その後、さらに数回の行為を繰り返してようやくホテルを出た時には、当然、外はもう真っ暗になっていた。
陽の長い季節だというのに、漆黒の空に夕陽の残滓はまったくない。
駅に向かう道のり、神流はずっと無口だった。そっぽを向いて悠樹と目を合わせようともしないが、その横顔は不機嫌そうな表情に見える。
とはいえ、悠樹に対してなにか怒っているわけではあるまい。
その証拠に、ホテルの部屋を出てからずっと、悠樹の腕にしがみつくような体勢で腕を組んで歩いている。しかも、快活な神流にしては足どりが妙にゆっくりとしていた。陽はとっぷりと暮れているとはいえ週末ということで、ホテル街から大きな通りに出れば大勢の人間で賑わっていたが、明らかに周囲の人の流れよりもゆっくりと歩いている。
まるで、二人で歩くこの時間を少しでも引き延ばそうとするかのように。
神流のこの表情、おそらくは照れ隠しなのだろう。少なくとも、半分は。
あとの半分は、自己嫌悪だろうか。
悠樹のように、経験があり、もともと女好きを自覚している男であれば、知り合ったばかりの女の子が相手でもその場ののりで身体を重ねることに抵抗はない。『ゆきずりの相手と一晩だけの関係』だって何度も経験している。
しかし、神流はどうだろう?
つい数時間前までバージンだった、まだ中学二年生の女の子。
しかも、相手は昨日知り合ったばかりの男。
一応は好意めいた感情を持ってはいるだろうが、まだ、はっきりとした恋愛感情と呼べるものではないだろう。
そんな相手と、衝動のままにセックスしてしまった。それも、非常識なまでに激しく。
そして、かつてないほどに感じて、乱れてしまった。
そんな自分を恥じて、自己嫌悪に陥っているのだろう。だけど悠樹から見れば、そんな神流はすごく可愛い。
やっぱり、普通の女の子にしか見えない。
たしかに神流は狼で、彼女とのセックスは人間相手ではあり得ないほどの快楽で、だけどやっぱり神流は〈女の子〉だ。身体能力はともかく、メンタリティは人間のそれと変わらない。
そっぽを向いて、だけど悠樹に縋るように腕を組んでいる神流。
ふくれっ面の横顔も可愛らしい。
この子を自分のものにしたい――そう想った。
今日一度きりの関係ではなく、ただ血の衝動に流されただけの感情ではなく。
もっと、ちゃんと、自分のものにしたい。
神流と自分の繋がりを示す証が欲しい。
そのためにはどうすればいいだろうか。駅につながるビルのショッピングモールを歩きながら考える。
横を向いてゆっくりと歩く神流は、仏頂面を別にすれば、まるでウィンドウショッピングを楽しんでいるように見える。
その視線の先に、小さなアクセサリーショップがあった。
これだ、と閃く。
神流の耳元でささやいた。
「買ってあげようか?」
「えっ?」
びくっと弾けるような動作でこちらを見る。
「なにか気に入ったものがあれば、買ってあげようか」
ショーウィンドウの向こうに並んでいる指輪を指して、もう一度訊く。
「……べ、別に……買ってもらう理由なんて、ないもん」
「男が、好きな女の子にアクセサリを贈るのに、理由がいるとも思えないけど」
神流の背中を押して、店内に入る。
「理由が必要なら、今日の……記念ってことでどうだ?」
「………………、いい、の?」
「いいよ、そんな高いものじゃないし」
高級な貴金属店ではなく、あくまでも若者向けのアクセサリーショップだ。並んでいる商品の大半は、悠樹の財力でも買ってあげるのにさほど無理はない。
頬を赤く染めているところを見ると、神流もまんざらではなさそうだ。悠樹が知る限り、好意を持っている男から指輪を贈られて嫌がる女の子はいない。
「…………じゃあ…………これ、……いい?」
遠慮がちに指差したのは、紅い石の付いた指輪だった。ルビーのような深い紅。福沢諭吉でお釣りが来る価格だから本物の宝石ではないだろうが、着けるのが中学生の神流であることを考えれば、高級な貴金属よりもこのくらいのものの方が年相応で似合うかもしれない。
「手、出して」
その指輪を買い、包んでもらわずにその場で神流の指にはめてやる。
意図的なものか無意識の動作か、神流は左手を差し出した。悠樹も当たり前のように、薬指に指輪をはめてやった。
おそらく、その意味に気づいたのは指輪をはめた後なのだろう。神流の顔が一気に赤みを増す。
一瞬、嬉しそうな笑みを浮かべかけて、慌ててまたふくれっ面を装って横を向いた。しかし、頬が緩みそうになるのを堪えているのは見え見えだった。
店を出て、また腕を組む。
悠樹に掴まる神流の右手に、先刻よりも力が込められているように感じる。軽く、爪を立ててくる。
そっぽを向いて悠樹の方を見ようともしない。
そのくせ、視線は頻繁に自分の左手に向けられ、その度に微かに頬を緩めている。
そんな態度は、やっぱり可愛い。
可愛すぎて、また、気持ちが昂ってくる。
そのまままたゆっくりと歩いて駅が目前となったところで、不意に神流が離れた。
