prismatic iname 序章  少しの間、失神していたのかもしれない。  朦朧とした意識の中、ゆっくりと目を開ける。  最初に視界に入ったのは、壁一面の大きな鏡に映った全裸の女の子だった。  小柄で華奢な体格をしていて、一見、中学生くらいに見えなくもない。その割に胸の発育はよく、単なる子供にはない独特の色気を漂わせている。胸の先端に付けられた小さなアクセサリも、その効果を高めていた。  俯せでベッドに横たわり、細い腕は背後に回されて手錠でつながれ、首には鎖のついた深紅の首輪が嵌められている。  焦点の合わない虚ろな瞳と、くしゃくしゃに乱れた長い髪が、その小さな身体に加えられた責めの激しさの名残だ。  私は小さく首を振る。鏡の中の女の子が同じ動作をする。頬に張りついていた髪が剥がれる。  その小さな物音が、室内にいたもうひとりの人物の注意をこちらに向けた。 「莉鈴、目が覚めたか?」  首を巡らして声の主を見る。  ネクタイを結ぶ手をとめて私を見ている、男性の姿が視界に入る。  そろそろ四十歳近いはずだが、髪は黒く、身体は引き締まっていて、実際の年齢よりもかなり若く見えた。メタボリックな体型で若い娘を抱くのは、彼の美意識が許さないらしい。スポーツマンのような体型を維持するために少なからぬ労力を費やしていることは知っている。 「パパ……もう帰っちゃうの?」  それが自分の声とはにわかに信じられないくらい、甘えた声が発せられる。 「もっと一緒にいたかったのに……」 「失神するほど感じていたのに、まだ足りないのか? 欲張りだな、莉鈴は」  帰り支度を再開しながら〈パパ〉が苦笑する。 「パパとだったらどれだけしたって足りないわ。もっともっと、何十回でも、何百回でも、失神させて欲しいもの」 「俺の身がもたないよ。悪い、これから仕事なんだ」 「また? もぉ、パパってば働きすぎよ」  相変わらず忙しい人だ。だからこそ、私のような女の子たちと〈遊ぶ〉お金にも事欠かないのだけれど。  身支度を調えた〈パパ〉が近寄ってくる。  大きなベッドの脇に立つと、私の首輪につながる鎖を乱暴に引っ張って顔を上げさせる。もう一方の手で顎を掴んで、唇を重ねてくる。  強引なキスに、私は自分から舌を伸ばして応える。 「そうそう。今月のお小遣いは、振り込んでおいたから」 「ありがとう、パパ」 〈パパ〉の腕が背後に回される。私の身体を抱くためではなく、手錠を外すために。  自由になった腕を〈パパ〉の身体に回す。ただし、スーツが皺にならないように力は込めない。  もう一度唇を重ねながら〈パパ〉は首輪も外す。手が自由であっても自分で外してはならない――それが私たちの間の〈ルール〉だった。 「莉鈴はまだ起きあがれないだろ。ホテルの精算は済ませておくから、ゆっくり休んでいきなさい」 「はぁい。パパ、お仕事頑張ってね」  もう一度、今度は私の方から唇を押しつける。三十秒ほどそうしていて、名残惜しげに腕を放す。 「……いってらっしゃい」 「また、な」  小さく手を振って〈パパ〉の姿が視界から消える。  ドアの開閉の音が聞こえてくる。  その瞬間、鏡に映っている顔からいっさいの表情が消えた。人形よりも無機的なその顔には〈パパ〉に可愛らしく甘えていた女の子の面影はどこにもない。  のろのろと立ちあがる。  身体がふらついている。まだ少し朦朧としていて、平衡感覚が狂っていた。  行為の前に〈パパ〉に飲まされた〈クスリ〉の影響が残っているのだろう。頭はぼんやりしているのに、身体の奥深くには熱い熾火が残っているような感覚だった。  立ちあがると、内腿を液体がゆっくり流れ落ちていくのを感じる。  指で拭い、顔の前に持ってくる。  白っぽく濁った、粘性のある液体。  私の愛液と〈パパ〉の精液が混じったそれは、不快な生臭い匂いを放っている。  なのに私は、指を口に含んだ。指を汚している粘液を一滴残らず舐めとり、飲み下す。  きれいになった手を、また下半身に運ぶ。 「ん…………」  自分の中に指を挿れる。膣内に残っている粘液を掻き出す。  そして、その指をまた口に含む。  何度も、同じ動作を繰り返す。 「……ぁ…………は、ぁ」  奥深くまで指を挿れて中をかき混ぜていると、切なげな声が漏れてしまう。〈クスリ〉の影響が残っている身体は、普段よりもずっと敏感だった。  精液の味がしなくなっても、指を塗らす液体の量は変わらない。精液よりは透明感のある、新たな粘液が分泌されてくる。  指が、意志に反して勝手に動き始める。  中指と薬指を奥深くまで挿入する。くちゅくちゅと湿った音を立てて中をかき混ぜる。  中はすごく熱い。醒めた表情とは裏腹に、身体の中では炎が燃えさかっている。〈クスリ〉の効果は数時間は続くのだ。〈パパ〉とのセックスが失神するほど激しいものであっても、一度達したくらいでは治まらない。 「ぁ……っ、ん…………ふぁ……んっ」  立っているのが辛くなって、その場に膝をついた。  指を根元まで挿入する。  それでも足りず、ぐいぐいと手を押しつける。  痛いくらい、乱暴に。  爪で、中を引っ掻く。 「…………っっ!」  涙が滲むほどの鋭い痛み。  なのに身体は、その刺激で快楽の極みを迎えていた。 「……は…………ぁ……」  全身から力が抜けていく。そのまま床に倒れ込みそうになるのを堪えて、ベッドに手をついて立ちあがった。  ソファの上に放り出してあった鞄の中から、愛用の剃刀を取りだす。それを持って、危なっかしい足どりバスルームへ向かう。 「……今日は一回だけ……か」  こんなことは珍しい。〈パパ〉との〈デート〉では、泊まりにならない日でも夜中近くまで行為を繰り返すのが普通だった。 「…………」  やや物足りなさを感じつつ、剃刀の刃を左手首に当てる。  剃刀を握った右手に軽く力を込め、一瞬の躊躇もなく刃を滑らせる。  鋭い痛み。  手首に紅い筋が浮かびあがり、腕を流れ落ちていく。  肘まで流れて滴り落ちる。  バスルームのタイルに、紅い斑点が刻まれていく。  私は剃刀を握ったまま、じっとそれを見つめていた。  バスルームを出ると、まず、左手首に包帯を巻いた。  シャワーを浴びるくらいの時間では、まだ出血は止まっていない。血の汚れはなかなか落ちないから、着替えの際に制服を汚すのは好ましいことではない。  それからのろのろと服を手に取る。  性交の後につきまとう気怠さに〈クスリ〉の影響が加わって、ただ服を着るだけの動作も重労働だった。  ショーツは穿いたが、面倒なのでブラジャーもキャミソールも着けない。まるめて鞄に詰め込む。  素肌の上に直にブラウスを着け、スカートとオーバーニーソックスを穿く。首のリボンは省略した。  乱れた髪に軽くブラシを通す。普段、学校へ行く時には三つ編みにしているけれど、もちろん今はそんな気力もない。  眼鏡もかけず、ケースごと鞄にしまう。  ベッドに腰をおろして溜息をつく。  こんないいかげんな身支度をするだけでも、ひどく疲れた気分だった。立ちあがるのが億劫になる。このままベッドに倒れ込んでしまいたい。  それができればどれほど楽だろう。  だけど、それは許されない――楽であるが故に。  もう一度小さく深呼吸して、ゆっくりと立ちあがった。 * * * 〈パパ〉とのひとときを過ごしたラヴホテルを出ると、外は真っ暗だった。  時刻はまだ夕方だけど、不気味なほどに黒い雲が低く立ちこめている。  ホテルに入る前から怪しい空模様ではあったが、いよいよ雨が降りだしていた。アスファルトは黒く濡れ、道を行く人の大半が傘を手にしている。  おそらく、雨はこれからさらに強くなるのだろう。  それがわかっていても、私はそのまま歩き出した。 第一章  雨が降っている。  ホテルを出た時にはまだ小降りだった雨は、歩き出すとすぐに激しさを増し、ほどなくして土砂降りと呼ぶのが相応しい状態になっていた。  その中をのろのろと歩いていく。  もちろん、全身ずぶ濡れで。  通り道には傘を売っているコンビニもある。  客待ちのタクシーもちらほら見かける。  ファーストフード店には空席もある。  だけど、全部、無視。  お金がないわけではない。  今日は〈パパ〉から現金は受け取っていないけれど、昨日、別の〈パパ〉からもらった数枚の一万円札は、まだ手つかずで財布の中に残っている。  ただ、雨を避ける気になれなかっただけ。  雨の中を、濡れながら歩きたい気分だっただけ。  けっして調子のよくない身体でのろのろと歩いても、三十分ほどするといつしか周囲は繁華街から住宅地に変わっていた。普段、徒歩で通ることの少ない地区ではあるけれど、おおよその位置関係は把握できる。このままのペースで歩き続ければ、家まではまだ三十分以上はかかるだろう。  寒い。  今夜は、もうすぐ六月という時期にしてはかなり気温が低かった。  空から落ちてくるのは夏を呼ぶ温かい雨ではなく、季節が逆戻りしたかのような冷たい雨。  身体が震えている。  寒い。 〈クスリ〉が抜けかけている時は、ただでさえ寒さを感じやすい。それはちょうどアルコールの酔いが醒めていく時の感覚に似ている。  身体は冷え切っていた。左手首の新しい傷が、骨の髄まで浸みこむような痛みを発している。 「……北川?」  いきなり名前を呼ばれたのは、似たような家が建ち並ぶ住宅地の、一軒の門の前を通り過ぎようとしていた時だった。顔を上げると、門の内側に傘をさした人影が目に入った。  若い男性……というよりも、同世代の男子だった。  背が高く、筋肉質の体格をしている。日本人としてはかなりの大男の部類だ。身長百五十センチに満たない私とは、三十センチ以上の差があるだろう。それでも、顔にはまだ年相応のあどけなさが残っている。  しばらく、声の主を無言で見つめる。その顔と、なにより体格には見覚えがあった。 「やっぱり北川か。そんなずぶ濡れでなにやってんだ?」 「………………、早瀬?」  しばらく考えても、名前は思い出せなかった。門に掲げられた表札をちらりと見て、書かれていた名前を読む。  そういえば、そんな名のクラスメイトがいたかもしれない。  高校入学から間もなく二ヶ月になるが、考えずともすぐに顔と名前が一致するクラスメイトなど、いまだ片手で数えるほどしかいなかった。  同世代の他人など興味の対象外だ。ほぼ毎日同じ教室で過ごしていても、顔を覚えている者すら半分に満たないかもしれない。目の前の彼は、たまたま目立つ外見だから覚えていただけのことだ。  なのに、学校では目立たない容姿をしている私の顔と名前を知らない人間は、クラスはおろか学年全体でもほとんどいないのだから、おかしな話ではある。  もちろん〈早瀬〉も私のことは知っているのだろう。いや、クラスメイトの顔と名前くらいは知っているのが普通であり、自分が普通でないことは自覚している。  もっとも、それにしては早瀬の口調は自信なさげだった。人の顔を覚えるのが苦手なタイプか……と思いかけて、そうではないと気がついた。  今の私は、学校にいる時とはまるで違う。三つ編みにしている髪はまっすぐに下ろし、地味な印象を与える眼鏡もかけていない。オーバーニーソックスに、胸の谷間が見えるくらいにボタンを外したブラウス。その上ずぶ濡れの濡れ鼠。  学校での私しか知らない人が今の私をぱっと見て、それが〈北川 莉鈴〉だと気がついたら、むしろその方が驚きだ。早瀬は人の顔を覚えるのが苦手などころか、むしろ鋭い方かもしれない。 「……なにか、用?」  素っ気ない態度で訊く。 「いや……お前、この雨の中、なんでそんなずぶ濡れになってんだ?」 「雨が降ってるから、濡れてる。至極当然のことだと思うけれど?」  普段通りの――正確に言えば〈学校にいる時の普段通り〉の無表情、プラス抑揚のない無機質な口調で応える。  早瀬はやや気圧されたような様子だった。おそらく、私みたいなタイプの女の子との会話は苦手だろう。それを言ったら、彼に限らず〈学校モード〉の私との会話が得意な人間など皆無だった。  そういえば早瀬には、教室でよく話をしている仲のいい女子がいたような記憶がある。明るくて活発で話し好きのタイプの。  あれは彼女だろうか。普段付き合っているのがあのタイプであれば、やはり私のような人間の扱いには戸惑うに違いない。 「……か、傘、持ってないのか?」 「持ってるように見える?」 「いや……」  戸惑いというか、なにか恥ずかしがっているようにも見える。こちらを意識しているのは見え見えなのに、まっすぐに直視はしない。 「雨が降っている。傘は持っていない。別に、濡れることは気にしない。だから濡れたまま歩いている。以上、なにか質問が?」  それで会話を打ち切って歩き出すつもりだった。  正直なところ、この雨の中での長話はきつい。〈クスリ〉と貧血と低温のために体調は最悪といってもいい。歩いていればまだ意識を保っていられるけれど、黙って立っていたら倒れてしまいそうだ。 「あ……えっと……、よかったら雨宿りしてかないか? 今日は寒いし、そんなずぶ濡れで風邪ひくぞ?」  一歩踏みだした足が止まる。  振り返って早瀬の顔を見ると、やや照れくさそうに視線を逸らした。 「…………」  その表情を見るに、恐らくは純粋に好意による申し出なのだろう。とはいえ、そう簡単に異性の言葉を鵜呑みにするほどうぶでもない。 「……もしかして、下心とか、ある?」  先ほどからずっと落ち着かない早瀬の視線。それがちらちらと私の胸に向けられていることに気がついていた。  そういえば、上半身は下着をつけていないのだ。白いブラウス一枚、しかもずぶ濡れの。ぴったり貼りついて身体のラインがはっきり顕れ、胸が透けていることだろう。  私は小柄で細身だけれど、胸はそれなりに大きい。少なくとも、うぶな男子高校生が意識せずにはいられないくらいには。 「い、いや、ないっ! そんなの全然ないからっ!」  やや不自然なほど大げさなリアクションだった。  どうやら、よからぬ下心を抱いていたというわけではなさそうだ。雨宿りの件はやはり好意による発言だろう。  しかし透けた胸を意識していたのも事実なので、この慌てっぷりというわけだ。 「今、家族は留守で家には俺ひとりだから、気は遣わなくても……」  素直にそう言いかけたところで、しまった、という表情になった。  家族のいない家。男の子と二人っきり。普通の女の子ならかえって警戒すると気がついたらしい。  単純なものだ。同世代の男の子なんて、なにを考えているか丸わかりだ。  しかしそれ故に、普段は年長者を相手にすることの多い私にとって、いかにも女の子に慣れていない早瀬の反応は新鮮でもあった。 「ホント、別に、ヘンな意味じゃないから!」 「……別に、どうでもいいけどね」  透けた胸を見られたからといって、どうということはない。いくらなんでも「おこづかいをくれる〈パパ〉にしか見せない」というほどがめつくはないし、そもそも〈パパ〉とのデートだって、お金が主目的というわけではない。  そして、もしも早瀬が不埒なことを企んで私を家に連れ込もうとしているのだとしても、それこそ〈別に、どうでもいい〉話だった。いまさら失うものがあるわけではない。 「でも、私なんかと関わらない方がいいんじゃないの?」  そう応えると、一瞬、返答に困ったような表情を浮かべた。その反応から、私に関する〈噂〉を知らないわけではないと判断できた。  なのに親切にするというのは、よほどのお人好しなのか、それともやっぱりスケベ心を持っているのか。 「……だからって、放っておけないだろ」  早瀬はややぶっきらぼうな口調でそう言うと、私の腕を掴んで強引に家に招き入れた。 * * * 「ところで北川、お前なんで制服なんだ? 日曜なのに」  家に連れ込まれて、バスルームに案内された。  バスタオルと着替えを持ってきた早瀬が訊いてくる。  私は低温と手首の傷のせいでうまく動かない指で、ブラウスのボタンを外そうと悪戦苦闘していた。 「……この方が〈オトナ〉に受けがいいから」  簡潔にそれだけを答えると、早瀬は赤面したような、困惑したような、複雑な表情になった。どうやら、発言の意味は正しく伝わったらしい。 「そ、そうか……」  私が援助交際をしているという噂は、学校ではよく知られたものだった。特に隠そうともしていないから、ラヴホ街を〈パパ〉と歩く私を見たという目撃談は少なくない。  彼は今、その噂が真実であることを本人の口から聞かされたわけだ。  しかし、それ以上は追求して来ない。ややわざとらしく話題を変える。 「あ、えっと……着替え、俺のだから大きすぎるだろうけど、服、乾くまで、我慢してくれ」 「別に、気にしないわ」  答えながら、ミニスカートのホックを外してファスナーを下ろした。重く湿ったスカートが足元に落ちる。  続いて、ブラウスのボタンを外していく。  目の前に立つ早瀬の存在を無視したように。  脱衣所から出て行くタイミングを逸して、目のやり場に困って戸惑っている。  そんな早瀬をちらりと見る。 「……一緒に、入る?」 「じょ、じょーだん言うなよ! あ、温かい飲み物でも用意しておくから。脱いだ服はそこの乾燥機に入れてくれ」  早口に言って、慌てて脱衣所から出て行った。  ……ドアに足の小指をぶつけながら。  そんな光景を見ても私はにこりともせず、ただ淡々と服を脱いでいく。  やや拍子抜けしたことは否めない。  口ではああ言っていたけれど、いざ目の前で服を脱がれたら、本能を剥き出しにして豹変するかもしれないと思っていたのだけれど。  本当にお人好しなのか、単なる臆病なのか。意識はしているのだから、異性に興味がないわけではないだろう。  大きな筋肉質の身体の早瀬。確か、柔道部だったような気がする。格闘技をやっているからだろうか、どことなく野性的な凄みを感じる。  もしもあの身体で襲いかかられたら、私は為す術もなく犯されるだろう。しかし今のところ、そうした展開にはならないようだ。  ブラウスを脱ぐ。  ソックスも、ショーツも。  赤黒く汚れた包帯も解く。  包帯以外の衣類を乾燥機に入れ、バスルームに入った。  お湯をいっぱいに出す。  熱いお湯が飛沫となって降り注ぎ、全身を叩く。  痛いほどの刺激。  自分で思っていた以上に身体は冷え切っていたようだ。全身がこわばり、感覚も麻痺している。  お湯を浴びていると、だんだん、感覚が戻ってきた。最初の一瞬、熱湯のように感じたお湯は、実際には心地よい温かさだった。  こわばっていた身体がほぐれていく。  温もりが、身体の中に浸み込んでくる。  左手の指が思うように動かせるようになってくる。  手首の痛みが少しだけ和らぐ。  十分間くらい、お湯を浴び続けていただろうか。温まって、さっぱりした気分でバスルームを出た。  真新しいバスタオルで髪と身体を簡単に拭く。  早瀬が用意してくれた着替えを手に取る。  身長百八十センチはある早瀬のTシャツとジーンズは、いうまでもなく私には大きすぎた。Tシャツはまるでワンピースだし、このジーンズを私が履いたら、忠臣蔵の松の廊下を彷彿とさせる姿だろう。  服を着るより先に、まず汚れた包帯を手首に巻いた。ずっと雨に当たっていたせいか、出血はまだ止まってはいなかった。  そしてTシャツを手に取り、頭からかぶる。  ちらりと鏡を見る。  やっぱり大きい。肩が露わになっていて、ずり落ちてしまいそうだ。 「……まあ、いいか」  そのTシャツ一枚だけの姿で、脱衣所を出た。  リビングに戻った私を見て、早瀬は言葉を失っていた。  一瞬、かなり驚いていた。Tシャツ一枚だけを身に着けた風呂あがりの女の子というのは、相当なインパクトがあったようだ。  赤面して、なにか言いたげな素振りを見せたけれど、結局なにも言わなかった。  言えば、変に意識している証拠になる。あるいは、言ったために普通に服を着てしまうのは残念と思ったのかもしれない。  凝視はしないように気をつけつつ、しかしちらちらとこちらを見ている。  ソファに腰をおろすと、湯気を立てているカップが前に置かれた。中身はミルクココア。見かけによらずしゃれた選択ではないか。  冷たい雨に濡れて疲れた身体に、温かいミルクココアは嬉しいメニューではある。しかし、わざと「ありがとう」すら言わずに無言でカップを口に運んだ。  一口飲んで、おやっと思う。  舌触りが滑らかで、香り豊かで、すごく美味しい。  出来合いの、粉を溶かすだけのミルクココアではない。ちゃんとお湯で練って、温めたミルクで溶いた本物のココアだ。このコクは、生クリームも加えてあるかもしれない。  少し驚いて、思わず早瀬の顔を見た。  格闘技をやっている者らしい、大きな筋肉質の身体。顔はそこまでごつくはないけれど、かといって繊細な優男というわけでもない。  この身体で、この美味しいココアを作っている姿を想像するのは少々難しい。人は見かけによらないものだ。  温かい。  雨で冷えた身体を温めるには十分で、しかし熱すぎない。  少しずつ、ゆっくりと口に運ぶ。すぐに飲んでしまうのがなんだかもったいなかった。 「……余計なこと、したか?」  不意に、早瀬が口を開いた。  ココアに気を取られていた私は、一瞬、なにを言われているのか理解できなかった。 「……なにが?」 「雨宿りに誘ったこと。あんなに濡れてたのに、北川、ぜんぜん困った様子じゃなかったな」 「……そうね。雨の中を歩くのは嫌いじゃないわ。たとえそれで風邪をひいても、ね」  むしろそれが望みだ、とまでは言わなかった。言っても理解してはもらえまい。 「……ごめん」 「別に、謝る必要はないわ。雨の中を歩くのは嫌いじゃないけれど、どうしてもしたいっていうほど好きなわけでもない」 「そうか……」 「ココアが美味しかったから、まあ悪くない展開だわ」  思わず「ココアが好きなの?」と訊きそうになったけれど、なにも言わずに口をつぐんだ。それも〈別に、どうでもいい〉ことだ――と。  しかし、このココアは普通の男子高校生が作るようなものではない気がする。もっとも〈普通の男子高校生〉がどんなものなのか、よく知っているわけではないけれど。 「ああ……それは、姉貴に仕込まれたんだ」  やや照れたように答える。  それで納得した。  なるほど、お姉さんがいたのか。高校一年の早瀬の姉、ということは高校生か大学生かというところだろう。甘いものにはうるさい年頃だ。  とはいえ、このごつい弟にココアを作らせているとは、どんな姉なのだろう。なんとなく、テレビCMで見た女子プロレスラーのような姿を想像した。 「……それにしても、北川、学校にいる時とはなんか雰囲気が違うな。髪型のせいか?」  確かに、長い髪は学校では校則通りに三つ編みにしている。しかし、違いはそれだけではない。 「眼鏡もかけてないし、ね」 「あ、そっか。眼鏡、かけなくても平気なのか?」 「それほど悪いわけではないわ」  実際には、まったくのだて眼鏡だ。それは単に、容姿を地味にするためにかけている。  そもそも、今の〈雰囲気の違い〉は見た目以外の要因も大きい。  普段は、容姿も気配も、目立たないように抑えている。  自分の本来の容姿が、異性にかなり好まれるものであることは自覚している。しかし私の高校生活にとって、そんなものは邪魔なだけだ。  援助交際をしているとか、アダルトビデオに出ているとか、リスカ癖があるとかの噂が広まっていて、しかもそれが事実である女子高生にとって、異性に好まれる容姿や行動は無用なトラブルの元でしかない。異性に対してはもちろん、それ以上に同性に対しての。  学校生活というものになんの価値も見いだしていない以上、学校では目立たない方がいい。空気のように、気づかれずに存在していられれば理想的だ。  だから地味なファッションで、気配も変えて、異性を惹きつける〈フェロモン〉を抑えている。  ときおり「あんな冴えない子が援交?」といった嘲笑が聞こえてくるが、別に構わない。妬みを買うよりははるかにましだ。  早瀬が知っている〈北川 莉鈴〉はそうした女の子だった。  しかし今は違う。  よく手入れされた長い髪はまっすぐに下ろし、大きな目を隠す眼鏡もかけていない。  援交中の〈営業スマイル〉は浮かべておらず、無愛想な態度も学校のままだけれど、しかし異性を魅了する〈フェロモン〉は抑えていない――否、抑えられずにいる。〈クスリ〉の影響が残っているから。  早瀬がなんとなく落ち着かないのも、もっともな話だ。 「……と、ところで……その包帯も替えた方がいいんじゃないか?」  黙っていると間が持たない、といった様子で早瀬が言った。  自分の左手首に視線を落とす。  右手一本で巻いたものだから、かなりいいかげんな巻き方だ。そこに血が染み込み、雨に濡れて、見苦しく汚れている。  出血はまだ続いていた。鼓動に合わせて微かな痛みを覚える。  一回だけということで、無意識のうちに少し深く切ってしまったのかもしれない。その後はずっと濡れた状態でいたため、血が固まる余裕はなかったようだ。  早瀬が立ちあがり、薬箱を持ってきた。  隣に腰をおろし、左手を持って汚れた包帯を解いていく。  手首が露わになったところで、一瞬、動きが止まった。微かに眉をひそめている。  視線の先にあるのは、手首に無数に刻まれた傷痕。  新しいもの。古いもの。  何十、何百と重なって、その部分の皮膚がごつごつと固くなっている。  初めて目にする者には、ちょっとした衝撃だろう。  しかし早瀬はなにも言わず、すぐに手を動かしはじめた。  傷を消毒し、止血パッドを貼る。それを絆創膏で押さえた上で、新しい包帯をきれいに巻いていく。  なかなか手際がいい。高校入学後すぐに顔馴染みとなった養護教諭にも引けを取らない手つきだ。格闘技などやっていると、傷の手当ても日常茶飯事なのかもしれない。  手当をしている間、早瀬はずっと無言だった。一言も発していない。その不自然な沈黙は、気を遣っているのが見え見えだった。  それでも、うるさく言われるよりはありがたい。  どうして、とか。  こんなことするな、とか。  さんざん、耳にたこができるほど聞かされている。  動機なんて訊かれても困る。これは感覚的なもので、言葉にして論理的に説明できる類のものではない。たとえ説明したとしても、他人に理解できるものでもないだろう。  そういえば入学間もない頃、興味本位のクラスメイトに「痛くないの?」などというばかな質問をされたこともあった。  痛いに決まっている。  だから、切るのだ。  そうした連中に比べれば、沈黙を守っている早瀬は利口な方だろう。  もっとも彼の場合、理由の半分は傷よりも別のものに意識が向けられているためかもしれない。  露わになっている肩。  ぎりぎり見えそうな胸の谷間。  Tシャツの下から伸びる脚。  直視してはいけないという倫理観は働いているようだけれど、それでも本能には逆らえず、さりげなくちらちらと視線を向けている。  まあ、それは男子高校生としては当然の反応だろう。 「……ところで、早瀬はさっきからどこを見ているのかしら?」  傷の手当が終わっても、礼は言わなかった。私が頼んだことではない。  代わりに、少し意地の悪い質問をする。 「えっ? いあ、別に、その……」  不意打ちに、しどろもどろの反応しか返せずにいる。まさか、気づかれていないと思っていたのだろうか。  私でなくとも、女の子は自分に向けられる視線には敏感なものだ。あれだけ不自然に落ち着きのない視線、気づかないわけがない。 「…………ゴメン。ちゃんと服を着てくれないか?」  視線を逸らして言う。 「そんな必要はないでしょう? むしろ、着てない方が嬉しいのではないの?」 「え、いや……その……それは……」  否定しないあたり、根は正直な性格らしい。 「面白いもの、見せてあげましょうか?」 「え?」  返答を待たずに、Tシャツを胸の上までまくり上げた。  反射的にそこを見た早瀬の目が、驚きに見開かれる。  それはおそらく、女の子の胸を直視したための驚きではない。そこを彩っている、見慣れぬものが原因だ。 「き、北川……それ……?」  無意識のうちに伸ばしてきた手が、胸の数センチ手前で止まる。 「世の中には、こういうものに昂奮する男もいるってこと。そして、こういうことをされて昂奮する女も、ね」 「…………」  早瀬の指がさす先、私の小さな乳首には、環状のピアスが付けられていた。  私は、胸はそれなりに大きいが、それ以外は小柄で童顔のロリータキャラだ。その身体を貫くピアス。そのギャップに興奮する男は少なくない。  それは、もう何年も前に〈パパ〉のひとりに開けられたものだ。  もっとも、日常的にいつでも付けているわけではない。学校で体育の授業がある時などは付けない方が安全だし、大抵の〈パパ〉にはそこまでサービスしない。今日の〈パパ〉は、サービスするべき相手だった。  早瀬の手は、胸のすぐ手前で硬直したように宙でとまっている。 「……いいわよ、触っても?」  相変わらずの無表情のまま誘う。早瀬はやや困惑したような表情で私の顔を見て、それからさらにしばらく躊躇った後、恐る恐る、といった風に手を伸ばしてきた。  指先が触れる。  それが実在するものであることを確かめるように、乳首を貫いているピアスをつまむ。そのまま、軽く引っ張られる。 「……んっ」   思わず、小さな声を漏らしてしまった。  ピアスを付けている時に胸に触れられるのは弱い。普段よりもすごく敏感になっている。今は〈クスリ〉の影響も残っているからなおさらだ。  そういえば、今日は〈クスリ〉を使われていながら一度しかしていない。  こんなことは珍しい。大抵は〈クスリ〉が抜けるまで責めが続くのが常なのだ。  そのせいで、身体は満足していない。まだ、満たされていない。  まずい……かもしれない。  早瀬の手が、ピアスを、乳首を、そして乳房を弄んでいる。  このままではほどなくスイッチが入ってしまいそうだ。後戻りできなくなってしまう。  ……だけど。  別に、それでもいいのかもしれない。  これまでクラスメイトと、いや、同じ学校の生徒とも肉体関係を持ったことはないけれど、それはたまたまそうなる機会がなかっただけで、意図的に避けてきた展開というわけではない。 「……もっと面白いもの、見せてあげましょうか?」 「…………」  早瀬は無言で私を見た。声に出して答えずとも、その目が雄弁に語っていた。  脚を開いて、ソファの上に持ちあげる。表情ひとつ変えずに、いわゆる〈M字開脚〉の体勢になって、その中心にあるものを早瀬の眼前に曝した。  押し殺したような、微かな驚きの声が漏れる。  そこは、ほぼ無毛だった。  まめな手入れの結果ではなく、もともとの体質だ。しかし、早瀬を驚かせたのはその点ではない。  小柄な私の、小ぶりで無毛の女性器。それは一見、子供のもののようだ。  しかしそこには、子供の身体には似つかわしくない、金色のピアスが光っていた。  小淫唇を貫いて、左右合わせて五つもの。  子供のような性器を彩るピアス。それを目の当たりにした衝撃は、乳首の比ではあるまい。  私は左右ひとつずつのピアスをつまむと、ゆっくりと拡げてみせた。  露わにされる、紅く充血した粘膜。そこはおそらく、愛液で濡れているはず。  早瀬が唾を飲み込む音が聞こえる。ひどく緊張した様子で、なにか言いたげにちらりと私の顔を見る。 「触っても、いいわよ?」  その言葉に促され、指を伸ばしてくる。  拡げられた割れ目の中心に向かって近づいてくる。  触れられた瞬間、下半身がびくっと震えた。  一瞬、指が止まる。数秒後、また恐る恐るといった風に動き出す。 「ん…………っ」  くちゅ……という湿った感覚。〈クスリ〉の影響か、思っていた以上に濡れている。あるいは、普段の援助交際とは違うこのシチュエーションに興奮しているのかもしれない。  だんだん、指の動きが大きくなってくる。最初は怖々と遠慮がちに触れていたものが徐々に大胆になり、はっきり〈愛撫〉と呼べるものに変わってきた。 「ぅ…………んっ、……く…………ふ、ぅ」  小さな、しかし抑えられない声が漏れてしまう。  いくら経験豊富でも、いや、だからこそ、無反応ではいられない。〈パパ〉との逢瀬で満足していなかった私の身体は、求めていたものを与えられて、すぐに反応してしまう。  微かな喘ぎ声に誘われるように指の動きは激しさを増し、私の中へと潜り込んでくる。  こうなると、もう、とまらない。  ちらりと視線を移すと、早瀬の股間が膨らんでいるのがジーンズの上からでもはっきりとわかった。  手を伸ばし、そこに触れる。  早瀬にとっては不意打ちだったのか、驚いたように身体が弾んだ。それでも抗う素振りは見せず、私にされるままにしていた。  掌を当て、そっと撫でてみる。ジーンズの厚い布地を通しても、その大きさが伝わってくる。体格を考えれば大きくて当然だけれど、それにしてもかなり立派なものを持っているようだ。  ジーンズのボタンを外し、前のファスナーを下ろす。手を滑り込ませて、トランクスの中から引っ張り出す。  それはもうはちきれそうなほどに大きくなって天井を向いていた。  手で握ってみる。  やっぱり大きい。  私の小さな手には余って、握った手の、親指と人差し指がつかなかった。長さも相当なものだ。  これが私を貫く光景を思い浮かべてみた。その状況に興奮し、期待していることは否定できない。  軽く握った手を上下に動かして擦る。早瀬が小さく呻き声を上げる。  サイズはもちろん、固さももうこれ以上はないくらいで、私の手の中でびくんびくんと脈打っている。 「……したい?」 「え?」 「私と、セックス、したい?」  私は、早瀬としたかった。  いや、早瀬という部分はどうでもいい。このペニスに貫かれたかった。  私の身体が、牝の本能が、したがっていた。  理性の言葉は無視だ。精神面のことをいうなら、セックスを楽しいと思ったことなど一度もない。私にとって、悦びは純粋に肉体的なものだった。  それでもいい。なにも、構うことはない。 「え……それは、そりゃあ…………でも、いいのか?」  半信半疑で訊いてくる。にわかには信じられないといった様子だ。  確かに、経験のない高校生にとっては、あまり考えられない展開だろう。  しかし、 「援交が日常の一部になってる女が、クラスメイトとその場のノリでセックスすることを躊躇すると思う? ああ、心配しないで。別に、早瀬からお金を取る気はないわ」 「でも……どうして、俺と?」  性格やついて回る噂はともかくとして、見た目だけなら可愛い女の子がただでセックスさせてくれると言っている――男にとっては美味しすぎるシチュエーションだ。それだけに、常識人の彼には簡単に受け入れられない面があるのだろう。  正直なところ、私の方にはさしたる理由はない。〈クスリ〉の影響があって、身体がまだ満足していないことが主たる動機で、あとは単に〈なんとなく〉でしかない。  強いて言えば、私にとって男と二人きりでいるということは、その男に犯されることとイコールだということだろう。  しかし、それを早瀬に理解できるように説明するのも難しい。 「……雨宿りとか、傷の手当ては余計なことといってもいい。でも、ココアは美味しかった。そのお礼ってことで、どう?」 「いや……でも……その……、いいのか? 本当に……」  私はもう答えずに、ソファから滑り降りて絨毯の上に座った。  目の前に、大きな男性器がそそり立っている。  ちらりと上目遣いに早瀬の表情を窺った。緊張した面持ちで唾を飲み込んでいる。私はそのまま、早瀬のペニスに唇を押しつけた。  すごく、熱かった。 「……こういうこと、経験ある?」 「い、いや……」 「彼女と、してないんだ? 初めての相手が彼女じゃなくて、いい?」  そう訊いたのは形式的なもので、。答えを待たずに口に含んだ。早瀬の口から呻き声が漏れる。  口に入れてみると、目で見るよりもさらに大きかった。  初体験からこれまで、数え切れないほどの男性器を口にくわえさせられ、膣に挿入されてきたけれど、純粋にサイズという点ではこれが最大だろう。そもそも、早瀬よりも大柄な男を相手にしたことはない。  口をいっぱいに開いていないと噛んでしまいそうだ。  顎が疲れる。  それでも舌を絡ませ、唾液を塗りつけて口で奉仕する。  この大きなものをすべて口に含むのは難しいので、根本は手でしごく。もう一方の手は袋の部分を優しく包み込むように刺激する。  さらに、強く吸う。舌と内頬の粘膜を亀頭に押しつけ、擦りつける。  早瀬の呼吸が速く、荒くなってくる。顔を見ると、唇を噛んで快感に耐えている。  もう、あまり長くは保たないかもしれない。相手は経験のない高校生なのだ。いつもの海千山千の〈パパ〉と同じに考えてはいけない。 「……このまま出す? それとも、私の中に挿れる?」 「…………き、北川に……挿れたい。……いいか?」  喘ぐように言う。 「もちろん、いいわ。でも、ゴムは付けて」 「あ……ああ……」  私は腕を伸ばして、傍らに置いてあった鞄を引き寄せた。ポケットから、もっとも一般的な避妊具を取り出す。  実際のところ、避妊の必要はなかった。私はピルを服用している。  単に、いつでも誰でも簡単に生でさせるほどお人好しではない、というだけの話だ。ましてや今は〈お小遣い〉をもらっているわけでもないのだから、サービスしすぎる理由もない。  封を切り、コンドームを舌の上に乗せる。  そのまま、また早瀬のものを口に含む。  根本まですっぽりとゴムを被せる。こうしたテクニックはお手のものだ。  コンドームが正しく装着されていることを確認すると、立ち上がってソファの上に戻った。座っている早瀬の上にまたがるような体勢になる。  膝立ちになって、片腕は早瀬に掴まってバランスを取り、もう一方の手でペニスを握って濡れた割れ目に導く。  先端を膣口にあてがう。  大きくて熱くて固い肉の塊が触れているのを感じる。  脈打っているのが伝わってくる。挿入する前から感じてしまいそうだ。 「ん……ぅん、ふ…………ぅ、んっ……くぅ……」  ゆっくりと腰をおろしていく。  膣口が押し拡げられていく。  ゆっくりと、しかし力ずくでねじ込まれていくような感覚。かなりの抵抗感がある。  もう十分すぎるほどに濡れてはいるし、口でコンドームをつけた際にたっぷりと唾液を塗りつけてもある。しかしそれでも、スムーズに挿入できるサイズではない。  少し、痛い。大きすぎる異物を受け入れ、膣の粘膜が限界近くまで引き延ばされる痛み。  しかし、それがいい。 「あ……ぁ…………はぁぁ」  奥まで届いたところで、思わず溜息が出た。  下半身から力が抜けていく。  ペニスの先端は膣のいちばん深い部分を突き上げている。それでもまだ根元まで私の中に収まりきってはいない。力を抜くと、自分の体重で内臓が押し潰されるように感じる。  男性器を挿入されているというよりも、脚の間に、あるいは骨盤の中に、大きな熱い塊があるような感覚だった。  かなり、感じる。  油断すると気が遠くなりそうで、両腕で早瀬にしがみついて身体を支えた。 「……お、くまで……入ったわ。あとは……早瀬が、好きに動いて」 「あ、ああ……大丈夫か?」 「……もちろん」  早瀬は腰に腕を回すと、身体の向きを九十度変えて私をソファに横たえた。  上から覆いかぶさってくる。  太い腕で抱きしめられる。 「北川の身体……小さくて柔らかいな」 「……早瀬は、大きくて硬いわね。一部分が、とっても」  そう言ってやると、ただでさえ興奮して紅潮していた顔がさらに赤みを増した。私を抱く腕にさらに力が込められる。 「ちっちゃくて、柔らかくて…………なんだか壊れそうで怖いな」 「……いいわね……それ。…………壊して、めちゃめちゃに」  〈クスリ〉の影響が残っている今の状態で、優しいセックスなんて欲しくない。めちゃめちゃに蹂躙されるのが望みだ。 「……んっ」  早瀬が動く。腰が突き出される。  奥深くを、ずんと突かれる。  ゆっくりと引き抜かれていく。  私の中をいっぱいに満たしているものによって、膣内の粘膜が引きずり出されるような感覚だった。  先端まで完全に抜かれる直前、動きが逆転する。ずぶずぶと私の中にめり込んで、突き当たりまで押し込まれる。  二度、三度、往復運動を繰り返す。  先ほどの指での愛撫と同様、最初は恐る恐るのぎこちない動きだったけれど、だんだんと勝手がつかめてきたのか、リズミカルな大きな動きに変わっていく。 「はっ……ぁ、……んっ、…………く……ぅん、……ん……ぅ……」  いちおうは私に気遣っているのかもしれないけれど、それでも身長差は三十センチ以上、体重差にいたっては軽く二倍以上。早瀬は軽く動いているつもりでも、私の身体は大きく揺さぶられる。  膣中をいっぱいに満たしている男性器が動く刺激は相当なものだ。  苦しいほどに、痛いほどに。  でも……悪くない。  早瀬の動きに合わせて、ペニスの往復運動に合わせて、微かな嗚咽混じりの吐息が漏れる。  私も腰を浮かせて動きを合わせる。自分のいちばん感じる部分が擦られるように。そして早瀬により強い刺激を与えるように。 「んっ…………ぁ、んっ、…………ふぅ……ぅんっ」  唇の隙間から漏れる声はか細い。  涙が滲んでくる。  苦しくて、痛くて、気持ちいい。  何故か早瀬が不安げな表情を浮かべる。 「北川……大丈夫か?」 「……ぜんぜん……平気よ? ……早瀬の……けっこう、いい感じだわ」 「そ、そうか? なんか、辛そうに見えたから。泣きそうというか、苦しそうというか……」 「……そうね……。大きいから、私のにはちょっと……きついわ。少し、痛い。……でも、…………それが、いい……ちゃんと、感じてる」 「そうか……ならいいんだけど」 「ひょっとして……あれ? AV女優みたいに激しく声出して悶えてないから? 感じてないと、思った?」  一瞬の狼狽。図星らしい。  早瀬はこれが初体験。当然、女の子がどんな反応をするかなんて、AVなどで得た知識しかないはずだ。 「……そういうのが好みなら……声、出してあげても……いいけど。…………でも、演技になるわよ?」 「やっぱり……あーゆーのって、演技なのか?」 「人それぞれ……じゃない? AVはもちろん演技として……素でああいった激しい反応をする子もいるし、そうじゃない子もいる。……私は……素では、こんな感じ。あんまり声は出さないわ」  今の反応は、数時間前に〈パパ〉に甘えてきた時とはまったく違う。  もっとも、あれがすべて演技かというと自分でも判断の難しいところで、結論を言えば〈相手によりけり〉だろう。まったくの演技の場合もあるし、あの〈パパ〉が相手の時は意識せずともあんな反応になる。  今は、相手がクラスメイトの早瀬だからだろうか、学校にいる時と同じように、無口、無表情、無愛想な態度が自然と表に出てくる。 「これじゃあ……ものたりない? でも今は、……無理に声出したりする、気分じゃないの」 「いや、いいんだ。普通にしててくれ。ただ……慣れてないから、ちょっと心配になって」 「私がちゃんと感じているかどうか? 気にしなくてもいいわ。私は…………セックスに関しては、されてダメなことってほとんどないから。早瀬のやりたいようにして構わないわ」 「そ、そうか?」  これは別に早瀬に気を遣っての台詞ではなく、まったくの真実だった。  アナルやSMはもちろん、スカトロ系だって構わない。なにをされても私の身体はそれを快楽として受けとめてしまう。  セックスの時に絶対にされたくないことは、多分、ひとつだけ。そして、今それをされる可能性はほとんどない。 「感じているかどうかが気になるのなら……」  早瀬の手を取って、結合部へと導いた。驚くほど太い男性器が私の中に突き刺さっている箇所に触れる。  それは〈ぬるり〉というよりも〈びちゃっ〉という擬音が相応しい感触だった。 「すごく……濡れてるでしょう? 私の場合、こんな風になっていれば、本気で感じているってことだから」 「……そ、そうなんだ?」  状態を確かめるように早瀬が指を動かして、結合部の周囲をなぞっていく。溢れた蜜はお尻の方まで流れ出していた。 「だから……余計なこと考えなくていいから…………続けて」 「……わかった」  早瀬の動きが再開する。  体内を剔られるような、激しすぎる摩擦感が襲ってくる。  流れ出すほどに濡れてはいても、それだけではサイズの差を埋めきれてはいなかった。もともと、私の愛液はあまり粘性が高くない。  蒸気機関車のような、荒い呼吸、力強いピストン運動。  小さな身体が揺さぶられ、ソファのスプリングが軋む。 「ぅ……んっ…………んふぅ……、ぅ……んっ、んはぁ……」  半開きの口から、呼吸とも喘ぎ声ともつかない掠れた声が漏れる。  少しずつ、音程が高くなっていく。  どんどん、気持ちよくなっていく。  技術的には拙い動きだと思うけれど、それは大きな問題ではなかった。大抵のことには感じる身体だし、早瀬の場合はサイズと体力が技術をおぎなってあまりあった。  頭の中が白くなってくる。  目の焦点が合わなくなる。  意識が、下半身から突き上げてくる快感だけに集中している。  早瀬の呼吸が荒くなり、動きが加速していく。  太い腕で苦しいくらいに抱きしめられる。  私も大木のような身体に腕を回し、親子ほども体格差のあるふたつの身体が密着する。  早瀬はもう今にも達しそうな気配だ。初体験の男の子がそれほど長持ちするとも思えないし、私の性器が男性にとって相当に気持ちのいいものであることは、自惚れでもなんでもなく事実として自覚している。  無我夢中で、腰を打ちつけてくる。  私の中でめちゃめちゃに暴れている。  もうちょっと、頑張って欲しい。  あと十秒、それだけでいい。  それで……  私、も……  い……け……  …………  ――――――っっ!  視界が、真っ白になった。  浮遊感に包まれる。  がくんと落下するような感覚。  それで意識が戻ってくる。  膣の中で、早瀬が大きく脈打っていた。  熱い精液を吐き出している。  コンドームの先端の精液だまりが膨らんで、膣奥を刺激する。  ペニスは何度も何度も脈打って、かなり大量の精液を噴き出したようだった。  これは、生でさせてあげた方がよかったかもしれない。中に出させた方が、私もより感じたかもしれない。  少しだけ後悔するけれど、今さらいっても後の祭りだ。  そこまで欲張ることもあるまい。これで十分に気持ちよかった。経験のない男の子が相手なのに、私もちゃんと達することができた。  〈パパ〉とのセックスに満足していなかった身体の疼きが、かなり解消されていた。  満ち足りた気分で大きく息を吐き出す。  早瀬も大きな深呼吸をした。感極まったような声を漏らしながら上体を起す。 「ん…………くぅ、ん」  もぞもぞと身体を動かして、早瀬の下から抜け出る。  まだ大きいままだった男性器が、ずるり……という感覚で抜け、いっぱいに拡げられていた膣が収縮する。  苦しいほどの圧迫感から解放されて楽になると同時に、少しだけ物足りなさも感じてしまう。 「……早瀬……座って」  早瀬は素直に従った。その下半身に手を伸ばす。  ソファから滑り降りて早瀬の前に跪く。  目の前にそそり立つ男性器は、まだほとんど勢いを失ってはいなかった。  コンドームを外しながら顔を寄せる。唇を、舌を、押しつける。  精液にまみれた肉の塊に舌を這わせる。滴り落ちる白濁液を舐めとっていく。  苦い。  そして生臭い。  正直、美味しいなんて思わない。  なのにいつも、自ら進んでそれを口に含み、飲み込んでしまう。そうするのが当然のように。本能に刻み込まれた行動のように。  根元から先端まで、一滴残らず綺麗に舐めとった。先端を口に含んで、上目遣いに早瀬の表情を窺う。  戸惑ったような、やや強張った表情を浮かべている。なにか言いたげな様子にも見える。  もう一度、したいのだろうか。口の中のものはまだぜんぜん元気で、サイズも固さも私の中にあった時とほとんど変わってはいなかった。  私としては、別にどちらでもいい。  したくて堪らない、今すぐ膣が満たされなければ我慢できない、というほどには飢えていないけれど、早瀬が求めるなら相手をしてあげてもいっこうに構わない。もう夜だけれど、別に急いで帰らなければならない理由もない。  早瀬が腕を伸ばしてくる。  手が頭に触れる。  ――と。 「――っっ!」  突然、ぐいっと引き寄せられた。  顔が早瀬の下半身に押しつけられる。  極太の男性器が、喉の奥まで突き入れられる。  もともと、私の口中に全体を収めるには大きすぎるものだ。それを無理やり力ずくで根元まで押し込まれたため、必然的に先端は喉の奥まで達していた。  ディープスロートという行為自体は慣れたものだ。それでも、ここまで大きなものを飲み込むのは初めてだった。  弾力のある亀頭が、一分の隙もなく喉を塞いでいる。  苦しい。  食道には膣ほどの伸縮性はない。本当に、無理やり〈ねじ込まれている〉という感覚だった。まさか実際にそんなことはないだろうけれど、感覚的には、先端は首より下まで届いているような気がした。  苦しい。  吐き気が込み上げる。  しかし早瀬は私の頭を両手でしっかり掴んで、乱暴に腰を突き出してきた。 「ぐ……ぅヴっ! ……ぅ、ぐっ…………ンぶっぅ……っ!」  奥の奥まで突き入れられ、少しだけ引き抜かれ、また奥まで押し込まれる。  口、ではない。喉を犯されていた。  いきなり、どうしてしまったのだろう。最初の行為は小柄な私への気遣いが多少なりとも感じられたのに、今はなにかのスイッチが切り替わったかのように乱暴に犯している。  苦しい。  呼吸ができない。  痛い。  胃液が逆流し、咳き込みそうになる。だけど喉を塞がれていてそれすらも叶わない。まるでLLサイズの固ゆで卵を丸飲みしたような感覚で、大きな亀頭が食道を塞いでいる。  苦しい。  涙が滲んでくる。  ……なのに。  こんなに苦しいのに。  私の身体には、涙よりもはるかに多い雫を滴らせている場所があった。  自分の身体に呆れてしまう。  こんなに苦しいことをされているのに。  無理やり、力ずくで乱暴に陵辱されているのに。  興奮してしまうだなんて。  息ができない。  酸欠で意識が朦朧としてくる。  正真正銘の限界まで、もう秒読み状態だ。  ――と。  いきなり、口と喉を犯していたものが引き抜かれた。  口は酸素を求めて喘ぎ、抗議の声をあげる余裕もない。  肩で呼吸をしていると、乱暴に床の上に転がされた。大きな身体が覆いかぶさってくる。  早瀬は体重をかけて私の腕を押さえつける。まるで重い鉄製の枷でも付けられたかのように、ぴくりとも動かすことができない。 「は…………」  開きかけた口の動きが止まる。  思わず、無言のまま早瀬の顔を見つめた。  ひどく怖い顔をしていた。  どこか、野生の肉食獣を彷彿とさせる雰囲気があった。  頭に血が昇って牡の本能に支配されたかのような顔で、下半身を押しつけてきた。 「う……ぁっ……、……っっ!」  一気に、貫かれた。  悲鳴を上げそうになる。  私の膣が受け入れられる限界といってもいい大きさの異物。しかもゆっくりとした挿入ではなく、無理やり強引にねじ込まれた。  両腕を押さえつけられて身動きできない状態で、いちばん深いところまで一気に貫かれる。  膣が突き破られるかのようだった。私の膣の奥行きよりも、早瀬のペニスの方がずっと長い。  なのに根元までねじ込まれて、膣が無理やり引き延ばされる。いくら伸縮性があるとはいえ、この体格差の相手に力まかせに突かれるのはかなり痛い。身体の内側から、内臓を突き上げられるような感覚だった。  早瀬の動きはさっきよりもずっと激しかった。全身で、全体重を乗せたピストン運動。力強く、そして速い。  吐き気が込みあげるほどに深く突き入れられ、一気に引き抜かれ、また突かれて。  削岩機のような勢いで往復する。  摩擦で膣が火傷しそうなほどに熱い。 「ぅ……っ! ぅぐ…………んんっ、ぁ……! ……っ、……っっ!」  奥深くまで串刺しにされている。いや、串なんて生やさしいものではない。これは太い杭だ。  痛い。  苦しい。  さすがに涙が滲んでくる。  普通の女の子なら悲鳴を上げて泣き叫ぶところだろう。しかしこんな時でも、私は微かな呻き声を上げるだけだ。 「ぁ……、っ……ぅ、ぅん……っ!」  いっさいの手加減がない責めに気が遠くなる。  まるで濁流の中でもみくちゃにされているようだ。蹂躙され、性器以外にも身体のあちこちが痛い。背中が絨毯に擦りつけられている。ソファやテーブルに肩や腕がぶつかる。  ――なのに。  私は、感じていた。  興奮、していた。  さっき早瀬に言ったように、びちゃびちゃに濡れていた。激しく抜き差しされて飛沫を飛び散らせていた。  意識が混濁する。  落ちていくような感覚。  視界が暗くなる。  失神してしまいそうな意識をつなぎ止めたのは、ひときわ乱暴な、激痛をともなう最後のひと突きだった。  膣の奥で小さな爆発が起こる。  胎内に、熱い粘液が噴き出してくる。  びくん、びくん。  早瀬が脈打っている。  下半身をぐいぐいと押しつけて、最後の一滴まで子宮の中に注ぎ込んでくる。  やがて早瀬は大きく息を吐き出して、私を押さえつけていた腕から力が抜けていった。 * * *  早瀬の顔から、猛々しい獣の表情は消えていた。  我に返ったように、困惑した顔で私を見おろしている。  私は無言で早瀬を見上げる。 「あ……、ご……ごめん!」 「…………」  なにも応えない。  特に言うべき言葉もない。  ふっと視線を逸らして横を向いた。 「なんか……急に頭に血が昇って、衝動を抑えられなくなって…………、ごめん! 乱暴なことしちまった」 「…………」  まだ、彼は私の中に在った。  動きは止めているものの、狼狽気味のその表情からは想像もつかないくらい、そこだけはまだ先刻までの荒々しさをそのまま残していた。 「……別に、どうでもいいわ」  そっぽを向いたまま、ぽつりと独り言のように言った。 「…………言ったでしょう? されてダメなことはないから好きにしていいって」  本当にここまで好きにされるとは思っていなかったけれど、しかしそれが受け入れられないわけでもない。 「でも……」 「忘れたの? 私は、乳首やまんこに穴を開けられて悦んでるような女よ? ……さっき言ったこと覚えてる? 早瀬はむしろ、絨毯が汚れていないかどうかを心配したらどうかしら」  反射的に下を……結合部を見た早瀬は、そこでようやく私の言葉の意味を理解したようだった。  たぶん、絨毯には私が流した蜜の染みが残っている。それはこの身体が本気で感じていた証だ。 「……でも……あと、中で出して……」  なるほど、それを気にしていたのか。まあ、そうしたことに考えが至るだけでも救いようはある。 「……そうね。もし、困ったことになったら、どうするつもり?」  つい、意地の悪いことを言ってしまう。陵辱の代償として、このくらいの仕返しは許されるだろう。 「…………ごめん。……万が一の時には、責任とるから」 「責任? 口先だけでいい加減なことを言うものではないわ。成人ならともかく、一介の高校生がどうやって責任とるって?」 「それは……その……」  申し訳なさそうに、早瀬は大きな身体を小さくする。意地悪はこのくらいでいいだろうか。 「……まあ、今回はその心配はないけれど。妊娠はしないわ。ピル、飲んでるから」 「え? あ、ああ……そ、そうなんだ?」 「用心のために、ね。いくら避妊してっていっても、聞かない男は多いのよ。……誰かさんみたいに」  もう一言だけ、ちくりと皮肉を言う。  早瀬がさらに小さくなる。  なのに、私の中にあるものだけは萎える気配もないのだから呆れたものだ。普通、情けないくらいに縮みあがるところだろうに、相変わらず私の膣はいっぱいに拡げられたままだった。 「…………ごめん」 「……だから、別に、どうでもいいって」  実際のところ、怒ってはいなかった。本当に、どうでもいいことだ。  この程度のことで怒る情熱も純情さも持ち合わせてはいない。陵辱だろうが中出しだろうが、日常の一部でしかない。正真正銘〈レイプ〉された経験だって一度や二度ではない。  しかし早瀬の表情は納得していないようだった。根は善人なのだろう。罪を犯したら償いをしなければならない、というわけだ。  もっともこのタイプは、謝ればなんでも許されると思っているところがあるので好きになれない。この世には、償いようのない罪というのも存在する。 「私、謝るのも謝られるのも嫌い。後で、ココアをもう一杯ちょうだい。……それで赦すわ」 「…………わかった」  ようやく、少し安心したような顔になる。 「……で、まだ、するつもり?」  私の中のものはまだ元気だった。膣を痛いほどに拡げ、内部をいっぱいに満たしている。 「なら、ベッドへ連れていってくれない? ここじゃ痛いわ」  クッションのない絨毯の上での激しい責めは、少々堪える。もう一回くらいここでしてもいいとも思ったけれど、たぶん、一度では済まないような気がした。 「え? えっと……いいのか?」  躊躇いつつも、嬉しさを隠しきれていない表情。  やっぱり、勃起していたのは単なる生理的な反応ではなく、まだやり足りないという思いがあったのだろう。 「別に、構わないわ。せっかくの機会なんだから、思う存分やったら?」 「……ああ。じゃあ……頼む、やらせてくれ」 「それじゃあ、このままベッドに連れていって」  腕を伸ばして早瀬の首に回す。脚を身体に絡める。 「このまま、って……このまま?」 「このまま」 「…………ん」  早瀬は私の身体に腕を回すと、身体を起こした。  挿入したまま軽々と私を抱き上げて、立ちあがる。  その姿はまるで、ユーカリの巨木とそれにしがみつくコアラ。  私の身体は早瀬の腕一本とペニスだけで支えられていた。自分自身の体重で、より深く、強く、貫かれてしまう。  いちおう私もしがみつく体勢になってはいるけれど、膣からの刺激が強すぎて手脚に力が入らなかった。体重のかなりの部分が膣にかかってくる。 「……く…………ぅ、ん……」  早瀬が歩き出す。  階段を上っていく。  一歩ごとにずんずんと突き上げられる。  痛い。  そして、痛いからこそ気持ちいい。  口に出してはなにも言わなかったけれど、二階にある早瀬の部屋に着いた時には、もう軽く達していた。  つながったまま、ベッドに横たえられる。  大きな身体が重なってくる。  骨が軋むほどにきつく抱きしめられる。 「……好きにしていいって、言ったよな?」 「…………ええ」 「さっきみたいに……、激しくしても?」 「…………もっと激しくだって、お好きなように。別に、構わないわ」 「……ああ」  小さくうなずいて、動き出す。  また、身体が揺さぶられる。  多少なりとも気を遣ってくれていたのは、せいぜい最初の一、二分だった。  すぐに早瀬はその行為に夢中になって、先刻と変わらない、いや、それ以上の激しさで私を犯しはじめた。 * * *  私を襲っていた嵐が過ぎ去った時には、時刻はもう夜中近くになっていた。  その間ずっと、犯され続けていた。  何度も、何度も。  もみくちゃにされ、陵辱されて。  腕や脚を乱暴に掴まれて激しく犯されたので、身体中があちこち痛い。  なにより、膣と淫唇が擦過傷でひりひりと痛む。触れるのも躊躇われるほどだ。この様子では真っ赤に腫れあがっていることだろう。  全身が倦怠感に包まれている。  痛みと疲労のために、早瀬から解放されてもぐったりと横になったまま動く気力もなかった。意識も半ば朦朧としている。  早瀬は何時間も、あの勢いのまま私を犯し続けていた。どちらかといえば華奢で虚弱な私からみれば、とんでもない体力だ。  私の中から抜け出た早瀬が頭の方に移動してくる。顔にまたがるような体勢で、粘液にまみれたペニスを私の口に押し込んでくる。  さすがにピーク時の勢いは失われていたけれど、それでも口いっぱいのサイズだった。  条件反射のように、精液まみれの男性器を舐めて掃除する。  すっかりきれいにして、もう一度元気にしようと口を使いはじめたところで、早瀬は今度こそ私から離れた。 「…………もう、いいの?」 「……ああ、さすがに……堪能した。最高に気持ちいいな、北川のここ」  さすがに最初の頃のような戸惑いは薄れて、早瀬の言動にも多少の余裕が感じられるようになっていた。  私の性器を指でつつき、ピアスのひとつを軽く弾く。 「…………そう」 「……そういえば、ハラ減ってないか?」  時刻を考えれば空腹のはずだ。夕食も食べずに夕方から夜中まで、激しいセックスを続けていたのだから。  しかし空腹感は感じられず、食欲もまるでなかった。  疲れすぎたせいか、あるいは内臓を激しく突かれ続けていたためかもしれない。お腹の奥の方に鈍い痛みも感じる。今はとても固形物を受け入れる気分ではない。  おそらく早瀬は空腹なのだろうが、それに付き合ってやる義理もない。 「……別に。あんまり、そんな気分じゃない。それより、喉、乾いたわ」 「……あ、……と、ココアでいいのか? それともアイスココアにするか?」 「…………そうね。そうして」  部屋の中は寒くないし、激しい行為で身体は汗ばんでいた。それに今の体調なら、冷たい飲み物の方が喉を通りやすいだろう。 「わかった」  手早く服を着て早瀬が出ていく。  私は立ちあがる気力も体力もなくて、全身の残った力を総動員してのろのろと上体を起こした。  そこで初めて、室内を見回す。  同世代の男の子の部屋というのはあまり見たことがなかった。いや、肉体関係のある男性たちだって、私室を見たことはほとんどない。身体を重ねるのはたいていがホテルか車の中、まれに屋外だ。  あまり飾りっ気のない部屋、という印象だった。  大きな家具はベッドと机と本棚と、テレビやミニコンポ、ゲーム機などを置いたスチールラック。  早瀬らしさを感じさせるものといえば、柔道着とダンベルくらいだろうか。  やや散らかってもいるが、足の踏み場もないというほどではない。  ゆっくりと頭を巡らし、時計を見る。  時刻は午後十一時半を過ぎたところ。しかし、早瀬の家族は誰も帰っていない。もちろん、だからこそ今まで行為を続けていられたのだけれど。  いつも、こうなのだろうか。それとも、今日がたまたまなのだろうか。後者だとしたら、たまたま私が雨宿りに来た日に家族が留守とはすごい偶然だ。  まだ、少しぼんやりしている。  いくら私でも、ここまで激しいセックスは滅多にない。  五時間以上、休みなし。  しかも、とびっきりの激しさで。  シーツに、ごく微かな血の跡を見つけた。  まず左手を見る。早瀬が巻いてくれた包帯はきれいなままだ。やっぱり、激しく擦られていた部分が擦り剥けているのだろう。  まるで、下半身が鉛の塊にでもなったかのように重い。  膣に異物感もある。ずっと、あの大きなものを入れられていたためか、それとも腫れているためかもしれない。  相手はたったひとりなのに、これだけの時間、これだけ激しくというのは初めてだった。複数が相手となればまた話は別だけれど。  経験豊富な私にとっても、滅多にない日だった。今日がこんな日になるなんて、数時間前までは予想もしなかった。  おかしなものだ。 〈パパ〉とホテルに入ったところまでは、ありふれた〈日常〉でしかなかったのに。  階段を上ってくる足音が聞こえてくる。  グラスを載せたトレイと、乾燥機に入れてあった衣類を持って、早瀬が戻ってくる。  アイスココアのグラス。  全裸のまま無言で受け取り、ストローをくわえる。  冷たい。  甘い。  そして、美味しい。  少しだけ、身体に力が戻ってくるように感じる。  一口ずつ、ゆっくりと飲んでいく。  早瀬は椅子に座って、ベッドの上の私を無言で見つめている。  微かにぶつかる氷以外、なにも音がしなかった。 「……美味しかったわ」  空になったグラスを返す。 「そうか。よかった」  微かな笑みを浮かべた顔は、ごつい体格に比べると意外と優しげだった。だけどやっぱり、美味しいココアをちまちまと作っている姿は似合わない。  さっき気がついた家族のことを訊いてみようかとも思ったけれど、やめておいた。他人の家庭のことなんて〈別に、どうでもいい〉ことだ。  無言のまま、乾いた衣類を手に取った。  普通ならばシャワーを浴びてから帰るところだけれど、今はそんな元気もない。このまま家に帰って寝て、明日の朝に入浴すればいい。  ショーツを穿き、ブラウスを着る。そういえばブラジャーは鞄に入れたままだ。ここまでノーブラで来たのだから、このまま帰っても問題あるまい。  スカートを穿く私を、早瀬は視線を逸らさずに見つめていた。数時間前から比べるとたいした進歩だ。 「北川の家って、この近くなのか?」 「……歩いて三十分……弱、くらいかしら」 「けっこうあるな。送ってくよ。もう遅いから」  その申し出をしばし検討する。 「…………そうね。第一、ひとりじゃ歩けそうもないわ」  脚に力が入らない。  なんとか立って歩けたとしても、擦り剥けている下半身の状態を考えればまともには歩けまい。 「ご……、あ、いや……えっと……じゃあ俺が抱いていくから」  ごめん、と言いかけて慌てて言い直す。さっき「謝られるのは嫌い」と言ったことを覚えていたらしい。  彼に対する評価が少しだけ上がる。 「抱いて? 家まで、ずっとお姫様抱っこでいけるかしら?」  オーバーニーソックスを穿きながら訊く。  いちおうは冗談のつもりだった。相変わらずの無表情に、抑揚のない口調ではあるけれど。 「……行けるんじゃないか。北川、軽いし。体重何キロ?」  悪気のないその質問に、内心、苦笑していた。もちろん顔には出さない。 「早瀬って、女の子の扱いが下手そうね。女の子に体重を訊くものではないわ」 「そうなのか? カヲリは訊かなくても自分から言うような性格だからなー。『また太っちゃったー。体重計乗ったら○○キロだって! 信じらンないっ!』なんて」  〈カヲリ〉というのが教室でよく話している彼女の名前だろうか。教室での話し声なんて、私にとってはすべて背景雑音でしかないので、もちろん記憶にはない。  今の台詞、少しだけ違和感があった。〈カヲリ〉とは肉体関係はなかったのだろう。なのに今ここでその名前を口にすることに、まったく後ろめたさが感じられなかった。衝動に駆られて私を犯した直後は、あんなに申し訳なさそうに小さくなっていたのに。  まあ、男なんてそんなものだ。  彼女がいるのに、行きずりのクラスメイトを貪る男。  別に、どうでもいい。  私の知ったことではない。もちろん〈カヲリ〉にとっては不愉快だろうけれど、それはふたりの問題だ。 「…………ちなみに、三十キロ台前半……くらいよ」 「え?」 「体重、私の」 「あ、ああ……って、三十ぅっ? 軽いな?」 「そう?」  目を丸くして驚いている。  考えてみれば柔道選手なんて、身体の大きな人は百キロ以上になるのだろう。早瀬はそこまではないかもしれないが、身長を考えれば八十キロは優に超えているはずだ。  それが常識の世界に生きていれば、小柄で華奢な女子の体重には衝撃を受けるかもしれない。身長百五十センチ未満の細身の女子なら、体重三十キロ台は珍しくもないのだけれど。  〈カヲリ〉の姿を思い浮かべてみる。よく覚えてはいないけれど、あまり極端な容姿ではなかったように思う。  おそらくは平均的な、四十台と五十台の間には大きな溝があると大騒ぎするくらいの体格だろう。  そんな娘と付き合っていれば、やっぱり三十キロ台は驚きの対象だろうか。 「三十キロなんて、片腕でだって持ち上げられるぞ」  服を着け終わった私を、早瀬は宣言通りに右腕一本で軽々と抱き上げてみせた。 * * *  いつの間にか雨は上がっていた。  涼しい夜風が頬を撫でる。  私は早瀬に抱かれて家へ向かっていた。  冗談半分のリクエスト通り、お姫様抱っこで。  まるで私という荷物など存在していないかのように、軽い足取りで歩いていく。  少し、新鮮な感覚だった。部屋の中でならともかく、屋外のこれだけの距離を抱かれて歩くなんて初めての体験だ。  ふたりとも無言だった。  早瀬はなにも言わず、もちろん私も口は開かない。  だんだん、眠くなってくる。  うつらうつらしかけたところで、見慣れた風景が目に飛び込んできた。  私が住むマンションの入口。  歩いて三十分弱と言った道のりなのに、早瀬の足ではたぶん十五分とかかっていまい。 「……ここでいいわ」  入口の前で、壊れ物を扱うようにそっと下ろされる。  脚に意識を集中して立つ。早瀬の部屋からここまで、自分の脚で立つのは初めてだったけれど、ゆっくりとならなんとか歩けそうだ。 「……じゃ、さよなら」  それだけ言って、建物の中に入ろうとした。意図的に、送ってもらった礼も言わない。  早瀬との一時の関係は、これで終わりのはずだった。  しかし、  最初の一歩を踏み出そうとしたところで、いきなり手首を掴まれた。  不意打ちに驚いて、思わず振り返る。 「…………なに?」 「あ……その…………」  私の声が、自分でも意外なくらい不機嫌そうだったためだろうか、早瀬が気まずそうな表情を見せる。 「……その…………えっと…………」  しばらく躊躇って、しかしやがて意を決したように言った。 「……また、会えないか?」 「…………」  早瀬の顔を見る。  その台詞には、特に驚きはなかった。  なかば予想できたことだ。だからこそ、無意識に急いで家に入ろうとしていたのかもしれない。  精力がありあまっている男子高校生が初体験をして、それが気持ちよくて。  またしたい、と思って当然だ。 「…………今日、みたいに?」 「それは……まあ……その……」 「まさか、客になりたいわけじゃないよね?」 「そうじゃない!」  強く否定して、それが意味することに気づいたのか慌てて付け足した。 「……いや、北川とだったら、小遣いはたいてでもしたいくらいなんだけど。……でも、そういうんじゃなくて……」 「…………」  無言で、間近から早瀬を見つめる。  本人はうまく言葉にできずに困っているようだけれど、もちろん言わんとしていることは理解できる。  気まずそうに、視線が泳いでいる。自分がどれほど虫のいいことを言っているか、自覚はあるのだろう。援助交際を生業としているような女の子に、ただでやらせろと言っているのだから。  もちろん、きっぱりと断ったって構わない。本人もなかば覚悟しているだろう。  しかし、 「……早瀬って、下の名前は?」 「え? あ、と、稔彦」 「早瀬 稔彦……ね。覚えたわ、たぶん」  フルネームを知っているクラスメイトは、これで何人目だろう。名前を聞いたことがある相手は何人もいるはずだけれど、今でも覚えているとなると片手で数えられる。 「私は、北川 莉鈴」 「……知ってる」  それもそうだ。  入学して二ヶ月弱、クラスメイトの名前くらい覚えているのが当然だし、私は有名人だ。 「で……、北川?」  やや不安げに首を傾げる。  今の会話の意味に気がついていない。 「……肉体関係を持つクラスメイトの名前も知らないなんて、おかしいでしょう?」 「北川……」 「…………たまになら、いいわ」  口から出てきたのは、自分でも予想外の答えだった。  もっとも、それを否定する理由もない。だからといって、私が早瀬に好意を抱いていると勘違いされるのも困る。  これはあくまでも気まぐれの産物なのだ。 「……私がヒマで、したい気分で…………そうね、ココアを飲みたいと思っている時だったら、相手してあげないこともない」  早瀬の顔がぱっと輝いたように見えた。  いきなり、抱きしめられる。  痛いくらいに。  骨が軋むくらいに。  顎を押さえられ、上を向かされる。  顔が近づいてくる。  私にキスしようとする唇に人差し指を当てて、早瀬の動きを制止した。 「……だめよ。そんなことしたら、早瀬、またスイッチが入ってしまうでしょう? さすがに今日はもうお腹いっぱい」  そう言うと、それ以上の無理強いはしてこなかった。力が抜け、私は早瀬の腕の中から逃れる。  制止したのは、たぶん口実だ。  スイッチが入ってしまうのは、私。  このまま自分の部屋に招いて、朝まで犯して欲しい――どこか心の片隅に、そんな想いがあるのは事実だ。  とはいえ、その意見は心の中の多数派ではない。自分の肉体の限界というものは心得ている。これ以上なんて本当に無理、身体を壊してしまう。  だから、そのまま回れ右をする。 「じゃ、おやすみ」 「あ、ああ……また明日」  背後からの声を聞きながら、ぎこちない足取りでマンションの中に入る。  エレベータに乗る時にちらりと外とを見ると、早瀬はまだそこに立っていた。  ドアが閉まり、早瀬の姿が消える。  私は息を吐きながらエレベータの壁に寄りかかった。  自分の脚で立つと、疲労感が一気に押し寄せてきた。  鍵を開けて家に入り、そのまま頽れるように玄関に座り込む。  家の中はしんとしている。  誰もいない。  母は夜の仕事で、夕方から出かけて帰るのはいつも明け方だ。そして父は、何年も前に離婚していた。  靴を脱ぎ、這うようにして自室に向かう。  明かりもつけずにベッドの上に転がる。  カーテンが開いているので、窓から入る街の灯りで部屋の中はぼんやりと明るかった。  大きく溜息をつく。  疲れきっている。このまま眠ってしまいたい。  だけど、まだ、だめだ。  まだ、やらなければいけないことが残っている。  ベッドに寝転がったまま下着を脱いだ。  ぬるぬると濡れていて、ひんやりする。生臭い匂いが漂ってくる。  早瀬にさんざん中出しされた後、シャワーも浴びていないのだから当然だ。  精液でべっとりと汚れた下着を口に含む。  まずい。  気持ち悪い。  新鮮なものだってけっして美味しくはないが、時間が経って粘性の失われた状態のものはさらに気持ちが悪い。  ただでさえ具合がよくないので、吐き気が込み上げてきた。  胃液と精液とココアが混じった液体が逆流してくる。口を押さえ、そのおぞましい酸性の汚液をもう一度飲み下す。  下着を汚している精液の量はかなりのものだった。もっとも量が多いはずの一度目はコンドームを付けていたというのに。  いったい何度、中に出されたのだろう。  今日は何度、早瀬としたのだろう。  途中からなかば朦朧としていて、記憶が曖昧だった。 「……リビングで、二回。それから早瀬の部屋へ行って……」  想い出しながら、指を折っていく。  親指。  人差し指。  中指。  薬指。 「……全部で六回? なのに最後まであの勢いとは……ね」  恐ろしいほどの体力と精力だ。  私はもう限界だというのに。  向こうは激しく動いて、私の何倍も体力を使っていたはずなのに、疲れなど微塵も感じさせず、ここまで軽々と私を抱いてきた。  呆れつつも感心してしまう。 「……今の体調で……六回は、ヤバいって」  つぶやきながら、鞄を引き寄せる。  中から、ホテルでも使った愛用の剃刀を取りだす。  早瀬がきれいに巻いてくれた包帯を解く。傷はもう塞がっていた。  仰向けになったまま、顔の上に左手を持ってくる。  剃刀の刃を手首に当てる。  右手に力を込める。  鋭い痛み。  紅い筋が走り、すぐに血が流れ出してくる。  二度、三度。  同じ動作を繰り返す。  四度。  五度。  数ミリずつ位置を変えて。  六度。  手首が傷だらけになる。  腕が血塗れになる。  溢れ出る鮮血が、顔の上に落ちてくる。  予想以上に量が多い。  六度も、しかも疲れきって朦朧としている状態で繰り返せば、一度や二度は手元が狂ってしまう。どうやら、少々深すぎる傷があるようだ。  ぽたり……ぽたり……  顔の上に紅い雫が落ちてくる。  ぽた、ぽた、ぽた……  だんだん、間隔が短くなってくる。  ぽたたたた……  顔が濡れていく。  錆びた鉄の味がする。  ベッドが汚れるのも構わずに、そのまま腕を下ろした。  痛い。  身体の節々が。  お腹が。  性器の擦過傷が。  そして、手首の傷が。  ずきん、ずきん。  鼓動に呼応するように痛みを訴えている。  目を閉じる。  ずきん、ずきん。  なにも見えない。なにも考えない。  ずきん、ずきん。  痛みだけに意識を集中する。  ずきん、ずきん。  この痛みだけが、すべて。  この痛みだけが、現実。  痛くなくてはいけない。  痛みを受け入れなくてはならない。  これは、罰だから。  罪を犯したら、罰を受けなければならないのだから―― 第二章  翌、月曜日――  体調は最悪だった。  雨の中をずぶ濡れで歩いたせいで風邪をひいたらしい。  その上、やはり早瀬とのセックスは激しすぎたし、手首の傷は深すぎた。  発熱、疲労、筋肉痛、性器の擦過傷、貧血、そして寝不足。  身体に力が入らない。  視界が霞む。  意識が朦朧とする。  ふらつく足どりで登校はしたものの、とても授業を受けられるような体調でも気分でもなく、校舎に入るとそのまま保健室へ直行した。  ドアをノックし、返事を待たずに中に入る。 「……おはよ」 「ごきげんよう……という顔ではないか」  机に向かっていた顔なじみの養護教諭が、こちらを見て微かに眉をひそめた。  遠藤 深春。  担任の名前も忘れた私がフルネームを覚えている、学校では数少ない人間のひとりだ。  入学式の朝、手首をかなり深く切って、例によって適当に包帯を巻いただけでふらふら歩いていたところ、校門をくぐったところで声をかけてきたのが彼女だった。 『包帯が汚れているぞ。替えた方がいいんじゃないか?』  ――と。  小柄で、どちらかといえば童顔であまり化粧っけがない女性。そのため外見だけなら二十歳そこそこくらいに見えるけれど、雰囲気はもっと年長で、おそらく三十路手前くらいではないかと思われた。  外見とは少々不釣り合いのぶっきらぼうな口調とそばかすが特徴の養護教諭は、けっして押しつけがましくはなく、しかし否とは言わせずに私を保健室へと連れていって、傷の手当てをした。  汚れた包帯の下から現れた、無数の醜い傷痕を目の当たりにしてもほとんど表情も変えず、傷のことにはいっさい触れず、ただ傷口を洗って新しい包帯をきれいに巻いてくれた。  以来、時々この保健室に足を運んでいる。  体調が悪い時。  傷が深すぎてなかなか血が止まらない時。  授業を受けるのが面倒な時。  そして、校内で切った時。  遠藤は担任や学年主任に比べるとさほど口うるさくはないので、保健室は学校の中では居心地のいい場所だった。  最初は、面倒に巻き込まれたくない、ただ最低限の仕事を事務的にこなすだけの事なかれ主義かと思っていた。ぶっきらぼうな口調であまり口数も多くないので、どうしてもそんな印象を抱きやすいけれど、けっしてそういうわけではないらしい。  カウンセラーを兼ねる遠藤は、親身に生徒の相談に乗ってやっている光景も珍しくない。その対応は相手によりけりで、私のような人間に口うるさく干渉しても逆効果にしかならないことをよくわかっているのだ。 「具合、悪そうだな?」 「……最悪」  私は後ろ手でドアを閉め、まっすぐベッドに向かった。 「…………少し寝ていってもいい?」 「傷の手当てをさせるなら、な」  職業柄、いい加減に巻いた包帯は我慢がならない――という口実で、遠藤は傷の手当てをしたがる。手首の傷を治療されるのは好きではないけれど、最近はベッドの使用料と思って諦めていた。  無言でベッドに腰掛けると、新しい包帯を手にした遠藤が椅子を引っ張ってきて前に座る。  おざなりに巻いた、血で汚れた包帯を解き、眉を微かに上げる。 「ずいぶん多いな?」 「…………昨夜は、激しかったから」  小さな溜息が耳に届く。 「立場上、一応は説教しなきゃならんのだが」 「……勝手にすれば」  聞く耳は持たないけれど、いちおうは遠藤の立場も理解している。それに遠藤も、説教しても効果がない相手に無駄な労力は極力使わない主義だ。 「せめてもう少し手加減しろ。これは明らかに出血過多だ。いっさい切るなとまでは言わんが、せめて健康を害さない程度にしておけ。そのくらいならなにも言わん」  ひと息に言う。これで遠藤の説教は終わり。 「…………健康に留意したリスカというのも、矛盾した話だわね」  それが私の返答。つまり、忠告に従う気などさらさらない、と。  もう一度、溜息。  立ち上がって机の引き出しを開けると、小さなプラスチックのケースを放ってよこした。造血に効果があるという、鉄と葉酸のサプリメントだ。 「飲んでおけ」  ここに来るたびに飲まされている、もうすっかりお馴染みとなったサプリメント。ラベルには『一日二錠を目安に』と書かれているので、倍の四錠を手に取って口に放り込んだ。  この点に関しては、逆らわない。  血は必要だ。  ――また、切るために。  遠藤はまた傷の手当てを再開する。本職だけあって、薬を塗って包帯を巻いていく手際のよさは見事なものだ。  ぼんやりとその様子を見ていて、ふと思いついた。 「…………その傷薬って、性器の擦り傷にも効くかしら?」  遠藤が顔を上げる。  なにを言われたのかわからない、というきょとんとした表情が、だんだんと呆れ顔に変わっていく。 「そんなに激しかったのか?」 「……すごく大きなものを無理やりねじ込まれて、激しく突かれて、何度も何度も……、時間も長かったわ」 「…………、まさか、レイプされたんじゃないだろうな?」 「一応、合意の上。ちょっと、予想よりも相手の精力がありあまっていただけ。途中でおあずけも可哀想だから、好きにさせておいたわ」 「それにしてもほどほどにしておけ。それほど体力ある方じゃないんだから」 「ほどほどのセックスなんて、時間の無駄よ」  三度目の、やや大きめの溜息。  入学から約二ヶ月、幾度となく繰り返された会話だ。  遠藤について多少なりとも気に入っている点があるとしたら、立場上いちおう説教はするものの、他の大人たちのように頭ごなしに叱ったり無理に止めようとしたりしないところだ。〈自傷行為〉が健康に重大な問題を引き起こしそうな場合にだけ、私を諫める。 「……それより、傷薬の効果については?」 「気休め程度、だな。しみるだろうから強い薬は使えんし」 「それでもいいわ。……私としては、手首よりこっちの方が深刻」 「商売道具が使えなくなるから、か?」 「ええ、手当てしてくれるかしら?」  腰を浮かせて無造作に下着を脱ぐと、上履きも脱いで脚をベッドに上げて拡げ、所謂M字開脚の姿勢をとった。 「……ふむ」  遠藤は指先で眼鏡の位置を直して、そこを見つめた。  期待に反して、少しも驚いた様子がない。いくら同性とはいえ、いきなり目の前に局部を拡げられるなどという経験に慣れているとも思えないのだけれど。 「確かに、腫れているし少し出血した跡があるな。これは痛そうだ」  事務的な口調。そこが無毛であることにも、ピアスに彩られていることにも、ひと言も触れない。  薬箱から見慣れないチューブを取り出すと、薄い乳白色のジェルを脱脂綿にたっぷりと含ませて、腫れた陰部に押し当てた。  ひんやりとした感触。ぬるっとしたジェルが体温でさらさらと溶けていく感覚は、微かにしみることを除けば、セックスの時に用いる潤滑ローションにも似ていた。 「可愛らしい、きれいなまんこだな」  薬を塗りながら、事務的な口調で遠藤が言う。 「……そう」 「もっと大切にした方がいいぞ。これで稼ぐにしろ、惚れた男を悦ばせるにしろ、大事にすれば長く使えるものなんだから」 「もう、普通の人の一生分くらいは使ったわね」  その台詞は、意図せずやや不愉快そうな口調になっていた。  期待が外れておもしろくない。実際のところ、傷の手当てというのは半分口実で、からかってみただけなのだ。  いきなり目の前で下着を脱げば慌てるだろうと思ったのに、この冷静な対応はまったく予想外だった。  だから、もうひと言つけ加えてみる。 「……ここで私が廊下に聞こえるくらいの喘ぎ声でも出したら、遠藤ってば大ピンチ?」  今の体勢、傍目にはかなり危なげなものに見えるだろう。  下着を脱いで脚を拡げている女生徒と、その局部に顔を寄せている教師。  養護教諭として傷の手当てをしているというよりも、女同士でいかがわしい行為をしていると受け取る方が自然な光景だ。教師のはしくれとしてはまずい状況だろう。  それでも遠藤は狼狽えなかった。普段から感情の起伏が乏しい性格なのは知っていたけれど、これほどとは。 「嬉しいな」 「え?」  さすがに、予想外の答えだった。遠藤を慌てさせるつもりだったのに、むしろこっちが驚いてしまう。 「そんな冗談を言うくらい、打ち解けてくれたことが嬉しい」  笑みすら浮かべている遠藤に腹が立った。まったく堪えていない。  これが大人の余裕というものだろうか。こういう態度を取られると、結局のところ自分はまだ子供なのだと思い知らされてしまう。所詮、遠藤の半分ちょっとしか生きていない小娘なのだ。  無機質の仮面を保てずに、不機嫌さが表情に出てしまう。 「それとも、私をクビにしたいくらい嫌ってるのか?」  からかうような口調。そんなことはないとわかっていて訊いている。  他人に対して〈好き〉などという感情を抱いたことはないけれど、遠藤は〈嫌い〉ではなく〈その他大勢〉でもない、数少ない存在だった。  今日のところは、負けを認めて撤退する。 「…………私だって、冗談くらい、言うわ」  抑揚のない口調で答える。  私にできることは、これが精いっぱいだった。 「問題は、冗談だとわかりにくいことだがな」  表情のない顔。無機的な口調。  なのに私の考えていることを読み取ってしまう遠藤に腹が立つ。  だけど、だからこそここに足を運んでしまうのだろう、とも想う。 「……まあ、こんなものだろ」  手当を終えた遠藤が、塗り薬を片付ける。代わりに風邪薬を取りすと、二錠を手に取って渡してきた。先刻のサプリメントのように容器ごと渡さなかったのは、万が一にも一気飲みなどしたら、鉄剤と違って危険だからだろう。  そうした点では、遠藤は自分の仕事に関して……あるいは私の扱いに関して用心深い。入学間もない頃の、今よりもずっと不安定だった私を見ているのだから当然といえば当然ではある。 「腫れと痛みがひくまで、数日くらいはオトコくわえ込むのは控えろよ。治ったら、まあ、好きにしていいから」  わかった、と答えるのも癪で、無言で下着を直した。  そのままベッドに横になって昨夜の疲労と睡眠不足を解消しようとしたけれど、しかし遠藤はそれを許してくれなかった。 「寝る前に、まだ、やることがあるだろう」 「…………そうね、制服を脱がなくちゃ。スカートが皺になってしまうわ」  わかっていて、わざととぼける。  遠藤が無言で見ている前でスカートを脱ぎ、ブラウスのリボンを取り、眼鏡を外す。  スカートをたたんで上にリボンと眼鏡を置く。  ベッドに横になり、毛布を口元まで引き上げる。  遠藤はまだ私を見つめている。片時も視線を逸らしはしない。  ――やれやれ。  今度はこちらが溜息をつく番だった。  〈やるべきこと〉をするまでは眠らせてもらえそうにない。しかし、本当にもう限界だった。私の身体は睡魔の猛攻に白旗を揚げる寸前だ。  寝かせてくれるならなんでもする、と言いたい心境。遠藤が男だったら、あるいはレズビアンだったら、話は早かったのに。 「…………昨日は〈パパ〉とデートの約束だったわ」  仕方なく、身体を起こしてベッドの上に座り、話し始めた。  昨日の出来事を、ひとつずつ。  それを無言で聞く遠藤。  ある意味、それが彼女の本来の仕事だ。  今どきの高校の保健室、怪我や肉体的な病気よりも、心を病んでいる生徒の相手をすることの方がはるかに多い。就業時間の多くは、怪我の応急手当よりもカウンセリングに費やされているはずだ。  だから、私にも話をさせる。  他の生徒の場合がどうなのか知らないけれど、私に対しては、基本的に遠藤の方から質問はしてこない。ただ話したいように話させ、それを聞いているだけだ。  もちろん、すべて〈ここだけの話〉である。その内容がどれほど法的、道徳的に問題のあることでも、学校関係者を含めてけっして他者に漏らしはしない。  だから、私も遠藤には話す。  昨日、〈パパ〉とデートしたこと。  仕事が忙しくて時間がなく、一度しかセックスできなかったこと。  雨の中、歩いて帰ったこと。  その途中、偶然会った同じ学校の男子生徒の家で雨宿りしたこと。  シャワーを借り、ココアをご馳走になったこと。  その男子とセックスしたこと。  彼のものがすごく大きくて、しかも激しかったこと。  何度もしたこと。  自分では歩けないくらい激しく犯され、家まで抱いて送ってもらったこと。  した回数だけ手首を切って、そのまま眠ったこと。  その結果が今日のこの体調であること。  話さなかったことは、固有名詞だけ。遠藤もそれは訊いてこない。だからこそ、それ以外のことは話すことができる。 「……以上。もう寝てもいいかしら?」 「ああ…………しかし、いい傾向なのかどうか、微妙なところだな」  独り言のようにつぶやく。私はなにも応えず、今度こそベッドに横になった。 「普通に同世代の彼氏ができた、というなら大歓迎するところだが…………うーん……どうなんだろうな」  他の大人たちほど口うるさくはない遠藤だけれど、それでも私が〈普通〉になるのを望んでいることに変わりはない。  しかし〈普通の恋愛〉なんて、私にとってはもっとも縁遠い言葉だ。 「……ところで、これは仕事とは関係のない、純粋に個人的な興味で訊くんだが…………経験豊富な北川が痛がるなんて、どのくらいのサイズだったんだ?」  無言で、手で太さと長さを示す。  遠藤が目を丸くする。 「それは大きいな。日本人でそんなサイズの男がいるのか」 「……私も初めて見たわね」 「やっぱり、身体も相当に大きいのか?」  その質問には答えなかった。  微かに表情が強ばる。心の中で警鐘が鳴る。  その変化を、遠藤も敏感に感じとったようだ。  私は、相手が特定できるようなことはけっして言わない。遠藤も訊かない。それが二人の間の暗黙のルールだった。 「……ああ、ごめん。そんなつもりはないんだ。純粋に、年頃の女としての好奇心だ」  思わず遠藤の顔を見る。 「…………なんだ、その顔は? 私だって、人並み程度にはオトコにもセックスにも興味はあるぞ」 「……そう」  私の目には、遠藤がそんな普通の感性を持っているようには見えなかった。彼女にとっての恋愛やセックスといった話題は、保健室を訪れる女生徒の相談事の中にだけ存在するもののように感じていた。 「確かに、男にもてる方ではないし、北川に比べたら経験もずっと少ないだろうが、一応は何人かの男性経験もある」 「……そう」 「しかしサイズも嗜好も、あまり特殊な相手に巡りあったことはなくてな。北川の体験談は、仕事抜きで興味深い」 「大きいのに興味があるなら、紹介してあげましょうか? やりたい盛りの高校生だもの、相手が遠藤だって大丈夫でしょう」  遠藤の眉間に微かに皺が寄る。 「それは遠回しに、私に性的魅力がないといっているのか? ……ああ、答えなくていい。単刀直入に言われるとさすがに少し凹むから」  本人も自覚しているように、一般的な基準として、遠藤は恋愛やセックスの対象として魅力的とは言い難い。  顔もスタイルも十人並み。しかも体格が小柄で、目や鼻などの顔のパーツも小ぶりなためか、とにかく地味な印象を受ける容姿だった。そばかすが目立つ化粧っけのない顔に、この性格と口調、そして地味なファッションが加わって、とにかく女性らしい艶っぽさというものが感じられない。  言ってみれば〈男から普通に友達として扱われるタイプ〉〈男とセックス抜きで雑魚寝できるタイプ〉だろうか。 「……精力を持て余してる男子高校生に犯されまくったら、少しはフェロモンも出るんじゃない?」 「まったく興味がないといったら嘘になるが、遠慮しておこう。私の身体と経験値で、その状況を楽しめるとも思えん。そもそも教師のはしくれとして、生徒に手を出すわけにはいかんだろ」 「……そう」  女生徒に手を出した男性教諭はこの学校にも何人かいるけれど――という台詞は声に出さずに飲み込んだ。  もっとも、遠藤はうすうす感づいているだろう。しかし、さすがにふたりの間でその事が話題に出ることはない。  私の前では冷静沈着でマイペースを崩さない遠藤が、もしも早瀬に力ずくで犯されたりしたら、どんな反応をするのだろう。  そんなことを考えながら、今度こそ、眠りにつくために目を閉じた。 * * * 「莉鈴ってば、みょーに色っぽくうなされてたね。エッチな夢でも見てた?」  目を開けて最初に視界に入ったのは、笑いながら私の寝顔を見おろしている女生徒の顔だった。  無視してのろのろと身体を起こし、壁に掛かっている時計を見た。  二時間くらいは眠っていたらしい。気分的にはもっと長く寝ていたように感じる。  体調はいくぶん回復したようだ。睡眠不足と疲労はかなり解消されているし、熱も少し下がって頭痛が軽くなっている。筋肉痛は相変わらずだったけれど、擦り傷の痛みもいくらか治まっていた。 「教室に戻る? それとも昼休みまで寝てる?」  声の主に視線を向ける。  目鼻立ちのくっきりした、ボーイッシュな美人。女子としては背が高く、髪は短め。  クラスメイトの〈木野 悠美〉だ。 「……ここで、なに、してるの?」 「莉鈴が登校してないから。こっちかなぁって、様子を見に」  予想通りの答え。  わかっていて訊いていることだ。その行動を歓迎していないことの意思表示として。  木野もそうした私の意図をわかっていて答えている。  彼女は、クラスで唯一、普通に話しかけてくる相手だった。つまり、私が学校で多少なりとも言葉を交わす数少ない人物だ。  返事をせずに無視していても、構わずに話しかけてくる。いや、無視している時の方がしつこいかもしれない。最低限の返事をするとそれで満足するのか、必要以上につきまとってくることはない。  だから仕方なく、最小限の会話はしている。  出席番号がひとつ違いということで、入学式の日、最初に私に話しかけてきたのが木野だった。  そして入学後間もなく、〈噂〉が広まるきっかけを作ったのも彼女だ。  入学式の前日、〈パパ〉と腕を組んで繁華街を歩く私を偶然見かけていて、たまたま顔を覚えていたらしい。教室で話をしていた時にその事に触れ、「ひょっとして援交?」と訊いてきたのだ。  もちろん、否定されることを前提とした冗談のつもりだったのだろう。実際には親子と思っていたらしい。  しかし私がそれをあっさりと肯定し、その場には他のクラスメイトも居合わせたために、一気に噂が広まったというわけだ。  そうして私は教室内で敬遠される存在になったけれど、不思議なことに木野だけはその後も普通に接してきた。援交の話題を避けることもなく、ごく当たり前に話のネタのひとつにする。  木野はけっこうな美人で、スタイルもいい。ボーイッシュといったけれどけっして男くささはなく、あくまでも〈カッコイイ女の子〉だ。明るく人懐っこい性格で、男女問わずに人気はあるようだ。  そんな彼女がどうして私に構うのか、他のクラスメイトは首を傾げているし、私にもわからない。  他の友達と「昨夜のドラマ観た?」といった会話をするのと同じような調子で、私には「昨夜の〈デート〉はどうだった?」などと訊いてくるのだ。  あるいは〈同類〉かとも思ったけれど、どうやらそういうわけではないらしい。性体験はゼロではないけれどまだ数少ないし、援交なんてする気もない、と言っていたことがある。  そういうわけで木野の意図はよくわからないけれど、けっして四六時中つきまとってくるわけでもない。時々、話しかけてきたり、一緒に昼食を食べようと誘ってくるくらいだ。無視しても断っても特に気分を害する様子もなく、また気が向いた時に寄ってくる。  私としては、特に害になる存在でもないので好きにさせている、というのが本音だった。無視したい時には無視するし、気が向けば一言か二言は言葉を返すこともある。  遠藤とタイプは違うけれど、いてもさほど不快ではない存在、私が許容できる〈距離感〉を理解している存在。  だから、向こうから寄ってくることに関しては強く拒絶もしない。ただ、適度に無視するだけだ。 「……教室に戻るわ」  独り言のようにぽつりと言って、ベッドから降りた。眼鏡をかけるとブラウスのボタンを留め、リボンをつけ、最後にスカートを穿く。  身支度を終えたところで、木野が私の鞄を取って差し出してくる。それを受け取って保健室を後にする。  いつものことだから、出て行く時には遠藤に声はかけない。向こうもなにも言わず、机に向かって書類仕事をしていた手を一瞬とめて、ちらりとこちらを見ただけだった。 * * *  木野と並んで廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちから、独りの時とは違う視線が注がれるのを感じる。  身長百四十センチ台の私と、百七十センチ近い木野。二十センチを超える身長差はインパクトがあるし、木野はぱっと見で目立つ陽性の美人だ。  私は美人といっても陰性の雰囲気を持っているし、そもそも学校では容姿も変えて目立たないように気をつけている。  目立つ木野にまず視線が向けられ、それから隣にいる私に気づく。いくら目立たない姿とはいえ、私はいろいろと有名人だ。顔は知られている。  好意的とはいえない視線を向ける生徒たちが、複雑な表情を浮かべる。  男女問わず人気者の木野と、誰からも好ましく思われていない私。  この組み合わせは他の人たちにも奇異に映るようで、独りでいる時以上に目立ってしまう。別に、他人の目などどうでもいいことだけれど、愉快なものでないことだけは確かだった。  途中、購買部で昼食用にサンドイッチとコーヒー牛乳を買い、休み時間が終わる直前に教室に入った。  そこで最初に目に映ったのは、早瀬の姿だった。  彼の存在を気にとめてしまったことが少々不愉快ではあったけれど、なにしろ存在感のありすぎる体格だから仕方がない。  それに、クラスメイトの大半を〈その他大勢〉としか認識していない私にとって、唯一、肉体関係を持った早瀬は、多少なりとも〈特別な存在〉であることは間違いない。  早瀬はこちらにその大きな背中を向けて、斜め前の席の女子と話をしていた。これまでにも親しげに話しているところ見た覚えがある相手。おそらくは彼女が〈カヲリ〉だろう。  私と木野が教室に入ったところで、気づいた数人の生徒が複雑な表情をこちらに向けた。  私ひとりであれば、それは悪意や敵意のこもった、あるいは疎むような視線になる。平和な高校生活の中に紛れ込んだ、異質な存在に向けられる視線。  しかし今は隣に木野がいるために、露骨に敵意を向けることもできず、結果、彼らは対応に困ったような表情を浮かべることになる。  〈異物〉の侵入によって、教室の空気が微妙に変化する。  早瀬もその変化に気づいてしまった。〈カヲリ〉との会話を続けながら、ちらりと視線をこちらに向ける。  私と目が合って、気まずそうな表情を見せる。しかしそれも一瞬だけで、すぐに〈カヲリ〉の方へと向き直る。  私が最後列の自分の席に着くと同時に、始業のチャイムが鳴った。〈カヲリ〉も早瀬との会話を中断して前を向く。視界の隅で、早瀬がもう一度こちらを振り返っていたけれど、私は気づかないふりをしていた。  〈授業中〉という名の無意味な時間――。  教師の声は背景雑音のひとつとして耳を素通りしていく。  私はただぼんやりと過ごしていた。  窓の外の景色を眺めたり。  まだ身体が覚えている、昨夜の行為の感覚を反芻したり。  下を向いてうとうとしたり。  たまに教科書に目を落とすこともあるものの、内容を真面目に読んでいるわけではなく、単なる暇つぶしのひとつだった。  学校で勉強するということに、なんの意義も見出していない。ただ、高校くらいはちゃんと通っておかなければ母親が――恐らくは父親も――うるさいから、惰性で通っているだけのこと。  留年しない程度に出席し、赤点を取らない程度に勉強すればいい。どうしてもテストの点が足りないようなら、その教科の教師を誘惑すれば解決する。  こうした素行や〈噂〉が問題になることはほとんどなかった。担任と校長の弱みは握っているから、私を咎めることはできない。遠藤にも話していない――しかしうすうす感づいている――〈秘密〉がそれだった。  そうして居場所を確保したことで、学校ではただぼんやりと過ごすことができた。  別に、退屈とは思わない。そうした感情は希薄だ。  学校にいる時以外でも、私がすることといえば食事や入浴といった生活に必要なことと、セックスと、自慰。それ以外の時間はぼんやりと過ごしていることが多い。  なにもしない。  なにも考えない。  セックスとリストカットを除外するなら、特に趣味と言えるものもない。なにかを楽しむという感情が、普通の人に比べると極端に欠如している。  ただ呼吸し、鼓動を繰り返しているだけの存在。  ある意味、それが理想だった。 「…………」  ちらりと時計を見る。昼休みまであと二十分ほどある。  軽い空腹を覚えた。体調が悪かったことと時間がなかったことで、朝食はほとんど食べていない。もうひとつくらいパンを買っておいた方がよかったかもしれない。  そんなことを考えながらなにげなく視線を動かした時、壁に貼られていた座席表が目にとまった。  早瀬の名前を目印にして〈カヲリ〉の席を確認する。そこには〈茅萱〉という名前が書かれていた。  茅萱カヲリ、というフルネームを知る。二日間で二人もの名前を覚えるなんて、私にとっては記録的なことだ。  もう一度、〈茅萱カヲリ〉の後ろ姿を確認する。  身長は百六十センチ前後だろうか。縦も横もこれといって特徴のある体格ではない。顔はそこそこ可愛い方に分類できると思うけれど、かといって特筆するほどの美少女というわけでもない。  教室では、早瀬や女友達と賑やかに話していることが多かったように思う。  明るくて、賑やかで、オシャレと彼氏や友達とのおしゃべりがいちばんの興味の対象――そんな、どこにでもいる〈普通の〉女子高生。  そして――  たぶん、まだ、処女。 「……っ」  椅子の上で少し体を動かしただけで、局部に痛みが走った。薬は本当に気休め程度にしか役に立っていない。  また、昨夜の感覚が鮮明によみがえってくる。  ただ挿入されるだけでも裂けてしまいそうなほどに痛かった。その上、お腹を突き破られそうなほどの勢いで貫かれた。  滅多に経験したことのないほどの、激痛をともなう性交。  私があれでは、茅萱は初体験で苦労することだろう。  体力と精力がありあまっていて、しかも巨根で激しいセックスが好みの彼氏。  経験豊富でセックスが大好きな大人の女性にとっては理想かもしれないが、バージンの高校一年生には負担が大きいだろう。あれを楽しめる処女がいるとは思えない。  茅萱は私より体格がいいとはいえ、初めてはきっと大変だ。経験豊富な私がこれだけのダメージを受けているのだ。ローションを十分に用意しておかなければ、挿入も容易ではないだろう。  茅萱にいずれ訪れるであろう初体験に、少しばかり同情したくなる。  それはたぶん、そう遠くない未来のことだろう。セックスの気持ちよさを知ってしまった早瀬が、本命の彼女をいつまでも放っておくとは思えない。  初めてがあの勢いだったら……きっと大変だろう。  もっとも、早瀬も恋愛感情を持っている〈彼女〉が相手だったら、最初くらいはもっと優しくするのかもしれない。あの乱暴な行為は〈ヤリマンと噂の北川莉鈴〉が相手だからこそかもしれない。  いずれにしても、たとえ痛かろうと乱暴だろうと、それでもやっぱり茅萱は幸せだろう。  なにしろ相手は、〈本命の彼氏〉なのだから。 * * *  昼休み――  先ほど買ったサンドイッチの封を開けていると、木野が自分の弁当箱を持ってやってきた。空いていた前の席の椅子を動かして、こちら向きに座る。  今日に限らず「一緒に食べよう?」とか「ここ座ってもいい?」と訊いてくることはない。訊かれれば、私は必ず首を横に振ることを知っているから。  昼休み、私の周囲の席は無人になるのが普通なのだけれど、週に一、二回くらいの割合で、こうして木野がやってくる。他の日は普通に仲のいい友達と食べているのに、なんの気まぐれだろう。 「で、昨日のデートはどんなんだったの?」  弁当箱の蓋を取りながら訊いてくる。  声をひそめることもない。訊いている木野はもちろん、教室内の全員が、それが〈普通の〉デートではないことを知っているというのに。  だから私も普通に答える。もっとも、よく通る木野の声と違って、私の声は普段から小さいのだけれど。  サンドイッチを一口囓り、二、三度咀嚼して飲み込んでから口を開いた 「……別に、特別なことは」  なにもなかった、とは言えないけれど。  援交のことは今さら隠しもしないとはいえ、昨日のことをそのまま話さないだけの分別はあった。 『昨日の相手は早瀬で、夜中までめちゃくちゃに犯されまくった』なんて、周囲の何人かが密かに聞き耳を立てていて、さらに当人とその彼女がいる教室内で口にすることではない。  世の中にはそうした時の反応を楽しむような性格の人間もいるかもしれないけれど、私は違う。学校で余計なトラブルを起こしたくないというポリシーにも反する。  しかし考えてみれば、昨日のことは、早瀬から口止めされていなかったような気がする。もちろん、私からもなにも言っていない。向こうは彼女がいるのだから、確認するまでもなく当然のことと思っていた。  早瀬も同じ考えなのか、それとも単にそこまで考えが及ばなかっただけなのか。  あるいは、普段から無口でクラスメイトと会話することなどほとんどない私だけに、いちいち口止めするまでもないと思ったのかもしれない。 「相手、イイ男だった?」 「……あんまり。それほどでもなかったわ」  その台詞だけ、声のボリュームを少し上げた。こちらに背中を向けている早瀬が、耳をそばだてている気配があったから。  今の台詞、いったいどんな顔をして聞いただろう。  凹んでいるか、苦笑しているか、それとも怒っているか。ここからではわからない。  そもそも、私と木野の会話をどんな思いで聞いているのだろう。余計なことを口にしないかと、びくびくしているのだろうか。今ごろになって、きちんと口止めしておかなかったことを後悔しているかもしれない。 「でも、ずいぶんと激しかったみたいだね」  木野が笑いながら言う。箸でつまんだタコさんウィンナーを私の口の前に差し出してくる。そのまま数秒間待っても私が無視していたので、自分の口に放り込んだ。 「……すごい、疲れた顔してる」 「……そうね、体力だけは無駄にありそうな相手だったわ」 「で、よかった?」 「…………わりと」  その一言は、早瀬に聞こえない程度に声を落として答えた。  昼食を食べ終わった後、独りでお手洗いに立った。  木野はついて来ない。普通の女子高生のように連れ立ってお手洗いに行くことを好まないのを知っているし、私が離れると同時に他の友達に捕まっていた。  用を足して教室に戻ろうとしたところで、途中の廊下に早瀬が立っているのを見つけた。  すぐに直感する。私を待っているのだと。  それでも、無視して横を通り過ぎる。  その瞬間、 「……体調は?」  すぐそばにいる私にだけ聞こえるような、小さな声。  一歩進んだところで立ち止まる。しかしそのまま前を向いて、振り返ったりはしない。 「…………よくは、ないわ」  前を向いたまま、独り言のようにつぶやく。早瀬以上に小さな声で。 「風邪による発熱、疲労、睡眠不足、筋肉痛、性器の擦過傷、そして貧血。ぎりぎり、寝込むほどではないわね」 「…………」  返ってきたのは、数秒間の沈黙。なにか言ったような気もするが、意味のある言葉としては耳に届かなかった。  おそらく、口の中で「ごめん」と言ったのではないかと思う。  背後に感じる気配が少しだけ近づく。  一瞬、手になにかが触れる。  握りしめて、それが小さく折りたたんだ紙片だとわかった。  早瀬はそのまま無言で、教室とは反対方向に歩き出した。足音が十分に遠ざかったところでちらりと振り返ると、大きな身体が男子トイレの中に消えていくところだった。  もしかすると、私と同時に教室へ戻らないための時間稼ぎかもしれない。  教室に向かって歩きながら、手の中の紙片を開いた。  ノートの切れ端と思しき、横罫線の描かれた紙。そこに携帯電話の番号とメールアドレスが書かれていた。  メールアドレスだけを暗記して、紙片を丸めてポケットに入れる。反対側のポケットから携帯電話を取りだす。ふたつ持っている携帯のうち、本当の〈プライベート用〉のもので、出会い系サイトへのアクセスや〈パパ〉たちとの連絡に使う〈援交用〉ではない。  出会い系サイト経由のメールが山のように届く〈援交用〉とは違い、ほとんど使うことのない携帯。アドレス帳に登録されている名前も、両親と遠藤、木野、学校、そしてピルの処方などで世話になっている病院くらいのものだ。  メールボタンを押し、いま見たばかりのアドレスを打ち込んだ。題名も空のまま、本文に電話番号だけを書いて送信ボタンを押した。  プライベートの携帯を使ったことに特別な意味はない。単に、いま手元にあったのがこれだったというだけのこと。これは常に身に付けているのに対して〈援交用〉は鞄に入れっぱなしだし、あまりにも頻繁にメールが届くので、必要な時以外は電源を切ってある。  教室に戻り、席に着いたところでポケットの中の携帯が震えた。  さりげなく取りだして、ちらりと見る。 『昨日は、   ありがとう』  不自然な空白。本当は「ごめん」と書こうとしたのかもしれない。  別に、どちらでもいい。  メニューを開いてアドレス帳に登録すると、返信もせずにメールは削除した。 * * *  アドレスの交換をしたからといって、まめな文通をするわけでもない。  当然、私から連絡することなどありえないし、早瀬からもメールも電話もなかった。  無意味なメールが来ても無視するつもりだったからむしろ好都合だったけれど、おそらく早瀬もそうした反応を予想していたのだろう。  次に早瀬からのメールが届いたのは三日後、木曜日の夜だった。  家でぼんやりしていたところ、珍しくプライベート用の携帯から着信音が流れ出した。 『明日の夜、会えないか?』  ただそれだけの簡潔なメール。  早瀬の性格なのか、それとも私の性格に合わせたのか。  もちろん、主題以外の無駄話に付き合う気などさらさらない。その点で、これ以上簡潔にはできないようなメールは正しい選択だった。  もう一度、携帯の画面を見る。  少し、考える。  あれから一週間弱、早瀬もよく我慢したというべきだろう。正直なところ、彼のありあまる性欲を考えたら、もっと早くに誘ってくると思っていた。  さて、どうしたものだろう。  明日の夜。  特に断る理由はない。  日曜日の様々なダメージからはほぼ回復している。手首の傷も塞がったし、毎日サプリメントを飲んでいたから、必要以上に流した血も再生したことだろう。  無意識に左手首に触れる。  無数の切り傷が重なって、硬くなっている皮膚。日曜日の七本の傷もその一部となり、古い傷の中に埋没しつつある。  もう、新しい傷を増やしてもいい頃だろう。  返信のボタンを押す。  少しだけ間を置いてから本文を打つ。 『  何時くらい?』  ただ、それだけ。  いいよ、なんて書く必要はないし、書きたくもない。  ほどなく返事が来る。 『7時でどうだ?』  返信。 『  早瀬の家?』  今度の返信はさらに早かった。 『ああ。明日の夜、家には俺ひとりだから』 『  ……それって、泊まりってこと?』 『えっと……北川がよければ』  一瞬、手が止まる。  少しだけ考える。 『  少し、遅れるかも。  2時間以上遅れたら、すっぽかされたと思って』 『……待ってる』  もう返信はしない。  メールのやりとりはそこで途切れる。  携帯をたたんで握りしめると、ごろりとベッドに横になった。 「…………泊まり、か」  そのこと自体に問題はない。外泊など珍しいことではないし、私の素行については母もとっくに匙を投げている。そもそも夜は母も仕事で家にはいない。  目を閉じて、日曜日のことを想い出す。  また、感覚が甦ってくる。  性器が壊れてしまうような、激しい行為。私の人格を無視した陵辱。  あの激しさで一晩中――考えるだけでも大変そうだ。  その一方で、足腰立たなくなるまでめちゃくちゃに犯されたい、などと考えている自分がいる。  遠藤の忠告に素直に従ったわけではないけれど、今週はずっと禁欲生活だった。体調がよくない上にあちこち痛かったせいで援交する気にもなれなかったし、絶対に断れない〈パパ〉からの誘いもなった。触れると痛いので、自慰すら控えていた。  率直に言って、少し、溜まっている。  身体が疼いている。  こうしているだけで、潤いを帯びてくる。  そろそろ、久しぶりに出会い系サイトで適当な〈パパ〉を物色しようかと考えていたところだ。  しかし、今日のところはやめておいた方がいいだろう。  明日までおあずけ。  身体が、これ以上はないくらいに〈男〉を求めている状態で、あの逞しいペニスに思いっきり貫かれる――  私の肉体は、それを望んでいた。 * * *  そして金曜日の夜。  住宅街の路地を歩きながら、携帯電話を取りだして時刻を確認する。  午後七時三二分。  約束の時刻は過ぎているけれど、遅れるかもしれないと断ってあるのだから問題はないし、そもそも約束を守らなければならない義理もない。  実のところ、遅れる理由があったわけではない。それは昨日からわかっていたことだった。  今日は学校を出た後、少し寄り道して本屋で時間を潰し、ファーストフードで早めに軽い夕食を済ませ、家で入浴してきただけ。  計画的犯行。  最初から、絶対に午後七時には間に合わないように家を出た。  それは『早瀬との逢瀬を楽しみにしているわけではない』という、わかりやすい意思表示だった。  しかし、ここへ来てひとつだけ計算外の展開があった。偽装のための意図的な遅刻が、本物の遅刻に変わりつつあった。  早瀬の家の場所がわからない。  なにしろ一度来ただけの場所だ。しかも土砂降りの雨の中で、たまたま通りかかっただけの道。帰りはもう真っ暗だったし、早瀬の腕の中でうとうとしていて道など覚えていない。  多分このあたり、というところまでは来たけれど、新興住宅地は似たような通り、同じような家ばかりで、最後の数百メートルがどうしてもクリアできなかった。  もう一度携帯電話を見て、小さく溜息をつく。  仕方がない。  ただでさえ限界に挑戦することになりそうな夜なのだから、ここで無駄な体力は使いたくない。予定より少しだけ早く、早瀬を喜ばせてやるとしよう。  携帯を開いてメールを打つ。 『近くまで来てるのだけれど、家がわからないわ。  二丁目でいいのよね? 番地は?』  一分と経たずに返事が来る。  この反応の早さ、携帯を手に連絡を待っていたのかもしれない。 『二丁目、三五‐一○。迎えに行こうか?』 『いい。わかる』  三五番地という表示は、つい二、三分前に見た覚えがあった。記憶を辿って来た道を戻る。  そこから脇道に入って見覚えのある家の前に着くまでに、五分とかからなかった。  玄関の前に立ったところで、ふと考える。  前回のように〈クスリ〉を飲むべきだろうか。  一応、持ってきてはある。  少しだけ迷って、やっぱりやめておくことにした。そうまでして早瀬とのセックスを楽しみたいわけではないし、普段の援交の時だって自分から飲むことなどない。  前回は、そうするのが好きな〈パパ〉に飲まされたからだ。〈パパ〉はいつも私を〈クスリ漬け〉にして犯す。  指先が玄関のチャイムに触れたところで、また少し躊躇する。  なんとなくいつもと勝手が違う……と思いながらチャイムを鳴らす。ほとんど間を置かずに返事があってドアが開かれた。これはもう、玄関で待っていたことが確定だ。 「……少し、遅れたわ」  そう言ってドアをくぐる。  謝りはしない。遅れることは予告済みだし、時間ぴったりに来なければならない義理もない。 「いや……、構わないよ」  緊張しているのか、早瀬はやや強張った表情で応えて、上がるように促した。  靴を脱ぎ、用意されていた来客用スリッパを履く。そこで、なにか言いたげな視線に気がついた。  早瀬の顔を見る。 「……なに?」 「今日も、そっちの格好なんだ?」 「…………ええ」  なるほど。今の私の姿、自分ではごく当たり前の格好だけれど、早瀬にとってはそうではないことを思い出した。  学校の制服であることには変わりはないけれど、普段、学校で着ているものではない。  リボンを付けず、上のボタンふたつを外し、裾をスカートの外に出したブラウス。  その下のブラジャーも胸を強調するデザインのもの。  少しでも屈んだら下着が見えそうなぎりぎりのミニスカート。  〈絶対領域〉を強調した黒のオーバーニーソックス。  そして髪を下ろし、軽く化粧をして、眼鏡はかけていない。  学校での姿とはまったく違う、いわば〈援交用〉の私。  男とセックスするための姿。  前回はすぐにシャワーを浴びてTシャツ一枚になったから、早瀬はこの姿に慣れていない。どことなくぎこちないのはそのためもあるのだろうか。 「あの格好は学校でだけよ。それとも早瀬、あっちの方がよかった? だとしたらちょっとマニアックな趣味ね」 「……いや、正直なところ、こっちの方が…………」  口ごもる早瀬。後を受け継ぐ。 「欲情する?」  わざと、直接的な表現をする。 「…………ああ」 「正直な感想ね。いいわよ。そのためにこの格好なんだから」 「……コスプレってやつ?」 「私の場合、仕事着というべきかしら」 「そういや、なんで学校ではあんな地味なカッコしてんだ? うちの学校、別にうるさくないだろ? どう考えても、こっちの方が……えっと、マジ、……可愛いぞ」  女の子の容姿を褒めることに慣れていないのだろう。必要以上に恥ずかしがって、体格とは不釣り合いな小声になった。 「……別に、学校でモテても仕方ないし」 「…………金にならないエッチはしないって?」  その口調には、不愉快そうというか、どことなく蔑むような雰囲気があった。だからといって別に気を悪くはしない。そうした反応には慣れているし、一般人としては当然のことだ。  しかし、 「あら、ココアのためにすることもあるわよ?」  そう応えると表情が急変し、顔が真っ赤になった。 「と、とにかく上がれよ。こっち」  指し示す方向は、二階にある早瀬の部屋ではなくて居間だった。どうやら、いきなり自室に連れ込んで押し倒すという展開ではないらしい。早瀬の経験の浅さや、常識人であることを考えれば当然だろうか。  短い廊下を歩きかけて、ふと脚を止める。  先ほど感じた違和感の正体に思い当たった。  考えてみれば、こうした訪問は初めてかもしれない。  同世代の男子の自宅を訪れる、なんて。  援交やナンパなら、セックスする場所は大抵がホテル、たまに車の中。AV撮影もラヴホかスタジオ、あるいは撮影のために借りているマンションの一室だ。  そもそも、相手が高校生ということ自体が珍しい。  同世代の男の子の家に、家族が留守の隙を衝いて上がり込んでいる――まるで、普通の高校生カップルみたいではないか。 「なに?」  早瀬が振り返る。 「……いいえ、なんでもないわ」  曖昧に誤魔化す。なんとなく、いま思ったことは言いたくなかった。 「ちょっと、拍子抜けしただけ。この前のことを考えたら、家に入ると同時に押し倒されるかと思ってたから」  皮肉めかして言うと、早瀬は耳まで真っ赤になって反論した。 「し、しねーよ! ……つってもあまり説得力はないか」 「……ないわね」  目の前に立って顔を見る。三十センチ以上の身長差はまるで大人と子供だ。至近距離で見上げると首が痛くなる。  早瀬が小さく鼻を鳴らした。微かに、困惑したような表情になる。髪から漂う香りに気づいたのだろう。 「……ここへ来る前に、シャワーを浴びてきたわ。セックスするために異性の家を訪問するのだもの、女の子としてはそれが嗜みでしょう?」 「あ、ああ……そうか。そういうものだよな」  ぎこちない、戸惑ったような返事。 「念のため言っておくけれど、早瀬が考えているようなことではないわ」 「え?」 「前回みたいに、他の男とやった帰りじゃないってこと。今日はまだ〈未使用〉よ。シャワーを浴びたのは自分の家で」  さすがに、馬鹿正直に「あの日以来ずっと未使用」とは言わなかった。そこまで喜ばせてやる必要もないし、それが当たり前と思われても困る。  普段なら、一週間なにもなしなんてありえない。私と関係を持ちたいのであれば、その点はきちんと理解してもらわなければならない。 「単刀直入に訊くけれど、その方が嬉しい?」 「あ……そりゃあ、まあ、やっぱり……な」  一応は遠慮しているのか、やや歯切れの悪い返事が返ってくる。 「でも、北川はそんな風に思われるの、やっぱり嫌か?」 「……別に。自分が、良識ある人間が眉をひそめるようなことをしている自覚はあるわ。それに、男としてはそれが普通の反応でしょう? 他の男とやった直後の女の方が興奮する、なんて嗜好だったら、高校生としてはちょっと……いえ、かなりアブノーマルだわ」 「そ、そうだよな」  以前、〈パパ〉が見ている前で他の男とさせられた経験はある。それはそれで興奮していたようだけれど、しかし自分の見ていないところで他の男としているのはまた別問題だろう。  ましてや、まだ若くて経験の浅い早瀬のこと、むしろ独り占めしたいと考える方が普通だ。  彼はつい数日前が初体験だったのに、その相手は同い年でありながら百戦錬磨の女の子。それだけでもかなり抵抗があるはずだ。 「……で、どうして我慢しているの?」  いつまでも廊下で立ち話というのも不毛なので、私の方から話題を変えた。話をするためにここへ来たわけではない。 「が、我慢なんて別に……」 「見え透いてるわ」  体裁を繕おうとする相手を一刀両断にする。 「不自然に緊張して、まるわかりよ。遠慮しなくてもいいじゃない。早瀬はセックスするために私を呼んだ。私はそれを承知でここへ来た。私と早瀬の関係は、一線を越えたいのにきっかけを掴めずにやきもきしている純情カップルじゃないのよ?」 「俺はまだ経験少ないから、きっかけが掴めないんだよ」  早瀬も開き直る。 「きっかけなんていらない。やりたいようにやればいい。そういう関係でしょう?」  半歩、詰め寄る。もう胸が触れるような距離だ。  強張った表情の早瀬。  その太い腕が動く。  次の瞬間、私の身体は力いっぱい抱きしめられていた。  凄い力だ。  痛いほどに、息ができないほどに、骨が軋むほどに力のこもった抱擁。  手から提げていた鞄が落ちる。  廊下の壁に押しつけられる。  早瀬が身を屈める。顔がすぐ目の前に来る。  そして、キスされる。  早瀬との初めてのキス。前回あれだけ激しくセックスしておきながら、結局、キスはしなかったことを想い出した。  無理やり唇を押しつけるような、乱暴なキス。私は抗いもせず、自分から唇を開いて舌を挿し入れた。  一瞬、驚いたように目を見開く早瀬。しかしすぐに舌を伸ばしてくる。  体格差の分、私よりもずっと大きな舌。それが私の小さな舌を押し戻し、口の中に侵入してくる。 「……ん」  大きく開いて重ね合わされた唇。その中でふたつの舌が絡み合う。  けっして上手ではない、彼のセックス同様にがむしゃらなキス。だけど私はそれを受け入れる。  早瀬に、上手な優しいセックスなど期待していない。力ずくの、レイプと紙一重のような肉体的陵辱こそが彼に求めるものだ。  身体に回されていた腕の一本が解かれ、下へ滑っていく。お尻を二、三度撫でまわすと、スカートをまくり上げて中に入り込んできた。 「ぅ、ん…………」  下着の上から太い指が押しつけられる。  もう潤いはじめている、小さな割れ目に。  乱暴に押しつけられた指が、前後に動く。遠慮の感じられない、痛いくらいの刺激。こつこつとピアスに当たる感触が伝わってくる。 「ん……、ん…………」  早瀬ももう気づいているだろう。そこが熱くなって、下着の上からでもわかるくらいに湿っていることに。  指がぐいぐいと押しつけられる。薄い生地ごと膣の中に押し込まれるような感覚に、抑えきれない声が漏れる。  今日の下着は布の面積がかなり少ないきわどいものだった。乱暴に押し込まれただけで割れ目が顔を覗かせてしまう。指が直に触れる。びちゃ……という濡れた感覚が下半身から伝わってくる。 「う…………んあっ……っっ!」  濡れた粘膜の感触を確かめるように前後に滑った指が、いきなり膣内に挿入された。突然のことに、短い悲鳴に似た声を上げた。  指は一気に根元まで埋まった。いきなりこれはありえない、というほどの乱暴な挿入だった。  自分の指とは比べものにならない太さと長さを感じる。  自慰の時はたいてい指二本を使うけれど、その時は事前にもっとほぐしている。長さが違うせいもあるのか、自分の指二本よりも、早瀬の指一本の方が膣内で存在感があった。  真下から突き上げられる。まるで持ち上げられるような感覚だ。実際、彼は腕一本でも私を軽々と持ち上げることができる。 「んん…………く、ぅ……」  さらに膣が拡げられる。  指がもう一本、入ってくる。  もう、平均サイズの男性器で貫かれているのと大差ないような感覚だ。  いちばん深い部分まで入り込んだ二本の指が、暴れ出す。  激しく抜き差しされる。  最奥部をかき混ぜられる。  性器に対する刺激は、それが痛みであっても快楽と受けとめてしまうこの身体。すぐに反応をはじめ、蜜を滴らせる。乱暴な愛撫のによって蜜が溢れだし、早瀬の手を濡らす。 「は…………ぁ……」  前回同様、声はほとんど出さない。しかしそれ故に、粘液をかき混ぜるぐちゅぐちゅといういやらしい音がはっきりと聞こえてしまう。  声に出しての反応はなくても、身体はもう完全にスイッチが入っていた。  身体から力が抜けていく。立っているのが辛い。  脚に力が入らなくなると、自分の体重でさらに深く、強く突き入れられるような感覚だった。  脚に代わって少しでも体重を支えようと、両手は早瀬の服をぎゅっと握りしめる。 「……遠慮は、いらないんだよな?」  それは問いかけではなく、確認の言葉。  あるいはこれからすることの宣言。  無言が、私の返答。肯定の意味の。  膝の裏に手が入れられ、片脚が持ち上げられる。履いていたスリッパが落ちる。床についている方の足はつま先立ちだ。  早瀬は膝を曲げて腰の位置を下げると、下半身を押しつけてくる。  熱くて固い塊が、濡れた秘所に押しつけられる。  下着は脱がされておらず、小さな布が横にずらされて、その下の割れ目を露わにしている。  前回、何度も経験したためだろうか。早瀬はこの不自然な体勢の割にすんなりと胎内に続く入口を探り当て、自分の先端をそこに押し当てた。  私を抱きしめていた腕の位置が少し下がり、腰に回される。 「ん…………ぅあっっ! …………っ!」  曲げていた膝を伸ばし、腰を突き上げる早瀬。  心の準備はしていたはずなのに、一瞬、短い悲鳴を上げてしまった。  いちばん奥まで一気に、つま先が床から浮き上がるくらいの勢いで貫かれてしまったのだから当然だ。しかもその男性器は、私の華奢な手首よりも太いのではないかという代物だった。  立ったままの結合。  自分の体重がすべて、自分自身を貫く力となってしまう。全体重が膣奥の一点に集中する。  本当に、お腹まで突き破られたかと思うような衝撃だった。悲鳴が一瞬だけだったのは、痛すぎて声にならなかったためでしかない。  涙が滲む。胃液混じりの唾液が溢れてくる。  奥までしっかり挿入したことを確認した早瀬は、私の身体を持ち上げるようにして揺すりはじめた。それに合わせて、自分の腰も突き上げてくる。  痛い。  ただでさえ、立ったまま片脚を上げたこの体勢での挿入は、膣口が狭くなってきつい。しかも相手が早瀬では、挿入できたことが不思議になるくらいで、無理やり拡げられ、ねじ込まれる痛みは当然といえる。普通に横になって脚を拡げた体勢での挿入だって、かなり強引にねじ込まれている感覚なのだ。  それなのに。  やっぱり、早瀬に塞がれている下の口はいやらしい涎を溢れさせている。 「う……ぅ…………く、…………ぅん…………ん、ふぅ……くっ」  早瀬の荒い呼吸の合間に、私の嗚咽が混じる。  床や壁が軋む音がその伴奏。  下から突き上げられるたびに身体が浮く。なにしろ体格差がありすぎる。挿入された時点で、床についている足もぎりぎりのつま先立ちだった。  いくら軽いとはいえ、自分の体重をすべて膣で受けとめるのは辛い。限界を超えて引き延ばされ、内臓を貫かれる苦しみに嘖まれる。  腕を早瀬の身体に回せば、少しは楽になるかもしれない。非力な腕ではあっても、その分、体重も軽い。ある程度は負担を軽減できるはずだ。  しかし、わざとそうしない。  挿入の瞬間、思わず早瀬にしがみついてしまった手を解き、力を抜いた腕を身体の横に下げた。  より深く、より激しく、貫かれるために。  より強い痛みを感じるために。  早瀬は私の腰に腕を回し、もう一方の手で左膝を抱え上げるようにしているけれど、やはり体重の大半は結合部にかかっているようだった。  ただでさえ、サイズ的に挿入されるだけでも痛い。  その上、この体勢で真下から突き上げられている。  気持ちいいと思える限度を超えた、激しすぎる刺激。  セックスしているというよりも、串刺しにされている感覚だった。  なのに――いや、だからこそ、私の身体は反応していた。 「ん……っ、くふっ…………んっ! は…………ぁ、ん……」  力まかせに突き上げられるたびに、身体が仰け反る。  髪が振り乱れる。  悲鳴を上げそうになる。しかし早瀬と相対する時は〈パパ〉とのデートのような激しい反応を表に出さない。  けっして、感じていないわけではない。  むしろ、泣きそうなほどの痛みに悦びを覚え、膣は涎を滴らせている。  しかしそのベクトルは内に向き、荒い呼吸と発汗、そして多量の愛液の分泌でのみ、いま受けている性感の強さを表していた。  早瀬の呼吸も荒く、速い。  身体も汗ばんでいる。  彼も興奮し、感じているのだろう。動きはさらに激しくなっていく。  長いストロークで突き上げられるたびに、意識が飛びそうになる。  小さな絶頂を何度も迎え、しかしそれで果てることもなく、さらなる高みへと昇っていく。  そしてついに限界に達する。  痛みのせいか、それとも快感のせいか、恐らくはその両方の相乗効果によって、ふっと意識が途切れた。  一瞬、視界が暗くなる。  同時に、私を貫いていたものが引き抜かれる。  ずっと加えられていた痛みが不意に途切れ、突然の状況の変化に意識が引き戻された。  脚を抱えていた腕が解かれる。腰に回されていた腕が緩む。  私の脚はすっかり萎えてしまっていて、自分の体重を支えられなかった。なかば朦朧とした意識のまま、その場に頽れ、膝をついた。  前に立っている早瀬の腰が、ちょうど目の前にあった。そそり立つものが鼻先に突きつけられる。  限界まで大きくなっているその先端から、白い粘液が迸った。  顔に、髪に、そしてブラウスやスカートに、飛沫が降りかかる。  熱い奔流。  それが治まる前に、頭を乱暴に掴まれた.。  まだ射精を続けているペニスが、唇を割ってねじ込まれる。  熱を帯びた固い肉の塊が、二度、三度と大きく脈打って、口の中に残りの精液を注ぎ込んでいく。  いや、注ぐなんて生やさしいものではない。噴き出してくるという表現が相応しい勢いだ。  ねっとりとした感触の、液体というよりも固体に近いような粘度の高い精液の塊が、口の中をいっぱいに満たしていく。  驚くほどに濃く、量も多い。  もしかしたら早瀬も、あの日以来ずっと、自慰もせずに溜め込んでいたのだろうか。あるいは彼の精力ならば、これが普通なのだろうか。  口の中に広がった、苦くて生臭い液体。お世辞にも美味しいものではない。なのに、その味と匂いは私を興奮させる。  びくん、びくん。  まだ、口中で脈動を続けている男性器。呆れるほど大量の精液を噴き出して、ようやくその動きが止まった。  その事を確認し、ひと呼吸置いてから、口の中いっぱいのものを飲み込んだ。この粘度と量を考えたら、きちんと心の準備をしてからでなければ喉に引っかかって咳き込んでしまいそうだった。  粘液の塊が、喉をのろのろと滑り下りていく。  その感触は、なんだか巨大なアメーバを連想させられる。思わず気分が悪くなる。  それでも、やるべきことを疎かにはしない。口の中が空になって余裕ができたところで、尿道内に残った分も一滴残らず吸い出し、さらに根元から先端まで、丹念に舐めて掃除した。  そしてまた口に含む。  まだ、早瀬のものはまったく勢いを失っていなかった。私の中に在った時そのままの大きさと固さを維持している。口をいっぱいに開いていなければ歯が当たってしまいそうだ。  また前回のように、このまま乱暴に喉を犯されるのかとも思ったけれど、予想に反して早瀬は頭を掴んでいた手を離し、口からペニスを引き抜いた。  まだいくぶん荒い呼吸を繰り返しながら、床に座り込んだ私を見おろしている。  頬を伝い落ちていく、液体の感触。汗よりももっと粘度がある。  視界に白いもやが入り込んでくる。前髪にかけられた精液がゆっくりと流れ落ちていくところだった。  それを指で拭い取る。  ゼリーのような弾力のある白い塊が指先に乗っている。  指を口に含む。  次に、頬を拭う。  また、指を舐める。  髪と顔が綺麗になるまで繰り返す。  それからブラウスとスカートにかかった分に取りかかった。  生地に染み込みつつある粘液を指で拭って口に運ぶ。しかしブラウスの胸のあたりとスカートには、小さな染みがいくつか残った。 「…………悪ぃ、服、汚しちまったな」 「……別に、気にしないわ。着替え、持ってきているもの」 「そうか」  指先で頬を掻いている早瀬。多少は落ち着いたようだけれど、それでもまだ、私を犯していた時の獣の気配も漂わせている。 「服を着たまま、っていうのが好きなのかしら?」 「いや……別にそういうこだわりがあるわけじゃないけど……でも、これはこれでけっこう興奮するな」 「…………そう」  内心、その意見に同意する。どうせなら、乱暴に服を破くくらいされてもよかった。 「ということで……、続き、いいか?」  やや遠慮がちに訊いてくる。その様子はしている最中の乱暴な早瀬とは別人のようだ。しかし股間のものはいまだ凶悪さを保っていた。 「…………好きに、すれば?」 「……、ああ」  早瀬は屈んで、身体の下に腕を入れてくる。軽々と抱き上げられる。三十キロちょっとの体重など存在していないかのようだ。  私の鞄も拾いあげ、軽い足どりで階段を上っていく。  早瀬の部屋。