。同性相手なら性的な行為の経験は豊富だった神流とは違う。
 そんな愛姫が、恋人ではないどころか、好意を認めてすらいない、それも知り合って間もない男と、初めてラヴホテルに入った。そして、これから初体験をする。緊張しないわけがない。
 しかし、これはある意味いいことかもしれない。
 緊張して強張っているということは、まだ理性の方が優勢であることを意味する。鬼魔の力に支配されているのであれば、緊張などせずに悠樹を求めてくるような気がする。
 とはいえ、緊張しすぎるのもよくない。こんなにがちがちに緊張していては、ちゃんと感じてくれるかどうか不安だ。気持ちよくなって、愛姫を苛んでいる異常な性欲が満たされなければ意味がない。
 それに悠樹としても、愛姫が感じてくれないと困る。普通の状態で愛姫が望んだ行為ではないのだから、せめてうんと気持ちよくなって欲しい。
 まず、多少なりとも緊張を解くべきだろう。
 固まっている愛姫の背後から、腕を回して優しく抱きしめる。
 耳元に唇を押しつけると、硬い彫像のようだった身体がびくっと痙攣した。
「先に、一緒に風呂に入ろうか?」
 また、びくんと震える。
 錆びた機械人形のように、ぎこちなく振り向いた。
「な、な、なぜ、ですか? ひ、ひとりずつ、シャワーで、いいじゃないですか」
「愛姫、すっごい緊張してるだろ?」
「あ……あたりまえ、です」
「そんなに緊張して固まってたら、楽しめないだろ」
「べ……別に、楽しむため、では……ありません」
 愛姫にとっては、悠樹との行為はいわば〈治療〉だ。鬼魔の力を中和するため、という建前がある。
「でも、どうせするなら楽しくて気持ちいい方がいいじゃん? だから、まずは裸のスキンシップに慣れればいいかな、と。もし、それでどうしても嫌だと感じたら、やめればいいんだし」
「……」
 返答を待たずにバスルームヘ行き、浴槽にお湯を張った。
 戻っても、愛姫はぴくりとも動いていなかった。相当に緊張しているようだ。
 また、身体に腕を回す。
 優しく包み込むように、そっと抱く。
 全身を強張らせてうつむいたまま、愛姫は動かない。しかし、微かに頬の赤みが増したように見えた。
 頬に手を当てて、上を向かせる。
 唇ではなく、まずは頬にキスをする。
 そこから少しずつ、口の方へと移動しながらキスを繰り返す。
 最後に、唇を重ねた。
 愛姫は小さく身じろぎしただけで、抗いはしない。ゆっくりと舌を伸ばしていくと、ぎこちない動きではあるが、愛姫も応えて舌を絡めてきた。
 しばらく、お互いの舌の感触を楽しんでから、一度、口を離す。それでも愛姫の唇からは舌先が覗いていた。未練がましく、悠樹の舌を探すように蠢いている。
 少し間を置いてから、はっと気づいて恥ずかしそうに舌を引っ込める。さらに朱くなってまたうつむいた。
 手を伸ばして、愛姫の首に触れる。真白い、細い首。
 指を滑らせて、ブラウスの襟に触れる。いちばん上のボタンを外したところで、愛姫が身体を震わせた。悠樹から離れようとしたのかもしれないが、そうするには緊張しすぎていた。
「……じ、じ、じ、自分で、脱ぎ、ます! こ、こっち見ないでいてください!」
 悠樹の腕の中で身体の向きを変え、背中を向ける。しかし悠樹は放さない。
「だーめ。女の子を脱がせるのが好きなんだよ、俺」
「ゆ、ゆ、犬神さんって……ほ、本当に、ど、どうしようもない人、ですね」
「そう? 男としては至極まっとうな嗜好だと思うけど?」
 片腕で愛姫をしっかりと掴まえ、もう片方の手でスカートのファスナーを下ろした。
 足下に滑り落ちるスカート。
 黒のストッキングに包まれた、すらりと長い脚が露わになる。薄いストッキングの下に、純白の下着が透けて見えていた。
 愛姫の身体がさらに強張る。もう、掴まえていなくても逃げる余裕はなさそうだ。
 両手を使って、ブラウスのボタンをひとつずつ外していく。
 薄いキャミソールも脱がせる。
 その下から現れたのが、胸のない女の子に最近人気の、小さな胸を大きく見せる効果を売りにしているブラジャーだったことに思わず笑みがこぼれた。胸が小さいのを気にしてこうした下着を着けるような、普通の女の子っぽい愛姫は新鮮だ。
 しかし、以前傷痕を見せてくれた時のブラジャーは、このタイプではなかったことを思いだした。もしかしたら、悠樹を意識してのことなのだろうか。だとしたら多少は脈ありなのかもしれない。
 ブラを外されても、愛姫は身動きしひとつしなかった。普段の愛姫であれば、手で胸を隠そうとしそうなものだが、そんな余裕すらないのかもしれない。全身を強張らせて、微かにうつむいて、高熱に冒されているかのように速い呼吸を繰り返している。
 ストッキングも脱がす。
 愛姫の生脚をまともに見るのは初めてだった。洋服の時はストッキングとロングスカートを愛用しているし、浴衣姿や、稽古の時の袴姿でも脚を露わにはしない。
 すらりと長い、綺麗な脚だった。太腿のあたりをそっと撫でる。手触りも絹のように滑らかだ。
 そして、最後の一枚。
 純白の、派手な装飾のない下着は、愛姫らしい気がした。しかし今は透けるほどにぐっしょりと濡れている。
 〈湿っている〉ではなく〈濡れている〉だった。ゆっくりと下ろしていくと、秘所と下着の間に透明な粘液が糸を引いた。
 くるぶしまで下ろしたところで、緊張も限界に達したのだろうか、力尽きたようにその場に頽れた。顔は燃えるように真っ赤で、汗が珠になって浮かんでいた。
 その身体を抱き上げる。女子としては長身の愛姫だが、細身なのでそれほど重くはない。悠樹の方を見ないように顔を背け、相変わらず身体を強張らせている。
 一度、お湯が溜まった浴槽の縁に愛姫を座らせると、洗面所に戻って髪ゴムをとってきて、長い髪をまとめてやった。なにしろ、腰まで届くような髪である。そのまま浴槽に入れたら乾かすのが大変だろうが、今はのんびりドライヤーを当てている余裕もあるまい。かといって、この後の行為がかなり激しいものになりそうなことを考えると、濡れたままの髪では後が大変だ。
 愛姫を背後から抱きかかえて、湯の中に身体を沈めていく。二人分の体積で、湯が浴槽の縁を越えてざぁっと溢れ出した。
 さほど大きくない浴槽の中で、ふたりの身体が密着する。服の上から抱きしめるのとはひと味もふた味も違う心地よさがあった。
 しかし、愛姫の身体は相変わらず強張っていた。やはり、これ以上はないくらいに緊張しているようで、後ろから見ると耳たぶまで真っ赤に染まっているのがわかる。
 腕に少し力を込めて、うなじに唇を押しつけた。
 びくっと震える。
 短く、甘い声が漏れた。
「髪の長い女の子がたまにうなじを見せると、なんか、すっごくエロく感じるな」
「…………い、犬神さんは、いつもそんなことを……考えているのですか?」
 応える声は、緊張を反映して微かに震えている。
「いつもってわけじゃないけど、可愛い女の子と一緒に風呂に入ってて、そんなことを考えない方が失礼じゃね?」
 わざと、軽い口調でいった。
 お気に入りの、しかし陥とすのは難しいと思っていた女の子と、いきなりこんな展開になって、正直なところ悠樹も緊張していた。そもそも愛姫は、普通ならただ話をするだけでも緊張してしまうような、近寄りがたい雰囲気の美人なのだ。