「……ここで、いい。ボク、こっちだから」
唐突な動作。恥ずかしさが閾値を超えてしまったのだろうか。
「もう遅いし、家まで送っていこうと思ってたんだけど?」
そうするのが男としての義務――というよりも、少しでも長く一緒にいたかったというのが本音だ。
たぶん、神流も同じ想いだったのだろう。だからこそ、いつまでも離れられなくなりそうで、思い切って区切りをつけたのかもしれない。
「ボクが夜道をひとり歩きしたからって、なにか危険があると思う?」
「……痴漢や通り魔に遭ったら、むしろそいつらの身が危険だな」
思わず苦笑する。
たとえ凶悪な犯罪者だって、神流には傷ひとつつけられないだろう。鬼魔は生身の人間がどうこうできる存在ではなく、ましてや今の神流は、悠樹の血によってその力が桁違いに強められているのだ。
「ユウキの方こそ気をつけた方がいいよ。美味しそうなんだから、襲われないようにね。……もっとも、この辺りに狼の女の子ほとんどいないはずだけど」
「誰かさんがたっぷりとマーキングしてくれたから、他人の縄張りに手を出す命知らずもそうそういないだろ」
茶化すようにいうと、神流はさらに真っ赤になった。
恥ずかしさに耐えられないという様子で、ぶっきらぼうにいう。
「……じゃ…………また、ね」
「ああ、また。近いうちに」
悠樹に背を向けて走り出そうと仕掛けたところで、しかし一度動きを止めた。悠樹の方を見ないままでいう。
「……指輪、ありがと。今日は…………嬉しかった」
そういった時の神流は、いったいどんな表情をしていたのだろう。背を向けたままで、悠樹からは顔は確認できない。
そのまま、駅の改札口とは別方向に駆け出していった。
悠樹が愛姫の家に着いた時には、すっかり遅くなっていた。
本来、大学が終わったらまっすぐ行く約束だったのに。
そして、神流と接触したら連絡するはずだったのに。
神流のことに夢中になって、連絡することすらすっかり失念していた。あるいは、愛姫を警戒している神流にそう操られていたのかもしれない。
多分、怒っていることだろう。
ただでさえ、悠樹に対してはきつい愛姫なのだ。いっそ、このまま帰ってしまおうかとさえ思ってしまう。
しかしそれでは、やっかいごとを先延ばしにするだけだ。今夜のうちにちゃんと謝っておいた方がいいだろう。
そう決心して呼び鈴を鳴らす。
出迎えたのは、嘉~家にふたりいるメイドのひとりだった。見た目には悠樹より年下、下手すると高校生くらいに思える。
名前は、たしか、三科縁子といっただろうか。小柄で可愛らしい容姿なのだが、愛姫以上に無表情かつ無機的な態度で、まるで人形のような印象を受ける。
愛姫は、意図的に無機的に振る舞っているだけだし、悠樹に対しては、ほぼ怒りのみとはいえ感情を露わにすることもある。しかし縁子は、素で感情というものが欠如しているように感じる。その瞳もどこか作り物めいていて、顔はこちらに向けられていても、悠樹を〈見て〉はいないように思えた。
「いらっしゃいませ、犬神様。……どうぞ」
まったく抑揚のない声。パソコンのヴォーカロイドの方がよほど感情が感じられる。まったくぶれない、機械のような動作で悠樹を先導する。
屋敷の中はしんとしていた。
そういえば、昨夜も、今朝も、そうだった。
大きな屋敷に愛姫と二人のメイドしかいないのだから当然ではあるが、他の家族はどうなっているのだろう。
姉は仕事で留守にしているという話は聞いていたが、両親はいないのだろうか。
「あの……、愛姫、怒ってる?」
沈黙に耐えられなくなって、縁子に訊いた。
これまで、愛姫の悠樹に対する態度は、無視しているか怒っているかのどちらかだった。連絡なしで約束をすっぽかしたことを考えれば、激怒していてもおかしくない。
弄って軽く怒らせると意外と可愛いところもある愛姫だが、けっして本気で怒らせたい相手ではない。
「怒ってる」
相変わらず、抑揚のない声が返ってくる。
「あ、やっぱり?」
「表向きは」
「え?」
「遅いから、すごく心配してた」
「え……、ほ、ホントに?」
思わず、頬が緩みかける。
しかし返ってきたのは、負の感情がこもった氷のように冷たい声だった。プラスもマイナスも、まったく感情というものが含まれていない縁子の声ではない。
「縁子、貴女、なにでたらめをいっているの?」
奥から姿を現した愛姫は、背後に怒りの炎をまとっているかのようだった。よく見るまでもなく激怒している。幼い子供ならいきなり泣き出しそうなほどの迫力で、悠樹もたじろいでしまう。
しかし、縁子はまったく表情を変えない。
「もう遅い時刻。でも着替えもせず、連絡があるのを待ってた」
淡々という縁子。
たしかに、愛姫は部屋着には見えない整った服装で、いつでもそのまま外出できそうに見える。もっとも、自宅だからといってラフな格好をしている愛姫というのも想像しにくいのだが。
「そ、そんなの関係ないでしょう! 高橋さんから、仕事の連絡があるかと思っていたんです!」