訪れるのは二度目だ。  見たところ、前回よりも小ぎれいに片付いている印象を受けた。突発的な訪問だった前回と違い、今日は私を呼ぶということでちゃんと掃除をしていたのだろう。  早瀬は抱えていた私をベッドの上に放り投げた。優しく横たえるのではなく、身体が文字通り宙に浮いた。  短い放物線を描いて背中からマットの上に落ち、一度弾んで俯せになる。  身体を起こそうと手をついたところで、背後から腰を掴まれ、押さえつけられた。  その意図を察して、身体の向きを変えるのをやめる。四つん這いの体勢のまま、早瀬の次の行動を待つ。  荒っぽい手つきでスカートが脱がされる。  下着が膝まで下ろされる。  下半身が露わにされる。 「――――っ!」  両手で腰を掴まれたかと思うと、いきなり背後から貫かれた。  いっさいの手加減なしに、いちばん深い部分まで一気に。  四つん這いにして後ろからというのは、男にとっても挿入しやすい体勢だ。しかも一度した後でほぐれている状態ということで、無理な姿勢だった一度目に比べるといくぶんスムーズな挿入だった。それでも、限界まで拡げられる痛みに変わりはないのだけれど。  まさしく、太い杭に貫かれたという感覚だった。  以前テレビで見た、どこかのお祭りで作っていた牛の丸焼きの光景を思い出す。あの牛との違いは、私は生きたまま貫かれていることと、そもそも貫かれている穴が違うことくらいだろうか。  腰をしっかりと掴まえて、激しく下半身を打ちつけてくる早瀬。この体勢は動きやすいのだろう。機関銃のような勢いで抜き挿しされる。 「ぁ…………ん、ふ、ぅ……っ」  あまりの速さに、摩擦熱で火傷してしまいそうだ。  一気に昂っていく。  身体から力が抜けていく。  四つん這いになって腕で上体を支えているのが辛くなって、ベッドの上に突っ伏した。  俯せで、膝を立ててお尻だけを突き上げたような姿勢になる。大きな手がそのお尻をわしづかみにして、長いストロークで腰を打ちつけてくる。 「……っ、……、は…………」  激しい往復運動。深く突き入れられるたびに、肺から空気が押し出される。小さな身体が激しく揺さぶられる。  胸がベッドに擦りつけられる。  ピアスを付けたままなので少し痛い。  だけど、いい。  性器はその何倍も痛い。  異物にぎりぎりまで拡げられ、火傷しそうなほどに激しく擦られ、奥行き以上に深く突き入れられている。  ベッドに爪を立てる。ベッドカバーを握りしめて痛みに耐える。  なのに、濡れている。  感じている。  半開きの唇からこぼれた唾液が、ベッドの上に小さな染みを作っている。きっと、下半身もいやらしい涎を滴らせていることだろう。  膣が引きちぎられそうなほどにねじ込まれ、次の瞬間ぎりぎりまで引き抜かれる。  膣内の粘膜が掻き出されるような感覚。  短い悲鳴。  そしてまた、一気に突き入れられる。  内臓が突き上げられる。  太すぎる男性器が私の中をいっぱいに満たし、身体の内側から周囲の器官を圧迫している。そして激しい往復運動。こんな体勢で、しかも指による責めではないのに〈潮吹き〉してしまいそうな感覚が押し寄せてくる。実際、愛液とは異なる液体を多少は撒き散らしてしまったかもしれない。  しかしもちろん、私は一方的に受け身だったわけではない。身体は無意識のうちに、自分の中に在る男を悦ばせるために動いていた。  いちばん深く突き入れられたタイミングで、入口を締めつける。腰を左右に振る。膣口がてこの支点となって、長大なペニスの先端が膣の奥で大きく暴れる。  中をめちゃめちゃにかき混ぜられる。激しく擦られる。  当然、早瀬もペニス全体に強い刺激を受けているはずで、それが激痛をともなう刺激である私とは異なり、彼にとっては純粋に快感であるはずだった。  その証に、私の動きに合わせてぐいぐいと深く押し込んでくる。  私はさらに腰を振る。  それは意図した動きではなく、なかば本能的というか条件反射というか、バックから突かれている時にはそうするものだと身体に染みついている反応だった。 「すげ……いィっ! くそ……っ!」  早瀬がさらに荒々しく動く。激しい動きによって、射精しそうなのを堪えるように。  手加減なしに、私の三倍近い体重を乗せて。  声にならない悲鳴。嗚咽。  射精した直後だからだろうか、一度目よりも時間が長い。あるいは回数を重ねたことで加減がわかってきたのか、セックスの快感に慣れてきたのかもしれない。  私にとってはその分、辛い、苦しい、だけど感じてしまう時間が長く続くことになる。  乱暴に犯されている性器の痛み。  ピアスを付けた乳首が擦れる痛み。  掴まれているお尻に指が喰い込む痛み。  内臓が突き上げられる痛み。  涙が流れ出す。  しかし快楽の証である液体の分泌量の方がはるかに多い。  唇から微かに漏れるか細い悲鳴は妙に甘ったるい。  早瀬は一瞬も休まず動き続ける。  どんどん、速く。  どんどん、強く。  目の焦点が合わなくなる。  視界が霞む。  何度も意識が飛ぶ。  しかしそれは一瞬だけで、普通であれば耐え難いほどの痛みによって現実に引き戻される。  失神することさえ許されない陵辱。  早く終わって欲しい。  いつまでも犯し続けて欲しい。  心の中で揺れる、相反する想い。  しかしもちろん、その行為は永遠には続かない。  早瀬が呻くような声を漏らす。  肺の中の空気を勢いよく吐き出す。  お尻に爪が立てられる。  そして――  身体を貫通して口から飛び出してきそうな、最後の激しいひと突き。 「――っ あぁっ!」 「う…………あぁぁっ!」  胎内で爆発が起こる。  膣奥はけっして敏感な部位ではないのに、はっきりと感じた。熱い、どろりとした粘液の塊が噴き出してくることを。  貧血を起こして倒れる時のように、視界が暗くなる。  奈落に落ちていくような感覚。  と同時に、早瀬の巨体が背後から覆いかぶさってきて、私を押し潰した。  耳元で繰り返される激しい呼吸。まるで台風のように轟々と唸っている。  膣内では彼の分身がその勢いを保ったまま、大きく脈打ちながら精液を吐き出していた。 * * * 「…………ぅ」  私の下半身は小刻みに痙攣していた。  終わってみると、凄く感じてしまったような気もするし、ただただ痛くて苦しかっただけのようにも思う。  動きが止まって楽になったかというと、実はそうでもない。  身体全体に、早瀬の体重がかかっている。  重い。  押し潰されて呼吸も苦しいくらいだ。  それでもクッションの効いたベッドの上だからこのくらいで済んでいるのであり、硬い床の上だったら肋骨の一本くらい折られていてもおかしくない状況だった。  状況をわかっているのかいないのか、早瀬は私の腕を押さえるようにして全体重を預けている。 「…………すげ、よかった」  深い呼吸を繰り返しながら耳元でつぶやく。 「めちゃくちゃ昂奮して、すっげー感じた」 「…………そう」   素っ気なく答える。これで「お前はどうだった?」なんてくだらない質問をされたら興醒めだったけれど、後に続いたのは別な台詞だった。 「重いか?」  身体の下に私を敷いたまま訊いてくる。訊くまでもない、答えのわかりきった質問に、律儀に答える。 「…………ええ」  しかし早瀬はどかない。腕や脚で自分の体重を支えて私の負担を軽くしようともしない。  本当に、ただ、訊いただけのようだ。  そんな態度はむしろ私を悦ばせる。  優しくされたくない。  乱暴に、ただ一方的に性欲をぶつけられ、穢されたい。  それが、私の望みだ。  早瀬はまだ私の中に在った。ベッドの上で俯せに押し潰され、脚を大きく開いて背後から貫かれている。まるで踏みつぶされた蛙を思わせる体勢だった。  いうまでもなく、私を貫いているものは大きさも固さもまだ最高の状態を維持していた。膣の粘膜がめりめりと悲鳴を上げるほどに拡げられ、内臓が圧迫されている。  腕を掴んでいた早瀬の手が、身体の下に潜り込んできた。背後から抱きしめるような形で、大きな掌が胸の膨らみを包み込む。  そのまま、ブラウスのボタンを外していく。自分でもすっかり失念していたけれど、脱がされていたのは下半身だけで、まだ上半身は着衣のままだった。  背中に密着していた身体が一瞬だけ離れ、汗で湿ったブラウスが剥ぎ取られる。ブラジャーのホックが外され、腕から抜かれる。  残った衣類はニーソックスだけで、それが脱がされる気配はなかった。行為の邪魔にならない衣類など、どうでもいいのかもしれない。  また、身体に腕が回される。  胸をわしづかみにされる。  背中に巨体が覆いかぶさってくる。  これまで化繊の生地で隔てられていた肌と肌が密着する。  身体とベッドの間で押し潰されていた胸の膨らみに、早瀬の指が喰い込んでくる。乱暴に胸を揉み、乳首のピアスを弄ぶ。 「これって、痛くねーの?」 「ん、…………く」  むしろ痛がらせようとしているような、乱暴な愛撫。小さな声が漏れる。 「……痛いわよ。乱暴に引っ張られたりしたら」  もっとも、今は下半身を貫かれている痛みと圧迫感の方が強い。 「こう?」  指でつまんで、捻りながらそれぞれ左右に引っ張る。 「…………、ええ」  私が痛がっていることを確かめつつ、しかしその行為をやめようとはしない。自分にマゾっ気があることは自覚しているけれど、早瀬のサドっ気もかなりのものだ。  胸を乱暴に弄びつつ、下半身も押しつけてくる。先刻までのような、悲鳴を上げるほどの激しい動きではなく、ただ全体重をかけてゆっくりと押し込んでくる。  ペニスの先端がいちばん奥まで突き当たり、そこで止まらずさらに押し込まれる。  膣が引き延ばされる。引きちぎられそうな粘膜が悲鳴を上げる。その、根元まで強引に押し込んだ状態で動きを止める。 「ぅ…………」  もちろんそんなつもりはないけれど、たとえ身体を動かして逃れようと思っても、私を押し潰している早瀬の巨体はびくともしない。しっかりと押さえつけ、いちばん深くまで挿入した状態を続けている。 「気持ちイイな……北川の中」  耳元でささやくと、早瀬はそのまま耳たぶを噛んだ。甘噛みと呼ぶには少々力が入りすぎていたけれど、喰い千切られるほどでもない。 「…………そう」 「ずっと、こうしていたいかも」 「……好きにすれば」  また、耳を噛まれる。  耳たぶの痛み。  乳首の痛み。  性器の痛み。  そして、押し潰されそうな身体全体の痛み。  背中に、早瀬の身体が密着している。  私の肉体にとっては至福の快楽で、精神にとっては耐え難いほどのおぞましさを覚える。  ずっと、こうしていたい。  今すぐ逃げ出したい。  相反する想い。  そんな葛藤には気づきもせず、早瀬が少しずつ動きを再開する。  根元まで挿入して密着したまま、ゆっくりと腰を動かす。  いちばん深い部分をかき混ぜ、亀頭を子宮口に擦りつけるように。  私も反応する。  括約筋を収縮させ、お尻を早瀬に擦りつけるように振る。 「ん、ぁ……あぁ……」  切なげな吐息。  そして、泥濘がかき混ぜられる音。  濡れた粘膜が早瀬に絡みついて包み込む。  これまでと違って、ゆっくりとした小さな動き。  しかし、けっして優しくはない。  むしろ、真逆。  膣を限界まで引き延ばして、根元まで押し込まれているペニス。なのにそこからさらに一ミリでも奥に進もうとするかのように、圧倒的な力で腰を押しつけてくる。  乱暴な往復運動ではなく、いちばん痛い位置でずっと固定されたような状態。  激しく動いていないためだろう、早瀬もすぐには達する気配がない。言葉通り、この状態をずっと味わい続けようとしている。  いつまでも続く時間。  少しずつ、少しずつ、昂ってくる。  自分でも気づかないくらい、じわじわと。  呼吸が荒くなってくる。  全身が汗ばんでくる。  私を捕まえている腕に、さらに力が込められる。  早瀬の身体も汗が噴き出している。  耳元で荒い呼吸が繰り返されている。  しかし疲れた様子は感じられない。ありあまる体力で、私を犯し続けている。 「あぁ……くそっ、すげーイイ! またイキそうだ」 「…………いけば……いい、じゃない。別に……我慢、しなくたって」  腰の動きに同調して押し寄せてくる、激痛を伴った快楽の波。それに合わせて私の言葉も途切れ途切れになる。 「すぐにいっちまったら……もったいない」 「……すぐ? もう、けっこうな……時間に、なるわよ?」  前回の射精の後、ずっと挿入されたままなのだ。この体勢のまま過ぎた時間は少なくとも数十分にはなる。  もう下半身の感覚も、時間の感覚も麻痺しかかっていた。 「でも、ずっとこうしていたいんだ」 「……三回や四回、射精したくらいで……萎えるような、生ぬるい性欲じゃない……くせに」 「まあ……そうだけど」  相変わらずゆっくりとした、しかしその動きは確実に大きくなってきている。  荒い呼吸。なにかを堪えているような呻き声。  早瀬の意志に反して、もう抑えのきかない段階に達している。 「……ん……どうせ……一晩中、……やりまくるんでしょ? 力尽きるまで……ぁ、好きに、……やればいいじゃない」 「……朝まで寝かせずにやってもいいのか?」 「…………疲れて寝てしまおうが、気を失おうが……好きに、すれば……いいわ」  ただし、した回数だけは覚えておくように、と釘を刺しておく必要はあるだろうか。 「それって……気失った北川を犯すってのも……なんか興奮するな」 「…………早瀬って、根っからのサドね」 「……そうかな?」 「ええ、そうよ。…………ぁっ」  会話の間も、いちばん深い部分に早瀬の圧力を感じていた。  私の膣から少しでも多くの快楽を引き出そうとするかのように、深く深くねじ込まれる。  それは純粋に自分が気持ちよくなるための動きで、私を楽しませようという思いやりは感じられない。  だから、いい。  私も昂っている。もう、昇りつめるしかないところまで。 「……っ! ダメだっ、もう我慢、できねーっ!」  乳房が握り潰されそうなほどに、手に力が込められる。爪が立てられる。  一度、半分ほど引き抜かれたペニスが、体重を乗せて一気に打ち込まれた。  最奥で、大きく脈打つ。  早瀬の短い叫び。  私も悲鳴を上げそうになり、ベッドカバーを噛みしめる。歯の隙間から呻き声が漏れる。  本当に一ミリの余裕もない状態まで引き延ばされた膣。その最奥で一瞬膨らむ男性器。  大量の精液が噴き出してくる衝撃が、子宮にまで響いた。  早瀬は大きく息を吐き出す。  胎内で弾けた衝撃が治まるまで、歯を食いしばって痛みと快感に耐える。  数秒間、全身の筋肉が痙攣しそうなほどに強張る。  それからようやく、力が抜ける。  肺が空っぽになるまで息を吐き出し、新鮮な空気を貪る。  早瀬の身体も脱力していく。  身体の下から腕が引き抜かれ、その手が頭を乱暴に撫でて髪をくしゃくしゃにした。 「…………すげ……、よかった」 「……そう」  最後の一瞬、私も達していた。  それも、かなり激しく。  どうしてだろう。ただ力まかせで苦しいだけの行為のはずなのに、早瀬とのセックスはこの身体を悦ばせる。  もっと、犯して欲しい。  もっと、陵辱して欲しい。  もっと、穢して欲しい。  私を、めちゃめちゃに壊して欲しい。  そんな想いが湧き上がってくる。  もちろん、彼に好意など抱いていない。  むしろ、逆。  私にとって男は嫌悪の対象でしかない。特に、早瀬や、ピアスをくれた〈パパ〉のような、この身体を本気で悦ばせる男はなおさらだ。  早瀬はまだ、私を押し潰すように覆いかぶさっている。汗で濡れた身体で、深い呼吸を繰り返していた。 「……少し、休憩すっか」 「…………別に……、続けてもいいわよ」  いくぶん朦朧としかかっていたけれど、そう応える。  私の中には、まだ早瀬が在った。  大きさと固さを維持したまま。  前回の経験からいっても、泊まりの約束をしているのに三度くらいで満足するはずがない。 「まだまだ、夜は長いからな。もっともっと楽しむために体力回復。……喉、乾いてないか? 汗かいたろ」 「…………そうね」  汗もかいたし、喘いでいたせいもあって喉は渇いている。 「なに飲みたい? ココア以外でも。ジュースやコーラもあるし」 「…………アイス・カフェ・ラテ」  少し考えて、わざと難し目のリクエストをしてみた。 「ああ」  しかし早瀬はあっさりとうなずいた。この家にエスプレッソマシーンがあったとは予想外だ。彼自身が食後のエスプレッソを楽しむような性格には見えないから、ココア同様にお姉さんに仕込まれたものかもしれない。 「……ちょっと待ってろ」  私の頭をぽんとひとつ叩いて、身体を起こす。  ずっと私を押し潰していた重みがなくなり、一瞬、身体が浮き上がりそうなほどに軽く感じた。  手早く服を着た早瀬が部屋を出て行く。階段を下りる足音が遠ざかっていく。  痛みや圧迫感がなくなって、急に疲労感が押し寄せてきた。瞼が重くなる。  ごろりと寝返りを打って仰向けになった。天井で灯っている蛍光灯が眩しい。  私は妙な喪失感を覚えていた。身体の中で凄まじいまでの存在感を主張していたものが急に引き抜かれたためだろうか。  いっぱいに拡げられていた膣が収縮し、精液が溢れだしてくる。脚の間からぬるぬるとした感触が伝わってくる。  下半身に手を伸ばして、押し出されてきた粘液を拭いとった。大量の精液が手をべっとりと汚す。  手を顔の前に掲げる。半透明の白く濁った液体にまみれている。  いつものように口に含む。  いつもと変わらず生臭くて、苦くて、気持ち悪い。  飲み込むと、喉に引っかかるような嫌な感触がゆっくりと下りていく。口の中には生臭い味がいつまでも残っているような気がする。  手を汚している粘液をすべて舐めとると、その手をまた下半身に運ぶ。  溢れだした分をすべて拭い終わると、今度は中に指を挿れて掻き出す。  触れると、激しく擦られた膣壁がひりひりと痛んだ。  ――疲れた。  壁に掛かった時計を見ると、意外と時間が経っていた。この家に入ってから、もう三時間近くが過ぎている。  腰が抜けたかのように、下半身に力が入らない。腕で上半身を支え、這うようにしてベッドの端に移動した。  床に置かれていた鞄に手を伸ばす。  中から、愛用の剃刀を取り出す。 「…………まず、三回」  裸のままベッドの端に座って、刃を手首に押し当てた。  一瞬の躊躇いもなく、すっと引く。  微かな紅い筋。  その色がだんだん濃くなって、紅い珠がぷつぷつと浮かび上がってくる。  もう一回、二回。  左手首に三本の紅い筋が刻み込まれ、流れ出した深紅の液体がゆっくりと腕を伝っていく。  じっと、その鮮やかな色彩を見つめる。  普段なら、ことが終わって独りになってからすることだ。しかし早瀬相手に泊まりとなると、確実にその数は二桁になるだろう。  前回のことを考えると、立て続けにそれだけの数を切るのは生命に関わりそうな気がした。それに途中で気を失って回数がわからなくなる可能性もある。  だから休憩のついでに、ここまでの〈精算〉を済ませておくことにした。  幾筋にも枝分かれして流れていく血が、肘にまで達する。  左手を抱くようにして、胸に押しつけた。体格の割に大きなふくらみが紅く汚れる。  思わず見とれてしまう、深紅の液体。  それは人を狂わせる色彩。  見つめていると、意識がそれだけに支配されそうになる。  そのため、戻ってきた早瀬の足音に気づいたのは、階段を上り終わった後だった。 「お待たせ。北川、ケーキがあるんだけど、食べ……」  早瀬の手にはふたつのグラスを載せたトレイ。  もう一方の手にはケーキの箱。  部屋に入って、私の姿を認めたところで動きが止まる。  笑みを浮かべていた顔が強張る。 「…………、北川」 「……喉、乾いたわ」  早瀬に向かって腕を伸ばす。  紅く染まった左手を。 「……薬箱、取ってくる」  トレイとケーキの箱を机に置いて、回れ右をする早瀬。その背中に声を投げかける。 「気が早いわね。……後でいいわ」  早瀬の脚が止まった。  まだ、早すぎる。  まだ、十分に血を流していない。  まだ、足りない。  この程度の量の血では〈贖罪〉にならない。 「でも……」  早瀬が振り返る。 「喉、乾いたわ」  もう一度、手を差し出す。  まっすぐに早瀬を見つめる。たとえ薬箱を持ってきても今すぐ治療を受けるつもりはない、という強い意志を込めて。  早瀬も私の目を見る。 「……落ち着いているみたいだな」  少しだけ安堵の表情を浮かべて言う。  私が正気かどうか、確認したのだろう。手首を切ること自体が正気ではないといってしまえばそれまでだけれど、入学間もない頃、教室で半狂乱になって発作的に切った姿を見ている早瀬としては、その光景が再現されることを懸念したのかもしれない。  あの頃に比べたら、今の私は落ち着いている。高校入学直後は環境の急変のためか、精神的にかなり不安定だった。  小さな溜息をついてグラスを取り、紅く染まった手に渡してくれる。  ストローをくわえる。  アイス・カフェ・ラテ。  ほどよい苦みとクリームのまろやかさが舌に心地よい。  ひと口、ふた口、喉を鳴らす。  疲れた身体に元気が戻ってくるようだ。  お腹にものが入ったことが刺激となったのか、空腹を覚えた。夕食を食べてきたとはいえ量は少なめだし、時刻も早かった。 「……ケーキがあるの?」  机の上の箱に視線を向ける。トレイにはお皿とフォークも載っていた。 「あ、ああ……泊まりだから腹も減るだろうし、北川がどんなものが好きか知らないけど、まあ、女の子は大抵、ケーキとか好きかなって」  意外と細かなところに気を遣う。セックスには気遣いの欠片もないくせに。  お姉さんの教育の賜物か、あるいは茅萱との付き合いで培われたものなのか。 「……嫌いではないわ」 「そうか、よかった」  ケーキの箱を開けて見せてくれる。全部違う種類で四つ。チョコレート系、生クリーム系、フルーツ系、そしてチーズケーキ。 「どれから食べる?」 「……早瀬は、どれが好きなの?」  私の好みは知らないのだから、自分が食べたいものを買ってきた可能性が高い。私にはどうしてもこれというほどの執着はないから、早瀬のお目当てを横取りする気もない。 「いや、全部食べていいぞ」  そう言われて気がついた。お皿とフォークはひとつずつしかない。このケーキは私のためだけに用意されたものだった。  ケーキから早瀬に視線を移す。小さくうなずいたように見えた。  生チョコがたっぷりと使われている、カロリーの高そうなケーキをお皿に取る。  フォークを刺して一切れ口に運ぶ。  ねっとりと濃厚な、チョコレートの甘みと苦みが口の中に広がる。  美味しい。そこらへんのスーパーで売っている安物ではない。  もう一切れ、フォークに刺して持ち上げる。 「……どうぞ?」  早瀬の顔の前に差し出す。  目が見開かれる。驚き、戸惑い、照れの入り混じった表情。 「……え? い、いや、北川、全部食べていいぞ」 「……早瀬って、時々、すごく失礼ね」 「え?」  きょとんとした表情。まったくわかっていない。 「あなたの目には、私って、四つのケーキを独り占めするほどの食いしん坊に見えるのかしら?」 「え? あ、いや……別にそんな……」  親切心のつもりが私の機嫌を損ねる結果になってしまって狼狽えている。  そんな早瀬を見ながら考える。  彼の身近にいる女の子といえば、まずお姉さんと茅萱カヲリだろう。弟に飲み物を作らせているお姉さんは、かなり気が強い、あるいはわがままな女のイメージ。茅萱のことなどよく知らないけれど、教室で早瀬や友達と話している時の雰囲気から察するに、美味しいケーキを遠慮する性格とは思えない。  そんな女性たちと日常的に接している早瀬は、意外とフェミニストなのだろうか。  ――ただし、私とのセックス以外では。  早瀬は困惑した様子で、目の前に差し出されたケーキと私の顔を交互に見る。  私はまっすぐに早瀬を見つめている。 「あ……えーと」  しばらくの葛藤の後、意を決したように屈んでケーキを口へ運んだ。 「……美味いな、これ」 「…………そうね」  覚えのある味だった。見覚えのある、有名な洋菓子店の箱。  何度も〈パパ〉に食べさせてもらったことがある。平均的な高校生の小遣いには負担が大きそうな価格だったことも覚えている。もっとも、〈パパ〉にとっては駄菓子を買うような感覚だったろう。  しかし早瀬は体育会系の男子高校生。食べ物に関しては質より量だろう。彼に似合うのは銀座の有名店の高級ケーキではなく、ファーストフードの特大ハンバーガーか牛丼特盛りだった。 「…………座ったら? 首が疲れるわ」  早瀬は私の前に立ったままだった。立っていてさえも三十センチ以上の身長差がある。座って見上げるのは首に負担がかかる。  ベッドの、自分が座っている左隣のスペースを軽く叩く。 「あ……ああ」  隣に腰を下ろす早瀬。ただし、私とは三十センチ弱の間隔を空けて。  何度もセックスしているくせに、こうしたことにはまだ照れがあるようだ。  お尻を移動させてその距離を埋め、早瀬に密着する。  どう反応すればいいのか困っているような、戸惑いの表情。しかしさすがに逃げはしない。  早瀬と並んで座った状態で、ケーキを一切れ食べる。  次の一切れを、また早瀬に差し出す。  少しだけ躊躇して、私の手からケーキを食べる。  その行為だけを見れば、まるでらぶらぶの純情カップルだ。  しかし私はニーソックスだけの裸で、機械よりも無機的な表情のまま。  寄り添って座っていても、手からケーキを食べさせていても、そこには愛情というものがまったく感じられない。  もちろん、これが〈パパ〉たちとのデートであれば、甘えた声ですり寄るし、ケーキも「それも美味しそう、ちょうだい」なんて言いながら独り占め。たぶん、茅野が早瀬に対してするように。  だけど今は、学校にいる時と同じように超がつくほどの無愛想、無表情。なのに恋人のような行動。だからこそ早瀬は戸惑っている。 「……飲み物、とってくれない?」  早瀬は腕を伸ばし、机の上に置いてあった私のグラスを取って差し出してくる。  そのグラスを受け取らず、早瀬に持たせたままストローを口にくわえて喉を潤す。  また、ケーキを一切れ食べる。  次の一切れを早瀬に差し出す。  早瀬もわかってきたようで、ふたつのグラスを手に持ったまま、私が目で促すと顔の前に差し出してくれる。  お皿が空になり、ふたつ目のケーキを載せる。  それも同じように、私と早瀬が交互にゆっくりと食べる。  みっつ目、よっつ目も同様。  お互い、ケーキふたつ分ずつをお腹に収めたことになる。〈激しい運動〉の後にはちょうどいいおやつだ。  空になったふたつのグラス、一枚のお皿、ケーキの箱。  それらを持って早瀬は一階に下りていき、戻ってきた時には代わりに救急箱と清涼飲料水のペットボトル、グラスをふたつ手にしていた。  ペットボトルとグラスを机に置き、私の隣に座る。  先刻よりはその距離は近い。間隔は十センチくらいだろうか。しかしまだ密着はしてこない。私が動いてその隙間を埋める。 「……北川」  返事はしない。無言で早瀬の顔を見る。 「……手、見せて」 「…………」  私が動かないので、早瀬は左手を掴んで持ち上げた。顔を近づけて傷の様子を観察する。  時間をかけてケーキを食べていた間に、出血はほとんど止まりかけていた。流れ出した血が赤黒く固まっている。  傷の手当てをするのかと思いきや、早瀬は手首に唇を寄せた。 「……、」  少々、予想外の展開だった。  傷に口づけし、舌を押しつけてくる。  固まりかけた血が溶けて、舐めとられていく。  ゆっくりと、三本の傷のひとつひとつを念入りに。  別に、傷口を洗うとか消毒とかの意味ではあるまい。傍らには救急箱もあるのだから。  その行為は、愛撫のようだった。  傷口を、舌と唇で優しく愛撫している。  舌先でくすぐったり、舌全体を強く押しつけたり。まるでクンニリングスのよう。  そういえば、これまで早瀬にクンニされたことはないな……なんてことをぼんやりと考える。 「…………っ」  ふたつの行為の類似点は、舌の動きだけではなかった。  どうしてだろう、その行為は気持ちよかった。  私の身体は、左手首は、傷を舐められる刺激を〈快感〉として受けとめていた。  そのことを知ってか知らずか、早瀬は手当をはじめる気配もなく傷を舐め続けている。  考えてみれば〈傷口〉というのは口や性器と同様に、身体の内部へと通じる場所、身体の内部が外界へ露出した場所だった。  口だってセックスに用いればお互いに気持ちのいい場所なのだから、その点では傷口というのも性器と同じなのかもしれない。  ましてや私の場合、手首の傷はセックスと直結したもの。セックスを連想せずにはいられないもの。  そんなことを考えてしまうと、早瀬にされている行為を無視できなくなってしまった。  平常心を保つことができない。  鼓動が速くなってくる。  体温が上昇をはじめる。  感じてしまう。  傷口がじんじんと痺れてくる。  性器やクリトリスを舐められているのと変わらない感覚だ。  きゅっと唇を噛んで声を堪える。  早瀬がうつむいて傷口に集中しているため、顔を見られていないのは幸いだった。傷口を舐められて感じてしまうなんて、いくらなんでも普通ではない。 「……っ、…………っ」  身体が強張る。右手で口を押さえる。  顔が、そして下半身が熱くなってくる。じわじわと蜜が滲み出てきているのを感じる。  いけない。  これ以上は本当に我慢できなくなってしまう。  いったいどうしてしまったのだろう。これは初めての経験だった。身体のどこであれ、舐められるのは基本的に気持ちのいいことであるけれど、それにしても性感帯以外がこれほど気持ちよかったことはない。 「…………早瀬っ」  それは、自分で思っていたよりも少し大きな声になった。  早瀬が顔を上げる。 「……もう、いいわ。手当てしてちょうだい」  できるだけ平静を装って言う。 「ああ」  微かな笑みを浮かべて、早瀬は救急箱を開ける。  もう一度、傷を確認する。  血の汚れはすっかり舐め取られて、綺麗になっていた。出血もほぼ止まっている。 「そうだ。これ、飲んでおけよ」  最初に薬箱から取りだしたのは錠剤の瓶だった。傷の手当てで錠剤? という疑問が顔に出たのか、蓋を開けながら言葉を続ける。 「鉄剤だよ」 「……そう」  いつも保健室で飲まされているサプリメントと似たようなものだ。  錠剤をふたつ。そして飲み物を注いだグラスが渡される。それを飲む。  素直に従ったことに早瀬は意外そうな表情を浮かべたけれど、彼は私が鉄サプリメントを常用していることを知らない。  血は必要だ。死ぬために切っているわけではない。血を増やせば、またそれだけ切ることができる。  切るために、血を流すために、私は血を造る。  早瀬は手首を掴んで、手当てをはじめた。  私はベッドから滑りおりて、彼の前に跪いた。 「北川……?」 「いいから、続けて」  脚の間に座って、掴まれたままの左腕を頭の上に掲げるような体勢になる。  股間に顔を寄せる。自由な右手でジーンズのファスナーを下ろす。その中のものを口に含む。  既に大きくなりかけていたものが、たちまち口いっぱいに膨らんだ。 「く……ぅっ」  押し殺した声。アルコール綿で傷を拭いていた手が止まる。  根元まで飲み込む。亀頭に喉を塞がれる。それでも強く吸う。唇で根元を締めつけ、舌と内頬を全体に擦りつける。  びくん、びくん!  口の奥で脈動している。  一度吐き出し、根元から先端まで、念入りに舌を滑らせる。  先端を口に含み、右手で根元を握って動かす。舌先で尿道口をくすぐる。  ちらり、と上目遣いに早瀬を見る。  こちらを見ていた早瀬と、一瞬、目が合った。すぐにばつが悪そうに視線を逸らし、傷の手当てを再開する。  また、根元まで飲み込んでいく。深くくわえた状態で顔を動かす。  より強い刺激を与えるために。  そして、早瀬を傷に集中させないために。  しかし、 「…………もしかして、北川……これ、した回数だけ切ってるのか?」  気づかれてしまった。  大雑把そうな外見のくせに、意外と細かいところに気がつく。  左手首には、切りたての傷が三本。そして、よく見れば他の傷と区別できる、まだ比較的新しい傷が六本プラス一本。  まさか、その数字が持つ意味に気づくとは。 「………………ええ、そうよ」  仕方なくうなずく。 「何故?」  その問いに答えることは気が進まなかった。しかし、嘘をつく気にもなれない。黙秘という選択肢もあったはずなのに、口が勝手に動いていた。 「……罰、だから」 「え?」 「罪を犯したら、罰を受けなきゃならないから」 「…………」  わかったような、わからないような、微妙な表情。  これだけの説明ですべてを理解できるはずもないけれど、雰囲気からなにかを感じとったのか、それ以上は追求してこなかった。  無言で傷の処置を再開する。  私も、口での奉仕を続ける。  止血パッドを貼り、包帯を巻いていく早瀬。  口の、舌の動きを加速していく私。  前戯としてではなく、このまま射精に導くつもりの口戯だった。  時折くぐもった声を漏らしながらも堪えている早瀬。  だんだん、包帯を巻いている手の動きが速くなってくる。最後の仕上げは、前回に比べると少々雑だった。 「……っ、北川っ!」  両肩を掴んで私を引きはがし、そのまま脇の下に手を入れて持ち上げる。  自分の膝の上に座らせて、身体に腕を回す。  向かい合って抱き合う形になった。体位でいえば対面座位というところ。  股間に、大きな肉の塊が当たっている。凄く熱を帯びている。  入口に当たっているそれは、今にも獲物に襲いかからんとしている獣の気配を漂わせていた。  口でしていたために、私の方ももう準備はできていた。流れ出す蜜が早瀬を濡らしている。 「あと何回くらい、できる?」  早瀬もかなり昂っているのか、呼吸が荒い。かろうじて衝動を抑えているといった雰囲気だ。 「……何度でも。この程度の傷、十や二十で失血死なんてしないわ」  手首の傷のことを知って、私とセックスすることに後ろめたさを憶えているのだと思った。  セックスしたら、私はまた自分を傷つけ、血を流す。  だから早瀬は遠慮しているのだ、と。  だとしたら、早瀬との関係もこれまでだ――と思ったのだけれど、しかし、早瀬は首を横に振った。 「そうじゃなくて、体力とか。それに……ここ、痛くないか?」  指が触れてくるのは手首の傷ではなく、蜜を滴らせている局部。 「……痛いわよ?」  大きなもので貫かれて、激しく擦られて。  早瀬と三回もすれば、それだけでもう赤く腫れてしまう。触れるとひりひりと痛い。 「それでも、していいのか?」 「……別に、構わないわ」 「はじめたら手加減できないぞ」 「早瀬にそんなこと、期待してないわ。優しいセックスが目当てなら、そもそもあなたの相手なんてしない」  腕に力が込められる。 「後悔すんなよ」  今の私は、早瀬のペニスの上に乗せられたやじろべえのような状態だった。ちょうど、入口にぴったり合うように先端が当たっている。しかし入口の狭さと早瀬の太さのため、そう簡単には中に入ってこない。  小刻みに腰を動かして、位置を微調整する。  早瀬は腰に回した腕に力を込めて、私の身体を押し下げる。 「……ぅ……ん、ん……」  押しつけられた大きな亀頭が、濡れた粘膜を乱暴に拡げていく。  めり……めり……と音を立てて押し入ってくるような感覚。  息を止める。  痛みを堪える。  私の身体は真下から串刺しにされ、膣の粘膜がまたいっぱいに引き延ばされる。  少し休んだせいか、かえって二度目、三度目よりも痛いような気がする。 「ぁ…………は、ぁ……っ」  いちばん奥に突き当たる。それでもまだ根元までは私の中に埋まっておらず、かなりの部分が外にあった。強引にねじ込まない限り、このペニスは私の膣の奥行きよりも長い。  早瀬は腕の力を緩めることなく、私の身体を股間に押しつけた。太い腕に力こぶが盛り上がる。 「……んっ、……く……ぅ、んく……」  無理やり押し込まれてくる。内蔵が突き上げられるような感覚。身体の内側からの、独特の圧迫感。軽い腹痛と吐き気を覚える。  痛い。  苦しい。  腫れた粘膜をさらに擦られる痛み。  膣を無理やり引き延ばされる痛み。  内臓を貫かれるような苦しみ。  二人の下腹部が密着する。  早瀬のすべてが私の中に埋まった。  外にある時の姿を見ていると、我ながら信じられない。この小さな身体の中に、あの長大なものがすべて収まっているなんて。  人体の脅威。  女体の神秘。  いちばんの不思議は、これだけ苦しい状態でありながら、濡れて感じてしまっていることだ。  私を抱えて、早瀬は腰を揺する。  同時に、私の身体も揺さぶる。  結合部がぐちゅぐちゅとぬめった音を立てる。 「んっ……ふ……ぅんっ…………ん、く、……んっ」  唇からくぐもった喘ぎ声が漏れる。  ベッドがぎしぎしと軋む。  バランスが悪い体勢のせいもあって、無意識のうちに手に力が入り、早瀬にしがみつく。  下半身にも力が入り、早瀬を締めつける。  力を抜いたらさらに奥まで貫かれて、本当にお腹を突き破られてしまうような錯覚を覚えた。  痛くて、苦しくて、気持ちいい。  痛みに対する生理的な反応として、涙が滲んでくる。しかしもちろん抗議の声など上げない。  私が泣いていることがわかっていても、早瀬は力を緩めない。自分の分身を一ミリも余すことなく私の中にねじ込み、そこからありったけの快楽を搾り取ろうとしている。  大きな身体とありあまる腕力が、小さな身体を蹂躙する。  激しい往復運動ではなく、いちばん深い部分に無理やり押し込んでいるという点では先刻までと同じ状況だった。しかし俯せになって背後から犯されていた時と違って、自分の体重がまともに加わる分、結合部にかかる負担は大きかった。 「…………ぁ……ぁ」  身体が痙攣する。唇が震える。視界が霞む。 「……こうやってずっと奥まで挿れてるのと、最初みたいに激しく動くのと、どっちがいい?」 「…………どっちも魅力的で、迷うわね」  無機的な声で、下手くそな芝居のような棒読みの台詞。  当然、本心で言っているとは思わないだろうけれど、しかしそれを嫌がっているわけではないことも伝わっているはず。  いずれにせよ、私の負担よりも自分の性欲を満たすことを優先する性格だ。ふたつの選択肢のどちらかをリクエストしたところで、いざ昂ってきたらお構いなしだろう。 「じゃあ、こういうのはどうだ?」 「……っ! んっ、――っ!」  早瀬が選択したのは〈奥まで挿れたまま〉〈激しく動く〉だった。  私を上に乗せたまま仰向けに倒れ、騎乗位の形になる。そのまま腰を激しく突き上げてくる。  その勢いはまるでブル・ライディングの暴れ牛だった。私の小さな身体なんて本物のロデオさながらにたちまち跳ねとばされてしまうところだけれど、早瀬は私の両腕をしっかり掴んで引っ張っていて、どんなに大きく弾んでも、彼に貫かれた状態からは逃れられない。  それだけに、結合部が受ける刺激はこれまででいちばん激しかった。早瀬の上でもみくちゃにされ、膣全体がめちゃめちゃにかき混ぜられている。 「――っ! ぁ、……っ! っっ!」  頭ががくがくと揺れる。  唇から漏れる息は声にならず、涎が飛び散る。  早瀬の身体がベッドの上で弾んでいる。  さすがにこの激しい刺激では、早瀬もそう長くは我慢できずに達してしまったけれど、その頃には私もほとんど失神しかけていた。 * * *  早瀬はそのまま、休憩も挟まずにさらに二度、なかば意識を失っている私を犯して胎内に精を放った。  本当に、一度火がついてしまえば手加減なしだった。冷静な時にはそれなりに優しく、気遣うような素振りを見せつつも、いざ自分の性欲を満たす段になるとなんの遠慮もない。  まさに〈男らしい〉性格といえる。  忌まわしい、唾棄すべき存在。  だからこそ、それを求めてしまう。  はっきりと意識が戻った時には、カーテンの隙間から覗く空が微かに白みはじめていた。  今は六月、夜明けは早い。  私は死体のようにぐったりとベッドに横たわったまま、ぼんやりとカーテンの隙間を見つめていた。意識は戻っても、身体はろくに動かせない。  しかし早瀬は多少眠そうなくらいで、体力、精力ともにまだまだ元気そうだった。  また、飲み物と夜食を用意してくれる。  その間に、また、手首を切る。  大きなお皿と飲み物を手にして戻ってきた早瀬が、私を見て、ほんの一瞬だけ動きを止める。  もう、驚いた顔は見せない。ただ、微かに溜息をついたようだった。 「……また、食い終わるまで治療禁止?」 「……ええ」 「じゃあ、早く食え」  持っていたお皿を差し出す。  大きなお皿の上で、八等分にカットされたピザが香ばしい湯気を立てていた。 「……私、食べるの遅いのよ」  ピザを一切れ取り、わざとゆっくりと、少しずつついばむように食べる。そんな様子を苦笑しつつ見ている早瀬。  全裸で、手首から血を流して、ピザをついばむ図。シュールな光景ではある。  食べ終わって傷の手当てが終わった頃には、外ははっきりと明るくなっていた。 「結局、徹夜しちまったな」 「…………帰りが困るわね」 「なんで?」 「今の私が、自分で歩いて帰れると思う?」 「あ……」  下半身にはまるで力が入らず、性器の痛みは先ほどよりもさらに悪化している。とても、歩いて帰れる状態ではない。途中で倒れる以前に、この家から自力で出られるかどうかすら怪しかった。  じゃあ早瀬に送っていってもらえばいいかというと、それはそれで問題がある。 「……白昼堂々とこの前みたいな帰り方は、さすがに抵抗あるわ」  いくら私でも、お姫様抱っこで真っ昼間の往来を平然と行けるわけがない。そんな目立つ姿で、万が一クラスメイトにでも見られたら後々面倒なことになる。 「……だったら」  いいことを思いついた、といわんばかりに子供っぽい笑みを浮かべる早瀬。 「暗くなるまでここにいれば?」  それで、妙に嬉しそうな表情の理由がわかった。どうやら、まだまだする気満々らしい。本当に、底なしの体力と精力だ。 「……今日、ヒマなの?」 「ああ。北川は?」 「……午後に〈デート〉の約束が一件」  独特のアクセントで発した〈デート〉という単語。それで、普通の意味でのデートではないことが早瀬に伝わる。  やや引きつったような表情になる。 「…………別に、すっぽかしても構わない用事よ?」  それ以上は言わない。挑発するような目で見る。  数瞬の間を置いて、早瀬は私の腕を掴んで押し倒した。上に覆いかぶさってくる。 「じゃあ、夜までいろよ。つか、帰さねー」  乱暴に抱きしめられる。 「…………そう」  私は別に、どちらでもいい。  誰でもいい。  私を犯してくれるのであれば。  早瀬を優先したからといって、特別な感情があるわけではない。ただ、この疲れ切った身体で、一度家に帰ってから援交用におしゃれしてまた街に出るのが面倒だっただけだ。  むしろこのまま早瀬と一緒にいた方が、結果的により多く、より激しく犯されるだろう。  その方が楽。その方が手っ取り早い。  ただそれだけのことだった。今日の〈デート〉の約束も特別な相手ではない。 「……ふ、……っんぅっ!」  前戯もなく、また早瀬が入ってくる。  一気に貫かれる。  ちょっとした〈挑発〉が効いているのか、早瀬の動きは単に激しいだけではなく、これまでとは微妙に違う荒々しさがあった。 * * *  本当に、どれだけの体力があるのだろう。  されるがままでいる私がもうとっくに力尽きているというのに、激しく動き続け、幾度となく精を放っている早瀬はまだまだ元気だった。  明け方に始まった数回の行為が終わって、また小休止した頃には、すっかり陽が高くなっていた。もう昼近くだったろう。  お菓子を食べながらだらだらとしているうちに少しうとうとして、目を覚ましたのは太陽が西に傾きはじめた頃だった。  そしてまた嵐が襲ってくる。私はもうなにもできず、壊れた人形のようにただ蹂躙されていただけだ。  ほんの一時だけの休息。すぐにまた再開される陵辱。  何度も繰り返される。  その嵐が去った頃には、外はすっかり暗くなっていた。  これでまる一日、二十四時間以上ここにいたことになる。その間、休憩を挟みつつとはいえ、二十時間近くは早瀬に貫かれていた計算になるのではないだろうか。  つながっていた時間、射精された回数、達した回数、一日で増えた手首の傷。  さすがの私も記録的な数字だった。 「…………そろそろ、帰るわ」  ぐったりと横たわったまま、剃刀を手に〈贖罪〉を済ませて言う。  ここらで区切りをつけなければ、もう一泊することになりそうだった。そうなったら生きて明日の太陽を見ることはできないかもしれない。  早瀬の顔を見る。  そして、少しばかり驚き呆れた。 「…………さすがに、これは少し驚くわね」 「え?」 「まる一日以上、あれだけやりまくったのに、帰ると言ったら物足りなそうな顔をするなんて」  実際、私が承諾すればまだするつもりだろう。 「え? い、いや……別にそんな……うん、堪能した」 「……あまり、説得力はないわ」  視線を少し下に向ける。  まだ、私も早瀬も裸のままだった。そして彼の股間はまだまだ十分すぎるほどの固さを維持して天井を向いている。彼には精力の限界というものが存在しないのだろうか。  もう一回くらい、してもいいだろうか。急いで帰らなければならない理由があるわけではないし、ここまで来たらあと一回してもしなくても、私の身体がぼろぼろなことに変わりはない。  だけど、きっと、始めてしまったら一度では済むまい。自分で言う通り、早瀬は一度火がついたら抑えがきかない性格なのだ。 「…………シャワー、借りていい?」 「あ、ああ、もちろん」  身体中、汗でべたべた。膣内はどろどろ。そして意識は朦朧。  せめてシャワーでも浴びれば、少しはすっきりするかもしれない。  シャワーの用意をするために部屋を出ようとする早瀬を呼び止め、腕を伸ばす。 「……連れていって」  とても、自分の脚で階段を下りるなんてできそうにない。下半身が麻痺してしまったような感覚で、立つことすらおぼつかない。  立って歩けたとしても、今度は性器とその周辺が擦れて激痛が走ることだろう。  回れ右して戻った早瀬が私を抱き上げる。疲れていないはずはないと思うのに、部屋へ連れてこられた時と変わらない軽い足どりで階段を下りていく。  バスルームに着くと、片手で私を抱いたままお風呂マットを敷き、その上にそうっと私を置いた。給湯器のスイッチを入れ、タオルとバスタオルを持ってくる。 「リビングにいるから、終わったら呼んでくれ」  やや照れたような表情で言って、バスルームから出ていく。  別に、一緒でも構わなかったのだけれど。  むしろ、早瀬に洗ってもらった方が楽だったのだけれど。  そもそも、セックスの後のシャワーは一緒に浴びるものではないだろうか。一晩中あれだけのことをしておいて、今さら一緒の入浴を恥ずかしがる理由もないと思うのだけれど、まだまだこうしたことには慣れていないようだ。  もちろん、どうしても早瀬と一緒の方がよかったというわけではないし、身体を洗ってもらったせいでまた彼にスイッチが入ってしまったら生命に関わる。  独りで、マットの上にへたり込むように座ったままシャワーを浴びた。  疲れきって感覚のなくなった身体にとって、勢いよく降りそそぐシャワーの湯滴は心地よいマッサージだった。  お湯を浴びながら、指を下腹部へ運ぶ。  粘膜に触れた瞬間、痛みに顔が歪む。擦りむいた傷に触れる痛み。  それでも、指を挿入する。  膣内は、単なる愛液の潤いとは異なる、ねっとりとした感触で満たされていた。早瀬の精液がたっぷりと混じっている。  激痛を堪えながら指で掻き出す。  流れ出すものを掌で受けとめ、口へ運ぶ。  中出しされた後の、恒例の〈儀式〉。  私にとって〈世界一まずくて気持ち悪いもの〉を飲み下す。  また、指を挿れる。最後の一滴まですくい取る。  あれだけ長時間、あれだけ大きなものを挿入されていたというのに、膣は拡がって緩くなるどころか、むしろ普段よりも狭く、きつく感じた。激しく擦られすぎて、膣壁が腫れあがっているためだろう。指を挿れていると、鼓動に合わせてずきんずきんと痛みが響く。  指を抜いて脚を拡げるようにして座り、前屈みにその部分を覗き込んでみる。  普段の淡い赤みとは違う、不気味なほど真っ赤に充血した陰部は見るからに痛そうだった。目の当たりにすると、よりいっそう痛く感じてしまう。  早瀬は痛くないのだろうか。ペニスだって表面は粘膜、腕や脚の皮膚に比べたらずっとデリケートな部位のはずなのに。  大きくて丈夫な肉体の持ち主は、性器まで丈夫なのだろうか。  そんなことを考えながら、ゆっくりと身体を洗う。  簡単に髪を洗う。  洗い終わってもまだ立ち上がる元気はなかったので、バスルームに座り込んだままドアを開けて早瀬を呼んだ。 * * *  早瀬の家を出たのは、もう夜中近くだった。  空はよく晴れていて、星が瞬いている。日中はそれなりの気温だったはずだけれど、今は風が涼しい。  前回同様、早瀬は私をお姫様抱っこして歩いている。相変わらず、三十キロちょっとの体重など存在しないかのような足どりだ。  足の運びで生じる、軽い上下動が心地よい。疲れきっていることもあって、瞼が重くなってくる。 「……なあ、北川」  うとうとしかけたところで声をかけられる。  返事の代わりに瞼を開く。 「こういうこと訊かれるの、嫌かもしれないけど……どうして、援交とかしてるんだ?」  過去、幾度となく訊かれた質問。  その都度、同じ答えを返してきた。 「…………気持ちいいことして、お金がもらえる。それ以上の理由が必要?」  ほとんどの相手はそれで納得する。釈然としない表情を浮かべている早瀬は少数派だ。  早瀬との関係が普通の〈パパ〉たちとは違うから、この言い訳は通じない。  彼との行為は、激しすぎて、痛くて、純粋に物理的な刺激としてはさほど気持ちのいいものではない。  お金も、高価なブランド品も貰っていない。  なのに、文句ひとつ言わずに抱かれている。  だから前述の答えだけでは、援助交際やAV出演はともかく、早瀬との関係の説明にはならない。  もちろん、彼に特別な好意を抱いているわけではない。私をセックスの対象として見る男はすべて憎悪の対象でしかなく、嫌悪せずにいられる男なんて、根っからの同性愛者くらいのものだ。  そもそも、初体験からこれまで、まともな〈恋愛〉などしたことがない。  だったら何故、早瀬と関係を持っているのか――と問われると、正直なところ返答に困る。自分でも論理的に説明することができない。  他の援助交際と同様、ただ、そうしたいという衝動が湧き上がってくるだけなのだ。その理由について深く考えたことはない。自分の心理を詳細に分析する気にもなれない。少しばかり狂っているな、と思うだけだ。 「気持ちいいことしてお金がもらえるから援交をしている? だけどそれは悪いことだから、するたびに罰として自分の手首を切っている?」  ひとつひとつ、確認するように繰り返す早瀬。もちろん、納得した表情ではない。  肯定の代わりに、まっすぐに早瀬の目を見る。 「…………頭のおかしい人間の戯言よ。気にしないで」 「俺とは、援交じゃないだろ」 「……でも、いけないことだもの」 「…………そうか」 「……それに、見方によっては援交かもしれないわ? 対価がお金や服か、それとも美味しいココアやカフェ・ラテやケーキかの違い」  実際にはそれも理由にはならない。早瀬が作るココアがいい出来なのは事実だけれど、別にそれが目当てで関係を持っているわけではないのだから。  その点では、確かに特殊な関係ではある。他の〈パパ〉たちからは現金や、金額に換算しやすい、そして安くはない対価を貰っているし、AVのギャラについてはいうまでもない。  暇な時にはたまに純粋な〈ナンパ〉の相手をすることもあるけれど、早瀬が積極的に誘ってきたわけでもないのだから、これも同列に考えることはできない。 「いつ頃から?」 「中一……だったかしら。小六だったかも」  答えてから、その質問が〈援交〉に対するものなのか、それとも〈リストカット〉に対するものなのかと考えた。  もっとも、どちらであってもはじめた時期にそう大きなずれはない。 「…………」  微かに驚いたような表情の変化。おそらく、予想よりも早かったのだろう。  その後、しばらく沈黙が続いた。 「……あなたは、言わないのね」 「なにを?」 「やめろ、って。他の人みたいに」 「…………言われてやめるなら、もうとっくにやめてるだろ」 「……そうね」  また、会話が途切れる。  話すことをやめると、すぐにうとうとしてしまう。  そしてまた、早瀬の声に起こされる。 「疲れた?」  彼もそれほど口数の多い方ではないのに、ちょうど気持ちよく眠りそうになったところでタイミングよく話しかけてくるのは、わざとではないかと勘ぐってしまう。 「……疲れてないと思う?」  わかりきったことを訊くな、という感情を込めて応える。 「ちょっと、やりすぎたか?」 「……別に、構わないわ。……私は」  もちろん、気力体力の限界を超えた状態ではある。華奢な私に限らず、どれほどスキモノの淫乱であっても、楽しい、気持ちいいと思える上限をはるかに超えているだろう。苦痛以外のなにものでもない。  しかし、だからこそ早瀬と関係を持つ意味がある。  男と接触することは、精神的には苦痛以外のなにものでもない。  なのに肉体は、大抵の相手とのセックスを快感として受けとめてしまう。  だからこそ、肉体的にも苦痛を与えてくれる早瀬とのセックスは意味があった。  もっとも、他の女の子はそうは感じないだろう――特に、経験のない高校一年生の場合には。 「…………思うんだけど、早瀬、茅萱とする時は先に何度か抜いておいた方がいいんじゃなくて?」 「え?」  突然、私の口から予想外の固有名詞が出てきたことに対する驚きの反応。 「茅萱もバージンなんでしょう? 初めての、しかもまだ高校一年生。あんな勢いでやられたら、絶対に気持ちいいとは感じないと思うわ。私みたいな女は例外中の例外よ?」  茅萱の初体験が気持ちよかろうが痛かろうが、私にはどうでもいいことだけれど、一応、念のため、忠告しておく。AVや私との関係だけから得た経験で、それが普通と思われては困る。初体験の相手に嫌われて、後々、私のせいにされたくはない。 「…………早瀬って、私とするまでは経験なかったのよね?」 「ああ」 「……こんな性欲魔神とずっと一緒にいて、これまでバージンだった茅萱ってすごいわね。よっぽど、ガード固いのかしら?」  早瀬がやや不機嫌そうに口を尖らせる。 「カヲリを襲ったことなんてねーよ。あいつとはそーゆー関係じゃねーし。……そりゃあ、俺だって健康な高校男子だし、まったくエッチな気分になったことがないとは言わねーけど…………あんな風に抑えがきかなくなることはなかった。この前、北川とした時が初めてだったんだ」 「…………そう」 「……学校にいる時はあまり感じなかったけど、北川って、なんてゆーか……妙にエロい雰囲気があるよな、この格好の時は特に」  確かに、学校にいる時と今とでは、別人といってもいいほどに違う。容姿はもちろんのこと、雰囲気も。  下ろした髪、眼鏡を外した顔に薄い化粧。  下着の見えそうなミニスカートと、そこから伸びた脚に視線を惹きつけるためのオーバーニーソックス。  男を誘うフェロモンも垂れ流しだ。  自分本来の容姿とまとっている雰囲気が、異性に劣情を催させるものであることはいやというほど熟知している。 「……それが〈商品価値〉だもの」  だからこそ〈パパ〉や〈おにいちゃん〉や〈ご主人さま〉たちは私を求め、惜しげもなく〈お小遣い〉をくれる。  私の身体を貪るために。  しかし、援交の際にはそれなりに〈顧客サービス〉もしているけれど、早瀬が相手の時は違う。表情と態度は学校と同様の無愛想なまま。それを気にも留めずに私とのセックスを楽しんでいる早瀬は、やっぱり少し変わった趣味といえるかもしれない。  そんなことを考えているうちに、私が住むマンションの前まで来た。前回同様、自分の脚で歩くよりもずいぶんと早い。 「……四階よ」  この前は建物の前で早瀬と別れたけれど、今日はまだ自分の脚で歩けそうになかった。  一瞬、おやっという表情を浮かべた早瀬は、すぐに事情を察したようで、小さくうなずいてマンションの中に入った。  一階に停まっていたエレベーターに乗り、四階のボタンを押す。他に人はいなくて、ほどなく目的の階に着いた。  早瀬は私を抱きかかえたまま指示に従って廊下を歩き、『北川』の表札のあるドアの前で立ち止まる。 「ここでいいか?」 「……ええ」  ゆっくり、慎重に、ガラス細工の壊れものでも扱うように下ろされた。そのまますぐには手を離さず、私の身体を支えている。この手がなければ床に座り込んでしまったかもしれない。  ポケットから家の鍵を取り出して鍵穴に差し込む。この時間、母は仕事で留守だ。  鍵を開けたところで早瀬を振り返った。「送ってくれてありがとう」も「さよなら」も「おやすみ」も言わず、ただ黙って早瀬の顔を見あげる。  数瞬の間があって、早瀬はその意味を察したようだ。あるいは単に偶然で、自分の欲求に従った行動だったのかもしれない。  距離を詰めてくると、腕を掴んで私を背後の壁に押しつけた。身を屈めて、唇を重ねてくる。  前回のように拒絶はせず、その行為を受け入れる。  口の中で、舌が絡み合う。  一分間くらい、そうしていただろうか。やがて早瀬は名残惜しそうに身体を離した。 「えっと……じゃあ、また」 「…………気が向いたらね」  素っ気なく応えはしたけれど、近々また逢うことになるだろうと確信していた。おそらく早瀬もそう思っているだろう。  別に構わない。  今のところ、私の方にはこの関係をやめる理由はない。  早瀬もあれだけ貪っておきながら、私とのセックスに飽きてはいないようだ。 「おやすみ」  そう言いながら、ドアを開けてくれる。 「…………」  返事は返さず、無言でドアをくぐる。  背後でドアが閉まる。  そのまま、ドアに寄りかかってずるずると頽れた。  もう本当に気力も体力も残っていない。  小分けにしたからわかりにくいけれど、考えてみれば流した血の総量もかなりのものだ。鼓動に合わせて、左手首がずきずきと痛みを発している。  それ以外にも、身体中あちこちが痛い。  そして睡眠不足。  今にも気絶してしまいそうだ。  這うようにしてなんとか自室までたどり着き、ベッドに上体を乗せる。  それが限界だった。  服を脱ぐ余力など残っているはずもなく、ベッドによじ登りかけた体勢のまま、私は意識を失った。 第三章 「……は……ぁ……、ぁっ……んんっ!」  抑えようとしても漏れてしまう喘ぎ声。しかしその声音は、快楽よりも苦痛を感じさせるものだった。  痛い。  そして、苦しい。  私は仰向けになって腕を押さえつけられた体勢で、早瀬に深々と貫かれていた。  激しく動く巨体。  フィニッシュに向けて加速していく。  ベッドが軋む。  無理やり拡げられ、激しく擦られている粘膜が悲鳴をあげる。  顔を歪ませて射精を堪えている早瀬。しかしもう限界だ。 「う……あぁっ!」  いきなり引き抜かれる。  靴下を裏返して脱ぐように、膣の内壁が引きずり出されるような感覚。唇を噛んで悲鳴を抑える。  早瀬は素早く私の上にまたがると、一瞬前まで私を貫いていた凶器を顔の前に突きつけた。  今にも破裂しそうなほどに、限界まで膨張した男性器。その先端から、早瀬の欲望が白濁した奔流となって噴き出してくる。  粘りつくような液体が、顔を汚していく。  今夜、既に三度目の射精だというのに、それはびっくりするほど濃く、そして大量だった。  早瀬と初めてセックスしてからひと月半ほどが過ぎた、とある土曜日――いや、もう日が変わって日曜日。  相変わらず、早瀬との関係は続いていた。  時々……というかちょくちょく、誘いのメールが来る。その間隔は短くて三日、長くても一週間。  これまで、ほぼすべての誘いを受け入れていた。とはいえ、無理に早瀬の都合に合わせたわけではなく、たまたま、どうしても優先しなければならない用事とのバッティングがなかっただけの話だ。  日帰りか泊まりかは日によって違うけれど、行為の激しさだけは最初と変わらない。いや、むしろ回を重ねるごとに激しさを増しているかもしれない。  早瀬は飽きる様子もなく、底なしの体力で私の身体を貪り続けている。  毎回、立ちあがる気力も体力も残らないくらい、ぼろぼろになるまで犯される。  だから大抵、帰りは抱きかかえて送ってもらう。  これまで、早瀬の家族とは一度も会っていない。  彼の父親は半単身赴任状態で、母親はこの実家と父親の元を数日おきに行ったり来たりしているのだそうだ。つまり早瀬は、母親が留守になる度に私を呼んでいるというわけだ。  お姉さんは都内の大学に通っているそうだけれど、アパートを借りて独り暮らしで、この家にはたまに顔を出す程度らしい。  今の早瀬は半分くらい独り暮らしのような状態で、女の子を連れ込んで欲望のままに犯していることになる。いいご身分だ。  それに付き合っている私もお人好しというか、物好きというか。  もちろん、早瀬には飲み物やおやつをご馳走になるだけで、お金はもらっていない。ただで、同じ相手と繰り返し逢って行為を重ねるなんて、私としては珍しいことだ。これだけの回数となると、初めてのことかもしれない。  その分、有償の〈デート〉の頻度は激減した。  早瀬との行為の直後に、さらに〈デート〉をするだけの耐久力は持ち合わせていない。二日間くらいは痛みと疲労でぐったりして、その行為の記憶と感覚を反芻しながらだらだらと自慰に耽っていることが多い。  もともと〈デート〉もお金のためというわけではないから、特に問題ではない。お小遣いについては、いちばん長い付き合いの〈パパ〉が振り込んでくれる分だけで不自由はしていない。〈デート〉用の服も大抵は買ってもらうのだから、自分のお金を遣うことなんておやつと普段着とタクシー代くらいしかない。  だから私にとっては、セックスする相手が早瀬だろうと、出会い系サイトで捕まえた〈パパ〉だろうと、さしたる違いはないのだ。  のろのろとした動作で、顔を汚している白濁液を指で拭いとる。  その指を口に運ぶ。  吐き気を催す粘液を舐めとり、飲み下す。  虚ろな表情で、その動作を繰り返す。  気がつくと、ベッドの上に早瀬の姿はなかった。きっと、飲み物と夜食の用意をしているのだろう。  今のうちに……と、ベッドの下に放り出してあった鞄を引き寄せた。  愛用の剃刀を取りだし、左手首に押し当てる。  さすがに、早瀬が見ている前ではリストカットはさせてもらえない。今さら口に出して「やめろ」とは言わないけれど、切る前に腕を押さえつけ、そのまま強引に私を犯すのだ。  それはもちろん切らせないためなのだけれど、リスカを止めると私が怒るので、そうした〈擬装〉をしているのだろう。〈力ずくで犯される〉ことに関しては、けっして文句を言わないとわかっているから。  手首に三本目の紅い筋が生まれるのと、早瀬が戻ってくるのはほぼ同時だった。無言のまま微かに眉をひそめ、お菓子と飲み物を載せたトレイを差し出してくる。切ってすぐには手当てをさせないことも、いやというほどわかっているのだ。  私はグラスを受け取り、血で汚れていく手でチョコクッキーをつまんだ。  今夜の飲み物はアイスコーヒーだった。もちろん、ペットボトル入りの既製品などではなく、手回し式のミルで豆を挽いたものだ。相変わらず、私に出す飲み物には手間をかけてくれる。これも、あの雨の日以来、変わらない点だった。  ふたつめのクッキーをつまむ。早瀬は自分のグラスを手に持ったまま、黙って私を見ている。口元には、微かな笑みが浮かんでいるように見えた。 「…………なに?」 「いや…………そうやって、お菓子を食べてる時の北川って可愛いなぁって思って」  照れ隠しなのか、苦笑しながら答える。 「……つまり、食べてる時以外は可愛くない、と?」  そう応えたのは、早瀬に可愛いと言ってもらいたかったからではない。相変わらず女の子を褒めるのが下手なことに対する、ちょっとした皮肉だ。 「んー、……してる時は、可愛いっつーより…………エロい?」 「…………そう」  〈パパ〉としている時ならともかく、早瀬が相手の時は相変わらず無機的、無表情なままなのに、それが魅力的なのだろうか。行為の激しさを考えれば、私相手にこれ以上はないくらいに欲情しているのだろうけれど、彼の嗜好はよくわからない。  もちろん、それは〈どうでもいい〉ことではある。早瀬が望むからセックスしているのであり、私の方から早瀬を選んでいるわけではないのだから。  それ以上会話を続けることもなく、アイスコーヒーを口に運ぶ。  合間に、もう一枚クッキーをつまむ。  私とのセックスにすっかりのめり込んでいる様子の早瀬。〈どうでもいい〉ことではあるけれど、なんとなく訊いてみる。 「……早瀬って、柔道部だったわよね?」 「ああ」 「……こんなことばっかりしていて、いいの?」  無意識のうちに、やや皮肉めいた口調になる。 「部活の練習は真面目にやってるさ」  特に取り繕うような様子もなく、自然に応えた。その台詞に嘘はないのだろう。  そういえば、逢うのは大抵が夜、特に平日は遅い時刻になってからが多い。部活が終わってから、ということでそんな時刻になっていたのだろうか。柔道の練習なんてけっして楽なものとは思えないけれど、その後でこの体力とは恐れ入る。 「今度の日曜、大会なんだけどな。一年では俺だけレギュラーに選ばれてんだぜ?」  自慢げに言うけれど、もちろん早瀬が期待しているような反応は返さない。 「……そう。試合を目前にして女の子と遊んでいるとは、たいした余裕だわ」 「今のうちにすっきりしておけば、雑念なしで試合に集中できるだろ。それに、した後の方が闘争心も増すような気がするんだ。だから……な?」  大きな手が私の腕を掴んだ。もう一方の手がグラスを取り上げて机の上に置く。  そして、ベッドの上に押し倒される。  早瀬はいつもより昂っているのだろうか。〈休憩時間〉が短く、傷の手当てもしていない。本当に、ふとしたきっかけでスイッチが入ってしまう奴だ。  唇を貪りながらジーンズを脱ぎ、下半身を脚の間に入れてくる。手を添える必要もないくらいに昂ったものが押しつけられる。 「…………くぅ、っん」  相変わらず〈ねじ込む〉と表現するのが相応しい強引な挿入。  もう何十回とされていることなのに、その痛みが薄れることはない。 「はぁ……」  奥に突き当たるまで押し込んで、感極まったような息を漏らす早瀬。少しの間その感覚を楽しんでから、今さらのようにTシャツを脱いで肌を密着させてきた。  力いっぱい抱きしめて、さらに強い力で下から突き上げてくる。  今夜、四度目の挿入。  もちろん、まだまだその勢いが衰える気配はなかった。 * * *  その週の土曜日――  このところ、週末は早瀬と逢っていることが多かったけれど、さすがに試合の前日にお誘いはない。  そのことは事前に予想できていたので、今夜は別な相手と〈デート〉の約束をしていた。  もちろん、初めての相手である。同じ相手と繰り返し逢うことは例外中の例外だ。 「ご主人様♪」  幼い、甘えた声で言うのは、長い髪をツインテールにして、ゴシックロリータ風の黒いミニのメイド服に身を包んだ私。  フローリングの床の上にぺたっと座って、上目遣いに可愛らしく首を傾げる。  視線の先には、今夜の相手である〈ご主人様〉。バスローブを羽織り、ソファに腰をおろして、優しげな笑みを浮かべて私を見おろしている。  その股間のものはまっすぐに上を向き、私の唾液でぬらぬらと光っていた。  足元に跪いた私は、一度離した口を再び近づける。舌先で触れ、唇を押しつけ、ごく軽く甘噛みする。 「ご主人様の……美味しい」 「……じゃあ、もっといっぱい食べなさい」  〈ご主人様〉の手が頭を撫でる。  今夜の相手は〈パパ〉ではない。まだ三十代だし、独身らしいし、〈パパ〉と呼ぶのは似合わないだろう。  そもそも彼は〈パパと娘〉よりも〈ご主人様と従順なメイド〉のシチュエーションの方がお好みらしい。いま着ているメイド服も、ホテルに入る前に買ってくれたもので、コスプレ用のちゃちな安物ではなく、けっこうな値段のブランドものだ。  〈ご主人様〉がシャワーを浴びている間に着替えて、さっそく〈ゴスロリメイド〉として〈ご奉仕〉しているところである。  舌を絡みつかせる。  唇をすぼめて吸う。  内頬に擦りつける。  喉の奥まで飲み込む。  あえて手はまったく使わず、口だけで奉仕する。頑張りすぎて唾液が溢れてくるけれど、そんな様子もお好みらしい。 「上手だね、椎奈ちゃん」  〈椎奈〉というのが今夜の名前。援交用の偽名のひとつだ。この場合、偽名というよりも〈源氏名〉という方が相応しいかもしれない。 「えへへー、シイナのおくち、気持ちイイですか?」  甘えた声。実際以上に幼い表情。  早瀬などが今の私を見たら、きっと我が目を疑うことだろう。 「ご主人様が悦んでくれると嬉しいから、もっともっとがんばっちゃいます♪」  さらに熱心に口戯を続ける。むち打ちになりそうなくらいに首を激しく動かす。  口からの刺激は〈ご主人様〉だけではなく、私も昂らせていた。  はちきれんばかりに膨らんだ男性器をくわえている口だけではなく、今夜はまだ未使用の〈下の口〉も既に涎を溢れさせている。  おかしな話だ。  いま口にくわえているのは、私にとって、この世でいちばん忌まわしい〈モノ〉のはずなのに。  なのに、感じてしまう。  男性器に擦られている口と、そして舌の粘膜が、膣と変わらないくらいに感じてしまう。私にとって、口は性器と同じだ。  口での奉仕を続けながら、手をそっとスカートの中に入れた。  下着をつけていないので、もう太腿まで濡れている。  熱を帯びて蜜を溢れさせている花弁の中心に、中指を突き挿れる。 「――っ!」  一瞬、気が遠くなる。  びりびりと痺れるような感覚に、身体が震える。  そんな様子を〈ご主人様〉が気づかないわけがない。 「椎奈ちゃん、自分でしたりして、もう我慢できない?」 「……」  根元までくわえたまま、無言でこくんとうなずく。  潤んだ瞳で〈ご主人様〉を見あげる。 「じゃあ、ちゃんとおねだりして」 「…………はぁい」  口を離して立ちあがった私は、ベッドに腰掛けてスカートをまくり上げた。  脚を大きく拡げ、その中心で蜜を滴らせて疼いている小さな割れ目をさらに指で拡げる。今夜は、そこを彩るピアスはない。 「ご主人様ぁ、シイナはもう我慢できません。ご主人様の大きなペニスで、シイナのいやらしいお口を塞いでください。ここを、いちばん奥まで貫いてください」  鼻にかかった甘い声。真っ赤になった顔。  嬉しそうに笑う〈ご主人様〉。 「よくできました。ご褒美をあげなきゃね」  バスローブを脱ぎ、コンドームを付けた〈ご主人様〉がベッドに上がってくる。  私を押し倒し、開いた脚を掴んでその間に身体を入れてくる。  濡れそぼった割れ目に押し当てられる、固い弾力を持った肉の塊。  そのまま、ゆっくりと擦りつけるように動かす。  まだ、挿入はしていない。焦らすような、ゆっくり過ぎる動きで割れ目とクリトリスを擦られる。 「ひっ……ぁんっ、ご、ご主人様ぁ……いじわるぅ」  触れただけで、気持ちいい。  擦られると、もっと気持ちいい。  だけど、そこは私の快楽の核心ではない。 「ヤ……だ……挿れ、て……」  入口で立ち止まって入ってこようとしないものを自分から受け入れようと、腰を突き上げる。なのに、〈ご主人様〉は同じ距離だけ腰を退いてしまう。  優しいけれど、意地悪な〈ご主人様〉。  欲しいのに。  欲しくて堪らないのに。 「……いじ、わるぅ……挿れ、て……挿れて、くださぃ……欲しいの……ご主人様のが欲しいの……」 「これが、欲しいの?」  私が精一杯に腰を突き上げた瞬間、〈ご主人様〉も腰を突き出してきた。  一気に根元まで貫かれる。 「あぁぁっ! ふあぁぁ……っ!」  身体が仰け反る。  視界が真っ白になる。  挿入されただけで、達してしまった。  どうしてしまったのだろう。今夜はひどく感じやすくなっている。〈甘えん坊で感じやすいロリータメイド〉の演技に酔ってしまったのだろうか。  気持ちいい。  気が遠くなるほど、気持ちいい。 「すごい……すごい…………イイ……イイのぉ」  涙が溢れてくる。  感極まったように、ぎゅっとしがみつく。  〈演技〉ではなく、無意識の動作。その証拠に、指が震えている。 「ひゃ……っ、あぁっ! あぁんっ! ぁんっ! はぁぁっ! あぁっっ!」  〈ご主人様〉が動きはじめる。  リズミカルな動き。  ひと突きごとに悲鳴が上がる。  ひと突きごとに達してしまいそうになる。  本当に、今夜はどうしたのだろう。  初めて会う相手だけれど、すごく、いい。  誰とセックスしても、どんなセックスであっても、大抵は達することができる身体ではあるけれど、ここまで気持ちいいのは珍しいことだ。  稀に、こんな相手がいる。  ペニスの大きさや形、そして動き方。人それぞれ微妙な違いがあり、そのちょっとした違いで感じ方は大きく変わってくる。ごく稀に、信じられないくらいに身体の相性がいい相手に当たる。 「……イクっ! イクッ! もうイっちゃうっ!」  〈ご主人様〉にしがみついて悲鳴をあげる間にも、何度か軽い絶頂を迎える。  だけど、止まらない。  自分から腰を突き上げ、擦りつけ、精一杯に締め上げる。 「俺も……イキそ……、椎奈ちゃんのおまんこ、めちゃくちゃ……イイ!」 「イイのっ? シイナのおまんこ、気持ちイイっ?」 「ああ、こんなにイイの……初めてだ」  そう応える〈ご主人様〉も、今にも達しそうな表情だった。 「シイナも……あぁっ! あぁぁっ! イイっ! ご主人様のペニスいいぃっ!」  今にも快楽の高みに達しそう……なのに〈ご主人様〉はひときわ深く突き入れたところで動きを止めてしまった。 「……生でしても、いい?」  私を抱きしめて、耳元でささやく。 「……え?」 「な、いいだろ?」 「…………だめ……だよ、赤ちゃん……できちゃう……」  もちろん、ピルを服用しているのだから実際にはそんな心配はない。こうした台詞も〈演出〉の一部だ。 「今日、危ない日?」 「そうでも……ない、けど……」 「いいだろ? お小遣い、倍あげるから」 「でも…………」 「それに、生の方がお互い気持ちいいだろ?」  ゆっくり、大きく、腰が動く。  中をかき混ぜるように。  それだけで意識が飛びそうになる。身体が震える。 「ね、椎奈ちゃん?」 「あぁっっ!」  言葉に合わせて、さらにひと突き。  角度を変えて、膣壁が擦られる。 「ご主人様……ズルい! こんな、カラダに……いうこときかせるような、やりかた……あぁんっ! してっ! ナマでしてぇっ! シイナの中にいっぱい出して!」  叫ぶのと同時に、膣内に在ったものが引き抜かれた。  白濁した愛液にまみれたコンドームを破り捨てた〈ご主人様〉は、剥き出しのペニスを再び挿入してくる。 「ひぃっ……ぃんっ! いっ……ぁああっっ!」  濡れた粘膜が直に絡み合う感覚に、絶頂を迎えてしまう。だけどまだ終わらない。  〈ご主人様〉を頬ばっている下の口は、もっと、もっと、さらなる快楽を求めていた。  薄いゴムの膜一枚があるかないかで、感じ方はまるで違う。泣き出すほどに気持ちよくて、死にたくなるほどおぞましい、直接の接触。 「いやぁっ、あぁっ! はぁあぁっ! いぃっ! いっ……はぁっっ!」  〈ご主人様〉にしがみつき、背中に爪を立てる。  脚も絡みつかせて全身を密着させる。  その体勢で精一杯に腰を振る。  激しい摩擦。  かき混ぜられ、ぐちゅぐちゅと泡立てられる愛液。  視界は真っ白になり、下半身がびくんびくんと痙攣する。  叫びすぎて喉がひゅーひゅーと鳴る。 「すげ……吸いついてくる……」  〈ご主人様〉もフィニッシュに向けて最後の力を振り絞る。 「あぁぁっ、ご主人様ぁっ! あぁぁ――っ!」 「イイっ、イク……ぞっ!」 「あぁあぁぁ――――っ! ご主人様ご主人サマご主人サマぁぁ――――っ!」  ホワイトアウトする視界。  頭の中でなにかが弾ける。  意志とは無関係に、てんかんの全身発作のように激しく痙攣する身体。  膣奥に噴き出してくる熱い液体の感覚。  白一色に染まった視界が、まるでスイッチを切られたように暗くなっていく。  そして、意識が途切れた。 「ん……」  意識が戻ったのは、数秒後か、それとも数分後か。  まだつながったままの〈ご主人様〉が荒い呼吸をしているから、それほど長い時間ではないのだろう。  私も、深い呼吸を繰り返している。  まだ全身が痺れたような感覚で、ほんの少し動いただけでもびくっと痙攣してしまう。 「…………ご主人……さまぁ……」  甘ったるい、とろけた声。  中に在るものはまだ固い。まだ、気持ちいい。無意識のうちに腰が動いてしまい、括約筋が伸縮を繰り返している。 「すごいな……こんな気持ちいいおまんこ、初めてだ」 「…………シイナも、めちゃめちゃ気持ちよかった……です」 「じゃあ……もう一回、してもいい?」  言いながら、腰を突き出してくる。思わず小さな嬌声が漏れる。 「な、いいだろ?」 「えー」  また、カラダにいうことをきかせるようなやり方。  私は不満げに唇を尖らせる。  ただしそれは、拒絶の意思表示ではない。 「……一回だけじゃ、ヤ」  〈ご主人様〉の肩を甘噛みしながらそう応えた。 * * *  翌、日曜日――  朝と呼ぶにはやや陽が高くなりすぎた頃、鈍い腹痛で目を覚ました。  胃や腸ではない。  子宮の、痛み。  そういえば、そろそろ生理だ。本来の予定日は明後日だったけれど、痛みからすると少し早めに来るかもしれない。ベッドのシーツは既に血塗れではあるけれど、それは手首の傷が原因だ。  今はまだ、生理痛はそれほどひどくはない。  今朝は、それよりももっと強い感覚が身体を支配している。 「ん…………ふ、ぅんっ……」  想い出すだけで、声が漏れてしまう。腰が艶めかしく動いてしまう。  昨夜の行為の感覚が、あまりに強すぎる快感のために神経に焼きついてしまったかのようだった。目を閉じて想い出すだけで、今まさにそれをされているかのような、リアルな感覚が鮮明に甦ってくる。 「はぁ……ぁんっ、んんっ……く、ぅんっ!」  血で汚れたシーツの上で、汗ばんだ身体が蠢く。昨夜、服を脱いでそのままベッドに入ったので、全裸だった。  胸は固く張って、性器は蜜を溢れさせている。 「――――っっ!」  無意識のうちに、自分に触れてしまう。人差し指と中指を揃えて挿入する。二本の指を奥まで突き入れると、それだけで軽く達してしまった。さらに薬指が勝手に動いて、膣口を強引に拡げて入ってくる。 「あっ……あぁ……っ」  昨夜の感覚が次々と甦ってくる。  セックスした翌日は、いつも、そう。  気持ちよかったセックス、激しかったセックスほど、こうした〈感覚のリピート〉は顕著で、実際にされているのと変わらないくらいに感じてしまう。  昨夜の〈ご主人様〉。  まだ三十代だけれど、とあるIT企業の重役だとかで、けっこうなお金持ちだった。  私に買い与えた服や靴、食事とホテル代、そしてお小遣い。昨夜だけで軽く十数万円は遣っている。それもごく軽いノリで支払っているのだからたいしたものだ。  それにしても、それだけの大金を費やしている〈ご主人様〉の方が、ただでしている早瀬よりも優しく、気持ちよくしてくれるというのもおかしな話だ。もっとも、それは早瀬が乱暴すぎるためなのだけれど。  でも、その方がいい。  もう、あの〈ご主人様〉と逢うことはあるまい。〈ご主人様〉とのセックスは気持ちよすぎる。  気持ちよくて、本気で感じてしまっては〈罰〉にならない。  気持ちのいいセックスなんてしたくない。  援助交際なんかで感じたくない。  心底そう思っているのに、感じてしまう身体が忌まわしい。  セックスなしでは生きていられない、いやらしい身体。  自己嫌悪する気にもなれないくらいに、嫌いな存在。  左手を、顔の前に持ってくる。  生乾きの血で汚れている。  数え切れないほどの、真新しい傷。  左手首はめちゃめちゃに切り刻まれたような状態だった。 『した回数だけ切る』といういつものルールには当てはまらない無数の傷。〈ご主人様〉が射精した三回くらいでは、ぜんぜん足りない。  その数はむしろ、軽く二桁を越える〈自分が達した回数〉に近かった。昨夜、帰宅直後に襲ってきた発狂しそうなほどの衝動は、そうしなければ治まらなかった。  普段、リストカットにナイフやカッターではなく小さな剃刀を使う理由がこれだ。昨夜の心理状態で手元にナイフなどあったら、私は今ごろ生きてはいない。  視界の隅に、床に放り出された黒い塊が留まる。  昨日、買ってもらった服の、ずたずたに切り刻まれた残骸。  それはおそらく、私の身代わりになったものだ。致命傷となるほどに自分の肉体を切り刻む代わりに、身に着けていたものを切り裂いたのだろう。  深く、溜息をつく。  のろのろとベッドから降りると、血で汚れたシーツをメイド服の残骸と一緒にごみ袋に詰め込み、新しいシーツを出した。  血でシーツを汚すことが多いから、新品は何枚も常備してある。いま交換したシーツだって、きっと半月と保つまい。  それから、時間をかけてシャワーを浴びた。身体中、膣の奥、襞の一枚一枚まで念入りに洗う。  朝食を摂るか少し悩んだけれど、まるで食欲がなかった。激しいセックスの翌朝は大抵そう。前日の感覚の名残だけでお腹いっぱいだ。  かといって、なにもお腹に入れないと立ち上がる力すら出てこない。結局、グラス一杯の野菜ジュースだけを流し込んだ。  ――さて。  今日はどうしようか。  日曜日。  外はいい天気。  今のところ、なにも予定はない。  もちろん、早瀬からのお誘いもない。たしか今日は柔道の大会とか言っていたはずだ。  他の〈パパ〉たちとの約束もない。  さて、どうしよう。  ぼんやりと窓の外を眺める。 「…………セックス、したい」  ぽつりとつぶやく。  昨夜のような気持ちのいい行為ではなく、もっと、男が自分の欲望を満たすためだけにするような、私を物として扱うような、乱暴な行為がいい。  犯されたい。  陵辱、されたい。  しかし、今すぐ連絡がつく相手の心当たりもなかった。そもそも、継続して連絡を取っている相手などほとんどいないのだ。  とりあえず、出かけてみよう――そう考える。  いつものように街中でヒマそうにしていれば、すぐに男たちが声をかけてくるはずだ。  その中から、いちばん下心丸出しの相手を見繕おう。  そう考えて、服を着る。  選んだのは可愛らしいデザインのセーラー服。都内の某私立校の制服で、もちろん私が通う学校のものではない。〈デート〉用に用意したもので、スカートはオリジナルよりもかなり短く直してある。  髪は、可愛らしさを強調して、昨夜と同じようなツインテール。  軽く化粧もして、〈営業スマイル〉を浮かべてフェロモン全開で姿見の前に立ってみる。  そこに映っているのは、あどけない可愛らしさと、えもいわれぬ妖艶な雰囲気を合わせ持っ美少女。  すぐにナンパされることは間違いない。  そのことを確認して、私は家を出た。 * * *  ――しかし。  街中の、人通りの多い待ち合わせスポットについた頃には気が変わっていた。  ……いや、気分ではなく、体調が。  家を出ると同時に生理痛がどんどん悪化しだして、やがて耐え難いほどの痛みになってきた。とても、愛想のいい笑顔でナンパ待ちをしていられる体調ではない。  ピアスとかスパンキングとか鞭とか蝋燭とか、あるいはリストカットとか、そうした〈外的な〉痛みには強い方だと思う。しかし、内臓の痛みというのはまた別物だ。  生理痛には特に弱い。ピルを常用しているので普段の生理は軽く、この痛みには慣れていない。  なのにどういうわけか、たまに、ひどい痛みと出血に襲われることがある。  理由はよくわからない。生理直前に激しいセックスをした場合にこうなることが多いような気もするけれど、その因果関係は不明だ。  痛みはどんどん強くなってくる。  子宮を鷲掴みにされるような痛み。  滅多にないことだけに、弱い。  苦痛に顔が歪む。  ――だめだ。  とても〈営業スマイル〉など浮かべていられない。生理前には性欲が高まることが多いのだけれど、さすがに今日はそんな余裕はない。肉体的にはもちろん、精神的にも。  通り道にあったドラッグストアで鎮痛剤を買って飲んだけれど、気休めにしかならなかった。かといって家に帰るのも苦痛で、とりあえず駅近くのコーヒーショップに入っていちばん奥の席に着くと、買った飲み物に手もつけず、そのままテーブルの上に突っ伏した。  痛い。  痛い。  痛い。  身体の中心から鼓動に合わせて響いてくる、鈍い、しかし重い痛み。刃物のような鋭さがないだけで、痛みそのものの強さが劣るわけではない。  痛い。  苦しい。  まるで、子宮を雑巾のように絞りあげられているみたいな感覚。  痛い。  辛い。  苦しい。  頭の中でその三つの単語がエンドレスに繰り返される。  身体を起こすことすらできない。  グラスの氷がすっかり溶けてなくなるまでそのまま突っ伏していたけれど、まったく楽になる気配はなかった。むしろ悪化しているような気がする。  不意に、胎内をなにかが流れるのを感じた。すぐにお手洗いに立ったけれどわずかに間に合わず、下着が紅く汚れていた。  予想通り、出血量が多い。  痛みも相まって、大怪我をして出血しているような気分になる。  溜息をつきながら、個室の中で下着を脱いだ。替えの下着はいつでも持ち歩いている。タンポンを挿れ、念のため下着にはナプキンも貼った。汚れた下着は汚物入れに捨てる。  席に戻って、また、うずくまる。  痛みが治まる気配はない。  もう一回、痛み止めを飲んでおこうか。  それとも――  ふと、思いついた。  〈クスリ〉はどうだろう。  粉薬、水薬、ジェル、そして座薬。〈パパ〉からもらった、効能も用途も様々な〈クスリ〉がバッグの中にある。  〈パパ〉の若い頃は〈合法ドラッグ〉などと呼ばれていたそうだけれど、現在はその多くが非合法で、ぶっちゃけ、限りなく〈麻薬〉に近いものもある。  それだけに、ドラッグストアで手に入る市販の薬よりも効果は強いのではないだろうか。〈パパ〉の激しい責めすら快楽に変えてくれる〈クスリ〉なら、この耐えがたい痛みも消してくれるのではないだろうか。  バッグの中をあさって、栄養ドリンクよりもひとまわり小さな茶色い瓶を取り出した。封を切って、まだほとんど手つかずだったアイス・カフェ・モカのグラスに注ぐ。  しかし痛みのせいか手元が狂って、〈規定量よりも少し多め〉にするつもりが〈かなり多め〉になってしまった。一瓶で約三回分のはずなのに、見ると中身はほとんど残っていない。  ――まあ、いいや。  この痛みから逃れられるならなんでもいい――そんな気分でグラスを傾け、氷が溶けてぬるくなりはじめていたアイス・カフェ・モカを一気飲み。  そして、また、テーブルに突っ伏した。 * * *  それから一時間弱――  合法の鎮痛剤と非合法の〈クスリ〉と、どちらが効いたのかはわからないけれど、痛みが軽くなってきたように感じた。  あるいは単に身体が痛みに慣れてきただけかもしれないし、〈クスリ〉で頭がぼんやりしてきただけかもしれない。  なんにせよ、これなら外に出られそうだ。  今のうちに家に帰るべきだろうか。  歩くのはもちろん、バスに乗るのも面倒くさいけれど、タクシーで帰ればいい。  そう考えて店を出た。  しかし、妙に足許がふらつく。  平衡感覚がおかしくて、視界が揺れている。  やっぱり〈クスリ〉が多すぎただろうか。あるいは鎮痛剤との相乗効果かもしれない。  考えてみれば、あの〈クスリ〉を飲んで外を歩いたことなどない。いつもはホテルに入る直前に、車の中で飲まされていた。そしてシャワーを浴び終わる頃にはわけがわからなくなって、めちゃめちゃに犯されるのが常だった。  なんだか、すごく、気持ちがいい。  身体が軽い。ふわふわと浮き上がるような気がする。  まだ下腹部の鈍い痛みは続いているけれど、それは先刻までの耐え難い苦痛ではなく、妙に甘美な、快感と呼んでもいい感覚だった。  下着が濡れているように感じる。しかしタンポンを挿れているのだから、それが経血であるはずがない。 「…………セックス、したいな」  口に出してつぶやく。  下着の中がむずむずする。  乳首が固く勃起している。  無意識のうちに、内腿を擦り合わせたくなる。  セックス、したい。  それも、ナンパなんかじゃ生ぬるい。  もっと、激しく。  もっと、乱暴に。  めちゃめちゃに犯されたい。  陵辱されたい。  そんな衝動が湧き上がってくる。  だけど、それをしてくれる〈パパ〉は今は海外出張中。  早瀬は柔道の大会。 「……ったく、どいつもこいつも肝心な時にいないんだから。今ならどんなサービスでもしてやるっつーの!」  そんな台詞は頭の中で考えているだけなのか、それとも実際に口に出しているのか。  もう、それすらわからなくなっていた。  やばい。  この状況で外を歩いているのは、かなりやばい。  このままでは大声で「誰か私を犯して!」なんて叫んでしまいそうだ。  遠からず、まともに歩けなくなるだろう。いや、もう既に酔っぱらいの千鳥足みたいになっているのかもしれない。  このままではまずい。  しかし、コーヒーショップに戻るという気分でもない。  さて、どうしよう――。  考えがまとまる前に、駅前で客待ちしていたタクシーに乗り込んだ。  運転手の「どちらまで?」という問いに、自分がなんと答えたのか。  それはもう記憶になかった。 * * *  耳を震わせる歓声が、私の意識を現実に引き戻した。  我に返って最初に気づいたのは、硬い椅子の感触。  徐々に視界が戻り、目の焦点が合ってくる。  その見慣れぬ光景に、自分のいる場所を把握するまでにはしばらく時間を必要とした。  周囲を見回し、しばし首を傾げ、ようやく理解する。  大きな体育館の観客席の、最後列に座っているのだ、と。 「……なんで、こんなところ」  その理由は明白だった。  多目的の体育館。今日はそこに畳が敷かれて、柔道の試合場となっていた。  どうやら、早瀬が出場すると言っていた柔道の大会の会場に来てしまったらしい。  会場が区の体育館だということは、早瀬から聞かされていた。それは暗に「見に来て欲しい」という意図の発言だったのかもしれないけれど、もちろん私にそんなつもりはなかった。  なのに、半ば意識を失った朦朧とした頭でタクシーに乗って、行先にここを指示したらしい。財布を確認してみると千円札が一枚減っていて、手には冷たいお茶のペットボトルを持っていた。  あれだけ〈クスリ〉でラリっていたのに、意外と本能だけでも行動できるものらしい――と妙な感心をする。  もっとも、もう一度試してみようとは思わない。  なにをしでかすかわかったものではない。  見知らぬ男にホテルに連れ込まれているくらいなら一向に構わないというか、今の精神状態ではむしろ歓迎すべき展開だけれど、それよりも気がついた時には警察署か病院という可能性の方が高そうだ。  お茶をひとくち飲む。  その冷たさが、まだいくぶん朦朧としている意識を少しだけはっきりさせてくれる。  試合場では、柔道着を着た、高校生にしてはごつい体格の男たちが闊歩している。あの中に早瀬もいるのだろうか。  ひとつ、溜息をつく。  不意に、黄色い歓声が鼓膜を震わせた。  その発信源は、最前列にいる三人の女子。  そのうちの一人は見知った顔だと気がついた。〈茅萱カヲリ〉だ。  他の二人もなんとなく見覚えがあるような気がする。私服だから確信は持てないけれど、おそらく茅萱の友人で、クラスメイトなのだろう。  きゃあきゃあと楽しそうに――特に茅萱が――騒いでいる。  試合場に目の焦点を合わせる。みんな同じような大きな身体に、同じような柔道着。しかしよくよく見れば、いま試合場に出てきたのは早瀬だった。  なるほど、茅萱は友達を誘って彼氏の応援に来たというわけだ。男子柔道の試合場に女子高生の黄色い声援は少々不釣り合いな気もするけれど、茅萱はまったく気にしている様子もない。  試合場に視線を戻す。  審判の「始め」の声と同時に、茅萱の声援が一段と大きくなる。  私から見れば早瀬はびっくりするような大男だけれど、対戦相手も体格ではひけを取らないようだった。身長はやや低いけれど幅は早瀬以上で、もっと大人びたというか、ごつい、おっさんじみた顔をしている。おそらくは上級生だろう。  柔道をやっている高校生というのは、こんな連中ばかりなのだろうか。見た感じとしては強そうな印象を受ける。  いくら早瀬でもそうそう勝てまい。彼はまだ一年生なのだ。しかも、彼女でもない女の子とのセックスにうつつを抜かしているような。  少し痛い目を見ればいい――と意地の悪いことを想った。別に早瀬に恨みがあるわけではないけれど、進んで応援したいわけでもない。  試合場では、お互い、相手の柔道着を掴もうとしつつ、自分を掴もうとする相手の手を振りほどいていた。詳しくは知らないけれど、柔道は相手を掴まえて投げたり抑え込んだりすれば勝ちのはず。相手に掴ませずに、自分は相手をしっかり掴まえられれば有利になるのだろう。  私の目には、今のところ互角の争いに見えた。もちろん、柔道の試合を見慣れているわけではないから、実際のところはわからない。  しかし早瀬の試合を観戦し慣れているであろう茅萱の歓声は相変わらず元気で、不安そうな様子は見られないから、少なくとも不利な状況ではないのだろう。  戦っている二人。  なにか動きがある度に、試合場の周囲から歓声が上がる。  ふと周囲を見て、この試合場だけが隣と比べて妙に盛り上がっていることに気がついた。  それだけ、好カードということだろうか。  相手の柔道着に書かれている学校名に、なんとなく覚えがあった。あれはたしか、スポーツ全般に力を入れていることで有名な私立校ではなかっただろうか。  応援している同じ学校の選手たちはもちろん、観客席も盛り上がっている。好試合なのだろうか。茅萱たちの応援にも熱が入っている。  たぶん、つまらなそうな表情で黙って観戦しているのは私だけ――そう思ったのだけれど。  ひとつ前の列の、数メートル横の席に、ひとりの女性が無言で座っているのに気がついた。  横顔から判断するに、私よりも少し上、二十歳前後くらいだろうか。黒い服、同じく黒いロングスカート、そして長い黒髪と眼鏡。どことなく陰性の印象を受ける。  きゃあきゃあ騒いでいる茅萱などとは対照的に、ただ黙って試合場を見ている。それも集中して見入っているという雰囲気ではなく、どこか投げやりというか、つまらなそうな表情だ。  黄色い歓声を上げている茅萱たちよりも、この試合場ではよほど異質な存在だった。彼氏や友達の応援という雰囲気ではない。そもそも、どう見ても高校生ではない。大学生か、あるいは社会人だ。  かといって、自校の応援に来た教師にしては若すぎる。応援しているという雰囲気でもない。  いったいなんだろう。  なにしに来たのだろう。  どうして、あんなにつまらなそうな表情をしているのだろう。  自分を棚に上げて首を傾げる。  その時、ひときわ大きな歓声が私の思考を中断した。  反射的に視線を試合場に戻す。  早瀬が相手の大きな身体を担ぎ上げていた。一瞬後、それを畳に叩きつける。  審判の腕がまっすぐに挙がる。  茅萱が嬉しそうに飛び跳ねる。  試合場の外に控えていた、同じ学校の柔道着を着た四人も大きな声を上げている。  どうやら、早瀬が勝ったらしい。  そのことについて、特になんの感慨もなかった。別に、よかったとも残念とも思わない。ただ「ふぅん」と思うだけだ。  とはいえ、これでまた早瀬からのお誘いが増えるのかもしれない。負けていたら、多少は反省して部活に専念していたかもしれない。  さすがに今以上に増えるのはちょっとな……と思う。早瀬とすること自体は別に構わないけれど、他の相手とする余裕がまったくなくなるのは好ましくない。  まあ、多すぎると思ったら、たまに誘いを断わればいいだけの話だ。  これで早瀬の出番は終わりかと思ったけれど、茅萱たちが動く様子はなかった。耳を澄ませば「さあ、次はいよいよ決勝だよ」などとはしゃいでいる声が聞こえてくる。  すると、この大会は勝ち抜き戦で、今のが準決勝だったというわけか。  この大会がどの程度の規模のものなのかは知らない。武道館ではなく区の体育館を使っているのだから、まさか全国大会ではあるまい。しかし都の大会か、関東地区か、あるいはもっと狭い範囲の大会なのか、判断はつかない。  私の通う学校が柔道でどの程度強いのかもまったく知らないけれど、たとえ地区大会であっても決勝まで残るからには弱くはないのだろう。  早瀬の試合が終わった後、双方五人ずつの選手が並んで礼をしている。団体戦だったのだろうか。そういえば「一年生では俺だけレギュラー」とか言っていたような気がする。すると他の選手は二、三年生ということで、その中で準決勝でも勝てる早瀬はやっぱり強いのだろう。  まあ、彼の体力が底なしであることは、私もよく知っている。  ぼんやりと前を見ていると、茅萱と、その向こうにいる早瀬が同時に視界に入った。  礼を終えて畳から下りる早瀬が、こちらを見上げて小さく腕を上げた。  一瞬驚いたけれど、すぐに、茅萱に向けられたものだと気がついた。あの黄色い声援は試合中も耳に届いていたに違いない。  茅萱も手を振り返している。  考えてみれば、試合をしていた早瀬が、ここに私がいることに気づくわけがない。照明に照らされている試合場と違い、観客席の最上部は薄暗いし、そもそも今の私は早瀬が見たことのないセーラー服&ツインテール姿だ。この距離では、こちらを見ても気づかないだろう。  その方がいい。  私が見に来ていることを知ったら、変な誤解をされるかもしれない。だからもちろん、次に逢った時にも試合を見たことを言うつもりはない。早瀬の方から言い出さない限り、今日が大会だったことも忘れていたふりをする。  もっとも、次のお誘いまで一週間も間が空けば、ふりをするまでもなく本当に忘れているかもしれない。私にとっては身の回りのほとんどが〈別に、どうでもいい〉ことだから、大抵の記憶は長続きしないのだ。  そんなことを考えていると、久々に気になった。  彼はいったい、どういうつもりなのだろう。  あれだけ力いっぱいに声援を送ってくれる可愛い彼女には手を出さず、よくない噂がつきまとっている私を抱いているのは何故だろう。  自惚れではなしに私の方が顔もスタイルもいいとは思うけれど、それが決定的な要因になるほどの差でもない。  小柄すぎる私は、いくら整った体型をしているといっても、グラビアアイドルのようなボリューム感には欠ける。早瀬に対してまったく愛想を見せないことも大きな減点のはず。  それに茅萱は特筆するほどの美人ではないものの、それでも十人並みよりは間違いなく上の容姿だ。  もちろん、男を悦ばせるテクニックは私の方が上だろう。しかしそれも理由にならない。  茅萱がとんでもなくセックスが下手で、早瀬がそれについて不満を持っているというならともかく、あの二人はまだしていないのだ。いくら私とのセックスが気持ちいいとはいえ、試してみたら茅萱はもっとよかったという可能性も考えるだろう。  セックスにまったく興味がないならともかく、性欲と精力はありあまっている早瀬のこと、自分を慕っている身近な女の子としたくないわけがないと思うのだけれど。  本当に、わけがわからない。  疑問に結論が出ないまま、ぼんやりと考える。  さて、これからどうしよう。  今日は特に予定もない。まだ、動くのは億劫だ。もうしばらく、のんびり座っていたい。  こうなったら決勝まで見ていこうか。もしかしたら、早瀬が負けるところが見られるかもしれない。  決勝戦が始まるまでにはまだ少し時間があるだろうと思い、今のうちにお手洗いに行こうと立ち上がった。  ――しかし。  もう〈クスリ〉は抜けたつもりでいたけれど、そうではなかったらしい。〈クスリ〉の飲み過ぎでそのあたりの判断力も鈍っていたのかもしれない。  平衡感覚がおかしい。  視界が揺れる。  まっすぐに歩けているのかどうか、自分でもよくわからない。  そもそも今日は〈クスリ〉抜きでも体調はよくないのだ。  昨夜の疲れ、睡眠不足、貧血、そして生理痛。  そこに大量の〈クスリ〉。  いい状態であるわけがない。  廊下をふらふらと歩いていて、急に視界が暗くなった。  脚がもつれてその場にうずくまる。  そのまま倒れてしまうかと思ったけれど、気がつくと、誰かに肩を押さえられていた。 「……大丈夫?」  あまり抑揚のない、女性の声。  数秒後、視力が戻ってくる。 「……あ」  状況を確認すると、廊下に座って、壁に寄りかかるような体勢になっていた。  そして、黒い服の若い女性が傍らに寄り添っている。  どこかで見た覚えが……と考えて、観客席で近くに座っていた、つまらなそうな表情をしていた女性だと気がついた。 「具合悪いの? 医務室に行く? 歩けないようなら、誰か呼んでこようか?」  さほど慌てた様子もなく、淡々とした口調で訊いてくる。  間近で顔を見ると、やはり二十歳くらいだろうか。縁なしの眼鏡をかけ、落ち着いた雰囲気の、そこそこ美人。  ただし、あまり華やかさは感じられない。私ほどではないけれど小柄で、漆黒の髪と感情が見えない表情のために、陰性の印象を受ける。左眼の下、頬骨のあたりにある三センチほどの傷痕も、そんな印象に一役買っているように感じた。 「あ……えーと……大丈夫。ちょっと、立ちくらみ。……生理中だから」  小さく深呼吸。  壁に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。 「お手洗い? ついていってあげようか?」  また倒れたら困るし、人を呼ばれるのも好ましくないので、その申し出は受け入れることにした。小さくうなずくと、肩を貸してくれる。  ゆっくりと歩いて、お手洗いに入る。  用を足し、多量の血を吸ったタンポンを替える。  お手洗いを出ると、また、肩を借りてゆっくり歩く。途中、自動販売機で飲み物を買った。  観客席ではまた最後列に座った。あの女性が隣に座る。  前を見ると、茅萱たちはまた最前列に陣取っていた。間もなく決勝戦が始まりそうだ。 「平気?」 「……ええ」  まともに歩けなかった最大の要因は、過剰摂取した〈クスリ〉で平衡感覚がおかしくなっていることだから、座っている分にはさほど問題はない。 「……珍しいわね」 「え?」  隣の女性がぽつりとつぶやく。私に向けられた言葉だったけれど、まるで独り言のように聞こえた。あまり感情が表に出ないタイプらしい。〈学校モード〉の私ほどではないにしても、〈無機的〉という表現が相応しく思える。 「柔道の試合を独りで観にくる女の子なんて、珍しいなって」 「……ああ」  確かに、そうかもしれない。もっと女の子受けがいいスポーツならともかく、柔道、それも男子の大会では。 「自分が柔道をやっているようには見えない。柔道観戦が好きならもっと楽しそうにしているでしょう。知り合いが出場しているなら、熱心に応援するでしょうし」 「……あんな風に?」  手作りの小旗を振っている茅萱たちの方を見る。状況次第ではチアガールだってやりそうな勢いだ。 「……そうね」  小さくうなずく。表情の変化が少ないのでわかりにくいが、微かに苦笑していたかもしれない。 「それとも、誰か好きな男の子でもいるの? その制服、決勝に残った学校じゃないけれど」  微かにからかうようなニュアンスが感じられる台詞。  私もからかうような口調で応じる。 「…………むしろ、逆かしら。負けるところが見られたら、いいかなって」  その台詞がどう受け取られたかはわからない。  今度はこちらから口を開く。 「そういう貴女も、楽しんで観戦しているようには見えない」  準決勝の時も、私に劣らずつまらなそうな表情だった。  むしろ、私以上に異質な存在かもしれない。制服が違うとはいえ、実際には決勝に残った学校の生徒である私と違い、年齢も合わない。なのに手には一眼レフのディジタルカメラまで持っている。 「資料収集……かな?」 「……?」 「私、マンガ家やってるの。今度、柔道やってる高校生を主人公にしようかな、って」 「……そう」  確かに、それで一応は説明がつく。それにしても、あまり熱意の感じられない観戦態度だったようには思うけれど。  そんな会話をしているうちに、そろそろ決勝戦がはじまるようだった。両校の選手と審判が試合場に出てくる。 「あの、大きな子?」 「え?」  訊き返す声は、少しだけ大きくなっていた。彼女が指さしていたのは、間違いなく早瀬だったから。 「負けるところを見たがっている相手って」 「……どうして?」  どうして、わかったのだろう。この女性とは初対面のはず。たとえ知人であっても、私と早瀬の関係を知っている者などいない。 「さっきの準決勝、あの子の試合だけ、ちゃんと見てた」  微かに、からかうような笑みを浮かべて言う。  あまり熱心な観戦態度ではないと思っていたけれど、その分、観客席まで観察していたのだろうか。確かに、創作のネタ集めに来ているのであれば、異質な観客は目にとまるかもしれない。 「その制服、違う学校よね? 知り合い?」  目の前の私と、最前列で元気に応援している茅萱と、そして早瀬を交互に見て訊いてくる。  ふと、悪戯心が頭をもたげた。 「……レイプされた、って言ったら驚く?」  目が大きく見開かれる。  眉が上がる。  はっきりとわかる、驚きの表情。  あまり表情を露わにしない相手にそんな顔をさせたことで、少しばかり溜飲が下がる。  しかし次の瞬間、その顔が興味津々といった笑みに包まれた。 「それはぜひ、詳しい話を聞きたいわね」  目が爛々と輝いている。  それはまるで特ダネを前にした記者、あるいは好物を前にした猫。  もしかして、ネタを求めているマンガ家の前に、美味しそうな餌を投げ出してしまったのだろうか。 「あ……まさか、それで妊娠しちゃったとか? 具合悪いのって、つわり?」  いくらなんでもそれは飛躍しすぎだ。マンガ家の想像力に呆れつつも感心する。 「……冗談よ。体調悪いのは、生理痛のせい」  むしろ今は生理痛そのものよりも、それを止めるために飲んだ〈クスリ〉が悪さをしているのだけれど、さすがにそれは言えない。 「あの体格だもんねー、力まかせに襲われたら抵抗もできないか。やっぱり体格相応にアレも大きいの? あなたちっちゃいのに、無理やり挿れられたらすごく痛かったんじゃない? 怪我しなかった? あ、もしかして初めて?」  機関銃のように飛び出してくる言葉。質問の形態をとってはいるけれど、口を挟む隙もない。  ひとりで勝手に盛りあがっている。そろそろ止めるべきだろうか。下手に騒いで茅萱たちに気づかれたくはない。 「…………いや、冗談、だから」  なんとかそれだけを言う。 「……この体育館の前で具合が悪くなって、休みに入っただけ」 「………………まあ、そういうことにしておいてもいいけど」  意味深な笑み。  あまり信じている様子ではない。半信半疑というか、八対二くらいで信じていない。  確かに、今の言い訳では早瀬の試合だけ注目していたことの説明にはならない。それに「レイプされた」の方が、まだいくらか真実に近い。  あんな説明では矛を収める様子もなく、 「じゃあ、それはそれとして、現役女子高生の恋愛事情とか、参考に聞かせてもらえない?」  一向に攻撃の手を緩めてくれない。  さっきまでは周囲のことなんて無関心そうに見えたのに、実は意外と好奇心旺盛だ。 「……私、恋愛なんてしたことないし」  この台詞には嘘も誇張もなかった。  まったくの真実だ。  性体験は誰よりも多くても、そこに恋愛感情はない。  強要された初体験にはじまり、援助交際にビデオ撮影に投げやりなナンパ。たまには早瀬相手のように金銭抜き、かつ自分の意志でするセックスがあっても、そこにも恋愛感情はおろか、ささやかな好意すら存在しない。 「……そうなの?」  不思議そうに首を傾げる。 「すごく可愛くてもてそうに見えるし、経験豊富そうなのに」  そういえば、今日の外見はナンパ待ち用だった。確かに、男が放っておく容姿ではない。  事実、異性にはもてるし、経験も豊富すぎるほどに豊富だ。 「……〈お小遣いもらって時間限定の恋愛〉なら経験豊富」  ぽつりと応える。  また、相手の目の輝きが増す。 「それはかえって興味深いわ。職業柄、そうした題材を扱うことも少なくないし、ぜひ、実践している人に詳しい体験談を聞きたいな?」  これっぽちも退く様子はない。むしろ、さらに創作意欲を刺激してしまったようだ。  もう「冗談」は通じないだろう。明らかに、ぽろりと真実を口にしてしまったことを見抜いている目だった。  強引に話題を逸らそうと、私は試合場を指さした。 「…………試合、はじまるみたい」  私に向けられていた視線が移動する。  ちょうど、二人の選手が向かい合って礼をしているところだった。 「……じゃあ、続きは後で」  残念そうな口調で、試合場に向かって座り直す。  どうやら、まだ私を解放してくれるつもりはないようだった。 * * *  結論からいうと、早瀬たちは優勝した。  さすがに決勝戦ということで最後まで接戦で、二勝一敗二引き分けの辛勝。最後にその二勝目を挙げて優勝を決めたのが早瀬だった。  選手たちはもちろん、茅萱たちプチ応援団もこれ以上はないはしゃぎっぷりだ。  会場では表彰式と閉会式の準備が進められている。  そこで私は席を立った。  これ以上の長居は無用だ。早瀬はもちろん、万が一にも茅萱たちに気づかれたら無用なトラブルの元ということで、早々に退散しようとした。  しかし、 「……で、先刻の話の、続き」  隣の女性が放してくれない。 「ケーキでもおごるからさ、どっかでお茶しない? 話きかせてよ」 「…………これから〈デート〉だから」  そう嘘をついて逃げようとしたのだけれど、簡単には解放してもらえない。  結局「じゃあ、続きはまた今度」と、なかば強制的にメールアドレスの交換をさせられてしまった。まあ、いざとなれば拒否リストに登録してしまえばいい。  体育館の外に出ると、そろそろ陽が傾きはじめていた。 「後で、今日のデートの顛末を聞かせてね」という台詞を背中に聞きながら、私はタクシーに乗り込んだ。 * * *  駅前に戻ってタクシーから降りた。  さて、これからどうしよう。  生理痛は完全に治まったわけではないけれど、昼前のように動けなくなるほどではない。  〈クスリ〉もずいぶん抜けて、歩いていてもふらつきはしない。  とはいえ、これからデートの相手を見つくろうという気にもなれない。長時間、痛みに耐えていたことに加えて〈クスリ〉が抜けかけているせいで、全身が倦怠感に包まれている。今すぐどうしてもセックスしたい、という気分ではない。  本当は、今のうちに家に帰るべきなのだろう。完全に〈クスリ〉が抜けたら、また痛みがぶり返してくるに違いない。既に現在、体育館にいた時よりも痛みは増しているように感じる。  遠からず、また動けなくなってしまうかもしれない。今ならまだ普通に移動できる。  しかし、このまままっすぐ帰ろうという気が起こらなかった。それでは結局、今日はなにもせず一日を無駄にしたような気がしてしまう。最初から外出せず、家で一日寝ていた方がまだ有意義だったかもしれない。  ひとまず、またコーヒーショップで腰を下ろすことにした。  アイスティのストローをくわえたまま、ぼんやりと考える。  さて、どうしよう。  下腹部からじんわりと込み上げてくる鈍痛。今はまだ耐えがたいほどの痛みではないけれど、無言の圧力をかけ続けている。  身体の中心から広がっていく内臓の痛みが、思考力を奪っていく。  動きたくない。  帰りたくない。  なにもしたくない。  かといって、ずっとここにいるのもどうかと思う。  だけど、動きたくない。  持続性の痛みというのは、人間からやる気を奪ってしまう。普段から、積極的に行動するような生活は送っていない私だけれど、それがさらに悪化する。  思考は堂々巡りを繰り返し、グラスの中身だけが徐々に減っていく。  とりあえず、これが空になったら店を出ようか。  でも、どこへ行こう。  なにも思いつかないまま、残りが最後の一口になったところで、不意に〈プライベート用〉の携帯から音楽が鳴り出した。  メールではなく、電話の着信音。  のろのろとした動作で携帯を開き、表示されている名前を見た。  少し、意外だった。  メールは数日おきに来るけれど、向こうから電話が来たのは初めてではないだろうか。  ふたつの意味で驚きつつ、携帯を耳に当てた。 「…………なにか、用?」  相手の第一声を聞く前に、不機嫌そうな声を出す。 『あ、北川? その……これから、会えないか?』  電話の相手は早瀬だった。さすがに、今日お誘いがあるとは予想外だった。 「……これから? 今日、試合とか言ってなかった?」  この目で見ていたことなどおくびにも出さずに訊く。 『ああ、もう終わったからさ』  かなり本気で驚き、そして呆れた。  元気なものだ。  決勝戦まで戦ったのだから、きっと何試合もしたのだろう。なのにまだ女を抱く元気があるとは。 「…………今、生理中なんだけど」 『え……? あ……やっぱ、生理の時って、だめか?』  残念そうな声音。  そんなにしたかったのだろうか。  まあ、彼の性欲の強さを考えれば、一週間の禁欲生活は十分すぎるほどに長かったのかもしれない。 「……別に、私はどうでもいいけれど。…………あなたのベッドが血まみれになってもいいのかしら?」  親の留守中に女の子を連れ込んでいることは内緒のはず。血塗れのシーツを誤魔化すのは難しいだろう。  電話の向こうから、悩んでいるような呻き声が聞こえてくる。  呆れたように大きな溜息をつく。わざと、早瀬に聞こえるように。 「…………そんなにしたいのだったら、ラヴホでも、行く?」 『い、いいのか?』  急に元気になる声。それには直接応えずに続ける。 「今、駅前にいるわ。遅くなるようなら、帰るわよ?」 『すぐ行く!』  電話を切る前に、既に駆け出したような勢いだった。  ――やれやれ。  携帯を閉じて、小さく溜息をつく。  明日まですら待てないのだろうか。今日くらい、邪なことを忘れて優勝の喜びに浸っていてもいいのではないだろうか。  正直なところ、少し億劫だった。もっとも、それは相手が早瀬だからというわけではなく、今の体調では誰からのどんな誘いであっても同じだったろう。  ……まあ、いい。  これで今日は「せっかく外出したのになにもせずに終わった一日」ではなくなった。それだけでもよしとしよう。  ふと思い出して、お手洗いに立った。  個室の中で服を脱ぎ、ピアスを付ける。今日の体調で、早瀬にここまでサービスしてやる必要もないとは思うのだけれど、もう習慣というか、条件反射みたいなものだ。  勃起した乳首を指でつまむと、ぴりぴりと痺れるような感覚を覚えた。  小淫唇にもピアスを付けている時、ついでにタンポンを交換しようかと思ったけれど、思い直してわざとそのままにしておいた。  痛みと闘っていた間にじっとりと汗ばんだ身体をウェットティッシュで拭き、制汗スプレーを吹きかける。  個室を出て、洗面台の鏡の前で化粧を直し、髪を整える。  しかし、その作業が終わる前にまた着信音が鳴りだした。 * * *  早瀬からの『駅前に着いた』という電話。  いくら早瀬の足が速いといっても、早すぎる。運よく待ち時間なしでバスに乗れたのだとしても、日曜の夕方だから道路は混んでいて、こんな早くに着けるわけがない。  いったいどんな裏技を使ったのか……と首を傾げたけれど、現れた早瀬の姿を見て納得した。  制服姿で、大きなバッグを担いでいる。大会の後、家に帰っていないのだろう。解散してすぐに電話してきたのかもしれない。 「悪い、待った?」  全力で走ってきたらしく、汗ばんだ顔で荒い呼吸をしていた。私を見て緩みかけた表情が、不思議そうに変化する。 「……って、北川、その格好……?」 「…………なにか?」  訊き返してから思い出した。自分としては珍しいことではないから失念していたけれど、今の私は他校の――美少女ゲームのような可愛らしいデザインで有名な――セーラー服を着ているし、髪はツインテールに結んでいる。早瀬が初めて見る格好だ。  無言のまま、意味深な表情で早瀬を見る。  早瀬の表情がかすかに強ばる。  〈何故こんな格好をしているのか〉を理解したらしい――ただし、今日に限っては誤解なのだけれど。  おそらく〈デート〉の後だと思ったのだろう。当然だ。男がらみでなければこんな格好をすることなどない。  早瀬は口に出してはなにも言わないけれど、私が他の男とセックスすることを快く思ってはいない。〈使用済み〉だと勘違いして引きつった表情を見せるのも当然だ。  私はあえてなにも言わない。誤解を解いて喜ばせてやる必要はない。それにひどい生理痛に見舞われなければ、早瀬が考えている通りの展開になっていたはずなのだから。 「…………なにか不満が?」  ぶっきらぼうにそれだけ言って、回れ右して歩き出した。向かう先は、徒歩十分ほどの距離にあるラヴホ街。  早瀬が慌てて後を追ってくる。 「…………少し、呆れてるわ」  前を向いたまま、早瀬の顔をちらりとも見ずにつぶやく。 「え?」 「……今日、柔道の試合だったのよね? そのまま家にも帰らずに? あなたの性欲ってどうなってるのかしら。明日まで待てなかった?」 「明日は、おふくろが帰ってくるんだよ。……都合、悪かったか?」 「…………だったら、ここにいないわ」 「あ、そっか、そうだよな」  今の私は普段の〈無機的〉というよりも、明らかに〈不機嫌〉な声になっていた。早瀬も微妙に違和感を覚えているようなので、一言つけ加える。 「…………生理痛で、ちょっと、不機嫌」  考えてみたら、いちいち説明する必要もないのだけれど、そう気がついたときにはもう言葉が口から出ていたのだから仕方がない。 「そんな体調で、大丈夫なのか?」 「大丈夫じゃない、けど。…………どうしても嫌だったら、ここにはいない」 「……そっか」 「…………気が、紛れるわ。早瀬に犯られる痛みの方が、ましだから。それに……」 「それに?」 「少しだけ、したい、気分だったわ」  セックスはしたい、だけど相手を見繕うのが億劫――そんな気分。 「そりゃよかった」 「……別に、相手はあなたじゃなくてもよかったのだけれど」  念のため、釘を刺しておく。少なくとも、早瀬に対して好意は抱いていない。その点ははっきりさせておかなければならない。 「…………それはわかってるよ、いちおう」  早瀬はそう言って苦笑する。  そんな会話をしながら歩いているうちにも、痛みは徐々に増しているようだった。長く歩いていたくないということで、最初に目に留まった『空室』の表示があるラヴホに向かった。 「えっと……北川?」  早瀬がなにか言いたげにこちらを見ている。その意図はすぐに理解できた。 「……私が、払うわ」 「いや、俺が誘ったんだから……」  そう言いかけた台詞を遮る。 「私の方が、お金持ちだと思うけれど?」  財布を取り出そうとしていた早瀬の動きが一瞬止まる。その表情、私が〈お金持ち〉である理由を考えているのだろう。 「……えっと……そのお金って、つまり、……そういうことだろ? 北川とその金でホテルに……って、その、俺としてはちょっと抵抗があるというか……」  まあ、早瀬の心理としてはそうだろう。他の男に身体を売ったお金でホテル代を払ってもらうなんて、ヒモでもなければ素直に受け入れられなくて当然だ。  しかし、 「私としては、あなたのお金で……という方が抵抗あるもの」  その言葉は本心だった。しかし、どうしてだろう。自分でもよくわからない。普段、食事もホテルも衣類も、すべて援交相手に払わせているというのに。  たぶん、普段の援交と同じにしたくないのだと思う。早瀬との関係は、私に利益がないからこそ〈いい〉のだろう。 「いや、でも……」 「…………じゃあ、ワリカン。それ以上は負からない」  それが、私が譲れるぎりぎりの線。早瀬もこれ以上の譲歩を引き出すのは無理だと悟ったようで、小さくうなずいた。 「……わかった」  その手に数枚の紙幣を握らせ、入口をくぐる。  部屋の表示を見ると、日曜日の夕方という中途半端な時刻のせいか、そこそこ空室があるようだった。この辺りは、週末の夜などラヴホの空室探しに苦労するような街なのだけれど。 「えっと……」  こうした場所が初めての早瀬は、少々戸惑い気味だ。その耳元でささやいてやる。 「…………ランプが点いているのが空室。適当な部屋のボタンを押して、フロントで鍵を受け取って」 「……了解」  言う通りにする早瀬。  鍵を受け取ってエレベーターに乗る。  この頃になると、生理痛はまた本格的な痛みになりかけていた。自然と、早瀬の腕に縋るような体勢になる。これまで、逢うのはすべて早瀬の家だったし、帰りに送ってもらう時は腕に抱かれていたから、こんな風にして歩くのは初めてだった。  早瀬もそれは意識しているようで、頬を赤らめつつ部屋の鍵を開ける。 「……へえ、こんな風になってるんだ」  部屋に入ると、早瀬は興味深そうに室内を見回した。彼にとっては初めて訪れる場所なのだ。冷蔵庫を開けてみたり、バスルームを覗いたりしている。  しかし私にとっては、自分の部屋の次に長い時間を過ごしている場所だった。おそらく、この部屋も過去に〈デート〉で利用したことがあるのではないだろうか。  室内を物色している早瀬を無視して、勝手に服を脱いでいく。全裸になったところで、バスルームを覗いていた早瀬の背中に声をかける。 「あなたもシャワーを浴びたら? ちょっと、汗くさいわよ」 「え?」  振り返って、裸の私を見て顔を赤らめる早瀬。自分の腕を鼻に寄せて匂いを嗅ぐ。 「……そ、そうか? まあ、試合の後だしな」 「さっさと脱いで」  それだけ言って、バスルームに入った。シャワーを手に取る。  背後から、早瀬の声がする。 「えっと……い、一緒に、いいのか?」  妙に遠慮がちな口調だ。何度もセックスしているのに、実はこれまで一度も一緒にシャワーを浴びたり入浴したりしたことはなかった。私を犯す時にはなんの遠慮もない乱暴な早瀬なのに、事が終わると意外と奥手なのだ。 「その方が、時間が節約できるでしょう?」  そう応えると、なるほど……とうなずいた。バスルームの前で服を脱ぎ始める。その間に私はシャワーを浴びた。  長い間、痛みを堪えていたせいか、全身がじっとりと汗ばんでいる。  早瀬が入ってくるまでの間にたっぷりとお湯を浴び、全身にボディソープを塗った。  家を出る前にもシャワーを浴びてきたから、汗さえ軽く洗い流せば充分だ。  遅れて入ってきた早瀬に向かって、洗い場に敷かれていた〈プレイ用〉のマットを指さした。 「……そこに、寝て」 「え?」 「…………洗って、あげるわ」 「えっ?」  早瀬の声が大きくなる。 「……して、欲しくない?」 「いや……して欲しい、すっごく」  口に出すまでもなく、彼の下半身が雄弁に答えていた。 「……じゃあ、まず、俯せに」 「ああ」  そわそわした動きでマットに寝そべる早瀬。その、お尻の上あたりにまたがって、広い背中にシャワーをかけた。  続いて、ボディソープをたっぷりと手に取る。しかしそれは早瀬の背中ではなく、自分の胸とお腹に塗った。  そして、上体を倒して早瀬と身体を重ねる。  背中に、胸を擦りつける。乳首が擦られて、正直なところ、私も少し気持ちよかった。  小さな円を描くような動作で、背中全体を洗う。それから徐々に下へ移動して、お尻や脚にも胸を擦りつけた。  足の先まで洗ったところで、また上半身へと移動する。今度は、ボディソープを自分の股間と内腿に塗りつけた。そうして早瀬の腕を取り、脚の間に挟んで局部に擦りつける。私のそこは無毛なので〈タワシ洗い〉とは呼べないけれど。  やっぱり、直に性器を擦られると気持ちいい。早瀬が相手であれば、はっきり言って挿入よりもいい。なにしろ彼のペニスは私には太すぎる。 「……仰向けに……なって」  少し、呼吸が荒くなってしまう。仰向けになった早瀬の股間も、はちきれんばかりに勃起していた。  お腹の上にまたがって、上体を倒す。  唇を重ねる。  そのまま、身体を擦りつける。  互いに舌を伸ばし、絡め合う。  お尻に、固いものが当たる。 「……こういうの、気持ちいい?」 「ああ」 「……また、して欲しいと思う?」 「もちろん」 「…………たまに、なら。早瀬相手に、いつでもサービスはしないわ」  〈デート〉の時は、いつでももっと濃厚なサービスをしているけれど、〈援交〉ではない早瀬が相手となると事情が違う。 「たまに、でもいい。……すげーイイ」 「…………そう」  〈パパ〉たちが相手なら、もっと可愛らしくサービスしているのだけれど、今は相手が早瀬だから、いつもと同じく愛想のない態度だった。それでも早瀬にとっては〈イイ〉のだろうか。  もしかして彼は、いわゆる〈ツンデレ〉が好きなのだろうか。しかし私には〈デレ〉はない。〈学校モード〉の私には、はっきりいって可愛げの欠片もない。それでも早瀬は興奮している。  身体を、下へと移動していく。  早瀬の股間の上に胸を乗せる。  両手で乳房を寄せて、その谷間に早瀬のペニスを挟んだ。そのまま身体を小刻みに動かす。小柄で華奢な身体だけれど、胸はいちおう〈パイズリ〉ができる程度にはある。  しかし、早瀬にするのは初めてだった。  胸の間に、太い枝を挟んだような感覚だった。乳房を両側から押しつけるようにして、左右交互に動かす。間に挟んでいるものから、熱さが伝わってくる。  今日は、最初から頭の中が〈ナンパ待ちモード〉だったためだろうか、早瀬が相手でも〈やるべきこと〉は一通りやっておこうという気分だった。  固くなっているものの上にまたがる。しかし挿入はせず、ただ割れ目を擦りつける。騎乗位での素股の体勢で、腰を前後に滑らせる。  熱い肉の塊が、割れ目を擦る。クリトリスが擦られると、思わず声を上げそうになる。早瀬も、今にも達してしまいそうなのを必死に堪えているような表情だ。 「き、北川っ!」  動きを封じるように、私の腰を掴む。 「……もう、イキそう? ……挿れる?」 「ああ……もう我慢できない」 「じゃあ……その前に」  身体の位置を変えて、中腰で早瀬の顔の上にまたがるような姿勢になる。 「……タンポン、抜いて」 「え? あ、ああ……」  戸惑いがちに、早瀬はタンポンの紐をつまむ。  初めてのことなので、軽く、恐る恐るといった風に。  しかし抜けてこない。  私が、力いっぱいに締めつけているから。  簡単に抜けるものと思っていたのだろう。早瀬は困惑の表情を浮かべた。  普段から括約筋は鍛えている。早瀬のペニスを受け入れることのできる膣も、いっぱいに締めつければ自分の指一本ですらきつくなる。 「……どうしたの? 抜かなきゃ挿れられないわよ?」  挑発するように言う。  早瀬の手に、徐々に力が込められる。  だんだん、痛くなってくる。締めつける力を緩めないから、膣の粘膜ごと引きずり出されそうな感覚だ。  ぎりぎりまで我慢して、少しだけ力を緩める。経血をたっぷり吸って膨らんだタンポンが、ずるり……と抜けた。  早瀬の指が触れてくる。 「こうして見ると、北川の……ここって小さいな。ここに……その……俺のが入ってるなんて、今さらだけど、なんか不思議だ」 「……本当に今さら、ね。…………すごく痛いわよ? 挿れられる時、引き裂かれそうなくらい」  やや申し訳なさそうな表情になる早瀬。 「でも……イヤとか、やめてとか、言わないよな?」 「……ええ」 「てことは、しても、いいんだよな?」 「…………」  その問いには無言のまま、目だけで肯定する。 「……優しく、した方がいい?」 「嫌よ」  今度は、質問した側が驚くくらいにきっぱりと否定した。  やや困惑した表情の早瀬はどう受けとめているのだろう。単に、痛いのが好きなマゾだと思っているのだろうか。 「そういえば北川、これって、剃ってるの?」  無毛の恥丘を撫でながら話題を変えてくる。  この質問も〈今さら〉だろう。早瀬が初めてそこを見てから、二ヶ月近くが過ぎているのに。 「……いいえ、もともとの体質」 「いわゆる、パイパンってやつ?」 「ええ……早瀬は、どちらが好き?」 「え?」 「生えてるのと、生えていないの」 「んー」  小さく首を傾げる。 「……直に見たことあるの、北川のだけだからな。どっちって言われてもわかんね」 「…………それもそうね」  私も小さくうなずいた。普段相手にしているような、ロリータ趣味の〈オトナ〉たちには受けがいいのだけれど、同世代の早瀬となると事情が違う。 「高校生ぐらいで、そうしたことに妙なこだわりがあるのもどうかと思うわ。むしろ、穴があればなんでもいいっていう方が、年相応だわ」 「いや、それもどうかと。……なんでもっていうか、やっぱ北川のがいいな」  私を顔の上から移動させて、早瀬が上体を起こした。私の身体を抱きしめる。もう呼吸が荒い。 「……いいか?」 「ここで? ベッドに行く?」 「やっぱりベッド、だよな」  いつものように軽々と私を抱き上げる。  シャワーを浴びて濡れた身体のまま、ベッドの上に放り出される。  同じく濡れた身体の早瀬が重なってくる。  脚を持ち上げられて、身体を二つ折りにされた。足首をベッドに押しつけられた、かなりきつい〈まんぐり返し〉の体勢。  もっとも、身体は柔らかい方だ。体力はないけれど、柔軟性には自信がある。どんな体位の要求にも応えなければならないから。  早瀬の腰が押しつけられる。ほとんど真上から突き下ろされるような体勢だ。 「く…………ンっ」  全体重をかけた挿入。もうすっかりお馴染みとなった、膣口が引き裂かれ、お腹が突き破られるような感覚。  もともと生理痛に苦しんでいた子宮が悲鳴を上げる。ただでさえ具合が悪かった上に窮屈な体勢のため、吐き気すら込み上げてくる。  しかし早瀬の責めにはまったく容赦がない。私の具合が悪いことはわかっていても、いつも通り、始まってしまえばこれっぽちも気遣いはない。  それでこそ早瀬だ。彼とのセックスは、そこがいい。  長いストロークで腰を上下させる。  膣壁が激しく摩擦される。  内臓が圧迫される。圧迫というよりも、身体の内側から子宮を殴られているような感覚だった。  逆立ちするようなこの体勢、胃に固形物が入っていたら吐いていただろう。今日は朝から飲物しか摂っていないのが幸いだった。  しかしそれは、身体に蓄えられたエネルギーも少ないということでもある。  視界が暗くなる。このまま気を失ってしまいそうだ。激しい陵辱の痛みが、辛うじて意識をつなぎ止めている。 「か……はっ、……う、ン!」  ベッドが軋み、マットが揺れる。  早瀬の巨体が上下する。その全体重を乗せて、長大な男性器が打ち込まれる。  スイッチが入ってしまった早瀬には、手加減など期待できない。無言で、ただ欲望のままに、力まかせに私を蹂躙する。理性を取り戻して気まずそうな表情を見せるのは、数度の射精を終えて冷静になった後だ。  もちろん、今日もその例に漏れない。  あの会話の後なのに、むしろ普段よりも激しいのではないかというくらいの責め。  一週間の禁欲生活のせいか。  試合と優勝の興奮で昂っているせいか。  あるいは、今日の私が〈使用後〉と思っているせいかもしれない。嫉妬心によるものだろう、〈デート〉の後に逢う早瀬は、普段よりもさらに乱暴になる。  加速していく早瀬の動き。  今度こそ壊されてしまうのではないか、と思ってしまう。しかしそう感じるのもいつものことで、女の子の身体というのは意外と丈夫なもののようだ。  試合の疲労など感じさせずに激しい動きを続ける早瀬。  対する私はいつも以上に無反応。  痛み、寝不足、食事を摂っていないことによる低血糖、重い生理痛に耐えていたことによる心身のな疲労、そして〈クスリ〉の影響の残滓。  意識が朦朧として身体が動かない。身体が、太い丸太で貫かれているような感覚だ。  喘ぎ声すらほとんど上げることができず、ただ唇の端から胃液混じりの唾液をこぼれさせていた。  普段から、早瀬とのセックスは快感よりも、痛み、苦痛の方がずっと強い。今日は特にそうだ。まるで気持ちいいと感じない。ただただ、痛くて苦しいだけ。  ……だけど。  だからこそ、いい。  それが、いい。  今、私が求めているもの。  気持ちよくなんかない、苦しいだけの、辛いだけの陵辱。  それを与えてくれるから、早瀬との関係を続けている。 「…………ぅ…………ぅぅっ、……ん」  ひときわ大きく打ち込まれる男性器。  早瀬の身体がぶるっと震え、微かな呻き声を漏らす。  私を深々と貫いている肉棒が膨らむ。  いちばん深い部分に、熱い液体が噴き出してくる。そのことをはっきりと感じられるくらい、大量に。  この一週間、自慰もなしに本当に柔道に専念していたのかもしれない、と思わせる量。  身体中の精を一気に解き放つかのような、激しい射精だった。注ぎ込まれた精液が、私の胎内で経血と混じり合っていく。 「……ンっ」  早瀬が動きを止めていたのは、射精していたほんの数秒間だけだった。普通、これだけ大量の精を放った直後は脱力感に襲われそうに思うけれど、早瀬の体力と精力はそんな生やさしいものではない。私を貫いているものの大きさも固さも失われていない。  また、中で暴れはじめる。  早瀬は脚を掴んでいた手を離し、私の身体を抱きしめた。  息ができないほど、全身が軋むほど、肋骨が折れそうなほどに、強く。  まったく身動きできないくらいに押さえつけて、なのに、腰から下は削岩機のように激しく動き続けていた。 * * * 「…………今日こそは、本当に……死んだかと、思ったわ」  早瀬が理性を取り戻したのは、まったく休みなしに三度達した後だった。  我に返ると、早瀬は申し訳なさそうな、後ろめたそうな表情を見せるのが常だった。小柄で無力な女の子相手に、欲望のままに乱暴なことをしてしまったことを思い出すのだろう。  しかし、その口から謝罪の言葉が発せられることはない。初めての時の「謝られるのは嫌い」という言葉を覚えているのだ。  