 同じく超高レベルの美少女であっても、人懐っこくて親しみやすい雰囲気の神流とは違う。悠樹が女の子慣れしているとはいっても、これまで親しくしてきた相手は、明るくてノリの軽いタイプが多く、愛姫のようなタイプは初めてだ。
 だからこそ、あえて軽薄な態度をとっていないと、こっちまで緊張してしまいそうだった。そうなったら話が進まない。
「ところで、俺のこと、苗字じゃなくて名前で呼んでくれない?」
「……ど、どうして……ですか」
「その方が、親しい感じがするだろ? せっかくだから、恋人感覚でいたいじゃん。その方が興奮するし。今この場だけでもいいから、さ」
「………………ゆ……悠樹、さん?」
 思わず、抱いている腕に力が入った。
「やべ、今の、すっげーよかった。めっちゃ興奮した」
「……………………み、みたい……ですね」
 今の体勢では、すっかり大きく硬くなった悠樹の股間は、愛姫のお尻に押しつけられている。当然、気づいているだろう。初めてだろうと緊張していようと、今の愛姫は、性的な刺激に対しては普段よりもずっと敏感になっているのだ。
 いうまでもなく恥ずかしいのだろう、お湯に顔が浸かるくらいに縮こまってうつむいている。
「愛姫は、どう? 名前で呼んでみて」
「…………こ、恋人でもない、のに……こんな……恋人みたいな……お……おかしな、話、です……」
「俺とこうしていて、いやじゃない?」
「…………」
 否定も肯定も帰ってこない。
 愛姫の性格を考えれば、これは肯定と思っていいだろう。本当に嫌なことは嫌といえる性格のはずだ。
 ところが、
「い…………いや、では……ない、です」
 驚いたことに、はっきりと口に出して答えてくれた。
 やっぱり、少しは好意を持ってくれていたのだろうか。
 だとしたら、なにも遠慮することはない。後ろめたさを覚えることもない。
 これで障害はなくなった。あとは、うんと気持ちよくしてあげて、欲求を満たしてやろう。
「……ぁっ」
 手を、愛姫の胸の上に置いた。
 ごくごく控えめな膨らみ。だけど、綺麗な曲線を描いている。形は悪くない。
 先端の突起も小さいが、今は固くなって突き出していた。
 その突起を、手のひらで転がすように刺激する。
「ぃ……っ、んっ、……んんっ、んくぅっ!」
 手をほんの少し動かしただけで、甲高い声が漏れた。恥ずかしそうに口を手で押さえているが、声を完全に抑えることはできないようだ。
「ひぃん……っ! んぁぁっっ!!」
 指で乳首をつまむと、声はほとんど悲鳴と変わらないものになった。浴槽の中で大きく身体を捩る。バシャバシャと湯が波立つ。
 つまんで、ひっぱる。
 左右に回すように捻る。
 指の腹で押し潰すようにして転がす。
 どんな愛撫にも、愛姫は激しく反応した。
 胸を愛撫しながらうなじに唇を押しつけ、痕が残るくらいに強く吸った。
「あぁぁっっ、あぁぁ――っっ!!」
 必死に、悠樹の手から逃れようと暴れる愛姫。しかし、もう一方の手を腰に回して、しっかりと掴まえている。
 その手を、下腹部へと滑らせていく。
 滑らかな肌。その下の狭い茂み。さらに、その奥。
「や……っ、んぁっ! あはぁぁぁっ!!」
 湯の中だというのに、そこはぬるりとした感触に包まれていた。洗い流される愛液よりも、新たに分泌される量の方が多いのだろう。
 割れ目の中で、指を前後に滑らせる。
「ふぃぃっ! ひぃぅぅっっ――――っっっ!」
 びくっと震える。
 上体を仰け反らせ、ぶるぶると震える。
 やがて、全身から力が抜けて、悠樹にもたれかかってきた。
 軽く触っただけなのに、いってしまったのだろうか。
「……い……ゆ、悠樹、さん……」
 愛姫が首を巡らせる。
 紅い瞳はどことなく虚ろで、いっぱいに涙を湛えていた。それは哀しみの涙ではなく、堪えきれないほどの快楽によるものだ。
 悠樹を捉えようとして、しかし焦点の合わない瞳。微かに開かれた唇。
 声には出さないが、もっとして、と訴えている。
 無言の誘いに答えて、悠樹は中指を膣内に滑り込ませた。
 ぬるぬるとした粘液で満たされた、小さな穴。熱く火照って、柔らかくほぐれている。けっして広くはないが、指一本でも痛いほどきつかった神流とは違い、指は比較的スムーズに飲み込まれていった。
「や……ぁ……っ、あぁっ!! ゆうき……さん、の……指……ふと……ぃ……っ」
 愛姫はぎゅっと目を閉じて、眉間に皺を寄せる。
 それは痛みに耐えているというよりも、悠樹の指の感覚に意識を集中しているように見えた。
「太いって、自分の指と比べて? 自分で、指、挿れたことあるの?」
 指をゆっくりと奥へ進めながら、耳元でささやく。ついでに、耳たぶを軽く咬む。
 切なげに首を振る愛姫。
「そ……それは……っ、わ……私だって、た、た、たまには、そういうこと……くらい、し、します! い、いけませんかっ?」
 一瞬だけ恥ずかしそうに言葉を詰まらせた愛姫は、すぐに逆ギレしたように叫んだ。
「いいや。するのが当然だよね、女子高生なら」
「そ、れに……っ、鬼魔の力に……侵されている、と……、無駄とわかっていても……ゆ、指が……勝手に」
「そうなんだ。それは辛いだろうな」
「………………ええ」
 愛姫にとって鬼魔は、どれだけ憎んでも足りない宿敵。その力に侵されることはどうしようもない屈辱なのに、欲求に流されて自分で慰めずにはいられない。なのに、どれだけしても満たされることはない。
 そんな状態が何日も続き、眠ることもできないのだ。
 辛いどころではあるまい。
 助けてやりたい。楽にしてやりたい。
 それは単に肉体的なことだけではなく、精神的にも、だ。
「そういえば愛姫って……好きな男とかいないの?」
 話をしながらも、指での愛撫は続けている。中指は根元まで埋まって、指先は子宮口をくすぐっていた。
 愛姫の下半身がぶるぶると痙攣している。
「い……るよう……に、みえ、ます……か」
 見えない。悠樹が見る限り、高橋以外には周囲に男の気配すらなかった。
「じゃあ、好みのタイプとかは?」
「…………すくなくと……も、貴方……みたいな……では、ぁっ……ありま……せ、んっ」
 愛姫の中で、ゆっくりと指を動かす。
 ごくごく、優しく。
 それだけでも愛姫はすぐに絶頂に達し、全身を何度も痙攣させた。
 最初は硬さがあった声も、徐々に高く、そして甘くなってきている。
「それは残念だな。俺は、愛姫みたいな女の子は大好きなのに」
「あ……貴方は……女性なら……セックスできる、なら……、誰でも……いい、の、では」
 指の動きに合わせるように、途切れ途切れの声。
「んなことないよ。やっぱり魅力を感じる相手の方が抱いていて楽しいし、気持ちいいさ」
 ストライクゾーンが広い方だという自覚はあるが、それでも絶好のホームランコースと、内野安打がせいいっぱい、くらいの違いはある。男は、女に比べれば気持ちが性感に与える影響は小さいというが、それでも皆無というわけではない。本当に好きな相手、魅力的な相手の時は、自分でも興奮の度合いが違うのがわかる。
 男の悠樹がそうなのだから、愛姫ならなおさらだろう。
「だから愛姫も、今だけでも、ふりだけでもいいから、俺のことを好きだと思って」
「え……?」
「名前の呼び方と同じ。どうせするしかないんだから、我慢して嫌々するよりも、楽しんで、気持ちよくなった方がいいだろ? たとえば……将来、自分の初体験を想い出した時、嫌な相手と仕方なく、よりも、当時好きだった相手と、って方がいい想い出になるだろ? だから、ふりだけでもいいから、今だけは相思相愛の恋人ってことで」