必要以上に強い口調。それが、愛姫の言葉が額面通りではない証だった。迫力のある深紅の瞳で睨まれても、縁子の無機的な反応は変わらない。
「それなら毎日のこと。今夜のような緊張感はない」
「――っ!」
図星だったのか、一瞬言葉に詰まる。小さくひとつ深呼吸して、やや強引に話題を変えた。
「……くだらないお喋りしてないで、お茶の仕度でもしなさい!」
慇懃に頭を下げて縁子が立ち去り、全身棘だらけという雰囲気の愛姫自ら前に立って悠樹を応接間へと案内した。
「……あ……えっと、……ごめん」
緊張感に耐えきれず、とりあえず謝っておく。今夜のことは悠樹が一方的に悪い。いい訳のしようもない。
「……」
愛姫が振り返る。
これ以上はないというくらいにきつい目で睨まれた。こんな時、愛姫の深紅の瞳は黒い瞳よりも遙かに迫力がある。
「……匂いがぷんぷんします。そうだろうと思っていましたが、あの狼と一緒だったのですね。すっかり鬼魔に魅入られてしまいましたか」
「いや……まあ、その、神流と逢っていたのはその通りだけど」
どう説明したものだろう。
ホテルで濃厚なセックスを繰り返していました――なんて、潔癖そうな愛姫にいえるわけがない。
「貴方は、まだ、鬼魔の恐ろしさを理解していません」
瞳には怒りの炎が燃えさかっているのに、心の底まで凍てつくような冷たい口調だった。
「……犬神さん、縁子のことをどう思います?」
「え?」
「彼女は、鬼魔に襲われて、運よく生き延びたひとりです。鬼魔に犯されているまさにその最中に、救い出されたのです」
「――っ!?」
「鬼魔に犯された人間は、大抵はそのまま喰い殺されます。そもそも、そのために犯すのですから」
鬼魔が人間を犯すのは、快楽に狂っている人間の方が美味だから――昨夜、そう聞かされた。
「運よく生き延びた者も、人間に耐えられる限界を超えた快楽のあまり、発狂する例がほとんどです。あれでも縁子はもっともましな例ですが、それでも心が壊れていっさいの感情を失いました。今はそれなりに普通に会話もできますが、ここまで回復するのに二年かかりました。普通の生活が送れる状態ではなかったので、うちで面倒を見ていたのです」
「そ、それは……」
人間が鬼魔に殺される場面は昨夜この目で見たが、生き延びた者にも悲劇があることを知った。
しかし、だからといって神流を責めるつもりはない。
「い、いや……でもさ? 昨夜のあの狼たちはいかにも人間の敵だけど、神流はいい娘だぞ? 人間を襲って喰ったりしてないっていうし、けっこう、俺に懐いてくれてるみたいだし」
「……貴方の魅魔の力で虜にしている、と?」
「や……そこまではいわねーけど。でも、神流も俺の……血、とか、かなり摂取してるし……悪いことはしないだろ?」
神流は基本的に、人間に危害は加えない。人間を喰い殺していた昨夜の狼たちとは違う。
「思うんだけど、魅魔の血が鬼魔を操れるなら、なにも殺す必要はないんじゃね?」
「……貴方の考え方は、ある意味、もっとも魅魔師らしいといえます」
愛姫の口調は、むしろ今までよりもさらに冷たくなっていた。視線が鋭くなり、深紅の瞳の色がさらに濃くなる。
冷たい、凍てつくような視線だった。
「鬼魔を直接殺すのではなく、操る。他の退魔の力を持つ者と違い、それが古くからの魅魔師の戦い方でした。力のある鬼魔を操って下僕とし、それを〈武器〉として鬼魔と戦わせるのです。私の母や祖父母も、そうした魅魔師でした」
たしかに、それは理にかなっている。愛姫のように自ら武器を持って戦うよりも、自分の身に及ぶ危険も少ないだろう。
しかし、愛姫の言葉が過去形であることが気になった。
「私がまだ小学生だった頃、偶然、力のある鬼魔を捕らえたことがありました。母がその鬼魔に自分の血を与えて、下僕として使役していました」
「小学生の時に? それってすごいんじゃね?」
「私は、幼い頃から体質的に血の力は強かったのです。ですが、鬼魔を操るというのは非常に危険なことです」
そこで言葉を切って、愛姫は立ちあがった。
「危険って?」
その質問にはすぐには答えない。無言で、自分のブラウスのボタンに手をかけた。
「……なっ!?」
ひとつ、ふたつとボタンを外していく。突然の展開に悠樹は言葉を失った。
スカートからブラウスの裾を引っ張り出し、ボタンをすべて外す。そして、悠樹が見ている前でブラウスの前をはだけた。
驚きのあまり、悠樹はなにも反応できない。神流ならまだしも、真面目で清楚な愛姫にはあり得ないような行動だった。しかし、少なくとも見た目には平然としている。
悠樹の眼前で、真白い、綺麗な肌が露わにされる。
しかし……
「これが、鬼魔という存在の現実です」
感情を押し殺した、抑揚のない声。
露わにされた細い上半身。
その、左の鎖骨から右の脇腹にかけて、ブラジャーの下をくぐって斜めに走る大きな傷痕があった。