ただ自嘲めいた苦笑を浮かべて、私の身体を少しだけ優しく抱きしめる。  私は失神寸前で、ぐったりとベッドに横たわっていた。  膣内が液体に満たされているような感覚。奥の方に力を入れて締めつけると、ねっとりとした液体が溢れ出してくる。  生臭い精液の匂いと、錆びた鉄を思わせる血の匂い。お世辞にも心地良いものではない、ふたつの匂いが室内に充満する。 「……うわ、すげーことになってる!」  我に返ってベッドの状況を確認した早瀬が大きな声を上げた。私も寝返りをうって下半身に目をやる。  目に飛び込んでくる、紅い色彩。  このベッドの上でどんな惨劇が繰り広げられたのか……と思うような深紅の汚れ。シーツはもちろん、太腿も、早瀬の下半身も、ひどいことになっている。 「…………した後でシーツが血で汚れてるって……、なんか、〈初めて〉みたいだな」  苦笑する早瀬。彼としてはそれが嬉しいのかもしれないけれど、私は呆れた口調で返した。 「……破瓜の血で、こんなスプラッタな光景にならないわ。これではむしろ〈痴情のもつれからベッドで相手を刺した〉という状態じゃないかしら?」 「そうなのか?」 「……そうね」  早瀬は私が初めての相手で、まだ私以外の女を知らない。初めてで出血するという知識はあっても、実際にどの程度のものかは知るまい。 「…………私はかなり出血した方だと思うけれど、それでもここまでひどくなかったわ」  出血するかしないかも含めて個人差の大きいことではあるけれど、私の場合の出血量の多さは個人差というよりも、当時の私の年齢と体格、そして行為の乱暴さが原因だろう。  今となっては、もう遠い過去のことのように思える。 「……そういえば」  早瀬がふと思い出したように訊く。 「北川の初体験って……いつ? どんな?」  考えてみれば、これも〈今さら〉な質問だった。もっと早くに訊かれていてもおかしくはないことだ。  彼にとってはなんの他意もない、なにげない好奇心による質問なのだろう。  私は上体を起こすと、無言で、早瀬の顔をまっすぐに見た。  質問の主が困惑の表情を浮かべるまで沈黙を続け、ゆっくりと口を開く。 「………………聞きたい?」  早瀬の表情が強張った。この無言の間の意味に気づいたようだ。  気まずそうに視線を逸らす。 「あ……いや……気にならないといったら嘘になるけど、言いたくないなら……」 「……別に、話すのは構わない。ただ、あなたにそれを聞く覚悟があるのかしら、って」 「…………」  困ったように目を伏せる早瀬。 「あなたが考えている通り、普通に恋人と……なんかじゃないわ。当然、私が望んだことでもない。それをするのが相応しい年齢でもない。……それでも聞きたい?」  答えは返ってこない。  当然、知りたい想いはあるのだろう。気になる女の子の初体験、興味がないわけがない。  しかし、聞いてしまっていいものかどうか、判断がつきかねるようだ。なにしろ私のこと、どんなとんでもない話を聞かされるかわかったものではあるまい。  事実、聞いていて愉快な話とは思えないし、正直なところ、あまり話したくもない。  だから、私の方から話題を変えた。お互い、まだ時期尚早だ。 「……シャワーを浴びたら、ちょうど時間ね」  ちらりと時計を見る。間もなく休憩時間も終わりだ。日曜日ではサービスタイムもない。  それでも回数を考えたら、かかった時間は短めだろう。その分、早瀬の勢いは凄いものだった。  普段、早瀬の家でする時に比べると時間も回数も少ないけれど、延長という雰囲気でもない。この場を切り上げる、ちょうどいいきっかけだろう。 「……出ましょうか」 「あ……ああ、そうだな」  ベッドから下りて立ちあがる早瀬。しかし私は立ちあがることができず、そのままベッドに突っ伏した。 「……バスルームに連れていって」  腕だけを持ち上げる。その腕を掴んだ早瀬が、心配そうな表情を浮かべる。 「大丈夫か?」 「……じゃないわ。ただでさえ調子のよくない日だったのに、誰かさんがとどめを刺したから」  こうした憎まれ口は、早瀬が相手の場合はもう日常の一部だった。早瀬も、微かな苦笑を浮かべる以外のリアクションはしない。  私の身体の下に腕を入れ、軽々と抱き上げる。  そのままバスルームへ運び、マットの上に横たえる。  シャワーのお湯が浴びせられ、大きな手が肌の上を滑って経血と精液の汚れを拭いとっていく。  そうしている時の早瀬の股間は、まだ、勢いを失ってはいなかった。 * * *  ホテルから出る時も、早瀬に抱きかかえられたままだった。  まだ、自分の脚で歩くのは辛い。部屋から出た瞬間に立ちくらみを起こして倒れそうになり、結局そのまま早瀬に抱かれて夜の街を歩くことになった。 「タクシーでも拾うか?」  家まで、歩くにはやや遠い距離だ。普段はバスかタクシーを使う。  しかし、あえて意地の悪いことを言った。 「……このまま、歩いて」  いくら早瀬とはいえ、疲れていないわけがない。だからこそ、少し困らせてやろう――と。  普段の、早瀬の家からの帰り道と比べたら、優に倍以上の距離だった。それでも早瀬なら、歩こうと思えば歩けないことはあるまい。  文句のひとつも言わず、軽い足どりで歩き出す。むしろ、口元には笑みすら浮かんでいるように見えた。  こいつマゾか……と思いかけたけれど、そんなわけがない。そこで自分の失敗に気がついた。  まさか「こうして早瀬に抱かれている時間を延ばしたいから」歩いていこうと言ったなんて思われているのだろうか。とんでもない勘違いだ。  とはいえ、もう手遅れだった。今さら「タクシーで」というのも不自然で、かえって意識しているような気がしてしまう。だから、あえて訂正せずに黙っていた。  早瀬の歩調に合わせて、街の灯りがゆっくりと後ろに流れていく。  夜の街を、小柄な女の子を抱えて歩く大男。警官に見られたら職務質問くらいはされそうなシチュエーションだけれど、ふたりとも高校の制服姿ということで、単に人目を気にしないバカップルと思われているかもしれない。  スタート地点が駅前からは少し離れたラヴホ街だから、駅前に比べたら人通りも少ない。多分、面倒なことにはなるまい。  黙っていると、すぐに意識が遠くなる。重い瞼が意志とは無関係に下がってくる。 「…………北川」  いつの間にか眠っていたのだろう。耳元で名前を呼ばれて目を覚ますと、そこは私の家のドアの前だった。 「……ン」  早瀬に抱かれたまま、スカートのポケットから鍵を取りだして渡す。早瀬は私を片腕で抱え、鍵を受け取ってドアを開けた。 「……そこ」  灯りのスイッチを入れ、玄関を入ってすぐの、左手のドアを指さす。 「……いいのか?」  家に上がっても、という語が省略された質問。家まで送ってもらうのはいつものことだけれど、早瀬が入ったことがあるのはこの玄関までだった。 「……あら、こんな状態の私を歩かせるつもり?」  意地悪く言うと、早瀬は私を抱き上げたまま靴を脱がせ、自分の靴は足だけで器用に脱いだ。  部屋のドアを開ける。中は真っ暗で、早瀬は手探りで照明のスイッチを入れた。  微かな驚きの声。  目の前の光景は、おそらく早瀬が想像していたような部屋ではない。  それは一見、〈普通の〉部屋だった。  机、ベッド、ワードローブ、テレビとDVDプレーヤー、小さな本棚。机の上にはノートパソコン。可愛らしいパステルカラーのカーテンに、同じ色調のベッドカバー、仔猫柄の大きなクッションと、いくつかの大きなぬいぐるみ。  それは、学校での私を見ている者にとっては、意外なくらいに可愛らしい〈普通の女の子の部屋〉だろう。むしろ、もっと年少の子供の部屋を思わせる内装だ。少なくとも、学校での私から想像できるインテリアではない。 「……念のため言っておくけれど、私の趣味ではないわよ?」 「え? あ……そうなんだ?」  この部屋の品々の多くは、パパ――出会い系サイトで見つける〈パパ〉ではなく、離婚した実の父親――がいまだに買い与えてくれるものだった。彼が私の親権者だったのは小学生までだから、今でもその頃の感覚が抜けていないのかもしれない。  早瀬は物珍しそうに室内を見回している。  この部屋で目につく〈私らしさ〉といえば、ベッドカバーや絨毯のあちこちに残る血の染みくらいだろう。  そういえば――  ふと、気がついた。  この部屋に他人を入れるなんて、小学生の頃の同性の友達以来、初めてのことではないだろうか。  これまで〈恋人〉と付き合ったことなんてないし、当然、援交相手を自宅に連れてくることなどありえない。そもそもクラスメイトや、私の本名を知っている相手と肉体関係を持つこと自体が異例なのだ。  しかし、今はそのことを口に出さない方がいいだろう。早瀬を特別扱いしていると誤解されたくはない。  早瀬は私をそっとベッドに下ろした。〈スイッチ〉が入っている時のように放り出したりはしない。  それでも、私は早瀬の首に回した腕を解かない。脚も早瀬の身体に回して、身体全体でしがみつくような体勢になる。 「北川……?」 「…………したく、ないの?」  微かに唇を動かす。ほとんど声にはならなかったけれど、それでも早瀬には伝わったようだ。  しがみついて、下腹部を擦りつけるように動かす。それで、早瀬の〈スイッチ〉は入るはず。  ラヴホで三回。普通の人なら十分な回数かもしれない。それでも、このまま終わったら早瀬にとっては最少記録だ。彼の精力を考えれば、まだまだ満足してはいまい。  満足していない、という点では私もだった。体調は最悪といっていいが、だからこそ、もっとぼろぼろにされたかった。 「さっきよりも激しくしてくれるなら……、……しても、いいわよ?」 「でも……、北川、体調が……」 「ここまで来たら、してもしなくても同じ。どっちにしろ、明日は休んで寝てるわ」 「それに、ほら……出血が……」 「このベッドが血で汚れるなんて、いつものことよ」 「え? ……ああ」  血で汚れているベッドカバーが目に入ったのだろう、早瀬もすぐに納得顔になった。私のリストカットの多くは、このベッドの上で行われている。 「…………したい」  早瀬が絞り出すような声で言う。必死に堪えていたものが、意志に反して溢れ出てしまったような声。  体重を預けてくる。ベッドの上でふたつの身体が重なる。 「でも…………本当にいいのか?」  もう一度、確認。それは「はじめたら手加減できないぞ」という最後通牒。  もちろん、言われるまでもない。数日おきに早瀬の相手をしているのだ。 「……あなたのセックスがどれほど激しくて乱暴か、私ほど理解している人間もいないのではないかしら?」  そう応えて唇を重ねる。舌を挿れる。押しつけた下腹部を擦りつける。  早瀬の呼吸が荒くなっている。  もう、止まらない。  ホテルからここまで、ずっと私に触れていたのだ。体調の悪い私を気遣って我慢してはいたものの、昂っていないわけがない。早瀬の股間に、大きな固まりの存在を感じる。私を貫きたい、という欲望で限界まで膨らんでいる。  私も、彼に貫かれることを望んでいた。  もっとめちゃめちゃに、もっとぼろぼろにされたい。  快楽のためではなく、苦痛のために気を失ってしまうくらいに。  明日になってもベッドから起きあがれないくらいに。  弱っている時ほど強まる、被虐的な嗜好。 「……あなたに、されたいわ。……犯して……、めちゃめちゃに……陵辱……して」 「……ああ」  声を押し殺してうなずきながら、早瀬がスカートの中に手を入れてくる。  服はそのままで下着を脱がそうとする。 「……服」 「え?」 「……あなたは脱いだら? 血で汚れるわ」 「あ……ああ」  これまで、お互いに着衣のまましたことも何度かあるけれど、生理中となれば話は別だ。まだ出血は続いている。  手早く衣類を脱ぎ捨て、全裸になる早瀬。 「北川は?」 「私は……このままでいいわ。汚れても構わないし。……早瀬が、いやじゃなければ」 「いや……セーラー服って初めてだから……なんか、昂奮する」  照れたような笑みを浮かべ、着衣のままの私に覆い被さってくる。  スカートをまくり上げ、ショーツを膝まで下ろす。先刻よりは慣れた手つきでタンポンを引きずり出す。  私の両脚を揃えたまま抱えあげ、股間を押しつけてくる。  一度、位置を確かめるように小さく腰を動かし、 「…………く……っ!」  特大の男性器が、前戯もなしに一気に突き入れられた。  一瞬の激痛。  膣が無理やり拡げられ、厚い肉の塊がねじ込まれる。  実際のところ、前戯の有無はほとんど関係がない。指や舌でどれほどほぐされて濡れていたとしても、早瀬のものはそれ以上に大きいのだし、そもそも今日は既に充分濡れている。  さらにいえば、強引に挿入される感覚が、いい。  いちばん深い部分を、ずん、と突かれる。  反射的に、ベッドカバーを握りしめる。  大きく開かれた口からは、悲鳴すら出てこない。  意識がぼやける。  今日は本当に、最後まで身体が保たないかもしれない。 「…………途中で気を失ったら、カギ……郵便受けに入れて帰って」 「ああ」  うなずきながら腰を突き出す早瀬。  ひと突きごとに動きが大きく、速くなる。  体重を乗せて、私の内蔵を繰り返し貫く。  胎内を剔られるような感覚。  視界が暗くなる。  痛み、以外の感覚がなくなる。  それは私にとって、ある意味、至福の時だった。 * * *  翌日――  早瀬に予告した通り、私は学校を休んで寝ていた。  生理痛は昨日よりもいくらか軽くなっていたけれど、まだ体調はよくない。昨夜の陵辱の後遺症もある。  子宮だけではなく身体の節々が痛い。全身がだるい。少し熱っぽい。身体に力が入らない。  目を覚ましたのは昼過ぎだった。それも自力で目覚めたのではなく、早瀬からのメールに起こされたものだ。学校はちょうど昼休みになったところだろう。  昨夜、早瀬がいつ帰ったのかも記憶にない。私は二回目の途中で意識を失ってしまった。  気がつくと、全裸で、ちゃんとベッドに入っていた。着ていた服は丁寧にたたまれていたから、おそらく早瀬が脱がしたのだろう。  ベッドに突っ伏したまま携帯を手に取る。 『生きてる?』  いつも通り簡潔な、早瀬からのメール。今では逢瀬の翌日の定型文になっている。 『……死んだ方がましって気分』  これも定型となっている返事を打つ。いつもならこれだけで返信するところだけれど、今日はその後に言葉を続けた。 『結局、何回したの?』  それを知らなければ〈切る〉ことができない。  少し考えて、さらにもう一文を追加する。 『…………嘘ついたら、これっきり』  念のため、釘を刺して送信。  早瀬は私がした回数だけ〈切る〉ことを知っているし、もちろん、リストカットのことは快く思っていない。途中で気を失ってしまった以上、過少申告してくる可能性は大いにある。  返信はすぐに届いた。 『北川の家では三回』  記憶があるのが二回目の途中までだから、いかにもそれらしい数字ではある。しかし、それを鵜呑みのするほどお人好しではない。 『じゃあ、ホテルの分と合わせて七回、切っておくわ』  これまでの経験から、おそらく四回くらいが妥当な数ではないだろうか。早瀬の性格を考えれば、ばれない範囲内での鯖読みは十分にあり得る。  机の引き出しから剃刀を取りだす。  刃を手首に押し当てる。  真横に引く。  一回。  二回。  三回。  これが、ホテルでの分。  続けてもう四回。  この部屋での分。  その途中で早瀬からの返信が届いたけれど、内容は予想できたので無視して作業を続けた。  顔の前に掲げた手首から流れ出す鮮血。  ぼんやりと見つめる。  細い腕が紅く彩られていく。  傷口に唇を寄せる。  錆びた鉄の味が口の中に広がる。  流れ出た血を舐めとっても、すぐにまた新たな血が滲み出してくる。  自分の血を舐めながら、携帯を手に取る。早瀬からのメールを表示する。 『ホントに三回だって! 嘘じゃない。我慢したんだから』  小さく肩をすくめる。  多分、これは本当のことなのだろう。  しかし、嬉しくはない気遣いだ。  我慢するくらいなら、もっとすればよかったのに。  どうして我慢などするのだろう。  もっと、もっと、ぼろぼろにされたかったのに。 『……もう手遅れ。一回は次回分の前払いにしておくわ』  そのメールを送信して、携帯を放り出す。  バスルームへ行ってシャワーを浴びる。  汗と、血と、それ以外の体液で身体中べたべただ。  隅々まで洗った後で、タンポンを挿れ、手首には無造作に包帯を巻く。  ベッドのシーツを新品に交換し、血と精液で汚れたシーツは丸めてゴミ袋に詰め込む。  ついでにタオルケットも新しいものに交換し、また、ベッドにもぐり込んだ。 * * *  次に目を覚ました時、外はもう暗かった。  また、早瀬からのメールの着信音に起こされた。 『今、北川ンちの前に来てるんだけど』  そんな文面を三十秒ほど無言で見つめていた。眠っていた頭がようやく動きだし、意味を理解する。  のろのろと起きあがり、脚を引きずるようにして玄関へ向かう。  全裸のまま、ドアを開ける。 「…………なに?」  大きな身体が視界を塞いでいる。裸の私を見て、少し慌てているようだった。 「あ……いや、ちょっと、様子を見に。あと……、ちゃんと食ってないんじゃないかと思って」  バッグとは別に持っていた袋を掲げてみせる。近所のドーナツショップのものだ。  早瀬の顔をつまらなそうに見あげる。 「…………それだけ受けとってドアを閉めたら、怒る?」 「……」  怒りはしなかったけれど、ほんの少しがっかりしたような表情を浮かべた。 「……冗談よ」  上がってもいい、という意思表示で、ドアを開けたまま後ろに下がって通路を空けた。早瀬は全裸のままの私を気にしているのだろう、素早い動作で玄関に入ってドアを閉めた。  来客用のスリッパを出しただけで、まっすぐ自室に向かう。荷物を手にした早瀬が後をついてくる。  部屋に戻って、ベッドに腰掛けた。目で促すと早瀬も隣に座ったけれど、相変わらず触れる距離ではなく、二人の間にドーナツの袋を置いた。  全裸の私と密着する距離に接近すると、簡単に〈スイッチ〉が入ってしまうからだろう、すぐにするつもりがない時、早瀬はあまり触れてこない。  早瀬が袋を開ける。ドーナツとパイがいくつか、それにアイス・カフェ・オレがふたつ。飲み物まで買ってきたとは気が利いている。早瀬のために私が飲み物の用意をするなんてごめんだし、そうした性格を早瀬もわかっているのだろう。 「…………そういえば、今日はまだなにも食べてなかったわ」  カフェ・オ・レをひとくち飲み、アップルパイを手に取る。 「なにも?」 「……早瀬に起こされてシャワー浴びた以外、ずっと寝ていたもの」  起きあがる元気もなかったというのが真相だけれど、もしかするとそれは、食事をしていないことも一因だったのかもしれない。だとしたら本末転倒だ。 「メシくらいちゃんと食ってくれよ。心配になるじゃねーか」 「…………そうね。いま私が死んだら、犯人はあなたよね」 「俺、殺人犯にはなりたくねーからさ」  そう言って苦笑する。 「別に、食べたくないわけじゃないわ。ただ、面倒だったり、食べるのを忘れていたり」 「……じゃあ、迷惑じゃなかったか?」 「……ええ。ご褒美に、手当てをしてもいいわ」  お礼、とは言わずに左腕を差し出した。その手首には紅く汚れた包帯が雑に巻かれている。 「え?」 「そのつもり、だったのでしょう?」  早瀬はドーナツの袋とは別に、ドラッグストアの袋も持っていた。恐らくはドーナツよりもこちらが本題だったのではないだろうか。一回よけいに切った私を心配して、傷薬を用意してきたのだろう。  袋を開けると、消毒薬、包帯、そして栄養ドリンクやお馴染みの鉄サプリメントなどが出てきた。  私が適当に巻いた包帯を解き、傷の手当てを始める早瀬。  ふたつ目のドーナツを口に運びながら、その光景をぼんやりと見ている私。  アップルパイとドーナツをひとつずつ、そしてアイス・カフェ・オレをお腹に収めると、ようやく人心地がついた。食べるまで、空腹であることすら気づいていなかった。  早瀬は傷の手当てを終えると、私との距離を少し空けてドーナツをひとつつまんだ。ドーナツもパイも、まだ多すぎるくらいに残っている。自分の食欲を基準にして買ってきたのだろうけれど、身体が大きく体育会系の早瀬と違い、私はもともと小柄な上、まともな食事を摂るのが面倒で飲み物で誤魔化すことが多いので、胃が小さくて極端に小食だ。これ以上は一度に食べられない。  そこでドラッグストアの袋の方から、栄養ドリンクの小さな瓶を取り出した。 「……これも、私に?」 「ああ」  こちらの方が効率がいい。こんなものに頼っているからなおさら普通の食事ができなくなるのかもしれないけれど、食事を楽しむことにも、自分の健康にも、まったく興味はない。生きていくのに必要最小限の栄養が摂取できればいいのだ。  封を切り、瓶の中身を一気に流し込む。  口中に広がる、濃厚な甘みと微かな苦み。興奮系の〈クスリ〉にも少し似た味。実際、一部の成分は共通だ。  空になった小瓶を顔の前で振る。 「……この瓶、オナニーするのにちょうどいいサイズと形よね」  唐突な台詞に、早瀬が口の中のドーナツを噴き出しそうになる。 「…………こんなふうに」  ベッドの端に腰掛けていた体勢から、ベッドの中心に移動する。早瀬に身体を向けて、脚を大きく開いた。  その中心に、逆さに持った瓶の底を擦りつける。 「……ん、……ぅ、ふぅ……ん」  昨夜の後遺症で、そこに触れるとまだ痛みがある。だからこそ、濡れてしまう。  潤滑液が滲み出してきて、瓶がぬるぬると滑る。  早瀬は呆気にとられた表情で、なにも言えずに私を見つめていた。 「ん……ン、く……ぅん……ぁ」  瓶の側面全体を使って、クリトリスを中心に割れ目を擦る。  同時に、左の乳房を持ち上げる。乳首を貫いているピアスを前歯で噛んで、軽く引っ張る。  それなりに大きな胸とはいえ、軽々と口に届くほどの巨乳でもない。  乳首が引っ張られる痛みに、さらに昂ってしまう。 「んん……んっ、……んぅ!」  タンポンの紐を指に絡めて引き抜く。代わりに、瓶を滑り込ませる。タンポンよりはずっと大きいとはいえ、早瀬はもちろん、平均的な男性器と比べても小さな瓶は、十分すぎるほどに濡れた膣内にするりと収まった。  瓶の口の螺旋山の部分に指先を引っかけて小刻みに動かす。  膣口が擦られて気持ちいい。  弾力のある男性器やバイブレーターとは違う、硬いガラスの感触。しかしさほど大きくないことに加えて蜜が溢れだしているので、硬さによる痛みはない。膣口の痛みの源は、昨夜の行為による擦り傷だ。  小刻みに前後する瓶。かき混ぜられた愛液が泡だって溢れだし、お尻の方まで流れ出してくる。  早瀬は緊張した面持ちで見つめている。その股間が膨らんでいるのが、ズボンの上からでもわかる。  なにも言えず、そして動けずにいる。  私はお尻を浮かすようにして、局部をさらに見せつける。手の動きは止めずに、口からピアスを離して言った。 「…………いつまで焦らすの? それとも、新手の放置プレイ?」 「え?」  なにを言われているのかわからない、といった表情で目を見開く早瀬。 「……あ……、北川……これって、誘ってた?」 「他になにがあると?」 「……なるほど」  ようやく、納得顔で苦笑する。  これまで手を出す気配を見せなかったのは、生理プラス昨夜のダメージが残っている私を気遣っていたためだろう。私の方から誘わなければ、今日は食べ物の差し入れと傷の手当てだけで帰っていたかもしれない。  しかし、そうした気遣いは私がいちばん欲しくないものだ。  早瀬の表情が微妙に変化する。  まだいくらか遠慮しつつも、もう後戻りできないところまで昂ってきている顔だった。  私との距離を詰めてくる。腕を掴む。 「……制服は脱いだら? 汚れるわよ? まだ、少し出血してるわ」 「あ……ああ」  慌てて制服を脱ぎはじめる早瀬。  その前で、見せつけるように、急かすように、腰を突き出して瓶を激しく動かす。  早瀬が全裸になったところで、瓶を奥まで押し込んだ。 「…………奥に、入っちゃったわ。……取ってくれる?」  身体の向きを変え、四つん這いになってお尻を突き上げる。  この挑発はかなり効いているようで、早瀬の股間はもう内側から破裂しそうなほどに膨らみきっていた。  片手で私のお尻を掴む。  もう一方の手が、局部に触れてくる。  指が挿し入れられる。 「ぁ……ん、く……ふぅんっ、んぅ……っ!」  太く、長い指が膣の中をかき混ぜる。  熱くとろけて充血した粘膜が絡みつく。 「……あ……ぁっ! んん……っ、んっ!」  私の中で蠢く二本の指。  瓶をつまんで取り出そうとしているけれど、経血と愛液にまみれたガラス瓶は滑って、なかなかうまく掴めずに悪戦苦闘している。もちろん、私は奥の部分をいっぱいに締めつけて妨害している。  結果、膣の中を激しく、めちゃめちゃにかき混ぜられることになる。  考えてみれば、早瀬相手に指でこれだけ執拗にされることは珍しい。大抵は前戯などそこそこに挿入されるように仕向けているから、少し新鮮な感覚だった。 「んんっ、……ふ……んぅっ! うぅ……んぁっ」  その前に自分でしていたせいもあって、かなり感じてしまう。  声が漏れる。  早瀬のペニスは私には大きすぎ、快感よりも痛みをより多く与えてくる。その点、太い早瀬の指は〈ちょうどいい〉サイズといえた。  このまま、指だけで達してしまいそうだ。  ベッドに爪を立てる。ベッドカバーを噛みしめる。 「――――っっっ!」  ようやく引き抜かれる小瓶。  と同時に、もう一秒たりとも我慢できないといった勢いで、早瀬が私を貫いた。  膣口が限界まで拡げられ、これだけ濡れていても激しい痛みをともなう挿入。  しかしその瞬間、私は絶頂を迎えていた。  意識が遠くなる。  全身から力が抜ける。  対照的に、早瀬が激しく暴れている。ぐったりと力の抜けた身体を、雄叫びすらあげそうな勢いで陵辱する。  今夜、記憶が残っているのはここまでで、早瀬が最初の射精を迎える前に完全に意識を失ってしまった。 * * *  翌、火曜日――  私は遅刻ぎりぎりに校門をくぐった。  相変わらず調子はよくないけれど、昨夜、眠った――というか気絶した――のが早かったため、かなり長い睡眠を取ることができ、登校できる程度には回復していた。  別に、無理して学校へ行かなければならない理由もないのだけれど、たまたま朝に目が覚めてしまったから、というのが主たる理由だった。  靴箱のところに、早瀬の姿があった。さりげなく立っているが、私を待っていたのは一目瞭然だ。  私の姿を認めて、微かにほっとしたような表情を見せた。  上履きに履き替え、早瀬の前を通り過ぎる。立ち止まらずに小声でつぶやく。 「……昨夜は、何回、したの?」  私は一度目で気を失ってしまったけれど、その後数回はされたような形跡があった。回数がわからないので、まだ昨夜の分は切っていない。 「……悪ぃ、四回」 「…………二日続けてなのに、元気ね。というか、意識のない相手として、楽しいの?」  周囲に人影がなかったので、脚を止め、呆れたような口調で訊く。 「ちょっと、罪悪感はあったけどな。……すげー興奮して、ホントは一、二回のつもりだったんだけど、止まらなかった」  そういえば、泊まりを除けば早瀬と二日続けてというのは初めてだった。泊まりの時の回数を考えれば、呆れるほどの精力を保っているのは納得できるけれど、同じ相手とこれだけ続けて飽きないのだろうか。 「……飽きないの?」  その質問と同時にまた歩きはじめる。少し遅れて早瀬がついてくる。傍目には、二人の間につながりがあるようには見えまい。  私の耳にだけ届く程度の声が返ってくる。 「あんなに興奮すること、どうして飽きるって? 北川には悪いけど、今日が平日じゃなければもっとやりたかった」  ちらりと振り返ると、照れくさそうに苦笑して、頬を掻いている姿が目に入った。 「そういえば、昨日の試合、俺が勝って優勝したんだぜ?」 「……興味ないわ」  間違っても「知ってるわ」なんて答えてはいけない。気をつけて返事をする。 「北川とすると、すごくやる気が出るような気がする」 「…………そう」  どうでもいい話だ。早瀬がしたいというなら今の関係を続けるだけだし、飽きたならそれっきりにすればいい。  背後から、早瀬の声が続く。 「……もうすぐ夏休みだろ? 休み中、会う回数少し増やせるか? また、泊まりとか、さ」  思わず、脚が止まる。  本気で、少し呆れた。  これだけ精力を持て余していて、よくも茅萱がこれまでバージンだったものだ。今さらのように、呆れ、感心する。  そして―― 「………………少しくらいなら」  肩をすくめて答えた。 第四章 「んく……ぅんっ」  私の中で脈打っていた男性器が引き抜かれると、収縮する膣から精液が噴き出すように溢れてきた。  ねっとりとした感触が、お尻の方へと流れ落ちていく。 「お願い……もう……ゆるして……」  かすかに動く唇から漏れるのは、か細い懇願の声。  もちろん、それが聞き入れられることはありえない。 「なに言ってんだ、まだまだ、これからが本番だろ」  にやにやと下卑た笑いを浮かべた男たちが、周りを取り囲んでいる。  閉じようとする脚を、ふたりの男が左右から押さえつけて無理やり開かせた。私の細い脚では男たちの力には抗えない。無駄な抵抗は、男たちをかえって悦ばせるスパイスにしかならなかった。  大きく開かれた脚の間に、三人目の男が身体を入れてくる。 「いっ……やぁぁっ」  挿入と同時に、短い悲鳴が上がる。  大きく勃起した男性器が膣をいっぱいに押し拡げ、残っていた精液が行き場を失って溢れ出てきた。 「や……ぁぁっ、や……ぁ……ぁんっ! あ……っんんっ」  男はこれっぽちの気遣いもなしに腰を突き出してくる。  ここまで、指と様々な道具で潮吹きするまで弄ばれて、立て続けにふたりの男に犯され、胎内に射精され、休む間もなく三人目の挿入だった。既にかなり消耗している私に対して、今まで順番待ちをしていた男は限界まで昂っている。手加減なしの削岩機のような激しい動きに、膣の粘膜が悲鳴を上げる。  しかしまだ〈順番待ち〉の男たちは何人も残っていた。 「くそっ、もう我慢できねーぞ」  右脚を押さえていた男が、抵抗する気力も体力も残っていないことを見てとり、手を放して顔の上にまたがってきた。  大きく反り返ったものを手で押さえ、口に押し込んでくる。顔を押さえられ、力まかせに喉の奥まで突き入れられた。  食道への突然の刺激に嘔吐しそうになりながらも、喉をふさがれているために吐くことすらできない。  それを見て、腕を押さえていた男は、その手に自分のものを握らせた。そのまま手を掴んで動かしはじめる。  膣と、口と、手を同時に犯されて、私は声を上げることすらできなかった。  それでも、まだ、獣の目をした男たちは残っている。  そして私の身体にも、男を受け入れられる部位が残っている。  それを見逃してくれるような男たちではない。 「……まだ、使ってない穴があるよな。もっとじっくり犯るつもりだったけど、我慢できねーや。一気にめちゃめちゃにしてやるか」 「どうせ使い捨てなんだから、ぼろぼろになるまで犯っちまおうぜ」  左脚を押さえていた男も立ち上がると、顔の上の男を一度どけさせて、私の身体を起こした。  膣を貫いている男の上に、またがる姿勢にさせられる。  そしてまた、手に握らされる。今度は両手に。 「ほら、手本はさっき教えただろ。自分で動かせよ」 「ひぃっ……痛っ」  髪が抜けそうなほどに強く引っ張られる。泣きながら、男を握った手を上下に動かした。  私の身体を起こした男が、背後に回る。  両手でお尻を鷲づかみにして、双丘を開く。 「や……っ!」  お尻に滴る、ひんやりとした液体の感触。  ローションを塗り広げたお尻に押しつけられる、熱い塊。 「や……ぁ……、いやぁぁっっ!」  お尻の穴が、押し拡げられていく。  排泄のための器官に、外側から無理やり押し入ってくる。大きく膨らんだ硬い肉の塊が、小さく窄まった蕾を力まかせに蹂躙する。 「いやっ! やだっ、やだぁっ! そんなの無理ぃっ! お願い、抜いてぇっ!」  膣への挿入とは違う痛み。強靱な筋肉によって閉ざされた口が、無理やりこじ開けられていく。少しずつ、しかしとどまることなく〈裏口〉から私の中へと侵入してくる。 「いやあぁぁ――っ!」  いくら泣き叫んでも、男たちの嗜虐心を煽るだけだった。  中のものが、さらに硬さと大きさを増す。お尻を振って逃れようにも、しっかりと腰を掴まれ、しかも前を深々と貫かれている状況では下半身の自由などほとんどない。  さらに、口をふさがれる。  喉の奥まで突き入れられ、泣き叫ぶ自由すら奪われてしまう。  男たちはそれぞれ勝手に腰を動かす。  膣と、直腸と、口と、両手が、同時に陵辱されている。  常に実際の年齢よりも幼く見られる小柄な私にとって、本来、膣だけ、お尻だけの挿入であってもたやすいものではなく、痛みをともなう。  なのに前後同時に押し拡げられ、奥の奥まで貫かれ、激しく動かれている。  薄い粘膜の壁を隔てて、二本の肉棒がごりごりと擦れ合っている。  下半身が引き裂かれてしまいそうだ。  しかし口をふさがれて悲鳴も上げられず、手でも奉仕を強要されている。  もう、限界。  もう、死にそう。  薄れていく意識が、しかし、ひときわ大きな動きによって現実に引き戻された。 「……くそっ、すっげーきついマンコだな。もうたまらん!」  最初に達したのは、膣を犯している男だった。  子宮の入口で小さな爆発が起こる。それが引き金となったかのように、身体中で次々と誘爆が続いた。  直腸に、喉に、精液が噴き出してくる。  続いて手の中のものが弾けて、両側から降りかかる白い飛沫が、顔を、髪を、べっとりと汚した。  身体を小刻みに震わせている男たち。  やがて、一本ずつ引き抜かれていく。  それでも、安堵の息をつくことすら許されなかった。  今日、最初に私を犯した肉棒が完全に復活を遂げ、まだ三人目の精液を滴らせている膣にねじ込まれる。  口が自由になっても、もう悲鳴すら上げられなかった。  どこから現れたのか、別な男がお尻を貫く。  精液混じりの涎を溢れさせている口もふさがれる。  全員で何人いるのかも定かではない男たちが、交代で私を犯していく。  休む暇など一秒たりとも与えずに、私の胎内を、顔を、口を、胸を、髪を、白濁液で穢していく。  男たちが疲れても、それで終わりではない。  彼らの手に握られた、疲れを知らない電気仕掛けの器具が私を責めたてる。  前も、後ろも。  無機質の〈オモチャ〉と生身の男たちが、交互に私を犯し続ける。  そして――  そんな私を見つめ続ける、冷たいガラスの目。  それは、何台ものビデオカメラのレンズだった。 * * * 「……眠そうだね。さすがに疲れた?」  車を運転している、名前も覚えていない男が訊いてくる。  助手席に座った私は、疲労困憊してどろどろに溶けてしまいそうな状態ながらも、精いっぱい愛想のいい声で応える。 「疲れたっていうか…………もう死にそう……、あれで元気だったら人間じゃないよぉ……」  鼻にかかった、甘えた声。早瀬が聞いたら目を丸くするような声だった。 「いや、もう十分人間離れしてるよ? 凄かったなー、今回も売れるぞ。みさきちゃんみたいな可愛いロリっ娘が、あんな激しいコトしてんだから」 「……激しいの、好きだもの」  今にも眠ってしまいそうなけだるい表情のまま、頬を赤らめて舌をぺろっと出す。 「また次もよろしくな」 「そう頻繁には無理ぃ、身体がもたないもん。それに、出し惜しみした方が、値打ちが上がらない?」 「だな。あまり無理してみさきちゃんのこと壊しちゃったらもったいないし」  男が苦笑する。  その腕を、ハンドル操作の妨げにならない程度に軽くつねる。 「だったら、も少し手加減してよぉ……最初に聞いてたより、ずっとハードだったよ?」 「ごめんごめん、だってあんなの見せられたら、みんな参加したくなるじゃん? みさきちゃんがエロ可愛すぎるからいけないんだよ。……その分、ギャラも弾んでおいたからさ。これで許して、ね?」  男がポケットから出した封筒は、ちょっとした〈札束〉と呼べるだけの厚みがあった。  それを素直に受け取ってバッグにしまいながらも、軽く頬を膨らませる。 「もぉ、今回だけだよ。……あ、ここでいいよ、停めて」  車が減速し、路肩に寄って停まる。家からはまだ数キロ離れた場所だけれど、さすがに本名すら教えていない男に自宅まで送らせるつもりはない。このあたりならすぐにタクシーも拾えるはずだ。 「じゃ、またね」 「はぁい、また」  笑みを浮かべて小さく手を振る私を残し、車が走り出す。その後ろ姿が十分に小さくなったところで、私の顔からいっさいの表情が消えた。 「……マジで、死にそう」  脚が小さく震えている。  少しでも気を抜いたら、このまま倒れてしまいそうだ。  一刻も早く家に帰って、ベッドに倒れ込むとしよう。  今は夏休み――  私は、アダルトビデオの撮影を終えて帰ってきたところだった。 * * *  夏休みも、もう後半に入っていた。  私の夏休み中の生活なんて、やることは決まっている。  休み前は週に一、二度だった早瀬からのお誘いが、二、三回に増えた。  最近は一、二週に一度だった援交が、週に一、二回に増えた。  ある意味、休み前よりも活動的な生活を送っているといえるかもしれない。限りなく不健全かつ不健康ではあるけれど。  そして今回は、三日がかりのAV撮影。  早瀬が柔道部の合宿で一週間ほど留守にするというので、この機会に、以前にも〈仕事〉をしたことのある制作会社のスタッフに連絡を取ったのだ。表向きは合法のアダルトDVDを作りつつ、裏では密かに無修正ものや本物のロリータものなどを手がけているという、ちょっとヤバめの会社である。  AV撮影なんて、春休み以来だろうか。  普通ならば撮影も一日ですむのだけれど、今回は、拉致監禁された女の子が複数の男たちに何日も犯され続けてぼろぼろになっていく――という設定をリアルに撮りたいということで、三日がかりの撮影となった。  誘拐され、人気のないシーズンオフの空き別荘に連れ込まれた女子中学生が、複数の男たちに力ずくで次々と犯される。  縛られ、殴られて。  休む間もなく、口も、お尻も、男を悦ばせることのできる部位をすべて穢されて。  何日も、何日も。  口にしたものといえば、強制的に飲まされる精液だけ。  やがて泣く気力もなくなり、人形のような虚ろな瞳で、ただされるがままに陵辱され続ける。  最後に、遊び疲れて飽きた男たちは、女の子を明け方のゴミ捨て場に放り出して去っていく。  生きているのか死んでいるのか、文字通り、壊れた人形のように動かない女の子――  ――そんな、内容だ。  もちろん、実際には多少の休憩をとり、食事もしたけれど、それでも私の感覚としては〈休みなしに犯され続けた〉に近い。  男たちは交代で休憩も食事もできるけれど、女の子は私ひとりなのだ。彼らは適当に休憩しているつもりであっても、こちらは限界を超えて犯され続けていたも同然だった。しまいには〈男優〉ではないスタッフまでが陵辱の輪に加わってしまったのだからなおさらだ。  それはあくまでも〈無理やり〉ではなく、合意の上でのことだったけれど。  さすがに、疲れた。  経験豊富すぎるほどの私だけれど、体格的、体力的には平均を遙かに下回る華奢な女の子でしかない。  家に入って緊張が解けると同時に、全身から力が抜けた。  身体が重い。  頭が痛い。  意識が朦朧とする。  玄関で、大きく息を吐き出した。靴を脱ぐのも億劫なくらいだった。  脱いだ靴を放り出し、キッチンへと向かった。喉が渇いていた。  冷蔵庫を開けて、最初に目についた牛乳のパックを取り出し、グラスに注ぐ。  口をつけたところで、しかし、突然の吐き気に襲われた。  白い、液体――  想い出してしまう。  この三日間、さんざん飲まされ、注ぎ込まれた白濁液。  いまだに胃の中に、子宮の中に、直腸の中に、いっぱいに溜まっているような感覚だった。  込みあげてくる嘔吐感。  グラスを落とし、手で口を押さえる。  指の隙間から、逆流してきた胃液がこぼれ落ちる。  気持ち悪い。  気持ち悪い。  感覚が、鮮明に甦ってくる。  何時間も、何日も、犯され続けた感覚。  何人もの男たちに陵辱され続けた感覚。  忌まわしい記憶が、肉体に刻み込まれてしまっている。  全身に鳥肌が立つ。  身体が震える。  セックスは気持ちいい。しかしそれはしている最中の、しかも純粋に肉体的な感覚でしかない。  終わった瞬間、それはなによりもおぞましい感覚に変わる。  男。  ペニス。  精液。  私にとっては蛆虫よりも忌まわしいもの。  そう、それは、腐肉まみれの蛆虫が、身体中を何千匹、何万匹と這い回るような感覚だった。  気持ち悪い。  気持ち悪い。  そんな、おぞましい存在に穢され続けた肉体。  なのに行為の最中には、確かに快感を覚えていた私。  全否定したくなる。  自分自身を、その存在を。  いけない――  キッチンで〈発作〉に襲われるのはまずい。  ここは、危険な凶器が多すぎる。  自分でも気づかないうちに、震える手が包丁を掴んでいた。  肉切り用の、鋭い、大きな包丁。  がたがたと震える手で、しかし、しっかりと握りしめている。  刃が自分に向けられる。  その標的は、手首などという生易しい部位ではない。  柄を両手で握りしめて、刃先を自分の喉に向けていた。  小刻みに震える切っ先が近づいてくる。  抑えようとしても抑えられない衝動。  死んでしまいたい。  なにもかも壊してしまいたい。  だけど、死にたくない。  死ねない。  死んではいけない。  それは〈逃げ〉だ。  私には、死なんて安易な結末は許されない。  なのに、手が止まらない。  刃の先端が喉に触れる。  ちくり……という鋭い痛み。  研ぎ澄まされたステンレスの刃が、柔らかな喉の皮膚を突き破ろうとしている。  抑えられない。  もう、止まらない。  本気で死を覚悟した、その瞬間――  緊張感で満ちていたキッチンに、まったく突然に、場違いな電子音が鳴り響いた。  ふっと力が抜ける。  手から滑り落ちた包丁が、キッチンの床に突き刺さる。  私は崩れ落ちるように床に座り込んだ。  無機的な電子音が鳴り続けている。  携帯の、着信音。  床にへたり込んだまま腕を伸ばし、放り出してあった鞄を引き寄せた。  プライベート用の携帯の、受話ボタンを押して耳に当てる。 「……」  なにも、言わない。  心身ともに、すぐに声を出せるような状態ではなかった。  喉に、ちくちくとした痛みが残っている。 『……北川? ひさしぶり』  一週間ぶりに聞く声だった。  誰よりも忌々しい声。  だけど今は、この不愉快な電話に助けられた。 「…………なんの、用?」  なんとか絞り出した声は、必要以上に刺々しかった。 『えっと……これから、時間あるか?』  用なんて、訊く必要もなかった。早瀬からの電話なんて、要件はひとつしかありえない。 「……あなた、合宿とか言ってなかった?」 『いま帰ってきたとこ』 「……で、間髪入れずに呼び出し? いつものこととはいえ…………、呆れるわね」  一週間の柔道部の合宿。体力的にかなりきついものであることは容易に想像できる。  帰ってきたらまず、一晩くらいゆっくり休もうとは思わないのだろうか。  もっとも今回は、そうしていたら二度と私を抱くことはできなかったのだけれど。 『まる一週間、柔道漬けで北川に会えなかったんだぞ? だから……わかるだろ?』  つまり〈溜まっている〉ということだろう。  彼の性欲を考えればもっともだ。部の合宿では、自分で〈処理〉するのも容易ではあるまい。 『都合、悪いか?』 「…………家を出る前に、シャワーを浴びる間くらいは我慢できるのかしら?」 『それくらいなら、なんとか』  どこか呑気な、ふざけた口調が返ってくる。  直前までどれほど危機的状況だったのか、彼には想像もできないだろう。 「今はなんだか、うんとゆっくりシャワーを浴びたい気分だわ」  わざとらしく言って電話を切る。  いつの間にか、こんな憎まれ口でも了承の言葉だと通じるほどに、早瀬との関係は回数を重ねていた。 「…………」  小さな溜息をついてのろのろと立ち上がる。  床に突き立った包丁もそのままに、バスルームへと向かった。 * * *  早瀬の家に着いた頃には、外はもう暗くなりかけていた。  西の空が夕陽の残滓でわずかに朱色に染まっている。  それでも、シャワーを浴びて着替えてから出てきたにしては、早く着いた方だろう。歩く体力がなくて家からタクシーを使ったためだ。  夏休み中だけれど、服装はいつもの〈営業用〉制服だった。着替えに頭と時間を費やすのも面倒だった。  あまり時間を空けずに、早瀬に逢いたかった。そうしないと、いつまたあの〈発作〉に襲われないとも限らない。早瀬に犯されている間は、少なくとも自殺はせずに済む。 「……待ってた」  玄関で私を出迎えた早瀬は、愛想のいい笑みを浮かべてはいたけれど、その陰に獣じみた欲望が垣間見えていた。全身から〈牡〉のオーラが発せられているような気がした。  靴を脱いで上がるのと同時に、骨が軋むほどに抱きしめられる。そのまま抱きかかえられ、早瀬の部屋へと運ばれた。  ベッドの上に放り出される。  大きな身体が覆いかぶさってくる。  スカートの中に潜り込んできた手が、制服はそのままに、下着だけを脱がしていく。  そして、 「――っっ!」  激痛が下腹部を貫いた。  前戯もなにもなしの、いきなりの挿入だった。  一気に、奥まで拡げられる。  こうした展開は充分に予想していたし、数時間前まで男をくわえ続けていたのだから、まったく準備ができていなかったわけではないけれど、それでも痛いものは痛い。たとえ時間をかけた前戯で膣がほぐされ、溢れるほどに濡れていたとしても、早瀬のサイズを受け入れるのは痛みをともなう行為なのだ。  気遣いなど微塵も感じられない挿入。一度、無理やり根元まで押し込むと、心の準備をする暇さえ与えずに激しく動き出した。  大きく揺さぶられる、小さな身体。  ひと突きごとに、背中が火傷しそうなほどの勢いでベッドに擦られる。  一週間の禁欲生活で、よほど溜まっていたのだろうか。いつも以上に激しい幕開けだった。  熱い、獣の息づかいが顔にかかる。  下腹部は、まるで身体の内側から殴られているかのようだ。  この暴力的な行為は、疲労困憊の身体には刺激が強すぎる。  熱い。  感じているのは、痛みというよりも、熱さ。  真っ赤に灼けた鋼鉄の杭に貫かれている感覚。  悲鳴すら上げられない。  視界が暗くなる。  意識が遠くなる。  もともと今日は、呼び出しを受ける前から気力体力の限界を超えていたのだ。このぼろぼろの身体が、早瀬の乱暴な陵辱に耐えらえるわけがない。ましてや今の早瀬は、一週間溜め込んだ性欲に支配された獣だ。  普段から乱暴な早瀬だけれど、それにしても今日は特別だった。とにかく一度射精しなければ治まらないといった様子で、フィニッシュに向けて一気に加速していく。  しかし、彼が最初の絶頂を迎える前に、私は意識を失っていた。 * * *  意識が戻ったときには、外はすっかり明るくなっていた。午前中ではあっても、もう朝食にも遅すぎる時刻だった。  早瀬に犯されながら意識を失い、そのまま一晩中眠っていたらしい。撮影中の三日間を合わせても、普段の一日分も寝ていなかったのだから当然だ。  しかし早瀬も、昨夜は私をおとなしく寝かせてくれていたわけではなさそうだった。  最後に記憶が残っている時、服を着たまま下着だけを脱がされていたはずなのに、いつの間にか全裸にされていて、今は私に腕枕しながら眠っている早瀬も裸だった。  全身に――特に下半身に、独特の倦怠感が残っている。それは、陵辱があの一度だけでは終わらなかった証だ。  そもそも、体力底なしの早瀬がまだ眠っているのだ。夜中すぎまで、意識のない私を犯し続けていたと考える方が自然だろう。合宿明けで早瀬も疲れていたかもしれないけれど、普段から、部活の後で一晩中激しいセックスを続けられる体力の持ち主だ。  いったい何度、犯されたのだろう。  睡眠不足はそれなりに解消されていたけれど、身体中、あちこちが痛い。  下半身が重い。  まだ、なにか大きな塊が挿入されているような感覚だった。  上体を起こすと、胎内を流れ滴る液体の存在を感じた。膣口から溢れ出てくるそれは、放出されて時間が経っているために当初の粘性が失われて透明感が増し、ややさらりとした手触りだった。  膣奥を締めつけ、逆に入口を緩める。中に残った早瀬の体液が絞り出されてくる。  手をあてがって受けとめる。  手のひらに溜まるその液体は、どう見ても一度や二度の量ではなかった。  それを一気に口に含む。  時間が経っている分、直に口で受けたものよりも気持ちが悪い。腐った肉汁を啜っているように感じて、吐き気を抑えながら飲み下す。  腐臭を放つ生臭い液体が、食道を流れ落ちていく。  胃がむかむかする。  腕に鳥肌が立つ。  穢らわしい。  穢らわしい、この、身体。  身体中に腐汁が染み込んでいくおぞましさ。  自分の身体を引き裂きたくなる衝動が湧き上がってくる。  脂汗が滲む。  息が苦しい。  視界が霞む。  ずり落ちるようにベッドから降りると、鞄から剃刀を取り出し、震える手で左手首に突き立てた。  鋭い痛みに、意識が覚醒させられる。  剃刀を引く。  腕が灼ける感覚。  手首に刻まれた紅い筋が濃くなっていく。  深紅の珠がふつふつと浮き上がってくる。  大きく膨らんで、流れ落ちていく。  その傷に唇を寄せ、口に含む。  しょっぱい、錆びた鉄の味が口中に拡がる。  ごくん――喉を鳴らす。  ふぅ、と大きく息をつく。  二度、三度。  深呼吸を繰り返す。  そのわずかな時間で、鳥肌は急速に治まっていった。  呼吸が楽になってくる。  汗も引いている。  自分の左手から視線を外し、眠っている早瀬を見た。  穏やかな寝顔で、静かに寝息を立てている。  どうしてだろう、なんとなく不愉快な気持ちになる。  右手に握ったままになっていた剃刀を、なにげなく、早瀬の喉に当てた。  なにも知らずに眠っている早瀬。  このまま手に少し力を込めれば――  ――殺せる。  簡単に。  早瀬は、なにもわからないまま絶命するだろう。  そうしてみたい衝動に駆られる。  自分を犯した男を、殺す――それは、喩えようもないほど甘美な誘惑だった。  だけど――  違う。  相手が、違う。  早瀬を殺しても、なにも解決しない。  手の力を緩める。おかしな衝動に支配されて取り返しのつかないことをしないうちに、剃刀を片付ける。  そうするとなんとなく手持ちぶさたになって、早瀬の下半身に手を伸ばした。  さすがに眠っている今は勢いを失っているけれど、それでもとにかく、もともとのサイズが大きい。  そっと握ってみる。こんなに柔らかな状態で触れるのは初めてかもしれない。  ゆっくりと手を動かす。  顔を近づける。  口に、含む。  早瀬の精液の味と、私の愛液の味が混じっている。  たとえ意識がなくても、唇をすぼめて吸うと、気圧差で徐々に血液が集まって膨らんできた。  手で根元をしごき、亀頭に舌を絡ませる。  大きく反り返って硬い、いつもの見慣れた姿になってくる。 「ん……」  小さな呻き声を上げ、早瀬が身体を動かした。さすがにここまでやると、刺激で目を覚ましたようだ。  目を開いて、その瞬間、わけがわからないといった表情を浮かべた。自分の置かれた状況を理解するには、多少の時間を必要としたようだ。 「……北川……、起きてたんだ?」 「…………ええ、少し前に」  自分がされていたことについては、なにも言わない。しかし目は、その行為を続けて欲しいと訴えていた。  また、手を動かす。  舌を這わせる。  早瀬は気持ちよさげな吐息を漏らす。  わざと、激しいことはしない。ゆっくりと優しく、焦らすような愛撫を続ける。  寝起きのせいか、早瀬も積極的に動こうとはせず、黙って身を委ねている。  大きな手が頭に触れて、優しく撫でる。  そんな風に触れて欲しくはなかったけれど、口がふさがっているので文句も言えない。 「……今日も、暑くなりそうだな」  頭を撫でながら言う。 「いい天気だし、プールにでも行くか?」  関係を持ち始めてまる二ヶ月半で、初めての申し出。  思わず、口を離して訊ねた。 「…………なんのために?」  返ってきたのは、一瞬の、意外そうな表情。確かに、夏の晴れた日にプールへ行くのに特別な理由はないのかもしれない――普通の人の場合は。  だから早瀬も、返事を考えるのに数瞬の時間を要した。 「……えっと…………北川の、水着姿を見たいから?」  それは、男子高校生としてはもっともな意見かもしれない。  しかし、 「…………下着姿はもちろん、全裸もさんざん見ているのに、今さら?」  そもそも、セックスからはじまった関係なのだ。 「水着はまた別だろ」 「……だったら、次回は水着を持ってきましょうか? どんなのが好みかしら? 露出の多いセクシーな、ほとんどひも同然のビキニ? それともスクール水着? もっとマニアックに競泳用とか?」  水着はたくさん持っている。ただし、泳ぐために着ることなどほとんどない。 「どれもいいけど……、ここでじゃなくて、プールや海で、というところが重要なんだけどな」  言わんとしていることがわからないわけではない。  単に、場所と服装を変えてセックスしたい、というのではあるまい。それならばプールではなく、人気のない海まで足を伸ばさなければならない。おそらく、たまには普通の高校生カップルのようなことをしたい、というのだろう。  しかし、私はごめんだ。  私と早瀬は恋人というわけではない。単に身体を重ねるだけの関係だ。セックスしないのに一緒に過ごすなんて、時間の無駄以外のなにものでもない。  いや、特に早瀬だからというわけではない。早瀬に限らず、私にとって男性と過ごすというのは、すなわちセックスするためなのだ。  だから、言う。 「水着姿の私と一緒にいて、あなたは平気なのかしら? これ、すごく目立つと思うのだけれど?」  手と口で弄んでいたものの先端を、指先ではじく。  それは日本人離れしたサイズとスタミナを持ち、私の身体にすぐ反応してしまう、早瀬の欲望の塊。 「これが勃っていないところなんて、見た記憶がほとんどないわ」  いつも呆れるほどに元気で、凶悪だ。 「うーん……たしかに。プールで北川と……ダメだ、抑えきれる自信がまるでない」  真剣に悩んでいる。お気楽なものだ。  私はくだらない会話を打ち切って、また早瀬を口に含んだ。  さらにサイズと硬度が増している。これで荒々しく貫かれたら悲鳴も上げられまい。  もしかして、私の水着姿を想像した結果だろうか。そういえば、好みの水着は結局どのタイプなのだろう。  そんなことを考えながら、ゆっくりと、しかし根元まで呑み込む。喉をふさがれ、息が詰まる。吐き気が込みあげ、胃液が逆流しそうになる。  それでも口を離さない。唇で、舌で、内頬で、そして喉で、早瀬を感じる。  鳥肌が立つ。  吐き気をもよおすほどの嫌悪感。  早瀬に限らず〈男〉全般に対する私の感情。  なのに。  唇の、舌の、口中の、喉の粘膜は、男性器の感触に興奮し、感じている。  発狂しそうなほどのおぞましい感覚なのに、身体は快楽として受けとめてしまう。  下半身が熱くなっている。  花弁が潤い、蜜が滲み出てくる。  忌まわしい身体。  穢らわしい肉体。  男なんて。  セックスなんて。  大嫌いなのに。  反吐が出るのに。  なのに、感じてしまう。  どんな行為も、それが性欲に因るものである以上、反応してしまう。むしろ、嫌なことをされるほどに、感じてしまう。 「…………」  私の下半身も準備ができたようなので、口を離して身体の位置を変えた。  膝立ちになって、早瀬の上にまたがる体勢になる。  反り返ったペニスを掴んで、その大きく膨らんだ先端を、蜜を滴らせている割れ目にあてがった。  そうして、腰を落として挿入しようとしたところで。  いきなり、携帯の着信音が鳴りだした。  一瞬、動きが止まる。  早瀬も首を巡らせる。音の出所を確かめると、脱ぎ捨てられてあったスカートに腕を伸ばし、ポケットから携帯を取りだして渡してくれた。  受け取って、相手の名前を確認した。〈プライベート用〉の携帯だから、ごく限られた知り合い以外からの着信はありえないけれど、ひとりを除いて、相手によって着信音を変えるほどまめな性格はしていない。  微かに眉を上げる。  そこには、夏休み中に見るとは思わなかった、やや意外な名前が表示されていた。  受話ボタンを押して耳に当てる。 「…………なんの用?」 『ああ、生きてたか』  本気で安堵したような声が聞こえてくる。 『なにしろ北川のことだから、しばらく顔を見ないとちゃんと生きてるのかどうか不安になる』  遠慮のない物言い。  顔なじみの養護教諭、遠藤深春だ。  当然ながら、夏休みに入ってからは顔を見るどころか声も聞いていなかった。 「……不思議なことに、意外と元気よ。忙しい毎日を送ってるわ。アソコが乾くヒマもないくらいに」  電話しながら、また、身体の下にある早瀬に触れる。  手で愛撫する。 『今、なにしてた』 「……〈デート〉中? 現在進行形で」  今まさに、入口に触れているところだ。 『あ……電話、まずかったか?』 「……別に。そーゆーの、関係ない相手」  普段の援助交際であれば、その最中に電話やメールなどけっしてしない。それがマナーだと思っている。しかし早瀬に対して気を遣う理由は全くない。  もっとも、生殺しで焦らされている早瀬にとってはたまったものではないだろう。 「ちょうど……挿れようとしてた瞬間だったけれど」 『うわ、それはまた……』 「……オトコの上にまたがって……大きくなったアレが、入口に当たってるの。……んっ……」  携帯を耳に当てたまま、ゆっくりと腰を落としていく。 「……ぁ……入口が……拡げられて……、……っ、すごく……大きいのが……」  入って、くる。  膣口を痛いほどに拡げて、ずぶずぶと、私の中に埋まっていく。 「は……ぁ……すごい、……熱くて……私のな、か……、いっぱいになって……」  遠藤に対して実況中継しながら、早瀬を受け入れていく。電話の向こうからはなにも声が返ってこないけれど、ちゃんと聞いている気配はあった。  電話の相手が誰かも知らない早瀬は、困惑した表情を浮かべている。 「はぁぅっ……んっ!」  脚から完全に力が抜ける。  腰が落ちる。  内蔵が突き上げられる。  身体の内側から、圧迫される感覚。  早瀬も呻き声を上げる。電話を意識しているのか、かなり抑えた声だったけれど。 「おっ……くまで……はいっ、ちゃった…………。信じられないくらい……大きいのが…………あ、突き上げて、くる……」  ゆっくりと、腰を前後に振る。なにしろサイズがサイズだから、それだけでもものすごい刺激だ。  早瀬が私の腰を掴む。ゆっくり、しかし力強く、腰を突き上げてくる。  膣が突き破られるかのような感覚を覚える。 「……ぁっ……か、ぁ……あぁっ!」  一度、電話を顔から離して早瀬を見た。 (……う、ご、い、て)  声は出さずに、ゆっくりと唇を動かす。 (う、ん、と……は、げ、し、く……つ、い、て)  早瀬も声は出さずに「いいのか?」という表情を浮かべた。こくん、とうなずいて、また携帯を口に近づける。  腰を掴む手に力が込められる。指が喰い込むほどに。 「……あぁぁっっ! ……う……くぅ、……っ!」  いきなり、身体が弾むほどに激しく突き上げられた。  勢いあまって半分ほど抜けかけ、一瞬後、重力に引き戻されて深々と最奥を貫かれる。 「ひあぁぁっ! あぁぁ――っ! ……う……ぐぅぅ……っ」  二度、三度、そんな動きが繰り返される。 「や……だ、め……そんっあぁっ! は、げしいのっっ! 壊れるぅぅっ!」  身体が仰け反る。  意識が飛びそうになる。  なんとか意識をつなぎ止めるため、そして遠藤に聞かせるため、普段早瀬とする時にはありえない激しい声を上げる。 「すっ……すごいのっ! ねえっ、遠藤っ……聞いてる? すっごく大きいのが、私のまんこめちゃめちゃにしてっあぁぁっ! やぁぁぁぁぁ――っっ!」 『……ああ、ベッドがきしむ音まで聞こえてるぞ。大丈夫か?』  電話の向こうから聞こえてくる、相変わらず淡々とした遠藤の声。 「だ……いじょうぶ、じゃ……ないっ! ……だめっ……もうだめっ! 死んじゃうっ! もう……っ! 壊れて……っっ、だぁぁっ、めっっ! あああぁぁ――――っっっ!」  ひときわ長いストロークで突かれて、膣奥に噴き出してくる精液の塊を感じた瞬間、本気で達してしまった。  頭が真っ白になり、手から携帯が落ちたことにも気づかなかった。  早瀬の上に突っ伏すように倒れ込む。  胎内で脈打つ早瀬に合わせるように、二度、三度、身体が痙攣する。  いっぱいに拡げられたままの膣が、びりびりと痺れているように感じた。 「…………あ……ぁ…………」  そのまましばらく、真っ白な浮遊感に浸っていた。  しかしやがて電話のことを想い出し、手探りで携帯を探した。手に触れた硬い感触を拾いあげ、耳に当てる。 「……って感じの……毎日」  荒い呼吸を繰り返しながら言う。 『………………独り者には悩ましい電話をありがとう。少しだけ、ヘンな気分にさせられたぞ』  苦笑混じりの声が返ってくる。 『ところで北川、明日、ヒマあるか?』 「……明日……? なにか?」 『時間があるなら、一度、顔見せに来い』  ただでさえ、なにをしでかしているか心配な私。それに加えて今の激しいセックスによる擦過傷、あるいはこの後に切るであろう手首の傷……きっと、そうしたことを心配しているのだろう。  携帯のマイク部分を手で覆って、早瀬に視線を移す。  本当に微かな声で訊ねる。 「……明日の予定は?」  念のため、早瀬の名は呼ばない。  同様に小さな声が返ってくる。 「……午前中から部活」  そうすると、ここにいるのは長くても明日の朝までということになる。  だからといって遠藤のところに行かなければならない義理もないけれど、かといって断わる理由もない。  毎日電話されるよりは、一度顔を見せて安心させた方が煩わしくないのかもしれない。 「…………気が向いたら……そして、急な〈デート〉の誘いが入らなければ、ね」 『多少遅くなってもいい』 「私としては、遅くなるほど忙しい可能性が高いわ」  明日は平日だ。高校生は夏休みでも、お盆も過ぎたこの時期、〈パパ〉の多くは仕事中である可能性が高く、必然的に〈デート〉は夜となる。 『昼メシか三時のおやつくらいはご馳走してやるから、来い』 「高校教師の給料じゃ、あまり期待はできないわね。……じゃあ、明日、気が向いたら……昼過ぎに」  それだけ言って、電話を切る。  溜息とともに小さく肩をすくめて、携帯をスカートの上に放り出した。 「……誰?」  声のボリュームを普通に戻して早瀬が訊いてくる。 「…………遠藤」 「って、保健室の?」 「ええ……休み中に一度、顔見せに来いって」 「そりゃ心配なんだろ。北川、一学期は保健室の常連だったもんな」  確かに。  一学期中は、学校で切ったことも一度や二度ではない。  リスカ以外でも、前夜の〈デート〉のせいで気分が悪かったり、単に教室へ行くのが面倒だったりで、登校と同時に保健室に直行したことも少なくない。 「……そういうあなたも、遠藤の心配のタネのひとつだって自覚はあるのかしら?」 「え? あ……、そういやそうか」  気まずそうに苦笑する。  早瀬は、夏休み中もっとも多く身体を重ねた相手であり、かつ、今の〈実況中継〉の相手だ。早瀬と逢っていなければ、遠藤が顔をしかめるような行為の数も半減していたことだろう。  しかも、その回数は現在進行形で増えている。  その分だけ手首の傷は増え、同時に、目に見えずとも心が少しずつ壊れていく。  目に見える傷はまめに手当てする早瀬も、後者の傷には気づいていまい。 「……そういうわけで、とりあえず、明日の朝までは空いてるわ」 「それって……今夜も泊まっていくってこと?」 「……私がそのつもりじゃなくても、帰す気があったのかどうかは疑問よね」 「や、まあ……よっぽどのことがなければ、もう一泊してもらいたかったけど」  すぐに気を失ってしまった昨夜の行為だけでは、早瀬にとってはものたりないのだろう。  だけど、彼は気づいていない。  相手が誰であれ、男と身体を重ねるたびに、私が少しずつ壊れていくということに。 * * *  翌日――  学校を訪れたのは、午後もずいぶん遅くなってからだった。  電話では昼過ぎと言ったけれど、実際にはもう夕方に近い。  遠藤との電話の後、また、乱暴に犯されて。  そのままもう一泊して、一晩中、行為を続けて。  翌朝、早瀬は部活ということで、私を家まで送った後、そのまま学校へ向かった。  私は入浴して仮眠をとり、少し寝坊してこの時刻になってしまったというわけだ。  特に気乗りする用事でもない。すっぽかさなかっただけ上出来だろう。  待ちくたびれた遠藤が帰ってしまったことを半ば期待していたのだけれど、保健室のドアには鍵がかかっていなかった。ただし、ドアに掛けられたプレートは『Closed 急患は職員室へ』となっていた。 「久しぶり……少し、痩せたか?」  私を見て、遠藤は微かに眉をひそめた。 「…………本音を言えば?」  今の台詞は、やや控えめな表現だ。 「……少し、やつれたな」 「…………ここ数日、忙しかったから」  椅子に座っている遠藤の前に立って応える。 「たとえば?」 「三日間、軟禁状態で輪姦もののAV撮影。……帰ってきたら休む間もなく、手加減知らずの体力バカと二晩やりまくり」  それに対して遠藤は、呆れたような、そして哀れむような表情を見せた。 「私としては、もう少し健康に留意してもらいたいな」 「……してるわ、いちおう。…………死なない程度に」 「いや、そんな最低レベルじゃなくて、もう少し……」  遠藤は立ち上がると、私の身体に腕を回した。  普段、あまり表情を表に出さない遠藤だけれど、泣きそうな表情で、優しく抱きしめてくる。  私はからかうような口調になる。 「なぁに、私と、したいの? 遠藤ってそっちの趣味だったの?」 「……それも、いいかもな」  返ってきたのは、やや予想外の反応だった。 「少なくともその間は、乱暴な男たちとせずにすむだろう?」  思わず、溜息が漏れる。  まったく。  まだ、諦めていないのか。  まだ、私を更生できると思っているのか。 「……男に、乱暴に犯されるのが好きよ。同性に、優しくされるなんて興味ないわ」  しかし身体に回された腕は解かれない。薬品の匂いに混じって、男に抱かれている時とは違う、微かなシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。  遠藤は私を抱きしめたまま動かない。 「…………どうして、そんなにこだわるの? こんな面倒な生徒、放っておけばいいじゃない。……それとも、本当にレズ?」  身体が望みなら、相手をしないこともない。乱暴にしてくれるなら――という条件付きで。  しかし精神的な恋愛を望んでいるのなら、相手を間違えている。  セックスに関しては経験豊富すぎるほどの私だけれど、実をいうと純粋に同性との経験はなかった。乱交じみた多人数の〈プレイ〉の中で、同性と絡ませられた経験なら少なくないけれど。  私にとってセックスの定義とは〈男に陵辱されること〉だった。同性を求める理由はないし、少なからぬ対価を支払ってまで私を抱きたがる男性と女性では前者が圧倒的多数なのだから、意図的にしようとしない限り、同性とセックスする機会などありえない。  しかし、遠藤が同性愛者というのも違和感があった。私の台詞も本気ではない。 「別に、恋愛感情を持っているわけじゃない。だけど、放っておけないだろう。北川みたいな子を。……世の中、すべての人間が邪な下心を持って動いているわけではないぞ?」 「……私が知っている〈大人〉は、邪な下心を持って近づいてくる連中ばかりよ?」 「それは北川が、わざとそんな大人ばかりを見ているからだろう」  意図的にそうしているという自覚はなかったけれど、その言葉はおそらく真実だった。  それ故に、不愉快な台詞だった。  他人に、胸の内を見透かされるのは愉快なことではない。 「……遠藤……うざい」  腕を解こうとしない遠藤の耳元でささやく。 「目障りと思われても、いいよ。その他大勢として無視されるよりは」 「…………」  ――そう。  遠藤は私にとって〈背景の一部〉ではない数少ない人間のひとりだった。  だからこそ不愉快で、目障りな存在。  なのに、完全に排除することもできずにいる。  そんな自分の弱さに腹が立つ。  理解してくれる大人も、友達も、いらない。  すべてを拒絶したい。  私にとって心地よいすべての存在を、消し去りたい。  そんなものはすべて捨て去った……はず、なのに。  私を包み込む遠藤の温もりは心地よくて、だからこそ、吐きそうなほどに、目眩を覚えるほどに、嫌悪してしまう。  こうして抱擁されている状態を続けることは、精神衛生上いいことじゃない。  後で独りになった時に、自分自身を……その存在を、拒絶してしまいたくなってしまう。  しかしそれは〈安易な結末〉であり、絶対に受け入れられない。  こうした他人とのコミュニケーションは苦手だった。私は、セックスでしか他人とつながれないのだ。  一刻も早く離れたい。放して欲しい。しかし放してくれない。  仕方がないので、搦手を使うことにする。 「……ねえ」  少しだけ、甘えた声を出す。  〈パパ〉たちに対するような甘ったるい声ではないけれど、普段、学校にいる時の無機的な声とは明らかに違う声質。 「……また、薬、塗ってくれない? やりすぎて痛いのよ」  どこが、とは言わなかった。それでも通じる。  腕の力が緩み、遠藤が微かな苦笑を浮かべる。  私の考えなどお見通しなのかもしれない。仮にもちゃんと教育を受けたカウンセラーだ。他人の心に触れることは得意だろう。 「……そこに座ってろ」  ようやく腕を解いてベッドを指さし、薬を取りにいく。私は靴を脱いでベッドに上がり、ごろりと寝そべった。  横になると、とたんに眠気が襲ってくる。  学校へ来る前に仮眠したとはいえ、ここ数日の圧倒的な疲労と睡眠不足は簡単に解消できるものではない。  クスリを持ってきた遠藤がベッドの脇に立っても、そのまま横になっていた。自分から「薬を塗って」と言ったくせに、服は着たまま、脚も閉じたままだ。  遠藤は無言で、私を見おろしている。  しばらく、その状態が続く。  やがて、肩をすくめて小さな溜息をついた。  言っても無駄、とわかっているのだろう。なにも言わずにベッドの端に腰を下ろすと、スカートの中に手を入れてきた。  パンツに指をかける。 「……少し腰を浮かせてくれ。脱がされるのは慣れているんだろう?」  普段、表情を変えない遠藤だけれど、やや戸惑った様子で顔を赤らめている。さすがに、こんな風に女生徒の下着を脱がした経験などあるまい。 「……むしろ、剥ぎとられたり、破かれたりする方が慣れてるかも」  からかうように返すと、苦笑混じりに、微かに怒ったような表情を浮かべた。  手に力が込められる。強引にパンツを膝まで下ろされ、片脚を抜かれる。  スカートがまくり上げられて脚を開かされた時には、もう抵抗はしなかった。 「……なるほど、赤くなって、少し腫れてるな。痛いか?」  指先が触れた瞬間、思わず顔をしかめた。そこは何日にも渡って、何十回と犯されていたのだ。しかもとどめは早瀬の巨根。痛くないわけがない。 「…………痛いわ」 「だろうな」  軟膏をたっぷりと乗せた指が、そっと触れてくる。  擦り剥け、濡れた粘膜の上に、優しく塗り広げられる。 「……っ!」  触れられた瞬間、身体がびくっと震えた。手が反射的にシーツを掴む。  痛みと、そして快楽。  それはもちろん愛撫ではないけれど、反応してしまう。ここ数日やり過ぎだったせいか、身体がひどく敏感になっていた。 「感じやすいんだな」  蜜が滲み出てくるのを感じる。これだけ反応していては、感じていることは遠藤にも一目瞭然だろう。 「……触り方がいやらしいからよ。生徒に猥褻行為なんかしていいの?」 「これは〈治療〉だろう?」  悪びれずに反論する。 「猥褻行為というのは、こういうのをいうんじゃないのか?」 「――っ!」  突然、指が入ってきた。  ゆっくりと、優しく。だけどその動きは一瞬前までの〈治療〉とは明らかに違う〈愛撫〉に変わっていた。 「……んっ……く」  予想外の展開に驚きつつも、声が漏れてしまう。  括約筋が、条件反射のように遠藤の指を締めつける。女の細い指一本でも、痛みを感じてしまうほどに。 「……すごい締めつけだな。力を抜いた方がいい。痛いだろ?」 「…………痛いのが、いいのよ」 「そうか……。しかし、狭くて、複雑で……濡れた粘膜が指に絡みついてくるみたいだ。私のとはずいぶん違うな。……こういうのを〈名器〉っていうのかな? 男たちが夢中になるのもわかる気がする」  中を探るようにかき混ぜる指。それでも、壊れものを扱うように優しい動きだった。  顔が熱くなる。  呼吸が荒くなってくる。 「ぁ……え、遠藤……なに、してるの?」  いったい、なにが起こっているのだろう。  これは明らかに、性的な接触だった。これまで、いくら挑発してもこんなことは一度もなかったのに。 「あなた……やっぱり……?」  同性が好きなの? ……と、本気で思ったわけではないけれど、だからこそ面喰らっていた。 「まさか。……北川が、触って欲しそうな顔をしていたからだよ」 「……それだけで、教師の道を外れるの?」 「私は〈カウンセラー〉だから。その方が生徒のためになると思えば、法的、倫理的に問題があることだってするよ。……今日の北川には、こうした方がいいかもと思った」 「私は……もっと、激しく乱暴にされる方が……ぁ……好み、だわ」 「今日の身体の状態で、あまり激しくするわけにもいくまい?」 「こんな……ぬるい、愛撫じゃ……いけないわ」  これは、嘘。  乱暴にされることを望む私だけれど〈その方が感じるから〉ではない。単に〈快楽〉よりも〈苦痛〉を求めているだけのことだ。  正直なところ、かなり感じていた。  遠藤は、性行為の経験はそう多くはないのだろう。技術的には拙いといってもいいくらいの愛撫だったけれど、しかしそれが、自分でも意外なくらいに気持ちよかった。  私の体質である、粘性の低い愛液が溢れるように滲み出てくる。 「すまない。経験が少ないからな。ましてや、同性も生徒も初めてだから……。どんな風にすればいい?」  ここで「乱暴に陵辱して」などと言っても、そのリクエストには応えてもらえまい。  ならば、さっさと達してしまおう。それで遠藤も納得するはずだ。 「……舐めて。クリトリス舐めながら……中に、指、挿れて、動かして」 「わかった」  同性愛の趣味もないのに口でするなんて、少しは退くかと思ったのに、遠藤は躊躇いもなく下半身に顔を寄せてきた。 「……っ!」  舌が、触れた。  私を貪る男たちとは違う、どことなくぎこちない、おそるおそるといった動き。  クリトリスを舌先でつつき、優しく、すくい上げるように舐める。  びりびりとした刺激が身体を走る。 「ん……んふっ…………くっ……ぅん」  気持ち、いい。  だけど、今は〈学校モード〉だから、口から漏れる声は小さい。  それでも遠藤が勝手をつかんで舌と指の動きがリズミカルになってくるに従い、体温が上昇し、流れ出る蜜の量が増えてきた。お尻の方まで滴り落ちているのを感じる。  執拗に、クリトリスを責め続ける遠藤。膣内の指の動きは、腫れている部分を避けるためかゆっくりと優しい。 「……っ、んっ…………っ!」  自分の手の甲を噛んで、声を抑える。  ぴちゃぴちゃと、舐める音が聞こえる。  膣内をゆっくりと往復する指。その動きに合わせて腰が蠢いてしまう。  高まっていく、快感。  それに比例するかのように、増大する違和感。  相手が男ではないせいか、いつもの、鳥肌が立つような嫌悪感があまり湧いてこない。そのため、セックスしているという感覚が希薄だった。  現実の出来事ではないみたいなのに〈快楽〉は確かに存在している。  存在していて、どんどん、膨らんでくる。 「……っ、――――っ!」  それが、一気に臨界点を超えた。 「んぅ……っっ!!」  口を押さえていた自分の手を、血が滲むほどに噛む。  全身を弓なりに反らせる。  膣が収縮し、やがて、全身から力が抜けていく。 「……ぁ…………は……ぁぁ……」  息を吐き出す。  達して、しまった。  遠藤の愛撫で。  正直なところ、予想していたよりもずっと感じてしまった。優しい愛撫故の物足りなさもあったはずなのに、気持ちよかった。  だからこそ、屈辱だった。  声は抑えていたけれど、達してしまったことは遠藤にもわかっただろう。その証拠に、指の、舌の、動きが止まっている。  遠藤と目を合わせないように、寝返りをうって横向きになる。その隣に添い寝するように、遠藤もベッドに上がってくる。  一瞬だけ見えた顔には、達成感を含んだ笑みが浮かんでいた。  腹が立つ。  しかし、ここで今さら感じていなかったふりをしても無駄だろう。誤魔化せないくらいに反応してしまった自覚はある。しらばっくれても、自分の子供っぽさを強調するだけだ。  負けは負け。認めた上で、別な方法で反撃するしかない。 「……さほど期待もしていなかったけれど、意外と、感じてしまったわ」  いつものように、無機的な、素っ気ない口調で言う。 「そうか。正直、まったく自信はなかったんだが……それならよかった」 「遠藤、本当にこっちの方が向いてるんじゃない? 宗旨替えしたら?」  彼女が、異性にはさほどもてないであろうことを皮肉っての台詞。  向こうからもからかうような軽口が返ってくる。 「そうしたら、北川が〈彼女〉になってくれるか?」 「……私は、ペニスの生えていない生き物に用はないわ」  さらに言えば、私を陵辱してくれない生き物にも用はない。  ベッドの上で上体を起こすと、苦笑している遠藤の顔が目に入った。腹を立てていることを示すために、唇を軽く尖らせてみせる。 「…………あと、これが重要なんだけど」  言いかけたところで、脚に引っかかっていた下着に気づき、そのまま脚を振って脱ぎ捨てた。こんなもの、邪魔だ。 「うん?」 「気持ちよかったのは事実だけれど、こういうことをされたかったわけじゃないわ。その点では、レイプと同じよ?」  実際、ひどい屈辱を受けた気分だった。普段の援交やAV撮影よりも、ずっと。  遠藤は、男たちとは違う。私を〈求めている〉わけではない。  援交の〈パパ〉はもちろん、AV男優だって、私を前にすれば性欲を抱く。  しかし遠藤は違う。  同性愛者ですらない。  なのに、私を犯した。  そのことがひどく癇に障った。 「……そうだな、すまなかった」  その口調、その表情。  私のこうした反応も、予想の範疇といわんばかりの余裕が感じられた。 「どう償えばいい?」  面白味がない。  すべてが予想のうち。  すべてが覚悟の上。  そんな態度に怒りすら覚える。  では、その覚悟とやらを見せてもらうとしよう。 「……私が、遠藤を〈レイプ〉するわ」  きっぱりと宣言した。  しかし遠藤は表情を変えない。 「わかった。でも、それはレイプになるのかな?」  口元には微笑すら浮かんでいる。 「……どういう、意味?」 「拒絶、しないから」 「…………それも、今だけよ。私は遠藤みたいなぬるい責めはしない。女として使い物にならなくなっても知らないわよ?」 「……お手やわらかに」  表情が変わる。とはいっても、微笑が苦笑に変わっただけだ。 「それで、私はどうすればいい?」  返事はせずに、立ち上がった。  保健室のドアを内側から施錠する。 「ここでするのか? 今日は非番だから、別のところに移動しても構わないが」  非番?  だとすると、わざわざ私のためだけに学校へ来たということになる。物好きなことだ。 「……そうね。ホテルなら、なんの遠慮もなしに悲鳴を上げさせられるわね。たとえ……」  嗜虐的な笑みを浮かべて言う。 「他でなら通報されそうな絶叫だって」  遠藤としても、同僚や生徒に見られる危険のある校内よりも、その方が安心だろう。  しかし。 「ここで、するわ」  強い口調で宣言した。 「……遠藤はここで、生徒にレイプされるの。これから毎日、ここで過ごすたびに、そのことを想い出すのよ」  私のように……という台詞は声に出さずに呑み込んだ。  ベッドに近寄り、腰掛けていた遠藤の肩を押す。遠藤は逆らわず、ゆっくりと仰向けに倒れた。  視線を動かして室内を見回す。机の上のペン立てに、目的のものを見つけた。  それを……ごくありきたりな鋏を、手に取る。  仰向けになった遠藤の顔に突きつける。 「……おとなしく……いうことをききなさい」 「別に、そんなことしなくても……」 「これは〈レイプ〉だから」  合意の上で、納得した上で、のセックスではない。  力ずくで、暴力的に、遠藤の意志を無視して、陵辱するのだ。  自ら身体を開いたのではなく、凶器を突きつけられて強要された、という事実が重要だった。  私との行為で乱れたベッドに横たわっている遠藤。ただでさえ艶っぽさのない顔と体型に、地味なブラウスと膝丈のスカートという服装だけれど、辛うじて、羽織っている白衣という〈アイテム〉が、わずかながら色気を醸し出しているといえないこともない。  そんなことを考えながら、自分の鞄からあるものを取り出す。  それは、手錠。  援交の時に使うこともあるかと、普段から持ち歩いていることが多い。たまに、自慰の時にも使う。  それを、三個。  ひとつを遠藤の左手首に嵌め、万歳するように両腕を上げさせて、短い鎖をベッドのフレームに通して左手首に嵌めた。これで腕は動かせない。  残りふたつはそれぞれ両脚首に嵌め、脚を開かせてフレームにつなぐ。  これで完全に身体の自由は奪った。  ベッドの端に腰掛け、無表情に遠藤を見おろす。  彼女の顔には、少しだけ困惑と不安の気配があった。アブノーマルなセックスの経験はないと言っていた遠藤だから、手錠でつながれたことなど初めての体験だろう。  腕を伸ばして、ブラウスの襟を掴む。  乱暴に引っ張る。  ボタンがいくつかはじけ飛んだ。  お世辞にも豊かとはいえない胸を包んでいるブラジャーは、レースつきの意外とお洒落なものだった。地味な服装とはあまり釣り合っていない。  ブラジャーのカップをずらす。  胸が露わにされる。 「……胸、小さいのね」  もともと小柄な体格の遠藤である。しかしそれを差し引いても、控えめな膨らみだった。  遠藤よりもさらに小柄な私の方が、胸はずっと大きい。もっとも、華奢な身体を考えれば、私の胸は〈巨乳〉と表現してもいいサイズであり、それと比べるのは可哀相だろう。  そのささやかな膨らみに触れる。  手加減などせずに、力いっぱい鷲づかみにした。 「う……っ、く……っ」  遠藤の顔がわずかに歪む。  なんの遠慮も気遣いもなく、乳首をつねる。  さすがに痛そうな表情だ。しかし唇を噛んで、苦痛の声を上げまいと堪えている。  一度、手を放す。  浅い谷を越えて、もう一方の胸へと指を滑らせる。  私の小さな手にもすっぽり収まる膨らみに、爪を突き立てた。 「――っっっ!」  長めに切り揃えて、綺麗に研ぎ、磨いてある爪。  血が滲むほどに、肌に喰い込んでいく。  その手を緩めずに、もう一方の手でスカートをまくり上げた。  姿を現したパンツは、ブラジャーとお揃いの、普段の遠藤を考えればかなりお洒落でセクシーなものだった。  ブラジャーに引き続き、これは意外だった。  普段の遠藤の洒落っ気のなさを考えれば、ブラとパンツの色さえ違っていても驚かなかっただろう。なのにきちんとお揃いで、真新しい、普通の女性ならデートで勝負下着として着けるような品だった。  こう見えて、実は見えないところのお洒落に気を遣う性格だったのだろうか。本当は派手好きなのに、教師という立場上、目に見える服装はあえて地味にしていたのだろうか。  それとも……  ふと、気がついた。  まさか。  もしかして。  今日、こうした展開になることも予想しての下着の選択だったのだろうか。  だとしたら、今の私の行動も遠藤の掌の上で踊らされていることになる。  それは愉快なことではない。  だから、陵辱したくなってしまう。  パンストの股の部分をつまんで引っ張り、鋏を突き立てた。  ……シャキン。  金属の擦れ合う音。  直に肌には触れていないが、それでも遠藤はびくっと震えた。  薄いナイロンの生地が、なんの抵抗もなく裂けていく。  さすがに、いくぶん怯えたような表情を浮かべている。  いくら気丈でも、たとえ心構えができていても、刃物に対する本能的な恐怖心は拭えまい。私と違って、こうした行為に慣れてもいないはずだ。  私も最初の頃は、こんな、母親とはぐれた仔犬のような表情を浮かべていたのだろうか。  その時は凶器を突きつけられていたわけではないけれど、相手に逆らえないという点では状況は同じだった。今の遠藤と違い、心の準備すらできていなかった。  だからといって、この表情をさせただけで満足するわけではない。  もっと、陵辱したい。  泣き出すまで。  泣き叫ぶまで。  そんな衝動に駆られてしまう。  手の動きを止めず、パンツに鋏を入れる。  二度、三度、音を立てて閉じる鋏。  しんとした保健室に、無機的な金属音が響く。  遠藤の顔が強張る。  セクシーな下着が、ばらばらの端切れに変わる。  どちらかといえば浅黒い遠藤の顔が、はっきりとわかるくらいに紅く染まっていた。  下着が切り落とされて露わにされた局部。  そこを男の目に曝した経験はもちろんあるのだろう。だけど、こんな状況で、しかも場所は自分の職場、相手は生徒でしかも同性とあっては、平然と顔色ひとつ変えずにいられるわけもない。  他人にいちばん見られたくない部分を、手脚を拘束されて隠すこともできず、無防備に曝されているのだ。  私としても、同性のそこをまじまじと見る機会は珍しい。女性を含む多人数の〈プレイ〉の経験はあっても、そんな状況でも私は基本的に責められる側だった。  遠藤のそこは、陰毛はかなり薄めで、地肌が透けて見えていた。面積もさほど広くはない。剃り跡も残っていないから、もともとの体質なのだろう。  こんな薄いヘアでは、その下の陰部も隠せていない。  体格同様、そこもやや小ぶりな印象だった。肌は地黒ではあるけれど、それを除けば形も色も綺麗で、それほど使い込んではいない印象だ。  もっとも、見た目はあまり当てにはならないのかもしれない。  使い過ぎなはずの私も、そういう体質なのか、色素の沈着も型くずれもない。もともとが病的なほど色白なので、綺麗な淡いピンク色をしている。しかも無毛とあって、男たちは「子供みたい」と口を揃えて言う。  遠藤も、子供みたいとまではいかないまでも、実年齢よりは幼い印象を受ける。  その、薄いヘアを見ていて、ふと思いついた。  ただ犯しただけではたいして堪えまい。女同士では妊娠の危険もないのだから。  だから、もっと恥ずかしい〈証〉を残してやろう。  一度、立ち上がる。  保健室という場所柄、室内には手や傷を洗うための洗面台があり、除菌ソープのボトルが置かれていた。  手を濡らし、石鹸をたっぷりと泡立てる。 「……北川?」  訝しげな表情を見るに、まだ、なにをしようとしているのか気づいていないようだ。  ベッドに戻り、泡まみれの手で遠藤の下腹部に触れる。淡い茂みに覆われた恥丘に石鹸を塗り広げる。 「……北川、まさか……」  ようやく私の企みに気づいたのか、顔色が変わる。  たいていの女性にとって、それはただ犯されるよりもよほど羞恥心を煽られる行為だろう。  鞄から、愛用の剃刀を取り出す。  遠藤の、白い泡に覆われた下腹部に当てる。  びくっと震える身体。  手にしているのは、普段は〈切る〉ために用いている道具だ。しかし、こちらの方が本来の用途に近い。  刃を寝かせ、縦に滑らせる。刃の動きは、普段と方向が九十度違っている。  切る方向ではなく〈剃る〉方向。  ざらざらとした感触が手に伝わってくる。  微かな呻き声が上がる。  二度、三度、剃刀を往復させる。その度にざらついた感覚は少なくなり、刃がなめらかに滑るようになる。  数分後、剃り落とされた毛と残った泡をティッシュで拭うと、そこを覆っていた淡い茂みはきれいさっぱり姿を消していた。 「……私とお揃いね」  すべすべの恥丘を指先で撫でる。 「子供みたいで可愛いわよ?」  遠藤は無言だった。  さすがに、これまでになく表情が硬く、唇はぎゅっと噛みしめられていたけれど、その頬は紅かった。 「じゃあ……記念写真」 「……ッ!」  携帯を取りだし、曝け出された下腹部を正面から写真に収めた。  顔を背ける遠藤。それでもなにも言わずに唇を噛みしめている。  たいした自制心だ。だからこそ、苛め甲斐がある。  どこまで耐えられるか……と、撮ったばかりの写真を顔の前に突きつけてやった。  顔の赤みが増す。恥ずかしさの中に、微かに怒りと怯えがブレンドされた複雑な表情を浮かべている。 「……遠藤って、今、オトコいるの?」 「…………幸か不幸か、独りだ」  怒りを抑えているためか、それとも羞恥心のためか、微かに声が震えていた。 「……残念」  肩をすくめて、携帯をポケットにしまう。 「彼氏にどう言い訳するのか、聞いてみたかったのに」 「正直に言うさ。ちょっと倒錯した趣味の女生徒にやられたって」 「……つまらないわね。もっと恥ずかしがってくれてもいいのに」  ここまでのところ、かなり気丈に振る舞っている方だろう。 「これについて、正直な感想は?」 「……正直に言えば、死ぬほど恥ずかしい。今夜ほど、感情があまり表情に出ない自分をありがたく思ったことはない」 「そう?」  さらけ出されている割れ目に触れた。小さな割れ目を指で拡げると、中はかなり潤いを帯びていた。 「……少し、濡れてるわ。私を犯していたから? それとも……剃られて興奮したのかしら?」 「…………両方……かな」  あまり女らしくない遠藤も、こうしたところはちゃんと〈女〉のようだ。 「……まったく濡れていないところに、無理やりねじ込んでやるつもりだったのに」  言うと同時に、中指を一気に奥まで挿入した。 「――っっ!」  短い悲鳴が上がる。  それなりに濡れていたとはいえ、まったくほぐされていない状態で、私のように頻繁に使っているわけでもなく、そもそも経験が少ないのだ。私の細い指の一本でも、いきなり挿れられたらそれなりに痛いだろう。  もちろん、それが目的だ。  私は遠藤を〈レイプ〉しているのだ。気持ちよくしてやる必要などない。ただ乱暴に陵辱すればいい。  それでも指を動かしていくと、一往復ごとに潤いが増し、滑りがスムーズになってきた。  親指の腹をクリトリスに押しつけて刺激しながら、深く挿入した中指で膣内をまさぐる。  一分と経たずに、蜜が溢れだして手を濡らすようになった。  固く閉ざされていた唇が、濡れた花弁と同調するように開かれる。そこから漏れる呻き声は甘く鼻にかかって、普段のハスキーな声に比べるとオクターヴが高くなっていた。  それに混じって聞こえてくる、くちゅくちゅというぬめりを帯びた音。  私よりも粘性の強い音だった。  遠藤が言っていた通り、確かに、中の感触は私のそれとずいぶん違う。  体格が小柄で、経験も少ないせいだろうか。まずとにかく小ぶりで狭い印象だった。私の〈締まりがいい〉のとはまた違う、絶対的なサイズの差だ。  そして、膣壁がやや固い印象を受ける。これも、指に絡みつくような自分の感触とは違っている。  とある〈パパ〉が「女の子のあそこはひとりひとり作りが違うし、もちろん挿れた時の感覚も違う」と言っていたことを想い出しながら、指を動かす。  中がほぐれてきたところで、中指に続いて人差し指も挿入した。 「……あっ……く……ぅんっ、…………ぁんっ!」  女同士の経験は少ないとはいえ、どこをどうすれば女の身体が感じるかはよくわかっている。本気で感じさせるために指を動かすと、遠藤は両手両脚を拘束されたまま激しく身体を捩らせた。  声は必死に抑えようとしている。保健室の外に声が漏れないようにという配慮か、あるいは生徒に犯されて本気で感じてしまうことに抵抗があるのかもしれない。  遠藤の反応を見ながら、指の動きを速めていく。  中が熱くなってくる。  充血した粘膜が指を包み込む。  身体も汗ばんで、呼吸が荒くなってくる。  顔も、はだけた胸も、赤みを増してくる。 「……っ、あぁっ! あぁんっ! やっ……だっ……め、あんっっ、あんっ!」  執拗に愛撫を続けていると、ついに堪えきれなくなったのか、口を大きく開いて喘ぎはじめた。  こうなったらもう抑えられまい。  まず一度、いかせるつもりだった。そのつもりで愛撫していた。遠藤にとっては、乱暴に痛めつけられるよりも〈生徒に犯されていってしまった〉ことの方が屈辱的に違いない。  指を強く押しつけて、クリトリスとGスポットを重点的に刺激する。フィニッシュに向けて指を加速していく。  激しい指の動きに、愛液が飛沫となって飛び散った。 「ああぁっ! あぁんっ! あぁぁんっ! あぁぁぁ――っっ!」  ベッドの上で身体が弾む。  鎖ががちゃがちゃと鳴り、ベッドが軋む。  絶叫とともに痙攣する身体。  快楽の極みに達して、一瞬、全身の筋肉が硬直し、やがてぐったりと弛緩していく。  肺の中の空気が吐き出されていく。  焦点の合わない目が、ぼんやりと見開かれている。  そこに意志の光が戻ってくるに従って、顔が真っ赤に染まり、恥ずかしそうに視線を逸らした。  意外と可愛らしい反応をするではないか。特に、声が普段とはぜんぜん違う。 「……遠藤ってば、感じやすいのね。むしろ、不感症なのではないかと思っていたのだけれど。……可愛い声だしちゃって……オトコの前でもこんな感じなの? 実は、ベッドの上では乱れるタイプ?」  わざと、羞恥心を煽るようなことを言う。遠藤は赤い顔で唇を噛んだ。 「…………私の……そう多くない経験の中では……北川が、いちばん……、上手だった」  やや悔しそうな口調だった。 「……そう、ずいぶん楽しんだようね? ……でも、それじゃあ〈レイプ〉にならないわ」  遠藤の中には、まだ二本の指が入ったままだった。彼女には、このくらいがいちばん気持ちのいい、ちょうどいいサイズのようだ。  そこへ、さらに指を追加した。  人差し指と中指に加え、薬指を添えて挿入する。  三本になると、ややきつい。顔を微かに歪める。 「……んっ……んくっ…………ふ……ぅんっ」  それでも三本の指で小刻みに中をかき混ぜると、やや苦しそうな表情を見せつつも、すぐにまた喘ぎはじめた。  指三本で、ちょうど隙間なし、中はいっぱいいっぱいという感覚だ。  しかし、それで容赦はしない。  さらに小指まで押し込んでいく。  そうなると明らかに苦しそうな表情を見せた。 「き、たがわ……、さすがに……それは、無理……」  これ以上は無理、というところまで拡げられた膣口。  痛いほどに引き延ばされた粘膜。  見るからに痛そうではあるが、もちろんすぐに許してやったりはしない。 「無理? ここは子供を産むための器官でしょう?」  新生児の頭だって、私の指四本よりははるかに大きい。多少痛くたって、まだまだ大丈夫なはずだ。  ぐいぐいと押し込む。  指が、痛いほどにぎゅうぎゅうと締めつけられる。しかし挿れられている方はもっと痛いのだろう。 「……それに、私が今朝まで挿れられていたものは、もっと大きいわ。私のことを理解したいのでしょう? 私がされていること……疑似体験、させてあげる」  四本の指をねじ込む。  短い悲鳴が断続的に上がる。 「……ねえ、遠藤……フィストファックって、経験ある?」 「――っ! 北川……っ、それはっ!」  経験などあるわけがない。  ごく普通のセックスだって、それほど経験豊富とは思えない遠藤なのだ。  五本目の、そしていちばん太い指の先端が入口に触れた時、顔にはっきりと恐怖の色が浮かんだ。  なんとか逃れようと身体を捩っているが、強引にねじ込んだ四本の指はそんなことでは抜けない。 「…………大丈夫。私の腕、細いもの。よかったわね、私が華奢で」  もちろん、それでも手首のいちばん細い部分でさえ、平均的日本人のペニスよりはすっと太い。  五本の指を束ねて、ゆっくりと、しかし渾身の力で押し込んでいく。 「イ……や……だ、め……っ! 無理……い、痛っ!」  限界まで拡がって、めりめりと音を立てそうになっている膣口。それでも手はミリ単位で進んでいく。  自分の中に限界サイズのものを挿入されたことはさんざんあっても、他人のそれをこんな至近距離で見る機会などあまりない。一種、異様ともいえる光景だった。 「や…………ア、あぁっ! く、ぅぅ……っ!」  親指の付け根の関節の、いちばん太くなる部分の手前で動きが止まる。  ここまでが限界だろうか。膣の粘膜は引き裂かれそうなほどに引き延ばされている。  しかし、容赦はしない。  小さく深呼吸。  勢いをつけて、渾身の力で最後の数ミリを一気に押し込んだ。 「ひぎぃああぁっっ! あぁぁぁ――っっ!」  絶叫が響きわたる。  廊下に人がいれば、はっきり聞こえていたに違いない。声を抑える余裕などなかったのだろう。  無理もない。  私の右手は、手首まで遠藤の中に埋まっていた。  中の圧迫感はすごい。本当に一ミリの余裕もなく、痛いほどに締めつけられている。 「うぐ……あ、は、ぁ…………うぅ……」  苦しそうに呻いている遠藤。  今にも裂けてしまいそうに見える。  だけど、まだ、終わらせない。  ただ挿入しただけで終わりにはしない。 「ひぃぐぅぅっっ!」  体重を乗せて腕を押し込む。  しかしもう、これ以上は進まない。行き場のない運動エネルギーは、痛みとなって遠藤を襲う。  続いて、逆に引き抜こうとする。しかし、拳が引っかかって抜けてこない。  立て続けに悲鳴が上がる。きっと、身体の内側を引きずり出されるような感覚だろう。 「やっ……だめっ、……う、ぐぅ……おねが、い……」  挿入しただけでもいっぱいいっぱいで、動かす余裕はほとんどない。それでも腕を前後に揺する。  ひと突きごとに、速く、激しく。  早瀬に犯されている時の感覚を想い出して、遠藤の身体を力まかせに陵辱する。 「――ッ! ――っっ!」  もう、悲鳴は声になっていない。ひゅうひゅうと喉が鳴るだけだ。 「すごいでしょう? 一晩中、こんな風にされていたの」  私は汗ばんで息を弾ませていた。私の体力では、これは全身運動だった。  遠藤は、涙と、涎と、鼻水で、顔をくしゃくしゃにしている。  潮吹きか失禁か、下半身からも透明な飛沫が舞い散っている。  そこには、微かに鮮血が混じっていた。 * * *  乱れたベッドの上に、遠藤がぐったりと横たわっている。  焦点の合わない、虚ろな瞳で。  涙と、涎と、鼻水の痕が残る顔で。  爪の傷痕が刻まれた胸。  乾いた血がこびりついた性器。  その下のシーツも、体液と血の痕で汚れていた。 「…………これに懲りたら、頭のおかしい生徒なんて放っておくことね」  遠藤を拘束していた手錠を外しながら言う。  身体が自由になっても、すぐには動く元気もないようだった。あれだけされたら、心身ともにダメージは小さくないだろう。  私にとって、数少ない〈味方〉だったはずの遠藤。  しかし狂った私は、味方であるが故に、壊してしまう。 「よけいに……放っておけないだろう」  微かに動く唇から、力のない声が発せられる。  上体を起こそうとした遠藤は、しかし痛みのためか、顔を歪めてまた倒れ込んだ。 「北川……は……いつも、こんなことを……されているんだろう? ……そんなの、放っておけるわけがない」 「……!」  頭が、かぁっと熱くなった。  手のひらに爪が喰い込むほどに拳を握りしめる。  なんなのだろう、この女は。  これだけひどい辱めを受けながら、なおも私を気遣おうというのか。  聖人君子でも気どっているつもりか。  どうしてか、無性に怒りを覚える。それはおそらく八つ当たりなのだけれど、自分を抑えることができなかった。  ベッドの上に放り出してあった剃刀が目に留まる。衝動的に拾いあげ、まだ力なく投げ出されていた遠藤の腕を掴んだ。  その手首に刃を当て、手に力を込める。  瞬間、「しまった」と思った。  怒りにまかせての衝動的な行動だった上に、他人の手ということで、力加減を誤った。  動脈を切るほどではないだろうけれど、普段のリストカットよりも明らかに傷が深い。たちまち、冗談では済まされない量の鮮血が溢れてきた。 「……」  その血を見た瞬間、手から力が抜けた。  剃刀が乾いた音を立てて床に落ちる。  遠藤はベッドに横たわったまま、手を顔の前に持っていて、傷口をぼんやりと見つめていた。 「痛い……な」  力のない声で、他人事のようにぽつりとつぶやく。 「……毎日のように……こんな痛い目に遭ってるんだ、北川は?」  静かな口調。  優しい視線が私に向けられる。  もう、限界だった。  私はぎゅっと唇を噛むと、そのまま保健室を飛び出した。 * * *  学校を飛び出した後、どこをどう走ったのだろう。  暗くなった空の下、気がつくと学校からはずいぶん離れていると思われる住宅地の路地を歩いていた。  前から、こちらに歩いてくる人影がある。同世代らしい女の子だ。  薄暗くて顔はよく見えないけれど、なんとなく見覚えがあるような気がする。  もう少し近づいたところで、それが〈茅萱カヲリ〉だと気がついた。  向こうもこちらに気がついたらしく、一瞬、驚いたように目を見開き、すぐに強張った表情に変わった。  不快そうなきつい視線を私に向けてくる。クラスメイトの多くが私を見る時の目よりも敵意がこもっているように感じられるのは、私の側の心理的な要因によるものだろうか。  無視して、すれ違う。  直後、茅萱の足音が止まった。  背後からの視線を感じる。  それでも、そのまま歩き続ける。  茅萱と会ったことで、ここが、早瀬の家の近所だと思い出した。関係を持ち始めたばかりの頃、道に迷ってさまよった時に見覚えのある街並みだ。  もしかしたら、彼女も早瀬の家からの帰りなのかもしれない。幼なじみで近所に住んでいると、早瀬から聞いた覚えがある。  しかし、それにしては帰りが早くはないだろうか。同世代との男女交際の経験がないのでよくわからないが、空が暗くなっているとはいえ、高校生が〈彼氏〉の家から帰る時刻ではないように思う。  それに、早瀬に送られていないことにも違和感がある。私でさえ、いつも送っていく早瀬なのに。  もっとも私の場合、自力では歩けない状態だから、という理由もある。  あるいは、送っていく必要もないほどの近所なのかもしれないし、今は早瀬の家からの帰りではないのかもしれない。  真相がどれであれ、私には関係ない。  角を曲がり、茅萱の視線から外れる。無意識のうちに、足は自然と早瀬の家へと向かっていた。  冷静さを取り戻した私は、体調がかなり悪いことに気がついた。  気分が悪い。  吐き気がする。  頭も痛い。  目眩がして脚がふらついている。  ここ数日の睡眠不足と疲労に加え、今日の精神的な影響が大きいのだろう。  すぐに、まっすぐ歩くこともできなくなってきた。  数歩ごとに塀に手をついて立ち止まり、呼吸を整える。  これでは、いつまでも歩いていられない。  かといって、家にも帰れないのだと思い出した。  私は、手ぶらだった。  鞄は保健室に放り出してきてしまった。そして家の鍵と、なによりも財布が鞄の中だった。  ポケットの中にあるのは携帯電話だけで、そういえば、制服のミニスカートの下は下着すらつけていなかった。  だからといって、学校に戻るという選択肢はもちろんなかった。遠藤だって、もう残っていないかもしれない。非番だと言っていたから、私がいなくなった以上は学校にいる理由もないはずだし、なにより彼女は、急いで病院へ行かなければならない状態かもしれなかった。  今、行くあてといえばひとつだけ。  その場所で立ち止まる。  そこで、我に返った。  どうして、当たり前のように早瀬の家へと来てしまったのだろう。  そもそも、学校を飛び出してこの住宅地に来てしまったのは偶然なのだろうか。  冗談じゃない。  早瀬に逢いたいのか――自分に問う。  否、そんなことはない――即座に否定する。  視線を上げる。  早瀬の部屋にだけ、明かりが灯った家。  彼は家にいて、家族は留守。  無意識のうちに、携帯を取りだして視線を落としていた。  一瞬後、その動作の意味に気づく。  もしかして、携帯が鳴り出すことを期待しているのだろうか。  冗談じゃない!  いま早瀬に電話すれば、すぐ家に招き入れられ、犯されることができるのだろう。その展開は容易に想像できる。  犯される。  陵辱される。  陵辱、してもらえる。  痛いほどに。  泣き叫ぶほどに。  それこそが、今、なによりも求めているものだった。  渇きにも似た苦しさを覚える。  〈痛み〉が欲しい。  〈罰〉が欲しい。  〈罪〉を犯したら〈罰〉を受けなければならない。  今日、私のことを気遣う教師を傷つけた。  その報いを受けなければならない。  誰か、私に〈罰〉を与えて欲しい。  早瀬に、逢いたい――  心底、そう思った。  陵辱して欲しい。  泣くほど痛めつけて欲しい。  精神が、身体が、ぼろぼろになるまで犯して欲しい。  手が、脚が、震えている。  苦しくて仕方がない。  鞄が手元にないことが、今、私を苛んでいる苦しみの原因のひとつだった。  剃刀がない。  だから、自分を罰することができない。  左手首の傷が疼く。  爪でかきむしりたくなる。  早瀬に、逢いたい。  彼なら、一時的とはいえこの苦しみから解放してくれる。  剃刀の小さな傷なんて比べものにならないほどの痛みを、苦しみを、与えてくれる。  早瀬から与えられる痛みは、歯をくいしばって耐えればいい肉体的なものだ。どんなに痛くても、耐えられる。  しかし、いま心を蝕んでいる痛み、苦しみには、そう長くは耐えられない。  壊れてしまいそう。  壊れてしまう。  その前に――逢いたい。  簡単なことだ。手の中にある携帯のボタンをいくつか押すだけでいい。  なのに、動けなかった。  手が、動かなかった。  どうしてだろう。  茅萱の姿を見てしまったから?  本命の〈彼女〉に悪いと思っているから?  そんな罪悪感など、私には無縁のはずだ。いつも、妻子持ちの〈パパ〉たちと身体を重ねているのだから。  早瀬に逢いたい。  逢いたくない。  早瀬に犯されたい。  男に触れられるなんて冗談じゃない。  相反する想い。  理性と本能がせめぎ合う。  がたがたと身体が震える。歯がかちかち鳴る。  寒い。  真夏だというのに、凍えそうなほどに寒い。  目眩がする。  視界が揺れる。  脚が震えて力が入らず、今にも倒れそうだ。  脂汗が噴き出してくる。  胃の内容物が逆流する。  早瀬に逢えば、早瀬に貫かれれば、すぐにも解放される――はず。  なのに、動けない。  私は固まったように、路地に立ち尽くしていた。  いっそ、早瀬が気づいてくれれば。  早瀬に気づかれる前に立ち去りたい。  相反する想い。  門の前で硬直したまま、表札を睨みつける。  しかしやがて、立っているのも辛くなってその場にうずくまった。  苦酸っぱい胃液が口から溢れる。  視界が暗くなる。  もう、立ち上がる気力もない。  不意に、周囲が明るくなった。車のライトだ。小型車のものらしいエンジン音が近づいてくる。  立ち上がって避けることもできなかったので、クラクションを鳴らされるかと思ったけれど、もともとさほどスピードを出していなかったらしい車は、目の前で静かに停まった。  ドアが開く音がする。 「どうしたの、あんた……あれ、あんた……?」  聞こえてきたのは、若い女性の声だった。なんとか顔を上げたけれど、ライトの逆光で顔はよく見えなかった。 「あんた……可奈ちゃん、だっけ? どうしたの?」  私の名ではない、しかし私が時々名乗る〈源氏名〉のひとつで呼ばれた。この状況で、それが偶然の人違いである可能性は低いだろう。  その女性は傍らに屈んで、肩を抱くようにして支えてくれた。 「大丈夫? また具合悪いの?」 「……誰?」  私の名前のひとつを知っていて、なおかつ「また」というからには、知っている人間なのだろう。  長い髪の、二十歳くらいの女性だった。そこそこ美人だけれど、どことなく陰性の雰囲気をまとっている。  どこかで、会ったことがあるだろうか。  目の下の傷痕に、見覚えがあるような気がした。 「……覚えてない? ほら、柔道の大会の時、体育館で」 「…………ああ」  思い出した。  夏休みに入る少し前、早瀬が出場した柔道の大会をなりゆきで観戦することになって、その会場で、生理痛と〈クスリ〉の影響で具合が悪くなったところを介抱してくれた女性だ。  取材中のマンガ家とかいっていた。その後、一、二度、メールが来ていた気もするけれど、援交用の携帯だったので、その他大勢のメールとともに無視していた。  名前は……ペンネームは聞いていたはずだ。そう、たしか〈淀川うなぎ〉とかいったはず。変な名前だ。 「……大丈夫? 救急車とか、病院とか?」 「……いらない。少し休めば、治る」  自分の部屋で、手の中に剃刀かカッターがあれば、の話だけれど。 「なら、家まで送ろうか?」 「……家の鍵……忘れて、明日まで帰れない」 「じゃあ……ウチに来る? 散らかってるけど、とりあえず横になるくらいのスペースはあるし」 「……」  少し考えて、小さくうなずいた。  選択の余地はほとんどなかった。  いつまでもここにいては早瀬に見つかってしまうかもしれないし、かといって、もう自力では動けない。財布なしでは他に行くあてもない。  淀川の肩を借りて立ち上がり、軽自動車の助手席に乗せられた。シートに腰を下ろすと、それだけで多少は楽になった。  車が走り出す。  意識が朦朧としていて、どこをどう走ったのかはよくわからないけれど、信号待ちを含めても十五分とかからなかったのではないだろうか。  連れて行かれたアパートの部屋は、本や雑誌、コンビニの袋や脱ぎ散らかした服などでお世辞にも片付いているとは言い難かったけれど、足の踏み場もないというほどではなかった。職業柄か、マンガの単行本や雑誌が目についた。  車に乗った時と同じように、肩を借りて奥の部屋のベッドに寝かされた。2LDKということで、寝室と仕事部屋は別にしているのだそうだ。  横になっていくらか楽になったとはいえ、まだ寒気がする。震えが止まらない。 「薬とか、飲む? うちにあるのは風邪薬と胃薬、鎮痛剤くらいだけど……。あとは徹夜用の栄養ドリンクとか」  首を振る。  この症状は、そんなものでは治らない。  この部屋にもありそうなもので、私の症状を和らげてくれそうなもの。  すぐに思いつくものがひとつ。 「…………剃刀か、カッター、ある?」 「え?」  まったく予想外の単語だったのか、なにを言われたのかわかっていないような声が返ってきた。しかし淀川の視線が私の左手首に向けられると、すぐに納得顔になった。  いつも、血の染み込んだ包帯が巻かれている左手。 「ここで死なれると、ちょっと困るんだけど」  冗談っぽく笑う。  そう言いながらも、マンガを描く時の道具だろうか、変わった形の鋭いカッターを持ってきてくれた。  右手で受け取って、包帯を解く。 「……慣れてるから、迷惑はかけないわ」  この状況が既に迷惑かもしれないが、それは仕方がない。私なんかに関わった時点で諦めてもらうしかない。 「あと、ビデオ撮ってもいい? マンガの資料として」  部屋の隅に置いてあった、小さなビデオカメラを手に取って訊いてくる。 「……資料?」 「うん、他の人には見せないからさ」 「……好きに、すれば。別に、どうでもいいわ」  あまり歓迎することではないけれど、背に腹は代えられない。どうしても嫌というほどのことでもない。いつもの〈どうでもいい〉ことだ。  淀川がカメラを構える。  私はそちらを見もせずに、ベッドに仰向けになったまま、一瞬の躊躇もなしにカッターの刃先を左手首に突き立てた。  鋭い痛みに顔が歪む。  刃を横に滑らせる。  紅い筋がくっきりと浮かび上がってくる。  私は大きく息を吐き出した。それは、安堵の溜息だった。  傷は、いつもよりやや深そうだった。さすがはプロの道具、切れ味がいい。  溢れ出した血が、顔の上に滴り落ちる。  唇を開いて受けとめる。  口の中いっぱいに鉄錆の味が拡がる。  それは、私の気持ちを落ち着かせる味だった。  自分のベッドではないから、シーツを汚すわけにはいかない。仰向けの体勢のまま、身体の上で手を組んだ。  温かい液体が、じんわりとブラウスに染み込んでくる感触。  鼓動に合わせてじんじんと拡がる痛み。  その効果はてきめんだった。  あれほど具合の悪かった寒気、震え、吐き気、頭痛――そのすべてが、この短時間で気にならない程度に治まっていた。  口元に微かな笑みが浮かぶ。 「服、汚れるよ」  カメラを構えたまま淀川が言う。 「……別に、気にしないわ」  むしろ私の歪んだ精神は、着衣やベッドに血の痕があった方が落ち着くほどだ。 「それにしても、やっぱり〈本物〉は雰囲気あるね。もったいつけず、ごく自然な動作だけに、逆に、鳥肌が立つくらいにぞくぞくした」 「…………そう」  それこそ本当に〈どうでもいい〉ことだった。他人からどう評価されようと、知ったことではない。  今の私に重要なのは、この、傷の痛みだけだった。  ずきん、ずきん。  鼓動に合わせて響く痛み。  痛いが故に、心が落ち着く。  この肉体の痛みが、他の痛みを忘れさせてくれる。  これこそが、安らぎだった。  その時、不意に、ポケットの中の携帯が震えた。  取り出してみると、受信メールがあることを示すランプが灯っている。 『鞄と、えっちぃパンツを忘れてるぞ。ヒマな時に取りに来い』  遠藤からのメールだった。  内容はそれだけ。  今日、私がした仕打ちにも、自分の傷にも、いっさい触れていない。  それが遠藤なりの気遣いであることは理解できる。  今なら、平静を保ったまま読むことができた。危ないところだった。〈切る〉前だったら、遠藤の名前を目にしただけで、携帯を叩き壊していたかもしれない。  数秒間、黙ってそのメールを見つめて、そのまま携帯をポケットに戻した。おそらくは遠藤も返事など期待していまい。  明日になっても精神状態が落ち着いているようなら、学校へ行ってみてもいいかもしれない。こんなメールを送ってきた以上、明日も遠藤は保健室へ来ているはずだ。  たとえ気が進まなくても、鞄を置いてきた以上は行かなければならない。 「……ところで可奈ちゃん、夕食は? さっき買ったドーナツがあるんだけど、食べる?」  いつの間にかビデオカメラを片付けた淀川が、ドーナツショップの箱と、コーヒー牛乳のパックと、マグカップをふたつ持ってきた。  小さくうなずく。  あまり食欲はなかったけれど、なにも食べないわけにもいかない。  私は予定外の来客なのだから、遠藤のおやつを横取りするのもどうかと思ったけれど、箱の中身はひとり分の夕食プラス夜食にしても充分に余りそうな量だった。  食べながら、淀川がぽつりぽつりと話しかけけてくる。  私に対する質問は、ほとんどを無視。やがて無駄と悟ったのか、代わりに自分のことを話し始めた。  聞けば、彼女はまだ大学生らしい。  高校生の時にデビューして、大学進学と同時に本格的にプロのマンガ家としても活動するようになったのだそうだ。  そんな彼女の作品のジャンルは、単行本に書かれた〈成年コミック〉の文字が表している。内容的に親元では都合が悪かったのか、実家も都内にあるのに、家を出て独り暮らしをしているのだという。  私は黙って聞いていたけれど、ひとつだけ、質問してみた。 「……淀川うなぎって……変なペンネームね?」 「ああ、それは、本名が依流(いる)だから」  笑って答えるけれど、私は首を傾げた。  その本名とこのペンネームのつながりがわからない。 「……もしかして知らない? うなぎって、英語でイールっていうの」 「……そう」  知らなかった。私の学力はお世辞にも高くない。勉強する気などさらさらないのだから当然だ。  テストの点数などぎりぎり赤点を取らなければそれでいい、点数が足りなければ教師を誘惑すればいい――そんなことを考えている人間が、真面目に勉強をする理由はない。 「……可奈ちゃんって、実はけっこうおバカ?」 「…………莉鈴(りりん)」 「え?」 「莉鈴。それが、私の名前」 「……あ、なるほど」  すぐに納得顔になる。これだけで、言わんとしていることは理解してくれたようだ。現役大学生だけあって、私よりもずっと頭の回転はいいのだろう。 「それはそうと、うなぎってなんとなくえっちっぽいイメージがない?」 「…………まあ、そうね」  さすがに、うなぎを挿れられた経験はないけれど、そういうプレイが存在することは知っている。 「だから、男性向けマンガ家には合うペンネームかなぁって。で、名前がうなぎだから、適当に語呂のいい川の名前を姓にしたってわけ。実際、淀川にうなぎが棲んでるのかどうかは知らないけどね」  私は、淀川がどこにあるのかすら知らない。多分、関西の方だろう。  夕食を終えた淀川は、明日が締切の仕事があるからと仕事部屋へ入っていった。私には「好きに過ごしていい、どうせ寝る暇もないからベッドは自由に使っていい」と言い残して。  その言葉に甘えてベッドに横になったけれど、いくらなんでも眠るにはまだ早い。適当に、近くにあったマンガを手に取った。  背表紙に書かれている著者名は〈淀川うなぎ〉。彼女の単行本らしい。マンガのことなど詳しくないけれど、表紙に描かれた女の子は、クールな雰囲気でありながらどことなく色気を感じさせる、綺麗な絵だと思った。  適当にページを繰っていく。  成年コミックであるから、内容はもろにエロである。絵は綺麗なのに、やっていることはかなり過激だった。それ以上に過激なことを現実にやっている私がいうことでもないかもしれないけれど。  彼女の作風なのか、編集部の方針なのか、すべてが陵辱系の作品で、甘い純愛ものなどひとつもなかった。  そして、近親相姦が多かった。  姉弟。  兄妹。  父娘。  そして母子。  弟が姉を、兄が妹を、父が娘を、そして息子が母親を陵辱していた。  泣き叫びながらも、しかし、どこか拒みきれずにいる女性たち。  肉親に犯されて顔をくしゃくしゃにして泣きながら、しかし肉棒に貫かれている性器は濡れている。  過激で、痛くて、エロティックな描写。  おもしろい、というのとは違うけれど、惹きつけられる。  読んでいて、身体の芯が熱くなってくる。  考えてみれば、こうしたマンガや小説を読む機会は多くはない。なにしろ〈実践〉が忙しいし、私にとってセックスは楽しむものではなく、むしろ苦痛の源なのだ。  しかし今は、淀川のマンガに興奮していた。  たぶん〈陵辱〉がツボなのだろう。  セックスの相手を〈パパ〉と呼ぶことの多い私には、〈近親相姦〉というシチュエーションも影響しているのかもしれない。  そんなことを考えていて、ふと思った。今度、早瀬としている時に〈お兄ちゃん〉などと呼んでみたら、いったいどんな反応をするだろう。  淀川のマンガは、けっして〈おもしろい〉と思って読み進めているわけではない。  むしろ、痛い。  なのに、目が離せない。  無意識のうちに、本を持っていない方の手がスカートの中に入っていた。  そこは熱く濡れて、蜜で溢れていた。  指を挿入する。  声を上げないように唇を噛みながら、ページを繰る。 「は……ぁ……」  膣の中が熱くなっている。指一本でも、かなり感じてしまう。  こうして、なにかを見ながらのオナニーなんて珍しいことだった。自慰自体はほぼ毎日のこととはいえ、直前に自分がされていたことを反芻しながら、というのがいつものパターンだった。  たまに、自分のDVDを見ながらすることはあるけれど、それも、撮影の時のことをよりリアルに想い出すきっかけでしかない。  なのに今夜に限っては、淀川のマンガに夢中になっていた。 「……私のマンガ、そんなにエロい?」  突然の声に顔を上げると、寝室の入口に淀川が立っていた。ちゃっかり、ビデオカメラを私に向けている。  普通の女子高生なら慌てふためく場面かもしれない。しかし、オナニーを見られたくらいで狼狽える私ではない。 「……ん……けっこう」  指を動かし続けながら応える。 「読んでて興奮した? 濡れちゃう?」 「……少し」  実際には、かなり。 「そっか……エロマンガ家としてはいちばんの褒め言葉だな」  目を細めて、本気で嬉しそうにしている。  確かに、このジャンルのマンガというのはそのために存在しているのだから〈オカズにされること〉は作品が認められた証なのかもしれない。 「……ところで、なんでパンツはいてないの? 最初から……だったよね?」  気づかれていたのか。  いや、気づくだろう。  普通の女の子なら、下着をはいていても気を遣うほどのミニスカートなのだ。無造作に座っているだけでも見えて当然だった。 「……脱いで、そのまま忘れてきた」 「普通、パンツって忘れるものかな?」  いくぶん、呆れたような表情になる。  確かに、普通はミニスカートでパンツをはき忘れたりはしない。 「…………普通じゃない、状況だったから」  私の基準でも、今日のあれはあまり普通とはいえない出来事だった。  詳しく聞かれると少々説明に困るところだったけれど、淀川はそれ以上追求してこなかった。聞かれたくないことだと判断して気を遣ったのか、それとも、私のオナニーの方に意識が向いていたのかもしれない。 「まあいいや、続けて」  素直に、その言葉に従う。  もう、やめられないところまで昂っていたし、人目を気にするどころか、むしろレンズを向けられると条件反射のようにその気になってしまう。 「……で、事後承諾になるけど、このまま撮ってていい? 資料として」 「…………好きに、すれば」  この何倍も過激なことを、カメラの前でさんざんやってきた。それも、無修正のまま不特定多数に販売されるものを。  淀川個人の資料としての撮影など、気にとめる必要もない些細な問題だ。  無視して、行為に没頭しようとして。  ふと、思いついた。 「……少し、カメラサービスした方がいい?」  自分が気持ちよくなるためではなく〈見せる〉ためにするオナニーも、得意分野のひとつだ。今はなんだか気分がいいから、少しくらいサービスしてやっても構わない。 「そういうのも得意そうだね。でも、いいや、自然にして」 「……そう」  その言葉通り、カメラの存在も、淀川の存在も、頭から消し去った。  ただ、マンガの内容と、自分の指がもたらす快楽に没頭する。  手脚を拘束され、泣きながら穢されている少女たち。  その姿が自分と重なり、肉体に刻み込まれた感覚が次々と甦ってくる。 「んっ……んふっ…………ぅんっ!」  中指と人差し指、二本の指で中をかき混ぜる。  声はあまり出さないが、感じている時の証である粘性の低い愛液が溢れ、流れ出している。 「あっ……んくっ……っ、んんっ、……ぁっ!」  開いているページには、兄と弟に、前後同時に貫かれている女の子が描かれていた。  私も、前に二本の指を挿入したまま、お尻に薬指を挿れる。  根元までぐいぐいと押し込む。三本の指を、いちばん深い部分でそれぞればらばらに動かす。 「あ…………ぁ…………」  どんどん、昂っていく。  ふぅっと意識が途切れそうになる。 「……っ! んくっ……、――――っっ!」  びくんっ!  身体が大きく痙攣する。  墜ちていく――  高いところから落下して、叩きつけられるような衝撃。  自慰としては、激しい方に分類できる絶頂だった。 「…………特別なことしてるわけじゃないのに、妙にエロいねー」  カメラを下ろした淀川が、緊張で息を止めていたのか、ふうっと大きく息を吐いた。 「……みんな、そう言う」  濡れた指を引き抜いて、一本ずつ舐めながら応える。  いやらしい〈女〉の味がする。それに精液の濃厚な味が混じっていないことが、感覚的に少々ものたりない。 「そういえば、あんた、援交してるんだよね」 「このエロさのおかげで、お小遣いには不自由しないわ」  うんうんと、納得顔でうなずく淀川。そこでふと、なにかを閃いたような顔になった。 「私が、あんたを買うこともできる?」 「……え?」  意外な申し出だった。訝しげな目を向ける。 「……淀川も、そういう趣味?」  そんな風には見えないけれど。  遠藤といい、今日はなんだか百合的展開に縁のある日だ。普段、男としか関係を持たない私としては、少々勝手が違う。 「あ、そうじゃなくて」  淀川は苦笑しながら首を振った。 「モデルってこと」 「……モデル」 「私が用意した相手と、指示する通りにセックスして欲しい。マンガの資料として」 「…………そう」  なるほど、それなら納得はできる。 「なんだかあんたって、カメラの前でちょっとくらいアブノなプレイでも、平気そうじゃない?」 「…………平気じゃないプレイを探す方が……難しいわね」  むしろ、普通じゃないセックスの方がいいくらいだ。  受け入れられない行為がまったくないわけではないけれど、それに当たる可能性はまずない。 「だからね、こう……陵辱系の、市販のいい資料がなかなか見つからないようなシチュエーションのモデルをしてもらえたらなぁ、って。……それ抜きにしても、あんた、イイよ。表情とか、滲み出る雰囲気とか……すごくイイ、そそられる。つか、血まみれのブラウス着て無表情にひとりエッチって、ヤバすぎ。あんたをモデルにして描いたら、すごくウケそう。もちろん、モデル料はできる限り希望に添うし」  黙っているとややクールな印象を受ける淀川なのに、今は妙に熱っぽく語っている。男を狂わせる私のフェロモンに、創作意欲がかき立てられたのだろうか。  私は気の乗らない声でぽつりと言った。 「…………たまに……ヒマで、気が向いた時なら」  具合の悪いところを助けてもらい、泊めてもらっている身で、無下に断わることもできなかった。  援交もAV出演も日常の一部である私にとって、淀川のカメラの前でセックスすることなど、どうってことない。  しかし、 「……でも、カラダが空いてる日なんて、滅多にないわよ?」  いちおう、釘を刺しておく。  陵辱されることのモデルをすることはどうってことないけれど、どうってことないからこそ、進んでやりたいとも感じない。  私が求めているのはカメラの前での〈演技〉ではなく、本物の〈陵辱〉なのだ。 * * *  翌日――  淀川は今日が締切の仕事があるとかで、結局、徹夜で机に向かっていたようだ。  だから遠慮なくベッドを使わせてもらい、久しぶりにゆっくり眠った気がする。  簡単な朝食もご馳走になり、血まみれになったブラウスの代わりに、着古したTシャツとパンツを一枚もらって、昼近くに彼女のアパートを後にした。  これは、一度くらい〈モデル〉を引き受けなければならないだろうか。お礼は後で払うと言ったけれど、モデルをさせる下心があるためか、頑として首を縦に振らなかった。  まあ、仕方がない。  どうせなら、できるだけハードなレイプっぽい行為をリクエストしてみようか。  そんなことを考えながらぶらぶらと歩く。  いうまでもなく、向かう先は学校だ。  気は進まないけれど、行かないわけにはいかない。きっと、遠藤は今日も保健室にいるだろう。下着はどうでもいいけれど、財布と家の鍵はどうしても必要だ。  昨日、学校を飛び出した時に比べれば、身体も、精神も、状態はかなり落ち着いていた。  足許がふらつかずに歩けるくらいには――という程度のものだけれど、それだけでも私にとっては珍しい。  それでも、校内に入るとやっぱり具合が悪くなってきた。  昨夜のように動けなくなるほどでないけれど、胸が苦しくなって、吐き気が込みあげてくる。このままではまずいと、いちばん近いトイレの個室に駆け込んだ。  上体を屈めるのと同時に、強酸性の液体が胃から逆流してくる。  胃液に、半ば消化された朝食のクロワッサンとカフェ・オ・レが混じった茶色がかった液体が、意志とは無関係に逆流し、噴き出してくる。  結局、朝食のほとんどを吐き出してしまったようだ。胃が空っぽになっても吐き気はすぐには治まらず、分泌されたばかりの胃液を絞り出すように吐き続けた。  口中に不快な苦みが拡がる。  こうした嘔吐が習慣になっているというのは、もちろんいいことではない。強酸性の胃液は食道や喉を爛れさせ、癌の原因になると遠藤が言っていた。  もっとも私の場合、そんなことを気にする必要はないのかもしれない。  こんな、毎日のように吐かずにいられないような生活を送っていれば、癌で死ぬよりもずっと早く、精神の限界が訪れるだろう。  心身ともに、健康とはほど遠い生活を送っている。  しかし肉体的な死は、今のところ受け入れるつもりはない。  それは〈罰〉を逃れる安易な道だ。  そんなこと、許されない。  罰を受けるためには、生き続けなければならない。  とはいえ、もう、長くはないのかもしれない。精神的な死は、不可避のところまで近づいている――そんな気がした。 「……は、ぁ……う、ぇぐ……ぅぐっ……ふ……ぅ」  だから、吐き気が治まらない。  胃液の一滴すら、残っていれば吐かずにいられない。  それでも胃が空っぽになると、多少は楽になった。  これなら、遠藤にもなんとか会えるだろう。とにかく、鞄を受け取って即座に引き返すくらいなら大丈夫だ、きっと。  個室を出ると、いつの間に入ってきたのか、ふたりの女子がいた。揃いのジャージは学校指定のものではないから、どこかの運動部だろうか。  ふたりとも見覚えのない顔だったけれど、向こうは私を知っていたらしい。こちらを見て表情を強張らせた。嶮しい視線は、お世辞にも友好的とはいえない。  そんな反応はいつものことなので、気にもとめない。何事もなかったように手を洗い、口をすすいでトイレを出た。背後でなにやらこそこそと話しているのが聞こえる。いい話でないことだけは間違いないだろう。  吐いているところを聞かれたとなると、今度は、妊娠の噂が広まるかもしれない。  援交をしている女子が吐いていた、イコール、妊娠――ありそうな話だ。  今さらどんな噂が流れてもどうでもいいことではあるけれど、それが早瀬の耳に入って慌てたりしたら、少しばかり愉快かもしれないと思った。  保健室の近くまで来ると、また脚が重くなってきた。  どうにも、いつものように気軽にドアを開けられない。  どうしてだろう。  後ろめたいから?  怯えているから?  冗談じゃない。昨日のあれは、遠藤の自業自得だ。  私は、警告はした。なのに遠藤の方から、こちらが過激な自衛手段を執らざる得ないところまで踏み込んできたのだ。  正当防衛だ。自分自身を守るための。  そう言い聞かせて正当化しようとしても、やっぱり具合が悪い。いつもと勝手が違うことは否めない。 「…………」  ふと、気がついた。  だったら、状況を〈いつもと同じ〉にしてしまえばいいのだ。  とはいえ私は手ぶら。なにか使えるものはないか……と周囲を見回すと、掲示板に貼られたポスターが目に留まった。  なんのポスターかなんて目にも入らなかった。ただ、上質の紙を使ったフルカラーのポスターだという点が重要だった。  左手首の包帯を解く。  ポスターを剥がす。  厚く硬い紙の一端を、昨夜の傷がふさがったばかりの手首に当てて、力を入れて引いた。  一瞬、顔をしかめる。  剃刀やカッターのような鋭い刃ではない分、痛みが強い。それでも目的は達せられて、手首に紅い筋が浮かんできた。  これでいい。  用の済んだポスターを廊下に放り出し、保健室のドアを無造作に開けた。ノックすらしない。どうせ遠藤は、私が来るのを待っているはずなのだ。  思った通り、ドアに鍵はかかっておらず、遠藤は机の前に座って本を読んでいた。  予期していたかのように、驚きもせずに顔を上げる。  私は、傷つけたばかりの左腕を掲げて言った。 「……怪我……したわ」 「そうか。そこに座れ」  相変わらずの愛想のない声で椅子を勧める遠藤。  しかし、顔には微かな苦笑が浮かんでいた。もしかすると、保健室の前でなにをしていたのか、見透かされているのかもしれない。  しかしそれについてはなにも言わず、昨日のことにも触れず、いつものように淡々と傷の手当てをしてくれる。 「……そういえば、パンツは穿いているのか?」  包帯を巻き終わったところで、からかうように言った。 「……ご心配なく」  立ち上がって、スカートをまくり上げてみせる。  私はどうでもよかったのだけれど、さすがにそのミニでノーパンはまずいだろうと、淀川がくれたものだ。 「少しだけ、ノーパンのままで来るんじゃないかと期待していたんだけどな」  そう言って笑う。 「まあ、その方が私も安心だ。北川の容姿で、そのミニスカートで、しかもノーパンなんて、たとえ昼間でも襲ってくれと言ってるようなものだぞ?」 「……実際、そう言ってるんだけど。…………ご要望とあれば、脱ぎましょうか?」 「いや、遠慮しておく。昨日みたいな展開になったらちょっと困る。あれは……さすがに、かなり痛かったな」  軽い口調で苦笑している様子からは、昨日の、犯されて泣き叫んでいた姿は想像できなかった。  身体はもちろん、精神的なダメージもないというのだろうか。それとも、超人的な自制心によるものだろうか。 「……どっちが?」 「どっちも。……どちらかといえば……やっぱり……」  他に誰も聞いているはずがないのに、声のボリュームが下がる。 「……フィスト、かな。あれはマジで泣いた。というか、実はまだ痛い」  だったら少しは痛そうな顔をして見せろ、と言いたかった。 「…………慣れれば、気持ちよくなるわ、きっと。そして、普通サイズじゃものたりなくなるかもよ?」 「それはそれでいやだな。……あ、でも」  気のせいではなく、遠藤の頬が少し紅くなっている。顔を近づけてきて、小声でささやいた。 「指、三本までは……、恥ずかしい話だが、すごくよかった。さすが経験豊富……というべきなのか?」 「気に入ったのなら、いつでもしてあげるわ。