その少女は、黄金色の瞳をしていた。
ひどく、印象的な容姿だった。
たとえば、日本人離れした鮮やかな金髪。短めのくせ毛は、巷でよく見かける脱色したような色褪せた金髪ではなく、金塊を思わせる、重厚な、濃い、黄金色。
しかし、はっとするほど可愛らしい童顔は日本人的だ。白い肌も、あくまでも日本人の範疇での白さだった。
とはいえ、生粋の日本人だという確信も持てなかった。
力いっぱい抱きしめたら折れそうなほどに細いウェストの位置は高く、ミニスカートの裾から伸びた伸びた脚はすらりと長い。
その割に身長はさほど高くない。目測で百五十センチあるかないかだろうか。十代半ばの女の子としては、むしろ小柄な方だ。それなのに胸ははちきれそうなほどに丸く大きくふくらんで、これ以上はないくらいの存在感を主張している。
身に着けているものも、中身に劣らず人目を惹いていた。
名前を聞けばこのあたりで知らぬ者はない、某有名お嬢様学校の制服。伝統あるワンピース型のセーラー服は近年デザインが変更されて、ウェストが絞られスカートが短くなり、オリジナルのレトロな雰囲気を残しつつも今風になってよりいっそう可愛くなったと巷では評判だ。
少女はそんな制服のスカートをさらに短く改造した上、左右の長さがまるで違うソックスを履いていた。右はオーバーニーソックスなのに、左はくるぶしまでしかない。それなのに柄は同じなのだから、着替える時に慌てて間違えたのではなく、意図的なファッションなのだろう。
それによって、ただでさえ長くて綺麗な脚が、よりいっそう視線を惹きつけるものになっていた。
しかし――
その少女のいちばんの特徴は、鮮やかな金髪でも、長い脚でも、大きな胸でも、それを包む伝統のセーラー服でもなかった。
それは、瞳。
髪と同じ、金塊を思わせる深い黄金色の瞳。
獰猛な肉食獣を彷彿とさせる、危険な、なのにどうしようもなく魅力的な瞳。
その大きな瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。
力強い視線に、心が奪われる。まるで魂を鷲づかみにされるようだ。
いったい、少女はいつからそこにいたのだろう。
こんなに目立つ美少女、百メートル先を歩いていても気がつきそうなものなのに、実際には、その存在に気づいた時にはすぐ目の前に立っていた。
一歩前に出て腕を伸ばせば届く距離。
そして、少女はその通りのことをした。
腕が身体に回される。
その細い腕からは想像できないくらいに力強く、抱きしめられた。
空気を入れすぎたソフトテニスのボールのようなふくらみが、腹に押しつけられる。
上気した顔が、至近距離からこちらを見あげている。
黄金色の視線に射貫かれる。
腕が勝手に動く。
無意気の動きで、小さな身体を抱きしめる。
ただそれだけで、射精してしまいそうなほどに気持ちよかった。
「犬神くん、起きなよ。もう講義終わってるよ?」
軽い口調の台詞と同時に、なにか柔らかなもので頭を叩かれた。
「んぁ……」
犬神悠樹は、言葉にならない声とともに顔を上げる。
妙に重いまぶたをなんとか持ち上げると、丸めたノートを手に持った女の子が目に映った。同じ大学に通う友人、児島結子だ。
「……あー、俺、寝てた?」
「それはもう気持ちよさそうに。この授業は真面目に受けないと次の試験がヤバイとかいってなかった?」
「の、つもりだったんだけどな」
いったいいつの間に寝てしまったのだろう。
正直にいえば、講義がはじまった時の記憶も残っていなかった。
「……今朝、早くに目が覚めて、そのまま早くに家を出たせいかな。こんなことなら二度寝しておけばよかった。もったいない」
「まったく。はい、これ」
悠樹を起こすのに使ったノートをそのまま差し出してくる。今日の講義のノートを貸してくれるというのだろう。
ただし、その行動は純粋な善意によるものではない。
「高いからね」
もうお約束となっている言葉がつけ加えられる。悠樹もいつもの冗談で返す。
「お礼は、身体で払うということでいいか?」
いいながら、シャツのボタンを外すそぶり。
「アホ」
今度は教科書で叩かれた――ただし、縦で。