古いもののようだが、はっきりと残る長い傷痕。この怪我をした時には骨まで剔られたのではないだろうか。
「母が使役していた鬼魔が、突然、魅魔の血の支配を離れて襲いかかってきたのです。母と、祖父母が殺されました。私だけは、運よく生命はとりとめました」
「……っ」
「魅魔の力は基本的に、鬼魔自身の意志を無視して、その肉体を操るものです。鬼魔が人間を魅了するように、心を操るものではありません。当然、隙あらば刃向かおうと機会を窺っています。……さて、貴方の狼はどうでしょうか」
「…………」
悠樹としては、そんなことはないと思いたい。
自分と神流は、ラヴラヴとはまではいわないが、それなりに心の繋がりがある――と。
だけど、本当にそうだろうか。
人間同士だって、本音なんてなかなかわからないものだ。ましてや、男と女のこととなればなおさらだ。
そして神流は、どれだけ普通の女の子っぽいとはいっても、人間とは――ホモ・サピエンスとは――異なる種、人間とは異なる本能を持つ存在だ。
彼女が人間らしいのは、人間として育てられたことによる〈適応〉であって、どんな状況でも人間として振る舞い続ける保証はない。なんといっても、鬼魔は人間を喰う本能を持つ生き物なのだ。悠樹の血の影響を強く受けている今の状況を、好ましいと思っているかどうかもわからない。
悠樹としては、信じたい。
だけどそれは論理的な根拠のない、ただの願望なのかもしれない。惚れた弱み、といい換えてもいい。
迷いが顔に出ていたのか、悠樹をまっすぐに見つめていた愛姫が、微かな笑みを漏らした。
鬼魔は人間の敵――そう信じている者の、凍てついた氷の笑みだった。
なにか、いおうとした。反論、あるいは神流の弁護。しかし、なにをいえばいいのだろう。
それでも言葉を搾りだそうと口を開きかけた時、応接間のドアがノックされた。
はっとした愛姫が、はだけた胸を慌てて両腕で隠そうとするが、それよりも早く、返事も待たずにドアが開かれた。
紅茶のポットと二客のカップを載せたトレイを手にして入ってきたのは、嘉~家のもうひとりのメイド、悠樹よりも少し年上で細身の八木沢麻由だった。
愛姫の姿を認めて、にぃっと意味深な笑みを浮かべる。
「……あらあらあらぁー? もしかしてお邪魔でしたかぁ?」
チェシャー猫のようなにやにや笑いを浮かべ、からかうようにいう。
「姫お嬢さまってばせっかちですねー。いってくだされば、すぐにお布団を敷きましたのに」
今朝もそうだったが、主人と使用人にしては、麻由は愛姫に対する物いいに遠慮がない。愛姫をからかって楽しんでいるようなふしさえある。愛姫も、そうした態度自体は咎めようとはしない。問題にするのは発言内容だけだ。
「……麻由、貴女、なにをいっているの?」
露骨に不機嫌そうな表情になる。とはいえ、本気で怒っているというわけではなさそうだ。本当に怒っている時、愛姫はむしろ無表情になる。
あるいは、ふたりのこうしたやりとりは日常の一部なのかもしれない。
「いえいえ、私は喜んでいるんですよ? 姫様に、肌を曝すような親しい殿方ができたことを」
「からかうのはおよしなさい。そんなことじゃないとわかっているでしょうに。貴女の悪い癖よ」
ブラウスを直しながら、必要以上に素っ気なくいう。しかし、その頬はかなり朱い。
いうべきことをいった後は、動揺を隠すように、何事もなかった風を装って紅茶のカップを口に運んだ。
「犬神様、姫様は初めてなので、優しくしてあげてくださいね」
愛姫が置こうとしたカップがガチャンと大きな音を立てる。同時に、悠樹が紅茶を噴く。
「ま、麻由っ! 貴女ねぇっ!」
真っ赤になって叫ぶ愛姫をあえて無視して、落ち着いた表情で悠樹に話しかける麻由。
「犬神様、今夜も泊まっていかれますか? お布団は二組敷いた方がよろしいでしょうか? あ、それよりもひとつの布団に枕がふたつというのが基本ですよね」
相変わらず、笑いを堪えているような口調。相当な悪戯好きなのだろう。案外、悠樹とは気が合いそうだ。愛姫弄りは面白い。
もっとも、ふたりがかりでからかわれたら愛姫としてはたまったものではないだろう。
「いりません! 犬神さんはすぐに帰られるそうです! ええ、もう、今すぐに!」
眉を吊り上げ、珍しく大声を上げる愛姫。本当に今すぐ追い出したがっているような気配が伝わってくる。
笑いを押し殺しながら麻由が応接間を出ていく。愛姫とふたりきりになると、気まずい沈黙が残った。
「……えっと」
なにか話題はないだろうか。
「……今の、ホント?」
「なにが、ですか?」
一語一語、区切って発音する。質問を拒絶するようなきつい口調だった。
「つまり、その……初めて、って」
迫力のある深紅の瞳で、ぎろりと睨まれた。
「だったら、なんだというのですか? 少なくとも、貴方には、未来永劫まったく関係のないことです」
悠樹の存在自体を拒絶するような、必要以上に強い口調。この反応を見る限り、未経験というのは本当のようだ。