……もれなく、フィストとリスカつきだけれど」 「ひねくれ者め」  苦笑しながら、私の頭をコツンと軽く小突いてくる。まるで、親しい友達にでもするかのように。 「…………」  遠藤の顔が間近にあったので、そのまま、ちょんと軽く触れるだけのキスをした。  特に意味はない。  顔が近くにある、イコール、キス。  私にとっては条件反射のようなものだ。  驚いたように目を見開いて、少しだけ身体を引いた遠藤。しかしすぐに笑みがこぼれる。  私は、鞄を持って回れ右をした。 「……何度も言ってるでしょう。私、遠藤のこと、嫌いよ」  その台詞は、むしろ、自分に言い聞かせようとするかのようだった。 * * *  保健室を出て帰ろうとしたところ、一階ホールにあるジュースの自販機の前で、クラスメイトの――唯一、私を〈普通のクラスメイト〉として扱う――木野悠美の姿を見つけた。  Tシャツと短パン姿から察するに、彼女も部活だろうか。 「あれー、珍しい人がいる。どうしたの?」  こちらに気がつくと同時に、仲のいい女の子同士がするように抱きついてきた。いま買ったばかりのジュースの紙パックを私の手に押しつける。 「……遠藤に、呼び出された」  しっかり抱きしめられて、返事をしないと放してくれそうにない雰囲気だったので、無愛想ながらも相手をする。 「ああ、なるほど。莉鈴ってば、しばらく見ないと生きてるかどうか不安になるもんね。よかった、生きてて」  笑いながら、ぐりぐりと頬をこすりつけてくる。  どうして彼女は、私を親友のように扱うのだろう。相変わらずの謎だ。身体に回した腕も解いてくれない。 「…………木野は、なにしてるの?」  少し考えて、溜息まじりに訊いた。  彼女が離れない理由は、こうした、友達同士の会話のような反応を待っているのだと気がついた。  案の定、嬉しそうな笑みがこぼれる。 「見ての通り、部活……って、なに、その「部活なんてやってたんだ?」みたいな今さらな顔」  図星、だった。みたい、ではなく実際にそう思っていた。 「何度も話したじゃん、陸上部だって」 「……興味のないことは、すぐに忘れるし」 「うわ、冷たーい!」  傷ついたような表情――もちろん演技の――で、さらに密着してくる。  私としては、ことさらクールな反応をしたわけではなく、本当に記憶になかっただけだ。  他人のことなど〈どうでもいい〉ことで、聞いたとしてもまともに覚えていない場合が多い。そもそも昼食時の木野の話など、半分以上はそのまま耳の中を素通りしている。 「……暑苦しい、放して」  セックス以外で他人と触れる習慣のない私は、こうしたスキンシップは苦手だ。他人が近くにいると落ち着かない。 「相変わらずのクールビューティなんだから。ま、そこがいいんだけど」  いったいなにがいいのやら。  まだ、離れる様子がない。  ここまで来ると、さすがに、普段とは違うやや不自然な態度だと感じた。  私に対して意味もなくなれなれしい木野とはいえ、いつもは、私が拒絶しないぎりぎりの境界線を守っている。これは明らかに近づきすぎだ。  最初に抱きついてきただけなら、夏休みで久しぶりに会ったからとも思えたけれど、いつまでも離れないのはおかしい。 「……ところで、ひとつ訊きたいんだけど?」  木野がそう言いかけたところで、はっと気がついた。木野のこの行動、抱きついているのではなく、私が逃げないように捕まえているのだ、と。  この後に続く〈訊きたいこと〉とやらは、私が避けたいと思うような話題なのだろう。 「莉鈴って……、今、付き合ってる彼氏とか、いる?」  心の中で警鐘が鳴る。これこそ〈今さら〉な不自然な質問だ。 「……お小遣いもらって、時間限定のお付き合いならいくらでも、……知ってるでしょ?」 「そーゆーのじゃなくて」  さすがにもう、なにを言いたいのか察しはついていた。だからといって、こちらから認めてやる必要はない。 「お色気モードの誰かさんが、どこかで見たような身体の大きな男子に抱きかかえられて、夜の街を歩いていた――という噂がちらほら」 「見間違いでしょ」  即答する。もちろんそれで相手が納得するわけもなく、意味ありげに笑った。 「他の子たちはともかく、あたしが見間違えるわけないでしょ。その誰かさんが、普段と違うツインテールだったり、他校のセーラー服だったり、お化粧もしてとびっきり可愛い姿だったとしても」  内心、舌打ちする。  噂などといって、実は木野自身が目撃していたのでは誤魔化しようがない。  実際のところ、早瀬との関係が他人に知られるのは時間の問題だった。早瀬の家から帰りは、たいてい自力では歩けない状態なので送ってもらっていたし、その時も特に周囲の目を気にしていたわけではない。  そもそも、私が気にする問題でもない。私との関係を知られて困るのは早瀬の方であり、その早瀬が自分の意志で送っているのだから。  早瀬との関係が始まって三ヶ月近く。むしろ今までよくばれずにいたものだ。  大きく溜息をつく。  それを降参の意思表示と受け取ったのか、私を捕まえていた腕が緩んだ。 「早瀬と、付き合ってるの?」  直球で訊いてくる。  私も、もう、とぼけはしなかった。 「……まさか」  小馬鹿にしたような口調で、正直に答える。 「……たまたま、なりゆきで……セックスする機会があっただけ」 「たまたま、なりゆき……にしては、一度じゃないらしいけど?」 「…………」  眉をひそめて木野の顔を見た。  そこまで知られているのか。  いったい、どこまで知っているのだろう。  頻繁に逢っていることまで知られているのだとしたら、下手に誤魔化そうとすればするほど、それこそ本当に付き合っていて、それを隠そうとしていると受け取られかねない。  ここは全面降伏した方がよさそうだ。 「…………私が名器で床上手だから、やみつきになったんじゃない? 時々、誘いのメールが来るわ。……特に断わる理由もない時は、相手してやってる」 「ふむ……」  いちおうは納得したのだろうか。私も、嘘はついていない。  しかし、ひとつ、言わなかったこと、追求されると返答に困ることがあった。  それは〈お小遣い〉をもらっていないこと。  早瀬との付き合いが、他とは違う特別なことと思われかねない。  そして困ったことに、木野はそれを見逃してくれるほど抜けてはいないのだ。 「でも、援交じゃないんだよね?」 「……お金は、もらってない」  ここで嘘をつくのは不自然だった。他の〈パパ〉たちが支払う私の〈相場〉は、普通の高校生が頻繁に払っているというには無理がある額だった。 「……ゴハンとか、おごらせてる」  それなら、いちおうは事実といえなくもない。正確にはおごらせているのではなく、向こうが自主的に用意しているものではあるけれど。  木野がからかうように笑う。 「それってまるで、恋人同士みたいだね。……早瀬のこと、好きなの?」 「大っ嫌い」  即答したその台詞だけは、一点の偽りもない真実だった。  ただし、正確には早瀬個人が嫌いなのではなく、すべての男が嫌いなだけだ。 「……私を金で買う大人たちと同じくらい、嫌いよ」 「じゃあ、強要されてるの?」 「……別に」 「…………相変わらず、歪んでますな」  苦笑しつつも、ようやく腕を解いて完全に解放してくれた。  ここまで若干シリアスな〈詰問〉の雰囲気を漂わせていた表情が緩んだ。この後の質問は、本当に〈雑談〉だということだろう。 「ところで……早瀬ってあの体格だけど、やっぱり……アレもおっきいの?」  なるほど、そう来るのか。  確かに、この年頃の女の子なら気になる話題かもしれない。 「…………かなり」  この質問も、嘘をつく必要はない。 「それがすごくて、莉鈴もやみつきに?」 「……まさか」  鼻で笑う。 「私にとっては痛いだけだわ」  痛いからこそ感じてしまう、求めてしまう、という部分はあるけれど、そこまでは言わない。  ただ、早瀬とのセックスが、私にとって単純に気持ちのいいものではないことは事実だ。いくら経験豊富とはいえ、平均よりもかなり小柄な私である。〈挿れることができる〉と〈挿れられて気持ちがいい〉の間には大きな隔たりがある。 「つまり……それだと、莉鈴の側の理由が見えないんだけど?」  理由――すなわち、早瀬との関係を繰り返している理由。  確かに木野の言う通りだ。他人にとっては謎だろう。  ……いや。  実際のところ、自分でもよくわかっていない。  痛みを与えてくれるから――というのは理由のひとつかもしれないけれど、それは必ずしも早瀬でなくてもいいことだ。  では、実は内心好きなのかといえば、それは嘘偽りなく絶対にありえないと断言できる。 「……そんなの、簡単でしょ」  しばし考え、答えを思いついたところで歩き出した。  木野もついてくる。  もらったジュースが手の中にあったことを思い出し、ストローを挿して口にくわえた。  ほどよく冷えたグレープフルーツジュース。酸味と苦みが心地よい。  木野も思い出したように、自分の分のジュースをもう一本買って、小走りに私に追いついてきた。 「で、その理由とは?」 「……私が狂っているから、よ」 「なるほど」  それなりに納得顔でうなずいている。  彼女も、私が正気でないことは認識してくれているわけだ。  それなら、いい。  私の〈狂気〉を認識しつつも踏み込んでくるのなら、昨日の遠藤同様、万が一傷つけても言い訳ができる。  ジュースを口に含みながら、校舎の外に向かってゆっくりと歩く。  そこで、ふと、気がついた。 「……噂、広まってる?」  木野の方を見ずに、独り言のようにつぶやいた。  頭の中に、昨夜すれ違った茅萱の表情が甦っていた。それと、さっきトイレにいたふたり連れ。  木野以外のクラスメイトが私に対して好意的な表情を向けないのはいつものことと思っていたけれど、それにしても彼女たちの態度は普段となにか違っていた。  もしかすると、知っていたのではないだろうか。  噂がそれなりに広まっているとしたら、真っ先に茅萱の耳に入らないわけがない。 「そこそこ……夏休み中だからまだいいけど、二学期になったらあっという間だろうね」 「……そう」  どうやら、少しばかり煩わしいことになりそうだった。  学校では他人と関わらないように、誰からも相手にされないようにしてきたけれど、新学期が始まってもそれを期待することはできないかもしれない。 「茅萱はね、たぶん、なにも言わないと思うよ? それより、彼女の友達の方がうるさいかも」  よくある話だ。  恋愛沙汰なんて当事者だけの問題だろうに、なぜか周囲の無関係の人間ほど騒ぐものらしい。 「……どうでもいいわ。私が誘っているわけじゃない」 「そーゆー正論が通じる相手だといいんだけど」  実際のところ、そうじゃない相手の方が多い。恋愛に関して、女子は特にそうだ。  そうしたことは中学の時に経験済みで、だからこそ高校では容姿もフェロモンも隠していたのに、やっぱりクラスメイトと関係を持ったのは失敗だった。ひとりと関わってしまうと、いらないしがらみもついてきてしまう。 「よく言うじゃない、恋は理屈じゃないって」 「知らないわ。……恋愛なんて、したことないし」  知識としては知っているけれど、わざと素っ気なく応える。  靴を履き替えて外に出ると、暑いというよりも〈熱い〉といいたくなるような気温だった。陽射しを遮るもののない校門までの空間は、真夏の太陽が無駄に照りつけていた。 「莉鈴はこの後どうすんの? よかったらお茶でもしない? あたしももう帰るし」 「……帰って寝るわ」  これ以上、木野と会話と続ける理由はない。ましてや女同士でお茶なんて時間の無駄以外のなにものでもなく、それなら援交でもしていた方が百倍ましだ。  とはいえ、今の体調と精神状態、そして今日の天候では、そんな気分にもなれない。 「……このところ、寝る暇もない日が続いていたから」  現時点でいちばんましといえる行動は、さっさと帰って疲労と睡眠不足を解消することだろう。  誘いを断わられた木野は、気を悪くする様子もなく苦笑した。〈寝る暇もなかった〉理由がなんなのか、すぐに察したようだ。 「そっか、じゃあ、またね」  小さく手を振る木野。  それを無視して校門へと歩き出す。  ほんの数歩で汗が噴き出してきた。  私を灼き殺そうとするかのような強い陽射し。ただでさえ弱っている身体がさらに消耗していくのを感じる。  溜息が出た。  夏休みも残り少ない。  休み中は、学校に行かなくてもいいというだけでも、精神的にいくらか楽だった。  新学期から、学校はさらに居心地の悪い場所になるのだろう。  早瀬と逢うのを控えた方がいいのだろうか、とも考えたけれど、いずれにしてももう手遅れだ。早瀬とセックスしたのは事実であり、消すことはできない。  もう一度、溜息をつく。  いくら〈どうでもいい〉とはいっても、やっぱり少し気が重かった。 第五章  二学期がはじまって間もない、とある金曜日の朝――  私はひとり、街中のカフェでたたずんでいた。  既に、登校には遅い時刻だ。  着ているものは制服ではなく、ミニのワンピースにオーバーニーソックスという姿だった。家を出る前から、学校へ行くつもりはなかった。  半分ほど残ったアイス・カフェ・ラテのグラスを見ながら、ぼんやりと学校のことを考える。  木野が言っていた通り、夏休みが終わると同時に、私と早瀬の噂は新型インフルエンザよりも早く、クラス中、そして学年中に広まっていった。  そのせいだろう。教室での、早瀬と茅萱の間がなんとなくぎこちないように見える。  私に対しては、茅萱の友人たちと思われる女子からのいやがらせが増えた。  とはいっても、追求されたらしらばっくれられる程度のささやかなものだ。  わざと聞こえるような陰口とか、横を通り過ぎる時に、わざとらしく肩や肘をぶつけてきたりとか。  茅萱自身ははそれに加担はせず、むしろなんとなく居心地悪そうにしていた。これも木野が言っていた通りだ。  このところ、早瀬と逢う頻度は少し減らしている。今さら手遅れではあるけれど、この状況で逢うのは向こうも気まずいだろう。誘いのメールの頻度も、少し減ったような気がする。  もっとも、学校をさぼっているのはそうしたことが原因ではない。  今日は単に〈パパ〉とのデートの約束があっただけだ。  そういえば――  ふと、想い出した。  初めて早瀬とセックスしたのは、この〈パパ〉とのデートの後だった。  もしもあの日、〈パパ〉に時間があって一度だけじゃなかったら、帰りがもっと遅かったら、その後の展開はまったく違ったものになっていただろう。クラスメイトと関係を持つなんてなかったはずだ。  それを考えたら、なんだってそうかもしれない。  十六年弱のこれまでの人生でなにかひとつでも違う出来事があったら、今の私の生活はまったく違ったものになっていただろう。  未来は、ほんのちょっとした気まぐれで大きく変わってしまう。  とにかく、今の学校の状況は、早瀬のせいであり、私のせいであり、突き詰めればこの〈パパ〉のせいともいえた。  今日は幸い、夜まで一緒にいられるという。  ――幸い?  自分の考えに首を傾げる。  むしろ、逆かもしれない。  〈パパ〉は性的な悦びを与えてくれるけれど、そもそも〈性的な悦び〉は私にとってなにものにも勝る苦痛でしかない。  男に穢される忌まわしい時間が、これから夜まで続く。  それを想うと今すぐこの場から逃げ出したい。なのに、心待ちにしている自分がいる。  ふたつの心がせめぎ合い、結局、私は動けずに〈パパ〉を待っている。  普段はつけない腕時計に、ちらりと視線を落とした。  待ち合わせの時刻だ。  悪夢の時間が、間もなくはじまる。 「……あ」  通りの向こうに、信号待ちをしている〈パパ〉の姿を見つけた。  イタリア製の高級ブランドに身を包んだ、四十歳手前くらいの男性。  やや細身ながら、仕事で頻繁に東南アジアや南米へ行っているためだろうか、日焼けしていて精悍な印象を受ける。  信号が変わり、車の流れが止まった。〈パパ〉が――私の悪夢の源が――こちらへ渡ってくる。  カフェのドアが開いた。  ちらりとこちらを見た〈パパ〉と目が合った。私に気づいて、微かな笑みを浮かべる。そのままカウンターでコーヒーを買ってから、私の席へとやってきた。 「待ったか?」  私はもう一度腕時計を見て、大仰に溜息をついた。 「パパ、遅い」  軽く唇を尖らせる。  おや、という表情で〈パパ〉も自分の腕時計に目をやった。ロレックスの高級モデルを、いかにも当たり前のように身に着けているところが憎らしい。  私は正直なところ、自分がつけているフランクミュラー――十五歳の誕生日に〈パパ〉が買ってくれたものもの――は、あまりにも分不相応で似合っていないと思っている。  そもそも、高級ブランドなど興味はない。この時計も、いま着ているフランス製だというワンピースも、〈パパ〉からのプレゼントだから礼儀として〈デート〉に着けてきているのであり、そうでなければ身に着けるものなんて、ユニクロでも無印でも構わない。  それに本音をいえば、腕時計はロレックスの方がよかった。  ――〈パパ〉とお揃いになるから。だけど〈パパ〉は、ロレックスのレディースモデルが好みではないのだそうだ。 「遅いって……三分しか遅れてないじゃないか」 「三分も、よ。それだけあれば、いろんなコトができるじゃない」 「はは、ごめんごめん」 「最近、忙しくてなかなか逢えないし……。パパ、最近、莉鈴に冷たくない?」  可愛らしく拗ねるというよりも、本気で機嫌を損ねた口調で言う。  この〈パパ〉を相手には、必要以上にぶりっこはしない。〈営業スマイル〉も不要だ。  かといって、学校にいる時や早瀬を相手にしている時のような無表情でもない。  ある意味、もっとも素のままでいられる相手かもしれない。しかし最近では、どれが自分の素の姿なのかもよくわからない。 「なかなか逢えないのは仕方ないだろ。仕事が忙しいのは事実だし、莉鈴に贅沢させるためにも稼がなきゃ」 「莉鈴のために稼いでいるっていうなら、今年のクリスマスはうんと奮発して、ダイヤでも買ってもらわなきゃ割に合わないな」  別に、本当にダイヤが欲しいわけではない。このくらいの軽い皮肉は許される相手だ。 「ああ、欲しいなら、びっくりするくらい大きなダイヤ買ってやるぞ」  あっさりとうなずく。  この〈パパ〉はかなりのお金持ちだった。  肩書きは貿易商ということになっているけれど、しかし、あまりまっとうな商売はしていない。  東南アジアや南米、ロシアなどを飛び回り、偽ブランド品、宝石、拳銃、ドラッグ類、ワシントン条約違反の動物、密漁のカニやマグロやキャビア、はては人間――主に女の子――まで、金にはなるが法に触れる、ありとあらゆる品を密輸しているらしい。  当然、機密保持のためには多くの人間を使うわけにもいかないから、重要な商談は極力自身で行わなければならず、多忙な毎日となるわけだ。 「……ダイヤはいいけど、パパの商品じゃなくて、銀座あたりのちゃんとしたお店で買ってね」  もっとも、宝石に関しては〈本物〉も多く扱っている。いうまでもなく、関税逃れのために密輸した品だけれど。 「で、なにが欲しいんだ? 指輪? ネックレス? ブローチ? それとも……」  にや、とからかうような笑みを浮かべる。 「やっぱり、ピアスか? となると、そのための穴を開けなきゃな」 「……!」  どこに、とは言わなかったけれど、もちろんそれは耳たぶなどではあるまい。  思わず、頬が紅くなってしまう。  私のピアスホールは、すべて彼に開けられたものなのだ。 「ま、とにかく、今日は一ヶ月分しっかり埋め合わせるよ」  そう言うと、ポケットから取り出した手のひらに収まるほどの小さな壜の中身を、私のグラスに一滴残らず注いだ。 「……だから、莉鈴もたっぷり楽しませてくれよ?」  返事の代わりに、ストローをくわえる。  怪しげな〈クスリ〉がたっぷりと注がれたアイス・カフェ・ラテを口いっぱいに含み、ごくんと飲み下した。  〈パパ〉を見て、挑発するように笑う。  続けてもうひと口、ふた口。  グラスがほとんど空になる。  〈パパ〉も、自分のコーヒーに口をつけた。ゆっくりと、香りを楽しむように飲んでいる。  ただし、実際に楽しんでいるのは久しぶりに見る私の顔だろう。私も、やや強張った笑みで〈パパ〉を見つめる。  いま飲んだ〈クスリ〉は、初めての味だった。心の中では、それがもたらす効果に対する不安と、そして期待が入り混じっていた。  〈パパ〉のコーヒーが空になる前に、鼓動が速く、顔が熱くなってきたように感じるのは、単に緊張のためだろうか。それとも、もう〈クスリ〉が効きはじめたのだろうか。  私のグラスが完全に空になり、氷がぶつかって鋭い音を立てた。〈パパ〉は私の反応を楽しむように、わざとゆっくりしているように見える。  そのカップが空になる頃には、身体の異変を、はっきりと自覚していた。  熱い。  身体の芯が、熱い。  全身の皮膚が、すごく敏感になっているように感じる。  衣擦れすら気持ちいい。  先月の〈デート〉で〈パパ〉に買ってもらったお洒落な下着が、いつの間にかぐっしょりと濡れていた。  ……まずい。  この〈クスリ〉、やばいくらいに強い。 「パパ……、これ……やば……い」  舌がもつれ、呂律が回らなかった。  頭が膨らんでいくような感覚。  身体が浮遊感に包まれ、なんだかふわふわして目が回る。 「……ねえ……パパ!」  〈パパ〉が、欲しい。  今すぐに。  心の底から、そう思った。  もう、セックスのことしか考えられない。  この、いやらしい涎を流している小さな唇をふさいで欲しい。  今すぐ。  ここで。 「……そろそろ、行くか?」  その言葉に、私はがくがくとうなずいた。もう余裕がない。  少しでも躊躇するそぶりを見せたら、私を焦らすためにコーヒーをおかわりしかねない。〈パパ〉はよくそうした意地悪をする。  だから、そんな隙を与えずに席を立った。  だけど足許がふらついて、まともには立てなかった。バランスを崩して倒れそうになり、〈パパ〉の腕につかまる形になってしまった。  これが失敗だった。今の状況で〈パパ〉に触れてしまっては、それが服の上からであっても濡れた性器並みに感じてしまう。  声を上げそうになって唇を噛む。ちょっと触れただけで達してしまいそうになるなんて、どうかしている。  それでも〈パパ〉につかまってなんとか歩きはじめたけれど、雲の上を歩いているような感覚だった。  店を出れば〈パパ〉が車を停めた駐車場まではほんの数十メートル。それくらいなら、なんとか耐えられる……はず。耐えなきゃ、ならない。  なのに…… 「……っっ!」  ほんの数歩進んだところで、〈パパ〉にしがみついて立ち止まった。視界が真っ白に染まった。  手から力が抜けてくずおれそうになるところを、〈パパ〉がさりげなく支えてくれた。 「イったのか?」  耳元でささやかれる。  耳たぶに触れる微かな空気の動きが、愛撫と変わらない。  下半身にまるで力が入らず、脚ががくがくになっている。トイレに行ったばかりでなければ失禁していたかもしれない、と思うほどだ。  それでも、なんとか歩き出す。  しかし十歩も行くと、また快楽の波が襲ってきた。 「……っ!」  立ち止まり、〈パパ〉につかまって堪えようとすると、それがまた〈パパ〉との密着度を高める結果になってしまい、結局、またその場で軽く達してしまった。  少し休んで、また歩き出す。  すぐにまた昂ってしまう。  百メートルと離れていない駐車場にたどり着くまでに、いったい何度の絶頂を迎えてしまっただろう。この時点で、もう一日中セックスし続けた後のような疲労感に包まれていた。  しかし実際には、今日はこれからはじまるのだ。これはまだ前菜ですらない。まだ、序章も終わっていない。  駐車場に、黒いガラスの〈いかにも〉な雰囲気の外車が停まっていた。幾度となく乗せられた〈パパ〉の車だ。  助手席のドアを開けた〈パパ〉が、手を貸してシートに座らせてくれる。その時にはもう意識が朦朧としていた。  〈パパ〉が運転席に着く。真っ先に私がしたことは、〈パパ〉に抱きついて唇を貪ることだった。  唇や舌の感度は、クリトリスと変わらなかった。濃厚なキスは、クンニされているのと同じだった。  二度、三度と、感覚が爆発を起こす。  キスしながら、〈パパ〉は私に首輪をはめた。  いつもの、深紅の首輪。  私が〈パパ〉の所有物となる証。  鎖をつながれ、引っ張られる。  首が絞まる。  それすら、快感だった。  意識が飛びそうになる。  口の端から涎がこぼれる。  全身が灼けそうだった。  唇が離れる。  陸に揚げられた魚が酸素を求めるように、〈パパ〉を求めて開かれる唇。  そこに挿し入れられる〈パパ〉の二本の指。  フェラチオするように舌を絡める。  その指は、小さなカプセルをつまんでいた。  指が引き抜かれ、口の奥にカプセルだけが残される。  また別の〈クスリ〉のカプセルだ。  躊躇なく飲み込む。  食道を滑り落ちていく小さなカプセル。それが胃に達して溶けた時になにが起こるかは、よくわかっている。  気が狂うほどの、快楽。  その瞬間が訪れることを心底畏れ、しかし待ち望んでいる。 「パパ……」  また、唇を重ねる。  同時に、〈パパ〉の手がスカートの中に潜り込んできた。 「……大洪水だな。パンツが搾れそうなくらい濡れて、スカートまで染みてるぞ」 「あ……っ、やっ……パパぁ……っ!」  パンツがずらされ、指が入ってくる。  愛液が噴き出すほどに濡れた性器に。  短い悲鳴を上げた。  しかしその指は、愛撫のために挿入されたのではない。私の中に、座薬状の〈クスリ〉を挿れるためだ。指が引き抜かれると、膣奥に微かな異物感が残った。  じわじわと、熱さが拡がっていく。  熱く火照った膣内の体温で〈クスリ〉が溶けていく。 「やっ……だっ、……こ……れ……っ!?」  膣が、意志を持った別の生き物のように、勝手に蠢いているような感覚だった。その動きが、自分自身に対する愛撫になっていた。 「パ……パ……、こんなに……いくつも……マジ、やば…………」 「……まだまだ」  また、指が入ってくる。  ただし、今度は〈後ろ〉に。  膣からあふれた蜜を潤滑剤にして、二本の指が肛門を押し拡げる。深く挿入された指が、直腸に〈クスリ〉を残して引き抜かれる。  お尻の奥がじわじわと熱くなってきて、すぐに、灼けるような感覚に変わった。  呼気も熱い。呼吸が苦しい。  なのに、まだ、終わりではない。  仕上げは、割れ目に触れるひんやりと濡れた感触。  ジェル状の〈クスリ〉がたっぷりと塗りつけられる。いや、塗るというよりも、厚い層になって覆っているという方がふさわしい量だ。  冷たく感じたのは一瞬だけだった。すぐに、灼けるような熱さに変わる。  〈パパ〉が私の手を掴んで、スカートの中に運んだ。そこは濡れているというよりも、粘膜がどろどろに溶けだしているかのような状態だった。  指を、割れ目の中に押し込む。  溶けた粘膜の中に指が沈んでいく。  〈パパ〉の唇が耳に触れる。 「ホテルに着くまで、自分でよく擦りこんでおけよ」  そんな指示は不要だった。  少しでも触れてしまったら、もう止まらない。私は夢中で指を動かしていた。それは〈クスリ〉を擦りこんでいるのではなく、ただただ自分を慰めるための愛撫だった。  〈クスリ〉を与えられてちょっと触れられただけで、もう、最高に相性がいい相手に挿入された時よりも感じていた。  だけど、〈クスリ〉が本格的に効いてくるのはこれからだ。まだ、ほんのはじまりに過ぎない。 「……あっ……んんっ! あんっ……ぁんっ……っ!」  指が止まらない。  少し動かしただけで、すぐに達してしまう。なのに、まったく満足できない。むしろ、〈渇き〉はいっそう強まるばかりだった。  スモークガラスで外から見られないのをいいことに、助手席で脚を大きく開き、まくり上げたスカートの裾を口にくわえ、狂ったように指を動かし続ける。  そんな様子をおもしろそうに眺めながら、〈パパ〉は車を発進させた。 * * *  〈パパ〉との逢瀬で何度も利用しているラヴホテルに入った時には、もう、自力ではまったく立てなくなっていた。  下半身が全部溶けて、愛液として流れてしまったかのよう。  〈パパ〉に支えられて部屋に入り、靴を脱がせてもらう。  そこは、あまり普通の部屋ではなかった。  部屋はかなり広い。  大きなダブルベッドがあるのは当然としても、その四隅には手枷、足枷が鎖でつながれていたり、部屋の中央に産婦人科を思わせる椅子が設置されていたり、壁際にはX型の磔台があったり。  つまり、〈そういう趣味〉の人たちのための部屋で――この〈パパ〉愛用の部屋でもある。  もっとも今の私の目には、そうした〈特殊な調度品〉など映ってはいなかった。  部屋に入るなり、腕の力だけで〈パパ〉にしがみついて、貪るように唇を重ねた。  舌を絡める。  唇の端から涎がこぼれる。 「……逢いたかった……パパ……逢いたかった。……パパと……したかった、抱いて欲しかった」  切ない想いが、涙とともにあふれ出す。 「パパもだよ、莉鈴」  骨が軋むほどに抱きしめられる。  身体が密着し、下半身が押しつけられる。そこに、硬いものが当たっている。 「……最近……あんまり逢えないんだもの……」  とめどもなくあふれる涙で、顔がくしゃくしゃになってしまう。せっかく、綺麗にお化粧してきたのに。  涙が止まらない。  前回逢ってから約一ヶ月という間隔はかなり長いものではあるけれど、それでもこれが初めてというわけではないし、普段ならここまで大袈裟に泣いたりしない。  大量の〈クスリ〉のせいか、いつもより情緒不安定になっているようだ。  しかし、近ごろ〈パパ〉が多忙なのは、実は私にも原因があり、自業自得ともいえた。  それは、今年の春休み――  〈パパ〉の命令で、大事な取引相手とやらを〈接待〉したのだ。  いうまでもなく、〈カラダを駆使しての接待〉である。  これまでにない大口の客ということで、〈パパ〉はいちばんのお気に入りである私を〈接待役〉に任命したのだ。  〈パパ〉のためなら、ということで少々やり過ぎてしまったのかもしれない。手加減抜きでサービスすると、相手はけっこうな年配だったのに、まるで十代の若者のような勢いで私の身体を貪ってきた。  その接待で相手に気に入られたのか、それとも中学生との淫行をネタに強請ったのかは知らないけれど、とにかく大口の契約を獲得して多忙な毎日を送っているという話だ。  以来、〈パパ〉がくれるお小遣いも倍増した。たぶん、ちょっとした大卒会社員の初任給くらいの額はもらっているだろう。  しかし、もともとあまり物欲がある方ではないし、そもそも服やアクセサリや下着などは彼を筆頭とする〈パパ〉たちが買ってくれるのだから、使うあてもない預金残高の数字が増えていくだけの、正直なところあまりありがたみも感じられない報酬だった。  それよりももっと逢えた方がいいのに、という想い。  この忌むべき相手に逢う回数が減って助かった、という想い。  いつも、ふたつの感情がせめぎ合っている。  ただし今に限っては、〈クスリ〉のせいで、頭の中は〈パパ〉を求める想い一色に塗りつぶされていた。 「……したかった……したくてたまらなかった」  泣きながら〈パパ〉の唇を貪る。  キスだけで達してしまいそうだった。 「そんなに溜まってたのか? さっき言った通り、埋め合わせに一ヶ月分まとめていかせてやるよ」  〈パパ〉が嬉しそうに笑う。 「……でも、どうせ、逢わなかった間は他の男たちと遊んでたんだろ?」 「そ、それは……」  一瞬、言葉に詰まった。  ここで「そんなことない」と否定するのは簡単だけれど、それは真っ赤な嘘だし、〈パパ〉が望んでいる答えでもない。そもそも〈パパ〉は私の普段の行動などお見通しだ。 「そ……それもパパが悪いんだから!」  だから、開き直ることにした。 「一ヶ月も放っておかれて、ひとりエッチだけで我慢できるわけないじゃない! 莉鈴のことさんざん調教して、パパなしでいられないカラダにしておいて、なのに一ヶ月も放置プレイなんて無責任よ!」  逆ギレ気味に叫んだ。しかし〈パパ〉は表情を崩さない。 「……で、浮気か? 莉鈴はいけない子だなぁ」  口調は穏やかだが、目が笑っていない。  商売柄だろうか、真剣な表情をするとけっこう凄みがある。その気になれば、こうして口元に笑みを浮かべたまま人を殺せるのではないかと思うほどだ。 「う……」  思わずたじろいでしまう。 「いけない子には、おしおきが必要だな」  首輪につながった鎖が引っ張られる。  革の首輪が肌に喰い込んでくる。  つま先立ちになっても〈パパ〉とは身長差がかなりあるから、さほど楽にはならない。  苦しくて。  だから……イイ。  軽く達してしまい、また、蜜が溢れ出てくる。 「……なぁ?」  促すように、鎖を引く手に力を込める〈パパ〉。彼が望んでいる言葉を口にすることを強要している。 「り……莉鈴は……いけない子です。……パパがいない間に、いけないこと……いっぱいしました。……だから…………おしおき、して、ください」 「言われなくても、するさ」  片手で鎖を持ったまま、もう一方の手をお尻の下に入れて私を抱え上げ、ベッドの上に放り出した。  〈パパ〉もベッドに座る。膝の上に私をうつぶせにして、パンツを膝まで下ろす。  まさしく、小さな子供がパパに〈おしおき〉される構図だ。  スカートがまくり上げられる。  パ――ンッ!  乾いた音が響く。 「ひぃぃっっ!」  同時に、短い悲鳴が上がる。  痛みは、一瞬遅れてやってきた。  パ――ンッ!  もう一度。  大人の力で振りおろされる腕。  柔らかな臀部に叩きつけられる掌。 「あぁぁっ!」  衝撃。そして、熱さをともなった痛み。  しかし今の私の身体には、それさえも至上の快楽だった。 「……あぁっ! …………あぁんっ! ……あぁぁっっ! ……あぁぁ――っ!」  掌が叩きつけられる回数が重なるごとに、悲鳴が甘くなっていく。  頬が上気してくる。  お尻の熱さが、全身に広がっていく。 「あぁんっっ! ……パパぁっ! ごめんなさいっ! ……パパぁァ――っっ!」  十回目で、最初の絶頂を迎えた。  ただ叩かれているだけで、達してしまった。  しかし、〈おしおき〉はまだ終わらない。  一定の間隔で繰り返される打撃音。  一発ごとに、気持ちよくなってくる。  一発ごとに、蜜が噴き出してくる。  痛いのに。  痛いからこそ、いい。  回を重ねるごとに昂って、しまいには一発ごとにエクスタシーを覚えるようになっていた。  気が遠くなる。  痛みと、それがもたらす快楽のために。  かろうじて回数を数えていられたのは、三十発くらいまでだった。以後はもう正気を保っていられなかった。  〈パパ〉の責めはその何倍かの時間続いていたように思う。  果てしなく続く、打擲。  それは限りなく激しい愛撫。  もう、お尻の感覚はない。  痺れたようになって、ただただ熱い。  真っ赤に灼けた炭でも載せられているような感覚だ。  いつ手が止まったのかも、私にはわからなかった。 「……おしおきされているのに、どうして莉鈴はこんなになってるんだ?」  〈パパ〉の手が、お尻ではなく割れ目の中に触れてきた。  「ひゃっ……んんっ!」  それまでとはまったく別種の快感に、身体がびくっと反応する。そのおかげで目が覚めた。  それは〈ぬるり〉ではなく〈びちゃっ〉という感触だった。  愛液は、滴るというよりも湧き出しているという方が相応しかった。 「叩かれて感じてるのか? 莉鈴はいやらしい子だな」 「あっひぃぃっ!」  熱く濡れた、柔らかな襞を力いっぱいつねられた。  お尻を叩かれる時の〈面〉の痛みではなく、鋭い〈点〉の痛み。  それでも、やっぱり、気持ちよかった。  〈クスリ〉漬けの身体は、どんな刺激であっても快感として受けとめてしまうようだった。 「叩かれているのにびちゃびちゃに濡れてしまう変態娘には、もっと厳しい躾が必要かな?」 「……ごめんなさい! 莉鈴は……おしおきされて興奮してしまう変態です。パパに叩かれて……いっぱい、いっちゃいました。……もっと……おしおき、してください……」  今の身体の状態は〈パパ〉に与えられた〈クスリ〉のせいであり、私の本来の体質ではないのだけれど、そんな理性の声は〈クスリ〉に増幅された本能にかき消されてしまう。  もっと、痛いことをして欲しい。  そして、もっともっと感じさせて欲しい。  もう、それしか考えられなかった。  膝まで下ろされていたパンツが、完全に剥ぎ取られる。  抱き上げられて、〈椅子〉に座らされる。  普通の椅子ではない。産婦人科にあるような、脚を拡げて固定できる椅子。本物との違いは、脚だけではなく腕も拘束できるようになっている点だった。 「あ……」  顔の両側で、手首が革のベルトで固定される。  脚も蛙のように開かされて台に乗せられ、太腿と足首が同様に固定された。  服は着たままだけれど、パンツは脱がされて、着ているものはミニのワンピースとソックスだけ。蜜があふれだしている恥ずかしい部分は、まったくの無防備でまる見えになっていた。 「……パパ…………」  続いて〈パパ〉が鞄から取り出したのは、短い〈鞭〉だった。  よくAV撮影で使われるような、音ばかりが派手でたいして痛くないゴム製のバラ鞭ではない。  細い金属ワイヤーを束ねて柄をつけた特注品、金属製のバラ鞭だ。  さほど力を入れずに打たれても、肌に直接当たればみみず腫れは必至だし、本気で打たれたら皮膚が裂ける。  そんな代物だった。  ごくり……唾を呑み込む。  初めてではない。  だからこそ、その威力を知っているからこそ、たとえ〈クスリ〉漬けの頭であっても恐怖心が拭えない。  顔の筋肉が、そして全身が強張る。  しかも、ただ打たれるだけではない。  次に〈パパ〉が手にしたのは、幅広のヘアバンドのような形と大きさの、黒い輪だった。  ただし、ヘアバンドよりも幅広で、材質は真っ黒いゴム製だ。  椅子に拘束されて身動きできない私の頭に被せ、目の位置まで引き下ろす。  視界が完全に遮られる。  それは目隠しだった。  幅広で、締めつけの強いゴム製だから、布製のアイマスクと違って少しくらい暴れてもずれることはない。つまり、暴れるような状況で使用される品だということだ。  視覚が奪われ、完全な闇に包まれる。  周囲で起きていることを認識する手段は、主に聴覚に限られてしまう。  微かに聞こえる〈パパ〉の足音。  そして、鞭のワイヤー同士がぶつかるカチャカチャという金属音。  次の瞬間―― 「……ひぎゃぁぁぁぁ――っっっ!!」  耳が、空気を切り裂くヒュンッという音を捉えたのと、私が絶叫したのが同時だった。  お腹に叩きつけられた灼熱の痛みを頭が認識できたのは、悲鳴の後だ。  なんの予告も前触れもなく打ちつけられた金属製の鞭。  視覚を奪われているから、身構えることはもちろん、心の準備をすることすらできなかった。  心身ともにまったく無防備なところに打ちつけられた、十数本のワイヤーの束。  痛みとして認識するのも一瞬遅れてしまうほどの衝撃。  服を着たままとはいっても、夏物のワンピースの薄い布地など気休めにもならなかった。  痛い。  そして、怖い。  見えていないからこそ、なおさら。  今の一撃、さほど力は込められていなかったはずなのに、お尻を叩かれていた時とは次元の違う痛みだった。  全身から汗が噴き出す。  目隠しの下では涙があふれている。 「……やぁぁぁぁぁ――――っっ!!」  二発目は、左の太腿に打ちつけられた。  やっぱり鞭が風を切る音と衝撃は同時で、覚悟のしようもなかった。  そして、一瞬遅れて痛みを認識する。 「や…………ぁ……ごめんなさい……パパぁ……、あぁぁぁぁ――っっ!!」  次は、右腿。  いつ、どこを打たれるのか、まったく予想できない。  まったく見えない、いつ来るのかもわからない、しかし、確実にやってくる恐怖。  ドッドッドッドッ……  視覚を奪われた分、敏感になっている耳に、自分の鼓動が聞こえる。  激しく、そして速い。  荒い息づかい。  無意識に漏れる、微かなすすり泣き。  聞こえるのはそれだけだ。〈パパ〉の気配は感じられない。  暗闇の虚空の中、私は独りきりだった。  まったくの〈無〉。  なのに―― 「いぎぃぃぃっっ!! ……ひぐぁぁぁぁっっっ!!」  痛みは襲ってくる。  腕……お腹……脚……そして胸。  その場所も、間隔も、一発ごとに変えて。  六回……  七回……  全身が灼けるようだ。  だんだん、間隔が短くなってくるように感じる。 「ぃぎゃぁぁぁぁんっっ!!」  ひときわ強く打ち据えられて息が止まったところで、連打がやんだ。  〈パパ〉がすぐ傍に立っているのを感じる。 「……あ」  胸元に手が触れてくる。  強く引っ張られる。 「ひっ!」  布が引き裂かれる音。  薄い生地の夏物のワンピース――先月逢った時に〈パパ〉にもらったお気に入り――が、びりびりに破かれて剥ぎ取られていく。  続いて、その下のキャミソール、そしてブラジャーが簡単に引きちぎられる。  ソックスだけを残して裸にされた。 「……ごめんなさい……パパ…………許して…………」  手の届く距離にあった〈パパ〉の気配が消える。  そして―― 「あぁぁぁぁぁ――――っっっ!!」  また、鞭が襲ってきた。  気休めといってもいい薄い布地も、一枚あるのとないのとでは、受ける痛みの桁が違った。  剥き出しの肌に打ちつけられるステンレスのワイヤー。  病的なほどに白く繊細な肌は、一撃で線状に腫れあがった。 「いやぁぁぁぁっっっ!! ひあぁぁぁぁぁっっ!!」  おそらく意識しての行動だろう。今まで衣類に護られていたお腹や胸を重点的に狙ってくる。  ワイヤーの一本が固くなった乳首を直撃した時には、悲鳴すら上げられなかった。  ここまで唯一、被害をまぬがれているのは首から上だけだった。しかしそれも、絶対の保証はない。  この〈パパ〉は、そうしたいと思えば後に残る傷をつけることも逡巡しない。事実、私のピアスホールは、乳首や小淫唇はもちろん、耳たぶもすべて〈パパ〉の手で開けられたものだった。 「いやぁぁぁ――――っっっ!!」  剥き出しの裸体をひと通り打ち据えると、同じ場所に二度目、三度目の打撃が襲ってくる。  最初の一撃で腫れあがっている肌への再度の打擲は、さらなる痛みを引き起こす。 「うぁぁぁぁぁ――っっっ!!」  痛い。  痛い。  痛い。  痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――。  怖い。  怖い。  怖い。  怖い。  怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――。  一撃ごとに、意識が飛ぶ。  頭の中が、至近距離でフラッシュでも焚かれたかのように真っ白になる。  いつ襲ってくるのか、いつ終わるのか、まったくわからない責め。  時間の感覚などまったく残っていない。  一発一発の間隔は、お尻を打たれていた時よりも長いはずだ。しかしその分、責めが続いている時間もずっと長いような気がする。  身体中が痛い。  もう鞭が当たっていない時も、全身の皮膚が激痛を訴えていた。  まるで、身体が腫れて倍くらいに膨らんでいるような感覚。  皮膚がずたずたに裂けて、全身が血まみれになっているような感覚。  実際にそんなことはないのだろうけれど、視覚を奪われて激しい責めが続いているために、感覚もおかしくなっているのだろう。  なのに―― 「……これだけ痛いことされているのに、莉鈴は本当にいやらしい子だな」 「ひゃあぁんっ!」  硬いものが股間に触れる。  鞭の柄が押しつけられているのだ。  伝わってくるのは、ぐっしょりと濡れた感触だった。  そこまで出血しているとは思えない。  失禁したにしてはぬめりを帯びた感触だ。  そして鞭の柄を押し込まれた時には、痛みではなく快感のために気が遠くなった。 「ご……めんなさい……パパ……っ」 「まったく……変態娘め」  次の一撃は、今日初めて、どこに来るのかが予想できた。心の準備をして次の瞬間を待ち構える。  しかし予想通りなら、それは覚悟なんてなんの役にも立たない痛打のはずだった。 「……パパっ! いや……だめっ! パ……いやぁぁぁぁぁ――――っっっっ!!」  拡げた脚の間に立った〈パパ〉が、鞭を振りおろす。  無慈悲なワイヤーの束が、濡れた粘膜にまともに叩きつけられた。  その、神経を灼き切るほどの痛み故に、失神することすら許されなかった。 * * *  全身の皮膚が熱い。  巨大なオーブンに裸で入れられたら、こんな感覚だろうか。  鞭の嵐は去ったみたいだけれど、傷みの記憶は身体中の痛覚神経に深く刻み込まれているようだった。  私はまだ解放されていない。  椅子に拘束されたまま。目隠しもされたまま。  微かに聞こえる、ライターの着火音。  ほのかに伝わってくる、煙草の煙の香り。  〈パパ〉が一服しているのだろう。平手で、そして鞭で私を打ち続けて、〈パパ〉だってけっこうな体力を消耗しているはずだ。  しかし、〈おしおき〉はまだまだ終わらない。  その証拠が、紫煙の香りに混じっている、微かに甘いような匂い。  それは、融けた蝋の匂いだった。 「あぁぁぁっっ!!」  突然、胸を襲った痛みに身悶える。  最初の一瞬、それは〈熱さ〉ではなく〈痛み〉だった。  ただでさえ、〈パパ〉は〈撮影用〉の低温蝋燭など使わない。ごく普通の大きな蝋燭、それも、私の白い肌に色が映えるという理由で、クリスマスキャンドルのような真っ赤なものを選ぶ。着色料が混じっている関係で、白い蝋燭よりも若干融点が高くなるのだそうだ。  そんな蝋燭で普通に責められるだけでも悲鳴を上げるには充分だけれど、しかも今は鞭で滅多打ちにされた直後。腫れあがり、出血もしているであろう肌にとって、滴る蝋は熔けた鉛のように熱く、濃塩酸のように痛かった。 「あぁぁっっ! あぁっ! あぁんっっ!! あぁぁ――っっっ!!」  何本もの蝋燭を束ねて持っているのだろう。融けた蝋の雫は〈ぽたぽた〉ではなく、大粒の夕立のように〈ばらばら〉と降ってくる。  両腕、両脚を拘束された身体が、椅子の上で跳ねる。  熱い雨は少しずつゆっくりと移動していく。  腕から右胸へ。  右胸から左胸へ。  そのまま左右の胸を往復する。 「いやぁぁ――っっ!! あぁんっ!! あんっっ!! あぁぁっ! あぁ――――っっ!!」  その一帯でいちばん敏感な部分を集中的に狙っているのだろう。乳首に立て続けに雫が落ちる。  やがて、お腹へと下りていく。お臍を中心に、渦巻きを描くようにまんべんなく紅い雫を降らせていく。 「いやぁっっ! あぁぁ――っっ!! あぁ――っっ! やぁぁ――っ!!」  そこからさらに下、右脚の太腿から膝、脛、そしてつま先。  やがて左脚のつま先に移動。右脚とは逆の進路で、お腹の方へと戻ってくる。 「あぁぁっっ!! やだぁぁっ! ああ――っっ!!」  来た道をゆっくりと遡って、上半身へと戻っていく。  だんだん、身体が強張ってくる。皮膚が硬く突っ張ったような感覚。降りそそぐ大量の蝋が固まって、脚を、お腹を、胸を、鎧のように厚く覆っている。  そして―― 「いやぁぁぁっっっ!!」  頬に、蝋が落ちた。  本当に火傷するほどの高温ではないはずだけれど、それでも熱いものは熱い。痛いものは痛い。そしてなにより、怖いものは怖い。  頭を振って蝋を避けようとすると、髪を掴まれた。  動けないように押さえつけられる。 「……いっ!! ――っ! ……っっっ!!」  頬、鼻、唇。  立て続けに蝋が降りそそぐ。  口の中に入りそうで悲鳴も上げられない。  さらに目の上に蝋が当たる感触に、思わず息が止まった。  丈夫な目隠しで覆われた目は、実際には、今もっとも安全な部位のはずだ。しかし、目を攻撃されるという本能的な恐怖心は抑えられない。  しばらくしてようやく蝋の雨が顔の上を通り過ぎた時には、心の底から安堵の息を漏らした。  しかし、それで安心するのはまだ早かった。  〈パパ〉はいちばんのご馳走を最後にとっておいたのだ。  灼けた雨が再び下半身へと向かった時、その意図を悟って青ざめた。 「パパっ! だめぇっ! やめてっ! そこっ! だめっ! いやぁ――っっ! あぁぁ――――っっっ!!」  脚を開かされているせいで小さく口を開いていた小さな割れ目が、指で大きく拡げられる。  灼熱の集中豪雨がその小さな谷を襲った。 「いあぁぁぁぁ――――っっ!! あぁっ!! あぁぁ――っっっ!! あぁぁんっっ! あぁぁぁぁ――――っっ!!」  単純に痛みを比較するだけなら、そこへの鞭の一撃の方がはるかに上だった。  しかしこの責めは一瞬では終わらない。 「あぁぁっ!! あぁぁっ!! あぁっっっ!! あぁっっ!! あぁぁ――――っっっ!!」  私が号泣して〈パパ〉が満足するまでいつまでもいつまでも続き、融けた蝋は噴火口から流れ出した真っ赤な溶岩のように、谷を埋め尽くしていった。 * * *  それは、通り雨と呼ぶには長すぎた。  灼けた雨がようやくやんだ時には、絶叫し続けていた私はもう息も絶え絶えなほどに消耗していた。  それでもまだ、終わらない。 「っあぁぁぁっっ!!」  また、鞭が振りおろされた。  〈おしおき〉のついでに、皮膚を覆っている蝋の甲羅を砕いていく。 「……あぁんっっ! あっ……っっ! あぁぁっっ!! あはぁぁ――っっ!!」  この頃にはさすがに痛みに対する感覚が麻痺していて、本来は激痛をもたらすはずの打撃は、気が遠くなるほどに甘美な刺激となっていた。  口元に、締まりのない笑みすら浮かぶ。  緩んだ唇から涎が流れ落ちる。  身体中をひと通り打ち据えると、〈パパ〉の手が乱暴に身体を撫でて、蝋の破片を取り除いていった。  繰り返し痛めつけられた肌には、たとえそっと触れられるだけでも灼かれるような痛みが走ったけれど、〈パパ〉は手加減などしてくれない。それに、今の私にはその乱暴な接触こそが至上の愛撫だった。  身体中の蝋を取り終わった手が、唇に触れる。頭を撫でる。 「……よしよし、よく我慢したね。痛かったろ」 「……パ……パ……、おしおき、は……終わり?」  唇が震えてうまく動かない。全身が痺れている。  そして心の奥底では、少しだけ「もっとおしおきを続けて欲しい」と願っていた。 「ああ、莉鈴は頑張ったから、ご褒美をあげるよ」  優しい〈パパ〉の声。 「ごほうび……? 莉鈴は……いやらしい、いけない子……なのに?」  か細い声。小さな子供のような口調。 「もちろん、いやらしい、いけない子にふさわしいご褒美だよ」  顔の横にあった〈パパ〉の気配が、下半身の方へと移動する。 「あ……」  ひりひりと痛む、なのに大量の蜜をあふれさせている割れ目に、熱い塊が触れる。  心の中は、次の瞬間訪れるであろうことへの期待でいっぱいになる。  強く、押しつけられる感覚。 「あぁぁぁぁ――――っっっっっ!!」  優しさの感じられない、力まかせの乱暴な挿入だった。小さな膣が一気に拡げられる。  なのに――  それだけで、達してしまった。  たったひと突きで、失神しそうになった。  長いストロークで打ちつけられる腰。その一往復ごとに絶頂を迎えてしまう。 「あぁぁんっっ! あぁぁっっ! い……いィィっっ! パパっ! パパぁぁっっ!」 「いいぞ。莉鈴のおまんこはよく締まって……最高だ。世界一だよ」 「いっ……いいの? あぁんっ! り、莉鈴のおまんこ、気持ちいいの? パパぁっ! もっと……いっぱい、よくなって……あぁぁっ! 莉鈴にも、いっぱい……っ、ちょうだい!」  頭で考えるまでもなく、腰が、そして括約筋が、〈パパ〉を悦ばせるために勝手に蠢いている。  それは当然の反作用として、私にも同じ快楽をもたらした。 「ああぁんっ! あぁぁ――っっ! あぁぁっっ!! パパぁ――っ!!」  激しく叩きつけられる腰。  膣内を蹂躙する固い男性器。  それが私に与える感覚は蝋よりも熱く、鞭よりも痛い。  だからこそ、この世のなによりも気持ちいい。  この快楽のためなら、なんでもできる。どんなことでも耐えられる。  もう、このまま死んでもいい。  あまりの気持ちよさに、もう本当に死にそう。 「パパっ! パパぁっっ! あぁぁんっっ!! パパぁぁ――っっ!!」  頑丈な金属製の椅子が軋んでいる。  絶え間ない絶叫がその音さえかき消してしまう。  激しい動きで、膣が火傷しそうなほどに摩擦されている。  そこを、いっぱいに締めつける。鍛えられた括約筋は、自分の指一本ですら痛いほどに収縮する。  その狭く曲がりくねったトンネルを、〈パパ〉の分身が力ずくで突き抜けてくる。  内臓を突き上げられる。 「あぁぁ――っっ!! いいぃぃぃっ! イクっ! いっちゃう――っ!!」 「イクのか? 莉鈴、いいぞ。パパもいくぞ」  さらに加速する腰。 「いぃぃ――っっ!! イって! パパぁっっ!! 莉鈴の中にいっぱい出して!」  もう、視界は真っ白だ。  シュッと、鼻にスプレーのようなものが吹きかけられる。  条件反射のように、深く息を吸い込む。  有機溶剤を思わせる刺激臭に、意識がふぅっと遠くなる。 「――――っっ!!」  次の瞬間、頭の中で爆発が起こったような衝撃に襲われた。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――っっっっ!!」  すべてが、真っ白になる。  頭が風船のように膨らんで、破裂する。  身体中の細胞が弾ける。  上下の感覚がなくなって、身体がぐるぐる回っているよう。  無数の色彩が、咲き乱れる花のように、花火のように、周囲を彩っている。  次の瞬間、私の身体は宙に投げ出されていた。  数百、いや数千メートルの高空。  なんの支えもなく、墜ちていく。 「あぁぁぁぁぁ――――――――――っっっっ!!」  熱い。  下半身が灼かれる感覚。  胎内に噴き出してくる〈パパ〉の精は、灼熱の溶岩のように熱く、私の身体を内側から灼いていた。  その熱が全身に回る。  燃えさかる火の玉になって墜ちていく。  永遠に続くかと思われた、灼熱の落下。 「――――――――――――――っっっっっ!!」  地面に叩きつけられる衝撃。  私の身体は、意識は、そこで粉々に砕け散った。 * * *  いったいどのくらいの時間、朦朧としていたのだろう。  数分? 数十分? それとも数時間?  なんとか自我をとり戻した時には、椅子から下ろされて、フローリングの床に転がされているようだった。  とはいえ、身体が自由になったわけではない。  まだ目隠しはつけられたままで、なにも見えない。  腕は身体の後ろで組んで、ロープで固く結ばれている。  脚も、短い鎖でつながれた足枷を両足首にはめられているようで、肩幅ほども開くことができなかった。そもそも脚にはろくに力が入らず、これでは立って歩くことなど不可能だ。  私は、独りだった。  近くに、〈パパ〉の気配が感じられない。  なにも見えず、聞こえるのも微かな空調の音だけだ。  〈パパ〉の存在を示す煙草の香りもしない。  誰もいない。  なにもない。  ただ独り、虚空に放り出されてしまったかのよう。  唯一はっきり感じられるのは、硬い床に触れる肌の痛みだけ。  空調は効いているはずなのに、妙に肌寒く感じた。 「……パパ?」  闇の中で〈パパ〉を呼ぶ。  しかし、返事はない。 「……パパ? ……ねぇ、パパ?」  右に、左に、首を振って呼ぶ。  そんなことをしなくても、たとえトイレやバスルームにいたって声は届くはずなのに。 「パパ! ……パパ! パパっ!」  だんだん、声が大きくなってくる。  膨らむ不安に比例するように。  なにも心配はいらない。  なにも気にする必要はない。  〈パパ〉は近くで息を殺して、私の様子を見て楽しんでいるだけ――。  理性ではわかっていても、なんの慰めにもならない。  感情が、そして身体が、納得してくれない。 「パパっ! ねぇ! パパ! どこ?」  返事はない。  気配もない。  私は決心する。  〈パパ〉の方から来てくれないのなら、こちらから探しに行くしかない。  立って歩くことができず、手も使えないので、身体を捩って、芋虫のように床の上を這っていく。  ずるずる……  ずるずる……  鞭と蝋燭で痛めつけられ、黙っていても絶え間ない痛みを訴えている肌は、硬い床に擦られるたびに激痛が走った。  それでも、這っていく。 「パパっ……パパぁっ! ……あぁぁっっ!?」  闇雲に這っていて、いきなり硬いものに頭をぶつけた。  金属の硬さと冷たさを感じる。おそらく、さっきまで座らされていた椅子だろう。  こぶになりそうなほどの衝撃だったけれど、無視して、方向転換して進み続ける。 「パパ……パパぁ…………パパぁ!」  〈パパ〉を呼ぶ声は、いつしか泣き声になっていた。  まるで、小さな子供のような声。  幼少の頃、人ごみの中で両親とはぐれて迷子になった時の不安感が襲ってくる。  知らない世界に独りでとり残されたかのような、あの不安、絶望、恐怖。 「パパぁ…………パパぁ……」  泣きながら、惨めに床を這っていく。  ずるずる……  ずるずる…… 「……ひぎゃぁんっっ!?」  また、硬いものにぶつかる。壁だろうか。 「……パパ……ぁ……あぁぁん……うぁぁぁ……」  動く気力も尽きて、壁に頭を押しつけたまま本格的に泣き出した。  涙がとめどもなくあふれてくる。  もう〈パパ〉には逢えない。  永遠に独りぼっち。  そんな絶望感に囚われてしまう。 「パパぁ…………」 「……ここだよ、莉鈴」 「パパっ!?」  声は、背後から聞こえた。  ばっと寝返りをうち、声のした方へと這っていく。 「パパ! どこ? パパ!」  ずるずる……  ずるずる…… 「――っっ!!」  また、頭をぶつけた。今度はテーブルだ。 「莉鈴、こっちだよ」  声は横から聞こえる。  〈パパ〉が移動しているのか、それとも私の方向感覚がおかしくなっているのか。 「パパ!」  向きを変えて、進んでいく。 「……こっちだって」 「パパ!」  必死に這っているのに、近づいている気配がまるでない。  立って走れないのがもどかしい。  力を振り絞って、上体を起こして膝立ちになった。全身のばねを使い、勢いをつけて立ち上がるような動きで床を蹴ってジャンプする。  もちろん、着地のことなんて頭になかった。手が使えないから、前のめりに倒れて顔と肩をいやというほど床に打ちつけた。  それでもすぐに顔を上げる。 「……パパ!」 「こっちこっち」  また、声は横から聞こえた。  ほんの少しだけ、近づいたような気がする。  ぶつけた顔の痛みなど構わずに、もう一度、声の方へとジャンプ。  やっぱり顔から着地してしまう。鼻をまともにぶつけて、鼻血が出たかもしれない。 「こっちこっち」  声は、さらに近くなる。 「パパぁっっ!!」  最後の力を振り絞って、三度目のジャンプ。  また倒れそうになって、しかし今度は床にぶつかる前に、柔らかな感触が顔に当たった。 「……パパ!!」  椅子やテーブルとは違う、柔らかな温もり。  〈パパ〉の脚だった。 「パパ……パパ……パパだぁ……」  嬉しくて仕方がない。  また、涙があふれてくる。今度は不安のためではなく、嬉しさのあまり。  じゃれ合う動物のように〈パパ〉の脚に顔をこすりつけながら、上体を起こしていく。 「パパ……パパ……、逢いたかった、パパぁ……」 「……莉鈴」  鎖の音。  首輪に鎖がつながれる。  それだけで、安心してしまう。  〈パパ〉とつながっていられるから。 「パパ……ぅんんっ……」  強引に引っ張りあげられ、膝立ちにさせられる。 「あ……んんっ……んぅ……」  唇に熱い塊が触れた。  それがなんであるかを頭で理解するよりも先に、身体が反応して無我夢中でしゃぶりついた。  さっきまで私を貫いていた〈パパ〉の分身。  口いっぱいに頬ばる。  熱くて硬い、欲望で満たされた肉の塊。  これまで、数え切れないほど私を穢してきたもの。  なのに今は、これが愛おしくて仕方がない。  膝立ちで精いっぱい伸びあがる。そこからさらに鎖を引っ張られて、首が締めつけられる。  それでも口での奉仕に専念する。  口の中が唾液でいっぱいになる。それを塗りつけ、舌を絡め、唇で締めつけて力いっぱい吸う。 「ぅん……ぐぅ……んんっ」  腰が突き出され、喉を拡げて押し入ってくる。  大きな男性器が根元まで口の中に押し込まれる。  喉がふさがれ、息が詰まって苦しい。  それでも嬉々として奉仕を続ける。  〈パパ〉に陵辱されることが、〈パパ〉を気持ちよくさせられることが、嬉しくて仕方がない。  唇で、内頬で、舌で、そして喉で、〈パパ〉を悦ばせる。  〈パパ〉は片手で鎖を引っ張り、もう一方の手で私の頭を掴んで強引に押しつけ、喉を乱暴に犯している。  これが気持ちいい。  気持ちよくて仕方がない。  〈クスリ〉のせいか、あるいは視覚を奪われているせいか、触覚が普段の何倍も敏感になっているようだった。  首輪が喉に喰い込むのすら気持ちいい。  口の中なんて、普段の性器よりも感じてしまう。  頭の中が真っ白になり、理性が消失する。 「んん――っ! んぅん……んぐぅ……んんん――っっ!!」  私が絶頂を迎えた瞬間、亀頭だけを中に残して引き抜かれた。  同時に、熱い体液の塊が噴き出して、口の中いっぱいに広がった。  今の私にとって、それは甘露だった。母親の乳首に吸いつく赤ん坊のように、夢中で一滴残らず貪った。  その、口に絡みつく粘液の感触すら、快感だった。  気持ちよすぎて失神しそうだ。  朦朧とした頭で、本能のままに未練がましく吸い続ける。無理やり引き抜かれた時には、不満の声を上げそうになった。  〈パパ〉の腕で抱き上げられる。  ベッドに運ばれ、仰向けに寝かされた。  〈パパ〉が隣に座ったのを感じる。 「あ……」  大きな手が、身体の上に置かれた。  顔から首、胸、お腹、性器、太腿……身体全体を撫でていく。  みみず腫れと擦り傷と低温火傷、それに打撲だらけの肌は、触れられただけでも痛い。  だけど〈パパ〉に触れられているのだと思うと、この痛みだけで達してしまいそうだった。 「可哀想に。こんなに傷だらけになって」  その手が一度離れ、次に触れてきた時には、ひんやりと濡れたぬめりに包まれていた。  それが軟膏やクリームのような傷薬なのか、単なるローションなのか、はたまた塗るタイプの〈クスリ〉なのかはわからない。  しかし、その感触は気持ちよかった。  全身に塗り広げられていく。痛みが少しだけやわらいだようにも感じるけれど、たぶん気のせいだろう。  次に、両乳首のピアスがつままれ、真ん中に寄せるように引っ張られた。小さな金属音の後に手が離れても、胸は不自然に中央へ引き寄せられたままだった。ピアス同士が、小さな南京錠のようなものでつながれているようだ。  寄せられた胸の谷間に滴る、ひんやり、ねっとりとした感触。大量のローションが流れ込んでくる。  〈パパ〉が私にまたがってくる。胸の下に重みを感じる。 「あ……ふぅん……」  胸の膨らみに触れる、熱い感触。  ぬるり……と谷間に滑り込んでくる。  ピアスをつないで作った谷間に、まだ勢いを失っていない肉棒が挿し入れられた。 「んっ……ぁ……んっ」  少し、痛い。  傷ついた胸を擦られるのはもちろんだけれど、乳首を引っ張られることも痛い。  胸は大きい方だとはいっても、それは華奢な体格の割に、という注釈つき、相対的な大きさの話だ。巨乳が売りのぽっちゃり系AV女優のような、簡単に男を挟めるほどの絶対的なサイズはない。  小柄で痩せていて、胸とお尻の一部を除けば余分な皮下脂肪など皆無の身体なのだ。なのに無理やり寄せられて、けっして小さくはない〈パパ〉の男根を押し込まれて、つながれた乳首が乱暴に引っ張られる。 「あっ……っんんっ、……くぅぅ……んんっ!」  腰を前後に揺する〈パパ〉。  密着していた乳房とペニスが擦れあう。  気持ち、いい。  胸が、信じられないくらいに気持ちよかった。  赤く腫れあがった胸は、性器と変わらないくらいに敏感になっていた。  この行為はパイズリなどではなく、まさしくセックスだった。  加速していく腰の動き。  それに比例して急激に高まる快感。  パイズリなんて、本来、実際の快感よりも視覚効果を重視して、男を悦ばせるためにある行為ではないだろうか。女の子の方がこんなに感じて、今にもいきそうになっているなんて聞いたことがない。  感じる。  感じすぎてしまう。  引っ張られる乳首の痛みも、それが強ければ強いほど、快感だった。  ……いい。  ……もっと。 「あぁ……っ、あぁっっ! パパぁっっ! あぁぁ――――っっっ!!」  顔に降り注ぐ白濁液を感じながら、達してしまった。  さすがの私も初めての、パイズリでの絶頂だった。 「本当に感じやすいんだな。インラン莉鈴」  からかうように胸をつつき、南京錠を外す。 「……うるさい……パパのばかぁ……」  さすがに恥ずかしくて、口を開けば出てくるのは憎まれ口だ。  目隠しされていてよかった。これで〈パパ〉の顔が見えていたらもっと恥ずかしかっただろう。 「……パパのせいで……すっごく、敏感になってるんだもの……」 「じゃあ、もっといいことをしてやろう」  そんな言葉と同時に、爽やかなミントの香りが鼻腔をくすぐった。  ローションよりもひやっとする、メンソールのような感触が胸に滴る。 「――――っっ!!」  次の瞬間、その場所を激痛が襲った。 「いやぁっっ! 痛いぃっ! やだっ、パパっ!! なにっ!?」  ひんやりとした感触が、胸を起点にして全身に塗り広げられていく。  冷たく感じるのはほんの一瞬の錯覚。次の瞬間、それは熱さすらともなう激痛に変わっていく。 「どうだい、ハッカオイルの味は?」 「パパぁっ!? あぁぁっ! あぁぁぁぁ――っ!!」  痛い。  痛い。  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  叩かれる時のような、皮膚の表面の、歯を喰いしばって耐えられる類の痛みではない。  身体の中に、皮膚の下に、染み込んでくる痛み。  全身をかきむしりたくなるような苦しみ。  純粋なハッカオイルは、量が多ければ普通に肌に塗っても痛みをともなうものだ。傷だらけの腫れた肌にたっぷり塗りこまれれば、その効果は何十倍にも増幅される。  死にそうな痛み。  死んだ方がましと思えるような痛み。  痛い。  痛い。  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  ベッドの上で悶え苦しむ。  身体をこすりつけて拭い取ろうとしても、無駄な足掻きだった。痛みの源は、皮膚の下に浸透した刺激成分であり、痛み出してから拭っても後の祭りだった。  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  これまでの責めで消耗しきっていたはずなのに、私は船上に釣り上げられたカツオのような勢いで暴れ回った。  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――  痛い――――――――――――――  なのに――  しばらくして痛みがいくらか治まり、冷静さを取り戻した時には、お尻の下のシーツがぐっしょりと濡れていた。  信じられない。  あの激痛で、どうして濡れてしまうのだろう。  いくら大量の〈クスリ〉漬けだとしても、あんまりだ。  疲れきっているのに激しい責めを繰り返されて、感覚がおかしくなっているのかもしれない。  もう本当に、限界まで消耗しきっていた。  肺が空っぽになるほどの絶叫の繰り返し。  数え切れないほどの絶頂の繰り返し。  それだけでも相当な体力を消耗する。  加えて、精神的な疲労と、責めによるダメージの蓄積。  もう、寝返りをうつ力も出てこない。  今日はさすがに激しすぎだ。  最初に、あまり逢えないことに対する不満を口にしたからだろうか。本当に今日一日で一ヶ月分を埋め合わせるつもりなのかもしれない。私の体力などお構いなしだ。  いったい、ホテルに入ってからどのくらいの時間が過ぎたのだろう。  正気を失う激しい責めの連続。  失神もしていた。  時間の感覚などまったく残っていない。  それでも、〈パパ〉の責めはまだまだ終わらない。  ベッドの上でうつぶせにされる。  まだ目隠しされたままで、腕も脚も拘束されている。 「……あっ……ン!」  私の中に、入ってくる。  大きくて、固い弾力のあるもの。  だけど〈パパ〉じゃない。大きさは似ているけれど、感覚が違う。  生命を持たない、無機的な〈オモチャ〉。  ずぶ濡れの秘肉を割って、奥の奥まで押し込まれる。 「あっ……パ……パぁ……、っあぁぁんっ!」  スイッチが入れられ、モーターが唸りだす。  私の中でぐるぐると回転し、カスタードクリームのようにとろけた粘膜をかき混ぜる。 「は……あぁぁんっ! あぁっ、あぁんっ!」  膣口を支点にして、奥へ行くほど大きな円を描くようにうねる、擬似的な男性器。  けっこうな大きさではあるけれど、痛みに顔を歪めるほどではない。  ここまで激痛をともなう責めが続いていたけれど、こうした普通の愛撫が物足りなく感じるわけではない。その気持ちよさには素直に反応してしまう。 「んぁ……ぁんっ、……いぃ……あぁぁ……これ、いぃ……」  自分から押しつけるように、お尻を高く突き上げる。  中を締めつけ、回転に合わせて、逆に自分がいちばん強く刺激を受けるように腰をくねらせる。  気持ちいい。  気持ち、いい。  だけど――  ひとつだけ、不満。  少しだけ、物足りない。 「あぁんっ! パ、パぁ……パパの……がいいの、……挿れて」  〈パパ〉が、欲しかった。  無機的な器具ではなくて、熱い、〈パパ〉の身体を挿れて欲しかった。  そして、胎内を精で満たして欲しかった。  欲しい。  欲しくてたまらない。  気持ちよくなればるほど〈パパ〉が欲しくなってしまう。 「バイヴで充分すぎるほどに感じてるじゃないか」  皮肉っぽく言って、バイヴを乱暴に抜き挿しする〈パパ〉。 「あぁぁっっ! あんっ、でもっ! ……か、感じてるけどっ!! でもっ、パパの……方が、もっと感じるもん!」  器具で貫かれている悦びに、性器から愛液の飛沫を撒き散らし、口から泡を吹きながらの台詞では説得力はないけれど、物理的にどちらがいいという問題ではない。  心が、魂が、〈パパ〉を求めていた。 「……オモチャなんかより、パパがいいの!」 「そうまで言われちゃ、仕方ないな」  挿れたままのバイヴから手を離し、〈パパ〉が背後へと回る。  突き上げているお尻をつかまれる。 「ひゃんっ!?」  お尻に滴る、ローションの冷たい感触。 「……や……ちょっ……パパっ!?」  両側からつかまれ、拡げられる双丘。  その中心に押し当てられる、固い弾力を持った熱い塊。  力強く押しつけられる。  小さな窄まりが、力ずくで拡げられていく。 「ぁあんっ!……そこ……っ、ちが……ぁぁんっっ!」 「莉鈴は、お尻も好きだろ?」 「すっ、好きだけどっ……でもっ! ……あぁんっ!」  たっぷりのローションで摩擦係数が限りなく小さくなっているところに、体重をかけて腰を押しつけてくる。  どんなに力を入れても〈パパ〉の侵入をくいとめることができない。自慢の締めつけも、成人男性の本気の力に敵うわけがない。 「んあぁっっ!! ぅんんん……あぁぁっっ!!」  強張った括約筋が強引に拡げられる痛み。  同時に、大きな塊が、ぬるり……と通り抜けていく。 「あぁぁ……は……ぁぁ、んんっ!」  ゆっくり、しかし一瞬もとどまることなく、侵入してくる。  お尻が、熱い。  深く、深く、〈パパ〉が入ってくる。  膣と違って行き止まりがないから、どこまでも深く入ってくる。  直腸で、熱い肉塊の存在を感じる。  息が苦しい。  薄い粘膜の壁を隔てたところでは、まだ、大きなバイヴが膣内を満たし、機械の力で休むことなく暴れている。  そこへ、〈パパ〉が加わる。  細い、華奢な下半身の中に、大きな異物がふたつ。  小さな身体を内側から押し拡げ、内臓を圧迫し、中でぶつかりあって私を蹂躙する。 「あぁっ! や、あぁぁ――っっ! あぅんっ、く……ぅん! だ……めぇっ、パパぁ――っ!」  〈パパ〉は腰を激しく打ちつけながら、バイヴをつかんで乱暴に抜き挿しする。  膣よりもさらにきついお尻への陵辱。しかも前後同時で、中にはまったく余裕がない状態。  その刺激は強すぎて、それ故に気持ちよすぎた。 「パパぁ――っっ! あぁぁ――……っっ」  首輪の鎖を引っ張られ、首が仰け反る。  気管がまともに締めつけられ、息が止まる。  脳への酸素の供給が滞り、目の前が暗くなっていく。  身体が浮遊感に包まれる。 「………………っっっ!!」  お尻の奥にほとばしる熱さを感じながら、また、意識を失ってしまった。 * * *  その後も〈パパ〉は手を変え品を変え、私を陵辱し続けた。  私は何度も泣き、叫び、快楽を極め、失神した。  すべてが終わってホテルを出た時には、外はもう真っ暗だった。  破かれた服の代わりに〈パパ〉が用意していた新しい衣類を身に着けた私は、車の助手席でぐったりしていた。  〈クスリ〉が抜けたせいで、真夏だというのにひどく寒い。そして、ひどい倦怠感に包まれている。  たぶん〈クスリ〉の副作用を抜きにしても、動けないほどに疲れきっているのだろう。今日の責めの激しさを考えれば、むしろ生きているのが不思議なくらいだ。  全身が痛い。  だけど、ひどく眠い。  それでも私は必死に意識を保っていた。〈パパ〉といられる残りわずかな限られた時間、少しでも無駄にはしたくない。  車に乗ってからずっと、私はシートベルトを外して横になり、〈パパ〉の脚の上に頭を預け、〈パパ〉を口に含んでいた。  〈パパ〉とつながっていたかった。  〈クスリ〉が抜けて、津波のように押し寄せていた快感がなくなった分、少しでも〈パパ〉を感じていたかった。  朦朧とした頭。今にも意識を失いそうな疲労。全身を襲う痛みさえ、心地よい夢の中の感覚のよう。  その中で、口の中に在る〈パパ〉だけが、唯一、現実感のある存在だった。  それは、今日一日、幾度となく私を貫き、犯し、陵辱したもの。  私に数え切れないくらい快楽の頂を越えさせ、狂わせたもの。  世界でいちばん、愛おしいもの。  この世でいちばん、忌むべきもの。  一瞬だって見たくもないもの。  ずっと、感じていたいもの。  唇や舌と同調するように、手も、スカートの中で蠢いていた。  下着はつけておらず、そこは相変わらずの泥沼だった。 「あれだけしたのに、まだ足りないのか?」  私にされていることなど気づいてもいないかのように平然とハンドルを握っていた〈パパ〉が、呆れたように苦笑する。 「……こんなカラダにしたのは誰よ!」  他でもない、この〈パパ〉だ。百パーセントではないにせよ、責任の大半はこの人にある。 「……ねえ、やっぱり、泊まっていけないの?」  何度目かのその台詞は、自分で思っていた以上に哀しげな声になった。  一ヶ月分を一日に濃縮したような激しい行為だったけれど、いや、だからこそ、それだけでは満足できなかった。  もっと、ずっと、余韻に浸っていたい。  このままお別れなんて、寂しくて泣いてしまいそう。 「残念だけど、今夜の便で南米に飛ばなきゃならないんだ」 「…………そう」  哀しげにうつむいて、また、〈パパ〉を口に含む。  残り時間はもう秒読み。一秒でも長く〈パパ〉を感じていたい。  だけどそんな時ほど、時間は無情なほどに速く流れてしまう。私の感覚ではあっという間に、車は私が住むマンションに着いてしまった。 「……莉鈴」  手が、頭に触れてくる。  未練がましくくわえ続けている私を引き剥がす。  顔を上げさせて、唇を重ねてくる。  私は舌を伸ばして〈パパ〉の唾液を貪った。  そうしていられたのもほんの数秒間のこと。〈パパ〉は私から離れると、車から降りて助手席のドアを開けた。  とても自力で立って歩ける状態ではない私を抱き上げて歩き出す。建物の中に入り、エレベーターのボタンを押す。  私は少しでも接触面積を増やそうと、ぎゅっとしがみついていた。  〈パパ〉の温もり。  まもなくそれがなくなってしまうと思うと、気が狂いそうだった。  このまま、エレベーターが故障すればいいのに――そんな想いも虚しく、すぐに家の前に着いてしまう。  〈パパ〉はそっと私を下ろし、倒れないように支えてくれている。 「……少し、うちに寄っていかない?」  最後の悪あがき。  飛行機の出発時刻が迫っているのはわかっているけれど、感情が納得してくれない。離れたくない。 「そこは、けじめをつけないとな」  あっさりと言う〈パパ〉を無言で睨みつける。 「日本に戻ったら、また連絡するよ」  慣れた態度で唇を重ね、軽く舌を絡めてくる。  悔しい。  私はこんなにも切なくて、哀しくて、寂しくて。  なのに〈パパ〉は余裕しゃくしゃくで、私と離れることなんてなんとも思っていないみたい。  それが、悔しい。  とても、哀しい。  だから、なんでもない風を装って、ぷぃっと視線を逸らして家の鍵を開けた。 「……いつまでも放っておいたら、また浮気するんだからね」  背中を向けたまま、捨て台詞。  ああ、もう。  こんな、子供っぽい態度。  拗ねているのがあからさまではないか。  なのに、言わずにはいられない。  それが、悔しい。 「……またね!」  怒ったように言い捨ててドアを開ける。それと同時に肩をつかまれ、振り向かされた。  もう一度、キスされる。  舌が熱い。  頬が紅くなってしまう。  〈パパ〉は笑っている。私の心情など知り尽くしているという、余裕の笑みだ。  悔しい。なのに、頬が緩みそうになる。それをこらえて、唇を尖らせて上目遣いに睨んだ。 「……愛してるよ、莉鈴」 「――――っっ!」  けっして口先だけではない、優しい言葉。  そう。  〈パパ〉が私に陵辱の限りを尽くすのは、単に自分の性欲を満たすためではなく、私を愛しているからなのだ。  誰よりも愛しているからこそ、誰よりも私をめちゃめちゃにしなければ気がすまない。  ある意味、子供っぽい独占欲。  それがわかっているから、「愛してる」なんて言われると怒りを維持できなくなってしまう。泣き笑いの表情になりそうなところを必死にこらえる。 「……私も愛してるわ、パパ」  呪いの言葉でも吐くような口調でつぶやくと、家に入って後ろ手にドアを閉めた。  ドアを背にして、寄りかかるように立つ。  〈パパ〉の腕の支えがなくなって、自分の脚だけでは立っていられなかった。  ドアの向こうで、〈パパ〉の足音が遠ざかっていく。  それが聞こえなくなると、脚から完全に力が抜けて、寄りかかっていてさえも立っていられなくなった。  ずるずると頽れる。  暗い――  明かりをつけていない、真っ暗な玄関。  寒い――  〈パパ〉の温もりが完全になくなると、凍えそうなほどに寒かった。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い。  寒い――――  今日一日、傍にあった温もりがなくなってしまった。  全身の痛みすら、感じなくなっていた。  なにも、ない。  絶対零度の虚空に放り出されたかのような、寒さと心細さに包まれる。  逢いたい――  〈パパ〉に、逢いたい――  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  逢いたい。  どんなに願っても、その想いは叶わない。  これから数十時間、私と〈パパ〉の距離は離れていく一方だ。  痛い――  肉体の痛みは、感じない。  その代わり、心が痛かった。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  鞭の痛みなど比べものにならない痛み。  身体の外からの加撃による痛みよりも、関節や骨、臓器といった身体の内部の痛みが耐え難いように、心の内側から込みあげてくる痛みはさらに耐え難いものだった。  その痛みの中から噴き出してくる、どす黒い負の感情。  清水を満たしたグラスに落とした墨の雫のように、心の中が黒く覆われていく。  今日一日、いったいなにをしていたのだろう。  あの男に、陵辱の限りを尽くされていた。  身体中、あらゆる場所を犯され、穢され、ありとあらゆる辱めを受けていた。  ……それは、いい。  だけど……  私は、それに対してなにをしていたのだろう。  気持ちよくて、悶えて、喘いで、数え切れないほど何度も何度も快楽の頂を極めて。  何度も何度も何度も何度もあの男を求めて。  穢らわしい体液で、口を、子宮を、直腸を、満たされて悦んでいた。  あらゆる陵辱が、至高の悦びだった。  いやだ――  そんな自分が、いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  穢らわしい。  自分の身体を抱くようにして、皮膚に爪を立てる。  爪が肌に喰い込んで血が滲んでいるはずなのに、痛みも感じない。  穢れた、身体。  穢れた、心。  償いようもない、無数の罪を背負った忌まわしい存在。  その存在のすべてを否定したい。  死にたい――  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。  死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。  ――――死んでしまいたい。  無意識のうちに手が動いて、玄関に放り出したはずのバッグを探していた。  今日は私服なので、持っていたのは小さなハンドバッグだけれど、もちろん剃刀は入っている。  バッグが手に触れた。  暗闇の中、手探りで剃刀を探す。  それは、すぐに見つかった。  手に馴染んだ、小さな凶器。  だけど――  足りない。  これでは、足りない。  もう、これではだめだ。  今の私に必要なのは、こんな小さな刃ではない。  もっと、もっと、もっと、もっと、大きな刃。  心臓を剔れるような。  首を斬り落とせるような。  そんな、刃。  家にある、いちばん大きな凶器はなんだろう――真剣に考える。  出刃、柳刃、それとも鋸。  キッチンと物置、どちらを探せばいいだろうか。  そのためには、とにかく移動しなければならない。  だけど、立ち上がる体力も気力も残っていない。  玄関で座り込んだまま、動けなかった。  もう一度、バッグの中を探る。  なにか、ないだろうか。  飴とか、チョコレートとか。立ち上がって、ほんの少し移動する力を与えてくれるなにかが。  そう思って手を動かしていると、いきなりバッグが震えた。  突然のことにバッグを放り出しそうなほど驚いたけれど、すぐに、携帯電話だと気がついた。〈パパ〉との逢瀬を邪魔されたくなくて、朝、カフェにいた時からずっとマナーモードにしていたのだ。  手にとって開く。  暗闇の中で、長方形の明かりが浮かび上がる。  そこには〈早瀬〉という文字が記されていた。 「………………誰?」  本気で、そう思った。  想い出すには、少なくとも数秒の時間が必要だった。  絶望的な想いに囚われていた頭が、多少なりともまともに動きはじめるには、それだけの時間がかかった。  朝のカフェから今までずっと、〈パパ〉との今日の出来事が私にとっての〈すべて〉だった。  それだけが、頭の中の、心の中の、すべての領域を占めていた。  そこへ遠慮なく土足で上がり込んでくるような男は、ひとりしかいない。 「…………」  さらに数秒待って、それでも呼び出しが続いているので受話ボタンを押した。 「………………なに?」  機械の方がよほど暖かみがあるだろう、という無機的な声だった。 『ああ、ようやくつながった。……今日、なにしてたんだ?』 「…………あなたには関係ない」  早瀬の口ぶりだと、これまで何度か連絡していたのだろうか。  そういえば今日は平日だった。学校を休んでいればやっぱり気になるのだろう。  体調のせいか精神状態のせいか、私の声はいつもにも増して無機的だった。  最近では珍しい反応だ。関係を持ちはじめた頃はともかく、近頃、早瀬に対しては、無機的というよりも不機嫌そうな態度をとることが多かった。  電話の向こうから、やや戸惑っているような気配が伝わってくる。 『あ……えっと、ちょっと話があるんだけど……これから、会えないか?』  その台詞に、微妙な違和感を覚える。  いつものお誘いなら、ただ「会えないか?」と訊いてくる。わざわざ話があると言うからには、用件はいつもの〈性欲解消〉ではないのだろうか。  他に考えられるとしたら「カヲリにばれたから、もうやめにしよう」とかかもしれない。  だったら電話ですませればいいのに。わざわざ、さらに誤解を重ねるようなことすることもあるまい。 「……電話で、すませられない用?」 「ああ……ちょっと、直に話したい」 「…………」  しばし考える。  今、私が早瀬の家へ行くことはもちろん不可能だ。立つことすら難しい。少しでも気を抜けば、意識を失いそうな状態だ。 「……だったら、うちに、来て」 『いいのか?』 「……鍵は開けておくから、勝手に、入って」  早瀬が着く前に力尽きてしまうかもしれないから。  それだけ言って、返事も待たずに電話を切った。そこで、電話の着信とメールの受信を示すアイコンの表示に気がついた。やっぱり、何度も連絡を取ろうとしていたらしい。  それほどの急用なのだろうか。  用件がなんであろうと、私には関係ない。どうでもいい。  携帯をバッグにしまって、大きく溜息をついた。  力を振り絞って身体を動かす。  靴を脱ぎ捨て、立つ力はないので這うようにして自室へ向かった。  身体に力が入らない。自分が大きな蛞蝓にでもなってしまったかのような感覚だった。  痛い。  身体中がひりひりと痛む。  床に当たって擦れるたびに顔を歪める。  自室に入ると床には絨毯が敷かれているけれど、このぼろぼろの身体にとっては、フローリングの廊下との違いは気休めにもならなかった。  立って照明のスイッチを入れることもできなかったので、暗がりの中を手探りで進んでベッドに這い上がった。  横になったまま、服を脱ぐ。  今日、〈パパ〉にもらった可愛いドレス。下着を着けていなかったので、お尻の下がぐっしょりと濡れていた。  服を放り投げ、ソックスも脱ぎ捨てる。  全裸のまま、毛布に簀巻きのように包まった。  痛い――  全身の皮膚が、毛布に擦れて激痛を発している。  その痛みが、まるで、まだ〈パパ〉に陵辱されているかのような錯覚をひき起こす。  痛い。  泣くほどに痛い。  だから、いい。  また、新たな蜜が湧き出してくる。 「んっ……んくぅっ……ぅん、くぅぅんっ!」  今日、されたことの感覚が、鮮明に甦ってくる。  肉体に深く刻み込まれた陵辱の記憶が呼び覚まされる。  〈クスリ〉。  首輪。  スパンキング。  鞭。  蝋燭。  ハッカオイル。  バイヴ。  そして〈パパ〉の手。  舌。  逞しいペニス。  そのすべての感覚が、一度に襲ってくる。 「あ……はぁ……んっ! あぁ……っ! く……ぅぅんっ!」  自分の指で慰める必要すらない。  毛布に包まって想い出すだけで、達してしまう。  何度も。  何度も。  何度も。  何度も。  ただ〈パパ〉との行為を反芻することだけに夢中になり、その感覚だけに浸りきって、他のなにも考えられなくなってしまう。  だから――  携帯の着信音が鳴ったことにも、玄関チャイムが鳴ったことにも、そして、早瀬が部屋に入ってきたことにも気づかなかった。 * * * 「北川……」  急に周囲が明るくなって目を開けると、早瀬が部屋に入ったところで立っていた。  私服姿で、手には小さなバッグを持っている。もう一方の手が、照明のスイッチに触れている。 「……」 「……えっと……返事がなかったから。……勝手に入っていいって、言ったよな?」 「…………ええ」  覚えていないけれど、早瀬がそう言うのならそうなのだろう。今はどう考えても早瀬の記憶力の方が信用できる。  早瀬の顔は微かに紅いように見えた。私がなにをしていたのか、気づいているのだろう。  脱ぎ捨てられた服とソックスを見れば、毛布の下の姿は容易に想像できるというものだ。きっと、声も聞かれていたに違いない。 「取り込み中……だったか?」 「……ええ……かなり」  正直、いいところを邪魔されたという気分だった。  その一方で、助かったという想いもある。  早瀬の来訪で中断されなければ、明日の朝まで、あるいはそれ以上、あの感覚に浸りきっていたはずで、その時間が長ければ長いほど、正気に戻った時に思考が負の方向へ向かう反動も大きいのだ。 「具合、悪いのか?」 「……ええ、かなり」  同じ言葉を繰り返し、ひと呼吸おいてから付け加える。 「……〈デート〉だったから」  早瀬の表情が微かに、しかし誤魔化しようもないくらいに固くなった。 「あ……それで休んだのか? 昼間っから……援交?」  本人は感情を抑えているつもりでも、責めるような口調だった。 「……援交じゃない、って言ったら?」  表情がはっきりと強張る。 「……冗談よ。……すっごく気前のいい〈パパ〉と〈デート〉よ」  そう言いながらも、多少の白々しさを覚える。  実際のところ、あれは〈援交〉なのだろうか。  確かにあの〈パパ〉は、たくさんのお小遣いも、高価なプレゼントもくれるけれど、それは〈セックスの対価〉ではない。セックスそのものと同様に、あの人の愛情表現なのだ。  しかし、それをいったら他の人との〈援交〉だって、私としてはお金や物を目当てにしているわけではない。  そうなると、援助交際の定義とはなんだろう。  判断の難しい精神的な部分は抜きにして、純粋に行為で考えるべきだろうか。  恋人や夫婦ではない相手と性的な関係を持ち、金品を受け取れば援交――と。  とはいえ、普通の恋人同士の多くも似たようなものではないだろうか。学生はともかく、社会人であればクリスマスや誕生日には値の張るプレゼントを贈るのが普通だろう。  では、金品の流れが一方通行かどうか――だろうか。  その定義も絶対ではない。私ですら、今日の〈パパ〉には誕生日のちょっとしたプレゼントとクリスマスのカード、ヴァレンタインのチョコレートくらいは贈っている。  それに世の中、恋人や夫婦という名目であっても、相手の経済力が主たる目的というカップルは皆無とはいえまい。  結局のところ、援交か否かなんてものは心の持ちよう次第ということになってしまう。  そうなると、私のしていることはどれも〈援交〉ではない。  あれは、援助交際の姿を借りた〈自傷行為〉だった。 「…………」  いくら考えても、結論は出ない命題だった。無意味な思考を打ち切って、意識を早瀬に戻した。 「……で、話って?」 「あ、えっと、これ……なんだけど」  躊躇いがちにバッグから取り出したのは、一枚のDVDケースだった。  一目見ただけで、それがなんであるかは理解できた。  中学生くらいの女の子が、半裸で、複数の男たちに弄ばれているパッケージ写真。  私は小さくうなずいた。 「……ええ、〈私〉よ。それがなにか?」  そう。  それは、以前出演したアダルトDVDのひとつだった。おそらく、一年くらい前のものだろう。  しかし、どうして早瀬がそれを持っているのだろう。 「……わざわざ、探して買ったの? 欲しければ……あげたのに」  無修正のロリータもの。どこでも容易に入手できる品ではないはずだ。  しかし、早瀬は首を左右に振った。 「いや、そうじゃなくて」 「……なくて?」  早瀬自身も、状況が飲み込めずに戸惑っているような表情だった。 「俺の、鞄に入ってたんだ」 「……どういう、こと?」  言われている意味が理解できずに、毛布に包まったまま顔を上げた。 「俺にもわかんね。今日、部活が終わって家に帰ってから鞄の中を見たら、これが入ってた。……学校で、誰かがこっそり入れたとしか考えられねーけど」 「……誰が?」 「それがわかんねーから、こうして来てる」 「…………そうね」  どういうことだろう。  動機だけなら、すぐにでも思いつくのだけれど。 「……〈犯人〉は、例の〈噂〉を快く思っていない誰か、ね。それを見れば、早瀬が私に愛想を尽かすかも……と考えた」 「……ああ」  戸惑いがちに、早瀬もうなずく。  ふたりの間で、〈噂〉のことや、現在の教室の状況などが話題に上ったのは初めてだった。夏休み後に逢っていた時も、お互い、そのことにはあえて触れずにいた。 「私たちの関係を終わらせたがっている――そんな動機を持つ人物。……それは、あなたの方が心当たりがあるのではなくて?」  最有力候補は茅萱カヲリ。ただし、これまでの様子を見る限り、実行犯はその友人たちの過激派で、本人はなにも知らないのかもしれない。 「……悪い。なんか、うるさいことになってるな。……カヲリは別に……彼女ってわけじゃないんだけど……」 「……別に、どうでもいいわ」  あなたのせい、という台詞は呑み込んだ。  本音では、多少は煩わしいことではある。しかし、早瀬を責めてどうにかなることでもないし、そんな情熱もない。  本当に煩わしくなったら、その時点で切り捨てればいいだけの相手だ。 「それより……動機のある容疑者はすぐ思いつくとしても、本当に実行可能だったかどうかは別よ?」 「どういう意味だ?」 「私が出演しているDVDがどれかなんて、誰が知ってるって?」  遠藤や木野なら、AV出演が単なる〈噂〉ではなく〈事実〉であることを知っているけれど、彼女たちにもタイトルなど教えていないし、もちろん見せたこともない。  タイトルも出演女優の名前も知らずに、無数に存在するアダルトDVDの中から、知人が出演している作品を見つけられるものだろうか。私の場合、学校にいる時とAV撮影時とでは容姿や雰囲気も変えているから、なおさら難しい。 「それ、無修正よ? しかも、現役中学生の。日本はもちろん、欧米でだって当然違法。どこでも売ってるものじゃない。ネットの闇ルートでは通販できるらしいけど、普通の女子高生が偶然見つけられるものじゃないと思う」  そう考えると、入手ルートは謎だ。まったく、わけがわからない。  とはいえ、私が気にすることではないのかもしれない。動機は明白だし、その結果がどうなろうと知ったことではない。  早瀬が、いまさらこれくらいで愛想を尽かすとも思えなかったけれど、そうではなかったとしても私が困るわけではない。 「……で、もう、見たの?」 「……いいや」  首を振る。  その表情から察するに、〈見たくなかった〉のではなく〈私に気遣って見なかった〉と思われた。別に、遠慮することでもないのに。 「見ても……いいわよ?」  毛布の中から手だけ出して、テレビとDVDプレーヤーを指さす。 「…………いいのか?」 「興味、あるのでしょう? 見てみなさいよ、私が、他の男たちにどんな風に抱かれてるのか」 「……」  不快そうな、しかし、気になって仕方がないといった表情。  私としては、別に、早瀬に見られたってかまわない。むしろ、見せた方がいいかもしれない。  以前、〈デート〉の後に早瀬と逢った時のことを考えれば、これを見ればもっと乱暴に犯してくれるだろう。  早瀬はテレビとプレーヤーの電源を入れ、ディスクをセットした。  再生がはじまる。  特に、ストーリィがある作品ではない。  家出して行くあてのない中学生の女の子が、お金と一夜の宿と引き替えに男たちに弄ばれる――という設定だ。  マンションの一室。  まだあどけなさの残る少女――私――が、ソファに座っている。〈色気〉をぎりぎりまで抑えたいかにも子供っぽい雰囲気で、中学生どころか小学生に見えなくもない。  ぎこちない笑みを浮かべて、顔の映らない男たちの質問に答えている。  少しずつ、手を伸ばして触れてくる男たち。  不安げな表情――もちろん演技の――を浮かべながらも、されるままになっている私。  ローターが胸や股間に当てられる。  切なげな声を漏らす。  服が脱がされていく。  子供っぽいパンツ一枚という姿で、いくつものローターで執拗に責められる。  下半身がアップになると、パンツには楕円形の染みができている。  それも脱がされる。  濡れそぼった小さな割れ目が拡げられる。  男たちの指とローターが、直に触れてくる。  〈私〉は悲鳴じみた、しかしどこか甘い声を上げて悶える。  指が、中に挿れられる。  わざと、痛そうな表情を見せる。  男たちは膣内を指で責めながら、クリトリスをむき出しにしてローターを当ててくる。  悲鳴。  小さな身体が弾む。  逃れようと腰を振る。  押さえつけられ、ふたつのローターでクリトリスを挟まれる。  失禁しながら、最初の絶頂を迎える。  場面はベッドルームに変わる。  男たちのペニスが唇に押しつけられる。  恐る恐る、舌を伸ばす〈私〉。  いかにも慣れていない様子の、ぎこちないフェラチオ。  それでは物足りないのか、頭をつかんで乱暴に口を犯す男。  苦しそうに顔をしかめ、嗚咽を漏らす。  その顔に降り注ぐ白濁液。  ぐったりとした〈私〉の脚を拡げ、間に身体を入れてくる男。  子供っぽい女性器に押し当てられる、赤黒い凶器。  腰が突き出される。  悲鳴が上がる。  暴れる〈私〉を押さえつけて、根元までねじ込んでくる。  痛みのあまり泣き叫んでもかまわずに、激しく腰を前後させる。  何度も体位を変え、小さな膣を蹂躙する。  やがて、呻き声とともに男が身体を震わせる。  〈私〉もか細い悲鳴を上げる。  アップで映し出される下半身。男のものが引き抜かれると同時に、収縮する膣から大量の精液があふれ出て、無毛の股間を汚していった。  また、場面が変わる。  ブルマに体操服という姿にされている〈私〉。  紅いロープで亀甲縛りにされている。  また、ローターやバイヴ、マッサージ器が当てられる。  最初は服の上から。  やがて、胸の部分や股間が鋏で切りとられて直に。  縛られて身動きできない状態で、身体を捩って悶えている。  両乳首に、ローターがテープで貼りつけられる。  バイヴが深々と挿入され、スイッチが入れられる。  同時に、マッサージ器が股間に押し当てられる。  切羽詰った叫びを上げる私にかまわずに、責めを続ける男たち。  ちらり、と早瀬を見た。  ひどく恐い顔で、しかし片時も視線を逸らさずに画面を見つめている。  怒っているのか。  興奮しているのか。  おそらく、その両方だろう。 「……あんなこと、してみたい?」 「え?」  いきなり声をかけられて、驚いたようにこちらを向く。  私はテレビを指さした。 「……あんな、こと」  そこに映っているのは、縛られて、様々な〈オモチャ〉で責められている〈私〉の姿。 「あなたってば、自分でもやってみたそうな顔で見てるわよ?」 「……」  早瀬は複雑な表情だった。 「……北川が、あーゆーことされてるのを見ると……すっげー腹立つんだけど、でも……」 「……興奮、してるくせに」  この位置からでは股間は見えないけれど、わかる。  恐い顔で画面を見ながら、私を犯している時と同じ、獣のオーラを発している。 「ああ……くそっ、むかくつけど、すげー興奮する。それに…………したい。他の男があんなことしてるのに俺がしたことないって、気に入らねぇ。だから……北川が、いやじゃなければ……」 「……いやがると、思う?」 「…………いや」  これまで、早瀬にされることで嫌がったといえば、傷の手当くらいしかない。 「……あなたも、あんなことに興奮するのね」 「普通……するだろ? それに、……俺が、乱暴なこと好きなのは知ってるだろ」 「……しても、いいわよ?」  そう言って、引き出しのひとつを指さした。  私の顔を窺いながら引き出しを開けた早瀬は、驚いたように目を見開いた。  そこに入っているのは、様々な〈器具〉だった。  首輪、手枷、足枷、バイヴ類、蝋燭、ロープ、ローションや様々な媚薬。  主に、〈パパ〉とデートした時のお土産だ。 「これ……?」  眉をひそめる早瀬。  戸惑った様子で、手にとって眺めている。 「……ご自由に、どうぞ?」 「こーゆーの……いつも使ってンの?」 「……時と場合による。手錠とか、さすがに、ある程度は信用できる相手じゃないと怖いし」  そう言った時の表情の変化で、失言だったと気がついた。早瀬の口元に浮かぶ、微かな笑み。 「俺は一応、信用されてるんだ?」  信用といえば確かにある種の信用かもしれないけれど、ここで喜ばせてやる必要はない。つけあがらないように釘を刺しておいたほうがいい。 「……あなたの場合は、拘束されていようといまいと、なにも抵抗できないことに変わりないから。あなたなら、腕一本で私をひねり殺せるでしょう?」  信用などしていないと言外にほのめかすと、さすがに少し機嫌を損ねたようだ。  むっとした表情で、長い鎖のついた紅い首輪をつかんで私の傍に来た。  それを、私の首に当てる。  早瀬もまず首輪を選ぶとは、変なところで似ている。  首輪をはめようとして、しかしそこで不審そうな表情を見せた。  首に残る痕に気づいたのだろう。  今日ずっと首輪をはめられ、首に喰い込むほどに引っ張られた痕。  さらに不機嫌な顔になって首輪を装着する。それは穴ひとつ分締め過ぎで、少し苦しかった。  そして、私がくるまっていた毛布を剥ぎ取る。  瞬間、手が固まり、目を見開いて表情が凍りついた。  今日は初めて早瀬の前に曝す肌。  腕も、脚も、お腹も胸も、無数のみみず腫れが網の目のように走り、いくつかの出血と低温火傷も加わって、不自然に紅く腫れていた。 「き、北川……これ……?」  さすがに驚いた様子だった。  これまで、早瀬の目に曝したことのある〈他の男の痕跡〉といえば、キスマークと縄の痕くらいのもの。はっきりとした〈傷痕〉は初めてだ。たいていの男子高校生にとっては衝撃だろう。 「……言ったでしょう? 今日は〈デート〉だったって」 「いや、でも、これは……」  普通なら、無視できる傷ではない。病院へ行ったら、きっと暴行事件扱いだ。 「だ、大丈夫なのか?」 「……あまり、大丈夫ってわけでもないけど……慣れてるし。痛いことされて感じるのは、よく知ってるでしょう?」  早瀬とのセックスは、単なる挿入でさえ少なからぬ痛みをともなう。それでも蜜をあふれさせている私なのだ。 「それは……知ってるけど」 「……今日は……凄かった」  少しだけ、うっとりとした口調。 「……休む間もなく、いき続けた感じ」  早瀬の手をつかんで胸に触れさせる。 「んっ……」  柔道で鍛えられたごつい手が傷に触れる痛みに、小さく呻いて顔をしかめた。  その痛みは、やっぱりよかった。  快楽の記憶が再現される。 「凄かった……めちゃめちゃに陵辱されて、何十回も、何百回も、いきまくった。そして……」  醒めた目で見つめる。 「……あなたとするより、何百倍も感じた」  そこは挑発するというよりも、ただ淡々と事実を述べるように言った。  その方がより効果的なはずだった。 「……誰でもいいわけじゃない。ここまでさせる相手はひとりしかいないわ」  認めるのは癪ではあるけれど、あの〈パパ〉がよくも悪くも〈特別〉な存在であることは否定しようがない。  そんなニュアンスが通じたのか、早瀬の表情がみるみるきつくなった。  傷痕を目にした瞬間から薄れていた獣の気配が、より色濃く放たれる。  それは、凶暴な野生動物の群れに君臨する絶対的なボスに挑もうとする、若い雄の姿だった。  万力のような力で私の腕をつかみ、乱暴に身体をひっくり返す。  首輪につながった鎖を仰け反るほどに引っ張り、背中の後ろで組ませた手にきつく巻きつけた。  革の首輪が喉に喰い込む。身体は柔らかい方だけれど、無理やり背中に回された腕の筋が痛んだ。  早瀬は私の後ろに移動し、お尻をつかんで持ち上げると下半身を押しつけてきた。 「あっ……んんんっ!」  前戯など不要なほどに濡れ、まだ充血したままの膣に突き挿れられる、巨大な熱い塊。  いつもと同じ、いや、いつも以上に乱暴な挿入だった。 「あぁぁっ! んんっ……んぐぅっっ!」  反射的に身体を丸めそうになる。しかしその動きは、鎖を引っ張り、首と腕にいっそうの負荷をかける結果になった。  息が詰まる。  背骨が軋む。  長大な肉棒を根元まで押し込むと、早瀬はお尻をつかんでいた手を離し、身体の前に回して胸をわしづかみにした。  ふたつのふくらみは、今日もっとも激しく痛めつけられた部位のひとつだ。それを握り潰さんばかりに喰いこんでくる太い指。  痛みを認識する間もなく気を失いそうな刺激だった。  百キロ近い巨体が、背後から覆いかぶさってくる。  小さな身体が押し潰される。  肺が圧迫されて息ができない。  傷だらけの胸が、お腹が、ベッドに押しつけられてさらなる痛みを引き起こす。 「ぅぐ……ぅぅんっ! んっ……くふぅぅっ! んぁぁんんっっ!」  それは、至福の時だった。  これまでの早瀬とのセックスの中で、いちばんよかったかもしれない。  〈パパ〉とのデートが日帰りだった夜は、その虚しさを埋めるために、被虐の感覚を反芻しながら一晩中自慰に耽るのが常だった。  しかし、そんなことで満たされるものではない。  全然、足りない。  むしろ、自己嫌悪、自己否定の感情が膨らむ一方だ。  だけど、今は違う。  早瀬に陵辱されているおかげで、よりリアルな、より鮮明な感覚が甦ってくる。  理性を破壊するほどの激しすぎる責めは、余計なことを考える余裕も与えない。  ただ、快楽に浸っていられる。 「ぁ…………、――――――っっ!!」  私はたちまち絶頂を迎えてしまったけれど、もちろんそれで終わるわけはない。早瀬の責めは一瞬も止まらずに続いた。  何度も。  何度も。  何度も。  何度も。  何十分も。  何時間も。  部屋にあった、様々な〈器具〉を使って。  夜が更け、日が変わり、空が白みはじめるまで。  よほど腹を立てていたのだろう。失神することさえ許されなかった。  気を失うたびに、無理やり起こされ、犯された。  ようやく解放された時には、カーテンの隙間から朝陽が射し込んでいて。  身体には〈パパ〉につけられた傷に加え、無数のキスマークと、いくつかの歯形が増え、お尻はさらに腫れあがっていた。 * * *  夜明け頃に眠って、目を覚ましたのは昼過ぎだった。  最初に目に入ったのは、私を見おろしていた早瀬のにやけ顔。 「…………なに?」 「……いや、北川の寝顔に見とれてただけ」  くだらない。  小さく溜息をつく。  いつの間にか拘束は解かれていたけれど、身体中が痛くて、その上、空腹で力が入らず、まったく動ける状態ではなかった。  ぼんやりと天井を見つめていると、早瀬が訊いてくる。 「そういえば北川、家の人、いないのか?」  私が目を覚ました時、どことなくほっとしたような表情を見せていた。早瀬とここでセックスしたのはまだ二度目だし、前回は夜明け前に帰っていたはずで、私の家族と会ったことはない。私が寝ている間に親が顔を出したら気まずいと、不安だったのかもしれない。 「…………いないんじゃない?」  少し考えてから答えた。  普段、家に男を連れ込むことなどないのに、明け方まで激しい行為を続けていてなにも言われなかったということは、母は帰っていないのだろう。 「北川のとこって……親、離婚してるんだよな? 一緒に暮らしてるの、お母さんだっけ?」  やや遠慮がちに訊いてくる。 「ええ。水商売だし、外に男がいるから、この家には帰らない日もあるわ」 「……ひょっとして……仲、悪い?」  素っ気ない口調に含まれる負の感情は、早瀬にも伝わったようだ。 「ええ」  母は私の素行にすっかり匙を投げているし、私も彼女を嫌っている。それでも〈あの女〉が私の親権者である理由は、もともとは父の名義だったこのマンションと、少なからぬ私の養育費が目当てだからに他ならない。  向こうも留守がちで、私も外泊が多く、家にいる時は部屋にこもっているから、顔を合わせることなど週に片手の指の数もない。言葉を交わすことはもっと少ない。  こちらとしても、まだ十五歳の私には保護者が必要だから、仕方なく一緒に暮らしているだけだ。  そういえば――  いまさらのように気がついた。  私も、早瀬の家族とはまだ一度も会ったことがない。  まるでひとり暮らしのような印象を受けるけれど、単身赴任の父親はともかく、母親は実際のところ週の半分くらいは家にいるはずだ。  しかし早瀬が私を呼ぶ理由を考えれば、親がいない日を選ぶのは当たり前のことで、母親が家にいる時にどうしても我慢できなくなれば、逢うのはラヴホテルになる。 「家族がいないなら……もうしばらく、ここにいてもいいか?」 「…………あんまり、歓迎はしないけど」  だけど追い出すほどではない、という台詞は、口に出さなくてもいちおう伝わったようだ。  現実問題として、心身の状態を考えれば早瀬と一緒の方がいいのかもしれない。  立って歩くことなどとてもできそうになく、これではシャワーはもちろんトイレに行くのも重労働だ。  それに、今は不思議と落ち着いているけれど、昨日されていたことを考えれば、いつ〈発作〉を起こしてもおかしくない。早瀬がいれば、自殺しようとしても止めてくれるだろう。 「……いても、いいけど。……でも、セックスはしないわ」  昨日が激しすぎたせいだろうか。珍しく、まったくそんな気になれなかった。それでも早瀬の方から襲ってきたら受け入れてしまいそうな気がしたので、先に釘を刺しておく。  いくらなんでも、身体も限界だ。そしておそらく、心の方も。 「それでもいいよ。さすがに昨日はやりすぎた気がするし」  早瀬が苦笑する。  確かに。  延べ回数だけならもっと多かった日もあるけれど、いつものように休憩を挟むことなく、一晩中まったく休みなしで私を陵辱し続けていたのだ。これで物足りないなどといったら、怒る以前に呆れてしまう。 「腹、減ってないか? なんか買ってこようか?」 「…………そうね」  そういえば、最後にまともな食事をしたのはいつだろう。  〈パパ〉とホテルにいる間、精液以外のものをなにか口にしただろうか。〈パパ〉がなにか食べさせてくれていたような気もするけれど、はっきり覚えていない。  動けないのは陵辱のダメージだけではなく、空腹による低血糖の影響もありそうだ。 「なに食べたい?」 「…………なにか……食べやすい、甘いもの。……プリンと、ゼリーと……チョコレート。……ヨーグルトはだめ。〈白い液状のもの〉なんて、食傷もいいところ。今なら、見ただけで吐くわ」  昨日は〈パパ〉だけではなく、早瀬にもさんざん飲まされた。せっかく落ち着いているのに、想い出しただけで気持ち悪くなる。 「……じゃ、行ってくる」 「の、前に」  立ち上がって自分の服を拾おうとした早瀬を呼び止める。 「なに?」 「……シャワー、浴びたい」  ホテルを出る前に〈パパ〉が綺麗に洗ってくれたけれど、今はもう汗と体液でべとべとだ。食事の前に、さっぱりしたい。  それに早瀬だって、外出するならシャワーくらい浴びていくべきだろう。 「……そうだな。一緒に、いいか?」  わざわざ訊いてくる。  夏休み前、ラヴホで初めて一緒にシャワーを浴びた後も、相変わらずこうしたことにはどこか遠慮がちだった。 「…………ひとりじゃ、動くこともできないんだけど?」 「あ、そっか。そうだよな」  嬉しそうに私を抱き上げ、歩き出す。  昨夜ほどではないけれど、触れられていると、まだ痛い。  なのに、その痛みで安心してしまうところに、自分の狂気を再確認してしまう。  バスルームに私を下ろして、シャワーを出す早瀬。  傷を気遣ってか、お湯はかなりぬるめだった。  それでも、飛沫が当たるだけで痛い。  痛いから、うっとりしてしまう。  下半身がむずむずしてくる。  そこで、もうひとつ重要なことを思い出した。 「……早瀬、ストップ」 「なに?」  シャワーが止まる。  タイルの上に座り込んだまま、上目遣いに数秒間。 「………………トイレ」  一瞬、虚を衝かれたような表情を見せた早瀬だったが、やがて、悪だくみしているような笑みを浮かべた。 「……ここで、しちゃえば?」  早瀬の口から出てくるとは、予想外の台詞だった。  そういえば昨夜のDVDには、潮吹きはもちろん、バスルームでの放尿シーンも収められていた。余計な知識を与えてしまったかもしれない。  自然と、視線がきつくなる。 「ここで……っていうのは、バスルームでっていうことよりも、早瀬の目の前で、っていうことが重要なんでしょうね?」 「……だね」  肯定の笑み。 「……………………あなた……最近ちょっと、つけあがってない?」 「あ、やっぱり?」  返ってきたのはあまり悪びれていない苦笑。 「でも、それも仕方ないと思わね? なにをしてもオッケーで、感じてくれる女の子が相手で。……エスカレートしない方が不自然だろ?」 「……開き直るわけね? ……やっぱり、甘やかしすぎたかしら。普通、ただで見せるものじゃないわよね」  しかし、早瀬の言う通りだった。なんだかんだいって、私は拒絶の言葉を発していないし、実際、拒絶する気もない。  これもある意味、演出のひとつといってもいい。陵辱は、される側の抵抗があった方がより盛り上がるものなのだ。 「……さすがの北川も、恥ずかしいんだ?」  珍しい、早瀬からの挑発。  応えないわけにはいかない。  バスルームの壁に寄りかかるようにして、脚をタイルの上に拡げる。  早瀬を睨んだまま秘所を曝け出し、下半身の力を抜いた。  シャワーとは異なる、小さな水音。  わずかに黄色味を帯びた液体が、細い筋となって排水溝へと流れていく。  早瀬が興奮した表情で見つめている。  頬が熱くなるのを感じる。  本音を言えば、まったく恥ずかしくないわけではない。  ほぼどんな要求にも応えられるし、羞恥心を顔に出さないこともできるけれど、羞恥心そのものが存在しないわけではない。  羞恥心は必要だった。  恥ずかしいことを強要されることも、一種の〈罰〉になるから。  水音は続いている。  よりによってこんな時に、ずいぶん長い。  用を足すのも、ラヴホを出て以来だ。あまり水分を摂っていないし、汗や愛液として消費してもいるけれど、それでもこれだけの時間となれば、膀胱の中はいっぱいになっていて当然だった 「……こんなのが楽しいの? …………ヘンタイ」  最後の雫を搾り出しながら、きつい口調で言う。 「べ、別にスカトロ趣味ってわけじゃないぞ! ただ、表向きは平然としつつも少し恥ずかしがってる北川が可愛くて、見てるのが楽しいんだ」  むきになって主張する。 「……そうかしら? まあ、どうでもいいけど」 「……いや、その点ははっきりさせておかねーと」  言いながら、早瀬はまたシャワーを出し、私が排泄した液体を洗い流す。  続いて、私の身体を――特に下半身を重点的に――洗いはじめた。  シャワーを浴びた後、私をベッドに運んで買い物に出かけた早瀬は、十五分ほど経ってうとうとしかけた頃、近所のコンビニの袋を手にして戻ってきた。  袋の中身は私がリクエストしたお菓子や、ジュースや、早瀬用と思われる大量のパン。  そして、 「……これは?」  プリンに手を伸ばした時、コンビニ袋の中に、別な店の小さな袋を見つけた。 「ああ、それ」  早瀬が袋を開ける。 「これ……着けてもいいか?」  中から出てきたのは、大型犬用と思われる、深紅の首輪だった。  そういえば、コンビニの近くにペットショップがあったはずだ。  醒めた視線を早瀬に向ける。  いちおうはこちらの反応を窺うような態度をとっているけれど、本気で拒絶しない限りはその首輪を引っ込めることもあるまいと思われた。 「………………勝手にすれば」  他人事のようにつぶやき、プリンの封を開ける。  私にとって、今の関心事はこちらだ。早瀬がなにをしようとどうでもいい。  早瀬が隣に座る。  まだ少しひりひりしている首に、真新しい首輪をあてがう。  それを無視して、私はプリンを口に運んでいた。  そして――  この日以来、早瀬と一緒に過ごす時にも〈深紅の首輪〉が私の基本装備となった。 第六章  それから一週間ほどは、特に何事もない、相変わらずの日々だったといってもいい。  早瀬とは首輪つきでセックスした。  DVDの送り主はわからないまま。  そして私へのいやがらせは、少しずつエスカレートしながら続いていた。  その日――  私が登校すると、教室内が不自然にざわついた。  三分の二ほどの席が埋まっている教室。早瀬の姿は見あたらない。  そして黒板に、パソコンで印刷したものと思われる、A4サイズの写真が貼られていた。  全裸で、脚を大きく開いて局部まで曝している〈私〉の姿。ぼかしもモザイクもない。  黒板の前で一瞬だけ脚を止め、視線を向ける。  その写真が本物ではなく、パソコンで作ったコラージュだと見抜くにはその一瞬で充分、一目瞭然だった。  顔は確かに私のものだ。ただし、三つ編みお下げで、垂らした前髪と地味な眼鏡で大きな目を隠し、〈フェロモン〉も抑えて、まったくの無表情――つまり〈学校モード〉の私。  この顔で裸を曝したことなんて、普段の援交やAVはもちろん、早瀬の前でも一度もない。  そして首から下は確認するまでもなく、体型がまるで違う。  適当な無修正写真に、隠し撮りした私の顔を合成したものだろう。それでも、私の裸を知らない人には一見本物に見えるくらいに、技術的にはよくできた写真だった。  しかし、私にとっては〈どうでもいい〉ことだ。  脚を止めていたのは一瞬だけで、そのまま無視して席に着いた。  どこからともなく、押し殺したような微かな嘲笑が聞こえてくる。その主が誰かということにも興味はなかった。  席に着く前、茅萱がいたたまれない表情をしていたのが目に入った。  こんな状況、彼女の方が居心地が悪いだろうに。彼女の、自称〈友達〉はそんなことを思いもしないのだ。  少しだけ気になったのは、これを見た早瀬がどんな反応を示すかという、純粋な好奇心だった。  しかし、早瀬より先に教室へ入ってきたのは、木野悠美だった。  すぐに写真に気づき、その正面に立って腰に手を当てると、ふっと小馬鹿にしたような笑いを漏らした。 「なぁに、この、へったくそなエロコラ」  独り言には大きすぎる、教室のいちばん後ろにいてもはっきりと聞こえる声。 「莉鈴はもっと華奢だし、ウェストや脚はすっごい細いし、でも胸はもっと大きいし、こーんな毛深くなんかないし、アソコはきれいなピンク色だしー」  唖然としている聴衆を前に、蕩々と語る。  実際には、木野は私の裸など見たことないはずだけれど、そんなことを知らない者たちには、私と親しくしている(と傍目には見える)木野の台詞だから説得力があるだろう。  写真を剥がすと、くしゃくしゃに丸めて放り投げる。それはコントロールよくごみ箱に収まった。  それを見届けてから自分の席に向かった木野は、遠回りして私の横を通った。 「……ばかじゃないの? 庇ったつもり?」  机に頬杖をつき、目も合わせず、抑揚のない声でつぶやく。 「バカは、あれをやった連中でしょ」  これまた聞こえよがしに大きな声で言う。 「あんなせこいことしかできない連中より、あたしの方がずっと支持されてると思うけど?」  確かに。  美人でスタイルがよくて、活発で人付き合いもよく、そして正義感のある木野は、男子はもちろん女子にも、そして教師にも人望がある。彼女に関して唯一、周囲が眉をひそめることがあるとしたら、それは私に構うことだけだろう。  私から視線を外して、教室全体を見渡す。おそらく、今回の〈犯人〉もわかっているのだろうけれど、あえてそちらに視線を向けたりはしない。 「……誰とは言わないけど、怒ってるのが私ですんでるうちにやめた方がいいんじゃないかな? ……あのオトコが本気で怒ったら病院送りにされるだろうし、この子を怒らせたら、小指のないコワーイお兄さんとかが出てくるかもよ?」  冗談半分、〈犯人〉を小馬鹿にした口調。  実際、AVがらみでそっち関係の知り合いがいないわけでもない。あるいは〈パパ〉のつてを頼れば、私に危害を加えようとする人間など、東京湾の底だろうと外国の娼館だろうと思いのままだ。  しかし私には、そんな怒りを持つほどの情熱もない。  言うべきことは言った、という態度で木野は席に着いた。教室のざわめきも徐々に収まり、朝練を終えた早瀬が姿を現した頃には、この空間は表向きの平穏を取り戻していた。  とりあえず、これで多少は学校での煩わしさが減るかもしれない。  おそらく、木野もそう思ったのだろう。  しかし、その予想は外れていた。  もしかしたら〈犯人〉は、逆に危機感を募らせたのかもしれない。  この日の下校時――    階段を下りていた私は、後ろからいきなり何者かに背中を突き飛ばされた。 * * *  翌日――  登校したのは、昼休みになってからだった。  午前中に病院へ寄って、松葉杖をついての登校で、この時刻になってしまった。  怪我は、足首の捻挫と、いくつかの打撲。  額にガーゼを貼り、杖をついての登場に、昨日とは違った雰囲気で教室がざわめいた。  木野が、はっきりと表情を強張らせた。  茅萱も、なにが起こったのかを察した様子だった。  早瀬はなにも事情を知らないのか、単純に驚いた顔をしている。  それらを無視して、席に着く。  そこで、机の中にあるものを見つけた。しかしそれを取り出す前に、横に立つ人影があった。  木野がなにか言ってくるだろうと予想していたのだけれど、先に私のところへ来たのは、心配そうな表情をした早瀬だった。 「北川……怪我したのか?」  ちらり、と見上げる。  やっぱり、なにも知らないのだろう。お気楽なものだ。  睨むように目を細めて答える。 「…………階段で……踏み外した」  わざと、ぼかして言う。こちらを見ている木野の目が鋭くなった。 「歩けるのか? 帰り、送ってくか?」  教室のざわめきが大きくなる。  早瀬が教室でこんな風に話しかけてくることは珍しい。いつだって私が無視するから、噂になる前も後も、人目のあるところでのおおっぴらな接触は皆無だった。  これ見よがしに、大きな溜息をつく。  学校ではほぼ無表情を貫いている私には珍しい、皮肉な笑みが口元に浮かぶ。 「……そんなに、私の怪我を増やしたいの?」  そう言って、机の中にあった封筒を取り出す。  封を開ける。  小さな、金属音。  剥き出しになった、大型のカッターの替え刃が机の上に落ちた。  それは、私に向けられた敵意の結晶。  瞬間、早瀬の表情が強張った。  すべての事情を理解した顔だった。  大きな手が拳を握る。 「いったい、誰が……」  問い詰めようとする早瀬を無視して、私は立ち上がった。  カッターの刃を手に取る。 「せっかくの贈り物だし、ありがたく使わせてもらうわ」  教室ではほとんど喋らない私。教室中に通るような声を出したのは、入学以来初めてかもしれない。  歪んだ笑みも加わって、教室内の人間の多くが不気味なものを見るような目を向けている。  何人かが、息を呑む。  無造作に、カッターの刃を手首にざっくりと突き立てた。  ざわめく教室。  小さな悲鳴がいくつか上がる。  滴る鮮血。  ばっと立ち上がった木野。  表情を凍りつかせて固まっている茅萱。  そして、誰が見てもはっきりとわかるくらいに顔色を変えた、名前も知らない、席が隣同士の女子がふたり。  私は杖を持つと、早瀬も木野も無視して、その席の前へ行った。 「ありがとう、いい切れ味だったわ」  鮮血を溢れさせている手で、血まみれの刃を置く。  机の上に、血の痕が残る。  見おろした相手は、まるで化物でも見るような表情で小さく震えていた。その視線が不意に私から外れ、恐怖に見開かれた。  私の肩に、手が置かれる。  大きな手。  いつの間にか、早瀬が隣に立っていた。肩をつかんで私を一歩下がらせ、自分が前に出た。  その横顔を見て、ぞっとした。  あまり感情を揺さぶられることもない私なのに、その一瞬は血の気が引く思いがした。  腕に鳥肌が立つ。  早瀬は、怒っていた。  小さな子供なら、ひと目で泣き出しそうな顔だった。  初めて見る、本当の怒りの形相だった。  援交をだしにして、ちょっとしたやきもちを妬かせた時など比べものにもならない、正真正銘の怒りを露わにしていた。  教室中が緊張感に包まれる。  早瀬はなにも言わなかった。  怒りのあまり、言葉が出てこない様子だった。  無言で、その太い腕を振りあげる。  筋肉が不気味なほどに盛り上がって、血管が浮かび上がって、微かに震えている。  次の瞬間、  血の気を失った顔で震えている女子の目の前に、腕が振りおろされた。  絶叫。  いくつもの悲鳴。  大きなものが倒れる音。  そして、予鈴。  様々な音が重なる。  椅子ごと後ろに倒れた、カッターの送り主。  拳は当たってはいない。  丸太の如き、いや鋼材の如き早瀬の豪腕は、彼女の鼻先をかすめ、机の天板をただの一撃で叩き割っていた。  〈震源地〉を中心にその事実がさざ波のように広がって、またあちこちで声が上がる。  しかし早瀬はそんな雑音を無視して、杖ごと私を抱え上げると足早に教室から出て行った。 * * * 「…………ごめん……謝られるの嫌いって言ってたけど、でもやっぱりごめん。俺の、せいだよな、その脚……」  予鈴が鳴って人の姿がなくなった廊下を、私を抱えた早瀬が歩いていく。いつもより早歩きなくらいなのに、その足どりはむしろ重そうに見えた。  向かう先は保健室。  私はなにも応えなかった。  どうでもいい、ことだった。  カッターの刃も、この程度の捻挫も、私の感情を動かすほどの出来事ではない。  こんな〈些細なこと〉で怒りを覚えるほど、生きることに情熱を持っているわけでもない。  それよりも私の感情を揺さぶっているのは、あの、早瀬の怒りの表情だった。  初めて見た、早瀬の〈本気〉。  驚き、そして少し怯えもした。  恐ろしい破壊力を秘めた太い腕が、今は私を抱きかかえている。  角を曲がって保健室の前の廊下に出ると、ちょうど、遠藤が保健室から出てきたところだった。  ドアに掛かっているお手製のプレートを〈Open〉から〈Closed 急患は職員室へ〉にひっくり返したところで私たちに気づき、遠目にもはっきりとわかる驚きの表情を浮かべた。 「北川……」  保健室の常連、遠藤とは頻繁に顔を合わせている私だけれど、早瀬に連れられてくるなんて、もちろん初めてだった。  しかも全女性の憧れ、お姫様抱っこで。  遠藤の視線に、驚きつつも微かな羨望の色が混じっているように思えるのは気のせいだろうか。  やっぱり、遠藤も〈女〉なのだろう。鮮血を滴らせている左手の傷に気づくのが一瞬遅れた様子だった。  プレートは戻さずに保健室のドアを開けながら訊いてくる。 「なにか、あったのか?」  私たちに、中に入るよう促す。 「……別に」  と私。 「まあ……ちょっと」  これは早瀬。  正反対の答えが重なる。 「ふむ……まあ、座れ。手首は止血するから。あと……この傷は?」  額のガーゼや足首の包帯を指さす。 「……なんでもない」 「いや、まあ、いろいろ」  また、違う答えが重なる。 「ふむ……?」  わかったような、わからないような。微かに首を傾げる遠藤。  もっとも、こんなことは慣れっこだろう。私の傷はいつだって、簡単に説明できるものではないのだから。  私を椅子に座らせ、いつものように手際よく傷の手当てをはじめる。  その合間に、隣に立っている早瀬をちらりと見上げた。 「君が噂の、北川の彼氏か。早瀬くんだっけ? やっぱり君だったんだな」  その間違った台詞に、まんざらでもなさそうな顔をしている早瀬。なので、私が訂正することになる。 「……〈彼氏〉じゃないわ」 「でも、援交でもない」  間髪入れずに遠藤から返ってくるのは、質問ではなく、断定の言葉。  おかげで、もう一言返さなければならない。 「でも、彼氏じゃない。……しいて言えば……セフレ、でしょ」  言っている自分も、なにか違うような気がする。  しかし、恋愛感情抜き、金品抜きの身体の関係。既成の言葉でいちばん近いのはやっぱり〈セフレ〉だろう。  早瀬が不満そうな表情を浮かべているけれど、もちろん無視。  いつまでもここにいないで、さっさと教室に戻ればいいのに。遠藤にあれこれ詮索されるのはおもしろくない。とはいえ、あの教室に居づらいのは早瀬も同じだろう。 「セフレってのは、ちょっと違うんじゃないか?」  治療の仕上げに包帯を巻きながら、遠藤が言う。 「……どうして?」 「セフレってのは本来、恋愛感情ではなく、お金のためでもなく、お互いが望んで身体の関係を楽しむものをいうんじゃないのか?」 「……違うというの? まさか、私が早瀬に恋愛感情を持っているとでも?」  意図せず、やや強い口調になってしまった。これでは、かえって誤魔化そうとしているみたいではないか。 「問題はそっちじゃない」  遠藤が首を振る。 「北川が、セックスを楽しんでいたとは初耳だな」 「……っ!」  遠藤の指摘は図星だった。  セックスは、私にとって苦痛だった。  肉体的な快楽は得ているが、それでも……いや、だからこそ、精神的には楽しんでいない。  自分を苦しめるために、していることだ。 「……楽しんではいるわ。それなりに」 「これはいい傾向……かな? 北川が、こんな風に嘘をついて取り繕うところなんて、初めて見た」 「……」  遠藤の楽しげな笑みに、唇を噛む。なんだかんだいって、私のことをもっとも理解している人間のひとりだ。知られたくないことまで見抜かれてしまう。 「……じゃあ、訂正。早瀬が無理やり私を強姦してるってことにする」 「……おい」  高い位置からの、苦笑混じりのつっこみは無視。 「……うん、まあ、やっぱりいい傾向なんじゃないか? 〈パパ〉ばっかりじゃなく、同世代と関係を持つというのも。……ただ、それなりに節度は持って、な」  最後の部分は早瀬に向かっての台詞だ。私に言っても無駄と悟っているのだろう。 「北川のこと、なにをしてもいいような女の子と思うなよ? この子は心身ともに、華奢で繊細な壊れものだ」 「……気をつけます」  そう答える早瀬は、やや後ろめたそうだった。普段を鑑みれば、私のことを壊れもののように扱っているとは言い難い。物理的には、むしろ積極的に壊そうとしているといった方が相応しい。  だから、言ってやる。 「こいつに言っても無駄。ふたりきりになれば、すぐケダモノに変わる男よ」 「早瀬くんの存在が北川のためになるなら、なにも言わん。不純異性交遊だって、黙認どころかむしろ奨励してやる。しかし、君が北川にとってマイナスになるなら、そこまでだ。肝に銘じておけ」 「……はい」 「念のため言っておくが、いちばんの問題は物理的な乱暴さじゃないぞ?」 「……わかってる……つもりっす、いちおうは」  遠藤が、笑みを浮かべて振り返った。 「……なかなかいい男じゃないか」 「どこが」  間髪入れずに即答。 「遠藤ってば、こーゆー大魔神みたいなのが好み? だったら好きに持っていけば?」  苦笑しながら肩をすくめる遠藤。 「北川にとってはいい男だが、私向きではないな。じゃ、私は職員室にいるから、なにかあったら連絡しろ。あと、しばらくベッドで休んでいってもいいけど〈使う〉なよ?」  そう言い残して、保健室を出ようとする。  変に気を遣っているのか……とも思ったが、そういえば、ここに来た時も出かけようとしていた。職員室に用事があったのだろう。 「あ、ちょっと」  そこで、あることを思い出して呼び止めた。遠藤の台詞の中に、気になった一言があったのだ。 「……ん?」 「さっき、早瀬のこと「やっぱり」って言ってたのは?」 「ああ。北川の身近……同じ学年、同じクラスで、いちばん大きな男子だからな。たぶん彼だろうと見当をつけてた」  この学校にいる〈相手〉が同学年の大柄な男子だと話したのは、早瀬と初めてセックスした翌日のことだった。だとすると、かなり早い段階から、相手が早瀬だと気づいていたことになる。  あの、夏休み中の電話の時も、早瀬としている最中だとわかっていたのだろうか。  この三ヶ月半、すべて承知の上だったのだろうか。  なんとなくおもしろくない。  だから、少しからかってやる。 「……へぇ、早瀬〈の〉がいちばん大きいなんて、いつ調べたの? 身体測定のついでに男子生徒に猥褻行為を働いていたのかしら? 淫行教師ね」 「ばっ……馬鹿っ! 体格の話をしてるんだ!」  大人ではあっても、性経験はそれほど豊富ではない遠藤。私の反撃に顔を赤らめて保健室を出て行った。 * * *  保健室に残された、私と早瀬。  遠藤が〈Closed〉のプレートをそのままにしていったから、他の生徒は来るまい。  ちらり、と早瀬の顔を見た。  なにか考えているような、難しい表情をしている。  まだ教室に戻るつもりはないらしい。  私は椅子から立って、ベッドにごろりと横になった。  そのまま、眼鏡を外す。  学校では抑えているフェロモンも解放する。 「……しよっか?」  いつもよりもやや感情のこもった声で早瀬を誘う。少しだけ、甘えたような声。 「なっ、なに言ってんだよ、いきなり!」  いきなりの台詞にさすがに驚いた様子で、赤くなって叫ぶ。 「……保健室にふたりきりなんて、やれっていってるようなものじゃない?」 「使うな、って言われたろ」  遠藤にいろいろと釘を刺された上で、とどめがあれ。性欲魔神の早瀬もさすがに自制しているのだろう。  しかし、遠藤が使うなと言ったからこそ、だ。  言いなりになるのはおもしろくない。子供っぽい反抗とは思うけれど、だからといってここでおとなしくしていては私らしくない。  ブラウスのリボンを解き、ボタンを外していく。  ひとつ。  ふたつ。  みっつ目まで。  胸の谷間と、ブラジャーが露わになる。  三つ編みを解き、指で髪を梳く。  スカートの裾を、パンツが見えそうで見えない、だけどやっぱりちらりと見えそうなぎりぎりまで引き上げる。 「…………来て」  手を差し伸べる。  普段は見せない、妖艶な笑みを浮かべて。  しかし今日に限って、早瀬は超人的な自制心を発揮した。 「……いや、だめだろ……さすがに」 「……っ」  思わず、がばっと起き上がった。  いつも、あんなに簡単にスイッチが入ってしまうくせに。  今だって股間を大きくしているくせに。  珍しく、こちらからわかりやすく誘惑した時に限って、どうして。  少し、プライドを傷つけられた気分だった。  