「明日、ゴハンでもおごりなさいよ。じゃ、私はこれからバイトだから」
「あー、そういや俺もバイトだ。くそ、めんどくせーな」
「私に豪華なゴハンおごるために、頑張って稼いできてね」
「それ聞いたら、よけいにやる気が失せるよ」
冗談めかした口調でいいながら、立ち上がって大きく伸びをする。
実際のところ、口でいうほど気分が乗らないわけではない。結子はけっこうな美人だし、そろそろ〈友達〉から一歩先の関係に進めそうな雰囲気もある。ノートのお礼という口実でデートできるなら、食事代くらいは安いものだった。
学校帰りにバイト先に向かうと、途中で大きな公園の中を横切る形になる。
海岸近くの埋め立て地に造成された新しい公園は、まだ周囲に大きな住宅地もオフィス街もないので、休日はともかく、平日の夕方となると人影もまばらだった。
だから、その少女の姿は、遠くからでも目を惹いた。
すらりとした、長身の美少女。
昨今では珍しいほどの、腰まで届く長い黒髪。
名門女子校の、特徴あるワンピースの制服。スカートの長い、落ち着いたデザインの制服は、その主の凛とした顔だちと相まって、見るからに良家のお嬢様といった気高い雰囲気を醸し出していた。
思わず、見とれてしまう。
ただ美人というだけではない。これだけの雰囲気を持った美少女など、かつて見たことがない。
誰か、人を探しているのだろうか。ゆっくりと歩きながら、周囲に視線を配っている。
手には、細長い棒状の布袋を持っていた。ちょうど、竹刀くらいの太さと長さだ。剣道部なのだろうか。
美少女剣士か、格好いいなぁ――そんな感想を抱いたところで、少女の視線が悠樹に向けられた。
悠樹を射貫いて、視線が固定される。
意志の強さを感じさせる、鋭い視線だった。
「……え?」
まっすぐに見つめられて、気がついた。彼女の瞳が、あり得ない色をしていることに。
大和撫子という形容が相応しい顔だちに、漆黒の髪。間違いなく日本人だ。
なのに、その瞳は――紅かった。
鮮血のような、深紅の瞳だった。
それでいて、不思議と、違和感がない。
思わず、見つめ返してしまう。
少女は悠樹を見つめたまま、ゆっくりと、しかし迷いなく歩を進めてきた。
間違いなく、悠樹に向かって歩いてきている。しかし、見知らぬ相手だった。これほどの美少女、一度でも見たことがあれば忘れるはずがない。
二十メートルほどあった二人の間隔が、十分の一に縮まる。
身長は百七十センチ近いだろうか。細身で、手脚がすらりと長い。制服のデザインのせいもあるだろうが、胸や腰のボリュームはあまり感じられない体型だった。
悠樹の前まで来て、脚を止める。観察するように、足の先から頭のてっぺんまで、ゆっくりと視線を動かしていく。その顔にはなんの表情も浮かんでおらず、美しすぎることもあって、まるで作り物のように感じられた。
「つかぬ事をお伺いしますが、今日、なにか変わったことはありませんでしたか?」
「……え?」
美しいが、表情同様に抑揚のない声だった。絶世の美少女に突然話しかけられて、一瞬、返事に詰まる。
「いつもと違う、変わった出来事です。なにかありませんでしたか?」
こちらを探るような視線。心の奥底まで見透かされているような力強さを感じる。
「あ……えっと…………ある、といえばある……かな?」
突然の出来事に、なかなか頭が回らない。しかし、なにか答えなければ、と思う。
「それは、いつ、どのような?」
「……今、現在進行形で。見知らぬ、絶世の美女に突然話しかけられるという大事件が」
「……」
なんの反応もなかった。
無表情なこの美少女から簡単に笑いをとれると期待したわけではないが、それならそれで突っ込むにしろ呆れるにしろ、なにか反応して欲しい。まったくの無反応というのは精神的にいちばん堪える。自分の馬鹿さが際立つばかりだ。
「あー、いや、マジな話、他になにもないよ。いつものように大学へ行って、これから、いつものようにバイトに行くところ。……強いていえば、今朝はいつもより少し早起きして、早めに家を出たくらいか」
しかし、それだけだ。なんの事件があったわけでもない……はずだ。あまりにも日常すぎて、通学途中のことなどよく憶えてもいなかった。
「……そうですか」
