だから姉には敵わない〜夏〜

by 西崎やまねこ

「ごきげんよう、お兄さま」
 夏まっ盛りの八月。
 バイトを終えてアパートの自室に帰ってきた俺、沢村秀喜は、ドアを開けるなりそんな台詞で迎えられた。
「…………」
 なにも言えないまま、しばらく呆然と立ちつくす。
 目の前に立っているのは、人気の某少女小説に出てくる、黒のワンピースのセーラー服を着た小柄な女の子。ご丁寧にも長い髪を三つ編みのお下げにしている。
「……なんのつもりだ?」
 なんとか状況を飲み込んだところで、挑発的な瞳をこちらに向けている女に向かって言う。
「……その、『お兄さま』ってのは?」
「無精ヒゲ生やした十九才の大学生を『お姉さま』って呼ぶのは無理があるでしょ?」
「そーゆー問題じゃなくて! 年甲斐もなくなに着てんだよ? なにが『お兄さま』だ!」
 根本から間違っている。
「歳なんか関係ないじゃない。あたしの令ちゃんなんか今年で三十だけどセーラー服着てるし、しかもそれが似合ってるんだから!」
「自分のコスプレ友達をキャラ名で呼ぶな! そもそも、お前は俺の姉だろうが! そこの二十一才女子大生!」
 ……そう。
 姉の茅乃である。
 姉……それは弟にとって永遠の天敵。
 この春から東京の大学に進学して、親元を離れて独り暮らしを始め、ようやくこのいじめっ子から解放されたと思ったのに。
「どうやって部屋に入った?」
「普通にドアを開けて。いくらあたしでも、壁抜けなんてできないよ?」
「そうじゃなくて!」
「合鍵持ってるし」
「いつの間にっ?」
 この部屋の合い鍵は、まだ両親にも渡していないはずなのに。
 ……いや、こいつならあり得る。
 俺は大きく溜息をついて座った。
「……で、なにしに来たんだよ?」
「コミケに決まってるじゃない」
 あまりにも予想通りの答え。
 茅乃はそれなりに人気のコスプレイヤーであり、また、ボーイズラブに目がないいわゆる腐女子である。
 盛岡の実家から、夏冬のお台場詣では毎回欠かさない。明日から始まる夏の祭典のために上京してきたというわけだ。
「で、ここに泊めてもらおうと思って」
「勝手に決めるなっ! なんの連絡もナシにっ!」
「前もって連絡したら断るでしょ?」
「わかってるなら来るなよ! ホテルに泊まればいいじゃん」
「ふっ、わかってないわね」
 泊めてもらうとか言ってる割には、態度が妙に偉そうだ。
「今回の衣装代、全部合わせていくらかかってると思ってンの? それにコミケでの買い物が毎回十万円以上。ホテル代なんか一銭も残ってるわけないじゃない」
「じゃあ友達の家に……」
「友達の家に泊めてもらうのに、手ぶらでは行けないでしょ。手土産代なんか以下同文」
 まったく。
 誰かなんとかしてくれ、この女。
「ここならタダで泊まれるし、気も遣わなくていいし」
「少しは気を遣え。だいたいどこに寝る気だよ。予備の布団なんかないぞ」
「ここに、立派なベッドがあるじゃない」
「俺はどこに寝ろと?」
「一緒に寝ればいいでしょ。いくらあたしでも、泊めてもらっておいて家主を床に寝かせるほど薄情じゃないよ?」
 いいや、こいつならやりかねない。
「いや……でも、だからって、一緒ってのは……」
「なーに照れてンのよ。あ、魅力的なお姉さまと一緒に寝たりしたら、間違いを犯しそうで怖いんだ?」
「ないないっ! ぜーったいにありえない! 間違いなんか!」
 冗談じゃない。誰が茅乃なんかと。
 俺の理想はもっと素直でおとなしい女の子だ。
「じゃ、なにも問題ないね?」
「え? いや……」
 もちろん、今さらなにを言っても無駄。
 こうして俺はコミケ期間中、天敵とひとつ屋根の下で暮らすことになった。