仕方がない、攻め方を変えることにする。 「……遠藤だって、本当になにもしないなんて思ってないわ。教師としての立場上、ああ言っただけ」  フェロモンは垂れ流しのまま、表情と口調だけ、いつもの〈対早瀬モード〉に戻した。  ちらり、と挑発的な視線を向ける。 「……実際、〈使った〉こと、あるし」 「……!」  はっきり、表情が変化した。  いつもの、私を犯している時の顔に少しだけ近くなる。  これは初耳だろう。  いくら私の男関係が乱れきっていても、学内での援交の噂はない。だから早瀬は、学校では、クラスでは、私と肉体関係を持っているのは自分だけと思っていたはずだ。  ある意味、それは間違っていない。  ただし条件つきで。  厳密にいえば、違う。  ベッドから滑り降り、固い床に膝をついて、無表情に早瀬の顔を見上げた。 「……今年の春。まだ、入学して間もない頃」  少しだけ、距離を詰める。 「…………数学の授業中に、切った時のこと、覚えてる?」 「……ああ」 「ちょっと、騒ぎになってたわね」  もう少し、距離を縮める。  早瀬の脚にもたれかかるように、顔を寄せる。 「…………ちょっとっていうか……大騒ぎだったぞ」  私がどんな人間か、クラスメイトもまだ充分に把握していなかった頃のこと。  授業中にいきなり立ち上がって、悲鳴混じりに手首を切る人間がいたら、騒ぎになるのは当然だ。 「……で、高道が私を保健室へ連れていった」  手で、早瀬に触れる。  制服の上からでもはっきりわかる、膨らんだ股間。  緊張気味の顔が、私を見おろしている。  ゆっくりとファスナーを下ろしても、早瀬は抗わなかった。  それは、入学してからまだ十日と経っていない頃。  それでも、私の援交の〈噂〉はかなり広まっていた頃。  クラス担任でもある数学教師、高道の授業中に、いきなりざっくりと切ったのだ。  なにがきっかけだったのかは、自分でも覚えていない。  当時、高校進学という環境の変化のせいか、今よりもさらに精神的に不安定だった。セックスの直後以外であっても、衝動的に切ることが多かった。  〈噂〉によって変に注目されていたストレスのせいかもしれない。  春休み中は頻繁に逢っていた〈パパ〉と、入学以来逢っていなかったせいかもしれない。  今となっては、その動機はどうでもいいことだ。  ざわめく教室を後にして、高道に保健室へと連れて行かれた。  その頃にはもう顔なじみになっていた遠藤は、微かに眉をひそめつつも、いつも通りに傷の手当てをした。 「北川……どうしてあんなこと、したんだ?」  手当てがひと段落ついたところで、高道が訊いてくる。遠藤ならけっしてしない質問を。 「…………」  少し考えて、高道ではなく遠藤を見た。  無言で私を見ている遠藤。特に感情は表れていない。  頭の中にあったぼんやりとしたイメージが、ひとつの形に固まった。 「…………先生と、ふたりで話させて」  そう言うと、遠藤はちらりと高道を見て、小さくうなずいた。 「わかった」  立ち上がり、自分が座っていた椅子を高道に勧める。 「高道先生、私は職員室にいますから、終わったら呼んでください。もし怪我や具合の悪い生徒が来たら、とりあえず職員室に来るように、と」  遠藤も、今ならそんな無防備なことはしなかっただろう。その頃はまだ、私のことを現在ほど把握していたわけではあるまい。単に〈援助交際している、ちょっと痛いリストカッター〉くらいにしか認識していなかったはずだ。  遠藤が保健室から出て行く。  高道が私の前に座る。  ドアが閉まり、プレートを〈Closed〉に返した音が聞こえる。  遠ざかっていく足音。  そして、私の口元に笑みが浮かんだ。  妖艶な笑みだった。 「……どうして、あんなことをしたのか……ですか?」  真新しい包帯を巻かれた手が、髪に触れる。  三つ編みが解かれる。 「北川……?」  眼鏡を外し、前髪を上げ、大きな目で高道を見つめた。  四十歳を少し過ぎたくらいの、これといって特徴もない中年男性の顔が目に映っていた。戸惑い、そして驚いたような表情を浮かべている。  無理もない。  男を虜にする、大きな黒い瞳。  眼鏡と三つ編みの、小柄な、地味な外見の女生徒が、いきなり極上の美少女に変化したのだ。 「……簡単ですよ。わかりません?」  ふふっと笑う。  からかうように、甘えるように。  椅子から腰を浮かし、中腰のままふたりの距離を詰める。  顔の間隔は三十センチもない。女生徒と男性教師としては不自然な近距離で、しかもさらに近づいていく。  どう反応していいのかわからない様子で、高道は固まっている。 「そうすれば、先生とこうしてふたりきりになれるじゃないですか」  唇が触れる。  最初は微かに。  一度離れて、今度はしっかりと。  そのまま、高道の膝の上に座るような体勢で抱きついた。  身体が密着する。  胸をこすりつける。体格は華奢でも、その膨らみははっきりと感じられる大きさがある。 「最近、なんだかわけもなく不安で……すごく、精神的に不安定で……だから……」  滑り降りるようにして、高道の足許に座った。  太腿に頬をこすりつけ、そのまま股間に近づいていく。 「……今だけ……先生に甘えさせてもらって……いいですか?」  上目遣いに見つめる。  緊張した、しかし拒絶はしていない顔が私を見おろしている。  スーツのズボンの上から、唇を押しつける。  その中の膨らみを確認して、ファスナーに手を触れた。 「高道ってば、くわえる前からもうぎんぎんに硬くなってたわよ? 今のあなたみたいに」  剥き出しになった早瀬のものに唇を押しつける。  熱い。  そして、硬い。  それは血管が浮き出た、不気味な凶器だった。 「大きさは……まあ普通だったわね。あなたと比べたら大人と子供かも」  くすっと笑って、早瀬を口に含んだ。 「ん……んんっ…………んぅぅんっ!」  高道のものを口いっぱいに含む。  私を見る目にはまだ戸惑いの色が浮かんでいるけれど、抗いはせずにされるままになっている。  舌を絡める。  内頬を押しつけて擦りつける。  強く吸う。  そのまま首を振る。 「んくぅんっ……んっ……せ、んせいの……おいし……」  時折漏れる、可愛らしく甘えた声。  だけどその口戯は、鍛え抜かれた熟練の技。  高道の顔が快感に歪む。  ぎりぎりまで昂らせて、しかしそこで口を離した。 「……気持ち、イイ?」 「あ……ああ、だから……」  我慢できないという表情だ。あと少しでも焦らしたら、強引にくわえさせようとするかもしれない。  教師としての倫理観など、もう残ってはいまい。  可愛らしく微笑んで、小さく首を傾げる。 「……私も、気持ちよく、なりたいな? …………だめ?」 「あ、い、いや……北川が……いいなら……」 「じゃあ…………き、て」  一度立ち上がって、高道に背を向けた。  足は床につけたまま、上体はベッドに俯せになる。  高道に向かってお尻を突き上げ、スカートをまくり上げる。  露わになったお尻に触れてくる手。  下着が膝まで下ろされる。  指が、濡れた割れ目を確かめるように触れてくる。 「すごく……濡れてるな」 「だって……先生に、口でして……すごくエッチな気持ちになったんだもの。だから……焦らさないで」 「あ……ああ」  慌てたようにベルトを外す音。  私に触れてくる、熱い弾力。  唾液で濡れた、高道の男性器。  私も、角度を合わせるように腰を動かす。 「ん……あっ、あぁんっっ!」  次の瞬間、熱い肉棒が私を貫き、狭い膣を満たしていた。  充分すぎるほどに濡れて、だけどまだほぐされてはいない粘膜が、侵入してきた異物に絡みつく。  感極まったように呻き声を上げる高道。  私も鼻にかかった甘い声を出す。 「せんっ……せ……」 「あぁ……北川の中……すごい……」  一度、根元まで突き入れ、そこで中の感触を確かめるように動きを止める。  私は促すように、軽く、腰を動かす。  それを合図に、高道はめちゃめちゃに腰を振りはじめた。 「ん……んん――――っ!!」  そうした告白を聞かされては、早瀬ももう限界だった。  私の口戯に身を委ねるのではなく、いつものように、頭をつかんで乱暴に口を犯しはじめた。  喉の奥まで突き入れられる。  極太のペニスに口を、そして食道をふさがれる。  遠藤の言いつけを守ってベッドを使わず、口でさせているのが精一杯の自制心なのだろうか。それとも単に、まずは本番よりも口でさせたいだけだろうか。  私はどちらだろう。  今、どこを貫かれたいのだろう。  飲まされたいのか、かけられたいのか、それとも胎内に注ぎ込まれたいのか。  あの時の高道は、今の早瀬以上に我を忘れたように私を突きまくり、なにも言わずに膣内に射精した。 「……ね、先生?」  ことが終わった後、私は高道の方を向いてベッドに座り直した。  脱がされかけた下着から脚を抜き、その脚をベッドの上に拡げた。  スカートの裾を持ち上げる。  腰を前に突き出して、膣奥に力を込める。  膣内から流れ出てくる粘液の感触。  それを高道に見せつける。  自分がなにをしたのか、思い知らせるように。 「……おかげで、少し、落ち着きました。ありがとうございます」 「あ……いや、その……すまなかった」  下半身丸出しの、威厳もなにもあったものではない姿の高道。 「……でもね、先生?」  薄い笑みを浮かべて、ポケットから携帯電話を取りだした。 「私、どうしてこんなことするんだって訊かれるの、大っ嫌いです。お説教されるのはもっと嫌いです。……先生は、そんなこと、しませんよね?」  ボタンを操作し、ボイスメモを再生する。  ヴォリュームを最大に上げ、腕を高道へと突き出す。  高道が顔色を変える。  私の喘ぎ声に混じって聞こえる、中年男性の声。  知っている者が聞けば、その主は誤魔化しようがない。  目の前の顔が青ざめる。 「今ここで、悲鳴を上げるという選択肢もあります」 「な……なにが目的だ」  掠れた声。  精一杯強がろうとしているのかもしれないが、まったく結果がともなっていない。 「……なにも」  私の顔から、声から、感情が消える。  唇が、無機的な声を紡ぐ。 「先生が考えているようなことじゃ、ありません。お金なんていりません。……私の〈噂〉知りませんか? きっと、家のローンと子供の教育費に追われるしがない高校教師よりも、ずっとたくさんお小遣いもらってます、私」  携帯をポケットに戻しながら答える。 「じゃ、じゃあ……」 「……なにも、いりません。なにも、しないでください。言ってる意味、わかります?」  狼狽のあまり、頭が回っていないのだろう。理解している様子ではない。  言葉を続ける。 「先生のクラスに、リストカットや援助交際をしているという噂の問題児がいるでしょう? その子にはいっさい干渉しないでください。停学や退学はもちろん、お説教もなしです。別に、贔屓する必要もありません。ただ、放っておいてください」 「…………」 「それだけ約束してくれたら、その子も、学校で問題を起こすようなことはしないでしょう。ただ目立たずに教室の片隅にいるだけです、きっと。……いいですね?」  それは、確認ではなく、強要。  高道にできたのは、血の気の失せた顔で、力なくうなずくことだけだった。  実際のところ、最初からここまで企んでのリストカットだったわけではない。  あくまでも結果オーライ。すべてはアドリブだ。  思っていたよりもうまくいったので、それから間もなく、高道に手引きさせて、学年主任と校長にも同様のことをした。  そうして私は、学校という〈居場所〉を作ったのだ。 「んぅっっ、――――っ!」  早瀬が達する瞬間、私は口を離した。  顔に、髪に、そして制服に、白い飛沫が降りかかる。  その奔流が治まったところで、もう一度口に含んで、残った雫をきれいに舐めとる。  大量の精液が、私を汚していた。  もちろん、早瀬がこれだけで満足するわけもない。これっぽちも萎える気配は見せずに硬いまま、早瀬は獣の気配をまとったままだ。  これなら、犯してくれそうだ。  そう、想う。  しかし残念ながら、ベッドを〈使う〉ことはないだろうと気づいていた。たぶん、早瀬はなにも気づいていない。  立ち上がってベッドに腰掛ける。  挑発するように、微かな笑みを浮かべる。  いつもなら、このまますぐに第二ラウンドがはじまるはずだ。  恐い表情をした早瀬が、一歩近づいてくる。  私の肩に手をかけて、そのまま押し倒そうと……    ……したところで、時間切れだった。  いや、この場合はレフェリーストップというべきだろうか。    いきなり、保健室のドアがノックされた。  心の準備ができていなかった早瀬は、びくっと弾けるように飛び退くと、血相を変えて振り返った。  もう一度、ノックの音が響く。 『……いい?』  ドアの向こうから聞こえてきたのは、遠藤の声ではない。  もっと若い、女生徒の声。  私のよく知っている声。そして早瀬も知らないはずはない声。 「どうぞ」  そう応えると、早瀬は慌てた顔でこちらを見た。なにしろ私はブラウスも脱ぎかけで、精液まみれの姿なのだ。  もちろん、わかっていての行動だ。  一瞬の間があって、ドアが開く。  入ってきたのは、木野だった。手に、私の鞄を持っている。 「……莉鈴の鞄、持って来たよ。このまま早退するんだろうと思って」 「…………気が利くわね」  早退しようとはっきり決めていたわけではないけれど、教室に戻るつもりもなかった。  松葉杖は私と一緒に早瀬が持ってきているのだから、鞄があればこのまま帰れる。遅刻も無断早退も、教師はなにも言わない。  近づいてきた木野は、白濁液にまみれた私の姿を見て眉をひそめた。  しかしなにも言わない。驚いた様子もない。  黙って、鞄を差し出してくる。  慌てているのは早瀬だけで、これ以上はないくらいに居心地悪そうにしている。  そんな早瀬に、咎めるような視線が向けられる。 「あ……か、帰るなら、俺、送ってくから」 「そうね。それが責任ってものよね」  発言の主は、私ではなく木野だ。かなり、棘の感じられる口調だった。 「お、俺も……鞄、取ってくるから」  逃げるように出て行こうとする早瀬。  その背中に、刺々しい声を投げかける木野。 「……早瀬」  それは実際、早瀬の脚を縫いとめる棘となった。  ドアを開けたところで、立ち止まって振り向く。 「……莉鈴とえっちするのはいい。だけど、早瀬が莉鈴にとって害になるようなら、あたしにも考えがあるから」  なんだか、遠藤と似たようなことを言う。  だけど教師という枷がないせいか、遠藤よりも攻撃的だ。 「未来の金メダル候補としては、選手生命に関わるようなスキャンダルを広められたくないでしょう? そこんとこ忘れないようにね」  棘だらけ、まるでサボテンのような口調だった。 「……わかってる」  早瀬の声も、やや不機嫌そうである。  乱暴にドアを閉め、大きな足音が遠ざかっていく。  木野が私に向き直る。  早瀬がいなくなったせいか、表情はいくぶん和らいでいるものの、それでもまだ怒っている様子だ。珍しく、私に対してもどことなく責めるような視線を向けている。 「……いいところで……邪魔、しちゃった?」  手を伸ばしてくる。  髪に触れ、絡みついている早瀬の白濁液を指で拭う。 「……わざと、あのタイミングでノックしたくせに」  私は気づいていた。  口を犯されている時、ドアの向こうで耳をそばだてていた存在。  微かに開かれたドア。  隙間から覗く、女子の制服。  木野とわかっていたわけではないが、可能性としては木野か茅萱だろう、とは思っていた。 「いちおう、終わるまで遠慮したんだけどな?」  汚れた指を自分の鼻先に近づけ、不快そうに顔を歪める。  机の上に置いてあったティッシュの箱に手を伸ばそうとして、しかし、私を見て行動を変えた。 「……あと三十秒早くにノックするべきだったかな」  指を私の前に差し出す。  そうするのが当たり前のように、私は指を口に含んで舐めた。  すっかり馴染んだ、早瀬の精液の味。  木野は空いている方の手で額や頬、髪を汚している精液を拭い、最初の指が綺麗になったところで交代させた。 「どっちみち、生殺しには変わらないわね」  その指も舐め、汚れを飲み込む私。  綺麗になった手で、また私を汚している粘液を拭いとる木野。  何度か、それを繰り返す。 「……口でも、出しちゃえば落ち着くんじゃないの、男って? なんか、いっぱい出したみたいだし……、莉鈴の口ならすっごい気持ちいいんだろうし……つか、指、ちょっと気持ちいいんだけど?」  ようやく表情を緩めた木野は、くすくす笑いながら、舌や上顎をくすぐるように口の中の指を動かした。 「……早瀬にとっては、こんなのウォーミングアップみたいなものよ。一回だけですむわけがないわ。かえってその気にさせるだけ」 「そうなの?」  呆れたような苦笑。  もう一度、指を舐めさせる。  仕上げに、ウェットティッシュを取り出し、私の髪や顔、そしてブラウスを拭いてくれる。 「……教室の方は、もう……大丈夫だから」  表情と口調が、微妙に変化する。  返事はしない。 「先生も、莉鈴がらみなら騒ぎを大きくしたくないだろうしね」  教師とのことを木野に話したことはないけれど、なにかあると気づいているのだろう。  少し注意力のある者ならすぐに気づくはずだ。私が学校側から、不自然に――単なる事なかれ主義というには不自然すぎるほどに――放置されていることに。 「それに、あれを見せられて、それでも莉鈴にちょっかい出す命知らずはいないでしょ」  また苦笑する木野。  私は表情を変えない。  しかし、あれは確かに恐かった。  横から見ていても恐かったのだから、あの怒りを直に向けられた者は生きた心地がしなかっただろう。 「山本たちは、しばらく学校に来ないんじゃないかな? つか、来れないよね。高校生にもなって、衆人環視の教室でおしっこちびったんじゃ」  いい気味だ、という風に笑う。  笑いながら、 「……いや、でも、あれはあたしでもちびるわ、きっと」  小さく肩をすくめる。 「…………どうでもいいわ、そんなこと」  顔や髪を拭き終わった木野が、乱れたブラウスを直してくれる。  それが終わると、小さなブラシを取り出して髪を整えてくれる。 「もう一度訊くけど…………早瀬のこと、好きなの?」  髪を梳きながら訊いてくる。 「……何度も言わせないで。嫌いよ、男なんて、みんな」  その言葉に嘘はない。早瀬に好意など抱いていない。  異性に対して恋愛感情じみた好意を持つことがあるとしたら〈パパ〉に〈クスリ漬け〉にされている時だけだ。しかしあの感情は〈恋愛〉とはどこか、少し、なにかが違う。  その感情がなんなのか……わかっているような気もするし、絶対に認めたくない気もする。 「でも、早瀬はあれ、けっこうマジっぽくない?」 「…………さあ?」  確かに、向こうはある種の好意は持っているのだろう。  しかし、それが本当の恋愛感情とは思わない。恐らくは、自分が目をつけた雌を独占したいという、雄の本能だろう。 「カラダが目当て、としか思わないけど」 「なのに……えっち、するんだ?」  困ったような表情の木野。 「…………早瀬のことが好きなら、茅萱には悪いけど応援してもいい。嫌いで相手したくもないのに向こうがしつこくつきまとってるだけなら、どんな手を使っても排除する。……でも莉鈴は、嫌いといいつつ、傷つきつつ、自分の意思でえっちしてる。援交もそう。……どうして? どうすればいいの?」  間近で、真正面から、木野の顔を見る。  笑みを浮かべているのに、泣きそうな表情。  こんな表情の木野、初めて見る。  手を差し伸べてくる。  包み込むように、優しく、抱かれる。  どうしてだろう。  木野といい遠藤といい、どうして、私なんかを気遣うのだろう。 「……わからない」  ぽつりと、言葉が漏れた。 「……自分でもわからない。だから……こんなことしてる。わからない……どうしたいのか、どうすればいいのか……わからない……だから……」  まずい。  感情が抑えられない。  本音が漏れている。  普段なら「構わないで」ですませられるはずなのに、泣き出してしまいそうだ。  このままでは、まずい。こんなの〈私〉じゃない。  感情の奔流が噴き出す前に、ぎりぎりのところで押しとどめた。感情のスイッチを、オフに切り替える。  泣きそうになっていた顔から、表情が消える。 「だから……放っておいて」 「……そう」  ゆっくりと解かれる腕。  哀しそうな、諦観の笑み。 「…………今日のところは、ね。でも、覚えておいて。本当に辛い時に想い出して。莉鈴にも味方はいるんだって」  一歩離れて距離をとる木野。  ふぅっと息をつく。  離れてくれてよかった。  あれ以上踏み込まれていたら、きっと、木野を傷つけていたに違いない。  夏休み中の遠藤のように。  もしそうなっていたら、大人の遠藤以上に、木野の心身のダメージは大きかったはずだ。  よかった、と想う気持ちは本心だった。  傷つけずにはいられないけれど、木野や遠藤を傷つけたいわけではない。  男に対する感情とは違う。  早瀬のことは、確かに、憎み、そして嫌っている部分がある。  彼は、男だから。私に性欲を向けるから。  しかし、木野や遠藤が嫌いなわけではない。憎んでいるわけではない。  ただ、構わずにいて欲しいだけだ。  セックス以外で、他人と接する方法なんて、知らない。  無償の好意なんて、理解できない。  未知のもの、理解できないもの、それは人を不安にさせる。  その点では、早瀬の方がわかりやすい。  私の身体で性欲を満たす代わりに、多少は気遣いもする。実に単純な、わかりやすい関係だ。その点では安心できる。  俯きがちに、木野から視線を逸らす。  そのタイミングで早瀬が戻ってきたのは救いだった。そうでなければ、気まずい、居心地の悪い時間が続いていたはずだ。 「……お待たせ。じゃ……行くか」  自分の鞄と私の鞄を一緒に肩に掛け、杖を持って、それでも軽々と私を抱き上げる。  木野が小さく肩をすくめる。 「………………ありがと」  ぽつりと、木野に向かって言う。  早瀬が歩き出し、木野がドアを開けてくれる。 「……早瀬」  その横を通り過ぎる時、木野がきつい声を発した。  脚が止まる。 「……あんたがちゃんとしてれば、少なくとも、莉鈴の怪我はなかった」 「…………そうだな、悪ぃ」  鋭い視線が早瀬を射貫いていた。 * * *  初めての経験だった。  学校からお姫様抱っこで帰るのも、こんな明るい時間帯に早瀬に抱かれて外を歩くのも。  とはいえ、松葉杖という小道具があるから、見た者も状況を理解してくれるだろう。  しばらく、沈黙の時間が続いた。  今、早瀬はなにを考えているのだろう。  難しい表情をしている。 「……北川」  口を開いたのは、学校を出て、かなり時間が経ってからだった。 「木野の言ってた通りだよな。もっと早くに……ちゃんとしておくべきだった」 「……」 「……俺と……ちゃんと、付き合ってくれないか?」 「嫌」  考えるまでもなく即答する。  ここに来るまでに、充分に予想できていた展開だった。 「身体だけが目的じゃない、本気で好きだ……って言ったら、迷惑か?」 「迷惑」  これも即答。  一刀両断にされて、言葉を続けられずに困ったような表情で固まっている早瀬。だから、こちらから口を開いた。 「……迷惑よ。錯覚で告白されるのは」 「……錯覚?」 「ええ、あなたが嘘をついているとまでは言わない。でも、それは錯覚だわ」 「違う」 「違わない。初めての相手が私で、それが気持ちよくて。だから、手放したくなくなった。……それを、恋愛感情と勘違いしているだけ」  淡々と告げる。 「そもそも恋愛なんて、性欲という動物の本能に対して人間が勝手な装飾を施しただけの言葉だわ。結局のところ、子孫を残そうとする本能でしかない。そして、私は子孫を残す気なんてない。だから、恋愛なんてする気もない」 「いや、そうじゃない、俺は……」 「うるさい、黙れ」  強い口調でさえぎる。  これ以上、早瀬の……男の戯言を聞くのは不愉快だった。 「……下ろして。タクシーで帰るわ」 「……だめだ」  逆に、腕に力が込められる。私を逃がさないように。  早瀬の歩みが、少し早足になる。  怒気を含んだ表情を浮かべている。  向かっているのは私の家ではなく、早瀬の家だった。  無言で歩き続ける。 「………………茅萱と、してみなさいよ」  早瀬の家まであと二、三百メートルというところまで来て、ぽつりと言った。 「……え?」 「私しか女を知らないくせに、錯覚じゃないなんて言っても説得力ない。茅萱としてみなさいよ。きっと、その方が楽しいわよ? いきなり、私相手みたいな激しいことはできないだろうけど、少しずつ自分好みに調教していく楽しみもあるわ」 「ばっ……そんなこと、できるわけねーだろ! だから、カヲリはそんなんじゃねーって。あいつは……、小さい頃から家が近所で、幼馴染で、あいつはひとりっ子だったから、兄妹みたいな感じで……」 「向こうは、兄妹とは思っていないみたいだけど?」  その言葉は図星だったはずだ。  気まずそうな、後ろめたそうな、そんな顔になる。  早瀬も当然、茅萱の想いには気づいているのだろう。  だけど、どうしてだろう。  茅萱のことを嫌っているようには見えない。むしろ逆だ。だから、クラスメイトの多くもふたりは恋人同士だと思っていた。なのにどうして、早瀬の認識では恋人ではないのだろう。  私の存在は理由にならない。私と知り合う前から、そうだったのだから。 「……まさか、茅萱相手じゃ勃たないなんて、言わないわよね?」 「いや……さすがにそれは……俺も、健康な高校生だし……。ガキの頃から一緒のせいか、あいつ、けっこう無防備だし……」  曖昧に口ごもる。  つまり、茅萱を性欲の対象として見たこともあるということだ。  ちらりと覗く胸元やミニスカートから伸びた脚、夏の薄着で目立つ胸の膨らみや下着の線に、興奮したことがあるということだ。  なのに今まで手を出さず、彼女にもせず。  それはどうしてだろう。  直接的な態度ではなくても、茅萱の方からさりげなく誘ったことはないのだろうか。  ないはずはない、と想う。  なのに、手を出さなかった。  知り合ったばかりの私には、ちょっと誘惑されただけで簡単に手を出したのに。  手を出してしまったら、もう抑えがきかなくなってしまったのに。  逆に考えれば、私が〈どうでもいい相手〉だからかもしれない。  茅萱が相手では、将来のことまで真剣に考えてしまい、かえって気軽に一線を越えられなかった……ということはありそうだ。  あるいは、単に茅萱はそうしたことに奥手で、なかなかそんな雰囲気にならなかっただけかもしれない。 「……家に遊びに来たりすること、あるんでしょ?」 「…………ああ」 「じゃ、いいものあげる」  手を伸ばして、早瀬が持っていた私の鞄から、小さな壜を取り出した。  それを、早瀬の手に握らせる。 「茅萱の飲み物に混ぜるといいわ。そうね……大さじ一杯くらいで充分。すぐに我慢できなくなって、向こうから誘ってくる」  〈パパ〉とのデートの時、お土産にもらった〈クスリ〉の壜。 「北川……」 「これで、向こうがどうしてもっていうから仕方なく、といういいわけができる。彼女にする気もないのに弄んだ……なんて責められることもない」  早瀬の眉間に皺が寄る。  困ったような表情で、手の中の小壜を見つめている。 「バージンの子だって、きっと、もうたまらないって感じで迫ってくる。その初物のきっついまんこに、あなたの極太のペニスをねじ込むの。……想像しただけで興奮しない?」  サドっ気充分の早瀬のこと、興奮しないわけがない。 「……その後で、やっぱり私を選ぶというなら、さっきの戯言をもう一度聞いてもいいわ。どっちみち、返事は変わらないけど」  どっちにしろ、私は早瀬の寝言に付き合う気はない。  そうなれば、早瀬は茅萱を選ぶしかあるまい。  その方がいい。  茅萱を本命とした上で、たまに私を弄んでくれればいい。  それで、充分だ。 「……わかった」  渋々、といった口調ではあったが、早瀬は壜をポケットにしまった。 「じゃあ、この話はとりあえずおいといて……、今日、いいか?」  このまま家に連れ込んでも、という部分が省略されていても通じる問い。  これも予想できていたことだった。早瀬が、保健室の口での一回だけで満足できるわけがない。  かなり昂っている状態だろう。遠藤と木野にちょっと釘を刺されたくらいでは抑えきれまい。 「……好きに、すれば。…………あまり気分が乗らないから、早めにすませて」  わざと素っ気なく応える。  しかし、気分が乗らないというのは本心だった。もともと、早瀬と逢う時に〈気分が乗っている〉ことなどほとんどないのだけれど、それにしても今日の心理状態はなにか違う。  学校で、いつもと違う事件があったからだろうか。いつも以上に心が醒めている感覚だ。  しかし、こんな精神状態の時には早瀬と一緒にいた方がいいのかもしれない。独りでいたら、また、生命に関わる〈発作〉を起こしかねない。  早瀬が傍にいれば、いつも通りのリスカ以上のことはさせてもらえないだろう。  それがいいことなのか悪いことなのかは、判断に悩むところだった。   * * * 「腹、減らないか? 先になんか食わね?」  私を部屋に連れ込んで、ベッドに座らせて、早瀬の最初の台詞。 「……少し」  あのごたごたがあったのは昼休みだから、昼食を食べていない。小食とはいえ、いや、だからこそ体内の蓄えは少なく、お腹は空いている。この後、かなり消耗するようなことをされるのだから、食べておいた方がいいだろう。  そして早瀬は体格通りの大食漢だ。まず食欲を満たさなければ、性欲解消にも専念できないのかもしれない。  キッチンへ向かう早瀬。  私はベッドに横になる。  この数ヶ月で、何度も寝たベッド。  何度も、何度も、ここで早瀬に犯された。  茅萱は……どうなのだろう。  私が訪れるようになってから、この部屋に入ったことはあるのだろうか。  このベッドに座り、あるいは横になったことはあるのだろうか。  私との噂を知った後で、来たことはあるのだろうか。  その時なにを思ったのだろうか。  対抗して、積極的に誘惑しようとは考えなかったのだろうか。  それとも、自分では陥とせなかった早瀬が私には簡単に手を出したことで、敗北感に打ちひしがれたのだろうか。  気のせいとはわかっているけれど、微かに茅萱の残り香があるような気がした。  ここでふたりが、裸で抱き合っている姿を想像してみる。  絶対、そっちの方がお似合いだ。高校生の恋愛ごっこに私を巻き込まないで欲しい。  そんなことを考えていると、早瀬が戻ってきた。  手にしたトレイには、ハム、チーズ、キュウリ、トマトのサンドイッチが山盛りになった大皿と、アイスコーヒーのグラスがふたつ。うちひとつはミルクたっぷりで、たぶんガムシロップもたっぷり入っているはず。  小さなテーブルを出してトレイを置き、私の隣に座る。以前よりは近く、だけど身体の触れないぎりぎりの距離に。  アイスコーヒーのグラスとサンドイッチをひとつ、私の手に持たせる。  自分も、サンドイッチに手を伸ばす。  無言のまま、小鳥がついばむように食べる私。  その何倍もの速度で、大量のサンドイッチを胃に収めていく早瀬。  まったくペースの違うふたりのお腹がほどよく満足した頃、ちょうど皿は空になった。  グラスの底に少し残ったアイスコーヒーを空にする。  しかし――  まったく、迂闊だった。  食べ終わるまで、気づかなかったなんて。  手遅れになってから、気づくなんて。 「……早瀬……あなた…………」  目を細め、早瀬を睨む。  焦点が合いにくくなっている視界に映るのは、後ろめたそうな苦笑。 「どういう……つもり?」  怒気をはらんだ声で問う私の額には、汗が滲んでいた。  お腹が、熱い。  身体の奥から、火照った感覚が広がっていく。  馴染みの感覚だ。身体の中心が熱くなって、下着が湿ってくる。  そう。  さっき渡した〈クスリ〉が、私のグラスの中にたっぷりと注がれていたのだ。  濃いコーヒーとミルク、そして大量のガムシロップで味を誤魔化されていた。  最後の一口の頃になってようやく、身体が熱くなってきて気がついた。  もう手遅れだ。〈クスリ〉の有効成分は吸収されてしまっている。  早瀬の手が伸びてくる。  肩を抱き寄せる。  その手を払いのけようとしたけれど、もう、身体に力が入らなかった。これは〈大さじ一杯〉よりもかなり多めに入れてあったようだ。  指先が触れてくるだけで、気持ちよかった。 「…………なんの……真似よ?」 「……カヲリとまったくしたくないと言ったら、嘘になる。だけど、俺がこーゆーことしたい相手は、誰よりもまず北川だから」  抱きしめられ、強引にキスされた。  抗えなかった。  腕に力が入らない上、すごく気持ちよかったから。  舌が口の中に入ってきた時には、もう下着が濡れて、乳首が固くなっていた。 「……後で……覚えてなさいよ」  そんな台詞にも力が入らない。早瀬は思うままに私の唇を貪っていた。  彼のしたことには腹を立てていたけれど、それ以上に、自分がこの状況を嫌がってはいないことに腹が立った。〈クスリ〉であれ力ずくであれ、強要される行為には興奮してしまう。  早瀬が首輪を持ち出してきた。短い鎖がついていて、その先が二股になって手枷につながっている。  最近の、早瀬のお気に入り。  首にはめられ、鎖を背中側に垂らし、腕を身体の後ろで拘束される。  それだけで、顔が真っ赤になるのを感じる。全身が灼けるように熱くなる。  早瀬が、欲しい――そんな想いが頭の中を占めるようになる。  あの大きな凶器で貫かれたい。  陵辱されたい。  そんな想いでおかしくなりそう。  だけど、早瀬を睨む目つきだけは変えない。  ブラウスのボタンが外されていく。  ブラジャーのホックが外され、カップがずらされる。  大きな手に胸を鷲づかみにされる。相変わらずの乱暴な愛撫だけれど、今は、それがいい。  身体が痺れるような、甘美な痛み。 「あっ……っ、あぁっん!」  乳首をつねられる。  痛いほどに力が込められている。  痛くて……達してしまいそうなほどに。  キスをしていた口が、下へ移動していく。  舌を這わせながら、顎から首、首から胸へと。  膨らみに達したところで、口に含む。  乳房を、乳輪を、そして乳首を咬まれる。 「や……だ、め……っっ! ……っっ!」  強く、吸われる。  痕が残るほどに、痛みに顔を歪めるくらいに、強く。  そのまま、手が下半身へと滑っていく。  スカートが脱がされる。  パンツが膝まで下ろされる。  脚の間に手が入ってくる。 「――――っ!!」  触れられた瞬間、悲鳴を呑み込んだ。  身体がびくっと痙攣する。  やっぱり、どうしようもなく敏感になっている。 「もう……すげー濡れてんな? あのクスリのせい?」  早瀬の声からも驚いた様子が感じ取れる。  普段から濡れやすい体質ではあるけれど、強い〈クスリ〉を使われた時の濡れ具合はまたぜんぜん違う。早瀬にとっては初めての経験だろう。 「ひゃ……せ……、この……あぁぁ――――っ!!」  指が入ってきただけで、一瞬、意識が飛んだ。  もう、だめ。  身体だけではなく、心まで〈クスリ〉に支配されてしまいそうだった。  挿れて欲しい。  挿れて欲しい。  挿れて欲しい。  挿れて欲しい。  挿れて欲しい。  今すぐ貫いて欲しい。  あの、泣くほどに大きなペニスで。  深く、深く。  激しく、乱暴に。  何度も、何度も。  もう、だめ。  〈パパ〉が相手の時のように、声に出して懇願してしまいそう。  だけど、だめ。  絶対に、だめ。  こいつには、そんなこと、しちゃいけない。  絶対に、だめ。  でも……  もう……  ……我慢、できない! 「あぁぁぁ――――――っっっ!!」  幸か不幸か、我慢できなくなっていたのは早瀬も同じだった。  いきなり俯せにされると、焦らされることもなく後ろから一気に貫かれた。  挿入の瞬間、達してしまった。  しかしそれで昂ぶりが治まるわけもなく、早瀬の腰の動きに反応して私の下半身も蠢いてしまう。 「あぁぁっ! あぁんっ! あぁぁんっ! やだっっ……あぁ――っ!」  深く、長く、強く、打ち込まれる。  ひと突きごとに、蜜が噴き出してくる。  いちばん深い部分を力まかせに圧迫されるのがたまらない。  腰をがっちりと掴んだ早瀬は、強引に根元まで押し込んで、削岩機のような勢いで下半身を震わせる。  私が震えているのはその振動のせいではなく、あまりの快感のせい。  全身が痙攣する。  後ろから鎖が引っ張られて、首輪が喉に喰い込んでくる。  視界が暗くなる。  なのに腰の動きだけはさらに加速していく。 「あぁぁっ! あぁっ! あぁっあぁぁっあぁんっあぁぁんっあぁぁんっ! そっこっ……だめっ! だめっだめっだめぇっ! あぁぁ――っ! も……もっとぉ――――っっ!!」  灼熱の溶岩が噴き出してくるような感覚。  大量の射精。  胎内が灼かれる感覚に、気が遠くなる。  いつも以上に大量の精液が流れ込んでくる。  私の膣を、子宮を、卵管を侵していく。 「も…………とぉ…………ひゃ……せぇ……」  だらしなく開いた口に浮かぶ、理性の欠片もない笑み。  唇の端から涎がこぼれる。  舌が震える。  まだ、深々と打ち込まれたままの灼熱の杭。  身体の中心を貫いている。  射精の数秒間だけ動きを止めていたそれが、また、私の中で暴れだそうとした時――  玄関のチャイムが鳴った。  動きを止める早瀬と、構わず腰を振る私。 「あ……んっ、や……だっ!」  引き抜かれる時には、思わず不満の声が漏れた。  早瀬は素速く服を着て、部屋を出て行く。  小走りに階段を下りていく足音。  朦朧とした頭で、宅配かなにかだろうと思っていたけれど、階下から聞こえてきたのは、明らかに違う種類の声だった。  早瀬の声と、興奮した雰囲気の女の子の声。  なにを言っているのかまでは聞き取れないが、ふたりが言い争っているというよりも、女の子が一方的にまくしたてているような雰囲気だ。  そして……  階段を駆け上ってくる足音。  聞き慣れた早瀬のものではない、もっと軽い足音。  ばんっ、と割れそうな勢いで開かれたドア。  この時にはもう予想できていたけれど、部屋に飛び込んできたのは茅萱カヲリだった。 「――――っ!!」  怒りの形相が瞬間的に凍りついた。  ベッドに横たわる、私の姿を目にして。  無理もない話だ。  まだ放課後になっていないこの時刻に、おそらくは学校をさぼってやってきたのだから、私がここにいることは確信していただろう。  セックスしていることも、外れて欲しいと思いつつも予想していたに違いない。  しかし、首輪と手枷をつけられ、中出しされた大量の精液を溢れさせてベッドに横たわっている姿は、バージンの女子高生には刺激が強すぎた。私はまだ汗ばんでいて呼吸も荒く、いかにもたった今までしてましたという状況なのだ。  握りしめた拳が、私の目にもはっきりわかるくらいにぶるぶる震えている。  唇が微かに動いているが、声にはならない。予想を超えた衝撃的な光景に、なにを言えばいいのかわからないのだろう。言いたいことがありすぎるのかもしれない。  茅萱の後を追って、早瀬が飛び込んでくる。しかし今の茅萱は、声をかけられない雰囲気をまとっていた。  一歩、ベッドに近づく。 「…………と、トシくんのこと……好きなの? やっぱり付き合ってるの?」  誰それ?  一瞬、本気でそう思った。しかし、状況的に早瀬のことしかありえない。少し間があって〈稔彦〉という名前だったことを思いだした。最初の日に聞いてはいたけれど、もちろん、その名で呼んだことなど一度もない。 「……嫌いよ。大っ嫌い」  返す答えはひとつしかありえない。木野に返したのと同じ言葉。 「だったら……なぜ……」 「……これが、私が望んでしている姿に見える?」 「――っっ!」  茅萱の表情がさらに強張った。  ボタンがすべて外されたブラウスを羽織って。  ブラジャーもずらされて。  露わにされた胸にはキスマークがいくつもあって。  パンツは膝まで下ろされて。  首輪をはめられて。  手枷で両手を拘束されて。  俯せにされてお尻だけを突き上げた姿勢。  そして、精液が太腿まで滴り落ちている。  いかにも〈私が誘ったのではなく、早瀬に無理やり乱暴された〉といわんばかりの姿だった。  茅萱にとっては、なによりも認めたくない状況だろう。 「まさか……、トシくん相手に、援交……してるわけじゃないよね?」 「……お金は、もらってない」  茅萱にしてみれば、援交の方がよかったのかもしれない。  唇を噛みしめている。  愛情の絡まない、お金による純粋な性欲解消、の方がましだ。自分以外の女性を愛している、に比べれば。  ばっと、背後の早瀬に向き直る。 「ど……どうしてっ!? どうして、よりによって北川なのっ!? こんな、援交してるとか、AVに出てるとかの噂があって、リスカ癖のキチガイ女っ!」  甲高い声で叫ぶ。 「き、北川のことなんて、好きでもなんでもないくせにっ! 好きな人は他にいるくせに! え……エッチしたいだけなら、北川じゃなくてもいいじゃない! あ、あたしじゃだめなの? そんなに北川がいいの? あたしじゃ、トシくんを悦ばせてあげられないの? 一度も試してくれたことないのに、どうしてそんなこといえるのっ!?」  激昂して、一気にまくしたてる。  早瀬はなにも答えられずにいる。  ああ、やっぱり――私は想った。  茅萱は、早瀬に本気だった。  セックス、したがっていた。  なのに、早瀬が拒んでいた。  その理由も、なんとなく想像できた。 「カヲリ……俺は……」 「あ、あたし……セックスだけの関係でも……いいよ。それでも……代用品なら、北川じゃなくてもいいじゃない。あたしじゃ……だめなの? が、がんばるし、なんだってするし!」 「いや……それは……」  早瀬の言葉に嘘はなかったのだろう。自分で言っていた通り、茅萱は〈女〉である以前に〈仲のいい、妹のような幼馴染〉だったのだ。  恋愛感情はないけれど、大切に想っている相手。そんな相手を、正式に彼女にもせずに性欲の対象にはできなかったのだろう。  最初から、身体の関係ではじまった私とは違う。  大切な存在だから、だけど彼女じゃないから、抱けない。  どうでもいい相手だから、思う存分に犯せる。  だけどそんな理屈は〈妹〉から〈女〉に成長した茅萱には通じていなかった。もう子供ではなく、好きな男に抱かれることが幸せと感じる年頃なのだ。  想いがすれ違っている――そんな気がした。  早瀬が抱いてやれば、すべて解決するのではないだろうか。  茅萱はそれで満足だろうし、早瀬も、抱いた相手ならきっと〈妹〉とは見なくなる。〈女〉と認識するようになる。  そうなれば、好意は抱いている相手なのだ、ちゃんと恋人同士になれる。  これまでの早瀬を見る限りでは、茅萱が口にした〈他に好きな人〉とやらは、誘いを断わる口実だろうと思えた。私と茅萱の他に女の気配はないし、私と知り合う以前から、茅萱の想いを受けとめずにいたのだから。  早瀬だって、茅萱とセックスすれば考えも変わるはずだ。きっと〈妹〉だった期間が長かったために、セックスの対象にはできないと思い込んでいるだけなのだ。  さっさと、すればいい。  ふたりで、解決すればいい。  とりあえず、痴話喧嘩は私のいないところでやって欲しい。  まだ〈クスリ〉が残っている状態なのだ。生殺しのまま放置されてはたまらない。  だから、茅萱に睨まれるとわかっていても口を挟むことにした。 「……そこまで言ってるんだもの、してあげればいいじゃない」  早瀬が驚いたようにこちらを見る。  振り返った茅萱が、射殺すような視線で睨む。 「茅萱相手でも勃つって言ってたじゃない。オカズにしたことくらい、あるんじゃないの? だったら、すればいいじゃない。性欲処理の相手が他にいるなら、私を巻き込まないで」  茅萱はなにか言いたげにしていたけれど、そのまま早瀬に向き直った。 「…………して、よ」  無理やり、絞り出したような声。 「……一度だけでもいい……してよ。ずっと……トシくんのこと、好きだった。初めては絶対にトシくんとって、想ってた。彼女……じゃなくてもいい。一生に一度のことだもの、本当に好きな人としたい。彼女にはなれなくても、それだけは諦めたくない」  なんとも一途なことだ。  茅萱はルックスだって悪くない。早瀬はいったいなにが不満なのだろう。  困ったように頭をかく早瀬。しかし、微かに〈したい〉という欲望が見え隠れしている。  男なら誰だってそうだろう。  可愛い女の子に、ここまで一途に想われて、こんな積極的な発言をされて。 「……本当に、そんなんでいいのかよ」  わざと、ぶっきらぼうに言う。 「いいよ……男の子にはわかんないよね。初めてを、本当に好きな人にあげることの大切さなんて」  茅萱には悪いけれど、女である私にも理解できない。  もっとも、自分が特殊な例であることは自覚している。初めてを好きな人に……とか、そんな想いを抱くような年齢になる前に無理やり奪われた女の感性が、普通であるはずがない。 「……後悔、するぞ」 「しないよ。逆……ここで、しなかったら、絶対に一生悔やむ」 「…………わかった」  ついに、早瀬が折れた。  これで私もお役ご免だ。 「……話がまとまったところで、邪魔者は退散するわ。これ、外してくれない?」  早瀬がベッドのそばに来たけれど、しかし首輪は外さずに、私を抱え上げて椅子に座らせただけだった。  手枷だけを外し、椅子の背のフレームに鎖を通してもう一度手首にはめ直した。  私は、椅子に拘束された形になる。 「……なんの、つもり?」  上目遣いに睨めつける。 「……北川がけしかけたんだ。責任持って、最後まで見届けろ」 「トシくん……」 「なぁに、早瀬ってば、実は見られて興奮するタイプ?」  皮肉混じりの台詞を無視し、困惑した表情の茅萱を振り返る。 「……それが、条件だ」 「……………………わかった」  気丈にもうなずく茅萱。  大切な初体験を第三者に間近で見られて。  しかもそれがいちばん嫌っている、彼氏の浮気相手で。  我慢がならないことだろうに。  早瀬も、いったいどういうつもりなのだろう。  最初に考えたのは、私が嫉妬することを期待しているのだろうか、ということだった。  まさか。  いくらなんでも、私に対していまだにそんな幻想を抱いてはいまい。もしそうなら、私に、そして女に対して夢を見すぎだ。  あるいは、逆だろうか。  私がいることで、対抗心を燃やした茅萱がどんな要求にも応えるだろう、とか。  そこまで考えての行動だとしたら、私が思っていた以上の鬼畜だ。これまで茅萱に手を出さなかったことを考えれば、それもないと思う。  時々、よくわからない行動をとる男だ。 「……あ、あたしは……ど……どうすればいいの?」  これが初体験の茅萱は、真っ赤になってうつむいていた。  積極的に迫ったまではいいけれど、実際の経験がないために、いざとなると具体的にどうすればいいのか戸惑っている。 「…………俺に、まかせて」 「……ん」  肩に手を置かれて、ベッドに座った。  隣に早瀬が腰を下ろす。ふたりの身体が触れ合う位置に。  ちらりとこちらを見た時の表情は、なんだかやりにくそうだった。見られて興奮するというわけでもないらしい。 「……なにも……遠慮、しなくていいよ。好きにして……いいから」 「優しくするから。怖がらなくていい」  私には言ったことのない、歯が浮きそうな台詞。  肩を抱き寄せる。  頬に手をかけ、上を向かせる。  一度、早瀬を見上げて、その意図を察して目を閉じる茅萱。  顔が近づいていく。  唇が重なる。  最初は、軽く触れるだけ。  だんだん、しっかりと。  舌が挿し入れられ、絡み合う。 「ん……っ」  やや戸惑った様子で、ついばむような茅萱のキス。  それよりは慣れた様子の、だけど私とする時よりはぎこちない早瀬のキス。  大きな手が胸に置かれ、ブラウスの上から優しく包み込むように愛撫する。  恥ずかしそうに身じろぎする。  胸への愛撫が繰り返されるに従い、茅萱の頬の赤みが増していく。  下半身がもじもじと動いている。 「ん…………と、トシ、くぅん……」  制服のリボンが、そしてボタンが外されていく。  ブラウスが脱がされ、続いてブラジャーが外される。  うつむいて、耳まで真っ赤にしている茅萱。しかし抗わず、隠そうともしない。手は、早瀬のシャツをぎゅっと握りしめている。  露わにされた胸は、Bカップくらいだろうか。Cには少し足りないように見える。  特に大きいわけではないけれど、ぽっちゃり体型ではないのだから高校一年生としては悪くないだろう。年齢的にも、体格的にも、まだまだ将来への期待はある。  胸に直に触れる。  手のひらで包み込み、指先で乳首を転がす。  真っ赤になった耳たびに唇を寄せ、軽く咬む。 「……どう? いやじゃない?」  ぶんぶんと首を左右に振る茅萱。 「ぜんぜん! すっごく……うれしい……」  そして、また、真っ赤になってうつむいた。  早瀬のシャツを掴んでいた手の力が緩む。  手のひらで胸のあたりに触れる。その手がおそるおそるといった様子で下へ移動していく。  ズボンの上から早瀬の股間に触れたところで、一瞬、驚いたようにびくっと離れた。しかし、すぐにまた触れてくる。  早瀬は抗わず、胸への愛撫を続けている。  茅萱が顔を上げる。早瀬が優しい笑みを浮かべる。 「トシくん……これ……大きくなってるんだよね?」 「……ああ」 「そっか……よかった……」  心底嬉しそうに笑う。  早瀬が体勢を変える。上半身裸になった茅萱をベッドに横たえる。  自分もシャツを脱いで身体を重ねる。  肌を密着させるように、ぎゅっと抱きついてくる茅萱。  また、唇を重ねる。  キスしながら、スカートを下ろす。茅萱が自分で脚を抜く。  下着の上から、女の子の部分に触れる太い指。  びくっと震える。 「ん……ぁ…………ぁ、ん……」  小刻みに動き始める指。  いちばん敏感な部分を刺激するように。  だけど、優しく、丁寧に。  茅萱が気持ちよさそうに甘い声を上げる。  指に合わせて腰が蠢く。  最初は抑えていた声が、だんだん大きくなってくる。 「トシ……くぅん…………んぅんんっ!」 「……なに?」 「と……トシくんって、う、巧くない?」 「気持ちいいのか?」 「うっ、うん……」  そこで茅萱が視線を逸らしたのは、感じていることが恥ずかしいからだろうか。それとも、早瀬が〈巧くなった理由〉に思い当たって不愉快になったからだろうか。 「……とっ……ても……気持ち、いい」 「そっか……感じてくれて、よかった」  早瀬の手が、パンツの中に滑り込む。  そのまま、脱がしていく。  露わにされた局部に、直に触れる。  声のオクターブが高くなる。  触れられた部分からは、くちゅくちゅと湿った音。かなり濡れているようだ。  そこは、ヘアはちゃんと生えているけれど、やや薄めだろうか。まだ未使用の陰部はきれいで、可愛らしく、それでも年相応に発達している。  指先が、割れ目の中に潜り込んで蠢いている。  甲高い声がだんだん激しくなっていく。  そんな様子を見て、早瀬が身体の位置を変える。茅萱の下腹部に唇を押しつける。 「あっっ……ぁんっ! あぁんっ! あんっ! やっ……あぁぁんっ!」  脚を抱えるようにして、茅萱の股間に顔を埋める早瀬。  上半身を捩らせて悶える茅萱。  声がどんどん大きくなっていく。本当に気持ちよさそうにしている。  早瀬は指と舌で愛撫を続けている。 「トシっ……くぅんっ! あぁんっ! あぁんっ! あぁっ! あぁぁぁ――――っっ!!」  背中を大きく仰け反らせて、茅萱が絶頂を迎える。  生まれて初めて、好きな男によって与えられた快楽。虚ろな、だけど幸せそうな表情。 「……いった?」  茅萱の顔を覗きこんで小さく笑う早瀬。  うなずく代わりに、早瀬に抱きついて胸に顔を埋める茅萱。 「…………信じらンない……すごく…………気持ち、よかった」  そして、がばっと顔を上げる。 「あ、あたしも……と……トシくんにも、し、してあげたい!」  早瀬の顔を見上げ、身体に……下半身に触れる。  反応を窺うように、おそるおそる手を滑らせている。 「……いいのか?」 「う、うん! もちろん!」  うなずいて、早瀬はズボンを脱ぐ。  トランクス一枚の裸。その前が大きく膨らんでいる。今にも飛び出してきそうだ。  それも、自分で脱ぐ。  茅萱の目が驚きに見開かれる。  初めて早瀬のものを目の当たりにすれば、驚いて当然だ。  いまどきの女子高生、バージンであってもネットで無修正画像くらいは見たことあるだろうけれど、実物を間近で見るのはまた違う。ましてや、それが早瀬の大砲の如き代物であればなおさらのこと。  早瀬の股間は、私とする時と変わらず、限界まで大きく硬くなっていた。こんなに優しいセックスなのに、強姦まがいの乱暴な行為じゃないのに、それでも興奮しているようだ。  茅萱はやや怯えた様子で、困ったように早瀬の顔を見た。 「大っきい……ね……?」 「……怖いか?」 「……う、うん…………大丈夫。トシくんのだから……」  ゆっくりと、怖々と手を伸ばす。  指先で触れる。  その感触を確かめるようにしてから、手を開いて握った。  茅萱の手の中で、小さく脈打っている。  ちらり、ともう一度早瀬の顔を見上げ、手の中のものに視線を戻し、ゆっくりと顔を近づけていく。  あとちょっとで先端が口に触れるというところで、目を閉じる。  そのまま、唇を押しつける。  一瞬だけ動きを止め、微かに開いた唇から舌先を覗かせる。  先端から根元に向かって、ゆっくり、舌を這わせていく。  根元から、また先端へと戻ってくる。今度はもう少し大胆に舌を押しつけて。  先端の穴を舌先でくすぐる。  目を開けて、上目遣いに早瀬の顔を見る。なにかを問うような表情で。  早瀬が小さくうなずいたように見えた。  ゆっくりと唇を開いていく。  大きな亀頭を、呑み込んでいく。  やや苦しそうな表情になって、それでもできる限り奥まで口に含む。  もちろん、根元までなんてまったく無理だけれど。  ぎこちなく、頭を動かしはじめる。  うまくできなくて戸惑っている様子だ。  早瀬のことが好きで、セックスしたいと想っていたのなら、きっと、こうした場面も想像したことはあるだろう。もしかしたら、バナナやフランクフルトで〈練習〉したことだってあるかもしれない。  だけど初めて口に含む男性器は、想像よりも大きなもののはずだ。けっして歯を立ててはならないとなれば、難易度はさらに増す。  しかもそれが早瀬の巨根なのだから、うまくできるはずがない。口に含むだけで精いっぱいだろう。  それでも、頑張っている。  早瀬は、茅萱の頭に手を置いて、優しく撫でている。  少し、意外だった。  早瀬に……あの早瀬に、こんな優しいセックスができるなんて。  無理やり頭を押さえつけたり、乱暴に腰を動かして喉の奥まで突き入れたりせず、茅萱の拙い口戯にまかせて、しかもそれを楽しんでいる様子だ。 「……ごめん……う、うまくできてないよね。ごめん……」 「いや……気持ちいい。顎、痛くないか? いやじゃなければ、も少し続けて」 「ん…………ぜんぜん、いやじゃないよ? トシくんが気持ちいいなら、すごく……嬉しい」  やや切なげな表情ながらも、必至に奉仕を続ける茅萱。  そのまま一、二分くらい続いただろうか。  だんだん、表情がうっとりとしてくる。  彼女も、口が性感帯であることに目覚めかけているのかもしれない。  口の中のものが引き抜かれた時には、微かに不満げな表情を浮かべたようにも見えた。  しかし、 「……いいか?」  そう訊かれて、ぱっと表情が明るくなった。  こくん、とうなずく。  この頃になると、ふたりとも、私の存在など頭からすっかり消えてしまったようだった。ベッドの上は、ふたりだけの空間になっていた。  茅萱の身体を仰向けにする。  脚を開かせ、その間に大きな身体を入れる。  反り返ったものに手をあてがって、茅萱の中心にあてがう。 「痛いと思うけど……悪い、我慢してくれ」  首を振る茅萱。 「……平気……ちゃんと、してね? 大丈夫だから」  うなずく早瀬。  ゆっくりと押し出される腰。 「ん…………んぅ……く……んん……」  口に手を当てて、顔を歪める茅萱。  苦しそうだ。それでも、弱音は口にしない。  ゆっくり、本当にゆっくり、早瀬の身体が動いていく。  指で割れ目を拡げ、少しでも茅萱の負担を減らすためか、滲み出た蜜を塗り広げている。  ミリ単位で、腰を進めていく。 「ん……」 「あぁぁぁっっっ!!」  ついに、最後の一線を突破する。  早瀬の大きなペニスが、確かに、中ほどまで茅萱の中に埋まっていた。  苦しそうに、痛そうに、ぎゅうっと早瀬にしがみつく。  ゆっくりと、さらに腰を進めていく。  奥まで届いたのか、早瀬の動きが止まる。それでもまだ、かなりの部分が身体の外に出ている。私が相手の時は、それを根元まで身体の中に突き入れ、それでも足りないという風に腰を押しつけてくるというのに。  茅萱の身体を包み込むように抱きしめる。  それに応えるように、腕も、脚も、早瀬の身体に回してしがみついている茅萱。  苦しそうだけど、それだけじゃない。  私は知らない、幸せそうな表情。 「トシ……くん……」 「……入ってるの、わかるか?」 「うん……入って……る……トシくんと……ひとつに、なって…………。すごい……おっきい……」 「痛くないか?」 「ううん……へいき…………きもち、いい……」  それは嘘だろう。  健気なことだ。  目には涙も滲んでいる。そのどこまでが痛みによるもので、どこからが嬉し涙なのだろう。  私の位置からでも、少なからぬ出血が見える。 「……大丈夫……だから…………ちゃんと、して……。トシくんがよくなるように……。好きなように……して」 「……ああ」  腰を前後に動かしはじめる早瀬。  しかしその動きは本当にゆっくりで、最初のうちは一往復に何秒もかけていた。振幅もごく小さい。  それでも悲鳴じみた呻き声が漏れる。  初めて男を受け入れる膣は、裂けそうなほどに拡げられていた。そこを出入りする古木の太枝のような男性器は、紅い血で濡れている。  身につけているのは凶器といってもいい代物だけれど、早瀬は優しい笑みを浮かべ、動きはゆっくりとしている。  私の時の、膣はおろかお腹まで突き破りそうな陵辱とはまるで違う。  あの早瀬が、こんな風にセックスの相手を気遣えるなんて。  キスをする。  優しく胸に触れる。  時々動きを止めて、茅萱の反応を確かめて、またゆっくりと動き出す。  それでも少しずつ、動きが大きく、速くなっていく。とはいえ、私に対する時のいちばん静かな動きよりも、さらに桁違いに優しい。  その頃には茅萱の呻き声にも、苦痛混じりにも微かな甘さが感じられるようになっていた。  早瀬の動きもリズミカルになっている。 「とし……くぅ……ん、ど……どう? あ、たしの……」 「ああ……すっごく、気持ちいい。だから……もう少し、このまま続けさせてくれ」 「うん……いっぱい……して。トシくんが満足するまで……いっぱい……ずっと……あたしも……気持ちいいから……」  茅萱は幸せそうだ。  その顔を、不思議そうに見つめる。  私には、セックスが幸せなもの、楽しいものという意識はない。  肉体的には反応する。だけど、精神的には、苦痛以外のなにものでもない。身体が反応するほどに、そう感じてしまう。  茅萱は明らかに無理しているけれど、それでも幸せそうだし、早瀬は気持ちよさそうだ。  獣の本能にまかせた陵辱ではなく、恋人を優しく気遣うセックス。それでもちゃんと感じている。  相手を一方的に蹂躙するのではなく、ふたりで気持ちよくなろうとしている。  その姿は、私の知らない早瀬。私の知らない人間。  普段の私とのセックスを考えれば、本当にこんなのでいいのだろうかと想ってしまう。  だけど、動きはだんだん速くなってくる。呼吸は荒くなっている。その大きな身体は汗ばんで、茅萱に耐えられそうなぎりぎりの動きを続けている。  ちゃんと感じている。  興奮している。  いつも見ている私にはわかる。  気配で、雰囲気で、感じることができる。  もう少しで、射精しそうになっていることを。  そこで、はっと気づいた。 「中で出しちゃだめっ! 私とは違うんだからっ!」  思わず、叫んでいた。  すぐに早瀬もその意味を理解した。  最初の一回以外、生で中出ししかしたことがない男だ。いくら茅萱のことを気遣っていても、避妊については失念していたのかもしれない。  呻き声を上げて、茅萱の中から引き抜く。  一瞬、考えて。  茅萱の顔の上にまたがった。  彼女の口にあてがう。無理やり奥までねじ込むのではなく、そっと触れるように。  本能的な行動だろうか。茅萱は唇を開いて早瀬を受け入れた。  早瀬の身体が小さく震える。  口の中に射精する。  びくん、びくんと痙攣している早瀬。  茅萱の口に注ぎ込んでいる。  唇の端からもこぼれている。  大きく息を吐き出す早瀬。  そうして、茅萱の初体験は終わった。 * * * 「……中で出しても……よかったのに」  茅萱はベッドの上でまだぐったりとしていた。腕だけを持ち上げて、口の端からこぼれた精液を指で拭って舐めている。  破瓜の出血はかなりの量だった。早瀬がティッシュで拭いてやっている。 「……トシくんの……中に出して欲しかったな?」  口調は意外と明るい。 「いや、さすがにだめだろ、それは」 「…………北川には、中出ししてたくせに」  ジト目で早瀬のことを睨んでいる。 「だめだ、絶対。……北川は、ピル、飲んでんだ」 「……あーあ、あたしも飲んでおけばよかった」  茅萱は脚を持ち上げ、勢いをつけて起き上がった。衝撃で痛みがぶり返したのか、顔をしかめている。その顔を私に向ける。 「……ね、北川。ピルってどこで買えるの?」  なんだかすごく吹っ切れたような表情だった。 「……婦人科で処方箋もらって……でも、普通の病院で、女子高生に処方してくれるのかしら?」 「あんたは飲んでんでしょ?」 「私が行ってるところは……あまりまっとうな病院じゃないから」  私の行きつけの産婦人科は、歌舞伎町界隈にあって、夜間診療もしている、訳ありの利用者が多いところだ。 「……ちぇ。でも、口で飲むのも美味しかったし、いっか」  腕を伸ばして、ベッドの下に落ちていた下着を拾う。  パンツ、ブラジャー、キャミソール、ブラウス、スカート、そしてソックス。  ひとつずつ順に、手早く着けていく。  壁に掛かっていた鏡を見てリボンを直す。  ひと足遅れて服を着はじめた早瀬を振り返り、唇を押しつけた。 「……ありがと。すっごく、嬉しかった」 「いや……ホントに……ごめん。俺って、最低だよな」 「謝らないでよ。あたしは幸せなんだから。ホントだよ? トシくんが気にすることなんて、なにもないんだから」  向き直って、私の前に来る。  その表情は、不敵な笑みとでもいうのだろうか。 「あんたと〈姉妹〉ってことだけが屈辱よね。……ねえ、一発だけ、殴ってもいい?」 「……殴る相手が違わない?」 「トシくんのことは、今でも大好きだもの」  その言葉が終わらないうちに、腕が大きく振られた。  頬に、激しい衝撃。  こちらが身構える間も与えない攻撃だった。意外と喧嘩慣れしているのかもしれない。  バランスを崩して、拘束されている椅子ごと倒れた。早瀬が慌てて立ち上がるが、しかし、女ふたりの争いには割り込めずにいる。  脚を開いて、腰に手を当てて、私を見おろしている茅萱。 「トシくんが他の誰と付き合ってもいい。でも、あんただけは認めない! 絶対! あんただって、所詮は代用品なんだから」  そして、早瀬を振り返る。 「……北川に飽きたら、いつでも声かけてね。次は、もっとうまくできるようにがんばるから」  にこっと笑って、小走りに駆け出す。 「あ……」  早瀬が「送っていく」という隙も与えずに部屋から出て行った。おそらく、そう言われたくなかったのだろう。余計な未練が残るから。あるいは、独りになって泣きたいから。  階段を駆け下りる足音。  玄関のドアの開閉の音。  茅萱が走り去ったあとを呆然と見送っていた早瀬は、しばらくそのままで、私のことを思い出したのはずいぶん時間が経ってからだった。 「……大丈夫か?」  今さらのように、椅子と一緒に床に転がっている私に手を差し伸べてくる。  椅子とつないでいた手枷を一度外し、身体を自由にしてからまた腕にはめる。  私を抱きかかえ、ベッドに下ろす。  もちろん、首輪も外してはくれない。 「……茅萱のまんこはどう? よかった?」 「…………ああ。でも、悪いことしたな。つか、俺って最低だ」 「本人、悦んでたし、いいんじゃない? ……これで、私も用ずみね」  つれない口調の私を、力まかせに抱きしめてくる。 「…………用ずみじゃない。錯覚、じゃねーよ。俺、北川がいいんだ」 「……茅萱、健気で可愛かったじゃない」 「ああ……あいつが、あんなに可愛いなんてな。……ちょっと、ぐっときた。…………でも……それでも、北川が、好きなんだ」  やれやれ。  私は小さく溜息をついた。  あの茅萱を見せられて、なお私を選ぶとは、いったいどういう感性をしているのだろう。  今この場だけ取り繕っている、という可能性もなくはないけれど、そんなことをしなくても私は相手をしてやるのだから、必要のない気遣いだ。 「北川の言う通り、カヲリと、したぞ?」 「…………茅萱とした後ならもう一度話を聞くとは言ったけれど。……返事は変わらない、とも言ったわよね?」 「……ああ……だから……今は、これ以上しつこく言うつもりはない。……でも、撤回はしない」  早瀬の手が、下半身に触れてくる。  そこは、触れられる前からぐっしょりと濡れていた。  まだ〈クスリ〉が残っている状態で、目の前であんな光景を見せられて、なにも反応しないわけがない。  身体だけは、意志とは無関係に反応してしまうのだ。  指が、乱暴に挿入される。  大きな身体が覆いかぶさってくる。  そしてまた服を脱いでいく。 「…………まさか、あなた……まだ、するつもり?」 「……ああ」 「茅萱とあんなことした後で、平気で私が抱けるんだ? 最っ低の外道ね。ある意味、とっても男らしいわ」  精一杯の皮肉。  後ろめたそうな表情の早瀬。  それでも、動きは止めない。 「……ああ、最低だ。だけど……でも……、それでも、北川と、したい」 「――――っっ!」  茅萱とした後も勢いを失っていなかった男性器が、私を一気に貫いた。  両手で胸を鷲づかみにして、腰を打ちつけてくる。 「――っ! くっ……ぅんっっ! う……ぁぁんっ!」  ぜんぜん、違う。  さっき、茅萱としていた時とはぜんぜん違う。  痛くないように気遣い、優しく、ほどよいリズミカルな動きで茅萱としていた早瀬は、私が見たことのない姿だった。  今はまったく違う。  私の身体を引き裂かんばかりに、全体重をかけて蹂躙している。  これが、私が知っている早瀬だ。  これしか、知らない。  そういう嗜好、そういう性癖なのだと思っていた。  だけど、違う。  こうしなければ興奮しない、こうしなければいけない、というわけではないのだ。  茅萱としていた時だって、これ以上はないくらいに大きくなっていた。射精までにかかった時間も、私とする時より長かったわけではない。そして、大量に射精していた。  早瀬にとっては、あれでも充分なのだ。  なのに、私にはこれ。  むしろ、私相手では興奮しないのでないか、とすら思えてしまう。だから、こうして激しくしないと感じないのではないか、と。  肉食獣を思わせる、暗い表情。茅萱を見ていた時の、優しげな雰囲気は微塵もない。  なのに――  何度も。  何度も。  いつまでも。  いつまでも。  私を犯し続けている。  飽きた様子もなく、貪り続けている。  この、穢れた身体を。  早瀬も――  この日、初めて想った。  これまで、あまり気にもとめなかったけれど。  この男も、かなり、歪んでいるのではないだろうか。  そんな気がする。  だけど、私は抗わない。  私は、こんな男に陵辱されるのが相応しい女なのだ。  ――この日も、私が解放されたのは夜中近くのことだった。 * * *  翌日――    教室で見かけた茅萱は、やっぱり哀しげではあったけれど、それでもどこか幸せそうな、吹っ切れたような表情をしていた。  昨日までの、居心地の悪そうな表情とはまるで違う。  そして、挑発的な目つきで私を睨んでいた。 第七章  その日は珍しく、平日ではなく週末に例の〈パパ〉と待ち合わせをしていた。  夏休みの一ヶ月の放置をさすがに反省したのか、たまたま仕事がひと段落ついて時間があったのか、あの後、二度目のデートだった。  昨夜の電話では、なにやら『ちょっと、いつもと違う趣向を用意してるから』などと言っていたけれど、いったいどんなことを考えているのだろう。  いつも、これ以上はないというくらいに乱暴なこと、激しいこと、アブノーマルなことをされているのだ。「いつもと違う趣向」などと言われても、すぐに思いつくことはない。  普段あまりやらないこと。考えられるとしたら〈パパ〉と私以外の、第三者の介入だろうか。  しかし複数の男を相手にすることも、日常とまではいえないものの、ことさら珍しいわけでもない。  さて、いったいなにが待ち受けているのだろう。  期待と不安と恐怖心が入り混じった複雑な想いを抱いて、指定された待ち合わせ場所に赴いた。  いつもの、〈パパ〉の車が停まっている。  その横に立つ〈パパ〉。  そして――  〈パパ〉の隣には〈ネコ〉がいた。  見知らぬ、初対面の相手だ。  身長は私と大差ないけれど、もっと、あどけない顔をしていた。明らかに年下だ。おそらく、中学の一〜二年生くらいだろう。  あまり特徴のない、見覚えのない学校のセーラー服を着ている。  髪は明るい茶色で、やや短めのくせっ毛。  顔には、満腹している仔猫を思わせる笑み。  頭の上には茶トラ柄のネコ耳。  スカートの下からは、同じ柄の長い尻尾が伸びている。  そして、首にはオレンジ色の首輪。  これではどう見ても、〈ネコ〉としかいいようがない。 「……この子は?」 「最近飼いはじめた仔猫。可愛いだろ?」  やっぱり〈ネコ〉のようだ。  〈パパ〉の言う通り、見た目は可愛らしい。  つまり、今日の趣向はやっぱり3Pなのだろう。  確かにこれは珍しいパターンだった。三人目が女性であることも、しかもそれが年下であることも。  〈パパ〉はけっしてロリコンではない。単に、守備範囲がすごく広いだけで、大人の女性も普通に相手にしている。  もちろん、関係を持っている中高生が私だけのはずもないけれど、それを私の前に連れてくることは珍しかった。  その〈ネコ〉の方に視線を向ける。  彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべた。 「初めまして、おねーさま。みーこでぇーす」  仔猫は、高い、甘ったるい声で名乗った。本名か愛称か、名前も猫っぽい。  私の正面に立って小さく首を傾げると、 「うわー、写真で見たのより、もっともっとびっじーん!」  いきなり、抱きついてきた。 「髪きれー! ウェストなんかみーこよりほっそいしー、脚はこんなに長いしー」  いちいち私の顔に、髪に、腰に、そして脚に触れながら、感嘆の声をあげる。その様子は社交辞令などではなく、本気で感動しているようだった。 「しかもしかもしかもっ! こんなにほっそいのにー、背もみーこと変わんないのにー、胸がこんなにこんなにおっきいなんてずるいっ! うわー、ふっかふかだぁー!」  ぐりぐりと擦りつけるように、胸に顔を埋めてくる。  手で胸の膨らみを寄せて、自分の顔を挟み込む。  なんだか、幸せそうな表情だ。  私は呆気にとられて〈パパ〉を見た。 「…………なに、この子?」 「莉鈴の写真を見せたら、ひと目で気に入ったらしくて。ぜひ会わせろって」  〈パパ〉も苦笑している。ここまでの反応は予想を超えていたのかもしれない。 「……はぁ」  曖昧な返事を返す。  〈パパ〉といる時は、それほど無表情でも無機的でもないけれど、このみーことやらはこれまで関わったことのないタイプで、どう反応すればいいものかわからなかった。  普段から同性や同世代との関わりが薄い私だ。無条件に好意を寄せてくる同性なんて、遠藤や木野レベルでも対応に困るのに、これは難易度が高い。 「こんな素敵なおねーさま、パパが独り占めなんてずるいもん!」  ぷぅっと頬を膨らませるみーこ。  やきもちのベクトルが間違ってはいないだろうか。この子は〈パパ〉の援交相手だろうに。 「……で、その〈おねーさま〉ってのはなに?」  みーこを引き離そうと悪戦苦闘しながら訊く。  私はもちろんひとりっ子で、姉も妹もいない。〈パパ〉の隠し子というのはありそうな話だけれど、ふたりの間に血のつながりがあるようには見えない。 「だってだって、みーこのほうが年下だから、おねーさま」  ぎゅっとしがみついたまま答える。小柄なのにかなりの力だ。そしてスッポン並みにしつこい。 「…………なるほど」  とりあえず、この子が〈パパ〉の〈愛玩動物〉であることに間違いはあるまい。  視線を〈パパ〉に向ける。 「…………すると、今日はこの子も一緒に?」 「ああ、いやか?」 「……別に、構わないけど」  〈パパ〉のセックスの対象が私以外に何人もいるのは知っているし、そうした女性を交えた3Pの経験もある。ただし、これは初めて見るタイプだった。 「うわーい、今日はよろしくお願いしまーす!」  にぎやかな子だ。しかも、いちいち抱きついてくる。  〈パパ〉と一緒の時の私は、学校にいる時とは違って普通に話もするし笑いもする。それでも、どちらかといえば陰性の雰囲気をまとっていることは否めない。この子は、そんな私とは真逆だった。  中学生の身でこの〈パパ〉と肉体関係を持ちながら、けれどまったく悪びれた様子もなく、心底、楽しんでいる様子だ。  常に嫌悪感と罪悪感に苛まれている私とは違う。  性格の違いだろうか。  それともみーこのこの姿も、単なるポーズに過ぎないのだろうか。  楽しそうに、私の胸に顔を埋めている。 「……この子って……これが素? こーゆーキャラを作ってるの? それとも……もうラリってる?」  〈パパ〉にだけ聞こえるように、小さな声で訊いた。 「……素、みたいだな」  笑って答える〈パパ〉。  〈パパ〉にとっても、みーこのようなタイプは珍しいのだろう。セックスの対象の女の子というよりも、可愛らしい珍獣でも見ているような表情だった。  小さな声で訊いてくる。 「……平気か?」  こくん、とうなずく。  人見知りで、他人と接することを好まない性格をわかっているから、いちおう気遣っているのだろう。  本当に気遣うのなら事前に了解を得て欲しいところではあるけれど、そうしたら間違いなく断わっていたはずだ。〈パパ〉もそれがわかっているから、予告なしでみーこを連れてきたのだろう。  しかし、あまりにも珍しいタイプのせいでどう反応していいのかわからないせいか、あるいはみーこの好意が〈パパ〉よりも私に向けられているせいか、いつものような強い〈拒絶反応〉は感じられなかった。  今の精神状態であれば、〈パパ〉が悦ぶのなら3Pくらいは構わない。 「じゃあ、行こうか」  〈パパ〉の手が、私に首輪をつける。  これでもう、どんなことを強要されても逆らうことはできない。 「みーこ、行くぞ」  胸に顔を埋めたまま離れようとしないみーこの頭を小突き、首輪をつかんで引きはがす。 「これからたっぷりできるんだから、まず車に乗れ」  渋々、という態度で離れるみーこ。それでも手は握ったままだ。  私を引っ張り込むようにして車の後部座席に乗せ、その隣に自分が座ると同時に、またくっついてきた。  シートの上で押し倒される。  小さな身体が覆いかぶさってくる。  そして、唇が重ねられた。 「――っ!?」  いきなりのことに目を見開く。  口移しで流し込まれる液体。濃厚な甘みと微かな苦み――〈パパ〉とのデートではおなじみの味――が口の中に広がっていく。  喉が、そして胃が、熱くなってくる。  一度離れるみーこ。  また、なにかを口に含む。  そして、また、キスしてくる。  小さなカプセルを口移しで飲まされる。 「……って、なんでいちいちキス?」 「おねーさまがきれーだからでーす!」  答えになっているような、いないような、微妙な回答。本当に、私の理解を超えた子だ。 「……と、ゆーことでぇ、これ、おねーさまの分」  車内に置いてあった紙袋から取り出したのは、みーこが着けているのと同じような、ネコ耳のカチューシャだった。  ただし茶トラのみーことは違い、艶やかな黒毛。 「やっぱり、おねーさまは黒猫ですよねっ」  そう言って私の頭に着ける。 「パパもそう思うよね?」 「そうだな、よく似合ってる」  運転席からそんな声が返ってくる。  ルームミラーに映る〈パパ〉の顔は、それこそ、じゃれ合う仔猫の姉妹を見るような笑みだった。  これではなにも言えない。  みーこが、手鏡を取り出して私に向ける。  長い艶やかな黒髪に、同じ色合いの黒いネコ耳。耳の中だけが淡いピンク色。  クールビューティー系ネコ耳美少女。確かに、こういうのが好きな男にはたまらない姿かもしれない。  いや、こういうのが好きなのは男とは限らない。みーこも大喜びだ。  はしゃいで、さらに紙袋をかき回している。 「そしてぇー、仕上げはこれ!」  次に出てきたのは、耳とお揃いの、黒くて長い尻尾だった。  確かに、耳と尻尾はこうしたコスプレで対になるものだろう。しかし、私は目を見開いた。 「……みーこのそれって……クリップかなにかで留めてるんじゃなかったんだ?」  にんまりとした笑みのVサインは、肯定の意味だろうか。 「はーい、みーこの中に入ってまーす」  みーこが持っている尻尾の根元の部分は、無毛で、大きなビー玉をいくつもつなげたような形をしていた。  それは、太めのアナルバイヴだった。みーこのお尻の中にもそれが挿入されているのだろう。  もしかして、みーこのハイテンションはそのためだろうか……などと思ってしまう。 「おねーさまにもつけてあげまーす。お尻をこっちに向けてくださいね」  にーっこり。  これ以上はない、というくらいの極上の笑顔だった。 「……いや……みーこ……あのね?」  これまで、様々な陵辱を受け入れてきた私とはいえ、初対面の年下の女の子に、平然とアナルバイヴを挿れてもらえるかといえば、否だ。ましてやそれが好意によるものであればなおさらのこと。  〈同性〉と〈好意〉という点でハードルが高い。むしろ、男に強要されるのであれば平然と受け入れられるだろう。  これは初めての経験だった。人付き合いが苦手な私としては、戸惑いが隠せない。 「ちょっ……パパ、いいの? こんなことさせておいて」  みーこは私のスカートをまくり上げ、パンツを脱がそうとしている。いちおう抵抗しながら〈パパ〉に助けを求めた。  ルームミラーに映る顔が、小さくうなずく。その、笑いを堪えているような顔を見て、抗えなくなってしまった。 「…………わかった。……みーこ、お願い」  諦めの溜息をつく。  後部座席で身体を小さく丸め、お尻をみーこに向けた。 「……ひゃんっ!?」  スカートの中に潜り込んできたみーこの手が、お尻を撫でまわす。  さらに、パンツの上から割れ目に指を押しつけてくる。二度、三度。触り心地を確かめるように。  下着が下ろされ、完全に脱がされてしまう。  みーこの手がお尻の双丘をつかんで拡げる。 「……やっ……だっ! ちょ……っ!」  小さくはないアナルバイヴを挿入するのだから、ローションを塗られることは予想していた。  だけど、まさか。  いきなり舐められるとは。 「んんっ……ん……んくぅ……」  ただ唾液を塗って濡らそうというのではない。それは明らかな愛撫だった。  みーこの舌先が、窄まりをこじ開けて潜り込んでくる。  同時に、指が、割れ目の中を滑る。  その動きにはまるでぎこちなさがない。ずいぶんと慣れた雰囲気だ。的確に、気持ちのいいところを刺激している。 「も……しかして、みーこって……そっちの人?」 「そっち、って?」 「女の子が好きなの、ってこと」  いくら〈パパ〉に調教されていたとしても、それだけではこの手慣れた動きは説明できない。  私と会ってからのみーこの言動を考えれば、単に人懐っこいだけではなく、〈女好き〉なのではないかと思えてしまう。 「ぴんぽーん!」  できれば否定して欲しかったところだけれど、返ってきたのは必要以上に元気な肯定の声。  そして、尻尾の根元が押しつけられる。 「ン……っ」  じわじわと、入ってくる。 「男の人は、パパが初めてでぇ……ちょっと怖かったけど、勇気を出してよかった。パパにしてもらうのも気持ちいいし、その上、こんな素敵なおねーさまができたんだもの」  まったく屈託のない声。  なんだか頭痛がしてきた。  いったい、どういう経緯で〈パパ〉と知り合ったのだろう。後で、じっくり聞いてみたい気がした。  そうしている間にも、アナルバイヴはどんどん侵入してくる。 「んっ……んくっ……ぁ……んんっ!」  深く、深く。  お尻の穴を、そして直腸を、内側から拡げていく。  奥まで入ってきて、毛の部分がお尻に触れる。  挿入具合を確かめるように、根元をつかんで動かすみーこ。  思わず唇を噛む。 「気持ちいいですかー?」  尻尾を揺するように動かしながら、お尻に頬ずりしてくる。その場所に、キス。最初は軽く。次に、キスマークが残るくらいに強く吸われる。  本当に、同性に触れるのが好きなのだと納得してしまう。 「ぁんっ……あっ……んっ、あんっ!」 「おねーさま、すっごい濡れてますよー」  割れ目の中を探るように、指先を滑らせてくる。いちばん敏感な部分で、小刻みに震わせる。  意志とは無関係に、身体が痙攣する。 「お尻、大好きなんですねー」 「や……」  それは〈クスリ〉のせいだと言いたいところだけれど、それ抜きにしてもお尻が感じやすいのは事実だ。〈パパ〉にさんざん開発されてしまった身体は、どこでも、なにをされても感じてしまうけれど、実をいうと、その中でも前後同時責めにはかなり弱かった。  お尻にキスしていたみーこの唇が、その下の小さな割れ目へと移動する。  尻尾の根元をつかんで小刻みに震わせながら、溢れ出している蜜を啜る。 「ゃ……んんん――っっ!」  指も入ってくる。細い、私よりも短い指だけれど、それでも感じてしまう。  膣と、クリトリスの同時責め。そこへ尻尾によるお尻への刺激が加わり、さらに舌が這い回る。  子供のくせに、執拗な責め。  私の声が大きくなるにつれて、指が二本、三本と増えていく。  車がホテルに着くまでに、私は何回かの絶頂を迎えてしまっていた。 * * *  〈クスリ〉のせいか、それともみーこのテクニックのせいか、腰が抜けて自分の脚では立てなくなっていて、車から部屋まではパパに抱きかかえられて運んでもらった。  ベッドに寝かされ、服を脱がされてブラジャーを外され、ソックスだけの姿にされる。  さらに手枷をはめられ、短い鎖で首輪とつながれた。  と同時に、満面の笑みを浮かべたみーこが飛びつくように襲いかかってきた。  顔中くまなく、そして首筋や胸元にも、キスの雨を降らせてくる。 「ひゃっ……ぁんっ、ふぁ……やっ! んん……」 「うわっうわっうわーっ、おねーさまのカラダ、すっごいキレー!」  鼻息も荒く、胸に、お腹に、太腿に、次々とキスマークをつけていく。  特に胸への攻撃は執拗で、痛いくらいに吸われてしまう。白い肌に、朱い楕円の印がいくつも刻まれる。その数は胸だけでも二桁に達しているだろう。  さすがに口が疲れたのか、一度離れて大きく息をついたみーこは、自分も服を脱ぎはじめた。  年齢のせいか、それとも体質的なものか、胸は小さかった。みーこと同じ年齢だった頃の私よりもずっと小ぶりだ。  もしかすると、胸にこだわるのはそのためかもしれない。身長はさほど変わらないのに、胸のサイズはまるで違うのだ。  みーこは全体的に、幼児体型とでもいうのだろうか。胸や腰は私より細く、ウェストはやや太く、凹凸の少ない子供っぽい身体つきをしていた。  そんな女の子が、お尻から尻尾を生やしている姿というのも淫猥な光景だった。あの尻尾は〈パパ〉とみーこ、どちらの趣味なのだろう。  これまで〈パパ〉にはお尻もさんざん開発されてきたけれど、尻尾は今日が初体験だから、案外みーこの趣味なのかもしれない。  パンツも脱いで全裸になるみーこ。  その下腹部はさすがに無毛ではなく、ごく淡いヘアが狭い範囲を覆っていた。しかし陰毛は短くて柔らかそうで、その茂みはまだ大人のものではなかった。  ベッドの上に戻ってきて、私の脚を開かせる。 「うわぁー、おねーさまってホントにパイパンなんだー。きれー、いいなぁ……」  うっとりとした表情で、股間に顔を埋めてくる。本来ならヘアが生えているべき部分に唇を押しつけ、そこにもキスマークをつけていく。  指は、割れ目の中に滑り込んでくる。 「あぁぁっ! あんっ! あ……ぁんっ! あっっ!」  やっぱりみーこはけっこう巧い。責めどころが的確だ。女同士のセックスにはかなり慣れているのだろうか。  私も人のことはいえないけれど、この年齢で、いったいどんな人生を送ってきたのか、少し気になってしまう。  もちろん、経験豊富で百戦錬磨の〈パパ〉には及ばないとしても、テクニックで劣る分は、若さにまかせた勢いで補っていた。 「ど、れ、に、し、よ、お、か、な?」  ベッドの上に並べた、大きさも形状も様々なローターやバイヴを、楽しそうに選んでいる。  そこからローターのひとつを手に取り、スイッチを入れて私の割れ目に当ててきた。 「……あぅんっ! あぁぁっ!!」  びくん!  身体が大きく痙攣する。 「すっごいびんかーん。もう溢れてるー」  震えるローターが、クリトリスに触れるか触れないかという微妙な力加減。腰を動かして逃れようとしても、あるいは逆に強く押しつけようとしても、うまくその距離を保ち続けて、気持ちいいけど焦れったいという責めに執拗にこだわっている。  その様子は本当に楽しそうだ。  演技ではなしに、ここまで楽しそうにセックスする女の子を直に見るのは初めてだった。自分とのギャップに戸惑ってしまう。  世の中にはそんな女の子はいっぱいいるのかもしれないけれど、とにかく、自分が〈楽しむ〉ためにセックスをしているわけではない、むしろ逆だから、その心情は理解しがたい。  そういえば〈パパ〉はなにをしているのか……と見ると、ビデオカメラを構えて私たちに向けていた。  〈パパ〉に写真やビデオを撮られるのはいつものことだ。夏休み明けのあの激しい責めも、いつの間にかビデオに録られていて、前回逢った時に、これ以上はないくらいに乱れた自分の痴態を見せられてしまった。 「……莉鈴、もしかして勘違いしてた? ひょっとして、今日の趣旨って……パパが莉鈴とみーこを弄んで、ふたりがかりでサービスさせようっていうんじゃなくて……」 「みーこが莉鈴を弄ぶところを鑑賞して楽しもう、だな。もちろん、パパも後で参加するけど。ふたりともすっごく可愛いぞ」  壁の大きな鏡に視線を移すと、ネコ耳コスプレのロリータ美少女がふたり、ベッドの上で絡み合っていた。  ひとりはロリ巨乳。  ひとりはつるぺた。  そして、つるぺた年下攻め。  なかなか、マニア好みの映像だ。  しかも、この、つるぺたネコ耳ロリ少女がやたらと巧い。 「あぁっ……やんっ、あ……ぁぁっ! あっあっ……っ」  最強にしたローターを、今度は強く押し当ててくる。じんじんと痺れるような振動が、クリトリスから胎内へと浸透して、おしっこが出そうな感覚に襲われる。  さらに、指を中に挿れてくる。あまり深くない部分の膣壁に指を押しつけ、ローターに負けずに指先を震わせる。  内と外からのふたつの刺激が、絶妙に重なり合う。 「えーいっ! いっちゃえ――っ!」 「――――っっ! あぁぁぁ――っ!!」  目の前が真っ白に染まる。  腕や脚の筋肉が攣りそうなほどに強張る。  二度、三度、身体が弾む。  快楽の波が立て続けに押し寄せて、身体の中から、熱い液体が噴き出してくる。  ようやく落ち着いて目を開けると、みーこが覗きこんでいた。その顔がぐっしょりと濡れている。 「やっぱり感じやすーい。潮吹きなんてしちゃって、可愛いなぁ、もう。みーこ、経験ないんですよねー。なにか、コツとかあります?」  顔を拭って、その手を舐める。  その姿はまさしく、顔を洗う猫。明日は雨だろうか、とぼんやり想う。 「みーこが巧いから……じゃない?」  力のない声で答える。  少し喜ばせてやるつもりだったけれど、この子の性格を考えたら失敗だったかもしれない。 「えへへー、みーこ、巧いですかぁ? じゃあ、もっともっとがんばっちゃいまーす!」  満足するどころか、さらにやる気にさせてしまった。  嬉々として、また私の身体に手を伸ばしてくる。 「や……!? んんっ! ぁんっ!」  クリトリスを責めるのに使っていたローターを、膣の中に押し込んできた。  続いて手に取ったのは、両端が挿入できる形状の、いわゆる双頭バイヴ。それもかなり大きめのものだった。 「ちょっと大きいけど、おねーさま大丈夫かなぁ?」  心配をするくらいならそんなもの使うな、というつっこみはするだけ無駄なのだろう。  もちろん、私は慣れているから大丈夫だ。少なくとも、早瀬のものよりは小さい。むしろ、みーこが大丈夫か気になるところだ。早瀬サイズだったら、みーこに挿れるのは不可能ではないかと思ってしまう。 「じゃあ、挿れますよー」  入口に押し当ててくる。  ゆっくりと、小刻みに震わせるようにしながら挿入してくる。 「んっ……おっき……ぃ」  早瀬や〈パパ〉のように一気に貫かれる場合、その衝撃にただ悲鳴をあげるだけだけれど、こうしてゆっくり挿れられると、かえってその大きさを実感してしまう。  じわじわと侵入してくるバイヴ。  サイズ的には〈受け入れられるけれど、ちょっと痛い〉くらい。しかも膣内にはローターがひとつ入ったままで、それが奥に押しつけられて、子宮に振動が伝わってくる。 「あ……ぁぁ……んんんっ! あっ……くぅぅん! あぁぁっ!」  いちばん奥まで押し込まれる。  中をかき混ぜるように動かしつつ、ゆっくりと抜き挿しされる。  膣内で、ローターが転がされる。ローターだけ、バイヴだけとはまた違った感覚で、時折、予想もしていなかった部分が刺激されて驚いてしまう。 「ひゃっ……あぁっ、……ぁんっ、あんっ、あぁぁっ! んぁんっ、あぁぁっ!」  だんだん、動きが加速してくる。  じゅぶじゅぶと音を立てて、溢れ出た蜜が泡立つ。  腰が、勝手に動いてしまう。  下半身が弾み、ベッドのスプリングが軋む。  尻尾もつかまれ、前のバイヴと同調するように動かされる。  中で、何度も何度も擦れ合う。 「いぃ……いぃぃっ、そこっ! やぁぁっっ! またっ! あぁぁぁっっ! あぁぁぁぁぁっっ!!」  早くも、私は二度目の絶頂を迎えてしまった。 「……ぁ……ぁぁ、んっ」  下半身が、すごく敏感になっていた。意志とは無関係にびくびくと痙攣を繰り返している。  なのにみーこは手を止めようとはしない。 「……ちょ……休憩……」 「だぁーめ。もう一回」 「やぁっ……んっ」  深々と私を貫いているバイヴが動かされる。  そこへ割り込んでくる、〈パパ〉の声。 「みーこ、お姉ちゃんとひとつになりなさい」 「はぁーい」  素直にうなずき、双頭バイヴの反対側を自分にあてがう。  そこは、私同様に蜜を溢れさせていた。みーこも〈クスリ〉は飲んでいるし、同性好きの彼女が私にあれだけのことをして、興奮していないわけがない。 「ん……ぁ……んっ これ……ホントに……おっき……」  眉間に皺を寄せ、少し苦しそうな、だけど気持ちよさそうな顔。  腰を突き出して、少しずつ、自分の中にバイヴを埋めていく。  私より年下で、しかも同性愛者ということであれば、男性器状のものを挿入した経験も少ないだろう。そんな彼女には少々きついと思われるサイズだ。  それでも、躊躇わずに押し込んでいく。  大きなバイヴの先端が、じわじわと、みーこの子供っぽい割れ目を押し開いて、中へと埋まっていく。  やがて行き止まりまで達したのか、動きを止めて、切なげな吐息を漏らした。  やっぱり、まだ〈挿入〉には不慣れなのかもしれない。  それでも、ぎこちなく腰を前後させはじめる。 「んっ、……ぁぅんっ」  慣れない刺激に、唇を噛んでいる。  だけど、気持ちよさそうでもある。 「んっ……んくっ……ぅんっ…………ん、はぁ……んっ、くぅぅん……」  切なそうで、痛そうで。  なのに、この状況を楽しんでいる様子だった。 「ぁんっ、あんっ……あぁんっ、……あぁっ! あんっ! あぁんっ!」  私は、もっと素直に感じていた。  みーこの動きがぎこちない分、かえって単調にならず、常に新鮮な刺激を与えてくれる。  強すぎず、しかし優しすぎず、いい感じで私を貫いている。  お尻の中の尻尾と、膣の中のバイヴが擦れ合う。  この感じ、悪くない。  感じてしまう。  相手が同性だからだろうか。男を相手にしている時の、自分の身体を引き裂きたくなるような罪悪感や嫌悪感がない。  そういえば、遠藤とした時もそうだった。  もしかすると私は、同性相手の方が向いているのかもしれない――楽しむという意味では。  だけど、楽しむためのセックスなどしたくない。楽しくない方が、セックスしているという実感がある。  今日のこれは、みーことのセックスが主題ではなく、あくまでも〈パパ〉とのセックスの一部だ。みーことのレズプレイは、それを盛り上げるための演出、前菜のようなもの。そう思えば受け入れられる。  みーこは相変わらず、ぎこちないながらも頑張っている。  お互いに、どんどん昂ってくる。  もう、ほどなく達してしまいそうだ。  だけど――  このまま簡単にいってしまっていいものだろうか。  年上なのに。  〈おねーさま〉なのに。  経験豊富なのに。  年下のみーこに責められっぱなしというのはどうだろう。  ここらで少し、年長者の威厳というものを見せた方がいいのではないだろうか。  手が使えないので少し苦労したけれど、腹筋の力で身体を起こした。代わりに、みーこが後ろに倒れる。 「んみゃんっ!?」  倒れた時の膣への刺激が強かったのか、変な悲鳴を上げた。 「おねーさまぁ……」 「……今度は、私の番」  ぐぃっと腰を突き出す。 「ひゃぁぁんっ!」  小さな身体が仰け反る。  みーこが主導権を握っていた時よりも、少しだけ激しく、少しだけ乱暴に、腰を前後に揺すった。 「あっ……くっんんっ……あんっ、おね……さまぁっ!」 「あんっ……あぁん、あっ、あんっ!」  ふたつの甘い声が重なる。  声がだんだん大きく、だんだん高くなっていく。  それでもやっぱり、私の方が余裕がある。  もう、為す術もなく悶えているみーこと、自分のコントロール下で感じている私。  みーこの反応を窺いながら、彼女がよりいっそう感じるように、動きを工夫する。  このまま、いかせてしまおう。  ついでに、自分もいってしまおう。  しかし、そう思ったところに、割り込んでくる存在があった。 「……んぁっ!?」  みーこを責めるのに夢中になっていたところに、いきなり、背後から胸をつかまれた。  〈パパ〉が私の身体に腕を回している。  みーこと重ねるように、身体が前に倒される。 「あっっ……んぁんっ!」  尻尾をつかまれ、小刻みに揺すられる。〈前〉との相乗効果で、快感が脊髄を貫いていく。 「パ……パ……っ!」  ゆっくりと、尻尾が引き抜かれる。  窄まっていく穴に、ローションが垂らされる。  〈パパ〉の分身が押し当てられる。 「んん……っ! あっ……ぁぁんっ!」  尻尾よりも太いものが侵入してくる。  尻尾でほぐされていたから、挿入はスムーズだった。  挿入と同時に襲ってきたのは、純粋な快感。  括約筋が押し開かれていく感覚に、意識が遠くなる。  だけど、前後同時の激しい刺激が失神を許してくれない。  みーことつながっている膣のバイヴと、お尻を貫いている〈パパ〉のペニス。前も後ろも引き裂かれそうなほどに拡げられて、中で擦れ合っている。  この感覚、たまらない。 「あぁぁっっ! あっ……あっ……あぁっ、あっ! あぁぁっっ!」  〈パパ〉が加わったことで、動きは一気に激しくなった。ここまでの、女の子ふたりだけのセックスとは比べものにならない。 「やぁぁっ! ……だめっ! や……い、た……っ! あぁんっ!」  〈パパ〉が、私のお尻を乱暴に犯す。  私の身体を通して、その動きがみーこに伝わる。双頭バイヴを経由して、幼い性器を陵辱している。  痛そうな表情のみーこだけれど、その声にはやっぱり鼻にかかった甘さがあった。  お尻に〈パパ〉の指が喰い込んでくる。激しく突かれる。深く、深く、どんどん奥に入ってくる。  みーこに負担をかけないようにすると、自分への刺激が強くなりすぎる。自分を守ろうとすれば、その分みーこに負担をかけてしまう。結局のところ、平等に分け合うしかない。  重なり合う、ふたつの小さな身体。  ベッドの上でシンクロするように弾む。  その動きが、だんだん大きくなってくる。 「ぁあぁぁぁぁ――――っっ!!」 「ふひゃぁぁぁぁんっっ!!」  最後は示し合わせたように、ふたり同時に達してしまった。 * * * 「……あ…………」  ぼんやりと目を開く。  しばらく、気を失っていたようだ。  お尻を犯されて達してしまった後も、〈パパ〉とみーこのふたりがかりでさんざん弄ばれた。  縛られて、手脚を拘束されて。  口を、性器を、お尻を、何度も何度も犯されて。  数え切れないくらいいかされて、ついに力尽きて失神してしまったらしい。  みーこがいるせいで、苦痛をほとんどともなわない、純粋な快楽の嵐だった。 「んっ……んくぅんっ……んっ、んふぅんっ……くぅぅんっ!」  苦しそうな、なのに嬉しそうな、鼻にかかった甘い声が耳をくすぐる。  のろのろと視線を動かすと、隣で、後ろ手に縛られて俯せにされたみーこが、〈パパ〉に背後からのしかかられるような形で犯されていた。  小さなお尻に腰が打ちつけられるたびに、華奢な身体が大きく揺さぶられている。  目には涙が溢れているけれど、それでも快感に喘いでいる。  まだまだ開発途中のみーこが相手だからか、私とする時よりもいくらか優しい動きだった。〈パパ〉が手加減するなんて、珍しい光景だ。  みーこも、一年も経てば私のようになってしまうのだろうか。  そんなことを考えながら、甘い声で啜り泣くみーこをぼんやりと見つめる。  この時、心の奥底に生じた想いに気づいたのは、しばらく後になってからだった。 * * *  帰りは、やや遠回りになった。  ホテルからは私の家の方が近かったのに、〈パパ〉はまずみーこを送って、それからまた私の住む街に引き返したのだ。  そんな心遣いが、少し嬉しかった。  今日はここまで、〈パパ〉とゆっくり話す機会もなかったから、〈パパ〉とふたりになれるのは嬉しい。もっとも、普段ふたりきりの時だって〈する〉のに忙しくて、それほど会話をしているわけでもないのだけれど。  それでもやっぱり、ふたりきりというのは違う。 「今日、どうだった?」  みーこを降ろしてふたりになったところで〈パパ〉が訊いてくる。私の〈耳〉に唇を寄せてささやくように。  私の頭には、黒いネコ耳が着けっぱなしだった。〈パパ〉から「外していい」とは言われてないし、みーこも車を降りるまでずっと着けていたから、外すきっかけがなかったのだ。  結局、みーこが耳を着けていない姿は見ていない。もしかすると、普段からずっとあの姿で生活しているのかもしれない。さすがに、尻尾は外していたけれど。 「……けっこう……楽しかった、けど」 「けど?」 「……あの子のテンションに付き合ってると、後からどっと精神的疲労が」  時間が短めだったこともあり、前回、前々回などに比べれば、肉体的なダメージはたいしたことがない。〈パパ〉の責めの一部をみーこが負担してくれたおかげもある。  その分、みーこからも責められたわけだけれど、〈パパ〉に比べればダメージが残るほどの激しさはない。 「はは……確かに」  〈パパ〉が苦笑する。 「……怒ってないか?」 「どうして?」  視線を運転席に向けると、〈パパ〉は少しがっかりしたような雰囲気だった。  その表情を見れば、みーこを連れてきた意図は明白だ。みーこにねだられたから、などではない。 「……みーこを連れてきたから、莉鈴が嫉妬すると思った?」 「はっきり口に出さなくても、もう少し不機嫌になるかと期待してたんだがな」 「……残念でした」  小さく舌を出す。  そのくらいお見通しだ。〈パパ〉の期待通りの反応なんて、してあげない。 「むしろ、パパの方が妬いたんじゃない? 莉鈴がみーこと仲よくして、気持ちよさそうにしてたから」  ふふん、と挑発的に笑う。 「少し、な。莉鈴、けっこう本気になってたんじゃないか?」 「ふふ……ちょっと……ね。女の子同士って、けっこうイイかも。すっごい感じちゃった」  うっとりとした表情を作る。  対して〈パパ〉は不機嫌そうな顔になる。もちろん、こちらもポーズだけれど。  その耳元に唇を寄せる。 「……莉鈴が妬かなかった本当の理由、わかってる?」 「妬くほど、パパのことが好きじゃない?」  無神経な発言に怒っている意思表示として、耳たぶを軽く噛んでやる。そして、ぺろっと舐める。  大切な秘密を打ち明けるように、唇が微かに触れる距離でそっとささやいた。 「みーこがどんなに可愛くたって、パパがいちばん愛してるのは莉鈴だって知ってるもの。見え透いた手で妬かせようとしても無駄」  言われた〈パパ〉も口元をほころばせる。 「莉鈴はなんでもお見通しなんだな」 「当然。パパのこと、大好きだもの」  そのまま、頬に軽くキスしてから体勢を戻した。  車は駅前の繁華街にさしかかるところだった。 「あ……パパ、今日は駅前でいい、ここで降ろして。本屋、寄っていきたいから」  そう言った次の交差点を過ぎたところで、車が道路の端に寄って停まる。 「すぐにすむ用事なら、待っててやってもいいぞ?」 「ううん、平気。今日は珍しく、自分で歩けるし」  〈パパ〉の責めが本当に激しかった時は、立って歩くどころか意識を保っていることすら困難だけれど、今の体調なら、ちょっと買物して、タクシーを拾って帰ることなどなんでもない。  シートベルトを外す。  だけどすぐには降りず、〈パパ〉の横顔を見る。  視線に気づいた〈パパ〉がこちらを向く。  私の方から顔を近づけてキスをする。  最初は頬に。  次に唇に軽く。  そして舌を絡め合う。 「……妬いてはいないけど、やっぱり、逢うのはふたりきりがいいな。パパのこと、独り占めしたい」 「それを妬いてるっていうんだよ」  頭に、手が乗せられる。 「次は、歩いて帰さないからな」 「……すっごい、楽しみ」  至近距離で顔を見合わせ、くすっと笑う。  最後にもう一度唇を重ねて、車を降りた。  走り去る車を微笑んで見送る。  その姿が視界から完全に消えたところで、笑みの質が変化した。 「…………ばーか」  嘲るような口調でつぶやく。  それから、やや不機嫌そうな表情に変わる。  脚は駅ビルの本屋ではなく、近くのタクシー乗り場に向かっていた。  スカートのポケットから携帯を取り出す。  着信履歴の先頭に早瀬の名前があることに、ホテルを出た時に気づいたのだ。  電話が一件。その少し後にメールが一通。ホテルを出る少し前、ことが終わってみーことシャワーを浴びながらじゃれ合っていた頃に届いたものらしい。  メールの本文を表示する。いつも通り、文面は簡潔だった。 『今夜、だめか? 連絡くれ』  小さく溜息をついた。  なんだろう。なんだか、すごく、いやな気分が湧き上がってきている。  このメールを見たから、ではなくて。  ホテルにいた時から、だんだん、強くなってきている。  心の中に、どろどろとしたヘドロのような汚物が渦巻いて、絡みついているような感覚だった。  いつもの〈罪〉を犯した後の〈罰〉を求める感覚とは違う。  あの、はっきりと自分に向けられる破壊の衝動ではない。もっと曖昧な、形にならないどろどろとした感情。  〈パパ〉と別れて独りになった時の虚無感とも違う。  もっと、ずっしりと重い。  もう一度、溜息をつく。  発信ボタンを押す。  呼び出し音と同時に早瀬が出た。精いっぱい、不機嫌そうな声で言ってやる。 「……なんの用?」  訊くまでもない。早瀬からの呼び出しなんて、用件はひとつだ。 「………………今、使用後なんだけど? ……それでもいいの?」  それも、聞くまでもない質問だった。答えはわかっている。  電話を切って、ちょうど走ってきた空車のタクシーに向かって手を上げた。 「……ばーか。ふたりっきりじゃないから、そして、足腰立たなくなるまでやらないから、こーゆー仕打ちをされるんだっつーの」  吐き捨てるようにつぶやくと、目の前に停まったタクシーに乗り込んだ。 * * *  駅前からタクシーに乗れば、早瀬の家まではすぐだ。  しかしその間、どろどろとした感情は薄れるどころか、よりいっそう強くなっていくようだった。  鏡を見ずとも、険悪な顔になっているのがわかる。  そのままの表情で玄関のチャイムを鳴らし、乱暴にドアを開けた。出迎えた早瀬が、私を見て驚いたように目を見開く。  普段以上に無愛想な顔に退いたのか、と思ったのだけれど、その早瀬がいきなりぷっと吹き出した。 「…………なによ?」  棘だらけの声で訊く。  今の私を見て愉快そうに笑うなんて、不審どころか不気味ですらある。 「いや……今日の北川、可愛いな?」 「……?」  眉間に皺を寄せる。本当に、どこかおかしいのではないか。  そう思って見ると、早瀬の視線は私の顔ではなく、微妙に上に向けられているようだった。  その視線の先は……  ……頭?  はっと気がついて、頭に手をやる。  柔らかな毛が手に触れる。  ――ネコ耳!  ホテルからずっと着けっぱなしだったネコ耳を、慌ててむしりとる。  あの男……!  思わず〈パパ〉を恨んでしまう。  車を降りる時、絶対に気づいていたはずなのに。わざと黙っていたに違いない。  タクシーの運転手もなにも言わなかった。似合いすぎるのも考えものだ。冷静であればその表情から気づいたのかもしれないけれど、そんな余裕はなかった。  そのせいで、よりによって早瀬にこんな姿を見られてしまうなんて。 「あれ、取っちゃうんだ?」 「……なぜ、あなたの前でこんなもの着けなきゃならないの?」  声が微かに震えている。爆発寸前の感情を、必死に抑えている状態だった。  早瀬が小さく肩をすくめる。 「なんだ、珍しく俺のためにサービスしてくれたのかと思ったのに」  今日に限って、私の神経を逆なでするようなことを言う。 「こーゆーのが好きなら、茅萱に言えば? あんたの頼みなら、ネコ耳でもウサ耳でもメイドでもスク水でも、喜んで着けるでしょうよ」 「北川の、というところに希少価値が」 「ど、う、し、て、私が、あんたに、サービスなんかしなきゃなんないの? つか、今ここにいるだけで、出血大サービスだとは思わないわけ?」 「あ……いや、確かにそうだよな。ありがとう。大好きだよ」 「――――っっっ!!」  かぁっと、頭に血が昇った。  怒鳴り出さなかったのは自制心の賜物ではなく、怒りのあまり息が詰まってしまったからだ。  脳の血管が何本か、ぶちぶちと音を立てて切れたような気がした。 「……っ、……っ」  二度、三度、深呼吸する。  靴を脱ぎ捨てて上がり込む。 「……もう一度そんなふざけた台詞を口にしたら、このまま帰るからね! シャワー借りるわ」  了解を得る前に、奥に向かって歩き出す。もう、勝手知ったる家だ。  乱暴に足音を立てて歩いていくと、背後から早瀬の声が聞こえた。 「……今日の北川、なんかいつもと雰囲気が違うな」  脚が止まる。 「…………だから、なに?」  振り向いて、怒りのこもった目で睨めつける。  いつもと違うという自覚はあった。  普段通りの〈学校モード〉の〈北川莉鈴〉が出てこない。  いったい、今ここにいるのは誰だろう。  早瀬と逢う時の〈北川〉ではない。〈パパ〉と逢う時の〈莉鈴〉でもない。援交やAV撮影の時の〈椎奈〉や〈みさき〉、あるいは〈可奈〉でもない。  普段、表に出てこない、自分でも知らない自分。 「そうやって感情を表に出す北川ってのも、新鮮でいいな」 「……死ね、バカ」  いつもなら口にしない台詞が、自然と口をついて出る。  ネコ耳の件で感じた〈パパ〉に対する怒りが、さらにいや増す。  こんなにむかつくのも、なにもかも〈パパ〉のせいだ――と。早瀬に対する怒りの表現は、やつあたりでしかない。  その〈怒り〉こそが違和感の原因だった。感情の変化が少なく、常に少し不機嫌そうな〈北川〉は、こんな風に露骨に怒ったりしない。 「……」  自分の考えに、さらに不機嫌になってしまう。  さらに、ということは、その前から〈パパ〉に対して怒りを覚えていたことになる。実際、車を降りた時にはもう機嫌が悪かった。  なぜだろう。  なぜ、怒っているのだろう。  なにが理由なのだろう。  いったいなにを、こんなに怒っているのだろう。  ……  …………  ………………  冗談じゃない!  心の中で、大きく首を振る。  口ではああ言ったけれど、やきもちを妬いていたのだろうか。  〈パパ〉とみーこに対して。  ……冗談じゃない!  そんなの、私じゃない。  やきもちを妬いて、感情をあからさまに表に出すなんて。  しかも、早瀬の前で。  これは、違う。  TPOを間違えたファッションのようなもの。間違った、私。  〈パパ〉の前や意図的に演技する場合を除いて、あまり感情を露わにしない私だけれど、実際のところ、その感情はかなり不安定だ。意図的に明るく振る舞うことはできるけれど、逆に、感情の昂ぶりを抑えることは不得手だった。  今夜はどういうわけか、怒りを露わにせずにいられない。  どうしたものだろう。  脱衣所で乱暴に服を脱ぎながら考える。  ……ああ、そうだ。  想い出した。  バッグから、剃刀を取り出す。  これがあれば、なんとかなる。  剃刀をつかんだまま、バスルームに入った。  足の裏に、冷たいタイルの感触が伝わってくる。  水温を最低にして、シャワーをいっぱいに出した。  降りそそぐ冷たい水滴。  まだ残暑の季節とはいえ、夜に浴びるには冷たい水。  怒りの炎を鎮火しようとするかのように、構わずに浴び続ける。  それでも、やっぱり足りない。  これだけでは、昂ぶりは治まらない。  だから、小さな刃を手首に当てた。 「――っ!」  線から面へと拡がっていく、深紅の色彩。  刻まれた傷から湧き出てくる鮮血。  シャワーの水滴に当たって流れ落ちていく。  それを見ていると、身体から力が抜けていった。  怒りが、感情の昂ぶりが、鎮まっていく。  脚に力が入らなくなって、タイルの上に座り込んだ。  目の前に、鏡がある。  映っているのは、完全に表情が消えた顔。  冷たいシャワーを浴び続けてずぶ濡れの、人形よりも無機的な顔。  あの、子供っぽい怒りを露わにしていた見知らぬ少女はもういない。  ああ、そうか――  今さらのように、気がついた。  リストカットを、自傷を、習慣にしていても、死ぬつもりなんてない――そう思っていた。  だけど、違う。  私の自傷癖、これはやっぱり〈自殺〉の一種だ。  ひとつの、小さな、死。  私の中の、ひとりの、死。  あの、怒りを露わにしていた少女は、もう、いない。  いま鏡の中にいるのは、違う、私。  他の女の子と仲良くしていた〈パパ〉に怒っていた私じゃない、私。  いつも無機的に早瀬に犯されている私が、戻ってきた。  ……いや。  戻ってきた、のではないのかもしれない。  同じ、ではないのかもしれない。前回、早瀬に抱かれた私とは。  早瀬とセックスした後は、必ず、手首を切っている。  そうすることで、落ち着くことができる。  それはつまり、セックスによって心を乱している私を、殺すからだ。  早瀬に犯された私は、その夜、手首を切って死んだ――のかもしれない。  あれが、ひとつの死の姿だとしたら、これまでにいったい、何人の〈私〉が死んだのだろう。  今こうしている私も、これから早瀬とセックスして、明日の朝までには死んでしまうのだろうか。  こんな生活を続けていたら、いつか、私の中には誰もいなくなってしまうのだろうか。  その時が、この肉体の死なのだろうか。  たぶん、私は、その時を望んでいる。  そんなことを考えながら、鏡を見つめる。  冷たいシャワーを浴びながら。  それは、いつまでも出てこない私を心配した早瀬が様子を見にくるまで続いていた。 * * *  先日の昼休みの一件以来、学校での生活は、教室の中は、〈平穏〉といえた。  あの鬼神の如き早瀬の姿を見せられて、それでも私に危害を加えようなどという命知らずがいるはずもない。  以前のような、敵意のこもった視線を向けられることすら少なくなっている。誰もが、早瀬の怒りに触れることを畏れているようだった。  私に視線すら向けず、関わり合うことを避けている。触らぬ神に祟りなし――その言葉がこれほど相応しい状況を、私は知らない。  例外は木野だけだった。相変わらず、以前と同様に普通の友達のように接してくる。早瀬に対しては、たまに、釘を刺すようなことを言っているようだ。  茅萱は、噂が広まっていた頃のような、居心地の悪そうな態度が消えた。妙に吹っ切れたような様子で、たまに、私に声をかけてくる。  それはもちろん友好的な台詞ではないけれど、不思議と陰湿さも感じられない。「さっさと別れなさいよ」が、私に対する挨拶がわりだ。  教室での、早瀬との関係は相変わらずだった。  たまに、向こうから話しかけてくることはあるけれど、基本的に無視している。それでも、誘われれば早瀬の家には行く。  その早瀬は、意外なことに――そして少々不愉快なことに――女子の間で評価が上がっているらしい。 『惚れた女を身体を張って護るって、ちょっとカッコイイかも。……女の趣味は悪いけど』 『軽々とお姫様抱っこってのはポイント高いよねー。……女の趣味は悪いけど』 『あのインラン北川を満足させるほどスゴイらしいよ。……女の趣味は悪いけど』  そんな声があるのだそうだ。  このあたりは木野が芝居っ気たっぷりに語ったことなので、真偽のほどは知らない。  とにかく今現在、教室は入学以来もっとも安定した状態といえた。  しかしそれは、私が望んだ安定の形ではない。むしろ、妙に居心地の悪さを覚える。  このところ、たまに意味もなく感情の起伏が激しくなるのは、〈パパ〉のことだけではなく、こうしたことも関係しているのかもしれない。  私にとっては、どうやら今の状態の方がストレスが大きいようだ。  なんといっても、早瀬との関係が〈クラス公認の恋人〉扱いなのが気に入らない。  こんな声がある。 『早瀬と付き合い始めてから、援交の回数も減って更生に向かってるらしいよ』  それは違う。  単に、精力無尽蔵の早瀬を相手にしているせいで、身体に余裕がないだけだ。  身体の負担やリストカットの回数はむしろ増えているくらいなのだから、更生に向かっているとは言い難いし、自分でもそんなものは望んでいない。  そろそろ、早瀬との関係も考え直すべきなのだろうか。  誰よりも激しくこの身体を痛めつけてくれる陵辱も、回を重ねるとぬるま湯になってしまうのかもしれない。  かといって、早瀬と縁を切って援交中心の生活に戻ったとしても、今となってはそれもぬるく感じてしまう。  やっぱり、援交ではなしに、気軽にセックスさせていたのが失敗かもしれない。歳の離れた〈パパ〉ではなくクラスメイト相手、しかも対価も要求せず……では、あまりにも〈普通の女子高生〉っぽい。  少し、早瀬との関係を見直してみようか――そんなことも考えていたところで、しかし、実際の変化は予想もしていなかったところから訪れたのだった。 * * *  その日――  週末に両親が帰ってきていたとかで、珍しく月曜日の夜に呼び出された。  いつものように早瀬の家を訪れて。  いつものようにベッドの上に放り出されて。  いつものように首輪と手枷で拘束されて。  いつものように下着を剥ぎ取られて。 「……え?」  そこで、早瀬が小さく戸惑いの声を漏らした。  彼の目には、いつもと違う、見慣れぬものが映っているはずだ。  私の性器を彩っている五つのピアスのうち、二対四つがそれぞれ小さな南京錠でつながれて、割れ目を閉ざし、その奥への異物の侵入を拒んでいた。  ちょっとした悪戯、だった。 「……どうか、した?」  わざとらしく、訊いてみる。 「……いや」  困惑気味に応える早瀬。  この状況について問うこともなく、その部分に触れてくる。  いつもの乱暴な挿入を封じられ、指で愛撫をはじめる。 「んっ……ぁ……」  クリトリスを中心に責め、隙間から指を潜り込ませて割れ目の中で滑らせる。  何度も、何度も、繰り返す。  早瀬には珍しい、執拗な愛撫だった。他にできることがないから当然、といえば当然なのだけれど。  触れられている部分の潤いが増していく。  少し、予想とは違う展開だった。  戸惑って質問してくるか、あるいは強引に口を犯すか。そんな展開になると考えていた。  しかし予想に反して、私の口を塞いだのは早瀬の唇だった。  唇の隙間から、熱い液体が流れ込んでくる。 「……ん……んふ……んっ、ん……っ!」  以前渡した〈クスリ〉の残りだろう。口移しに注がれる。  あえて拒む理由もないから、素直に飲み込んだ。 「ぁ、ん……」  身体が起こされ、背後から抱かれるような体勢になる。  腰から回された手が、股間で蠢く。  もう一方の手が、胸を包み込み、乳首をつまむ。  最初の頃に比べると、こうした愛撫もずいぶん手慣れてきたように感じる。性格に加えて体格のせいもあって、相変わらず乱暴ではあるけれど、乱暴なりに弱点を的確に突いてくるようになっている。  クリトリスを押し潰すように、執拗に蠢く指。  だんだん速く、激しくなってくる。  少し、痛くて。  だから、興奮してしまう。 「はっ……ぁっ、あっ……ぁっ、あっ! あ、んぅんんっっ!」  びくっと、身体が大きく震える。  指での愛撫だけで、簡単に最初の絶頂を迎えてしまった。早瀬相手では珍しいことだ。  もちろん、それでも愛撫が止まることはない。その点ではいつもの早瀬と変わらない。  蜜が溢れだし、お尻や太腿にまで流れ落ちている。  それを指で塗り広げていく。  もしかして今日は、こうしてずっと指で責め続けるつもりだろうか。  それでぎりぎりまで焦らして、我慢できなくなった私に鍵を開けさせようというのであればたいした進歩だけれど、いかせてしまっては逆効果だろう。勢いまかせの早瀬にそんなかけひきを期待するのは、まだ無理があるだろうか。  とりあえず、今の展開はあまり好ましいものではないと感じた。深い考えもなしになんとなく仕掛けた悪戯ではあるけれど、失敗だった。  この、指での愛撫は気持ちいい。  早瀬の巨根を無理やりねじ込まれるのと違って、辛くない。  だから、嫌だ。  早瀬相手に、気持ちいいことなんてされたくない。  援交でもAV撮影でもなく、レイプでもなく、単に、クラスメイト相手のセックス。  それで気持ちよくなってしまったら、普通の恋人みたいではないか。  そんなの、嫌だ。  なのに、愛撫されれば身体は感じてしまう。 「ぁんっ! あっ……ぁぁっ、あぁっ! あん……っ!」  指の動きに合わせて、甘い声が漏れてしまう。  締まりのない唇の端から、涎がこぼれる。  下半身がぐっしょりと濡れている。  早瀬に寄りかかるような体勢で、背中に体温を感じる。  嫌だ、こんな展開。  鍵を開けさせて、貫いてもらおうか。  ちょっと早瀬を困らせてやるつもりだったのに、戸惑う様子もなく愛撫を続けているのだからおもしろくない。 「……ぁんっ!?」  いきなり、身体が前に倒された。  俯せにされて、お尻をつかまれる。  下半身が押しつけられてくるけれど、もちろん、まだ鍵はかかったままだ。  いつもと違う場所に早瀬の弾力を感じる。 「早瀬……そこは……っ」  力まかせに、押し込まれてくる。 「んっっ……や……ちょっ……」  無理やり、拡げられていく。  お尻の、穴が。 「ちょ……待……っ!!」  アナルセックスの経験は少なくない。むしろ経験豊富で、しかも好きな方だろう。  だけどこれまで、早瀬にそこを犯されたことはなかった。  お尻には興味がないのか、あるいはまだ経験の浅い高校生にはハードルが高いのか、と思っていた。  前に見せた私のAVにもお尻を犯されるシーンはあったから、実は興味があって、きっかけを待っていただけなのかもしれない。 「ひっ……ぅぐ……ぅっ」  入って、来る。  痛い。  痛い。  痛い。  引き裂かれそうなほどに、拡げられていく。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い痛い痛い――  お尻で感じる早瀬のペニスは、膣に挿れられた時よりも大きく感じた。  自分でも、ここまで拡がるのかと驚くくらいに拡げられている。  考えてみれば、私がセックスした男の中で、いちばん大きなものを持っているのだ。器具であっても、これより大きなものをお尻に挿入された経験はなかった。 「あ……や……だっ……めぇっ!」  いっぱいに力んだ括約筋でぎゅうぎゅうに締めつけても、早瀬の馬鹿力に対抗できるわけがない。  ぐぅっと押し込まれる。 「――――っっっ!!」  一瞬、本当に裂けてしまったかのような痛み。  早瀬が、中ほどまでお尻の中に埋まっていた。  そこで一度動きを止め、また、じわじわと侵入してくる。  深く。  深く。  行き止まりがないから、どこまでも入ってくるような感覚だった。 「あ…………あぁ……ぁ……ぅんんんっ」  信じられないくらいに大きく拡げられている。  信じられないくらいに深く貫かれている。  身体の奥深く、まるで、お臍より上まで届いているかのような錯覚を覚えるほどに。  苦しい。  そして、お尻が熱い。  今まででいちばん深く、早瀬に貫かれていた。  苦しさを紛らわせようと、大きく息を吐き出す。  身体の力を抜こうとするけれど、お尻の筋肉が、反射的に収縮してしまう。 「ぁ…………んっ!」  お尻が乱暴につかまれる。柔らかな膨らみに、指が喰い込んでくる。  まさか――  いつものように、なんの気遣いもなしに全力で蹂躙するつもりだろうか。  お尻を。  そんなの、無理――  本能的な恐怖感を覚えてしまう。  もう、限界まで拡げられているのに。  今にも引き裂かれそうな気がしているのに。  こんなに大きく拡げられて、こんなに深く貫かれて、なのに、いつものように激しく暴れられたら――  無理、壊れてしまう。  なのに……  どきどき、してる。  興奮、してる。  来て。  来て。  来て。  犯して。  めちゃめちゃに陵辱して――  そう、心の中で叫んでいる。  そして早瀬は、私の期待を裏切らなかった。 「ぅあぁぁ……ぁぁぁっっ!」  いちばん深いところから、一気に引き抜かれる。  内臓が、腸が、引きずり出されていくような感覚。  そして、また、打ち込まれる。 「ひぎぃぃぃ――――っっ!!」  深く、深く、奥の奥まで突き入れられる。  もう一度、二度、繰り返される。  それで勝手をつかんだのか、さらに勢いが増していく。 「っぃぃぃ――――っっっ!!」  先端から、根元まで。  入口から、お腹の奥まで。  突き入れられる時は、まさに、生きたまま串刺しにされる感覚だった。  強引に根元まで埋め込んで、さらに体重を乗せてひと押し。  そこから一気に引き抜かれると、一瞬、意識が真っ白になった。  そしてまた、貫かれる。  また、叩きつけられる。  早瀬はいきなり全開だった。 「いやぁぁっ! あぁぁっ! あぁぁっ! あぁ――っ」  いつも通り、力まかせの早瀬の姿。  重機のような力強さで往復する腰。  お尻を打ち壊さんばかりに叩きつけられる。 「いっぁぁぁぁぁ――――――っっっ!!」  意図したものではない、本能による悲鳴。  しかし、泣き叫んだところで手加減する早瀬でないことは知っている。彼の〈スイッチ〉が入ってしまった以上、むしろ昂らせるだけだ。 「やぁぁ――っ! あぁぁ――っっ! いぎぃぃっ!!」  暴力としかいいようのない陵辱。  気持ちよく、なんかない。  ただただ痛くて、苦しい。  なのに――  私は、感じていた。  興奮、していた。  今にも壊れそうになっている自分に。  ひと突きごとに仰け反り、悲鳴を上げ、頭をベッドに打ちつける。  そんな反応に対して、さらに昂って欲望をぶつけてくる早瀬。 「ぁがぁぁぁっ! あぁぁぁっっ! あぁ…………っ!」  息が止まる。  視界が白一色に染まる。目を開いているはずなのに、なにも見えない。  もう、だめ。  もう、限界。  お尻ではこれまで経験したことのないほどの、激しい責めだった。 「は……ゃ……ぁ……ゃせっ! は……はやせぇっっ!」  意志に反して、口が勝手に白旗を掲げてしまう。 「か……かぎっ! すか……との、ポケット……っっ!」  だけど、早瀬は止まらない。  むしろ、フィニッシュに向けて加速していくようにすら感じる。 「い……っぃぃっっ! ひぃんっ、んんっ、あぁぁぁんっ!」  お尻が、直腸が、灼けるよう。  引き裂かれ、突き破られそう。 「ひゃぁぁっ! あぁぁっ! あぁぁっ! あぁぁぁぁ――――っ!」  深く、深く、打ち込まれる。  いちばん深い部分で破裂する。  大量の精液が腸内に注がれる。早瀬の量だと、まるで浣腸でもされているみたいだ。  そして、すごく熱い。  実際には体温以上であるはずがないのに、まるで灼熱の溶岩か、熔けた鉛のよう。  身体の内側から灼き殺されるみたい。  脈打つペニスが、お尻の穴をさらに押し拡げる。 「ん…………くぅぅぅん……」  引き抜かれた後は、お尻にぽっかりと穴が空いたような感覚だった。  身体から力が抜けていく。  なんだか、すごく、疲れた。  意識が朦朧とする。  だけどもちろん、早瀬が一度だけで解放してくれるわけがない。  髪をつかまれ、上体を起こされる。 「ぁ……んんぅんんんっっ」  そしていきなり、口にねじ込まれた。  喉の奥まで一気に貫かれる。  頭を押さえて自分の下腹部に押しつけ、さらに腰を突き出してくる。  まったく、どういう神経をしているのだろう。  今までお尻に挿れていたものを、躊躇いもなくくわえさせるなんて。  もちろん、デートの前はその予定がなくてもお尻の中まで綺麗にしているから、汚れているわけではない。他の男が相手であれば、こんな風にくわえさせられるのも慣れている。  だけど、初めてなら多少は気を遣うのが普通ではないだろうか。  とはいえ、早瀬に気遣いなんて言葉は似合わないし、そんなものを期待してもいない。少なくとも、私に対しては。  茅萱には優しくできる早瀬も、私に対してその優しさを発揮することはない。だからこそ、無償で彼の相手をしているのだともいえる。  乱暴にされたい――  身近で、そんな願いをいちばんに叶えてくれる存在。  まったく勢いを失っていない極太の肉棒が、喉を塞いでいる。  引き抜かれた時には、つられて吐きそうになった。胃の中のものが今にも逆流してきそうだった。 「は……ぁ……ぁ……」  込みあげてくる酸っぱいものを飲み込み、荒い呼吸を繰り返す。  頭をつかんでいた手が離れると、そのままベッドに倒れ込んだ。  早瀬の姿が視界から外れる。  下半身から、かちゃかちゃと小さな金属音が聞こえてくる。  今さらのように、南京錠が外されていく。  また俯せにされて、お尻を持ち上げられる。  指で、割れ目が拡げられる。  たっぷりと蜜を垂れ流していながら、その欲望を満たされることのなかった部分に、熱い塊が押し込まれてきた。 「ぁんっ……ぁっ……あぁっ…………あぁぁんっっ! ああぁぁぁ――っっ!!」  蜜を溢れさせてどろどろにとろけている粘膜では、どんなに締めつけても早瀬の侵入を拒むことはできなかった。むしろ、刺激を増して早瀬を悦ばせるだけでしかない。  当然、自分自身に与える刺激も強めてしまう。  それでなくても、前はさんざん焦らされていた状態なのだ。挿れられただけで達してしまった。  そして、また、いつもと同じ陵辱がはじまる。  もう慣れた、と言いたいところだけれど、この激しさは簡単に「慣れた」などと受け入れられるものではない。今にも壊されそう、と感じるのはいつもと同じだ。 「あぁっ、ひゃぁっ、あぁぁっ! あんっ、あぁぁんっ、あぁんっ!」  それでもいつもより声が甘いように感じるのは〈クスリ〉を飲まされたためだろうか。  それとも、お尻をさんざん責められたためだろうか。  まだ痛むお尻。その痛みが、快感につながってしまう。 「あぁ……ぁぁっっ!?」  そこへ、太い指が押しつけられる。 「や、だ……っ、あぁんっっ、んく……ぅぅぅんっっ!」  お尻の穴がまた拡げられ、早瀬の指が二本、ねじ込まれてくる。 「や……やだっ! やめ……っ! あぁぁんっ、あぁっ、んっ、んぁぁぁんっ!」  声が一段と大きくなる。  これ……だめ。  これは……弱い。  前後同時責めには、少し、弱い。  どちらか一方だけの挿入よりも、格段に感じてしまう。意志とは無関係に、激しく反応してしまう。  お尻を激しく犯された後のせいか、今日は特にその傾向が強いように思えた。 「ぃ……や……ぁぁっ! あぁんっ! だ……めぇっ、いゃ……やぁぁっ!」  充分すぎる質感を持った太くて長い指が、お尻の穴を拡げ、中をかき混ぜている。  前は前で、特大のペニスに貫かれている。  涙と、涎と、愛液が、互いに競い合うように溢れ出てくる。 「やぁぁ……ぁぁんっ! あぁぁっ、だっ……ぁぁぁっ! あぁぁっ、いやぁっ!!」  ひと突きごとに、早瀬の動きは勢いを増していく。  比例して、私が受ける刺激も強くなる。  軽い絶頂が立て続けに襲ってくる。その頂が、どんどん高さを増していく。  望んでいないのに、無理やり与えられる快楽。  どんどん、高みに突き上げられていく。 「あぁぁぁぁ――――っっ!!」  あと、ほんの少し。  あと、ひと突き。  気を失うほどの大きな快楽の波が押し寄せてこようとした、まさにその瞬間。  バ――ンッッ!  叩きつけるような大きな音とともに、部屋のドアが開かれた。  私も、早瀬も、まったく予期していなかった突然の出来事に、心臓が止まるほど驚いた。  ふたり揃って、弾けるようにドアの方を向く。  部屋の入口で、ひとりの女性が仁王立ちになっていた。 「――っ!?」  たとえばそれが茅萱であれば、充分にあり得る話だ。乱暴なドアの開け方はともかく、出現自体は驚くことでもない。  あるいは早瀬の母親というのも、予想の範疇だ。今夜は帰らないはずとはいえ、予定の変更はいつだってあり得る。  そのどちらかであれば、驚きは音に対するものだけだったろう。  しかし、どちらでもない。  だからこそ、その姿を認めてさらに驚いた。  早瀬の家族には会ったことがなく、もちろん母親の顔も知らないけれど、しかし、目の前の女性がそうではないことだけはわかる。  私も、早瀬も、揃って驚きに目を見開いて、言葉を失っていた。  先に我に返ったのは、早瀬の方だった。 「……あ、姉貴っ!?」 「……ぇ?」  その台詞は、さらに私を驚かせた。  予想外の台詞に、思わず早瀬の顔を振り返りそうになったけれど、背後から貫かれている体勢ではそれも難しい。  早瀬に姉がいることは知っている。  だけど今の台詞は、まったく意外なものだった。  そこに立っているのは、あまり背の高くない――おそらく一五○センチ台前半くらい――の二十歳前後の女性。長い黒髪で、眼鏡をかけている。  痩せ型で、それなりに美人であるけれど、どちらかといえば陰性の雰囲気を漂わせている。  左眼の下、頬骨のあたりに刻まれた、長さ三センチほどの傷痕が目を引いた。  ――そう。  私は、彼女を知っている。  ただしそれは〈早瀬の姉〉としてではない。  過去二度ほど、具合が悪いところを介抱してもらった彼女の名は〈淀川うなぎ〉という。現役女子大生、兼、男性向けエロマンガ家だ。  本名の〈依流〉をもじって〈うなぎ〉というペンネームにしたという話は聞いていたけれど、そういえば姓は知らない。 「…………あ、ね?」  あの淀川が、早瀬のお姉さん?  まさか。  まったく予想外の展開だ。  大男の早瀬と、小柄で細身の淀川。少なくとも、外見はまるで似ていない。  しかし、ふたりが姉弟だとすると、納得できる点もある。  淀川と初めて会ったのは、早瀬が出場していた柔道の試合会場だった。  そして二度目に会ったのは、この家の前だった。不自然なほどゆっくりと車を走らせていたことを考えれば、もしかしたらあの時、彼女は実家に顔を出そうとしていたのではないだろうか。 「な……なんだよ! ドア開ける前にノックくらいしろよ!」  我に返って、慌てて叫ぶ早瀬。  当然だ。  全裸で、家族に紹介していない女の子とセックスしている場面なんて、あまり見られたい姿ではあるまい。  私から離れて、大慌てで下着とズボンを着ける。 「……弟しかいないはずの家に帰ってきて、いきなり女の子の悲鳴が聞こえたら開けるでしょ、普通」  まったく驚いた様子もなく、落ち着いた、抑揚のない声で応える淀川。創作活動に夢中になっている時を除けば、あまり感情を表に出さない人だ。  腕を組んで、胸を反らせて立っている。その堂々とした態度のためか、実際の体格よりもやや大きく見えた。 「正解だったわ。しばらく会わないうちに、弟が、小さな女の子を拉致監禁して陵辱するような強姦魔になっていたとは……」  嘆きの表情は、しかし、どこか芝居がかっていた。 「な、なんでそうなんだよっ!? この状況、普通、彼女を連れ込んでるとか思うだろっ!? それに、北川は同い年だ!」  正確にいえば私は〈彼女〉ではないけれど、早瀬の意見は正しい。弟が同世代の女の子とセックスしていたら、まずは彼女だろうと考えるのが普通だ。  しかし、早瀬に向けられた淀川の視線は冷たい。 「この光景で、そんな言い訳が通じるとでも?」  視線が、ちらりと私に向けられる。  