少し意外な気もする。胸は少々寂しいとはいえ絶世の美人、いい寄る男は掃いて捨てるほどいるだろうに。とはいえ、通うのはお嬢様学校だし、性格と生活を考えれば、恋愛とは縁遠いのかもしれない。
鬼魔が人間を犯すからだろうか、人間の男に対してもどことなく敵意を持っているような印象を受ける。それとも、相手が悠樹の場合だけだろうか。
もっと詳しく訊きたい気もする。しかし、この話題を続けたらただではおかないという愛姫の態度に、これ以上の追求は諦めた。
「あー、えっと……麻由さんって楽しい人だね?」
「……あれはあれで、縁子とは違った意味で、鬼魔の影響で壊れてしまったのではないかとも思います」
小さく溜息をつく愛姫は、悠樹と目を合わせようともしない。不機嫌という言葉の見本のような表情だ。
「え……? ってことは、麻由さんも?」
鬼魔に襲われたのだろうか。
「……いいえ」
小さく首を振る愛姫。
「彼女は……両親を鬼魔に殺されたのです」
「――っ!」
「八木沢の家は、代々、嘉~家に仕えてきた家系なのです。単なる使用人というのではなく、鬼魔と戦うための……助手とでもいいますか。ですから……」
最後は曖昧に言葉を濁した。
愛姫は、母親と祖父母を鬼魔に殺されたといっていた。麻由の両親も、その時に犠牲になったのかもしれない。
「鬼魔と戦うということは、そういうことです。鬼魔とはそうした存在です。あの狼を生かしておきたいというのであれば、それだけの覚悟があるのかどうか、もう一度ご自身の胸に問うてみるべきでしょう」
相変わらずのきつい口調。
悠樹には反論することができない。たしかに、人が殺されるところを目の当たりにしていながら、鬼魔というものを甘く見ていたところはあるかもしれない。人間を喰う危険な存在というよりも、神流の、可愛い女の子という一面ばかりを見ていたかもしれない。
神流には、いちおう好かれていると思っている。しかしそれは、人間同士の恋愛とは少し違う。悠樹が神流に好かれている理由のかなりの部分は、悠樹の身体に流れる魅魔の血にあるはずだ。
しかし愛姫は、魅魔の血で支配していたはずの鬼魔に裏切られ、自分の親と祖父母、そして麻由の両親を殺され、自身も重傷を負わされた。
そんな目に遭っていては、鬼魔に心を許せるわけがない。鬼魔を敵視し、疑いの目を向けることは当然だ。
愛姫の反応はもっともであり、反論することはできない。ならば、悠樹がすべきことは決まっている。
魅魔の力を使いこなせるようになり、神流を手懐けて安全な存在とし、人間に害を為す鬼魔と戦う術を学ぶこと。
たしかに、覚悟が足りなかった。呑気にデートしている場合ではなかったのだ。それは、鬼魔に対抗する力を身に着けてからのこと。今日は本来、魅魔の力の使い方、そして鬼魔との戦い方を愛姫から学ぶ予定だった。
「覚悟がおありなら、明日からは約束をすっぽかさないようにしてください。そもそも、鬼魔を惹き寄せる血を持つ者が戦い方も満足に知らないのでは、長生きはできません」
「覚悟は……ある、と思う。もちろん、鬼魔に殺されるのもいやだ。それに、俺がいなかったら神流も見逃してもらえないんだろ?」
「当然です」
「だったら、もう遅いけど……愛姫さえよければ、明日からなんていわずに、今から稽古をつけてくれないか?」
「今から、ですか?」
一瞬、驚いたような表情を見せた愛姫。
すぐに、これまであまり見せたことのない、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「殊勝な心がけですね。三日坊主にならないことを期待します」
表情に合わせたような、皮肉な口調。しかしその裏では、悠樹が本気であることを少しだけ認めてくれたような気がした。
悠樹と別れた後、神流はずっと走っていた。
電車には乗らなかった。とても、じっとなんてしていられない。
ゆっくり歩くのだって無理だ。身体の奥から力が溢れ出してきて、走り出さずにはいられなかった。
普段なら電車で帰る距離を、陸上の短距離選手並の速度で走り続けて、なのに息も上がっていない。
本気を出せば、まだまだ速く走れるだろう。もう都心部を離れて人目もほとんどないだろうが、念のため、いちおうは加減して走っている。
前方に交差点が迫ってくる。信号は赤。
神流は脚を止めるどころかむしろ加速して、力いっぱいアスファルトを蹴った。
小さな身体が高々と宙に舞う。
走り幅跳びの世界記録なんて問題にならない。片側二車線の幹線道路を、充分な余裕で跳び越した。
本当に、どこまでも力が湧いてくるようだ。愛姫に付けられた首輪は、鬼魔としての力を大幅に削いでいるはずなのに、悠樹と出会う前よりもずっと力が出る。
結局、電車に乗るよりも早くに自宅のあるマンションの前に着いた。窓に明かりが灯っている。母親はもう帰宅しているらしい。
雑誌の編集者をしている母親は、帰宅が遅く、時間も不規則だ。入校前など、泊まりになることも珍しくない。今日は早くに帰ってきた方だろう。