 すぐには返事はない。
 うつむき加減に、考え込んでいるような表情だ。
 答えを促すように、挿入した指を小刻みに動かす。啜り泣くような声が漏れる。
「……わっ、わかり……ました。今だけ……と、いうことなら……努力、して……みます」
 これまで以上に小さな声。それでも、不思議とはっきり耳に届いた。
「だけど……それなら、貴方も……」
「え?」
 愛姫が首を巡らせる。
 紅い瞳が悠樹をまっすぐに見据える。
「……今は……あの、狼、のこと……忘れて、ください」
「――っ」
 たしかに、その通りだ。恋人のように振る舞うなら、そうでなければならない。
 先日、美咲にもいわれたではないか。何股かけるのもいいが、常に、その時一緒にいる女の子を最愛として扱え――と。
 心の中で神流に謝る。そもそも神流も、今のところ正式な恋人というわけではないのだが。
 愛姫と神流、容姿も性格もタイプはまるで違うが、どちらも魅力的で、正直なところ、片方だけを選ぶなんてとてもできない。
 だから、今だけは、ごめん――
 もう一度心の中で謝って、しばらくの間は神流のことを忘れることにする。
「じゃあ今から、俺たちはラヴラヴ熱愛中の恋人同士、という設定で」
「……っ! そ、それは、お、大げさ、すぎます」
 愛姫の顔は、茹でたように真っ赤になっていた。
 湯の中でずっと愛撫を続けていたせいもあって、のぼせているのかもしれない。
 立ちあがって、先刻よりは幾分緊張が解けたように感じる愛姫の身体を抱きかかえた。
 バスルームを出たところで、愛姫の身体をバスタオルで軽く拭いてベッドに横たえる。
 自分もベッドに腰をおろし、愛姫の姿を見おろす。
 贅肉のない、すらりとした細身の綺麗な身体。
 腕も脚も、細くてすらりと長い。この細腕で真剣を振り回しているなんて、自分の目で見ていなければとても信じられないところだ。無駄な脂肪がないだけで、必要な筋肉はちゃんとついているのだろう。
 もともと、脂肪のつきにくい体質なのかもしれない。身長の割に胸の膨らみもごく控えめで、裸で仰向けに寝ているとほとんど平らに見えた。
 ウェストは、大抵の女性が憎しみを覚えそうなほどに細くくびれている。そこから腰、そして太腿へかけてのなめらかな曲線は、まるで美の女神の手による造形のように美しい。
 脚の間の黒い茂みは、密度が濃い割に面積は狭めの逆三角形。今は濡れて、よりいっそう黒みが増している。
 その下のシーツも濡れていた。染みは現在進行形で拡がり続けている。今は触れてもいないのに、相変わらず愛液が溢れ出しているようだ。
「あ……あまり、じろじろ……見ないで、ください」
 恥ずかしいのか、愛姫は横を向いたまま、一度も悠樹と目を合わせようとはしない。
 頬は紅く、呼吸も相変わらず速く荒い。
「綺麗な身体だから、つい見とれちゃうんだよ」
「そ、そんなの……嘘、です……こんな……傷だらけの、身体……」
 たしかに、愛姫の身体には以前見せてもらった通り、左の鎖骨から胸の間を通って右の脇腹まで続く、大きな傷痕があった。
 子供の頃に、鬼魔に引き裂かれた傷。
 他にも、もう少し小さな、鬼魔との戦いで刻まれた傷痕がいくつもある。クラスメイトの前で着替える時など、どう思われているのだろう。
 しかし悠樹の目には、傷痕が愛姫の魅力を減じているとは映らなかった。
 むしろ、逆だ。
 この傷痕は、嘉~愛姫という人間の生き様の証だ。彼女の強い想いが、この傷に込められている。
 傷痕に沿って、指を滑らせる。愛姫の身体がはっきりと強張った。今はどんな刺激も快感として受けとめてしまう状態だったが、今回ばかりはそれ以外の要素が含まれた反応に見えた。
「完璧な姿が、必ずしも完璧な美につながるとは限らないさ。ミロのヴィーナスもサモトラケのニケも、完璧じゃないからこそ美しくて魅力的なんだ。この傷も、その類だと思うよ」
「そ、それに……む、ね……も、小さい……ですし」
「女の子の胸は、大きくても小さくても、それぞれ魅力的だよ。大事なのは大きさよりも形と感度だな。どっちの基準でもこの胸は優等生だ」
「……や、やっぱり……女性なら、なんでもいいんじゃ……」
「違う!」
 意図的に、強い口調でいった。
 大抵の女性から嫉まれそうなほどに美人なのに、愛姫は意外なくらい、自分の女性としての魅力を過小評価しているようだ。同世代の男性と接することに慣れていないせいだろうか。
 胸のサイズに対するコンプレックスも相変わらずだ。
 そんな態度も可愛いのは事実だが、緊張をいや増す要因であるのも間違いない。
 このタイプには、コンプレックスを取り除いてやることが効果的だ。こちらも恥ずかしがったりせずに、いかに魅力的かをはっきり言葉にして伝えてやるべきだ。
「愛姫だから、この、愛姫だから、いいんだ。……ほら、こっち見て」
 促されて悠樹を見た愛姫は、一瞬、驚いたように目を見開き、慌てて恥ずかしそうに視線を逸らした。
 悠樹の下半身が目に入ったから。
 これ以上はないくらいに興奮しきった男性器は、経験のない女の子にとってはびっくりする大きさだろう。愛姫が、無修正のアダルトビデオを見慣れているとは思えない。
「愛姫が魅力的だから、こんなになってるんだ。好きな女の子の綺麗な裸を見て、興奮しない男はいないぞ」
「ほ……本当に……です、か」
「口でいってもまだ信じられないなら、身体で思い知らせてやるよ」
 愛姫の上に覆いかぶさって、身体を重ねた。
 傷の部分を別にすれば、柔らかくて、吸いつくように滑らかな肌だった。
 細い身体を、優しく抱きしめる。
 恐る恐る、という風に、愛姫も腕を回してくる。しかしその腕には、意外なくらい力が込められていた。
 紅潮した頬、潤んだ瞳、そして、熱い吐息。
 今すぐ挿れて欲しい、と悠樹を誘っているようだ。
 ふたりの顔が近づく。鼻先が触れるほどの距離に。
「好きだよ、愛姫」
「……わ、私、も……悠樹さんの、こと……好き、です……今だけは」
 律儀に「今だけ」とつけ加えるところに苦笑する。それでも「好き」といってくれたのは進歩だし、素直に嬉しい。
 唇を重ねる。
 すぐに、愛姫の方から舌を伸ばしてきた。貪るような激しいキスだ。
 悠樹の身体に回された腕にも、さらに力が込められる。悠樹も愛姫の身体をしっかりと抱きしめた。
 ふたつの身体が密着する。滑らかな肌の感触が気持ちいい。一日中だって撫でまわしていたいくらいだ。
 しかし、今はそれどころではない。そんなことをしていたら、今の愛姫にとっては愛撫どころか拷問だ。
「あ……っ、ぁんっ……」
 身体を小刻みに震わせている。胸や下腹部を擦りつけてくるような動作だった。
 なにを求めての動きなのか、よくわかっている。悠樹も応えるように腰を突き出した。
「ふぁあっっ! ぁんっ!!」
 硬く反りかえったペニスの先端が、ぬるりとした感触に触れた。
 それだけで愛姫は悲鳴をあげる。
 下半身を震わせて、潤んだ瞳を悠樹に向ける。
 魔物を魅了する、深紅の瞳。その魅魔の瞳は、しかし今は悠樹も魅了していた。見つめていると、魂を鷲づかみにされるような感覚すら覚えてしまう。
 ゆっくりと腰を突き出す。先端が、濡れそぼった秘裂の中心に押しつけられる。愛姫が、もどかしそうに腰をくねらせる。