その視線を追って振り返った早瀬が、小さく呻き声を上げた。  首輪と手枷を着けられ、バックから貫かれ、お尻にも指を挿れられていた私。  淀川が飛び込んでくる直前には、「いや」とか「やだ」とか叫んでいた記憶もある。  そして、私と早瀬の、犯罪的な体格差がとどめを刺す。  なるほど、淀川の見方にも一理あるようだ。  とはいえ、本気でそう考えているわけではないだろう。  一見、真剣そうな表情を作ってはいるけれど、どことなく、弟をからかっていると思われる芝居がかった態度が見え隠れしている。私と知り合いであることを隠しているのがなによりの証拠だ。 「こ……これは合意の上だ! こーゆープレイなんだよっ!」 「……そうなの? あんた、トシの彼女?」  また、視線を私に向けて問う。 「違います」  即答する。それは嘘偽りのない事実だ。  淀川の目が細くなる。早瀬が困っている気配が伝わってくる。 「……おい、そこの性犯罪者」 「き……北川は、彼女じゃないけど。その……なんていうか……せ、セフレ、みたいな感じで……。とにかく、これは合意なんだよ!」 「セフレ……ねぇ」  皮肉な笑みを浮かべる淀川。  早瀬としても言いにくかろう。家族に対して、〈彼女〉ではなく〈セフレ〉を紹介するなんて。  また、私に視線が向けられる。 「……本当に?」  私から見れば、知り合いだと明かさない時点で淀川がふざけていることは丸わかりだけれど、もちろん早瀬はそんなことは知らない。  質問に対して直接答えず、早瀬に向かって言う。 「……ここで私が「助けて!」とか言ったら、早瀬ってば大ピンチ?」 「こんなところで裏切るなっ!」 「……お姉さん、早瀬はいつも私に乱暴なことをするんです」  私も芝居がかった口調で応えた。しかし、これも嘘はついていない。 「やっぱり……」  早瀬はどんどん追い詰められていく。女ふたりが結託しているのだから当然だ。  この状況、少し愉快だった。淀川もなかなか悪戯好きらしい。あるいは単に、弟苛めが趣味なのかもしれない。 「い、いや、乱暴っちゃ乱暴だけど、別に、無理強いしてるわけじゃ……」 「……で、どうやって潔白を証明するの?」 「どう、って言われても……」  私が淀川側についている限り、早瀬の不利は覆しようがない。この場に〈物証〉は存在しないのだから、私が裏切った以上、早瀬を弁護する証人はいない。  事情を知っていても、私たちを別れさせたがっている茅萱が、ふたりの関係を認めるような証言をするはずもない。むしろ「私はトシくんに優しくしてもらった」などと言えば、さらに早瀬は追い詰められることになる。  木野も、早瀬の存在をあまり快く思っていないみたいだから、有利な証言をするとは思えない。  絶体絶命の早瀬に向かって、淀川がにやりと笑う。 「……無実だと言い張るなら、続きをしてみなさい」 「つ、続き、って……」 「途中、だったんでしょ? 続き、ちゃんと最後までしなさいよ。その反応を見れば、無理やり犯られてるのか、乱暴であっても望んでされてることなのか、一目瞭然だから」 「で、できるわけねーだろ! 姉貴の見てる前でなんて……」  意外とまともな反応をする。私の見ている前で茅萱としたくせに。  しかし、当たり前といえば当たり前だ。家族の前でセックスするなんて、常人の感覚ではかなり異常なことだろう。 「できない、ということは有罪か」 「なんでそーなるんだよ! 普通に、羞恥心とかあるだろ!?」 「警察はともかく、母さんには話しておく必要があるよね」  反論を無視して、携帯電話を取り出す。 「ちょっと待て!」  慌てて止める早瀬。  その展開は彼にとっては好ましくない。  自分の息子が、留守の間に女の子を連れ込んでセックス三昧なんて、歓迎する母親は少ないだろう。それが原因で、母親が家を空けなくなるかもしれない。そうなったら私を連れ込めなくなってしまう。当然、避けたい展開のはずだ。 「………………わ、わかったよ。やりゃあいいんだろ!」  他に選択肢はない、と腹をくくったか。  私に視線を向ける。 「北川は……いいのか?」  あるいは、ノーと言うことを期待していたのかもしれない。見られながらすることを私が拒否すれば、淀川も無理強いできないかも、と。  しかし、私の側に拒む理由はない。AV撮影を平然とこなしているのだし、淀川の前でオナニーを披露したこともある。  そしてなにより、早瀬が困る展開は私にとっても愉快だ。 「……あなたがその気になったら、私は抵抗もできないし」  わざと、嘘にならない範囲内で誤解を招くような言い回しをする。  諦めたのか、開き直ったのか、小さく深呼吸をした早瀬は、身に着けたばかりのズボンと下着を脱ぎ捨てた。  私の脚をつかんで開かせ、その間に身体を入れてくる。  下半身を押しつけてくる。 「……ん、ぅ……んん……っ」  やっぱり、性器を姉の眼前に曝すのは恥ずかしいのか、すぐに挿れてきた。  深々と、私の中に埋める。  しかしそこでいつものように激しく動き出しはせず、身体を重ねてきた。  耳元に唇を寄せて、私にだけ聞こえるような声でささやく。 「……普通に感じてるような演技、してくれないか?」 「……いやよ。あなたとのセックスは、そうした気遣いが不要なところだけがいいところだもの」  私も、早瀬にだけ聞こえるように応え、それから淀川にも聞こえる声で続ける。 「お姉さん、早瀬ってば、感じてる演技してくれとか言ってます」 「……有罪確定? それとも、そんなに下手なの?」  からかうような口調。 「……くそ、わかったよ! 見てろ、北川はこれでちゃんと感じるんだから」  いきなり、腰を突き出してくる。  私の腕を押さえつけて、全体重をかけて下半身を打ちつけてくる。  その動きは、一気に加速していく。 「う……ぅく、……ぅん…………ん、ふぅ……くっ!」  抑えようとしても嗚咽が漏れてしまう。  できるだけ反応しないようにした方がおもしろいかとも思ったけれど、早瀬に全力で責められて、まったくの無反応でいるなんて不可能だ。  ましてや今日は〈クスリ〉を飲まされ、お尻を犯され、なのに前は中途半端な状態で放置されていたのだ。意思とは無関係に、肉体は反応してしまう。  早瀬は私の脚を持ち上げて肩に乗せ、身体を二つ折りにさせて、上から体重を乗せて腰を叩きつけてくる。 「……ぅっ、……ぁっ、んっ……く……ぅぅ、んっ! んく……」  長いストロークで打ち込まれ、身体が弾む。  入口からいちばん奥まで、一気に擦られる。  襞が巻き込まれ、膣が突き破られるような感覚。  内臓が押し潰されるように感じて、吐き気が込みあげてくる。  引き抜かれる時は、内臓が抉り出され、膣の粘膜が引きずり出されるよう。  苦しい。  そして、痛い。  涙が滲んでくる。  なのに。  早瀬に陵辱されている小さな口は、涙よりも大量の、白く泡だった涎を溢れさせている。  痛さに、感じてしまう。  それが、早瀬とのセックス。  淀川の手前、優しくするのかと思ったけれど、普段となにも変わらない。  いや、むしろ、どちらかといえば激しい方かもしれない。私の裏切りに腹を立てているのだろうか。  なんの気遣いも、手加減も、優しさも、欠片ほども存在しない。  だから、いい。  だから私は、早瀬との関係を続けている。  誰よりも乱暴に、私を犯してくれるから。 「ぁんっ……ん、んぁっ、んっ……んふっ、くぅぅんっ……ぁっ!」  普段通り、あまり激しい反応ではないけれど、声が抑えられない。  蜜も溢れ出し、お尻の方へと流れ落ちている。  淀川の目にどう映っているかは知らないけれど、早瀬はわかっているだろう。私が、本気で感じていることに。  ちらりと、淀川に視線を向ける。  小型のディジタルカメラを構えていることに、早瀬は気づいているのだろうか。  弟をおちょくるついでに、いつものようにマンガの資料収集をするつもりだろうか。そういえば、〈モデル〉はまだ引き受けてはいない。  もしかすると、見ている前でさせたのは、そのためかもしれない。  それにしても、ひとつ、疑問があった。  部屋に飛び込んできて私を見て、驚いた様子がなかったのはどうしてだろう。  弟の相手が自分の知り合いで、だけどまったく予想もしていなかった人間であれば、普通は驚くものではないだろうか。  私と早瀬のことを知っていたのだろうか。  でも、どうして?  前回会った時、それらしいことはなにも言っていなかったのに。  覚えていたら、後で訊いてみよう。  とりあえず、今はその疑問は保留だ。早瀬がフィニッシュに向けて加速している状況で、冷静に頭を働かせるのは難しい。  視線を早瀬に戻し、下半身に意識を集中する。 「んっ、んっ、ぁんっ、んっ、……んんっ、あっ! んん……っ!」  ベッドが壊れそうなほどに軋んでいる。  早瀬は獣の――発情した雄のオーラを放っている。  姉に見られているという緊張のせいか、それとも淀川や私の仕打ちに怒っているのか、いつもより恐い顔だ。  そのせいか、普段以上に激しい。  視界が霞む。  白く濁って、早瀬の顔が見えなくなる。  その白い霞がどんどん濃くなって、眩しいほどの光になる。 「……っ、……ぁ…………っ! ――――っっ!!」  胎内にほとばしる熱い精液を感じた時には、やっぱり、私も絶頂を迎えてしまっていた。  なにも、見えない。  まだ、視力は回復していない。  荒い呼吸の音が聞こえる。  私の呼吸、ではない。  早瀬が、激しい呼吸を繰り返している。  彼にとってもかなりの運動量だったのか、それとも姉に見られながらという精神的負担のせいだろうか。  目が見えるようになると、全身汗ばんで、肩を上下させている姿が目に入った。 「……これで……どうだ?」  身体を起こして、淀川を見る。 「トシ……わかってる? 絵的にはどう見ても犯罪だよ、これ」  呆れたように、苦笑を浮かべている淀川。  確かに、ふたりの体格差と行為の激しさ、そして私の醒めた表情を見れば、愛し合う恋人同士のセックスには見えまい。  私を見る。 「……で、莉鈴、感想は?」 「――っ!?」  淀川が私の名前を呼んだことに、早瀬が驚きの表情を浮かべた。  どうして、と問うような表情で私を見る。  それを無視して、淀川に向かって応える。 「……いつも通り。…………痛くて……苦しくて…………、だから、いった」 「そのちっちゃい身体であんな乱暴なことされて、よく平気だね。実際に見るまで信じられなかった」 「……平気、じゃないわ。…………だから、いいのよ」  私から離れ、慌てて服を着る早瀬。  淀川と私の顔を交互に見ている。 「ちょ、ちょっと待てよ。北川、姉貴のこと知ってんのか?」 「……知らないわ、あなたのお姉さんなんて」  その点については、私も驚いていた。  淀川が早瀬の姉だなんて、知らなかった。考えもしなかった。 「……でも、〈淀川うなぎ〉とはちょっとした知り合い」 「あ、姉貴……」  騙された、という顔で、早瀬は淀川を見る。  淀川は余裕の表情で目を細める。 「で、あんたはなにボケっと突っ立ってンの? おねーさまとお客さまに、飲み物くらい出せないの? ホントに気がきかないんだから。私、アイス・カフェ・ラテね。莉鈴も同じでいい?」  言い返す隙を与えず、矢継ぎ早に注文を出す。  私も小さくうなずく。  舌打ちしながらも、早瀬はなにも言わずに階下に降りていった。  なるほど、こんな風に弟を仕込んだのか。私が想像していた〈早瀬の姉〉とは、外見のイメージはまるで違ったけれど、性格はそれほど間違ってはいない。  早瀬がいなくなると、淀川の表情が少し柔らかくなった。  ベッドの端に腰掛けて私を見おろし、カメラのシャッターを何度か切る。 「あの体格差で、あの激しさで……実際に見ると迫力あるわ。あ、ちょっと、脚、開いて」  素直に従って脚を開くと、胎内から流れ出してくるものを感じる。  淀川は股間にレンズを近づけてシャッターを押した。 「うわ……すっごい量。トシの奴、避妊してないのかよ。妊娠とか、平気?」  訊ねる間も、カメラは構えたままだ。 「……ピル……飲んでる」 「そっか、そうだよね。うわぁ、お尻も犯られたんだ? マジ、大丈夫? つか、トシのアレって、すっごいでかくない?」 「…………大丈夫じゃ、ない、けど。いつも、こんな感じだし。……休みの日なら、これが一晩中だし」  私はぐったりと横たわったまま、視線だけを動かした。カメラのレンズと目が合う。 「……いつから、知ってたの?」 「ん?」 「私の……こと」  事前に知っていたはずだ。もしかすると、私がいることを予想した上で、今日、実家に顔を出したのかもしれない。  ああ、とうなずいてカメラを下ろす淀川。 「莉鈴がトシとなにか関わりがあるらしいって思ったのは、初対面の日。トシが女の子を連れ込んでるって気づいたのは、夏休み中に帰ってきた時、カヲリじゃない残り香があったから。で、カヲリから詳しい話を聞いたのはつい最近」  なるほど、情報源は茅萱だったのか。  考えてみれば、近所に住んでいる、小さな頃からの幼なじみだ。茅萱と淀川が仲がよくても不思議ではない。女同士、早瀬抜きで話をすることも珍しくないのだろう。 「いちおう、強姦じゃないみたいだけど……トシと恋人同士ってわけでもないんでしょ? カヲリはそのあたり、はっきり言わなかったけど」 「……違う」  はっきり言わなかった理由は、早瀬が私に気があることを認めたくなかったからだろうか。 「トシのこと、好きじゃないの?」 「……どっちかといえば……嫌い。…………男は、みんな」 「じゃあなんで、トシとえっちしてンの? しかも、こんな乱暴なことされて、でも嫌がってないし」 「…………乱暴なこと、されたいから」  それがすべてかどうか、自分でもよくわからない。しかし、動機のひとつであることは間違いない。  いまいちよく理解できない、という態度ながら、にやっと笑う淀川。 「いいね。その、歪んだ精神。やっぱいいよ、莉鈴。ぞくぞくする。すっごくエロい」  もう一度シャッターを切る。  そんな淀川に向かって腕を伸ばす。 「……私の鞄、取ってくれない?」  拾いあげてくれた鞄を横になったまま受け取り、中から剃刀を取り出す。  それを見てすぐになにをするのか気づいたのか、またカメラを構える淀川。  顔の上に左手を持ってきて、剃刀を当てる。  一回。  二回。  右手を動かす。  平行に刻まれた、二本の紅い筋。  滲み出る鮮血。  傷を口に当てて舐めとる。濃厚な血の味が口中に拡がっていく。  淀川はなにも言わず、写真を撮りまくっている。 「……甘」  血の味は本来、塩分と鉄分が主体のはず。なのにどうして、こんなに甘く感じてしまうのだろう。  まるで、ガムシロップのように甘い。 「……淀川は、なんとも思わないの?」  出血がピークを過ぎたところで、楽しそうに連写している淀川を見た。 「なにが?」 「弟が、こんなおかしな女に入れ込んで」 「……別に?」  カメラを持ったまま、軽く首を傾げる。 「これがもっと先の話で、あんたがトシの嫁になるっていうなら、ちょっと考えるかもしれないけど。そんなつもりはないんでしょ?」 「ないわ。これっぽちも」 「なら、別にいいんじゃない? トシを騙したり、隠したりしてるわけじゃないし。知った上であんたに惚れてるんでしょ? それに私も、あんたの足元にも及ばないだろうけど、男関係はそこそこ遊んでた方だったし」  なかなかアバウトな考え方をする。  まあ、エロマンガ家なんて、こうしたことに嫌悪感を覚えるようではできない職業かもしれない。  そういえば私が読んだ彼女の作品は、近親相姦とレイプばかりで、まともな恋愛、純愛なんてひとつもなかった。 「ところで、前々からお願いしてたモデル、週末あたりにどう? ちょうど祝日もあるし、一日くらい空いてない?」 「…………別に、いいけど」  これだけ写真を撮って、まだ足りないのだろうか。  まあ、一日くらい、相手してやっても構わない。それに淀川のモデルを引き受けることは、早瀬に対するちょっとしたいやがらせになるかもしれない。 「……でも、どんな?」 「それは当日のお楽しみ……じゃ、だめ?」 「…………別に、いいけど」  わざわざ私に依頼する以上、あまり普通のシチュエーションではあるまい。  SMか、レイプか、それとも乱交か。あるいは野外露出とかかもしれない。  なんにせよ、〈普通〉ではないのなら望むところだった。 「じゃ、詳しいことは後で連絡する。あ、あと、これ、トシには内緒ね」  階段を上ってくる足音が聞こえたところで、淀川は悪戯っぽく人差し指を唇に当てた。 * * *  次の週末……連休の初日。  遅い時刻に起きて、軽い昼食をすませてから、指定された淀川のアパートへと向かった。  地下鉄を降りて、徒歩十分弱。  空はどんよりと曇っていて、雨になりそうな雰囲気だった。湿度は高めだけれど、あまり暑くないのは幸いだった。  私は、某お嬢様女子校の中等部の制服――〈パパ〉が買ってくれたもの――を着ていた。  淀川と電話とメールで打ち合わせて決めたものだ。リクエストは〈いいところのお嬢様っぽい服装、中高生らしくて、過度に露出しないもの〉ということで、私が挙げた手持ちの〈仕事着〉のリストから、淀川が選んだのがこれだった。  同じ女子校の高等部の制服も持っていたけれど、中等部の制服の方が可愛らしいとか、高校生よりも中学生の方がイケナイ雰囲気が出ていいとか、そんなことを言っていた。  長い髪は一部分だけ編み込んで、上品かつ可愛らしい雰囲気を醸し出している。  縁なしの眼鏡で、真面目な優等生っぽい演出をしている。  学校にいる時と同様、表情のない顔。  気軽に愛想を振りまいたりはしない、クールなお嬢様。  それが、今日の私の設定だった。  さて、どんな相手と、どんなことをさせられるのだろう。  メールで送られてきた地図を見ながら、歩いていく。  場所が特殊なラヴホテルではなく淀川のアパートだから、それほど過激なことではないのかもしれない。今日は隣人が留守だから、多少大きな声を出しても平気とは言っていたけれど。  歩きながら、ふと思いついて、コンビニでミネラルウォーターを買い、〈クスリ〉のカプセルをひとつ飲んだ。  たとえアブノーマルなシチュエーションであっても、撮影のための演技と割り切ってしまうとつまらない。〈クスリ〉を飲めば興奮するし、感じやすくなる。多少なりともリアルっぽく受けとめることができるだろう。  これで、準備はできた。  淀川のアパートが見えてくる。  前回訪れた時は夜だったし具合が悪かったから、外観なんて覚えていなかったけれど、地図を見れば間違いない。  どんなセックスをするのか予想できない状況って、少し、いいかも。  そんなことを想いながら、呼び鈴を押した。 * * * 「………………」  部屋の中に通された私は、しばらく言葉を失っていた。  驚きに目を見開いて、二度、三度と瞬きを繰り返し、目に映っているものを確認する。  私の前に立つのは、無表情ながらも微かに笑みを浮かべた淀川。  その隣にいるのが…… 「…………今日の、相手?」 「そう」  表情にはほとんど出ていないだろうけれど、内心、かなり驚いていた。まったく予想外の相手だった。 「…………少し、驚いた」 「そのために内緒にしておいたんだもの」  淀川の笑みが大きなくなる。悪戯に成功した、という表情だ。  隣にいる私の相手も……たぶん、笑っているのだろう。こちらは無邪気な表情を浮かべている。  ……金色の尻尾をぱたぱたと振りながら。  ……。  ……そう。  淀川が用意していた〈相手〉は、大きな、美しい毛並みの、ゴールデンレトリーバーだった。 「…………獣……姦?」 「うん。さすがに、動物は経験ない?」 「………………同性のネコなら」  淀川には聞こえない程度に、ぽつりとつぶやいた。 「え?」 「……なんでもない」  この時考えていたのは、もちろん本物の猫ではなく、先日のみーことのセックスのことだった。 「獣姦モノのアンソロの仕事が入ってさ。評判がよければシリーズ化するっていうし、気合い入れて描いてみようと思って」 「……このオトコ、どうしたの?」  〈犬〉ではなく〈オトコ〉と呼んだのはわざとだ。それが、セックスの相手であることを強調する意味で。  淀川の飼い犬ではあるまい。夏休みに来た時には犬を飼っている気配なんてなかったし、そもそもゴールデンはアパートで飼う犬でもない。 「大学の友達に借りてきた」 「……借り物をこんなことに使って大丈夫? それに、うまくできるかしら。いくら私でも、本物の牡犬を誘惑するやり方なんて知らないわ」 「んー、それはたぶん大丈夫。その友達も、実はこーゆーことしてるんじゃないかって思ってンだよね、私は」  獣姦なんてかなりアブノーマルな行為だろうに、実践している人がそんな身近にいるとは驚きだ。 「……だったら、その友達に頼めばよかったのに」 「それとなく、ほのめかしてはみたけどね。でもあれは「絶対にやだ」って反応だったな。獣姦なんてアブノーマルなこと、人知れずこっそり楽しむのはいいとしても、他人の見ている前でなんて抵抗あるでしょ、普通の人は。いや、普通の人は、ノーマルなセックスだってカメラの前じゃできないか」 「……普通の人は、獣姦もしないと思うけれど」  私でさえ未体験なのだ。  犬とのセックス。舐めさせるだけとかならともかく、最後までとなるとかなりハードルは高い気がする。 「それに、キャラが違うんだよねー。いま考えてるヒロインはクールビューティなお嬢様系で、他人に心を開かないタイプ。唯一心を許す相手が、子供の頃から飼っていた愛犬で、ついにはセックスしてしまうって展開なの。でもその友達は、顔は可愛いし巨乳なんだけど、ぽっちゃり、ぽわぽわ系で、人当たりがよくて……イメージが違うんだわ」  そう言って苦笑した。 「その点、莉鈴なら雰囲気ぴったりなんだけど……っていうか、莉鈴のことを考えてヒロインの設定決めたんだけど、さすがに犬はだめ?」 「…………別に、どうでもいいわ」  素っ気なく応える。  確かに最初は驚いたけれど、考えてみれば、相手が人間だろうと犬だろうと、牡であればやることは一緒だ。それに、私が普段セックスしている相手は、ケダモノ同然の早瀬である。  いいかもしれない――そう、思った。  人間ですらない、本物の獣に穢される。  私のような女には相応しいことかもしれない。  そう考えると、昂ってしまう。  床に膝をついて、目線を〈お相手〉と同じ高さに下げた。 「……彼の、名前は?」 「ラッシー」 「……それって、コリーの名前じゃないの?」  犬の名前としては、世界でもっとも有名なもののひとつ。それだけに、犬種が違うと違和感がある。 「別に、ゴールデンにラッシーって名前つけてもいいんじゃない? たとえば三毛猫にタマとか、白猫にミケって名前をつけちゃいけないなんて決まりもないでしょ」  言われてみればその通りだ。しかし三毛猫にタマはともかく、白猫にミケと名付けるのは相当なへそ曲がりだろう。  ラッシーに顔を近づける。  いきなり、口元を舐められる。  人見知りはしない性格のようだ。軽く尻尾も振っていて、愛想がいい。  私も口を開いて舌を出す。  舌と舌が触れ合う。 「これ、使うといいよ」  そう言って淀川が渡してくれたのは、蜂蜜の入った小さなプラスチックボトルだった。  なにに使うのか、は聞くまでもない。  舌を伸ばして、その上に小さじ一杯分弱を垂らす。  そうして、ラッシーの前に顔を突き出す。  たいてい、動物というのは甘いものに目がない。ラッシーも例外ではなく、貪るような勢いで、口を、舌を、押しつけてきた。濃厚なディープキス同様に、舌と舌が絡み合う。  これまで犬を飼ったことはないから、犬とのディープキスは初めての経験だった。人間相手と変わらず、いや、それ以上に気持ちいいかもしれない。なにしろ相手は、舌の長さと器用さでは人間の比ではない生き物である。  身体の芯が、熱くなってくる。〈クスリ〉もそろそろ効きはじめているし、私もスイッチが入ってしまいそうだ。  ラッシーとのキスに、本気になってしまう。  彼は夢中で蜂蜜を舐めている。口の中の甘みがすっかり舐めとられてしまう頃には、淀川の撮影の準備もできたようだ。  ビデオカメラは二台。一台はベッドの横に三脚で固定され、もう一台は淀川が持っている。  一眼レフのディジタルカメラも二台。こちらも一台はビデオカメラ同様に三脚に乗せてある。  あとは私が、レンズの視界に入ればいい。  ラッシーから口を離し、間近で見つめ合う。  黒い、大きな瞳。けっこうハンサムかもしれない――ゴールデンとしては。  軽く首を傾げるような仕草を見せている。 「……あなた、甘いものが好きなのね。もっと、欲しい?」  言っていることがわかるのだろうか。微かにうなずいたように見えた。  私も静かな笑みを浮かべる。 「……いいわ、こちらにいらっしゃい」  立ち上がって、スカートのファスナーを下ろす。  足元に落ちたスカートを拾いあげ、闘牛士のムレータのように、ラッシーの目の前でひらつかせた。  その動きに誘われて、後をついてくるラッシー。  私はベッドの上に座り、脚を大きく開いた。  今日の下着は〈お嬢様〉らしく、レースの高級品だ。  恥丘の上で、蜂蜜のボトルを逆さにする。純白のレースの上に、黄金色の糸が滴る。 「……おいで」  笑みでラッシーを誘う。  お嬢さまらしく、淫猥さは抑えて、適度に上品に微笑む。  多少のあどけなさも残し、やや大人っぽい中学生が、精いっぱい背伸びして男を誘惑しているという雰囲気で。  その効果か、単に蜂蜜に目がないのか、ラッシーはこちらが退くくらいの勢いで鼻先を押しつけてきた。  大きな長い舌が、下着に押しつけられる。偶然か、ちょうどいちばん敏感な部分を狙い撃ちされる形になった。 「――っっ!!」  鋭い刺激。  一瞬、身体に電流が走ったような感覚だった。 「ん……っ、く、……ぅんっ!」  ぴちゃぴちゃと音を立てて舐めはじめるラッシー。  それは純粋に蜂蜜が目当ての行為のはずなのに、私を悦ばせようとする人間の男の舌よりもずっと気持ちよかった。下着の上から舐められただけで、びりびりと痺れるようだ。  唇を噛む。  上半身の筋肉が強張る。 「……ぁっ! ……これ……いィ……っ、くぅ……っ」 「いいね、その調子で続けて」  ビデオカメラを構えた淀川に視線を向ける。  カメラから伸びたケーブルは、壁際の大きな液晶テレビにつなげられ、私の姿が映し出されていた。  股間にラッシーの鼻先を押しつけられて、甘い声をあげて喘いでいる。 「い……ィいっ……んっ、んんっ……んぅんっ!」  必死に抑えて、あまり大きな声は出さない。  今日の設定は〈お嬢様〉だから、あくまでも〈お淑やか〉が基本。  だけど、抑えきれない。  ラッシーの舌は、気持ちよすぎる。  我慢できなくなってしまう。  すごく気持ちよくて、だけど、ぎりぎりのところでおあずけされている感覚だった。薄いレースの下着の存在さえ、邪魔になっていた。  もっと、気持ちよくなりたい。  この気持ちいい舌に、直に舐められたい。  もっと感じたい。犬に舐められて、めちゃめちゃに乱れたい。〈お嬢様〉の演技なんてできなくなるくらいに。 「……ちょっと……待って」  甘みがなくなったのか、舐める勢いが少し衰えた隙に、ラッシーの頭を押し戻した。  下着を脱ぐ。  上半身は上品で可愛い制服のままなのに、下半身はオーバーニーソックスだけの裸、局部が露わにされる。  蜂蜜のボトルのキャップを外す。  もう、上から垂らすなんて生易しいことはしていられない。 「ん……っ」  細くなったボトルの先端を、挿入する。  柔らかなプラスチックボトルをぎゅっと押す。  自分の中に、蜂蜜を注ぎ込む。  少しくらい、奥まで入ってしまっても平気。だって、ラッシーの舌は人間よりもずっと長くて器用だから。  膣内で、私の愛液と蜂蜜がブレンドされていく。 「……いらっしゃい、ラッシー」  たっぷりと蜂蜜を流し込むと、指で割れ目を開いて誘った。  間髪入れず、ラッシーが顔を押しつけてくる。 「あひゃぁぁぁっっ! あぁぁっっ!」  いきなり、悲鳴を上げてしまった。  性感帯に直に触れる犬の舌の刺激は、想像を超えていた。  凄い勢いだった。その動き、その速さ、人間の舌には真似ができない。  割れ目に押しつけられるラッシーの舌。  とても長くて、自在に動く器用さを持っている。  既に濡れそぼっていた私の陰部は、それをすんなりと受け入れてしまう。  私の中に、入ってくる。  偶然ではなく、ラッシーが意図した動きだった。  膣から染み出る蜂蜜を、一滴残らず舐め取ろうとする。  人間よりもずっと長い舌が、割れ目や入口周辺だけではなく、奥の方まで届いている。  その動きは人間とは比較にならないほどに速く、激しく、力強かった。 「あぁ……っ、あっ、ぁんんっ! んっ、くぅん……っ、んはぁぁぁっ!」  びちゃびちゃと音を立てて、大きな舌が割れ目全体を舐める。  クリトリスを舐め上げられると、視界が真っ白になる。一瞬、意識が飛ぶ。  舌が中に入ってくる。  信じられないくらい、奥まで。  気持ち、いい。  気持ち、いい。  こんな経験をしてしまっては、もう、人間にされるクンニリングスなんて話にならない。この快感に比べれば、つまらない子供だましのようなものだ。  しかもこの舌の勢いは、いつまでも止まらない。  疲れもせず、飽きもせず、人間の男には不可能な勢いで舐め続けている。  甲高い悲鳴が絶え間なく上がる。  二度、三度、立て続けに絶頂を迎えてしまう。  しかしラッシーはお構いなしに、舐めることをやめようとしない。  私はベッドに座っているのも辛くなって、倒れるように仰向けになった。  身体を弓なりに仰け反らせる。  腰を突き上げ、ラッシーの舌をより深く導き挿れようとする。  無理に伸ばした脚が攣りそうになる。 「あはぁぁぁっっ! あぁぁっ! ひぃぃっ、ひぃぅぅっ……あぅぁっ、あぁぁ――っ!」  舌の動きは止まらないどころか、むしろ加速していくようだった。  びちゃびちゃと、泥濘をかき混ぜる音が続く。  私の悲鳴も止まらない。  舌が、私の中で蠢いている。  複雑で、襞が絡みついてくるようだと評判の膣。その襞のひとつひとつの隙間まで、くまなく舐め回している器用な舌。  それが、私を狂わせる。  いつまでも続く、激しすぎる愛撫。  人間の舌には不可能な持続力で、何度も、何度も、私に悲鳴を上げさせる。  心底、気持ちよかった。  犬に舐められて、本気で感じていた。悦んで、腰を振っていた。  いつまでも、こうしていたかった。 「ラッシーも、その気になってきたみたい」  淀川の声で我に返る。  見ると、ラッシーのお腹の下から、普段は毛皮に隠れて見えないペニスが顔を覗かせていた。  赤い、生肉の色をしていた。  太さは人間のものより細めだけれど、長さはそれなりだ。  これまで、ラッシーにとっては甘いおやつに夢中になっていただけで、性欲ではなく食欲で行動していたはずなのに、いつの間に勃起していたのだろう。  私が発する〈牝〉の匂いに反応して、その気になったのだろうか。  舐めるのをやめ、私の身体に覆いかぶさろうとしている。 「ん……」  舌による愛撫で感じすぎたせいか、力が入らない。それでもなんとか、身体の向きを変えた。  俯せになって、ベッドに手をついて、膝を立てて、四つん這いになる。  交尾する牝犬の体勢。 「……いいわ……来て」  誘うようにお尻を振る。  間髪入れず、ラッシーが背後から抱きついてきた。  私の上にのしかかって、胸のあたりに前脚を回してしっかりとしがみついてくる。苦しいくらいの力だった。  そして、腰を押しつけてくる。  その勢いも凄い。めちゃくちゃに腰を振っている。  ペニスの先端が、内腿やお尻、そして割れ目に当たる。  その都度、身体がびくっと震える。  だけど、なかなか入ってこない。人間のように、手を添えてゆっくり挿入しようなどとは考えないらしい。ただ闇雲に腰を振っているように思える。本物の牝犬には、これをスムーズに受け入れられる身体の仕組みが備わっているのだろうか。  私としては、意図的に焦らされているような気分だった。さんざん舐められて昂ったところで、ペニスが当たって、擦られて。  なのに、挿入してもらえない。 「んっ……んくぅ……んっ」  なんとか受け入れようと、ラッシーに合わせるように腰を振る。  そして…… 「ぅ……ん……あぁぁぁんっっ!」  入ってきた。  ラッシーのペニスが私を貫いた。  待ち望んでいたものを与えられて、歓喜の悲鳴を上げる。  ラッシーはさらに勢いを増して、腰を打ちつけてくる。  人間の男よりもずっと速い、獣ならではの、機関銃のような動きだった。 「あっ、あぁっ、あんっ、あぁっあぁぁんっあぁぁっあぁぁぁ――っ!」  激しく擦られ、膣の粘膜が灼けそうだった。深く、深く、打ち込まれてくる。 「あぁぁっ、あぁ……ぁぁんっ! おっ……きぃ……んっ」  私の中に在るものは、だんだん大きくなってくるようだった。もう明らかに、平均的日本人男性のサイズよりを超えている。人間と違って、挿入後に本格的に大きくなるのだろうか。 「あぁっ……いィ……これっ、あんっ、あぁ……」  狭い膣の中を、膨らんだペニスがいっぱいに満たしている。  濡れた粘膜同士が絡み合い、ひとつに溶け合うような感覚だった。  すごく、熱い。  人間とする時よりもずっと熱く感じる。犬の方が体温が高いためだろうか。  人間とのセックスとはずいぶん違う感覚。精神的なものだけではなく、肉体的にも、想像していたよりもずっと気持ちいい。  背中やお尻に触れる毛皮の柔らかい感触も、獣ならではのものだった。 「あっ……んんっ、あぁんっ! あぁっ……あぁ……、……えぇっ?」  初めて体験する快楽に浸っていたところで、ふと、違和感を覚えた。  すごく大きくなって、私の中をいっぱいに満たしていたラッシーのペニス。  それが、さらに大きくなっているように感じる。  それも、入口近くだけが。  拡げられて行く痛み。  早瀬のものよりも太い気がする。 「う……そ……、まだ、大きくなるの……?」  さすがに、怖くなってきた。  なにしろ獣姦なんて初めての経験なのだ。ラッシーのペニスがどこまで大きくなるのかもわからない。いくらなんでも、これ以上大きくなるというのは少し恐い。  思わず、助けを求めるような視線を淀川に向けた。 「あは……、それ、瘤だよ」 「……こ、ぶ?」 「知らない? 犬科の動物って、交尾の時、ペニスの根元が瘤状に膨らむの。それが栓になって、抜けたり、精液が漏れたりするのを防ぐんだって。テレビの動物番組とかで、牝が引っ張られるように交尾しているところ、見たことない?」  いわれてみれば、そんな光景を見たことがあるかもしれない。  どんなに締まりがよくても、棒状のペニスでは、力いっぱい引っ張られても抜けないようにするなんて不可能だ。しかし、球状ならばあり得る話だった。 「……合理的ね……ぁんっ、それに……すごくっ……気持ち……いいぃっ!」  腰が、勝手に蠢いてしまって止まらない。  膨らんだ瘤に、入口周辺の敏感な部分が刺激される。  そして、大きなペニスが奥まで詰め込まれている。  不思議な感覚だった。  深々と貫かれる感覚と、入口が限界まで拡げられる感覚が同時に襲ってくる。  もう一度、モニターに視線を向けた。  そこに映し出されているのは、紛れもなく、犬とセックスしている私の姿。  四つん這いになって、大きな獣に背後からのしかかられている。  いやらしい顔をしていた。だらしなく開いた唇から、涎が流れ出している。  ラッシーも大きく口を開けて、長い舌を伸ばして荒い呼吸をしていた。涎が、背中に滴り落ちる。  過去、数え切れないほど経験してきた人間相手のセックスとは、またぜんぜん違う光景だ。  だから、興奮してしまう。  私は今、犬と、獣と、セックスしている。  そのことに嫌悪感を抱くどころか、本気で感じてしまっている。  そんな自分は唾棄すべき存在であるけれど、だからこそ、興奮してしまう。  犬に犯されて悦ぶ女。  犬とセックスして、本気で感じてしまう女。  私に相応しい姿、相応しい称号ではないか。  だから、もっと感じたい。  もっと、堕ちたい。  絶頂を迎えるために、下半身に意識を集中する。  なのに――  そんな楽しみを妨げる、邪魔者が乱入してきた。  いきなり、玄関の呼び鈴が立て続けに鳴らされる。  淀川が対応するまでもなく、ドアが乱暴に開かれる。  床を踏み抜きそうな足音とともに、飛び込んでくる大柄な男。  淀川は驚いた様子もなく、むしろ、意地の悪い笑みを浮かべていた。  室内の光景を見た瞬間に凍りついた男に向かって、からかうように言う。 「早かったわね、トシ。……新記録?」  いうまでもなく、飛び込んできたのは早瀬だった。  汗をかいて、息を切らせている。  口をぱくぱくさせているのは、走ってきて呼吸が苦しいせいか、それとも、眼前の光景に言葉を失ったせいか。  手に、携帯電話を握っている。  それを見て、状況を察した。  私が気づかないうちに、淀川は早瀬にメールで知らせていたのだろう。ここで、今、なにが行われているのかを。  もしかしたら、写真や動画も添付されていたのかもしれない。もちろん、そんなものがなくても効果は大差なかっただろうけれど。  それを見て、早瀬は大慌てで走ってきたというわけだ。当然、見過ごせることではあるまい。 「……な……なんだよ、これ!?」  声が震えている。 「見ての通り。莉鈴ちゃんの獣姦初体験」  淀川は平然と応える。 「な……なんで、こんなこと……」 「私の新作のためのモデル。前から頼んでたのよ」 「ばっ……、や、やめさせろ! すぐに!」 「……どうして?」  激昂している早瀬と、いつも以上に冷静な淀川。  両極端のふたりの対比。  挑発的な視線を早瀬に向ける。 「どうして、って……」 「莉鈴ちゃんは、あんたの彼女?」 「……違う」 「あんたの所有物?」 「……」 「あんたひとりに操を誓ってる?」 「…………」 「なぜ、莉鈴ちゃんの行動について、あんたに口出しされなきゃならないの? 私が個人的に彼女にお願いして、快く引き受けてもらったことだもの。あんたにとやかく言われる筋合いはないし、そんな権利はない」  言っていることは正論ではあるけれど、その口調はかなり挑発的で、早瀬をわざと怒らせようとしているのは明らかだった。 「……ばっかじゃないの? ちょっとセックスしただけで、俺の女気取り? だいたい、普段から援交とかしてる子じゃない。それとも、スケベオヤジに金で買われるのはよくて、この可愛い犬とセックスするのはだめなの?」 「……っ」  たたみ掛けるような淀川に対して、早瀬は反論できずにいる。 「あんたなんか、莉鈴ちゃんにとっては大勢のセフレのひとりでしかないじゃない。なに怒ってンのよ、バカ」  まったく容赦なく斬り捨てた。  怒らせようとしているというか、弟苛めが趣味なのかもしれない。  確かに、早瀬とは、私がどんな人間であるかを理解した上での関係なのだ。誰となにをしようと、早瀬に口出しする権利はない。  だからといって、早瀬にとっては愉快なことではあるまい。普段から、〈デート〉の後とか、他の男との関係をほのめかす発言をした時とか、あからさまに機嫌が悪くなるのだ。  ましてや今回は、私と早瀬の関係を知っている実の姉が手引きしたことなのだから、怒らずにいられるわけがない。  不機嫌どころではない。かなり本気で怒っている表情だった。  三十センチ近い身長差で、淀川を見おろしている。  顔は怒りに歪んでいる。  その表情は先日の、教室での騒ぎの時の早瀬を想い出させた。  拳を握りしめている。  盛り上がった腕の筋肉が、小刻みに震えている。  今にも淀川に殴りかかりそうな雰囲気だった。  あの、叩き割られた机の天板が脳裏に浮かぶ。  華奢な私にしてみれば、想像を絶する怪力だった。  あの豪腕が、拳が、淀川に叩きつけられたら、どうなってしまうのだろう。  考えるまでもなく、大怪我はまぬがれない。  だから思わず、姉弟げんかに口を挟んでしまった。 「……早瀬、いいところなんだから、邪魔しないで」  早瀬の視線が私に向けられる。 「…………これ、すっごく気持ちいいの。邪魔するなら帰って」  淫靡な笑みを浮かべつつも、強い口調で言った。  早瀬の表情が微かに変化する。怒っているのは相変わらずだけれど、ほんの少し、困ったような顔になる。  この状況で淀川を殴ることはできても、私に拳を向けるわけにはいくまい。淀川の言う通り、早瀬にそんな権利はない。  私と早瀬は、私の気まぐれでセックスしているだけの関係なのだ。その私が淀川寄りの立場を明確にすれば、早瀬は怒りを露わにできなくなる。淀川に怒りをぶつけることもできまい。 「……おとなしくしているなら、見ていてもいいわ。……本物の獣姦を生で見る機会なんて、滅多にないわよ?」  悔しそうに唇を噛んでいる早瀬。  握られた拳も、震える腕も相変わらずだけれど、一瞬前までの暴発しそうな殺気は薄れはじめていた。とりあえず、今すぐその拳が振るわれることはなさそうだ。  それでも、立ち去ろうとはしない。少し距離を置いて、私を睨んでいる。  彼の性格を考えれば、そうなるだろう。DVDの時もそうだった。腹立たしげな表情で、しかし、片時も目を逸らさずに見ていた。  結局のところ、早瀬にとっての私はまず第一に性欲の対象なのだ。私の痴態から目を背けられるはずがない。  それにしても、淀川はどうしてこんなにも早瀬に対して挑発的なのだろう。  前回、早瀬の部屋でもそうだった。  一般に、姉弟というのはこんなものなのだろうか。私はひとりっ子なので、そうしたことはよくわからない。  恐くはないのだろうか。  早瀬が本気で怒って腕力に訴えたら、女としても小柄な淀川など為す術もないだろうに。  十六年間、一緒に暮らしていた者の自信だろうか。  もしかしたら、私が口出しする必要などなかったのかもしれない。早瀬が淀川に対して簡単に拳を振り上げるような性格であれば、これまで無事だったはずがない。  とはいえ、早瀬が好意を寄せる私という存在は、あのふたりの間にこれまで存在しなかった新しい要素だ。恋愛感情が家族愛を凌駕する可能性は少なくないだろうに。  しかし淀川の態度を見ていると、口出しなどしなくても平気だったのかもしれない。  とにかく、いちばん危険な状態は脱したようだ。  淀川はまたカメラを構え、早瀬は、怒りを基調とした複雑な表情で私を睨めつけている。  そこで私は、ラッシーと、彼が与えてくれる感覚に意識を戻した。  室内の騒ぎをよそに、ラッシーは元気なままで、私の中をいっぱいに満たしていた。  奥の奥まで突き入れられている、太いペニス。  引き裂かれそうなほどに入口を拡げている、大きな瘤。  それらに意識を向ければ、軽く腰を動かしただけで達してしまいそうだった。  引っ張られると、内臓を引きずり出されるような感覚がよすぎて、悲鳴を上げてしまう。人間のペニスではありえない、不思議な感覚だ。  これと同じような、瘤つきのバイヴなんてものがあったら売れるかもしれない。だけど、挿入後に瘤を膨らませる仕掛けが難しいだろうか。かといって、最初から大きいままでは挿入するのも難しい。  そんなことを想いながら、ちらりとモニターを見る。  いや、やっぱりだめだ。バイヴなんかじゃだめだ。  これは、獣に穢されているというところがいいのだ。無機的な機械では、獣を相手にしているという背徳感がなくて興醒めに違いない。 「あっ……ん……ぁぁっ!」  熱いものが流れ込んでくる。  だけど、普段の射精の感覚とは違う。 「あ……なにか……流れ込んでくる……すごく、熱いの……。これ……射精……?」 「だね。人間みたいに一気に放出するんじゃなくて、時間をかけて出すらしいよ。で、トータルの量では人間よりも多いんだって。瘤で栓をされているから、それが一滴残らず子宮に注ぎ込まれる……って考えたら、ぞくぞくしない?」 「……そうね……素敵だわ」  獣の体液が、私の胎内を満たしていく。その光景を想像して興奮する。  膣奥が、子宮が、びりびりと痛いほどに痺れるよう。  感じすぎて、身体に力が入らない。  腕で上半身を支えているのも辛くなって、ベッドの上に突っ伏した。  お尻だけを突き上げた体勢になる。 「あ……ァ……、いぃ……あぁっ! あ、ん……っ! あぁぁっ!」  喘ぐために口を開くたびに、涎がこぼれる。  力が入らないのに、腰から下は、意志を持った別の生き物のように勝手に蠢いてしまう。  そして、私を狂わせる。  モニターに映し出されているのは、大きな犬に犯されて、だらしなく口を開けて悶えている少女。  その姿には、人間の尊厳など微塵もない。  犬に与えられる快楽に浸って、悦んでいる。  この姿、いい。  後で、DVDにダビングしてもらおう。  普通のアダルトビデオより、ずっと興奮する。  〈演技〉じゃないから。  犬とセックスして、なのに本気で感じているから。  しかもその姿を、私に好意を抱いている男に見られている。  これ以上はない屈辱。  だから、興奮してしまう。  どんどん、昂っていく。  そして、 「いぃ……いぃのぉ……っ! これ……っ! あぁぁぁぁ――――っっ!!」  ついに、達してしまった。  犬とセックスして、本気でいってしまった。  全身から力が抜けていく。  視界が暗くなり、失神しそうになる。  だけど、まだ大きなままの瘤の刺激が、それを許してくれなかった。 * * *  ラッシーとつながっていたのは、かなり長い時間だったような気がする。  最後の方は、もう意識が朦朧としたわけもわからない状態で、記憶も曖昧だった。  気がついた時には、ひとりでベッドに寝ていた。  下半身は裸のまま、愛液と精液にまみれて、それに汗も加わってシーツはぐっしょりと濡れていた。  ラッシーは満足げに昼寝をしていて、淀川は楽しそうに動画や写真をチェックしている。  ただひとり早瀬だけが、これ以上はないくらいに不機嫌そうな顔をしていた。  DVDをダビングしてもらっている間に、シャワーを浴びた。  不思議なくらい、落ち着いていた。  いつものセックスの後のような、不安定な精神状態にはなっていない。あの、まるで禁断症状のように襲ってくる、自傷を求める衝動も今は希薄だった。  相手が、獣だったからだろうか。  獣に穢される――それは〈罪〉であると同時に、それ自体が人間としてのプライドを引き裂く〈罰〉でもある。だから、それ以上の罰を求める必要はないのかもしれない。  だけど、この後の展開を予想すれば、落ち着いた状態も長くは続かないだろう。  だから、念入りに身体を洗った。  膣の中もシャワーを当てて、指を奥まで挿れて、綺麗にした。  本当は、洗い流したくなかった。  犬の精液が胎内に在る――そう想うだけで興奮してしまう。  だけどやっぱり、洗っておくのがマナーだろう。  おそらくこの後、早瀬にされることになるはずだ。  淀川が、早瀬に、私を送っていくようにと言っていたから。  車で送っていってあげたいけれど今日中にラッシーを返しにいかなきゃならないし、今すぐ描き始めずにはいられないくらい創作意欲が盛り上がっているから――と言っていたけれど、本音は、これも早瀬に対するいやがらせかもしれない。  今、私と一緒にいることは、早瀬にとっても苦痛だろう。  淀川のアパートを出ると、外はもう暗くなっていた。空は厚い雲に覆われているから、暗くなるのも早い。  早瀬は私の手首をつかんで、引っ張るように歩いていく。  遠目には手をつないで歩いているように見えなくもないけれど、実際には、そうしなければ逃げ出してしまうとでもいうくらいに力を込めて私をつかまえていた。  こんな風に早瀬と歩くなんて、初めてかもしれない。  早瀬の家からの帰りは、自力で歩けなくて抱いていってもらうことが多いし、そうでなければ手なんてつなげないくらい距離を空けている。  そもそも、自分で歩けるなら早瀬に送ってもらうことも少ない。ひとりで帰る私と、勝手に後をついてくる早瀬、という構図になるから、必然的にふたりの距離は広くなる。  歩いている間、そして地下鉄に乗っている間、ふたりともずっと無言だった。  私の方から早瀬に言いたいことなんてない。  早瀬も、相変わらず怒ったような顔で唇を噛みしめている。  駅に着くと、私の腕を引っ張るようにして電車を降り、改札を抜けた。  私と早瀬は、最寄りの駅は同じだけれど、駅を出てからの方向はまるで違う。しかし早瀬は当然のように、自分の家の方へと引っ張っていった。 「…………あなたの家へ、行くの?」  わかっていたことだけれど、あえて確認するように訊く。 「ああ」 「……そう」  機械よりも抑揚のない声のやりとり。  淀川のアパートからここまで、唯一の会話がこれだった。  予想していたことだし、抗ったところで敵うはずもない。そして、拒絶する理由もない。  黙ってついていく。  早瀬は少し、早足になっているようだった。  握り締められている手首が痛い。早瀬が本気を出せば、握られただけで腕の骨を折られるのではないだろうか。  早瀬の家に、早瀬の部屋に、連れ込まれる。力加減を考えれば、引きずり込まれたという表現が正しいかもしれない。  部屋のドアを閉めたところで、ようやくつかまれていた腕が放された。  早瀬が私を睨んでいる。  怒りと欲望が入り混じった、肉食獣のオーラを放っている。 「……私と、セックス、したいの?」 「……ああ」 「…………へぇ」  嘲笑うように唇を歪める。 「犬とセックスして、本気で感じて、何度もいっちゃうような女に欲情するんだ? あなたも相当な変態ね」  わざと、怒りを煽るように挑発する。 「大きな瘤まで突っ込まれて、犬の精液でどろどろにされたまんこに挿れたいの? そんなにいいのかしら、こんなものが」  スカートの中に手を入れ、制服はそのままに、下着だけを脱いだ。  脱いだスカートでラッシーを挑発した時のように、小さな布を早瀬の前で振る。  それを広げて見せる。中心に、小さな染みがあった。 「……濡れちゃってる。電車の中で、ラッシーとのセックスを想い出していたからかしら。……あれは、すごく気持ちよかったわ」  早瀬はかなり怒っている。  目つきがさらにきつくなる。  その顔は、さっき淀川に挑発された時や、教室で机を叩き割った時を彷彿とさせた。 「すっごく、よかった。……もちろん、あなたに犯される時よりも、ずぅーっと、ね」  拳を握った腕の筋肉が盛り上がる。  ハイエナを虐殺する雄ライオンのような、獣の気配が充満する。  今日は、本気で怒らせるつもりだった。  それができる、せっかくのチャンスだ。  早瀬の〈本気〉の怒りをぶつけられる――想像しただけで身体が熱くなる。これも一種の自傷行為だろうか。  顔から笑みを消す。  感情の消えた顔で、無機的な声で、言った。 「…………犬以下」  早瀬の表情が歪んだ。右腕が動いた。  本能的に、身体が強張る。  今度こそ、本気で殴られると思った。それだけの破壊力がある言葉だったはずだ。  しかし振り上げられた腕は、私に叩きつけられる前に勢いを失い、肩をつかむようにしてベッドに押し倒しただけだった。  巨体が覆いかぶさってくる。  スカートがまくり上げられる。  脚をつかまれ、股関節が軋むほど乱暴に開かれる。  そして、一気に貫かれた。 「――――っっ!!」  顔の代わりに、膣の中を殴られたような衝撃だった。  二度、三度。拳と変わらないくらいに硬いペニスが激しく叩きつけられる。  上着もまくり上げられる。ボタンが弾け飛び、制服の縫い目が悲鳴のような音を立てる。  パンツとおそろいのブラジャーが引きちぎられる。  乳房を握り潰さんばかりに、指が喰いこんでくる。  その間も、腰は全体重を乗せて叩きつけられる。破壊力はラッシーの比ではない。  さすがに、いつも以上に乱暴な幕開けだった。本当のレイプだって、ここまで強引ではないのではないか、と想うほどに。 「――っ、ひっ……っっ! んぅ……っ!」  あまりの激しさに、まともに悲鳴も上げられない。  腰が叩きつけられるたびに、殴られるのと変わらない衝撃が身体を貫く。  意識が飛びそうになる。  しかし早瀬は、さらに加速していく。 「ひぎぃっっ、んんぅ――――――っっ!!」  お腹を貫くほどに叩きつけられる。  一気に引き抜かれる。  そして、熱い白濁液の雨が全身に降りそそいだ。  間髪いれず、また貫かれる。  勢いはまったく衰えることなく、むしろさらに激しく、私を犯し続ける。  私はか細い嗚咽を漏らしながら、早瀬の、血に飢えた獣のような目を見つめていた。 * * *  早瀬は夜中過ぎまでずっと、私を陵辱し続けていた。  激しいのはいつものこととはいえ、今夜は桁が違った。  片時の休憩もなしに、ずっと、私を貫いていた。  引き抜かれるのは、貫く場所を変える時だけ。  性器、口、お尻。  どこも、これまでにない激しさで、ただがむしゃらに犯していた。  行為の激しさもさることながら、今日の早瀬は、表情が、まとっている気配が、いつも以上に怖かった。  〈パパ〉とのデートの後とか、茅萱とした後とか、先日、淀川の前でした時とか。怒っている早瀬としたことは何度もあるけれど、今日は明らかに次元が違う。  そんなに怒っているなら、殴ってくれてもよかったのに。  朦朧とした頭で想う。  あの拳を叩きつけられていたら、どうなっていたのだろう。  大怪我は間違いない。骨なんか一撃で折られそうだ。  当たりどころによっては、私くらい簡単に殺せるのかもしれない。  早瀬にめちゃめちゃに殴り殺される自分の姿――考えただけでぞくぞくする。  堪らなく惹かれる光景だ。  自ら死を選ぶことはできない。それは、安易な逃げだから。  だから、強制される死――それもできるだけ無残な姿で――に、惹かれてしまう。  だけど今日のところは、その想いが叶えられることはなさそうだった。  激怒している早瀬を見るのはこれで三度目だけれど、結局、女の子に手を上げたことは一度もない。  どれほどの怒りに包まれていても、ぎりぎりの自制心は働くのだろうか。  その怒りのエネルギーを性欲として私にぶつけはするものの、純粋な暴力として行使されたところは見たことがない。  一度くらい、抑え切れなくなったことはないのだろうか。特に、執拗に挑発を繰り返す淀川に対しては。  それとも、淀川にいびられ続けているからこそ、耐性ができているのだろうか。  淀川や茅萱は、見たことがあるのだろうか。  本気で怒った早瀬の姿を。その拳が振るわれるところを。  怒り狂った獣の姿を見ても、茅萱は早瀬を好きだと言い張るのだろうか。  そして淀川は、あれだけ怒らせて怖くはないのだろうか。絶対に傷つけられないという自信の根拠はなんなのだろう。 「…………?」  なんだろう。  なにか、心に引っかかるものがある。  なにか、違和感を覚える。  なにかを忘れているような。  大事なことを思い出せないもどかしさに似た感覚。  なにか……  キーワードは、早瀬と、淀川と、茅萱。  三人は幼馴染で、小さな頃から親しくて…… 「…………」  ふと、脳裏に浮かんだ映像。  淀川の、顔。  淀川の眼の下にある、傷。  あれは、なにを意味しているのだろう。 「――――っ!?」  突然、もやもやとした感覚がひとつの実体を持った。  まさか。  でも。  直感を元に、ひとつずつ、分析してみる。  まさか……だけど……  いろいろなことに、説明がつく。 「…………早瀬……あなた」  身体が勝手に、早瀬の下から逃れるように動いた。  本能的なその行動は、恐怖と嫌悪感と、どちらによるものだろうか。  私を貫いていたものが抜け出る。 「……北川?」 「……早瀬…………」  その問いを口にする前に、小さく深呼吸する。  唇を湿らせる。  「……前に、茅萱が言っていた、早瀬の好きな人って…………淀川?」 「――――っっ!?」  強張った表情が、すべてを物語っていた。  隠していた秘密を暴かれたというよりも、自分でも気づいていなかった事実を突きつけられた驚愕の表情。  早瀬を包んでいた怒りのオーラが一瞬で消え去った。 「な……なに、いきなりわけわかんねーこと言ってんだよ、姉貴なんて……」  繕おうとする声が震えていた。  言葉にして口に出したことで、連鎖反応のように考えが拡がっていく。  考えてみれば、ヒントはあったのだ。  茅萱は知っていたに違いない。いつも傍にいたから、いつも早瀬を見ていたから、気づいていたのだ。  早瀬のことが好きなのに、恋人ではない――その状況を、諦めに似た感情で受け入れていた茅萱。  なのに私に対しては、敵対心を剥き出しにして対抗してきた。彼女は本来、簡単に身を引くような性格ではないのかもしれない。  近所に住んでいる幼馴染で、普段から仲よくしていて、容姿も悪くなくて。  そんな茅萱が、しかし、戦わずして敗北を認めてしまうほどの〈特別〉な女。  私と茅萱以外に女っ気がないように見える早瀬に、そんな特別な相手がいるとしたら、その相手は?  ……唯一、〈肉親〉しかありえない。  幼馴染でも敵わない、生まれた時からずっと一緒に暮らしてきた、特別な存在。  茅萱が敗北を受け入れるしかない相手。  それが淀川……いや、早瀬 依流だとしたら、納得がいく。  この部屋で、茅萱が私に向けて発した捨て台詞を想い出した。  〈代用品〉と―― 「…………淀川って、ちょっと、私と似てるよね」 「に……似てねーよ、ぜんぜん!」  そう答える早瀬は、しかし、狼狽しすぎていた。  長い黒髪。  淀川の方が五センチくらい長身だけれど、私の方が胸が大きいけれど、それでもふたりとも女子の平均より小柄で華奢な体格。  黙っていれば陰性の雰囲気を持った美人。  〈学校モード〉の時にかけている眼鏡。  〈性〉に対する、やや……いや、かなり歪んだ嗜好。そして男性経験の豊富さ。  見間違うような意味での〈似ている〉ではないけれど、共通点は多い。  なるほど。  それで、茅萱が激昂していた理由も理解できる。  淀川が……依流がいるから、早瀬のことを諦めていた。〈彼女〉ではなく、〈仲のいい幼馴染〉の地位に甘んじていた。  なのに、依流によく似た女が現れ、早瀬がその女を依流の代用品としているとしたら――。  茅萱は、相手が依流だから諦めたのだ。その代用品にまで負けるのは我慢がならなかったのだろう。  早瀬の行動も説明がつく。  いちばんの疑問だった、健気で可愛い茅萱ではなく、私を選んだ理由。  彼が求めていたのは、可愛い〈彼女〉ではなく、本物にはけっして手が届かない〈姉〉の身代わりなのだ。  自分を虐げてきた姉への、復讐の想いも含んだ歪んだ愛情と欲望。  そのはけ口として、私を陵辱する。  だから、その行為には優しさの欠片もない。 「…………ねえ、早瀬」  ベッドから降りる。  脚に力が入らず、そのまま頽れそうになった。何時間も早瀬に犯され続けていたのだから無理もない。  それでもなんとか踏みとどまる。 「北川……」 「……バカにするなっっ!!」  思い切り、腕を振りかぶる。  全体重をかけて、早瀬の顔に右手を叩きつける。  もっとも、私が全力を出したところで、早瀬にはさしたるダメージも与えられない。逆に、手首に激痛が走った。  右手首を押さえて呻く。  殴られた早瀬は、わずかに顔をしかめただけ。  私は、怒っていた。  これ以上はないくらい、激昂していた。  珍しいことだ。  どんな感情であれ、はっきりと表に出すことは少ない。  そんな情熱を持って生きてはいない。すべては〈どうでもいい〉ことだ――と。  いつもは、そう想っていた。  だけど、この仕打ちは許せなかった。  この感情、あの時に似ている。  夏休みに、遠藤とした時。  遠藤は、私に対して欲情しているわけではないのに、私を犯した。  それが、許せなかった。  援交の〈パパ〉たちも、AV男優も、している時は〈私〉に対して欲情している。私を求め、犯している。  しかし、早瀬は違った。  その愛情も欲望も、淀川に向けられたものなのだ。  私が求めているのは、私自身を穢してくれる男だった。他の女の身代わりに陵辱されるなんて、受け入れられることではない。  茅萱のように、〈代用品〉にされることを受け入れる寛容さは持っていないし、そうまでして早瀬とセックスしたいわけではない。早瀬を心底愛している茅萱とは違う。  拳を握り、唇を噛みしめる。  口の中に血の味が広がっていく。  戸惑いを隠せずにいる早瀬。気づいてしまった感情に、困惑している様子だ。  私は乱れた衣類を整えもせず、鞄を拾った。 「……さよなら。もう二度とここには来ないわ」  そう吐き捨てて、部屋を飛び出す。  早瀬は、追ってこなかった。 * * *  早瀬の家を飛び出して走り出したけれど、すぐに息を切らして塀に手をついた。  もとより、体力のある方ではない。しかも今日は夕食も食べずに早瀬に犯され続けていたのだ。脚も腰も力が入らない。  荒い呼吸を繰り返し、少し落ち着いたところで顔を上げる。  夜中過ぎの住宅地。  空には月も星もなく、街灯の控えめな明かりだけがぼんやりと道を照らしていた。  空気が、湿っている。今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった。  歩き出そうとして、また脚から力が抜け、うずくまりそうになる。  塀につかまって、なんとか身体を支える。  手をつきながら、足を引きずるようにして歩いていく。  家まで、この体調で歩いて帰るにはやや遠い距離だった。しかし、こんな深夜の住宅地ではタクシーも拾えない。まずは広い通りに出なければ。  そう考えたところで、今の自分の姿を思い出した。  乱れた髪。  あちこち破かれ脱がされかけた衣類には、無数の精液の染み。  そして、下着も着けていない。膣から流れ出た精液が、内腿を滴り落ちている。  公共交通機関はもちろん、このままタクシーに乗るのもはばかられる姿だった。  どうしたものか……と迷っていると、携帯電話の着信音が鳴った。  早瀬からの電話。  そのまま、携帯の電源を切る。  そして、また、のろのろと歩き出す。  人気のない、深夜の街。  朝までかかって休み休み歩いて帰るというのも、おつかもしれない。  一歩。  また一歩。  ゆっくり、ゆっくりと歩いていく。  考える時間だけは、いくらでもあった。  ふと、想う。  早瀬の好きな相手は、淀川。  淀川は、そのことを知っているのだろうか。  そして、弟のことをどう想っているのだろうか。  彼女の作品に近親相姦が多かったことと、なにか関係があるのだろうか。  今さら、どうでもいいといえばどうでもいいことだけれど、少し気になった。  そんなことを考えていると、顔に、冷たい雫が当たった。  空を見上げる。  雲に覆われた空から、雨が落ちてきていた。 第八章  連休の残りの二日間は、自分の部屋で、ぼんやりと過ごしていた。  トイレと入浴以外、ほとんど部屋からも出なかった。  特になにをしていた、というわけでもない。記憶も曖昧で、食事や睡眠をとったのかすらはっきりとは覚えていなかった。  きちんと記憶している行動といえば、オナニーとリストカットくらいのものだ。  もちろん、楽しんでしていたわけではない。  ただ、どろどろとしたヘドロのような感情に包まれて、手が動くままに自分で自分を犯し、自分を傷つけていた。  携帯電話の電源を切ったままだと気がついたのは、連休最終日の夜になってからだった。  電源を入れると、早瀬からの着信履歴がいくつもあったけれど、当然、目も通さずに削除した。  少し珍しいところでは、みーこからのメールがあった。〈デート〉のお誘いだ。 『明日の午後は久々にパパとでぇとでーす! ぜひおねーさまもご一緒に♪ ってゆーか、パパよりもおねーさまとえっちしたいな(はぁと)』  着信日は昨日になっている。もう手遅れだ。  これは少し、残念だったかもしれない。  だけど、まあ、いい。  〈パパ〉とはこのところ、あまり間を空けずに逢っているし、今の精神状態で〈パパ〉やみーこと逢っても楽しめるとは思えない。特に、みーこの相手をするのは精神的な負担が大きいから、こちらも元気な時でなければ辛い。  この頃になると、早瀬を殴った時のような、激しい憤りは消えていた。  それでも、心の中には、コールタールのような黒いどんよりとした想いが溜まっている。それがなんなのか、自分でもよくわからない。少なくとも、健全な精神状態でないことは間違いない。  とりあえず、みーこには簡単にお詫びのメールを送っておいた。  私が音信不通で、〈パパ〉はどう思っただろう。  みーこ経由のお誘いに嫉妬して無視したと思ったか。  単に、他の男と遊ぶのに忙しいと思ったか。  こちらは、いちいち言い訳をしなければならないような短い付き合いではないので、放っておいても構わない。  携帯電話を手にそんなことを考えていると、不意に着信音が鳴り出した。早瀬からであれば即座に切るところだけれど、表示された名前は〈淀川〉だった。  受話ボタンを押す。 『あ、莉鈴? 一昨日はありがと。おかげでいいものが描けそうだわ。担当さんにネーム見せたら、すごく気に入ってた。そっちはどう? あの後、トシとしたんでしょ? どうだった?』  陽気な声が聞こえてくる。  かなりのハイテンションのようだった。もしかしたら、あの後、ろくに寝ないで獣姦マンガを描いていたのかもしれない。 「……ねえ、淀川?」 『なに?』 「貴女の他のマンガも……実在のモデルとか、実体験とか、あるの?」  獣姦を描くために、私にモデルをさせた淀川。  以前読んだ彼女の作品は、女性が陵辱される近親ものばかりだった。  もしかしたら、早瀬と淀川の間に、なにか、あったのかもしれない――そんな考えが浮かんでしまう。  答えが返ってくるまでに、ひと呼吸分の間があった。なにか考えているような気配が感じられた。 『……あー、もしかして莉鈴も、私とトシの間になにかあったと思ってる? なんで?』  も、と言った。  これまでにも、同じ質問をされたことがあるのだろうか。もしかしたら、質問の主は茅萱かもしれない。  なんで、と訊いた。  淀川は、早瀬の感情を知らないのだろうか。 『あるわけねーじゃん。あんなごつい弟と。私としては、もっと、こう、思わず間違いを犯してしまうような美形の弟が欲しかったな』  軽い口調は、とぼけている風ではなかった。  本当に、なにもないのだろうか。  まあ、たいていの人間にとってはそうだろう。獣姦ほどではないにせよ、近親相姦だって世間では少数派、あまり普通のことではない。 『やっぱ、あーゆーの描いてると誤解されるのかね? 近親モノってね、常に一定の需要が見込めンのよ。デビュー間もない新人としては、確実にウケるものを描かなきゃならなかったわけ。大学の友達やカヲリまで同じようなこと訊いてくるし、やんなっちゃう』  やっぱり、茅萱にも訊かれたことがあったらしい。  当然だろう。早瀬の本心を知りつつも想いを寄せている身としては、淀川が弟のことをなんとも想っていないという言質が欲しかったに違いない。  今の台詞が淀川の本音だとしたら、まったく脈なしということになる。茅萱は喜んだだろうし、早瀬にとってはいい気味だ。  肉親に欲情するような男なんて、同情の余地もない。 『……でも、なんでいきなりそんなこと訊くの? もしかして、私がトシの姉と知って、妬いてる?』 「……まさか」  鼻で笑う。 「…………それに……早瀬とはもう、終わりにした」 『え?』  驚きの声。  まだ、早瀬からはなにも聞いていないようだ。 『あの日、なにか、あった?』  少し、真剣味を増した声に変わる。 「……別に、なにも。……少し前から……そろそろ潮時かなって思ってた」  実際には、ちょっとした事件があったわけだけれど、淀川に言うことではない。彼女が当事者であるからこそ。  それとも、話してみた方がおもしろいだろうか。  早瀬の想いを知ったら、いったい、どんな反応を示すのだろう。  少し興味を覚えたけれど、結局なにも言わなかった。もしもこれで淀川が弟を意識しだしたりしたら、やぶへびだ。 『ふぅん……まあ、莉鈴がそう決めたんなら、私がどうこう言うことじゃないね。あんな乱暴なことされて、耐えられる女の子の方が少数派だろうし。いいんじゃない、別に。もっとイイオトコ見つけた方がいいよ。あんたならよりどりみどりでしょ』  予想していた以上に、ドライな反応だった。  姉として、弟の恋愛を応援する気などさらさらないらしい。それとも内心、私みたいな女が弟の彼女というのが気に入らなかった、なんて可能性はあるだろうか。  あるいは単に、これも弟いじめの一環なのかもしれない。 「…………そういうわけ、だから」 『うん…………ねえ、莉鈴?』 「……なに?」 『いまさらどうでもいいことかもしンないけど、ひとつ、教えておく』  声の調子が、微妙に変化していた。  不自然なほどに、淡々とした口調になっている。 『私の顔の傷、……これ、トシに殴られて、入院した時の痕』 「……!」  それだけ言って、淀川は電話を切った。 * * *  翌日の教室――  私が登校した時、早瀬はもう教室にいた。  こちらを見て、どことなく困ったような、なにか言いたげな顔をしていたけれど、もちろん私は無視していた。目も合わせない。  校内で早瀬を無視するのはいつものことだけれど、それでも、注意深く観察している人には変化が見えたのだろうか。席に着くのと同時に、木野が意味深な笑みを浮かべてやってきた。  空いていた前の席に座り、小さな声で訊いてくる。 「……早瀬と、なにか、あった?」  困ったことに、妙に鋭い。木野は以前からそうしたところがあった。  しかしもちろん、肯定などしない。 「…………なにもないわ。なにも」  やや強い口調で言う。  こんな言い方では、なにかあったと白状しているようなものだ。  それでも構わない。察しのいい木野のこと、こう強調しておけば、言外に「早瀬のことには触れられたくない」と言っていることに気づいてくれるだろう。  私と早瀬は、もう、なにも関係がない。  少なくとも、私にとっては。  早瀬がどう思っていようと、知ったことではない。 「……そっか」  曖昧な笑みを浮かべる木野は、まだなにか言いたげな様子だった。  誰に聞かれているかわかったものではない教室で、これ以上、早瀬のことに触れられたくなかった。茅萱の耳に入って「ほら見たことか」などと思われたら不愉快だ。  だから、そのまま席を立った。 「……なんか、気分悪い。保健室に行ってくる」  言い訳ではなく、事実、体調は悪かった。連休中の不健康な生活のためだろう。  なにより、睡眠不足の影響が大きかった。特になにをしていたわけでもないのに、睡眠もあまりとっていない。精神的に不安定な時には、眠れなくなることが多いのだ。  保健室で少し眠ってこよう――そう思って教室を出る。  早瀬の方は見もしなかった。 「今朝は早いな。どうした?」  保健室に入ると、遠藤がいつものように軽い口調で話しかけてきた。 「……寝不足。少し、寝ていくわ」  寝かせて、ではなく。  寝ていってもいい? でもなく。  断定口調で言った。  苦笑が返ってくる。 「保健室は、仮眠室じゃないぞ」 「生徒の健康のためにあるんでしょう? 睡眠不足は健康の大敵。なにか問題が?」 「いや……構わんけど」  私の屁理屈に、肩をすくめてまた苦笑する。  ベッドに入る前に、スカートを脱ごうと手をかける。 「昨夜も、そんなに激しかったのか? また早瀬くんか? ちょっと注意しておくべきかな」  軽い冗談のつもりだったのだろう、笑いながらの台詞。  しかし、それが逆鱗に触れた。  瞬間的に、頭に血が昇った。全身の血液が沸騰したような感覚だった。 「……うるさいっ!」  いつになく、大きな声で叫んでいた。 「みんなして、早瀬早瀬ってなにそれっ? 私は、あいつの彼女でもなんでもないっ! いい加減にしろっ!」 「――っ!?」  気がついた時には、ベッドの脇に置いてあったパイプ椅子をつかんで、遠藤に向かって力いっぱい叩きつけていた。  まったく予想外の動きに、防御本能で上げた腕は一瞬遅かった。  硬い手ごたえ。  金属製のパイプ部分が、遠藤の顔に当たる。  そのまま手からすっぽ抜けて、耳障りな音を立てて床に落ちた。 「…………っ!」  遠藤は一瞬よろめいて、倒れそうになった。  なんとか踏みとどまったものの、顔を上げると、こめかみのあたりから血が流れていた。頭を庇おうとした腕にも当たったのか、顔をしかめて手首の少し上あたりを押さえていた。 「あ…………」  深紅の色彩が、私に正気を取り戻させた。昂ぶった神経を鎮めていく。  目の前が暗くなるのを感じる。  ――また、やってしまった。  また、傷つけてしまった。  そんなこと、したいわけじゃないのに。  なのに、善意で、好意で近づいてくる者ほど、傷つけてしまう。  遠藤は、驚きと、困惑の表情で私を見つめていた。彼女の前でこんな風に激昂したのは初めてのことだった。 「…………」  口を開いたけれど、声は、言葉は、出てこなかった。「ごめんなさい」のひと言がどうしても言えなかった。  だけど、罪は償わなければならない。私がしたことは、いけないことだ。 「か……」  ようやく出てきた声は、しかし、謝罪の言葉ではなかった。 「剃刀か……カッター……ある?」  声が、震えていた。  歯がかちかちと鳴っている。  遠藤は、私の意図をすぐに察した。 「……償い、か?」  無言でうなずく。  罪を犯したら、罰を受けなければならない。  まっすぐに私を見つめたまま、小さく深呼吸する遠藤。  彼女の立場を考えれば、私が要求するものを提供してくれることはありえない。  普通に考えれば、そう。  なので、机の引き出しから剃刀を取り出して、アルコール綿で念入りに拭きはじめた時には、内心かなり驚いた。  しかし、私に渡そうとはしない。いきなり、その刃を自分の手首に突き立てた。 「――っ!?」  彼女には本来、リスカ癖などない。  夏休みに私がつけた傷も消えた、きれいな手首。  そこに浮かび上がる、紅い筋。 「……な……に……してる、の?」  予想外の出来事に、声が震えた。 「罪を犯したら、罰を受けなきゃならないんだろう?」  遠藤は静かな、そして哀しげな笑みを浮かべて言った。  私に向かって頭を下げる。 「……悪かった。さっきの発言は、軽率だった」  彼女は私とは違う。素直に謝ることができる。  それから新しい剃刀を取り出して、またアルコール綿で拭き、今度こそ私に差し出してきた。  しかし、この頃には私もすっかり毒気を抜かれてしまっていて、剃刀を受け取りはしたものの、ごく浅くしか切ることができなかった。  その点、遠藤の判断は正しかった。すぐに剃刀を渡されていたら、力いっぱい切っていたに違いないのだ。  遠藤は自分のこめかみと手首の傷を消毒、止血し、それから私の傷の手当てをはじめた。  なにも言わず、素直に治療を受ける。  包帯を巻き終えて立ち上がった遠藤は、私の頭を抱えて、胸に押しつけるように抱きしめた。 「なにがあったのか知らないけど、しばらく、冷却期間を置いてみるのもいいかもしれないな。でも、いつまでも逃げ続けてないで、いずれ、ちゃんと話し合うべきだと思う。北川は……同世代の異性と接するのが不慣れで、戸惑っているんだ」 「……今は、考えたくもないわ、そんなこと」  蚊の鳴くような声で応える。 「そうだな。うん。しばらくはそれでもいいと思う」  優しい言葉。  どうして、こんなに優しくしてくれるのだろう。何度も、ひどい仕打ちをされているというのに。  泣きたくなるほどに、優しい。  これ以上近づかれたら、これ以上優しくされたら、また、傷つけてしまいかねない。傷つけずにはいられなくなってしまう。  だけど遠藤はそれ以上踏み込んでこようとはせず、私を放して自分の席に戻った。  私はベッドに入って目を閉じる。  なにも考えず、頭を空っぽにする。  微かに聞こえる、時計の秒針の音。  すっかり馴染みとなった、薬品の匂い。  ここは、自分の部屋よりも落ち着ける。  だから、少しだけ、眠ることができた。 * * *  それから数日は、特に何事もなく過ぎていった。  もちろん、早瀬とよりを戻すつもりなど微塵もない。彼の存在は無視し続けている。メールも日に一、二通は来ているけれど、読まずに削除していた。  木野はなにかを察したのか、それとも遠藤に釘を刺されたのか、あれ以来、早瀬のはの字も口にすることはなかった。それを除けば、普段通りに私に接している。  このところ、援助交際もしていない。これといった理由があったわけではなく、ただ単に、そんな気にならなかっただけだ。  一度だけ、ナンパしてきた大学生風の男とセックスしたけれど、これもなんということはない。家に帰った時には、相手の顔も、どんなことをしたのかも覚えていなかった程度の出来事だった。  この週は〈パパ〉からのお誘いもなかった。  本当に、なにもしていないような毎日だった。  覚えている行動といえば、日に一度、特に理由もなくリストカットしたことくらいだろうか。  真新しい傷がなくなること。  痛みのない生活を送ること。  それが、耐えられなかった。  そんなこんなで、早瀬と縁を切ってから十日ほどが過ぎた。  その間、援交もせず、学校を休みもせず、一見、非常に健全な生活を送っていたように見えるけれど、実態はむしろ逆だろう。  精神的には、以前よりも歪みが蓄積しているように感じる。喩えるなら、大地震の前のような状態だ。  精神の健全化によってセックス漬けの生活をやめたわけではない。だから、精神状態は悪化していく。  セックスは私の心を歪めもするが、しかし、ある種のガス抜きになっていたことも否めない。それがなくなって、心の中に穢れた膿が溜まっていくようだった。  特に、なにもしない。  家に帰れば、ただ部屋でぼんやりしている。  自慰も、それがしたくてしているというのではなく、ただ習慣として、機械的に手を動かしているだけ。  身体を動かしていないせいか、それとも精神的なストレスのせいか、夜はあまり眠れないかった。むしろ、日中の保健室の方が気が休まるけれど、昼夜逆転の生活をよしとしない遠藤は、軽い昼寝以上のさぼりを許してはくれなかった。  あまりいい傾向ではないな、と思う。  性的に乱れた生活を送っていた時の方が、それなりに〈生きて〉いたという実感がある。今はただ、鼓動と呼吸を惰性で繰り返しているだけでしかない。  そして。  少しずつ強まってくる、もやもやとした感覚。  考えてみれば、これほど長く男なしで過ごすことなど珍しい。心はまったく欲していないのに、身体の方は、かなり〈溜まっている〉状態になりつつあった。  まだ、疼いて仕方がないというほどではないけれど、限界に達するのもそう遠い先のことではあるまい。そうなる前に〈パパ〉からのお誘いがあるといいのだけれど。  今の欲求不満は、援交やナンパによる普通のセックスでは解消できないのではないか、という気がした。それでも〈パパ〉ならきっと満たしてくれる。  考えてみれば、肉体的な欲求不満が限界に達した経験はない。初体験以来、そこまで間隔が空くことはなかった。  だから、少し、怖い。  その時、自分がどうなってしまうのかわからない。  だけど――  常識的に考えてみれば、私よりも、あの男の方が先に限界を迎えるはずだった。 * * *  また、新しい週がはじまった日の放課後――  学校を出てしばらく歩いたところで、後をついてくる男の存在に気がついた。 『しばらく、冷却期間を置いてみるのもいいかもしれないな。でも、いつまでも逃げ続けてないで、いずれ、ちゃんと話し合うべきだと思う』  遠藤の言葉を想い出す。  今は、少なくとも頭は冷静だ。だからといって、早瀬と話し合いたい気分ではなかったけれど。  それでも、取り乱さずに引導を渡すことはできるだろう。  立ち止まって、ゆっくりと振り返る。けっして、上機嫌とはいい難い表情で。  後ろを歩いていた早瀬が、目の前まで来て脚を止めた。  今日は、部活をさぼったのだろうか。  ここ数日、日に一度メールを送ってくる以外はおとなしくしていたけれど、彼の性欲の強さを考えれば、そろそろ我慢も限界なのかもしれない。  しかしもちろん、相手をしてやるつもりはない。性欲解消なら、茅萱とすればいい。あの子なら喜んで身体を許すだろう。 「…………今度は、ストーカー?」  溜息をつきつつ、棘のある声で言った。 「……ちょっと……話、できないか?」 「お断り」  間髪入れず、一刀両断に切り捨てる。 「五分……いや、三分でいい、ちゃんと話を聞いてくれ」 「嫌。ノー。聞く耳持たない。あなたと話をする気も、セックスする気もない。あなたとの関係はもう終わり。以上」  口を挟む隙も与えない連打。  そのまま、回れ右して歩き出した。  後をついてくる気配を感じる。すぐ後ろ、二、三歩の距離で。  まだ諦めていないのだろうか。しかし、声はかけてこない。  そのまま何事もなければ、早瀬との関係はこれっきりになっていたはずだ。少なくとも、当面の間は。  しかし、  次の展開は、まったく予期していないものだった。 「……!」  歩道の端を歩いていた私の横に、一台の乗用車が停まった。  見覚えのある車だった。脚が止まる。 「莉鈴」  窓を開けて声をかけてくるのは、スーツ姿の中年男性。 「……久しぶり」  反射的に笑みを浮かべて応えた後、思わず、背後の早瀬を振り返ってしまった。  よりによってこんな時に、というのが本音だった。  追いついて隣に並んだ早瀬が、私を見て「誰?」という表情を浮かべる。 「……パ……父よ」 「え?」  小さな驚きの声に続いて、唇だけが動いた。その動き、言わんとした台詞は「本当の?」だろう。  微かにうなずく。  そう。  〈パパ〉は何人もいるけれど、ただひとりの、遺伝、戸籍、両方の意味での〈父親〉。  両親が離婚したのは私が小学生の時で、今でも時々会ってはいる。だけどまさか、下校途中に出くわすとは思わなかった。  パパも、早瀬を見て問うような表情を浮かべてている。 「……クラスメイトの、早瀬……稔彦くん」  この状況では見知らぬ他人だなんて誤魔化しようもない。仕方なく、早瀬を紹介した。名前を思い出すのに間が空いてしまったけれど、特に訝しんではいまい。 「クラスメイト? 彼氏じゃなくて?」  ドアに腕を置いた姿勢で、からかうように言うパパ。 「クラスメイト、よ」  私も悪戯な笑みを返すと、傍らにある早瀬の腕をとった。  甘えて腕にぶら下がるような仕草で、胸を押しつける。 「クラスメイト。……仲のいい、ね」  笑いを堪えるような声で応え、意味深にウィンクしてみせる。  この展開に驚いたのは早瀬だろう。  これまで、早瀬の前でこんな態度を見せたことはない。一瞬、不気味なものを見るような視線を向けられてしまった。  しかしいくら私だって、実の父親の前で、学校モードの無表情も、援交モードのフェロモン垂れ流しもありえない。  今の態度が、口調が、彼に対する素の私だ。それに、父親にさっきのような痴話喧嘩じみた会話は聞かせられない。 「学校帰りにデートか?」 「……ま、そんなところ」  ふふっと笑う。 「早瀬くん……だっけ? 大きいな」  運転席から早瀬を見上げる。仮に立っていたとしてもかなりの身長差があるだろう。  パパだってけっして背が低いわけではないけれど、日本人としては特大サイズの早瀬とは比較にならない。 「早瀬くんは柔道部期待のルーキーなの。すっごく強いんだから」  早瀬に口を挟ませず、いかにも仲のいいボーイフレンドを自慢するような態度を貫く。  もっとも、早瀬はまだ私の豹変に戸惑って、なにも言えずにいた。抱きついている腕の筋肉が不自然に強張っているように感じるのは、私の父と会った緊張のためだけではないだろう。 「確かに、見るからに強そうだな。ま、莉鈴と仲よくしてやってくれ。この子、これで意外と我が儘で人見知りが激しくてね。他人と親しく付き合うことは珍しいんだ。手がかかるだろうけど、よろしく頼むよ」 「は、はぁ……」  曖昧な返事をする早瀬。  手がかかる、は実感しているだろうけれど、素直にうなずくわけにもいくまい。  かなり、居心地が悪そうだった。  恋人でもないのに乱暴なセックスを繰り返してきた女の子の父親。この状況で平然としているのは難しいに違いない。  腕にも不自然な汗をかいているのを感じる。 「ただし……うちの娘を泣かすなよ?」  パパの声が少しだけ低くなる。  早瀬の顔が微かに引きつる。  彼にしてみれば、後ろめたいことがありすぎだ。 「残念でした。いっつも泣かされてるわ。……ベッドの上ではね」  早瀬の全身が硬直したのがはっきりと感じられた。触れているだけで緊張が伝わってくる。  しかしパパは、少なくとも表向きは穏やかな表情のまま、かすかに苦笑しただけだった。もちろん、内心どう思っているかはまた別の話だけれど。 「パパは、お仕事中?」  これ以上早瀬にプレッシャーをかけると、いきなり土下座でもしかねない。ここらが潮時だろうと話題を変えてやった。 「ああ、これから出張なんだ。帰ったら連絡するから、久しぶりに一緒にメシでも食おう」 「うん、気をつけて」  早瀬の腕につかまったまま、小さく手を振る。 「それじゃあ、また。……早瀬くんも」 「あ……は、はい」  ぜんまい仕掛けの人形のようなぎこちなさでうなずく早瀬。  パパも軽く手を上げる。  運転席の窓が閉まり、車が走り出す。  その姿が小さくなって、交差点を曲がって見えなくなるまで、手を振って見送っていた。 「あ……えっと……、北川?」  まだなんとなく強張ったままの早瀬が、ぎこちなく口を開く。  同時に、私の顔からいっさいの表情が消えた。いつもの学校モードに戻る。  それでも、腕は早瀬と組んだままだった。 「……なに?」 「今の……パパって……、実の父親、なんだよな?」 「……ええ。正真正銘、生物学的、遺伝的な意味での父親。そして、小学生までは私の保護者」  両親が離婚したのは私が小学六年生の時だった。 「私は、今でも時々会ってる。離婚したって、私にとって実父であることに変わりはないから」 「……そっか。それにしても、今の北川の態度は……なんつーか……」 「不気味?」  言い淀んでいるので、私の方から言ってやった。 「いや、そこまでは……」  いちおう取り繕ってはいるけれど、そう思っていたのは間違いない。 「……なんつーか、他人が北川に化けてるような感じだったな」  ようやく、緊張を解いて苦笑する。 「背中にファスナーとかついてない?」  背中をつついてくる指が、ブラジャーのホックを直撃したのは偶然なのか、それとも意図した動きなのか。  さりげなく、誘っているつもりかもしれない。 「……パパ相手には、いつもあんな感じよ。実の父親に、あなたといる時みたいな態度をとれと?」 「ん……まあ、そうなんだろうけど、見慣れないから驚いた。それにしても……あれは、まずかったんじゃないか?」 「……なにが?」  訊くまでもなく、わかっている。わざと言ったのだから。 「いや、ほら……ベッドの上云々の発言は……」 「どうして? 本当のことでしょう?」 「本当のことだからこそ、父親に聞かせるのはまずいだろ?」 「……つまり、親に聞かせられないようなことをしている自覚はあるわけね?」 「……そりゃあ……まあ……」  もっとも、普通のセックスだって、女子高生の父親に聞かせられる話ではない。 「……パパは、そういったことに寛容よ。問題ないわ」  それは、嘘だった。  パパは外面がいいからあの場では笑っていたけれど、後でかなり怒られることになるだろう。次に会うまでに忘れていてくれる可能性はほぼゼロだ。  だけど、それでも構わない。 「なら……いいんだけど。でも、なんで急に?」 「父親に、男と言い争ってる姿を見せろと? 私の性格や乱れた生活のことは知ってるから、普通に仲よくしてる相手がいた方がパパは安心するわ」  早瀬は素直に信じた様子だけれど、これも大嘘。  実際には、そんな理由ではない。早瀬を利用しただけだ。  だけど、それは今ここで話すことでもない。  私がくっついているせいか、なんとなく気をよくしている雰囲気の早瀬。  その顔を見ながら考える。  今、心の中に浮かんだ思いつきについて。 「ところで……父親と、時々会ってるって?」  なにか気づいたように話題を変えてくる。早瀬がなにを言わんとしているのか、私もすぐに理解した。 「……ええ」 「北川、もしかして…………中年男性と夜の街を歩いていたって、噂……」 「目撃情報の何割かは、あのパパでしょうね」  私はあっさりとうなずいた。 「だったら、そう言えば……」 「……早瀬?」  うんざりしたように肩をすくめる。  早瀬につかまっている腕に、少し力を込める。 「いまだになにか、私に対して幻想抱いてない?」 「え?」 「あのパパとの会うのは、多くてもせいぜい月に二、三回。だけど私は、週に一、二回は男と夜を過ごしていた。言ってる意味、わかる?」 「…………」  よくない噂がつきまとっているけれど、それは誤解で、実際にはもっと真面目な、まともな娘なんじゃないか――ドラマやマンガならよくある話だ。  早瀬に限らず、入学間もない頃のクラスメイトにも、〈デート〉の相手にも、同じようなことを言った相手はいた。  だけど、それはすべて幻想。  援交の噂の一部が実の父親だったとしても、そんなのは誤差の範疇でしかない。 「だいたい、あなた、DVDだって見たでしょう? 私は、ああいうことをしている女なの。今さら、実はいい子だなんて思い込みはどんなものかしら? もっと現実に目を向けたら?」  実際の私は、むしろ噂以上。  まだ早瀬が知らないこともたくさんある。  それを話してやりたい、という衝動に駆られる。 「……普通の女の子がいいなら、さっさと茅萱と仲直りしたら? 向こうは、いつでもオッケーっぽいじゃない?」 「あ、いや、ごめん。俺は、北川が……」 「ストップ」  早瀬の台詞を途中で遮る。 「そんな戯言、聞く気はないわ。黙っていて」  強い口調で言うと、早瀬は素直に従って口をつぐんだ。そうしなければ、私がすぐに離れていってしまうと感じたのだろう。  話題を変えてくる。 「……えっと……別のことで、ひとつ訊きたいんだけど……、いいか?」 「…………なに?」 「父親の前での北川と、今の北川、どっちが本物で、どっちが演技なんだ?」 「………………さぁ」  返したのは、曖昧な返事。  実際のところ、どちらが本物か、どちらが演技か、訊かれても答えに困る。  早瀬としては、見慣れているこの無機的な状態が素で、さっきのような愛想のいい姿が演技と思っているかもしれない。  しかし、むしろあちらが素で、早瀬の前や学校では〈他人を寄せつけない人格〉を演じているような気がしないでもない。  あるいはどちらも演技かもしれない。  それとも、どちらも本物なのかもしれない。  たまに、自分が軽度の多重人格なのではないかと思うことはある。AVや援交はともかく、パパや早瀬の前で演技しているという自覚はない。  性格の違う何人もの〈私〉の誰かが、その時によって表面に現れているだけなのではないだろうか。  男遊びを繰り返す莉鈴。  そんな自分を軽蔑している莉鈴。  男に甘え、与えられる快楽を貪る莉鈴。  男に唾棄する莉鈴。  どれも私であり、どれも創られた姿でもある。  矛盾だらけだ。  それ故に、壊れていく心。  あるいは、もうとっくに壊れてしまっているのかもしれない。ばらばらに砕け散った欠片のひとつひとつは、元が同じものであっても、まるで違う形をしているだろう。 「……どっちも私だといえるし、どっちも演技だともいえる。どちらかだけが演技ってわけじゃない。……そもそも、あなたと逢ってる時の私だって、いつでも同じってわけじゃないでしょう?」 「あー、……そうか、そうだな。たまに、普段とぜんぜん雰囲気違う時、あるもんな」 「……それが、全部、私よ」  今のところ、そうとしか言いようがない。  腕につかまったまま、歩きはじめる。  早瀬を引っ張るような形になる。 「……うちに、来る?」 「え?」 「この前言った通り、もう、あなたの部屋には行かないわ。でも、今日は……今日だけは、相手してあげてもいい。……来る?」 「い……いいのか?」 「……この前のことをむし返すようなことは言わないこと。ただ、するだけ。それが約束」  特にしたい、というわけではない。  ただ、予期していなかった出会いのせいで、するべき理由ができてしまった。  パパに言ったことを、嘘にしたくなかったから。  だから、早瀬とセックスする。  それとも、それも口実でしかないのかもしれない。  なんだかんだいっても、本当の私はセックスなしでは生きられない淫乱だというだけなのかもしれない。久しぶりに早瀬に触れたことで、スイッチが入ってしまったのかもしれない。 「……もしかしたら、あなたは後悔することになるかもしれないわ。……それでもよければ」 「……わかった」  やや戸惑った様子ではあったけれど、それでも早瀬はうなずいた。  それ以外の選択肢はなかったに違いない。  約十日、禁欲生活が続いていたのだ。茅萱の様子に変化が見られないのだから、彼女を相手に性欲の解消もしていないのだろう。  初めてのセックス以来、一週間を超える間隔が空いたことはない。もう限界のはずだ。  腕を組んで歩くような形で、家へ向かう。  この展開、早瀬は悦んでいるかもしれない。  だけど――  今日こそ、正真正銘、早瀬に引導を渡すことになる……はずだった。 * * *  早瀬を自室に招き入れるのは久しぶりだ。  部屋に入ると、無言のまま、早瀬が見ている前で服を脱いでいった。  リボンを解く。  スカートを脱ぐ。  ブラウス。  ソックス。  ブラジャー。  そしてパンツ。  ひとつずつ、ゆっくりと外していく。  なにひとつ着けない全裸になって、早瀬の前に立った。  鼓動が、少しだけ速くなっているのを感じる。  どうしてだろう。  気持ちが、あるいは身体が、昂っている。  特にしたいという強い想いがあったわけではないはずなのに、私も溜まっていたのだろうか。  それでも、いつもの無表情で早瀬を見つめる。  早瀬はどことなく緊張した面持ちだった。  足許に跪き、股間に触れる。  当然、そこはもう硬く大きくなっていた。 「……たまってる?」 「あ……ああ」  溜まっていないはずがない。性欲魔神の早瀬が、十日も禁欲生活を送っていたのだ。  もちろん、自分で抜いてはいただろうけれど、今さら自慰だけで満足できるとは思えない。 「じゃあ……いちばん濃いのを、飲ませて?」  ベルトを外す。  制服のズボンのファスナーを、口にくわえて下ろす。  大きくなっているものを引っ張り出す。  相変わらず、びっくりするほど大きくて、硬くて、元気だった。そして、とても凶悪な姿をしている。  私を痛めつけ、狂わせる凶器。  忌まわしい〈男〉の象徴。  その先端に、唇を押しつける。  熱さと、心地よい弾力が伝わってくる。  唾液を絡めながら、口に含んでいく。  ゆっくりと根元まで呑み込む。先端は喉を貫いて、食道を押し拡げていく。  唇で根元を、舌と内頬で中間部を、そして喉で亀頭を刺激する。  いうまでもなく、口でのテクニックには自信がある。溜まっている早瀬が長く耐えられるはずもない。  すぐに息が荒くなり、切なげな喘ぎ声が漏れてきた。  珍しく私が積極的に動いているせいか、いつものように乱暴に犯されはしない。あるいは、少し遠慮しているのかもしれない。  早瀬が無理やりさせるのではなく、私の方から積極的にサービスするのは珍しいことだった。もっとも、普段はそうするのが嫌でしていないのではなく、それ以上に〈乱暴に犯されたい〉からで、かつ、私からするまでもなく早瀬が襲ってくるから、でしかない。  口を、頭を、激しく動かす。  鈴口を舌先でくすぐる。  一度吐き出し、唇をカリの部分に引っ掛ける。  そして、また、奥まで呑み込む。  今日はどこも拘束されていないけれど、腕を、縛られているみたいに身体の後ろに回して、口だけで奉仕する。口でする時は、この体勢がいかにも〈陵辱されている〉っぽくて気に入っている。  わざと、ちゅぱちゅぱと音を立てる  唇の端から涎がこぼれる。  早瀬は歯を喰いしばって快感に耐えている。  しかし、溜まっている状態で私に本気で奉仕されて、いつまでも耐えられるわけがない。  限界が来るまで、ほんの数分しかかからなかった。  私の頭を強くつかむ。  微かな呻き声を上げる。 「ん……っ……んぅんんっ!」  口の中に、大量の粘液が噴き出してくる。  それは液体というよりも、ゼリーのような固まりに感じた。  なにしろ、ただでさえ量が多い早瀬なのに、しばらくセックスしていなかった後の一回目なのだ。  ねっとりと絡みつくような感触が、口の中いっぱいに広がる。味も、匂いも、いつも以上に濃厚だ。  強く吸って、最後の一滴まで吸い出す。だけどすぐには飲み込まず、口の中に溜めておく。  この味が好きなわけではない。  むしろ、嫌い。  この世でいちばん、嫌いな味。  気持ち悪い。  吐きそう。  なのに……いや、だからこそ、興奮してしまう。  下着が、絞れそうなほどに濡れているのを感じる。  顔が熱く、身体の芯が火照っている。  上目遣いに早瀬を見上げる。  軽く口を開けて、中に溜まっているものを見せる。  そして、飲み込む。  さすがにひと口では無理だった。ごくん、ごくんと何度も喉を鳴らす。  久しぶりに味わう、早瀬の味だった。  もちろん、早瀬はこれだけで満足などしない。むしろ、よりいっそう昂っているようにも見える。  反り返ってまっすぐ上を向いたものが、びくびくと脈打って、私を犯したい、私の身体を貫きたいと訴えている。  それを見ながら這うようにしてベッドに上がった。 「……来て」  涎を垂らしている下の口を、指で拡げて誘う。  いつものように無機的な声なのに、早瀬は反応してしまう。  ややせっかちな様子で服を脱ぎ、身体を重ねてきた。 「……うんと、激しく、して。めちゃめちゃに……犯して」 「ああ……俺も、もう、我慢できねー」  熱く灼けた鉄の杭が押しつけられた……と思った次の瞬間。 「あぁっ、あぁぁぁ――――っ!」  一気に、打ち込まれた。  深く、深く、押し込まれる。  内臓が突き上げられる。 「あ……ぁぁっ、…………ぁ、んっ……んん……ぁっ!」  十日分の欲望を一気に叩きつけたような、力まかせの挿入だった。  ずぅん、ずぅん。  重々しく叩きつけられる。  内臓が潰されるような錯覚を受けるくらい、無理やり押し込んでくる。  お尻がつかまれ、揺さぶられる。  お腹の中をかき回される。  容赦なく私を陵辱する、硬くて大きな灼熱の杭。  それはまるで、私を犯すためだけに存在しているように思えてしまう。  吐きそうだ。内臓が圧迫されて、内容物が逆流しそうになっている。男に犯されているという嫌悪感が、吐き気を増幅する。  なのに。  感じてしまう。  口からは涎が、性器からは愛液が流れ出ている。  膣が、腰が、蠢いてしまう。  自分がもっと感じるために。早瀬をもっと感じさせるために。  その動きに触発されるように、早瀬が加速する。  ただでさえ激しい早瀬なのに、さらに勢いが増す。  私とセックスする時はいつもそうであるように、相手のことなどまったく気遣わない陵辱。  骨が軋むほどに抱きしめられる。  私を身動きできないようにして、下半身をぐいぐいと押し込んでくる。 「はぁぁっっ……ぐ……ぅぅ……んぅぅっ! んぐ……ぅぅ……っ!」  私は早瀬の腕を噛んだ。  早瀬に犯されて、こんなセックスで、甘い声なんか出したくない。  できることなら、まったくの無反応でいたい。  代用品、だから。  早瀬にとっては、姉の代用品だから。  自分にきつく当たる姉に対する、擬似的な復讐。  そして、歪んだ愛情。  早瀬が見ているのは、犯しているのは、私じゃない。  だから、こんなセックスで感じたくない。  だけど、この激しい陵辱こそ、私が求めていたものだった。 「…………!」  錆びた鉄の味。  噛んでいる腕から、血が滲んでいる。  そんなことはお構いなしに、さらに速く、さらに激しく私を攻めたてる早瀬。  押し潰されそう。  突き破られそう。  なのに。  だからこそ。  いき、そう。 「…………っっっ!」  全身が痙攣し、目の前が真っ白に染まる。  お腹の奥深い部分が、熱さに痺れる。  大量の粘液が噴き出してくる。  胎内が満たされていく。  どろどろに穢されていく。  それでも早瀬は動きを止めることなく、私を犯し続けた。 * * *  早瀬は結局、休みなしに三度、私の中に精を放った。  何度か体位を変えながら、それでも激しさだけは変わらない。三度目が終わったところでようやく動きを止め、大きく息を吐き出した。  身体を重ね、抱きしめたまま、しかし腕から力が抜けていく。 「やっぱり……北川とするのは気持ちいいな」  満足げな溜息混じりに言う。 「…………」  心の中でつぶやく。  別に、誰でもいいくせに――と。  茅萱相手でも気持ちよくなるくせに。  本当に求める相手は、淀川のくせに。  早瀬の身体の下から抜け出て、ずり落ちるようにベッドから降りた。  床に座っていると、胎内から流れ出してくるものの存在を感じる。  絨毯に染みが広がっていく。  身体が怠い。  このまま眠ってしまいたい。  その誘惑に抗って、ベッドの上の早瀬を見上げた。 「…………前に、あなた、訊いたことがあったわよね」 「え?」 「……私の初体験が、いつ、どんなのだったかって」 「あ……ああ」  突然の話題を振られて、戸惑ったようにうなずく早瀬。  あれは、早瀬との関係がはじまって間もない頃だったろう。その時は結局、答えなかったはずだ。まだ、刺激が強すぎるだろうから、と。  今、それを知ったら、早瀬はどんな反応を示すのだろう。  這うようにして、壁際のテレビのところまで移動した。  無地のケースから一枚のDVDを取り出し、プレーヤーにセットする。  リモコンを手に取り、ベッドへ戻る。  床に座ったままベッドに寄りかかり、再生ボタンを押す。  何度も、何度も、繰り返し見たDVD。  見るたびに、死にたくなる。  見るたびに、幸せな気持ちになる。  どうして、今、これを見せようと思ったのだろう。  前々から計画していたことではない。そもそも今日、早瀬をつれてきたことも、セックスしたことも、予定になかった出来事だ。  学校帰り、漠然と思いついたこと。  どうしてなのか。  どんな結果を期待しているのか。  自分でもわからないまま、テレビの画面を指さした。  アップで映し出されているのは、全裸でベッドに横たえられている、華奢な女の子。  市販のアダルトDVDではなく、個人が手持ちのカメラと三脚にセットしたカメラで撮影した映像を、後で適当に編集したものだ。  頭から下半身へ、ゆっくりとカメラが移動していく。  今よりもかなり短い髪。  涙を湛えた大きな目。  震えるように、力なく動く小さな唇。  拡げられ、ベッドにしばられている、細い両腕、両脚。  その下腹部に押しつけられている男性器。  今まさに、ねじ込まれようとしている。 「――――っ」  早瀬が息を呑んだ。  それはおそらく、彼の予想を超えた光景だったのだろう。  ちらり、と表情を窺う。  信じられない――という表情を凍りつかせて、目を見開いていた。  視線の先に映し出されているのは、小さな裸体。  ベッドの上に拘束されている身体は、小さすぎ、そして細すぎた。  今でも小柄な私だけれど、さらにひとまわり以上小さく、細い。  単に痩せているというのではなく、細さの質が違った。  女らしい丸みのない、直線的な腕、脚、そして腰。  よく見ればかすかに膨らんでいる、という胸。その中心にある小さな乳首。  異性と身体を重ねるのに相応しい年齢ではないことは一目瞭然だった。  どこか焦点の合わない虚ろな目から、涙が溢れている。  そして、その小さな身体に覆いかぶさっているのは、三十代と思しき男性。  こちらも当然、今よりも少しだけ若い。 「……まさか、これ…………」  早瀬の声が震えている。  画面の中の〈私〉の唇も、力なく動く。  そこから紡ぎ出される言葉。 『……や……だ…………やめ、て…………ぱ……パパぁ!』 「――っっ!」  ――そう。  幼い〈私〉を犯しているのは、彼女の、パパ。  いつも私を〈クスリ〉漬けにして、めちゃめちゃに陵辱する、あの〈パパ〉。  私の純潔を奪い。  誰よりも多く私を犯し。  女の悦びと、男の、セックスの、おぞましさを教え。  身体にも心にも、消えない傷痕を刻みつけ。  毎月、使い切れないお小遣いをくれる人。  そして―― 「ほ……んとう、に?」 「見ての通り、よ。ついさっき見たばかりの顔、まさか忘れたわけではないでしょう?」  そう。  それは、ついさっき会ったばかりの、私のパパ。 「これが、私の初めての男。正真正銘、実の父親。そして、あなたと初めてセックスした日のデート相手」  ぎこちない動きで、早瀬が顔をこちらに向ける。  顔中の筋肉が硬直したかのような表情をしていた。 「あそこにいるのは、十歳の私。まだ、両親が仲よく一緒に暮らしていた頃のことよ」  小さく首を傾げ、微笑する。  大きく見開かれた目を正面から見つめる形になった。 「……ほら、見て」  テレビを指さす。  ここが肝心の場面だ。見逃してはいけない。  パパが、どこか歪んだ笑みを浮かべている。 『愛してるよ、莉鈴』 『い……ゃ…………』  幼すぎる性器の中に、限界まで勃起した男性器がねじ込まれる。  華奢な身体が大きく痙攣する。 『……い、やぁぁぁぁ――――――っっっ!!』  その小さな身体には不釣り合いなほどの悲鳴が、部屋の中に響き渡った。 * * *  それは私が十歳、小学五年生の夏休みのこと――  一週間ほど、パパとふたりで過ごすことになった。  ママのお店が、改装のために数日間休むことになったので、パパが「滅多にない機会だからお店の女の子たちで海外旅行でもしてきたら?」と提案したのだ。  夏休みの家族旅行の計画は別に立てていたし、パパはちょうど仕事が暇で出張もないから、家のこと、そして莉鈴のことはまかせておけ。たまには友達と羽根をのばしてこい――と。  後になって思えば、すべてはパパが仕組んだ計画的犯行なのだろう。もしかしたら、お店の改装もパパが裏で手を回したことかもしれない――というのは、けっして考えすぎではないと思う。  ママが出かけたその日。  パパと一緒に街へ出かけて、映画を見て、可愛い服と靴を買ってもらって、楽しい一日だった。  いつも仕事が忙しいパパだけれど、たまの休みの日には、あちこち遊びに連れていってくれたり、いろいろなものを買ってくれたりする。  レストランで食事をして帰ってきて、家でごろごろしていると、パパがココアを作ってくれた。  パパがたまに作ってくれるココアは、大好きだ。甘くて、暖かくて、とても幸せな気持ちになる。  だけどこの日は、ココアを飲んでしばらくすると、身体の具合がおかしくなってきた。  もちろん、その時はなにが起こったのかわからなかった。  なんだか、身体が熱い。  夏に温かいココアを飲んだからだろうか。  だけどエアコンが効いている室内は真夏でも適温のはずで、いつもはこんなことはない。どうして今日に限って、こんなに身体が火照るのだろう。  頭がふらふらというか、ふわふわというか、とにかく平衡感覚がおかしくなっている。  目が回っているような感覚。  そして……なんだろう。なんだか、身体がむずむずする。くすぐったいような、痒いような、よくわからない感覚。  起きているのが辛くて、ソファで横になっていた。  それを見たパパは、疲れて眠いとでも思ったのだろうか。 「莉鈴、寝る前にお風呂に入りなさい」 「……ん…………」  曖昧にうなずきはしたものの、動けなかった。  腕や脚に力が入らない。  身体を起こすのが億劫だ。  風邪をひいて熱がある時の感覚にも似ているけれど、少し違う。頭が痛いわけではない。具合が悪い、というのとも違う。ただ、なんだか体調がおかしい。  だけど、パパには言えなかった。  病気だったら心配するだろうし、せっかく、パパと一緒の長いお休みなのに、病気で寝ているなんていやだ。  きっと、浮かれすぎて疲れただけ。少し休めばよくなるはず。  そう、思った。 「……お風呂はいい……面倒くさい」 「疲れたのか? じゃあ、久しぶりに、パパが入れてあげようか?」 「……え?」  いきなり、抱き上げられた。  少し、驚いた。  私ももう小学校高学年。お風呂もひとりで入るのが普通になっている。パパもママも仕事が忙しいこともあって、自分の身の回りのことは、早くから自分でできるようになっていた。  だけど。  ちょっと、いいかもしれない。  せっかくパパとふたりきりなんだから、思い切り甘えてみるのもありかもしれない。ママがいたら「いつまでも赤ちゃんみたい」なんて怒られそうなことだ。  それに、こうしてパパに抱っこされるのも久しぶりだけれど、触れられるのがなんだかすごく気持ちよくて、幸せだった。  パパと一緒にお風呂。  いいかもしれない。  今、ひとりで入浴したら、お風呂の中で眠ってしまいそうだ。だけど、私は普段はお風呂好きで、お風呂に入らずに寝るなんていったら、体調がおかしいことに気づかれてしまうかもしれない。 「……うん……パパと一緒に、はいる」  もっと小さな子供が甘えるように、パパの胸に顔をうずめてうなずいた。  パパと一緒のお風呂。  旅行で、露天風呂つきの部屋に泊まった時に家族三人で入浴することはあるけれど、こんな風に、家のお風呂にパパに入れてもらうのは本当に久しぶりだった。  抱きかかえられて、浴槽に入れられる。  すごく、気持ちいい。  温めのお湯の中でパパと密着して、なんだかとても心地よい。  頭がぼぅっとしてくる。  ただでさえ、のぼせたように頭がふらふら、ふわふわしていたのに、その感覚がさらに強くなる。  だけど、いやな感じじゃない。暖かいベッドの中でまどろんでいるような、幸せな気分だった。  このまま眠ってしまいそう。  だから、浴槽から出て髪を洗ってもらっていることに気づいたのも、本当に「いつの間にか」という感覚だった。  美容師さんのような、優しい手の動き。  髪に触れられているだけで、気持ちよかった。  続いて、身体を洗ってもらう。  洗顔フォームで顔を洗われた後で、ボディソープをたっぷりと含んだスポンジで優しく身体をこすられる。  首筋から背中へ、そして腰へ。  肩から腕へ。  続いて、パパの腕が身体の前に回される。  胸を、お腹を、洗われる。足の付け根まで下りていったスポンジが、また胸へと戻ってくる。  胸の上で、何度も、何度も、スポンジが円を描く。  まるで壊れやすいガラス細工でも洗っているかのような、優しい動きだった。 「……ぁ」  パパの手が、直に触れてきた。  胸の上に手が置かれる。  不思議と、驚きはしなかった。  まるで、そうされるのが当然のような。  そうされるのを待っていたかのような。  そんな気持ちだった。 「莉鈴の胸も、ちょっと大きくなってきたか?」 「え……? えへへ…………パパの、えっち」  クラスでも、早い子はちゃんとブラジャーを着けはじめている。どちらかといえば小柄で痩せている私は、少し焦りを感じていたところだった。  最近ようやく、見てわかる程度に胸が膨らみはじめてきた。  そのことを人に指摘されるのは、照れくさくて、恥ずかしくて、だけど、嬉しい。 「……で、でも、まだまだ、ちっちゃいよね?」 「すぐに大きくなるよ。ほら、ママだって、おっぱい大きいだろ?」 「……り、莉鈴も、ママみたいになれるかなぁ?」  ママは胸が大きい。  友達のママと比べても背が高いわけじゃないし、ぜんぜん太っていないけれど、胸は大きくて、とてもスタイルがいい。それに職業柄、おしゃれで美人だ。  友達はよく、綺麗なママがうらやましいなんて言っているけれど、娘としてはちょっと複雑ではある。  将来、本当にママみたいに綺麗になれるのかどうか、という不安。  大人と子供の年齢差があり、私がまだ小学生だとしても、比べることさえできないようなスタイルの差を目の当たりにすると、自信がなくなってしまう。 「大丈夫。莉鈴は、ママよりもずっとずっと美人になるよ。パパが言うんだから間違いない」 「……本当に?」 「もちろん。保証する、絶対だよ」  背後から優しく抱きしめられて、耳元でささやかれる。  くすぐったくて、思わず亀みたいに首を縮めた。  だけど、パパに言われると、そうなのかなって思ってしまう。  当時の私にとって、パパは、頭がよくてなんでも知っている存在だった。  だから、すごく、安心できる。 「パパは、きれいな女の人が好きなんだよね?」 「ああ、だから莉鈴もママも大好きだよ」  また、耳元でささやかれる。  まるで、耳にキスされているみたい。  くすぐったくて、気持ちいい。  この時の私は、その行為をなんの疑問もなく平然と受け入れていた。 「……莉鈴がママよりもきれいになったら、パパは、ママよりも莉鈴のことが好き?」 「今でも、莉鈴のことがいちばん好きだよ。莉鈴は世界でいちばん可愛くて、世界でいちばん愛してる」  その言葉で、身体が痺れるような気がした。  すごく、嬉しかった。  幸せだった。 「え……へへ……、莉鈴も、パパのことだーい好き」  パパの腕の中で回れ右する。  パパに抱きついて、ほっぺにキスをした。  それは、いつもしていることだった。  いってらっしゃいのキス。  おかえりなさいのキス。  おやすみなさいのキス。  パパとママは唇にしているけれど、莉鈴がキスするのは、されるのは、ほっぺ。  だけど、今はちょっと違った。  今度は、パパの方からキスしてくる。  いつもよりも、ずっと、唇の近くに。  どきっとした。  胸の奥が、熱くなるような気がした。  キス、したい。  ちゃんとしたキスをしたい。  そう、想った。  もう一度、私の方からキスをする。  今度は、ちゃんと、唇に。  どきどき、した。  裸で抱き合って、キスしている。  そう考えると、まるでパパとママみたい、まるで恋人同士みたい。  ほっぺのキスよりもずっと素敵だ、と想った。  キスしたまま、パパの手が身体をなでていく。  背中を、腰を、お尻を、そして脚の間を。 「…………っ」  そんな風に触れられることが、気の遠くなるほど気持ちよかった。 * * *  ぼんやりした頭でも「おかしい」と感じはじめたのは、お風呂から上がって、身体を拭いてもらって、自分の部屋に連れていかれてからだった。  全裸のまま、ベッドに寝かされた。  パパも裸のまま、寄り添うように横になった。  ベッドの上で、抱きしめられる。  全身が、直に密着する。  すごく、熱く感じた。  キス、される。  触れた唇が灼けるようだった。  そして、パパの手が、身体をなでまわしている。  膨らみはじめた胸とか。  脚の間の、エッチな部分とか。 「…………パ……パ?」  パパはなにをしているのだろう。  ぼんやりとした頭で考える。  女の子の、エッチな部分を弄られている。  それはすごく恥ずかしいことで、だけど、気持ちよかった。  頭が熱くて。  顔が火照って。  うっとりとしてしまう。  だから、抵抗できない。  身体に力が入らない。  ただ、パパの手に身体を委ねてしまう。  目を閉じて、パパに触れられる気持ちよさを味わっていた。  気がつくと、身体が動かなくなっていた。手首が、足首が、ベッドに縛りつけられていた。  普通に考えればすごく異常なことのはずなのに、この時は、当然のことのように受け入れてしまった。 「……ゃぁ……だ……パ、パぁ……」  呼吸が荒くなる。  身体が汗ばんでしまう。  弄られている部分が、灼けるように熱い。じんじんと痺れている。  女の子の部分に触れられると、びくっと震えてしまう。身体に電流が流れたみたいに感じる。  これが、エッチな行為だってことは知っている。  パパが、私に、エッチなことをしている――それは、認識していた。  小学生だって、高学年にもなればセックスに関するいちおうの知識は持っている。  男と女が裸で抱き合って、キスしたり、身体を触ったりして、おちんちんをおまんこに挿れる。  それが、セックス。  おちんちんからセイエキというものが出て、お腹の中でセイシとランシがひとつになって、赤ちゃんができる。  本来は、子供を作るための行為。  だけど、それだけじゃない。  それは、気持ちのいいこと。  おまんこを弄るのが気持ちのいいことだって、私も知っている。  いつ、そのことに気づいたのかは覚えていない。いつの間にか、自然と知っていた知識だ。  おそらく、机の角に押しつけたり、鉄棒にまたがったり、ということがきっかけだろう。  パンツの上からおまんこを弄ると、気持ちよくて、すごくどきどきして、弄っている部分がぬるぬると湿ってくる。  やがて、そんな行為が習慣になってしまった頃には、それがオナニーとか自慰とかひとりエッチとか呼ばれるものだということも知っていた。  そして――  セックスが、私みたいな子供がしちゃいけない行為だということも、知っている。  パパみたいな大人が、私みたいな子供とセックスするのも、いけないことだって知っている。  親子でしちゃいけないことだということも、知っている。それは〈キンシンソウカン〉っていう、とてもいけないことなのだ。  そうしたことは、小学生の私でも知っている。  なのに、どうして。  パパは、私に、エッチなことをしているのだろう。  パパと私は、親子なのに。  パパには、ママがいるのに。  これは、いけないことなのに。  なのにパパは、動けない私にキスして、身体を触って、とても嬉しそうにしている。  そして、私は――  キスされるのが嬉しい、と。  触られるのが気持ちいい、と。  そう、感じていた。  それは、いけないことなのに。 「…………や……だ、パパ……ぃゃ…………だめぇ……」  唇がうまく動かない。  言葉が思うように紡げない。  必死に自分に言い聞かせていないと、まったく逆の言葉を口にしてしまいそうだった。  気持ちいい、と。  もっとして、と。  そんなの、だめ。  そんなこと、言ってはいけない。  なのに、おまんこを弄られるたびに、いやだからじゃなくて、気持ちよすぎて悲鳴を上げそうになってしまう。  パパが、身体の位置を少し動かす。  胸に、キスされる。  小さな突起を強く吸われる。  ほんの少し、痛くて。だけど、くすぐったいような、痺れるような、いやじゃない感覚。  もっと、して欲しいと想ってしまう。 「……い……やぁ……や、め……」  そう想うたびに、逆の言葉を口にする。そうしなければならない、と。そんな気がした。 「や……ぁっ、ん…………」  乳首を舌先でつつかれる。くすぐられる。  その間も、おまんこを指で弄られている。  遠くから聞こえている、くちゅくちゅという湿った音。  音が大きくなるほど、気持ちよくなってくる。  気持ちよくなるほど、音が大きくなってくる。  いけないこと、なのに。  しちゃいけないことを、しているのに。  されちゃいけないことを、されているのに。  なのに、気持ちよくなってしまう。  パパが、さらに下へと移動していく。  胸からお腹、おへそ、そしてもっと下へ。  唇で、舌先で、くすぐるように。  どんどん、近づいていく。  私の、エッチな部分に。  弄られて、気持ちよくなって、いやらしい音を立てている部分に。 「ひゃっ……い、やぁ……っ!」  キス、された。  おまんこに、キス、された。 「あぁぁぁんっっ!!」  口から飛び出したのは、自分でも信じられないくらい、甘い叫びだった。  一瞬、頭の中が真っ白になった。  びくん、びくんと、全身が痙攣した。  パパが、エッチな部分を舐めている。  ぴちゃぴちゃと、仔犬がミルクを飲むような音を立てている。  今まで経験したことのない感覚。これまでのひとりエッチの時の気持ちよさを、何百倍も強くしたような、痛いほどの快感だった。 「やぁんっ! あっ……あぁんっ! や……だっ、パパぁっ!」  目の前でカメラのフラッシュを焚かれているかのように、視界が真っ白になる。  呼吸が止まる。  身体に電流が走る。 「やぁぁっ! やだぁっ! あんっ! パパぁっ、いやぁっ! あぁっ、あっ、ああぁっ!」  パパの指が、おまんこの入口をくすぐっている。  その動きが速くなっていく。  指先が、もぐりこんでくる。  中に、入ってくる。 「ぁ…………ゃ、ぁ……」  少しずつ、少しずつ、指が奥へ進んでくる。  自分の身体の中に、自分じゃないものが存在するという違和感。  だんだん、痛くなってくる。  なのに、その痛みは、どこか甘かった。 「……あぁ、……ん……」 「感じてるのか? 莉鈴、可愛いよ」  優しい、パパの声。  その声はどこか遠くから聞こえてくるようにも、あるいは頭の中に直接響いてくるようにも思えた。  パパの指が、私の中に、在る。  すごく深いところまで、届いている。  信じられない。  自分で指を挿れてみたことなんて、ない。  こんなに奥まで、入ってくるなんて。  私の身体の中に、パパの身体の一部が存在している。  その事実が、なんだか不思議だった。  指が、私の中で、ゆっくりと動いている。  少し……いや、けっこう、痛い。  だけど、舐められているところはすごく気持ちいい。そのせいか、指を挿れられる痛みも、ただ痛いだけじゃなくて、なんだか不思議な感覚だった。  痛い、けれど、いやじゃない。  うまく説明できないけれど、なんだか、嬉しいような気持ちになってしまう。  痛いけれど、我慢できないほどじゃない。  だから、このまま続けて欲しいなんて、想ってしまう。  だけど、それは怖い気もしてしまう。  長く続けば続くほど、パパにされていることが、少しずつ気持ちよくなってくるように感じていたから。  指が引き抜かれた時には、だから少し安心して、だけど少しがっかりしてしまった。  パパが、また、位置を変える。  拡げられた脚の間に、身体を入れてくる。  私の上に覆いかぶさってくる。  脚の間の、今まで舐められていた部分に、指とも舌とも違う、もっと大きくて熱いものが押し当てられる。 「これで、莉鈴はパパのものだよ。パパとひとつになるんだ」  その言葉が意味するところを、ぼんやりと理解する。  パパのおちんちんが、私のおまんこに入ってくる。  パパと、本当のセックスをする。  そんなこと、しちゃ、いけないのに。  子供はセックスしちゃいけないのに。  親子でセックスしちゃいけないのに。  なのにどうして、パパは、莉鈴とセックスしようとしているのだろう。  わからない。  頭の中がぐちゃぐちゃだ。  でも、ひとつだけわかっていることがある。 「……や……だ…………やめ、て…………ぱ……パパぁ!」  言葉とは裏腹に、それを、本当にいやがってはいないということ。  戸惑ってはいるけれど、いやがってはいない。  怖いけれど、少し、期待もあった。 「愛してるよ、莉鈴」  下半身への圧迫感が強くなっていく。  熱い塊が、押しつけられている。 「ぁ……、んっ…………っ」  どんどん、強くなっていく。  押しつけられて、拡がっていく。  痛いくらいに、拡げられていく。  無理やり拡げられ、引っ張られる痛み。  痛い。  痛い。  痛い。  圧迫感に比例して、強くなっていく痛み。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛みが増すほどに、なにかが、私の中に入ってくる。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  い……た………… 「い……ゃ…………い、やぁぁぁぁ――――――っっっ!!」  下半身が引き裂かれるような激痛に、悲鳴を上げる。  ずぅん、と重々しい衝撃が伝わってくる。  お腹の中に、なにか、大きな塊が在るようだった。  信じられないくらいに大きなものが、私の身体を、内側から引き裂こうとしているように感じた。  すごく、痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い――――  熱い。  苦しい。  歯を喰いしばっていないと、身体がばらばらに引き裂かれてしまいそう。 「い……ぃゃぁ…………パパぁ……痛い……痛い、よぉ……」  ずきん、ずきん、ずきん、ずきん、ずきん、ずきん。  心臓の鼓動に合わせて、痛みが走る。  まるで、おまんこの中に心臓があるみたい。  パパが、私を抱きしめる。  唇を重ねてくる。  舌が、口の中に入ってくる。唾液が流れ込んでくる。  パパの身体が小刻みに動く。  私の中に在るものも一緒に動く。  そのたびに激痛が走る。  全身の筋肉が強張る。  悲鳴じみた嗚咽が漏れる。  パパは、一定のリズムで動いている。  これ、知ってる。  セックスする時、男の人は、こうして腰を動かすんだって。  そうすると、おちんちんがおまんこの中でこすれて、気持ちよくなって、シャセイするんだって。  高校生のお姉ちゃんがいて、エッチなことに詳しい友達が話していた。  そして、おまんこをおちんちんでこすられると、女の人も気持ちよくなるんだって。  だけど、私は今、気持ちよくなんかない。  ただただ、痛いだけ。  泣くほど痛い。  下半身が裂けてしまいそうなくらいに痛い。  それはきっと、私がまだ、セックスしてはいけない子供だからなのだろう。  そう、想った。  だけど、パパはとっても嬉しそう。  とっても楽しそう。  とっても気持ちよさそう。 「莉鈴……気持ちいいよ。莉鈴のおまんこ、すごく気持ちいい」  何度も何度も繰り返しながら、腰を動かしている。  私は、痛くて泣いている。  なのに……  どうして、なんだか〈満たされている〉って感じるんだろう。  わからない。  わからない。  わからない。  わからない。  わからない。  わからない。  なにも、わからない。  頭の中はぐちゃぐちゃで。  身体はとても痛くて。  もう、わけがわからない。  パパが中に入ってきてから、ずいぶん時間が過ぎたように感じる。  これはいったい、いつまで続くんだろう。  なにしろ初めてのことだから、セックスにはどのくらいの時間がかかるものなのかもわからない。  もう、時間の感覚もなくなっていて、永遠に続くのではないかとすら思えてしまう。  早く終わって欲しい気もするし、ずっと終わらずにいて欲しい気もする。  いつまでも続く、甘美な苦痛。  それはパパの呻き声と、ひときわ大きな動きと、それにともなう激痛と、お腹の奥になにかが噴き出してくる感覚で終わりを迎えた。 「あ……あぁぁっ、んんっっ!」  引き抜かれる時には、内臓が引きずり出されるかのような激痛だった。  ずるり……という感覚とともに、パパの分身が抜け出る。お腹が内側から引き裂かれるような痛みが薄れていく。  身体の中を、なにかが流れるような感覚があった。それはおまんこからあふれ出て、お尻の方まで流れ落ちていく。 「……ぁ…………」  なにかが、唇に押し当てられる。  視界がぼやけていて、それがなにかもわからない。  熱くて、丸い、大きな塊。  ちょっと強引に、口の中に押し込まれる。  口いっぱいの、大きな塊。  温かいというよりも熱いくらいで、固い弾力があって、口の中で脈打っている。  それがなんであるか、頭よりも先に本能で理解した。  たった今まで、私のお腹の中に、私のおまんこの中に、在ったもの。  私のバージンを、奪ったもの。  パパの、おちんちん。  それが、口にねじ込まれている。  これまで嗅いだことのない、独特の生臭さ。  吐き気をもよおす青臭い苦味。  そして、錆びた鉄のような、血の味。  咳き込んで吐きそうになるけれど、頭を押さえられていて動くことができない。  喉の奥まで押し込まれてくる。  口の中で、膨らんでいくみたい。  より大きく、より硬くなっていくみたい。  パパが、ゆっくりと動いている。  さっきの、セックスしていた時みたいに、おちんちんで私の口の中をこすっている。  特大のフランクフルトを丸ごとくわえているような感覚だった。  噛んではいけない、歯を立ててはいけない――本能的に、そう思った。歯が当たらないように口を大きく開けているのが辛くて、すぐに顎が疲れてきた。  それでも、おまんこに挿れられていた時よりは少し楽かもしれない。疲れるし、苦しいけれど、あまり痛くはない。いやな味や臭いも、長く続けているうちに舐め取られてしまったのか、気にならなくなってきた。  熱々のゆで卵を、まるごとほおばっているみたい。  口の中で小刻みに動いている。  舌が、内頬が、こすられている。  どういうわけか、それがだんだん気持ちよくなってくる。  そして……  また、パパが呻き声を上げる。  口の中のもの場、大きく脈打つ。  次の瞬間、 「んヴぅぅ……っっ!」  熱いものが、口の中に噴き出してきた。  どろりとした感触が口いっぱいに広がる。  さっきと同じ、生臭い臭いと、苦い味。  舌に、喉に、ねっとりと絡みつくようないやな感覚。  咳き込みそうになるけれど、口を塞がれ、頭を押さえられて、吐き出すこともできない。  意識が遠くなっていく。  朦朧とした頭で想う。  パパが〈シャセイ〉したんだ、と。  口の中に噴き出してきた生臭い粘液が〈セイエキ〉なんだ、と。  さっきは、おまんこの中にこれを出されたんだ、と。  知識でだけ知っていたエッチな行為が、自分の身体で行われた。  そのことが、いまだに信じられなかった。 * * *  翌日、目を覚ましたのは昼頃だった。  昨夜――  あの後もまた、パパは私と〈セックス〉した。  もう一回か、それとも二回。  後半は頭がぼんやりしていたので、よくわからない。  〈セックス〉が終わって、腕と脚を縛っていたロープが解かれても、しばらくは眠れなかった。  おまんこの痛みと、精神的な衝撃。どちらも、眠りを妨げるには充分すぎるものだった。  ようやくうとうとしたのは、窓の外が白みはじめた頃だろう。  眠る前も眠った後も、パパとのセックスの記憶が頭の中をぐるぐると回っていて、いつ眠ったのかははっきりしない。  目を開ける。  まだ、頭がなんだかぼんやりしている。  身体に力が入らなくて、起き上がる気にもなれない。  仰向けのまま、虚ろに天井を見つめる。  見慣れた天井の模様。  自分の部屋。  自分のベッド。  その真ん中に、ひとりで寝ている。  だから、昨夜の出来事が信じられない。  おかしな夢でも見ていたのだという気がしてしまう。  そうだったらいいのに、と想う。  あんなこと、ありえない。  現実のはずがない。  パパと、セックスしたなんて。  パパが私を〈ゴウカン〉したなんて。  ありえない。  全部、夢。  そう、想いたかった。  だけど……夢、じゃない。  全部、現実だ。  だから、裸で寝ている。  だから、おまんこがずきずきと痛い。  まだ、中になにか在るような異物感を覚える。  そして、シーツの、ちょうどお尻の下になるあたりに残った、血としか思えない紅い染み。  全部、現実だった。  パパと、セックス、した。  まだ十歳なのに、セックスして、バージンじゃなくなった。  それも、パパ相手に、キンシンソウカンしてしまった。  信じられない。  パパが、あんなことするなんて。  あれは全部、しちゃいけないことだ。  小学生とセックスするのも。  親子でセックスするのも。  そしてなにより、パパが私に、あんな痛いことをするなんて。  当時の私は、たぶん平均以上にパパのことが好きな子供だった。  パパは格好よくて、頭がよくて、仕事でよく外国へ行っていて、外国語もいろいろ話せて、どんなことでも知っていた。  外国へ行くと、お土産に、珍しいおもちゃやお菓子や、綺麗な服やアクセサリーをいっぱい買ってきてくれた。  友達が羨むくらい、おこづかいをたくさんくれた。  仕事が忙しくて家に帰らないことも多いけれど、休みの日にはいろいろなところに遊びに連れていってくれた。  私にはとても優しくて、でも、たまに怒った時には怖くて、だけどその後には普段以上に優しくなって、美味しいものを食べに連れていってくれた。  大好きなパパ。  自慢のパパ。  そのパパが、あんなことをするなんて。  信じられない。  だけど……  幼心にも、わかっていた。  〈女〉の本能として、感じていた。  パパは、莉鈴が嫌いで、ひどいことをしたんじゃない、と。  その反対。  莉鈴のことが大好きで、愛しているから、莉鈴とセックスしたんだ、と。  だって、キスやセックスは、好き合っている男の人と女の人がするものだから。  セックスしている時、パパは何度も何度も私にささやいていた。  愛してる、って。  大好きだよ、って。  可愛いよ、って。  気持ちいいよ、って。  とても痛いことをしているのに、とても優しい声だった。  その声を聞いていると、パパに愛されているんだって感じた。  だけど、それがいけないことだというのも、わかっていた。  パパが娘を、娘がパパを、家族として〈好き〉なのはいいけれど、セックスするような意味で〈愛してる〉のはいけないことだ。  だけど、パパはママよりも、他の誰よりも、莉鈴のことが大好きで、だからあんなことをしたんだって、子供の私でもわかっていた。  そんなにパパに愛されていることが、嬉しかった。  だけど、パパに、セックスするような意味で〈愛されてる〉ことを喜ぶのもいけないことだって、わかっていた。 「……莉鈴?」  不意に、ドアがノックされた。  びくっと、身体が痙攣する。  ドアが開かれ、首をそちらに向ける。 「……そろそろ起きなさい」  いつもと変わらない、パパの声。  手には、私の大好物、アイスミルクココアのグラスを持っている。  もちろん、ちゃんと服を着て、普段の休日のパパとなにも変わらない。 「……パパ…………?」  こんな姿を見ると、昨夜のあれはやっぱり夢だったんじゃないか、なんて想ってしまう。 「なんだ?」 「…………ううん、なんでもない」  やっぱり、訊けない。訊くのが怖い。  なんでもないふりをして身体を起こそうとしたけれど、力が入らなかった。 「……具合、悪いのか?」  パパが、優しく起こしてくれる。  大きなクッションを拾い上げて、寄りかかれるように私の後ろに置いてくれる。  