よりによって、今日。
玄関のドアの前で、神流は頬を手のひらでぺちぺちと叩いた。
不自然ににやけてはいないだろうか。あるいは、不自然に赤面してはいないだろうか。
母親の前で、普段通りに振る舞える自信がない。しかしもちろん、昨日知り合ったばかりの男の子とセックスしてしまいましたなんて、知られるわけにはいかない。
それに、母親は神流の身体のことも知らないのだ。理屈の上では母親にも鬼魔の血が混じっている可能性があるはずだが、そんな気配は感じられない。
鬼魔の血を引いていても、人間との混血が進んで血が薄まり、鬼魔としての形質が現れない者も多いと聞く。神流は例外的な隔世遺伝、先祖返りだ。あのボス狼――カミヤシたちのように、限りなく純血に近い血統を維持してきた古い家系もあるが、神流は違う。鬼魔に関する知識も、力に目覚めてカミヤシたちと知り合ってから教わったことだ。
「……た、ただいまー」
できるだけ、平静を装って家に入る。
母親の流子が出迎えてくれる。
「お帰り。遅かったのね、晩ごはんは?」
「た、食べてきた」
これは、嘘。
実際には、夕食には早すぎる時刻に悠樹にハンバーガーをご馳走になり、ホテルで飲み物を口にした以外、なにも食べていない。
だけど、空腹なんてまったく感じていなかった。むしろ身体中に力が満ちあふれている。悠樹の血は、精液は、どんな山盛りのご馳走よりも神流を満たしてくれる。
「じゃあ、すぐお風呂に入る?」
「は、あ……っと、あ、後で」
危ない危ない。
うっかり、夕食同様に「入ってきた」と応えそうになった。
そんなことを口にしてしまったらひと騒動だろう。ずっと女子校だった神流に親しい男子はいないし、そのことは流子も知っている。
力尽きるまでセックスを繰り返した後、悠樹と一緒にお風呂に入った。
背後から抱きしめられるような体勢で、一緒にお湯に浸かっていた。
そうしているとまたお互いに昂ってきて、バスタブの中でもう一度してしまった。
そのことを想い出して、顔が熱くなってしまう。
「あ、後で……寝る前に、入る」
「じゃあ、ママは先に寝るから、お風呂の後片付けもお願いね」
「はぁい」
神流は自室に入ってドアを閉めると、そのままベッドに寝転んだ。
心臓の鼓動が激しい。だけどそれは、走って帰ってきたためではない。
走っている間は考えずにいられたことも、こうして横になると想いだしてしまう。想い出さずにはいられない。
ベッドに俯せになって、枕に顔を埋めた。
顔が、熱く火照っている。
ああもう、信じられない。
セックス、してしまった。
男の人と、初体験、してしまった。
あらためてその事実を認識すると、感覚がよみがえってくる。
あの、膣を貫かれる刺激。
大きな男性器に、身体の内側から拡げられる不思議な感覚。
そして、意識が飛ぶほどの快感。
神経に、脳に、はっきりと焼きつくほどの衝撃的な体験だったのに、やっぱり信じられない。
昨日の朝まで、こんなことになるなんて思いもしなかった。
このボクが、男の人とセックスしてしまうなんて――
あり得ない。
嘘だ、といって欲しい。
小学校から女子校で、早くに父親を亡くして、ずっと、身近に男性がいない環境だった。どちらかといえば、男の人は苦手だと思っていた。
クラスメイトと必要以上に仲よくして、周囲も自分も、同性愛者の気があると思っていた。
なのに――
昨日、会ったばかりの男性と。
初めて会ったその場で、あんなことをしてしまって。
その翌日には、最後までしてしまった。
あり得ない。
こんなの、あり得ない。
自分の意志じゃない。全部、悠樹の血のせい。そうに決まっている。
魅魔の血の話は、カミヤシから聞いたことがある。
鬼魔の力を何倍にも高める、至上の美味。しかしそれは鬼魔の肉体を縛る枷でもある。
だから、自分の意志じゃない。魅魔の血のせい。そうに決まっている。
そうじゃなければ、あり得ない。
初体験なのに。
恋愛感情以前に、どんな人間かもよく知らない相手なのに。
セックス、してしまった。
とても激しく、何度も、何度も、してしまった。
そして、ものすごく感じてしまった。
また、想い出してしまう。
太く熱い肉の塊で、深く、深く、身体の奥まで貫かれる感覚。
そのことを想うと、感覚が鮮明に甦ってくる。
下腹部の奥の違和感。
まだ、入っているように感じてしまう。
何度も、何度も、貫かれた。
激しく、激しく、擦られた。
たくさん、たくさん、射精された。
その度に、身体が弾けるほどに、意識が飛ぶほどに、感じてしまった。
気が狂うほどに気持ちよくて、なにも考えられなくなってしまった。
ただただ、悠樹が与えてくれる快楽を貪っていた。
膣内が熱い液体で満たされる感覚。
子宮へと流れ込んでくる感覚。
身体の中に染み込んでくる感覚。
それが、身体中の細胞のひとつひとつに染み込んでくる。桁外れの絶頂のあまり、身体中の細胞が破裂してしまいそうになった。
そして、力が湧きあがってくる。