 濡れた粘膜が吸いついてくるようだ。そのまま、悠樹の分身を飲み込もうとしている。
「なにが触ってるか、わかる?」
 泣きそうな顔で、こくんとうなずく愛姫。
「これが、欲しい?」
 今度は二度うなずいた。
「じゃあ、ちゃんとそういって?」
 促すように腰を動かして、しかし、まだ挿入はせずに焦らす。
 愛姫は腕に力を込め、悠樹の背中に軽く爪を立てた。
「……挿れて……ください…………もう……我慢、できません……ゆ、悠樹さんの……悠樹さんの……ペニスで、気持ちよくして……くださいっ」
 いっていて恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、ぎゅうっとしがみついて唇を押しつけてきた。
 悠樹は感動すら覚えていた。あの愛姫が、ここまでいうなんて。
 その願いに応えるように、軽く腰を突き出した。柔らかくほぐれた粘膜の中に、先端が少しだけ潜り込む。
 無意識により深い挿入を求めているのか、愛姫が下半身を押しつけてくる。そこで、わざと逃げるように腰を引いてやる。悠樹を追って、さらに腰を突きあげてくる。
 そのタイミングを見計らって、悠樹も下半身に力を込めて突き出した。
「ひっっ!! あっ、あぁぁぁぁ――――っっっ!!」
 一瞬の、処女の証が引き裂かれる感触。
 ローションを満たした袋が破裂したかのように溢れ出てくる蜜。
 愛姫が全身を強張らせる。
 びくっ、びくっと痙攣し、口から泡混じりの唾液を飛び散らせている。
 公園からここまで、さんざん焦らされて、ようやく本物の男性器を挿入されたのだ。それだけで激しい絶頂を迎えてしまったようだ。
 しかし、まだ、悠樹の分身は全体の半分ほどしか愛姫の中に収まってはいなかった。二度、三度、小刻みに腰を動かして、角度を調整する。
 そして、一気に奥まで突き挿れた。
「ひぃああぁぁっっっ! ひぃゃぁぁぁぁぁ――――っっっっ!!」
 最初の挿入時以上に、大きな声で絶叫する。
 潮吹きか失禁か、濡れた感触が下半身に伝わってくる。
 先端がいちばん深い部分を突きあげているのを感じる。それでも、さらに奥まで押し込むように体重をかけた。
「ひぃぃぁぁんっ! あぁぁ――っっ! んぅぁぁぁ――――っっ!!」
 下半身に力を入れるたびに、少しでも動くたびに、愛姫の身体が痙攣する。悲鳴が上がる。
 その度に、結合部の潤いが増していく。
 愛姫の膣は、さすがに神流のように痛いほどの力で締めつけてくるきつさはない。だけど中の襞には神流とはまた違った複雑さがあり、そしてなにより、まるで悠樹のサイズと形に合わせてあつらえたように、ぴったりと吸いついてくる感触だった。
 押し込む時はもちろん気持ちがいい。しかしそれ以上に、引き抜く時はまるでバキュームフェラでもされているような密着感と、幾重にも連なる襞が引っかかってってくる刺激が、気が遠くなるほどに気持ちよかった。
 しかしもちろん、愛姫は悠樹の何倍も、あるいは何十倍も気持ちいいのだろう。
 奥まで突き挿れるたびに。
 入口ぎりぎりまで引き抜くたびに。
 その一往復ごとに、絶頂に達したかのような悲鳴をあげている。
 悠樹の動きに合わせて、愛姫も腰をくねらせる。膣の粘膜も蠢いている。
 より深く悠樹を迎え入れようとするかのように。
 より強い刺激を悠樹から得ようとするかのように。
「はぁぁぁっっ、あぁぁっっ!! はぁぁッあぁぁぁぁ――――っっ! あっはぁぁぁっんんっっ! ん……んぅぅんんっ!」
 腕は万力のような力で悠樹にしがみつき、長い脚も絡めてくる。全身で密着して、それでもまだ足りないというように唇を貪ってくる。千切れそうなほどに舌を伸ばし、悠樹の舌と絡め、唾液を啜る。
 しっかりとしがみついているのに、腰だけは別の生き物のように蠢いて、弾むほどに暴れている。結合部は、それでも抜けないくらいに強く吸いついてくる。
「気持ち、いいのか?」
「い、いぃぃっ! いィっ! 気持ちっイイですっっ!! すごっ……ぉあぁっ! おっ、大きいのがぁっ! こんな……ぁぁっ、はじめてですっっ!! い……っ、いですっ! いぃっ、いぃっイィっ、イイです――っっ!!」
 普段の愛姫からは想像もつかない激しい乱れっぷりだた。絶叫しながら、腰の動きは一瞬たりとも止まらない。大きくくねらせて、結合部から飛沫を飛ばしている。
 悠樹も、タイミングを合わせて、より深く貫くように腰を前後させる。
「あぁぁっっ、はぁ……ぁぁぁっっっ!! すごいっ! ゆっ……悠樹さんのっ、ペニスがぁっ! すご……ィっ、深……まで……ぁぁぁっ! い……っぱい……めちゃめちゃに、擦られて……ぇぇっっ! だっだめぇっ!! そんな……っ、激し……ィィっ! ゆ、悠樹さんっ! ゆ……ぅきさぁんっ!」
 生真面目で、いつも怒ったような表情ばかりを見せていた愛姫が、こんなに乱れていやらしい言葉を連呼するなんて。
 そのギャップが悠樹をさらに昂らせる。愛姫を貫いているものが、さらにサイズと硬度を増したように思えた。
 気持ちいい。
 すごく、気持ちいい。
 ローションを一本まるごと流しこんだような愛液まみれの膣は、ひと突きごとに熱い蜜を噴き出して、ふたりの下半身とシーツを濡らしていく。
 あの愛姫をこんなにしてくれるなんて、あの雌狼も粋なことをしてくれる――ちらりと、そんな罰当たりなことさえ考えてしまう。
 多少なりとも悠樹のことを気にしてくれていたとしても、何事もなければ、肉体関係を持つなんてまずなかっただろうし、もしもあったとしても遠い未来のことだっただろう。
 ましてや、こんなに猥らな姿なんて。
「ゆ……っ、悠樹さんっ悠樹さんっ!! 悠樹さんっ悠樹さんっ悠樹さぁぁぁ――――っっっっ!! あぁぁぁ――――っっっ!!」
 名前を連呼しながら、その回数だけ腰を振る愛姫。
 どんどん加速して、小刻みに震えるような動きに変わっていく。
 どうやら終わりが近いらしい。悠樹も、もう長くはもちそうにない。愛姫の中はただでさえ気持ちいいのに、こんなに激しく動かれては。
 悠樹もフィニッシュに向けて加速する。
 震えるような小刻みな動きの愛姫とは逆に、大きな動きで、入口から最奥まで、強く、深く、叩きつけるように突き挿れる。
「あぁぁぁぁぁ――――っっ!! ゆっ、ゆうきさんっ、ゆうきさんっ、ゆうきさんっ! ゆうきさぁぁぁぁぁ――――っっっ!!」
 泣いているような声の絶叫。
 悠樹が、ぎりぎりまで堪えていたものを一気に解き放つのと同時に、背中に喰い込むほどに爪を立てられ、肩のあたりに噛みつかれた。
 愛姫は下半身だけではなく、引きつけを起こしたかのように全身を激しく痙攣させていた。絶叫の最後はもう声にならず、ひゅうひゅうと空気が鳴る音だけが響いていた。
 いちばん深い部分で、何度も何度も脈打つペニス。その微かな動きさえ気持ちいいのか、同じリズムでびくっびくっと震える愛姫。
 注ぎ込まれる大量の精液を、まるで喉を鳴らして飲み下すように、膣が収縮を繰り返していた。


 数分後。
 激しすぎる絶頂が治まってひと息ついた愛姫は、悠樹の下から這い出して上体を起こした。
 まだ呼吸は荒いが、先刻までよりは幾分落ち着いた雰囲気だ。このまま回復に向かうのだろうか。しかし、愛姫や高橋の話から察するに、一度セックスしたからといって、それですぐに全快するものではないらしい。だとすると、これは一時的な小康状態だろうか。