相変わらずの無機的な反応。しかし、どことなく悠樹のいうことを疑っているような気配が感じられた。
小さくうなずくと、ポケットから小さな紙片を取りだして差し出してくる。
「それでは、なにかありましたら、ここへ連絡を」
渡されたのは、名刺だった。
ただし、普通の女子高生が遊びで持つような、可愛らしいものではない。無地の白い紙に、名前と携帯電話の番号が楷書体で印刷されているだけの、持ち主同様に無機的なデザインだった。
〈嘉~ 愛姫〉という名前が目に入る。
「かがみ……よしひめ?」
珍しい名前で、合っているのかどうか自信がなかった。確認するような視線を向けると、少女は微かにうなずいた。
「最初から正しく読める方は、そう多くはないのですが」
そう応えた時、少し……ほんの少しだけ、表情が和らいだように感じたのは錯覚だろうか。自分の名前を間違えられて嬉しい人間はいない。正解してよかった。
「たしか……伊達政宗の奥さんがそんな名前じゃなかったっけ?」
「ええ、正室の田村氏ですね」
「珍しい名前だね。でも……うん、すごく、君に似合ってると思うよ。……あ、俺は犬神悠樹」
この子に、ありふれた今風の名前は似合わない。少し古風で、綺麗で、上品さ、高貴さを感じさせる名前はぴったりだ。
悠樹の名前を聞いて、微かに表情が変化したように感じたのは気のせいだろうか。
「ところで……なにかあったらって、具体的にどんなこと?」
「生命に関わるような、だけど警察にもいえないような……でしょうか」
淡々とした口調で、物騒なことをいう。しかしふざけているようには見えない。
「そんな大事件に、俺がこれから巻き込まれると? 君、占い師か超能力者?」
できるだけ軽い口調でいった。
冗談で済ませたいところだが、この美少女に真顔でいわれると、簡単には聞き流せない。
「いいえ、貴方は既に巻き込まれています。それが生命に関わるか否かは、運次第でしょう」
いったい何をいわんとしているのだろう。
愛姫が冗談をいっているようには見えないし、かといって、いかれた妄想にとりつかれているようにも見えない。
「もっと詳しい話を聞かせてもらえない? 立ち話もなんだし、お茶でも飲みながら」
このまま無視できる雰囲気ではない。ならば、せっかくだからこの美人とお近づきになりたいものだ。
愛姫が微かに目を細める。
「そうした性格が災難の元です。気をつけた方がいいでしょう。それでは失礼します」
それだけいうと、軽く会釈して回れ右。とりつく島もない。
見た目の印象通り、攻略は難しそうな女の子だ。
遠ざかる背中を見送りながら考える。
ここでしつこくしても逆効果だろう。あの美貌ではいい寄る男など掃いて捨てるほどいるに違いない。簡単に落とせるわけがない。
悠樹も自分では「俺ってけっこうイケメンじゃね?」などと思っているが、素直に同意してくれる友人は少数派だ。それなりに好意を持ってくれているであろう結子にだって鼻で笑われるだろう。
手の中の名刺に視線を落とす。とりあえずは連絡先を手に入れたのだから、今日のところはそれでよしとしよう。
流れでお茶に誘ったはいいが、実際にはこれからバイトなのだ。よほどのことがない限り、無断欠勤はもちろん遅刻も避けたい。
悠樹も歩き出す。
愛姫の電話番号を登録しようと、ポケットから携帯を取り出す。そこで、アドレス帳の中に見覚えのない名前を見つけた。
『瀬田 神流』と。
「せた……かんな? ……誰だっけ?」
女の子っぽい名前だが、記憶にない。
自他共に認める女好きの悠樹が、女の子の名前を忘れるなんてあり得ないのに。
合コンで、泥酔している時にでも聞いたのだろうか。
後で連絡してみようか。だけど、まったく覚えていない状態で電話するのどうだろう。もしも相手が好意を持って電話番号を教えてくれたのだとしたら、「誰だっけ?」なんて訊いたら台無しだ。
しばらく考えて、やっぱり思い出せないので携帯電話をポケットに戻した。
これも、後で考えるとしよう。
そう考えて、バイト先である運送会社の倉庫に向かった。
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