いつもと変わらない、優しいパパ。  だけど、夢じゃない。  昨夜のあれは、みんな、夢じゃない。  だから、私が裸でいるのに、シーツが血で汚れているのに、パパはなにも言わない。  グラスが渡される。  その冷たさに、少しだけ意識が目覚める。  ストローを口にくわえる。  パパが作ってくれるミルクココアは、とても甘くて、だけどくどくなくて飲みやすくて、大好きだ。  よく冷えていて、なんとなく身体が熱っぽく感じる今の私には最高の味だった。 「少し、熱があるんじゃないか?」  パパがおでこに触れてくる。  さらに確かめるように、自分のおでこをくっつける。  パパの顔が間近にある。  どきどきする。  こんなの、風邪をひいた時にはいつものことなのに。  だけど、今朝は平然としていられない。顔が、耳が、さらに熱くなってしまう。 「……少しだけ熱いか? 顔も赤いし、風邪かな?」  熱があるのも、顔が赤いのも、風邪のせいなんかじゃない。パパだってわかっているはずなのに。 「念のため、薬を飲んでおきなさい」  既に薬を持ってきているのが、その証拠。  差し出されたのは、いつも飲んでいる錠剤の風邪薬ではなく、見たことのないカプセルだった。  それを見て、なんとなく悟った。  きっと、この薬のせいだ。  エッチなことをしたくなってしまう薬なんだ。  そういう薬があるって、話には聞いたことがある。  きっと、昨夜のココアに、これが入っていたんだ。  だから、頭がぼんやりして、パパにエッチなことをされて気持ちよくなってしまったんだ。 「…………」  そう気づいたけれど、私は拒まなかった。  鳥の雛のように、上を向いて口を開ける。  親鳥のくちばしのように、カプセルをつまんだパパの指が口の中に挿れられる。  軽く舌をくすぐって、その上にカプセルを置いていく。  ココアで、カプセルを飲み込んだ。  とくん、とくん。  鼓動が大きくなってくる。  これから、どうなるんだろう。  どうなってしまうんだろう。  すごく、どきどきしている。  すごく、緊張している。  また、身体が思うように動かせなくなって、エッチな気持ちになってしまうんだろうか。  また、パパにエッチなことをされてしまうんだろうか。  また、すごく痛いことをされてしまうんだろうか。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  いやだ。  その気持ちは嘘じゃない。それは間違いない。  だけど。  だったら何故、おとなしく薬を飲んでしまったのだろう。  いや……な、はずなのに。  なのに。  胸の奥底の、とても深い深い場所に、ぽつんとひとつ別な想いがある。  ベッドの端に座って、優しい笑みを浮かべて私を見ているパパ。  そんなパパの顔を見ていられなくて、うつむいてゆっくりとココアを飲んだ。  ストローで口がふさがっている間は、なにも離さなくてすむ。  なにを話せばいいのかわからない。  だけど、ずっと黙っているのも不自然だった。いつもはお喋りな私、パパとふたりでいるのに沈黙を続けているなんてありえない。  だから、ココアを飲んでいるという口実が必要だった。  だけど、どんなにゆっくり飲んでも、グラスはやがて空になってしまう。  パパが、私の手からグラスを受け取って机の上に置く。  ぶつかった氷が澄んだ音を立てる。  パパの座る位置が、少し近づいてくる。  ほとんど身体が触れるような距離。  大きな手が、頭に置かれる。  いつもそうしているように、優しくなでてくれる。  パパになでられるのは好きだった。幸せで、気持ちよくなれる。  それは、今日も変わらない。昨夜、あんなことがあったのに、やっぱりパパになでられるのは嬉しかった。  いつもそうしているように、パパの大きな身体に寄りかかった。裸のままだったけれど、気にしなかった。むしろ、裸でいることが当たり前のように思えた。  あるいは、もう、薬が効きはじめていたのかもしれない。頭をなでられることが、いつもよりもっと気持ちいいような気がした。  私の、いちばん幸せな時間だった。  だけど。  今日はきっと、この後に、怖い時間が来る。  いやだ。  怖い。  だけど……。  それだけ、じゃない。  逆の想いが、ある。  だって、それは、パパが莉鈴のことを愛している証だから。  でも、それは、本当はしちゃいけないこと。求めちゃいけないこと。  どうしたらいいのだろう。  パパを拒むことなんて、できない。  だけど、素直に受け入れてしまうのは、いけないこと。  いったい、どうしたらいいのだろう。  頭がぼんやりしてくる。  顔が、身体が、熱くなってくる。  鼓動がさらに速く、激しくなってくる。 「……ぁ」  頭をなでているのとは別の手が、身体に触れてきた。  小さな胸のふくらみを、大きな手のひらが包み込む。  ゆっくりと円を描くように動いて、優しく揉まれる。  先端の小さな突起がつままれる。  びくっと身体が震える。  気持ち、よかった。  その、エッチな部分を触られるのは、気持ちよかった。 「…………ぁ……は、ぁ」  押し殺した吐息が漏れる。  抑えようとしても、抑え切れない。  パパの手は、ゆっくりと動き続ける。  右の胸。  左の胸。  交互に、行ったり来たりしている。その一往復ごとに、どんどん気持ちよさが増していく。  脚の間が、湿ってきているように感じる。 「……パ……パ…………」  声が、泣いているみたいに震えてしまう。  やがて、手が移動していく。  胸から、だんだんと下の方へと。  お腹の上を滑り、脚の間へと入ってくる。 「……っ! ゃ…………んっ」  くちゅ……と、濡れた音がした。  それがなにを意味しているのか、わからないほど子供ではない。  エッチな気分になっている。  エッチなことをされて、気持ちよくなっている。  女の子はそうなると、おまんこがぬるぬると濡れてくるのだ。  これは、いけないことなのに。  パパとエッチなことをするなんて、いけないことなのに。  いけないことをして気持ちよくなってしまうなんて、莉鈴はいけない子だ。  なのに、おまんこを弄られて、もっと、もっと、どんどん気持ちよくなってしまう。  ぜんぜん、いやだなんて感じない。 「……ぁ…………んっ、……ゃ……ぁんっ……パパぁ」  濡れた割れ目の中で、パパの指が前後に滑っている。  動くたびに、悲鳴を上げそうになる。  せいいっぱい堪えても、泣いているみたいな声がどうしても漏れてしまう。  それは、エッチな声。  エッチなことをして気持ちよくなると、出てしまう声。  いけないことをしているのに、声が抑えられない。  もしかして、私はすごくいやらしい女の子なのだろうか。  ううん、違う。  パパに、エッチな薬を飲まされたから。  だから、すごく気持ちよくなってしまう。  だから、エッチな気分になってしまう。  きっと、そう。  全部、パパの薬のせい。  そう、想い込む。 「パ……パぁ……どうして、こんなこと……するの?」  気持ちよすぎて、おかしくなってしまいそうで。  だから、勇気を振りしぼって訊いてみた。  これは、いけないことなのに。  パパは、いけないことをしているのに。  なのにパパは、当然のことのように微笑んで応えた。 「莉鈴がとっても可愛くて、パパは、そんな莉鈴を愛しているからだよ」  愛しているから、セックスする。  これ以上はないくらいに、当たり前のこと。  ただしそれは、親子じゃなければ、小学生じゃなければ、の話。 「……せ……セックス……するの?」 「いやか?」 「………………わかんない」  いや、と答えるのは簡単だけれど、そんなことを言ったら、パパに嫌われてしまうかもしれない。  パパは、莉鈴を愛しているからセックスする。  だとしたら、パパとセックスしたがらないということは、私がパパを愛していないことになってしまう。  それは、違う。  パパのことは、好き。  大好き。  もちろんそれはセックスするような意味じゃなかったけれど。  莉鈴とセックスしようとするパパは……少し怖いけれど、それでも、やっぱりパパのことは嫌いじゃない。  それに、セックスすること自体、いやだとは言いきれない。  すごくいけないことだとはわかっているけれど、イコールいやなことかというと、そうじゃない。  エッチなことに限らず、いけないことを親や先生に隠れてこっそりとするのは、とてもどきどきすること。  だから、いやだとは言いきれない。  セックスをいやだと思う理由があるとしたら、それは、泣くほど痛いからだ。  痛くなければ……したい、かもしれない。少し、そう想う。  セックスすることがパパを愛している証なら、パパに愛されている証なら、したい。  それは、いけないこと。  とても、恥ずかしいこと。  すごく、痛いこと。  だけど…… 「…………わかんない、けど…………パパがしたいなら……しても、いい」  そうとしか、答えられなかった。 「したい。可愛い莉鈴と、セックス、したい」  耳元でささやかれる。  くすぐったくて、だけどそれが気持ちいい。  そして、嬉しい。  セックスしたいって、言ってくれるのが嬉しかった。  パパが、服を脱いでいく。  下着も脱いで、全裸になる。  パパのおちんちんは、私がもっと小さな頃、お風呂に入れてもらっていた時とはまったく違っていた。  驚くほど大きくて、反り返って上を向いている。  〈勃起〉という現象も、いちおう知識では知っていた。男の人はエッチな気分になると、おちんちんが大きく、硬くなるのだ。  大きくなったおちんちんをはっきりと目にするのは、初めてだった。昨夜は落ち着いて見ている余裕なんてなかったし、薬のせいか目の焦点も合っていなかったから。  本当に、びっくりするくらいに大きい。  太さも、私の手首とあまり変わらないように見える。  こんなに大きなものが、私のおまんこの中に入っていたなんて。  ありえない。  信じられない。  痛くて泣いてしまったのも、いっぱい血が出たのも、当たり前だ。  怯えた目で、パパを見上げる。  セックスしてもいいと言ったけれど、大きなおちんちんを目の当たりにしたら、また怖くなってきた。  パパに手首をつかまれる。  手が、パパの下半身に押しつけられる。  熱い、というのが最初の印象だった。温かい、ではなく、熱い。  硬くて、少し弾力があって、血管が浮かび上がっていて、小さく脈打っているのが感じられた。  本能的に、恐怖を覚える。  これがパパの身体の一部だなんて、信じられない。身体にくっついているだけの、パパとは別の怪物みたい。  だけど間違いなく、これがパパのおちんちん。  パパの身体から生えていて、昨夜、私の身体を貫いたもの。  これが、私の中に入っていた。  手を開いて、自分の意思でしっかりと触れてみる。  熱い。  人間の身体の一部が、こんなに熱くなるなんて。  こんなに硬くなるなんて。  こんなに大きくなるなんて。  すごく、不思議。  パパは私の手を包み込むようにしておちんちんを握らせると、その手を上下に動かしはじめた。  おまんこにパパの手が触れると私は気持ちよくなるのだから、私の手がおちんちんに触れると、パパも気持ちよくなるのだろうか。  きっと、気持ちいいに違いない。だから、触らせているのだろう。  おちんちんは、おまんこでこすられると気持ちよくなる。だから、手でこすっても気持ちいいはずだ。  しばらくその行為を続けていると、だんだん、恐怖心が薄れてくるようだった。手の中に在るものが、パパの身体の一部なんだって実感できるようになってくる。  やがて、パパの手が頭に触れてきた。  押さえつけて、頭を下げさせる。  おちんちんが、目の前に近づいてくる。  至近距離で見ると、やっぱり少し怖い。  だけど。 「どうすればいいか、わかるだろ」 「…………ん」  小さく、うなずいた。  パパがなにを望んでいるのか、なにをさせようとしているのか、わかっている。  昨夜、何度もさせられたことだ。  直視するのは少し怖いので、目を閉じる。  最後の数センチは、自分の意思で頭を動かす。  唇が、熱いものに触れた。  手で触れるよりも、もっと熱く感じた。  口を少しだけ開いて、舌を伸ばす。  舌先が触れる。  次に、舌全体をもっとしっかりと押しつけ、大きなアイスキャンディーのように舐め上げる。  二度、三度、根元から先端まで舌を動かす。  続いて、口を大きく開いてくわえ込んだ。  〈フェラチオ〉という言葉は知っている。  セックスの時、女の人が、男の人のおちんちんを舐めたり、口にくわえたりすることだ。  そうすると、男の人は気持ちよくなって悦ぶという話だった。  初めてその話を聞いた時は、おちんちんを舐めるなんて気持ち悪いって思った。  だけどどういうわけか、今は、ぜんぜんそんな風には感じなかった。  パパが悦んでくれるからだろうか。  それとも、その行為が気持ちのいいことだと知ってしまったからだろうか。  パパにおまんこを舐められることは、すごく気持ちよかった。セックスと違って痛くなくて、ただただ気持ちよかった。  だからきっと、私がおちんちんを舐めてあげれば、パパも同じように気持ちよくなるのだろう。  パパが気持ちよくなってくれることは、嬉しい。  パパを気持ちよくして上げられることは、嬉しい。  パパに褒められるのは、嬉しい。  だから、パパにフェラチオするのは、ぜんぜんいやじゃなかった。  だけど、舐めるのはともかく、この大きなものを口にくわえるのは少し難しかった。顎が疲れてしまうし、奥までくわえると、苦しくて吐きそうになってしまう。  それでも、セックスみたいに泣くほど痛いわけではないし、ただ舐めるだけよりも、深くくわえた方がパパが悦んでくれる。  気持ちいいって言ってくれる。  上手だって褒めて、頭をなでてくれる。  だから、頑張った。  それに、おちんちんを舐めたりくわえたりするのって、なんだか、口が気持ちいい。  だから、フェラチオはいやじゃない。  少し、好き、かもしれない。  長く続けていると、頭がぼぅっとしてくる。お風呂に長く入りすぎた時みたいに、熱くなって、ふらふらして、でも気持ちいいような感覚。  朦朧としたまま頑張っていると、パパが小さく声を上げた。  頭を強く押さえられる。  いきなり、熱くてどろっとした、苦いものが噴き出してくる。  口の中がいっぱいに満たされる。  これは、あまり好きじゃない。苦くて、臭くて、咳き込んで吐きそうになってしまう。  だけど、パパに口を押さえられて、吐き出すことができない。 「全部飲みなさい」  強い口調で言われる。  嫌いなピーマンを食べさせられる時みたいに、涙が滲んできた。吐きそうなのを我慢して、なんとか飲み込んだ。  ピーマンよりももっと美味しくない。気持ち悪い。  だけど、ピーマンを我慢して食べた時よりも、パパはもっともっと褒めてくれた。  涙ぐみながらも、口元がほころんでしまう。 「…………せ、セイエキって……飲んでも、毒じゃないの?」 「そんなわけないだろ。セックスの時、女の人は、精液を飲むことになってるんだ」 「そ……そうなんだ?」  こんなにまずくて気持ち悪いものを飲むのが当たり前だなんて、理解できない。もっとも、それを言ったらセックスだって、私にとっては痛いだけで気持ちのいいものではない。 「飲み慣れれば、美味しく感じるようになるよ」 「……そう……なの?」  信じられない。  だけど、パパが美味しそうに飲んでいるビールも、私が舐めてみたら顔をしかめるほど苦かった。大人と子供では、味覚も違うのかもしれない。 「それに莉鈴だって、これから生まれてきたんだぞ」 「せ……セイシとランシがお腹の中でひとつになって……赤ちゃんになるんだよね?」 「そう、よく知ってるね。莉鈴は頭がいいな」  また、頭をなでられた。  学校では、よく勉強している方だと思う。  いい成績をとると、パパがとてもほめてくれて、お小遣いとか、新しい服とか、おいしいケーキとか、そんなごほうびをいっぱいくれるから、頑張って勉強している。成績はトップクラスだろう。 「……ぱ、パパとママが……セックス、して、莉鈴が生まれたんだよね?」 「そうだよ。ママのおまんこにパパのおちんちんを挿れて、中に精液を出して……そうするとママのお腹の中に小さな小さな赤ちゃんの素ができて、それがお腹の中で育って……赤ちゃんになって生まれて来るんだよ」 「じゃあ……莉鈴も、赤ちゃんを産むの?」  昨夜、パパは私とセックスした。  私のおまんこの中に〈シャセイ〉した。  私のお腹の中には、赤ちゃんの素があるんだろうか。  私は、パパの赤ちゃんを産むんだろうか。 「莉鈴はまだ子供だから、もっと大人にならないと赤ちゃんはできないな。ニワトリだって、ヒヨコのうちは卵を産まないだろ?」 「…………そう」  この時感じた、複雑な想い。  それは安堵だろうか。  それとも落胆だろうか。  子供が赤ちゃんを産んではいけないことは知っている。  親子で赤ちゃんを作っちゃいけないことも知っている。  だから、ほっとした。  だけど、赤ちゃんは可愛い。  それが自分の赤ちゃんなら、そしてパパの赤ちゃんなら、大好きな人との赤ちゃんなら、もっともっと可愛いはずだ。  だから、がっかりした。 「……赤ちゃん、欲しいのか?」  もしもここで「欲しい」って答えたら、パパはどうするのだろう。  その反応が気になったけれど、首を横に振った。 「…………ううん。莉鈴はまだ子供だから、赤ちゃん産んじゃいけないんだよね?」  その台詞は、半分、嘘。  本当の理由は〈子供だから〉じゃない。パパと莉鈴が〈親子〉だから。  〈子供だから〉が理由なら、時が解決してくれる。私もやがて、赤ちゃんが産める大人になる。  だけど、〈親子〉は永遠に親子のままだ。  そのことを認めたくなかった、のかもしれない。 「じゃあ、莉鈴が大人になった時のために、練習しようか」 「……れんしゅう?」 「そう。赤ちゃんを作る、練習」  それは、つまり、セックスすることだろう。  今しているような、触ったり舐めたりだけじゃなくて、本当のセックスをすること。  おちんちんをおまんこに挿れられて、シャセイされること。  昨夜、何回もされたこと。  とても痛くて、苦しいこと。  子供がしてはいけないこと。  パパとしてはいけないこと。  だけど。 「…………ん…………練習、する」  この時の私は、少しだけ、したいという想いがあった。したくない、という想いよりも少しだけ強かった。  小さくうなずくと、パパは私をベッドの上で仰向けにした。  脚を開かされ、その間にパパが身体を入れてくる。  反り返ったおちんちんを手で押さえて、その先端を私のおまんこに当てた。 「…………っ!」  痛いのが来る――と思って、病院で注射される時みたいに、目を閉じて歯を喰いしばった。  だけど、予想していた痛みがやってこない。 「……んっ、ぁっ……んっ!」  おちんちんは中に入ってこないで、おまんこの割れ目をこすっていた。  パパは、セックスする時みたいに私の脚を押さえつけて、腰を動かしている。だけど私の中には挿れてこない。ただ、こすりつけているだけ。 「ぁ……ぁっ……ぁんっ!」  それは、すごく気持ちよかった。  指で弄られるのよりも、舌で舐められるのよりも、もっと気持ちいい。  ぬるぬるとした感触が伝わってくる。  おまんこが濡れている。こすられるたびに、もっと濡れてしまう。  呼吸が速くなる。  鼓動が激しくなる。  身体がびくびくと震える。  形としては、セックスしているみたいに見える。だけど痛くなくて、すごくすごく気持ちいい。  初めての体験だった。 「あぁぁんっ…………ぁっ、ぁんっ、やぁぁっ!」  無我夢中で、パパにしがみつく。  つかまっていないと、どこかに飛んでいってしまいそうな感覚だった。  気持ちいい。  気持ちいい。  気持ちいい。  気持ちいい。 「ぱ……パパぁ……パパぁっ! あぁんっ!」  ずっと、こうしていたい。  だけど、ずっとこのままというわけにはいかない。  これは、セックスじゃないから。  本当のセックスじゃない。セックスのふり、真似事だ。  パパは、莉鈴とセックスするって言った。  だから、この、気持ちのいい〈セックスごっこ〉だけでは終わらない。 「――――っっ!!」  気持ちよすぎて、頭が真っ白になった。  一瞬、全身が硬直して、すぐにぐったりと力が抜けていった。  これまでで、いちばん気持ちのいい瞬間だった。 「あ…………っ」  また、おちんちんが押しつけられる。  今度はこすりつけるのではなく、そのまままっすぐに突き出されてきた。 「ん、んん……っ!」  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  パパが、莉鈴の中に入ってこようとしている。  あの大きくて硬いパパのおちんちんが、小さな小さなおまんこを無理やり押し拡げて、入ってこようとしている。 「い……ぃぃ…………っ、ぅ……くぅぅぅんっ!」  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  歯を喰いしばる。  堪えようとしても、涙が滲んでくる。  だけど、止まらない。  どんどん拡げられていく。  大きな塊が、どんどん入ってくる。  身体が裂かれるような感覚。  お腹が、内側から破裂してしまいそうだ。 「あぁぁぁぁ――――っっ!!」  意識が飛ぶような激痛。  本当に、下半身が引き裂かれてしまったかのよう。  そして、感じる。  私の中に在る、大きな熱い塊。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  痛い。  涙がとめどもなくあふれ出す。  身体が痙攣する。  ぜんぜん、気持ちよくなんてない。  どうしてなんだろう。  セックスって、気持ちいいもののはずなのに。  ひとりエッチだって、パパに弄られたり舐められたりするのだって、すごく気持ちいいのに、どうして肝心のセックスだけは、こんなに痛いんだろう。  涙が止まらない。  パパが少しでも動くたびに、悲鳴が上がる。  今にも、壊れてしまいそう。  身体が引き裂かれて、ばらばらになってしまいそう。  どうして、こんなに痛いんだろう。  これはきっと、いけないことだから痛いのだ。  そう、想った。  いけないことをしたら、パパママに叱られる。叩かれることだってある。  叩かれるのは、痛い。  それは、罰だから。  いけないことをしたら、痛い罰を受けなきゃならないから。  きっと、それと同じだ。  まだ子供なのに、セックスした。  キンシンソウカンなのに、セックスした。  ママに内緒で、パパとセックスした。  それは、とてもいけないこと。  いけないことをしているから、これは罰なのだ。  だから、気持ちいいはずのセックスが、叩かれるよりも痛い。  だけど、我慢しなきゃいけない。  いけないことをしたら、罰を受けなきゃならないから。 「あぁっ……あぁぁぁ――――っ!?」  脚をつかまれて、うつぶせにひっくり返された。  パパに貫かれたままなので、おまんこが捩れるみたい。また、新たな痛みが走る。  そのまま、身体を起こされる。ベッドに座ったパパに、背後から抱っこされているような体勢だ。 「ほら、見てごらん」  パパが身体の向きを変えると、壁際に置いてあった姿見を真正面から見る形になった。 「……ぁ…………」  大きな鏡に、パパと私が映っている。  パパに抱きかかえられて、おちんちんが、私のおまんこを貫いているのがはっきりと見えた。  信じられない光景だった。  大人のパパと子供の私では、やっぱり、身体の大きさの釣り合いが取れていない。  太い杭が突き刺さっているみたいだ。ひと筋の血が、その印象をさらに強めていた。 「見えるか? パパと莉鈴がひとつにつながって、セックスしてるんだよ」 「…………う、ん」  それは、目を背けたくなるようなグロテスクな光景だった。  なのに私は瞬きすらできずに、鏡に映った〈莉鈴〉を見つめていた。  腰に腕を回して、私の身体を揺さぶるパパ。  涙と悲鳴を溢れさせる私。  その動きが、だんだん激しくなっていく。  この日も、夜まで、何度もセックスした。  晩ごはんは、大好きなお寿司の出前を取ってくれた。  夜は、また一緒にお風呂に入って、その後はセックスはしなかったけれど、裸のまま私のベッドで一緒に寝て、眠くなるまで、弄られたり、弄ったりしていた。 * * *  次の日は、昨日よりは早くに目が覚めた。  身体の調子も昨日よりはよくて、ちゃんとテーブルで朝食を食べた。  外はいい天気で、今日はドライブに行こうとパパが言った。  おまんこはまだ痛かったけれど、昨日ほどではなくて、なんとか外出することもできそうだった。  家にいるよりはいいかもしれない。  家にいたら、また、パパとセックスすることになってしまう。  したい、という気持ちもないわけでなかったけれど、やっぱり痛いのはいやだし、怖かった。  パパが選んでくれた可愛い服を着て、うんとおしゃれして車でお出かけ。  伊豆方面へ、海を見ながらドライブ。  パパの運転はすごくスピードを出すので少し怖いけれど、セックスよりは怖くなかった。  海が見えるレストランで昼食。デザートのケーキがすごく美味しかった。  この頃になると身体の調子もずいぶんよくなっていて、綺麗な海辺で少し水遊びをした。  だけど、その後連れていかれたのは〈ラヴホテル〉という場所だった。  そこはセックスするための場所で、もちろん、またパパとセックスした。  やっぱり痛くて、泣いてしまったけれど、どういうわけか、昨日ほどには怖くなかった。 * * *  次の日は、遊園地へ行った。  これまで怖くて乗れなかったジェットコースターにも、パパと一緒に乗った。  やっぱり怖かったけれど、でも、あまり怖くない。もっと怖いこと、痛いことを経験したんだから、それに比べたら平気だ、と想った。  一日中、いっぱい遊んで、最後は観覧車に乗ってふたりきりになったところで、キスして、セックスはしなかったけれど、触られたり、触ったり、舐めたり、少しだけエッチなことをした。  莉鈴よりもう少し大きな恋人たちは、観覧車に乗るとこういうことをするんだって言っていた。  パパと恋人同士みたいで、少し嬉しかった。  遊園地を出た時にはもう暗くなっていて、晩ごはんを食べて家に帰った。  その夜は、私のベッドでセックスした。  昨日よりも、少し、気持ちいいような気がした。 * * *  そうして、ママが留守の間、パパと私は毎日セックスした。  やっぱり痛かったけれど、回数を重ねるごとに、怖いとかいやだとかはあまり感じなくなってきいった。  本物のセックスの前に、弄ったり、弄られたり、舐められたり、舐めたりすること――〈ゼンギ〉っていうんだってパパが教えてくれた――はとても気持ちよかった。  この数日間、たくさん、エッチなことを教わった。たくさん、エッチなことをされた。  ローターやバイヴといった、いわゆる〈大人のオモチャ〉で責められたり。  ロープで縛られたり。  首輪や手錠を着けられたり。  蝋燭とか。  パパが見ている前での排泄とか。  フェラチオのやり方もずいぶん上手になったように思うし、お尻でのセックスだって経験した。  そうしたことの意味を正しく理解するようになったのはもう少し後のことで、この時はただ、言われるままに受け入れていただけでしかない。  これらの行為の多くは痛くて、恥ずかしくて、だけど、少し気持ちよかった。  ママが帰ってくるまで、ずっとそんな毎日だった。  パパはいろいろなところに連れていってくれて。  服とか、おもちゃとか、いっぱい買ってくれて。  美味しいものをたくさん食べさせてくれて。  そして、いけないことをいっぱい教わった。  家にいる時は、セックスしていなくても、ほとんどの時間を裸でくっついて過ごした。  いけないことだとわかってはいても、そうした時間はけっして不快なものではなかった。  ひとつ不思議だったのは、一度も「ママには内緒」と言われなかったことだろうか。もっとも、注意されるまでもなく、ママに話すつもりなんてなかった。人に話しちゃいけないことだということはわかっていた。  早くママが帰ってきて欲しいと思ったけれど、帰ってきて欲しくない気もしていた。  ママが家にいれば、もう、いけないことをしなくてもいい。痛いセックスをされることもなくなる。  逆にいえば、ママがいると、もう、パパとセックスできなくなってしまう。  セックス、したくない。  セックス、したい。  常に、相反する想いを胸に抱いていた。  エッチなことをするパパは、怖くて、少し嫌い。だけど、優しくて、大好き。  セックスは痛くていやだけれど、ただいやなだけじゃない。それに、セックス以外のエッチなことには、痛くなくて気持ちのいいこともたくさんある。  したい。  したくない。  どちらが本心なのか、自分でもわからない。  ママが帰ってきたら、どうなるんだろう。  すごく、不安だった。  ママが帰ってくる日、パパと一緒に空港まで迎えにいった。  久しぶりにママの顔を見た時には、心臓が破裂しそうだった。  だけど、ママを抱きしめるパパの様子は普段とまったく変わらなかった。  ママも、なにも気づいた様子はなく、楽しそうに旅行の話をして、たくさんのおみやげを私に持たせてくれた。  私も、自分で思っていたよりもずっと普通に、ママと接していた。  少なくとも表向きは、我が家に〈日常〉が戻ってきた。  だけどそれはあくまでも表向きのことで、実際には、もうけっして元通りには戻れないことも理解していた。 * * *  ママが帰ってきた日の夜――  それは、久しぶりにひとりきりの夜だった。  この一週間、毎晩パパと一緒に裸で抱き合って眠っていたのだ。ひとりでパジャマを着てベッドに入っていることに、違和感を覚えてしまう。  ずっとそれが当たり前のことだったのに、今ではもう遠い過去のことのように思えた。  だから、だろうか。  夜中になっても寝つけなかった。  普段なら、もうとっくに眠りに落ちている時刻なのに、まるで眠くならない。  むしろ、目が冴えてくるようだ。  そして、身体が火照ってくる。  気持ちが昂ってくる。  考えてみれば、それも当たり前のことだ。  なにしろ夜は、〈セックスの時間〉なのだから。  昼間にたくさんした日は、夜はセックスしないこともあったけれど、それでも裸で抱き合って、キスしたり、弄られたり、弄ったり、舐めたり、舐められたり、エッチなことをしていた。  毎晩、そうだった。  だから、夜になると身体が想い出してしまう。  エッチなことの気持ちよさ。  その、忌まわしさ。  ふたつの感覚が、同時に甦ってくる。  どちらにしても、心穏やかに眠れるような感覚ではない。 「ん……」  ベッドの中で何度も寝返りをうつ。  いつも寝ているベッドが、今夜に限って妙に広く感じた。  久しぶりの、ひとりの夜。  毎晩、ここで、パパと一緒に寝ていた。  ここで、パパとセックスしていた。  ここは、パパとエッチなことをする場所だった。  シーツをなでる。まだ、パパの温もりが残っているような気がした。  いつまでも眠くならない。  今日だって、ママを迎えにいくぎりぎりまでエッチなことをしていて、疲れているはずなのに。  だけど、眠れない。寝返りをうつたびに、目は冴えていく一方だ。  身体が熱くなって、汗ばんでくる。  下着の中が、湿ってくる。  無意識のうちに、手がパジャマの中に潜り込んでいく。  初めはパンツの上から割れ目を弄っていた指は、すぐにパンツの中に入ってきた。  直に触れる。  そこはいやらしい涎を垂らして、ひくひくと痙攣していた。  指先が触れただけで、身体が震える。  気持ち、よかった。  以前のひとりエッチとは桁が違う快感だった。  なのに、だからこそ、もっと気持ちよくなりたいと思ってしまう。  パジャマの下も、パンツも、脱ぎ捨ててしまう。今の私には、服なんて邪魔なだけだった。  下半身が裸になった状態で、脚をいっぱいに開く。  パパとセックスしていた時のことを想い出して、触れる。  涎を垂らしている小さな口に、指を挿れていく。 「んっ……ぁっ、ぁ……っ」  思わず、声が漏れた。  指が、濡れた粘膜に包まれる。中はすごく熱くなっていた。  私の指一本でもいっぱいになるような、狭い膣。ここにパパが入っていたなんて、信じられない。  だけど、それが現実。  毎日、毎日。  何度も、何度も。  この小さなおまんこに挿れられて。  激しくこすられて。  たくさん、シャセイされた。  すごく痛くて、毎回、泣いてしまって。  だけど、なんだか気持ちよくて。  私の中がいっぱいに満たされている、って感覚だった。  そうしたことを想い出しながら、指を動かす。  溢れ出た蜜が、くちゅくちゅといやらしい音を立てている。  指が締めつけられている。本当に、指一本でもきついくらいだ。  たぶん、無理すれば指二本くらいは挿れられるだろう。だけど、それはきっと痛いに違いない。  一本でも、根元まで挿れると少し痛い。だけど、それ以上に気持ちいい。  ほんの一週間前までは、指を奥まで挿れるなんて考えられなかったのに、〈女〉になってしまった身体は、膣内への異物の挿入を悦んでいた。。  狭い膣が、指をきゅうっと締めつけてくる。  中は熱く火照っていて、ぬるぬるに濡れている。  ここにおちんちんを挿れてこすることが、パパにとってはなによりも気持ちのいいことなのだそうだ。  私にとっては、それは痛くて泣いてしまう行為なのだけれど、それでも、心底いやなのかというと、それは違う。  キンシンソウカンはいけないこと。  子供がセックスするのもいけないこと。  ぜんぜん、気持ちよくない。  身体が引き裂かれそうで、痛くて泣いてしまう。  なのに――  いやか、と訊かれれば、うなずくことを躊躇ってしまう。  すごく痛くてやめて欲しいのに、心の奥底で「ずっとこのままでいたい」と想っている。  それは言葉ではうまく言い表せない、不思議な感覚だった。  おちんちんを挿れられることに比べると、指で弄られたり、舐められたりするのは、本当に気持ちいい。  それだっていけないことなのだけれど、大好きだ。  自分で弄るのなんか、比べものにならない。  だけど、自分で弄るのも、以前より気持ちよく感じるような気がする。  考えてみれば、自分でするのも久しぶりだ。  この一週間、ずっとパパと一緒だった。  ずっとパパに弄られていた。  ひとりエッチなんて、もう長い間していなかったように感じてしまう。その間に、ひとりエッチのやり方もずいぶん変わってしまっていた。  以前だったら、指を挿れるなんて考えられなかった。せいぜい、第一関節まででちょっとくすぐってみるくらいのものだ。  そもそも、直に触れることだって少なかった。パンツの上から指を押しつけてこすり、割れ目やクリトリスを刺激するのが普通だった。  だけど今は、指一本だけとはいえ、根元まで挿入している。  以前なら、痛くてとても無理だった。  今は、相変わらず痛いものの、ちゃんと膣の奥まで指を挿れている。痛くても、気持ちいい。こうした方が充実感がある。  それが、この一週間での、私の身体の変化だった。以前の自分とは明らかに違っていた。  パパにされるみたいに激しく動かすと痛いけれど、ゆっくり動かしていると、少し痛くて、とても気持ちいい。そのわずかな痛みさえ、気持ちいいと感じてしまう。 「あ……っ、あぁ……っ、ぁん……っ、あぁっ!」  ある時は前後に往復するように、ある時は円を描くように、膣の中で一定のリズムで蠢く指。  無意識のうちに、それに合わせて動いてしまう腰。  半開きの口からは甘い声が漏れる。  はしたないと思っても、抑えられない。 「あぁっ、ぁんっ! あぁんっ、あんっ! あぁんっ!」  毎日、パパにされていたことを想い出しながら、自分を慰める。  だんだん、指の動きが速くなっていく。  速く動かしすぎて、痛みも覚える。  だけど、気持ちいい。  興奮してくると、少し痛いくらいの方が気持ちよくなってしまう。  気持ちいいからこそ、もっと気持ちよくなりたくて、さらに激しく指を動かしてしまう。  連鎖反応が止まらない。  夢中になって指を動かす。  夢中になって腰を動かす。  おまんこから突き上げてくる快感に意識を集中する。 「あぁぁっ、あぁぁんっ! ぱ……っ、パパぁっ! パパぁ――っ! あぁぁぁ――――っっ!!」  悲鳴が上がる。  頭の中が真っ白になる。  なんの支えもなしに宙に放り出されたような浮遊感を覚える。  この感覚、知ってる。  〈ゼッチョウ〉とか〈イク〉っていう、いちばん気持ちのいい瞬間。  パパといけないことをして、何度も、何度も、こうなった。  この一瞬があるから、いけないことだとわかっていてもやめられない。  全身が強張る。  おまんこの中がひくひくと蠢いている。  やがて、身体が痺れるような快感は消え去って、身体から力が抜けていく。  胸が空っぽになるまで、大きく息を吐き出す。  そこで、はっと我に返って口をつぐんだ。  今、すごく大きな声を出してしまったのではないだろうか。  パパやママに聞こえてしまったかもしれない。  どきどきする胸を手で押さえ、息をひそめて耳をそばだてる。  新と静まり返った、真夜中の家の中。  なんの物音も聞こえない。  …………いや。  かすかな音が、鼓膜を震わせた。  ほんのかすかに聞こえた、人の声のような音。  聴覚にすべての意識を集中する。 「……ぁ……ゃ……ぁぁ……」  かすかに、しかし確かに聞こえる。  高い、女の人の声。  テレビじゃなければママの声しかありえないけれど、聞き慣れたいつもの声とは違う。  甲高くて、甘くて、だけど泣いているような声。  どくん!  頭で理解するより先に、鼓動が大きくなった。  その声がなにを意味しているのか、すぐに思い当たった。  一週間前の私だったら、わからなかっただろう。だけど、今はわかる。  そういう、声。  どくん、どくん。  鼓動が速くなる。  緊張して、唾を飲み込んだ。  そぅっと、ベッドから降りる。  足音を殺して、部屋のドアのところまで行く。  音を立てないように細心の注意を払って、そぅっと、そぅっと、ドアを開ける。  頭だけを突き出して、耳を澄ます。  今度は、かなりはっきり聞こえた。 「あぁぁっ! あぁんっ! あぁっ、あなたぁっっ!」  間違いなく、ママの声だった。  パパとママの寝室の方から聞こえてくる。 「――――っ!」  心臓が大きく脈打った。  この、声。  考えられることは、ひとつしかありえない。  セックス、している。  パパと、ママが。  今、この瞬間。  少し離れた、寝室で。  セックス、しているのだ。  どくん、どくん。  鼓動が、耳に聞こえそうなほどに激しくなっている。  胸を押さえて、小さく深呼吸する。  慎重に、忍び足で廊下に出た。  手探りで、摺り足で、そぅっと、そぅっと、足音を立てないように歩いていく。 「あぁぁぁっっ!! そこっ、そこぉぉっ!」  声が、だんだん大きくなってくる。  リビングを越えて、寝室が近づいてくる。  深夜の暗闇の中、うっすらと見えてくる細い光の筋。  一瞬、脚が止まる。  目を細めて見つめ、寝室のドアがかすかに開いているのだと気がついた。中は灯りがついているようだ。  ここからは、さらに慎重に進んでいく。  寝室のドアにたどり着く。  ドアの隙間に目を当てて、中を覗いた。 「――――っ」  そこにあったのは予想通りの光景だったのに、思わず息を呑んでしまった。  パパとママが、セックス、していた。  大きなベッドの上に、ふたりが裸でいる。  ママは紅いロープで身体を縛られていた。私もされたことがある、〈キッコウシバリ〉とかいうエッチな縛り方だ。  ただでさえ大きなママの胸が、上下にロープが喰い込むことでさらに強調されていた。  そして、目隠しされている。  視力も、身体の自由も奪われたママの上に覆いかぶさって、脚をつかんで激しく腰を打ちつけているのはパパだ。  ママの身体が揺れる。  それに合わせて、ロープで絞り上げられた大きな胸が、ぶるんぶるんと揺れる。  私の平らな胸とはまるで違う。  腰が打ちつけられるたびに、ママが悲鳴を上げる。 「ひぁぁぁっ! パパぁぁっ!! やぁぁぁぁっ! だっだめぇぇぇぇっ!! いぃっ! いくぅっ、いくぅぅぅ――っ!!」  口を大きく開いて、涎を撒き散らし、泡さえ吹いている。  普段の、綺麗なママの面影はどこにもない。髪を振り乱して、狂ったように叫んでいる。  パパは、身体全体を叩きつけるようにしてママを犯している。私とセックスしている時とはぜんぜん違う、激しい、乱暴な動きだった。  大きなおちんちんが、根元までママのおまんこの中に突き入れられる。  次の瞬間、ぎりぎりまで引き抜かれる。  間髪いれず、また打ちつけられる。  私とセックスする時、パパのおちんちんは半分くらいしか中に入らず、それでも泣くほど痛いのに、今は、一ミリも余さずにママの身体の中に突き入れられている。  激しく突かれるたびに、ママは顔をゆがめて、狂ったように泣き叫んでいる。  その姿は一見、とても辛そうに、とても苦しそうに見える。  だけど、違う。  私にもわかる。  辛いんじゃない。苦しいんじゃない。  気持ち、いいんだ。  気が狂いそうになるくらい、気持ちよすぎるんだ。  これが、大人のセックス。  これが、本当のセックス。  これに比べたら、私がしていることなんて、セックスの真似事でしかない。おままごとのようなものだ。  それでさえ、私にとっては激しすぎて、痛くて泣いてしまうというのに。  ママは、おかしくなるほど気持ちよくなって、自分から、さらに激しく腰を振っている。  すごく激しくて、いやらしい行為が繰り広げられている。  私はその光景に見入っていた。  目の前で繰り広げられている痴態に、興奮していた。  いつの間にか、手が、自分の身体に触れていた。ひとりエッチをしていた時のまま、パジャマの下もパンツもはいてない、ボタンの外れたパジャマの上着を羽織っただけの姿で、おまんこに触れていた。  すごく、濡れていた。  エッチな蜜があふれ出て、内腿を濡らしていた。  全身に汗をかいて、激しくママを犯しているパパ。  その動きに合わせるように、指が動いてしまう。  声が漏れそうになる。さっき、自分の部屋でしていた時よりももっと気持ちいい。 「……っ!」  不意に、パパがこちらを見た。  目が、合った。  全身が強張る。  覗いていたのがばれてしまった。  怒られてしまう、と緊張する。  だけどパパは、悪戯っ子のようににやっと笑うと、人差し指を唇に当てた。  静かにして見ていなさい、と声に出さずに言っているようだった。  そうして、ママの身体をつかんで少し向きを変える。ふたりがつながっている部分が、私の位置からさらに見やすくなった。  こっそり覗いていたことを、怒っていない。むしろ、私に見せようとしている。  私は、もっとよく見えるようにと、ドアを開けた。音が立たないように気をつけてはいたけれど、絶え間なく悲鳴を上げているママには多少の物音は聞こえなかっただろう。  数センチだったドアの隙間が、数十センチになる。  そのまま見ていなさいとでも言うように、パパが小さくなずいた。  ママは、私が見ていることなんてまったく気づいていない。パパのおちんちんを突き入れられて、動物のように、狂ったように、悲鳴を上げて悶えている。  ベッドの上で弾むママの身体を、パパはうつぶせにひっくり返した。  傍らに置いてあった、おちんちんの形をした〈大人のオモチャ〉を手に取る。  そうした〈オモチャ〉は私も何度も挿れられたけれど、私が経験したものよりもずっと大きい。長さも太さも、本物のパパのおちんちんと変わらないくらいだ。  比べてみると、私が挿れられていたのは〈子供用〉にしか見えない。もちろん、本来は子供に使うべきものではないのだけれど。 「――!」  パパは激しく腰を打ちつけながら、手にした〈オモチャ〉の先端を、ママのお尻に押しつけた。 「あぁぁっっ! いやぁぁぁ――っっ!! あぁぁぁぁ――――っ!」  機械のおちんちんが、お尻の穴を押し拡げ、中にめり込んでいく。  ママが大きく仰け反る。  太さも、長さも、とてもお尻に入るとは思えないサイズなのに、それはすんなりと根元まで埋まっていった。  信じられない。  私も、お尻のセックスは経験した。  おまんこ以上にきつくて、痛くて、苦しかった。  〈オモチャ〉でも犯された。  だけどそれは、ママのお尻を貫いているものよりふたまわりは小さかった。  そんなに大きなものでお尻を犯されているのに、おまんこも同時に貫かれているのに、ママは苦しむどころか、快楽で悶え狂っている。  もう、息も絶え絶えという様子だ。  前も、後ろも、激しく抜き挿しされている。私だったら、お尻やおまんこが裂け、お腹が突き破られるのではないかという勢いだった。  身体をいっぱいに仰け反らせて。  全身、汗まみれで。  口から泡を吹いて。  おまんこからも飛沫を飛び散らせて。 「あぁぁっっ、あがぁぁっっ! いやぁっ、いやぁぁぅっ! あぁぁっ、ひぃぁぁぁっ、あぁぁっ、も、もっとぉっ! もっとぉぉ――っ! あぁぁぁぁぁ――――っっ!!」  耳が痛いほどに絶叫している。 「――――――っっっ!!」  最後はもう、声にならなくて。  手足がびくびくと痙攣して。  突然、スイッチが切れたようにがくっと突っ伏して、そのまま動かなくなってしまった。  ママの身体は糸の切れた操り人形のように、ぐったりと横たわった。  十秒間ほどそのままの体勢を続けて、やがて、パパがゆっくりと離れた。  ぬらぬらと濡れたおちんちんが、ママの中から引き抜かれる。パパの精液か、それとも泡だった愛液か、白く濁った粘液が流れ出してくる。  お尻の〈オモチャ〉はそのままだ。  パパはベッドに座って大きく息をつくと、私に向かって手招きした。  呆然と見つめていた私は、その手に操られるように、ゆっくりと寝室の中に脚を進めた。足音を立てないように気をつけて、ベッドのすぐ脇に立った。  ママはぐったりとして、ぴくりとも動かない。完全に気を失っているようだ。  全身が汗で濡れている。  だらしなく開いた唇からは、涎が泡になってあふれている。  おまんこからも、シーツが染みになるほどの愛液が流れ出している。  目隠しをされて縛られているから、物音を立てない限りは目を覚ましても私がいることは気づかないだろう。 「覗き見なんて、いけない子だな」  パパは悪戯っ子のような笑みでささやくと、私の頭に手を置いて乱暴になでた。  私は真っ赤になってうつむいてしまう。  いまさらのように気がついた。パパとママのセックスに興奮して、思わず自分で弄っていたけれど、もちろんそれはパパに見られていたのだ。 「覗き見して、しかも、こんなに濡れてるなんて」  パパの手が、下半身に移動する。  脚の間に手が入ってくる。  エッチな蜜を滴らせているおまんこに触られてしまう。 「――っ!」  身体がびくっと震えた。  まるで電流が流れたような、痛いほどの感覚だった。  一瞬遅れて、それは痛みなどではなく、気が遠くなるほどの快感なのだと気がついた。痛いと錯覚するほどの強い刺激だった。  思わず声を上げそうになって、慌てて口を押さえる。  触れられた時の、びちゃっという感覚。ありえないくらいに濡れていた。  パパの腕に抱き寄せられ、隣に座らせられる。  肩を抱かれて、キス、される。  もう一方の手に、おまんこを弄られる。  くちゅくちゅといやらしい音が聞こえてくる。 「ん……っ、ぅ、ん……っ」  キスで唇がふさがれていなければ、声を上げていたところだった。 「莉鈴はエッチな子だな。パパとママのセックスを見て、興奮したのか?」 「ん、んぅ……」  キスしながら、こくん、と小さくうなずく。  恥ずかしさと気持ちよさで、顔が熱くなる。耳まで真っ赤になってしまう。 「んん……っ、く、ぅぅぅ……ん……」  指が、入ってくる。  さっきまで挿れていた自分の指よりも、ずっと長くて、太い指。  膣のいちばん深い部分まで届いてしまう。  指一本でも、やっぱり、痛い。  だけど、すごく濡れているせいか、とても気持ちいい。  自分の部屋でひとりエッチしていた時よりも、パパとママのセックスを見ながらひとりエッチしていた時よりも、もっともっと気持ちいい。  おまんこを弄られながら、顔中にキスされる。  キスされるだけでも、震えるほどに気持ちよかった。 「セックス、するか?」  パパの質問に、反射的にこくんとうなずいた。  頭で考えるよりも先に、身体が勝手に反応していた。  パパが覆いかぶさってくる。  ベッドに押し倒される。  失神しているママに寄り添うように、横たえられる。  パパの身体が重なってくる。パパの重みを感じる。  小さな私にとっては、押し潰されそうな重みだ。だけどどういうわけか、その重みが嬉しく感じてしまう。  私の中で、指が蠢いている。  二本の指でおまんこを拡げられている。  パパの指が二本だと、すごい挿入感がある。指一本の時よりも格段に〈挿れられている〉って感じがする。  すごく、痛い。  だけど……いい。  さらに濡れてくるのがわかる。  まだ未熟な膣がほぐされていく。  気休め程度の違いとはいえ、こうしてもらった方が、挿入の時の痛みが少しだけ和らぐ。 「んぅぅ……んっ、くぅ、んっ!」  パパが、パパのおちんちんが、入ってくる。  必死に声を抑えようとしても、抑えきれない。  口を押さえた手の隙間から、呻き声が漏れた。 「……っ、――――っ!!」  小さな入口に押し込まれていく。  狭い通路が強引に引き延ばされ、拡げられていく。  大きな、熱い塊が、ねじ込まれてくる。  身体の中に、埋まっていく。  外部から、異物が身体の中に入ってくる。  この一週間、もう数え切れないくらいに経験したことなのに、まだ慣れることができない。  下半身が引き裂かれていくような感覚。  おぞましいような異物感。  言葉にならない、全身に鳥肌が立つような違和感。  痛い。  やっぱり、痛い。  涙が溢れ、こぼれ落ちる。  だけどパパの侵入は止まらない。  ずぶずぶと埋まっていく。  痛みが、お腹の奥へと進んでくる。 「――っっ!!」  奥に、突き当たった。  声にならない悲鳴が上がる。 「ん……っ、んっ、ぅん……っ!」  一度動きを止めたパパの分身が、私の中で動きはじめる。  それは、私にとっては痛くて泣くほどの激しい刺激だ。  だけど、実際にはかなりゆっくりとした優しい動きなのだろう。さっき、ママとしていた時とは、動きの大きさも速さもまるで違う。軽いジョギングと短距離の全力疾走よりも大きな差だ。  それなのに、ママは気が狂いそうなほどに感じていて、気持ちよすぎて失神してしまった。  対して私は、痛くて泣いていて、苦痛のために気を失ってしまいそうになっている。  私とママでは、ぜんぜん違う。  パパとママがしていたことが本物のセックスなら、私がしているこれは、やっぱり子供のおままごとでしかない。  そのおままごとみたいなセックスですら痛くて泣いてしまっているという、本当に子供でしかない私なのだ。  とはいえ。  その痛みが、最初の頃ほどいやじゃなくなっている、ような気がする。気のせいかもしれないけれど。  いつかこれが、もっとはっきりした〈快感〉に変わるのだろうか。  ……いや。  それでは、だめだ。  痛くなくてはだめだ。  私がしているのは、〈いけないこと〉なのだから。  罰は、痛くなくてはならない。  痛くなければ、罰にならない。  だけど、パパは気持ちよさそうに腰を動かしている。  気持ち、いいのだろうか。  ママとする時とはぜんぜん違う、ゆっくりと小さな、優しい動きなのに、感じているのだろうか。  あんな風に激しくしなくても、パパは気持ちよくなるのだろうか。 「ん……パ、パ……気持ち、いいの?」  痛みで悲鳴を上げないように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「ああ、すっごく気持ちいいよ」  優しい答えが、嬉しい答えが、耳元でささやかれる。  その言葉は、私を安心させる。  だけど。 「……莉鈴とママと……どっちが、気持ちいいの?」  気がつくと、そんな問いを口にしていた。  考えるよりも先に、唇が勝手に動いていた。  言ってしまってから、こんなことを訊いてはいけないのだと気がついた。  だけどパパは、優しい笑みを浮かべてキスしてくれる。 「莉鈴の方が、ずっと気持ちいいよ」  その言葉が耳をくすぐった時、身体の奥で、なにか熱いものが弾けたような気がした。  訊いちゃいけないことだ、と想ったばかりなのに、また、いけないことを訊いてしまう。 「……ママより、気持ちいいの?」 「ぜんぜん、比べ物にならないよ。莉鈴のおまんこは世界一気持ちいい」 「ほ……、ホント、に?」 「パパが莉鈴に嘘ついたことあるか?」  ……ない。  嬉しかった。  身体が、心が、弾けるほどに嬉しかった。  ちらりと、隣で寝ているママを見た。  身体の中から湧き上がってくる、熱い感情。それは、ママに対する優越感だろうか。 「どうしたんだ? いきなりそんなこと訊いたりして」 「…………べ、別に」 「パパが、ママとセックスしていたから、やきもち妬いたのかな?」  人差し指が、私の頬をつつく。  図星、なのかもしれない。  パパとママがセックスしているのを見たときに感じた、どろどろとした感情の正体。  自分ではよくわかっていなかった想い。  〈やきもち〉なんて感情、言葉としては知っていても、これまではっきりと自覚したことはない。  これが、〈やきもち〉なのだろうか。  人生経験豊富なパパの方が、よくわかっているのかもしれない。 「……どうして、そんな風に思うの?」 「パパとママがセックスしているのを見ていた時、莉鈴は、怒ってるような、すごく怖い顔してた」 「…………」  気がつかなかった。  ぜんぜん、自覚していなかった。  だけど、パパは見ていたのだ。  どうして、だろう。  どうして、パパとママがセックスしているのを見て、怒らなければならないのだろう。  答えは、ひとつしかない。 「お、おかしい……よね。パパとママが仲よくしているのに、やきもち妬くなんて……」  おかしい、はずだ。  家族が仲よくしているのは、本来は嬉しいことのはずだ。 「いいんだよ。それだけ、莉鈴はパパのことが大好きってことなんだから。パパだって、莉鈴が他の男の子と仲よくしてたらやきもち妬くぞ」 「……そ、そう、なの?」  どうしてだろう。パパの言葉が、嬉しい。ような気がする。  だから、こう言った。 「莉鈴は、他の男の子と仲よくなんてしないもん。パパが、いちばん好きだもん」  力いっぱい、ぎゅうっとしがみつく。  腕に力を入れたせいで、下半身にも力が入ってしまい、おまんこの痛みが増す。  だけど、かまわない。  それも、嬉しい。  パパも、しっかりと私を抱きしめてくれる。  痛いくらいに。  苦しいくらいに。  だけど、気持ちいい。  自分がしているのが、いけないことだって、わかっている。  パパとセックスすること。  ママにやきもち妬くこと。  ママより気持ちいいって言われて喜ぶこと。  全部、いけないこと。  だけど、とっても嬉しいこと。 「ぁっ……パパ……ぁあっ、大好きっ!」  そんな叫びと同時に、おまんこのいちばん深い部分に、熱い精液がほとばしった。  私の身体から、力が抜けていく。  だけど、おちんちんは引き抜かれない。  私の中に入ったまま。  パパと、つながったまま。  それが、嬉しい。  ぼやけた視界にママが映る。  気を失って、ぐったりとした姿のママ。  きっと私も同じように、力なく横たわっているのだろう。  だけど、ひとつ、大きな違い。  私は、パパと、つながっている。  そのことが嬉しくて、口元に笑みが浮かんだ。 * * *  その後も、ずっと、そんな関係が続いた。  ママの目を盗んで、パパと私はセックスした。  ママは夜の仕事。パパは曜日も時間も不規則な仕事。そして、私は小学生。  その気になれば、ふたりきりになるチャンスはいくらでも作れる。  特に金曜日や土曜日は、パパはできるだけ早くに帰ってくるようにしたようだ。ママが出勤する夕方から、帰ってくる夜中過ぎまで、たくさん、エッチなことをした。  学校が休みの日に、パパは仕事だと嘘をついて、外でこっそり待ち合わせたりもした。  もちろん、それがいけないことだとわかってはいた。  だから、自分から誘ったことは一度もない。ただ、パパの誘いに小さくうなずいていただけだ。  とはいえ、パパにエッチなことをされるのを、期待していなかったといったら嘘になる。しかし逆に、多少は怯えていたというのも本心だ。  気持ちいいこと。  嬉しいこと。  したいこと。  痛いこと。  いけないこと。  したくないこと。  常に、想いは揺らいでいた。  あの夜以来、パパはママとセックスする時、必ず、寝室のドアを少し開けるようになっていた。  何度も、ふたりのセックスを覗き見た。  そして、見るたびに不愉快な気持ちになった。  不愉快なのに、見ずにはいられなかった。  そんな夜は、ママが眠った後、パパは必ず私のところに来た。  私のベッドでセックスしたこともあったし、眠っているママの隣でしたこともあった。  パパは必ず、莉鈴の方が可愛い、莉鈴の方が気持ちいい、莉鈴の方が好き、と言ってくれた。  それが、嬉しかった。  だけど、嬉しいと想うのもいけないことだとわかってはいた。  回数を重ねるごとに、私も、少しずつ、セックスが気持ちよくなっていった。  パパの、私に対する責めも、だんだん激しくなっていった。  痛いことは痛いけれど、〈痛み〉は少しずつ小さくなっていって、反比例するように〈気持ちいい〉の部分がどんどん大きくなっていった。  いけないこと、いやらしいことを、たくさん教えられた。  パパを気持ちよくしてあげるために、エッチなことをたくさん勉強し、練習した。  莉鈴はセックスが上手だ、と褒められるのが嬉しかった。  初めてパパ以外の男とセックスしたのも、この頃、パパの命令によるものだった。  パパと同世代のその相手が、どういう知り合いなのかはわからない。パパはお気に入りの宝物を自慢する男の子のように、裸にした私を見せびらかして、犯させた。  もちろん、パパが見ている前で、だ。  パパ以外の相手とセックスするなんて、すごくいやだった。  すごく、気持ち悪かった。  泣きたかった。  だけど、〈クスリ〉をたくさん飲まされていたせいか、それともパパに見られていたせいか、いやだったのにすごく気持ちよくなってしまった。  している最中、パパは笑って見ていたけれど、後でふたりきりになった時、すごく怒られた。パパ以外の男で感じるいやらしい子だって、いっぱいお仕置きされた。  だけど、その、痛いお仕置きがなぜか気持ちよかった。  そして、お仕置きの後にいっぱいいっぱいセックスしてくれた。それが、すごく嬉しかった。  パパとママが離婚したのは、それから一年くらい後、私が六年生の時だ。  少し前から、ふたりの間がなんとなくぎこちないのは子供心にも感じていて、パパが、ママと仲よくしないことが、内心嬉しかった。  離婚の理由は知らない。詳しくは訊かなかった。  単に性格の不一致か、お互いに飽きたのか、それともどちらかの浮気が原因かもしれない。  パパは私とセックスしていたし、他の女の人とも関係を持っていた。  ママにも、パパ以外の男がいたらしい。  少なくとも、パパと私の関係が直接の原因ではないようだった。  結局、ママはなにも知らないままだったのか、それともなんとなく感づいてはいたのか、それすら知らない。いまだに訊いたこともない。  離婚の時、パパについていかずにママと一緒に暮らすことになった理由はいろいろだ。  まず第一に、この頃さらに仕事が忙しくなって、月の半分は家に帰らないようなパパが、小学生の娘とふたりで暮らすのは現実的ではないという理由。  高校生の今ならともかく、小学生の娘をひとりきりで家に残すなんて、私を溺愛しているからこそしたくなかっただろう。  対してママは、夜の仕事ではあっても、ほぼ毎晩家に帰ってくる。  そしてママにとって、私は金づるでもあった。私と暮らすなら、このマンションをそのままママ名義に変え、養育費も充分に出す、というのがパパの提案だった。  ママが私を愛していたのかどうかは知らない。当時はおそらく、普通の母親程度には愛していたのだろう。その上、私を引き取ることによる経済的負担がないどころか、むしろ収入が増えるくらいなのだから、引き取らない理由はない。  どちらかといえばママは積極的に私を引き取りたがり、パパはそうではなかった。そのことについてまったく傷つかなかったといえば嘘になるけれど、パパの考えは頭では理解できていた。  それにパパは、マンションと養育費と引き換えに、好きな時に莉鈴と会わせること――パパの家に泊まることも含めて――という条件を飲ませていたから、多分、パパと逢ってエッチなことをする頻度は、今とそう変わらないはずだった。  そして最終的に、決めたのは私自身だった。  自分の意思で、パパではなく、ママと暮らすことを選んだ。  いや、正確には〈ママと暮らすことを選んだ〉のではない。〈パパと暮らすことを選ばなかった〉というのが正しい。ママと暮らすというのは、消去法の結果だ。  あえてママを〈選ぶ〉なんてありえない。この頃の私にとって、ママは〈恋敵〉だったのだから。とはいえ、それ以外の点では決してママのことが嫌いではなかったけれど。  パパと一緒に暮らしたい、という想いはもちろんあった。  だけど、パパと一緒に暮らすのは怖くもあった。  パパとセックスするのはいけないことなのに、まったく歯止めがきかなくなりそうで怖かった。  ママがそばにいるからこそ、いけないことだと認識できる。多少なりとも控えることができる。  それがなくなった時、自分がどうなってしまうのか怖かった。  それが、パパと暮らさなかった第一の理由。  もうひとつの理由は、パパが仕事で留守がちだからだ。  パパとふたりで暮らしているのに、パパがいない夜が続くなんて寂し過ぎる。そんなの耐えられない。一緒に暮らしていないのなら、仕方ないと諦めもつく。  しかし逆に、そんな風に想う自分もいやだった。  そうしたいくつかの理由により、私はママと一緒に暮らし、パパとは時々逢うという生活を選択した。  パパにも内緒で、自分の意思でパパ以外の男とセックスするようになったのは、その少し後からだった。  それが、パパのいない寂しさを紛らわすためなのか、パパに、あるいはママに対するあてつけなのか、それとも単に肉体的な欲求を満たしたかっただけなのかはよくわからない。  言葉にして説明できない衝動に駆られての行動だった。  それが、いけないことだとはわかっていた。  だからこそ、そうしたかった。  両親が離婚した後も、パパとは頻繁に逢い、一緒に暮らしていた頃とさほど変わらない頻度でセックスを繰り返していた。  そうして、身体はどんどん開発され、大人以上に感じるようになっていった。  パパの責めもどんどん激しくなっていって、やがて、以前のママよりも激しく犯されるようになった。  たくさん、たくさん、パパとセックスした。  だけど、一度もその行為を無条件に受け入れることはできなかった。  常に、罪悪感がつきまとっていた。  私がしているのは、いけないこと。  まだ子供なのに、セックスして。  しかも、相手は実の父親で。  そして、母親には嫉妬して。  パパに内緒で他の男とセックスして。  お金ももらって。  ゆきずりの相手ともセックスして。  アダルトビデオにも出演して。  学校では教師を誘惑して。  それは全部、いけないこと。  罪悪感のないセックスなんて、一度も経験したことはなかった。  そんなものは、知らない。  罪悪感こそが、私にとってのセックスだった。  それだけを求めていた。  セックスは、私の、罪の象徴だった。 * * * 「……そうして、こんな、頭のおかしいヤリマン女ができあがりましたとさ」  自嘲めいた笑みを浮かべる。  ずいぶん長い話になってしまった。  ここまで詳しく子供の頃の話をしたのは初めてだった。  木野にはなにも話していないし、遠藤にも、ただ父親と肉体関係を持っているとしか話したことはない。  実をいうともうひとつ、まだ話していない大きな事件があるのだけれど、もう、それを話すまでもないだろう。  これだけ話せばもう充分だ。  早瀬にとっては、これだけでも許容量を超えた話だったろう。  話している最中にDVDは終わっていて、早瀬は固まったまま、なにも言えずにいた。  その強張った表情からは、なにを想っているのかは読み取れなかった。 第九章  それから数日間は、また、特に何事もない日々だった。  早瀬からの電話やメールも来なくなった。  とはいえ、愛想を尽かされたというわけでもないらしく、教室で顔を合わせた時にはなにか言いたげな様子を見せている。たぶん、なにを言えばいいのか、どう接すればいいのか、わからなくなったのだろう。  それ以外はほぼ普段と変わらない〈日常〉だった。  茅萱は、私と早瀬の関係が微妙に変化したことに気づいたのか、それとも単なる開き直りか、また早瀬に親しげに話しかけるようになっていた。  木野はいつもと変わらず、他愛もない話題を振ってくるだけだ。なんとなく、早瀬のことについてなにか言いたげなように見えなくもないけれど、私が早瀬と距離を置いていることを歓迎している風でもある。  遠藤も、普段通りに傷の手当てをするだけだった。やっぱりなにか言いたげではあるけれど、前回のことがあるので、少なくとも早瀬の名前を口にすることはない。しかし木野とは逆に、早瀬と疎遠になっていることを快く思ってはいないようだった。  そして私は相変わらず、あまり眠れない、ただ呼吸と食事を漫然と繰り返すだけの生活を送っていた。  早瀬からの誘いはなくなったけれど、それ以外の援助交際もしていない。  手首だけは、特に理由もなく切っている。  ある意味、平穏な日々といえなくもない。  しかしそれが、嵐の前の静けさであることはわかっている。  そして私は、その嵐を待ち望んでいた。  嵐の訪れは、予想……あるいは期待していたよりも、少し、遅かった。  きっと、また仕事が忙しくて日本にいなかったのだろう。  パパからの呼び出しのメール。  それが、嵐の前兆だった。 * * *  翌日は土曜日だった。休日の外出なんて、久しぶりのような気がする。〈デート〉となればなおさらだ。  しかし、それがいつもの〈デート〉と違うのは明白だった。  まずなにより、その場所。  いつもなら、私の最寄り駅の周辺で待ち合わせて、時刻によってはお茶や食事をして、そこからホテルへ車で移動するというのが基本パターンだ。だけど今日、指定された場所は、珍しいことにパパが住むマンションだった。  久しぶりに訪れた建物の前に立って見上げる。いかにも高級そうな高層マンションが、空を貫いていた。  もちろん、パパの部屋を訪れるのは初めてではないけれど、そう頻繁にあることでもない。  私に対する責めの激しさを考えれば、自分の家よりもラヴホテルのほうが都合がいいのだろう。セックスが主目的の時にここへ来たことはないし、来た時も、セックスする時にはホテルに移動することが多かった。  だから、少し緊張してしまう。  予想していた、期待していた、呼び出し。  私が、そう仕向けたこと。  だからこそ、ただではすまないこともわかっている。  期待と不安が入り混じり、鼓動が激しくなっている。  今日はいったい、なにが待っているのだろう。  エレベーターに乗る。  呼吸が早くなる。  なんとなく苦しく感じるのは、高速エレベーターによる気圧変化のせいではないのだろう。 「……ひさしぶり。よく来たね」  数日ぶりに逢うパパは、いつものように愛想のいい笑みを浮かべていたけれど、目が笑っていなかった。  はっきりいってしまえば、滅多に見ないほどの怒りのオーラを漂わせている。  いくら外面がよく嘘が上手なパパとはいっても、血のつながった父娘。表情と本心の差異など一目瞭然だ。 「急に呼び出したけど、大丈夫か? 今日は土曜日だし、彼氏とデートとかはなかったのかな?」  皮肉っぽい台詞に、思わずくすっと笑ってしまった。  あまりにも見え透いた、嫉妬。  この前、早瀬と仲よさそうにして見せたことはかなり効いているようだ。  自分でも性格が悪いと思う。パパが怒ることをわかっていて、あんなことをしたのだから。怒らせるために、やきもちを妬かせるために、早瀬を利用したのだ。  しかし、その動機となると少々複雑だった。  好きな人がやきもちを妬いてくれることが嬉しい、という女の子らしい想いもないわけではない。  それとは別に、私を穢した男に対するささやかな復讐、という一面があることも否めない。  小学生だった私を犯し、未熟な身体をさんざんに弄んだ男。  だけどそれは、世界でいちばん、世界中の誰よりも、私を愛してくれるパパ。  私としても、素直になれない。  好きとか嫌いとか、そう簡単に割り切れる関係ではない。 「……デートの約束があっても、パパを優先するに決まってるじゃない」  あえて、〈彼氏とデート〉は否定しないでおいた。 「可愛いこと言う割には、莉鈴は尻が軽いよな」  パパの腕が私を抱き寄せて、お尻を乱暴に撫でまわす。 「……そうかな?」  悪戯っぽくふふっと笑う。 「でも、早瀬よりパパを優先するってのは本当だよ? それに、莉鈴が男にもてるのは莉鈴のせいじゃないもん」  ぺろっと小さく舌を出す。 「顔が可愛いのもスタイルがいいのも遺伝だし、おしゃれなのはパパが可愛い服や靴をいっぱい買ってくれるからだし、男を悦ばせるのが上手なのは、全部パパが教えてくれたことじゃない? ……ほら、全部パパのせいだ」  悪びれない小悪魔の笑みでパパの鼻先を指さす。  パパが肩をすくめる。 「やれやれ。どこで育て方を間違えたのかな」 「あれ、覚えてないの? パパってば、もう健忘症? 莉鈴の記憶では、小学五年生の夏休みからだと思うな?」  微かに、パパの表情が変化した。ふざけた雰囲気が薄れて、ほんの少し、真剣味が増したように感じた。  私たちの間で、あの夏の〈最初の出来事〉に触れる会話は珍しいことなのだ。 「……だな」  パパの表情はすぐに元に戻った。苦笑しながら小さくうなずく。 「……パパがしたこと、怒ってることもいっぱいある。……でも、パパのこと、好き」  小さな子供が甘えるように、首にぶら下がるような形で抱きついた。  唇を押しつける。  舌を絡める。  した方も、された方も、思わずとろけてしまうような濃厚なキス。  もう、そのままセックスしたい気持ちになっていたけれど、我慢して身体を離した。その前に、やることがある。 「……あ、ごめん、シャワー貸して。駅からここまで、待ちきれなくて走ってきたから汗かいてるの」 「別に、そんなの気にしないさ」 「莉鈴が気にするの! もー、オトメ心がわかってないんだから。パパに抱かれる時は、いっちばん可愛い莉鈴じゃなきゃヤなの。汗臭いなんて言語道断!」  頬を膨らませて言うと、ぱたぱたと小走りにバスルームへ向かった。勝手知ったる家、ちゃんと私専用のタオルなども用意されている。  着ているものを脱いで、手早くシャワーを浴びる。  実際のところ、シャワーというのは半分以上口実だった。汗なんかかいていない。駅からここまで、汗をかかないようにゆっくり歩いてきた。パパに逢うのに、身体の準備に抜かりがあるわけがない。  ぬるめのお湯を浴びながら、バスルームをチェックする。  ボディソープやシャンプー、トリートメントなどは、二種類ずつ置いてある。普段パパが使っているであろう男性用と、私が来た時に使う女性用。家で使っているのと同じ愛用のシャンプーは、前回使った時から減っていなかった。  それを確認して満足する。  バスルームを出て、バスタオルを巻いただけの姿でパパのところに戻る。その途中、ちらちらと室内の様子を確認した。  あまり生活臭が感じられず、どことなくモデルルームのような印象を受ける部屋。ここに住んでいるとはいっても、出張とか、私とデートとか、他の女とデートとか、家には帰らないことが多いのだ。 「……相変わらず、独り暮らしなのね」  実際にはひとりにも満たない、半人暮らしくらいだろうか。 「当然だろ。莉鈴にふられ続けてるからな」  ……そう。  何度か、一緒に暮らそうかと誘われたことがある。  心が揺れたのは事実だ。  小学生の頃ならともかく、今なら、パパが帰らない日があっても日常生活には問題ない。  だけど、やっぱり嫌だ。  やっぱり寂しい。  パパと一緒に暮らしているのに、独りの夜が続くなんて。  そして、怖い。  パパとの関係はいけないことなのに、まったく逃げ場がなくなってしまう。  ほんの少しだけ残っている、理性と、そして反抗心と独立心。パパの愛玩動物ではなく、ひとりの人間でありたいという想い。  一緒に暮らしてしまったら、もう歯止めが利かなくなってしまうだろうことは想像に難くない。  私の中に在る、ふたりの私。  もっともっとパパのものになりたがっている私。  パパから逃げたがっている私。  その争いの決着がついていないから、今はまだ、一緒に暮らすことはできない。 「……てっきり、みーこか誰かと一緒に暮らしてるのかと思った」 「なんだ、今度は莉鈴がやきもちか?」  嬉しそうに言うパパ。おでこをつつかれる。 「やっぱり怒ってたんだろ、みーこを連れていったこと」  パパはなんでもお見通しだ。  それは、事実だった。  実の母親にさえ嫉妬していた私なのだ。パパが他の女と仲よくしているところなんて見たくもない。  そんな私の気持ちはわかっているくせに、あえてみーこを連れてくるところがパパらしい。  たぶん、私たちは似たもの同士なのだ。相手の浮気は許せないくせに、相手には妬いてもらいたがる。  それがわかっているから、ふたりとも、その場では平静を装っているのだ。 「……怒ってるに決まってるじゃない。怒るのがわかっていて……っていうか、怒らせるために連れてきたんでしょ?」  最近の私の情緒不安定。  そのいちばんの原因はやっぱりみーこだろう。  みーこを連れてきたこと、ふたりがかりで私をさんざん弄んだこと、それは別に構わない。  だけど。  私が気を失っている間、みーことふたりだけでセックスしていたこと。  あれだけは絶対に許せなかった。  自分も子供の頃に同じことをしたくせに、いや、だからこそ、受け入れられなかった。  まずなにより、あれが逆鱗に触れていた。その後の情緒不安定は、早瀬のことも含めて、すべてその後遺症でしかない。 「で、仕返しに、クラスの男子と仲よくしているふりなんかしたんだ?」 「……ふり?」 「莉鈴があんな風に、普通の高校生カップルみたいに男子と仲よくするとは思えないけどな?」 「…………お見通し、ってわけね」  鬼畜でも、一緒に暮らしていなくても、結局は私の父親。娘のことはよく理解している。  とはいえ、だからといってパパが妬かないわけではない。  むしろ、普段のちょっとした〈浮気〉の時よりもずっと怒っている。あの、夏休み明けの、いちばん激しかった日ですら比べ物にならないくらいに。  だから、さらに怒らせたくなる。 「……でも、彼としょっちゅうセックスしているのは本当。すごく激しくて、いつもベッドで泣かされているのも本当よ?」 「無理やり?」 「……自分の意思」 「……やっぱり、おしおきが必要みたいだな」  眼光が鋭くなる。  私の口元には微かな笑みが浮かぶ。 「パパにおしおきされたいから、とは思わない?」  たぶん、少しはそんな想いがある。不特定多数とのセックスを繰り返す動機の何割かは、それだろう。  優しくなんて、されたくない。  陵辱、されたい。  他の男とセックスすると、パパは不機嫌になる。それは、パパが私を愛している証。  分かりきっている事実なのに、何度でもそれを確認したくなる。  確認して、少し、安心する。 「後悔するなよ。パパは本当に怒ってるんだからな。いつものようなぬるいことはしないぞ」 「いつもの責めを〈ぬるい〉と言ってしまう感性は素敵よね」  普段のセックスだって、普通の女子高生なら耐えられるものではないだろう。  あれ以上があるのだろうか。  もちろん、肉体的に怪我をさせるようなことは簡単だけれど、簡単であるがゆえに、パパがそんな手段を選ぶとは思えなかった。  しかし、私にとってどんな〈おしおき〉がいちばん効くのか、パパ以上にわかっている人間はいないだろう。おそらくは本人以上にわかっているに違いない。 「……ん」  パパの手で、首輪が着けられる。少し苦しく感じるくらいに締めつけられる。  そうなると、もう、挑発的なことは言えなくなってしまう。首輪は、パパに対する服従の証だ。早瀬に着けられる、単なる〈アクセサリ〉としての首輪とは違う。  抱き上げられて、ベッドに連れていかれた。  首輪につながった丈夫な太い鎖が、ベッドのフレームに巻きつけられ、南京錠で固定される。  手首と足首が、それぞれ、短い鎖でつながれる。  首輪自体も、小さな南京錠で留められてしまった。そんなつもりもないけれど、これで自分の意思ではベッドから逃げられなくなった。  まだ〈クスリ〉も飲まされていないのに、どきどきしてしまう。下半身が熱くなって、濡れてしまう。  パパの部屋に軟禁……いや、監禁されてしまうなんて。  なんて素敵なシチュエーションだろう。  うっとりしてしまう。  ここから逃げ出したい、と想う自分は今は少数派だった。  まずい。  この状況、よすぎる。  もう、これだけで達してしまいそうだった。 「ぁ……ん」  〈クスリ〉を飲まされる。  いつもとは違うカプセルを口に入れられ、続いて流し込まれた液体の〈クスリ〉で飲み込んだ。それだけで、口の中が、喉が、そしてお腹が熱くなる。  次に、ジェル状の塗り薬をたっぷりとすり込まれる。局部がびちゃびちゃに濡れているのがジェルなのか、それとも私自身の蜜なのかもわからなくなってしまう。  すぐに、呼吸が荒くなってくる。じんじんと痺れるような熱さが襲ってくる。  飲み薬も効きはじめて、お腹の熱さが増してくる。  身体に力が入らなくなって、目の焦点が合わなくなって、ただ、セックスのことしか考えられなくなってしまう。 「パ、パ……すごく……熱い……」 「どこが? ここが?」 「――っ!!」  最初に触れられたのは、右の乳首だった。ピアスが引っ張られる。  それだけで、軽く達してしまった。  いつもよりさらに感じやすくなっていた。〈クスリ〉が違うせいだろうか。それとも、早瀬に初体験を告白した日以来、禁欲生活が続いていたせいだろうか。  実際のところ、やきもちを妬いたパパにすぐ呼び出されるともの期待していたのだけれど、仕事の都合で少し間が空いてしまい、結果、かなり〈溜まっている〉状態になってしまっていた。感じやすいのも当然だ。 「……それとも、こっちかな?」  今度は、左の乳首をつねられる。 「ひぃぃんっ!」  これも、また、いい。  意識が真っ白になるくらい、感じてしまう。  もっとして、とおねだりしたくなってしまう。  だけど、それはだめ。  これは〈おしおき〉だから。  自分から気持ちよくなろうとしてはいけない。 「いやいや、ここかな?」  パパの手は止まらない。  脇腹を指先が滑る。 「――ぃぃっっ!」  それさえもいい。  くすぐったいというよりも、気持ちいいという感覚の方が強い。もう、どこをどう触られても気持ちよくなっていた。 「……んひゃんっ!」  うなじをくすぐられ、反射的に、亀みたいに首を縮める。それも、くすぐったいからではなくて、気持ちよすぎるが故の反応だった。 「……っ!」  いきなり、首輪の鎖が乱暴に引っ張られた。  固い皮の首輪が喉に喰い込む。  それだけで達してしまう。  熱い蜜が湧き出してくるのを感じる。  今はもう、あらゆる刺激が快感だった。  パパの手が、首から胸へと移動する。  両手で、両方の乳首のピアスを同時に引っ張られた。 「ぃっ……ぃぃっ!」  千切れそうなほどに、強く。  痛くて、目には涙が滲む。  なのに、涙よりもずっと多くの蜜が滲み出てしまう。  ぎりぎりまで引っ張られたピアスが放され、乳房をつかまれる。  握り潰されそうなほどに、ぎゅうっと握られる。  柔らかな脂肪の塊が、軟式テニスのボールのようにぐにゃりとひしゃげる。かなりの力が込められている。爪先が喰い込んでくる。 「ぁっ……んんんっ! んはぁっ!」  指が開かれてほっと息をつく。その瞬間、また握られる。  二度、三度、四度。  繰り返される。  まるで、牛の乳搾りみたい。  胸からミルクが出る代わりに、脚の間から蜜が流れ出す。  握られるたびに上がる短い悲鳴が、回を重ねるごとに、だんだん甘くなっていく。  呼吸が荒くなり、胸が大きく上下する。  続いてパパの手は、両方の腋の下に移動していった。 「い……ぃひゃぁぁっっ!!」  腋の下から脇腹、そして腰骨のあたりまで、軽く触れた指先が滑っていく。  普段なら、飛びあがるくらいにくすぐったい愛撫だ。なのに今は、快楽のあまり身体を仰け反らせ、頂に達してしまう。  本当に、なにをされても感じてしまう状態だった。  首筋、胸、腕、お腹、脚。  触られ、撫でられ、くすぐられ、つねられ。  どこを、どう、刺激されても、気持ちよくて達してしまう。  絶頂の閾値が、いつもよりずっと低くなっていた。〈クスリ〉の効能、溜まっている身体、パパの家に監禁されているという精神状態、それらの相乗効果だろうか。  しかし、パパはここまで、性器には一度も触れてこなかった。それでも充分すぎるほどに感じているのだから問題はないのだけれど、やっぱり気分的にはものたりない。  もしかすると、今日の〈おしおき〉は焦らしプレイなのかもしれない。  だけど焦らしは、いきそうになるぎりぎりで止めることを繰り返すからこそ責めとして効果的なのであり、簡単に何度も達してしまっている今の状況では、あまり意味がないのではないだろうか。  パパにしては甘い責めかも、なんて想ってしまう。  だけどやっぱり、パパのやることは私の予想を超えていた。  肌への接触だけで、もう身体中どろどろにとろけてしまったような気分になっていたのに、 「あぁぁっ、あぁぁぁ――――っ!!」  そこでいきなり、パパの指が割れ目の中に滑り込んできた。  焦らされるつもりになっていたから、予想外の不意打ちに、一瞬、意識が飛んだ。  びちゃっという、固まる前のゼリーかプリンのような感触。  触れていた手が私の鼻先に突きつけられる。  透明な粘液が糸を引いて、雫になって滴り落ちていた。 「すごい濡れ方だな、いやらしい子だ」 「…………パパの、おクスリのせいだもん」  もちろんそれだけではないだろうけれど、そういうことにしておく。  もともと感じやすい身体とはいえ、今日の反応は普通ではない。 「今日の薬は、プラセボなんだけどな?」 「う、うそっ!?」  〈クスリ〉なしでこんなに感じてしまうなんてありえない。いつの間に、そこまで変態的な体質になってしまったのだろう。  思わず、がばっと起き上がろうとしたけれど、手首と足首をつながれた不自由な体勢だったので、そのまま倒れてしまった。  慌てた様子に、パパがぷっと吹き出す。 「もちろん、嘘」 「――っ!」  からかわれたのだ。私が飲まされたのは、間違いなく強力な〈クスリ〉だった。 「…………いじわる」  ぷぅっと頬を膨らませる。  パパを相手にすると、どうしても仕草が子供っぽくなってしまう。 「莉鈴が可愛いから、つい虐めたくなるんだよな」 「……パパって、ホント、Sよね」 「莉鈴はMなんだから、相性抜群だろ」  そこで反論できない自分が悲しい。  そして、こんなやりとりに幸せを感じてしまう自分が嫌だ。  だけど、パパを拒むことはできない。 「こんなに感じるなら、今日はここはなしでいいかな?」  からかうように言いながら、ぐっしょりと濡れた割れ目の中で指を滑らせる。  対して、私はまた頬を膨らませる。 「……やだぁ。おまんこ、弄って……」  たとえ胸だけでもすごく感じて、達してしまうとしても。  それ故になおさら、いちばん気持ちいいところを触って欲しいと切望してしまう。  今の身体で、精神状態で、我慢できるわけがない。もっと、もっと、いくらでも気持ちよくなりたい。気持ちよくして欲しい。  そこを責めてもらうためなら、どんなことでもする、なんでも言うことをきく、という気分になってしまう。  だけど今日のパパは、焦らしが中途半端に思えた。私に限界が来る前に、望んでいたものを与えてくれる。 「ここを弄って欲しい?」 「んあぁぁぁんっ! あぁぁんっ!」  いきなり、指を挿入してくれた。  二本の指が、一気に、深々と突き入れられる。  条件反射で膣が収縮し、指を締めつける。括約筋に対抗して、強引に指が蠢く。 「ここが気持ちいいのか?」 「あぁんっ! そっ、そこっ! そこぉっ! いぃっ、いぃぃ――っ!!」  膣壁に、指が強く押し付けられる。  入口から最奥まで、膣全体が激しく擦られる。  次に、Gスポットを重点的に責められる。  続いて、また、全体。  交互に、激しい愛撫が繰り返される。  下腹部がじんじんと痺れてくる。  指の動きはどんどん加速していく。声のボリュームもそれに比例する。 「ふあぁぁっ、あぁぁんっ! ひゃぁんっ! んぁぁぁぁっ!! あんっ!」  痛いほどに激しい刺激。その痛みの何十倍も、何百倍も気持ちいい。  身体の中で、小さな爆発が立て続けに起こる。  それでも、止まらない。どんどん気持ちよくなっていく。 「ぅんんんん――っ! んみゃぁぁぁぁぁ――――っっっ!!」  膣内の刺激に浸りきっていたところに、いきなり、外からの刺激が加わった。  充血したクリトリスが、中に劣らず激しく擦られる。 「あぁぁ――っっ! あぁぁぁ――っ! ――――っっ!!」  下半身にぎゅうっと力が入り、一瞬後、弛緩する。  熱い液体が噴き出してくる。  失禁したみたいな大量の潮噴きが止まらない。  下半身の感覚がなくなり、そして、意識が遠くなった。  もちろん、責めはそれで終わったりはしなかった。  その後も、ずっと続いた。  指で。  舌で。  ローターで。  バイヴで。  マッサージ器で。  それらの様々な組み合わせで。  しまいには全部同時に。  胸を、性器を、お尻を、執拗に責められ続けた。  何十回、何百回と、数え切れないくらいに達して、何度も、何度も気を失った。  だけど、休ませてはもらえない。  無理やり起こされて、また、責められる。  パパが休憩している間も、バイヴやローターを挿れられたままだったり、クリトリスや乳首にローターを貼りつけられていたりした。  汗とか、涙とか、涎とか、潮噴きとか、様々な体液を脱水症になりそうなほど大量に分泌させられ、シーツはぐっしょりと濡れていた。  不思議と、鞭のような本当に痛い責めはひとつもなくて、いつも以上に気持ちのいい愛撫の連続だった。  だからこそ、逆に辛いのかもしれない。何回、何十回と達しても終わりにはならず、強力な〈クスリ〉のせいで、際限なく快楽を引き出されてしまう。  絶え間なく続く悲鳴。  痙攣を繰り返す括約筋。  今にも神経が焼き切れそう。  だけど、いい。  だからこそ、いい。  すごく、幸せな気分だった。  喉が渇くと、パパが口移しで甘いワインやジュースやスポーツドリンクを飲ませてくれる。  お腹が空くと、ケーキや果物を食べさせてくれる。  それさえも、口に対する愛撫のように感じた。  なにもかもが、気持ちよすぎる。  それが、いつまでも続く。  だから、辛い。  だけど、やめて欲しくない。  このまま果てしなく責められて、本当に力尽きて意識を失えたら、それは至上の幸福だろう。  ひとつだけ疑問に思い、そして不満だったのは、パパ自身を一度も挿入してくれていないことだ。  性器はもちろん、口にも、お尻にも、挿れられていない。  一度も挿入してもらっていない。  一度も射精してもらっていない。  そもそも、パパはまだ服を脱いですらいない。  どんなに気持ちよくても、それが少しだけ不満だった。  やっぱり、パパが欲しい。  おまんこにも、口にも、挿れて欲しい。いっぱい、飲ませて欲しい。  だけど、これは〈おしおき〉だから、私の願いは叶えられないのだろう。  それが、浮気の代償。  だから、どんなに辛くても我慢するしかないのだ。  そんな責めは、本当にいつまでも続いた。  パパの家に来たのは午前中なのに、夜になってもベッドに鎖でつながれたまま、バイヴを挿れられたままで、責めが終わる気配はなかった。  食事はパパの手で食べさせてもらった。  〈クスリ〉も定期的に与えられていた。  お風呂もパパに入れてもらった。  トイレも、パパに抱かれて連れていかれて、見ている前でさせられた。それは私にとってももちろん恥ずかしいことなのだけれど、パパの前で恥ずかしいことをさせられるのは、やっぱり気持ちのいいことだった。  〈クスリ〉で心身が昂り、バイヴで責められ続けているせいで、心身ともに疲れきっているのに、深夜になっても眠れなかった。  パパは隣で眠っている。  眠る前に腕も脚もさらにしっかりと縛られてしまい、身動きはほとんどとれなかった。  これではバイヴを抜くことはもちろん、眠っているパパに口や手で〈ご奉仕〉してあげることもできない。口で大きくしてあげて私の中に挿れる、というのが理想だったのだけれど、実現は不可能だ。  パパが隣にいるのに、パパの体温を身体中で感じているのに、パパとエッチできない。  それが、なによりも辛かった。  だけど、これは〈おしおき〉だから仕方がない。我慢して受け入れるしかない。  結局、夜はほとんど眠れなかった。  睡魔など入り込む余地のない、絶え間ない快楽。  なのに満たされないもどかしさ。  そのふたつが合わされば、どれほど身体が疲れていても眠れるものではない。少しはうとうとしたような気もするけれど、はっきり眠ったという意識はない。  とても、長い夜だった。 * * *  そんな責めは、翌日も続いた。  パパは私を積極的に責めている時もあれば、ゆっくり新聞を読んだり、コーヒーやお酒を飲んだりしながら私を眺めている時もあった。  そんな時ももちろん私は解放されず、〈クスリ〉と〈オモチャ〉に責め立てられ、悶え狂っていた。  確かに、これに比べれば、普段の痛いおしおきはある意味〈ぬるい〉かもしれない。  痛くないのに、気が遠くなるほど気持ちいいのに、だからこそ、辛い。  そして、辛いからこそ幸せな、とても甘い時間だった。  二日目の夜も昨夜同様に、拘束されたまま、オモチャを挿れられたまま、だった。  眠ることができないほどの、しかしけっして満たされることのない快楽。  だけどこの頃には、そんな状態でもただパパに寄り添っていられれば幸せだと感じるようになっていた。 * * *  三日目も、同じだった。  こんなに長い間、片時も離れずにパパと一緒にいられるなんて、いったいいつ以来だろう。  早瀬と仲よさそうにしているところを見せつけてから今回の呼び出しまで、思ったよりも間が空いた理由も納得できた。普段あれだけ忙しいパパが、こんなに何日も仕事を休むためには、いろいろと準備が必要だったのだろう。どんなに嫉妬していても、すぐに呼び出すことはできなかったのだ。  三日目ともなると、私はすっかりこの状況に溶け込んでいた。  すごく、いいかもしれない。  なにもせず、なにも考えず、ただ、パパと一緒にいて、際限なく快楽を与えられ続けるだけの毎日。  ずっと、こうしていたい。  このままでいたい。  ただ、パパに弄ばれるだけの愛玩動物になりきって、想うことは〈気持ちいい〉〈もっとして〉〈パパ大好き〉だけ。  それで、いいのかもしれない。  その方が、幸せなのかもしれない。  いろいろと余計なことを考えるから、生きるのが辛くなるのだ。  だったら、なにも考えなければいい。  パパの愛撫に応えるだけの生き物になればいい。  学校のことも、早瀬のことも、淀川のことも、遠藤や木野のことも、援交のこともAVのことも、みんな、どうでもいい。それらはみな、考えるに値しないこと。  ただ、この状態がずっと、永遠に続けばいい。  あとは、パパと本当にセックスできればなにもいらない。  ――そう、想った。 * * *  その願いが叶えられたのは、四日目のことだった。  朝、目を覚ましたパパの手で、朝食を食べさせてもらった。  昨夜もほとんど眠ることはできず、肉体的にはかなり消耗しているはずなのに、この不眠はどういうわけか不快なものではなかった。なんとなくふわふわとした感覚で、どちらかといえばいい気分だ。  朝食を終えて、食後のコーヒーでのんびりとくつろいでいたパパが、ゆっくりと立ち上がる。  また、これまで同様の責めがはじまる――そう想った。  朝食に混ぜられた〈クスリ〉のせいで既に正気を失いかけていた私は、それだけで濡れてしまう。  だけど、今日は昨日とは違った。  私が見ている前で、パパが服を脱ぎはじめた。欲しくて欲しくて堪らなかったものが、下腹部で固く反り返っている。 「…………パ……パ?」  全裸になったパパがベッドに上がってきた。  私の上に覆いかぶさる。 「――っ!」  だらしなく涎を垂れ流し続けている割れ目に、熱いものが押しつけられる。  もう、それだけで達してしまいそうだった。 「これが欲しかったんだろ?」 「……パパ……挿れて……くれるの?」  返事の代わりに、腰が突き出された。  膣のいちばん奥まで、一気に、深々と貫かれた。 「――――――っっっっ!!」  悲鳴は、もう、声にならなかった。  気持ちいいとか、そんな、言葉で形容できる感覚ではない。ただ挿入されただけで、この四日間でいちばんの絶頂に達してしまった。  息が止まる。  全身が痙攣する。  視界が真っ白に塗り潰される。  このままショック死してしまうのではないか、というほどの刺激、いや衝撃だった。  パパのペニスは、いつも以上に元気だった。なにしろ今日まで一度も挿入せず、射精せず、なのに私のこれ以上はないくらいにいやらしい姿を見続けていたのだから当然のことだ。  きっと、もう、破裂寸前まで昂っていることだろう。 「……すごい……すごいの……パパ……」  気持ちいい。  気持ちいい。  気持ちよすぎて、涙がとめどもなく溢れる。  これまでに経験したセックスで、いちばん気持ちいい瞬間だったかもしれない。 「……三日間がんばったから……ごほうび?」  嬉しい。  気持ちいい。  嬉しい。  気持ちいい。  今までで、いちばん気持ちのいいセックス。  いけないことなのに。  近親相姦なのに。  信じられないくらいに気持ちよくて、幸せ。  このまま胎内にいっぱい出してもらえたら、幸せすぎて死んでしまうかもしれない、というくらいに幸せだった。  ――だけど。 「ご褒美? まさか。今回は本気で怒ってるんだから、ここからが本当のおしおきだ」 「……え?」  言われた意味が、すぐには理解できなかった。そのくらい、今の理解力を超えた言葉だった。  この気持ちよすぎる状態の、いったいどこがおしおきだというのだろう。  それとも、気持ちよすぎておかしくなってしまうことがおしおきなのだろうか。  しかし、  優しげだったパパの笑みが、狂気をはらんだ残忍なものに変化していく。  ゆっくりと開かれた唇が、決定的な台詞を紡ぐ。 「……ピル、飲んでないんだろ?」 「――――――っっっ!!」  その一言で、正気に戻った。  快楽の海に溶けてなくなっていたはずの理性が、一瞬で甦ってきた。  そうだ。  普段なら毎日飲んでいるピルは、ここに来た日の朝に飲んだきりだった。  以後、ベッドに縛りつけられて、食事も入浴も排泄も、すべてパパの手で行われてきた。自分の意志では動けない状態で、当然、バッグの中のピルは飲んでいない。  そして――  そこで、恐ろしい事実に気がついた。  嫉妬に狂っていたはずのパパからの呼び出しが、予想していたよりも遅かった本当の理由。それは、仕事の都合だけではなかったのだ。  三日間、挿入なしで焦らし続けられた本当の理由。それは、単に〈おしおき〉として焦らしプレイをしていたのではない。  私の生理周期は比較的安定している。今回もその通りだとしたら、次の排卵予定日は明日のはずだった。  パパは、この日を待っていたのだ。  ――そう。  私に対して、どんなおしおきがいちばん効果的か、どんな責めがいちばんダメージを与えるのか、本人以上に知りつくしているのがパパだ。  妊娠の恐怖こそ、私のいちばんのトラウマだった。 「――パパっ! やめてっっ!!」  思わず、金切り声で叫んだ。  パパは構わずに腰を動かし続ける。むしろ、動きが激しくなっていく。  この三日間、本当に焦らされていたのはパパの方なのだ。欲望、早瀬に対する嫉妬心、私に対する怒り、そのすべてをぶつけてくる。 「あぁぁっ! あぁっっ! あぁぁぁ――――っ!」  〈クスリ〉漬けで焦らされ続けた身体は、ひと突きごとに達してしまう。  いくらでも感じてしまう。  だからこそ、これまでに経験したどんな行為よりもおぞましい。  全身に鳥肌が立ち、脂汗が滲む。 「いやぁぁっ! やだぁっ! お願いっ、パパぁぁっ!!」  私の悲鳴を無視して、パパのペニスが深く、深く、深く、突き入れられる。  緊張と恐怖で全身の筋肉が強張って、意志とは無関係に締めつけてしまう。  そんなの、だめ。  そんなことをしたら、パパがさらに気持ちよくなってしまう。そのまま射精してしまう。  そんなの、だめ。  だけど私の身体は、突かれると条件反射のように腰を動かしてしまう。  逃れようとして暴れるのも、腰が動いて、パパをいっそう刺激する結果にしかならなかった。 「やだっ、やだぁっ! いやぁぁ――っ!」  身体がひっくり返される。  俯せにされて、お尻を持ち上げた格好にさせられる。  そのまま、背後からずんずんと激しく突かれる。  この体勢、だめ。  いちばん、だめ。  精液が子宮に流れ込みやすい、妊娠しやすい体勢。もちろん、パパはわかっていてやっていることだ。 「やっぱり、莉鈴のまんこは最高に気持ちいいな。もう、すぐにいっちゃいそうだ」  パパの呼吸が荒い。 「いやぁぁぁぁ――っっ!! いやっ! パパぁっ、お願いっ! やめてぇっ!」  聞き入れられることは絶対にありえない願いとはわかっていても、それでも叫ばずにはいられなかった。  乱暴に打ちつけられる腰。熱く灼けた鋼のようなペニスが、柔らかくとろけた粘膜を抉っていく。  気持ちよさそうな、感極まった吐息がうなじにかかる。 「パパぁっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいぃっ! 早瀬とは、もう、なんでもないのっ! もう絶対、パパ以外の男とセックスなんかしないからっ!」  繰り返される叫びは、ことごとく無視される。 「お願いっ、許してっ! お願いっ、パパぁっ!」  私の願いに反して、パパはフィニッシュに向けて加速していく。  結合部がじゅぶじゅぶと音を立てている。こんな状況なのに、そこは蜜を溢れさせていた。 「やだっ、やだぁっ、いやぁっ! やぁぁっ、お願いぃっ!」 「莉鈴の中に、いっぱい出してあげる。一滴残らず、全部、子宮で受けとめるんだ」  爪が喰い込むほどにきつくお尻をつかまれる。  火傷しそうなほどの勢いで腰が叩きつけられる。 「……いくぞっ!」 「いやぁぁぁぁ――――――っっ!! パパぁぁぁ――――――――っっ!!」  必死の悲鳴に促されるように、いちばん深い部分で、灼熱の爆発が起こる。。  信じられないくらい大量に噴き出してくる濁流は、私の心を灼き尽くすほどに熱かった。 * * *  その後も、パパは繰り返し私を犯した。  何度も、何度も、それこそ最後の一滴まで私の中に精を放ち続けた。  力尽きると少し休んで、亜鉛のサプリメントや各種の精力剤を大量に飲んで、また、私の中に侵入してくる。私を犯していない間は、胎内の精液を漏らさない栓のつもりだろうか、バイヴを挿れっぱなしにしていた。  次の日も。  また次の日も。  同じように、犯され続けた。  その頃にはもう、泣き叫ぶ力も残っていなかった。 * * *  いったいいつ解放されたのか、どうやって家に帰ったのか、それすらも覚えていなかった。  気がつくと、夜、自分のベッドに寝ていた。  室内の様子に普段と違うところはない。ちゃんと服も着ている。  こうして見ると、すべてが夢だったかのような気がしてしまう。ぐったりと疲れ切っていること以外、なんの痕跡も残っていない。  そうだ。  きっと、夢だ。  夢に違いない。  あんなこと、現実だったはずがない。  パパが、あんなひどいことをするなんて――。  そう、想いたかった。  想い込もうとした。  だけど……夢じゃない。  夢であって欲しいという願いは、すぐに打ち砕かれた。  手元にあった携帯電話。そのカレンダーの日付が、最後に覚えている日から一週間ほど進んでいた。  学校に来ていないことを心配する内容の、遠藤や木野や早瀬からのメールが何通も届いていた。  着信履歴をさらに遡ると、パパからのメール――『明日、家に来るように』という内容の――があった。  それを受け取って、あの日、パパに逢いに行ったのだ。  全部、夢じゃなかった。  すべて、現実だった。  のろのろと身体を起こす。  ベッドの上に、剃刀が落ちているのに気がついた。ベッドが真新しい血で汚れていた。  だけど左手首に無数に刻まれていた新しい傷はどれも浅くて、わずかに血が滲んでいるだけだった。  無意識の中でも、深く切ることはできなかったのだ。  その理由は明白だった。  私の中に……  私のものじゃない、  小さな生命が、  在るから―― 「う…………」  嗚咽が込み上げてくる。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしよう。  どうしたらいいのだろう。  排卵日だからといって、絶対に妊娠するとは限らない。しないことだって大いにあり得る。  そう、想おうとした。  だけど、無理。  そんなこと、信じられるわけがない。  根拠はないけれど、確信していた。  そっと、下腹部に手のひらを当てる。  この中に、在る――  ひとつの、生命が。  もう、着床したのだろうか。  それは、まだ、分裂をはじめたばかりの小さな細胞の塊でしかない。  だけど。  それはもう、私とは別の、私のものじゃない、生命―― 「う……ぅぅ……うわぁぁぁぁぁぁ――――――っっっっ!!」  お腹を押さえて、ベッドの上で身体を丸めて、狂ったように絶叫した。 * * *  翌朝――  昨夜は、一睡もできなかった。  一晩中、泣き続けていた。  朝になった頃には、もう、涙も涸れていた。  なにも考えられなかった。  ベッドの上で、ただぼんやりとしていた。  なにも感じなかった。  哀しみも、憎しみも、怒りも。  なにも、感じない。  感情が欠落していた。  この数日間で一生分の涙を流し尽くして、涙と一緒に他のすべての感情も流し尽くして、身体の中が空っぽになってしまったかのようだった。  ただ、お腹の中に在るものを、ぼんやりとした事実として認識するばかりだ。  あの後、パパからの連絡は一通のメールだけだった。しばらくタイとミャンマーに行ってくる、帰ったらすぐ連絡する――と。  もっとも、日本にいたとしてもパパには逢えなかっただろう。  怖い、から。  漠然とした恐怖が心の中に渦巻いていた。  その日はまる一日、ただぼんやりと過ごしていた。  夜は、やっぱり眠れなかった。  横になって目を閉じていても、眠ることはできなかった。  特になにも考えてはいないのに、睡眠という安息が得られない。  多少はうとうとしたかもしれないけれど、ちゃんと眠ったという実感はなかった。少しでも眠ると、その度に怖い夢を見て跳び起きた。  目が覚めた時にはどんな夢かも覚えていなかったけれど、全身が汗でぐっしょりと濡れていた。 * * *  翌朝は、普段よりやや遅めにベッドから出た。  なにも考えられないまま、身体は勝手に制服に着替えていた。  脚は勝手に学校へ向かっていた。  頭はなにも考えていなかった。ただ、自動的に動く機械人形のように行動していた。  一時限遅れて、休み時間に教室に入った私を見て、教室中がざわついた……ようだった。私自身はほとんど意識していなかったけれど。  みんな、驚きの表情を浮かべている。  普段の、疎ましいものを見る視線とは違う。  一週間以上もさぼっていたからだろうか。だけど、それだけでここまで驚くというのも不自然だ。  まあ、どうでもいい。  そう思って席に着こうとした時、ちらりと、早瀬の顔が目に入った。他のクラスメイト同様に、なにやら驚いたような顔でこちらを見ている。いったいどうしてだろう。  私の方は、早瀬に対して特になんの感情も抱かなかった。  今のこの状況は、ある意味、早瀬のせいといえないこともない。なのに不思議と怒りは湧いてこない。  もちろん、いちばん悪いのは私であり、パパである。早瀬に当たるのはお門違いだ。  とはいえ、早瀬に対して感情の昂りがないのはそのためではなく、単に、昨日一日で燃え尽きてしまったからだろう。  早瀬が腰を浮かしかけたけれど、私のところに駆け寄ってきたのは木野が先だった。 「ちょ……莉鈴、いったいどうしたの?」  やっぱり驚愕と困惑の表情を浮かべて、やや乱暴に肩をつかんでくる。 「……なにが?」  私は小さく首を傾げた。 「……一週間のさぼりくらい……たいしたことじゃないでしょ、私には」  確かに長い休みではあったけれど、ここまで慌てることもあるまい、と思う。  しかし木野は、さらに眉間に皺を寄せた。 「いや……学校休んでたことじゃなくて……。それ、いったいどういう心境の変化?」 「……なにが?」  なにを言われているのか、理解できない。 「莉鈴の、その格好……って、……?」  格好?  なにか、おかしな格好をしているのだろうか。  ぼんやりと、ほとんど無意識の状態での身支度だったから、なにか間違えただろうか。  制服に着替えたつもりで、〈デート用〉の他校の制服を着てきてしまったとか。  あるいは、ソックスが左右違っているとか。  自分の身体を見おろす。  ちゃんと、この学校の制服を着ていた。スカートやソックスを着け忘れたりもしていない。  木野に視線を戻し、もう一度首を傾げた。  表情が、驚きから不審に変わっていく。訝しげに私を見つめている。  木野の、早瀬の、他のクラスメイトたちの目には、明らかにおかしいと映っているのに、私には自覚がない。  そう、気づいた顔だった。 「……ちょっと、来て」  乱暴に手を引いて、教室から出て行く。  私は抗わず、黙ってその後に続いた。 「ちょっと、遠藤センセ! 莉鈴が変!」  血相を変えた木野が引っ張っていった先は、おなじみの保健室だった。  いつものように机に向かっていた遠藤が顔を上げる。  私を見て、不思議そうに眉を上げた。  木野や早瀬のようなあからさまな反応ではないけれど、私が普段とは違うと感じている顔だった。  それでも、小さく笑みを浮かべる。 「……久しぶりだな。どうした? 珍しく可愛い格好して」 「……え?」  なにを言われたのか、わからなかった。  私に寄り添って、支えるように肩を押さえていた木野が、壁に掛かっている鏡の方へと身体の向きを変えさせる。 「……あ」  底に映っているのは、制服を着た私の姿。  なにも知らない人が見れば、どこもおかしなところはない。  髪をセットしていないとか、顔を洗っていないとか、ブラウスが皺だらけとか、そんなこともない。リボンだって傾きもせず綺麗に結ばれている。  今朝の精神状態でよくも、というくらいにちゃんとした女子高生の姿だった。  ただし、それが私の姿となると、大きな間違いがあった。  髪をおさげにしていない。  眼鏡をかけていない。  派手にならない程度にお化粧をしている。  スカートが短い。  ソックスがオーバーニーソックス。  ――そう。  これは、いつもの〈学校モード〉の私じゃない。〈デート〉の時の姿だ。  表情も、いつもの無機的なものではなく、どこかふわふわした雰囲気の、つかみどころのない微笑みを浮かべていた。 「ぁ…………なるほど」  ようやく、納得がいった。  教室で、木野が、早瀬が、みんなが驚いていた理由。  〈デートモード〉の私を間近で見たことがあるのは早瀬だけだ。普段、学校では容姿も雰囲気もわざと地味にして、〈女〉としての魅力を極力表に出さないようにしている。しかし今は男受けのいい〈デート〉用の姿で、フェロモンも垂れ流しになっていた。  こんな姿で登校したのは初めてなのだから、驚かれるのも当然だ。 「……可愛いのはいいんだけど、ヘンなの。莉鈴ってば、この格好してる自覚もないみたいなの」 「え?」  困惑した様子で訴える木野。  表情を変化させる遠藤。  私は木野の手を振りほどいて、ベッドに倒れ込んだ。足だけで靴を脱ぐ。 「……大げさに騒ぎすぎ。……今朝……ちょっとぼんやりしてて、うっかりしただけ。……ちょっと寝不足で……寝ぼけてたんだと思う」 「……そうか? なら、いいんだが……いやまあ、寝不足もほどほどにな」  やや釈然としない様子で、遠藤と木野は顔を見合わせる。 「なにか、あったのか? しばらく学校に来てなかったよな?」  遠藤だけではなく、木野も同じことを訊きたそうな顔をしていた。 「ん……まあ、ちょっと、いろいろ。……パパと、デートとか」  それだけ言うと、遠藤の表情が微妙に変化した。なにやら思うところがありそうな、複雑な顔になる。  そういえば、遠藤はいちおう知っているのだ。私が〈デート〉する〈パパ〉の中に、パパ……実の父親が含まれていることを。  まだ保健室に通うようになって間もない頃、ちらっと話した記憶がある。もちろん、早瀬のように詳しく知っているわけではない。初体験の相手だということも話していない。単に、父親とセックスしたことを話しただけだ。  遠藤の表情を見るに、今回の〈デート〉がいつもと違う特別なものであることに気づいたようだ。 「詳しく話す気は?」 「…………そのうち」  実際のところ、話すつもりなんてない。少なくとも、今のところは。  しかし、それでは遠藤は納得しまい。いずれ話すという姿勢をほのめかしておけば、今はあまりしつこく追求されないだろうという算段だった。  ベッドの上で仰向けになって目を閉じる。  昨夜もほとんど眠っていない。疲れきっているはずなのに、睡眠不足はもう限界のはずなのに、しかし、眠気はやってこなかった。  神経が昂っている、という状態とも違う。むしろ、生命活動のレベルは心身ともにかなり低下している。  なのに、睡眠という安らぎを得ることができない。  おそらくこれは、無意識の、本能的な自己防衛なのだろう。  きっと、怯えているのだ。  いま眠ってしまったら、最悪の、精神が耐えられないほどの悪夢に苛まれるに違いないから。  とはいえ、この状況が歓迎できないものであることも事実だ。こんな、ほとんど眠らないままでは、そういつまでも身体がもたない。  おそらく、もう限界に近いはず。あるいは、もう辛いと感じる限界も超えてしまったのかもしれない。  このまま、完全に狂ってしまうのかもしれない。  それとも、死んでしまうのかもしれない。  それでも、いい。  そう想う自分がいる。  ある意味それは、ひとつの救いの形だ。  だけど。  今は、死ねない。  死を受け入れるわけにはいかない。  死ねば楽になれる。  すべての悩み、苦しみから解放される。  だけど、それは贖罪を放棄した安易な逃げだ。  無数の罪を犯した私には、安息など許されない。  そして……  今は、死ねない。  生きなければならない。  生きるのがどんなに辛いことであっても、死ぬわけにはいかない。  もう、私の生命は、私ひとりのものではないから。 「……遠藤」  目を閉じたまま、口を開いた。 「なんだ?」 「…………睡眠薬とか、ない?」 「……北川」  顔を見なくても、私の依頼を歓迎していないことは明白だった。声に、咎めるような気配がある。  もっとも、普段の行いを省みれば、遠藤の反応はもっともだ。 「……別に、変なことに使うんじゃない。ただ……眠れないの」 「クスリに頼って眠るのは、あまり歓迎できることじゃないぞ」  厳しい口調は変わらない。 「特に北川の場合、肉体じゃなくて精神的な問題だろうからな」 「そうだけど……私の〈精神的な問題〉は簡単に治るものじゃないし……、まったく眠れないよりは、薬を使ってでも眠った方が、少なくとも肉体的な健康にはプラスでしょう?」 「まあ……そういう考え方もあるけどな」  やはり警戒しているようだ。私の様子が普段と違うからだろうか。いつも通りだったら、少量の睡眠薬くらい、ちょっとした小言だけで出してくれたのではないかと思う。  やがて、静かな溜息が聞こえた。 「……仕方ない。一日分だけだぞ」 「学校……来ない日もあるし……せめて二日分」  また、しばしの沈黙。そして溜息。 「……本当に、ちゃんと規定通りに使うんだな?」 「……ええ、約束するわ」 「わかった。ただし、二日分ってことは二日ごとにしか出さないぞ?」 「……それで、いい」  渋々、といった様子でうなずく遠藤。保健室の薬品棚ではなく、自分の鞄から錠剤のシートを取りだした。 「……私物? 貴女も薬に頼って眠っているの?」 「ばかいえ。今の北川みたいな生徒のために用意してあるんだよ。公にできるものじゃないし、滅多に使うことはないけどな」  そう言って、二錠を渡してくれる。 「今は飲むなよ。ちゃんと、夜寝る前にな」 「……わかった」  うなずいて、ポケットにしまう。  また、目を閉じる。 「薬は飲まないけど……しばらく休んでいってもいいでしょう?」 「ああ」  保健室の方が、自分の部屋よりは安らげるかもしれない。あそこは、忌まわしい記憶が多すぎる。  それに、ここにいれば独りではない。 「木野も、しばらくここにいるのか?」 「はい」  木野はいつの間にかパイプ椅子を引っ張り出してきて、ベッドの傍に座っていた。 「……教室に、戻ればいいのに」  わざと、素っ気なく言う。 「いちゃ、だめ?」 「……別に」 「だったら、北川のこと、しばらく見ていてくれるか? 私は職員室に用事があるから」  木野がうなずき、遠藤が保健室から出て行く。ドアのプレートをひっくり返す音がする。  それを見送った木野が、視線を私に戻した。 「……なんで?」  ただそれだけの質問を投げかける。それでも意味は通じたらしい。  なぜ、木野は保健室に残ったのだろう。授業をさぼる口実だろうか。しかし、授業態度は真面目な方だったと記憶しているのだけれど。 「ん……なんとなく。莉鈴と会うのも久しぶりだし、可愛い寝顔をゆっくり見ていたいから、かな?」  いつもと変わらぬふざけた口調だったけれど、その表情はどこか哀しげに見えた。あるいは、私の精神状態のせいでそう見えただけかもしれないけれど。 「……物好きというか、悪趣味というか…………退屈でしょう」  慌てて教室を飛び出してきたのだ。携帯電話も、暇つぶしになる本も持ってきてはいまい。本当に、寝顔を眺めているくらいしかすることはない。 「……どうせなら、木野も寝ていったら?」 「え?」 「遠藤公認で、学校で昼寝するチャンスよ?」 「……いいの?」  返事の代わりに、身体の位置をずらしてスペースを空けた。保健室のベッドは狭いけれど、それでも女子ふたりなら寄り添って寝られないこともない。  木野は少しだけ躊躇ったような素振りを見せたけれど、隣のベッドから枕を持ってくると、上履きを脱いでベッドにもぐり込んできた。 「狭くない? 大丈夫?」 「……私は、別に」  ベッドの上ではむしろ、誰かの身体が傍にある状態の方が慣れている。 「授業さぼって保健室で寝るなんて、初めてかも。いけないことだって思うと……だからこそドキドキするね」 「……そう」  私にとっては〈いつものこと〉だ。さすがに、この程度のことで罪悪感など覚えない。  ただ、ぼんやりと天井を見つめる。腕に、木野の体温を感じる。  しばらくそのままでいて、やがて、私の方から口を開いた。 「……なにか、話しがあったんじゃないの?」  木野がここにいる理由。ただ寝顔を見たいとか、さぼりたいとか、そんな動機とは思えなかった。  だから、ふたりきりになったところで本題に入ると思ったのに、なかなかそんな気配がない。結局、こちらが根負けした形になった。 「んー、……いろいろ、話したいこととか、訊きたいこととか、あるといえばたくさんあるんだけど…………今は、いいや。莉鈴にとっては、安眠の妨げになりそうな話題も多いだろうし」 「気を遣ってくれて助かるわ」  正直なところ、そうした気遣いはありがたいことだった。今の精神状態で面倒な話題を振られたら、いつか遠藤にしたように、発作的に木野を傷つけてしまわないとも限らない。  最後の一線を越えて近づきすぎず、しかし放置もせず、木野の距離感は絶妙といえた。  また、目を閉じる。  もちろん、それですぐに眠くなるものではない。  ただぼんやり過ごしているという点では教室にいても変わりはなかっただろうけれど、早瀬の姿がない分、ここの方がいくぶん気が楽に思えた。今なら、早瀬を前にしても先日のような憤りは覚えないけれど、いない方が気楽なのは間違いない。  片目を開けて、ちらりと時計を見る。  昼まではまだまだ時間がある。  そういえば、今朝は朝食を食べただろうか……などと、どうでもいいことを考えた。 * * * 「……え?」  驚いたことに、少し眠っていたらしい。  気がついた時には木野に抱きつくような体勢になっていて、直前までの記憶がなかった。  顔に感じた柔らかな感触は、枕ではなく、比較的大きな木野の胸だった。そこに、顔を埋めていた。 「あ……起きた?」  視線を上げると、木野の顔が至近距離にあった。静かな笑みを浮かべている。 「……私……寝てた?」  驚いた。いったいいつの間に。  怖い夢を見た記憶もない。昨夜は、ほんの少しうとうとしただけでも、悪夢に苛まれていたというのに。  時計を見ると、昼休みの少し前だった。 「……体調はどうだ?」  いつの間に職員室から戻ってきていたのか、遠藤が顔を出す。 「……少し……いい」  一、二時間くらいは眠っていたのだろうか。それも、うとうと程度ではなく、それなりにしっかりと。  今朝に比べれば、幾分、頭が動いている気がする。 「戻ってきた時は少し驚いたぞ。まさかふたりが同じベッドで、抱き合って寝てるとは」  遠藤はからかうような口調で〈抱き合って〉の部分を強調して言った。 「あははー、まさか保健室のベッドでヘンなことするわけないじゃん」  屈託なく笑って身体を起こし、ベッドから降りる木野。 「木野はそうかもしれんが、北川は前科があるからな」 「…………私が、同性相手に変なことをするとでも?」  私のセックスの対象は、原則として男だ。  しかし遠藤はなにか言いたげに、声に出さずに唇を動かした。その動きは、直前の台詞を繰り返したように見えた。  〈前科があるだろう〉と。  微かに、眉間に皺を寄せる。  想い出すには、少し時間が必要だった。  そうだ。  言われてみれば、ここで、同性相手に〈変なこと〉をしたこともあった。夏休み中に、相手は他でもない、遠藤だった。  声に出さなかったのは、木野に配慮してのことだろうか。ならば、こちらから言ってやったら面白いかもしれない。  あれは遠藤が先に手を出してきたのでしょう――と。  木野の前でどう言い訳するのか、見てみたい気もする。  しかし冷静に考えてみれば、木野には知られない方がいいだろう。早瀬相手に一歩も引かなかったことを考えれば、遠藤に対しても本気で怒りそうだ。  もちろん、単純に性欲で私を抱いている早瀬の場合とは事情が違うけれど、そんな理屈が通じるかどうかはわからない。  遠藤と木野、どちらのためにも黙っておいた方がよさそうだ。そして、そんな配慮ができる自分にも驚いた。 「昼食を食べたら、午後の授業は少しでも出ておけよ」 「…………」  これ見よがしに小さく溜息をつく。しかし文句は言わずにベッドから出た。寝ていたせいで乱れた制服を整えて保健室から出たところで、ちょうど昼休みを告げるチャイムが鳴った。 「購買でパンでも買ってく?」 「……ええ」  そのつもりで歩き出したところで、階段を下りてきた大きな人影が目に入った。  昼休みになったところで、早瀬も保健室へ来ようとしていたのだろうか。私の姿を認めて立ち止まる。  なにか言いたげな様子だ。  私は無視して歩いていく。視線も合わせようとしない。  木野はそんな私の様子をどう受け取ったのか、早瀬の横を通り過ぎる時、いきなり、大きな声で話しかけてきた。 「……そういえば、莉鈴が休んでる間に、購買のパンに新メニューが増えたんだけど、これがもうすっごいの。登場から三日で、もう校内罰ゲームの定番になるような代物でさ……」  どうでもいいような話題。  不自然に大きな声。  それはまるで、早瀬が話しかけてくることを拒絶するかのようだった。  これも、彼女なりの心遣いだったのかもしれない。  午後の授業はいちおう出席したけれど、いつも以上に〈ただ座っていただけ〉だった。授業なんて、これっぽちも頭に入ってこない。  しかし、いつもは睡眠薬並みに効く教科書の文字も教師の声も、今日に限ってはまったく眠気を誘わない。  もちろん、だからといって授業の内容が頭に入ってくるわけではない。家にいる時と同じく、ただぼんやりと過ごしていただけだ。  どうして、保健室では眠れたのだろう。  保健室という場所のせいか、木野という同伴者のせいか、あるいは単にたまたまなのか。  ひとつ確実にいえることは、今夜、自分のベッドでは眠れないだろうということだ。眠るためには、遠藤からもらった薬に頼る必要があるだろう。  ぼんやりと視線を泳がせる。  早瀬の大きな背中が視界に入る。  私がいない間、どう過ごしていたのだろう。ふたりの関係がはじまって以来、もっとも長い間隔が空いたけれど、性欲処理はどうしていたのだろう。  もしかしたら、茅萱としていたのだろうか。  休んでいた間、メールは何通も来ていたけれど、一通も目を通してはいない。メールが来ているということは、まだ私を見限ってはいないということだろうか。  犬に犯され、実の父に犯され、それで悦んでいる女。いい加減、愛想を尽かしてもいいだろうに。思っていた以上にしつこい。  小さく、溜息をつく。  どういうわけか、彼の存在が少しだけ憂鬱だった。  涙が涸れるまで泣いて以来、感情の起伏なんてほとんどなくなってしまったと思っていたけれど、それでも少しだけ、早瀬の姿を見るのが憂鬱であり、不快でもあった。  もちろん話なんてしたくないし、セックスも、したいという気持ちがまったく起こらない。  以前なら、精神的にはともかく、肉体的にはどんな時でも快楽を求めている部分があったのに、性欲がひどく希薄になっているような気がした。  いったいどうしたことだろう。  パパに監禁されていた間、本当に数え切れないほどいかされ続けていたせいかもしれないし、他の理由かもしれない。  しかし、以前と違うのは当然といえば当然だ。  あんなことがあって、なにも変わらずにいられるわけがないのだから。 * * *  放課後――  早瀬が近づいてくる気配を感じて、それを避けるように、小走りで木野のところへ向かった。  まるで、逃げるかのような行動。無意識のうちに身体が動いていた。  背後から、木野のブラウスの裾をつかむ。  おやっという表情で振り返る木野。 「……一緒に、帰らない?」  小声で言う。  縋るような声の調子に、自分でも驚いた。  木野が大きく目を見開く。  驚くのも無理はない。私と木野が傍目に親しそうに見えるのは、木野がしつこくつきまとってくるからであり、私の方から積極的に接触したことなどない。  木野を誘うなんて、初めての出来事だった。  視線が一瞬だけ私から外れる。おそらくは背後の早瀬を見たのだろう、私に視線を戻した時には、理解の表情が浮かんでいた。 「……いいよ。ちょうど今日は部活もないし、どっか遊びに行こうか」  仲のいい女の子同士がふざけてするように抱きついてくる。 「……部活なんて入ってたの」  そう返すと、少しばかり傷ついたような顔になった。 「……うん、まあ、そういう性格だってわかってるけどね」  この反応から察するに、もしかしたら以前にも部活についての話しを聞いたことがあるのかもしれない。まるで覚えていないけれど。  クラスメイトが、遠巻きにして私たちを不思議そうに見ている。木野が友達と仲よくスキンシップするのはいつものことだけれど、その相手が非日常だ。木野が話しかけてくることは多くても、私がこうして接触を許すことなどほとんどない。  周囲の目など気にせずに、木野は私を教室の外へと引っ張っていく。さりげなく、早瀬から引き離すように。  教室を出たところで、表情が少し真面目になった。 「早瀬を避けてる?」 「…………会いたくない。話したくない」  その台詞をどう受けとめたのかはわからないけれど、 「そっか……よし、悠美ちゃんにまかせとけ!」  嬉しそうに、私の背中をぽんぽんと叩いて言った。 「で、どこ行く? カラオケ? ケーキバイキング? それともメイドカフェ?」 「……なぜそこでメイド?」  唐突な台詞に、思わず突っ込みを入れてしまう。〈学校モード〉の私はそんなキャラではないはずなのに。 「執事カフェの方がよかった? なんとなく、今はオトコはあまり見たくないんじゃないかと思っただけなんだけど」 「……や……そういう意味じゃなくて」  木野は、メイドカフェとか執事カフェとか、そういうのが好きなのだろうか。  ……なんとなく、好きそうな気がした。 「あ、じゃあ、猫カフェとか?」  思わず、頬の筋肉がぴくっと震えた。 「……猫なんて、見たくもないわ。男以上に」  意図せず、必要以上にきつい口調になってしまった。 「猫、嫌いだったっけ?」 「……最近……嫌いになった」  微かに、引きつった笑みが浮かぶ。 「今、猫に触れたら……しかもそれが茶トラだったりしたら、縊り殺してしまいそう」 「……うわ、その表情でその発言やめて。似合いすぎで怖すぎ」  木野は苦笑しつつも、その陰に、本気で怯えているような色が見える。 「なんか、猫に恨みでもあるの?」 「……そうね。向こうに悪気はないんだろうけど」  そう。  みーこには悪気なんてない。むしろ、木野や遠藤とはまた違った形で善意の塊ともいえる。私に好意も寄せてくれている。  しかし、そんなことは木野には話さない。 「……で、莉鈴だったら、こんな時、どこ行くの?」 「…………ラヴホ」  少し考えて、ぽつりと答えた。  木野がバランスを崩したのは、単につまずいただけなのか、それとも私の発言にこけたのか。 「……ホテル直行、食事をしてホテル、ホテルでやることやってから軽い食事、ドライブしてホテル。あとは……ドライブしてそのまま車の中で、あるいは青姦。……そんな付き合い方しか、知らない」  同世代の女友達と遊んだ記憶なんて、小学生まで遡らなければならない。セックス以外で、他人と接する方法なんて、知らない。 「じゃあ、はや……あ、いや、なんでもない、ごめん!」  木野は言いかけて、慌てて口をつぐんだ。しかし、なにを言おうとしたのかはわかってしまった。  早瀬の話題は私が嫌がると思って、遠慮して訊かなかったのだろう。 「……早瀬と? 同じよ。家へ行って、彼が満足するまでやりまくるだけ。たまに休憩してご飯やお菓子を食べるくらい。何回か、ラヴホや私の部屋ってこともあったけど、やることは一緒」 「……そう」  なんとなく、気まずそうな表情になる。  口をつぐんだまま、少し歩く。 「あたし、ラヴホって行ったことないな。……初体験は、カレシの部屋だったし」 「……じゃあ、行ってみる?」  今度ははっきりと、木野がこけそうになった。 「ちょ……っ、いきなりなにをっ! ま、まずいっしょ、それは!」  顔中真っ赤にして、必要以上に慌てている。意外とうぶなのかもしれない。 「……お菓子と飲みもの買っていって、お風呂入って、昼寝するの。お望みとあらば、カラオケだってDVD鑑賞だってできるわ。……ご心配なく、襲ったりしないから」 「あ……そ、そういう意味? あー、びっくりした。莉鈴ってばいつの間に両刀に? とか思っちゃった」  実際のところ、最近は同性との経験もあるわけだけれど、木野をこれ以上怯えさせないためには言わない方が吉だろう。  それとも、言った方がいいのだろうか。そうすれば、これ以上つきまとわなくなるのだろうか。  しかし今日に限っては、木野が傍にいるのが不快ではなかった。むしろ、心地よいと感じる部分もないわけではない。 「でも……それって、別にラヴホじゃなくてもよくない? 家でも同じことができそうだけど」 「…………言われてみれば、そうね」  友達の家へ行くとか、友達を家に呼ぶとか、そうした発想がそもそもなかった。私にとって、他人と接する場所といえば、まずラブホなのだ。  そこで、ふと思いついた。 「……だったら……うちに、泊まっていかない?」 「え?」 「……最近、家でほとんど眠れなかったのに、さっき保健室では予想外にちゃんと眠れた。だから…………」  腰に手を当てて胸を張り、芝居がかった口調で続ける。 「……貴女を、今夜の抱き枕に任命するわ。これは、命令よ」  高飛車に宣言する。  驚いたような表情を浮かべていた木野が、ふっと笑みを漏らした。 「かしこまりました、お姫さま」  我が儘なお姫様に仕える侍女のように、深々と頭を下げる。そのまま、ぷっと吹き出した。 「……今日は記念日だわ。日記に書いておかないと。莉鈴が家に誘ってくれた上に、私に対して冗談を言ってくれるなんて!」 「……珍獣の餌付けに成功した気分?」 「あはは……そだね、そんな感じ」  〈珍獣〉も〈餌付け〉も否定しなかった。思わず、私も微かな苦笑を浮かべてしまう。 「じゃ、一度家に帰っていい? 泊まって、明日そのまままっすぐ学校へ行くとなると、着替えとか、お泊まりセット持ってこなきゃ」 「……そうね。私もちょっと買い物があるし、後で待ち合わせましょう」 「じゃあ、合流してから、一緒にお菓子とか飲み物とか買っていくってことで」  そうして、待ち合わせの場所と時刻を決めて、一度別れた。  ひとりになって向かったのは、ドラッグストア。  欲しかったのは、睡眠薬。だけど、処方箋も持たない女子高生に睡眠薬を売ってくれるはずがない。そこで、ドラッグストアで買えて、睡眠薬の代わりになるもの……ということで、花粉症の薬を買うことにした。  最近は『眠くなりにくい』を謳っているものも多いけれど、あえて『眠くなってもいいから効き目の強いもの』を選ぶ。  ついでに、妊娠判定薬を買物かごに入れた。会計の時、制服姿で妊娠判定薬を買う女子高生に、店員が咎めるような目を向けていたけれど、そんなことは気にも留めない。  ドラッグストアを出て、ぶらぶらと街を歩いていたところで、目に留まった本屋に入った。  いつも買っているファッション誌を買い、それからふと思いついて、初めての妊娠と出産に関する本を手に取った。  ぱらぱらとページを繰る。  だけど結局、レジには持っていかなかった。この本が役に立つ日が来ないことを、漠然と理解していたのだと思う。  駅の近くで、私服に着替えて大きなバッグを抱えた木野と合流し、お菓子と飲み物――ジュースと烏龍茶とお酒――を買い込んだ。  ついお菓子を買いすぎてしまったので、夕食は、気が向いたらピザの宅配でも取ることにした。  帰宅した時には、空はもう薄暗くなっていた。家には誰もいない。ママはもう出勤した後のようだ。  木野を部屋へ通す。 「へぇ、ここが莉鈴の部屋。意外と普通……でもないか」  一見、〈学校モード〉の私には不釣り合いな〈普通に女の子らしい〉室内を見回していた木野は、ところどころに残る血の染みに気づいて苦笑した。 「……座ってて」  ベッドを指さして言う。  キッチンから、グラスや、お菓子を入れる皿を持ってくる。  ふたつのグラスに、買ってきたばかりの甘口の白ワインを注いだ。そのうちひとつを木野に渡し、自分のグラスを持って隣に腰をおろす。 「……ねえ、莉鈴?」 「……なに?」 「ここで……早瀬と、したこと、あるの?」 「……ええ」  素直にうなずくと、木野は微かに眉をひそめた。 「……なにか?」 「や、ちょっと、その光景を想像しちゃってね。……あ、乾杯」  手の中のグラスを当ててくる。キン、と澄んだ音が響く。  そのグラスを口に運ぶ。 「甘……美味し」  嬉しそうに笑って、唇についたワインを舐める木野。 「木野って……」 「ん?」 「……前にもちょっと思ったけれど、貴女って、私と普通に接している割に、実は、セックスに対して嫌悪感持ってない? 早瀬がどうとかいう以前に」  なんとなく、引っかかっていた。木野の、必要以上に早瀬に突っかかるような態度。  早瀬が嫌いなのか、あるいは逆に早瀬のことが好きで、だから私と別れさせようとしているのか……などと邪推したこともあるけれど、しかし、なにかが違うような気がする。 「え? あー、どうだろ?」  木野は少し困ったような、考えるような顔になる。 「言われてみれば……ちょっと、そんなとこあるかも」 「貴女、バージンじゃないわよね?」 「いちおう、違う。……中学の時、付き合ってた高校生と……何回かしたけど、あんまり、楽しいとも気持ちいいとも思わなかったな」  少し、意外だった。  美人でスタイルがよく、陽気で、人付き合いもいい木野。彼女こそ、明るく楽しいセックスをしそうに見えるのに。  しかし考えてみれば、男女問わず人気者でありながら、付き合っている彼氏の噂は聞いたことがない。言い寄ってくる男子は少なくないらしいけれど。  その、中学時代の彼氏に、なにか嫌なことでもされたのだろうか。  それとも…… 「……不感症?」  思いついたままに訊いてみる。 「や……そういうんじゃないと思う。