 悠樹とは目を合わせようとしない。横顔は、頬はまだ紅みを帯びているが無表情で、なにを想っているのか読めなかった。
 無言で、自分が座っているベッドを見おろす。
 その視線の先にあるのは、シーツに残った、紅い染み。
 愛姫の、純潔の証。
 しばらく見つめていて、ふいっと顔を逸らした。
「後悔、してない?」
「……別に」
 表情同様に、感情の感じられない抑揚のない声が返ってくる。
「……こんなの……いつまでも大事にしていたって……、煩わしい、だけです」
 自分にいい聞かせているような口調だった。
 やっぱり、多少は後悔しているのかもしれない。それも無理もない、と思う。
 鬼魔の力に侵されて、その場の勢いで悠樹と……なんて。たとえ悠樹に好意を持っていたとしても、愛姫の性格を考えれば、きちんと付き合ってもいない相手と肉体関係を持つことには抵抗があるだろう。
「……高二にもなれば、クラスでも経験ずみの子は多いですし……ちょうどいい機会です」
 いいながら、こちらに背を向けて、悠樹の腹を枕にするような姿勢で横になった。
 悠樹に甘えているように見えなくもないが、おそらく、顔を合わせるのが恥ずかしいというのもあるのだろう。
 呼吸に合わせて、肩が上下している。まだ呼吸は荒いし肩も背中も汗まみれだが、それでもどこか充実した疲労感が感じられた。
「……!」
 愛姫の手が、腹の上に置かれた。そのまま、愛しむように撫でまわす。
 まだ、完全に正気に戻ったわけではないのだろう。しらふであれば、自分からこんなことをするとは思えない。
 手が、徐々に下へと移動していく。
 愛姫の汗と愛液で濡れた下腹部。
 その下の、まだ勢いを失っていない男性器。
 恐る恐る、といった手つきで触れてきた。
 指先で軽く触れ、熱いものに触れたかのように慌てて手を引っ込め、また、恐る恐る手を伸ばして、今度は一度目よりも少しだけしっかりと触れてくる。
 そんな動きを二度、三度と繰り返した後で、手で包み込むように優しく握った。
「……信じ、られません。こんな……すごく、大きい……です。こんなに大きな……それに、硬くて、熱くて……こんな……が……わ、私の、中に、入っていたなんて……絶対、なにかの間違いです」
 そういいながらも、優しく握ったままゆっくりと手を動かす。
「正真正銘、現実だよ。覚えてない? それを根元まで全部挿れられて、めちゃめちゃに感じて悶えてたんだぞ」
「――っ!」
 わざと、からかうようにいってやる。
 怒ったのか、それとも照れ隠しか、握っていた手に力が込められる。腹に軽く歯を立てられる。しかしどちらも痛いと感じるほどではない。
 歯を立てて、そのまま唇を押しつけた体勢で、下へと移動していく。舌先で悠樹の身体をくすぐっていく。
 手で握っていたものの手前まで移動して、止まる。
 吐息の熱さが感じられるほどの至近距離だ。出したばかりだというのに、もう限界まで昂ってしまう。
「……やっぱり……大きい、です。それに……間近で見ると……なんだか、怖い」
 言葉とは裏腹に、そうつぶやく声は甘い。
 ふぅっと息が吹きかけられる。くすぐったくて、だけど気持ちいい。
 続いて、息よりも質感のある、しかし柔らかな感触。唇が触れ、すぐに離れた。
「あ、あの……い、今は、こ、こ、恋人同士っていう……ことになっているんですよね?」
「ああ」
「こ、恋人、同士って……こ、こういう、こと、する……んです、よね?」
「そうだね。するのが普通だね」
「だ、だったら……して、みても……いい、ですか?」
 妙に自信なさげな声で訊いてくる。したくて堪らない、だけど断られたらどうしよう――そんな雰囲気だ。
「もちろん、いいよ。ってゆーか、ぜひともして欲しいんだけど、いいか?」
「…………は、はい!」
 今度は、柔らかくて濡れたものが触れてきた。愛姫の舌先が、また、一瞬だけ触れたようだ。
 もう一度、二度。少しずつ、接触している時間が延びていく。
 そして、軽く開かれた唇が、しっかりと押しつけられた。先端を少しだけ口に含む。
「か、変わった、味、です。。……でも……なんだか、美味しい……ような、気も、します」
「当然。女の子にとっては、好きな男の精液ってすごく美味しく感じるんだってさ。でも、好きな相手のじゃなきゃとても飲めない味ともいってたけど」
「そう……ですか。それなら……い、今だけは、美味しく感じても……当然、なのですね。でも」
 また、舌が押しつけられる。根元から先端まで、ゆっくりと舐めあげていく。
「……それを誰がいっていたのか、は訊かないことにします」
 どことなく、責めるような口調に感じられた。他の女性の話題を出したことを妬いているのかもしれない。
 ちなみに、発言の主はいうまでもなく美咲だ。
 だから、愛姫がそれ以上追求してこなかったのは幸いだった。神流のことはまだしも、実の叔母と肉体関係を持っている――しかも初体験の相手――だなんて、知られない方が無難だろう。せっかく、多少は好意を持たれているらしいのだから、嫌われるようなことはしたくない。
「じょ、上手にできないとは、思います……が」
 ゆっくりと口に含んでいく。唇が窄められ、濡れた舌が絡みついてくる。
 少しずつ奥へとくわえていきながら、もぐもぐと口を動かしている。先端が喉に達したところで一度動きを止め、そこからさらに根元まで呑み込んだ。
 先端は喉まで達していて、亀頭が締めつけられる。
 さすがに苦しいのか、数秒間ほどで口を離して咳き込んだ。
「そんな、無理に奥までくわえなくていいよ」
「そ、そう、なんですか? あの……よく、わからなくて……どうすれば悠樹さんがよくなるのか……教えて、ください」
「やりたいようにやればいいよ。俺は、愛姫にしてもらってるってだけで、すっげーいいんだから」
「そ、そう……なんですか? ……わかりました。やってみます」
 愛姫は一度上体を起こして、悠樹からも顔が見える位置に身体の向きを変えた。
 ちらり、と一瞬だけ悠樹を見る。
 顔にかかる長い髪を片手でかき上げ、もう一方の手で悠樹の根元を握って、その先端をもう一度口に含んだ。
 今度は、無理に奥まで呑み込もうとはしない。ちょうど、亀頭を舌で愛撫しやすいくらいの深さだ。
「ん……んぅ……んくっ、ぅぅぅん……っ、んふぅ」
 小さな呻き声を漏らしながら、吸う。
 舌先でくすぐる。
 舌を押しつけて、舐める。
 唇を窄めて、締めつける。
 そのまま、ぎこちなく頭を動かす。
 初めてなのだから当然だが、けっして、巧いとはいえないぎこちない動きだ。しかし、無理にしているのではなく、自分の意志で、その行為を好きでしている、したくてしているという熱意が伝わってくる口戯だった。
 だから技巧的には拙くても、悠樹としてはすごく気持ちいいし、興奮する。
「んふぅ、ぅぅんっ! んっ、ぁんっ、あぅ……んっ!」
 唇の端から漏れる吐息が、だんだん切なげになってくる。鼻にかかった甘い声だ。
 頬が、真っ赤に染まっている。顔中に汗が滲んでいる。
 見ると、片手は悠樹のものを握っているが、もう一方の手は、彼女の下半身へと伸びていた。身体の陰になってよく見えない位置で、なにやら小刻みに蠢いている。
 自分で触れているのだろうか。