 絶対に、絶対に間違いなんかあり得ない――とは言ったものの。
 心穏やかに寝られるか、というとそうもいかない。
 さほど大きくもないベッドである。二人で寝るとなると、ほとんど密着したような状態になる。
 しかも、枕もひとつしかないからということで、腕枕をさせられている。
 たとえ姉であっても、女の子特有の柔らかさとか、温もりとか、シャンプーの香りとか、どうしても意識せずにはいられない。
 しかも茅乃はなにを考えているのか、コスプレ小道具のネコ耳を頭に付けたままベッドに入っている。
「なにを……って。だってあんた、この方が嬉しいでしょ?」
 ……嬉しいけど。
 ……って、そうじゃなくて!
 そりゃあ、ネコ耳は嫌いじゃない。というかむしろ好きだけれど。
 ネコ耳にTシャツ一枚という姿の女の子と同じベッドに入っていては、それが姉であっても無視するのは難しい。
「秀喜ってば、なーに緊張してンの」
 すぐ目と鼻の先に、茅乃の顔がある。大きな目を見開いて、こちらを見つめている。
「べ、別に緊張なんか……」
「それとも、あたしと一緒に寝るのがそんなに嫌? そんなに迷惑だった?」
「え、えっと……」
 迷惑だ、と言いたいところだけど、そんなこと言ったら後が怖い。それに、顔だけは一応可愛い女の子(ネコ耳付き)と一緒に寝るというのは、実姉でさえなければ幸せな体験だ。
「あたしはね、嬉しかった。久しぶりに秀喜に会えて」
「え?」
「春にあんたが家を出てから、ずっと寂しかった。秀喜のこと大好きなんだもの。可愛い弟なんだから」
「な……なに言ってんだよ!」
 まったく予想もしなかった台詞に狼狽してしまう。顔が赤くなる。
「散々、人のこといたぶっておいて……」
「好きだからこそ、可愛いからこそいじめたくなる。そーゆー愛情表現だってわからないかなぁ?」
「そんな愛情いらんっ!」
 なんだかんだ言って、結局俺は姉のオモチャということではないか。
「……じゃあ、こーゆー愛情なら?」
「――っ!?」
 茅乃が首を伸ばしてくる。
「な、な、なにを……っ」
 唇が、重ねられた。
 柔らかな唇の感触。濡れた舌の感触。
 悪戯な光を湛えた大きな瞳が、文字通り目の前にあった。
「……それとも、こーゆー愛情がいい?」
「うわっ」
 不意打ちに、思わず大声を上げてしまった。
 姉にいきなり股間を触られては、驚くなという方が無理がある。
「ふふっ、大きくなってきた」
 男の一番敏感な部分をパジャマの上から撫でながら、茅乃は笑う。
「ね、姉さん……っ、なにを……」
「……あたしは、イイよ?」
「え……」
「秀喜と、こーゆーことしても。宿泊費代わりに、イイコトしたげる」
 また、一瞬だけ唇が触れる。
 手が、パジャマの中にもぐり込んでくる。下着の上から、大きく膨らんだ部分を手のひらで包み込む。
「ね……姉さんっ! いったいどういうつもりなんだ?」
「だから……、ホントに寂しかったんだってば!」
 心なしか頬を赤らめているように見えるのは、気のせいだろうか。
「ずっと、傍にいるのがあたりまえの存在が、急にいなくなって。すごく、寂しかった。……そんなのヤダって思った。あたし、秀喜にとって『特別な女の子』になりたい」
 そう言う間も、手はゆっくりと動き続けている。薄い生地一枚隔てただけで、優しく撫でてくれている。
 頭にはネコ耳を着けたまま、まるで機嫌のいい猫のように目を細めて。
「よかった。あたしに触られても、ちゃんと固くなってる」
「そ、そりゃ、男としては……」
 仕方がない。
 たとえ相手が、子供の頃からさんざんいじめられてきた実の姉だって、女の子の柔らかな手で股間を刺激されて、しかもその女の子はネコ耳を着けて。
 それに茅乃は、性格はともかく顔だけは可愛いのだ。
 男としては、これでなにも反応しない方がおかしい。身体中の血液が触れられている部分に集まってしまう。
 やがてその手は、下着の中にまで侵入してきた。
 直に、触れてくる。そっと握って、手を上下に動かす。
「気持ち……イイ?」
「う……ぁ」
 気持ちいい、なんてものじゃない。茅乃の小さな手が、こんなにも気持ちのいいものだなんて。
 自分でするのなんか比べものにならない。
 しかも、その女の子はネコ耳付きなのだ。
「イイんだ?」
 くっくと喉の奥で笑いながら、また唇を重ねてくる。舌が奥まで入ってきて、口の中をくすぐられる。
 手の動きが、だんだん大きく、速くなってくる。
「ね、姉……さ、ん」
「……もっと、気持ちイイことして……あげようか?」
「え?」
 茅乃は自分の唇に人差し指を当てて、なにかを期待するような目でこちらを見ている。
 唾液で濡れたつややかな唇に、視線が吸い寄せられる。
 なにを言わんとしているのか、すぐに理解できた。
 頭で考えるより先に、本能で首を縦に振っていた。
「んふ」
 微かな笑い声を漏らしながら、茅乃は身体を下にずらしていく。
 パジャマの上から、膨らんだ股間に唇が押しつけられる。
 パジャマを、そして下着を脱がされる。
 固くそそり立つ局部が露わにされる。茅乃の手がそれを握り、顔が近づいていく。
「……っ」
 息がかけられる。
 それだけのことで、背筋がゾクゾクする。
 そこは、これから起こることへの期待に、限界まで膨張して脈うっていた。
「ん……」
 先端に、柔らかな唇が押しつけられる。
 ゆっくりと開いていく唇。俺の欲望がその中に飲み込まれていく。
 濡れた舌が触れてくる。
 舌先でくすぐられ、ぴったりと押しつけられ、そして絡みついてくる。
 唇がすぼめられ、きゅっと締めつけられる。根元の部分には指が絡みついて動いている。
「う……くっ」
 今にも達してしまいそうな快感に耐えながら、茅乃を見る。向こうも、俺の反応を窺うように上目遣いにこちらを見ている。
「うぁっ……」
 見るんじゃなかった。
 ネコ耳の女の子が。
 ネコ耳の可愛い女の子が。
 俺のものを根元までくわえている。
 こんな光景を見せられて。こんなことされて。
 もう我慢できない。できるはずがない。
 ネコ耳の生えた頭を鷲掴みにして、喉の奥まで貫くように腰を突き上げる。
 そこで、限界に達した。
 まるで小さな爆発でも起こしたかのように、溜まっていたものが一気に噴き出していく。
 茅乃が、苦しそうなくぐもった呻き声を漏らす。
「う……く、はぁぁ……」
 何度も脈打ちながら、最後の一滴まで搾り出す。
 精液の噴出が止まったところで、茅乃がごくり、ごくりと喉を鳴らした。
 頬を上気させ、とろんとした瞳で大きく息を吐き出す。
「ふゃぁぁ…………すごぉい……」
 唇の端から滴り落ちる白濁液を指で拭う。ケーキのデコレーション中にクリームのつまみ食いでもするかのように、その指をぺろっと舐める。
「……いっぱい、出たね。そんなによかった?」
「……」
 その質問には、答えられなかった。
 恥ずかしさと、実の姉相手に射精してしまったという微かな罪悪感に襲われて。
 そして、天敵だったはずの茅乃が愛おしくて仕方なくて。
 ただ黙って、小さな身体を力いっぱい抱きしめた。