身体が弾けてしまいそうなほどの、強大な力。
昨夜口にした血よりも、ずっと強い力。
昨日の朝に口にした精液よりも、もっと強い力。
口よりも、性器から吸収する方がもっと効く。もっと感じる。もっと美味しい。まるで、膣の粘膜に味覚があるみたい。
たくさん、たくさん、注ぎ込まれた。膣を、子宮を、いっぱいに満たされた。
あの、白くてねっとりとした液体。
液体と呼ぶには濃すぎるもの。
それがまだ自分の胎内に在るのだと想うと、それだけで身体が熱くなってしまう。
もう、だめ。
身体が熱い。
熱すぎて、じっとしていられない。
ホテルからずっと、下腹部はどうしようもないくらいに火照ったままだった。
服なんて、邪魔。
ボタンを外すのももどかしく、制服を脱いだ。
キャミソールもブラジャーも剥ぎ取るように脱ぎ捨てる。
胸が張って、パンパンに膨らんでいる。乳首が固く突き出している。
パンツは、透けるほどに湿って……いや、濡れている。
それも脱ぎ捨てて、指で割れ目に触れた。
「――――っっっ!!」
ぬちゃ……という、指に絡みつく熱い粘液の感触。
指先が軽く触れただけで、電流が走ったような衝撃を受けた。
さらに蜜が溢れだしてくる。
ベッドの上で俯せになって、膝を立ててお尻だけを突きあげた姿勢になった。
初めての時と――初めて悠樹に貫かれた時と、同じ格好。
この体勢になっただけで、もう、達してしまいそうだ。
こんな恥ずかしい格好でロストバージンしてしまったなんて。
恥ずかしくてたまらない。なのに、興奮してしまう。
「ぅ……あぁっ! ……んあぁんっ!」
我慢できなくなって、指を挿入した。
一気に、奥まで。
その瞬間、達してしまった。
指一本とはいえ、自慰で奥まで挿れたのは初めてだった。
相変わらず、指一本でも痛いくらいにきつい膣。
だけど昨日までとは違い、指が奥まで入る。やっぱりきつくて、鈍い痛みがあるが、引き裂かれそうな鋭い痛みはない。
自分の身体が、昨日までとは違ってしまった証。
まだ十三歳の自分が、〈女の子〉から〈女〉になってしまった証。
強い刺激に耐えながら、膣内で指を動かす。
ここに、入っていた。
ここに、悠樹が、入っていた。
悠樹の、あの、太くて、長くて、硬くて、びくんびくんと脈打っていたものが。
それは初めて目の当たりにする神流にとって、怪物のような不気味さがあった。
なのに、たまらなく愛おしかった。
死にそうなほどに気持ちよかった。
指を挿入したことで、その時の感覚がより鮮明に再現されてきた。
今まで感じたのとは質の違う快感だった。
血が欲しくて、クラスメイトの女の子たちとエッチなことをしたことは何度もあるが、それとはまったく別物だ。中学生の女の子同士のお遊びの〈えっち〉と、男と女の本物の〈セックス〉との違い
そして、普通の人間の血と、魅魔の血との違い。
「……っ! んく……っ! んっ……んふぅんっ!!」
指は意志とは無関係に蠢き、膣壁を擦る。
ぐちゅぐちゅという淫靡な音が漏れる。
割れ目から溢れた蜜が糸を引いて滴り、シーツに染みを作っていく。
そうした音や指に伝わるぬめりに刺激されて、さらに昂ってしまう。
指が加速していく。
「んくぅぅ――んんっっ!」
あっという間に、達してしまった。
だけど、このくらいで火照りは治まらない。むしろ、さらに熱くなってしまう。こんなのは前菜、ウォーミングアップにもならない。
俯せの膝立ちの姿勢も辛くなり、寝返りをうって仰向けになった。
自分でもはしたないと思うくらいに脚を大きく開く。片手で膣をめちゃめちゃにかき混ぜながら、もう一方の手で胸を鷲づかみにする。
空気を入れすぎたゴムボールのような膨らみに、痛いくらいに指を喰い込ませる。爪を突きたてる。
「ひぃ……んっ! んんん――っっ!!」
痛みをともなう刺激がたまらない。
クラスでいちばん大きくて、形もよく、張りのある乳房は自慢だ。クラスメイトにも羨ましがられている。
その胸がひしゃげるくらいに強く握り、パン生地のようにこね回す。
痛いくらいの刺激の方が、気持ちいい。
火照った身体は、どんな刺激も快感として受けとめてしまう。だから、刺激が強ければ強いほど、より大きな快感となる。
無我夢中で乳房をこね回し、持ち上げ、その先端を口に含んだ。
強く、吸う。
痛いくらいに、強く。
悠樹にも同じことをされたのを想い出す。
膨らみのサイズの割にはずいぶん小さな乳首がつんと突きだしてくる。その部分がさらに敏感になる。
まだ、足りない。
もっと、刺激が欲しい。
固く勃起した乳首に、鋭い犬歯を突きたてた。
「――――っっ!」
皮膚を突き破り、血が滲むほどに強く咬む。
意識が遠くなり、全身に鳥肌が立つ。
身体が宙に浮いているような感覚に包まれる。
口の中に血の味が広がっていく。
甘い。
すごく、甘い。
シロップよりも甘く感じる。
この味、自分の血の味ではない。
今日、何度も何度も味わった、悠樹の味だ。