 口でしているうちに自分も興奮して、我慢できなくなっているのだろうか。
 そう考えるだけで昂ってしまう。
 技術的にはまだまだ未熟な愛姫のフェラチオ。しかし、唇と舌の感触はすごく気持ちがいい。膣同様に、柔らかく吸いついてくるような感覚だった。
 その上、愛姫のような超級の美女が、フェラチオに夢中なって興奮のあまり自慰に耽っているなんて。
 こんなあられもない姿を見せられては、もう我慢できない。悠樹の興奮も一気に高まっていく。
「もう、イキそう……だ。口に出すから、全部飲めよ!」
 外に出す、などという考えは毛頭なかった。もちろん、愛姫の〈治療〉のためには直に飲ませることが必要なのだが、それは口実に過ぎない。ただ雄の本能で、愛姫の口を自分の精液で満たしたかった。
 愛姫の頭を押さえて、腰を突き出す。
 苦しそうな声を漏らしながらも、小さくうなずく愛姫。
 その刺激が、最後の一押しとなった。
「う……くうぅっ!」
 愛姫の口の中で、小さな爆発が起こった。
 口の奥で、白く濁った粘液が噴き出していく。
 一瞬、驚いたように目が見開かれる。しかしすぐにうっとりとした表情に変わった。
 唇が窄められる。まるで、一滴もこぼすまいとしているかのようだ。
 その口の中に、二度、三度と精を放つ。今夜二回目にしては、ずいぶんと量が多かった。やはり、愛姫の初フェラというシチュエーションに興奮していたのだろう。
 口を満たした大量の精液を愛姫はすぐには飲み込まず、全部、口の中に溜めていた。精液の奔流が治まったところで、口を離してゆっくりと上体を起こす。
 飲み込むのが辛くてそうしているのではない。うっとりとした表情を浮かべ、舌全体、口腔全体で、初めて口にする精液を味わっているようだった。
 それはまるで、極上のスイーツを味わっているかのような、至福の表情。
 焦点の合わない紅い瞳。
 紅潮して汗ばんだ顔。
 相変わらず、高熱に冒されているようにも見える表情。なのにこの上なく幸せそうだ。
 かなり長い間口の中で味わってから、ようやく名残惜しそうに喉を鳴らした。
 ふぅっと、充実感のある溜息が漏れる。
「……美味、しい…………すっごく、濃い……」
 恍惚の表情でうっとりとつぶやくと、また下半身に覆いかぶさって、先端を口に含んだ。尿道内に残った雫まで一滴残らず吸い出す。
 悠樹に向けた顔は、まだ足りない、もっと飲みたいと訴えていた。このまま口での行為を続けようかと迷っているように見える。
「……って、どうして、まだ、大きいんですか?」
 悠樹の分身は、まったく萎える気配もなかった。
 当然だ。
 あの愛姫との、初めてのセックス。それも、普段の姿からは想像もできないくらいに淫猥に乱れて。
 この状況で興奮しないわけがないし、一度や二度の射精では興奮は治まらない。
「……お、男の人って……射精、すると、治まるのではないのですか?」
「大好きな女の子、それも、愛姫みたいな美人とセックスしていて、一回や二回で萎えるわけないだろ」
「そ、そういうもの……なんですか? ……こういうの、なんていうんでしたっけ……せ、精力絶倫?」
「まあ、けっこう自信はあるけどな。愛姫も嬉しいだろ? おかげでまだまだ気持ちいいことできて、美味しいものがたくさん飲めるんだから」
「……はい」
 愛姫の口許が微かにほころんだ。
 笑顔なんて珍しい。それも、こんな可愛らしくはにかむ姿は初めて見た。
「……悠樹さんのを飲んだせいでしょうか……なんだか、また……あ、熱くなってきました」
 膝立ちになった愛姫の脚の間から、白く濁った粘液が糸を引いてシーツまで滴り落ちていた。
「……責任、とってください」
 仰向けに寝ていた悠樹の上にまたがってくる。
 まだ硬く反り返ったままのペニスを掴んで上を向かせ、その上に腰をおろしてくる。
 愛液で濡れているというよりも、愛液を噴き出しているような割れ目の中に、先端が押し当てられる。
 そのまま腰をおろして自ら挿入しようとするが、初めてのせいか、なかなか勝手がつかめずにいる。
「んっ……あっ、ん……あぁんっ!!」
 うまく挿入できなくて、じたばたと試行錯誤している動きに、割れ目やクリトリスが擦られる。そのちょっとした刺激すら、今の愛姫には強すぎる愛撫だった。
 気持ちよすぎて、膝立ちになった脚から力が抜ける。
 腰が落ちる。
 それがたまたま、絶妙な角度だった。
「うぅぁっ! あぁぁぁぁぁ――っっ!!」
 一気に奥の奥まで貫かれて、悲鳴をあげた。
 そのまま後ろに倒れるのではないかというくらいに身体が仰け反っている。
 全身が痙攣して、手脚が強張っている。挿入の刺激だけで達してしまったようだ。
「あ……ぁぁぁ……す、ごい……深ぁ……いっ!」
「初めての騎乗位は、どんな感じ?」
「す、すごい、です……悠樹さんの、大きいのが……すっごい、奥まで……深くて……あぁん、……お腹が……突き上げられて……苦しい、くらい……イィ……」
 唇の端から、涎がこぼれている。
 深紅の瞳は虚ろで、焦点が合っていなかった。
「挿れられただけで、いった?」
「…………は、い」
「もっと気持ちよくなりたい?」
「……はい。いっぱい、いっぱい、気持ちよく、なりたい……です」
「じゃあ、自分で、好きなように動いてごらん」
「……そん、な……動くなんて……無理、です……。こんな……奥まで、貫かれて……壊れてしまいますっ」
 口ではそういいながらも、愛姫は腰を前後に揺すりはじめた。
 最初は、ゆっくりと擦りつけるように。
「は……ぁぁっ! ぁんっ、んく……ぅぅんっ!」
 ぬるぬると滑る感触。
 結合部からは蜜が溢れているせいで、動きは思いのほかスムーズだった。動くたびに、愛姫を深々と貫いている肉棒が、角度を変えて膣壁を刺激している。
 小刻みに痙攣しながら、それでも動きは止めない。むしろ、徐々に大きくなってくる。
「や……っ、だ、めぇ……っ! こん、な……すごい……あぁっ、んぅっ……ぁっ!」
 目を閉じて、眉間に皺を寄せている。
 半開きの唇からは、切なげな熱い吐息が漏れている。
 ぎこちなく往復する腰。
 だんだん、動きが速く、大きくなってくる。
 数往復ごとに、動きを止めてぶるぶると震える。その度に、じわっと濡れた感触が拡がる。軽く達してしまっているらしい。
 数秒間そうしていて、またすぐに動きを再開する。その度に動きは激しさを増していく。
「あぁぁっ! すご……イっ! ふぁぁっ! お、くまで……いっぱい……っ! あぁぁっ!! んぁぁっ! んくぅぅんっ! はぁぁぁ――っっ!!」
 初めのうちは単調な前後の往復だけだった愛姫の動きが、縦長の楕円を描くように変わり、膣の側壁までくまなく擦られる。
 さらに、上下の動きが加わる。腰を浮かせて、落とす。一往復ごとに落差が大きくなって、ペニスが抜けるぎりぎりから、一気に腰を叩きつけて奥の奥まで呑み込んでいく。
「あぁぁぁ――――っっ!! すごっ! すごいっっ!! だめっ! だめぇっ! そんなっ、激しくぅぅ――っ! だめっ! ゆ……うきさんんっっ! お願いっ! もっと……優しくっ! 壊れっ、ちゃい……ますぅぅっっ! いやぁぁぁ――っ!! ひゃぁぁぁんっっ!!」
 長い髪を振り乱して、愛姫の身体が弾む。
 いつしか腰の動きは8の字に変わり、そこでとどまらず最新のジェットコースターのような複雑な三次元の軌跡を描くようになっていった。