ちゃんと…………感じる、し」 「……気持ちよくなかった、って言わなかった?」 「だから、そうじゃなくて……カレシとした時じゃなくて……ほら、自分で……ね?」  真っ赤になって語尾を濁す。やっぱり、意外とうぶなのかもしれない。 「オナニー? 貴女は、どんな風にするのかしら?」 「ど、ど、どんなって、そんな……口で説明なんてできないよ」 「言葉で説明できないなら、実践してみせて?」  もちろん、冗談だ。うぶな木野を軽くからかっただけ。  案の定、顔から火が出そうなほどに真っ赤になって狼狽えている。 「な……っ、で、で、できるわけないじゃない! そんな、人前でするものじゃないでしょ? 莉鈴みたいにカメラの前でとか、絶対に無理だし!」  その台詞には微かな違和感を覚えたけれど、木野の狼狽えぶりに気を取られていて、それ以上深くは考えなかった。 * * *  夜中過ぎに、ふと、目を覚ました。  いつの間にか眠っていたらしい。  傍らに温もりがある。自分のものではない寝息が聞こえる。  いつもならばそれは男のものなのだけれど、今夜は、私のベッドで木野と抱き合うようにして眠っていた。  やっぱり、木野と一緒だと眠れるのだろうか。遠藤からもらった睡眠薬は飲んでいないのに、朝までぐっすり熟睡とまではいかないものの、悪夢にうなされることもなかった。  あるいは、アルコールの影響かもしれない。  それとも、人肌の温もりのおかげだろうか。だけどこれが早瀬だったら、こんな風に安眠はできない気がした。機会があったら、一度、遠藤で試してみようか。  昨夜は、特になにをしたというわけでもない。ただ、だらだらと過ごしていただけだ。  ワインとジュースとスナック菓子とケーキ。  つけているだけでろくに見てはいないテレビ。  三分後には忘れているような、とりとめのない会話。主に木野が喋って、私は適当に相づちを打つだけという構図は普段と変わらない。  お風呂は一緒に入ったけれど、ふざけて、風俗みたいなサービスをしてやろうかと言ったら丁重に断られた。  ワインを飲み過ぎたせいか早めに眠くなってきて、入浴後はいつ寝てしまってもいいようにと、木野はパジャマに着替えていた。ふたりの時はもちろん、ひとりでも裸で寝ることが多い私は今夜もそうしようとしたけれど、目のやり場に困ると訴える木野にTシャツを着せられてしまった。  その格好でベッドに寝そべって話していて。  いつの間にか、眠っていたらしい。  木野の静かな寝息が、一定のリズムを刻んでいる。  なんとなく、彼女のパジャマに手を伸ばした。起こさないように気をつけて、そぅっとボタンを外していく。  荷物を減らすためだろうか、パジャマは上しか持ってきていなかった。ずいぶん大きめの男物だから、あるいは普段から上しか着ていないのかもしれない。  前をはだけさせる。  胸の膨らみが露わになる。  長身の木野だけれど、それを抜きにしても胸の発育はいい方だろう。寝ていてもはっきりとわかる曲線を描いている。  膨らみの中腹に指を押しつけ、ゆっくりと滑らせる。きめの細かい、なめらかな肌だった。  先端の突起を軽くつまむ。私よりも少し大きな乳首。左胸の乳輪の縁に、小さなほくろがあるのを見つけた。  そこから指を下へ滑らせる。胸の膨らみを下り、お腹を通り過ぎ、パンツのゴムを指に引っかけ、そのまま下ろしていく。  パンツがずらされ、隠されていた茂みが露わにされても、目を覚ます様子はなかった。両手を使って、完全に脱がしてしまう。  体質的にはヘアは濃い方みたいだけれど、手入れには気を遣っているのか、綺麗に刈り込まれていた。スタイルには自信があるであろう木野のことだから、夏は露出の多いきわどい水着を着ていたのかもしれない。  客観的に見て、綺麗な身体だな、と思う。  滑らかな曲線を描いている、お尻から太腿にかけてを撫でる。無駄な脂肪はなく、しかしほどよく筋肉のついた長い脚をしている。  それを見て不意に思い出した。そういえば、いつだったか、陸上部だと聞いたような気がする。なるほど、アスリートらしい脚だ。撫でていると、柔らかさと弾力のバランスが絶妙だった。  脚を撫でながら、胸に唇を押しつける。  軽く吸って、目を覚まさないのを確認し、今度は跡が残るくらいに強く吸った。  もうひとつ、ふたつ、みっつ。  本人にも見えやすい、乳首よりも上の位置にキスマークをつけていく。  明日の朝、これを見つけたら、いったいどんな反応をするだろう。  想像すると、少し愉快だった。  私もTシャツを脱いで全裸になり、また、木野に抱きつくようにして横になった。  ふくよかな胸に顔を埋める。  肌が直に触れ合う感触が心地よくて、気持ちのいい眠気に包まれていく。  ……その心地よい眠りは、明け方、木野の悲鳴で破られてしまったけれど。 * * *  私の悪戯に懲りることもなく、木野はその後も頻繁に泊まっていくようになった。  木野が一緒だと、睡眠薬なしでもそれなりに眠れるので、私にとっても悪いことではなかった。独りで部屋にいると、精神状態がどんどん負の方向に傾いてしまう。しかし木野がいれば、本当になにも考えずにただぼんやりとしていられた。  部屋にいても特になにをするわけでもなく、木野としてはかなり退屈なのではないかと思うのだけれど、少なくとも表面上はそんな素振りは見せない。  こうして見ると、彼女も、なにを考えているのかよくわからない人間だった。友達だって恋人だってよりどりみどりだろうに、どうしてここまで私に構うのだろう。  それはわからないけれど、今のところ、彼女の存在はありがたかった。  このところ、早瀬との接触はない。  電話やメールは無視しているし、学校では、木野が鉄壁のガードをしてくれている。  おかげで、私としては比較的心穏やかでいられたけれど、早瀬は不機嫌そうだった。  最近のちょっとした変化といえば、木野が泊まっていった翌日は、〈援交モード〉の姿で登校するようになったことだろうか。  私としてはいつも通りの目立たない格好で行きたいのだけれど、「こっちの方が可愛いから」と、なかば強引に着替えさせられるのだ。  もっとも、木野がつきまとっている今の状況では、容姿を隠さなくても女子に攻撃されることも、男子に言い寄られることもないし、〈本来の容姿〉は既に知られてしまったのだから、元に戻す必要もないのかもしれない。  そうして何日か、比較的平穏な日々を送っていたのだけれど、ある時、ふと気がついた。  このままでは、いずれ、早瀬の怒りが木野に向けられるかもしれない――と。  それはおそらく、誰にとっても好ましい状況ではない。  やっぱり、もう一度、話しをしなければならないだろうか。  しかし、どうすれば私のことを諦めてくれるのだろう。茅萱とでも淀川とでも、さっさとくっついてくれればいいのに。  木野や遠藤と相談して、いい解決策が見つかるだろうか。しかし木野はともかく遠藤は、「付き合えばいいだろう」と言いそうな気がする。  そんなことを考えていた、ある日のこと――  その日は木野の部活が休みということで、一緒に学校を出て、いつもより早い時刻に家に着いた。  一階のホールでエレベーターを待っていると、降りてきたエレベーターからひとりの女性が姿を見せた。  胸の大きな色っぽい女性、客観的に見ればかなり美人だろう。胸元が広く開いた服にミニスカートで、惜しげもなく肌を曝している。  見た目の印象では二十代、ようやく曲がり角を過ぎたくらいにしか思えないけれど、実際には三十代も半ば過ぎであることを私は知っている。  その女性も、私も、微塵も表情を変えずにお互いの存在を無視していた。そのまま通り過ぎようとしたけれど、しかし、木野がおやっという表情を浮かべて、問うような視線を私に向けてきた。  初対面でも気づくくらいに似ているのか、と心の中で溜息をつく。  そんな様子に気づいた女性が、どこか皮肉っぽい笑みを浮かべた。 「……友達?」  けっして、好意的とはいえない表情。ただし、そのきつい視線は木野ではなく、私に向けられている。  よく見なければわからないくらい小さくうなずいて、それから木野の方を見て言った。 「……母親」  木野は一瞬「やっぱり」という表情を見せると、すぐに愛想のいい笑みを浮かべて挨拶と自己紹介をする。  ママも、木野に対しては親しみやすい笑みで応える。水商売という職業柄、私よりもはるかに外面がよく、人付き合いも上手い。  いつもなら私が帰る前に出勤しているのだけれど、早く帰ってきた今日に限って、向こうは少し遅かったらしい。あまり会いたい人物ではなかったけれど、鉢合わせしてしまった以上は仕方がない。 「……今夜、泊めるから」 「女の子だと、ちゃんと報告するのね」  早瀬を見たことはないはずだけれど、それでも男を連れ込んだことは気づいていたらしい。そんな皮肉を無視してエレベーターに乗ろうとしたところ、 「莉鈴」  背後から、声が追ってきた。その、微妙に固い声音に思わず脚が止まった。 「ちょっと前、しばらく帰ってなかったみたいだけど……あいつのところ?」 「………………ええ」  隠すことでもないので、うなずきながら振り返る。  しかし、ママの顔を見た瞬間、身体が凍りついた。  意味深かつ複雑な表情。  嘲笑っているようでもあり、怒っているようでもあり、責めているようでもある。  普段、見せることのない顔。  その表情を見た瞬間、気づいてしまった。  顔の筋肉が強張る。  全身が総毛立つ。 「…………木野、先に行ってて」  そう言って家の鍵を渡す。精いっぱい平静を装おうとしたけれど、声が震えていた。  ただならぬ気配を感じとったのか、木野はなにも言わずに鍵を受けとり、私の鞄も持って、ひとりエレベーターに乗った。  ドアが閉じるのと同時に口を開く。 「…………いつから、知ってたの?」 「最初から、よ。気づかないとでも思った?」 「さ、――っ!?」  衝撃のあまり、それ以上声が出なかった。  知っていた?  ママは、知っていた?  パパと私の間に、なにがあったのか。  最初から?  全部?  まさか。 「あいつの演技は完璧だったけど、子供のあんたに誤魔化せるものじゃなかったわね。親って、子供が思っているよりも、子供の嘘を見抜くのがうまいものよ? 旅行帰りの浮かれた頭でも、留守中になにかあったことはまるわかり」  射抜くような視線を向けて、ママは言った。 「それでも、まさか……って思った。思おうとした。考えすぎだって。でも、あんたもあいつもいい度胸してるわよね。寝ている私の横でなにやってんのよ。せめて、こっそり隠れてするなら可愛げもあるものを」 「…………」  そんな、まさか。  最初から、気づいていたなんて。  全部、知っていたなんて。  まる五年、そのことを私に気づかせずにいたなんて。 「パパは……知ってるの? ママが、知ってるってこと」 「そりゃ当然、気づいてるでしょ」 「でも……なにも、言ってない」 「気づかれてるってあんたが知ったら、嫌がると思ったんじゃない? タヌキ寝入りしている嫁の傍らで、なにも知らない娘を犯す……そんな倒錯した状況を楽しむため。そういう男だって、知ってるでしょ?」  全身ががたがたと震える。視界が揺れる。 「ま……ママはどうして、これまでなにも言わなかったの?」 「なにを言えって?」  淡泊な口調と、嘲笑うような笑み。 「このドロボウ猫、とか? ガキ相手に、正面から敗北を認めるような真似をしろと?」  そう言った時のママは、母親ではなく、〈女〉の顔をしていた。恋敵を見る目だった。 「それにあんた、ろくに私と口きこうともしなかったじゃない。無感情なふりして、あんたって実はすごい嫉妬深いよね、怖いくらい」  図星だった。  あの夏以来、パパとママが仲良くしている光景は不愉快だった。だから、ママとは距離をおいていた。  ママのことを嫌っていた私。  それは、ママも同じ。 「……ママも……私のこと、嫌いだったんだ」 「ガキのくせに亭主を寝取った女を好きになれ、と?」 「……なのに……どうして……私のこと、引き取ったの?」  離婚した時、ママは自分から、私を引き取ると主張したのだ。パパに押しつけられたわけでも、私が積極的にママを選んだわけでもない。  だけど、今の会話からはその説明がつかない。  どこか残忍な印象の笑みが目に映った。 「理由は、大きくふたつ」  指を二本立てて言う。 「ひとつは、母親としての義務。なんなら愛情と言いかえてもいいわよ? 小学生の娘を、あんな男とふたりだけにさせておけるわけがないでしょう?」  それは、信じられないくらいに至極まっとうな理由だった。直前の台詞と矛盾しているようにすら思えた。 「意外? でも、嘘じゃないわ。私は、あんたほど狂ってないもの。いちおうは、あんたの幸せだって考える。あいつは……遊びのセックスの相手には最高だけど、本気になるべき相手じゃない。ましてや子供でしかも実の父娘じゃあ……さっさと縁を切った方が身のためでしょ」 「そんなこと、言わなかったじゃない! パパと逢うのも、止めなかったじゃない!」  思わず、大声で叫んでしまう。 「……亭主を寝取った女に、そこまで親切にする義理はないわね。大人の義務として、忠告はした。離婚して引き取るって形でね。でも、最後に決めるのはあんたよ。あんたの人生だし、そこまでは知ったこっちゃないわ」 「…………」  どこまでが本音なのか。  どこからが嘘なのか。  まったく判断できなかった。  これまで五年間、私を騙し続けてきた、パパにも負けない嘘つきなのだ。 「……で」  唇が震えて、言葉を発するのもひと苦労だった。 「そ、れで……も……もうひとつの……理由って?」  理由はふたつあると言った。今のが第一の理由だとしたら、もうひとつはなんだろう。  ママの笑みが歪む。 「……さっきとは反対の理由。目的は同じだけれど、動機は真逆。それ以上、聞く必要がある?」 「――っ!」  聞く必要はなかった。  聞くまでもなく、ママの表情で、口調で、一目瞭然だ。  目的は同じ――パパと私を引き離すため。  だけど、動機は真逆――私から、大好きなパパを取り上げるため。  それは、私に対する復讐だった。 「最後にひとつ、いいことを教えてあげましょうか?」 「…………」  いやだ。  聞きたくない。  心底、そう思った。  ママの表情を見ればわかる。それは、聞くべきことじゃない。  なのに唇が動かない。否定の、拒絶の、言葉が出てこない。 「……私も、今でもたまにあいつと逢ってるわ。なんのため、なんて、言うまでもないわよね?」 「――――っ!」  それだけ言うと、ママは短いスカートを翻してさっと回れ右をした。絶句した私を残して、ハイヒールの硬い足音が遠ざかっていく。  なにも、言葉が出てこなかった。  言うべき言葉がないのではない。  逆に、ありすぎて言葉が喉に詰まっているようだった。  拳を握りしめる。  血が滲むほどに唇を噛む。  頭に血が昇る。  息ができない。  泣きたいのに、涙が出てこない。  久しぶりの、感情の昂ぶり。  それは、やり場のない怒りの感情だった。 * * *  視界がぼやける。  足元がふらつく。  夢遊病者のようにふらつきながらエレベーターから降りると、家の前、ドアに寄りかかるようにして木野が立っていた。  荷物がないところを見ると、一度、部屋に入ったのだろう。私がなかなか戻ってこないので、迎えに出てきたのだろうか。  私を見て、微かな笑みを浮かべる。しかし、その笑みには力がない。  一目で、なにかあったと悟ったのだろう。笑みは浮かべているのに私を見る目は哀しそうで、気遣うように手を差し伸べてくる。  反射的に、その手を取る。  手と手が触れた瞬間、どういうわけか、今まで出てこなかった涙が一筋、頬を伝い落ちた。  木野の制服を、指が痛くなるくらいに握りしめる。  泣いている顔を見られたくなくて、胸に顔を埋める。  抱きつくようにして、嗚咽を押し殺して、静かに泣いた。  どうしてだろう。  なにが哀しいのだろう。  わからないけれど、涙が溢れてくる。  木野はなにも言わず、私の小さな身体を包み込むように腕を回して、家に入るようにと促した。  素直に従って、肩を抱かれるような体勢で部屋へ連れていってもらった。  ベッドに座らされる。  鞄や、買ってきたお菓子や飲み物は既に運び込んであって、グラスも出してあった。  ペットボトルからお茶を注いで、渡してくれる。  だけど、すぐには口をつけなかった。  手の中のグラスを見つめたまま、顔を上げずにぽつりと言う。 「……口移しで飲ませて、って言ったら、退く?」 「え」  さすがに、驚きの声。  顔を見ると、みるみる朱みを増している。  やっぱり、意外とうぶなようだ。嫌がっているというよりも、ただ恥ずかしがって狼狽えているように見える。  女の子同士、ふざけて軽いキスをするくらいはさほど珍しいことでもないけれど、さすがに〈口移し〉の経験はないだろう。 「……いや?」  まあ、普通なら抵抗あるだろう。だけど私は、今、無性に他人に触れられていたかった。 「いやじゃあ……ないよ、もちろん。……ただ、慣れてないから、びっくりしただけ」 「……今さら、キスくらいなんでもないでしょ。もっとすごいこと、何度もしてるんだから」 「あ、あれはっ、寝てる隙に莉鈴が勝手にやってることでしょーが。誤解を招くような発言しないでよ!」  眠っている木野を脱がす悪戯は、初めて泊まっていった夜以来、恒例のようになっていた。一度眠ってしまうとなかなか目を覚まさない体質らしく、脱がすのもキスマークをつけるのも、それを写真に撮るのも、ほぼやりたい放題だった。  朝、裸で狼狽えている木野を見るのが、最近の愉しみになっている。それでも本気で怒ることなく、また泊まりに来るのだから、相当なお人好しだ。 「……喉、乾いたな?」  本来なら異性相手に使う、上目遣いの甘えた表情。グラスを差し出す。  戸惑いつつも、それを受け取る木野。真剣な表情で、手の中のグラスを見つめている。  もちろん、私としては軽い気持ちでからかっただけなのだけれど、根が真面目な木野は本気で悩んでいるようだ。  グラスを手に持ったまま、ぎこちない動きで隣に座る。  二度、三度、小さく深呼吸。  やがて、意を決したようにグラスの中身を口に含んだ。グラスを置いて、私の顔を見る。  私は小さく微笑んで、軽く上を向く。木野の顔が近づいてきて、息がかかるくらいの距離になると目を閉じた。  唇が、触れる。  その瞬間、私は木野の身体に腕を回して、後ろに倒れるように体重をかけた。  不意打ちにバランスを崩した木野の身体が、覆いかぶさってくる。傍目には、木野が私を押し倒したような体勢になる。  そのまま、しっかりと唇を重ねる。一瞬、狼狽した様子だった木野も、状況を把握すると微かに唇を開いた。  冷たいお茶が流れ込んできて、私の喉を潤す。  それを飲み干しても、私は木野を放さなかった。むしろ腕に力を込めて、舌を伸ばした。  驚いたように身じろぎした木野は、それでも逃げずに身体を重ねたままでいてくれた。  舌を精一杯に伸ばして、木野の口中をくすぐる。木野がおずおずとそれに応える。  舌と舌が絡み合う、柔らかで温かな感触。  身体も密着している。柔らかな弾力が胸に当たる。  木野の身体の重みが心地よかった。  男とのキスよりも、素直に楽しむことができた。  それはおそらく、男のように欲望を丸出しにしていないからなのだろう。〈挿入〉のことを考えずに、ただキスそのものを感じていられた。  長い、長い、キスだった。  腕の力を緩めるまで、ゆうに分単位の時間が過ぎていただろう。  唇が離れても、身体を重ねたまま、ふたりの顔は至近距離にあった。こうしたことに慣れていないだろう木野は、首から耳まで、心配になるくらい真っ赤になっていた。  今のキスのことを話題にするのは恥ずかしいのだろう。少し考えるような仕草を見せた後、あえて別な話題を振ってきた。 「……お母さん……綺麗な人だったね」 「……そうね」 「莉鈴と、似てるよね」 「…………そうね」  確かに、似ている。  私の方がママよりも幼い顔つきと体型ではあるけれど、知らない人が見ても血のつながりがあることがわかるくらいには、基本的な造形は似ている。  それはけっして、私にとっては嬉しいことではないけれど。 「……あんまり、仲よくないんだ?」 「……こんな娘を可愛がる母親がいたら、そっちの方が驚きね」  自嘲的に言う。  なにしろ、自分の夫を寝取った娘なのだ。私が同じ立場だったら、殺しているかもしれない。そうするだけの理由はある。 「仲よくないといえば……早瀬と、喧嘩でもした? 以前のように、ただ無関心を装ってるんじゃなくて、はっきりと避けてるよね」  久々に、木野の口から早瀬の話題が飛び出した。  ずっと触れずにいたけれど、気にしていたのかもしれない。先日、学校で、私の目を避けるようにして早瀬と話しているところも見かけた。 「喧嘩……とは、ちょっと違う気もするけど。……でも、似たようなものかな。私が、他のオトコとセックスしてるところを見て、激怒してた。それとは別に……私も、早瀬に対して、ちょっと許せないことがあった」  獣姦のこと、淀川のこと。だけど、今、早瀬を避けているのは、それが原因ではないような気がする。  自分でもよくわからない。パパとのことを知っても私を見限らない早瀬に対して、どう接していいかわからないのかもしれない。あるいは、今の身体のことをどう伝えるべきか、迷っているのかもしれない。  木野の表情が微妙に曇る。 「他の男とセックスしてるところって……ひょっとして、DVDのこと?」 「DVD?」  なにを言われたのか、すぐにはわからなかったけれど、やがて、以前感じた違和感の正体に気がついた。  すっかり忘れていた、早瀬の鞄に入れられていたDVD。  こんな近くに答えが転がっていたなんて。  木野との会話にもっと注意を払っていれば、もっと早くに気づいていたはずなのに。  木野が初めてうちに来た日に感じた違和感――どうして木野は、私が、カメラの前で自慰をしたことがあると知っていたのだろう、と。  あの時、もう少し考えていれば、その時点で真相にたどり着いていたはずだった。 「…………早瀬のバッグにDVDを入れたの、貴女?」  うつむいたまま、小さくうなずく木野。 「……説明して、くれるかしら? どうやって手に入れたのか。どうしてあんなことをしたのか」  AVに出演していることは知っていても、具体的にどの作品になんて話したことはないし、もちろん、見せたこともない。だから、これまで木野が犯人だなんて考えもしなかったのだ。  木野の顔が、また朱くなっていく。 「……莉鈴と……会う前から、知ってた。DVDのこと」  ぎゅっと拳を握りしめる。 「あたし……大学生の兄貴がいるんだ。今年の春休み……高校の合格も決まってヒマをもてあましてた時、兄貴が持ってるエッチなDVDを物色して……。ほら、そういうの、興味ある年頃じゃん? その中に、莉鈴のDVDがあった」 「……そう」  いつも通りの抑揚のない声で返したけれど、予想外の答えだった。  入学式の日に私と出会った時には、私のことを知っていたなんて。 「……びっくりした。あたしより年下にしか見えないこんな可愛い子が、こんなすごいことするなんて……って。すごくいやらしくて、でも、すごく綺麗で可愛くて……心底、惹かれた。特に、その目に」 「……目?」 「AVの中で、笑っている顔も、泣いている顔も、全部、演技だって思った。だけど、その目が…………すごく、印象的だった。すごく、不思議な瞳だった。その目の内側に、なにもない虚空が広がっているような、そんな目だった。いったい、なにを見ているんだろう、なにを感じているんだろう、って思った」  告白する木野の表情は、とても切なげだった。 「その目に……すごく、惹かれた。なんだろう……もう、わかりやすく言えば、ひと目惚れだった」 「……貴女、レズ?」 「……そうかも」  茶化すつもりが、返ってきたのは肯定の返事だった。 「昔は、そんな自覚もなくて、言い寄ってきた男と付き合ったりもしてたけど……あんまり、楽しいとか気持ちいいとか感じたことなかったし。むしろ、可愛い女友達と一緒にいる方が楽しかったし」 「…………」  少し意外な想いで、木野の顔を見つめていた。これまで木野が同性愛者だなんて考えたこともなかったけれど、同じ同性好きであっても、みーことはずいぶんタイプが違う。 「……で、入学式の前の日、街で、中年男性と腕を組んで歩いている、莉鈴を見かけた。すぐにわかった。あの、DVDの子だって。近所に住んでるんだって、びっくりした」 「……うん」 「そしたら、次の日、もっとびっくりした。前の席にその子が座ってるんだもの。外見や雰囲気を変えていてもすぐにわかったよ。目が、同じだったもの。……嬉しかった。友達に……いちばんの友達になりたいって、思った。私よりも他の人と、特に男となんか仲よくしちゃいやだって、心底思った」  泣きそうな表情で話し続ける木野。こんな真摯な告白を受けたのは初めてかもしれない。 「……だから、援交の噂が広まるように仕向けた?」  無言でうつむいたのは、肯定の証だろう。噂が広まったのは、木野がきっかけだった。けれど木野だけは、その後も普通に私に接していた。 「ゆきずりの援交なら、別に、よかった。莉鈴のことを本当に理解してあげられるのは私だけだって、自惚れていられた。でも、早瀬は……噂になる前にすぐに気づいたよ。いつも、莉鈴のこと見てたから。そして、単なるゆきずりの関係とはなにか違うと思った。嫉妬、した。……それで、あんなこと……」 「…………そう」  これで、納得できた。  ずっと、疑問だった。DVDの件以前から。  教師という義務を抱えた遠藤と違って、木野が私に関わる理由が謎だった。  もしも私が普通の感性を持っていれば、あるいはすぐに気づいたのかもしれない。木野が、私に対して単なる友情以上の好意を持っているのだと。  しかし、他人の好意というものを本能的に拒絶していたために、気づけなかった。 「莉鈴のこと、独り占めしたいとか思ったのは事実。だけど……それだけじゃない。あたし、莉鈴のことが好き。だから、莉鈴には少しでも笑っていて欲しい、幸せになって欲しい。莉鈴のこと、幸せにしてあげたい。笑っている莉鈴の傍にいたい。だけど、莉鈴ってば……そういうこと、全部、自分から拒絶しちゃう。あたしのことも、遠藤センセのことも、早瀬のことも」  木野が抱きついてくる。私にしがみつくようにして泣きだした。 「でも、違う。莉鈴ってば、人形よりも感情のないような顔をして、自分を傷つけて…………でも、本当は泣いてるんだ。自分でも気づかないくらい、心の奥深いところで泣いてる。助けてって、泣き叫んでる!」  泣きながら、必死に訴える木野。  対照的に、私は必要以上に醒めた表情になる。 「……そう。……私のこと、よくわかっているのね……私より」 「……わかるよ。莉鈴は……なにも、見てない。見ようとしてない。だけどあたしは、ずっと、莉鈴のこと、見てた」  確かに、私はなにも見ていなかった。こんなにも私のことを見つめて、想っている人がいることも、なにも気づいていなかった。 「あたしは……それに遠藤センセも、早瀬も、みんな、莉鈴のこと好きなんだよ。莉鈴は、もっと幸せになっても……幸せになろうとしても、いいんだよ」 「幸せ……ねぇ」  抑揚のない声でつぶやく。  その顔からはいっさいの表情が消えていた。 「……私には、幸せになる資格なんて……ないから」 「そんなことない、そんなことないよ……」  私にしがみついて、泣きじゃくる木野。木野が激しく泣くほどに、私の心は醒めていく。  それはおそらく、自分の心を守ろうとする防衛本能の表れだ。無機的な態度を装っていなければ、泣き出してしまいそうだから。  木野の気持ちは、想いは、わかる。  いい人だと想う。  もしも私が〈普通〉だったなら、こんな友人を――あるいは同性の恋人でも――持てたら、幸せになれただろう。  だけど――  私には、その想いを受け入れる資格がない。  幸せにはなれない。  なってはいけない。  私は、償うことのできない罪を背負っているから――。 「……木野、私のこと、好きなんだ? じゃあ……セックスでも、する?」  これ以上、木野の真摯な想いにさらされ続けるのが辛くて、茶化すように言った。全部、冗談で済ましてしまいたかった。  だけど木野は首を左右に振った。 「……しない。今は、しない。自分を傷つけるためにセックスする莉鈴とは、したくない。莉鈴の自傷の手伝いはしたくない。莉鈴が幸せになって、好きな相手とするようになったら……したい。だから……今は、これでいいや」  腕が、身体に回される。  包み込むような抱擁。  木野の温もり。  それは、私にとっても心地よいものだった。 * * *  抱き合ったまま眠った翌朝―― 「あたしは、諦めない」  木野は、妙に吹っ切れた表情で宣言した。なんとなく、早瀬とセックスした後の茅萱を思い出す顔だった。 「莉鈴は、もっと、幸せになってもいい。ならなきゃだめ。だから、どんなに時間がかかっても、少しずつ、莉鈴を変えていく。変えてみせる」 「……前向きなのね」  私にとっては眩しすぎるほどに。  だけど、彼女の決意は徒労に終わるだろう。  もう、そんな時間は残されていない。  私には、破局への、避けようのない道筋が見えている。  そのことを説明するべきだろうか。  私の過去を、そして、このお腹の中に在るもののことを話したら、どんな反応を見せるのだろう。  だけど、これ以上木野を悲しませたくはなかった。いずれはすべて話さなければならないのかもしれない。だけど、それは今じゃない。  たぶん、なにも言わずにいきなり姿を消すのが最良の選択だろう。 「……話しを、しようよ。いっぱい。あたしとも、遠藤センセとも、……それに早瀬とも。少しずつでいい。それですぐに変わらなくてもいい。だけど絶対、なにか変わるはずだよ」  もしかしたら、そうなのかもしれない。  もっと早くに……小学生の時に、あるいはせめて中学時代に、木野や遠藤のような人間が身近にいたら、状況は変わっていたのだろうか。  そうかもしれない。  だけど、そうじゃないかもしれない。  もう、手遅れだ。  償いようのない罪というものは、確かに存在する。  それがある限り、なにも変わらない。変えられないのだ。 * * *  木野はその日から、早瀬を私から遠ざけるという任務を放棄し、手のひらを返したように逆の行動をはじめた。  放課後、最近いつもそうしているように、木野と一緒に帰ろうとしたら、部活があるからと断られ、あまつさえ早瀬に押しつけたのだ。 「部活なんかさぼって、責任もって送っていってあげて。でも、泣かすようなことしたらコロス」  釘を刺すことは忘れない。  そして、私に向かって言う。 「逃げてるだけじゃ、なにも終わらない。変わらない。莉鈴……小五の時から、ずっと、逃げ続けてる。それじゃだめ」  一瞬、身体が硬直した。  どうして、小学五年生の時のことを知っているのだろう。  私は話していない。だとすると、早瀬が話したのだろうか。  木野の裏切りに対して、思わず頬を膨らませた。自分でも意外な態度だった。男の前で演技しているわけでもないのに、そんな子供っぽい怒り方をするなんて。 「……おせっかい。もう、手遅れだって言ったでしょ」 「そんなことない。莉鈴がどう思っていても、あたしにとってはまだ終わりじゃない。言ったでしょ、諦めないって」 「……」  小さく溜息をつく。  今の木野になにを言っても無駄だろう。  ちらりと早瀬を見て、そのまま、無言で歩き出した。  早瀬が後をついてくる。  表情を抑えた顔で、隣には並ばず、斜め後ろを歩いている。その状態は学校を出るまで続き、しばらく歩いて周囲の目がなくなったところで、ようやく隣に来た。 「北川……」 「黙っていて」  口を開きかけた早瀬に、ぴしゃりと言い放つ。  今は、早瀬と会話をしたい気分ではない。 「……私がいいって言うまで、黙っていて。あなた、しつけのできてない駄犬? 行儀よく〈待て〉ができたら…………なにか、ご褒美があるかもよ?」 「……わかった」  早瀬は小さくうなずいて、それきり口をつぐんだ。  自分のペースでゆっくりと歩き続ける私が、本来の帰路から外れても、なにも言わずにただ黙ってついてくる。  学校から自宅へ向かうルートとは、方角が九十度違う。普段、歩くことのない道。もう何年も歩いていない道。そのため記憶と実際の光景にはずいぶん齟齬があったけれど、それで道に迷うほどではない。  しばらく歩くと、川が行く手を遮っていた。  けっこう大きな川だ。河川敷は公園化されていて、遊歩道も整備されている。  ここを訪れるのは、何年ぶりだろう。いつもなら、けっして近寄らない、想い出すことすらない場所だった。  土手の上に立つと、息が苦しくなってきた。  遊歩道をゆっくりと歩く。  脚が震える。  全身から脂汗が滲み出る。  胸が痛い。まるで、心臓を鷲づかみにされているようだ。  ふらついて、倒れそうになる。早瀬が無言のまま、背後から支えてくれる。 「……どこか……座れるところ」  もう、これ以上歩くのは無理だった。ここを訪れれば心穏やかではいられないだろうと予想していたけれど、ここまでひどいとは思わなかった。  黙っていろという命令を律儀に守って、早瀬は無言のまま私を抱え上げる。少し歩いた先にある、ベンチのある東屋へと連れていって座らせてくれた。  無言を貫いている早瀬が、近くにあった自販機を指さす。「飲み物がいるか?」という意味だろう。 「……もう少し、融通は利かないのかしら? 黙っていろっていうのは、いつもの、不愉快になるようなことを言うなって意味よ」  棘だらけの台詞にも、今は力が入らない。  微かな苦笑が返ってくる。 「でも、北川ってなにがきっかけで起源損ねるのか、よくわかんねーしな。……ココア……はないか。コーヒーでいいか? ミルク入りの」 「……まずい缶コーヒーなんて飲みたくないわ。……コーラでいい」 「ん」  早瀬はコーラを買ってくると、缶を開けて渡してくれる。  ひと口飲んで、大きく息を吐き出す。今の体調には、炭酸の刺激と爽やかさが多少なりとも救いだった。  早瀬は隣に腰をおろそうとはせず、前に立って私を見おろしている。  もう一度、深呼吸。  早瀬から視線を逸らし、静かに流れている川を見つめる。  あの時と、変わらない風景。  ここに来ると、想い出してしまう。想い出したくないことなのに、けっして忘れることはできない。  空を見あげる。  今にも雨になりそうな、どんよりと曇った空。  あの日も、そうだった。  ここは、子供の頃、好きだった場所だった。出かけて家に帰る時、よく、遠回りしてこの河川敷を通ったものだ。  あの日も、そう。  天候同様、体調もなんとなくよくなかったけれど、いつものように遠回りして、やっぱり途中で雨が降り出して、慌てて走り出して…… 「……っ!」  不意に、飲んだばかりのコーラを吐きそうになった。  手から缶が落ちる。  石畳の上に転がった缶から流れ出した液体が、一瞬だけ泡立って広がっていく。  その光景が、また、忌まわしい記憶を呼び覚ます。  視界が紅く染まっていくように感じた。  意識が遠くなりかける。 「だ、大丈夫か?」  慌てて、早瀬が手を差し伸べてくる。  もう、限界だった。今にも倒れてしまいそうだ。 「……横になって、休めるとこ……」  歯が鳴る。全身が震えている。寒いわけでもないのに震えが止まらない。  視界が霞む。  やっぱり、ここに来るのは無理だった。  そもそも、どうして来てしまったのだろう。もう何年も近寄らなかった、近寄れなかった場所なのに。  どうして、早瀬を連れてきてしまったのだろう。 「……俺んち、行くか?」  早瀬に抱き上げられる。その腕の中で、首を左右に振った。 「……嫌。もう、あなたの部屋へは行かないって言ったでしょう」 「じゃ、北川んち?」 「……あなたを部屋に入れるなんて嫌。それに、遠いわ」  ここからだと、早瀬の家よりもさらに遠くなる。  私の家より、早瀬の家より、もっと近くて休める場所がある。早瀬だってわかっているはずなのに。  その単語を口にすることを、あえて避けていたのだろう。渋々、といった口調で言った。 「そうなると…………ホテルか?」 「……そうね、妥当なところだわ」  この河川敷からそう遠くない距離に、いくつかのラヴホテルがある。  やや複雑な表情を浮かべながらも、早瀬が歩き出した。 「体調、悪いのか? 学校ではそんな感じじゃなかったけど」 「……別に」 「なら……精神的な問題?」 「あなたがそばにいるから、かもね」  そう言うと、少しだけむっとしたような顔になったけれど、特になにも言い返してはこなかった。  私の体調を気遣っているのか、揺らさないように気をつけて、早瀬にしては比較的ゆっくりと歩いていく。 「この場所……なにか、あるのか?」 「……どうして、そう思うの?」 「これまで来たことのない、こんな場所に、今日に限って連れてきて……ここに来ると同時に具合悪くなって……、なんかあると思うだろ、普通」 「……がさつな割に、よく見てること」  確かに、純粋に場所の問題なのだろう。早瀬に抱えられて河川敷から離れるに従い、少しずつ気分はましになってきた。  最悪の状態は脱して、これなら、少しくらいは愉快ではない会話をしても大丈夫かもしれない。 「……ねえ、早瀬?」 「なんだ?」 「……あなたにとって、これまでの人生でいちばん……辛かった、あるいは苦しかった出来事って、なに?」 「…………」  唐突な質問に、答えが返ってくるにはしばらく間が空いた。 「北川に……犬以下って罵られたことかな」  答える声は、しかし、あまり真面目な風ではない。 「……つまらない冗談聞く気分じゃないんだけど?」  低い声でそう言った時には、気づいていた。何故、そんな冗談で誤魔化そうとしたのか。 「いや、でも…………姉貴のことだけど、いいか?」 「……ええ」  淀川は、以前、私が激怒したきっかけだから、話題にするのを避けようと思ったのだろう。しかし今は、そんなことで怒るほどの情熱もない。  早瀬が再び口を開くまでに、また、少し間があった。 「……姉貴の顔、目の下に傷痕があるだろ? ……あれ、俺がやったんだ」 「……そう」  それは既に知っていることだった。淀川から聞かされていた。  とはいえ、その詳しい経緯は知らない。淀川は、早瀬につけられた傷だ、としか言わなかった。 「姉貴は、昔からずっとあんな性格でさ。俺のことなんて、なんでも言うこときく下僕くらいにしか思ってなかったんだ。俺も、ガキの頃からずっとそんな扱いだったから、むかついても逆らうこともできなくて……」  それも一種の〈刷り込み〉だろうか。早瀬と淀川の年齢差は四〜五歳というところだろう。今ならともかく、早瀬がものごころつく三〜四歳の頃にこの差は大きい。 「……でも、中二の時、ちょっとしたきっかけでついにブチ切れて、思わず本気で殴っちまったんだ。その頃だって、体格差は圧倒的だったから、姉貴は一発で倒れて、その時に顔をぶつけて切ったのか、すごい出血して……そのまま動かなくなって……死んだかと思った。床に広がっていく血溜まりを見ながら、なにもできずに固まってた。すごく、怖かった」 「…………そう」  なるほど。  それで納得がいった。  早瀬が、どれほど激怒していても女子に手を上げないのは、そのトラウマのせいなのだろう。 「結局……、大事には至らなかったんだけど、それでも何日か入院して、傷痕も残った」 「……そんな目に遭っているのに、淀川が今でもあの態度っていうのが驚きね」  怖くはないのだろうか。その気になれば、自分を一撃で殴り殺せる弟が。  ――いや。  きっと、怖いのだろう。怖いからこその、あの態度なのだ。恐怖の裏返しとして、必要以上に強気な態度を崩せないに違いない。  以前読んだ、淀川のマンガを想い出す。  肉親に力ずくで陵辱される女の子たち。  あれらの作品には、やっぱり実体験が影響しているのではないだろうか。弟に対する恐怖心が形になったものではないだろうか。  本人は「近親ものは受けがいいから」などと言っていたけれど、そんな上っ面だけではない、もっと根深いなにかが感じられる作品だった。 「そりゃあ……まあ……病院で、意識が戻ると同時に、土下座して謝ったからな」 「……もう絶対にお姉さまには逆らいません、って?」  冗談のつもりで言ったのだけれど、返事が返ってこないところを見ると、当たらずとも遠からずかもしれない。  だけど――  早瀬は、自分がしでかしたことに怯えつつも、その裏で興奮もしていたのではないだろうか。  自分を虐げる絶対君主に対する反抗――タブーだからこそ、禁忌だからこそ、昂っていたのではないだろうか。  そして、実際にそうすることができない代わりに、姉に雰囲気が似ていた私を身代わりにしたのではないだろうか。  そう考えると、最初の時の豹変ぶりも納得できる気がした。早瀬の、押さえつけられた暴力性のはけ口が、私なのだ。 「北川……前に、俺が、姉貴のことが好きだって言ったよな?」 「……ええ」  それは間違いないだろう。今の話しを聞いて、確信はさらに強まった。 「…………ごめん、それ、たぶん本当だ」  早瀬もついに、口に出して認めた。 「……はっきり自覚してたわけじゃない。普通にいう恋愛感情とも違うと思う。……だけど、あんな傍若無人な奴なのに……俺のことなんか、それこそ犬くらいにしか思っていない奴なのに……嫌い、じゃないんだよな。……なんか、やっぱり、違うんだ」 「……淀川のこと……オカズにしたこと、ある?」 「………………ああ」 「興奮、した?」 「…………………………ああ」  さすがにもう、取り繕おうとはしなかった。事実は事実として、認めた。 「……なるほどね。誰よりも欲情するけれど、だけど実際には絶対に手を出せない相手。それで悶々としていたところに、たまたま、ちょうどいい代用品が現れたというわけね」 「いや、ちょっと待った。それについては、ちゃんと弁解させてくれ。一度でいい、最後まで話しを聞いてくれ!」 「…………」  沈黙は、気が進まない承諾の意思表示だった。  私にとってはあまり愉快な会話ではないのだけれど、仕方がない。もともと今日は、早瀬と一緒に帰ることを受け入れた時点で、話しをするつもりではあった。  最後に一度、きちんと話しをつけておいてもいいだろう、と思った。それに、木野への義理もある。 「えっと……まず、北川のことを意識したのは、あの日が初めてじゃないんだ。……入学間もない頃から、北川のこと、気になって見てた」 「……」  意外な発言に、思わず早瀬の顔を見た。私の方は、あの雨の日まで早瀬とは言葉を交わした記憶もないのだ。 「きっかけは、やっぱり……姉貴とちょっと雰囲気が似てたから、だと思う。当時ははっきりとそう意識していたわけじゃないけど、今になって思えばそんな気がする」 「……そう」 「だけど北川は、いろいろと普通の女の子じゃなかったから……だからこそ余計に気になってはいたんだけど、なんか、声もかけづらい雰囲気でさ」 「…………」  ひとつ、納得がいった。  最初の日、少し疑問に感じていたこと。  あの日の私は、学校にいる時とまったく違う姿で、しかも濡れ鼠だった。なのに、それまで一度も会話をしたこともない早瀬が、すぐに私だと気づいた。  その相手が〈言葉を交わしたこともない単なるクラスメイト〉ではなく、〈好きな女性に似ていて気になっていた女の子〉であれば、あり得る話しだ。 「で、あの日は……たまたま北川が家の前を歩いていて、思わず声をかけて……。その後のことは、ホントに、わけもわからないままだった。気になっていた可愛い女の子に、あんな風に無防備に誘惑されて……断れるわけないだろ?」 「……でしょうね」  男の真理としては当然だ。こちらも、そのつもりで誘惑したのだ。 「わけもわからないまま、夢でも見てるんじゃないかって気分でエッチしてしまって……その時は、姉貴のことなんてまったく頭になかった。だけど……一度終わって、北川が口でしてくれていた時……なんか、急におかしくなっちまって……。わけもわからない衝動に駆られて、乱暴なことしちまった…………でも、それが、すごく興奮したんだ。それも、単なる性的な興奮ともなにか違う……征服感とでもいうのかな? ……後から冷静に分析してみれば、やっぱり……無意識のうちに、姉貴と重ねて見てたんだろうな」  ゆっくりと話しながら、それに合わせるようにゆっくりと歩いている早瀬。  ここまで抱えられてきたけれど、川から充分に離れたところで、下ろしてくれるようにと促した。  自分の脚で立ち、歩く。それができる程度には回復していた。  無理はせず、狭い歩幅で、ゆっくりと歩いていく。早瀬もペースを合わせてくれる。  私がちゃんと歩けているのを確認して、また、話しを続ける。 「……でも、その後は……本当は、もっと優しくしてやりたかったんだ。そして……その……援交とかリスカとか、やめさせられたらいいなぁ、とか、思ってた」  ふっと、私の口元に皮肉な笑みが浮かぶ。 「……心を閉ざした荒んだ女の子を、愛の力で更生させるって? まるで、古くさい少女マンガみたいな発想ね」  ありがちな話しではある。しかし、歪んだ心を矯正するのは、そんな簡単なことではないのが現実だ。 「……俺はまだガキだったし、北川のこと、まだよく知らなかったし……噂はちょっと大げさになってるだけじゃないかとか、優しく接してやれば心を開いて俺にだけは笑いかけてくれるようになるんじゃないかとか、そんな夢見たって仕方ないだろ?」 「……出来の悪いギャルゲーみたいな話しね。でも、そんなことを考えていた割には、いつも乱暴だったこと」 「それは……やっぱり……、いざはじまると変なスイッチが入るみたいで……それに、北川はいつもすごい挑発的だし……」 「……当然でしょう。乱暴にして欲しかったんだもの」  だからこそ、どうすれば早瀬の〈スイッチ〉が入るかを把握し、そこを確実に突くようにしてきたのだ。 「何度も逢って、少しずつ北川のことがわかってきて……。こいつは姉貴じゃない、ちっちゃくて、可愛くて、傷つきやすい女の子なんだ――って、自分に言い聞かせてるつもりだった。北川に乱暴なことしたって、姉貴に対する復讐にも愛情表現にもならないって。……だけど、やっぱりあんな風になっちまうんだよな……」 「よっぽど、淀川に対して欲情してたのね」 「違う、そうじゃない!」  そこだけ、急に声が大きくなる。 「そうじゃないんだ。……いつの間にか、姉貴の身代わりとしてじゃなくて、北川本人に対して欲情して、乱暴してたんだ、俺は」 「…………」 「……北川のことを、北川自身を、好きになってたんだ。自分のものにしたいって、思うようになってた。だけど北川は、俺のことなんか構わずに他の男ともやっていて……それがすごくむかついて……だから、つい、他の誰よりも激しく、他の誰よりも北川のことをめちゃめちゃにしたい、って……」  早瀬の顔が怒りに歪む。拳が握られ、腕の筋肉が盛り上がる。その怒りは、自分に……ほんの少し過去の自分に向けられたものだろう。 「……くそっ、やっぱりちょっと歪んでるな、俺」 「……結局、根はSなのよね。…………で、そろそろ、自分の考えの甘さに気がついたかしら?」 「ああ、思い知らされたよ。……北川の傷がどれほど深いものか、人ひとり救おうとするのがどれほど大変なことか。……きっと、インターハイで優勝する方が楽だな」 「……理解してもらえて嬉しいわ」  感情のこもらない声で言う。  これでもう早瀬には煩わされずにすむ――そう、思った。  だけど。  早瀬の目には、まだ、力強い意志の光が感じられた。 「だけど……諦めない。諦めなければ、きっと、可能性はゼロじゃない」 「…………」  少し、驚いた。  いったい、どこまでしつこいのだろう。本当に私のことを理解しているのだろうか。 「……あなたといい木野といい、どうしてそうなの? 諦めが悪いというか……ううん、無駄に楽天的よね」 「そりゃあ、そうだろ。諦めずに頑張っていればなんとかなるって、そう思ってなけりゃ、陸上にしろ柔道にしろ、競技なんてやってられないさ。練習も試合も苦しいけれど、頑張ってそれを乗り越えれば大きな喜びが待っている……そう思えば、耐えられる」  アスリートという人種は、みんなこうなのだろうか。 「……だけど北川は…………、その先になんの救いもないのに、苦しい思いをし続けてるんだよな。それがどんなに辛いことか……最近ようやく、わかりかけてきた」  切ない、しぼり出すような声。そして、哀しそうな目。  早瀬のこんな表情を見たのは、初めてかもしれない。 「今日は、今までになくたくさん話してるよな。……もっと早くから、こうするべきだった。けど、俺は、逃げてたんだ。北川の機嫌を損ねることが怖くて……それ以上に、北川の、俺が見たくない部分に触れるのが怖くて。……でも、もっともっと話しをして、わかろうとするべきだった。そうすれば……少しずつでも、変わっていけるはずなんだ。遅くなったけど、今からでも、そうしていきたい」  遠藤も、木野も、そして早瀬も、私のことを理解しようとし、そして、理解しはじめている。  だけど、ひとつ、大きな思い違いをしている。  今日、珍しく私がこうした会話をしている理由。  それは、心を開いて、少しでもいい方向に変わろうとしているのではない。  もう、手遅れだから。  もう、終わりだから。  ある意味、遺言みたいなもの、かもしれない。 「俺、北川のことが好きなんだ。だから……ただセックスできればいいっていうんじゃなくて……もっと、普通の恋人のような関係になりたいんだ」 「……普通の恋人って、なに?」  〈普通〉を小馬鹿にしたような口調で言う。 「……毎日メールや電話したり、一緒に登下校したり、カラオケやファーストフードで時間を潰したり、休日は映画や遊園地で遊んだり、あなたの試合を応援に行ったり、高校生っぽい普通のセックスしたり?」  早瀬がうなずく。 「……私の性格がそういうのに向いていないって、まだ、ちゃんと理解していないの? 〈普通〉の高校生の恋愛がしたいなら、茅萱としなさいよ」  〈普通〉も〈恋愛〉も、私には縁のない単語だ。そんなものを私に求めるのは間違っている。 「北川の性格は、そんな単純なものじゃないだろ。学校や俺の前で見せる無機的な性格は、北川のほんの一部……それも意図的に作ったものでしかない。たとえば、父親の前で見せたような性格なら、〈普通〉のデートも楽しめるんじゃないか? そして俺は、彼女にするならカヲリよりも北川がいいんだ」 「……」  小さく溜息をついて、なんとなく空を仰ぎ見た。  低く厚い雲が空を覆っているけれど、まだ雨は落ちてこない。 「……もしも私がもっと〈普通〉になったとして……それであなたを選ぶ保証はどこにもないわよね? 私の好みはもっとイケメンかもしれない。もっと線の細い優男かもしれない。あるいは、パパのことを抜きにしても大人が好きかもしれないわよ?」 「そこは……まあ、俺の努力次第だよな。少なくとも、可能性はゼロじゃない」 「……ホント、楽天的だこと」 「少なくとも……親父さんを別にすれば、北川にとって多少なりとも特別な存在だって思うのは……自惚れじゃないよな?」 「…………」  認めるのは癪だけれど、それは事実だった。  パパを除けば、早瀬ほど何度も逢った男はいない。  早瀬ほど激しく何回もしてくれる男はいない。  早瀬ほど大きな男はいない。  肉体関係を持ったクラスメイトも、同い年の男も、早瀬だけ。  こんな会話をした男も、他にいない。  他の男なんて、その大半は顔も覚えていない。何回か会ったことのある相手だって、回数は片手で数えられる程度だ。  確かに、早瀬は他の男たちとは違う。それは否定できない。  だけど、決定的な認識の違いがある。  私にとっては、可能性は〈ゼロ〉なのだ。  存在しない未来の可能性を語るのは無意味なことでしかない。 「……だから、もっと、話しをしよう。北川のこと、もっと、知りたい」  早瀬が強い口調で言った時には、いつの間にかホテルの前に着いていた。  もう、横にならなければ耐えられないほど具合は悪くなかったけれど、そのまま脚を進める。  会話を続けるにしても、立ち話は疲れる。せめて腰は下ろしたい。  それに室内で二人きりになれば、早瀬に会話を打ち切らせることも簡単だ。 「今日は、することよりも話すこと優先な」  自動ドアをくぐりながら、早瀬が釘を刺す。その決意はいつまで続くだろう。  部屋に入るなり、ごろりとベッドに横になった。早瀬は用心しているのか、距離を空けてソファに腰を下ろす。すぐ傍にいたら、話どころではなくなる自覚があるのだろう。 「……恋人なら、こうした場所で会話する時は寄り添うものじゃないの?」  仰向けに寝転がって、脚だけを持ち上げる。スカートの裾がまくれて、下着が見えそうになる。  もちろん、早瀬を誘うための意図的な動きだ。 「まだ、恋人じゃねーし。それに、北川のフェロモンの威力は、誰よりもよく知ってるからな」  座ったまま、動こうとしない。  今日の早瀬はなかなか手強いようだ。次の手を考える。 「……喉、乾いたわ」  私の意図を悟ったのか、早瀬が微かに苦笑する。それでも立ち上がって冷蔵庫を開けた。 「なにがいい?」 「……ビール」  早瀬の表情が微妙に変化する。眉間に皺を寄せたようにも見えるけれど、未成年の飲酒を咎める顔とも違う。 「酒、飲むんだ?」  私が飲酒することを意外に感じての表情だったらしい。そういえば、早瀬の前でアルコールを口にするのは初めてかもしれない。  早瀬の家で、アルコール飲料を出されたことはない。いまどきの高校生ならお酒くらい悪戯していそうなものだけれど、アスリートということで身体には気を遣っているのかもしれない。 「飲むわよ。……少し、ね」  それほど量を飲むわけではないけれど、パパに限らず〈デート〉の時にはお酒を口にする機会が多い。実際のところ、アルコールよりも〈クスリ〉で酔っていることの方が多いのだけれど。  しかし実をいえば、ビールはあまり好きではない。いちばん好きなお酒はパパが飲ませてくれる高級な甘口ワインで、安物なら甘いフルーツ味のカクテルやチューハイだ。今日、ビールを選んだのはちょっとした気まぐれだった。  早瀬は冷蔵庫からビールを取り出し、缶を開けて差し出してくれる。だけど私は横になったままで、受け取って飲める体勢ではない。そんな私を見おろしていた早瀬は、少し考えて私の身体を起こすと、クッション代わりの枕を背中に置いてくれた。  もう一度、ビールが差し出される。  その手に触れて、軽く握る。誘うような笑みで早瀬を見上げる。  やや狼狽えた表情になる早瀬。 「……あなたの自制心もたいしたことないわね。冗談よ。今日は、話しをするのでしょう? 私としては、話し以外のことでも構わないのだけれど?」 「…………」  一瞬、迷ったのかもしれない。しかし早瀬は私の手に缶を押しつけると、距離を置いてベッドの端に腰かけた。  ビールを口に運ぶ。  ひと口、飲む。  苦い。  炭酸の刺激も強すぎる。  この味、好きではない。  だけど、飲む。  パパはどうして、こんなものを美味しそうに飲むのだろう。セックスが終わってシャワーを浴びた後、いつも飲んでいる。  我慢しながら半分ほど飲んで、残りを早瀬に渡した。  早瀬は反射的に缶を受けとったものの、どうしたものかと迷っている様子だ。目で促すと、意を決したようにぐいっとひと息に飲み干した。  そんな姿を見ながら、制服のリボンを解く。  スカートを脱ぐ。  ブラウスのボタンを外していく。 「な、なんでいきなり脱ぐんだよっ?」  早瀬が必要以上に狼狽える。 「……こういう場所にいて、脱ぐ理由を訊くの? 逆ならともかく」  答える間も手は止めない。ブラウスを脱ぎ捨てる。 「今日は、話しをするって言ったろ」 「……裸でも、話しはできるわ」  しかし、裸になった私を前にして、早瀬は我慢していられるだろうか。最後にしたのは初体験の話しをした時だから、なんだかんだでもう三週間くらいは経っている。  私との関係がはじまって以来、セックスの間隔は最長でも十日程度だ。ここまで間が空いたことはない。彼の性欲の強さを考えれば、今まで我慢できたことの方が不思議なくらいだ。  そして、私も。  パパに監禁されていた時以来、誰ともセックスしていない。  こんなに長く間が空いたのは、バージンを失って以来、初めてではないだろうか。  このところ、性欲も自傷の衝動も薄れていたけれど、意識してしまうとしたくなってしまう。  ブラジャーを外した。  パンツも下ろす。  ニーソックスも脱いで、一糸まとわぬ全裸になった。  そして、立ち上がる。  早瀬の正面に立つ。  まっすぐに見つめる。 「……久しぶりに見る私の身体、どう?」 「綺麗だ、すごく……だから、ストップ!」  一歩踏み出すと、慌てて手で制した。  それに構わずに、もう一歩。ゆっくりと近づいていく。 「……溜まってる?」 「ああ……すごく」  さらに、もう一歩。 「……もう……大きくなってる?」 「……ああ」  すぐ目の前に立つ。 「……私がいない間、茅萱とかと、しなかったの?」 「す、するわけねーだろ!」 「茅萱……迫ってこなかった?」 「……や……それは……」  即答を避け、困ったような表情を見せる。  そんな反応を見るまでもない。開き直った今の茅萱が、私がいない時になにも行動を起こさなかったとは思えない。 「……しても、よかったのに。別に、怒らないわ」 「そうか? 北川って、好きな相手に対しては、実はかなりやきもち妬きだろ?」 「だから、あなたに対しては怒らないって」 「…………それはそれで凹むし」  だけど、それが事実。  相手が茅萱なら、きっとやきもちなど妬かないだろう。それは、〈私の代わり〉だから。もしも相手が淀川だったなら、その場合は不愉快だったかもしれない。 「……じゃあ……性欲処理は、自分で?」 「……ああ」  隣に腰を下ろし、早瀬に密着して寄りかかる。  手を伸ばして、膨らんだ股間にそっと触れた。早瀬は抗わなかった。 「……それで、よく満足できたわね」  硬く、大きくなっている部分を、手のひらで撫でる。 「満足なんか……できるわけねーだろ。……やっぱり、北川が欲しい。……でも、身体だけじゃ、だめなんだ。心も……心にも、触れたい。心も含めて、北川を抱きしめたい」 「心……ねぇ……」  手を動かし続ける。早瀬の呼吸は荒くなっていて、必死に我慢しているのが一目瞭然だった。  それでも、今日は襲ってこない。 「……私の心なんて、もう、壊れてしまってる……砕けた欠片でしかないわ」 「……そんなこと、ない」 「……そうなの。その話しを、これから、してあげる。……その前に……服、脱いで?」 「いや、北川……」 「こういうところでの会話は、裸で、肌を寄せ合ってするものよ?」  耳に唇を寄せて、甘い声でささやいた。 「…………わかった」  不承不承、といった様子で早瀬がうなずく。  従わなければ話さないと感じたのか、それとも単に、性欲が限界まで昂ぶっているのか。  立ち上がって、服を脱いでいく。  筋肉質の、大きな身体。私なんか簡単に殴り殺せそうな、鍛えられた肉体。  その股間からそそり立つものも、まさに〈凶器〉と呼ぶべき形と大きさだった。 「……相変わらず、すごいわね。じゃあ……」  自分が座っている場所の隣をぽんぽんと叩く。  そこに、早瀬が腰を下ろす。  身体に、触れる。  皮膚のすぐ下に鍛えられた筋肉の層があるのがわかる、固い身体。その上で指を滑らせる。  胸から、下半身へ。  くすぐったいのか、それとも気持ちいいのか、あるいは両方か、歯を喰いしばって堪えている。  二度、三度、指を往復させる。  それから、男性器に触れる。  優しく、そぅっと。  指先でくすぐるように。  びくんと反応する。  鍛え上げられた大胸筋や腹筋よりも、もっと硬い。  そして、熱い。  はちきれそうなほどに、膨らんでいる。まるで、その中に熱く煮えたぎった精液がいっぱいに詰まっているみたいだ。ちょっとつついたら、破裂して噴き出してきそうな気がしてしまう。 「き、北川……」  やっぱり、かなり溜まっているのだろうか。軽く触れただけで、余裕のない、切羽詰まった声を上げる。  優しく、ゆっくりと、だけどいちばん敏感な部分を指先で刺激する。  そぅっと握って擦る。  先端から、透明な汁が滲み出てくる。  それを指先ですくい取って、亀頭に塗り広げる。  かすれた呻き声。  さらに手を動かす。  あともう一秒でも続けたら射精する、というぎりぎりのところで手を放した。 「……じゃあ、約束通り、話しをしましょうか?」  早瀬の目つきが微かに鋭くなる。 「…………北川って、性格悪いな」  一瞬、押し倒されそうな気配を感じた。そのくらい、ぎりぎりの状態だったのだろう。 「……出したいなら、襲って?」   フェロモン全開。甘い声でおねだりする。 「…………話しが、先だ」  あの早瀬が、たいした自制心だ。だけど、いつまで耐えられるだろう。正直なところ、結果の見えている勝負だった。  くすくすと笑う。上目遣いに見上げる。 「……したい、な?」  演技ではない、本気のおねだり。  私の方は、もう、スイッチが入ってしまっていた。  この〈本物〉のおねだりに抗える男など、同性愛者でもない限りありえない。 「いや、でも……」  早瀬ももう陥落寸前だ。 「私も……溜まってるんだけどな? しばらく学校を休んでた後は、誰ともしてないのよ?」  また、早瀬に触れる。  燃えたぎる欲望が、激しく脈打っている。  久しぶりに、これに、貫かれたい。陵辱されたい。  心底、そう想った。 「話しは、するわ。……だから……して」  手で触れたまま、身体は伸びあがってキスをする。  至近距離でまっすぐに目を見つめてささやく。 「……あなたのが、欲しいの」  ついに、早瀬が陥落した。  太い腕が身体に回される。包み込むように抱きしめられる。 「お願い…………挿れて」 「……ああ」  押し殺したような声。だけど、そこから滲み出る欲望が垣間見える。  やっぱり早瀬も我慢できないのだろう。当然だ。  ベッドの上に押し倒される。  大きな身体が覆いかぶさってくる。  苦しいくらいの重量感。  それが、いい。 「……いっぱい、溜まっているんでしょう? その欲望を、全部、ぶつけて。めちゃめちゃに犯して、陵辱して」  言うまでもなく、いつものようにそうしてくれるものと思っていた。半月以上の禁欲生活の後で、早瀬がおとなしくしていられるわけがない、と。  だけど―― * * * 「や……っ、んっ……や、だぁ……早瀬ぇ……いやぁっ! あぁんっ!」  ベッドの上で、ふたつの身体が重なっている。  早瀬が、私を貫いている。  その巨体が動くたびに、小さな身体が揺すられる。  嗚咽が漏れる。  だけど……  そこにはひとつ、いつもとは決定的な違いがあった。  早瀬の動きが、すごく、優しい。  いつものように、前戯もそこそこにいきなりねじ込んできたりはしなかった。  膣が引き裂かれそうなほどに無理やり突き挿れてもこなかった。  指と舌でじっくりとほぐすように愛撫して、蜜を塗り広げるようにしながら、優しく、静かに挿入してきた。  内蔵が押し潰されそうなほどの、お腹が突き破られそうなほどの強引な挿入はない。膣が摩擦で火傷しそうなほどの激しい動きもない。  華奢な私に合わせて、小刻みに、リズミカルに、動いている。  茅萱としていた時よりも、さらに優しい。  私を気遣うようなセックスだった。  早瀬のサイズだから、それでもまったく痛くないわけではない。  しかしそれは、いつもの暴力的な激痛ではなく、快感をいや増すスパイスになるような、甘い甘い痛みだった。  私の身体を包み込むように抱き、何度も、何度も、キスを繰り返しながら、腰を優しく前後させている。  気持ち、よかった。  すごく、気持ちよかった。  これまで、早瀬とのセックスでは一度も感じたことのない、純粋な快感だった。  何度も何度も達して、だけどその度に、さらに快感が強まっていくようだった。  なのに――  私は、泣いていた。  もう涸れてしまったと思っていた涙が、とめどもなく溢れ続けていた。  けっして、気持ちよすぎて泣いているのではない。  かといって、いつものように痛みに泣いているわけでもない。  哀しいわけでもない。  なのに、涙が止まらなかった。 「いや……ぁっ! やめ……やめてっ! あぁぁっ、はや……せっ!」  愛撫がはじまった直後から、優しくて気持ちのいいその行為を拒絶し続けている私。  だけど、けっしてやめてはくれない早瀬。  その身体の下から逃れようとしても、優しく、だけどしっかりと包み込むように抱きしめて、けっして放してくれない。 「や……だってば! やめてっ、いつもみたいに、乱暴にしてよっ!」  泣きながら懇願する私。 「……だめ。今日は、こうするって決めたんだ」  優しい、だけど揺るぎない決意が感じられる声。 「わ……たしは、ら、乱暴に、めちゃめちゃに……陵辱、……っ、されたいの! こんなの……いやぁっ!」 「でも……北川、感じてる」  耳たぶを甘噛みしながらささやく。 「……感じてなんかない!」 「いつもより、もっと、濡れてる」 「濡れてなんか……」  ない、と言い張るのは無理があった。  今日は〈クスリ〉もローションもなにも使っていないのに、じゅぶじゅぶと湿った音がはっきりと聞こえている。お尻の下がぐっしょりと濡れているのを感じる。 「北川も、腰、動いてる」 「……っ!」  それも、否定することができなかった。  身体が勝手に、この絶え間ない快楽に応えていた。それが、さらに自分を昂らせていた。 「……っ」  反論する代わりに、早瀬の腕に噛みついた。なんの手加減もなく、力いっぱい歯を立てた。  それでも皮膚を浅く傷つけただけで、鋼のような筋肉を喰いちぎることはできず、早瀬は痛みなど微塵も感じていないかのように、優しいセックスを続けていた。  嫌、だった。  こんな風に、されたくなかった。  こんなセックス、これまで一度もしたことがない。  気持ちのいいセックスだけなら、いくらでもある。今よりずっと気持ちよかったことだって数え切れないほどだ。  だけど、違う。  パパとのセックスは死ぬほど気持ちいいけれど、それは近親相姦という罪。  援助交際でも身体の相性のいい相手に巡り会うことはあるけれど、それは売春という罪。  近親でもない、淫行でもない、不倫でもない、なんの後ろめたさもない相手。  お金も絡まない、犯罪ではない、なんの後ろめたさもない行為。  ゆきずりの相手でもない。  私に好意を持っている男に優しくされて。  そして、感じている。  それが、嫌だった。  どんなに激しい行為も、変態的な行為も、受け入れてきた。  だけど、たったひとつ、受け入れられないセックス。  それが、これだ。  愛情のこもった、優しい、気持ちのいいセックス。  こんなこと、したくない。  こんなこと、されたくない。  こんなこと、されてはいけない。  セックスは嫌なこと。  私にとっては罪の象徴であり、それ自体が罰でもある。  そうでなければならない。  セックスで気持ちよくなってはいけない。  悦んではいけない。  満たされてはいけない。  なのに……  どうして、こんなに気持ちいいのだろう。  どうして、こんなに感じてしまうのだろう。  嫌なのに。  心底、嫌なのに。  気持ちいいセックスなんて、したくない。  して欲しくない。  そんなもの、求めていない。  求めてはいけない。  なのに…… 「やだってばっ! いやっ! 早瀬、お願いっ、やめてっ! いやぁぁ――――っっ!」  拒絶の言葉は、切羽詰まった悲鳴へと変わっていく。  あの、パパにされた、最悪の陵辱にも比類する悲鳴。  だけど、やめてくれない。 「許してっ! お願いぃっ! もうっ、もう……っ!」  やめて。  ゆるして。  もう……限界。  壊れてしまう。  私の中で。  なにか、が……壊れてしまう。  なのに、許してくれない。  やめてくれない。  こんなに優しいのに、私の言葉を受け入れてはくれない。  有無を言わさず、優しくて、気持ちよくて、だからこそ拒絶しなければならない行為を続けている。  それは、限りなく優しい陵辱だった。 「――――――っっっ!!」  胎内に注ぎ込まれる灼熱の奔流。  三週間の禁欲生活を取り戻そうとするかのような大量の精液が、私の中をいっぱいに満たしていく快感。  それでようやく、私は失神という一時的な救いを得ることができた。 * * *  どのくらい時間が過ぎたのだろう。  私は全裸のまま早瀬に腕枕されて、ぐったりとしていた。意識が戻ってからも、かなり長い時間、そうしていた。 「……怒ってる?」  優しい表情が見おろしている。 「…………ええ、すごく」 「でも……」 「……ええ、感じてたわ」  誤魔化しようがない事実を声に出して認める。 「……すごく、感じた。…………でも、あなた相手に感じてしまったこと自体が、言いようもないほどの屈辱よ」 「でも、好きな女の子には気持ちよくなってほしいじゃん?」 「……私は、あなたなんか、嫌いよ」  言いながら、勢いをつけて身体を起こし、早瀬から離れた。  激しい絶頂を迎えた後に特有の気だるさはあるけれど、いつものような、起き上がれないほどの肉体的なダメージはない。  腕を伸ばして、脱ぎ捨ててあった下着と制服を拾う。 「……どうして、こんなこと、したの?」  下着を着けながら訊く。  他の男ならいざ知らず、これまでのことを考えれば、まったく早瀬らしくない行動だった。 「もしかしたら、この方が北川は感じるんじゃないかって思って」 「……どうして、いまさら私なんかを気遣うの?」 「そりゃあ……多少は気遣うだろ、好きな女の子のことは。これまでがちょっと……いや、かなり、気遣いが足りなすぎたんだ」 「その方が……いいのに」  ソックスを履き、ブラウスを着る 「北川が……本当に、乱暴で痛いセックスの方が感じるっていうなら、そうするさ。でも、実際はそうじゃない。優しくした方が、感じてる。乱暴にされたがるのは、リスカと同じ、自傷行為の一種だろ?」  ブラウスのリボンを結んでいた手が思わず止まった。  早瀬を見る。遠藤や木野ならともかく、早瀬からこんな台詞を聞かされるとは思わなかった。 「…………」 「遠藤先生や木野にも、いろいろ相談した。その結論がこれだよ」  なるほど。  納得して、肩をすくめる。小さく溜息をつく。  そして、スカートを穿いた。 「……あなたたち、いつの間に結託したの?」  子供っぽい苦笑を浮かべる早瀬。 「少し前。三人で『北川を幸せにする会』ってのを結成したんだ。遠藤先生が顧問で木野が会長、そして俺が会員番号一番」  今度の溜息は、少し大きなものになった。  この三人に手を組まれてしまっては、鬱陶しいことこの上ない。 「北川に、幸せになって欲しいじゃん」  木野も似たようなことを言っていた。木野が会長で早瀬が会員ということは、言い出しっぺは木野なのだろう。早瀬の方から木野に相談を持ちかけるとは考えにくい。 「……いい加減にして欲しいわ。私には……幸せになる資格がないのに」 「そんなことないだろ。誰だって幸せになりたいに決まってる。実際になれるかどうかは、環境とか運とか能力とか努力とかに左右されるかもしれないけど、幸せになるのに権利も資格もいらないだろ」  早瀬とは視線を合わせず、鏡の前で服装を整える。  もういつでもホテルを出られる。  このまま帰ってしまおうかとも思った。  だけど――  立っていると、出されたばかりの精液が流れ出してくるのを感じる。下着が冷たく濡れて気持ち悪い。  なのに、それが〈スイッチ〉になってしまう。  セックス、したい。  なんだろう、この衝動は。  早瀬を振り返る。  いつの間にか服を着て、ベッドに座っていた。男子の着替えは、女子に比べれば手軽に済むのだろう。  早瀬の前に立つ。  屈んで、早瀬の顔に手を添える。  唇を重ねる。  舌を絡める。  股間に触れると、そこはまだ硬くて、大きく膨らんでいた。 「……もう一回、しよ?」  すごく、したくなっていた。下半身が疼いている。胸も張って、乳首が固くなっている。  早瀬だって、あの一回で満足してはいまい。 「服、着たのに?」 「着たままでいいじゃない」  ズボンのファスナーを下ろし、大きく反り返ったものを引きずり出す。  そして、早瀬の上にまたがる。ベッドに座ったまま抱き合う形になる。  私は、制服はもちろん、下着も脱がなかった。下着を少しずらしただけで、精液と愛液のカクテルを滴らせているところに早瀬の分身を当てる。  そのまま、腰を落としていく。 「んっ……く……ぅぅ……んっ!」  ゆっくりとした挿入。膣が押し拡げられていく。  いつものことながら、それは私には大きすぎるサイズだった。  下半身が引き裂かれるような感覚に襲われる。身体が内側から拡げられて、破裂してしまうような気がしてしまう。  痛くて、苦しくて、とても、熱い。 「……ぁ…………」  奥まで達しただけで、気が遠くなった。  無意識の行動で、早瀬にしがみつく。  貪るように唇を重ねる。  腰が勝手に蠢いてしまう。  服を着たままのせいで、クリトリスが擦られる感覚はいつもよりも強い。入口周辺への刺激も、悲鳴を上げそうなほどだった。  早瀬の腕が腰に回される。  私の身体をつかんで、ゆっくりと揺さぶる。  中が、かき混ぜられる。  ぬちゃぬちゃと湿った音が響く。愛液と精液が混じり合って、私の愛液だけの時よりも粘度の高い音だった。 「んぅ……んっ……ぅんんっ、ぁ……んっ!」  気持ちよすぎて、全身に鳥肌が立った。  身体が断続的に震える。  何度も意識が飛ぶ。  腰に回された手が、下へ移動していく。お尻を撫で、スカートをまくり上げてパンツの中に潜り込んでくる。 「あ……ぁっ! そ、こ……んぅんんっ!」  後ろの入口がくすぐられる。菊門がこじ開けられ、指先が押し込まれてくる。  指は一本だけで、挿入も第二関節くらいまででしかないけれど、なにしろ早瀬の太い指、質感は充分すぎる。前が塞がれている状態だから、なおさら圧迫感が強い。 「――――っっ!」  早瀬にしがみついて、悲鳴を抑えるために腕に噛みついた。  直腸内の指が、前とリズムを合わせて螺旋を描くように蠢いている。  括約筋が意志とは無関係に収縮し、太い指をぎゅうぎゅうと締めつける。  呼吸が止まる。  身体が痙攣する。 「北川って、実はお尻、弱いよな」 「…………ええ」  早瀬の胸に顔を埋める。  お尻を小刻みに振って、自分に、より強い刺激を与えようとする。  気持ち、よかった。  前も、後ろも、どうしようもないくらいに気持ちよかった。 「……正確には、前後同時に……っ、責められるのが……弱い、わ」 「じゃあ、こーゆーやり方、いいか?」  言いながら、腰を突き上げる。指を大きく回して中をかき混ぜる。 「――っっ! ……ぁっ、あなたの目には、どう映って?」 「いつもより、もっと感じてる」 「……そうかも……ね」  唇が、舌が、震えていた。  口を開くと、下の口よりも多くの涎がこぼれてしまう。 「……もう……ちょっとだけ……強く、速く、して……いき……そ……っ!」  リクエストに応えてくれる早瀬。けっして乱暴ではなく、私を感じさせ、悦ばせるために、動きを激しくしていく。 「あ……っ、んんっ、あ……ぁっ! あっ…………ぁっ……あぁっ!」  唇から漏れるのは、いつものような悲鳴ではなく、か細い、切ない嗚咽。しかし早瀬が相手の時は、〈普通に〉感じている時ほどそんな反応をしてしまう。  いつもの陵辱と比べれば、けっして大きな動きとはいえない。私に苦痛を与えないために、小刻みに震えるような動きを主体にしている。それでも早瀬の大きさと私の小ささを考えれば、普通の女の子なら悲鳴を上げるほどの刺激だろう。  しかし私にとって、それは純粋な快感だった。  しがみついていた腕にも、もう力が入らない。早瀬の腕に支えられていなければ、そのまま倒れてしまったかもしれない。 「――――ぃ、っっ!!」  視界がぼやける。  浮遊感に包まれる。  腕の筋肉が硬直して、早瀬の背中に爪を立てる。  一瞬後、全身から力が抜けていく。腕がだらりと下がり、首が傾く。  膣奥に、熱いものが噴き出してくる。  灼けるような、痺れるような、とろけるような感覚。  下半身の筋肉が、痙攣と弛緩を繰り返していた。  射精している間だけ、筋肉が盛り上がるほどに力が込められていた早瀬の腕。それもすぐに、優しく包み込むような抱擁に変わった。  脱力しきった私は、早瀬に寄りかかって荒い呼吸を繰り返していた。  額に、頬に、耳たぶに、くすぐるようなキスが降ってくる。 「やっぱり、このくらいの方が北川は気持ちよさそうだな」 「…………あなたは……こんなので、満足できるの?」  これまでの早瀬と違いすぎる、優しいセックスだった。世間一般の基準では特に優しいというほどではないかもしれないけれど、私たちの間では、ありえないほどの優しく静かなセックスだった。  とはいえ、私の質問はまったく無意味なものだった。  訊くまでもない。訊かなくてもわかる。  まだ私の中に在るものの大きさと硬さ、そして胎内を満たしている熱い粘液の量が、早瀬がどれだけ感じていたかを雄弁に物語っていた。  早瀬は、こんなセックスでもいいのだ。  私の身体を引き裂くような陵辱じゃなくても、ちゃんと感じて、興奮して、達することができるのだ。 「たまになら、うんと激しいのもいいかもしれないけど、どっちかといえばこっちをデフォにしたいな。これまでやってたようなのは……あれはただ自分の征服欲を満たしているだけっていうか、北川を虐めているだけっていうか……後で罪悪感が残るんだよな。こっちの方が……充実感があって、いい」 「……そう」 「北川だって……こういうのの方が、いいだろ?」 「…………どういう意味での〈いい〉かしら?」  私たちふたりの間には、根本的なくい違いがある。おそらくは早瀬に限らず、木野や遠藤との間にも。 「……今みたいにされるのは……そうね、すごく気持ちよくて、満たされて、幸せなだったわ」  実際、すごく気持ちよかった。いつになく感じてしまった。終わった後も早瀬に密着しているのは、快感のあまり腰が抜けて身体に力が入らないからだった。 「……こういう〈気持ちいい〉は……初めて、かも。パパとするのはすごく気持ちいいけれど、〈クスリ〉で無理やり引き出された、気が狂いそうになる暴力的な快感。それに、パパとするのはいけないことだし」  常に私を苛む罪の意識。気持ちいいほどに、感じるほどに、心が蝕まれていく。 「……援交でも、たまに、すっごく身体の相性がいい相手がいる。だけどもちろん、売春は犯罪よ。どっちにしろ、心が満たされるものじゃない。〈罪〉にならないセックスで、こんなに気持ちよくなったのは……初めて、だと思うわ」  そもそも、〈罪〉にならないセックスの経験自体が少ないのだ。  どうしてだろう、口元に笑みが浮かぶ。  早瀬の前でたまに見せる、皮肉な笑みではない。  パパに見せるような、甘えた笑みでもない。  もちろん、〈営業スマイル〉とも違う。  ごく自然に浮かんだ、静かな笑み。  それを見た早瀬はなにか勘違いしたのだろう、安堵の表情になる。 「…………でも、ね?」  表情を変えずに言う。 「……だからこそ、死にたい気分よ、今」  深呼吸をひとつ、ふたつ。  身体に力を入れて、ゆっくりと早瀬から離れた。私の膣中を満たしていたものが抜け出ていく。 「……幸せになんか、なりたくない。幸せなんて、いらない。私には、そんな資格はない」  まだ脚に力が入らなかった。無理に立ち上がることはせず、ベッドの端に腰かけていた早瀬の背後へ這うように移動した。  早瀬に寄りかかって、背中合わせに座る。  これで、いい。  これで、早瀬と目を合わせずにすむ。 「……私は、幸せになっちゃいけないの。でも、死ぬのもだめ……少なくとも、自殺なんて安易な逃げは許されない」 「北川……」 「……今日は、その話しをするつもりだった。あなたへの最初の質問は、単にその前振りだったんだけど……」 「……いちばん辛かった、こと?」 「……ええ。私が壊れてしまった、いちばんの決定的な理由。私にとっていちばん衝撃的な、いちばん辛かったこと」  壁のなにもない一点を見つめて、笑みを浮かべたまま淡々と言葉を紡いだ。 「それって……」 「小学生の時にパパにレイプされたこと、じゃないわ」  早瀬が予想したであろうことを、きっぱりと否定する。 「……そりゃあ、すごくショックだったし、傷つきもしたけれど……でも、それだけじゃない。……パパのことは大好きだったんだもの、ちょっぴり、嬉しかった。好きな人と初体験できて、ちょっぴり、幸せだった。友達の誰よりも早くに経験したことに、ちょっぴり優越感もあった」  その想いは、〈ちょっぴり〉ですらなかったかもしれない。自分でも認めようとしていないだけで、ショックと同じくらい、いや、それ以上に喜んでいたのかもしれない。 「……もっともっと……辛かったこと。私の、いちばんの罪。……私、ね……人を、死なせたの。殺した、っていう方が正しい表現かしら」 「――っ!?」  私の背中で、早瀬の身体が大きく揺れた。 * * * 「…………殺した、って……」  これまで訊いたことがないくらい、早瀬の声が強張っていた。 「……私の、赤ちゃん」 「――っっ!!」  さらに大きく背中が揺れる。ベッドが弾む。背後で、早瀬が振り返った気配がした。 「き……北川、それってまさか……」 「その、まさか」  早瀬が狼狽えるほどに、私の声は無機的になっていく。 「……パパにバージンを奪われた時、私はまだ初潮も迎えていなかった。だからもちろん、避妊なんてお構いなしに中出ししまくり。……っていうか、パパが私相手に避妊したことなんて一度もないわ。だから……排卵がはじまるのと同時に妊娠したようなものじゃないからしら」  当然、小学生の私は自分が妊娠したことなど気づいていなかった。そもそも生理だってちゃんと経験していなかったのだ。 「……何日か前から、なんとなくお腹が痛いとは思っていたけれど、あまり気にしてはいなかった。そんなある日、さっきの河川敷を歩いていて、途中で雨が降ってきて慌てて走り出して……いきなり、激痛に襲われた」  口に出したことで、忌まわしい記憶が甦ってくる。脳裏に深く刻み込まれた、けっして消し去ることのできない記憶。  涙が滲んでくる。  話題とは不釣り合いな微笑を浮かべたまま、涙が頬を伝う。 「……倒れたまま痛くて動けなくて……あそこからすごい量の血が出て……なにが起こったのかもわからなくて、ただうずくまって痛みに耐えていた。私にできたのは、携帯でパパに連絡したことだけ。パパが迎えに来るまで、雨の中、下半身が引き裂かれるような激痛に耐えながら、広がっていく血溜まりを見て泣いているしかできなかった。……怖かった……このまま、死ぬんだと思った」  その時はなにが起こったのかもわからなかったけれど、頭の奥でぼんやりと、これもきっと、いけないことをした罰なんだと想った。 「……パパが来てくれたところで安心して、気を失って……意識が戻った時には病院で、手当てされていて…………すべてが、終わった後だった」  そこで初めて、自分の身になにが起こったのかを聞かされた。  私の中に、小さな命が在ったこと。  それがもう、過去形になってしまったこと。 「その瞬間、衝動的に、近くにあった鋏をつかんで手首に突き立てていた。……それが、リストカット初体験。傷は深かったけれど、なにしろ場所が病院だったから死ねなかった。……パパと関係を重ねていたことでおかしくなりかけていた私の心は、この時、完全に壊れてしまった」  以来、自分に向けた破壊衝動が抑えられなくなっている。 「……それで、現在に至る……と。私は、〈子殺し〉という最大の罪を犯してしまった。だから、幸せになんてなっちゃいけないの」  幸せになってはいけない。  だけど、死ぬこともできない。  そんな、安易な逃げは許されない。  苦しまなければ、いけない。 「……い……いや……でも……、まだ生まれてない、ちっちゃな胎児だったんだろ? それなら……」 「……生まれてからが生命――それは男の理屈ね。女は、そうは想わない。お腹の中に在っても、それは自分の子供、新しい生命……そう感じるのが、女の本能よ。……きっと、これこそが男と女の心理のいちばんの違いじゃないかしら」  理屈ではない。  それが女の感覚であり、本能だ。  病院で目覚めて事情を知った時の喪失感は、言葉では言い表せない。 「で……でも、北川にとっては不可抗力じゃないか。自分の意思で妊娠したわけじゃない。自分の意思で中絶したわけじゃない」 「……不可抗力なら、過失なら、人を殺してもいいと?」 「い、いや……そういうわけじゃ……」 「……それに、必ずしも不可抗力とはいえないかもね」  パパが妊娠の危険を失念していたのか、それとも意図的に無視していたのかはわからない。  しかし私の方は、まったく意識していなかったわけではない。漠然とではあるけれど、認識していたことだ。  小学生だって、高学年にもなれば、それも女子であれば、性行為と妊娠、そして避妊についてのある程度の知識は持っている。  なのに私が妊娠の危険を、避妊の必要性を、あえて無視していた理由はいくつか考えられる。  単純に、生理もまだなんだから気にしなくてもいいという油断。  パパに嫌がられるかも、という不安。  そして……  パパと直につながりたい、胎内に射精して欲しい、……好きな人の子供が欲しい、という女の本能。  たぶん、どれかひとつの理由ではない。  こうしたことをはっきりと意識していたわけではないけれど、まったく気づいていなかったわけでもない。ただ、無意識のうちに気づかないふりを続けていたのだ。 「……人を殺すのが罪かどうかは、故意か過失かじゃないわ。殺すに足る理由があるかどうか、よ。たとえば、私がパパやあなたを殺しても、それだけの理由はあると思わない?」 「……俺もかよ」  重苦しい話題に耐えられなくなったのか、冗談めかした口調の突っ込みが返ってくる。それを無視して言葉を続ける。 「……でも、なんの罪もない、生まれてすらいない赤ちゃんを死なせる理由はどこにもない。レイプされて妊娠したのでもなければ、ね。だから私がしたことは、法的にはどうであれ、倫理的には……あるいは感情的には、なんの恨みもない相手を襲う通り魔殺人となんら変わらないわ。情状酌量の余地はまったくない」 「……いや……でも……その……」 「……人を殺した罪は、どうしたら償えるの? 金品に与えた損害なら、弁償もできる。だけど人の命なんて、どうやって贖えばいいの? 遺族に対して、じゃない。死んだ本人に対して、償う方法があるの?」 「…………」  返ってくる言葉はない。  微かな震えが背中に伝わってくる。 「……この先、生きるはずだった何十年もの時間を一方的に奪った罪は、なにをしても償うことなんてできない。どんな目に遭ったって償いになんかならない。私が自分を傷つけるのは、償いのためじゃない。ただ、自分を罰するため。償うことのできない罪を犯した罰として、永遠に苦しまなければならない。だから、死ぬこともできない。そんな一瞬の苦しみで終わらせるなんて許されない。だから……」  ベッドから降りて、鞄を拾って立ち上がった。  早瀬に背中を向けたまま、ゆっくりと、部屋の出口へと向かう。 「……だから……あなたや木野や遠藤の気遣いは……」  ひとつ、大きく深呼吸。 「……、とても、残酷だわ」  背後で、早瀬が立ち上がる気配がした。  振り返って視線を向ける。早瀬が動きを止める。上げかけた腕は私を捕まえようとしていたのかもしれないけれど、それ以上こちらへ伸ばしてくることはできずにいた。 「……木野や遠藤に、話してもいいわよ? こんな話、自分の口から二度も三度も繰り返したくないもの」 「北川……」  回れ右して、靴を履く。  早瀬が近づいてくるけれど、あと一歩のところで触れてはこない。触れられずにいる。  立ち上がって、もう一度、早瀬を見る。  まっすぐ、正面から見つめる。  腕を伸ばして、早瀬の頬に手を当てる。  その手に少しだけ力を込めて、早瀬を屈ませる。そうしなければ背伸びしても届かない位置にある唇にキスをする。  ごく軽い、微かに触れるだけのキス。 「……これで、終わり。……近いうちに、学校も辞めると思う」 「ど、どうして……」  口元に笑みが浮かぶ。  自然とこぼれた笑みだった。 「…………私、妊娠しているの。もちろん、パパの子供よ」 「――っ!」  早瀬が凍りついた。  こちらに伸ばしかけた手が止まる。  完全に表情が消える。 「だから……さよなら」  もう早瀬の顔は見ず、部屋を出て、後ろ手にドアを閉めた。  そのままドアに寄りかかって、ひとつ深呼吸をする。  ドアを隔てた室内からはなんの物音も聞こえない。早瀬は追ってこない。  そのことを確認して、歩き出す。  ホテルを出ると、雨が振りはじめていた。 * * *  その夜――  妊娠判定薬が、初めてはっきりと陽性を示した。  そうなることを予想し、心の準備もできていたはずなのに、それを見た瞬間、私は悲鳴を上げて泣き出していた。 終章  次にパパからの連絡があったのは、二日後だった。  その二日間、なにをしていたのかはまったく覚えていない。  記憶があるのは、パパからのメールで我に返って、デートの仕度をはじめてからだった。その前の記憶となると、早瀬と別れてラヴホテルを出たところまで遡らなければならない。  パパの性格を考えれば、あの陵辱の〈結果〉が判明する場に立ち会いたかったことだろう。しかし、まる一週間仕事を放り出して私を監禁していたツケが回ってきて、仕事に追われていたというわけだ。  今日だって、必死にやりくりして半日の時間をなんとか捻出したものらしい。私と逢った後、すぐにまた空港へとんぼ返りだそうだ。  私はいつものデートの時と変わらず、うんとおしゃれした。  入浴も、お化粧も、髪のセットも、念入りに時間をかけて、服も下着も靴もアクセサリも、パパに買ってもらった中でいちばんお気に入りのものを選んだ。  すっかり身支度を終えて、姿見の前でいちばん可愛い自分を確認していると、携帯の着信音が鳴った。急いでマンションの前に出る。ちょうど、パパの車が着いたところだった。  今日は時間の節約のため、いつものように街中のカフェでの待ち合わせではなく、車でホテルに直行する段取りになっていた。 「……もっと早くに逢いたかったな」  助手席に乗り込んで、いつものように少しだけ甘えるように頬を膨らませる。  だけど、〈いつも通り〉でいられたのはここまでだった。  パパの顔を見て、パパの手に触れられて、首輪を着けられたら、いきなり涙が溢れてきた。  堪えようとしても、止められない。顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。  パパにしがみついて、貪るように唇を重ねる。  そんな様子を、パパは優しい笑みを浮かべて見つめていた。頭を撫でられる。 「その様子だと、もう結果は出たのか?」 「……」  こくん、とうなずく。  手の甲で涙を拭う。  ああ、もう。  せっかく精いっぱいおしゃれしてきたのに、台無しだ。 「やっぱり間に合わなかったか。ぜひ、その瞬間を見たかったのにな」 「……やだ」  拗ねたようにぷいっと横を向く。 「きっと、すっごいブスだったもん」 「莉鈴の泣き顔は、世界一可愛いよ」  パパってば、本当にサドなんだから。  私を泣かせるのも、笑わせるのも、思いのまま。  子供の頃からずっと、私の心と身体を支配してきた人。  だから、こんな仕打ちをされても、やっぱりパパに逢えると嬉しい。  パパに触れられただけで泣きそうになってしまう。  パパさえいればなにもいらない、って想ってしまう。  これからまたパパに犯されることを、楽しみにしてしまう。  差し出された〈クスリ〉のカプセルを、素直に飲み込んでしまう。  下着を脱がされ、膣内に〈クスリ〉を挿入されても、抗うどころか、むしろ進んで腰を突き出して受け入れてしまう。  結局、パパから逃れることなんてできないのだ。  パパがそれを強要するのではない。私自身が、そう想っていた。 * * *  車の中では泣いてしまったけれど、ホテルに着いた頃には落ち着いて、普段通りの態度を取れるようになっていた。  部屋に入ると、いきなり服を脱がされた。  全裸にされ、後ろ手に手枷を嵌められる。  手枷の鎖が首輪につながれる。  この頃にはもうすっかり〈クスリ〉が効いていて、心身ともに完全に準備ができていた。私にとっては、パパに拘束具を着けられることが既に愛撫だ。  溢れ出た蜜が、内腿をぐっしょりと濡らしている。身体の芯が熱く火照っている。  パパも溜まっていることだろうし、いきなり犯されるのかと思っていたけれど、その前にバスルームへと連れていかれた。 「じゃあ、パパにも見せてもらおうかな」  そう言って手に持っているのは、封を切ったばかりの妊娠検査薬。 「……パパったら……ここで?」  笑みを浮かべてゆっくりとうなずくパパ。  もちろん、パパが見ている前での排泄なんて、これまで数え切れないほどに経験している。なのにどういうわけか、これはいまだに恥ずかしさを覚えてしまう。  AV撮影ならなんとも思わないのに、不思議なものだ。だけど、その、恥ずかしいことに、ほのかな悦びを感じてしまうのもまた事実だった。  家を出る直前にトイレに行ったばかりだけれど、いきんでおしっこを搾り出し、パパが持っている妊娠検査薬にかける。  そして、待つこと数分間。  くっきりと鮮やかに浮かびあがる、陽性の徴。  どことなく残忍な笑みを浮かべて、それを私に見せつけるパパ。  少し、涙が滲んでくる。ちょっとだけ、怒った表情を作る。 「……パパってば、本当にひどいんだから」 「そんなパパが大好きなくせに」  相変わらずの笑み。まったく堪えていない。  だけど、本当にひどいのは私だ。  妊娠とか、流産とか。それは私にとってどうしようもない苦痛、これ以上はないトラウマなのに、パパにそうしたひどいことをされて、歪んだ悦びを覚えている部分がある。  そして、大好きなパパの子供を身籠もったことに対する純粋な悦びもある。  私の中に、パパが与えてくれた生命が、在る。  それは自分の身体を引き裂きたくなるほどにおぞましくて、なのに、女の本能に根ざした至福でもある。  前回の陵辱の後も、妊娠が判明した時も、涙の最後の一滴まで流し尽くすほどに泣いたというのに、こうしてパパに逢えると、また笑ってしまう。  パパに抱きしめて欲しい。抱きしめたい。  だけど腕を拘束されているから、それも叶わない。代わりに身体をすり寄せる。  パパが腕を伸ばしてくる。私を抱きかかえ、ベッドへと連れていく。  うつぶせに寝かされる。  お尻を持ち上げられる。  顔がシーツに押しつけられる。  股間はもうぐっしょりと蜜を滴らせていて、身体に力が入らなかった。 「今日は時間が短いから、その分うんと激しくするぞ」 「……今日は、って……普段だって充分すぎるほど激しいんだけど?」 「それ以上、さ。莉鈴としたくてたまならなかったんだ」 「ん、……」  膣内に、硬いものが挿入される。  ローターやバイヴとは違う。小さなガラス瓶のような感触。  なにか、液体が流れ込んでくる。 「――――っっ!?」  それが、すごく熱く感じた。 「……やっ……なに、これ……っ」  これまで感じたことのない、不思議な感覚だった。  膣が、意志とは無関係に勝手に収縮していく。それも、ぎゅうぎゅうとものすごい力で。痙攣しているみたいで、痛いほどだ。  自分の意志では不可能な締めつけだった。見えない手に膣を鷲づかみにされているかのように感じる。膣だけではない。子宮も、いや、下腹部の筋肉すべてが、それ自身の力で引き千切れそうなほどに収縮していた。  熱い。  胎内に熱湯を注ぎ込まれたかのよう。  下半身が灼かれているかのよう。 「もともと締まりのいい莉鈴にこんなもの必要ないだろうけど、だからこそ逆に、どうなるか興味あるだろ?」 「ゃ……ぁ、ぁぁ……っ」  パパのものが、力強く押しつけられる。  だけど、なかなか入ってこない。  焦らそうとしているわけではない。結果的にそうなってはいるけれど、意図した動きではない。  初めて経験する〈クスリ〉の効果で、膣が強制的に収縮させられていた。それが狭すぎて、きつすぎて、なかなか挿入できずにいる。  パパの言う通り、ただでさえ締まりのよさには自信がある。そこにこんな怪しげな〈クスリ〉を使われては、早瀬サイズでなくても挿入は困難だろう。パパだって、どちらかといえば大きい方なのだ。 「ぃ……ぎ……んんっ! ん……ぐ、ぅぅぅんっ! んぁぁぁ――っ!」  文字通り、力ずくの挿入だった。  膣が引き裂かれるような激痛に苛まれる。  自分の意志で緩めることが、まったくできなかった。いつも以上に蜜は溢れ出しているというのに、普段、早瀬に乱暴に挿れられる時よりもさらにきつく、痛かった。  それでも、容赦なく突き挿れられる。 「あぁぁぁ――――っ! ん、ぐぅ……んんんっ! ぅあぁぁっっっ!」  奥の奥まで貫かれると、下半身が引き裂かれるようだった。  涙が溢れ出る。  シーツを噛みしめて痛みを堪える。  初めての時を想い出させる痛みだった。不自然なまでに収縮した膣は、サイズとしては当時と同じくらいかもしれない。  五年前との違いは、それでも感じていることだろうか。  早すぎる初体験からまる五年。その間、開発され続け、調教され続けてきた身体。そして、強力で危険な〈クスリ〉。  痛ければ痛いほど、感じてしまう、悦んでしまう。  パパもそのことは百も承知だ。なんの手加減もなく、激しく犯してくる。  こうして見ると、初めての頃はあれでも手加減して優しくしてくれていたのだと感じる。当時の私にとっては、それでさえ今以上の暴力だったのだけれど。  激しく揺すられる腰。  私の中で暴れているパパの分身。  普段の〈擦られる〉という感覚ではない。締めつけがきつすぎるせいで、どれほど濡れていてもスムーズに滑る余裕がなく、膣の粘膜が剔られるかのようだった。 「んっ……んんっ、んあぁっぁぁぁっっ!」  お尻に滴る、ひんやりとした感触。  大量のローションに続いて、押し当てられる固い弾力。  モーターの唸りを立てて、お尻の穴にねじ込まれてくるバイヴ。  全身に鳥肌が立つ。  断続的に意識が飛ぶ。  ただでさえ、前と後ろの同時責めには弱いのに。  ただでさえ、前を強引に犯されて、それだけでも気が遠くなりそうなのに。  こんな状態でお尻も犯されたら、もう耐えられない。  根元まで突き入れられ、お尻の奥で蠢くバイヴ。ぐるぐると回転して、膣内で暴れているパパと擦れ合う。 「いやぁぁぁっっ! あぁぁんっっ!」  断続的に上がる悲鳴。  ひと声ごとにヴォリュームは大きく、なのに声音は切なくなっていく。  その声に誘われるように、パパの動きが勢いを増していく。がんがんと腰を叩きつけ、子供のように窄まった性器をめちゃめちゃに陵辱する。  ひと突きごとに絶叫してしまう。  それは快楽のためではなく、下半身を絶え間なく襲う激痛のため。  なのに、それでも感じてしまう。  ひと突きごとに達してしまう。  快楽に酔いしれて、意識が朦朧としてしまう。  ちらり、と壁の鏡に視線を向けた。  俯せにされ、膝を立ててお尻を持ち上げられた格好で、背後から貫かれている。  お尻には太いバイヴが突き刺さって、唸りを上げて蠢いている。  全体重をかけて、身体ごとぶつけてくるようなパパ。汗が飛び散っている。  大きな口を開けて悶え、泣き叫んでいる私。涙と涎と鼻水で顔中くしゃくしゃになっている。  最初に宣言した通りの、激しい責めだった。  パパのセックスは、いつも充分すぎるほどに激しいのに。  終わった後はぐったりと疲れきって、全身がだるくて、激しく突かれた性器が痛いほどなのに。  今日は、さらにその上を行っている。  短い時間で、欲望と精力のすべてを叩きつけようとしている。  私の身体のことなどお構いなし。  だけど、これが、パパの愛情表現。  本当にひどい人だ。  小学生だった実の娘を犯して。  首輪や、様々な拘束具を着けて。  怪しげな、そしておそらくは違法な〈クスリ〉漬けにして。  さんざん陵辱して、調教して。  ただ、陵辱の一環として妊娠させて。  だけどそれは、すべて彼の愛情表現だった。  単に自分の性欲を満たすためだけではなく、私を愛しているからこそ、陵辱する。  五年前の初体験からこれまで、いったいどれほどひどいことをされただろう。  それでもパパに抱かれていると、感じられる。  パパの愛情が。  愛している、という想いがひしひしと伝わってくる。  援交の〈パパ〉やAV男優、あるいはゆきずりの男たちとはまったく違う。そうした男たちの中には、優しい人も、セックスが上手な人も、身体の相性がいい人もいたけれど、パパとは違う。  パパほど〈愛情〉が伝わってくる相手はいなかった。  それは、他の男たちとは明らかに違う早瀬であっても、だ。  先日の優しいセックスはすごく気持ちよかったし、彼の想いも伝わってきたけれど、それでもパパから伝わってくる想いとは違う。  だから、ひどいことをされても、いや、されるほどに感じてしまう。  満たされてしまう。  幸せに想えてしまう。  パパってば、本当にひどい人。  だけど、誰よりも私を愛してくれている人。  ぼんやりと、想う。  これから、どうなるのだろう。  この、お腹の子が生まれてきたら――  それが女の子だったら、私と同じように、まだ子供のうちにパパの餌食にされるのだろう。きっと、ふたり一緒に犯されるのだ。  男の子だったら、その子に、私を犯させるのかもしれない。ふたりがかりで私を陵辱するのだ。  その光景を想像してみる。  私の目の前で、小学生の女の子がパパに犯されて泣き叫んでいる光景。  縛られていて、ただ見ている以外なにもできない私。  小学生の男の子が、パパと一緒になって私を貫いている光景。  パパと息子に、前後同時に犯されている私。  考えるだけでもおぞましく、なのに、どこか甘美な想像。  だけどそれは、まず間違いなく、訪れることのない未来。  私は、そのことを確信していた。  私の胎内に在るもの。  とても愛おしくて、忌まわしいもの。  誰よりも大好きで、だけど誰よりも憎んでいるパパの子。  そして……生まれてくることはない子。  そう。  きっと、パパは、この子を殺すに違いない。  だから今だって、妊娠したばかりの不安定な時期に、こんな激しいことをしている。それも、胎児には劇薬にもなりかねないほどの強い〈クスリ〉を使って。  流産――それが、私にとっていちばん辛いこと。  だから、そうする。  そこまでして、早瀬との浮気に対する〈おしおき〉が完結する。パパに監禁されていた一週間は、そのおしおきの幕開けでしかない。  何週間もかけた、長い、そして最悪のおしおき。  その終幕が訪れるのも、もう遠いことではないだろう。  やめて!  やめて!  心の中で叫んでいる〈私〉。  やめて!  乱暴なことしないで!  赤ちゃんを殺さないで!  泣き叫んでいる〈私〉。  だけどその絶叫は、外へ届くことなくかき消されてしまう。  口から発せられるのは、もっと大きな別の声。  もっと、もっと!  もっと、激しく犯して!  もっと、めちゃめちゃに犯して!  もっと、もっと、感じさせて!  赤ちゃんも、私も、死んでしまうくらいに!  そう叫んでいる〈私〉。  明らかに狂っている。  五年前に狂ってしまった〈私〉。   だけどこの〈私〉こそが、今の〈北川莉鈴〉の支配者だ。  理性と良識を叫ぶ〈私〉は少数派でしかない。今にも消えてしまいそうな、ほんの小さな小さな欠片だった。  ……もう……いいかな。  そう、想う。  五年前のあの日以来、私はパパを愛しつつ、パパに反抗もしてきた。パパ以外の男性との乱れた性生活がその顕れだ。  だけど、そろそろ諦めてもいいのかもしれない。  パパに降参する頃合いなのかもしれない。  パパが、いればいい。  パパだけ、いればいい。  他に、なにも、いらない。  赤ちゃんも、木野も、遠藤も、早瀬も。  なにも、いらない。  激しすぎる責めの中、そう想いながら、痛みと快楽のために気を失った。 * * *  夢を、見ていた。  雨の中、血を流しながらうずくまって、泣いている夢。  あの、忌まわしい日の夢。  冷たい雨の中、手首から血を流して、歩いている夢。  早瀬と会った日の夢。  共通点は、雨と、紅い色彩。  なぜ、こんな夢を見るのだろう。  意識が戻って、その理由がわかった。  雨音が鼓膜を震わせている。  これのせいか――と。  ぼんやりと、想う。  目を開ける。  ぼやけた視界が明瞭になるにつれて、その認識が間違いだと気がついた。  私がいるのは、ラヴホテルのベッドの上。たとえ外が雨だったとしても、その雨音はほとんど聞こえない。  雨音だと思ったのは、シャワーの水音だった。  視界の中にパパの姿はない。ことが終わってシャワーを浴びているのだろう。  首を巡らして、時計を見る。  いつの間に気を失っていたのだろう。ホテルに入ってから、ずいぶん時間が過ぎていた。もう、パパは空港へ向かわなければならない時刻だ。急がなければ間に合わないかもしれない。  ベッドに横たわる私は全裸で、首輪も着けられたままだったけれど、腕の拘束は解かれていた。  身体を起こそうとする。  だけど、全身がだるい。力が入らず、起こしかけた身体がベッドに沈んだ。  下半身に、生理痛にも似た鈍い痛みがある。  微かに顔をしかめる。  息をついて、もう一度、ゆっくりと身体を起こした。 「…………はぁ」  小さく深呼吸。  下半身を襲う、鈍い、だけど嫌な気配をまとった痛み。  あの日の激痛に比べたら、ほんの微かな痛みだけれど、  おそらく――  それが意味するところは、同じだった。 「――――っっ?」  不意に、間近でガラスの器を落として割ったような音が響いた。  驚いて、びくっと震える。  周囲を見回す。  なにも見あたらない。  考えてみれば、ラヴホのベッドの周囲に、そんな壊れものが置いてあるはずがない。  無表情のまましばらく考えて、それが、実際に耳に聞こえた音ではなかったと結論づけた。  それは、私の中で発した音。  私の中で、なにかが、壊れた音。  それでも、この痛みに対して特にショックを受けたとは感じていなかった。  鏡を見ても、表情は変化していない。まるで、早瀬を相手にしている時のような無表情だ。  それでもやっぱりショックだったのだろうか。予想し、そして覚悟もしていたことなのに。  鏡に映る、能面よりも無表情な顔。  こんなの、パパの前で見せる顔じゃない。  鏡に向かって、無理に笑顔を作ってみる。だけど、顔が引きつってうまく笑えなかった。  のろのろと、ベッドから降りる。  スカートを拾い上げ、ポケットに手を入れる。  取り出したのは、小さなピルケース。中には、錠剤を砕いた不揃いな粉末が入っていた。  冷蔵庫を開ける。  ビールの五○○ml缶を一本取り出す。  缶を開け、ピルケースの中身を落とし込む。細かな泡が、缶の口まで盛りあがってくる。  ケースをポケットに戻すと、グラスをふたつ、テーブルに並べる。  ソファに腰を下ろす。  シャワーの音が止まり、パパがバスルームから出てきたところで、ビールをグラスに注いだ。 「莉鈴、起きてたのか」 「……うん、いま、起きたとこ」  手早く身体を拭いて、服を身に着けていくパパ。 「身体、辛いだろ。しばらく休んでいっていいぞ」  優しく、気遣うような台詞。  辛いのは、全部パパがやったことなのに。  だけどやっぱり、これがパパの愛情表現だった。  愛しているからこそ、陵辱する。  私が他の人を愛することも、他の人に愛されることも、けっして許さない。  いいとか悪いとかの問題ではなく、パパは〈こういう人〉なのだ。  これが、私のパパ。  最愛の、パパ。 「……うん……そうね。独りになって、少し泣きたい気分かも」  引きつった笑みで応える。  服を着たパパが隣に座る。その腕に体重を預ける。 「いいな、それ。泣き顔はぜひ写メで送ってくれよ」 「……パパったら」  腕に、軽く頭突き。  本当に、根っからのサドなんだから。  だけど私は、そんなパパのもの。  好きで好きで堪らない。  憎くて堪らない。  もう、どうしていいのかわからない。  だから、ビールを注いだグラスを手に取り、ひとつをパパに渡した。  ふたつのグラスが軽く触れ合って音を立てる。  少しだけ口に含んで、やっぱりその苦さに顔をしかめてしまう。  パパはひと息でグラスを空にした。空いたグラスにお代わりを注いであげる。  もしかすると、ビールはあんな風に飲むものなのかもしれない。苦いからといってちびちび飲むから、余計に苦さが気になるのだ。パパのように一気に飲んで、味よりも炭酸の喉ごしを楽しむのがビールの正しい飲み方なのかもしれない。  自分のグラスを取り、半分くらい一気に飲んでみた。  ちびちびと飲むよりは、まし、かもれない。あくまでも〈美味しい〉ではなく〈まし〉というレベルだけれど。 「莉鈴がビールなんて珍しいな」  パパと一緒の時にアルコールを飲むことは珍しくないけれど、私の好みは甘いワインとか、果汁たっぷりのチューハイとかカクテルとか、とにかく甘いものだった。  要するに、味覚がまだ子供なのだ。大人のように、苦いお酒の美味しさはよくわからない。 「……最近、少し、飲むようにしてる。パパと同じもの、飲めるようになりたいから」  もっと、パパに近づきたい。パパのことを知りたい。パパと一緒になりたい。  そんな想いがあるのは事実だ。けっして、口からでまかせではない。  だけど、それだけの理由ではないのもまた事実だった。 「可愛いこと言うじゃないか」  大きな手が頭に置かれる。  優しく撫でられる。  セックスの時は乱暴だけれど、それ以外で私に触れるパパはとても優しい。  嬉しくて、頬が熱くなってくる。  それを隠すために、もうひと口ビールを飲んで俯く。  パパは二杯目もあっという間に飲み干した。  空いたグラスにおかわりを注ぐ。 「なあ、莉鈴。やっぱり、一緒に暮らさないか?」  三杯目を半分ほど空けたところで、パパが唐突に言った。  これまでにも、何度かあったお誘い。  その都度、断わってきた誘いだけれど。 「今の仕事がひと段楽したら、もう少し時間に余裕ができると思うし」 「……うん」  私は、小さくうなずいた。  白旗を掲げた気分だ。  中途半端に距離を置こうとしたから、いけないのだ。  もっと早くに、どちらかはっきりさせるべきだった。  パパから完全に離れるか、パパの手の中に収まるか。  私には、もう、パパしかない。  ならば、後者を選ぶしかない。 「……でも、パパのマンションからだと、学校が遠くなるわ。……通えない距離ではないけれど」 「近くの学校に転校すればいいじゃないか。今度は女子校にしようか」 「……パパってば、それが目的ね?」 「ああ、やっぱり、共学校に行かせたのは失敗だった」  早瀬の存在を、まだ警戒しているようだ。  その点では、確かに、パパは私のことをよくわかっている。ある意味、私自身よりも。  パパを除けば、早瀬は唯一〈特別〉な異性だった。  これまで認めようとはしていなかったけれど、否定はできない。私以上に、パパはそれを見抜いていた。だから、普段の援交とは比べものにならないくらい怒ったのだ。 「……いちばん好きなのは、パパだよ」 「もちろん、それは知ってるさ。だけど二番目がいるのは我慢がならない。パパと、その他大勢どんぐりの背比べ、じゃないと」 「……パパってば、本当にやきもち妬きなんだから」 「莉鈴だってそうだろ」 「……パパの娘だもん」  悪戯な笑みを浮かべて、グラスの底にわずかに残っていたビールを飲み干した。  缶にまだ少し残っていたビールを、ふたつのグラスに均等に注ぐ。 「だから……一緒に暮らす条件。みーことは、ふたりきりで会わないで。私も一緒の時なら、いい」 「ああ」 「そして……ママとはもう絶対に会わないで」  ママのことを持ち出せば少しは驚くかと思ったのだけれど、これくらいで狼狽えるような甘いパパではない。  いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべたまま、表情は微塵も変わらなかった。  パパも、ママも、私より大人で、私より嘘が巧いのだ。 「ああ、いいよ。パパにとっても莉鈴が一番なんだから」  優しくうなずいて、ビールを飲み干すパパ。  グラスを置いて、私を抱き寄せる。  耳たぶと、頬と、唇に軽くキス。  首輪を外す。 「じゃ、行ってくる。一週間くらいで帰るから、そしたら引越しの件を話そう」  ちらりと時計を見て言う。もう、かなりぎりぎりの時刻らしい。 「……うん。いってらっしゃい、気をつけて」  小さく微笑んで手を振る。 「……パパ」  部屋を出て行こうとするパパの背中に、もう一度だけ呼びかける。  振り向いたパパに、静かな笑みを向ける。 「……愛してるわ、パパ」 「愛してるよ、莉鈴」  それが、パパと交わす最後の言葉だった。 * * *  パパがいなくなった後、しばらくの間、脱力したようにソファにもたれていた。  だけど、いつまでもこうしてはいられない。  のろのろと立ちあがる。  性器から流れ出るねっとりとした感触が、内腿を滴り落ちていく。  指で拭いとり、顔の前に持ってくる。  白く濁った粘液で汚れた指。  その中に――深紅の筋が――混じっていた。  もう、衝撃もなかった。私の中では覚悟ができていたことだ。  指を、口に含む。  生臭い、錆びた鉄の味。  それは本来、けっして美味しいものではない。なのに、さっきのビールよりもずっと美味しく感じた。  二度、三度、指を運ぶ。  流れ出した精液。  胎内に残った精液。  鮮血の混じった精液。  残らずかき出し、拭いとる。  最後の一滴まで、飲み下す。  その〈儀式〉を終えたところで、バスルームに入った。  シャワーを浴びる。  肌に染み込んだパパの温もりを洗い流す。  流れ出た精液と血の痕跡を洗い流す。  お湯を浴びながら、大きく溜息をついた。  身体がだるい。  下腹部の痛みも相変わらずだ。  全身が倦怠感に包まれている。  そして、アルコールの影響も加わって、眠い。  シャワーを浴びながら眠ってしまいそうだ。立っているのも辛くなってきたのでバスルームを出た。  ベッドを見おろす。  先ほどまでの激しいセックスで乱れたベッド。  汗と涎と涙と愛液と精液が染み込んだシーツ。  このまま、倒れて眠ってしまいたい。  だけど、そういうわけにもいかない。  わずかに残った気力と体力を振り絞って、服を着る。  だけど、もう限界。  鞄から剃刀を取りだし、手首に当てた。 「――っ!」  久しぶりに感じる、熱く鋭い痛み。  少しだけ、意識が覚醒する。  あれだけ大きな罪を犯してしまったというのに、不思議と自傷の衝動はなかった。  あの行為自体が、大きな罪であると同時に、耐え難い苦痛を伴う〈罰〉であったためかもしれない。  今はただ、痛みで意識を保ち続けるためだけに切った。  一度、小さく深呼吸。  鞄を拾い上げ、部屋を出る。  だけど――  いったい、これからどこへ行けばいいのだろう。 * * *  ホテルを出ると、外はもう暗くなっていた。  まだ夕方といってもいい時刻だけれど、秋になって陽が短くなっているのだろう。不気味なほどに低く空を覆っている黒い雲が、それに拍車をかけている。  いつの間にか、雨が降り出していた。  雨足はかなり強い。もう、傘なしで歩いている人の姿は見あたらない。  それでも、私はそのまま歩き出した。  すぐに、全身がずぶ濡れになる。濡れた服が重い。  周囲には、傘を売っているコンビニもある。  客待ちのタクシーもちらほら見かける。  ファーストフード店には空席もある。  もちろん、お金は充分にある。  だけど、全部、無視。  雨の中をのろのろと歩いていく。  寒い。  もう残暑の季節も終わり、気温は日々下がっている。今日は特に気温が低いようだ。  実際には気温だけの問題ではなく、精神的な要因が大きいのかもしれない。  心の中は、空っぽ、だった。  もう、なにも残っていない。  すべてを失った。すべてを捨てた。  寒い――  〈クスリ〉もアルコールも抜けかけて、いちばん寒く感じる時間帯だ。  そして、眠い。  どうしようもなく、眠い。  一歩進むごとに、まぶたが重みを増していく。  それに比例して、歩みが遅くなっていく。  人目につかない路地に入ってもう一度手首を切ったけれど、剃刀のささやかな痛みでは、もう気休めにもならなかった。  意識が朦朧としてくる。  視界がぼやけてくる。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  眠い。  寒い。  ふたつの単語だけを頭の中で繰り返しながら、のろのろと歩いていく。  どれだけ歩いたのか。  どこを歩いているのか。  どこへ向かっているのか。  まったく認識していない。  ただ、半分眠ったような意識の下で、ゆっくりと脚を動かしていた。  今が真冬だったらよかったのに――  ぼんやりと、想う  そうしたら、このまま眠ってしまえば死ねたかもしれない。  北海道や東北ならいざ知らず、東京の秋では通報される前に凍え死ぬことは難しいだろう。  もう、いいかな。  もう、死んでもいいかな。  ぼんやりと、想う  もう、なにも残っていない。  生まれることなく失われてしまった生命を痛む想いすら、湧いてこない。  心の中は、完全に空っぽだった。  すべて、失くした。  なにもかも、捨ててしまった。  もう、なにも残っていない。  どこへ行けば、死ねるだろう。  ぼんやりと、想う  人目につかず、人に迷惑をかけず、ひっそりと消えるように死ぬにはどうしたらいいだろう。  小さな剃刀なんかじゃ死ねない。もっと大きな刃物を用意しておけばよかった。  だけど、今の朦朧とした私に刃物を売ってくれる店を見つけるのは難しいだろう。  困った、な。  考えようにも、もう頭が働かない。  眠い。  眠ってしまいたい。  だけど、このまま眠ってしまうのはだめ。  それではいつか目覚めてしまう。  いま望んでいるのは、二度と目覚めることのない眠りだった。  そのためには、まだ、眠るわけにはいかない。  だけど、もう、身体が動かない。  頭も、もう、ほとんどものが考えられない。  視界も霞んでいる。  どうしようもなく立ち往生してしまったところで―― 「……北川!」  いきなり、腕を掴まれた。  万力のような手が、頽れそうになった身体を支える。  聞き覚えのある声が、溶けかかった意識を少しだけ覚醒させる。 「……はや……せ……?」  間違えようのない、忘れようのない、大きな身体、太い腕。  忘れてしまいたかったけれど、私の中に、彼を忘れようとしない〈私〉がいる。  意識を集中して、早瀬に目の焦点を合わせる。  もう帰宅した後なのか、制服ではなく普段着だった。  そう認識したところで、いま立っている場所が、早瀬の家の前だと気がついた。 「……な……ん、で……?」  なぜ。  どうして。  無意識のうちに、ここに……こんなところに、来てしまったのだろう。  嗚咽が漏れる。  涙がこぼれる。  泣いているのは、悔しいから。  そして、哀しいから。  今度こそ、終わりにできると思ったのに。  すべてが終わると思ったのに。  どうして、こんなところに来てしまったのだろう。  どうして、彼に見つけられてしまったのだろう。  それは……そうなることを望んでいる〈私〉がいるから。  私の中に無数に在る〈私〉の中に、ひとり。  他の全員がすべてを諦め、すべてを捨ててしまった中で、ひとりだけ。  ――泣き叫んでいる。  助けて、と。  誰か、私を助けて、と。  ここから助け出して、と。  泣きじゃくって、叫んでいる。  早瀬は複雑な表情を浮かべて、口を開きかけては閉じる、という動作を何度も繰り返した。  言いたいことがありすぎるのかもしれない。結局、出てきた言葉は、この状況ではもっとも当たり障りがないと思われるものだった。 「……うちで、雨やどりしてけよ」  ややぶっきらぼうな口調。  腕を掴んだ手にはかなりの力が込められていて、痛いほどだった。  強引に、引っ張っていこうとする。  しかし、私の脚は動かない。  ――さて、  この場合、どうすればいいのだろう。  いったい、なんて応えればいいのだろう。  唇を開こうとすると、口元に引きつった笑みが浮かんだ。 「……もしかして、下心とか、ある?」  いつかと同じ台詞。  だけど、ほんの数ヵ月の間に、ふたりの関係は大きく変わってしまった。あの出会いは、もう遠い昔のことのように感じられた。 「ああ、下心だらけだ」  早瀬は躊躇いもなく答えると、動こうとしない私の身体を抱き上げた。  雨の中、小走りに家へ向かい、玄関に飛び込む。 「…………もう、ここには来ないって、言ったわ」  ほんの、微かな声。それでも早瀬の耳には届いたらしい。 「知ったことか。……部屋に入らなきゃいいだろ。その台詞を言ったのは俺の部屋なんだから。家には来ない、とは言ってないぞ」 「……屁理屈」 「うるさい。とにかく、まず温まれ。すっごい冷たいぞ、お前」  問答無用でバスルームへと連れていく。  脱衣所で私を下ろし、給湯器のスイッチを入れる。  脚にはもう体重を支える力も残っていなくて、早瀬の手が離れると同時にその場に座り込んでしまった。  腰を下ろしてしまうと、睡魔がさらに勢いを増す。  瞼が下がってくる。 「……北川?」  そんな様子を見て、早瀬がまた手を差し伸べてきた。  服を脱がしていく。  ぐっしょりと濡れた服が剥ぎ取られたせいで、裸でいる方が暖かく感じた。  下着を脱がされたところで、早瀬の手が止まる。 「……北川……、生理、か?」 「………………ん」  下着が血で汚れていたのだろう。説明するのも面倒なので、曖昧にうなずいておいた。  冷静に考えれば、今の私に生理が来るわけないのだけれど、男の早瀬ではそこまで頭が回らないのかもしれない。  早瀬は私を脱がし終えて、自分も服を脱いでいく。裸になって、私を抱いてバスルームに入る。  タイルの上に座った私に、温かい飛沫が降りそそいでくる。  先刻までの、冷たい雨の飛沫とはまるで違う、身体の中に染み込んでくるような温もり。  全身に万遍なくお湯がかけられていく。  その途中で、早瀬は左手首の傷を確認している。すぐに手当てが必要なほどの怪我ではないと判断したのか、傷はそのままにしてシャワーを優先した。  芯まで冷えきっていた身体が、徐々に温まっていく。  しかし、そのせいでさらに眠くなってしまう。  瞼を閉じて、早瀬に寄りかかるような体勢になる。  肌が直に触れ合う感覚が心地よい。 「北川……具合、悪いのか?」  早瀬が訝しげに訊いてくる。  さすがに、単に寒いとか疲れているとかだけではなく、様子がおかしいと気づいたようだ。 「……眠い……だけ。…………睡眠薬……飲んだから……」 「――っっ!」  早瀬が息を呑む。 「北川、まさかっ!?」  切羽詰まった口調。慌ててバスルームを飛び出して119に電話しそうな勢いだったけれど、間一髪、脚にしがみつくようにして止めるのに間に合った。 「…………勘違い……しないで。普通に……規定量くらい、しか……飲んでない」 「あ、……そ、そうなのか? 本当に?」  肩を乱暴につかんで、身体を揺するように何度も念を押す早瀬。  半分眠ったような状態のまま、こくん、とうなずく私。  遠藤から数日おきにもらっていた睡眠薬は、実際のところ、木野のおかげで使わない日も多かった。  だから遠藤の思惑に反して、手元にはまとまった量が残っていた。 「……ただ……眠いだけ……危険は、ないわ。でも……車を運転する場合は、どうかしら?」 「…………、北川……?」  早瀬の眉間に皺が寄る。 「……パパの運転って……普段からすごく乱暴で、スピードを出すの。……激しいセックスで疲れた後に……睡眠薬入りのビールを、私の何倍も飲んで…………そんな状態で、急いで車を走らせて……」  口元がほころび、歪んだ笑みが浮かぶ。  ふふっと笑いが漏れる。 「……いったい……どうなるのかしらね?」  きっと、なにも起こらない。  空港まで、なんとか持ちこたえるかもしれない。  どうしても眠ければ、車を停めて仮眠をとるかもしれない。  事故を起こしたとしても、エアバッグとシートベルトで助かるかもしれない。  だけど……  そうじゃない、かも、しれない。  対向車線に飛び出して、大型トラックと正面衝突することだってあるかもしれない。  実際のところ、どうなるのかはわからない。  だけど、私の中では、パパは死んだ。  私が、殺した。 「ど……どうして……」  早瀬の声は、微かに震えていた。  目を開ける。  バスルームの鏡に、私が映っている。  狂気を孕んだ笑みを浮かべている。  早瀬が恐怖を覚えるのも無理はない、と納得してしまう表情だった。 「……どうして?」  首を傾げて、早瀬の台詞を繰り返す。 「私とパパの関係を知っているあなたが、それを訊くの?」  パパにどれだけひどいことをされてきたか、早瀬はよく知っている。  むしろ、私自身よりも理解できるのではないだろうか。私は、自分がどれほどパパのことを愛しているか知っているから。 「あ……いや、そうか……そうだよな」  自分に言い聞かせるように、言葉を絞り出す早瀬。  その腕の中で、もたれかかってまた目を閉じる。  睡魔がさらに勢力を増して押し寄せてくる。  お湯の温もり。  早瀬の体温。  心地よくて、もう、夢の中にいるような感覚だった。 「……私、パパのことが好きよ。無理やり妊娠させられて……無理やり流産させられて……それでも、世界でいちばん、誰よりも愛してる。……悪いけど、パパに比べたらあなたの地位なんて〈その他大勢ではない〉っていう程度のものだわ」 「……そりゃ、まあ、そうだろうけど」  うなずきつつも、少し傷ついたような口調になっている。感情を表に出さないようにしているけれど、完全には隠しきれていない。 「……そして……愛しているのと同じくらい、パパのことが大嫌い。この世の誰よりも憎んでいる。一度や二度殺したって、ぜんぜん足りないくらい」  そんな感情をグラフにしたら、プラスもマイナスも極限まで振り切った線になるだろう。平均すれば〈ゼロ〉であっても、線が上下に振れない〈その他大勢〉への想いとはまったく違う。 「……それは……危ういバランスの綱渡りみたいなもの……五年以上も続けてきたんだもの、……一度くらい、踏み外すことだって、あるわ」  下が見えないほどの高所での綱渡り。一度踏み外してしまえば、もう戻ることはできない。奈落まで墜ちるしかない。  それで、一巻の終わり。  ――の、はずだったのに。  墜ちかけた私を捕まえて放さない、強靱な腕がある。  小さな私の重みなどなんでもないという風に、微塵も揺るがない鋼のような筋肉の塊。  早瀬が、私を抱きしめる。 「男の理屈と、女の本能……この前、そんな話をしたよな?」 「…………ええ」 「確かに、その通りだ。北川のこと、遠藤先生や木野にも話したんだ。ふたりとも、俺なんかよりもずっとショックを受けてた。理性ではともかく感情的には、もうだめかもって思ってる雰囲気だった」 「……でしょう?」  遠藤や木野は、理解してくれる。  女、だから。  これで私のことを諦めてくれれば、余計なしがらみがなくなる。  なのに――  早瀬だけは、私を抱く腕にさらに力を込めている。 「だから……俺なんだよ。今の北川に必要なのは「それがどうした」って言える、男の理屈を押しつけることだ」  けっして乱暴ではない、しかし、けっして放さないという強い想いが込められた抱擁。 「……胎児とも呼べないような、小さな細胞の塊が死んだからって、なんだっていうんだ。俺にとってはそんなものより北川の方が大切だ。それは……生まれてこなきゃ、それは生命じゃない」 「…………だから……そんなの、女には受け入れられない理屈だって」 「そうだな。なんたって男は、毎日のように、何億っていう数の細胞を無為に死なせて平然としてるんだから」  一回の射精に含まれる精子の数は、億の単位になる。それは、すべて生きている細胞なのだ。 「……あなたの場合、並の日本人とは桁が違いそうね」 「それは、単なる一個の細胞だ。だけど、まるで単細胞生物のように、俺の身体から独立して活動してる。中学の時、好奇心から自分の精液を顕微鏡で見てみたことがあるんだ。なんかちっちゃなものが、無数に蠢いてた。ほとんど動かない身体を作る細胞と違って、いかにも〈生きてる〉って感じだった。でも俺は、精子の死なんて悼まない。毎日、出したいだけ出してやる。……それも、できれば北川の中がいいな」  力強く私を抱きしめたまま、首筋に唇を押しつけてくる。 「……そう……男って、そうよね。毎日、億単位の死を平然と受け流してるのよね。当然の、日常生活の一部として」 「……女だってそうさ、自覚してないだけで。北川は、ヨーグルト食う時に乳酸菌の死を悼むのか? 生きたまま腸に届くなんて謳い文句、あれ、嘘だぞ。何十万、何百万って乳酸菌のほとんどが、腸に達する前に死滅するんだ」 「…………やめてよ、ただでさえヨーグルト苦手なのに、食べられなくなるじゃない」 「理屈の上では、そうなるんだ。感情的には受け入れられないだろうけど。……それでも、構わない。北川が受け入れようとしなくても、俺がつかまえていて、この価値観を無理やり押しつけるから」  言葉が、理屈が、通じなければ、力ずく。  ある意味、とても男らしい傲慢さともいえる。  しかし今の状況において、それもひとつのやり方かもしれない。いくら正論を積み重ねたところで、今の私は聞く耳を持っていない。  感情的には、絶対に納得できない、受け入れられない。  だから、無理やり、力ずくで押しつける。  遠藤や木野にはできないだろう、男の早瀬ならではの傲慢で強引な解決策。  それはけっして根本的な解決ではないし、唯一無二の正しい解決策でもない。  しかし、力が常に正義ではないように、時には力でしか解決できないこともある。 「もう、絶対に放さない。俺がいる限り、北川の、心も、身体も、絶対に死なせない」 「……なんで……よ…………」  そんな早瀬の想いを拒絶したいのに、できない。  木野や遠藤の腕ならなんとか振りほどけても、私の細腕では、この豪腕から逃れることはできない。  そしてなにより、私の中にひとりだけ、助けを、早瀬を、求める〈私〉がいる。 「……なんで……そうまでこだわるのよ」 「北川のことが好きだから。それ以上の理由がいるか?」  まるで考えることを放棄したかのような、単純明快な答え。  単純すぎるが故に、反論することも難しい。 「……私なんて……絶対に狂ってるし、頭悪いし、淫乱だし、カラダ売ってるし、抱かれた男なんて数え切れないほどだし、それに、実はすっごい我侭だし、自分勝手だし、嫉妬深いし……そして……人殺し、だし……」  おそらく早瀬は、そうした言葉のひとつひとつに反論することもできただろう。  しかし彼が選んだのは、言葉の代わりに、私を抱きしめる腕にさらに力を込めることだった。  痛いほどの、苦しいほどの、一方的な、なのに優しい抱擁。 「そりゃ正直に言えば、北川のこと、嫌なところもあるさ。俺以外の男として欲しくない、とかな。我ながら面倒な女に惚れちまったって思うこともある。……だけど、それ以上に好きなところの方が多い。好きと嫌い、差し引きでプラスなら〈好き〉だろ」  返事の代わりに、早瀬の腕に力いっぱい噛みついた。  なんの手加減もしない。  口の中に、血の味が広がっていく。  顎の力を緩め、傷から流れ出た血を舐めとる。 「……こんなこと、されても?」 「俺は北川に、もっと痛いことしてきたし……これからも、たぶん、たまにはするし」 「…………」  もう、だめだ。  いつ眠りに落ちてしまってもおかしくない今の状況では、早瀬の力に対抗することはできない。  とりあえずは降参するしかなかった。それが今だけの一時的な撤退なのか、それとも全面降伏なのか、目覚めてみなければわからないけれど。 「……もう、いい……この前の宣言は撤回。……もう……起きていられない……ベッド、連れてって」 「ああ」  早瀬はシャワーを止めると、私を抱いてバスルームを出た。  バスタオルで簡単に私の身体を拭いて、また抱き上げて自室へと連れていく。  ベッドの上にそっと横たえ、自分はベッドの端に腰を下ろして、私の頭を優しく撫でる。  無意識のうちに、その手を掴んで指を口に含んでいた。それはフェラチオを模した愛撫というよりも、本能のまま乳首に吸いつく赤ん坊のような動作だった。  しばらくそうしていて、薄く目を開けて早瀬を見あげる。 「…………添い寝」  自分で思っていたよりも、甘えた声になった。 「……いいのか?」 「……誰か……いてくれないと、眠れない」  それは多分、早瀬でなくてもいいのだろう。だけど、今ここには早瀬しかいない。  だから、早瀬でいい。  早瀬がいい。  やや遠慮がちにベッドに入ってきた大きな身体に、しっかりとしがみつく。  筋肉に覆われた広い胸に顔を埋める。 「……あなた……すっごい莫迦よ。私……パパも、赤ちゃんも……私の、愛した人を、みんな殺しちゃった」  言葉にすると、また、涙が溢れてくる。 「…………きっと……次は、あなたね」  もう、誰も死なせたくない、殺したくない。  なのに、心の奥底、ずっと深いところに、それとは真逆の衝動を抱えた〈私〉がいる。  黒い感情が渦巻いている。  パパ、そして自分の赤ちゃん。  最愛の人を殺してきたのだから、次に愛した人も殺さなければならない――と。  そんな、想い。  それが、愛していることの証。  私の、愛情表現。  パパの娘だから、愛情表現はやっぱり歪んでいる。 「……心配するな」  早瀬の指が、軽く頬をつまんだ。 「その時は、返り討ちにしてやるから。……それで、いいんだろ?」  冷静に考えればかなり物騒な台詞。  だけど、私にとってそれは甘い愛のささやきであり、また、心やすらぐ優しい子守唄でもあった。 「……ん」  小さくうなずいて、  口元に笑みを浮かべて、  そして、私は、眠りについた。