悠樹の血を、唾液を、そして精液を、身体中で受けとめた。口で、膣で、子宮で。もちろん手や顔や胸でも受けとめた。
身体中に注ぎ込まれ、塗りつけられた、魅魔の力を持つ体液。
身体中から吸収されて、神流の血液に混じって血管を巡っている。それはもちろん物理的な意味ではなく、霊的な意味での吸収だ。
しかし、たしかに感じる。
ホオジロザメがプールいっぱいの水の中に落とした一滴の血の匂いを嗅ぎとれるように、神流は自分の血に混じった悠樹の味をはっきりと感じとっていた。
『気持ちイイだろ? いけよ、思いっきりイケよ!』
悠樹の言葉が甦る。
まるで、いま実際に耳元でささやかれているよう。
「――――――っっっ!!」
神流の肉体はその命令に従い、弾けるほどに激しい絶頂を迎える。
気を失うことすら許されない刺激。
悠樹の言葉を想い出しただけで、また、達してしまった。
身体の中に残った魅魔の力が発動し、神流の肉体を狂わせる。
噴き出す蜜が手を濡らす。
全身の骨が軋むほどに痙攣する。
「――っ! ――――っっ、――――っっ!!」
その絶頂は、何分間も続いた。
刺激が強すぎ、痙攣が激しすぎて、声もあげられなかった。まだ眠っていないだろう母親に、いやらしい悲鳴を聞かれずに済んだのは幸いだったが、神流は呼吸もできないほどで、危うく酸欠になるところだった。
「………………は……ぁ……」
数分後、ようやく痙攣が治まって息をついた。
本当に、なんて気持ちいいのだろう。
これまでの自慰や女の子同士の行為とは別次元の快感だ。
気持ち、よすぎる。
怖いほどに気持ちいい。
もう、この感覚なしではいられなくなりそうだ。依存症になりそうなほどの強烈な刺激だった。
怖い。
気持ちよすぎて、怖い。
怖いけれど、もっと、したい。
今日、あんなに何度も何度もしたのに。
たった今、あんなに激しくいったばかりなのに。
また、したくなっている。
もっと感じたくなっている。
また明日、悠樹に逢いに行こうかなんて考えている自分がいる。
そんな自分が怖い。
悠樹と知り合う以前の自分と、違いすぎて怖い。
本来、どちらかといえば男性は苦手だったはずだ。今日だって、ホテルで悠樹とふたりきりになった時、本当はすごく怖かった。
具体的になにが怖いというわけでもないのだが、ただ、本能的に恐怖感を覚えた。
なのに、それ以上に、悠樹が欲しいと想ってしまった。
そんなの、本当はいいことじゃない。
悠樹は恋人ではない。
昨日知り合ったばかりの相手で、お互い、本当の意味での恋愛感情なんて持っていないはずだ。少なくとも、今はまだ。
ただ、血が美味しくて、惹かれているだけ。
ただ、セックスが気持ちよくて、惹かれているだけ。
もう、悠樹とは逢わない方がいいのかもしれない。
自分は、狼。
悠樹は、鬼魔の天敵ともいうべき魅魔の一族。
本来は、近づくべきじゃなかった。あんなこと、するべきじゃなかった。
だけど。
悠樹は、神流が狼だと知っていて、それでもなお、女の子として扱ってくれた。
恋人みたいに、愛してくれた。
セックスは痛いくらいに激しかったけれど、それでもどこか、優しかった。
とても、気持ちよくしてくれた。
そして、指輪を買ってくれた。
女の子の部分に触れていた左手を、顔の前にもってくる。
紅い石が薬指を彩っている。
それを見ていると、自然と頬が緩んでしまう。
どうして、左手を出してしまったのだろう。
まるで、そうするのが当たり前のように。
また、左手を下半身へ滑らせる。
指輪をはめたまま、薬指を挿入する。
「…………っっっっ!」
硬い金属の刺激。
その痛みを感じただけで、また、達してしまった。
ああ、もう!
まったく、際限がない。本当に、やめられなくなりそうだ。
セックス依存症。魅魔の血の中毒。
そんなの、いいことじゃない。
本来、男性は苦手なはずの自分。
まだ、セックスなんて早い年齢の自分。
なのに、今日一日で、すっかり変わってしまった。
なりゆきでセックスしてしまった。それも、知り合ってまだ二日目の男の人と。自分はまだバージンだったのに。その上、まだちゃんと恋人にもなっていないのに。
なのに魅魔の血に惹かれて、勢いのままに最後までしてしまった。
その勢いのまま、セックスを繰り返すのはいいことではあるまい。本当は、もっと落ち着いて考えるべきなのだ。
やっぱり、しばらくは逢わない方がいいのかもしれない。
少し、頭を冷やすべきだろう。
しばらくは逢う必要はない。今日、口にした血と、胎内に注ぎ込まれた大量の精液。あれだけの量があれば、しばらくの間は今の力を維持できるはずだ。
だから、逢う必要はない。
肉体的には、必要ない。
なのに――
「……逢いたい……な」
無意識のうちに、そんなつぶやきが漏れてしまう。
身体以上に、心が悠樹の体温を求めていた。
| 【前の章】 | 【次の章】 | 【目次】 |
(c) yamaneko nishisaki all rights reserved.