 しかし、それはすべて愛姫がしていることだ。悠樹は、激しすぎる動きで抜けてしまわないように愛姫の動きに合わせているにすぎない。
 だめ、やめてと叫びながら、愛姫は激しい動きで自らを攻めたてていた。自分では気づいていない、少しでも多く快楽を貪ろうという無意識の動きなのだろう。
 より激しい刺激、より強い快楽を求めての動き。
 鬼魔の力に侵されると、こうなってしまうのだろうか。それとも普段の真面目な態度とは裏腹に、もともと一度火がつくと激しく燃えあがるタイプなのだろうか。
 結合部がぐちゅぐちゅと泡立ち、激しすぎる動きに飛沫となって飛び散る。
 腰の一往復ごとに絶叫する愛姫。それでも動きは激しくなる一方だ。そしてどんなに激しく動いていても、膣はぴったりと吸いついて、悠樹を放そうとはしない。
「んはぁぁぁ――っ! すごいっ! すごいィィ――っっ!! あぁぁぁ……あぁぁ――っ! くるぅっ、また……来ちゃいますっ! いやぁぁぁ――っ!!」
 狂ったように快楽を貪る愛姫。
 幾度となく絶頂を迎えながら、さらなる高みへと昇っていく。
 激しい刺激。
 ローションプレイ並にびしょ濡れの性器。
 そして、快楽の虜となって乱れている、普段は清楚な大和撫子ともいうべき美女。
 この状況では、悠樹も長くは持ちこたえられない。
 愛姫がひときわ激しく腰を落とすのにタイミングを合わせて、思い切り腰を突き上げた。
 二人分の力で貫かれ、愛姫が悲鳴をあげる。
 同時に、熱い塊が噴き出していく。
「ああぁぁぁ――――っっっ!! あぁぁぁぁぁ――――――っっっっ!!」
 肺が空っぽになるまで絶叫し続け、その間ずっと身体はがくがくと激しく震え、ヘッドバンギングのように頭を振っていた。
 動きがだんだん細かな痙攣に変わり、そのまま数十秒間続いて。
 不意に、スイッチが切れたように力が抜け、悠樹の上に覆いかぶさるように倒れてきた。
 そのまま、動かなくなる。
 完全に意識を失っているらしい。
 大きく息を吐いて、ゆっくりと愛姫の下から這い出す。
 愛姫は俯せのまま失神している。全身、汗と体液でぐっしょりだ。
 目には涙の痕。口の端からは涎がこぼれ、大きく開いた脚の間に見えるシーツには、失禁したかのような大きな染みが広がっていた。
 そんな猥らな姿も魅力的だった。見ているだけで下半身がむずむずしてくる。
 時折、身体をびくっと震わせる愛姫。まだ余韻が残っているのだろうか。
 背中にそっと手を乗せて、そのままお尻まで滑らせる。
 びくっびくっびくぅっ!
 愛姫の身体が痙攣する。微かな喘ぎ声が漏れる。
 意識がなくても、ちゃんと感じているらしい。
 まだ、満たされていないのだろうか。
 足りないよりは多すぎるくらいの方がいいはず――そんなことを想う。実際のところそれは口実に過ぎず、悠樹もまだ満足していないだけなのだが。
 下半身はまだ元気なままだ。裸で眠っている愛姫の姿にそそられてしまう。目を覚ますまで待てない。
 愛姫の脚の間に移動する。背後から腰を掴んで、お尻を少しだけ持ち上げさせる。
 バックから、ひくひくと痙攣して蜜を溢れさせているいる秘裂の中心に、まだ硬いままのペニスをあてがった。
 そのまま、一気に貫く。
「……んっ、ひゃあぁぁんっ!? ンあぁぁぁぁ――――っっ!?」
 突然の刺激に、愛姫が目を覚ます。なにが起こっているのか理解できないまま、悲鳴をあげて上体を仰け反らせた。
 愛姫のお尻を鷲づかみにして、乱暴に腰を叩きつける。
「いやぁっ! そっ、そんなっ! い……きなりっ!! あぁぁ――っっ! す……ごぃっ! いぃぃ――っ!」
 前戯もなにもない突然の挿入なのに、愛姫の悲鳴はどこか甘く、悠樹をより深く迎え入れようとするかのように、腰をぶるぶると震わせていた。


 ホテルからの帰り道、愛姫はずっと無言だった。
 あの後、さらに二度、行為を重ねた。
 その度に激しく乱れ狂い、失神し、三度目に意識が戻った時には、鬼魔の力による発作もほぼ治まったようだった。
 正気に戻った愛姫は羞恥心も戻ったようで、いつも通りに素っ気ない態度になり、シャワーを浴びて服を着るまでの間、悠樹には後ろを向かせていた。
 ホテルを出た時には、もうすっかり夜も更けていた。駅へ向かう道には人通りもほとんどない。もともと、繁華街からも離れた場所なのだ。
 無機的なコンクリートの林の中、ふたりの足音だけが小さく響く。
 愛姫はひと言も口をきかない。怒ったような表情で、そっぽを向いて歩いている。
 しかし、怒っているわけではないだろう。たぶん、この態度は照れ隠しだ。
 なにしろ、いつもは嫌っているような態度をとっていた悠樹とセックスしてしまったのだ。それも、初めてなのにあんなに激しく、狂ったように、何度も何度も。
 普段の愛姫の性格を考えれば、正気に戻ったら恥ずかしくていたたまれないことだろう。横を向いているのも、赤面した顔を見られたくないからに違いない。
 けっして、怒っているわけではない。
 その証拠に、部屋を出る時に悠樹が差しだした手を、躊躇いがちにも握り返してきて、その後ここまでずっと手をつないで歩いてきた。悠樹のことなど無視しているような態度で、しかし、自分から手を放そうとはしない。
 歩みも普段よりややゆっくりしている。まるで、悠樹と手をつないで歩く時間を、少しでも長く続けようとしているかのよう――と想うのは自惚れすぎだろうか。
 そんな愛姫が可愛いと想う。
 だから、つい、からかいたくなってしまう。それがまた愛姫を怒らせるとわかっていても。
「気持ち、よかった?」
 からかうような口調で訊くと同時に、きつい目で睨まれた。視線だけで悠樹を射殺せそうな、憤怒の形相と呼ぶに相応しい表情だった。なにもいわずに黙っているのは、怒りのあまり言葉も出てこないからだろう。
「気持ちよかったんだろうな。すっごい感じてたよね? もうめちゃくちゃに乱れ……」
「ゆ、悠樹さんっ!」
 怒声が言葉を遮る。
「あ……貴方って、ほんっとうに性格悪いですね! そういうところ、大っ嫌いです!」
 予想通り、逆鱗に触れてしまったらしい。それも目論見通りだ。愛姫は黙っている時は素晴らしい美人だが、恥ずかしながら怒っている姿は人間味が増して本当に可愛らしいのだ。
 そして、呼び方がまだ「悠樹さん」のままであることにも満足した。これなら「大っ嫌い」も、まるまる本心というわけではあるまい。
 期待通りの反応が返ってきたので、弄るのはそこまでにしておく。何事もやり過ぎはよくない。
 また、黙って歩いていく。
 激怒しているように見える愛姫だが、しかし、繋いだ手はそのままだった。ただし、手の甲に軽く爪を立てられはしたが。
「……悠樹さんは」
 しばらく歩いたところで、愛姫がぽつりといった。
 独り言のような、小さな声だった。
「え?」
「悠樹さんは…………き、気持ち、よかったのですか?」
 そっぽを向いたまま、耳まで紅くなっている。
 突然の、予想外の質問に戸惑って即答できずにいると、いきなりこちらに向き直った。やはり怒ったような顔をしている。
「べ、別に、悠樹さんのことなんかどうでもいいんですけど! 一般論として、自分の身体が、男の人にとってつまらないものだという評価を受けたら、やっぱり少し凹むじゃないですか!」
 思わず、噴き出しそうになった。