 翌朝――

「秀喜、これお願いね」
 こっちはいろいろと気まずい思いをしていたというのに、茅乃はまったく普段通りの態度だった。
 コスプレ衣装の詰まった大きなバッグを抱え、「お願い」とは言いつつも命令口調で一枚の紙を渡してくる。
「なんだ、これ?」
「あたしの買い物リスト」
 それは、膨大な数のサークルリストだった。
「自分で行けよ! こんな大手サークルばかり行ってられるか!」
 女性向けサークルがほとんどだから、名前は知らない。だけど配置は壁が並んでいる。
 こっちだって自分の買い物があるのに、関係ないジャンルなんて行ってられない。
「あたしがそんなヒマあるわけないでしょ! 売り子とモデルで忙しいんだから!」
「知るか!」
 あんなことがあったのに、なにも変わらないこの図々しさはどうだろう。
 昨夜はちょっと可愛いと思ったけど、あんなの一時の気の迷いだ。
「ふぅぅん、そんなこと言うんだ?」
 意味深な笑み。よからぬことをたくらんでいる表情。
「今夜も、……してあげようと思ったのにな」
「う」
 ぐらりと心が揺れる。
「口だけ……じゃなくてもいいと思ったのにね」
「うぅっ」
 心の揺れは震度七を超える。
 口だけじゃないって……それって……つまり……。
「それだけじゃないよ? 今夜は……」
 悪戯な茅乃の瞳は、これの心の奥底まで見透かしているようだった。


 ――で。
 
 俺は、灼けつくような炎天下、ビッグサイトの外にいた。
 汗だくで、某超大手壁サークルの列に並んでいる。
 どんなに辛くても仕方がない。
 今朝の茅乃の、最後の台詞がとどめになった。

『今夜は、メイド服着てあげるよ?』

 ……メイドだぞ、メイド。
 男としては、断れるはずがないだろう?
 茅乃に話した覚えはないのに、嗜好が見透かされてしまっている。
 これだから、弟ってのは姉にはかなわないんだよなぁ。



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