 こんなところは、愛姫も意外と普通の女の子だ。
 大抵の男が、女の子が気持ちよくなってくれたかどうかを気にするように、女の子も、好きな相手が自分の身体でちゃんと気持ちよくなってくれたかどうか、すごく気にするものなのだ。
 男にとっては、セックスで自分が気持ちいいのは自明のことなので、相手が気持ちいいかどうかばかりを気にする傾向があるのだが、実は女の子も同じことを考えている。一般に、男はあまり激しい反応をしないことが多いので、女の子にしてみれば、感じてくれているのかどうかよくわからないところがある。経験が少なければなおさらだ。
 だから、正直に言葉にして伝えた。
「すっげーよかった。もう、めちゃめちゃ感じた」
「そ、そう、なんですか?」
 普段は真面目で堅い印象で、悠樹に対してはきつい態度をとっていた愛姫が、我を忘れていやらしい言葉を連呼しながら乱れ狂う姿は、それだけでも興奮ものだったが、それに加えて物理的な刺激も相当なものだった。
「愛姫のあそこって、俺専用にあつらえたみたいにぴったり吸いついてきて……最っ高に気持ちよかった」
 経験は豊富な悠樹だが、その中でも一、二を争う名器だと思った。愛姫はさらに朱くなる。顔だけではなく、手まで真っ赤だ。
「べ、別に、悠樹さんにどう思われようと、関係ありませんけど!」
「そんな冷たいこといわずに、近いうちにまたしよう?」
「…………そ、そんな日は、未来永劫、来ないと思います!」
「愛姫の「未来永劫」は、あまりあてにならないからなー」
 以前、処女かどうかを訊いた時にもいった。貴方には未来永劫まったく関係のないことです――と。
 それから一週間と経たないうちに、これ以上はないくらいに関係してしまった。愛姫の純潔を散らしたのは悠樹なのだ。
「だ、だいたい、悠樹さん、貴方は……」
 不意に、愛姫の表情が変わる。照れ隠しの怒りの表情が消え、いつもの無機的な顔になった。
「……私と、あの娘と、どちらが好きなんですか?」
「え……」
 不意打ち、だった。思わず脚が止まる。
 まったく予期していなかった質問。しかしこれは悠樹が迂闊だった。
 考えてみれば、至極当然のことだ。愛姫が、悠樹に好意を持っていたとしても、素直になれないいちばんの理由はこれだろう。
 神流と悠樹が肉体関係を持っていることも、悠樹が神流に恋愛感情を持っていることも、愛姫は知っている。そんな相手と、簡単に恋人のような関係にはなれまい。
 悠樹は、もともとの性格か、あるいは奔放な美咲との付き合いが長いせいか、二股も、ゆきずりの相手とのセックスもまったく気にはしないし、女の子の処女性に必要以上の幻想を抱きもしない。
 しかし、真面目で、男女の恋愛について免疫がなさそうな愛姫にとってはそうではあるまい。
 返答に困った。いったいどう答えたものだろう。
 これがゆきずりの相手であれば、口先だけで気軽に「君がいちばん」などといえる。しかし、本気で好きな相手だからこそ、嘘はつけない。
 だから、答えが出せない。
 愛姫と、神流。
 どちらも、これまで付き合ってきた女の子の中にはいなかったタイプだ。
 そして、どちらもすごく気に入っている。容姿も、性格も、そして身体の相性も。
 今、どちらを選ぶのかと問われても、答えは出てこない。いや、悠樹にとっては答えはひとつだ。
 すなわち、「ふたりともモノにしたい」と。
 しかし、愛姫に受け入れられる答えとは思えない。
 答えられずにいると、愛姫が先に次の言葉を紡いだ。
「……すみません。変なこと、訊きました。……私、今夜はまだ少し変なんです。忘れてください」
 静かな、そしてどことなく切なげな口調。
 いっそ、いつものきつい口調で「二股ですか? ふざけるのもいい加減にしてください!」と怒ってくれた方が気楽なのに。
 感情を押し殺した、それ故に哀しそうな姿でいわれると胸が痛む。
 なにも言葉を返すことができず、また、無言で歩き出した。
 それでも、手は繋いだままだった。それが、ふたりをつなぐたったひとつの絆であるかのように。


 今夜の、悠樹の試練は、まだ終わっていなかった。
 駅から、人通りのない深夜の高級住宅地を歩いて、愛姫の家の前まで来たところで、門柱に寄りかかるようにして立っている、小柄な女の子の姿が目に入った。悠樹たちの足音に気づいて、顔をこちらに向ける。
 月明かりの下、ふたつの瞳が、黄金色に輝いていた。
「……神流?」
 一瞬、憤怒の表情を浮かべたように見えた。暗いし距離もあったので、見間違いであって欲しいと願う。
 ひとつ瞬きをした後は、神流の表情は笑みに変わっていた。
 ただしそれは残忍な、仕留めた獲物を前にした肉食獣の笑みだった。そして、目が笑っていない。悠樹としては身の危険を感じる表情だった。
 にぃっと開いた口から、鋭い犬歯が覗いている。
「……ここで待っていれば逢えるかな、なんて思ったんだけど……。……ふぅん、そういうこと?」
 黄金色の瞳が、悠樹と、愛姫と、そして繋がれたままのふたりの手に向けられた。
 誤魔化しようもない。深夜、ふたりで手を繋いで歩いていたのだ。口でなんといおうとも、事実は隠せない。鬼魔の嗅覚をもってすれば、今夜、ふたりの間になにがあったのかも明白だろう。
「…………やっぱり、ニンゲンの方が、いいんだ?」
「――っ!」
 鋭く胸を貫く言葉だった。
 おそらく神流は、悠樹が思っている以上に自分の素性のことを気にしている。
 まだふたりの関係が不安定な状態で、悠樹が、人間の女の子と仲よくしていたら神流はどう感じるだろう。
 悠樹は、神流が人間ではないことを特に気にしていない。時折、失念するくらいだ。それだけに、神流の想いに気づけなかった。
「い……いや、これは……その、あれだ。愛姫が、鬼魔の力に中てられて……治療、っていうか、そう、そういう感じのあれだ!」
「治療……ねぇ」
 細められた目が、危険な光をはらんでいる。
「……それならボクの時は、単なる〈食事〉だよね?」
「う……」
 反論できなかった。
 愛姫との関係が単なる〈治療〉で、恋愛感情を伴わないといい張るなら、神流との関係も同じになってしまう。それに、恋愛感情を伴わないというのは真実ではない。
 ゆっくりと近づいてくる神流。今にも喰い殺されそうな気配をまとっている。
 しかし、そのまま悠樹の横を素通りした。
 ただ、ひと言、
「……サヨナラ」
 とつぶやいて。
 同時に、走り出す。
「か……」
 反射的に、後を追おうとする。しかし、走り出すことはできなかった。
 愛姫に、手を掴まれたままだった。悠樹を離すまいとするかのように、力が込められていた。
 振り返って、愛姫の顔を見る。
 自分でも驚いているかのような表情だった。無意識の行動だったのかもしれない。
 もう一度、神流が走り去った方向を見る。もう姿は見えない。すぐに後を追っていたとしても、本気で走る神流に追いつけるわけがない。
 小さく溜息をつく。
「……すみません」
 表情のない顔で愛姫がいい、ここまで繋いだままの手を離した。
「なにしてるんでしょう、私。少し、頭を冷やします。……今夜は、ご迷惑をおかけしました」
 小さく頭を下げて門をくぐる。その後ろ姿からは、なにを考えているのかは読み取れなかった。

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